
渋谷西部B館地下に反応する人が今やほとんどいなくなった。ほとんど通っていた、ごとき場所だった。ある日、雑誌『話の特集』のコーナーに、和田誠のイラストがいくつも飾られていた。好きといったら、山口瞳か和田誠か、というボクなので学校の行き帰りに寄り、絵本を一冊買った覚えがある。そのとき流れていた曲は今でも覚えている。山口百恵の「夢先案内人」(1977年)でボク以上の唐変木な相棒(深刻な活字中毒者)が曲名を知っていたのでビックリしたんだった。新曲として流れていたので、和田誠展のようなものが行われていたのは、間違いなく1977年だ。前置きが長くなったけど、そんなボクなので今回の本、和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』は単行本で買い、文庫本で買い、それをなくしてまた買い、と3度も買っている。そして今回が4読目だ。

1日の積雪量が魚沼で1メートルという日に新潟まで出掛けて、よせばいいのに、長岡で下りてあっちこっちと見て回った。考えが甘かったと思ったのは、ホワイトアウトがいかに不安であり、恐いか、を思い知った瞬間である。さて、ボクには新潟県生まれの知る辺が少なくない。長岡市のはずれで、雪につっこんで動けなくなった車のお陰で空白の時間が生まれた。やることがないので、現新潟市秋葉区生まれの鉄ライターに情報をもらい、新津という駅に行くことになる。目指すは古い商店街だ。深い雪の国道をやっと新津に行き着いたと思ったら日が暮れていた。鉄男にとっては有名なところだと言うが、ボクは鉄に興味がない。無鉄男なので新津駅にすら行く気にもならない。結局、もうひとつの新津名物、「三色団子」を買っただけの新津であった。通り過ぎただけだったが懐かしみを感じる商店街が残るところで、今度はゆっくり来よう、とぞ思いけり。

たぶんサケビクニンでいいかな? という魚をいただいて、撮影する。ぐにゅぐにゅしてどろどろしているので見た目は最低、撮影しにくい。抱卵していたので腹がちょっと裂けていた。サケビクニンかな? というのはザラビクニンというソックリサンがいるのと、この淡い色合いのクサウオ科の魚には隠蔽種(種名などがはっきりしない隠れた種)がいるためである。深海魚に見えるけど、たぶん完全無欠の深海魚とまでは言えないという中途半端な水深をゆっくり泳いでいる。ちなみにクサウオ科の魚は珍しくはないけど、ほぼ漁の間に捨てられるので、だれも知らない魚でもある。煮つけるか、汁しかないけど、意外においしい魚だ。皮はぶよぶよとしてゼリーのようで、煮てもそのままゼリーそのものである。身は箸で食べるのは難しく今回は散り蓮華で食べた。クセがなく、非常に水っぽいのに味がある。これはクサウオ科の大形種に共通していえることで、まるまるとろとろしたものを散り蓮華ですくいながら食べると止まらない。典型的な未利用魚だけど、捨てたらアカンという魚の代表格でもある。ご飯にかけて食べるのがいちばん。

仕事を始めた1970年代に食べた、アヒージョと思われるものは大きなフライパンで出て来たりしていた。当時、夜は会食することが多かったので、一人用のつまみであるアヒージョを一人分ずつ作るわけにもいかない、で、日本で生まれた日本のアヒージョがこれではなかったか。最近、これもありかな? と思うようになったが、我が家のものは比較的本来の形通りだと思っている。カスエラは使いにくいので小さな鉄のパンでアヒージョを作ってる。アヒージョに向いている魚、向いていない魚があるが、タチウオ類はアヒージョのための魚ではないか、と思うほどアヒージョに向いている。なんといってもその厚みのある皮が油で熱を通すことで生きる。激しく飛沫化するオリーブオイルに、炎が燃え移りそうなほどの強火で一気に作る。作ったらオリーブオイルが泡立っている内に食べ始める。白ワインが合いそうだけど、最近は赤ワインのロックがいい。長野県のスーパー、ツルヤが作っているメルローという安ワインだけどとても飲みやすい。強火で半揚げのようになっているテンジクタチの皮と身が、なんとも言えない味だ。塩焼き以上に強い味が感じられる。熱いので一本ずつ舌に乗せるように食べ、あっちっちを赤ワインで冷やす。そんな貧乏くさい食べ方がアヒージョのアヒージョらしい食べ方だ。それにしてもテンジクタチのうまきことよ。さて、残ったニンニクの葉とにんにくの風味がついたオリーブオイルにパンを浸して食べる。今回添えた文京区『マールツァイト』のパンも素晴らしい味だった。主役は本体のテンジクタチではなく、そのうま味が出たオリーブオイルだ。

ボクは大上段に構えるのも、食通を気取るのも好きではない。我ながら平々凡々な人間なので、平凡が好きだ。近所に住む知る辺は「納豆は副将軍(茨城県タカノフーズ)に限る」という。ボクは軽やかで爽やかなものが好きなので、民を苦しめたり、ろくでもないことばかりやらかした水戸光圀の名とか、それにまつわる言語を冠したものはおいしくても買わない。だいたい日本史好きで水戸光圀が好き、という人間はまずいないだろう。

打ち合わせは新宿でというのが多い。打ち合わせが終わったら、下高井戸に寄って商店街にある『堀田』でアジフライやハムカツを買って、『三笠屋』で和菓子を買って、となる。『三笠屋』によるといつも買いすぎる、ほどにうまい。今回は亥子餅、栗むし羊羹、豆大福、上用まんじゅう、栗入りきんつば、山帰来。■2025年11月に記す。

ここ一年、いろんな作家のエッセイを読みあさっている。ずーっと長いこと、『食べ物日記 鬼平誕生のころ』(池波正太郎 文藝春秋)に「ハマグリの天ぷら」が何度か登場していたはず、と思い込んでいた。頭の端っこに、「ハマグリの天ぷら」があって、八王子総合卸売センター『福泉』まで来たら大形の標準和名ハマグリがきていた。「ハマグリの天ぷら」挑戦は実は今回二度目、全快は衣を薄くしすぎて「地はま(チョウセンハマグリ)」で失敗している。ちなみに、大形なら「地はま」でもいいと思っていたものの、「本はま(ハマグリ)」とは渡りに船だ。最初の時には衣を薄くしすぎて失敗。2度目、まぶす小麦粉を多くしてハマグリに厚着をしてもらったら大成功だった。油から上げて二つ割りにすると肉汁がしたたる。こうすると撮影にはいいものの味わい半減する。「ハマグリの天ぷら」はそのままかぶりついた方がいい。3つ揚げて、熱いうちに食べると、衣の中が肉汁で満たされていて非常に強いうま味が感じられる。足の部分はしっかりとした食感があり、甘い。これはきっと池波正太郎ではなく、山の上ホテルにいたときに天ぷらの場所にいた近藤文夫が考えたのではないだろうか?などと考えたまではよかったけど、改めて昭和43年(1968)5月21日の日記を読み直すと、「ハマグリの天ぷら」ではなく、「フライ」であった。我がデータベースに「ハマグリのフライ」のいい画像がない。次回はフライを再撮するつもりなのだ。

ここ数年で激変しそうな上位の生物分類を考えている内に、頭が呆けてきた。そのせいだとは言い切れないが、疲れているのでたまには最近のボクのことをば。キク科の野菜というと瞬間的には春菊しか思い浮かばない。成長するとちゃんと菊の花が咲くのだから、間違いなく菊だろうし、香りからして菊そのものだ。でも菊の花の葉は食べられないのに、なぜ春菊の葉は食えるのか? なんておバカなことまで考えたりする。

見事なイワシ(マイワシ)を見つけると、ご飯が食べたくなる。いちばん腹がすいているのは市場にいるときで、朝なのでそのまま朝ご飯のおかずがイワシということになる。刺身にする時間など5分とかからない。冷凍保存してあるご飯をもどすのとおっつかっつの時間で、いただきますが言える。汁くらい作れ、と思うけど、汁なしでお茶だけ。ウルトラシンプルな朝ご飯となりにけり、だ。ちなみにマイワシは秋の季語だけど、それは季語歳時記を盛んに書籍化していたのが、江戸時代から昭和までの江戸や大坂、京都だったからで今は通用しない。北海道から九州の至る所から入荷をみて、目に見えて入荷の増えているとき、そんな無意味な季語を俳句に使うのは、産地以外ではバカである。

1980年代に新潟県現在の新潟市の海岸でアカモクをとっている人に会っているが、山形県の方だった。もともとアカモクをよく食べるのは秋田県、山形県、新潟県佐渡と佐渡の食文化の影響を受けている地域ではないかと思っている。それがあっと言う間に全国的なものになる。京都府の養殖ものは、別に養殖としなくてもいい。エサをやっていないからだ。このあたりの表現って難しい。とにもかくにも初アカモクはうれし。とんとんとんとんたたいてはネバを見て、レモネードレモンをしぼり、醤油をかけて食べる。ご飯に乗っけて食べるので丼と言った方がいいかも。アカモクのよさはしゃきしゃきした食感とねばり、そして海藻らしい風味だろう。やたらにご飯に合うが、たぶんどんなに食べても太らない。アカモクをとんとんするのはご飯を食べるため、というボクの日々の始まり始まり。

徳島に帰郷したときに探すもののひとつに「平子かえり」がある。マイワシは、カタクチイワシと比べると体が左右に平たいが、稚魚の段階から左右に平たい、ために「平子(ひらご)」という。カタクチイワシはまだ色素を持っていない「しらす」のちりめん、しらす干しが普通で多いが、マイワシは色素を持った「かえり」状態のものが多い。一般的なカタクチイワシの「しらす」、「ちりめん」よりも硬く、苦みも強い。ただし背の青い魚らしいうま味が豊かである。

北海道羅臼町、野圭太さん(有限会社丸の野水産 北海道目梨郡羅臼町)にマダラを1本いただく。鮮度のいいマダラはとても貴重。そして、もちろん雄だ。ほぼ5㎏で白子が1㎏も入っていた。来た当日は白子三昧となる。白子は塩水で洗って筋を取り、食べやすい大きさに切るだけ。水分を切って紅葉下ろしにポン酢ではなく、柑橘類を落として、これまた柑橘類で作った、すだち胡椒を添える。生と湯引きした白子の違いは牛乳をそのまま飲むのと、沸騰させて飲むのに近い。ともにおいしいけど、生の方が爽やかで、本来のクリーミーさが楽しめる。この生のままのクリームのおいしさ、しかもクリームとはまったく違う味で、魚らしい味もある。表現がめちゃくちゃ難しいけど、ボクはできれば生で食べたい。

東京で昔から珍重されてきたのがアコウダイである。「赤い魚」が変化して「赤魚鯛(あこうだい)」という。昔、築地の床屋で一緒になった老人は、「高くても(食堂に)あったら食べるね」と言っていた。もちろん煮つけで食べたいわけで、築地場内に、うまいアコウダイの煮つけを出す食堂があったらしい。食堂の煮つけは今や幻だが、今回のアコウダイは煮つけにする前に生で食べた。近年、アコウダイの生は普通どころか、高騰しすぎているので生で出さないと元が取れない、という料理人も多い。生といっても刺身よりも、焼霜造りがいちばんうまいと思っている。刺身で食べると味の深みというか、味が単純すぎるのである。皮の裏側には、身と違った質の脂があって皮と一緒になって、非常に豊かで複雑なうま味を作り出している。本種の脂は熱を加えることで液体となり半固体となる。舌にぬるりとしてうまい。もちろんあまり主張しない身にも脂が混在しているので、甘味がある。

我がサイトは不完全だが系統樹通りになっている。分類学的に大きな地殻変動が起こると、あっちこっち連絡をとったり、またその妥当性を自分なりに考える。生活が乱れるし、寝不足になるし、当然体調が激的に悪くなる。まるで神保町時代(出版界)にいたときのようにド深夜にビーフンを食べる。あの頃よりもましだけど、焼きビーフンというのはいつ作ってもうまいねー。ビーフン自体には歯ごたえはあるものの味はない。味は素材からぶんどってくるといった感じだ。やけに軽い味で、すいすいと食べられる。そんなに満足感があるわけではないが、これがいいのだ。1月半ば、末、そして今回が3回目のビーフンだけど、全部ド深夜の過酷なときの、給油的な飯だ。

学生の頃、日本映画研究クラブという非常に少人数のクラブがあり、少人数なのに学校の暗黒の黴だらけの地下室に部屋を持っていた。時々同じクラスの同クラブの男子と一緒に、日本映画を見に行っていたものだが、あるとき世田谷区三軒茶屋の映画館で不確かながら石原裕次郎の日活映画を見た。曖昧なのは、石原裕次郎(?)が殻付きのマガキを食べている場面しか覚えていないためだ。大皿に乗っているカキを、石原裕次郎(?)が小さなフォークで優雅に食べているのに衝撃を受けた。都会的だな、と思った。その直後、同じく世田谷区桜新町のすし屋で生まれて初めて殻付きのカキを食べている。ビックリ仰天するほどうまかった。山奥生まれのボクには、酢ガキとは違う、この殻付きの生ガキの味が衝撃だったのだ。ボクの殻付きカキ体験は続く。葛飾区新小岩に殻付きを1個単位で売ってくれる魚屋があって、ときどき途中下車をして買っていた。昔昔、千代田区小学館ビルの前に殻付きの生ガキを食べさせてくれる薄汚いがうまい食堂があって、時季には毎日のように食べていた。こんなとりとめもないことを思い出しながら食べた、佐賀県太良町産マガキは今季いちばんの味である。今年のマガキは生育が遅いというので、やっと味がよくなったときに食べたからかも知れぬ。有明海のマガキは濃厚なうま味と比較的少ない渋味、そして強い食感が特徴である。石原裕次郎(?)のように大皿に大量に並べて、食べたくなる。

山手線田町駅を下りたら、木枯らしがぴーぴゅーとボクの体を持っていく。そんな正月明け、三田『秋色庵 大阪屋』で、2026年の初和菓子を買う。練り切りの松竹梅、福寿草。■写真は福寿草。

徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)大北町の北の端にあるのが松尾神社である。古くは神社の真下を吉野川が流れていた。ボクが子供の頃(1960年前後)にはまだ、神社の北に吉野川が流れていた名残である湿っぽい荒れ地が広がっていた。背の高い雑草が生い茂っていて、よくここで遊んだものである。駅に続く現在信号のある道(西条~徳島線国道)ができる前は、松尾神社と小倉の太夫さん(宮司)の家が北南に繋がっていた。この道は小倉家が南に移動したので出来たことになる。もともと貞光というのは松尾神社から南に続く一本道にある大北町、中北町、明治橋、南中町、南町、大南町の中で、松尾神社近くの大北町はそれほど賑やかなところではなかったようだ。小倉家が南に移動して駅へと続く道が出来たために町内でももっとも賑やかなところに変貌したのだ。町史の商店街地図を見ると化粧品店、理髪店、編物教室、魚屋、食堂・旅館、酒屋、美容院などが南に続く大北町に、東西にはパチンコ屋、旅館、パン屋などが並んでいる。松尾神社と道路を挟んだ東には町内3つあった銭湯の一つ、北風呂があった。このあたりは子供の目にも賑やかなところだと映ったものだ。

高知県土佐町、スーパー『末広』で「さば子(さばご)」を2種類買った。干しがあまいものと、硬く干し上げたもの。原料はゴマサバの子で「さば子」だが、干しのあまいものは何度か買っていて、ほとんどゆでただけの釜揚げというのもある。このあまり干していないものは大根おろしなどを添えて、基本的にそのまま食べるものだ。今回の高知県産の硬く干し上げた煮干しで、そのまま食べないでだしを取るためのものだ。

新潟県の郷土料理「煮菜」は、「にな」ともいい、人のよっては「にーな」でもある。県内広い地域で作られているが、基本的に塩漬けした「体菜(葉柄部分の長い菜)」もしくはカブ、打ち豆とで作る。今回は長岡市で聞いた作り方と、『聞き書 新潟の食事』・「古志の食」を参考にした。「体菜」は、新潟県の中越地方で作られている。長岡市中心部で聞いたところでは、晩秋から初冬に収穫して、塩漬けにして一冬を通して、塩出しをしては食べるものだったという。塩出しをした「体菜の塩漬け」と打ち豆を油で炒めてだしで煮て、みそで味付けするのがもっとも基本的な「煮菜」である。これに煮干し、酒粕、油揚げを加えたり、にんじんを加えることもある。戻した「体菜」はしゃきしゃきとした食感が残っている状態で(戻しすぎず、煮すぎずがいいという)、青菜らしいほどよい酸味や青い風味が残っている。この野菜の風味にこっくりとした打ち豆が加わると、惣菜としての存在感が増す。酒の肴にする人が多いというのも頷ける。

残念ながら一切れ食べても、二切れ食べても、春は感じられない。淡路島のマアジは4月、5月に旬に突入するが、まだまだ旬ではない。まだまだ冬は去らない。ただし非常にうま味豊かだし、鮮度がいいので食感もいい。こんなに食感がいいのは、淡路島の南にある沼島の一本釣り漁師さんの、漁のときに一度も魚体に触らない独特の釣法のお陰である。春だな、とは脂の多寡で感じるものだけど、脂なんかなくてもマアジは滅法うまい。久しぶりにマアジの刺身でご飯だけど、このマアジのうま味とご飯の甘味が相乗効果を生む。淡路島のマアジは比較的安定的に入荷してくる。食べて季節の変化を感じられるのって素敵かも。

新潟県新潟市西区五十嵐新川漁港周辺の生物・食物図鑑を作っていく。新川漁協に水揚げされる水産物は量的には多くないが、多彩である。新川漁港の周辺には磯や護岸もあるし、きれいな砂浜もある。多彩な生き物がいて、それとふれあえるのも魅力的だ。漁港そばの五十嵐浜に普通にいる、小さなカニだ。本種は環境のいいきれいな砂地にしかいない。いかに五十嵐浜の砂の状態がいいかがわかる。

タチウオもテンジクタチも sp.(学名がつかない)のまま。なんとかしてほしいものだが、学名にたどり着くのが、よほどのこと難しいのだろう。そんな魚類学的な問題はさておき、ずんずんと北に移動してきているのだから、ずんずん食べるしかない。タチウオは非常にうまいが、テンジクタチだって負けてはいない。3ヶ月ぶりに食べたら、とても脂がのっている。うま味豊かで、口に入れた瞬間においしい。0.5kg前後までのいいところは皮が柔らかいことだ。この皮が長々と口の中においしさを居座らせてくれる。噛めば噛むほど味が染み出してくる。酒は麦焼酎、「天雪(木内醸造 長野県佐久市)」をロックで少しだけ。日本酒よりも焼酎やウオッカに合うと思う。

昔、北海道に「まりも(毬藻)」という玉ようかん(羊羹)があって、家族が土産に買って来た。今もあるかどうか知らないが、これがボクの玉羊羹初体験である。以来、矢鱈「玉羊羹」に惹かれる。楊子をぷつりと刺してくるりと剥けるのが、気持ちいい。

関八州、上野の国、群馬県の南部にある館林市は徳川綱吉、田山花袋で有名だが、分福茶釜、茂林寺の狸こそが大有名だろう。そんな館林市の直売所、『JA邑楽館林 農産物直売所 ぽんぽこ』がなかなかいい直売所なのである。近年の直売所は余所で作った珍しいものを、より高値で平気で売る、というところが多いが、比較的地のものがここにはあるし、そんなに高くない。この日、里芋売場には土垂(もっとも普通の品種)がずらりと並んでいた。野菜のなかでも里芋選びくらい難しいものはない。迷いに迷っていたら、そこに農家の方が里芋を納入しにやって来たので選んでもらった。里芋を何袋も手に取って、触っては大きさの揃いを見て、じっくりと選んでくれたのが今回の土垂だ。ボウルに入れて塩もみしながら選んでもらって正解だった、と思った。すくすく育ったのか、皮が剥きやすく、ヌルが多い。そしてスルメイカのおいしさを吸い取った里芋のなんともまあ、うまきことよ。ちなみに里芋とイカの煮つけの主役は里芋であってイカではない、とボクは思っている。念のために、里芋とイカ(スルメイカなど)の煮つけは関東平野では、とても平凡な料理で日々作るものであり、ハレの祭などにも作るご馳走でもある。まだ実見していないが、きっと全国くまなく作られているはずだし、ハレの日にも食べる、料理だと思っている。この国でもっとも平凡な料理である可能性が高い。平凡で何気ない料理の方が作るのはとても難しいのである。奇をてらった料理は誰でも作れるが、作っても褒められもしない平凡な料理を作れる人は少ない。今回は均質な里芋全体にスルメイカと調味料が染みこんでいる。これで2日に渡って昼ご飯を食べ、深夜酒の友とする。真夜中に食べても、腹に優しい味だった。酒は麦焼酎、「天雪(木内醸造 長野県佐久市)」をロックで少しだけだけど、焼酎に里芋は相性がいい。

鍋は自由自在好きなように作るべきだけど、ボクの脳みその中、醤油を使った鍋に「魚すき」と「割り下鍋」がある。つゆの材料は瓜二つだけど、まったく別ものである。「魚すき」はつゆが甘辛く濃くて、つゆが少ないので具材は平たい鍋でほとんど動かない状態で煮て、そのまま具材だけで食べられる。牛肉のすき焼きと同じだと思えばいい。「割り下鍋」は水が多めで鍋で具を泳がせながら煮て、具材だけでは調味料が薄いので煮汁を一緒にして食べる。今回は調味料の比率が高い、「魚すき」だ。自分好みに煮染めて食べる。あっさりとした軽い味で食べると、今回のように上等なマダイのおいしさが心底、深く味わえる。たった1㎏と少ししかない伊良子産(愛知県田原市)のマダイには一切れの中に思った以上に脂が隠れていたことも、味わい豊かなこともわかる。ついでに言っておくが、群馬県産の赤ねぎがこれまた非常にうまい。ときに主役を食ってしまいそうで困った。後半煮詰まってくると、ご飯の友にする。この甘辛い味がご飯に合う。八海山 特別本醸造100ml にご飯なので、飯の友ということになる。

なにもない1月、2月なので、貝同定のスキルを磨くためにもサラガイ属(市場では白貝)を並べては撮影している。同じ景がすでに百枚以上になっている。幻の存在を探し出すためでもある。剥き身で保存しているので、お昼などこのサラガイの剥き身の野菜炒めをやたらに作っている。体調不良を野菜で治そうと考えているのもある。塩コショウして、最後に醤油味をプラスすると、やけにご飯に合うのである。豚肉やレバーなどを使ったものよりも軽い味だし、モリモリと食べられる。野菜の味よりも、そんなに多く入れたわけでもないサラガイ・アラスジサラガイの味が先に来る。それだけ二枚貝のうま味は濃いということだし、最後にほんの少しだけ感じられるほろ苦さも二枚貝にしかないものだ。これで0.5合とは淋しい限りだけど、致し方なし。

「すみやき(クロシビカマス)」は小田原(神奈川県小田原市)で地物を買うのがいちばん手っ取り早いと思っているが、なかなか魚市場での競争が激しく競り勝てない。指をくわえて見ていることが多い。そろそろ小田原に行くべし、と想っていたらいきなりぽつんと入荷してきた。まるで相模湾周辺に住んでいる人間のように「すみやき」をよく食べている。煮つけでもいいし、たたきなますでもいいし、塩焼きでもいいし。今、いちばん食べたいのは塩焼きかな? と思ったが、皮の「あぶり」も久しぶりに食べたい。いろいろ料理した挙げ句、忙しい最中の深夜酒に三枚下ろしの皮目をあぶる。あぶって、まだ脂が固まらない状態で食べると、激務の後にご褒美をもらった、そんな思いがする。一度氷水に落としても一切れは生温く、舌に乗せるととろっとしている。しかも皮の豊かなうま味がどばっとくる。久しぶりに一人前以上食べてしまう。酒はいただきものの八海山 特別本醸造300ml を3分の1だけ。最近、止め、のできるボクなのだ。

日常、ほとんど肉を食べない。ボクにとっての肉とは牛肉、豚肉、鶏肉である。でも、「かつ丼」だけは矢鱈に、無性に、困るほど食べたくなる。月に1回は無理でも2ヶ月に1回は食べたい。2025年11月から12月にかけて、へこたれるほど苦しい風邪っぴきになる。熱があるわけでもないのに、血圧が天井知らずに上がって、あわや救急車という状況に陥る。以後、少しだけ寝たきりになる。以後、ずーっと腹具合が通常にもどらない。旅先で、旅終いに食べるのが「かつ丼」なのである。2025年12月25日、前日から固形物を抜きにしていどんだ、福島県三春町の「かつ丼」が半分しか食べられなかった。しかも普通においしくて、気持ちは「かつ丼」なのにダメ。食べられないときにはご飯だけ残すのに、半分残ったカツ(とんかつ)を口に入れる気にもならなかった。

「塩たたき」は高知県高知市の漁師・永野廣さんに、20年くらい前に教わった料理だ。高知には何度も行っているが、味付けは柑橘類と塩だけという、こっちの「たたき」が主流であるようだ。醤油は無用というか、味的に邪魔になる。それにしても高知県と、ボクの故郷・徳島県といえば柑橘類だ。本当は青切り(青い内に摘んだ柑橘類)がよかったものの冬が来てしまったため、黄色く熟れた柑橘類を使うしかない。この熟れた徳島県産の黄色いレモン(レモネード)の香りもいい。ただでさえ、ウマスギなスマだけど、その上に柑橘類と塩でなおウマスギになる。「塩たたき」が刺身以上においしいわけは、硬い皮の香ばしさ、直感の脂と甘味が楽しめることにあり、だ。一切れがこんなにうまい、なんて誰もわかるまい。ちなみに仕事で来ていた若い衆が赤い星のサッポロビール中瓶を2本も飲んでいった。ボクは徳島県の「歩危番茶」で、健康的だけどサビシイ!

最近、ハズレばかりのボクだったが、今回はアタリだった。食べ手がいたので2人前強を切りつけてすぐになくなる。とにかく味がある。舌の上で延々としてうまい。脂は見た目には目立たないけど、皮と皮の真下にあり、また身にも混在している。「腹の皮がぞくぞくっとするくらいうまい」というが、ボクも同感である。外食の多い人間をして、「これは想像以上ですね」は最上級の誉め言葉だろう。期待しないで造ったら、期待以上だったときの喜びはひとしおである。ボクはこれを台湾の高山茶でいただき、相棒は驚くなかれコカコーラで食べている。まあ、昼間っから酒よりはいい、だろう。

ゴボウは不格好な方がうまい。不格好なゴボウは山間地で育ったゴボウである。帰郷する度にボクの故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)『道の駅貞光ゆうゆう館』で探すのが、この不格好なゴボウである。何度も買っているが、すべて家賀(けか)という山間の地から来ている。家賀だけではなく、つるぎ町の山間部の畑はものすごい急斜面で、畝を作るときなど上に上にと土を寄せる。昔、家の手伝いで配達に行ったとき、その家のバアチャンに「(急斜面の畑で)ころげたら二度と上がって来れん」と言われたほどだ。つるぎ町の平地は極端に狭く、畑地の多くは「ころげたら二度と上がって来れん」ところばかりである。腰に紐をくくりつけて耕さなければならないところだってある。でもこの水やりすらままならない耕作困難な畑こそ、うますぎるゴボウを育てるのだ。念のために、家賀だけではなく同じようなところ、山でとれるゴボウはみなうまい。例えば吉野川を挟んだ対岸、美馬市美馬町の山のゴボウも同じだし、遠く離れて三重県伊賀市大滝のゴボウもうまい。ついでにつるぎ町一宇(いっちゅう)には、山の畑でしかとれない幻のジャガイモまである。■ずんぐりむっくりとて美しくない山のゴボウ

さて、魚食普及に重要なのは水産物の知識である。最近、未利用魚、未利用魚と騒がしいが、ちゃんとわかっている人いるんだろうか。厳密な意味での未利用魚は存在しないのに未利用魚という言葉が一人歩きしている。むしろ低価格魚としたほうがいい。当然国内各地で聞取をする必要があるが、例えば漁業者に聞いてもいいが、加工品業者、買受人(大卸・仲卸)、小売業の話も重要であり、消費者も重要だということを忘れている人がいる。むしろいちばん未利用魚がわからないのは行政、そして漁業者かも知れないという現実も知るべきだ。また最近、未利用魚にマイナー魚を加えるなど、魚価の変動を知らずにいろいろ語る、間違ったことを言うヤカラまでいる。魚価を知らなければ、未利用魚はわからない。そのためには、日常的に魚を買っていないとダメだが、そんな人間見た事がない。北海道津軽海峡以南の日本各地の浅い海域に普通。体長40cm前後になり、体側の斜めの帯と尾鰭に水玉模様がある。「鷹羽鯛」はこの尾鰭の白い水玉模様がタカの羽の模様に似ているからだ。海藻の多い岩礁域で甲殻類などをエサとしている。漁業関係者や流通のプロ達が「磯魚」と言うときの代表的な魚のひとつである。サザエやイセエビなどをとる刺網や定置網などに入る混獲物と見なされてもいる。釣り人には磯周りで釣れる魚という意味合いもあるが、例えば本命が来ない潮止まりに釣れたりする。図体が大きくて立派なのに、縁起の悪い魚だと思われている、そんな存在である。国内にいるタカノハダイの仲間(タカノハダイ科)はユウダチタカノハ、ミギマキ、タカノハダイの3種で、中でもいちばん水揚げ量の多いのがタカノハダイである。地域地域での呼び名が非常に多いのは、どの地域にも普通に見られて、地域地域で流通しない(売り買いの対象外)ままに食べられてきた魚であることがわかる。なぜ売り買いの対象にならないのか? 臭みのある個体が少なからずいるためである。野締め(漁の間に死んでしまった)はおしなべて臭い。臭い個体を一度でも食べたら、二度と食べないかも知れない。だから低価格魚としての未利用魚である。

大量に和菓子を買っていると、いろんなことに気づく。ボクは黒糖を使った饅頭がそんなに好きではなかった。当然、あまり買わない。でも大島饅頭(大島まんじゅう)と利休饅頭(利休まんじゅう)が同じものなら、これは見逃すわけには行かない。黒糖を皮に練り込んだものを、大島すなわち奄美大島は黒糖の産地ということで「大島饅頭」。千利休が好んで茶事に使ったので「利休饅頭」という由来ははまったくの作り話だけど、これも皮に黒糖を練り込んだものである。となると2つはまったく同じものだ。

「刺身にしていちばんおいしい魚はなんですか?」と矢鱈に聞かれる。ボクは本当の事しか言わないので、「フナです」と応えている。できれば滋賀県のニゴロブナの刺身がいいと思っているけど、養殖用のゲンゴロウブナ(河内フナ)もあなどれぬほどにうまい。聞いた方の多くが、「また変わったことを言いますね」といった顔をするが、こちらは本気以上に正直に応えているつもりだ。だいたいフナは中世、江戸時代、昭和になっても、もちろん場所(水域)にもよるが高級魚だった。例えば、歴史的(文字として残っている)にも、江戸時代前期(1600年代半ば)から上流の宴席や寄り合い、茶会などで食べられている。千利休の茶の湯を完成に導いた曾孫、江岑宗左(こうしんそうさ)の茶会にはなくてはならない品、それこそがフナの刺身であった。ちなみに角倉了以の高瀬川もフナを食べる文化には一役買っているなど、フナを食べる文化は調べれば調べるほど奥が深く面白い。閑話休題。群馬県板倉町にあるハスミフーズのものは群馬県産生食用なので、養殖されたものだ(天然ものには寄生虫の危険がある)。種はわからないが、ゲンゴロウブナを改良した「河内ブナ」なのではないかと思っている。少々、荒っぽい造りではあるが、フナの豊かすぎるうま味と独特の淡水由来の香りが堪能できて、おいしすぎる。酢みそで食べたが、黒い星のサッポロビール350mlととても相性がよかった。

福島県田村市は戦国武将田村氏の城、三春城の三春町とともに、田村氏の領地だったところだ。田村氏は戦国時代に伊達氏、佐竹氏などと戦ったことで有名だが、その田村氏はかの坂上田村麻呂の末裔と称していたらしい。陸奥守となった坂上田村麻呂というと平城京末期から長岡京、平安京など西暦800年前後の話なので、尊卑分脈の世界からすらほど遠い世界といえるだろう。船引町(現田村市船引町)は古くは日本一(詳細不明)の煙草の産地だったようだ。そのため、現在も南東北たばこ耕作組合本所がある。結局生まれてから一度も煙草を飲むことなく終わりそうなボクには縁遠いけど、煙草ほど地域経済を潤した農作物はない。そんな田村市船引、和菓子店『たまのや』の名物が、たばこ煎餅である。これなども歴史を感じさせてくれるもののひとつで、キャラクターもの以上に地域性を感じる。

1990年前後、こそこそと目立たぬように歩いて通った築地場内で、見つけると実にうれしい魚だった。初めて買ったのがいつかはわからないが、築地の仲卸の話では、三陸と北海道からやってくる魚で「珍しいものじゃないから、ときどき顔を出せば」と言われて、その通りにすぐに見つけることが出来た。食べたらこんなにうまいのか、とビックリした。まったく食べたことのない、新しい味の発見でもあった。ある意味、脂の乗り具合からして深海魚のようなのに、実は浅場に多い魚だというギャップも面白かった。若いときなので脂嗜好が強かったのもあるが、勝手に「白い大トロ」なんてトクビレノートに打った(もちろんワープロで)ものだ。このトロっとした脂が最初に口に広がる感じを表現するのは難しい。魚らしいうま味もあるし、活け締めしていなくても心地よい食感がある。刺身一切れの丸みのある味と鋭角的な味のバランスがいい。半身で3人分のつもりが1人でも食べられそうなのは、口の中で味が変化するためだ。酒の肴にとは思ったものだが、台湾の高山茶と一緒に食べる。これも結構いい。

カツオは足の速い魚なので、止めのものだとその日の内が生食の賞味期限である。当たり前だけど食感があった方がいい刺身は、鮮度のいいものの方がいい。止めや売れ残りを生で食べるなら「塩たたき」とか「みそたたき(なめろう)」に限る。体調はもどったものの、お腹の具合がさほどよくないので、ビールはサッポロビールの黒い星350mlを飲んでいる。この黒い星のビールと、カツオの「みそたたき(なめろう)」の相性がやけにいい。カツオで「みそたたき(なめろう)」を作る意味は酸味にある、と思っている。ほかの魚にはない食べたときの軽さは酸味があるためだ。もちろんカツオはうま味豊かだし、後味もいいのだけど、みそと酸味が生み出すものが味の最前線に出てくる。初物の沖縄県産葉ニンニクの存在感も見逃せない。念のために、書き記して置くが、売れ残り、止めの魚を毛嫌いするのは愚か者である。もしくは金をうんざり持っている人間とか。売れ残りには売れ残りのよさがある。カツオの場合は酸味はそのままで甘味やうま味がむしろ増しているのだ。問題は食感が落ちていること。「みそたたき(なめろう)」を作るとき、新しいものがいいとは限らないのだ。さって、350mlはあっと言う間になくなってしまう。早く中瓶が飲めるようになりたい。

簡単に引き受けた仕事が終わらない。気にくわない出来なので、非常に苦しい、そして終われない。それでも終わらねばならないので、気分転換に茶を淹れる。高知県黒潮町の砂像芸術家の女子に頂いた、台湾の旺興茶行 高山茶だ。温めた器に2、3粒放り込んで熱湯をそそぐ。お茶の葉がゆっくりゆっくり、回転しながら広がる。この数分がいい。

ヌマガレイは古くは関東にやってくることはなかった。産卵期にまとまって揚がるので、来たとしても市場用語で「ほぼ箱代(輸送費)」という感じ。これを活魚出荷するようになって安いなりに売れる魚となる。名前道理にほぼ淡水域、汽水域にいるもので、カレイなのに国内産のほとんどは目が左についている。市場ではありふれた存在だけど、一般的な知名度はゼロのカレイだ。煮ても焼いてもおいしくないカレイだけど、刺身にすると非常においしい。この逆ならありそうだけど、活魚で来ることが多くなって、刺身用の魚となる。身自体においしさがあるのか、どうかはわからない。これは活魚全般に言えることで、ボクも活魚のおいしさを表現するのは難しい。それでも割高の活魚を買ってしまうのは、締めたばかりの魚が非常にうまいからだ。ヌマガレイにはマコガレイと違って、少しだけだけど舌にクセを感じる。活魚だとほとんど気にならないものだけど、ボクにはこのクセが好ましく感じる。ヌマガレイの個性としてもいいだろう。活け締めにしたばかりなので強い食感があり、口に入れて送れてうま味がくる。飽きの来ない味で、4分の1(写真の半分)程度ならおいしいままに食べられる。合わせたのは、頂き物の八海山 特別本醸造300ml で、好みの酒なので少し飲みすぎ。

自家製、灯台つぶ(シライトマキバイの)冷凍の剥き身(足)を解凍して、適当に切る。ちなみに本種の剥き身は流通するので、それを手に入れて使ってもいい。火にのせられる器に入れて、大量のにんにく、鷹の爪、オリーブオイルを入れてかき混ぜる。強火で一気に火を通す。終始強火で火を通すのがコツだ。あとは食べるだけ。アヒージョは少量でなければならず、あまりごちゃごちゃしていてもよくない。にんにくの香りと、シライトマキバイの貝らしい味を邪魔者なしで楽しみたい。シライトマキはくせのない上品な味わいで、オリーブオイルで急激に火を通すことで、身が締まり、味も凝縮する。オリーブオイルに貝らしい風味を、思った以上にたっぷり放出する。貝自体もおいしいが、このオリーブオイルがもっとうまい。温めたバゲットでオイルの最後の一滴まで楽しむ。合わせたのはタンカレーのジンに、頂き物のでっかいレモンの皮の香り。いい時間となりにけり。

徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の町並みは珍しいことに、吉野川の支流、貞光川に平行に南北に一直線に並ぶ。これは市街地作りが計画的に行われた結果だという。北から大北町、北中町、明治橋、南中町、南町、大南町である。この商店街、通りは夜間照明が電球から蛍光灯になったのも古かった。ボクら子供達はこの明るい照明の下、夜でもキャッチボールが出来ると大騒ぎして喜んだ。『貞光町風土記―木綿麻の里に歴史を探る--』(柳川武夫 教育出版センター 1982)によると商店街で一番古い建物は、今はない郡大氏宅で棟木の札には1735年(享保20)とあるとのこと。享保は江戸時代の折り返し点で蜂須賀藩政の中期にあたる。このような蜂須賀藩政期にまで遡ることができる県西部の町並みのある町は、脇町(現美馬市)、貞光町、池田町(現三好市)だけだと思っている。しかも3町とも卯建(うだつ)の建物がある。これらは計画的に街作りが行われたはずだ。池田と貞光は商工業の町で、脇町は商工業の町である上に稲田氏の城下町である。池田の建物は本瓦葺きで一層卯建を持つ。脇町は本瓦葺きで一層卯建だ。貞光だけが二層卯建で本瓦葺きの屋根を持っていることになる。

行者にんにくの、去年の初買いは4月なので、今年の二十日正月(1月20日)買い、はどうかしている。貧乏人の大散財そのものである。行者にんにくは、にんにくやねぎのような風味があるだけではなく、山菜の苦みがあり、しかもほどよい甘味もある、これほど味わい豊かな山菜は他になはい。赤身の魚は行者にんにくの最大の特徴、にんにくにの風味と相性がよく、そこに山菜らしい味があるとなると、これ以上の組み合わせはない。ということで赤身のスマはこの行者にんにくと辛子酢みそと合わせても存在感が増しこそすれ、減らすことはない。ひょっとしたら刺身以上においしいかも、と思い始めたのは最近のことだ。刺身よりも遙かに和え物好きになるとは思いもしなかった。グラム単価にするとスマよりも行者にんにくが高くつくが、値段以上にスマの味を上昇させる。どっちが主役とも言い難い。合わせたのは、頂き物の八海山 特別本醸造300ml なので、少し飲みすぎ。

牛肉や鶏肉、豚肉料理に生き物の、種の知識はほとんどいらないが、水産物の料理には知識が重要なのである。これが水産物の欠点でもあるし、面白いところでもある。関東のスーパーで「舌平目(したびらめ)」として売られている魚でいちばん多いのはイヌノシタ、次いでアカシタビラメ、そしてクロウシノシタだ。この3種を覚えておけば、初心者的に「舌平目」は大丈夫だと思っている。また、希にではあるが「アカシタビラメ」として売られていることもあるのが、イヌノシタとアカシタビラメである。もうこれだけでついてこれない人も多いと思う。ただカレイのように目が左の方に寄っていて、スマートなのが「舌平目」と覚えておくといい。イヌノシタは、ほとんどが瀬戸内海周辺のものである。「舌平目」は煮つけなら皮付きでもいいが、ソテーするなら剥いた方がいい。売場には皮を剥いているものが多く、希に剥いていないものでも剥いてもらえるので非常に料理しやすい魚である。今回は粉をまぶしてじっくり香ばしくソテーした。要するにムニエルであるが、もともとはフランスの料理で、フランス語は「Meunière」である。フランスの料理というと、高級な感じがするが、「フランスの塩焼き」的なものと考えるとわかりやすい。だれでも簡単に作れ、めったに失敗しない。

ボクの職業は自営業だと思う。水産生物と人との関わりを調べるというのは、だれもやっていないことなので、だれにもわからないと思うけど、実は激務なのだ。生物が相手なので非常に時間に追われる。しかも分類学的な迷路にある生物だと、懊悩して悶え苦しむことになる。ボクには目眩という持病があるので、ときどきくるくると回ってダウンするくらいだ。そのせいか「休息という意味での打ち合わせ」が好きだ。都心打ち合わせはほぼ平日指定だけど、土曜日でもいいよ、と言われるとほいほい出掛けていく。打ち合わせだってどうでもよくはないけど、できるだけ朝の宙ぶらりんな時間にしてもらって、前後に散歩する。この日は打ち合わせ前に人生3回目の谷中骨董市(規模が小さいのとデモノが少ない)を見て回る。ボクには骨董趣味も収集癖もないので、骨董市で買うのは器とかカトラリーとか、要するに仕事に使えるものなので、一回りするだけで、お終いとなる。でも、骨董品(ほとんどが骨董的な価値のないものばかり)は、並べる人や、やってくる人の人生が見えてきたりして、時間を忘れるほど楽しい。この日も、●●(たぶん清涼飲料水)の瓶はないの? と聞いている老人がいた。意外に飲料の瓶を集めている人は多く、そのような人間はいたってありふれた存在なのに、自分の人生や瓶の世界の話をとめどなく話している。キャラクターグッズを並べている人(相手)の都合などお構いなしだ。ああ、これこそがガラクタ骨董市の面白さだ。アホヤナ! バカだな! こそ骨董市のよさなのだよ、と言いたい。

三重県、和歌山県、高知県でマイワシの幼魚・稚魚を「小平」、「小平じゃこ」で音を、「こべら」、「こびらじゃこ」という。また和歌山県、徳島県では「小平かえり」とも言うようだ。徳島県、岡山県で、「平子」で音を、「ひらご」と呼ぶ地域もある。まだ確認はとれていないが、この言語は1つ地域で混ざり合って使われているかも。基本的に、ゆで干しにする。などと並べてみたが、我がサイトではマイワシの稚魚・幼魚の呼び名、ゆで干しの呼び名も採取数が少なすぎる。煮干し、ゆで干しが多い長崎県などをちゃんと調べていないのが最大の問題点だし、だいたいにおいて九州が空白である。でもこのマイワシの稚魚・幼魚のゆで干しは西日本では普通で、東日本では見かけたことがないことだけは確かだ。

八王子総合卸売センター、福泉に厚岸から「白貝」が来ていた。「白貝」は北海道などで「ほっきがい(ウバガイ)」と一緒にとれる。「白貝」が来ているということは「ほっきがい」の漁期でもあるということだ。今、流通上、「白貝」とされている二枚貝を同定するときの検索項目の整理をしている。たぶん、この国に住む人の0.01%すらわからない話だが、たまにはこんな話もしてみたい。「白貝」はとても普通の食用貝で関東各県、東京のスーパーではそれほど珍しくはない。1990年代にはこんなことはなかった。比較的珍しかったといっても間違いではない。なぜ、スーパーに並ぶ機会が増えたのか?アサリがとても危険な状況に置かれていて、急激に減少しており、それをおぎなっている中国、朝鮮の産地も決して安泰ではないからだ。さて、この「白貝」には2種類の二枚貝の総称だが味はまったく同じである。別に2種類を1種類と考えてもなんら問題はない。でも、ボクには意味がある。ちなみに貝の収集家にも意味がない話なので、「白貝」の検索項目を調べているのは、国内で数人くらいかも。今、市場で「白貝」の荷を見つけると、目をつぶって、これはアラスジサラガイ、これはサラガイと3個ずつ選び、その通りであることを確かめるということをやっている。別に難しいことではないが、目を開けてまざまざ見るよりも正確に区別できる。貝殻の撮影をして中間的な個体を探しているので、同定は早くなければならない。写真は2種類のニッコウガイ科サラガイ属、市場で「白貝」とされる二枚貝である。非常においしい貝なので、同定などしないで日常的に食べてほしいものである。

ボクにとって墨田区は墨田区と言うよりも本所であってほしい。これは向島も同じである。向島が墨田区では宝井其角が怒るだろう。本所は隅田川の東で、古くは下総の国であるが1700年前後には朱引外ではあるが江戸の内となる。やがて大名の下屋敷ができたり、長谷川平蔵、遠山左衛門尉などの旗本屋敷が並んでいたり、はたまた江戸名物、鯉料理の店があったり。行楽地としては下町からもっとも近く、割り下水があり、竪川などの舟運にとっての主要な水路があった。水害の多いところだが、交通の便がいい。旗本、御家人などが少なからずいたのは、江戸城に短時間で行けたからだろう。さて吉良上野介が赤穂浪士に襲われた本所松坂町、吉良邸そばに『大川屋』がある。ここで、おに平だんご、忠臣蔵の吉良まんじゅう、さいほう、隅田川最中を買った。全部、やけにうまい。白あんにも独特のこくがあり、後味がさらりとしてうまい。おに平だんご、忠臣蔵の吉良まんじゅう、なんてあざとい名前と思って食べたら、味が複雑で非常にウマスギ。さいほう、は意味不明だが、これもよし。

新年明けて、市場が平常に戻った途端、白身にいいものがないために、赤身、赤身と続けざまに、赤身魚を食べているけど、飽きが来ない。特に赤身の刺身にしてビールにとても合う。それにしても、スマの腹側の刺身でサッポロラガー中瓶を2本とは、やりすぎだった。逆に言えば昨年以来、小正月が過ぎても不調だった腹の具合がよくなったのかも、とも感じる。くどいようだが、旧カツオ科・マグロ科の赤身の魚の刺身はとてもビールに合う。特にスマは刺身を大量に食べて、ビールも大量に飲めるところがすごい。さて、熊本県産のスマは鮮度抜群で包丁を入れるとスコっと音がした。赤身というものは柔らかく、酸味をともなったおいしさが急激に口に広がる。脂はさほど多くはなかったものの、味だらかの舌に張りつくような脂の層を感じた。その舌に張りついた脂が甘い。おいしさが口からあふれ出るのをビールで止める、といった感じだ。スマは、もちろんスマを食べているときは、赤身魚も、白身魚も含めて、刺身の最高峰だと思っている。今年はやけに市場にやってくる。豊漁なのやも知れぬ。値段からしてもスマ買いはやめられないかも。

さて吉野川右岸は(現徳島県美馬郡つるぎ町貞光)は江戸の藩政時代、明治時代を通じて吉野川の左岸(現美馬市)と比べると往還もなく僻地でしかなかった。ましてや江戸時代、明治まで吉野川の舟運が経済を動かしていた。その舟運のための港もなかった。そんな僻地に忽然と南北に一直線の商店街が出来たのは明治時代、そして徳島本線貞光駅が大正3年(1914)に出来て俄然発展する。商店街を中心に貞光の歴史、見どころ、地域性を感じる部分を残していきたいと思う。まずは青石についてだ。貞光町(当時、徳島県美馬郡貞光町貞光)の建造物には青石がいたるところに見られる。青石は四国の吉野川流域では非常に在り来たりなものでしかない。つるぎ町太田立石の前、吉野川の岸に渡しがあった。そこは非常に水深が深く、何人もの子供が溺れ死にをしたという話がある。そこでドブンという釣りをして「いだ(ウグイ)」などを釣っていたが、その釣り場全部が青石で、その大きさたるやテニスコート2面くらいはあったはずだ。吉野川は青石だらけだ、と言ってもいい。「阿波の青石」は、大阪などの商人に好まれ、高値で売れたと話す人がいるが、国内での石の評価などというものがあるのだろうか。貞光には、この大きな青石を切り出して売る、石屋もあった。

昔、神楽坂上に新しい居酒屋が出来たというので、一緒に仕事をしていた女子と出かけたことがある。「とてもうまい店だ」、というのと、「二度と行かない」、と評判が割れていた。出て来たものはどれもこれもおいしかったが、一皿の量が二人で分けても多すぎた。せっかく神楽坂を上りきったのに三品でげんなりした。職場でそれ以後、その店に行ったという話は聞いていない。一皿の量は多すぎるのもいけないし、少なすぎるのもいけない。ボクが作る料理は決して1人前とは限らない。念のために本日より、料理にボクなりの判断で「●人前」と入れることにする。前置きが長くなったが、刺身などにするときに出る腹骨周りの身は非常にうまい。取り分けヒラスズキは煮つけにするよりも焼いた方がうまい。焼き上げているときに、ただよってくる皮の香りからして、身の置き所がないくらい強い興奮を覚える。脂があるので柔らかく、強いうま味があるので少量でも味が大量である。味のインパクトの強さゆえ、ほんの一口サイズだけどこれにて1人前。夜なので「桂月 超辛口 原酒 特別純米」を半合ほど。

ボクのお昼ご飯は丼ということが多い。忙しいので丼どん、丼で済ましていると言っても、ある意味間違っていない。ついでに徳島県徳島市秋田町、栄寿司の尾杉卓さんに店名入りの丼をいただいた。どっしりしていい丼で、使ってみたかったというのもある。ボクの丼の基本はご飯をチンする時間で出来るもの。最近、底の浅いご飯保存容器に変えたので、約3分と50秒で作る。コシナガマグロの背の部分を薄く切る。ねぎを刻む。これまた尾杉さんにいただいた「すだち胡椒(おいし工房株式会社 徳島県吉野川)」 を用意する。チンと音がしたら丼にご飯をよそい、コシナガの薄切りを醤油に浸しては並べる。上から小ネギを振り、「すだち胡椒」を天盛りにする。丼はあっと言う間に食べられるものだが、体調不良になってからできる限りゆっくり食べる。コシナガマグロの脂の甘さや赤身魚の味がじわりじわりと口中に広がり、ここに糖質であるご飯とくればいうことがない。それにしてもマグロ属とご飯は合う。面白いものでコシナガマグロの脂は乗りすぎていても後味が軽い。これがよさかも知れぬと思う。どっしりとして厚みのある陶器の丼が、やけに新鮮な気持ちにさせてくれる。これも発見。今回はここに木曽三川桑名産のヤマトシジミのみそ汁で、いい昼飯となりにけり。

徳島県美波町日和佐は紀貫之の土佐日記にも出てくる古い泊(とまり)である。日和佐川、北河内谷川、奥潟川の河口に深く入江が入り込んんで、入り口の日和佐浦には戦国期からの日和佐城が見える。もちろん再建したものだが、ここは長宗我部元親が阿波侵攻の足がかりにしたところだ。四国霊場第二十三番札所 薬王寺があり、道々お遍路さんを見かける機会が多い。町は小さいが活気がある。イセエビ刺し網の作業場(網外しの場)は、日和佐の市街地から非常に近い。日和佐川の河口域が長々と港であり、その水面から数メートルのところに漁師さんの家がある。河口域を出ると、そこにイセエビの漁場がある。午前3時、海面から数メートルと離れていないなんてとても思えない静けさである。音が少ないから余計に寒さが身に染みる。

コシナガマグロの群れは、秋から冬のかけて西から長崎県を通って山陰にやってくる。すべて若い個体で大型でも10㎏弱しかない。沖縄県などでは成魚も揚がるが非常に少なく、食用魚としての影が薄いが、この日本海西部の若い個体の水揚げは流通上目立つ。昔は産地周辺で消費されることが多かったが、今や関東でもあくまでもプロの間ではあるが人気がある。大きさから「本めじ(本マグロの幼魚)」そっくりで、たぶん見わけのつく人はほとんどいないだろう。刺身にすると、もっとわからないかも知れぬ。ただ「本めじ」よりもちょっとだけ安い。さて、計測したり、撮影したりが終わったのは正午前だった。ご飯自分なのでおかずに塩焼きにする。塩焼きは後始末をしながら作れるのもいい。焼き上がりに合わせてご飯をもどして、ご飯の上に塩焼きをのせてほんの数滴醤油を垂らして食べる。塩分濃度が足りないからではなく、風味づけの醤油である。今回使った徳島県小松島市の濵醤油醸造場の濃い口がいい香りを放つ。脂でてらてらした塩焼きの表面に、醤油が散り散りになるのを見ながら見ながら、ご飯をかき込む。それにしても時季のコシナガマグロの塩焼きは、想像した以上にうまい。柔らかくて豊潤である。この強いうま味と、後から来る酸味は刺身からは想像できない。

時季に、時季の魚を買うのは当然だけど、意外に偶然というものある。この日、豊洲市場場内には寒の活けマダイを買いに行った。そこに大量のヒラスズキが並んでいて、活け場から持って来たばかりで血まみれのものもある。ああ、これはヒラスズキを買うしかないな、とという思いで脳みその中が満たされた。豊洲市場のこの日の主役でもあった。スズキの味には少なからず淡水系の風味を感じるが、ヒラスズキの味は、純海水魚のマダイやヒラメのおいしさと共通する部分が多い。品のあるおいしさというか、口の中であばれないおいしさというか。ほどよいうま味が舌に穏やかに広がる。このうまさが食べた後にも残るけど、それが実に喜ばしい。毎年、同じ時季に食べてるのに、今年もまたおいしさにビックリ仰天している。ついでに言わせてもらうと、時季の個体なので豊かな脂もあり、とろっとして甘く感じる。でも、もっとも好ましいのは脂がちばん前にしゃしゃり出ないことだ。夜なので「桂月 超辛口 原酒 特別純米」をちびりちびりと。

豊洲市場場内にはパンやお菓子、カップヌードルを売っている売店はある。でも温かい、例えば立ち食いそばとか、カレーを短時間で食べられるスタンドがない。昔、築地場内にあった食堂や喫茶店は、場内から遠すぎるし観光客のためのものに特化していて、値段が高すぎる。今回、宅急便にするには小さ過ぎ、持ち帰るには大き過ぎる魚を買ってしまい、引っさげた荷物が10㎏近くになって往生した。身動きが取れない状態だが腹は減る。だいたい始発で来たので朝からお茶しか飲んでいない。スタンドは遙か彼方だし、行ったとしても菓子パンくらいしかないし。こんな時、場内にもうひとつ、例えばターレーに乗ったまま食べられる、食事できる場所が欲しい。仲卸に弁当をお願いするという方法はあるものの、前日に頼まないとだめだ。東京都は働く人に優しくない、冷血である。

年末年始が布団の中だったので、新年の始動は遅かった。初打ち合わせにわざわざ都心に出ることにして前後に散歩をくっつけた。千石駅近くにある栄泉堂岡埜は今回が3度目。都心に出る回数が極端に少なくなっているので、3度も行っている大好きな店ということになる。今回はまだ春とはいえず、花びら餅、雪うさぎ、焼大福に、何度目かのきんつば。「1月10日とは遅い花びら餅となりにけり」。

ボクの故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)で「ひげがに」。高知県高知市では「つがに」、山形県鮭川村では「川がに」と呼ぶ。「川ガニ」は河川中流域、上流域での呼び名。「つがに」、「ずがに」は「津蟹(たぶん津は港のことで、江戸時代以前の港は河口域や河口の近くにあった)」で河川の河口域、内湾での呼び名が違うことがわかる。日本各地で好んで食べられ、地域地域で愛されてるカニなので、地域地域で呼び名が違い、たくさんの呼び名が存在するはずだ、と思っている。甲殻類の呼び名を集めた書籍は少ない上に、ボクが採取しきれていない呼び名も多いだろう。さて、今回のものは新年から2月くらいまで愛知県から「もくずがに」としてやってくるもので、なんだか定期便のようですらある。やや小振りで形が揃っているのも毎年同じである。雄が圧倒的に多く、雌が少ないのだけが少し残念だ。

徳島の旅の昼下がり、次の場所まで少しだけ時間があったので、教わった徳島県日和佐町恵比須浜で竿を出す。いつもながらに片天秤に1本バリである。

久しぶりの「墨いか(コウイカ)」の刺身は、活けでもないのに歯にまとわりつき、舌にへばりつく。無理矢理ではあるが噛めば噛むほど甘い。イカらしいうま味にも満ちていてびっくりする。1ぱい丸ごと食べてももの足りない。時季のものなのでうまいのは当たり前だけど、そんなことを度外視しても大分県佐伯市の「墨いか(コウイカ)」はうまい。活けと変わらず、の味わいである。ボクが口開けの1ぱい(売っているコウイカの最初の1ぱい)を買った途端に売り切れという人気だったが、さすがプロの料理人は素早いぞ。

ボクは常々、気になる歴史上の話をテキスト化している。知らないと思ったときは、知らないことを調べて、どこまで知らないのかを知る、のがボクのモットーである。両国についてのボクのメモ。現在、隅田川の西の中央区東日本橋と、東の墨田区横網町にかかる橋を両国橋という。隅田川には頼朝が下総から江戸に渡るときには湿地帯で進軍が難しく、当たり前だが橋がなかった。橋が架かったのは徳川家が江戸入りしてからだ。江戸に最初に出来た橋は江戸時以前、徳川家康が江戸入りしてすぐかけられた千住大橋。次に作られたのが万治2年(1659)の両国橋だ。作られたとき隅田川の右岸、江戸と、隅田川の左岸、下総に架かる橋だったので、両国に架かる橋という意味で両国橋となる。このとき両国という地名も生まれる。現在、国技館のある方は有名な両国ではなく、東両国で、江戸時代は両国というよりも本所と考えられていたのではないか。本来の両国は東日本橋と地名変更されてしまっている隅田川の右岸である、意外にこちらこそ両国なんだと知る人は少ない。

貞光ノートの菓子編とでもいうべきか。ボクが物心ついたとき、ちょうど『一屋(かずや製菓)』ができた。我が家の正面に松浦薬局、北に金川金物店は和子ちゃん家、真鍋履物店があって、大きなお屋敷めいた永尾米店、その北が『一屋』だった。現在の店舗は昔の真鍋履物店のところにある。ボクの生まれた南町の祇園小路入り口から歩いて行けるところには、あられなどを売っていた『井筒屋菓子店』、少し北に『栗尾商店』があり、『あずま屋』があったが、幼児には遠すぎた。『一屋』ができるまで和のまんじゅう類は、自家製の柏餅やまんじゅう、父親の実家である美馬町横尾(現美馬市)で作ったものが主だった気がする。考えてみると『一屋』が出来たときには、町内には『木村屋パン』もあった。我が商店街は甘い物に関しては充実していた。ここに、『一屋』が出来てから、より多彩なお菓子が手に入るようになった。和菓子の他には、結婚式のときに配る「嫁はん菓子」、ウイスキーボンボンなども売られていた。当時、発売されたばかりの(?)ルックチョコレートやアーモンドチョコレート、バッカスチョコレート、お汁粉の素、ワタナベジュースの素を買ったのも『一屋』だ。当時のオジサンはお亡くなりになったが、オバチャンは健在である。

鹿児島県串木野からとは珍しい、というだけでマアジを買う。そのまま持ち帰って、勝手に手が動くが如く「なめろう」を作る。旬を迎えておいしい白ねぎを買ったためかも知れない。ちなみになぜ「みそたたき」ではなく、千葉県の呼び名「なめろう」なのか?酢をかけ回したからだ。酢はミツカンの穀物酢(銘撰)である。「なめろう」には香りの少ない、敢えて言うと主張しない酢がいい。我が家の酢の基本はミツカンの穀物酢(銘撰)、米酢(華撰)、三ツ判山吹の三種であり、時々旅先で買う地酢が加わる。もちろん基本の酢は三ツ判山吹以外は1.8mlサイズだ。ミツカンの酢は安定した味で雑味がなく、市場でいつでも手に入るのがいいし、ボクのように「●●でなければいけない」感ゼロの人間にはとてもありがたい。「なめろう」と、このくせのない酢の相性がいいのは食べれば誰でもわかる。みそ、にんにく、ねぎにマアジで濃厚な味わいだけど、マアジだから生まれるおいしさが強く感じられるのが「なめろう(みそたたき)」の特徴である。千葉県外房ではマアジ、イサキ、ときに小振りのイシダイなどなどいろんな魚で作る「なめろう」だが、それぞれ味が違い、それぞれによさがある。比較的安価な酢はこの魚ごとの違いを殺さない。今回は半分を昼ご飯の友とした。千葉県千倉駅近くの食堂で昔、「なめろう」を丼飯にのせて、酢をかけて食べていた磯釣り師がいたが、若いときはよくマネして食べていたものだ。今回は丼飯ではなく、茶碗飯と野性味に欠けるが、酢を落とした「なめろう飯」がやけにうまい。「なめろう」の魅力はご飯にもビールにも日本酒にも合うことなのだ。それにしても初めて千倉町(現千葉県南房総市)で「なめろう」を食べて45年になる。暗く長い不調期から元気を取り戻して懐かしい料理を作る、これもよしだな。

なんども書くけど、ボクのデータベースのテーマは地域性である。当然、旅に出たらその土地のものしか買わない。お土産として作られたものには、その土地の地名だけ使っているだけで縁もゆかりもない、詐欺的なものがあるが、これなど詐欺以上に犯罪だと思っている。その点、地納豆は最低限その土地で作られているもので、嘘がない。問題は大手のものと地納豆の差がないことだけど、旅に出たら、特にもともとの納豆県だったら、地納豆を探したい。川俣町は福島県伊達郡というのは福島県中通りと浜通りを画す阿武隈山地にある町である。広大な阿武隈山地にはこのような盆地、盆地にぽつん、ぽつんと、孤立するかのようにたくさんの町が点在している。福島県での阿武隈山地旅は盆地から盆地への旅だ。しかも鉄道が通っていない町が少なからずある。川俣町もそのひとつ。今回の「山木屋納豆」を作る『山乃屋』はそんな山間の川俣町のまた町外れにある。最初、このド派手なパッケージを見て、地域性はカケラも感じなかったが、ただの地納豆ではない、意気込みが感じられた。

さて、魚食普及に重要なのは水産物の知識である。最近、未利用魚、未利用魚と騒がしいが、ちゃんとわかっている人いるんだろうか。厳密な意味での未利用魚は存在しないのに未利用魚という言葉が一人歩きしている。むしろ低価格魚としたほうがいい。当然国内各地で聞取をする必要があるが、例えば漁業者に聞いてもいいが、加工品業者、買受人(大卸・仲卸)、小売業の話も重要であり、消費者も重要だということを忘れている人がいる。むしろいちばん未利用魚がわからないのは行政、そして漁業者かも知れないという現実も知るべきだ。また最近、未利用魚にマイナー魚を加えるなど、魚価の変動を知らずにいろいろ語る、間違ったことを言うヤカラまでいる。魚価を知らなければ、未利用魚はわからない。そのためには、日常的に魚を買っていないとダメだが、そんな人間見た事がない。ブダイは古くから比較的海辺でよく食べられてきた魚だ。全国流通もするが、むしろ地域地域で食べられているローカルな存在である。産地などでは漁師の自家消費も多い、根強い人気の魚であった。その根強い人気に陰りが見えてきている。2025年に徳島県のイセエビ漁を見て歩いたが、漁師さんに聞いても年年食べなくなっているし、欲しいという人が少なくなっているという。ブダイ科の魚は国内では紀伊半島以南が種類的に多く、量的にも多いが、昔から本州、四国、九州で一般的なブダイ科の魚はブダイ1種だけである。山陰・千葉県以南の水深10m前後の岩礁地帯(磯)に普通で、性転換することでも有名である。夏には石灰藻や動物性のエサを主に食べ、寒くなると海藻を食べる。最近、海藻を食害するとして問題になっているが、本来海藻食である上にそんなに増えているわけでもないはず。もしも本種で海藻が減少しているとしたら、ブダイが原因ではなく環境の変化から海藻自体の抵抗性が弱くなっているのだと思っている。太古から寒い時季に海藻を食べている魚が、海藻を食害しているなんて非難されたらたまったものではない。余談になるが、この魚、釣りの世界でも人気が高かった。例えば冬場はハバノリを使っての「ノリブダイ釣り」が盛んに行われていた。それが今や「ノリブダイ釣り」りの本場、伊豆(静岡県伊豆半島)ですら、ブダイ釣りをする人が減っているという。伊豆では伝統的な釣り魚であったが、この伝統的な釣法が最近行われていないのは、エサとするハバノリの減少が原因かも知れない。

●本ページは改訂を繰り返します。ボクは常々、気になる歴史上の話をテキスト化している。知らないと思ったときは、知らないことを調べて、どこまで知らないのかを知る、のがボクのモットーである。さて、最初は吉良上野介から。吉良上野介(義央)は、高家旗本(儀式や典礼などを司る家)で、先祖は足利一族で源姓である。官位は高いが禄高は低いのも特徴かも。赤穂事件(殿中刃傷事件)は元禄14年(1701)、徳川綱吉のとき、江戸城松の廊下で浅野内匠頭(長矩)が吉良上野介(義央)に切りつけたという事件である。朝廷からの勅使をもてなす宴の最中であって、浅野内匠頭は勅使饗応役を努めていた。浅野内匠頭は不届きとして即日切腹させられる。高家(吉良家は上杉家とともに、足利時代以来の名家で高家はこの名家から選ばれる)はこの饗応の指南役であり、いうなれば勅使饗応役を補佐していたことになる。翌年元禄15年(1702)旧暦の12月14日に赤穂浪士(浪人)47人に本所松坂町の屋敷に押し入られ、吉良上野介は多数の家来とともに殺される。吉良上野介は1641年生まれなので59歳、浅野内匠頭は1661年生まれなので39歳であった。間違いなく事実だと確認できることは以上だけである。ついでにもうひとつ、事実をつけ加えると、徳川家康以来、家綱あたりまで、新年の登城を始め、幕府の儀礼が極端に細密化されていたことである。浅野内匠頭はこの幕府が意図して複雑にした儀礼についていけなかったのではないか。これが憶測が憶測を呼び、デマが飛び交う。刃傷に及んだ原因は吉良上野介が浅野内匠頭にさまざまな嫌がらせをしたからである。製塩技術に関してのいさかい。以上は事実としてどこにも残っていない。歴史上のデマである可能性が強い。一連の事件に対し喧嘩両成敗の方に反する。これを決するのは徳川綱吉と幕閣であり、すべての騒動に当てはまるわけではない。幕閣の意向に反して吉良上野介ができることはない。長男である三之助の上杉家への養子での陰謀説。吉良家と上杉家は血縁ではないが同族とみなしてもいいので、婚姻などは良識の範囲である。しかも当時、上杉家との関係を深くして得する部分はほとんどない。長男を上杉家に行かせるなど、火中栗を拾うといったもので吉良家にとって負の方が大きい。現在の考え方からすると、吉良上野介はどこから見てもただの被害者である。その上、吉良家は取り潰しになり跡継ぎの義周は事件のあとに悲惨な運命をたどる。この大量のデマのもとは仮名手本忠臣蔵が当たり狂言となったためだ。忠臣蔵のもとになった仮名手本忠臣蔵のエピソードはすべてフィクションでしかない。無関係な宝井其角が登場するなんて、バカらしくて笑う気にもなれない。それでも忠臣蔵が持てはやされるのは面白いからだろう。面白ければ無実の人間を悪人にしてもいいのか? と問いたい。

もともと目立つ魚だが、魚のないときなのでカゴカキダイの縦縞模様が余計に目立つ。しかも大きい。しかも表面がギラギラして、触ったら脂の存在が強く感じられる。真っ白の刺身を口に入れるとラードのような舌触りで、脂のかたまりそのものだった。口の中で脂が溶けていく時間が長い。やっと後から魚のうま味がくる。短時間感じられる、うま味はとても強く、微かな磯魚の風味が舌に残るが、嫌な感じはしない。最近、脂ギトギトといった刺身はほんの少しだけしか食べられないが、例えばブリの脂と比べると、カゴカキダイの脂は後味が軽い。いただきものの麦焼酎のお湯割りを飲むと、きれいさっぱり後口がなくなる。冬のカゴカキダイは危険なうまさ、だと思う。

トビウオは本州以南を代表する食用魚である。トビウオはサンマやサヨリに近い生き物で、国内での水揚げも多い。東京都で見る限りでも日常的な魚といえると思う。トビウオというのはトビウオ科の魚の総称で、例えば東京都では春にハマトビウオ、晩春から夏にかけてツクシトビウオ、ホソトビウオ、秋にはトビウオがやってくる。ハマトビウオは春になるとやってくるので、「春トビ」とも呼ばれている。春と言えば旧暦の正月2月17日以降。旧暦の冬、1月8日にきた今回のものは「春トビ」のさきがけとでもいうことか。夜酒の友に、久しぶりに食べる「たたきなます(皮付きのまま細かく切り香辛野菜と合わせてもの)」が、冬なのにやはり春の味である。トビウオ類の欠点は身自体にあまり味がないことだが、皮と皮直下には強いうま味と、脂のようなものが存在する。トビウオの味は皮にあり、ともいえる。わかりやす過ぎることを書いたので念のために、皮を引いた方が好きという人もいるので、好みの問題でしかないということも言っておきたい。実際、皮を引いた方が身の味を味わいはじっくり楽しめる。さて夜酒は兵庫県赤穂市の「忠臣蔵」を正一合。あまりにもわかりやすく、あざとい名の酒だけど、味はあざとくはない。

我が町、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)を流れる貞光川には現在2つの左岸の東と右岸の西を結ぶ潜水橋がある。南(上流)にあるのが「八幡橋」、そこから下手数百メートルのところにあるのが「長橋」である。「長橋」は単に「潜水橋」とも呼ばれている。潜水橋は国の企画で生まれた橋なので日本全国にある。珍しいものではないが、子供の頃はこれこそが橋だ、と思っていた。実際、吉野川にはいくつかの潜水橋が残っている。貞光町の歴史をみると貞光川を渡るのがいかに重要なことであったかがわってくる。潜水橋はコンクリートの橋台(川の袂の土台)と橋脚(間の橋を支える土台と脚)があり、橋自体もコンクリートで出来ている。橋の両側には高さ10cm・幅15cmくらいの台形の縁がある。洪水になると川の水が橋を越えて流れるのだと教わったが、「八幡橋」を川の水が越えているのは何度か見ているが、「長橋」を越えているのは一度しか見ていない。裏に住んでいたアンニャ(お兄さん)の肩に乗って見に行ったので、第二室戸台風かも知れない。ちなみに「長橋」は平地と平地を結んでいるので、多少川の水が越えても町にはそれほど被害はない。

福島県は西から会津、真ん中が中通り、海側が浜通りと縦3地域に分かれる。浜通りは当然、食は強く海に依存している。海から遠い会津は淡水魚、山の幸に対する依存度が当たり前だが、強い。当然、会津のコイ料理は有名である。中通りは、浜通りから海の幸を供給されていて、交易史的には「里(海辺から海産物の供給を受け、逆に里の産物である米などを提供する)」とするとわかりやすいが、コイをよく食べる。郡山市では養殖も盛んに行われている。ちなみにコイは雑食性なので養殖しても自然に対する負荷は少ない。問題はこの自然に優しいコイ食文化が衰退傾向にあることだ。さて、そんなコイをよく食べるであろう、須賀川市にある『マツヤスーパー』の特徴はコイ料理が一通り揃い、おいしいことだろう。特に素晴らしいのが「コイの洗い」である。包丁が切れているのはパック詰めのまま見ても、実に美しい。コイの洗いは見た目が美しいものは間違いなく味もいい

見ればわかるじゃないか、と思っても必ず種の検索をするのがカマス科の魚だ。せっかくなので今年は、カマス科の種別の流通比率を見ていきたいと思っている。きっと「アカカマスだ」と思って見逃している個体は少なくないはず。まあ、食べる目的がないわけではない。アカカマスは周年にわたって味がいい。産卵期は梅雨時と重なるが、梅雨時にだっておいしいアカカマスがある。当然、1月、厳寒期のアカカマスがまずいはずがない。熊野から来たアカカマスはそこそこ脂がのっている。箸なんか使わないで手で縦割りにして口に放り込むと皮目の香りと、皮自体の“おいしい”がいきなり来る。上質な身は舌の上でほぐれて甘味がある。お昼ご飯に焼いたのに、ご飯は置行堀で、皿の上にはコツだけが残る。炊きたてのご飯にカマスの塩焼きのつもりが、卵かけご飯となりにける。

意外に知られていないサンマの基本を整理して公開するが、以下の章をもうける。・サンマの基礎知識 1 サンマとは?・サンマの基礎知識 2 サンマはなぜサンマになったのか?・サンマの基礎知識 3 江戸時代からサイラをとっていた紀州・サンマの基礎知識 4 東京を始め関東がサンマっ食いになったわけ・サンマの基礎知識 5 落語、目黒のさんまを掘り下げる・サンマの基礎知識 6 1945年以降、そして2000年以降、塩焼きから刺身へ(▼本ページ)・サンマの基礎知識 7 日本海のサンマ国内でのサンマの多くは太平洋側で揚がっているが、太平洋側での本格的なサンマ漁は17世紀(1600年代)から始まる。年をふるごとに漁法が改良され、とれる量が増大する。紀州(三重県西部と和歌山県南部)や伊豆では定置網や巻網に近い八手網(やつだあみ)漁、それを改良した「さいら網(「さいら」はサンマのこと)」、また流網漁(刺網)も行われる。20世紀、昭和になって生まれたサンマ棒受網漁は、かつてない量のサンマを取り、国内での流通、価値観を激変させた。サンマ棒受網漁は1939年に千倉(千葉県。伊豆で始まったという情報もある)で考えられた。これが第二次世界大戦で漁業どころではなく、そのまま休止状態になる。本格的に始まるのは戦後、1947年になって道東で、だ。漁船が大型になり、棒受網が北海道や東北で盛んになるとともにサンマの主要産地は北海道、東北となる。北海道では7月になると小型船による流網漁(流刺網)が北海道東沖で始まり、8月になると大型船による棒受網漁が始まる。7月、小型船の刺網漁で揚がるサンマの初入荷はお祭り騒ぎだった。「新サンマ」は1尾120g前後、1㎏あたり14000円から15000円などという信じられない値段で売られていた。棒受網漁で揚がったサンマの弱点は、大量に漁獲することで剥がれやすい鱗を飲んでしまって腹にためていることだ。刺網漁のサンマは鱗を飲んでいない。棒受網漁のサンマはもっとも味のいいとされるワタ(内臓)が食べにく。ただ7月から8月半ばまでの刺網のサンマは脂が少なく、棒受網漁の方が乗っている。8月半ばの棒受網漁解禁で、サンマの値段は徐々に下落していく。本格的なサンマシーズンは8月半ば以降であった。この7月の小型船の刺網漁から8月半ばの大型船の棒受網という一種秩序ともいえる形は不漁を機になくなっている。■宮城県気仙沼漁港に入船中のサンマ棒受網漁船。

水産物と食材、地域性を調べるために旅をしているので、分刻みとまでは行かないが、時間的な制約で自由度はゼロに等しい。飲食で新しい店を開拓する暇もなく、食べ歩きもやりにくいし、居酒屋でどっぷり飲むということも出来ない。ちなみに24時間睡眠時間を最小限に動くことがあるため、何度か倒れたことがあるが、いちばんいけないのが酒である。ということで、徳島県では徳島市の安兵衛一択となる。話は脇道に逸れるが、数年前の木頭村を含めた旅では、前日から山に入り徳島市にもどったのが午後2時だった。定宿に無理を言って車を早くから駐めさせてもらい着替えをして安兵衛向かう。代わり映えしないものばかりで食事をして酒を飲み終わったのが午後4時前、ホテルにもどってそれから翌日の午前3時まで熟睡したことがある。通し営業の飲食店はボクの旅には貴重なのである。

高知県土佐町『末広』で「にろぎ」を買った。「にろぎ」はオキヒイラギのこと。東京湾内房で「ぎら」、静岡県駿河湾で「えのは」、山口県で「平太郎(へいたろう)」で多くの地域で丸干しが作られている。干ものの生産量がもっとも多いのが高知県と山口県だ。この地域を旅すると安定的に購入できる。

今年の初荷は1月5日だった。初荷には行かない、つもりが体を慣らすために行ったら思った通りなんにもなかった。それでも元気な「白みる(ナミガイ)」を買い求めてくる。「白みる」の、キヌマトイガイ科の特徴は、貝殻がとても薄いのと、貝殻に対して軟体(中身)がやけに大きくて貝殻は単なる飾りのごとくであること。白い水管はときどき唐傘小僧の足に見えることがある。余談になるが、科名にもなっているキヌマトイガイは市場で簡単に採取できた。2㎝足らずで貝などにくっついていて一緒に連れてこられてしまう、とても可哀想な犠牲者であった。「白みる」に似てとても小さいのを探すのが楽しかった。残念なことに最近、出荷時にきれいに洗い落とされてくる。楽しみが一つ減った。さて、久しぶりに食べる「白みる」が抜群にうまい。これから時季になるんだな、と思わせる味である。市場での「白みる」というのは、矢鱈に高い「みる貝(ミルクイ)」と同じように水管を食べる貝で、「みる貝」の貝殻が黒っぽいのに対して、貝殻が白いという意味になる。ときどき「高いみる貝の偽物」なんていう人がいるが、きっと味オンチに違いない。「白みる」と「みる貝」はそれぞれ別種のよさがある。さて、貝のおいしさは舌の根っこに方で感じる苦みだと思う。面白いもので苦みは甘味と一緒というか抱き合わせである。たぶん苦みがあるから甘味が引き立つ。「白みる」の軟らかさもいいし、柔らかいだけではなく、ほどほど歯ごたえがあるのもいい。この苦みこそが春の味だけど、まだまだ冬なので合わせたのは、福島県三春町の「三春駒 初しぼり」の熱燗。取り立てていい酒ではないが、どちらかというとボク好み。燗をつけてよし。

初あんこう1 キアンコウで鍋・煮つけセットを作るへはhttps://wwwnew.zukan-bouz.com/article/1858初あんこう2 あんこう鍋・煮つけセットで、煮つけhttps://www.zukan-bouz.com/article/18812025年12月19日に1尾買いしたキアンコウを4当分にして、3袋を冷凍保存し、年末年始に使った。東京風、醤油仕立ての鍋から始めて、12月28日に作ったのが「あんこうの煮つけ」だ。そして2026年1月1日はみそ仕立ての鍋を作る。みそ仕立ては、茨城県のどぶ汁(鍋)ほど重くなく作り方が簡単である。カツオ厚削り節だしと昆布だしを合わせて、酒多めと群馬県の豊楽みそ呉入を合わせてみそのつゆを作ったので、これだけ飲んでもおいしい。これで煮てまずいわけがない。「あんこう(キアンコウ)」は煮れば煮るほどおいしいので、じっくりゆっくり、「あんこう時間」が楽しめる。それにしても胃袋、皮はみそで煮るとにょろっとして、歯に弾力を感じさせながらうま味を放出する。脂はないはずなのに、脂的な舌触りがする。思った以上に野菜がおいしいのは体が欲しているからかも。これでサッポロラガービール中瓶。

生まれてこの方、自分で麦茶を淹れたことがない。たぶん、新潟県新潟市内野町、スーパー ichiman で筒状の物体を見つけて、「麦茶だ」と思わなかったら、一生自分で麦茶を淹れるなんてなかったかも。だいたい麦茶は冷蔵庫になんとなくあるもので、意識したことすらなかった。ただ、新潟県に行ったら、新潟県のもの以外は買わないを信条にしているので、このような長岡市で作られた麦茶を新潟市で買う。これ以上にボクの心情に合致することはない。

クマエビは標準和名だけど、そんな名など知らないという人ばかりだろう。西日本では「足赤(あしあか)」であるし、ボクの故郷である徳島県でも「足赤(あしあか)」なのだ。今回のものは冷凍といっても刺身で食べられるほどの、すごいもんだったけど、生ではちょびっとだけ食べて、フライにする。エビフライくらいうまい磁力の強いものはにゃー、と思っている。とてもこの魅力、磁力には抗えない。作り方は簡単なので解凍して、出来上がるのに10分程度しかかからない。高温で揚げて、揚げたての中心部分はほんのり生なのが、ほんの1分足らずで白く火が通るというのが理想である。これを手づかみで食べたいけど、ナイフとフォークで少しずつ切り分けながら、じっくり味わうといい。エビフライは早食いすると、真味にたどりつけないのだ。やはり上物の、国産「足赤(あしあか)」のフライはうまい、としか言いようがない。ぷるんとしているので味気ないかというと、強い味が口の中に広がる。甘いし、食感が心地よいし、エビの風味が高いし、やっぱり食感がよいし。サッポロラガービールの中瓶がうまい。

毎年、関東圏外のスーパーや直売所などで、正月ものを買ってみるというのをやっている。今年は広島のつもりが相手方の都合で行けなかった。体調が思わしくなかったけれども、できたら這ってでも行きたかった。仕方なく関東圏外でもっとも近いところ、福島県三春と田村市へ行った。最近、福島が面白すぎて困っている。福島県は「ゆべし」度の高いところだが、福島の「ゆべし」には一定の決まりがなく、餅菓子ではあっても柚子を使ってすらないこともある。この郡山市に本店のある『かんの屋』のものにはちゃんと柚子が入っている。しかも「ゆべし」を主体としているだけあってけっこううまい。上品な甘さなので数食べても飽きが来ない。買ったのは、「紅白ゆべし」、「ゆべし」、「あんぽ柿」で、チェーン店なのかも知れないが、またよってもいい、気がする。

貞光町(当時、徳島県美馬郡貞光町)は中世とか藩政期までの歴史は古くないが、明治以後、特に徳島本線が出来て以後、急激に発展をとげた町なのである。農業の町ではなく商工業の商店街を中心とした町なので、飲食店が無数にあり、特にお好み焼き屋だらけだった気がする。祇園さん(八坂神社)坂下のボクの家から小学校に上がる前によく行ったのが、いちばん近い『吉田屋』だ。タイル張りの作り付けの土台があり、鉄板が乗っていた。ボクの家の前が松浦薬局、北に向かうと尾花の肉屋があり、岩井牛乳屋で、その先にあった。大人の目のとどく範囲だったのでよく行ったものだ。ここのオジサンに蛇紋石の磨き方を教わったりした。小学校に上がると、水木しげるの「墓場鬼太郎」を読みに通っていたのが『おおみね』、川に行くときよく行ったのが少し遅れて出来た『にった』である。他にも潜水橋(長橋)に向かう道沿いに藤田商店、書道教室の近くに1軒のお好み焼き屋があった。南町に住んでいた子供の縄張り(昔はあったんだよね)内だけでも5軒のお好み焼き屋は、徳島県美馬郡でも最小に近い町としては珍しいのではないか?

初あんこう1 キアンコウで鍋・煮つけセットを作るへはhttps://wwwnew.zukan-bouz.com/article/1858初あんこう3 あんこう鍋・煮つけセットでみそ仕立て鍋https://www.zukan-bouz.com/article/18862025年12月19日に1尾買いしたキアンコウを4当分にして、冷凍保存し、年末年始に使った。東京風、醤油仕立ての鍋を始めて、12月28日に作ったのが「あんこうの煮つけ」だ。あんこう(キアンコウ)が滅法好きなので、この「あんこうストック」くらい年末年始を豊かにしてくれるものはない。箸だけで食べるんじゃなくて、濡れタオルでも用意しておいて、箸と手で食べる。結局箸などぶん投げて手だけで食べることになる。食べるんじゃなくてむさぼり食うという感じ。この甘辛で上品の真反対の味が、ボクの脳みその芯を刺激する。食べられないのは骨の硬い部分だけなので、結構腹が満ちてくる。体はいまだに不満足なのに、ついつい手が伸びる。ときどき肝まみれの皮があったり、柔らかいけど噛み切れない胃袋があったり。味や歯触りの変化に次ぐ変化にも我を忘れる。せっかく用意したサッポロラガー中瓶だけど、後飲みとなりにける。

徳島県徳島市、栄寿司の尾杉卓さんにいただいたものの続き。実は、ボク好み昔ながらのホクホクの、「なると金時」だ、と思う前に、大津に気が行ってしまった。今回、会う人が多くて行けなかったところが、鳴門市大津だ。鳴門市大津という地域は非常に広く、目的の律令制時代(645年の乙巳の変から摂政関白時代の1000年前後まで)の大津の港があった場所などわかりもしないが、近くに行ってみるだけでも意味があると思っていたのだ。阿波国府は現在の徳島市国府町にあり、吉野川を北に渡って鳴門市にあるのが大津である。また徳島本線に府中という駅があるが、読みは「こう」だ。この駅の南西にあるのが国府なので、この府中も含めて律令の役所などが散在していたのかも。念のために、大津は土佐(高知県)にもあり、三浦(神奈川県三浦半島)にも、滋賀県にもある。理由はわからないが、国府と大津は基本的に離れた位置にある。大津は、律令制度では国ごとに指定されていた良港である。立派な「なると金時」を見て、今回の徳島旅では諦めたことの多さを思い知る。

徳島県阿南市椿泊は半島で非常に美しいところだ。その名の通り半島の山は椿の木で覆われている。椿という植物は陰陽の陰で、陽の桜のように一面が花の色に染まるというわけではない、半島の坂道をゆっくり歩き、この花を前にすると、胸をえぐられるかのような思いに駆られる。葉に隠れるように咲く赤い花の美しさに心揺さぶられる。椿泊で水揚げだけを見て帰るボクなど典型的な無粋者である。その椿泊の漁港で底曳き網の船を待つ。船が着岸すると、多様な魚、多様なエビが選別台に乗せられる。「足赤(クマエビ)」、「しらさ(ヨシエビ)」、クルマエビなどの大形のエビを最初に選別し、後から小形のエビを選別する。この小エビの選別が実に楽しい。小エビの中でもやや大形のコウダカクダヒゲエビ、クルマエビ科のアカエビにサルエビ、キシエビなどがいる。

新年1月は予定が詰まっているので、年末年始は休みに休んで、じっとしてはいるものの、やはり大晦(おおつごもり)なんだから、とそばをくらう。近所のスーパーで棚にそばを補充していたので、更科そばありますか?田舎、田舎と、去年も一昨年も、ずーっと田舎そばだったので、気分を変えてみた。愛知県豊橋市『サンヨネ』の厚けずりで単一味のだしを取る。厚けずりは水に対して普段の1.5倍量で濃い目である。今回のつゆの甘味は砂糖のみで、醤油は徳島県小松島市、濵醤油醸造所の濃い口醤油で、やや辛めにする。徳島県名物というか名産とも言える、「腹痛」を流水でもどす。阿南市椿泊の底曳き網の方に分けてもらったものである。まことにありがとうございました。「腹痛」というのエビは、矢鱈にうまいエビなので食べ始めると、とまらない。「腹が痛くなるまでやめられないほどうまいエビ」なので徳島県阿南市椿泊で「腹痛」という。念のために、標準和名はクダヒゲエビ科のコウダカクダヒゲエビだ。知名度の低いエビだが、生で食べるとエビ類中、味は最上級という徳島の隠れ味である。高温で揚げるとふわっと柔らかく、とっても甘味が強い。エビのエビらしい風味が後から来る。天ぷらにして、やけに美味で、ついつい箸が伸びる。

土佐町から大豊町へ下りながら吉野川を見て、中流化が進んでいるのを確認する。生物の個体数は増えているものの、本来いるべき水産生物は消え、ニゴイが泳いでいるのを見て絶望的な気持ちになる。わいわい楽しそうに騒いでいたダムを見に来たヤカラに、ダムは川を完全に殺してしまうのだよ、と言ってみたい。ただ近年、自然保護というと、自分にだけ優しい保守系の人(保守主義ではない)にアカと呼ばれるし、暴力を振るわれそうになる。どうなっているんだ、この国は。自然保護は温暖化防止と同義語じゃねーか、と言いたいね。

11月後半から風邪を引いたというか、深刻な状態になってしまった。食べられるものは1日にバナナ2本と水分だけとなり、そのバナナを食べることすら重い。やがて1本だけになり、どん底に落ち込む。顔が真っ白になり、救急車の一歩手前になったので、迷い、電話で状況説明したら、「呼ぶべきです」と言われる。さすがに救急車を呼ぶのは悪いと思って、がんばったらなんとかなったけど、それからも延々とバナナの日々は続いた。やっとバナナの日々が終わりかけたときに、いただいたら、島バナナに見えたので、うんざりしたが、食べてみたら、島バナナではなかった。

「マイナー魚」は一般言語で、その歴史は紙(印刷物)が主だった時代にたどれる、非常に古い、という話をしたい。言語としての「マイナー魚」はたぶん1980年代末か1990年代初めに、本来は「知名度の低いマイナーな魚」という原稿がボクのワープロの前に置かれていた。当時は8インチフロッピーの時代で、親指シフトだった。「マイナー魚」という表記が、「マイナーな魚」という表記と混在していたので、校正と相談して多かった「マイナー魚」に統一した。1980年代にマイナーというとギターのコードだと思っていたのに、「知名度の低い」という言葉として一般化(?)した気がする。小さな出版社で、いろんな文章を印刷して製本していた。とくに役人さんが書いたであろう文章は印刷のオペレーターにはとてもそのまま回せなかったので、回せるようにしたのはボクたち文字のプロである(文字のプロとは、文章のプロではなく印刷の法則に合わせて書き直し指示するプロという意味)。図鑑マニアで大学生のことから動物学を分類学を独学、文字印刷に関してはプロだったので、このような分野で文字整理のアルバイトをしていたのだ。ひょっとしたら出版社が決めたタイトルも「マイナー魚」だった可能性がある。とするとこの言語の世間に向けての最初はたぶん水産庁(?)の役人だと思う。「マイナー魚」という言語は使いやすいと思ったものだが、この言葉は作り出したものではなく、このようなことからも一般言語である。ちなみに2015年に『マイナー魚介類図鑑』をマイナビ出版から出したが、2013年頃の最初のタイトルは「マイナー魚図鑑」で、イソギンチャクなどを入れたくなったので、魚介類にしたのだ。これの編集的な準備を始めたのは2006年頃で、デジタルカメラとPCが1998年に我が家に来たことで起きた革命は、今じゃ知らない人もいるだろう。その時のフォルダーのタイトルは「マイナー魚」で、最初の一枚はクサカリツボダイだ。ついでに「未利用魚」は誰が考えた言語かわからないが、明らかに間違った言語なので別の言語に変えるべきだ。そうしないと紙の方面でも間違った言語が使われ続け、消すことができないまま残り続ける。

マイナー魚は区分して考えないと何が何だかわからない。わけもわからずマイナー魚という言葉が一人歩きしている。これだけは絶対に避けなければならない。一定の地域だけで食べられていて、狭い地域、限定された地域で流通し、値がつくという魚がいる。これが意外に多いのだが、これを「高地域性マイナー魚」としたい。高地域性マイナー魚には珍しい魚はいない。むしろ平凡な魚だが、一定の地域だけで食べられていて、少し離れたところでは名前すら知られていない。例えば、サッパ、ヒラ、テンジクダイ、ヒイラギ、タカベ、スズメダイ、アブラボウズ、クロシビカマス、ババガレイなどがその典型である。また、「高地域性マイナー魚」とまではいかないが、似たような性質を持つものに、メダイ、コノシロなどがある。いくつか例を挙げていくが、これらの魚は情報の時代となっても「高地域性マイナー魚」のままである。水産の世界がいかに古い体質を残して、変化を好まないかといういい例だと思っている。「高地域性マイナー魚」は地域を外れると確実に低価格という意味の未利用魚になってしまう。情報というものがいかに重要かがわかるはず。写真は福岡市福岡市中央卸売市場鮮魚市場に並ぶ「あぶってかも(スズメダイ)」。●マイナー魚の基礎知識 1 魚はすべてマイナー https://www.zukan-bouz.com/article/1865

福島県に行ったら、ついつい買ってしまうものに「島田うどん」がある。円谷製麺という会社が作っているが、ボクの世代だと、「円谷」といえばやはり、福島県須賀川市出身の円谷英二が浮かんでくる。福島県史を読むと石川氏とともに、円谷氏(藤原)が出てくるので、古い名だ。過去に通り過ぎたことのある石川町とか白河市でも円谷さんに会っているし、須賀川市でも会っているので円谷さんはとっても多いんだと思う。絶対に読めないはずの「つぶらや(福島の人は「つむらや」といい、「む」は鼻濁音、「や」の音が伸びる人がいる)」が読めるのも、ゴジラやウルトラQのお陰だ。

意外に知られていないサンマの基本を整理して公開するが、以下の章をもうける。・サンマの基礎知識 1 サンマとは?・サンマの基礎知識 2 サンマはなぜサンマになったのか?・サンマの基礎知識 3 江戸時代からサイラをとっていた紀州・サンマの基礎知識 4 東京を始め関東がサンマっ食いになったわけ・サンマの基礎知識 5 落語、目黒のさんまを掘り下げる(▼本ページ)・サンマの基礎知識 6 1945年以降、そして2000年以降、塩焼きから刺身へ・サンマの基礎知識 7 日本海のサンマ本ページは改訂を重ねていきます。現在のサンマのイメージは江戸時代以降の江戸の町で生まれた。秋の声を聞くと四十物(あいもの。加工品)である塩サンマ、干ものが食卓を飾るというのは江戸時代から昭和20年代(1945年前後)まで江戸(東京)を代表する光景であった。そして落語、「目黒のさんま」が生まれる。作者も、この話が生まれた年代も不明だが、大坂起源の話が多い中、間違いなく東京(江戸)生まれの話である。この話の面白いところは、この落語の主役は殿様だけではなく、サンマでもある、というところである。サンマが江戸・東京、もっと言えば関東でいかに馴染み深い魚であったか、がこの話から強くうかがえる。1960年代の話だが、西日本(中国地方・四国以西)の人間にはそれほどサンマは馴染みがなかった、この落語をテレビで見て改めてサンマに親しみを覚えた人間も多いはずだ。「目黒のさんま」の荒筋。世間に、というか下々の暮らしにうとい殿様が目黒へと鷹狩り、もしくは遠乗りに出掛ける。目黒の百姓屋(茶店)のそばを通りかかったときに、「昼餉の菜にするさんま」を焼いている匂いを嗅いでしまう。無性にこの匂いの正体が気になり、やがてたまらず食べたくなる。この話を得意とした三代目三遊亭金馬はし、隠亡焼きで焼き上げるとしている。隠亡焼きは炭火をおこし熾(火がしずまったあと)になったときサンマを炭の上に直にのせて焼くことだが、これは金馬の演出に違いない。煙を立てながら焼き上がった「さんま」がうまくないはずはない。それを強調したかったのだ。無理を押し通して食べたサンマが、あまりにもうまいので殿様、「目黒のさんま」で頭がいっぱいになる。ある日、親類筋の宴で所望するものを聞かれて、「さんま」と答える。親戚筋の家来は魚河岸からさんまを取り寄せて、脂を抜き、上品に汁ものに仕立てる。これがあまりにもまずいので産地を聞くと、房州ものだという。殿様、大いに落胆して「さんまは目黒に限る」が落ちである。殿様の親類筋が購入したサンマの産地を日本橋魚河岸、房州(千葉県という意味合いだと思う)のものだとしていることは重要な点である。北上して産卵のために秋になると南下するが、江戸時代、明治時代など動力船がないので、サンマが南下する経路に近い半島でしか漁ができなかった。南下してきたサンマが最初にぶつかるのが太平洋に突出した銚子だ。この秋のサンマは生殖巣が膨らんではいるが脂が乗っている。これが房総半島を過ぎ、相模湾、駿河湾と南下すると脂が抜ける。江戸時代以来、銚子のサンマは秋になると江戸にやってきていたが、もちろん北海道・青森東沖で揚がる今現在の夏から初秋のサンマと比べると脂は少ないが、江戸時代の漁法でとることのできる限りでは銚子のサンマは取り分け脂がのっていた。だから百姓屋(茶店)で焼くと煙が上がり、殿様の親戚筋の家来達は脂抜きをしたのだ。■写真は塩サンマ。

我がサイトのもっとも重要な部分が地域性である。当然、和菓子、菓子も重要な分野の一つ。思った以上に福島県は面白く、古い形を残している。福島県二本松市は近年珍しく、「城下町=和菓子屋が多い」が当てはまる。これは市民が和菓子をよく食べている、んだろうな。さて、二本松駅周辺ではなく、その北にある商店街に『本家丹波屋』があった。そこで買い求めたのが、焼きあげだんご(みそ・醤油)、あんぱんである。

意外に知られていないサンマの基本を整理して公開するが、以下の章をもうける。・サンマの基礎知識 1 サンマとは?・サンマの基礎知識 2 サンマはなぜサンマになったのか?・サンマの基礎知識 3 江戸時代からサイラをとっていた紀州・サンマの基礎知識 4 東京を始め関東がサンマっ食いになったわけ(▼本ページ)・サンマの基礎知識 5 落語、目黒のさんまを掘り下げる・サンマの基礎知識 6 1945年以降、そして2000年以降、塩焼きから刺身へ・サンマの基礎知識 7 日本海のサンマ秋の声を聞くとサンマの塩焼きが食卓を飾る、というのは国内でも取り分け江戸(東京)を代表する光景であった。今、早まってはいるが、食卓にサンマの塩焼きがのると季節を感じるという意味では同じである。この銚子など産地で揚がったサンマは浜で塩をしたもので、「塩秋刀魚」と呼ばれるものだった。もちろん開き干しもあったはず。この「塩秋刀魚」から完全なる生(塩をしない)が増えるのは、まだ先、1970年代末の話となる。

1週間以上続けて食べても、なくなることはないと思うほどたっぷり作った「山椒ちりめん」だが、お茶の友とし、ご飯の友とする内に、2、3日でなくなるに違いないと思い始めて、本当に2日でなくなる。自家製だからこんなことができるわけで、京都などで買うと、とてもこんな贅沢はできない。ボクの作る「山椒ちりめん」は酒・みりんのみりんは少なめで、薄口醤油も最小限の薄味である。煮切った酒が味の主要部分となっている。ちりめんの豊かな味に調味料のほの甘さでお茶に合う。炊きたてご飯に混ぜると、山椒ちりめんご飯とあいなる。ちなみに山椒の香りがとてもよいけど、これは山椒の佃煮が上等だからで、ボクの手柄ではない。ボクは徳島に帰ると、ちりめん(カタクチイワシの稚魚であるしらすを塩茹でして硬く干したもの)をたっぷり買ってきて、そのまま食べたり、たいたりする。徳島生まれなのでひいき目であることは否定できないが、阿波のちりめんはとても上等なのだ。

正月前後は水産生物がこないときなので、自宅にこもって書籍を読み、テキストを起こす。ボクのような不幸な人間はこんなことしかやることはない。まずはこもり用の食べもの作りその一でたら子(スケトウダラの卵巣)の塩漬けを作る。これについては後日。残りは煮つけに。小振りな卵巣や半分になっているものは、甘辛く煮つける。市場から帰った日の昼用である。スケトウダラの産卵群をとることがいいことなのか、どうかはわからない。でも北海道でこれをやめたら漁業者は大量に消えてしまう。難しいものだな、と思いながら栃木県産こしひかりを茶碗1ぱい食べきる。風邪引きで行き着くところまで行ったあとなので、ご飯が食べられる、ということに涙がぽろり。それにしてもたら子はご飯に合う。ほくほくとして甘いたら子を、なおも甘辛い調味料でなお甘辛く煮つけた菜は、これ以上ない菜だと思う。病後のリハビリにもなる。■2025年12月17日に書いたものです。

徳島県徳島市、栄寿司の尾杉卓さんにいただいたものの中に大きな茶袋に入った番茶があった。「歩危番茶と」大書きしている。徳島県は明らかに茶どころである。海陽町の「寒茶」、西部山間部の緑茶、番茶、「阿波番茶」、剣山周辺の緑茶に番茶、とそこまでは知っていたが、現三好市にも独特の茶があることを知らなかった。三好市といっても吉野川に沿った西で旧山城町になる。「歩危番茶」の製法はわからないが、非常に乾燥が強く、太い枝などが入っていない。これは製茶を行っている『曲風園』の考え方で、この地域本来のものではないかも知れない。

風邪の後遺症に苦しんでいるときなので鍋を作ることが多い。今年は高知県東海岸、徳島県と旅をした。この地域の刺網漁師さんなどが作るのが「ぐれ」、「こうろう(イシダイ)」など、刺網にかかる磯魚の「水たき」である。このような鍋は、たぶん磯魚のとれるところならどこでもやっているはずだ、と思っている。「水たき」は本来、肉や魚と野菜を水(昆布だしなどとらないただの水)で煮ながら食べるもので、料理名は西日本のものだと思っている。メジナはくせのない上品な白身で、非常にうま味豊かなだしが出る。これが昆布だしににじみ出る。このうま味豊かなつゆと魚、野菜を一緒に食べるといい。ついでに言うと、今季初めて食べる食べるメジナがやけにうまい。野菜や豆腐が非常にうまいのも、メジナのおいしさを吸収しているからである。つゆ、野菜、豆腐、メジナでほどよい満腹感が得られる。寒い時期のイセエビ漁で冷えた漁師さんの体に、これ以上のものはないと思う。ボクも厳寒のときの漁師さんにあやかろう。

マイナー魚の基礎知識を少しずつ作りあげていく。改訂を重ねていく。知名度のない魚(魚類)がマイナー魚というのはとても変だ。なぜならば魚はほぼ全部、知名度が極端に低いからだ。普通に考えると食用魚総てがマイナー魚である。この国は魚貝類をよく食べてきたとされている。実際人の口に入ったもの、入ったであろう魚は1000種以上にのぼる。それなのに、もっとも一般的な食用魚を、名は曖昧でもいいので10種類を挙げられる人は少ないと思う。そして魚10種を挙げて最低限の説明ができる人はこの国の人の中で、ほとんどいない。限りなくゼロに近いと思う。だからマイナー魚というのは明確に区分しておくべきだ。これをふまえて、まず、マイナー魚を区分していく。食用魚の話なので、食に関しての話でもある。1、この国で水揚げされている魚のほぼ総てがマイナーである。これがマイナー魚問題ではいちばん深刻だ。この国のほとんどの人がおいしいものを食べることには興味があるが、自分が何を食べているか、という根本的なことには関心がないということ。非常に大量にとれても、普通にスーパーに並んでいても無視され、気がつかれない魚たちだ。最大の原因は以下に挙げた。■テレビやマスコミに登場している料理研究家は、たぶんだけどボクから見たら魚の知識は幼稚園レベル以下だと思う。なぜか? 魚料理は料理研究家には不要だからだ。せいぜいサーモンの切り身程度というが、料理研究家にはサーモンがなにか、すらわかっていない気がする。テレビや雑誌などのマスコミはほぼ総ての魚を排除している。なぜか、売れないからで、視聴率がとれないからだ。例えば料理雑誌の編集ページ(その雑誌の中心的なページ)にはイサキ程度の魚も載せようとはしない。■水産学(魚)を教える学校がない。水産学というのは水産物を利用するための一般的な知識のことで、常識と言い換えてもいい。水産系の大学など各論的になりすぎて、一般論的なものは無視している。その上、今現在、一般的な意味での水産学的知識を持っている人間は存在しない。もしも一般常識的な魚の知識を持っている人がいたら会ってみたいものである。マイナー魚の基礎知識 2地域性の高いマイナー魚へ ●https://www.zukan-bouz.com/article/1874

徳島市から高知県東部にある土佐町まで移動する。途中、仮眠をとっても2時間ほどの距離でしかない。岩手県や静岡県などと比べると、徳島県は非常に小さく、高知県東部は徳島県東部にある徳島市からもそんなに遠くない。さて、なぜ高知県東部まで来たか?1つは大原富枝の生まれ故郷が本山町であること。富士正晴が生まれたのが徳島県山城町(現三好市)なのとともに興味津々。2つめは長曽我部氏はなぜ本山に固執したのか?3つめは土佐町・本山町・大豊町は高知弁なのか? だ。地図をみればわかるけど、このような曖昧な疑問があるときは、来ることに意味があるかも、だ。

現在のボクは不完全な状態である。風邪のピークは過ぎたのに、まだどことなく調子が悪い。アルコールも最低限しか飲めない。こんなときには消化のいいつまみで少しだけうま酒でもやろうではないか、と思った次第。こんな思いで八王子卸売協同組合、舵丸水産に行ったら愛知県篠島産のアカナマコがあった。個人的には体調不良のときにはアワビ類かナマコなのである。非常に消化しやすいし、気力が湧いてくる。さて、今回はユコウ(徳島県産のユズの変種)と少量の薄口醤油につけたもの。一切れ口に放り込んでは、唾液の中で溶け出す感じを楽しみ。その渋味というか、苦みというか、後から来る強い甘味を楽しみ、ときどき噛んでシコシコ感を楽しむ。後にユコウの香りが残る。やめられぬ、止まらぬと思いながら5勺の酒を飲む。酒は冷やした、徳島県三好市の「芳水 特別本醸造」。

マダイは特定の産地を除けば高級魚とは言えなくなって久しいが、暮れになると高値をつける。今でもやはり、正月はマダイを手に入れて、「めで鯛」といきたいのかも知れない。そんなマダイが意外にも安かった上に、買ってみたら上物であったときって、やけにうれしいものなのである。正月の前にクリスマスがあり、和の「めで鯛」以前に、真っ赤なお鼻のトナカイさん、といった雰囲気のせいもあるだろう。さて、今回のものは渥美半島の先端、伊良湖町から来たものだが、伊良湖水道あたりで揚がったものか?思った以上においしい刺身を食べて、思わず詳細な産地が知りたくなる。晩秋からすると脂ののりはイマイチだが、病み上がりのボクにはむしろ好都合である。それにしても味がある、おいしさが一層ではなく、多層であるというのもうれしい。味が多層であるということは、こくがある、といってもいいだろう。

このところめぼしい魚がなくてマガキばかり食べているのだけど、ぜんぜん飽きが来ない。いろんな料理を作ってみているが、今回はもっともスタンダードな「酢がき」を柑橘酢(ポン酢)で作る。徳島で大量買いしたユコウ(徳島県産ユズの変種)を消費したい、というのもある。久しぶりに作った柑橘酢の「酢がき」が至って、平凡な料理なのにとてもおいしい。平凡な料理だからこそおいしいのかも知れない。和の料理には進化はない。だから和の料理はいつ食べてもうまいのだと思う。マンネリこそうまい、ということだ。ユコウはユズよりも優しい酸味があり、柑橘酢には節のうまさもある。それがマガキの強すぎるうま味の暴走をとめる役割を担う。たっぷり作ったのに、最後までおいしいままなのも、ユコウのお陰かも。マガキの濃厚で複雑なうま味は、脳みそにたまっている風邪後のもやもやをさらりと流し去る。最後の一切れの、舌に残った味を、冷やした、徳島県の「芳水 特別本醸造」で流す。三勺の酒がやけにうまい。