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コラム

ボクの埼玉県、うどんをめぐるメモ

あんまりにも同じ物を見つめすぎると身体が熱くなる。巻き貝の世界は非常に難しい。取り分け形態的な連続性を考え始めると、きりがない。別に病気でもないのに身体が熱くなり、冷たい床に腹ばいになるのが、ボクの対処法。憂さ晴らしに埼玉県まで野菜や地域ならではのものを買いに行ってきた。そしてまた埼玉県川島町の直売所で、太巻き手打ちうどん弁当(うどんつき弁当)を買った。川島町のある埼玉県など関東平野は古くからの畑作地帯で小麦粉文化圏だ。1590年、徳川家が江戸入り後すぐから徳川家は米(戦国時代に耕地が増え、米の収穫量が増えると、米本位制となる。米は食料でもあり、金と同等のものでもある)の確保に苦しんだ。徳川家家臣団、江戸幕府を築く流入民に分け与える米が不足していたのだ。この米不足は1670年代に河村瑞賢が東北からの米廻船の新航路を見出すまで続く。考えてみると関東平野は古くは秩父平氏、次いで鎌倉幕府ができ、室町期に鎌倉公方、関東管領が統治する。鎌倉公方、関東管領の享徳の乱の後、この足利の支配が消えると、後北条氏、上杉謙信の上杉氏、武田氏が、享徳の乱の続きを始める。後北条氏、上杉謙信の上杉氏、武田氏が天下を取れなかったのは関東平野にこだわったからだ。ものなりの悪い土地の争奪戦にこの戦国武将達はなぜにこだわったのだろう。さて、旧比企郡にある川島町は旧川越藩の領地だ。川越は太田道灌の太田氏との繋がりがあり、江戸時代には小田原藩とともに特別な藩だった。川島町周辺では江戸時代から米はとれていたものの、伊達藩、仙台米と比べると質が落ちた。ある意味、米は藩に税として収めて、主食は麦だったのではないか。ちなみに戦後になっても埼玉県の米は東京での評価は低く、安かった。江東区の民俗学資料の米穀店の聞き書きに埼玉米は煎餅屋に下ろすために仕入れているもので、決して一般家庭では食べなかったとある。埼玉県北部や群馬県にみられるゆでうどん付き弁当は、その米不足の名残である。不思議な取り合わせで決して身体にはよくないと思うけど、いろんな味が楽しめるのでついつい手が出てしまう。
コラム

今季初イワガキは宮崎県延岡産

東京都東久留米市、東久留米卸売市場協同組合は市場の建物が新しく、鮮魚、野菜、乾物、惣菜などとても多彩だ。埼玉に近いせいか、お茶の店が多いのも特徴だろう。鮮魚は2店舗しかないが、規模が大きく、多彩な水産物を並べている。そのひとつ、東京北魚は足立市場に本部がある大型店である。荷の産地も多彩で、八王子で見られない荷主(産地仲買で出荷してくる業者)も少なくなかった。ここで今季初めてのイワガキを買った。宮崎県延岡産である。宮崎県は三重県伊勢湾側とともにもっとも出荷時期が早い。延岡市には流れ込む河川が多く、しかも海岸線が入り組んでいる。意外に知られていないが、魚介類が非常に多彩なところでもある。ちなみに今や3倍体が当たり前なので、マガキは年がら年中流通しているが、ボクは信条として、10月〜3月いっぱいまではマガキ、4月〜8月くらいまではイワガキとしている。カキ類を食べない時季があるのも、非常に好ましいことだと考えている。貝殻に余分な生き物が付着しておらず、きれいだということは養殖されたものだ。殻長11.5mmはボク好みのサイズだ。イワガキは大きいほど高いが、大きいものがうまいわけではない。しかもその重さに正比例して可食部は大きくならない。
コラム

新潟中央卸売市場をゆっくり見て回るのは次回

新潟市は本州日本海側で唯一の政令指定都市だ。新潟市は単なる県庁所在地ではなく、隣県にとっての文化の中心でもある。地名の新潟は、潟を埋め立てて作られた「陸地」に新しくできた町という意味だと思っている。この「潟」は、福井県以北で見られる地名、湖沼名で、平野部特有の潟湖のことだ。当然、海に近い部分は汽水域になる。旧新潟市地域とその周り、現新潟市は、旧蒲原郡で一面の沼地だった。米どころではあったが、1960年くらいまでは胸まで泥に漬かりながらの田植えの光景が見られたようだ。冷たい泥田に浸かっての田植えは過酷だったに違いない。この泥田のど真ん中、旧亀田町にあるのが新潟中央卸売市場である。日本全国からの水産物と青果が集まるところで、活気がある。金沢中央卸売市場とともに規模からして大きい。新潟市は一大消費地でもある。全国からの荷などにも目を見張るものがある。ただいかんせん新潟の市街地からは遠い。新潟漁協市場が新潟市の市街の真ん中にあり、信濃川河口域で、漁港でもあるのにたいして、中央市場は田んぼの真ん中にある。仲買さんなども両市場の移動には苦労されているようである。
コラム

鍋らしい鍋がおいしい時季の鍋終いはヒガンフグ

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウはフグ調理師である。時季にはいつもフグを在庫として持っている。4月になれば、フグも終い、終いのフグと言えばヒガンフグである。関東で庶民的なフグの代表格はショウサイフグで、例えば松尾芭蕉が魚河岸の弟子達に分けてもらい(想像です)、「ふぐと汁」にしたのも、ショウサイフグである。ヒガンフグはショウサイフグよりも少しだけ上等なもの、と考えるとわかりやすい。余談になるがフグ科で高級といえるのはトラフグだけで、丸のままだと比較的安い。もちろん誰でも下ろせないということもあるが、安いけど安くないのは以下を読んでもらうしかない。未成熟な個体がお買い得で、成熟が進むと割高になる。ちなみに典型的なフグといえば、フグ科トラフグ属(の仲間)のフグである。トラフグは皮が無毒だが、ほとんどのトラフグ属のフグの皮は有毒だというのもおぼえておくといい。取り分け、トラフグ属のヒガンフグは毒が強く、可食部分は筋肉だけだ。また、関東でヒガンフグを「赤目フグ(あかめふぐ)」と呼び、同じトラフグ属のアカメフグと混同しやすいのも要注意だ。定期的にヒガンフグを買うのは歩留まりを見るためだ。丸のままのフグの多くの値段は平凡だが、可食部分からすると明らかに高級魚である。今回の個体は雌1.4kgで可食部分は680gなので、歩留まり50パーセント弱だ。
加工品

ごま漬けにはサバの、もあるでよ!

千葉県千葉市のスーパーで、「いわしのごま漬け」ではなく、「さばの胡麻漬」を買った。千葉県山武郡九十九里町、『小川水産』のものだ。九十九里浜の特産品ともいえそうな、「いわし(カタクチイワシ)のごま漬け」は都内でもよく見かけるが、それ以外のものは見かけたことがない。このような主要製品以外のものに出合えるは、千葉県だからだ。20年以上前、九十九里にカタクチイワシの水揚げを見に行ったとき、漁の話だけではなく「ごま漬け」の話もした。そのときもカタクチイワシが不漁であるときは、マアジやサバ類(マサバ・ゴマサバ)の小型を使って作っていたという話を聞いているのだ。ちなみに「いわしのごま漬け」は非常にうまい。昔、魚通を自称していた、高橋治も絶賛していたはず。それほどに間違いなしの名品なのである。
コラム

新潟県のしょうゆの実について考える

穀醤である醤(ひしお)、醤油の実(しょうゆの実)、もろみ、のない地域は少ないと思っている。穀醤とは別系統の、醤油のことをもっと深く知りたいと思っているので、我が家にある穀醤のデータを整理中だ。まだ我がデータベース内の「製造されている分布域」すらはっきりしないが、醤油の伝来以前からあるものなので、たぶん名前は違えども全国にあると思われる。ちなみに穀醤は大豆・麦・塩・水と麹で発酵させたもの。調味料ではなく、食べるためのものである。今回の福島県・新潟県の旅では、福島県内では見つけられなかった。探し回った挙げ句、新潟県内では大手の十日町市、『高長醸造場』のものを買い求めてきた。十日町市のある魚沼地域では盛んに「しょうゆの実」が作られており、小さな醸造所も多いことからして残念ではある。新潟県の「しょうゆの実」は比較的辛口で甘味がほとんど感じられない。水分が多いのも特徴だと思われる。ちなみに醤油伝来以前には調味料という概念がなかった可能性が高い。料理は、調味することは特殊で、調味しないで火を通しただけの料理だった。食べるときにつけて食べた、そのつけだれの役割を果たしていたのが、もちろん現在のものとはまったくの別物だとは思うが、穀醤である。ちなみにこの塩分濃度の高い、「『しょうゆの実』だけでご飯を食べるのが好きで他にはなにもいらない」という話を超高齢のご婦人に小千谷市の地スーパー、『たかのスーパー』で聞いたことがある。昔はそれが当たり前だったのかも知れない。新潟県でもそうだが、意外に穀醤を調味料として使う地域は少ない。
料理法・レシピ

肉を食べないボクの魚のポテサラ

ときどきボクの車の屋根に乗って遊ぶ(じっとゲームしているだけだけど)近所のそろそろ小学3年生に、今日のお昼はなに食べた?(大人でも子供でも、必ず食事のことを聞くのはボクの職業的な病)と聞いたら、ポテサラサンドだという。「ポテトサラダをサンドイッチにするんだ?」というと「普通だよ」という。「チーズとハムたっぷりね」とはゴージャスな昼飯ではないか。小学2年生の日曜日の昼ご飯としては上等だな、と思った。なんとなくポテサラを作ってみたくなった。自宅では肉を食べないので、魚のポテサラである。さっそく和歌山県から来たミニマムサイズの美トンボ(ビンナガマグロ)のあら、上身4分の1、刺身切り落としなどを集めた。これをハーブブイヨン、塩、少量の白ワイン、水、ローリエ、セロリと一緒にことこと煮込む。単純に塩ゆでしてもいい。
コラム

大分県佐賀関、関あじの4日間

4月1日に八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で久しぶりに「関あじ」を買った。1996年に水産物で初めての商品登録したエポックメーキングなものである。当時から、「関さば」ほどではないが非常に高価だった。豊後水郷と伊予灘の境のいちばん狭い海域、大分県高島と愛媛県佐多岬の間、高島寄りでとれるマアジだ。すべて釣り物で、生きたまま帰港し、一定期間生かして、活け締めにして出荷したものである。古くからマダイなどでは当たり前だった活け越し(一定期間生かして活け締めにする)を、背の青い魚であるマアジやマサバにほどこすというところが画期的であった。ちなみに高橋治だったか、この海域の魚は他の地域と比べて格段にうまい、と言った人間が少なからずいた。このあたりの通ぶった人間の無知ぶりには呆れる。これだけはありえない。もちろん根つきの魚の味のよさはあるだろうが、同じような魚は日本全国にいる。例えば、新潟市沖、相模湾・東京湾や明石海峡、鳴門海峡などのマアジが味でひけをとることは決してない。要は出荷体制が完璧だったために生まれたブランドである。今でも流通上はダントツの値の高さではあるが、玄人受けはしていないと思っている。なぜか?大きすぎるのだ。今回の個体は、体長33cm・482gもある。もっと大きいのもあるようで、その大型の方がもっと高いようだそんな「関あじ」を注文してまで買う料理人がいるのはなぜか? を考えてみたい。
漢字・学名由来

エゾギンチャクでいいの? 岩川友太郎さん教えて

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に北海道別海町『丸イ 佐藤水産』からババノテが来ていた。漢字は「婆の手」で、年寄りの女性の手のように節くれ立っているという意味だ。「母の手(ハハノテ)」ともいう。昔、札幌中央市場で会った人は、「『身を粉にして働き、年を取り、手が節くれ立ち、(手の甲が)すすけたような色になった婆の手のようだ』という意味だけど、汚いという意味ではなく、尊敬の念を込めている」と市場人にしては詩的な表現をしていた。
コラム

ヒレナガカンパチは惣菜魚なのだ!

八王子綜合卸売センター、舵丸水産、クマゴロウが銭州で大釣りしてきた中に、ヒレナガカンパチが入っていた。今年の銭州はシマアジだらけで、釣り師のプライドからして「こっちを見ろよ」、と言われている気がするが、ボクはへそ曲がりなのでこっちに目が行く。市場で同じブリ属(ブリの仲間)のカンパチと並んでいたら、料理人はまずヒレナガカンパチは選ばなくなった。やっと市場での価値が安定してきたものと見える。両種は見た目がそっくりである。特に市場や魚屋では鰭が寝ているので、見わけがつかないという人の方が多いだろう。カンパチよりも少しずんぐりしていて、背鰭を立てると「鰭長間八」の名の通りにやけに長い。温かい海域にいるカンパチよりも、より温かい海域を好み。世界中の熱帯から温帯域に生息している。ちなみに、カンパチのおいしさを頭に描いて買うと、少しがっかりするはずだ。ただ、ヒレナガカンパチという別の魚を買ったと思えば、近年の価格帯からすると納得がいくと思う。最近、魚全般の値段が急激に上がっている。コロナのときから右肩上がりが続いている。それからすると歩留まりのいいヒレナガカンパチは安くておいしい、という評価が定着しそうだ。ほんの十年くらい前まで、ヒレナガカンパチは相模湾では珍しい魚だった。今でも湾北部には少なく、伊豆半島でも伊東あたりにいくと、カンパチよりも多いときがある。明らかに温暖化の申し子である。最近、豊洲だけではなく、関東周辺の市場では標準和名で流通している。このサイズでカンパチなら、「シオッコ」などと呼ぶことが多いが、大小にかかわらずヒレナガカンパチとしか呼ばれない。本来とれなかった、扱わなかった地域では、流通上標準和名が使われる。その典型的な例である。
コラム

戦後が終わってカレーは国民食に、マースカレーの話

スーパーに行くのも、ボクにとっては旅である。いろんな刺激があっちこっちから飛んで来る。普段は行かない、駅前のスーパーに飲み物を買いに入ったら、懐かしすぎる「マースカレー」があった!1945年の敗戦後、新しい家庭料理をこの国とGHQは国策として広めていた。中にカレーがある。このあたりに関しては小菅桂子の『カレーの誕生』に詳しい。国民の体形の向上と主婦の家事負担の軽減である。当時、料理は主婦が作るもので、農家などで主婦はもっとも早く起きて朝食を作り、もっとも遅くまで家事をこなすのが普通だった。今でも昔の主婦はよく働いたものだ、なんて懐かしそうに言う愚か者がいるが、これは明らかな虐待である。料理は「ご飯に一汁一菜」にしても、当座食べるものを作っていても手間がかかる。ライスカレーはそれだけで、ご飯であり、おかずであり、汁でもあり、と完結しているのである。コロッケなどの戦前からのものではなく、戦後の新しい家庭料理の普及はちゃんとした目的があってのことなのだ。
同定

種にかかわらず流通上はすべて白バイ

東京都東久留米市、東京北魚で新潟県産Buccinum を発見した。和名はエゾバイ属である。この属内に亜属(属の下の階級)が設けられていないのが不思議なほど種が多い。現在の奥谷図鑑(『日本近海産貝類図鑑 第二版』)は明らかに種の整理をしていっているようだが、産地からして妥当なんだろうか? という疑問が残る。魚類(脊椎動物は)は形態学的なものが比較的単純であるが、軟体類の形態学的な考察は大きさ、産地、水深、貝殻の感触など非常に複雑である。この『日本近海産貝類図鑑 第二版』の問題点の中に、市場などで白バイとして流通するグループがいる。このグループをアニワバイグループとしている研究者が多いので、これに従っている。ただ、アニワバイの形態と変異の多さと、本当に国内海域にいるのかという疑問があり、むしろ比較的安定的な形態を持つ、エッチュウバイを基本とした方がいいのではないかとも考えている。ただし、当方にはアニワバイのデータが少ないために、今後の課題として置くしかない。各ページの分類グループはアニワバイを使い、新たに一般分類に白バイを加えることにした。これと同時に、日本海でのアニワバイグループの空白部分を鑑みて、ノッポバイを復活させた。個人的にはアキタバイはノッポバイの一形態だと思っているが、貝類学者の黒住耐二さんとの意見が一致しない。https://www.zukan-bouz.com/com/白バイ
コラム

ヤリイカの真子のお握りに苦戦する

さて、ボクのような不器用な人間にでも「おにぎり型」があれば、お握りが作れることを発見して以来、徹底的に握り飯三昧の日々にある。最近、米離れが進んでいるとされているが、農水省あたりも「お握り作ろうよ、超簡単だからキャンペーン」でもやったらいかがだろう。ボクなど「私にも作れます」なんて楽しい日々を過ごしている。(だれも台詞の元ネタわかんないだろうけど)いろんな具材を試している日々でもある。東京都大塚にある『ぼんご』のように「筋子にホッキサラダ」とかの合わせ技は先延ばしにして、まずは1種だけの単純なものから。さて、小売店でヤリイカを買って値段のチェックをしている。スーパーで売っているのは主に小振りの個体である。これはヤリイカは大きいほど高くなるので、スーパーだとどうしても小さい個体が並ぶのだと思われる。雄が大きく、雌は外套長で3分の2くらいにしかならないので、この産卵期の、小さいものは総て雌で子持ちだ。ヤリイカの真子は軽く煮ただけで食べてもうまいし、外套膜(胴)に真子を戻して、外套膜ごと焼き上げてもいい。
料理法・レシピ

甘草と「こはだ」で春も盛りの天ぷら

八王子綜合卸売センター、八百角に甘草が来ていた。産地はわからないが手を伸ばしかけて、暫し躊躇する。市場から土手を越えて浅川に行けば、ノカンゾウ(野甘草 ワスレグサ科)だらけなのだ。ただ土手を越えていくのはいいとしても、浅川は犬だらけなのだ。特に朝夕など、ボクにとっては恐怖の世界といっても過言ではない。ううう、ワンワンなのだ。しかも、やわなボクは犬の●●●っこを思い浮かべて、土手の甘草は食べる気になれない。天ぷらにして和え物にしてと色々考えて、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産にもどって天種を探す。小柱もなく、シバエビもない。あるのは「こはだ(コノシロの若い個体)」だけだ。必要最小限の2尾買って驚いた。ビックリするくらい高かったのだ。「なくてはならない魚」の水揚げが少ないとグイーーンと値を上げるのが、市場原理というものなのだ。水洗いしてもらって持ち帰る。「こはだの天ぷら」は江戸時代中期、江戸の町にはあったとされる天ぷら屋台にもあったのだと思う。細田安兵衛(現榮太樓總本鋪)の著書には三越呉服店の夕方の献立だったとある。(たぶん)締まり屋である三越呉服店のことだから「こはだ」はしごく安くて、しかも滋味豊かで、日常的にも手に入れやすかったのだと思う。江戸時代から明治にかけて、日本橋の上流にある一石橋あたりでもシラウオがとれていたくらいだから、三越呉服店の眼の前を流れる日本橋川にもたくさんいたはずなのだ。
コラム

ご近所はヤリイカだらけ、なので深夜酒はヤリイカで

水産生物とヒトとの関わりを知りたかったら、市場や漁港以上に小売店を見て歩かないとダメだ。そしてときどき買ってみる。ヤリイカは昔、昔から関東では高級イカであって、めったに安売りのスーパーなどには並ばないはずだった。ところが最近、駅前などの大型スーパーで特売品として売られているではないか。見た限りでは総て北海道産。外套長18cm以下の個体は元々安いものだが、今回の個体は23cm前後もある。これで税込み400円でおつりが来る。このサイズは明らかに雌だけど、それでも安い。鮮度はぎりぎり刺身になるといったものだが、胴は刺身に、げそや卵巣は煮つけや塩ゆでにすれば御馳走である。ヤリイカは眼が皮膜で覆われていることから閉眼類と呼ばれている。仲間にはケンサキイカやアオリイカがいるが、古来より閉眼類の多くが堂々の高級イカである。ケンサキイカが西日本に多いのに対して東日本と北海道に多い。北海道では温かい時季にスルメイカが、寒くなるとヤリイカが揚がるので、冬イカとも呼ばれている。温暖化でめっきり少なくなったと思ったら、市場にわんさか並んでいるなんて、イカの好不漁、種ごとの水揚げの比率は不安定だ。外套長22cm・140gを近所のスーパーで買ってきて、深夜の酒の肴にする。慌ただしいときなので、仕事終わりは深夜になりがちになると、消化にもよさげなイカは格好のものだと思っている。
コラム

炒り粉は金沢では飲み物だった

ドイツ文学者の西義之は1922年台湾生まれ。内地(1945年以前の言語)に来たのは、「四校」と呼ばれた、旧制第四高等学校に入るためだろう。ということは彼の国内での故郷は金沢ということになる。「四校」というと井上靖の「夏草冬濤」の世界である。『定年教授の食卓』(春秋社)に、雑誌やラジオで何度も話題になったことのある「ドリコノ」とともに「炒り粉」の話が出てくる。〈田舎(たぶん石川県金沢市)で「炒り粉」を冷たい水で溶かして、塩と砂糖で味つけをして飲んでいた〉「炒り粉」は、ボクが小さい時は「はったい粉」。他には「麦こがし」、「香煎」、「おちらし」ともいう。麦を香ばしく炒って粉状にした食品で、中世以前からの食品である可能性が高い。徳島県美馬郡貞光町(つるぎ町貞光)の家では、お湯で錬って食べていた。どろっとしつつも飲めるくらい薄く溶いて、甘い味つけをして飲むというのはまったく未知の世界である
加工品

にしん山椒漬けは焼いて食え

福島県会津地方、南会津町、猪苗代町などのスーパーで「にしん山椒漬」をたっぷり買って来た。会津土産として比較的当たり外れがなく。ボク好みなのでついつい手が出てしまう。江戸時代、身欠きニシンは、北前船が越後(新潟県)の港にもたらし、そのまま越後街道を会津に送られてきていたはずだ。会津にとって身欠きニシンはきっと贅沢な食材だったに違いない。「にしん山椒漬」の本来の作り方は身欠きニシンをざっと水で洗い、腹骨や胸鰭などを取り去り、醤油・酒・みりん、大量の山椒の葉と一緒につけ込んだものだ。当然、漬け込み時期は春ということになる。最近のものは身欠きニシンを、米のとぎ汁(重曹を溶かし込んだ水かな)などでもどしてから漬けるのだと思われる。なぜならば身欠きニシンは、そのままでは渋味と苦味があるからだ。ちなみに個人が作ったという昔ながらの「にしん山椒漬」をいただいたことがあるが、苦味が残り、山椒の辛味があり、醤油辛くて好き嫌いがでる類いのものである。ボクはヨソモノなので、最近の苦味渋味を抜いて漬けた製品の方がすきだ。写真は『会津丸善水産(会津若松市)』のもの。ここに不思議なことが書いてあった。「焼いていただきますと、一層香ばしくお召し上がり頂けます」数年に一度程度食べるものなので毎回、そのまま食べて満足していた。この食べ方は、会津人が日常的に食べている内に、自然と編み出した食べ方に違いない。さて、そのままと、焼いてものを比べてみる。並べて食べて、もう二度と、焼かない「にしん山椒漬」は、食べないと思うほど、焼いた方がうまい。そのまま食べると、噛みしめるほどにニシンのうま味と独特の明らかに酸化した脂がじわじわときて、山椒の風味が適度にその野性味で、渋味を緩和してくれ、ふたたびニシンの味が来て、調味料の味が来てと、口中で「にしん山椒漬」の味が長々と感じられる。そこには、ニシンに塩を添加しないで硬く干して、山国に送られ、山国に人が汗水たらして稼いだ金で購い、山国ならではの若々しい山椒の葉と、発酵食品である酒・みりん・醤油と結婚させた、という大河ドラマ的な展開がある。ただ、食い物にそんなダイナミックなものを感じたいかというと、然にあらず。そんな面倒くさいことは不要である。
コラム

筍が出盛ると、メバルの入荷が出盛る

知り合いの魚屋が「筍が出始めると、売りやすいよね」といった。それに、別の魚屋が「竹の子目張(筍めばる)っていうよね」なんて立ち話をした後に、筍(竹の子)と青森県産のウスメバルを買う。この場合の「めばる」とはウスメバルのことだからだ。関東では竹の子とメバルを煮合わせることが多い。この場合のメバルは、浅場にいるメバル(クロメバル・アカメバル・シロメバルのことで昔は1種とされていた)とウスメバルのことだ。今、春に多いのはウスメバルなので、たぶん魚屋の店先では、ウスメバルを指さして、お客に竹の子話をしているに違いない。この場合の「たけのこめばる」が呼び名であるのか、「竹の子がとれる時季と入荷の最盛期が同じで、たき合わせるとおいしい」という意味なのかは、判断にくるしむ。ただ、明らかに魚市場で「たけのこ」というと本種の荷(発泡の箱のことで魚が入っている状態のもの)が連想される。実際、それで通じたりする。ウスメバルは太平洋側でも揚がるが日本海側に多く、希に太平洋側のものがあると珍しいなと思えるほどだ。新潟県で「せいかい」、新潟県や福井県で「はつめ」、東京など関東では、比較的沖合いの水深100m以上に生息しているため「沖めばる」という。築地での聞取では昔は大量に入荷してきていたので、安い魚であったようで、東京都内の食堂メニュー「めばるの煮つけ」のメバルの正体は基本的に本種だったという。さて、いつの間にやら、八王子綜合卸売センター『八百角』で竹の子が特売しているではないか? 4月になれば竹の子は、こんなに安くなっていたんだね。ここ数年、やたらと慌ただしいので、竹の子出たのもご存じない。竹の子を1本かかえて、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産にまわり青森県産ウスメバルを買った。
料理法・レシピ

めじの中骨だけで、ラーメンを1ぱい

3月、八王子綜合卸売センター、福泉でクロマグロの若い個体である、「めじ」55cm・2.5145kgを買った。大阪など西日本では「よこわ」だ。たくさん料理を作りすぎたので全部とりあげることはできないが、一部だけ公開していきたい。じょじょに脂が抜けていきつつあるが、刺身で食べてもやたらにウマシだった。今回は、「塩マグロ」を作り、煮物を作り、ポキ、ぬた、中落ちのかきだしも作ったが、みなそれぞれに美味だった。プラス1品はラーメンである。「めじ」の料理以前の処理をしている間に昼食の用意をする。三枚下ろしにしたときの中落ちから身をかき出した後の骨を、多めの水に放り込んで、火をつける。沸きそうになったら弱火にしてアクを徹底的に引く。八角の小さな欠片、粒コショウを加えて、弱火でじっくりうまみを煮出す。味が出て来たと感じたら鍋止めする。
加工品

徳島県「かつ」の食べ方の基本を考えてみる

「かつ(フィッシュカツ)」はどのように食べていたのか、そして食べているのか、という話をしたい。徳島県の山崎さんから津久司蒲鉾の「ちっか(竹ちくわ)」と「かつ」を送って頂いた。まことにありがとうございました。津久司蒲鉾がある小松島市(こまつしまし)は徳島県というもっともミニマムな県の中で、もっとも早くから市になったところである。ボクが子供の頃は殺伐とした噂もあり、また大阪に向かう船の発着所があった。ボクと小松島市の最初の関わりは曖昧だが、大阪万博のときにここから船に乗ったことだったと思う。模型を買うのも、徳島ホールで映画を見るのも徳島市だったし、祖母が丸新デパートやつぼみや(デパート)に行くのも徳島市だった。徳島市はボクにとってしごく馴染み深いところだが、小松島市は船の発着所のむせるような油と海のにおいの記憶しかない。どことなく東映や日活の映画に出てくる港町のようだった。知名度は低いものの徳島県は練り製品の会社が多いところだ。その多くが、大合併以前から市であった、小松島市と徳島市、鳴門市、阿南市にある。多くの練り製品が大阪と共通するものでしかないが、「ちっか(竹ちくわ)」と「かつ(フィッシュカツ)」だけは徳島にしかない。ちなみに「かつ」の歴史は最低でも60年以上なので、新しい練り製品とは言えなくなっている。さて、「ちっか」は徳島市に行ったときに買うもので、どりらかというとハレの食べ物、「かつ」はいたって日常的なもので、ケの食べ物だった。値段も「かつ」の方が安かったはずだ。今回、「かつ」をたっぷりいただいたので、懐かしい食べ方をしてみた。徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町字町貞光町)は1950年代、60年代、県内でもっとも小さな町だったが、県西部では池田町、脇町とともに長い商店街があった。日本中を回っているとわかることだけど、意外に長い商店街のある町は少ない。もちろん市なら当たり前だけど、町(市町村の)で、しかも小さな徳島県の中でも、もっとも小さな町域しかなかった貞光町に商店街があるのは不思議なことなのだ。我が家は商家だったので朝はとても忙しい。1970年くらいまで、午前5時、6時くらいに山から下りてきた人に戸を叩いて起こされ、売る、なんてこともあった。取り分け忙しいときには行商の菓子パンで済ましたり、冬は七輪が食卓脇にあったので餅を食べて学校に向かったものだ。考えてみると寒い時季、餅と惣菜と紅茶もしくはコーヒー、お茶という朝ご飯は商家ならではのものだろう。この惣菜の中にかなりの確立で「かつ」が登場した。
コラム

食文化を探す旅 十日町らしさを探して十日町市を歩いた果ての大食い

十日町市の「十日」は十のつく日に市が開かれていたためだ。今でも新潟県では巻町や三条など各地で日にちごとの市が開かれている。残念ながら十日町市では市が開かれていない。北魚沼で、2月末なのに雪がないというのも予想外だった。新潟県十日町市の商店街は長い。雪国ならではの雁木はアーケードに変わり、シャッターを下ろした店が目立つ。江戸時代には越後上布、越後縮の産地(江戸時代から昭和になっても織物は一大産業だった)であって、ある意味、北越雪譜に描かれているとおりのところだったのだろう。織物産業があって商業も盛ん。繁栄した町であった名残がそこここに見られる。加うるに、十日町市は信濃川に沿ってある。この町はコイをよく食べる地域だったという。考えて見ると新潟県は阿賀野川があり、信濃川、また旧蒲原郡に多い潟(平地の湿地帯の中の湖、池のこと)があるなど、淡水魚が重要なたんぱく源であったはずだ。十日町市にはウナギとコイの店があるが、この日は定休日だった。まあ今回の十日町は下見と思えば惜しくはない。商店街を十日町らしいものを探して歩くがなにもない。雁木は露地に少しだけ残っているだけだ。だいたい歩いている人が少なすぎる。時刻は1時過ぎ、せめて十日町市で昼飯をと、ふたたび商店街を歩く。新しい店には入りたくない。『小嶋屋』という長岡市にもあるのと同じ屋号のそば店があって、「へぎそば」も同じである。「へぎそば」はフノリをつなぎに使ったもので、ときどき食べたくなるが、この日は長時間労働のあとなのだ。余談になるが市場の旅は、だいたい午前2時くらいに始まり、魚(水産生物)の並ぶ競り場でみて、午前8時くらいに終了する。市場にいること今回は6時間。しかも新潟市はそのとき冷凍庫の中のようだった。とてもそばという気にはなれない。どんなに飢えてもチェーン店では食べないのがモットー、しかもネットは見ないので、ずんずん歩くしかない。向こうに洗いざらした紺色ののれんを見つけたときには涙がちょろりとした。
コラム

関東でクロガレイはもっとも在り来たりなカレイなのだ

「黒ガレイ」は関東で一般的だが、関西ではあまり見かけない。関西のカレイ類の供給地が山陰を始め、日本海と瀬戸内海、紀伊水道だからだと思っている。関東の供給地は北海道と東北、常磐なのである。特に北海道は関東最大の魚の供給地であるということからも、「黒ガレイ」をよく食べるようになったのだと思う。ただ、問題なのは関東に住んでいるほぼすべての人がカレイはカレイでしかなく、種類があることすら認識していないことだ。ましてや「黒ガレイ」が2種のカレイの総称だとわかっている人はいないだろう。土曜日の昼下がり、近所のスーパーで売られていた「黒ガレイ」は標準和名のクロガレイであった。もう1種の「黒ガレイ」であるクロガシラガレイは昨年、今年とボクがが知る限りは見ていない。姿もそっくりなら味も同じ。やや水分が多く、身(筋肉)のうま味の量が少ないものの、料理次第ではとても味わい深い。ちなみにクロガシラガレイは東北太平洋側にもいるが、クロガレイは北海道の特産種である。この安くて料理次第とはいえ、おいしく食べられるカレイは2種あるとかはどうでもいいので、せめて「黒ガレイ」という言語でおぼえて欲しいものである。今回の切り身パックは側線の形からクロガレイとした。このようなパックを作る場合、1尾をばらさないで詰める方がやりやすいので、並べてみて体高からもクロガレイという結論になる。こんなことはやらなくてもいいので、安くておいしい「黒ガレイ」をみんな食べようぜ、といいたい。
マイワシ
コラム

トルコ風サンドをマイワシで作る

さて、トルコの魚のサンドイッチ(Balik Ekmek)」ってどんなもの? から始まって、古い写真のパンの見た目がフランスパン(我ながら古い表現だけど)のようだった、とか、魚はサバ(サバ属)でトルコなので、Atlantic chub mackerel だろうと行き着いた。それで今度はトルコのイワシはなんだろうと調べたら、Sardalya(Sardina pilchardus (Walbaum, 1792) /ヨーロッパマイワシorニシイワシ) に行き着く。ノルウェー沖からイギリス、ポルトガル、スペイン、地中海、黒海に生息している。きっとトルコでは、タイセイヨウマイワシを使ってサンドイッチを作っているに違いない。
郷土料理

打ち豆文化圏、会津で打ち豆を買う

打ち豆という大豆の加工食品がある。大豆をもどしてぺたんこにつぶし、また干したたものだ。山形県米沢市・高畠町、新潟県各所、福島県会津地方、富山県氷見、福井県勝山、滋賀県北部余呉長浜で買って撮影している。もっと他の地域でも食べられていると思うが、山陰などでは探したが見つけていない。また太平洋側にはないのかも知れない。例えば青森県、岩手県には、「豆しとぎ(米のもある)」という粉状にしたものは普通に見られるが、打ち豆はないと思う。会津地方で打ち豆を買ったのはこれで二度目だが、前回は会津若松市で、今回は猪苗代でも南会津でも西会津と3カ所で買い求めている。考えて見ると中通り、浜通りでは見ていないと思うが、次回福島に行ったら探さないとダメだ。
お握りの型
料理法・レシピ

ほぼ初めての握り飯は、塩サクラマス握り飯

昨年の秋、近所のなんでもかんでも売っている巨大なホームセンターで、目的のものが見つけられなくて迷子になって泣きたくなっていたら、眼の前にたくさん並んでいたのが握り飯の型である。握り飯といえば東京都大塚にある『ぼんご』だ。昨年暮れに立ち寄ったら、行列ができていた。この店、回転が早いので、並ぼうか? とは思ったものの、行列の長さが2倍以上になっているではないか? 板橋もそうかな? 諦めて帰ってきた。大塚でときどき仕事をしていたときなので、40年くらい前から知っているが、こんなに長い行列は見た事がない。ボクは不器用なのでお握りを握れない。でもときどき無性に食べたくなる。ただ、コンビニのお握りはあまり魅力がない。スーパーで売っているものなんて最低である。あまりにもたくさん並んでいたので、いちばん簡単な形のものでいちばん安いもの買ったが一度も使っていない。
コラム

イガイに挑んで意外な手強さに苦しむ

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で宮城県産だという、「しゅーりがい」を買う。重さをチェックしたクマゴロウの恋女房は、ためらうことなく伝票に「ムールガイ」と書いた。今や「しゅーりがい」も、「しゅうりがい」も、「いのかい」も、イガイも消滅して、「ムールガイ」になってしまったのだ。本来、Mulgaï (ムール)はヨーロッパイガイと日本列島でも大繁殖しているムラサキイガイの、ヨーロッパ、アメリカ、カナダの呼び名であって、イガイはイガイなんだけど世間は標準和名イガイすらを抹殺しようとしている。驚くべきは産地の伝票すらムールとなっていることが多い。簡単にいうと、本来日本列島にいたイガイは、ヨーロッパから来た新参者のムラサキイガイに流通の場で量的に負けており、最近では呼び名すらカッコイイからかも知れないけど、「ムールガイ」にされているのだ。これじゃ、ヤマト王権に抹殺された縄文人じゃねーか。千葉市で、本来はマイクロシェルという、実に深い奈落のような底を這うような世界の研究家、黒住耐二さんとイガイ属の検索に関して話してきた。イガイ属の同定はとても難しい。簡単に考えると簡単だけど、自分で検索項目を考えないといけない。国内海域には本来いなくてサハリンなどからの移入種、キタノムラサキイガイを加えて考えると、余計に難しく脳みそが奈落の底に落ちていくような気がする。さて、イガイは撮影が終わったら、少量の水分(真水)で蒸し煮にしては貝殻の内側を撮影する。
料理法・レシピ

イシダイのかぶと煮、2通りの煮方

神奈川県小田原魚市場、二宮定置にイシダイをわけていただく。ありがとう!イシダイは時季になると食べ頃サイズ、1.5kgから2㎏の同級生が大きな群れを作って定置網に入ってくる。イシダイは漁の盛期を迎える。春はイシダイの食い頃、かつ旬なのである。とまでは何度も述べている。3月半ばのイシダイ料理の続きだ。市場での立ち話、「最近、カレイ(他の魚でも煮つけ用は)が人気がないのは煮つけを家庭で作らないからだ。店で出すと売れるのに……」から煮つけ方には2通りあるという話をば。なぜ、煮つけを家庭で作らないんだろう?失敗しにくい料理だし、歩留まりよく食べられるのに不思議でならない。たぶん、料理雑誌や料理本がいけないんじゃないかな? 難しそうに書きすぎている。要は魚など魚介類を液体で熱を通すだけなのだ。
加工品

米沢でわざわざ作っている昔ながらの「塩がつお」

福島県から山形県の、太平洋側と日本海側のど真ん中を走る尾根に、比較的大きな盆地がぽつんぽつんとある。そのひとつに米沢市はある。伊達家、上杉家と有力大名が藩主となるくらいなので、稔りがよく、戦国時代には重要な拠点であったはずだ。この本州東北地方の真ん中に点在する町の産物は非常に面白い。米沢織があり、食べ物では山菜、コイが有名である。東に三陸、西に越後と水産物も東西から送られて来たに違いない。米沢市には地方公設市場がある。ここにある『かねしめ水産 ケーエスフーズ』で作っているのが「昔ながらのしょっぱい塩がつお」である。東北地方太平洋側ではとれたカツオに塩をして、山間部に送っていた。その終着点のひとつが米沢であったのだと思う。ちなみにこの国では長い間、魚介類を生で山間部に送ることは出来なかった。1925年昭和になり、1950年代高度成長期になってもこの国のコールドチェーン化(生鮮品の保冷しての流通)は進んでいなかった。1960年代になって初めて一般家庭で冷蔵庫が普及し始め、魚介類の水揚げから流通、販売、消費まで通しての保冷・冷凍技術が確立するのは1970年代になってからだという人も少なくない。当然、三陸ではコールドチェーンが確立するまで、カツオは節加工するか、塩蔵して出荷していたのだ。この産地から来ていた「塩かつお」の、塩分濃度が年々下がるとともに、入荷量が減ってきた。そんなとき消費地である米沢で作り始めたのが、この塩分の非常に高い「塩かつお」である。世の中が減塩減塩と騒ぎ、加工品全体の塩分濃度が下がる中、米沢近郊ではまだまだ塩分濃度の強いものが好まれていた。このように本来魚介類の産地で作られていた加工品が作られなくなり、消費地で作られるようになる例は少なくない。
加工品

めじで伝統食品、「塩まぐろ」を作る

八王子綜合卸売センター、福泉でクロマグロの若い個体である、「めじ」を買った。触った限りは脂はないとみたが、非常に美しい個体で思わず手が出てしまった。念のために鰭の確認をして、体のキズのあるなしを見る。鮮度がよく、美しいだけではなく完全無欠に近い。我がデータベースは同じ魚でも繰り返し繰り返し、丸々の状態、すなわち形態画像を取り直している。以上は前回と同じ。宮城県気仙沼や石巻で「かつおのだぶ漬け(カツオのだぶ漬け)」、「カツオの塩引き」と呼ばれ、関東周辺で「塩がつお」、三重県志摩地方・熊野地方で作られている「塩ぎり」と呼ばれているものがある。今や絶滅危惧食品であるが、1970年前後くらいまでは日常的な普通の食品であった。東北太平洋側から静岡県くらいまでのカツオの産地で塩蔵処理されて、東北の山間部、東京都をはじめ、関東、東海、紀伊半島の山間部に送られていた。三重県などで作られていたものは、岐阜県などにも送られていた可能性が高い。この日常的な「塩がつお」を産地で作っていた人、流通させていた人、売っていた魚屋などが寿命を迎えつつあり、記憶が永遠に失われようとしている。誤解が生まれそうなので、述べておくと、近年、西伊豆で師走になると飾られ、年取に食べる「塩がつお」が有名だが、あれは塩漬けにして干し上げたもので、ハレ(正月、年取)の日のために作るもの。一般的に流通していた、今回の「塩がつお」とは別のものである。本コラムは、あくまでも日常的に食べられていた「塩がつお」の話だ。山形県米沢市での聞取でもそうだが、じょじょに海辺でカツオの塩蔵品が作られなくなると、消費地で作られるようになる。またカツオではなく、サバ科のマグロ属やハガツオ属、ソウダガツオ属でも作られ、魚屋の店頭に並び、自家消費されるようになる。中でもマグロ類は都内でも魚屋などで生食できないものや色変わりしたもの、小型のもので作られていたようである。
加工品

徳島の「かつ」に歴史あり

久しぶりに東京都大田市場に行った。『フーディソン 魚ぽち』でいろいろ見せて頂いていたら、販売している加工品の中に、なんと「かつ」があった。徳島県小松島市の『津久司蒲鉾』のものである。今や、「フィッシュカツ」というようだが、どうにも、この、こじゃれた名は馴染めない。カレー風味のついた魚肉にパン粉をつけて揚げたものだ。島根県の「赤てん」、山口県などで作られている「魚ロッケ」、中国地方・愛媛県などの「がんす」、佐賀県の「ミンチころっけ」などなどと作り方の基本は同じである。徳島中央市場関連棟で会った老人は1945年の敗戦後、市場に大量に魚肉ソーセージが流通しだしたために、通常の蒲鉾竹輪が急激に売れなくなった。これに対抗するために作られたのが「かつ」だという。ボクは徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の商店街生まれである。ここに乳母車で朝方、食品を売りに来るオバチャンがいて、我が家で必ず買っていたのが「かつ」なのである。初めて食べたときには幼児で、まだテレビでは「チロリン村とくるみの木」をやっていたはずなので、1960年前後だ。口に入れたら辛くて、泣いた憶えがある。ひりひりをとるために砂糖をなめた。いつの間にか、このカレー味で、ぴりっと辛く、油でべとべとした「かつ」が食べられるようになり、お昼ご飯のおかずによく食べた。こちらも学校から昼ご飯に戻り、テレビ番組「おはなはん」が始まるまでに食べ終わり、昼休みが終わる1時までに学校に急いだ記憶とともに思い出す。さて、久しぶりに食べた『津久司蒲鉾』のフィッシュカツがとてもおいしいのは、懐かしさがプラスされているからかも知れない。ソースも醤油もつけないで、そのまま食べるのが好きだけど、食べ始めると止められない。2パック4枚しか買わなかったことを大いに後悔した。ちなみに徳島県内では、いくつもの蒲鉾店が「フィッシュカツ」を作っている。それほど違いはないが、いろいろ食べ比べてもいいだろう。ここだけの話だが、ちょっとだけ寂しいのは、昔食べた、あのべとべとがなくなり、あっさりと胸焼けしない味に変身していることだ。もう一度だけでいいので、あのべとべとが食べてみたい。
コラム

根ボッケの開き干しが超高級であるのは当然だ

3月18日に八王子綜合卸売センター、福泉で買ったホッケは体長48cm・2.07kg なので特大といってもいいだろう。ホッケは出世魚で、アオボッケ→ロウソクボッケ→ハルボッケ→ネボッケ(根ボッケ)と名前が変わり、値段も成長にともない上昇する。ハルボッケまでは安いが、成魚、ネボッケになると根が急激に上昇し、1㎏を超えると高値がつく。2㎏上は非常に高い。ちなみにホッケは孵化した稚魚や幼魚は産卵した岩礁域にいて、成長すると沖に出る。また少し成長するとエサの豊富な場所に移動し、成魚になると一定のところに居着く。根ボッケとは成魚で、成長にともなう水域の移動をしない個体のこととなる。ちなみに室蘭での聞取では、非常に大型の個体だけを根ボッケという人もいる。ちなみに大型のホッケは本州、関東などよりも北海道で人気がある。北海道だけに見られるのが特大開き干しだが、これは東京の人間などからすると、考えも及ばぬ額で売られている。ちなみに第二次世界大戦の敗戦後、ホッケはまずい魚の代表的なものとされた。カジカに近い魚で、鮮度落ちが比較的早いのに保冷なしの鉄道で消費地に送られ、配給されていたからだ。今でも500gくらいの鮮度のいいものに、今ひとつ値がつかないのは、この悪評が微かに残っているためだと思っている。この比較的安値安定のホッケは街の魚屋さんにとっては値頃感のある魚だが、味から考えると、全体的にもっと高値がついてもいいと思う。さて、過去のデータをみると2㎏サイズは残念ながら3個体しか食べていない。ほぼ10年振りの特大は、持った感触が非常に柔らかいのに驚いた。鮮度が悪いための柔らかさではなく、脂が身体全体に回っているために柔らかいのである。
白子湯豆腐風
コラム

肌寒い春の深夜の白子鍋で、今季これにて白子終い

一般的に「たら」といったらマダラとスケトウダラの2種のことを指す。両種とも北太平洋の冷たい海域に生息、普段は深海にいるマダラは非常に大きくなり、全長1m以上20㎏ぜんごになる。スケトウダラは大きくなっても60cmどまりで1㎏くらいにしかならない。マダラは雄が高く雌が安い。スケトウダラは雌が高く、雄が安い。両種とも産卵前に盛漁期を迎え、マダラは白子が非常に高く、真子が安いからだ。スケトウダラの雌が高いのは真子が「たらこ」で、真子が非常に高いからである。ちなみにスケトウダラの白子はとてもうまいし、マダラの真子も工夫次第ではおいしいことも明記しておきたい。数年前、青森県陸奥湾入り口にある牛滝漁港に「入りだら漁(12月に陸奥湾に入ってくるマダラをとる)」を見に行ったが、雄はていねいに1入りの専用箱に入れられるが、雌はいきなりタンクに放り込まれる。だいたい地元の人も「雌は食わないな」、なんて親戚に分ける雄を選んでいたものだ。さて、やっと本題、今回は白子の話なので、マダラのことになる。青森県産マダラの白子を八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で買った。今季は非常に忙しくて驚いたことに、これが遅すぎる初白子であり、終いの白子となる。しかも買った日は、都心で打ち合わせなどをし、気がついたら深夜2時になっていたことだ。いつもは塩水で洗い、食べやすい大きさに切り、根元にある皮膜と血管をとるのだけど、今回は塩水で洗ってそのまんま昆布だしに酒・塩の中でことこと煮ながら食べた。切り分けないで放り込んだので、昆布の上で韓国風焼肉のように調理バサミで切っては食べる、なんて無風流な食べ方になった。でも口に入れば同じなので許していただきたい。ちなみに本体よりも、白子の方が流通上では主役というのはマダラだけだ。それほど白子は味わい深く、舌の上で脆弱に崩れてとろんと甘い。
料理法・レシピ

めじの腹もを素揚げにして朝ご飯

八王子綜合卸売センター、福泉でクロマグロの若い個体である、「めじ」を買った。触った限りは脂はないとみたが、非常に美しい個体で思わず手が出てしまったのである。念のために鰭の確認をして、体のキズのあるなしを見る。鮮度がよく、美しいだけではなく完全無欠に近い。我がデータベースは同じ魚でも繰り返し繰り返し、丸々の状態、すなわち形態画像を取り直している。だからきれいだとついつい買ってしまう。撮影するからには、食べるのは翌日になる。今回の個体は産地を聞き忘れるといった失態をおかしてしまったものの、見事な画像が撮れた。しかも翌日でも刺身で食べることができた。この「めじ」で12品の料理を作る。熟成を要するものがあるので、現在進行形である。さて、撮影が午前6時過ぎに終わり、被写体である「めじ」を下ろす。今回腹部の内臓を包んでいる部分を三角形に切り取る。材料はこの腹もだけだ。だいたい午前3時には起きてサイトの運営やメールの返信、前日に撮った画像整理をしているので、午前6時を過ぎると腹が減りすぎてなにも手につかなくなる。あたふたと短時間で朝ご飯を作る。
コラム

フトツノザメの煮つけは煮凝ってから食ってなおウマシ

とある青森県青森市のサメ屋が、「フトツノザメでは煮凝りができない」という。本当か?前回は水揚げしてその当日に煮つたら、やたらにおいしかったので全部食べてしまって、肝心な煮凝りのことを忘れていた。サメ屋は日本一のサメ学者らしいので、嘘を言うなんてこたー、ないだろうけど、やってみないことには始まらない。さて、ツノザメ科で一般的に食用魚として流通しているのは「あぶらざめ(アブラツノザメ)」だけだ。北海道・東北は当然のこと、東京都、栃木県をはじめ関東全域でも古くから愛されてきた魚で、とてもおいしいので人気が高かった。それではツノザメ科の他のサメはまずいのか? というとそんなことはない。同じように非常に美味なのである。アブラツノザメが栃木県では祝い事や年取魚(大晦日・正月に食べる魚)として食べられているのは漁獲量が多いためだ。フトツノザメはアブラツノザメと比べると温かい海域を好み、本州以南に生息している。全長1.3mくらいになるものの、サメの仲間としては小型である。水揚げ量は非常に少なく、食用になると思っていない漁師さんもいるくらいである。
コラム

ヤリイカの季節、やっと来たかも?

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で北海道産ヤリイカを買った。外套長(胴に見える部分の長さ)34.5cm・330gの雄である。このサイズくらいからヤリイカの値が跳ね上がる。大型で、魅力的である。
料理法・レシピ

春は名残のイシダイの魚すき

神奈川県小田原魚市場、二宮定置にイシダイをわけていただく。ありがとう!イシダイは時季になると食べ頃サイズ、1.5kgから2㎏の同級生が大きな群れを作って定置網に入ってくる。イシダイは漁の盛期を迎える。春はイシダイの食い頃、かつ旬なのである。とまでは何度も述べている。3月半ばのイシダイ料理の続きだ。さて、三月後半になっても寒暖差が激しく、寒さが温かさに勝る日々、あたりの桜は蕾を一層硬くしている。とても寒くて、深夜などエアコンをつけてしまうことすらある。この寒さ故に作る鍋もそろそろ最後かなと思う頃となった。
コラム

イシダイの中落ちで茶漬けをちゃちゃちゃ

神奈川県小田原魚市場、二宮定置にイシダイをわけていただく。ありがとう!イシダイは時季になると食べ頃サイズ、1.5kgから2㎏の同級生が大きな群れを作って定置網に入ってくる。イシダイは、今まさに、漁の盛期を迎えている。春はイシダイの食い頃、かつ旬なのである。小田原の市場人曰く、3月くらいが味のピークで、じょじょに味は下降気味になるという。個人的には5月くらいまで旬は続くと思っているが、毎日イシダイを見て触っている人間にはもっと微妙な、旬(10日間)の味の違いがわかるのだろう。さて、脂が乗っているので、三枚に下ろす、その包丁が非常に重い。一気に包丁を引けないので、ときどきべったりついた脂をぬぐっては引く。そのせいとばかりは言えないが、中骨にたっぷり身がついている。ついている身を見ながら、不器用も悪くないと独り言つ。中骨についた身をスプーンでかき出しながらにやけてくる。
コラム

3月半ば、小田原魚市場近くの食堂で朝ご飯

神奈川県小田原魚市場、魚市場食堂はとても有名だ。ただ、残念なことに開店時間が遅いので、ほぼ市場人のボクが朝ご飯をとるのは無理だ。いつも、市場人のための食堂、港のオッカサンのところで、朝ご飯を食べる。今回は市場人定食(オムレツ)とブリ刺身、フクロフノリのみそ汁だ。昔は市場人でわいわいと楽しく朝ご飯を食べていたが、最近、みんな忙しくて集えないでいる。その上、春休みなのか、一般客が朝早くから楽しそうに小上がりを占領しているのである。オッカサン達も忙しくて、おちおち世間話もできない。小田原魚市場で魚を見るのは重労働だ。だいたい午前4時過ぎに市場に入り、地物をすべて同定し、基本的に全種の撮影をする。同定できないものもあるが、そのようなものは基本的に市場では無価値なので頂いてきたり、先取りしてもらう。持ち帰ってからが非常に大変なのだけど、ここで書いても仕方がない。ちなみに小田原魚市場場内は吹きさらしで、箱根颪と酒匂川に沿って丹沢から下りてくる冷気で、3月いっぱいは非常に冷える。この沈み込んでくる冷気が体力も気力も奪い尽くす。年のせいかと思ったら若い買受人がそばにきて、「きついっすね」と時候の挨拶代わりにぽつりとつぶやく。南は真鶴福浦、真鶴岩、江ノ浦、根府川、米神、二宮の地元の定置網があり、平塚、東京湾柴などからも荷(魚自体であり、魚を入れた箱でもある)がやってくる。最後に刺網の水揚げを待って、終了するのが7時前後だ。市場で右往左往してほぼ3時間、お腹と背中がくっついてクウクウと鳴る。
コラム

相模湾二宮定置、「しらが」、「かんなくず」のサンド

神奈川県小田原市、小田原魚市場の二宮定置で「しらが」、「かんなくず」をいただいてきた。世の中に未利用魚、未利用魚という人がいるが、●●協会だの、水産庁などが話を広げすぎている。単に無知なのだとは思うけど、問題としても意味のない水産生物を取りあげすぎている。もっと漁業の現場を知り、流通の場に頻繁に通い見続けてから未利用魚問題を考えるべし。ついでに言わせてもらうが、魚価は高い方がいい、なんて愚かな事をいうヤカラがいる。これまた無知蒙昧、バカとしかいいようがない。そんなに単純な話なら問題にならない。もっと現場を見ろ、といいたい。我がサイトではサメやエイなどのおいしさは何十年も伝えてきているつもりだし、アイゴや知名度の低い魚もそうだ。ちなみに知名度が低いだけの魚はとっくの昔に未利用魚ではなくなって、流通の場で値がついている。マスコミなどは無批判にこれらの無知な団体の未利用魚をとりあげているが、問題が薄まると思う。さて、3月半ばの小田原魚市場で見つけた正真正銘の未利用魚は、「しらが」、「かんなくず」である。とてもおいしいと思うが、これを消費者に単純に食べなさい、というの人がいたらどうかしていると思う。タチウオは高級魚であり、未利用魚だ。それはだれでもわかっていると思う。ちなみにエイやサメやアイゴなどよりも、知名度の高い魚の若い個体の方が何倍も深刻な未利用なのだ。未利用魚問題はもっとちゃんと数値化すべきだとも考える。
料理法・レシピ

スルメイカとセロリは出合いのもの

いきなり横道に逸れるが、2023年は体調不良などなどで、あまり魚介類料理が作れなかった。それでもサムネールを数えると1522も作っている。今年はこのままいくと2000を越えそうである。だからこのコラムは年間料理の2000分の1となる。さて、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で日本海産スルメイカを買った。定期的に買っているのは㎏単価の変動を知りたいからだ。ついでにいうとスルメイカは多様な料理に使えるので、いくら買っても無駄にならない。やはり㎏単価は2000円近いんだなと思い2月は逃げた。3月も半ばの月曜日、八王子綜合卸売センター、八百角でセロリの特売を見て、ここ1週間スルメイカを買っていないことに気がついた。スルメイカとセロリは「出合いのもの」なのだ。急いで舵丸水産にもどってスルメイカの袋を下げて、八百角でセロリのデカイ株をかかえて帰宅した。神保町の古書店、悠久堂で辻嘉一の懐石本を手にしたのは、まだ学生の時だった。本の背で買っていたときで、そのときボクは古本の相場を知らなかった。しかもその道の専門店で買うのは死に物狂いで探しても見つからないときだけだ、ということなど、もっと知らなかった。鉛筆書きの値を見て、迷った末に買った記憶があるので、高かったのだろう。辻嘉一の懐石本によく登場した言葉が、「出合いのもの」である。茶懐石の世界の言語ではないかと思っているが、原典が見つけられていない。ちなみに茶懐石・茶会記の書籍は今だにとても手の届かない値をつけている。「出合いのもの」とは、一緒に料理して「相性のいいもの」という意味だけど、ここに季節感が込められている。自身はないが、セロリの旬は春だったはずだ。八百角の特売にピンときたボクも捨てたものではない。
コラム

東京都大田市場関連棟で菓子パン

市場の関連棟は楽しいという話をば。市場に必ずあるものが関連棟である。もうかれこれ半世紀近く市場を歩いているが、鮮魚でも、青果の仲卸であっても、歩いているときは全身の神経を、並んでいるものに集中しているので非常に緊張している。がっちがっちになっているので、歩いた後の疲労感は生半ではない。対して関連棟歩きのときはゆるゆるほんわかなのだ。ちなみに豊洲市場でもそうだが、一般客でも関連棟なら買い物が出来ることを知って置くといいだろう。豊洲などどうみてもプロ以上に一般客向けに変化している気がする。初めての市場に行くと、必ず関連棟の場所をまず確かめておくといいだろう。市場の関連棟は、あまりいい言い方ではないと思っているが、いまだに「昭和」である。マスコミなどでも昭和、昭和と騒がれているので、関連棟に紛れ込むことも立派に観光なのかも知れない。
コラム

オキヒイラギ、久しぶり!

東京都大田市場、フーディソン大田 魚ポチで千葉県産オキヒイラギを発見した。千葉県なので「ぎら」というべきかも知れない。本州から九州までの沿岸域に生息するもので、汽水域にも入り込むヒイラギとは兄弟的な存在である。ヒイラギが陸(おか)からの投げ釣りなどにもくるのにたいして、やや沖合いにいて底曳き網、定置網などに入る。ヒイラギは鮮魚として、煮つけや刺身などになるのに対してオキヒイラギは小さすぎるので、主に加工品になる。地味だけど、未利用魚のひとつである。利用するところと、廃棄するところとがある。現在のように魚価が労働の対価に対して低いとき、このような選別に時間がかかる魚は捨てられがちなのである。鮮魚ではめったにやってこないので、貴重である。
コラム

喜多方市で喜多方ラーメン(?)を食べる

会津・越後の旅の初日、福島県喜多方市に宿泊することにしたのは偶然である。雪国の寒さに限界を感じホテルを探し、その挙げ句、市内のホテルに行き当たっただけ。ついでに言えば、ラーメンは好きだけど、それほど興味があるわけではない。会津若松市(会津の中心)は蘆名氏、伊達氏、蒲生氏郷などがいて中世史に何度も登場する。平安時代の貴族から武士(輸送業者)への土地支配の歴史からも重要だと思うが、喜多方は歴史も産業も勉強不足のせいかてんでわからない。さて、夜の喜多方で軽く飲んだら眠くなり、湯船に入ったところまでは記憶にあるが、ベッドにもぐり込んだ記憶すらない。しかも翌朝目覚めて時計を見ると、なんと午前6時を過ぎていた。熟睡10時間余りはボクの年では危険だと思う。ホテル飯は食わないので、猪苗代への道を角を1本曲がり曲り間違えたら、いきなりC(青)×M(マゼンタで赤)ではなく、C×Y(黄)色の暖簾が目に飛び込んできたのだ。東京ののれんの基本色はC×Mだ。東北地方ののれんの特徴は色が多様だということ。食文化を探す旅では、のれんの色だけを見て回っても充分楽しめる。青森県ではY100×C30なんてのもあったはずだ。このとき午前7時15分過ぎで、やっていなくてもいいや、と思ったらやっていた。店に入ったらビックリするほど、粗野な店だった。逃げようとして、そこにいたオバチャンの雰囲気で逃げられなかった。詳しくは述べぬが、やって来たコップにはラベルがついたままだった。
コラム

小田原水揚げ相模湾二宮定置、イボダイ2尾を食べ比べる

神奈川県二宮町で料理店を営む、Kai君(ボクと比べると遙かに若いので「君」でもいいかな)にイボダイを2尾、いただいた。ありがとう。大小あり、大は野締め、小は活け締めである。そう言えば、最近、小田原ではいただきものが多いので、ほとんどお金を使っていない。Kai君、二宮定置のみなさん、小田原魚市場の方々、買受人の方々には、まことに感謝しておりまする。野締め、活け締めを食べ比べてみて欲しいということで、2日間にわたり、刺身で食べてみた(画像は2日目)。ちなみにボクの故郷徳島県人はやたらに「ぼうぜ(イボダイ)」が好きだ。姿ずしなど名物でもある。東京で魚を調べ始めた頃、いちばん不思議に思ったことは、東京都内ではイボダイを生では食べないし、干ものがメインだということだ。刺身を出している料理店もあるが情報社会の今でさえも少数派である。すしダネにもするが、必ず酢で締める。当然、漬ける店もごくわずかである。神奈川県でも相模湾・三浦半島周辺では生で食べるが、横浜以北ではあまり生では食べない。だいたい、関東ではイボダイではなく「えぼだい」と呼ぶ。「干ものの魚ね、」とわかっている人などいい方だと思う。スーパーに並んでいても気づかない人もいっぱいいる。また、北海道から九州までの沿岸域に生息しているが主産地は西日本だ。ただし、東京豊洲市場で、相模湾産イボダイは群を抜いて評価が高いのである。
コラム

東京都大田市場、TSUKASAで市場飯

東京都大田区東海、大田市場でうんとうまい市場飯を食らった。市場飯は「食す」でも「いただく」でも、「食べる」でもなく、「食らう」のである。野生を取り戻し、がっついて食ってこその市場飯だ。くどいようだが、市場の旅につきものなのが市場飯である。ほぼ47都道府県の市場飯を食べているが、過酷な市場巡りの後の「食い気」は年をとっても衰えない。いきなり寄り道になるが10年以上前、重い荷物を持っていたらターレーに乗った若い衆が正門まで乗せてくれたことがある。途中で「飯を食おうか」と言って、一緒に行ったところが「吉野屋1号店」だった。単純に「大盛り牛丼の汁だく」にみそ汁だった。この店員さんも、仲卸の社長クラスですら、「水産物飯」ではない。社長クラスが築地時代に連れて行ってくれたのも、中華だったり、恐るべきことに焼肉だったりした。間違いなく真の市場人で魚介類を食う人は少ないと思っている。さかな、さかな、と市場に来る人は9割方観光客だろう。これなど豊洲市場の千客万来というぼったくり飯を見ても明らかである。ボクも自宅では年間1500以上の魚料理を作って食べているので、市場に行ったときくらい魚は避けて通りたい。だいたい仕入れ値がわかる人間なので、向こうもイヤだろう。ただし、カネ十のトッツァマみたいに、年がら年中『い和多』の日替わり弁当ってのもイヤだけど。大田市場には有名なすし屋もあり、人気の海鮮丼を出す店もある。こんなところにも行ったことはあるが、基本はそば屋か中華にしている。ちなみに大田市場の関連棟はとても面白いのである。今回は魚を持っていたのでやっちゃ場には行けなかったが、市場の水産棟よりも、青果や脇の関連棟での時間が長かったりする。今回、そば屋にするか、中華にするか、迷って右往左往し、結果、中華の店『つかさ』にした。決め手は客の数である。客が出ていったと思ったら、すぐに後から客がくる。行列の出来る店なんてエンガチョーンで、この程度がいちばんいいのだ。入ったら間違いなく家族経営の店だった。大田市場では過去にも中華を食べているが、店の名前はおぼえてない。
料理法・レシピ

最高にうまい刺身を凌駕する、イシダイのバター焼き

相模湾でイシダイは、3月から4月いっぱいまでまとまって揚がる。この大どれと旬と重なる。これは全国的な傾向なので、神奈川県だけでなく日本全国がイシダイの食べ頃を迎えているのだ。神奈川県小田原でも当然の如くイシダイが大漁である。扱いきれないくらいの量が揚がると漁師さんなどはてんやわんやで大変なのである。イシダイのすごいところは、形がいいと、どんなにとれても、買い手がいることだ。
料理法・レシピ

和歌山の美トンボの素焼きポルトガル風?

和歌山のドラマー、御所豊穂さんに美トンボを送って頂く。今流行りの少年隊とか、ボクが唯一ちゃんと見る番組の鈴木愛理のような、といったらいいだろうか、全長50cm弱のとても美しい個体である。ピチピチしている。ちなみにマグロ類の若い個体を探している。今回のは2歳だが、できれば、1歳、0歳も欲しい。以上の続きの続きである。
わずかに残っていた雁木
コラム

十日町市でコイに振られ、城之古青菜を発見

ボクの旅は、昔ながらの食文化を探す旅なので、ある意味特殊である。少数派という以前にひょっとしたらボク一人っきりの旅の形かも知れない。水産物だと、例えば山間部に行ってフグを食べたり、輸入ものの水産物などは食べたくない。できる限りその地を感じるものを食べたい。我が故郷、徳島でキチジ(キンキ)が出て来たときには思わず涙が出そうになった。そんな不愉快な眼にはもう二度と会いたくない。新潟県は淡水魚食の盛んなところである。特にコイとフナは非常によく食べていたことが文献ではわかっている。十日町市で十日町市らしいといえばコイとそばと野菜、保存食ではないかと思う。ついでに少しくらいは雁木(商店などの前に見られる雪よけのひさし)があるだろうと思って行ったものの、「明るい未来を感じていたときの遺産」、アルミ製のものに取って代わられており、ほんのわずかしか残っていなかった。しかも、コイは店が定休日らしく食べられなかった。
コラム

アブライカのムニエルでサンドイッチ

愛知県蒲郡市の三忠(愛知県蒲郡市)さんが、見つけて送って頂いた。それをボクに伝えてくれたのが星野健一郎さん(株式会社フーディソン)である。アブライカはスルメイカなどに近い種ではあるが、非常に生息域が広く、記載に使った固体はハワイで揚がった模様である。国内海域では定置網や底曳き網にぽつんと混ざる程度。まとまって手に入れるのが難しい。
コラム

福島県南会津町田島で茶漬け碗を買う

ボクはからっちゃの息子で、よく近所のオッチャンに「からっちゃのおとんぼはできんぼでよ」と言われていた。訳すと、「からっちゃ」は「唐津屋」のことで、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)では食器店のことをこういった。この「唐津屋」が食器店である地域は広島県で見つけているが、ほかではあまり知らない。関東では「瀬戸物屋」だ。「おとんぼ」は末っ子のことで、「できんぼでよ」は訳したくない。そのせいとばかりは言えないが、やたらに器が好きだ。ちなみにボクの町は小さな小さな徳島県でも、もっとも小さな町だったが、それでも時代の風を食器や雑貨に感じたものだった。だから旅に出て、食器店があったら必ず立ち寄る。食器店には時代の残り香のようなものがある。福島県南会津町田島は四方を山に囲まれている。粉雪が舞い、四方の山から重い冷気がこの町に沈殿しているみたいだ。たぶん会津西街道だと思われる大通りを、西へ西へとずんずん歩く。この冷たさは四国生まれにはきつい。食器店を見つけて一度通り過ぎた。本屋があり、造り酒屋があり、旅館があり、閉店しているもののたくさんの看板建築がある。町の端っこまでたどり着いて戻ってくる。食器店の看板に『ショップおおたけ』とある看板部分が比較的新しく万博以降(1970)であることがわかる。調べてみるともともとは『大竹陶器店』だったらしい。歩いていたバアチャンに聞くと、この通りにはいくつもの食器や雑貨を売る店があったようだ。こんなところにも田島という地が周辺地域から買い出しにくる場所であったことがわかる。ここには会津祇園祭という大きな祭もある。商店があり、大きな祭がありで、周辺の山間部から人が集まってくる典型的な町だ。確か、瀬川清子(偉大な民俗学者。1895〜1984年)は、千葉県久留里をその典型だとしていたはず。ボクの故郷も規模は小さいがそのひとつで、日本全国にこんな町がある。
コラム

和歌山の美トンボのポキ丼は簡単しかもうまし

和歌山のドラマー、御所豊穂さんに美トンボを送って頂く。今流行りの少年隊とか、ボクが唯一ちゃんと見る番組の鈴木愛理のような、といったらいいだろうか、全長50cm弱のとても美しい個体である。ピチピチしている。ちなみにマグロ類の若い個体を探している。今回のは2歳だが、できれば、1歳、0歳も欲しい。以上の続きである。マグロ類の小型は江戸時代には高級魚だった可能性が高い。よく、「マグロは安かった」とあるが、この場合の「マグロ」は比較的大形のクロマグロのことで、現在の2㎏、3㎏、あえていうと10㎏以下のメジサイズは決して安くはなかったのだ。天保期に江戸の魚河岸に大量のマグロが水揚げされるという異変が起こった。このときマグロが暴落する。とても堅実な、ある意味ケチで有名な、南総里見八犬伝を書いた滝沢馬琴が2尺のマグロを買っている。このサイズは江戸時代には「まぐろ」ではなく「めじか」と呼ばれるサイズで江戸っ子好みだったのだ。この小型のマグロ類は決してまずくはない。脂はないけど味があるのだ。ついでにビンナガマグロはクロマグロよりも水っぽく柔らかい。「水っぽい=まずい」という短絡的なことを言う人がいるが、明らかに無知だと思う。水分が多くても味のいい魚は少なくないのだ。
コラム

福島県南会津町で食文化を探す旅

福島県南会津町田島は2006年までは田島町であった。市町村合併はもともと大嫌いだけど、それにしても南会津町の合併は無理があると思う。1718あるとされる市町村の中でも45番目に広く、886.47㎢もある。ボクの生まれた徳島県美馬郡つるぎ町は194.8 km²なので4倍以上だ。
コラム

2024年3月、東京都中央卸売市場、大田市場

市場を巡る旅はブログでは公開していたもの。長年中断していたが再開する。まずは東京都大田市場から。東京都大田区東海という地名はだれも知らないと思う。東京都に住んでいてもわからない可能性が高い。羽田空港の北側と説明するのがいちばん簡単かも。昔は海だったところで、たぶん一面にノリ養殖のための「のりそだ」が立っていたり、アサリやハマグリがとれたり、沿岸の小規模な漁が行われていた場所である。東京都には青果だけではなく、水産物を扱う中央市場が、足立(南千住)、豊洲、そして大田と3つある。中でももっとも遠い場所、車がないととても行けないところにあるのが大田市場である。逆にみると交通機関を使うと僻地だが、車を使うとやたらに利便性がよくターミナルになり得る場所でもある。中央市場は農林水産大臣の許可を得て、大卸が世界中から食品を集めてきて、販売(卸)するところで、大卸、仲卸で構成されている。またこれに付随する関連店舗があるのも特徴である。大田市場には花卉(花)、青果(野菜)、魚介類の大卸があり、その仲卸がある。基本的に中央市場は業者のものであり、一般客が立ち入ることは難しい。大田市場は昔、なんども行っており、珍しい水産物や情報などの提供もいただいている。懐かしい市場と言ってもいいだろう。
コラム

ボクのイカ学、アカイカ科の眼は剥き出し

アカイカ科のスルメイカなどと、ヤリイカ科のヤリイカなどはどこが違うのか? を少しずつ。だいたい見た目が大いに違っているので、そんなことどうでもいいだろう、と思う人が多いのではないか。ただ、どこがどう違うか、と思った人も少数派には違いないがいるはずである。同じような姿で、同じように貝殻の名残が薄いフィルム状で、頭に思えるお尻にエンペラ(鰭)があるので、比較的近い生き物だと思っていないだろうか?この2種の間には分類学的には、深くて暗い河が横たわっているのだ。スルメイカやヤリイカは巻き貝、二枚貝と同じ軟体動物(門)である。頭と思える部分がお尻で、足(腕、どっちでもいい)が生えているつけ根が頭だ。頭から足が生えているので頭足類という。頭足類にはタコの仲間もいる。タコの八ちゃんというのは足(腕)が見た目からして8本だからだ。それではイカは10本だ、というとそんなに単純ではない。移動手段としての足(腕)は8本で、別に触腕という武器を持っていて、これも足(腕)に見えるので10本となる。10本に見えるので十腕上目(階級はおぼえなくていい)という。この10本足(腕)の動物をイカというが、身体に貝殻の名残をちゃんと残していて、おいしそうなぼた餅のような姿をしているのがコウイカ(目)の仲間で、スマートで筒状をしているのが、ツツイカ(目)だ。このツツイカの仲間の、スルメイカやアカイカのアカイカ科と、ヤリイカやケンサキイカのヤリイカ科の最大の違いは眼にありということから。
タチウオ
コラム

東京湾だけじゃない、相模湾にもタチウオだらけ

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウは今、茅ヶ崎通いが続いている。目指すはタチウオである。タチウオと言ったら昔は和歌山県だったが、最近では東京湾や相模湾が本場になっている。昔、神奈川県、相模湾にタチウオは少なかった。東京湾の湾内にはほとんどいなかったはずである。それが今や国内最大の消費地である関東周辺のタチウオ需要が、まかなえるんじゃないかというくらいにわんさかいる。食文化的にも伊豆半島以西では日常的ではあったが、関東ではそんなに当たり前の魚ではなかったことを、おぼえている人も多いはずだ。ちなみに東北でも揚がるようになっていて、いつの間にか全国的な魚になっている。東京湾でも相模湾でも釣り人は大挙してタチウオを目指す。気になるのは、タチウオの釣り味である。そんなに引きがいいわけでもなく、誘いなどにコツがいるようにも思えない。タチウオ釣りは食いたい釣りの最たるもの、ではないか。まあ市場の休日である日曜日と水曜日はクマゴロウの釣り日で、翌日はタチウオとなる。比較的小さなものでいいので、こっそりと1尾だけ誘拐してくる。
アカガレイ
コラム

庶民的だが、ちょっと贅沢なアカガレイ

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に釧路産の美しいアカガレイがあって、思わず買ってしまった。1㎏以上あり、アカガレイとしてはやや高値だ。ここ数年、魚種全般の魚価がぐんと上昇している。カレイ類が比較的高騰していないのは、目立たない姿だからだろう。最近、テレビタレントとか、大げさなことを言うことで生活しているその道の通みたいな人が高級魚や変わった魚にだけ飛びつくのはいいとして、普通の人が普通の魚に関心がなく、比較的マスコミで取りあげられる機会の多い魚ばっかりに目が行くのは情けないと思う。平凡な魚はケ(普段)の日に、珍しい魚・高級魚はハレの日(特別な日に)にということをお忘れなく。普通の魚の代表格、アカガレイは、東北との繋がりが強い東京では昔から好んで食べられていて、馴染み深い魚である。庶民的なカレイの中では少しだけお高く、ちょっと贅沢といった存在である。もちろん、あくまでも平凡なカレイの中での話で、安い価格帯のアサバガレイ、黒ガレイ類(クロガシラガレイ、クロガレイ)、マガレイよりも高い、という意味である。この冬から夏にかけては、この底辺にあるカレイが非常に重要であり、その上にあるのが産卵期のマコガレイ、アカガレイ、そしてその上の価格帯のババガレイ(関東ではナメタ)である。ただ、カレイに種類があることを認識している人は、この国に住む人のほんの数パーセントでしかない。ほとんどの人がカレイに高い安いがあることなども、ぼんやりとしかわかっていないだろう。普通の、日常的なカレイがわかる人は、今どきの言葉を借りれば激レアといってもいい。自然には決して優しくないサーモン(タイセイヨウサケ、サーモントラウト)や変なグルメをきどるくらいなら、少しずつでいいので、カレイ類の名前くらいはおぼえて欲しいものだ。さて、ここ数年の魚価高騰はカレイ類にも及び始めている。さぞや漁師さんや産地の人は儲かっているのだろう、というとそんなことはない。とれる魚の総量が減っているので、産地でも困っているのである。
郷土料理

岩手県宮古産ギンザメの赤ちゃんはだーれ?

ボクは魚類学者ではない。魚類学者になるために不可欠な数学がダメだし、不可欠な英語もだめだし、ペアになってくれる分子生物学者もいない。魚に関して、食文化の分野ではかなりイケテルと思っているが、魚類学的にはパープリンである。福島県郡山水産の田母神真広さんからメッセージがきて、岩手県宮古の須藤水産さんがギンザメの赤ちゃんを確保してくれているという。それが本日やってきた。見たところ、明らかに標準和名のギンザメではないと思われる。さて、なんだろう? なんてよくわからない壁にぶち当たる。このボクの壁を語るには、まずは、魚類学とはなんだろう? から。ボクに最低限できることは、形態学という魚類学の一分野でしかない。これだけでもやたらに時間がかかる。例えば、山梨県西湖で見つかった魚にクニマスというのがある。これがボクにはわからない。ベニザケの陸風型、ヒメマスじゃねーか、と言ったら関わりをもっているのか、生命の星、Sさんは解剖学的にもクニマスでいいという。とするとすでにSさんのグループ、京大のNさんのグループは個体の生理を研究し、解剖し、骨格を調べ、DNAも調べていることになる。今回のギンザメは非常に原始的な魚類である。スズキやマダイなどよりも遙かに原始的な(この言語はネオダーウィニズムでは否定されていた気がする)、サメやエイよりも、さらに遙かに原始的だ。ギンザメの仲間は魚類学の父、田中茂穂(明治、大正、昭和にまたがり魚類の研究をした)の段階でかなり研究が進んでいた。田中茂穂自ら記載したものもあり、彼が学んだアメリカのスタンフォード大学の魚類学者、ジョルダンなどが記載したものもあるからである。ギンザメ類は、今現在、再整理している気がする。ギンザメ類の基礎的な存在、種として記載するもとになった、タイプ標本にもあたっているのではないか。ギンザメのタイプ標本は国内にもあり、アメリカにあるので場合によってはアメリカに行ったのだろうか? 魚類学には途方もなく労力がいる。以上、ギンザメというだけでもいろんな話が浮かんでくる。残念ながら我が家には、ギンザメの稚魚の個体画像がない。かなり前から、0歳のギンザメの個体画像もしっかり撮っておくべきだと思っていたが果たせていない。
ビンナガマグロ
コラム

和歌山の美トンボは味も美美美だった

和歌山県のドラマー、御所豊穂さんに美トンボを送って頂く。今流行りの少年隊とか、ボクが唯一ちゃんと見る番組の鈴木愛理のような、といったらいいだろうか、全長50cm弱のとても美しい個体である。ピチピチしている。ちなみにマグロ・カツオ類の若い個体を探している。今回のは2歳だが、できれば将来、1歳、0歳も欲しい。マグロ・カツオ類は全種、喉からから手が出るほど、若い個体が欲しい。マグロは大きいほど高く、小さいと未利用魚になりかねない。ただ小型のマグロ・カツオがまずいかというと、そんなことはないのだ。ちなみにクロマグロの漁獲枠は決められているが、ビンナガはそこに入らない。この漁獲枠は明らかに現状を知らない役人が作ったもので、問題が多すぎる。だいたい沿岸漁業者に対して厳しすぎ、また成魚をとることを制限すべきであって、若い個体を制限しても意味がない。守るべきは産卵群であって、未熟な個体は巻き網などでの制限はしかたないにしても、定置網や沿岸の釣り漁などの制限は無意味だと思う。だいたい定置網に入って死んでしまったマグロをどうするの? 釣れてしまった小マグロを放流して大丈夫なのか? 役人は筋が通れば現状と食い違ってもなんでもやる、その代表的なものではないか。いかん……、話をビンナガマグロにもどそう。さて、ビンナガは国内産マグロの中でもっとも安い。それじゃあ、もっともまずいかというとさにあらず。マグロは大きさによって味が違っており、ビンナガにも非常にうまいものもある。要するに、うまいまずいを魚種で語るのは低級なのだ。さて、美トンボの全身を撮影し、頭を分解して細々と撮影する。この時点で釣り上げた後、かなりの時間が経っているはずだ。ただ、それでも生で食べられると判断した。むしろ、これなら初手は生で食べてみるべきだ。それほど和歌山のマグロの鮮度保持はすごい。非常に美しい切り身を前にしてつらつら考えてみた。昔、焼津の長兼丸、長谷川さんのオニイサンに、「カツオは春の小さいのがうまい」と言われた事がある。なぜか? カツオのうま味は皮にあり、だからだ。そして静岡県ではカツオの刺身を皮ごと食べることが多い。若い上りカツオは皮が柔らかく、皮つきの刺身にしてうまいが、秋のカツオは皮が硬くて食べられないのだ。
ウナギ屋
コラム

ウナギの旅(仮題)編集日記 鄙には希な南会津のウナギ屋

普通人のための極初歩的なウナギ本を作ろうとしている。いざやりはじめるとあくまでも、一般常識的なことだけで終始したいと思っている割りに時間がかかっている。画期的な書籍にしたいからだ。10年ほど前から日本全国ウナギの旅というのをやっていて、47都道府県もあと2、3県残すだけになった。基本的にネット情報は使わず、市場人(市場の従業員だけではなく、仕入れに来ている人達も)の情報で、ということで終始している。ようするにおいしいウナギ屋巡りにはしたくないのだ。ところがどっこい市場人に教わるウナギ屋はみなうまい。「会津若松においしいウナギ屋があり、南会津にもある」というのは宇都宮市の市場で会った方に聞いた話で、実を言うと、会津若松市の公設市場の方に念のために聞くと、「会津若松にはあるけど、南会津はないでしょう」と言われている。今回、会津に別の魚のことで行くついでにネットで調べたら、専門店ではなく、ウナギが主役だけど丼ものも出すという店があった。せっかく通り過ぎるのだからと、のれんをくぐってみたら、蒸し器から湯気が立っている。とすると関東風となる。ちなみに東日本では、東京などで修行して生まれ故郷に店を出すというのが基本であり、そのあと無効分散(1代で終わる)か繁殖できるか(代々続くか)などと考えるのがとても楽しいのだ。
コラム

トルコ風サンドをタチウオの尾で作る

さて、非常に大昔に作ったトルコの魚のサンドイッチ(Balik Ekmek)」は写真しか残っていないけどどんなものだっけ? から始まって、古いサバサンドの写真の、パンの見た目がフランスパン(我ながら古い表現だけど)のようだった、とか、サバ(サバ属)はトルコなので、Atlantic chub mackerel だろうと考えた。また、トルコ暮らし経験者曰く、Balik Ekmek だったら魚ならなんでもよく、イカなどでもうまいらしい、とかとか。こうなったら徹底的に、Balik Ekmek なのだ、ということにあいなった。小さなマサバやゴマサバ、サゴシ(サワラの小さなもの)などに向いていそうだし、タビノヒモなんて呼ばれている小さなタチウオで作っても、小イカで作ってもうまそうだ。今年は徹底的にトルコ風サンドを作るのだ! というのがここ1、2ヶ月の課題。さて、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが相模湾にタチウオを釣りに行った。その釣果たるやまるで漁師のようだった。その中のいちばん小さいのを選んで持ち帰ってきた。ただし、84cm・345gはそんなに小さくない。トルコ風サンドイッチのタチウオの課題は、相模湾でカンナクズ(鉋屑)と呼ばれているリボンくらいのサイズだけど、禁足状態なので小田原に行けるわけでもなし、で仕方ない。ちなみに、未利用魚解消で重要なのは種(アイゴやイスズミなどなど)のことだけではなく、むしろ成長段階での未利用の方が深刻なのである。タチウオの若い個体はほぼ価値がない。コノシロ大がおいしいのに無価値なのの真逆である。今回、幅広の部分は刺身にし、塩焼きにして、残りの尾に近い部分で作ってみる。材料はレタスとオリーブオイル・にんにくに浸した紫玉ねぎ、イタリアンパセリやパプリカも用意した。香辛料は白コショウ、カイエンヌペッパー、クミンシード。
コラム

涸沼のシジミと南会津の梁取みそ

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に島根県産と茨城県産のヤマトシジミが売られていた。島根でもよかったのだけど、今回は茨城県涸沼産にしてみた。関東では両産地が基本的な産地だが、泥抜きは後者の方がやりやすい気がするからだ。このあたり島根県の水産技術センターにも聞いてみたいものだ。ちなみに、彼の破滅的な、大大、大自然破壊を引きおこした利根川河口堰が出来る以前は利根川が主産地だった、ということも明記しておきたい。石原慎太郎など、本質が見えない、ダマされやすい政治家は不要だと思う。
コラム

シラウオの歴史を調べるのは非常にたいへん

愛知県と三重県の間にある木曽三川は東から木曽川、長良川、揖斐川と大河が並んで海に流れ込んでいる。ここに広がる河口域は伊勢湾のはじまりでもある。今回、いちばん東、木曽川河口域で伊藤勇人さん(三重県桑名市)がとったばかりのシラウオを送って頂いた。非常に上物で、豊洲で買ったらいくらくらいするのか、考えると申し訳ない気がする。ありがとうございました。それにしても木曽川河口域のシラウオは素晴らしい。せっかくなのでこのたび、シラウオの歴史をちゃんと調べたいと思っている。ただこれが非常に難しい。松尾芭蕉、歌川広重、三田村鳶魚、寺島良庵、などなどをみても、よく語られるシラウオ話が載っていないのである。ちなみに「何でも弘法大師話」とはボクが勝手に作った話である。徳川家康がシラウオを三河から連れてきた。頭部に葵の紋がある。また佃島の漁師さんと家康との話などなどは、典型的な「何でも徳川家康話」だ。完全に怪しい話はいいとしても、いかにも歴史的に証明されているかのごとき、佃島漁師の起源には疑わしい部分もある。確かに摂津、佃の漁師は河口域での漁に熟達していた。隅田川河口域での漁の権利は徳川家公認だった、などなどは、歴史的にも証明されている。ただ、徳川家康が摂津から堺に渡るときに舟を出したり、隠密になったりなどはそのまま信じていいものか? 徳川家が漁師をスカウトした理由は別にあるのではないだろうか?太田道灌が江戸城を整備した室町時代、関東では、応仁の乱など子供だましに思えるほど過激な享徳の乱があり、その後も戦乱は続く。北条早雲の後北条氏が支配していたときにも、里見氏、上杉家との戦場であった。江戸は、まるで荒野のガンマンの世界のようだったのだ、と考えている。徳川家康江戸入り以前の江戸はそれなりに市街化されており、港なども整備されていた。それでも数万にも及ぶ徳川家臣団、関連商人が江戸入りした場合、江戸周辺にはそれをサポートする人員が不足していたはずだし、土木など、いろんな業種の専門家が不足していたのだと思う。摂津佃の漁師の江戸入りは単純なるスカウトだと考えている。また深川猟師町と伊那氏の関係も需要である。隅田川(当時は角田川)河口域での漁は佃島の漁師だけのものではないのだ。
サヨリ
コラム

江戸前の閂はやたらにうまし!

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に神奈川県横須賀東部漁協からサヨリがきていた。めったにないサイズなので、思わず記念に1尾買う。横須賀東部漁協は東京湾に面しており、対岸は千葉県の富津岬。東京湾内湾と湾口の境にある。どちらにせよ、ここで水揚げされる魚はすべて江戸前である。サヨリはダツ目(トビウオやダツ、サンマなど)の仲間で身体が細長く、下顎が嘴状に伸びているのが特徴である。琉球列島や小笠原をのぞく日本全国の内湾の表層域に生息している。群れで泳ぎながら浮かんでいる昆虫や甲殻類、海藻などを食べて暮らしている。表層を二艘の船で網で曳いてとったり、刺網などでとる。余談になりかねないが、サヨリの漢字、鱵はあきらかに間違い。国字である針魚、もしくは細魚の方が正しい。少し難しい話になるが、鱵は中国明時代の漢字で、江戸時代には明の本草綱目という本草学の本が、漢字などでもお手本とされていたので、こちらを正字とした。ただ中国の鱵は汽水域にいる種のことなので、国内にもいる汽水域だけで一生を終えるクルメサヨリを指す。また、細長くて銀色でちょっとお口がツンツンしているところが、サンマと似ているため、全国的にサンマ・サヨリの呼び名が混同して交錯している。中部地方でサンマを「さより」という。さて、サヨリには釣り師が憧れる「閂(かんぬき)」というのがある。閂は日本家屋の門や戸を閉じて鍵の役割をする角材のことである。全長35cm前後以上で、まるで閂に使えそうな大きさという意味だ。船釣りではなく陸から釣りあげることが一般的なサヨリとしては、最大級で最近では幻の存在といってもいいだろう。この「閂」が、東京湾から正箱(発泡の箱に2㎏以上で入れられた状態)でくるなんて、横須賀東部漁協って凄いな、と思う。舵丸水産のクマゴロウが「バキバキででっかくて凄いよな」というのもうなずける。ちなみにサヨリは大きければ大きいほど高い。当然、立派な値段だけど、例えば全長30cmくらいを2尾と、この「閂」1尾では、歩留まりからすると後者が断然いいのである。個人的には「閂」はお買い得といいたい。
アキアミ
郷土料理

新潟名物、赤ヒゲ生食いに魅了される

新潟県新潟市は阿賀野川、信濃川が流れ込むところで、沖には佐渡が、思った以上に大きくうずくまっている。新潟市がいかに水産資源に恵まれたところか、一目瞭然である。ここで秋と春に水揚げをみるのがアキアミである。新潟市では「赤ヒゲ」という。アミとはつくがアミの仲間ではなく、れっきとしたエビの仲間(十脚目)で、サクラエビの仲間(サクラエビ科)である。小さなエビなので、じっくり見ないととてもエビだとは思えないはずである。目をこらしてみると実に眼が麗しいのがわかると思う。まるで少女漫画のヒロインのようだ。信濃川・阿賀野川河口域で漁が行われ、すぐに新潟漁業協同組合の競り場に並べられる。新しく明るい競り場に並ぶ、アキアミは非常に美しい。アキアミを盛んに食べるところで有名なのは児島湾があった岡山県、豊前海、有明海周辺である。意外に新潟市のアキアミは知られていない気がするが、鮮度のよさなどは群を抜いて素晴らしい。ちなみにアキアミの生は非常に珍しい。なかなか手に入らない。産地周辺だけで手に入るという意味では貴重なものだ。むしろ、塩辛の方が一般的である。新潟市、岡山県、有明海周辺などで年間を通じて手に入る。国内では酒の肴であり、ご飯のおかずになる。同じアキアミの仲間で見た目はそっくりなエビが朝鮮半島、中国にもいる。韓国ではキムチの材料として重要である。国内以上に水揚げ量が多いようで、韓国内の市場には樽に入って量り売りされている。ちなみにアキアミの漁獲量は年々減少傾向にある。これは温暖化のせいではなく、河川や内湾の自然破壊が原因である。もう遙か昔から、ヒトは自然破壊から、自然を保全する、に切り替えるべきであった。それが何年経っても愚かにも、自然はヒトだけのものと考えているヤカラが多すぎるからだ。
スケトウダラ切身
郷土料理

スケソの煮つけは地味にウマスギ!

新潟県新潟市のスーパーでスケソ(スケトウダラ)の切身を買って来た。わがデータベースのスケトウダラの画像を見直してみると、上越市、新潟市、長岡市などで買った切り身パックの画像がある。日本各地に行って水産生物のことを調べているが、単に「たら」といったとき、マダラと考える地域と、スケトウダラと考える地域があるのか、ないのか、意外に重要だと思うがはっきりしない。ただ新潟市は明らかにスケトウダラが「たら」だ。新潟市民は他の地域では考えられないくらいスケソウダラがすきだ。旧蒲原郡(現上越市)、新発田市や長岡市、十日町市などでも同様だろう。頸城海岸(現上越市)では「ごはんがわりにすけそうだらを焼いて、一人が三本も四本も食べることがある。」とある。『聞書き 新潟の食事』(農文協)理由は簡単である、佐渡も含めた新潟沖でたくさんとれていたからだ。新潟市では「すけそ(助宗)」ということが多い。ちなみに流通上でも、例えば関東の食堂などでも「すけそうだら」で、スケトウダラとは言わない。標準和名がスケトウダラとなったのは江戸時代の本草学の書からとったためだ。川路聖謨が佐渡奉行だったときの『島根のすさみ』でも「すけとうだら」だったはず。さて、北海道、東北、新潟との繋がりの深い東京都でも、とてもよくスケトウダラを食べていた。例えば八王子の市場などには、大量のスケトウダラと、スケトウダラのドレス(頭部と内蔵を取り去ったもの)がきていた。江戸川区に住んでいたとき、甘辛く煮た「すけその煮つけ」を、魚臭くなく、ご飯に合うのでときどき食べていたものだ。スーパーの惣菜売り場にも煮つけが並んでいて、よく買っていた記憶があるのは安かったからだろう。本種とマダラは生息域も生息水深も重なる。ただ漁に2種が混ざることは少ないのではないかと考えている。今、新潟市沖、佐渡周辺ではとてもたくさんとれていたスケトウダラがあまりとれなくなり、マダラがあくまでも比較しての話だが増えているようだ。今回は新潟市、十日町市、阿賀野市でスケソの切身を探すと、5軒すべてに切身が置かれていたが、すべて北海道産だった。これも新潟沖のスケトウダラが減っているためだろう。ただ、スーパーで会った方に聞いた限りでも、新潟市周辺でのスケソ愛はかわらないようだ。
料理法・レシピ

鳥取県産のボイルホタルイカでタリアテッレ

今季初ホタルイカは鳥取県産だった。スーパーで買ったのも鳥取県産だったのは、スーパーが近所なのでバイヤーが通う荷受け(国内から水産物を集めてくる大卸)が同じなのだろう。これをそのまま食べて、料理にも使った。
コラム

出水は八代海で、鹿児島県も広うござんす。カワハギの話

さて、旅に出ることもできなかった上に、豊洲すら遠いと思えるような日々だったので、相変わらず八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産と、お隣、八王子綜合卸売センター、福泉が海に開く扉であった。そんな舵丸水産にこのところ何度か、鹿児島県出水市からカワハギが来ている。鹿児島県といっても、ほぼほぼ熊本県でお隣は水俣市である。東京にとっては人気のある産地で、「鍋鶴よりも新子」といった感がある。八代湾にはまだ一度も行っていないので、熊本県から鹿児島県にかけて南下してみたいという願望が募る。カワハギの産卵期は晩春から夏くらいまでと長い。南ほど早いと思うので、産地ごとに季節ごとに食べている。意外にカワハギの産卵期を見極めるのが難しいし、旬にしてもそうだ。ちなみにカワハギは産卵後回復したときにも味がよいが、産卵期が長いのでいつくらいから味が回復しているのかわからない。そんなこんなで今のところ、旬は初秋から晩春としている。
マガキ
コラム

大分中津豊前海のカキは小振りなれどウマシ

関東に住む利点はなにか? 国内でもっとも経済力(最近のは卑しい経済力だけど)があるので、世界中、国内各地の水産物に触れられ、また買って食べることができるということだ。マガキなどその最たるものである。関東では、北は北海道オホーツク海周辺から南は九州北部まで、がんばれば日替わりでマガキの産地巡りができる。もちろん消費地での金に飽かしての楽しみよりも、地方に住む人が、その地方の地ガキを食べる方が上なのだけれど。海岸線で海水の中の植物プランクトンを取り込んでマガキは育つ。そのよさは、その土地の気候、その地域の海の状態が感じられるところなのだ。我がサイトの目的は水産振興でもなく、動物学を極めるためでもなく、あえていえば食材のことを調べていることすら手段でしかない。この列島の季節、多様性をそのままに楽しむためのものだ。あえて言わせたもらうなら、もうこれ以上自然破壊はやめて欲しい、という切なる思いも込めている。だからマガキは陸上などで養殖して、ナショナルブランドのチョコレートのごとくしてはならぬ、といいたい。この国も、少しは季節やこの国の特性・特徴を大切にしてはいかがだろう。さて八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に大分県中津市、豊前海から小振りなマガキがきていた。シングルシード(マガキをバラバラの状態で定期的に回転させながら養殖する)ではなく、普通に養殖されたマガキだと思われるが中津で垂下式が可能なのだろうか? 中津市周辺、豊前海のものかも知れない。余談になるが、最近では垂下式のカキを下に見る報道を多々見受けるが、このような報道をするヤカラに限ってシングルシードと垂下式の違いがわかっていないと思う。値段からしても垂下式にはがんばっていただきたいと、真剣に思っているが、いかがだろう。中津市には、国内では貴重な広い中津干潟がある。ここにはカブトガニなど、国内ではほとんど見られなくなった貴重な生物が生き残っているところでもある。いまだに埋め立てという極悪非道なことを平気で考える、現代の鬼が消えていないがため、中津干潟の行く末が案じられて仕方がない。ビルを建てることは埋め立てにつながり、余分なゴミを出すことも同じである。ヒトは自然を考えて生き、また食うべきである。中津産マガキには思う事が多すぎる。
トド,ボラ
コラム

錦江湾、寒トドの味は別格以上

できるだけ大きなボラを探している。こんなときに頼りになるのが、鹿児島市の田中積さんである。鹿児島の魚と言ったら田中水産といった会社で、すぐに錦江湾で揚がったばかりの寒トドを送ってくれた。ボクにとっては未知のサイズである。普通、魚の味は見ただけで想像がつくことが多いのだが、この2㎏上ばかりは勝手が違った。ボラは熱帯域を除く世界中の海域に生息している。世界中で食べられているといってもいいだろう。庶民生活の記録されはじめた江戸時代には明らかに高級魚であり、ときに贈答用にも使われていた。汽水域や内湾にいるおいしい魚が食卓から消えたのは、川と海の汚染のせいである。いまだに臭味のあるボラがいるけれど、きれいな水域のボラに臭味はない。ボラを食べるたびにこの国の水域のことを考える。
コラム

淡路のマアジでウマスギ昼ご飯

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に兵庫県淡路からマアジが来ていた。体長20cm・128gで、ボクがいちばん好きなサイズだ。ちなみに旬の5月頃になると淡路島のマアジは同じ体長で150gくらいになる。要するにまだまだ旬とは言えない2月ではあるが、淡路島のマアジは別格だということを語りたい。兵庫県淡路島の、島の南島にある、島のまた離島である沼島(ぬしま)で聞いた限りでは、島周りでもマアジの味が違うらしい。当然、沼島などでは島周りでもいちばん味のいいポイントでマアジを釣っているわけで、淡路のマアジがまずいはずがない。淡路島では非常に繊細な仕掛けでマアジを釣っている。いくつかの根があり、その根周りに船を集めて釣り上げるのだが、釣り上げたときも魚体に触れることはない。そのまま生け簀に落とし込んで生きたまま帰港する。箱詰めするときにも手で触ることなく氷締めにして競りにかける。これが水氷(海水に氷を入れたもので、魚体全体が均等に冷える)で、それほど時間がかかるわけでもなく、関東の市場に来る。
コラム

トルコ風サバサンドをマサバで作る

さて、非常に大昔に作ったトルコの魚のサンドイッチ(Balik Ekmek)」ってどんなもの? から始まって、古いサバサンドの写真の、パンの見た目がフランスパン(我ながら古い表現だけど)のようだった、とか、サバ(サバ属)はトルコなので、Atlantic chub mackerel だろうと考えた。また、トルコ暮らし経験者曰く、「Balik Ekmek だったら魚ならなんでもよく、イカなどでもうまいよ」という話も参考にする。こうなったら徹底的に、Balik Ekmek なのだ。意外に小さなマサバやゴマサバ、サワラなどに向いていそうだし、タビノヒモなんて呼ばれている小さなタチウオで作っても、小イカで作ってもうまそうだ。いざ! 今年は徹底的にトルコ風サンドを作るのだ!さて、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に鳥取県からマサバ体長37cm・0.62kgが来ていた。迷った末に買った。理想的なのはもっと脂の少ない、問題ありのゴマサバかマサバだった。今回のマサバはよすぎるのである。最初の一巡り目なのでもっともスタンダードに、レタスと、玉ねぎを用意する。トマトやパプリカなどなどは二巡目にとっておく。パンにしてもできれば米粉パンだけど、手に入れやすいバゲットで通す。
ムシガレイ
コラム

深夜ムシガレイの骨せんべいで、3ヶ月振りのウイスキーハイボール

2月12日。八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産のクマゴロウは久しぶりの釣行に欣喜雀躍、静岡県熱海市網代まで押っ取り刀で駆けつけた。まではよかったが、絶不釣だった。焼け糞になって釣れた魚を全部くれた。という話を書いた。この中にムシガレイが2尾混ざっていたのだ。カイワリ釣り、アマダイ釣りでお馴染みのゲストで、たぶんカモメの餌になってしまったり、そのままお帰り願う釣り師も多いのではないかと思う。相模湾ではあまり人気がある魚とは言えないが、島根県など日本海側では「水がれい」と呼び、干もの原料として重要である。実際、島根県の干ものは絶品なのでお試しを。ムシガレイは琉球列島、小笠原諸島、九州南部などをのぞく日本各地にいて比較的暖かい海域では沖合いの若干深い砂地にいて、冷たい海域では浅場にいる。新潟県の一部で「浅場ガレイ」と呼ぶのは日本海の海水温が比較的低いからだ。
鹿児島湾
コラム

鹿児島、錦江湾のコモンフグはうまかごわす

鹿児島県鹿児島市、田中水産さんにコモンフグをいただく。もちろんみがき(毒を除去したもの)で、非常に身が硬く締まっている。ちなみにしっかりした業者の方が毒を除去したものは、フグ調理師のいない飲食店で扱ってもいいし、個人が食べても問題ない。しかもフグは毒さえ除去すれば誰が料理してもうまい。今回のコモンフグは、鹿児島市と桜島の間、錦江湾で揚がったものだ。鹿児島市の魚市場は錦江湾をのぞむ位置にあるので、まさに前海ものといえる。錦江湾では深海の魚介類も揚がり、定置網もあるので浅場の魚介類も揚がる。こんなところに鹿児島の魅力を感じる。
コラム

兵庫県産ハタハタを食べて、ハタハタについて考える

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に兵庫県日本海側、浜坂からハタハタが来ていた。この小振りのハタハタのうまさを知る人は少ない。昨年は一度も買えていなかったので、大発見した気分になってまとめ買いする。また、大きいものの方が高いが、味は大きさに正比例しないことだけは知っておくべきである。ハタハタは西部北太平洋の沖合いに生息している。本州太平洋沿岸にも少ないながら生息しているが、日本海、北海道に圧倒的に多い。ハタハタ科は上の階級までたどるとカジカ(カジカ科)に近い魚だ。ハタハタ科は世界中に2種。日本周辺に多い本種と、もう1種は東部北太平洋にいる、 Pacific sandfish である。古い図鑑をみるとエゾハタハタという魚がいるが、このPacific sandfish と、国内海域にいるハタハタを混同したための無効な和名である。ハタハタには北海道、秋田、朝鮮半島で産卵する3系統がある。漁期も産卵時期も異なるので、北海道では未成熟なものと、成熟したものがともに揚がり。秋田県は比較的成熟したものが揚がる。能登半島以西の日本海では未成熟なものだけが揚がっている。もっとも昔からハタハタを食べていた秋田県や山形県でのハタハタを考えると、非常に地域性の高い魚だと思えてしまうが、実は広範囲に回遊しているのだ。例えば太平洋側にも少ないながらハタハタがいるが、生まれは日本海や北海道らしい。ハタハタは回遊魚なのだ。山陰沖のハタハタ漁は9月から5月までで、ボクの個人的な感覚では春の魚といった感じがする。今回の個体の腹からは大量のホタルイカが出て来た。山陰沖の個体に脂が豊かなのは、同じ海域にいる春の味覚、ホタルイカのせい、かも知れない。これを山陰ではハタハタと呼ばず、白ハタという。山陰に行くたびに「秋田や山形のとは別の魚だ」、とくどいほど言われるが、確かに味はまったく違っている。秋田、山形はブリコを喜び、冬の風物詩として喜ぶべきで、山陰ものは本体自体を楽しむもので別種、別物と考えるのは正しいことだと思っている。今回、兵庫県浜坂のハタハタは体長16cm・50g前後しかない。9月の北海道釧路産が体長22cm・重さ130g前後だったのと比べると、重さ半分以下しかないものの、脂ののりでは浜坂産に軍配が上がる。
クモヒトデ
文化

関東では昔懐かしい味のキンキ

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に岩手県宮古からキチジ(岩手県ではメイセンともキンキともいう)がきていた。漁業的には千葉県銚子以北の太平洋、オホーツク海で揚がる魚である。水深200m以深に多いので正真正銘の深海魚だ。甲殻類や棘皮動物、特に深海底にいるクモヒトデを飽食している。口に入れるとじゃりじゃりするクモヒトデで、なぜあの上質の脂が身につくのか、不思議でならない。
ヒメコダイ
コラム

ヒメコダイは釣りの本命ではないが、うまい魚だ、という話

ご近所の蛸さん(岩崎薫さん)が沼津沖で釣り上げた、喉から手が出るくらいに欲しい魚を持って来てくれた。それは小さいけど、ボクにはでっかい存在なのである。それだけで充分なのだけど、オマケまでいただく。蛸さんありがとう。オマケはまだ赤々としたヒメコダイである。蛸さんが出船した静岡県沼津ではアカラサ、相模湾ではアカボラという。マダイやアマダイ釣り(アカアマダイ)などでお馴染みのゲストである。千葉県外房・若狭湾以南の沖合いにいる体長20cmほどの赤い魚である。古くはハタ科であったが、現在はハナダイ科となっている。しかもヒメコダイは他のハナダイ科の魚と似ても似つかない。単独で亜科を形成しているので、将来どうなるんだろう? と想像を巡らせる。さて、本種は内湾の漁が盛んに行われ、天種の「めごち(ネズミゴチを初めとするネズッポ科の魚)」が大量にとれて安かったときは、小魚の割りにうまい魚という存在でしかなかった。それが「めごち」がとれなくなると、天種に使われるようになり、すしダネにも、となって少し存在感が大きくなる。流通に乗る機会も増えている。いつの間にか本種は流通すれば売れる魚になっている。ただ、鮹さんもそうだが、釣り師はヒメコダイにいささか冷淡すぎるようだ。生息する水深が重なるために、アマダイ釣りではヤな存在なのかも知れない。ちなみに沼津沖で見事シロアマダイを釣り上げた蛸さんはすごい、と思っているので、ゲストばかりほめていると思わないで欲しい。さて、ヒメコダイは昔からとても好きだ。1980年代、ゲストと呼ばないで外道と呼んでいたときは、小田原、五郎丸の船頭に「外道ばっかり釣りやがって」、と言われながら喜んで持ち帰っていた。当時からボクは食うために釣りをするタイプの釣り師だったためだ。
塩蔵タイセイヨウサバ,バゲット
コラム

サバサンドトルコ風をタイセイヨウサバの塩サバで

さて、トルコの魚のサンドイッチ(Balik Ekmek)」ってどんなもの? から始まって、古い写真のパンの見た目がフランスパン(我ながら古い表現だけど)のようだった、とか、魚はサバ(サバ属)はトルコなので、Atlantic chub mackerel だろうと行き着いた。とにかく最初はあるものだけで、らしいものをサワラで作ったら病みつきになるくらいにうまい。でもキロあたり2000円はするサワラを日常的な食に使えるか、というと難しい人も多いと思う。次ぎにボラで作ったが、なかなかサバに行き着かない。そんなこんなで近所のスーパーに牛乳を買いに言ったついでに、お昼ご飯用に、塩サバを買う。これなら下ろす必要もないし、骨なしとあるのでそのまま揚げても、ソテーしてもいい。ちなみに今回の塩サバはノルウェー産なので、タイセイヨウサバである。トルコでも使われている可能性は大だと思っている。
ハタハタ
コラム

ホタルイカはハタハタのオマケなれどやたらにうまい

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に兵庫県日本海側、浜坂からハタハタが来ていた。この小振りのハタハタのうまさを知る人は少なく、今回など魚が少ないにも関わらず安かった。お隣の兵庫県但馬漁協からもハタハタがとれ始めているという話を聞いていたので、やっと来たんだなという思いである。秋田県など東北日本海側のハタハタは産卵回遊群である。この冬に揚がる個体は雌の卵巣を尊ぶもので大きいので高値がつく。確かに「ぶりこ」と呼ばれる卵巣の味は抜群にいいし、冬の風物詩でもあるものの、身(筋肉)の味は落ちる。また大きいので自宅で料理しにくい。春に福井県から島根県で揚がるハタハタは、卵巣こそ膨らんでいないが、脂がのっていて、身に張りがある。小さいので家庭で調理しやすい。この山陰、日本海で揚がるハタハタの評価は低すぎると思っている。
カイワリ
コラム

伊豆川奈沖のカイワリで2日暮らす

2月12日。八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産のクマゴロウは久しぶりの釣行に欣喜雀躍、静岡県熱海市網代まで押っ取り刀で駆けつけた。まではよかったが、絶不釣だった。焼け糞になって釣れた魚を全部くれた。焼け糞になるくらいなので大した量ではないが、中にカイワリが2尾混ざっていたのだ。体長18cm 190g 前後なので、相模湾静岡県川奈沖としては小振りである。あくまでもボクの私見だが、釣りとは不思議なもので、釣れるときは数釣りもできるし、大物も来る。釣れないときは比較的可愛いのが少しだけくる。たぶん、魚界の味の大御所はカイワリである。キチジ(キンキ)もアカムツも吹っ飛ばすくらいの、横綱級の安定感がある。大御所で横綱なのにスーパースターではない、ことが不思議である。世の中、ド派手な方が好きみたいなのだ、見た目に惑わされてはならぬ、味に酔え。最大級でも体長30cm弱の体高の高い可愛らしい魚で、北海道にもいるが、水揚げを考えると本州以南、九州の魚だ。水揚げは西日本の方が多い。アジの中のアジであるマアジが稚魚期などは水深2m前後にいて、成魚になっても比較的浅場にいることが多く、水温が下がっても100m前後までしか落ちないのに対して、稚魚期ですら水深60m前後、成魚では常に水深100m以上にいる。この深場にいるからこそだとは思うけど、季節による味の変化が少ない。もっとも味が上昇するのは3月からだとは思うけど、2月初旬の個体も水洗いして内臓を包んでいるところを指でこしこししたら、脂がねっとりついてきた。
料理法・レシピ

三陸南部沖のマイワシを柔らかーく煮る

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に三陸南部沖のマイワシがきていた。明らかに巻き網もので、漁場は宮城県沖から犬吠埼沖なので、産地(水揚げ港)は岩手県か、宮城県か、茨城県か、千葉県か、かはわからない。この海域の巻き網の漁場はそんなに近くない。例えば北海道や大阪湾などの2㎏の荷のマイワシと比べると鮮度が落ちる。刺身にして食べられなくはないが、どちらかというと焼きもの、煮もの用の魚である。マアジでもサバ類でもカレイ類でもそうだが、これを市場では「並もの」という。世の中こぞって、高鮮度化を進め高価格を目指しているせいか、最近では「並」の方が貴重なのである。ときどき、魚は鮮度が命というヤカラがいるが無知蒙昧、愚か者である。1個千円のイチゴでジャムが作れないのと同じように、使い方によって鮮度の度合い、魚の値段が違っていないとダメだ。上物ばかりでは水産の世界は成り立たない。マイワシは沖縄などを除く日本全国にいて、好不漁の波があるものの、まとまってとれ、味がいいので、非常に重要な魚である。DHA(ドコサヘキサエン酸)を多く含むなど健康維持にも欠かせない。鮮度落ちが早いので、古くは下魚とされた時代もあった。貴族階級の和泉式部、紫式部が隠れてこっそり食べないと食べられない魚で、武家でも殿さんや将軍などの膳には決して上らなかった。だから、例えば徳川将軍の一族、将軍自身が病気がちで短命だったのだ。さて、久しぶりのマイワシは荒天のためにそんなに安くはなかった。この安定しないところも天然ものの魅力である。個人的にはだけど魚介類がナショナルブランドのチョコレートのように、質と値段が一定になっては世も末だと思っている。
レンコダイ
コラム

キダイの塩焼きは殿様に食わせろ!

2月12日。八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産のクマゴロウは、久しぶりの釣行に静岡県熱海市網代まで押っ取り刀で駆けつけた。釣り師の夢はいつも大釣りであり、魚拓級を釣り上げることだ。ところがなんと不運なことに絶不調で不釣だった。ほとんど釣れなかったようで、焼け糞になり、釣れた魚をぜーんぶボクにくれた。ありがと!不思議と釣れないときは数も望めないし、大物も来ない。全部比較的ミニだった。春の日の、大釣りロマンは儚く消え去ったのであった。発泡の箱にはカイワリ、キダイ、ムシガレイが入っていた。中でももっともミニだったのがキダイで、体長18.5cm・217gだった。いったい何号のハリスを使っていたのかわからないが、ナマズ釣りの仕掛けにメダカ、のようではないか。ただし触った限り、小さいのにいちばん脂が感じられたのである。
料理法・レシピ

ボラサンドトルコ風

たびたび登場するが、八王子総合卸売協同組合、舵丸水産で、神奈川県佐島(三浦半島の西側)産42cm・1.1kgのボラを買って、普段作らないものを作った。トルコ風のサンドイッチもそうだ。思い切ってトルコに数年いたことがある友人にも聞いてみた。「トルコの魚のサンドイッチ(Balik Ekmek)」ってどんなもの?1、魚はなんでもいい。イカやエビなんかは高いけどおいしいかったらしい。2、魚介類は揚げてもソテーしてもいいし、ときに塩焼きを挟む人もいる。3、野菜もなんでもいいけどオニオンは必須。トルコには小型で香りの強いのがあるけど、そっちの方がいいという。4、トルコはパン大国なので、魚のサンドイッチに使うパンは多彩。この国の何倍も多彩らしい(この国も多彩だと思うけど)。5、香辛料はチリ、コショウを使ったものが多く、かなり個性的な香りのものもある。ちなみに市場にはインドとか多国籍な食材を売る店があり、東南アジアのオニオンも売っているが、今回買い忘れた。さて、当然、黒海にもボラはいるはず。サバよりもまずボラで、Balik Ekmek を作ってみる。ボラは三枚に下ろす。腹骨・血合い骨を取り、塩コショウして乾燥ディルをなんとなく雰囲気で散らす。オリーブオイルににんにくを混ぜ込み、紫玉ねぎをスライスを和えおく。レタスをちぎる。ボラをじっくりソテーする。もちろん小麦粉をつけて揚げてもいいし、デュラムセモリナ粉をまぶしても、衣をつけて揚げてもいい。トルコでの、魚の揚げ方も様々らしい。後は軽く温めたバゲットに挟むだけ、だ。
コラム

ホッキガイと、ワカメと、湯豆腐と

八王子総合卸売協同組合、舵丸水産で、青森県産のホッキガイ(ウバガイ)を買った。なぜか? 色が面白かったためだ。ホッキガイは黒くて大きい方が高い。茶系は比較的安くて小さいのである。そして今回の青森県産は白だった。真っ白ではなく形態学(生物の形や構造などを主に扱う)の世界でよく使う、青灰色というのが当たっていると思う。青灰色で1個350g前後なので立派なホッキガイである。この色は撮影していないと思っただけでも買うのが、図鑑造りの臣の性なのである。青森県北浜は、本来は八戸あたりからむつ市までの太平洋側のことだが、ホッキガイ漁では八戸市から三沢市までの海岸線をいうようだ。前回、このあたりを寺山修司を思い浮かべながら車で走ったことがあるが、なんとなく暗いイメージだった。この白っぽい貝殻を見ている内に、もう一度行きたくなる。
ボラの塩焼き
コラム

ボラの塩焼きにオリーブオイル

おもむろになんですが、さかな通とは食通と同義語ではなく、さかな(水産生物)の、種の保存を考えながら、自然に優しく、合理的に食べることである。世に食通というか、食べ方や料理法に口うるさく、無意味なことを言いたがる人がいるが、商売ならいざ知らず、そのようなモノはみな幼稚なのである。一般人、普通の人には、あくまで普通に、平凡に、さかな(水産生物)や自然保護を考えながら、食べてもらいたい。また、毎日食べる料理に関しては、この国の伝統的なもの守りつつ、無国籍になるべし、といいたい。今やこの列島は熱帯・亜熱帯になる日も近いと思う。伝統を守るだけでは多様に多様な種を食べて自然を守ることが難しくなっている。さて、八王子総合卸売協同組合、舵丸水産で、神奈川県佐島(三浦半島の西側)産42cm・1.1kgのボラを買ったのは、作りたかった料理があるからだ。我がサイトにときどき手伝いに来てくれる若い衆がいる。国籍はいちいち聞かないが、なんとなくイスラム系かなと思っている。ある日、肉を食べないようなので、魚の塩焼きを食べるかと聞いたら、うなずくので焼いてあげた。見ていたら冷蔵庫に入っていたイタリアンパセリ、フェンネルなどをざっと刻んでかけて、オリーブオイルを回しかけて食べていた。これで白いご飯を食べているのがとても不思議だった。ある夜、NHKで魚を食べている光景だったので、音声を上げたら、たぶん焼いた魚にオリーブオイルをかけているように見え、そこはイタリアだった。確か代々木のポルトガル料理の店でも同じようなものを食べた気がする。最近、トルコのサバサンドが気になって、暮らしていた人間に話を聞くと、トルコでも焼いた魚をオイルと香辛料で食べるという。魚食の国などというが、もうとっくに魚食の民が少数派となっている。米を食べなくなったのもあるだろうけど、この国の魚料理が不自由すぎるのだ。さて、素晴らしい佐島のボラを三枚に下ろして中骨・血合い骨を取る。塩コショウして(コショウは不要かも)少し置き、じっくり焼き上げる。まだ熱いうちににんにく風味のオリーブオイルをかけ、パセリを散らす。今回はチリパウダーをかけてみた。
ケンサキ子
郷土料理

パスタは美しすぎてはいけない、小赤イカのタリアテッレ

2月になり、八王子総合卸売協同組合、舵丸水産に神奈川県横須賀市佐島から小赤イカ(ケンサキイカの子供)が来ていた、というのは何度も書いている.。小イカは使い勝手がよく、やたらにうまいので、一度にまとまって買うべし、だと思っているので、このときも1㎏以上買った。これを水洗いして大きさごとに分けて、小分けにして冷凍して何日もかけて食べた。買った初日はあまりていねいに洗わず、小さいのを集めてパスタに使った。戸棚からあと2つしか残っていないタリアテッレを見つけて、あとは青菜だけのシンプルなものだ。面白いものでパスタには頭足類ツツイカ目の軟体生物がよく合う。
コラム

あまりにも当たり前の料理だけど、サワラの西京焼きは、ずばりウマスギ!

八王子総合卸売センター、福泉で買い求めた全長72cm・2kg弱のサワラの多くの部分を「西京漬け」にした。焼くと「西京焼き」である。「西京漬け(西京焼き)」という言語は京都で生まれたものではなく、関東で生まれたものだと、京都中央市場関連棟で会った人に教わった。考えてみると、当たり前である。京以外に京などあるわけがない、と思っている人の多い京都で「西の京」なんて、奈良市の地名のような言語の料理名を作るわけがない。昔、西陣のうどん屋で、「東京に向かうのは下りです」と言われたことがあるが、それこそが京都人の京都人らしさだと思う。株式会社『西京味噌』の社名も別に東京を意識してつけたとは思えない(そうかもしれないけど)、たぶん宮城の西、室町一条に本店があったためではないか。東京に進出した最初の京の、白みその会社が、西京味噌で、東京ではこれを使って漬け魚を作ったので、いつの間にか、「西京漬け」という言語が東京で生まれたのだ、というのはまだ正しいかどうかわからないということも、明記しておきたい。この米麹みそで、麹分がやたらに多く、塩分濃度が低い上に発酵があまり進んでいない、賞味期限がやたらに短いものを「白みそ」といい、京都大阪などで作られている。なぜか香川にも非常にうまい「白みそ」があるが、やはり旧畿内に量的には勝てない。漬け魚などに使う「白みそ」のあら味噌(粗く濾したもの、もしくは濾さないもの)で関東で比較的簡単に手に入り、また通販で買いやすいのも株式会社『西京味噌』のものだ。とてもよくできたみそで味がいいので、我が家の定番漬けみそとなっている。余談になるが京都市内でいちばんよく買う、白みそは『山利』のもので、湯に溶いただけで頗る付きにうまい。でも東京では一部の小売店でしか手に入らない上に濾したみそしか売っていない。もともと『西京味噌』から「西京漬け」という言語が生まれたとしたら、我が家で作っている白みそ漬けこそがまさに「西京漬け」と言っていいだろう。作るのは簡単である。サワラは切り身にして振り塩をする(振り塩をしない魚もある)。1時間ほど待ち(今回は脂が乗っていたので。脂がないものは短時間でいい)、西京味噌をみりんでゆるめた地に1日以上漬け込む。このとき柚子や実山椒を加える人がいるが、個人的には好きではない。地の劣化が早くなるからだ。地は使い方によっては4、5回使える。香りづけは焼き上がりで十分だと考えている。焼いて食べてみて、ちょうどいい加減のときに取り出して冷凍保存しておく。5切れ作っておいた西京漬けが昨夜でなくなった。自然解凍して、慌てずにじっくり焦がさないように焼き上げ、夕食のおかずにしたけれど、箸が止まらなくなるというか、ご飯がすすむ味なのである。優しい味なのに、ご飯に合う。至って平凡だと思える味こそが普遍的な味だ、と痛感する一瞬でもある。
カメノテ
コラム

カメノテはだれのものか?

カメノテを買うたびに、少し後ろめたい気持ちになるし、今現在の社会のゆがみを感じる。今、全国的に磯物をとるのも、入るのも、漁業者もしくは漁業組合の人だけになりつつある。実際にボクが海岸線で生き物の撮影をしていたら、脅迫行為をされたことがある。アマノリをとっているわけでもなく、撮影していると説明しても、「出て行け」と言われたことがある。地元の人と一緒でなかったら、旅は非常に不愉快なものになったはずだ。広島県では土地に住む人が海藻を採るのは昔、昔から季節の楽しみであったのに、ある日突然に漁業組合員以外の採取が禁止となったという。これなど法律的にも正しいのだろうか? 島の楽しさがなくなり、減少傾向にある島の人口がもっと減ると思う。もしも違法なくらいの量の採取や、密漁を防ぎたいなら、だれが商売になるくらいとっているのか? 真剣に取り組む必要があると思う。一般人が戯れに磯遊びをしたり、きれいな貝をとるだけで、脅したり排除したりしない方がいい。これなど漁業関係者の海岸線の私物化である。昔、愛知県で自然保護活動をしていた方と長々と話をしたことがあり、「漁業者は漁業権を売ることでお金をもらい、自然破壊をしている」、と怒りをあらわにしていた。海岸線の埋め立てや漁港の作りすぎは、漁業者だけの問題ではなく、地球の問題なのだ。海岸線はだれのものでもない。個人的にはレンジャー制度の導入をすべし、と思う。特に成長の遅いカメノテをとるのは漁業者であっても自然破壊というか、とる時期や量を決めないと危険である。最初に流通に乗せたのは鹿児島県ではないかと思うが、高値がついて流通量が俄然増えた。最近やっと値段が落ち着いているものの、根強い人気がある。
板倉町の水郷
郷土料理

群馬県南部の郷土料理「えび大根」について考える

なんども書くが関東平野に群馬・栃木・茨城・埼玉が接する場所がある。面白いことにここをちょっと歩くと4県ぐるりと回ることができる。ここに水郷地帯がある。群馬県館林市で買った「えび大根」のエビはサクラエビを使っていた。冷凍の小エビも入って豪華である。この「えび大根」はボクには貴重な資料だけど、この貴重さがなかなかわかってくれない。我がデータベースの根幹をなす部分なのだけど、世の中は派手派手しいものには飛びつくが、地味で日常的なものには見向きもしない。「えび大根」は関東平野では栃木県でも茨城県でも、群馬県でも埼玉県でも日常的な惣菜である。1960年前後まで洪水に悩まされていた、東京都の隅田川の東側でも作られていたようだ。あえていうと平野部の、広い淡水域のある日本中の町で作られていると考えるべきかも知れない。また、「えび大根」は淡水魚食でも平野型の郷土料理だ。ボクの生まれた徳島県西部は渓流・清流型淡水魚食で、アユ、アマゴ、オイカワ、ヨシノボリで多彩さに欠ける。これに対して徳島県東部吉野川下流域では淡水エビ・淡水魚を多彩に食べていた。この構図が国内全域で当てはまる気がする。2010年前後から群馬県板倉町にはなんどか淡水生物を調べに行っている。現在、十数年経って、急激に淡水生物を食べる食文化が消えつつある。2010年に板倉町で霞ヶ浦産の「干しえび」を買った。どう使うか直売所で聞いて、親切な老人がいて、作り方を再確認して、少しだけエビの話をしたのだ。板倉町、館林市には本流である利根川に沿うように谷田川が流れている。このあたりで淡水魚食が盛んなのは、利根川ではなく谷田川から広がる水路によってだ。老人達の話では「えび大根のエビは昔は溜池のようなところでつかまえていた」という、谷田川のものは買い、ときどき霞ヶ浦から干したものを売りに来た。とすると溜池のエビはほとんど流れのない水域にいるヌカエビ、谷田川のは少しだけ流れのあるところにいるスジエビ、霞ヶ浦のはほぼ感潮域(少しだけ海水の入り込む)に多いテナガエビでスジエビも混ざると言ったものだったはずだ。写真は館林市、板倉町を流れる谷田川。
小型のケンサキイカ
コラム

小赤イカの刺身は乙な味

2月になり、八王子総合卸売協同組合、舵丸水産に神奈川県横須賀市佐島から赤イカ小が来ていた。関東で赤イカというのは標準和名をケンサキイカという。山陰、島根県などではケンイカ、島根県・山口県ではまとまって揚がるので真イカ、長崎県ではササイカなどという。呼び名が圧倒的に西日本に多いのは本来、関東・山陰以西で水揚げがあり、西日本での水揚げ量が多かったためである。ちなみに古くは夏にまとまって揚がり、寒くなるととれなくなっていたが、近年、周年市場で見かける。これなどは明らかに温暖化のためである。ついでにいえば、今やケンサキイカの漁業的範囲は北に急激に広がっている。佐島産の赤イカ小は10g〜44gなので大きさにばらつきがある。外套膜(刺身にする部分)だけにして半分を当日刺身(湯通し)で食べて、半分を冷凍保存する。軟体動物のいいところは冷凍保存しても劣化しないところだ。さて、水産生物を調べていて、地方からも送ってもらっていると、いろんなことが起きる。もちろん同定不能(種がわからない)だったり、希少な生き物で食べられないことも多い。やって来たものの総重量が100gにも満たないのに撮影と整理に一日かかり、しかも課題だらけで料理する暇がなく、まんじゅうばかり食ってしまったりもする。
コラム

ツブ学1 BとはAよりも下という意味のアツエゾボラ

関東と関西と比べると、関東の方が「ツブ」と呼ばれる、エゾバイ科エゾボラ属の巻き貝をよく食べている。なぜか?関西では「バイ」であるエゾボラ科エゾバイ属のエッチュウバイ(もっと深く知りたい人はカガバイも憶えておくといい)を生で食べることが、関東よりも普通だからだ。関東では刺身といえば「つぶ」だが、関西で刺身といえば「バイ」もあるし「ツブ」もありで、選択肢が多いのだ。昔、島根県では、「なぜ関東では『白バイ』の刺身を食わんのか?」なんて、隠岐の県職員が悪戦苦闘していた。だから隠岐などで揚がる上物の大振りの刺身用エッチュウバイは関東には向かわず、石川県金沢市場、京都市場、大坂市場、広島市場に向かうことになる。関東では刺身で食べる巻き貝は、エゾバイ科エゾボラ属の「ツブ」という考えが強いのだ。豊洲などでエッチュウバイは煮物用の小振りの方が高く、大振りなのは安い。対するにエゾボラ属のツブは、豊洲などの仲卸に大小揃い踏みで種類も多く並べられているが、大きければ大きいほど高い。関東で、Aツブは真ツブともいい、エゾボラのことだ。その他のエゾボラ属はみなBツブなのである。昨年からこのAツブ(エゾボラ)が非常に高騰している。ひょっとしたら巻き貝の王であるマダカアワビよりも高い可能性がある。それだけで終わればよかったのだけど、Bツブまで高騰したのである。
コラム

佐島のボラは金の草鞋を履いてでも探すべし

滝沢馬琴の日記を見ても、本草学の書を見ても、ボラは「甚だうまい魚」だと思われていたのだ。江戸でも尾張でも、大坂でも大量にとれていたので、値の張る上等の魚だとは見なされていなかったが、今で言うところのサンマやサケ以上に人気があった。例えば尾張では「イナ」とか「スバシリ」などのボラの若い個体をとるのは、レジャーでもあったが、味がいいからだった。1945年以前くらいまではボラ人気は衰えることはなかったが、1945年以降徐々に人気がなくなり、今や、「食べたらおいしい魚ですよ」、というと「食用魚なの?」と聞き返されるくらいに陰の薄い存在になっている。原因は1945年以降の敗戦復興と高度成長期の河川の汚染で、臭いボラが大量生産されたためだ。相模湾などではカラスミ用の卵巣をとるための漁が行われていたのに、本体は捨てられていたこともある。河川は今も相変わらず、瀕死の状態だけど、臭いボラの大量生産は終わり、日本各地どこのボラを食べても臭味はない。個人的には、ときど通る、東京都千代田区九段、俎橋下にいるボラだって食べたらおいしいかも? と思ったりする。最近、とりわけうまいと思っているのは、ホームグランドのようなところなので、手前みそになるが相模湾のボラである。深海からの湧昇流(栄養分の多い海水)があるためと、三浦半島にも、伊豆半島にも複雑な磯場があるためではないか、と思っている。だいたい海の色がとてもいいのである。さて、八王子総合卸売協同組合、舵丸水産で神奈川県佐島(三浦半島の西側)産のボラを見つけた。測ってみると42cm・1.1kgもある。1尾だけ無残な姿で置かれている、ということはたぶん、あんこ椿に違いない。クマゴロウに値段を聞いたら、やはりそうらしい。
箱に並んだケガニ
漢字・学名由来

クリガニ科ケガニの基本 1

八王子総合卸売協同組合、舵丸水産にやや大振りのケガニが来ていた。荷(発泡の箱)のまわりに産地が書いていない。パーチ(魚貝類の上に乗せる文字が書いたフィルムで、乾燥を防ぐ役割もある)もない。産地をパーチをつけたり、箱に書くなりするか、伝票だけで済ませるかは荷主(魚貝類を発送する業者)が決めることだ。せっかくなのでケガニめもを作ってみる。
コラム

忙しい昼なので小赤イカの焼きうどん

ボクの故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)は食に関しては土俗のものもあるが、取り分け外食に関しては大阪の影響を強く受けている。料理店やすし屋、パン屋、洗濯屋などすら「大阪で修行した」というと格が上とされていた。お好み焼きは明らかに大阪風である。大阪風の「なんであんなちっちゃなカップで混ぜるんじゃろう」はボクの人生初期最大の疑問であった。東京では焼きそばはウスターソースや中濃ソースだけど、故郷では地元の甘いお好み焼き用のソースだった。確か焼きうどんも同じだったはず。上京してきて、錦糸町で焼きうどんがあったので、お願いしたら驚くなかれ、しょうゆ味だった。東京のお好み焼きは、もんじゃがあるせいかも知れないけど、バラバラなのかも知れない。ましてや広大な関東平野など多彩ですらある。話の寄り道になるけど、小学校のとき、のれんのお好み焼きが読めなかった。「の」が崩し字で「ぬ」に見えたのだ。お好み焼き屋の本当の名は「おこぬみやき」じゃろう、と思っていたのだ。ちなみにものすごく小さな町にも、あの忌まわしいアホな万博の年である1970以前には、無数にお好み焼きがあった。閑話休題。さて、最近、多摩地区や山梨県東部の食品小売りの店主達と話していて、気になるのが中濃ソースである。ウスターソースよりも、トンカツソースよりも仕入れ量が多いようなのだ。考えてみると中濃ソースは人生で数回しか買っていない。気になったので久しぶりに小さいのを1本買ってみた。
郷土料理

サバサンドではなくサワラサンドだけど Balik Ekmek?

我がサイトというかデータベースはたくさんの問題点を抱えている。最初にデジタルカメラを買ったのが、1999年なのは写真データを見るとわかる。オリンパスの、電源が電池の重いカメラだ。その前のフィルム時代にはフィルムそのまま保存したものと、スキャニングし、データ化して保存したものとがある。そのフィルム時代のデータには実に見にくい、という問題点があり、明らかに負の遺産である。さて、我がデータベースのサバ属のフォルダーに料理名「バルメ」というフォルダーがある。フィルムをスキャニングした不鮮明な料理画像と、料理をお教えてくれた友人の名と、簡単な料理法のメモがある。その本人に聞いてみたが忘れている。要するに魚とくにサバ科の切り身のサンドイッチであるが、料理名も詳しい料理法もわからない。たぶん10年振りに、写真の見た目通りに、サバ サンドイッチで、検索したら、トルコ料理のサバのサンドイッチ、「Balik Ekmek」が出て来て、やっと謎がとけた。「バルメ」は「Balik Ekmek」のことだったのだ。1990年代に日本の航空会社が中近東への旅を企画して、それについて行ったのが友人だったのだ。トルコのイスタンブールの料理だとある。イスタンブールは黒海に面しているので、サバサンドのサバはサバでも、Scomber colias Gmelin, 1789 でトルコ語は不明だが、英名をAtlantic chub mackerel という。
ナミガイ
コラム

大の二枚貝好きなので、白ミル刺身は我が家の定番

定番と言っても1月に1回程度だけど、無性に脳にあるモニターに白ミルの妖怪のような姿が浮かんで来るのだ。そう言えば映画『千と千尋の神隠し』を見ていたら、白ミルが買いたくなったのはなぜだろうな? 脳みその深いところを刺激する二枚貝かも知れぬ。標準和名はナミガイである。キヌマトイガイ科唯一の食用貝で、「波貝」は江戸時代後期の変質的なほどの数寄者であり、比較的分類学のような世界観をも持っていた武蔵石寿の、『目八譜』にある。武蔵石寿は有名な赭鞭会(博物学の会のひとつ)の会員で、歴とした旗本であった。この赭鞭会には大名がいて旗本がいて医師や絵師がいてという、田中優子の言葉を借りると江戸時代の身分を超越した知的サロンのようなものだ。江戸時代の博物書の特徴は絹纏貝、松山忘、内紫など美しい別の何かに見立てた名が多いことにある。大名である前田利保も、絵師も、「それは美しい名じゃのー」なんて考えた名前に、歯に衣着せぬ感想を、楽しみながら語り合っていたはずである。さて、今回のものは八王子総合卸売協同組合、舵丸水産にあったもので荷の作りは三河湾産だけど確かめ忘れた。北海道以南に生息しているが、主な産地は三河湾、瀬戸内海周辺である。ちなみに白ミルというのは明らかに市場名で、下ろして水管だけにするとミルクイ(ミルガイ)の水管にそっくりだからだ。昔はミルガイのニセモノなんて汚名が着せられていたが、ちゃんと食べると、ニセモノというにはうますぎることがわかるだろう。個人的には市場とか料理店では白ミル、貝類学の世界ではナミガイでいいのだと思っている。標準和名を金科玉条のごときに考えている愚かな人もいそうだけど、もっと勉強しなさいといいたい。ちなみに、オキナノメンガイ(翁の面貝)という、見た目そのままの標準和名を使っていた貝類学者もいたらしいが、ナミガイよりも面白みがあって好きだ。
コラム

とても久しぶり、に作る、穴子の柔らか炊き

一日遅れとなったが、今週のウマスギGO! GO! なのだ。1月29日、八王子総合卸売協同組合、舵丸水産に冬なのに脂ののっていそうなマアナゴがあった。石巻産だと言ったはずだが、自信がないらしい。店主のクマゴロウに下ろしてもらっているとき、出くわしたのがすし職人のたかさんで、その素っ頓狂な顔を見ている内に、たまには柔らかーく炊いてみたくなる。ちなみに八王子総合卸売センター『市場寿司 たか』の煮穴子も柔らかいタイプである。すし屋によって柔らかさ、煮染め加減、色などが違う。「町ずし」のいいところは、店店でアナゴの煮加減の違いが楽しめるところなのだ。どうでもいいことだけど、たかさんたち関東人は「煮穴子」だが、ボクは四国人なので「穴子炊き」になると思う。決して煮るとは言わない。
コラム

サワラ未満だけど、とてもうましで、尾は超うまし

毎年、1、2月は慌ただしく、うっかりミスがやたらに多い。八王子総合卸売センター、福泉で全長72cm・2kg弱のサワラを買ったが、産地を確かめ忘れた。鮮度抜群で見た目的にも美しいので、思わず手が出てしまう、といった個体である。2㎏を超えると高級魚なのだけど、今回のは2㎏ぎりぎりで、しかも2月なので、比較的安く買えた。サワラは回遊魚で、夏から冬にかけて外洋にいて、春になると産卵に内湾に入る。典型的な肉食魚である。本来、駿河湾西部・瀬戸内海以西で揚がっていたサワラが2004年前後に、山陰で突如とれはじめた。それからそのまま瞬く間に、能登半島でも揚がり始め、相模湾、東京湾が産地になり、東北で揚がるようになり、今や本州以南が産地になっている。津軽海峡をこえて北海道南部でも見られるようになり始めているので、まさかとは思うがサワラがブリと同様に北海道で大量に揚がる可能性が出て来ている。2010年くらいまでサワラは西日本のものだったが、最近では東京湾でも盛んに水揚げされていることもあり、全国的な魚と化している。古くからサワラの旬は冬なのだけど、残念なことに漁の最盛期は春だった。サワラをとてもたくさん食卓に乗せる岡山県でも、高値をつけるのは「冬サワラ」である。このわかりやすかった旬が最近、あやふやになっている気がする。秋はともかくとして夏ですら味のいいサワラが揚がるのである。もちろん全国的にみると味の安定期である冬ですらたっぷり揚がっているのだから、温暖化のせいで不気味だが、とにかく喜んでいいだろう。
コラム

今季、明石のノリはいいノリだ

兵庫県明石市の「あかし」の由来語源は、ボクが勝手に考えたことだけど、朝日で「赤く染まる」場所という意味だと思っている。由来をあれこれ考えても切りがないが、明石に行けば誰だって、こう思うはずである。明石の町は明石海峡から上る朝日のせいでほんまに朝っぱらから赤い。しかもこの朝日のせいかどうかはわからないが、明石海峡から播磨灘でとれるものはみな美味、である。明石鯛(マダイ)、明石鮹(マダコ)、イカナゴ、などなど挙げていくときりがない。これをして、ボクが明石に対して考えたのが「赤」という色と「おいしいあかし(美味しい明石という意味と、美味しい証という意味がある)」というコピーである。さて、明石海峡から上った太陽が、播磨灘に陽光をそそいで、育つのが、「明石のり」である。
三浦半島,大津,マアジ
コラム

東京湾のアジは国内屈指の味なんです

ときに、関東在住の魚好きの方と話をしているとき、いちばん違和感を感じることは、脳みそから関東周辺の水産生物のことが抜け落ちていること、だ。昔、とある番組でかなりの若い魚通の男性と話をしていたときもそうだった。ブランドものが大好きなのだ。宮城県では1つ1万円のサバ缶(買ってもいいがそれで騒いでもいい消費者にはなれぬ)がありますとか、「関あじ」はおいしいですね、とかとか。無邪気なので苦言を呈することはしなかったものの、ブランドが頭に浮かぶようでは、真の魚通、水産生物全般の通にはなれぬ。むしろブランドに目が行くのは、学校に例えるなら、幼稚園以下と言っていいだろう。なぜ、関東に住みながら、「関あじ」が口から飛び出すのに、それ以上かも知れない、東京湾内や相模湾のマアジが出てこないのだろう。昔、魚河岸の若い衆が、「一度ノドグロを食べてみたい」と島根まで行ったら、アカムツだったという笑い話があるが、水産物を見る目は、厳密で厳格でなければならない。隣の芝生はイカンよ、なのだ。さて、下氷(発泡の底に氷を敷き詰め、クッションを敷き魚を並べた)の高級マアジの後に、八王子総合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが大津で釣り上げた、中アジを食べてみた。関東の釣り師に「大津」というと三浦半島、神奈川県横須賀市、東京湾側の大津漁港のことになり、きっと(釣りものは)マアジかカサゴとかかな、まで考えが至るはず。決して滋賀県の県庁所在地大津は浮かぶことがない。ちなみに、「津」、「大津」は特殊な地名だ。例えば滋賀県大津は奈良・平安時代を通じてヤマト王権にとってもっとも重要な港で、たぶん多くの役所があったための地名だ。伊勢国の津(三重県津市)もそうである。伊勢平氏が平家になれた(力があった)のも「津」があったためだ。当然、三浦半島の大津も鎌倉時代の三浦氏や後北条氏にとっては重要な港だった。江戸時代になると房総半島と三浦半島をジグザグに操船して江戸に至る航路が海の大動脈となるが、そのときの港でもある。この大津港の船は、沖合の猿島まわりでアジを狙い、ときに『蘇る金狼』のロケ地にもなった第二海堡でもアジを釣ることがあったと記憶する。猿島まわりのマアジは、釣り師の間で味のよいことで有名なのだ。計測すると体調22cm・140gなので、冬痩せしているが、まさに食べ頃である。
郷土料理

穴子でじゅんじゅん、あり、か? なしか?

この料理名を初めて聞いたのは、1980年前後のことだ。まだおんぼろシビックに乗っているとき、滋賀県安土あたりで大迷いに迷っていたとき田園のど真ん中で、地獄で仏、若い夫婦にやっと出会え、道を聞くことができた。二人は、弁当をつかっていた。ナビのない時代ならでは行き着いた人気のまったくない畑、もしくは水抜きした田んぼの周りは実にのどかだったし、きれいなところであった。「昼ご飯が食べたいので店を探している」と言ったら、近江八幡市の食堂の場所を教わり、少しだけ話し込んだ。ついでに梅干し入りのお握りを恵んでくれたのは、懐かしい想い出である。そのとき、「●●●なんとか入りの方がいいけど、もうない(意訳)」という話だった。この「●●●」が気になってしゃないけれど、やや塩加減のきついお握りのうまかったことの方が印象に残っている。それから30年後に、滋賀県長浜市余呉川で魚取りをしていたときに会った、聞いたことにはぜんぜん答えてくれない、語りまくるバアサマ達が、その「●●●●●●」のヒントをくれたのだ。要するにすき焼きの残りである。たった2名から聞いた話で判断してはいけないけど、このユニークな料理名が日常的に作られていて、残ったものをお握りの種に使うのは1人だけではない、ようだ。滋賀県ではすき焼きのことを「じゅんじゅん」という。牛肉で作ることが多いようだが、湖魚のイサザ(ハゼの仲間)、ナマズ、モロコ(ホンモロコ)、ウナギなどでも作る。「じゅんじゅん」と知り、自分でもで作り始めたのは、1991年に『聞書き 滋賀の食事』(農文協)に作り方が載っていたからだ。滋賀県の素晴らしいところは、この聞書きシリーズの後にも、日常的な食事の歴史と現状を調べ続けたことである。

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