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味わい

冬なのにイカはよりどりみどりだけど、ご飯の友なのでケンサキ

明らかに温暖化のためなので喜んではいけないが、魚を買いイカも、と思いながらイカ選びに迷う日々である。ほんの10年くらい前、冬のイカと言えばコウイカ、ヤリイカ、スルメイカの3種でそんなに迷うことなく買えたのである。ところが今ときたら、ここにケンサキイカがあってアオリイカもある。冬のケンサキだけはだめだろう、とは思いながらもご飯のおかずなのだから、とまた迷う。舵丸水産に並んでいたのはスルメイカ、コウイカ、ヤリイカ、ケンサキイカだった。山口県産ダルマ(ケンサキイカ 外套長21cm・0.25kg)を選んだのはしかけているご飯のためである。ケンサキイカは関東では夏イカそのものだった。アカイカ釣り(関東ではアカイカ)というと夏で、寒くなるとヤリイカ釣りとなる。今現在では本州以南にいるけど、古くは日本海西部と千葉県外房が北限だったのだ。しかも年がら年中、ケンサキイカがとれる、こんな時代が来るとは思わなかった。「冬なのに夏イカ、を買うかなしさよ、家にご飯」なのだ。
同定

ヤガラは鞴型魚食い

国内で揚がる食用魚でもっとも不思議な姿をしているのが、棍棒のような形をしたアカヤガラとアオヤガラだ。両種は見わけがつかないくらいに似ている。両種を釣り上げた経験がある方ならわかると思うけど、アタリが変だ。魚が来ているのか、それとも隣とお祭りしているのか、それともジャミなのかわからない。なんとなくスーッと引き込まれるようなので、とても魚のアタリとは思えない。そのスーッと感じる時間が長いため、少しきき合わせると、抵抗して強く吸い込もうとするのがわかる。これこそが典型的なヤガラのアタリである。少し待って合わせると釣れていたりする。
ヤナギムシガレイ
料理法・レシピ

今季初ヤナギは常磐、茨城県日立産

近年、季節感を感じる魚は極めて少なくなっている。この弓形の列島に住み、できるだけ季節を感じて暮らしていきたいと思っている身には淋しい限りである。そこにヤナギムシガレイがやってきて、思わず手が伸びた。ヤナギムシガレイの凄いところは非常に醜いのに、うまそうだと感じさせることだと思う。下氷(発泡スチロールの箱に氷を敷き、上に魚を乗せる)の上のヤナギムシガレイはまるで古草履のようなのだ。八王子総合卸売センター、福泉にあったのは茨城県日立産である。福島県、茨城県の水産物を関東では常磐物という。昔、築地場内を歩いていたとき、「常磐物だよ」は、耳にタコができるくらいの聞かされたものだ。名古屋で三河とか伊勢、とか、大阪で紀州とか、山口で旧国名ではないが北浦とか。北九州で豊前浜とか、言う。この旧国名、地域名遣いは大切に残したい。今年も常磐からヤナギムシが来て、冬本番だな、と思うこの一瞬がいいのである。思わず、値段も見ずに買ったが、この時季はそんなに高くない。12月も中旬を過ぎたら、特に豊洲などで買うときは重々値段を気にして買わねば危険である。ちなみにヤナギムシガレイは最低でも250g以上がいい。ただし300gを超えると値段がガビョーンと上がることも忘れてはいけない。今回の270g前後は買い頃の大きさでもある。
ホウボウの鰾
料理法・レシピ

ホウボウの鳴き袋を一夜干しに

ホウボウの鰾(浮き袋)のことを「鳴き袋」というかはわからない。出典が不明である。ボクの42年も前のカード(民俗学の)に、「鳴き袋とでもいうのかな?」として、以後あたかも出典があるかのように書き続けているが、その時点で手持ちの魚類学の書籍、総ての辞書、図書館で本草学の書籍を調べても載っていなかった。2000年には我がサイトのネット公開の初期段階が始まっているが、そのときにも鳴き袋を使っているはず。かなり不安だけど、呼び名としては悪くない気もするので使い続けていく。ホウボウ科の魚は浮き袋の外壁が分厚く、内壁についている筋肉が発達していて、厚みがある。コイ科オイカワなどの仲間は薄い風船のようだけど、ホウボウのは厚みがあって触るとモチモチしている。ホウボウはこの浮き袋を伸縮させ、グッグッと音を立てる。泣いているような、愚痴を言っているような音だ。たぶん海中でも鳴らしているのだと思うけど、釣り上げたときの鳴きっぷりなどはウシガエルの歌にも匹敵する。小振りのホウボウには小さな鳴き袋しかないので、軽く塩ゆでしてつまみ食いするのが常だけど、そのおいしさに1尾に1つしかないのが残念だと思っていた。煮つけを作るときも大切にとっておき必ず入れる。肝よりもうまいと思ったこともある。さて、このところホウボウを調べているので、大小いろいろ買い求めている。いちばん大きいのは600gもあって、鳴き袋も立派なのが出て来た。煮てばかりいて、焼いていないなと思ったので、下ろしながらていねいに洗い、水分をとって取り分けて置いた。
サロマ湖産マガキ
コラム

師走最初の生ガキはサロマ湖産

東京都内で暮らしている利点は全国の水産物が手に入ることだと思う。寒くなると産地別のマガキが仲卸の店頭に並ぶ。北は北海道から九州まで日本各地のマガキが手に入るので、寒くなるとお国巡りをするように、食べている。今年は岩手県産ばかりだったが、今週になり八王子総合卸売センター、福泉に北海道サロマ湖の小振りなものが来ていた。サロマ湖には天然での生育もあり、昔ボール状になったカキ礁の塊をいただいたことがある。サロマ湖も行かなければならない地だけど、当分無理だと思っている。サロマ湖産マガキを食べて、旅心をなだめるしかない。サロマ湖はオホーツク海に繋がっている。そんな光景を思い浮かべながら食べるのも、ボクの密かな楽しみのひとつだ。
コラム

イカの値段に温暖化を感じる、スルメイカ対ヤリイカ

スルメイカの高騰は温暖化のためだと思っている。ヤリイカ、ケンサキイカ、アオリイカの高級イカ3種は用途が刺身で同じなので総量で価値が決まるが、スルメイカはスルメイカでなければ作れない刺身以外の料理があるため、なければ1種だけで高騰する。近所の魚屋をとっつかまえては聞いていることだけど、普通の町の魚屋は最近、スルメイカを本単位(はい数が正しいかもだけど、魚屋はイカを1本、2本と数える人が多い)で仕入れているようである。20世紀末には八王子あたりの老舗だと4,5箱仕入れていたことを考えると隔世の感がある。市場では「日本海スルメイカ(下氷)の箱の山に魚屋の札」が普通だったのである。先日、知り合いの魚屋がヤリイカ3、スルメイカ3なんて仕入れていた。ヤリイカなどの高級イカは仕入れない庶民的な魚屋なので、「注文かい?」と聞くと、「最近こんな感じよ」と言う。要するにイカの需要はあるのだけど、イカの刺身が高級品になったので用途の違う2種を最低限仕入れているのだ。「最近ウチもね、アオリもケンサキも仕入れてるのよ、世の中変わったよね」マイワシがキロ単価で3000円以上したときは魚屋が大騒ぎしたけれど、スルメイカはそこまでの騒ぎにはならない。でも深刻だと考えている人は多いのだ。イカは目立たないけど地味に大変な状況にある。なんとなく仕入れていたスルメイカが1本大きいと700円もする世の中が来るとは誰も思わなかったはずである。ちなみに昔は立派なのが300円くらいで買えた。安いと100円なんてスルメイカもあったのだ。その100円サイズだって今じゃ450円はすることからして、スルメイカは高級イカとなってしまったことになる。念のために岩手県産ヤリイカと日本海(正確な産地は不明)スルメイカ両方を買って値段を比べてみた。ヤリイカはキロ単価(重さを量って買う)、スルメイカは1本売りなので買って調べるしかないのだ。正確なことは公表できないが、ほぼ同じキロ単価だった。だからスルメイカとヤリイカ両方を魚屋は仕入れていくのだ。ちなみに外套長(同の部分の長さ)が同じなら、頭と足が大きいスルメイカの方が重い。このあたりも両種の用途の違いを生むのだけど、これはまた別の機会に。
イサキ
同定

イサキは孤立無援で淋しい魚なのだ・分類編

イサキとはひとりぼっちで悲しい魚だという話をしたい。本州、四国、九州にいる魚で、漁獲量は多獲性魚類(サバ類、マアジ、サンマなど)であるマイワシなどと比べると少ないが、決して魚全体からみると決して少なくはない。外洋に面した磯(岩などが多い浅いところ)にいる魚で、漁港や岩場などから海をのぞくと小型なら見られるくらい在り来たりの存在である。しごくおとなしい顔をしており、歯は小さく、エサは甲殻類や小さな軟体類であるイカタコなどで、食い殺すのではなく飲み込むタイプである。小エビなどにとっては優しい悪魔だ。ここまではイサキの解説だが、まずは食用魚イサキって知ってますか? から始めなくてはいけない。たぶんだけど、この国に住むほとんどの人は知らないだろう。昔、マスコミ関係の話し合いで、食の専門家ですらイサキを知らない人がいてビックリしたが、これが現実だろうなと思ったものだ。ちなみにこの国の料理研究家は最低限の植物(野菜)と、鶏肉と豚肉、牛肉だけ知っていて、ご飯が炊けて、パンでも焼ければなれそうだと思う。間違いなく水産物の知識はゼロでもやっていける。この国のほとんどの人が食べ歩きには興味があるが、料理にも食材にも興味がないのだから、仕方がないだろう。
料理法・レシピ

五島列島産スマの刺身あい盛り

本命中の本命が週間トップというのも恥ずかしい気がするが、迷うことなく週の大本命になりそうだと思って買った、五島産スマが突き抜けてうまかった。スマはサバの仲間で、古くはマグロ族というくくりがあり、いわゆるマグロであるクロマグロやメバチマグロと同じ仲間だった。身色も身の性質もマグロとあまり変わらない。インド洋、太平洋の熱帯域から温帯域を高速で泳ぎながらエサである魚を追いかけ回している。このところ長崎県五島から毎日のようにスマがやってきている。1.5kg前後と形が揃っている。粉砕氷の中に入っていて鮮度がいい。今や毎日のように市場で見かけるスマも、昔は西日本に多く、産地周辺で消費されて、めったに関東には来なかった。1ヶ月に1尾は食べているので、もうそろそろスマかなと思っていた。今回は小田原で探したいと思ったが、もろもろの事情で、今回10、11月初めと同じ八王子(八王子総合卸売センター、福泉)で買った。今回の個体は全長45cm・1.247kgで、近年、鹿児島県などでは大型化していることからすると手頃なサイズである。触って硬く感じるくらいなので、鮮度は抜群。しかもどう見てもデブである。
ヒゲソリダイ
料理法・レシピ

ヒゲソリダイの水炊き

ヒゲダイがいるからヒゲソリダイがいる。ヒゲダイは立派なヒゲがあり、ヒゲソリダイはほんのちょっぴりのヒゲがあるだけ。だから鬚剃鯛となる。このヒゲダイ、ヒゲソリダイの名とか分類は長年混乱があって、それはそれで面白いのだけど、ここでははしょる。外房以南の浅場にいる魚で、相模湾でも昔からとれてはいたが、固体数が少ないのか、めったに見ることが出来なかった。とれても小型が多かった。それが最近では量的にも増えているし、大型が増えた。関東の市場でも昔は珍魚のたぐいだったが、流通量が増えて、普通の食用魚となってしまっている。温暖化が顕著に感じられる魚ではないが、確実に温暖化で増えている、そんな魚である。初めて見たときは、イサキ科なのにイサキのようなスマートな体形ではなく、鯛型(体高が高く)で身が厚く、どことなく鈍い感じのする魚だな、と思ったものだ。デジタルカメラでの初の撮影は2004年で、広島県倉橋島の日美丸さんという漁師さんにいただいたものである。体長25cmくらいだったけど、関東ではめったに手に入らない魚だったので、ハッスルして120画像も保存してしまっていた。以後、イサキ科の主流はイサキのようにスマートではなく、鯛型でやや左右に分厚いということを知る。
煮干し醤油
コラム

湯豆腐のための煮干し醤油を作る

ボクのようにねっからの四国徳島人にとって、日常欠かせない調味料は醤油(しょうゆ)である。醤油がなければ一日たりとも暮らせない。醤油はなんでもいい。非常に若いときは、これだ!、というものばかり使っていたが、そんなこれだ!、と思う事のつまらなさを知り、これだ!、と思わなくなった。ちなみにボクの場合、九州や山陰にいけば甘い醤油を買い、千葉県利根川河口域にいけばキリリとした醤油を買う。東北・北陸のまったり系もいいと思うし、実際に買ってくる。旅で調味料を買うってことは矢鱈に楽しいことなのだ。ただし加減醤油を作るときは千葉県の大手や地醤油、東京都内の醤油の方が作りやすい。我が家の加減醤油は土佐醤油、めじか醤油、煮干し醤油(煮干しはカタクチイワシ、トビウオなどなど)、唐辛子醤油である。
加工品

謎の甲つきするめを作ってみる

コウイカ科のイカの特徴は「貝のような姿の動物」であった名残である、貝殻を体に有していることだ。貝殻は一般的には甲という。甲を持っているイカなので甲烏賊となり、科名(コウイカ科)種名(コウイカ)になっている。山間部に育ったボクに甲は珍しく、子供の頃、魚屋にお使いに行って、甲をもらって、うれしかった想い出がある。生物学者・谷田専治(1908年生まれ)は粉末にして歯磨き粉に用いる、…甲に彫刻して飾りものにする…止淋散と称して墨客に利用されると述べている。止淋散は不明。魚屋の中に乾燥して粉末にして血止めにするという人もいる。鯣(するめ)はイカの開いて干したもののことであるが、比較的大形の食用イカすべてで作られている。スルメイカは国内でたくさんとれ、鯣にもっともよく加工されるために、鯣烏賊と呼ばれるようになった。鯣に加工される主なイカは多い順にスルメイカ、ケンサキイカ、アオリイカのツツイカ類(体がスマートで貝殻がフィルム状)。シリヤケイカ、コウイカ、カミナリイカのコウイカ類である。ツツイカ類の鯣はスーパーなどでもよく売られているので、探せば手に入るが、コウイカ類の鯣を手に入れるのはなかなか難しい。コウイカ(ハリイカ)の干ものは徳島県鳴門市、阿南市で食べているのに、撮影し忘れるという失態をおかしているが、非常にローカルな食材である。そのコウイカ類の干ものに「甲つきするめ」がある。先に述べた谷田専治、軟体類学者・奥谷喬司の著書にあるし、塩乾加工の書籍にもある。長崎県雲仙市の佐藤厚さんはシリヤケイカ、コウイカで実際に作っていたとのことで、味はシリヤケイカの方がいいという。とすると「甲つきするめ」は主にシリヤケイカで作られていたのだろう。これは奥谷喬司がシリヤケイカは東シナ海でたくさんとれていた。「甲付するめ」にも製されていたということと一致する。
コラム

11月最後の日の今季初カキフライ

情報処理に追われているし、雑務事務作業もあり、送られてくる水産生物もある。たまに都心に出ると、探すものがある。食堂・洋食屋のカキフライだ。本来は10月の声をきくとそわそわしたものだが、今年はカキ自体が遅れている。当然、カキフライも11月になってからだと思い込んでいたのだ。カキフライを食べるなら、あの店、この店と考えて、いざ行ってみると閉店していたり、定休日だったり、「カキフライ売り切れました」の札が下がっていたり。このままでは一生カキフライが食べられないのではないか、と不安になる。じゃあ、自分で作ればいいじゃないか、と思う人は人生経験が足りないと思う。外食で食うカキフライと、自分で作って食べるカキフライは別物なのだ。記念すべきカキフライは外食でなければならぬ。本来、10月になり、厚手の上着に着替えて、食堂などでカキフライを食べてこそ、情け容赦のない時間とともに移ろう自分が感じられるのだ。3回連続、都心でカキフライに振られ、ボクのカキフライ人生暗いなと思っていたら雑用で行った隣町の肉屋になんとカキフライがあった。でも3個しかない。通りがかりの肉屋なので、恐る恐る、「カキフライこれだけですか?」と聞くと、「今、揚がるところですよ」という。地獄で仏ならぬ、地獄で可愛らしいオネエサンが微笑んだ。大急ぎで帰宅して、今季初カキフライを食べた。今季初カキフライは肉屋の、となってしまったが、これでいいのである。実際、このカキフライが非常にうまい。まだ温もりが残っている内に大急ぎで帰ってきて食べたのもよかった。それにしてもカキフライとはなんとうまいことか? カキの複雑うまいが、揚げたパン粉と一緒くたになり、余計に複雑うまいになる。柔らかく濃厚なのに後口がいい。10個ではなくもっと買えばよかったかも。ちなみに今はなき行きつけの店では、カキフライ+ヒレカツとか、+メンチカツをしていたので、ボクのカキフライ愛には不純なところがある。今回もいけないとは思いながらコロッケを+、した。
文化

1960年代半ばまで貞光川で子供がやっていた「そろ」を使った魚とり

徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光町)で「そろ」と呼ばれていた竹製の道具がある。同地では子供がジンゾク(カワヨシノボリ)などの小魚をとる道具であった。筆者が4、5歳くらいから小学校低学年くらいまで魚とりに使っていたが、これが同町では当たり前のことだった。また著者の家は荒物雑貨などを売る商店だったが、「そろ」も商品として売っていた。我が家の商圏は現つるぎ町と美馬町(現美馬市美馬町)なので、「そろ」という言語は最低でも美馬郡全域で使われていたのだと考えている。写真は大分県日田市で購入したものだが、「えびしょうけ」という。これが我が故郷の「そろ」だ。古く「笊籠」を「そうり」と呼んだという。北陸・西日本で「そうけ」、「そーけ」、九州で「しょうけ」、「しょけ」、沖縄で「そーき」、「じょーき」という。「そろ」は、北陸・西日本の「そうけ」、「そーけ」の変化のひとつだと思われる。以上は、すべて笊(ざる)の呼称で、竹で編んだ容器の総称でもある。丸いものを盆笊、とか四角いものを角笊とかいうし、大型の箕(み)もある。水を切ったり、作物を入れたり、運んだりする。「そろ」は非常に頑丈で1960年前後には土木作業のじゃりを運ぶのにも使われていた。手を入れる四角い穴があるのも特徴である。九州大分県日田のものは、貞光町のものとまったく同じものである。「えびしょうけ」は「エビをとるための笊」という意味だろう。貞光町では「そろ」というが、同鷲敷町(現那賀町)南川・中山川周辺では「つつみ」と言う。徳島県阿南市羽ノ浦町古庄では「米けんど」というのかも知れない。羽ノ浦町では盛んに淡水魚を食べていて、岸辺の葦の間にいる魚をすくうのに使用していたようだ。貞光町ではもっぱら子供の漁具であり、大人が魚をとるために使っていたという記憶がない。とった淡水生物は家庭によっては食べていたのかも知れない。「そろ」でとれる魚を鶏の餌にしていた家もある。羽ノ浦町では用水路のエビ(テナガエビもしくはスジエビ)、フナなど小魚をとり、食用としていた。子供が使う漁具でもあっただろうと思うが、大人が日常の食べ物である淡水魚をとる漁具でもあったのだ。参考文献/『民具の事典』(監修/岩井宏實、編/工藤員功、作画/中林啓治 河出書房新社 2008)、『聞書き 徳島の食事』(農文協)
コラム

今やイトヒキアジは惣菜魚そのもの

イトヒキアジは本州が北限で、世界中の熱帯から温帯に生息している、真四角なアジ科の魚である。若い個体の背鰭と臀鰭は、ひらひらと新体操のリボンのように伸びている。銀色なので水中で見ると非常に美しい。成長するとだんだん鰭が短くなり、オッサン顔になるところなど、子役のときの輝きをなくした女優のようだ。イトヒキアジの糸引きはこの若い個体の呼び名だ。国内での呼び名をみてもとどれもこれも長い鰭に由来する。明治時代以来昭和になるまで、この国の動物学者・民俗学者は国内での生き物の呼び名をやっきになって採取したが、このオッサン顔の親からの呼び名は九州以北にはない。イトヒキアジは昔、成魚は九州以北にはほとんどいなかったのだ。鹿児島県島嶼部、沖縄では昔から1m近い成魚が普通にとれる。呼び名のソージガーラ、のソージは障子のこと、ユダヤガーラのユダヤーは涎のことだけど由来などはわからない。【余談だが、英名にPennant-fishというのがある。和訳すると旗、幟だと思う。国内の呼び名にも「幟さん」、「幟立て」があるのは和洋考え方が同じということだ】1985年に紀伊半島を回る旅をしている。大阪から南下して、野宿と民宿に泊まり、港を縫うようにして熊野市までの旅だった。紀伊半島でよく見かけたのが手の平大のイトヒキアジで、最初は珍しいので拾っては撮影していたが、あまりにもたくさん落ちているのでバカバカしくなった。湯浅あたりの漁師さんの話では「おかずにもならない」こまった存在だったようだ。2000年代から日本各地で定置網の水揚げだけではなく、網揚げの見学もさせて頂いている。相模湾平塚ではひとまわり大きいものが揚がっていたが、一日に数個体だった。ここでも手の平級はたくさん揚がることがある、という話だった。2010年くらいまでは九州南部はともかく、四国、本州とも本種はひらひら鰭が長い食うに食えない魚であり、網に大量に入ることがあるので迷惑至極な存在だった。これが最近、希に大型の成魚もとれるし、食い頃の重さ500g以上などたくさんとれるようになっている。今週、八王子総合卸売センター、福泉に並んでいったのは、体長30cm・0.6kgなので見頃(見て可愛い)・食べ頃(食べるに手頃)なサイズである。最近思う事はイトヒキアジはやっかいな存在から、普通の食用魚で、歓迎される存在に変心しつつあるということだ。問題はもう少しだけ知名度が上がることだろう。スーパーなどに切り身で並べれば身色もきれいだし、売れ筋になるのではないかと思う。
稲のはさ掛け
漢字・学名由来

タモリは田守だ!

タレントのタモリではなく、魚のタモリの話だ。この魚のタモリには田中茂穂は「太母里」という漢字を当てているが、正しくは「田守」だという話でもある。田守は室町期には歴とした官職のひとつだった。それが時代が下り、江戸時代になると、野良で日がな一日、田畑を見守っている人という意味に変わる。ついでに言えば、田守という言語はダサイと同義語に成り下がる。無精髭を生やしたまま、パジャマの上に上着を羽織って市場に向かう自分などは典型的な田守である。田守は今や死語だけど、江戸時代には一般的な言語で、日常会話にも使われていたようだ。薄汚い、うらぶれ落剥した人とか、知的障害のある人を差す言葉といえばわかりやすそうである。ボクの生まれた高度成長期でも、このような人達の暮らしがなり立つようにそれなりの職業があてがわれていた。そのひとつが江戸時代には田守だったのだと思う江東区の聞取にしても、山本周五郎の世界にもそんな存在が出てくる。明治時代に宮城県仙台市にいた仙台四郎も同様な存在だったのだろう。今はなんでもかんでも差別だというが、むしろ露骨に田守のような差別用語を使っていた時代の方が人間的で温かみのある気がするから不思議である。先にも述べたように、田守は室町時代には官職名でデスクワークの人だったが、江戸時代には田に入ってくる害獣を追い払い、また畑仕事で助けが必要なときには呼ばれる、実労働者そのものを指す言葉になる。江戸時代の俳句では以下の2句がある。【稲塚の戸塚につゞく田守かな】 宝井其角 『最近俳句歳時記 秋』(山本健吉)【秋の夜をあはれ田守の鼓かな】 黒柳召波 『大言海』宝井其角は芭蕉門下で裕福な家の出であり、荻原重秀が作りだした華やかな元禄期を経験している。黒柳召波は蕪村の門下で、当然、蕪村の属していた京のサロンにも参加していただろう。蕪村、池大雅、伊藤若冲などがいて京がもっとも華やかだったときを生きている。句の意味合いは後者は落剥を思わせるが、前者は現代の言語訳ではよくわからない。稲塚は稲を杭にからめて干す形が塚(盛り土)に見えるための言語で、それを守る人が戸塚(多分東海道五十三次の戸塚宿のことで、京に上る最初の宿場。塚塚で韻を踏んでもいる)まで永遠と続く光景を詠んだのかも。ともに田守は侘しいとか淋しいとかで、決してきれいなイメージはない。田守には野良で衣類をかまわず、無精で不潔だというイメージがあるのである。
料理法・レシピ

近所のスーパーでオオニベ刺身用を買う

東京都内多摩地区、我が家の近所のスーパーに高知県産オオニベが丸ごとどでーんと飾られ、刺身用の柵が特売されていた。特売なので至極安い。オオニベはニベ科の中でも最大級の魚であるといってもわからないと思う。東京湾などでもたくさん釣れる、イシモチ(シログチ)に近い魚であり、西太平洋ではこのニベ科の魚たちは重要な食用魚であるとおぼえていてもらえるといいかも。東京湾のシログチがせいぜい全長30cm弱なのに1mを越える巨大魚で、大物釣り師の憧れの存在でもある。1980年代オオニベを築地場内で見つけたときはうれしかったが、8㎏以上あって、とても手が出なかった。21世紀になり築地の大手荷受け、大都魚類の競り場に大量の箱が置かれていて、すべて宮崎県で養殖されたものだった。宮崎県は当時、オオニベの養殖で有名だったはずである。当時、生息域内ではあるが、相模湾ではほとんど見られなかった。駿河湾にもいたとは思えない。個人的には、もっぱら九州から来る魚と思い込んでいた。それが今や、相模湾でもいたって普通の魚になっている。本種が相模湾で珍しい魚でなくなったのは2010年前後からだと思う。2023年現在、大きな個体が普通に見られる。宮城県気仙沼でも揚がっていて、温暖化で北上し、水揚げが増えた魚のひとつである。
サヨリ,吉永サヨリ
コラム

吉永サヨリなんて最近では死語になりつつある

八王子総合卸売協同組合、舵丸水産に愛知県篠島産のみごとなサヨリがきていた。山梨県上野原の料理店、桜扇さん(市場では屋号で呼ぶのが普通)に「吉永サヨリって言う人が少なくなりましたね」というと、忙しい最中なのに「ボクたちが最後でしょうね」と返してくれた。久しぶりに会った魚屋さんにも同じ話をしたが、「最近の人はわからないだろ」という。築地に通い始めたとき、頻繁に行けないので、できるだけ少量、多種類を嫌がられないように買っていたことがある。嘴の赤いサヨリをできれば2本買いたかったのだけど、「4くらいは買いな、サヨリちゃんはよ」と言われたことがある。閂(かんぬきは全長30cm以上で80gから100gある)とまではいかなかったが、かなり大きい個体なので4尾だと200gくらいになるな、と躊躇していたのだ。ちなみにそのときボクは「サヨリちゃん」で、ちょっとニヤッときた。そのものずばり、「吉永サヨリちゃん」という人もいた。「吉永サヨリちゃんきれいだよ、おいしいよ」なんて言葉に、1980年前後に30歳以上だった人(今なら70歳以上)なら、吉永小百合の姿が浮かんできてわくわくしたのだろう。今年の冬に去る業界の仕事中に、バスの中で魚のレクチャーをしながら「吉永サヨリちゃん」と言ったら無反応だった。周りにいたのは30代、40代であるが、考えてみたら「魚のサヨリで吉永サヨリ」など理解できるはずがない。
コラム

平凡ですが、北海道のデブなマイワシに感激!

連日のように北海道道東からマイワシがやってきている。「もどりいわし」と書いてあったり、いなかったりするが、どれも中身は同じものだ。どの荷(市場流通するときの箱)にも太りすぎのデブイワシが入っていて、触ると硬いなかに脂の存在が感じられる。魚屋は、「火つけると燃えます」などと言うが、本当に燃えそうな手触りである。古く、5月くらいから10月がマイワシの脂が乗っている時季とされていたことがある。ただしこれは関東周辺とか太平洋沿岸域でのことで、全国的には当たらない。日本海側では明らかに数ヶ月遅れるし、最近では温暖化のせいで晩秋から冬にかけて、北海道とか三陸で、いちばん脂をため込んでいる、索餌回遊(エサを食べるために群れて移動する)の時季が遅くなっているようだ。北海道のマイワシは2021年から今年まで、11月からまとまって来ている。それにしても今年ほど脂が乗っていたかな? なんて過去の画像を確認して見ると、やはり昨年(2021年)の個体も厚い脂の層に覆われていたことがわかる。
湯葢の佃煮
加工品

東京都台東区北上野『湯蓋』の佃煮

多くの文学作品に出てくるのが東京都内、千葉県西部の佃煮である。山本周五郎の『青べか物語』などをみても、庶民にとっての基本的な菜(副菜)だったことがわかる。東京都をはじめ東京湾周辺には無数の海辺漁業(造語です)があった。汽水域ではたくさんの二枚貝が取れ、アミ類、シラタエビ、テナガエビ、スジエビなどに、アマノリ(アサクサノリ)、青のり(ヒトエグサやスジアオノリ)がとれていた。小魚としてはフナにモツゴや小型のハゼ類などもとる。これを江戸時代初期などは塩で煮て軽く干し、やがて醤油が使われるようになり、19世紀になると上等な品にはみりんが使われるようになる。東京湾周辺には汽水域や内湾の小型の水産生物を無駄なく使う食文化が生まれて、今に続いているのだ。この小魚文化の主役的な存在である佃煮屋が急激になくなってきている。佃煮好きとしてはゆゆしき問題だし、汽水域が暮らしの場から、自然保護とか自然観察だけの場になるのもイヤダネーと思う。だから今や貴重な佃煮屋めぐりをしている。台東区上野、下谷から浅草にかけては取り分け佃煮屋の多い地域で、ボクが上京したての頃には無数の佃煮店があったと記憶する。家族が浅草暮らしをしていたので、田原町を中心に念入りに歩き回っているが、佃煮屋は普通の町に溶け込んでいた。それが今や2軒、3軒と数えるほどになっている。今回台東区北上野、『湯葢』で買った佃煮は、あみ、あさり、雑魚佃煮、昆布、おまけのスジエビ(テナガエビ)だ。どれもいい炊き加減で保ちがよい割りにそれだけを食べても、箸が止まらなくなるほど味わい深い。無意味に、この店、22世紀まで残したいと思ったほどだ。
コラム

ホウボウはどうやってご飯を食べているのか?

魚のご飯や、ご飯のとり方は口の形から想像できるのではないかと考えている。魚の口には様々な形がある。歯がない魚もいるし、歯がある魚もいる。魚は、吸い込む、つつく、かじり取る、丸呑みにするなどいろんな方法でエサ(ご飯)を食べていて、それぞれに最適な口の形に進化しているのだ。11月26日、まずは眼の前おかれた魚、ホウボウの口を見ていろいろ考えてみたい。
料理法・レシピ

モンゴウイカ500円でいろいろ作る

ある寒い朝、ちょっとアニキ(数日前に仕入れた)のモンゴウイカ(カミナリイカ)が解体されて無造作に店頭に置かれていた。八王子総合卸売協同組合、舵丸水産のクマゴロウに、ど・こ・の? と聞こうとしたが、忙しいのでとりあえず確保する。中途半端によけておくと危険なので袋に移し替えて、持ち歩いたので、まるで万引きみたいだと思いながら市場歩きを続ける。結局産地はわからず終いだったが、ものはよしで、これはこれでいいのである。モンゴウイカはちょっと大きいと2㎏くらいはある。このばらばらになったのだって、内臓を抜いて0.7kgもあるので、もとは1㎏以上はあったはず。東京は典型的なスミイカ(コウイカ)圏であって、他にはツツイカ類(体が筒状のイカで貝殻である甲がフィルム状に退化している)のヤリイカ、スルメイカが冬のイカだった。馴染みの薄いイカであるモンゴウイカは、春になると入荷してくるもので量的に少なかった。それが年がら年中入荷しており、東京の前浜といってもいい相模湾でも揚がっている。これなども温暖化のせいだと思っている。ついでに、水産物は新鮮な方がいいなんて、単純なことを恥ずかしげもなく言う人間がいるが、愚かなり! と言ってあげたい。水産物は料理法によって、種によって最適な鮮度のものを買うべきなのだ。塩焼きなど鮮度がいいからうまいとは限らないし、日々の総菜材料など懐具合の方も考えて買うべし、だ。モンゴウイカは鮮度保ちもいいし、揚げても、煮ても、焼いてもうまい。ご飯との相性もいいのである。作る料理によっては危険な飯どろぼうであったりする。こんな出物こそが市場の宝物だといいたい。
コラム

イカの大きさについて

昔、釣り雑誌と関わっていたとき、たぶん読者の方から、「スミイカの11cmはありえないでしょう?」というメールをもらったことがある。その方が釣った東京湾のスミイカのサイズは総て30cm近いとして、写真も添付してあった。それもそのはず、触腕をわざわざピンと伸ばして測っていたのだ。触腕は小魚などに狙いをつけて急激に突き出して吸いつき取るためのもの、例えて言えばウミンチュの水中銃のようなもの。このような特殊な腕まで加えるとイカの長さは、やたらに長くなる。ときどき底曳き網などにシシイカという貝殻(甲)のあるイカが入るが、これなど第2腕(目のある方を正面に向け、いちばん前の小さな2本の第1腕の両脇の腕)が信じられないくらいに長い。軟体類学者・頭足類(イカやタコ)の父といってもいい佐々木望(まどか 1883〜1927年)はこの長い腕を歌舞伎連獅子の髪の毛と見立てて「獅子烏賊」と名付けたのだと思っている。これなど胴(刺身にする部分)の4倍の長さの足が生えていることになり、小さいイカなのに全長で測ると35cmくらいになる。見た目の大きさは全長では表せない。
ズワイガニ雌
コラム

やっと今季初、セコガニ

今年は何もかもが遅れている。自然界もそうだが、自分自身も季節に置いて行かれている気がする。立冬過ぎに買うはずが、11月20日にやっとセコガニが買えた。ズワイガニの雌を日本海各地で、コウバコガニ(香箱ガニ)、コッペガニ、オヤガニ、メスガニなどと呼ぶ。今回のものは兵庫県但馬新温泉町浜坂で揚がったものなのでセコガニだ。今夏、噴火湾のオオズワイガニ豊漁で、本場日本海のズワイガニがやってきてもどことなく気持ちが乗らなかったという感じだったが、11月のズワイガニ漁解禁は日本海に冬を告げるといった感があっていい。季節を待つ大切さは年々忘れ去られようとしている。自然破壊をしても周年うまいものを食いたい、というのが今どきの主流だが、たまには待てをしてもいいのではないか。ちなみに決して豊かではない我が家の財政からすると、今年中は雌ガニで我慢して、来年春に値が下がってから松葉カニ(雄ガニ)を買うつもりである。
ホタテガイ
コラム

酔狂で買う、問題ありの殻ホ

久しぶりに付着物たっぷりなホタテが荷に混ざっていた。めったにないことなので、欣喜雀躍、わざわざ買うのは生き物好きの性というものだ。昔はアズマニシキがついているのなど当たり前、キヌマトイガイやフジツボ類、環形動物がはいはいしている、などにぎやかなホタテがうんと入荷してきていて、市場通いの楽しみのひとつだったのだ。ときどきこんなものが来て欲しいとは思うが、産地の人の努力からすると失礼かも知れぬ。
トクビレ
コラム

今秋の初八角でいろいろ

今では高級魚として、プロの間では認知されている八角(トクビレ)も1990年前後くらいまでは、だれも知らないといった魚だった。もちろん今でも一般的な知名度は極めて低い。ちなみにプロでも標準和名のトクビレを知っている人は少なく、関東ではもっぱら八角(ハッカク)で売られている。本種は広い意味でのカジカの仲間であると言っても、カジカ自体が超がつくほどマイナーなので、無意味だろう。トクビレ科は北太平洋・太平洋にいる体長50cm前後の魚で、特徴は鱗が硬い板状になり、棘が無数にあり、細長いことだ。背鰭・臀鰭の大きい雄など正面から見ると怪鳥そのもので、見た目は不気味だが、脂が豊かで最近の嗜好に合致している。一度食べたら病みつきになる、そんな味の魚でもある。種としてのトクビレを知ったのは学生時代だが、食用魚として認知したのは1978年の『北の魚歳時記』(達本外喜治 北海道新聞社)によってだ。昔は漁で揚がっても廃棄されていた。著者は大正2年(1913)生まれで生家は魚屋だった。本種は売れない魚のひとつで、子供の頃から食べていたともあるので、細々とは食用になっていたのだと思う。本書の出た1970年代後半に、酒亭で本種が食べられるようになり、軍艦焼きも登場していたとある。1980年年代後半に築地場内で手に入れたときは、まさか都内で食用として売られているとは思わなかったので、飛び上がって喜んだ記憶がある。こう言った点では東京市場築地(現豊洲)は早いのである。流通するトクビレ科は基本的にトクビレだけで、後はイヌゴチとサブロウが流通するが非常に希である。基本的にはトクビレ科唯一の食用魚だ。ただしイヌゴチ、サブロウはとてもおいしい魚だ、ということもお忘れなく。
宮城県産生食剥きガキ
コラム

寒くなるとカキだなと感じるボクがいる

八王子の市場には広島県産、宮城県産、岩手県産の剥きガキが並ぶ。今年もやっとカキの季節が来たのだと感じる。たぶん東京都豊洲市場に行けばもっとたくさんの産地の剥きガキ、殻ガキが並んでいるに違いない。最近では三倍体のマガキがあり年がら年中生ガキが食べられるし、冷凍物もある。なんならオーストラリアあたりからの輸入ものもある。ただ高度成長期の始まりに生まれたボクは、寒い時季だからこそマガキを食べたい。水産と関わりのないボクだからこそ言えること、摂氏40度近い外気温の日にマガキは食いたくない。三倍体の水産生物は例えばアメリカのドナルドソンニジマスが現在の海水養殖ニジマスのはしりであり、世の中に出回るみんな大好きなサーモンも人工的に作り出されたものだったりする。できるだけ人工的なもの、養殖されたものを取りあげないのがボクの厳密な範囲感なので、是非は問わないが、歓迎もしない。
ボラの幽門部
コラム

晩秋かと思ったら冬到来、今季初へそでへそ焼きを作る

11月13日から11月19日の1週間で食べた、水産生物のなかでもっとも印象深かった、ウマスギをば。今回は非常に地味ものとあいなる。秋になると日本各地でボラ漁が始まる。お目当てはボラ自体ではなく卵巣である。唐墨を作るためにとるボラだが、このボラサイズ、トドサイズのボラは非常に脂が乗っていておいしいのである。ボクはこの本体の行方が気になって仕方がない。昔、相模湾平塚などでは産卵個体をとる刺網があり、本体は安く買えたが、今はどうなんだろう。高度成長期以来、売れない魚の代表的なボラではあるが、江戸時代など上物でもありながら、庶民にも手が届くものでもあり、老若男女に好まれて引っ張りだこだった。今や、秋から初春にかけての産卵回遊する個体をとる専門の漁はあるが、周年日本周辺を泳いでいる近所のボラをとろうなんて人はいないはずである。昔は千葉県浦安の沖合いで養殖まで行われていたのに、今では東京都内では水路を群れ泳ぐ謎の魚とかしている。東京都中央区日本橋から日本橋川を泳ぐボラを見る大勢の人の何人ぐらいが、この魚を食べたことがあるのか、と思ったことがあるが、まずいないと思う。さて、秋になると卵巣、白子、ときどき「へそ(臼/うすとも)」が市場にやってくる。残念ではあるが本体はまったく姿を見せない。さて、八王子総合卸売センター、福泉にボラの「へそ」がやってきていた。唐墨材料である卵巣にも秋を感じるが、副産物である「へそ」にだって秋、もしくは冬近しを感じる。
ムツの塩焼き
料理法・レシピ

ムツの塩焼きでピラフらしきを作る

毎日、若いムツ科の魚とにらめっこしている。その数、12個体で、分解したりしているので、もったいないがそのまま捨ててしまうこともある。捨てないにしても食べきれないので、保存性を考えて、やや強めに塩をして焼いては冷凍保存する。ムツ科の魚は何種類か? その姿形の違いはどこにあるのか? こんなことを魚類学者は100年以上にわたって議論している。DNAで調べてみると国内には3種類いることはわかっているが、それでは見た目でどのように区別するべきなのかがわからないのだ。当たり前だが、ボクはまるでドンキホーテのごとき、である。塩焼きを解凍しては焼き直して食べる。小ムツの塩焼きは飽きの来ない味なので、ずくめでも一向に苦痛を感じない。むしろ毎日1尾くらいずーっと食べていたいくらいだ。
味わい

今季初殻付きカキは大船渡赤崎産

現在、流通しているマガキには三倍体の人工的に作りだした種苗を養殖したものと、二倍体の天然そのままの個体がある。三倍体は周年出荷でき、カキ養殖業者にとっては素晴らしい存在ではあるが、ボクのように切に季節を感じたい人間にはよくわからない存在でしかない。昔ながらの人間なので、カキフライも生ガキも10月の声をきいてからだ。まあ温暖化で季節が消滅しそうなので、三倍体養殖は致し方ないのかも。ただ、ここ数年の間はまだ年間を通してカキが食べたい人のものだと思う。年を取り、季節の大切さ、重み、そして消え去りつつある季節感を考えると個人的に三倍体は、ボクの後の世代のものと考えたい。さて、今季初の殻ガキは岩手県大船渡赤崎産である。大船渡市の大船渡湾赤崎は殻ガキ(活け)で有名なところで好んで使う料理人も多い。赤崎は岩手県のカキ養殖発祥の地でもある。岩手県は殻ガキの出荷量の多いところで南から広田湾、大船渡湾、山田湾、釜石、大槌と続く。八王子総合卸売協同組合、舵丸水産で岩手県産殻付きガキを見たのは今季初めてだ。例年は10月には入荷をみていることを考えると、やはり遅れているようだ。広島のカンカン(剥き身)が小さいのに驚いたが、それでは岩手はどうだろう? ということもある。宮城県北部から大船渡にかけてのマガキは殻が大きいのが特徴だ。今季の個体もなかりの長さで持ち重りがする。ちなみに殻の大きさと軟体の大きさは正比例するが、この正比例の度合いは小さく、大きな殻にしては軟体が小さいのが一般的である。赤崎のものも殻に比べると軟体はさほど大きくはないが、品質というか味的にはとても安定感がある。迷ったら赤崎というすし屋がいるが、その気持ちわかる気がする。ある意味、赤崎産は岩手県の代表と言ってもいい。
カイワリ
コラム

カイワリは鉄板うまい

知り合いに趣味は競馬・競輪・競艇という人がいる。ときどき「テッパン」とという言語を使う。レースの予想に関することで、確実にとれる、という意味らしい。「鉄板」は女性誌でもよく使われる言語である。「鉄板コーデ」などという使われ方をするが、隙のない完璧なコーディネートという意味だ。「テッパン」、「鉄板」は確実に、手堅い、外れようがない、という意味だ。それでは魚界の鉄板的存在とはなにか? カイワリではないだろうか? 他の魚はどんなに高い魚でも大小や、季節や漁獲方法によって当たり外れはある。その点、カイワリは絶対に存在しないとされる4割バッターのような、特殊な存在ではないかと思う。手のひらサイズでもいい味をしているし、かなりいじめ抜いた漁獲方法で揚げてもそこそこにおいしいし、季節による変化もさほど大きくない。ちなみに海水魚の勉強は学生時代で、図鑑を丸暗記することから始めたので、個々の魚に関してはなにも知らなかった。初めて本種のことを心に明記したのは、下世話な話だけど、大橋巨泉のイレブンフィッシングでの、「こんなにうまい魚はない」だった。大橋巨泉は伊東に住んでいたこともあって、本種をよく知っていたのだと思う。アジ科の中では珍しく浅場に来るのは稚魚期くらいで、成魚は沖合いの水深100m前後にいる。近所の鮹さん(岩崎薫さん)が通っているのは相模湾をのぞむ伊豆半島東岸の漁港であり、当たり前だけど釣り場は相模湾である。いつもは本命ではなく、あまり人気のない、釣り人をして外道とされる魚を分けてもらうのだけど、カイワリだけは本命ながらいただくことが多い。今回もいろいろ持って来てくれたなかに、カイワリが入っていたので、思わず頬が緩む。うれしいが顔に出ていた気がする。同じカイワリながら、とりわけ相模湾のカイワリは特別うまい気がする。特に蛸さんの持って来てくれるカイワリは釣って半日以下なので、鮮度の問題もあって抜群にうまい。ちなみにカイワリの競り値が国内でいちばん高いのも小田原魚市場をはじめとする相模湾周辺である。今回の個体は全長22cm・重さ200gである。カイワリはこれで大人である。
料理法・レシピ

広島のカンカンが来ていたので、カキのどじょう鍋風

10月になってもやって来ないマガキの剥き身の入荷の遅さにやはり異常気象のせいかな? なんて思っていた。市場で荷を見ているだけで、様々なことがわかるが、温暖化の足音が急激に大きくなったのもそのひとつだ。市場で見えてくるものは、温暖化が水産生物とか野菜に及ぼす影響だけではなく、人間が受けるダメージも見えてくる。今年は本来9月の後半にくるはずのパックの剥き身が10月の後半に来て、10月になって入荷が始まるはずのカンカンが11月になってやってきた。八王子という非常にローカルな地域とはいえ、今年のマガキは遅すぎる。関東の市場人はカンカンといえば広島、広島と言えばカキの剥き身が思い浮かぶ。考えてみると四国の人間であるボクなどは日常的にカンカンという言語を使うが、関東では、あまり聞かない。漢字にすると缶々かもしれないが、単純に缶ではない。ジュースなどを入れるのは缶で、煎餅や乾物を入れる大きいのがカンカンである。ジュースの缶は投げてもカンと音を立てるだけだけど、大きな缶はかんからかんと大きな音を立てる。その音を表しているのだと考えている。この本来西日本の言語が、関東でマガキの剥き身と同義語となっているのだ。カンカンの蓋を開けると、やけに小粒である。カンカンにも上中下があって、上の部類ではないのかも知れない。ただ小粒にも関わらず左程安くはない。剥き身には、少量を海水入りのパックにしたもの、透明の円盤条のプラスティックケースに入ったもの、そしてカンカン入りがある。個人的にはカンカンに惹かれてしまう。懐かしい感じがするからだ。八王子総合卸売協同組合、舵丸水産に来ていたのは『米田海産(広島県中央区江波の)』のもの。この会社のある江波は広島市の繁華街から遠からぬところにある。広島市のすごいところは大都市なのにマガキの産地でもあるところだ。考えてみると広島県のマガキが大阪市内に送られて、大阪の冬の風物詩、「かき船」が生まれている。広島のカキの歴史はやたらに面白そうである。カンカンからできるだけ大振りのものを選んでいたときには、すでにどのように食べるのか、決めていた。
アオギス脚立釣り
文化

東京湾のアオギスの脚立釣り

東京湾(江戸湾)ならではの脚立釣りは江戸時代より続く伝統釣法である。昭和38年7月(1963)、海苔、貝の漁場である十万坪(現浦安市今川・高洲で東京ディズニーランドの東)でのアオギス脚立釣りの光景。脚立は今ではアルミ製だが、この時代までは木製で、大阪では「クラカケ(鞍掛)」というと、魚類学者の田中茂穂は述べている。船宿で釣り人はよい釣り場を確保するためにクジをひく。釣り場が決まれば、港から脚立と釣り人を乗せて沖に向かう。次々に釣り場を巡り、脚立を設置して、釣り人を下ろしていく。昼になると船宿から弁当を取り寄せるなど、長々と海の上での釣りを楽しんでいた。(写真は浦安市郷土博物館 所蔵のものをお借りした)浦安の沖の十万坪といえば、山本周五郎の「青べか物語」にも登場する。東京湾の豊かさを感じる場所(浅瀬)でもあった。一般的なキスであるシロギスと比べると長さで倍以上もある大型魚であり、釣り味を楽しんだ。脚立釣りは食べるための釣りではなく、スポーツフィッシングといったものだったようだ。脚立釣りが好きだった、三代目三遊亭金馬(1894年(明治27年)〜1964年(昭和39)は著書で〈食べちゃ青ギスより白ギスのほうがうまい。職業釣り師は青ギスにめをつけない。だから町の魚屋には青ギスは売ってない。白ギスばかりだ〉『江戸前の釣り』(三代目三遊亭金馬)音に敏感なアオギスは船では釣れないので、海に脚立を立てるようになったという。脚立周りを1本の竿、道糸ハリスで釣り上げるので、アオギス専用の船釣りと比べると長い竿を使い、魚籠も網の部分が非常に長い独特のものだった。シロギスがやや外洋性であるのに対して、アオギスは川の河口域である汽水域や内湾を好むので、東京湾はアオギス釣りのメッカであったことがわかる。江戸時代や幸田露伴の明治には大川(隅田川)で行われていた脚立釣りが、昭和になると江戸川の向こう側、浦安などが主流になってくる。本種がいかに環境の変化に弱いかが、この事実からもわかる。脚立釣りは高度成長期にアオギスの減少とともに行われなくなり、やがてアオギスは東京湾から姿を消す。
コラム

いい春菊を見つけたのでアオリの耳和え

今年は魚が少ない上に、それ以上に野菜がダメだ。いい野菜を手に入れるための切り札的な存在、直売所に行っても、これぞという野菜にはお目にかかれない。特にダメなのがねぎを含めた葉物だ。水耕栽培であるはずの芹だっていいものは高い。香りのある葉物が好きなので、八百屋の店先で妥協に妥協をして、それでも納得がいかないので、ぼーっとつっ立っていることが多い。そんな中、八王子総合卸売センター、八百角の社長が「今日の春菊いいですよ」と声をかけてきた。ボク好みの大葉ではなく中葉だが、確かに上物である。葉に厚みがり、葉の表面に微小な粒立ちが見てとれる。
文化

長崎県平戸はあごの国、あご煮干しでうどん

山陰でホソトビウオを「ニュウバイトビ(入梅飛)」などという。ツクシトビウオの角飛と同じ、6月くらいからまとまってとれるもので、産卵を控えて生殖巣を膨らませている。山陰などでは真子をパック詰めで売っていたりする本州日本海側は青森県くらいまでで産卵回遊の2種のトビウオが揚がる。まとまって揚がるので煮干しや焼き干しなども作られている。島根県松江市の名物「あご野焼(焼き竹輪)」などもあるし、各種練り製品の原料にもなる。国内のトビウオの食文化といえば昔はこの、産卵回遊群がもたらすものだとばかり思っていた。この考え方は鹿児島屋久島に行くまで心の隅から離れなかった。屋久島行以前には鹿児島市内で「七島とび(トビウオの塩干)」を発見している。干ものというよりも塩の塊のようで、明らかに冷蔵庫以前の時代からの加工品である。屋久島では種類の多さに圧倒され、当然のことだが、日常的にトビウオが食べられていることにも驚かされた。今年は、長崎県平戸市の漁師、福畑敏光さんに夏から秋の「小トビ漁」のトビウオ類を送って頂き、長崎県でのトビウオの世界の、幅の広さに驚かされた。漁の後半にさしかかったときに送ってもらったところ、すべてが小振りで、ホソアオトビ、バショウトビウオ、シロフチトビウオ、アリアケトビウオの4種類が入っていたのだ。8月25日から10月半ばの漁期にはもっと多彩な種の比較的若いトビウオ類が入る模様である。これを平戸市では練り製品を作り、干ものにし、焼きあごにする。いろいろ試してみたいが、まず今回は煮干しを買ってみた。実はこの煮干しこそ、カツオ節を生む母体であり、国内水産加工業のなかでも重要な鍵となるものだと考えている。ボクは子供の頃から煮干し文化圏にいたので、いい煮干しを見るだけで嬉しくなる。今回の林水産の煮干しなど香りからして素晴らしい。同定してみると、ホソアオトビとシロフチトビウオまではわかったが、あとは同定不能だった。想像になるが、ツクシトビウオとホソトビウオの若い個体、ホソアオトビ、シロフチトビウオ、アリアケトビウオが平戸の煮干し原料だと思うのだが、できれば加工前に確かめたい。
漢字・学名由来

山陰北部から北陸でメジナはサケのお使い

八王子総合卸売センター、総市に富山県氷見産のメジナが来ていた。日本海側を冬に旅をするとわかることだが、寒い時季、定置網に大量に入って、網が揚がらないなどということがある。能登半島などでは寒くなるとスーパーなどでよく特売するという。太平洋側では食用魚でもあるが、釣りの対象魚としての方が有名である。日本海側では寒くなるとやたらに目につく、単なる食用魚でしかない。日本海側ではクロダイ(チヌ)と比べると、釣りの対象魚としてはあまり人気がない。これは主な産地が日本海であるせいだ。もちろん太平洋側でも揚がるし、食用ともなっているが量的に大きな開きがある。島根県松江市、松江魚市場では寒くなって海が荒れると、「クロアイ(クロヤとも)」が競り場を覆い尽くす。仲買の方が「クロヤを買うのは義務だな」などと言っていたが、メジナだらけの市場を見て競り人、仲買のあうんの呼吸のようなものが感じとれる。山陰でメジナは冬の風物詩だ。富山県、能登半島、京都府では「ツカヤ」、「ツカエ」という。初めて能登半島を旅したとき、この呼び名の意味がまったくわからなかった。わかったのは渋沢敬三の『魚名集覧』を手に入れてからだ。ボクが初めて能登半島を旅した1980年代初め、元々の長々とした呼び名は省略されてしまっていたのだ。本来の呼び名は「サケノイオノツカエダイ」、「サケノツカエダイ」だ。漢字にすると「鮭の魚の使い鯛」、「鮭の使い鯛」である。定置網にメジナが入るようになると、サケの水揚げが始まる。また、メジナがたくさん揚がる年はサケが大漁だ、という意味もありそうだ。北陸でメジナは秋を感じるものであり、冬の風物詩でもある。今、富山湾や能登半島でサケが大量にとれているとは、とても思えないが、この地域でもサケが重要な漁業対象であった時代があった証拠だ、とも言えそうである。サケと関連性の高い呼び名と、島根半島以西の体色での呼び名の境となる地域も明確にあるはずで、鳥取県西部ではないかと想像している。
人形町界隈
歴史

谷崎潤一郎にみる明治の魚食事情 塩焼き編

谷崎潤一郎は明治19年(1886年)生まれで、成人して文学者となるまで、明治時代の東京を生きた。生まれは下町、日本橋蛎殻町(在の中央区日本橋人形町)で豊かさと貧しさの入り交じった幼少期を送ったと述べている。ただし、祖父の代の財産、また伯父からの援助もあり食生活から見る限り、真の意味での貧しさとは無縁である。日本橋界隈に登場してきた中華料理店や洋食店、少し贅沢な和の外食もそれなりに楽しんでいる。明治時代の下町の食をある意味思い切り楽しんだ人と言ってもいい。幼少期の日常的な食に関しては、〈神茂のすじや半平(はんぺん)などの方が八百屋物(野菜料理という意味)よりはまだ有難かった……魚類は大体焼いたものよりは煮たものが多く、比目魚(ひらめ)、鰈(かれい)、鰺、鯡(にしん)、鮫(さめ)、生節(なまりぶし)等は皆煮つけで、焼くのは蒸し鰈、魴鮄(ほうぼう)、鰯、飛魚ぐらいであったが、煮魚は私は嫌いであった。〉『幼少時代』(谷崎潤一郎 岩波文庫 初版は文藝春秋社1957)これを徐々に追体験してみている。
コラム

アオリイカのげそ天はすごくうまい。

スルメイカと比べると昔は遙かに高かったアオリイカが、スルメイカの高騰で安く感じる。近年、ツツイカ4種であるヤリイカ、スルメイカ、ケンサキイカ、アオリイカが並ぶという不思議な光景が見られるが、極端な値段の差がみられない。あえて挙げると近年、ヤリイカがいちばん少なく、値も安定的に高い気がする。さて、アオリイカの水揚げが多くなり、取り分けやすい時季でもあるため、刺身は当然のこと、煮つけにしたり和え物にしたり、揚げてみたりしている。数日ごとに買っているので、一部冷凍保存しているが、揚げ物にするなら冷凍した方が味はともかく、間違いなく揚げやすい。げそは流水解凍して、頭部に切れ目を入れて、足(腕)にもとんとんと切れ目を入れる。それでも油はねが恐いなら軽く湯引きするといい。水分をよくきり、小麦粉をまぶし、硬めの衣をつけて中温で揚げる。終いに煙が出るほどの高温にまで高めて揚げきる。(念のためにここまで油温度は高温にしなくてもいい)イカ類のいいところは冷凍してもあまり劣化しないことだ。ちょっとだけ何か欲しいときにすぐに使える。しかもアオリイカの「げそ天」はイカ類ならではアデノシン一リン酸や各種アミノ酸からくる甘味が豊かである。柔らかくほくほくとして、ちゃんとイカらしい風味もある。このウマスギのげそ天は1尾分ではもの足りなくなるほどだ。これでノンアルコールビールは味気ないけど、そろそろアルコール解禁といきますかてな気持ちになる。
上野,湯葢,雑魚佃煮
歴史

台東区『湯葢』の雑魚佃煮を同定する

佃煮の発祥を佃島(東京都中央区)と考える人は、最低限研究者には絶対いないと思うが、一般の人は常識としてそう思っているようで恐い。16世紀末、現大阪府大阪市西淀川区佃の漁師と徳川家康との関係とか(これを「なんでも弘法大師的という」)、その特権とかいろんなドラマが作りあげられて、いつの間にか、「佃」は、小型の魚貝類の醤油煮の一般名称に使われ、食品学的な分野名ともなっている。これは水産物のすり身を揚げたものを「薩摩揚げ」というのと同様、由来からして変である。加工食品の標準和名としては失格である。一般的だとしてボクも使っているが、その佃煮の発祥を佃島にもとめる根拠はまったくないと言っていい。ついでにいうと魚貝類を醤油で調味するのが一般的になるのは、江戸時代前期ではない。江戸の街に「下らない醤油(関東の醤油)」が入ってきたのは、天才、荻原重秀が登場した元禄期くらいからだと思っている。ちなみに江戸の街に毎朝来ていたのが納豆売りである。多くの人が1945年以前には毎朝くる納豆売りのことを証言している。この納豆は江戸時代の前期には、現在のように醤油をかけて食べていたのかなども疑わしい。たぶん納豆入りのみそ汁だったのだと思う。ちなみに瀬川清子は戦後になっても醤油は地域によってはハレの日だけのものとしている。横道に逸れるが、江戸城に江戸前の魚を献上していたのが、佃島とか対岸の猟師町の人達であったとして。江戸城に献上するので、特別あつらえで江戸時代前期に貴重だった下り物(関西で作られていた)の醤油を使い小魚を調理していた。だから江戸城勝手方では自然発生的に「佃煮」と呼んでいた可能性はある。でもこんなもので納得していたのでは、佃煮の深い深い歴史的なところが見えてこなくなる。とれた魚を塩水(海水かも)で火を通すということは非常に原始的なことだ。そこに醤油で味つけするという佃煮は日本列島のどこかで、淡水域・汽水域周辺で発祥し、すぐに爆発的に全国に広がる。現在の醤油味の魚貝類の加工品、「佃煮」の原型は霞ヶ浦、土浦市に残っている。ワカサギ、テナガエビなどの「煮干し」である。霞ヶ浦で揚がるエビや小魚類を塩水で煮て軽く干したものだ。また利根川から西の関東平野、渡良瀬遊水地・霞ヶ浦の北でも塩ゆでが行われていたはずだけど、魚貝類の種類がまったく違っていたと思われる。ちなみに関東の川漁師の間でも苦味が強いのでタナゴ類はあまり食べなかったようだ。また群馬県の水郷地帯での聞取では流れのある流域にいるウグイ、アブラハヤ、オイカワなども食べなかったという。関東でよく食べていたのは、河川ではなく湖水と用水路に繁殖する魚やエビたちである。これを選別しないで煮るのが関東風である。「煮干し」で始まった佃煮の原型が関東周辺で醤油が使われるようになるが、関東では平野部特有の魚貝類が使われている。種類は違うが平野部系としては木曽三川流域や岡山県などでも同じである。福岡県筑後川流域でも同様かも知れない。この様々な魚貝類を使った佃煮を東京都、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県で「雑魚煮(「ざっこに」、とも、「ざこに」とも)」、「雑魚佃煮」とも「小ざかな煮」ともいう。これこそがもっとも原始的な「佃煮」のひとつだが、作る店が激減している。1951年の『佃煮便覧』をみると国内には佃煮屋が信じられないくらいにたくさんあり、日本各地に分布していた。流域を考えない河川改修が横行して雑魚が激減している上に、雑魚をとる漁師が激減しているから仕方がないのかも知れない。
コラム

11月初旬、気仙沼の小ムツは旬を迎えている

宮城県気仙沼市、菅原宏志さんから小ムツ(若い個体で、体長19〜22cm ・140g前後)を送って頂く。気仙沼の小型の小ムツは非常に興味深く、気になる点がいっぱいある。まずは気仙沼小ムツ探求の第一歩である。返す返すも菅原宏志さんと定置網のみなさんに感謝します。重要な部分の計測をして、写真をとったら、博物館ではない我が家は、速やかに食べる。だいたい見るからにうまそうな個体たちである。ムツという魚の特徴は骨があまり硬くなく、しかもスズキ亜目という進化した魚類なので小骨がない。小さくても脂があり、筋肉に水分が少ない。若い固体では、アジ科のマアジに似た市場価値を持っているが、漁獲量は遙かに少なく、ある意味、レア(嫌いな言葉だが)である。ちなみに宮城県ではロクノウオという。これは江戸時代に伊達家代々が陸奥守(陸奥国で陸奥守というのは中世・近代史では非常に重要なのだ)であったことから憚かり、ムツ(六)とは呼ばず、六の魚としたためだという。明らかに作り話だが、作者は非常に優秀である。さて、小ムツだが、小ムツとしては大きめである。ムツは東シナ海あたりで産卵し、稚魚は海流にのって北上、日本各地で稚魚期・若魚期を送る。気仙沼周辺にいる小ムツはじょじょに深場に移動するはずだが、何処に行くのだろう。相模湾あたりまで南下するのだろうか?
タキベラの清蒸
料理法・レシピ

タキベラの味を探る、清蒸は申し分なし

八王子総合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが銭州で見事夫婦者のタキベラを釣り上げてきた、妻は1㎏ほど、夫は2㎏である。考えてみたら夫婦仲良く一荷で来たのだろうと勝手に合点して、実際にそうだったのかどうか聞き忘れた。鮮度抜群だし、色鮮やかだし、ここ数年手に入れたタキベラの中でも最高峰個体である。これをもとに改訂を進めているが、完全に改訂し終わるのはうーんと先の話になる。ということで改訂途中でウマスギた料理をとりあげていくつもりだ。さて、大型なので頭もでかい。しかも面の皮が厚いとなると、作る料理はアレである。熱帯域では大型ハタ類の乱獲に繋がったくらいにうまい料理で、しかもハタに限らず、どんな魚を使ってもこれ以上の料理はないのかも、という料理である。それを蒸し魚(清蒸)という。国内ではわからないが中国でも台湾でも熱帯の南太平洋でも、中華料理店の海鮮部門のメニューのトップに載っている。こんな料理、一般家庭で作れるはずがないと思っていたのは、1980年くらいまでだ。開高健の釣り本に作り方がでていて、そのまま作ったらいとも簡単にできた。以後、少々、タレの作り方などを変えたが、考え方はそのままである。水洗いして頭部にある咽頭骨(喉にある硬い骨)をまず最初に掘り出し梨子割りにする。ベラ科の頭部には皮膚に埋もれた鱗があるので熱湯をかけて浮き上がらせ、鱗を取る。これを15分ほど強火で蒸す。蒸し上がったらタレ(醤油・魚醬・紹興酒・砂糖・八角を一煮立ちさせたもの)をかけ、香りのある野菜を乗せて熱した油(本当はピーナッツオイルがいいが、高いので普通の太白ごま油)をかけ回す。今回は野菜に辛い唐辛子を加えている。このあたりはお好みで。油をじゃわじゃわとかけた時点で涎が口中にたまる。
焼津沖から富士山
郷土料理

焼津流? 漬け込んでカツオの角煮を作る

もうずいぶん昔の話だが、静岡県焼津市、長兼丸の船上で富士山を眺めながら、元カツオ漁師の長谷川久志さん、長谷川さんの義理のお兄さんとカツオの話をしたことがある。たしか、長谷川久志さんが、お母さんのカツオの角煮の作り方は手が込んでいて、前夜から漬け込みをして煮る、という話だった。そーっと聞いて、以後真似しているが、前夜からなので12時間くらいかなと考えていて、漬け込んだ翌日に煮ていた。作ってみてびっくり、漬け込まないで作るものとは比べものにならないくらいにうまい。
タキベラの横顔
コラム

タキベラがなぜタキベラなのか、知っていますか?

淡水魚からはじめて海水魚にまで勉強の範囲を広げたとき、まず気になったのは魚名である。1970年代の末、東京都千代田区神保町で、彼の渋沢栄一の孫で、民俗学・魚類学の世界では祖父以上に偉大な渋沢敬三の『日本魚名集覧』というのを立ち読みしては、呼び名・標準和名の不思議に魅了される。ボクは王道的な知識よりも脇道の方に惹かれがちである。ちなみに生物の名は3種ある。一、学名(世界共通の名でラテン語表記)二、標準和名(国内で便宜的に決めたもので、特に魚類学も含めた生物学では必ず使わなければならないとするもので当然、日本語)三、地方名(日本各地で使われているもので、その地での魚に対する考え方や価値観が込められている)がある。時々、標準和名について正しい名とかいう人がいるが大間違いである。生物の名に正否はない。図鑑1冊を丸暗記することから始めたとき、真っ先に頭に収納できたのがタキベラである。なにしろ見た目がド派手だし、キャプションを読むと大きな魚らしいとくる。ちなみに数年後、いざ手にすると、ド派手な魚だとわかっていながら現物のファンキーさにビックリしたし、食べたらとてもおいしかったので、その姿と味のギャップにもビックリした。でもどうしても、なぜタキベラなのかはわからなかった。比較的生活環(一生)での生息範囲の狭い魚で、生まれた海域で一生を過ごし、国内では安定的に水温の高い海域にしかいない。2010年になって増えた沖縄の高級魚、アカジンミーバイ(スジアラ)は例えば伊豆諸島海域や紀伊半島にはいなかったが、今や明らかに北上して定着している。対するにもともと伊豆諸島で極めて普通であるタキベラはほとんど生息域が変わらないため、本来沖縄の魚だったスジアラにより北に生息域を広げられてしまいそうである。明治時代、動物学者(明治時代前半にはまだ動物学は分野化されていなかった。魚類学が独立するのは明治時代後期からだ)は日本中の動物の呼び名を集めることから、動物学の第一歩を踏み出す。呼び名がない物質(生物・動物)は存在しないためである。特に魚は相模湾周辺と日本橋魚河岸で呼び名を集め、そこから標準和名を決めた。
コラム

アオリイカはイカ界の絶対的な王だったんだけど……

八王子総合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウのところで島根県産アオリイカを買う。春に生まれたアオリイカが秋になると漁獲可能なサイズに成長する。この時季、たくさんとれる。このサイズを好むすし職人もいるくらいで、秋に取れるので秋イカという。全国的にみてもいちばん漁のある時を迎えている。当然、釣り物ではなく定置網ものなのでキロ単価も安い。それにしてもスルメイカ下氷が1ぱい500円のとなりに200gで500円のアオリがあると市場価格が近づいてきたな、と思ってしまう。このままスルメイカの不漁が続けば、値段では、下剋上なんてことになりそうである。昔は4倍以上の開きがあったので、相撲に例えるならアオリイカ=横綱とスルメイカ=十両くらいの開きだったのである。この十両が実力(?)をつけて関脇・小結になってきている。もちろん好みもあるので一概には言えないが、台頭著しいとはいっても刺身では、段違いにスルメよりもうまいと、あくまでも個人的には思っている。刺身用なら、値段が1.5倍まではいかないのなら、胴(外套膜)の大きいアオリを選んだ方が得だというのもある。しかも眼の前にあるのは島根県島根半島、笠浦漁港の定置網で揚がったものだ。最近、なぜかしら島根が恋しいので、ついつい島根産に手が伸びる。
サンマ
コラム

11月なのに、12入りサンマの塩焼きに、やっと秋の気配を感じる

10月後半から11月初めの今日まで、3日を置かずサンマの塩焼きを食べている。刺身よりも塩焼きが無性に矢鱈に食いたいから食うというか、サンマの塩焼きは麻薬のようだ、とまでも感じている。サンマの塩焼きのおいしさはその直球的な味に、ほどよい渋味と、例えばウニの味のような硫黄分(?)からくる玄妙な味わいが加わることだと思う。そのくせ後口がいいのである。やたらにご飯に合うところも、酒断ちの日には持って来いだ。
ツキヒガイ
コラム

刺身用二枚貝ではトップに君臨するツキヒガイ

鹿児島県鹿児島市、田中水産さんにいろいろ送って頂いた中に、ツキヒガイがあった。ツキヒガイはホタテガイと同じイタヤガイ科の二枚貝である。イタヤガイ科の二枚貝は世界中で食べられている。国内ではホタテガイがいちばん多く、次いでアズマニシキの三陸型であるアカザラガイ、純粋なアズマニシキ、イタヤガイと本種である。この5種の中ではイタヤガイと本種がおっつかっつでいちばんうま味が豊かだと思っている。ホタテガイは貝柱が大きいために味のボリュームが大きいのであって、同じサイズを食べるとこの2種よりも落ちる。本種は一時島根県周辺でも盛んにとれていた、と思ったら激減したりと安定感に欠ける。唯一安定的にとれているのが鹿児島県である。鹿児島県の西岸、東シナ海には非常に長い砂浜がある。イタヤガイ科には栄養分豊かでいながら汚染されていない。健全な海岸線がなければ生育出来ない。この健全な海で育ったからこそ、のうまさかも知れぬ。
料理法・レシピ

ヤワラボウズイカ、もっと早くちゃんと料理すべきだった

鹿児島県鹿児島市、田中水産からヤワラボウズイカがやってきた。鹿児島県の東シナ海側、阿久根のタカエビ(ヒゲナガエビ)漁に混ざるものでミミダコ、ミンダコなどと呼ばれている。このボウズイカと呼ばれる変な形のイカには、日本海や東北太平洋側で揚がる標準和名のボウズイカもいる。同じくらいの大きさで同じボウズイカがつくけど属の段階からして別のグループであり、ボウズイカは北にヤワラボウズイカは南にと棲み分けている。このだびょーんと柔らかいイカを料理するのは苦手である。手荒に扱うと墨まみれになるし、分解して墨袋を探しても見つからない。田中水産から送られていても邪険な扱いをし過ぎていたかも知れない。今回は個体数が少なかったので、宇宙人そっくりの面々を前にじっくり料理法を考えてみた。残念ながらまったく思い浮かばない。
伊勢市産バイ
コラム

バイはまず、模様を愛でる

1980年代に築地場内に怖々と足を踏み入れたときに、先ず目についたのが巻き貝類だった。奇妙なことに子供の頃から巻き貝が好きで、アサリに混ざってくるツメタガイや、故郷の水田にいるマルタニシやカワニナなどを採取し貝殻を集めていた。築地場内でも真っ先に巻き貝を採取して、少ない情報の中で同定していた。ちょうど森田誠吾が「魚河岸ものがたり」で直木賞をとる以前、築地で買い物は難易度が高かったのに、巻き貝にじっと見入っている一般人は怪しかっただろうと思う。ちなみにその当時、築地場内にあった主な巻き貝はミミガイ科のアワビ類にトコブシ、サザエ科のサザエ、エゾバイ科の「まつぶ(エゾボラ)」、ヒメエゾボラ、エゾバイ、「白ばい(エッチュウバイ)」、ツバイ、「とうだいつぶ(オオカラフトバイやシライトマキバイ)」、バイ科のバイなどである。日本橋魚河岸時代から築地時代にかけて場内に多かったのが貝屋である。船橋や浦安、佃島から日本橋に進出してきた貝を専門に扱う店で、店頭で二枚貝の「青柳(バカガイ)」やアサリ、アカガイを剥き、巻き貝も常に何種類か並べていた。この貝を主として扱う仲卸が豊洲に移ってから減ってしまっている。たぶん大正時代まで日本橋に魚河岸があったときはもっと遙かにたくさんの貝商があったはずだ。この中で基本的に煮るための巻き貝が小型のバイ(バイガイ)、エゾバイ、ツバイ、若い個体の「白ばい」、大きいのにも関わらずもっぱら煮てしまわれる「とうだいつぶ」などである。これにときどき富山湾などからカガバイが「白ばい」としてきていた。築地で最初に教わったのが、もともとはバイこそが煮るためのの巻き貝で、昔はこれが基本でこれがないと困る店が多かったという話だ。バイはべい独楽の起源とも言われ、江戸時代以前から江戸の街だけではなく、中京、関西、九州でも盛んに食べられていた。これが激減したことがある。船の船底塗装に使われる有機スズによるインポセックス化で雌が雄化して生殖機能をなくしたためためだ。完全にエゾバイや「白ばい」に主役の座を譲ったといった状態になっていた。それが復活してきたのは最近ではないか? 日本海側から黒みがかった個体が大量に来るようになったし、伊勢湾や三河湾、熊本などからも入荷してきている。ボクは貝家(貝の収集家)ではないが、少しだけその収集する気持ちがわかる。鱗翅目(蝶や蛾)の収集家がほんのわずかな羽の色や模様の違い、採取地での変化にこだわるように、巻き貝にも産地ごとの微妙な差があるからだ。バイは国内にはバイとウスイロバイの2種しかいない。小豆の粒のような斑紋があったり、キジの羽に似た斑紋のあるバイは市場に大量に入荷してくるが、ウスイロバイは長年探しているが一向に手に入らない。当然地域差はわからない。バイの模様は南に行くほど多彩になり、種類も増えるが、国内でも日本海のものと太平洋側では模様が違う。鱗翅目の昆虫や飛べない甲虫のように地域差があって楽しい。鹿児島県のものなど臺灣にいるタイワンバイそっくりだったりする。今回の伊勢湾産は日本海産と比べると明るい色合いをしている。
大きなカツオ
郷土料理

10月最後のカツオは日本海は敦賀産

カツオの旬がだんだんわからなくなってきている。11月初旬には太平洋側の下りガツオもとれているだろうし、鹿児島県でも揚がっている。そして日本海だ。島根県浜田市などあの巨大な競り場にずらりとカツオが並んでいる。そして今回のものは若狭湾北部敦賀産なのだ。太平洋側のカツオは鹿児島県沖などの居続けのカツオもいるが、基本的に北上(上り)してまた南下(下る)してくる。下りの方が脂はのっていて旬がわかりやすい。個人的には日本海のカツオは回遊経路がわからないためもあって旬がいまだにわからない。ちなみに日本海で揚がるカツオを迷いガツオなんて変な言いかたするのは止めた方がいい。人間は迷うけどカツオは温かい海に沿って北上する。日本海の温暖化から回遊域が広がっただけの話である。さて、福井県は嶺南と嶺北でまるで別の県のようである。嶺南敦賀は若狭湾にめんし、滋賀県の真北であり、京都府の隣だ。嶺北が北陸なのに対して近畿とか畿内といった感じがする。あの敦賀からカツオがくるんだと思うと感慨深い。余談になるが市場流通の魚にはこのような【心の中での旅の時間】が持てるのがいいのである。
ショウサイフグ
文化

秋深し、ショウサイフグでふくと汁

松尾芭蕉(青桃)が延宝5年(1677)冬に吟じた【あら何ともなや昨日は過ぎてふくと汁】は江戸で行われた句会のときのもので、『江戸三吟』として出版されている。「三吟」は松尾芭蕉、山口素堂、伊藤信徳である。江戸時代にフグは「ふくと」、「ふくべ」などと呼ばれていた。この句はフグという魚の危険性を表すときによく引用されるが、むしろ杉山杉風など魚河岸にも弟子がいた芭蕉なので、普段からフグを食べつけていたのではないかと思われる。江戸時代は今よりも寒冷だったので江戸湾をはじめ周辺海域では秋から冬にはショウサイフグ、春にはヒガンフグがとれていたはずである。今現在のように相模湾でしばしばトラフグが揚がるような状況ではなかった。トラフグは昭和になっても西の魚で、江戸の魚河岸には並ぶことは希だったと思われる。中でも取り分けショウサイフグは江戸湾にたくさんいた魚なので江戸前の魚そのもので、この「ふくと汁」は決して上等なものではなく、下手なものではなかったか? だから芭蕉は微かにはにかんで句を吟じ、一緒にいた山口素堂などもそのあたりがわかっていた。ちなみにあっさり薄味ではなく、濃厚な塩辛いみそを溶き込んだ、フグ類のみそ汁はやたらにうまいし、体が温まる。「ふくと汁」が最初に出てくるだけで、座に温か味が生まれたのではないか、と思う。また、江戸時代前期、江戸の街で醤油は一般的ではなかった。民俗学者、瀬川清子は昭和になっても地方で醤油は高級だったとしている。とすると調味料は塩かみそだ。直感でしかないがみそと考えた。江戸時代前期から江戸の街で冬に食べられていた「ふくと汁」は、ショウサイフグのみそ汁で間違いないと考えている
豆腐
コラム

今季初湯豆腐はいりこ醤油で

東京都台東区には昔、40軒の豆腐屋があったという。それが今ではなんと4軒だけに。江東区の老人は(戦前なので1945年以前でしかも戦時体制深まる前)横丁を曲がると、豆腐屋、納豆屋のどっちかがあったともいう。いずれにしても今や都内の豆腐屋は絶滅の危機に瀕している。ちなみに24区内、特に下町の納豆屋は墨田区毛利にあった四ツ目納豆が最後で、絶滅したのではないかと思っている。さて10月27日に台東区稲荷町に『伊勢源』という豆腐屋を見つけて、木綿豆腐を買って今季初湯豆腐を食べた。考えてみると、ほんの20年くらい前まで下町で木綿豆腐というと嫌がられたものだ。ましてや絹ごし豆腐なんて言うと、一昨日来やがれ、と怒鳴られたことすらある。下町で買うのは「豆腐」であって、木綿豆腐とさえ言わなかった。
マンボウの腸
コラム

マン腸の干ものは素直にウマスギ!

自宅軟禁といった1週間だが、多種多様な魚がやってきた。どれもこれも素晴らしい味だったし、超高級魚もあったが、意外にも真夜中にノンアルビールの友とした地味なものが印象に残りすぎたので、これを1週間のトップとしたい。マンボウの腸の干ものである。マンボウは、千葉県外房に通っていたとき、千倉から千田に向かう舗装が一部剥がれているような道路の、道ばたにあった魚屋で初めて買っている。この道路沿いに「マンボウあります」の文字を見ての初マンボウである。腸の干ものはおまけにもらったと記憶している。外房の郷土料理である、肝と身をみそで和えたものと比べると食べやすいというよりも、端的にうまかった。この国道沿いの魚屋がいまや激減している。考えてみるとそのとき、ボクはてっきりマンボウを下手なものというか、珍味のたぐいだと思っていた。それが外房に通う内に身近なもの、普通の食用魚と思えるようになった。一時期、肝の味の虜になったこともある。今回の主役、マンボウの旬は秋から早春にかけてなので、時季のものともいえるだろう。巨大な魚なので流通の場に丸のまま来ることはない。解体しての流通だが、ほんの数年前まで身(筋肉)と肝のセットで入荷してきていた。これが最近では腸ばかりがくる。身と肝よりも保ちがいいのもある。腸は単に炒めても焼いてもうまいが、身と肝は食べ方が限られる。
トラフグの天ぷら
コラム

揚げたて虎天たべて、虎天うどん食べて

トラフグはフグ類唯一といってもいい高級魚である。上物ともなると魚の値段とはとても思えない値がつく。それでも10月、11月はさほど高くなく、師走になるとぐんと急カーブを描いて値を上げる。今こそが虎の買い時なので、トラフグを見つけたら買って食べている。江戸時代から庶民の味方であるショウサイ(フグ)もあるけど、トラフグと並んでいると、阪神タイガースのファンでもないのに、ついつい虎磁石に吸い寄せられる。八王子総合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウはフグ調なのでみがいて(毒の除去)もらえて便利。余談だが、釣りなどで、自分が釣ったフグ類は自分で下ろしている。地方にいって赤目(東京の呼び名でヒガンフグ)やコモンフグがあると、締めてもらって買って帰って自分で磨いている。オススメはしないがドクサバフグなどのフグの同定が完全にできるなら、筋肉だけを食べている限り危険はない。ちなみに、フグ類の多くが皮に毒を持つ、真っ先に捨てるべきなのは鰭と皮である。あくまでもオススメはしないが、なのだけれど。さて、初物ではなく、しかも野締めのトラフグなので料理は融通無碍、食べたいものを作る。やや小振りのものを天ぷらにしてみた。作り方は、三枚に下ろして身をペーパータオルでくるぐるまきにし一晩寝かせて水分を取る。揚げやすい大きさに切り、並べて振り塩をする。水分が出てくるので、拭き取り、小麦粉をまぶす。衣をつけて高温で揚げる。表面はややさくっと香ばしく、まるで鶏肉のように身が締まり、しかも魚らしいうま味がある。禁酒中なのでこれで飯を食ったら、なんと二はい。醤油4・だし2・みりん1の天つゆは辛口でどぼんとつけれれないけれども、とてもうまい。どぼんとつけたかったらだし4・醤油0.5・みりん0.5くらいがいい。我が家は丼つゆ兼用なので濃い。
味わい

久しぶりのジュズカケハゼの唐揚げうまし!

八王子総合卸売センター、福泉に青森県産「ごり」が来ていた。間違いなく小川原湖で上がったジュズカケハゼである。今、この汽水域で揚がる小型のハゼは貴重な存在である。産地は青森県小川原湖と秋田県八郎湖であるが、秋田・青森両県でも漁師さんの老齢化が進んでいて、「ごり」の行く末が案じられてならない。今現在、淡水域・汽水域のハゼ科の魚は非常に水揚げ量が少なく、食用としてとっているのは秋田・青森両県、滋賀県の他には岐阜県、高知県がわずかに水揚げしているだけだと思う。さて念のために、青森県小川原湖産ならジュズカケハゼに違いないとは思うが、100パーセントそうかと言われると自信がない。ただ冬から春になると婚姻色がくっきり現れるので、間違いないようにも思える。そっくりさんには婚姻色が出ない。ここで念のために秋田・青森両県で揚がるのは汽水域に多いジュズカケハゼ、滋賀県で揚がるのは琵琶湖特産のイサザである。両種はウキゴリ属で、水底にへばりついて生活するのではなく、浮いて泳ぐ習性がある。岐阜県で漁が行われている「うろり」はヨシノボリ属のカワヨシノボリ、高知県などの「ごり」はチチブ属のヌマチチブと、カワヨシノボリである。ほかの県でもボウズハゼなど様々な漁が行われているが、非常に流通する地域が狭い。
スケトウダラ
コラム

すけそ子、今季初買い

スケトウダラは知らなくても「たら子」は知っています、は当たり前なのである。これぞ親不知子不知そのものだけど、丸のままのスケトウダラを見たことがある人は非常に少ないのが現状だろう。タラは国民的な魚といってもいいくらい重要であるが、そもそもタラにスケトウダラとマダラの2種いることすら多くの人が知らないと思う。スケトウダラは冷凍食品の「タラのフライ」の材料でもあるし、竹輪や蒲鉾など練り製品の原料でもある。「塩ダラ」とか鍋ものの「たらちり」とかに使うのがマダラである。少しは魚を知る人に限って、単にタラというとマダラを思い浮かべる人が多いので「たら子」をマダラの子と思っている人がいるのも事実である。スケトウダラの卵巣は卵粒(一つ一つの卵の大きさ)が小さくしっとりして味があるので、「塩たら子」や「明太子」などで抜群に人気が高い。対するにマダラの卵巣は卵粒が大きくて、少しパサつく上に1つの卵巣が非常に巨大なのでめったに小売店に並ぶことがない。念のために「たら子」はスケトウダラの子なのだ。タラ科の魚であるスケトウダラは普段は深海にいて、冬の産卵期になると浅場にやってくる。これをもともと日本海新潟県などでもたくさんとっていて、関東に送り出してきていた。これが徐々に北海道産がメインになる。また頭部を落とし、青森県産の真子と白子を抱いたドレスも最近あまり見かけないが、今年は来て欲しいものである。関東でもほんの20年くらい前まで、秋も深まると市場に小山をなすほどのスケソウダラ本体が見られた。当然、本来は副産物であった「たら子(すけ子)」なども消費地である東京で、普通に食べられていたはずだと思っていた。ところが関東の資料を読むと、やっと大正時代末(1920年代)くらいに「たら子」が登場してくる。比較的北国との繋がりが深い関東、特に東京でも「たら子」が身近になるのは昭和になってからかも知れない。スケトウダラ本体と「たら子」の逆転現象が起きた時代は不明である。想像でしかないが、スケトウダラのすり身加工が確立した高度成長(1955-73)期くらいからだと考えている。ちなみに高度成長期終盤に開催された大阪万博で国内の伝統的、かつ貴重な文化的財産が大大的に破壊、破却される。ばかやろう! 万博なのだ。
味わい

宮城県産脂豊かなマサバで素直に塩焼きを作る

マサバという標準和名からは、明治になり、箕作佳吉などが西洋から取り入れた近代的な動物学をがむしゃらに学び始めたときの、息吹というか、明治の動物学者未満の人達の青春時代を感じる。この時代、北は北海道から南は琉球まで動物学者はあらゆる生物の情報、呼び名を集める。そして標準和名を決めていく。ボクが通っていた学校で「名前がないものは無なのだ」と教わったことがあるが、無から有を生み出す時代だったのだ。「真鯖」は、日本橋にあった魚河岸でのゴマサバと区別するための呼び名で、当時、教授としても若手だったり、学生だった箕作佳吉、石川千代松などは無我夢中でもめをとり、個体の採取をも行ったのだと思う。この時代、サバ属に関しては彼らにはよく理解できなかったのではないか? 例えば内村鑑三も石川千代松もサバ属の魚名を明確に採取していない。明らかにマサバ・ゴマサバの学名まではたどり着くが、タイプ標本のあるオランダは遠く、壁があったのだ。このあたりがボクには無性に面白い。
コラム

今季初のてっちで大満足!

「トラフグの鍋」というと、どことなくしっくりこない。仕事をしていたときは年に一度は下町のフグ専門店でフグを食べていたが、店の隣の部屋が住居という庶民的な造りの割りにはお高くついた。養殖フグは食べないので、東京でうまいトラを食べるともなると、エイヤー! なんて気合いを入れないと暖簾をくぐれなかった。古く、日本橋魚河岸(東京市場)で「まふぐ」と言えばショウサイフグのことだった。「真」はもっとも普通の、その地でもっとも食べられているという意味でもある。たぶん松尾芭蕉の「ふくと(ふぐと)」もこの江戸時代の「まふぐ」だったわけで、敷居の低い庶民的な味でしかなかった。長年東京に高級魚トラフグは不似合いだったといえる。昔、大阪は南の平凡な居酒屋で、「二人前作りましょか?」と「てっちり」が出て来た。確か1人前1500円くらいだったと思うが、最初から値段がわかっているので、銘々1人前追加して、ついでに雑炊まで食ったのが、ボクの「てっちり」の最高峰かも知れない。ちなみに「てっちり」のよいところは他にいろいろ頼まなくても仕上げまで完備されているところで、結局安く飲めたことになる。さて、そんなトラフグ地図が大いに変わりつつある。漁場が北上傾向なのである。昔は玄海灘とか東シナ海とか山陰だったものが、今や三重県、静岡県、神奈川県を通り越して福島県でもたっぷり揚がっている。トラフグはもう西のものではなくなっている。その上、トラフグの相場は関東の方が安いようなのだ。実際このところ、千葉県銚子から安い天然トラフグがやってきている。これが12月の声をきくと味が断然よくなるのはいいとしても、値段もグンと跳ね上がる。庶民の手の届かないものとなる前にトラを食うのが庶民の知恵である。東京ではフグ調理師にみがいてもらわないと、食うことさえ出来ない。なんの意味があるんだこんな馬鹿げたこと、とは思うが仕方がない。八王子総合卸売協同組合、マル幸のクマゴロウがフグ調理師なのでやってもらうが、フグの取り扱いはより実質的に「フグの同定と毒の区別と除去」だけできればいいと思う。行政も漁業の現状を見るくせをつけなよ、といいたい。
ヒレナガハギ
コラム

ヒレナガハギで考えた、サンゴ礁の白身はやはり素揚げだ

熱帯域のバザールで危険を感じつつ地元のオバチャン、オッチャンたちの弁当を見て歩いた。ついでに同じものが売られていたので買ってみる。いくつか買ってみて、得体の知れないものもあったが、おかずの多くが魚の素揚げだった。これをキャッサバとかタロイモなどと一緒にビニールに包んで売っている。熱帯域でも観光地では醤油が売られてるためか、弁当を買うと醤油ベースのたれがついてくる。キャッサバ、タロイモはご飯と比べると味がなく、魚は水洗いがちゃんとしていないので、ところどころ苦くて、オマケに塩気がないなど欠点だらけだったが、じっくり味わいながら食べると捨てがたい味だった。また、アイゴは活け締めにすれば生で食べても矢鱈にうまいが、ニザダイ科は臭味が出るのが早い。取り分けサンゴ礁の小型種は下ろす前から臭いものもある。国内では、あまりとれない魚なので未利用魚としてはそれほど問題にならないが、手にいれたら、できるだけ食べたいので、片っ端から素揚げにしている。今回のヒレナガハギは観賞魚として人気が高い割りに、沖縄の競り場などでは十把一絡げの魚でしかない。同じくニザダイ科の小型種と一緒にトカザー(クスケー)として競られていることが多い。最近、沖縄の方からヒレナガハギは「トカザー(ニザダイ科の小型種の総称)の中でもっとも味がいい魚です」と教わり、再度食べてみたいと考えていた。ちょうどそんなときに鹿児島県鹿児島市、恵水産さんからヒレナガハギの画像が送られてきたのにはビックリした。あまりにもグッドタイミングなので、さっそく送ってもらう。
郷土料理

いんじゃこそのままが故郷徳島西部のみそ汁

慣用句、「猫に鰹節」を小学生のとき教えられて、「いんじゃこ(いりこ)」と思ったことがある。ときどき家に巣くう猫にやる御馳走は「いんじゃこ」だったからだ。徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の商店街のボクの家に「いんじゃこ(徳島県西部では最低限いりこで、煮干しと言わないはず)」は常にあったが、カツオ節は見た記憶がない。寒い時季に教室に入ったらストーブがたかれていてとても温かかった。「杉玉鉄砲(細い竹とひごで作る水鉄砲のミニ版で杉の実を飛ばす。寒い時季のもの)」などの話をしていたら、同級生の息に「いんじゃこ」の匂いがした。ボクは典型的な学習障害児童だったので、好きなことしか興味がなく、勉強などはまったくしなかったが、やたらに食べ物のことが好きで興味があった。覚えていることも食べ物のことが多い。要するにボクの町の貞光小学校に通っていた家では、ほぼ「いんじゃこ」だったと思っている。今でもやたらに日常的に「いんじゃこ」を使っているので、ボクの体のかなりの部分が「いんじゃこ」で出来上がっていそうだ。去年暮れ、愛知県豊橋市で節類を大量買いしている。愛知県は「めじか節(マルソウダ)」の種類(節自体の大きさと削り節なので厚み)が多く、混合節にも「めじか節」比率が高い気がする。基本的に削り節は100g単位に分けて冷凍保存する。保存法としてはベストではないがあまり劣化しないと考えている。愛知県で買った「めじか節」と混合節をそろそろ使い切らないと、と思っていたら、今度は大阪市木津の市場で買ってきてもらった、和歌山県産(?)だという「いりこ」が底をついていた。「いりこ」がないと生きていけないので、八王子総合卸売センター、総市商事部で探したら、いちばん在り来たりな愛媛県伊予市の『ヤマキ』のものがあった。産地不明ながら、ボク好みの普通の煮干しで実際に使ってみたら、上々以上にいい感じだった。ちなみに「いりこ(煮干し)」は新鮮なものを、新鮮な内に鮮度管理も完璧な状態で作られたものの方がいい、という人が多いが例外も少なくない。かなり問題がある外見なのに素晴らしいものもあるし、見た目がいいのにダメなものもある。要するに買ってみないとわからない。例えば、千葉県産を悪く言う人に会ったことがあるが、なんて愚かなと思ったものだ。大きくて黒いけれど、だしの取り方によっては非常にうまいではないか。また、「いりこ(煮干し)」は大産地で大量生産するものももちろんいいが、むしろ狭い地域地域で地元で揚がったもの、自分の住まう地域の近くで作られているものを使うべきだと思っている。その地元産が切れたときに大産地で補えばいい。またこの地元の製造業者が消滅しているケースも多いだろう。今、国内の水産業において最大の問題は、地域地域で定置網などで揚がった魚を無駄なく使うシステムが崩壊しつつあることだ。干もの・乾物類だけではなく練り製品、缶詰など様々な水産加工業が漁港周辺になければならない。
トラフグ
コラム

トラフグのみそ汁が今季フグ始め

17世紀、江戸の町で松尾芭蕉が食べた「河豚汁(ふくとしる)」はみそ仕立てか塩仕立てなのか? 種はなんだろう? とかいろいろあるが、そんなこととは関係なく、ボクはやたらにフグのみそ汁が好きだ。潮仕立て(塩味)の汁よりもみそがいいと思っている。ただし年齢ごとに替わっているので、どっちでもいいのかも知れない。今、愛知県の赤だし(みそ)にどっぷりはまっているので、今季初トラはトラフグの赤だしみそ汁にする。今季初トラフグは、八王子総合卸売協同組合、マル幸で見つけた銚子産である。のじ(野締めのことで、漁の間に死んだ個体)なのでお買い得である。最近、魚全体の値が上がってきているので安く感じるほどだ。
タコソース
料理法・レシピ

生まれて初めて作るタコスはシバエビで

さすがに初めて食べるわけではない。1980年前後、都内にやたらに世界各国の料理店が出来たとき、メキシコ料理店でいきなり出て来たのがタコスだった。考えてみるとタコスは記憶に残っているが、メキシコ料理とはなんぞやと聞かれると出てこない。その頃、アボカドを都内スーパーで比較的よく見かけるようになり、なんとなくメキシコ・アボカド(トではなくド)をセットで記憶している。あまり食べ歩きをしないボクには遠い存在の食べ物で、食べたことはあるが、もちろん作ったことはない。ボクは人が作っているのをみると、真似したくなるたちだ。遠い先島諸島で夕べに一人淋しそうにタコスを作っているのを見て、タコスか! と思ったら、タコスに関しては何も知らないことに気づいて、無性に作りたくなる。タコスはトルティーヤという、印度料理のチャパティーのようなもので、餃子の皮の二倍くらいの半径のものでもある円形の物体で、さまざまなものを包んで作る。あとはタコスのソースだ。要するにトルティーヤとソースがあれば作れる。いろいろ調べて駅前までタコスセットを買いに出掛ける。まず最初のつまずきは、トルティーヤはトウモロコシのものと、小麦粉のものがあることだった。迷いに迷ってトウモロコシのものにして、迷っている間に目についたそのとなりのモンブラン大福まで買ってしまった。責任者出てこーい。もっとわからなかったのは、ソースだ。店員さんに不得要領に聞いたら、「鮹ソースですね」と言われて、「タコソース」って言うんだと知ったものの、何種類もある。いちばん普通の、を買う。
キアマダイ
コラム

月〜日曜の週間トップ ウマスギ GO! GO! キアマダイのポワレ

鹿児島県鹿児島市、タカスイからキアマダイ1.1kgがやってきた。アマダイ科で1㎏上はおしなべておいしい。過去に外れなしである。余談になるが築地場内が無法地帯のとき、アマダイ科の荷の前で、「白赤黄でなんとかかんとか……」といいながら、「黄はまずい」と家族に大声で話している大バカオヤジがいた。仲卸の店員が嫌な顔をしていたのは真ん中に黄があったためだ。こんなバカに限って㎏上の赤の値段を聞いてくるものの、買いもしない。1㎏1万円と聞き、素人丸出しに驚いたのかも知れない。ちなみに大型の赤と同じく大型の黄は、確かに少し安いものの、そのとき㎏あたり8千円だった。しかもアマダイ類の山の中に黄は1尾だけ。黄が混ざっているだけでも珍しいことから、意外に黄を食べたことのある人はほとんどいないはずなのだ。ちなみに黄を買ったのはボクで、土曜日だったので、思い切り値引きをしていただく。このような典型的バカは分かりやすくて罪がないので、仲卸も追い立てたりはしない。けど世の中、自分が食べてもいないのに、評価を下すバカが多くて困る。どんな食い物も食ってから評価せよ。
コラム

上品な白身なので、メガネハギは魚すきがいい

モンガラカワハギ科であまり大きくならない種類を沖縄では総称してフクルビなどという。今回の主役、メガネハギは本来は熱帯・亜熱帯の魚で、沖縄県を代表的するフクルビである。フクルビはどの種も同じようなところにいるのだろう。沖縄の漁港の競り場に、ツマジロモンガラなどなどとともに小山をなして並んでいる。昔から食用としている地域は沖縄県、鹿児島県の奄美、小笠原くらいだ。本種は東京都島嶼部で見る限り、本来の生息域、小笠原から伊豆諸島に北上してきている。これに困っている人達がいる。釣り師たちである。狙いはシマアジとかウメイロ、アオダイなのに真っ先に落とし込んだ餌にたかるのは、このメガネハギや同じくモンガラカワハギ科のナメモンガラなのだ。釣り師にとってもやっかいだが、普段モンガラカワハギ類など見たことのない料理人は、この硬い皮でぬめぬめしている魚に、もっと困っている。我がサイトでは、このモンガラカワハギ類(亜目)を「皮剥ぎ魚」としてまとめている。鱗を引くのではなく皮を剥くからだ。たとえば同じモンガラカワハギ類(亜目)カワハギ科のカワハギ、ウマズラハギも「皮剥ぎ魚」である。ただ、カワハギ科の魚の皮は剥きやすいが、モンガラカワハギ科の皮を剥くのはたいへんである。力がいる。4、5尾も剥くと頭部に血が上って顔が赤くなってくるほどである。昔、沖縄本島、泡瀬で巨大なゴマモンガラを一気にべりっと剥いている筋肉隆々の若い衆に出会っているが、要するに力がないと大型のモンガラカワハギ類はおろかフクルビすら剥けない。剥いたらそこにあるのはくせのない赤みがかった白身だ。ただ、見た目は悪くないが、身(筋肉)に味がない。おいしく食べるためには工夫がいる。
シバエビはヒゲを持つ
コラム

まだまだ走りだけれど、シバエビで秋の炊き込みご飯

落語、芝浜にもある「芝」とななんだろう? 例えば現港区芝だとする。1590年に徳川家康が江戸入りして、江戸の町をつくるために江戸城近くまで入り込んでいた日比谷入江を埋め立てる。芝という地は入江の東にある江戸前島(島が現在の島と同じ意味になったのは後のことで、半島というか水域に孤立する地という意味合いもあった)の南端あたりで、芝の浜は埋め立て後も小さな漁港であり、多彩な江戸前の魚貝類の水揚げ地でもあった。それでは芝浜についた「芝」とはなにか? 我が家の漢和辞典すべてをみてもよくわからないし、語源辞典でも地名辞典でもよくわからない。まったくの個人的意見ではあるが「小」と同じ意味ではないかと考えている。下関などで「しばだい」はマダイ・キダイなどでも小型のことだし、老人が山に刈りに行く「柴」は漢字は違えど、「芝」同様「小」枝のこと。芝生も丈の短い「小」草のことだ。 『本草綱目啓蒙』(江戸時代後期)をみてもシバエビは東都芝に多産するから「芝えび」だが、芝浜自体が日本橋魚河岸などと比べるとローカルな小さな浜で、小さな浜で揚がる小さなエビという意味と考える方がいい。となると現在のクルマエビ科のシバエビだけではなく、テナガエビ科なども含む河口域で大量に揚がった小さなエビの総称とすべきかも。いきなり横道にそれたが、語源はともかくシバエビの入荷が本格化している。八王子総合卸売協同組合、マル幸にも佐賀県産がやってきていた。長いヒゲに指をからめて今季初シバエビ買いをする。
北海道産イワシ
コラム

やたら新しい北海道産マイワシで「鰯丼」

北海道産マイワシがどの仲卸にも置かれていて、どれもずばぬけた鮮度で、鱗がびっしりついている。八王子総合卸売協同組合、マル幸で厚岸産であることを確認して水氷に手を入れると、中羽ぎりぎりで小振りである。2、3尾手に取ると、かちかちに硬くてぬめぬめした感触だった。まさに、これを買わないでどうする、といったものだった。ちなみにこの秋に取れる小振りのマイワシが好きだ。このサイズを和歌山県では「白いわし」という。別に和歌山県だけではなく、愛知県でも千葉県でも同じサイズが揚がるが、このサイズで、脂の乗った個体はすこぶるうまい。ちなみに鰯(マイワシ)は秋の季語である。季語ではあってもあくまでも江戸時代の関東での話であって、俳句という非常に閉鎖的な文学の中での話でしかない。実際、マイワシは季語にならない。こんなところが秉五郎さんびいきになるゆえんである。
塩蔵タラ
コラム

料理名は煮だら、ゆでだら、などなど

ゆでただけのマダラ(鱈)を初めて食べたのは日本橋大伝馬町でアルバイトをしていたとき、神田駅近くの居酒屋で、だ。「ゆでだら」と言っていた気がするが、はっきりしない。同様の料理の名を知っている人がいたら教えて頂きたい。初食いといったが、記憶があまりにもあいまいなので、なんども違うことを書いている気がして不安になる。当時、よく神田駅周辺で酒を飲んでいたが高架下の店と、アルバイト先の社員さんのオネエサンのやっていた店で何度か食べている。その前にも食べた記憶がある。最近、めったにこれを出す居酒屋はないそうだけど、当時は当たり前過ぎる居酒屋メニューだったのかも。ちなみに京都市内の居酒屋でも食べているが、マダラの切り身以外にも水菜、干し湯葉(?)などが添えられていて、少しオシャレ過ぎるものだった。関西以西では京都でしか食べていないが、この点でも調べる余地がある。マダラは日本海と茨城県以北に生息している大型の魚だ。考古学的には古代から食べられていたが、歴史的に見る限り室町時代以降に文字として登場してくる。産卵期は浅場に上がってくるが、それでも100m以深にいる。この深さの魚は中世になり、漁法の向上からとることが出来たのかも知れない。ちなみに「たら」という言語は明治時代の初めに日本橋魚河岸で使われていたもので、「真(ま)」は魚河岸の人間と魚河岸を利用していた人達が、スケトウダラなどと区別するためにつけたのだろう。国内のタラ科はスケトウダラとマダラの2種だが、東京の鮮魚はマダラが主流である。スケトウダラの生はほんの20年くらい前までは盛んに東京にも来ていた。それが近年急激に減少している。そして東京で鮮魚と同じくらい流通量があるのが「塩蔵タラ(ぶわたら)」である。ちなみにマダラの流通の歴史は室町時代にまでたどれとしたが、基本的に乾物(棒だら)であった。それが塩蔵タラでも流通するようになり、氷が作れるようになると鮮魚でも流通することになったのだと考えている。今回の「ゆでだら」は「塩蔵タラ(ぶわたら)」で作った。三枚に下ろして塩漬けにしたもの。古くは国内で水揚げされたもので作られていたが、近年ではほぼ総てがアメリカやロシアからの輸入されたものを原材料としている。当然、今回の「塩蔵タラ」も原材料はアメリカアラスカ産である。余談になるが、「塩蔵タラ」は魚の初心者にはもってこいの食材である。最近では塩分が低いのでこのままフライにしてもいいし、ソテーして朝ご飯に食べてもいい。魚を食べない人の多くが最初の一歩が踏み出せないはず。そんなときには、とりあえず「塩蔵タラ」をチョイスしてみて欲しい。
島根県大田市和江の夕市
郷土料理

福島のニクモチガレイで島根県石見地方の「へか焼き」

島根県で作られている鍋ものに「へか焼き」がある。「いり焼き」、「煮食い」とも言う。魚を主役とした醤油味の鍋で、大阪の「魚すき」にあたる。兵庫県日本海側但馬地方の「じゃう」、三重県尾鷲市の「じふ」なども基本は同じで、このしょうゆ味の鍋は、日本各地で作られているのだろうと思われる。2008年、島根県大田市和江では、底曳き網でとれたばかりの魚を夕方に競りにかけていた。これを夕市(現在は廃止)という。底曳き網には様々な魚がはいるが、売っても高値がつかない魚や、カレイ類の若い個体(小型)で作るのが、「へか焼き」である。カナガシラ、キダイ、ソウハチガレイ、ヤナギムシガレイなど、使われる魚の種類は日々変わり、多彩であった。これを福島県相馬市原釜産のミギガレイで作ってみた。大田市和江の元組合長であった月森元市さんに教わったやり方は、鍋に水と醤油を煮立たせて、そこにとれたばかり、水洗いしたばかりの魚を入れて、煮えたそばから食べると言ったもの。必ず入れるのはこんにゃくで、野菜はあるものを使い、豆腐も好みで入れるという鍋である。
ミハラハナダイ
郷土料理

秋のミハラハナダイはとてもおいしい!

鹿児島県鹿児島魚市場、恵水産さんからミハラハナダイがきた。最近、珍しくもない魚をみて極端なリアクションをする人とか、極端な言語を並べる人がいるが、ほとんどはややマイナー程度で、その魚たるや珍しくもなんともないといったものであることが多い。それからすると本種は正真正銘の珍魚と言ってもいいだろう。探してもなかなか手に入らないのだ。阿部宗明は築地市場に大量入荷したことがあると述べているので、広い海の中のどこかに群れを作っているのかもしれないが、現豊洲市場に移ってからもボク個人は1個体しか見ていない。記載者である片山正夫はタイプ標本を伊豆大島近海で手に入れているが、相模湾でも、伊豆諸島でもめったに揚がる魚ではない。余談だが、魚類学者は素晴らしい業績を残しながら、目立たない人が多い。まあ隣の県の蝶マニアの御仁もそうだし、この片山正夫などもそうだ。画期的なことをやり遂げた、益田一など生い立ちからして魚類学界の井原高忠といってもいいのに魚類学の世界以外では、知名度はイマイチだと思う。もちろん京都大学のあの方など偉大すぎて困る。伊豆大島なので三原山でミハラハナダイというのは標準和名としても、かなりイケテルと思っている。さて、ミハラハナダイ科のミハラハナダイはかなりハナダイ科に近い姿をしていて、身質もハナダイ科の魚に似ている。旬と外れの差が大きいのだ。我が家には静岡県沼津魚市場で最初に手に入れたもの(写真的に問題がある)から7個体が来ているが、早春の個体など脂が抜けてまったく味がなかったのだ。
コラム

小ヤリもそろそろ終わりかなと思いながら、昭和も遠くなりにけり

ボクは若い女性にはモテないけど、老人というか、80歳以上のバアチャンにはモテる。昨日朝、お見舞いやろうか、と90歳プラスのバアチャンからケータイがはいった。その夫のそろそろ90歳の友人に「今車の運転はできないのよ」、と言うとひ孫が、欲しかった小説と専門書と貼り薬と、ナッツと野菜と意味不明の小ヤリを持って来てくれた。小ヤリはいらないとも言えないので、ありがたくいただく。小ヤリはバアチャンが近所の高級スーパーで買った半分だそうである。第二次世界大戦の経験者は過剰にお節介焼きだけど、そこがとても魅力的だと思う。本日、バアチャンよりも年下の黒柳徹子のインタビューを見ていたが、昭和一桁世代は苦労人というか、物事の本質を知っている気がする。頭がクラクラするので、小ヤリでアヒージョを作る。ざざっと洗って、水分をきるだけで小ヤリの下ごしらえは終了。大量のにんにくに、自分で作った塩ドライトマトをほんの少々刻み、たっぷりのオリーブオイルを入れた中に小ヤリを放り込んで塩コショウ。後は火にかけるだけ。乾ききったかちかちバゲットを水に浸してもどし、焼き直して、これで遅い昼ご飯にする。酒は飲めないので、アイスティーとアヒージョと、もどしバゲットで、遅い朝ご飯にしたが、やたらにウマシ。90歳と何年か知らないけど、ボクの母親と同じ世代である。まだまだ長生きして欲しいものだ。
コラム

庶民的な庶民のためのニクモチガレイ

世にお魚マイスターとか野菜ソムリエなどという言葉があるが、だたのカルチャーセンターのようなものかも知れないが、この言語を正しく使わないところが非常に嫌いである。マイスターは靴とか楽器とかもの作りにだけ使うものだし、ソムリエはワインとかその周辺の種類にだけ使うべきである。別にカルチャーセンターに通うのはいいにしても、小説のカルチャーセンターに行っても小説家にはなれない。要するにヒントのようなものが与えられるだけで、こんなもので本当のマイスターとかソムリエとかになれるわけがない。最低限自称してはいけない。ちなみに知識とか利用法の探求とかで、国内には水産物の分野で「物作りのマイスター」に例えるような深い知識を持っている人間はひとりもいない。それぞれの分野のプロはいる。ただ、魚屋は魚屋のプロだけど、水産物の知識はさほどなくても、商売上手ならなれる。漁師は漁のプロではあるが魚をおしなべて知っているわけではない。ただ、魚屋のプロは今現在確実にいるし、漁師のプロもいる。大問題は利用する側(消費者)のプロがいないのだ。さて、どうしてこんな話をするかというと、過去にこの手のカルチャー的な仕事に関わったことがあるからだ。その人達は目が見えていないのに絵を平気で語るかのごとき人間たちだった。例えばこの手のカルチャーなことをやらかす会社などは、水産の基本は知らず、奇をてらったものばかりを追う。水産の世界は「もっとも平凡な、もっとも日常的な水産物を知ることから始めなければいけない」のにそれをしない。今、もっとも知って置かなければならない水産物、例えば魚ならば、古くから食べられていたサメ類とか、カレイ類とか、イワシ類とかとかだし、今現在もっとも安くて庶民的な水産物だ。平凡を知らずして奇を追うことなかれ。
クロマグロの中落ち
コラム

市場でマグロ解体中なら中落ちないか? と聞いてみるべし

市場のマグロ屋のいいところは日常的にマグロを解体していることだろう。あくまでもボク個人だけの話だが「マグロの解体ショー」など、●●気をもようすほど嫌いである。まあもともとボクはやさぐれ、イベント・祭嫌い、なのでボクだけの話ではある。秋田県のとある町で街歩きをしたいので古い町並みのあるところを教えてと言ったら、その町の花火大会の話をし始めた観光課の女子がいて、心の中でこのバカ女子を射殺したくなったくらいハレ話は大嫌い。背中を嫌悪感が這い上がって死にそうになったこともある。そんなボクなので解体ショーをやっている人は気にしないで欲しい。マグロは日常の中で何気なく買うからいいのだ。その点、市場はいい。マグロ屋を冷やかして、いいのがあったら気軽に買って、自宅で普通に食えばいい。食はイベントとはちゃう。八王子総合卸売協同組合、マル幸で青森県産の本マグロ(クロマグロ)を下ろしていた。ちょうど中骨を片身からちょんちょんと包丁を当てて半身から外していた。「ちょっとだけおくれ。あのさ、あのさ、退院したばっかりだから退院祝いに安くしてよ」というと本当に安くしてくれた。ありがとうクマゴロウ!
ホンビノスガイ
料理法・レシピ

すき焼きこそが、ホンビノスのいちばん簡単な食べ方かも

流通の世界も、水産業に携わる人達も、軟体類の同定はまったく出来やしない、ということを照明するために、大嫌いなネットでの買い物をする。あらためてふるさと納税の闇というか、ふるさと納税は犯罪そのものであることがわかったりして、勉強にはなった。それなりに買い込んだ、ホンビノスガイの処分に困ったが、実は本種はやたらに歩留まりが悪い。アサリやバカガイと比べると重さに対して食べられる部分が極端に少ないのだ。余計なお世話かも知れないが、この点からすると現在の価格は高すぎると思っている。しかもそんなにうま味が豊かな貝ではない。実際、ボウル一杯のホンビノスを前に食欲が湧かないのだ。ちなみに今回、ホンビノスを買い求めたのは北海道などのビノスガイやエゾワスレなどと言語的に混乱が起きていそうだからだ。ホンビノスは在来種と比べて魅力はないとは思うが、例えば在来種のビノスガイと比べると数段上なのである。ネット社会の価値観の構築はまだまだ先のようだ。改めて、一般流通の世界の大切さを痛感する。
ニセタカサゴ
コラム

相模湾の若いニセタカサゴを干ものに!

静岡県熱海市、宇田勝さんに網代漁港の魚をいろいろ送って頂いた。ニセタカサゴの若魚が混ざっていた。相模湾では北部でも普通に揚がるもので、まとまらないので未利用魚である。相模湾には古くから本種がとれていて、「たかさご」という呼び名も本来は本種に対するものなのである。この正真正銘、「たかさご」と呼ばれていた魚に「偽(にせ)」がつくようになったわけがだんだん判明してきたが、わからないことも多い。さて、この若い個体は非常に身が締まっていて、うまそうなのである。今回は撮影が立て込んでいたのもあり、刺身にしなかったことが残念ですらある。
マテガイ
コラム

あったら買うしかない、マテガイ

八王子総合卸売センター、福泉に熊本県産マテガイがあった。産地もとる漁師もいなくなって、とても入荷が不安定なので、見つけるとつい手が出てしまう。国内で流通するマテガイ類はマテガイ、オオマテガイ、アカマテガイの3種で、そのどれもが入荷量はごく少なく、手に入れるのが難しくなってきている。最近では国内産マテガイがとれなくなりマテガイモドキ属のジャックナイフガイや、パキスタン産の和名のないマテガイまでやって来ている。新橋の居酒屋でマテガイとは似ても似つかないパキスタン産のマテガイが、堂々、マテガイとだけ書かれて品書きに載っていた。写真通りのパキスタンものがやってくるのかどうか、好奇心から思わずたのんでしまったこともある。マテガイは干潟の泥と非常に細かな砂が混じり合ったようなところに生息している。東京湾に自然の海岸線はほとんど残っていないが、残っている海辺には今でもたくさん生きている。千葉県木更津市の干潟で引き潮の時間が終わって塩が満ちてくるとき、あっちにもこっちにもじょじょに貝殻が出てくるのを無心になって引っ張りとったのが懐かしい。ちなみに引き潮のときに塩を振ってとるのも楽しいけど、満ちてきたときに「満ちてきたぞ、満ちてきたぞ、わーいわい」といいながら出てくるマテガイをとる方が好きだ。
ミナミハタンポ
コラム

相模湾のミナミハタンポでやるオリオンビール

静岡県熱海市、宇田勝さんに網代の魚をいろいろ送って頂いた。中にハタンポが入っていて、検索してミナミハタンポにいきついた。ハタンポは魚類検索ではわからないこと、わからない種が多く至難である。無意識にハタンポを避けていたところにいいきっかけを頂いた。まずはお礼を。相模湾にいるハタンポでいちばん多いのはミナミハタンポだと思っている。次いで元標準和名がハタンポであったツマグロハタンポ。ミエハタンポらしい画像もあるが、自信がないので後々確認していきたい。これが駿河湾以南だと何が何だかわからなくなる。問題は小枝圭太さんの研究によるダイトウハタンポ、ユメハタンポ、ボニンハタンポ、キビレハタンポなど新登場のハタンポたちである。ただでさえ混沌としているのに、もっと遙かに複雑になりそうで恐い。ボクはこれをハタンポ応仁の乱と呼ぶことにする。閑話休題。さて、ハタンポはとても味がいい。四国や九州、沖縄県では歴とした食用魚で、漁師さんなどで絶賛する人が多い。相模湾周辺では、ほぼ未利用魚であるため、一生懸命拾っているのはボクくらいかも知れない。そして拾うたびに同定で苦しむ。来週辺り網代にうかがいたいと思っているので、目的はハタンポとしてもいいくらいだ。さて、ミナミハタンポは水揚げされるとみな同級生ばかりだと思っている。大小がないのである。
コラム

越前町産甘エビ、思った以上に鮮度よし

最近、古いノートをワープロで打ち込んだテキストをときどき見ている。もともと大して打ち込んでいないし、少ししか変換していないが、初甘エビ(ホッコクアカエビ)は高校二年生のとき銀座で、だ。なぜこのとき東京にいたのかは、あまりにも恥ずかしいので言えない。女性誌に「とても珍しいエビが食べられると載っていたので、その店を選んだ」と家族に言われている。甘エビは1970年代、東京で一般的には非常に珍しいエビで、1980年代になってやっと知られ始めた、新しいエビだったと考えている。それまでクルマエビを筆頭に、大正えび(タイショウエビ)、シバエビ、サクラエビ、イセエビ(以下は省略)などが国内を代表するエビで、これらはみな浅場でとれるエビたちである。ここに新たに登場した甘エビは水深300m以上の深海に生息している。当然、動力船以前(帆や櫂でこいで船を走らせていたとき)、また化学繊維以前にとるのは大変だった。タラバガニやズワイガニがたまたまとれて知られていた時代に同じ程度に知られていたエビだ。ちなみに甘エビの科・属名であるタラバエビのタラバは、マダラがいるくらいに深い場所(鱈場)にいるエビという意味がある。これが動力船になり、化学繊維の網やカゴができると漁業対象になる。日本海で「トンエビ」というのは、とれると何トンもとれるためである。さすがに今では漁獲量は激減しているものの、それなりの金額を出せば国内でとれたものが手に入る。ちなみに甘エビは2種類のエビの総称である。アイスランドやカナダ、グリーンランドなど大西洋北部からくるホンホッコクアカエビ(国内産と同種だと思われていた)も甘エビとして海鮮丼などに盛んに使われ、またスーパーにも並んでいる。この海鮮丼などに使われている甘エビは冷凍ものである。冷凍と完全なる生との味の違いは少なくない。甘エビ(ホッコクアカエビ)は島根県以北の日本海、北海道以北の深海にいる。国産以上にロシアなどからの冷凍輸入ものもあり、流通の全体量は非常に多い。海鮮丼に甘エビが入っていて、「贅沢だ」などと思っていると、実は大西洋産やロシア産の冷凍品だったりする。冷凍エビはとても儲かる商材なのだ。
小カツオ
コラム

カツオの生節を作るのなんて超簡単!

八王子総合卸売協同組合、マル幸で10月2日に買った神奈川県佐島産小ガツオ(全長43.5cm・1.341kg)は半身を「生節」にした。「煮節」、「ゆで節」、「いで節」、「生利節」ともいう。スーパーなどにも普通に置かれているが、関東では食品棚の隅っこが定番位置、といったもので、まだ一度も食べたことがない人も多いのではないか。そのまま食べてもいいし、甘辛く煮てもおいしい。鮮魚と比べると下ごしらえ不要なので、忙しいときなどにもっと活用して欲しいものである。「生節」とはなにか? カツオはとても「足の速い魚」である。今現在、カツオは一般流通(加工品流通ではなく)では鮮魚か冷凍が普通だ。これは冷蔵技術・輸送技術が向上したためで、鮮魚が多く出回るようになったのは、1950年代になってからだと考えている。それじゃ、江戸時代後期、江戸っ子が小判3両出してでも買っていたカツオはどうなんだ、となる。初カツオが生か、生に近い形で食べられたのは、大消費地である江戸の町と産地である相州(神奈川県相模湾周辺)、上総(房総半島)が近かったのもあるし、また江戸が国内でも随一のお金持ちの町でもあったためだ。江戸時代は歴史的に見ても寒冷な時代だったとされている。それでも旧暦の4月・5月(新暦の5月下旬から7月初旬)に相州・上総で揚がった初ガツオを、生で食べられる状態で江戸の町まで運ぶのはとても大変だった。それを可能にしたのは人力(人足)である。船にしても、陸路にしても漕ぎ手を増やし、大人数で野山を駆けて運んだに違いない。カツオの代金には、このたくさんの人力のための代金(運送料)が入っていたのだ。たぶんだけどこれだけお金をかけても当たる人はいたはずだ。
コラム

クロサバフグの剥きフグは便利でウマシ!

ネット上でもテレビでもそうだけど毒魚という言語がたびたび使われている。昔、テレビで内臓に毒を持っている魚だと聞いて、触るのも危険みたいなリアクションをする芸人がいて、それをそのまま放映していた。これなど愚かなDが愚かなリアクション芸人に、非科学的なリアクションさせているだけではあるが、笑っていられない不気味さを感じる。アニサキスにかかって大げさなことを言って、マスコミでの露出を喜ぶげすタレントに似ていて、まことに薄汚い。例えばフグ毒、純粋なテトロドトキシンの毒性は高いが、フグが純粋なテトロドトキシンを持っているわけではないのだ。フグ毒にはMU(マウスユニット)という、人にどれくらいの毒性を与えるのかの、数値が存在する。だから筋肉に毒を持つショウサイフグだって食用可なのである。ちりめんにほんの数グラムのフグの稚魚が混入しただけで、食糧不足の現代にあっても回収っさせるなんてことを非常に愚かな行為を保健所がやっているが、これなど常軌を逸している。フグが混入していたら、できれば食べない方がいいと言えばいいのであって、食べても死ぬ可能性なんてない。個人的には極端に生物を危険視しするのはいけないと思っている。せっかく平和に暮らしている、セアカゴケグモを見つけ出して全部殺してしまうなんてやたら恥ずべき行為だと思う。だいたい温暖化をまねいた人間のつけを、温暖化でやってきた生物に払わせていいのか?いまだに八王子の市場のフグに子供が触りそうになると、「毒があるから触ってはダメ(基本的に買わないのに触ってはダメなんだけど)」と言う親がいる。なんて非科学的なことを言うんだバカヤロウといいたい。毒よりも恐い戦争は、プーチンもそうだけど、根拠のないこと、非科学的なところから始まるんだよオバカサンといいたい。くどいほど言わせてもらうなら、フグは毒がある以前においしい魚なのだと教えるべきだ。ヒトという生き物は自然破壊し、自然に毒を平気でばら撒いているくせに、危険性が非常に低いものに限って、極端な報道をしたり、行政が条例を作ったりする。ハレンチではないのかねヒトって。今、市場などを通じて流通しているフグは場合によっては調理師が毒を除去してくれるし、予め除去したものはちゃんと許可証が添付されている。漁業資源が激減している今、合法的に流通しているフグは、もっと積極的に食べるべきなのである。
ホンビノスガイ
コラム

焼きすぎてもおいしいホンビノス

ホンビノスガイは北アメリカ東岸原産の二枚貝で、2001年に流通の場で千葉県船橋産を初めて見た。当時の貝類図鑑にはなく、北海道などにいるビノスガイに似ていると思いながらも買っている。たぶんだが、本種が流通に乗ったのは2000年前後だと思う。ホンビノスガイにたどりついたのは、翌年のことで、2003年には京浜運河まで採取に行って、運河に堆積した砂地にごろごろといるのにビックリしている。千葉県立中央博物館の貝類学者、黒住耐二さんは1990年代に東京湾奥で稚貝を採取しており、すぐに成貝も手に入れたと言っているので、アメリカ東岸からの移入時期は1990年代半ばかも知れない。どのように移入してきたのかは不明だが、世界中を見渡すと、何種類かの二枚貝がコスモポリタンになっていて、その多くは船のバラスト水に混ざって生息域を広げたのだとされている。本種も同じだろう。この新顔の二枚貝が、千葉県船橋市で水揚げされるようになり、日本各地に送られるようになると思っていたのは、船橋市の貝類業者ぐらいだろう。そのときすでに、「白はまぐり」という商品名が出来上がっていたはずなのである。ちなみに船橋市周辺は江戸前の二枚貝の宝庫だった。トリガイ、バカガイ、ハマグリ、アサリなどだ。船橋市はこれら多産する二枚貝の加工のメッカでもあったのだ。それが今や市内でとれるのはホンビノスのみとなっている。東京湾は自然の海岸線を破壊しすぎているのだが、そんな海でも生きていけるのがホンビノスだともいえそうである。
料理法・レシピ

小ガツオの揚げたたたきを久しぶりに造る

神奈川県小田原などの船宿で、釣り客が一人っきりのときやれた釣り方にカッタクリがある。イナダ、しよっこ(汐っこ・カンパチの若魚)などを狙うのだけど、希に「かきのたね(カツオの幼魚)」や、1キロ前後のカツオやキハダマグロの子が釣れた。明治生まれの船頭に、「こんだらもん、イナダの方がうまいだ」なんて言われながらも釣り上げて喜んでいたときは、また釣り味を尊んでいたんだと思う。ボクの場合、釣り初心者のときは釣り味を楽しみ、その内、魚の味の方が楽しみとなる。この「かきのたね」や小ガツオで当時作り始めたのが「揚げたたき」である。非常に単純な料理なので、だれでも考えつくはず。到底、ボクのオリジナルなどとハレンチなことは言えないけど、なぜ、こんな料理を作ろうと思ったのか?最近、読み直している8インチフロッピーの過去のテキストを見ていて、学生時代の失敗からかも知れないと思い至る。同級生が集まってワイワイガヤガヤ料理を作っていたとき、刺身にするはずのカツオの4分の1を、そのまま天ぷらの鍋に投げ込んだ男がいたのだ。たぶん酔っ払っていたに違いないけど、まだ食い盛りの学生なので、その素揚げのカツオに醤油をつけて一気食いしているのである。失敗作だけど、とてもおいしかったのだ。仕事を始め、船釣りを初めて、この記憶がどこかしら頭に残っていたことからの、「揚げたたき」だと考え始めている。以来、40年近く脂のない小ガツオがあると必ず「揚げたたき」を造っている。さて、八王子総合卸売協同組合、マル幸にあったのは神奈川県佐島産の小ガツオ(全長43.5cm・1.341kg)だ。
コラム

10月のサンマはいいサンマだけど……

八王子総合卸売協同組合、マル幸にあったのは北海道産13入りのサンマだった。少し前までは樽入りや4kg入り、5kg入りなどもあったが、今は2kg入りなので、13入りで1尾155g前後である。それでも去年よりも遙かにいい。昨年は同時期に110gとか120gが出回っていたことを考えると、明るい兆しかも知れない。ただ、この13入りは高い。12入りなど、とても手が出ない値となっている。ちなみにこの12入りサイズは昔、秋も深まったとき、樽入で大量入荷していた、そんなサイズである。それを考えると隔世の感がある。やはりサンマの不漁は続くのだろうな。
桃屋きざみにんにく
料理法・レシピ

桃屋の「きざみにんにく」でアサリ、ハマグリ

教わったらすぐ試してみるタイプなので、FBで藤林久仁子さんに教わった、桃屋の「きざみにんにく」をさっそく買って来た。桃屋はやたら懐かしい三木のり平の江戸紫が思い浮かぶが、今ではいろんな種類のいろんなものが出ていて、思わず当初考えなかったものまで買って来た。考えてみると、キアンコウで使った「キムチの素」も桃屋だった。さて、味見してみると、このまま食べてもかなりうまい。年をとって辛いものがからきしダメになったボクにもピリ辛少々で優しい味だし、塩味もほどよく、にんにくの香りは十二分に強いというところもいい。さすが、三木のり平の桃屋である。
クサヤモロ
コラム

利島沖クサヤモロを1尾丸ごと天ぷらにする

八王子総合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウが利島沖で釣り上げた、クサヤモロは非常に大型で体長38cm・0.67kgもあった。持って帰ってきたと言うことは、たぶんデカすぎて餌にならなかったのではないかと思われる。相模湾、伊豆諸島周辺にはムロアジ(赤むろ)とクサヤモロ(青むろ)ともに生息している。2種では後者が少しだけ水温の高い水域にいて、ある意味、棲み分けているのではないだろうか? 伊豆諸島周辺で釣り師が釣ってくるのはクサヤモロばかりだ。たぶんだが、本種の漁獲量がいちばん多いのも全国的にみても伊豆諸島周辺だと思っている。伊豆諸島の特産品「くさや」の代表的な原料だからこの呼び名がある。「くさや」のほとんど総てが関東で食べられている。昔、島根県の漁師さんと築地場内を歩いていたとき、段ボールに入った「くさや」を嗅いだときの漁師さんの表情が忘れられない。鼻をつまんで「これ食べる人がおるんかい(出雲弁で)」と言われたのだ。ビニールで密閉されていたのに匂いを感じたのは、「くさや」初体験だったためだろう。西日本ではまだいちども「くさや」を見ていない。ついでに2000年前後、福岡市柳橋連合市場の乾物店で聞取したら過去に何回か仕入れたことがあるというが、当然の如く売れなかったという。
チダイ塩焼きのだし
コラム

チダイ塩焼きの残で今季初湯豆腐

八王子総合卸売協同組合、マル幸で9月22日に買ったチダイは尾頭付きで焼き、食べるだけ食べて残った頭部と中骨は冷凍保存した。毎日4時間単位で仕事(?)をしているので、一日三仕事にすると、真夜中に空き時間ができたりする。日付が替わる時間、まさか飯を食うわけにもいかず、最近では正一合程度の酒をのむための肴を用意している。今回は豆腐があったので、湯豆腐を作る。東京西部の水道水をいかに濾過してもだしは取りにくい。仕方がないのでフランスのボルビックを使っている。今のところこれがいちばんだしを取りやすい。ただフランスから水を運ぶなんて、しかもその水を使うなんて、なんて恥ずべき行為なんだろうと反省している。現在の在庫を使い果たしたらペットボトル入りの水をやめて、だしに関しては別の手段を考えなくてはならない。悲しいことにボルビックで取ると昆布だしが早くおいしくとれる。これを科学的に説明してくれる人おらんかな?だしをとったらド深夜なので、すまんすまんと謝りながら頭部と中骨は捨てる。
筋子
料理法・レシピ

09月27日、今季初イクラ、完成

今季、筋子はそれほど高くない。9月25日はたぶん一年ぶりくらいの筋子買い、イクラ作りである。イクラは、頼まれて作ることもあるが、自分用に作ることは年一、二回程度である。そう言えば、昔、テレビで芸人さんが市販のイクラをご飯に大量にのせて食べたのをそばで見ている。まさか食べきるとは思わなかったのに食べきったのである。イクラのだいたいの塩分濃度がわかるので、その根性はすごいなと思うけど、体に悪いことこの上なしだ。市販のイクラは塩辛くて食べられない。イクラを自家製するのは塩分を限界にまで少なくするためである。
チダイ
味わい

チダイの塩焼きは冷めた方が好き

八王子総合卸売協同組合、マル幸にで新潟県佐渡産のチダイがきていた。チダイという標準和名は関東ではほとんど使われていない。江戸時代、明治時代には「小滝鯛」、日本橋の魚河岸では、現在若い個体にだけに使われている「春日子鯛(かすごだい)」が、成魚のことでもあったようだ。そして今、関東では「花鯛(ハナダイ)」呼ばれることが多い。明治初年時でも比較的一般的ではなかった呼び名、「血鯛(チダイ)」を標準和名として採用した理由は不明だが、魚類学をやっていないとわかりにくいが、属の段階になるとわかりやすかったりする。古くから塩焼き用の魚とされていた。明治時代から1970年以前(関東大震災、第二次世界大戦とともに文化の大破壊が行われた年)の書籍を読んでいると、近海で揚がる魚はそれぞれ用途が決まっていたことがわかる。1980年前後、世田谷区桜新町の魚屋で買ったとき「焼くだけにしようか?」と言われたことがある。そのチダイの定番とされる塩焼きを作る。特別な器具がないので今回の体長25cm・415gは丸のまま焼けるギリギリのラインである。
北海道産サンマ
郷土料理

サンマの天ぷらは沖縄県民日常の味

15年前、午前3時の那覇市農連市場でおばあの朝ご飯を見せてもらった。沖縄らしい味つけした魚の天ぷらがタッパーに入っていて、何人かで分けて食べていた。うるま市の農連市場でも同じものを食べていたが、こちらは自家製ではなく市内の天ぷら店の天ぷらだった。魚の天ぷらならグルクン(タカサゴ)やグルクマー、キハダあたりかなと思ったら、意外すぎるものだったのでビックリした。サンマの天ぷらだったのだ。沖縄本島中のスーパーを片っ端に見て歩くと、確かに解凍サンマが普通に置いてある。総菜売り場にもサンマの天ぷらがあった。いかにも旅のもんですが、といった感じでサンマのことを聞いたら、島の魚よりも人気があり、天ぷらも作るという。サンマの不漁に「サンマが食べられなくなる」とこの国の人間は突然降って湧いたかのように宣い、テレビでも報道する。これには強い違和感を感じないではいられない。本来サンマを食べない地域にも売り込み、本来サンマ漁をやっていなかった臺灣にサンマ漁を導入させたのも、この国の仕業ではないのかな?漁業と自由主義経済は切り放して、厳格化しないとダメだと思うな。自由経済は明らかに破綻していて、ある意味、弁証法のように大きな視点で考えるときが来ていると思う。ちなみに我がサイトは多様な生物を多様な料理法で食べることが、自然には優しいということからはじまっている。そろそろ生きること、食べることは自然と直結することだと、思って欲しいものである。いろんな自然保護のイベントや活動をやって目立っている人達は無数にいるけど、この日常的なことをから自然を考えようと思っている人が少なすぎる。イベント的な自然保護活動は否定しないけど、日常的に自然保護を考える方が地球を救う効果は数十倍ある。
ゴマサバ
コラム

9月、石巻のゴマサバ1尾食べ尽くす

9月11日、八王子総合卸売協同組合、マル幸で宮城県石巻産のゴマサバを買った。全長44cm・937gだから大型である。触っただけで脂ののりがわかるといったもので、もともと断面の丸いゴマサバが余計に丸く感じる、そんな上物だった。
函館産小ヤリイカ
料理法・レシピ

小ヤリはイタリア風(?)トマト煮がいい

ボクのおさかな365以上日記 小ヤリはイタリア風(?)トマト煮がいい市場では秋の小イカからはじまって春の大イカで終わる。そんなヤリイカの陰が薄くなってしまっている。相模湾などでも本来ヤリイカシーズンである寒い時季にもケンサキイカ(赤いか)がとれる。主役であるはずのヤリイカは探さないといけなくなっている。最近、真冬にケンサキイカとヤリイカが隣合わせで売られても驚かなくなっている。南のケンサキイカがずんずん北上して、北のヤリイカがずんずん北に去りつつある。日本列島のイカ地図(勝手に作っているもので非売品)では、成り上がり者のケンサキイカの勢いに押されて、大大名であったヤリイカ家が石高減少で滅亡してしまうのではないかと思えるほどだ。ヤリイカ科ではアオリイカ、ヤリイカ、ケンサキイカとそれぞれ味に違いがあり、それぞれに好きなのでヤリイカが消えてもらっては困る。さて今季のことだが、ヤリイカは8月末から9月ころには当歳イカが入荷してくるものと思っていた。走りの時季は外套長7cmくらいででしかない。9月の声を聞くと、茨城県、福島県などからこの小ヤリがわんさかやって来ていたが、今年は来ないなーと首を長くして待っていた。やっと見つけた初ものはなぜか常磐を通り過ぎて、いきなり北海道函館産である。常磐の小ヤリ何処へ? 豊洲まで探しにいかないと見つからないのかも知れない。
料理法・レシピ

湿気た色変わりした板ノリは佃煮にする

板ノリは焼きノリもあるし、生板ノリもある。頂き物があり、義理で買ったものもあるし、伊勢の旅でたっぷり買い物をしてオマケでもらったものもある。すべて密閉できるビニールに入れて冷蔵保存しているが、それでもときどきダメになるものがある。そんなダメになった板ノリは捨てないで集めて置く。これを「海苔の佃煮」に作り替えるのである。今回のものは焼き海苔7割で生板ノリがほぼ3割、数枚味つけ海苔が混ざっている。これを佃煮に変身させる。ちなみに佃煮に向いているのは生板ノリである。
赤酢
コラム

ホッキガイの刺身は酢洗い率高し

貝の刺身が好きだ。巻き貝、二枚貝とも好きでときどき撮影無しでも造って食べている。残念ながら今、貝類がいちばん少ない時季なのである。特に今年は少ない気がするのだが、これも災害級の暑さのためかも知れない。唯一、安定的に入荷してきているのがホッキガイ(標準和名ウバガイ)である。ベストのシーズンではないが、買っても損はないレベルといったもので、1週間に2度、3度買っても食べ飽きない。さて、日常的に使っているミツカンの山吹という赤酢がなくなってしまった。比較的安定した味で、比較的安いので我が家の定番酢のひとつである。主に酢洗いに使う。酢洗いは日本料理の基本中の基本だが、その酢洗いにも2つの目的がある。臭味をとるための、と、香りづけのためだ。当たり前だけど赤酢は後者である。特に二枚貝の刺身は香りづけに酢洗いすることが多いのだけれど、今回は初めて買った赤酢を買って試してみた。銘柄は書かないが岡山県のものだ。
羽幌産トヤマエビ
コラム

北海道羽幌産ボタンエビに懊悩する

標準和名が「正しい名前」という愚か者が多くて困る。標準和名とはあくまでも科学の世界で便宜的につけた名であって、正否の問題ではない。だいたい標準和名など使うと余計にその動物、植物に行き当たらないなんてことだってある。特に生食されることが多いタラバエビ科のエビなど標準和名などない方がいい、のではないかと思っている。さて、1970年代くらいまでタラバエビ科のエビはこの国でほとんど流通して食べられていなかった。タラバエビ科のエビは筋肉が発達しておらず、呈味成分が多いわけでもない。多種多様なアミノ酸がからみあって身も身のエキス分をも粘質にし、またこの多様なアミノ酸が甘いとヒトの舌に感じさせる。身に水分が多いのも特徴である。それまで本州、四国、九州などで主に食べられていた、非常に原始的なクルマエビ科のエビとは真逆の味である。ちなみにタラバエビ科でもっとも早く全国的に知られたのが甘エビ(ホッコクアカエビ)である。これは1970年代東京都内デパートが始めた新潟物産展からとされている。ちなみに1974年、銀座の秋田料理の店で初めて食べたとき、「都内でも数軒しか食べられない」と説明を受けている。タラバエビ科のエビでは、標準和名でホッコクアカエビ(甘エビ)、トヤマエビ(ボタンエビ)、モロトゲアカエビ(シマエビ)、ボタンエビ、ヒゴロモエビ(ブドウエビ)の順で流通量が多い。ほかにもあるが、ここでは省く。今タラバエビ科でいちばん高いのはヒゴロモエビ(ブドウエビ)であるが、ここには流通量が少なくて希少だということが加味されている。流通量のことを考えると、正真正銘、いちばん高いエビはトヤマエビ(ボタンエビ)とした方が正しいと思っている。本種は国産だけではなくアメリカやロシアから冷凍輸入されたものもある。アメリカのものはともかくロシアのものは格段に安い。今どき大はやりの海鮮丼に乗るボタンエビの何割かは、ロシア産の冷凍ものである可能性が高い。丼にのるボタンエビをありがたがって食べている人がいるが丼の値段から儲かると思う。さて、本種は特に60gを超えるとキロ単価で(仲卸値段なので卸値以下同)1万円くらいする。品薄感があると2万円というのも見た事があり、過去に80gでキロ単価25000円というのを買っているが、こうなると食べ物の値段とはとても思えない。さて、八王子総合卸売協同組合、マル幸に来ていた羽幌産はだいたい60g前後で平均価格の㎏あたり10000円よりも安かった。それでも2本で原価1000円ほどになる。ちなみに1尾500円と考えると、刺身に2尾盛り込んだとして、料理店では2000円では出せない。たぶん3000円で出しても苦しいと思う。なぜなら足が速いからだ。
カタボシイワシの肩の星
コラム

秋のカタボシイワシは抜群にうまい!

カタボシイワシは1955年に標準和名がついた。当時の魚類検索には南日本と記載されていない。当時はヤマトミズン属だったが、現在ではサッパ属で、岡山県の「ままかり(サッパ)」と同属である。サッパ同様腹部の稜鱗(刺々しい鱗)が強い。2005年前後に鹿児島県で水揚げされ始め、またたくまにいろんな地域で発見され、突然定置網に入ったのはいいけれど、魚の名前がわからないから教えてくれ、などという問い合わせを何度も受けている。比較的暖かい海域にいる魚ではあるが国内での生息域はよくわからない。四国九州、そして沖縄にも生息。南はオーストラリア、アフリカ東岸にもいる。さて9月14日は、もう1週間も前のことになるが、神奈川県、小田原魚市場で1尾だけ手に入れた。体長21cm・139gは小田原では平均的なサイズである。ここ数年、見つけると、拾ってきては味見している。たくさん揚がったときにはスーパーヤオマサ、ナイトウさんのところから1尾だけ失敬したこともある。今更あやまっても仕方がないけど、ごめんなさい。ちなみに本種を手に入れたかったら神奈川県にあるスーパーヤオマサに行くと手に入る可能性大。味見なので1から3尾ずつ、1年間で30個体近く食べたことになる。要するに旬がわからないための味見である。鹿児島県などでは冬にもいるが、小田原では水温の高い春から晩秋にかけて水揚げが多い。相模湾では5月から7月、8月くらいまではあまり脂がなく、9月になると急に脂が乗り始める。考えてみると同じニシン科のコノシロでもそうだが、産卵期前後は味が不安定で、産卵後は脂が抜けるのである。このことから相模湾での本種の産卵期は、晩春から初夏ではないかと考えている。
相模湾、マサバ
コラム

小マサバの中から上物を選別する

9月14日は、もう1週間も前のことになるが、神奈川県、小田原魚市場ではマサバの小が大量に揚がっていた。中には加工用に引き取られていくのもあるだろうけど、後の残りは飼料とか場合によっては輸出用となるのだと思う。この小型のマサバは未利用魚ではないが、ていねいに大きさと質を選別すれば、ちゃんと流通できるものがかなり紛れ込んでいる。なぜ選別しないの? というと人手が足りないからだし、流通しても確実に利益が出るとは限らないからだ。最近、未利用魚という言語で商売をやらかしている人達がいるが、未利用魚でもなんでもなく、むしろ高級魚を売っているところなど詐欺に近いものまである。未利用魚は漁業者を助けるというのが目的なんだけどな、なんて考える。例えば未利用魚に価格の低いというのが入るなら、この大量に揚がった小マサバを再選別して積極的に利用法をアドバイスし、流通させてはいかがだろう。とここまで書いてきて、ではボクにその上物が選別できるのか? と問いかけてみた。せっかくなのでやってみた。数百キロの中から、しかも大小混じりすぎの中からいいものを選ぶのは大変である。やってみてすぐにあきらめてしまったのは人間性の問題かもしれない。無造作に数本選んだだけで、ままよ、なんて居直った。そこに二宮定置の山崎さんがきて「これがいいんじゃないですか?」と、ひとまわり大きいのを手渡してくれたのだ。帰宅して計測する。計7本持ち帰り、最小は干もの用に外し、計5本を干もの以外にしたいと思ったが、刺身を考えると残りは、2本で、小さい方がボクの選の24cm ・167g、大きい方が山崎さん選の26cm・233gだ。だんぜん山崎さん選がよかったので、刺身用に水洗いしてペーパータオルにくるんで保存する。
コラム

活けガンゾウはやたらに素晴らしい

9月14日の神奈川県、小田原魚市場の活魚槽にガンゾウビラメが泳いでいた。たぶん岩とか福浦(ともに真鶴町)の定置で揚がったものだろう。ガンゾウビラメは比較的暖かい海域の砂地などにいる魚で、一般的な知名度はゼロといってもいいが、流通上は至って普通の食用魚だ。地方名が非常に多い。これはヒラメよりも水揚げ後の鮮度落ちが早く、水揚げ地で消費される比率が高いためである。小型底曳きなどでまとまってとれる魚だが、少ないながら定置網でも揚がる。底曳き網ものがこの魚の価値を決定しているので安いが、実は定置ものの活魚は上物なのである。これなど第二のヌマガレイ(まったく売れない魚だったのが活魚で売れるようになった)となる可能性だってある。活魚なのにそんなに高くないのは、とれる量が少ないためだ。最近、未利用魚のことで盛んに入合(何種類かの魚で1つの荷にする)を作れなどというが、意外に難しいのは水揚げされた全魚種の価値をちゃんとわかっていないと入合が作れない点にある。入合、入合と言っている人間でこの基本のキがわかっていない人が多すぎる。このぽつんと2、3枚程度のガンゾウビラメなど漁師さんや仲卸さんすら一定の評価を持つに至っていないのだ。当然、活け締めにして入合に入れるなんて発想は湧かない。小田原の恵まれているところは、多様な水産物の産地であり、集積地であり、また巨大な商圏を持っていることである。だから売れない魚はほとんどない。この200g〜300gで大小ありの活魚にもちゃんと値がついていた。これをいつもながらにさんの水産さんに競り落としてもらい、活け締めにしていただく。
コラム

銚子産マイワシ、小振り成れどもすこぶるつきにウマシ

八王子の市場に千葉県銚子産の小振りなマイワシ(16cm前後・53-69g)が来ている。最近、銚子の荷の仕立ては抜群にいい。冷やし込みがきいて、堅堅である。ボクの市場通いは日常でしかないので、けち臭くはあれど、朝ご飯用に3尾だけ買ってくる。1尾60g前後なので3尾で180円でしかない。小羽を手に八王子総合卸売センター、八百角に寄ったらあんまりいい小ネギがない。日本各地で暑さに小ネギが萎れてしまっているのだという。今年はどうなっているんだろう? というかこれからずーっとこうなんだろうか?秋の小羽はアタリが多い。へたな大羽よりも秋の小羽だと思っている。帰りの車外温度が34度もあるのでとても秋とは思えないけど、彼岸の入りなので秋は秋で、小羽に秋を感じればいいのである。
コラム

9月のアイゴは産卵後なのに非常にうまい

たぶんアイゴは画像があるだけで数百個体は味見している。2016年11月、愛知県一色で非常に雑な状態で置かれていたアイゴを買っている。見た目が悪かったので、どれくらい臭うか知りたかったためだ。ところがそんなに臭くはない。それは鈍感だからだろう、と言われそうだけど、もともと魚嫌いな人間なので臭味には敏感なのだ。2011年10月には徳島県海陽町宍喰竹ヶ島の大型個体を3個体持ち帰っている。これはイセエビの刺網で揚がったものであったこと、宍喰から我が家まで車で11時間かかり、しかも水揚げの翌日に下ろしたので臭った。ここ3、4年、気になると小田原魚市場で廃棄されているアイゴを持ち帰って、様々な方法で下ろしては食べている。たぶん数十個体に上ると思うけど一度も臭くない。別に宍喰のアイゴが臭いわけではない。定置網の個体に臭味はないのだ。磯もんと呼ばれている刺網でとれたものが臭い。要するにアイゴの臭味は漁法にもよるし、水揚げ後の処理にもよるのだ。それなのに最近の未利用魚をあれこれ報道しているバカなマスコミは、臭い臭いと言いすぎている。たぶん未利用魚に取り組んでいる人間の中にも様々な状態のアイゴをさほど食べていない、未熟な人間がいるのだ、と思っている。だからちゃんと報道されないのだ。9月14日、神奈川県小田原市、小田原魚市場二宮定置でアイゴを3個体いただいてきた。野締めである。お隣の江の安、日渉丸のものは活け締めで金色に発色しているので、臭い臭くないのの次元ではなく、超高級魚であるメイチダイ並にうまいに決まっているので比較対象にならない。普通の扱いのアイゴ、しかも産卵後1ヶ月くらいの野締めのアイゴが欲しかったのだ。紀州の魚類学者で民俗学者の宇井縫蔵は八九月のがいちばんうまいというが、小田原のアイゴは夏に産卵するので9月の個体は痩せている。このあたり和歌山県のアイゴも比較のためにまた拾いに行きたいものである。
コラム

秋の小タカベを侮るなかれ

東京では夏の風物詩でもあるし、梅雨時になるとぐんと値を上げる、それがタカベである。最近あまり見かけない上に、例えば豊洲などで伊豆諸島産などを見つけると恐るべき値がついていたりする。古くは東京都の庶民の味だったタカベが、とても手の届かない高嶺の花と化しているのである。タカベは1科1属1種という孤高の存在である。魚類学者はあれこれ考えたようで、現在ではイスズミ科(この仲間も一般的にはほぼ知られていない)だとする説がある。そうなったらなったで納まるところに納まった感じもするが、淋しい思いが強くなりそうだ。生息域は日本列島でも相模湾以南、九州までの太平洋側で、このまま熱帯にもいるのかと思ったら差に非ず、中国大陸の黄海や渤海にはいるらしいがやたらに生息域が狭い。魚類には生息域の狭い種がいると同属に生息域のやたらに広い種がいたりする。例えばブリは非常に狭い海域にいるが、同じ属のヒラマサはインド洋、太平洋域に広大な生息域をもつ。タカベにも同属で広い生息域をもつ種がいてもいい、と考えるがいないのである。9月14日、神奈川県小田原市、小田原魚市場に二宮定置の水揚げを見ていたら、非常にミニなタカベをボクに渡してくれた若い衆がいた。そのとき、「こんなものをもらってもなー」と思いながら持ち帰ったのだ。体長11cm・27gなので昨年秋生まれの個体だろう。タカベの旬は伊豆大島で「麦倒し」というくらいなので、梅雨時から8月いっぱいだと思っている。9月も半ばになるとなんとなくタカベの成魚には手が伸びない。それではこの若魚というか、やっと稚魚ではなくなった個体の味はどうなんだろう? ちゃんとサメやアイゴなど大型の中に紛れないように別袋に入れて持ち帰ってきた。
コラム

意外に小田原では珍しいタイワンガザミ

神奈川県小田原市、小田原魚市場に水揚げされるカニの量はそれほど多くはない。相模湾ではむしろ東の海域に多く、西の海域に少ない気がする。それでも小田原魚市場に揚がるカニを、思い浮かぶだけ挙げるとガザミ(ワタリガニ)、ジャノメガザミ、タイワンガザミ、トゲノコギリガザミ、アカイシガニ、アカイシガニモドキ、深海性ではタカアシガニ、オオエンコウガニなどなどかなりの種にのぼる。今回9月14日の小田原魚市場の生け簀に泳いでいたのはタイワンガザミである。たぶん定置網で揚がったもので、脚一本取れていないし、雄なのでコバルトブルーがド派手に目立つ。考えてみると最近、ガザミは買っているが、タイワンガザミは長いことお目にかかっていない。調べてみると1年振りの雄である。よくガザミと比較して落ちるとかなんとか言う人がいるが、決してガザミに比べて引けを取ることはない。最近、高値安定なのはうまいからだと思っている。
コラム

食べたくなるのは暑さ故、ホッキガイのみそ汁かけ飯

八王子総合卸売協同組合、マル幸水産に北海道鵜川産のウバガイが来ていた。東京では、最近、ホッキガイと呼ぶ人ばかりになったので、ホッキガイとした方がいいのかも。大きくて黒いほど値が高く、小振りで薄茶色のものは安い。このところ市場に来るたびに貝を買っている。これなどたぶん、貝のタウリンを体が欲しているからだろう。小振りで薄茶色は、値段的にも癒やし系だし、ボクの体にとっても癒やし系だ。ウバガイ(ホッキガイ)は太平洋側では鹿島灘、日本海側では北海道西沿岸で水揚げがある。旬は難しい。いつもある程度のレベルは超えているし、外れと思えるほどに外れには出合っていない。要するに優等生的な味の二枚貝だ。ちなみにウバガイ(姥貝)というのは江戸時代天保期、旗本である武蔵石寿が編んだ目八譜にある。たぶん常磐から福島にかけてのいずれかの藩から手に入れて(寄贈かも)、その藩での名をそのまま使ったのだと思う。武蔵石寿が参加していた江戸のカルチャラルな集団、赭鞭会は貝や生物の名を風雅な何かに見立てて名をつけることが多い。にも関わらず、このあまりにも直截的な名をそのままに使ったのは、どうしてだろう。それほど貝殻の見てくれが悪かったのだろうか。
コラム

その日だけの味だけど水ガマスの刺身は、刺身の最高峰

神奈川県小田原市、小田原魚市場はボクのホームグランドのようなところだが、初夏になると全長20cm 前後の子カマスが岸寄りでとれ始め、秋深まると全長30cmを超えて、食べ頃を迎える魚がいる。水ガマス(ヤマトカマス)である。さて今回の9月も半ばの小田原行で出合った水ガマスは、体長25cm前後、重さ90〜116gほどに育っていた。これがもう一段成長しながら、確か昨年は、岸寄りの水温が下がる晩秋までとれたはずである。沖合いに多いアカカマスは全長50cm前後の大ガマスになり、水深100m以上の深場にもいるが、本種はせいぜい35cm前後にしかならなず、深くても水深80mくらいにしか見られない。しかも寒くなると姿を消すのだ。くどいようだが、アカカマスは周年漁獲され、定置網などでは主要な獲物となっているが、こちらは初夏から秋まで季節限定の魚だ。さて、小田原は干もの作りが盛んなので、干ものになることが多い魚だが、地元では刺身で食べる魚なのだ。問題は刺身で食べられるのは当日限りという点である。小田原魚市場を歩いていていて、2、3本分けて、ともいえないので、地元系スーパーのヤオマサ、ナイトウさんに分けてもらう。朝どれの魚が並ぶヤオマサに行けば、ボクがやろうとしている地域限定の食べ方が普通にやれる、ここが小田原の凄いところなのだ。忘れぬ内にナイトウさん、ありがとうさん。

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