
鹿児島県川辺町(南九州市)で会った老人と宮崎県飫肥(日南市)の直売所で聞いた料理に「湯なます」がある。聞取ではイワシ(ウルメイワシかも)でもアジ(マアジ)、キビナゴでもいいので、大根と一緒に油で炒めて醤油・砂糖・酢で味つけする、という料理だった。料理法も油を使ってもいいし、ただ煮てもいいというので、帰宅して書籍で整理し直そうと思ったら意外にも情報がない。鹿児島の「湯なます」は知覧のものが『日本の味のふるさと 鹿児島郷土料理全書』(今村和子 南日本新聞開発センター 1979)に掲載されている。大根やにんじんと塩いわしの筒切と油で炒めて、酢やみかん汁を加えるものや、完全に汁ものもある。宮崎県の「湯なます」は大根をせん切りにする。いりこを砕いたものと大根のせん切り、唐辛子を油で炒めて醤油と砂糖で味つけするというのがある。ここでは酢を加えていないが、編集時に書き落としたのではないかと考えている。『聞書き 宮崎の食事』(農文協)。また「湯なます」は「煮なます」と同じものであるとしている。両県ともに「湯なます」はアジ(マアジ)もしくはニシン目の魚であるキビナゴ、ウルメイワシやマイワシなどを使うこと。醤油・砂糖に必ず酢を加えることが基本のようである。写真は『日本の味のふるさと 鹿児島郷土料理全書』(今村和子 南日本新聞開発センター 1979)に掲載されている汁ものの「煮なます」である。ここではマアジを使ったがイワシ(ウルメイワシなど)などでもいい。適当に切り、湯をかけてくさみを取る。冷水に落として汚れやぬめりを流す。適当に切り、だし・薄口醤油・みりんの中で大根とにんじんのせん切り、魚を煮る。仕上げに酢を加える。

「なます」は本膳料理(室町時代に生まれた武家の形式立てた料理の提供法)での小鉢などにもって提供するもので、火を通した素材を酢などで和えたもの。野菜だけのものを「膾」、魚を使ったものを「鱠」という漢字を当てる。島根県出雲地方の「煮なます」は「鱠」のひとつである。「煮なます」は島根県出雲地方の郷土料理だ。魚の内臓、魚を酢・酒・砂糖・醤油の味つけで大根とともに煮た料理である。宍道湖・中海の汽水域ではスズキ、ワカサギで作り、島根半島ではブリを使う。個人的にはこれほどうまい料理はないと思っている。スズキ・ブリの「煮なます」は身を使うのではなく内臓を使って作る。島根県出雲地方西部にはバショウカジキの内臓を使った料理もある。これと島根半島のブリのわたで作る、「煮なます」、宍道湖・中海のスズキの内臓で作る「煮なます」との関係も考えておくべきだろう。もともとは漁師料理なのかも知れない。ただそれだけでは地域的に広がる可能性は低い。宍道湖東部にある松江市は、城下町でもあり、商業や家内工業、水産業の町でもある。この汽水域に囲まれた町屋でもっともよく食べられたのがスズキであり、夏などは刺身に塩焼きにとよく食べられていた。ただし古くから白身魚は高級なもので、なかなか庶民の食卓に上るというものではなかった。そんな中、松江の町では日常的に内臓が安く売られていたのだと思っている。だからこそ生まれた料理なのではないだろうか。(写真はスズキで身は塩焼き、刺身などに内臓は別にして売られていた)宍道湖・中海で揚がるアマサギ(ワカサギ)を焼いたもので作った「煮なます」は、根菜類といい保存食で作れる便利な一品だったはずだ。宮崎県、鹿児島県には「湯なます」というものがある。基本的な料理法は魚と大根、にんじんなどの根菜類。油で魚以外の材料を炒り、魚を加えて醤油・砂糖・酒(本来は使わないのかも)で味つけするもの。水を加えて汁気を多めにした煮もの、水がたっぷりでなますというよりも汁といった方がいいようなものもある。宮崎県などでは「煮なます」という場合もあるようで、もともとは島根県の「煮なます」と同様の起源なのかもしれない。「なます」という言葉が指す料理は多様である。ほとんど刺身に近いもの、酢を使った和えもの、そして酢を使った煮ものも「なます」のひとつなのである。参考文献/『味のふるさと 17 島根の味』(角川書店 1978)、『聞書き 島根の食事』(農文協)、松江市、安来市では聞取もした。

石川県、福井県で作られている「塩いり」、「浜いり」は呼び名は違うが同じ調理法だ。「塩いり」は石川・福井両県でみられるもので、資料としても残っている。浜(漁港)でとれたばかりの魚の保存性を高めるために作られていたものと、家庭などで作られていたものに二分する。明らかに浜で生まれた料理が一般家庭にも広がったのだと考えている。料理店、一般家庭で作られているものは塩分濃度がとても低く、保存性も低い。「浜いり」という言語は今のところ、石川県加賀市塩屋でしか採取していない。強い塩水で水分を飛ばしながら火を通し、完全に水気をなくしたものだ。一般家庭で作っているという人には出会えていない。基本的に漁港周辺で作られる四十物で保存性を高めるために作られる。この四十物としての「塩いり」、「浜いり」は海から遠い地域へ送られたり、行商していたはずだが、このあたりの資料は見つかっていない。また新潟県から島根県にかけて浜焼きがある。こちらも山間部へ運ぶための四十物である。塩辛、塩漬け、ぬか漬けなどとともに、日本海で生まれた四十物のひとつが「塩いり」、「浜いり」なのだと思っている。同じような料理が鹿児島県奄美諸島、沖縄県にもある。「塩煮(まーす煮)」である。冷蔵庫のない時代にはいかに魚を長持ちさせるかが、もっとも重要なことであった。それが家庭料理にも浸透していくなど同じような広がり方をしている。

兵庫県但馬地方の「じゃう」は魚を水洗いして適当に切り、野菜と一緒に煮て作る醤油味の煮もの、汁、もしくは鍋だ。1960年代以前の食生活を聞書いた、『聞き書 兵庫の食事』(農文協)にも1行ほど「さばのじゃう」が載っていて、写真を見る限りは煮ものそのものだ。合わせる野菜は聞取した限りではゴボウ、ネギが基本形であるようだ。これ一品を作るだけでおかずにもなり、汁にもなり、酒の肴にもなる。手間いらずな料理でもあるようだ。よく「じゃう」を「すき焼き」のことだとしている書があるが、たぶん間違いだと思う。獣肉などを少量の液体で調理するのが「すき焼き」で、「じゃう」は鍋にするにしても液体の量が多いのである。要するに知名度が上がり一人歩きしはじめた「すき焼き」という言葉を多くの地域でそれらしい料理に当てはめた。それをまた見識のない人が広めたのだと思う。実際、西日本の家庭で作られる「すき焼き」の多くが液体の多い醤油味の鍋である。料理名「じゃう」 同様の料理は日本各地にありそうである。大阪府のもっとも古い形の「うおすき」、滋賀県の「じゅんじゅん」、三重県尾鷲市の「じふ」、島根県石見地方の「煮食い(にぐい)」などだ。作り方などもそっくりなので魚がとれるところで自然発生的に生まれた可能性もある。醤油以前は「みそたまり(みそから染み出る液体)」で作った可能性が高いと考えられる。料理の理念 どの地方でも言えることだが、漁で揚がった売れないいろんな魚を使い作ること、また様々な作り方があることなども同じである。言うなれば魚を煮て食べるという単純な料理だから今に続いているのだ。このような売れない魚を使った料理は、例えばフランスのブイヤベース、イタリアのカッチュッコ、ロシアのウハーなどとも共通する。写真は鍋の「さばのじゃう」だ。昔、兵庫県の日本海側、但馬地方は国内屈指のマサバの産地であった。産地でもっともたくさんとれる魚を使うのが「じゃう」なのである。また鍋でもあるというのは寒い時季の料理だからだ。汁や煮ものよりも煮ながら食べる鍋の方が効率的だし、また家族が食べたいだけ食べられるなどの利点がある聞取した限りでは、日本海に面した但馬地方では、今現在も「山がれい(ヒレグロ)」、「はた(ハタハタ)」で作られているという。この2種は寒い時季にあるていどまとまってとれ、また「山がれい」の小型は売り物にならない魚の漁師さんの家庭での自家消費といえる。また国内で長年問題となっていたリジン欠乏症には特効薬的なものだったのではないか。当然優れた料理なので漁業のある海辺から、山間部への広がりもあったはずだ。

「ゆで捨て」は長崎県雲仙市富津、佐藤厚さんに教わった魚の調理法である。マサバやマダイなどを適当に切り、強めの塩をして寝かせておく。塩が馴染んだところで多めの真水で均等に火が通るまでゆでて、ゆで汁は捨てる。素材は下ごしらえで水洗いして塩さえしておけば保存性が高くなり、食べる直前にゆでるだけで出来上がる。鮮魚ではなく塩サバで作ってもおいしい。この強い塩をしておき、食べるときにゆでるものを雲仙市の隣諫早市などでは「ゆでもの(さばのゆでもの)」ともいう。定番素材のマサバでやってみたら非常においしい。柑橘類をかけて食べるとまた一層うまい。オリーブオイルやスパイスを利かせても、マヨネーズ、酢コチュジャンなどもいいと思う。今の暮らしにマッチした料理である。液体(水)と塩を使って魚に火を通す料理法は日本各地に様々な調理法があり、各地に様々な名称がある。例を挙げないとわかりにくいのでいくつか挙げると。例えば北海道などの「湯あげ」、山形県などの「湯煮」は塩水でゆっくり、魚自体のエキスが煮汁に出てしまわないように煮る。石川県・福井県などの「浜いり」、「塩いり」、沖縄県の「まーす煮」は少量の強い塩水で短時間で煮上げるもので、もともとは保存性を高めるための調理法だ。これらは少、あまりにも在り来たりな料理法なので料理名のない地域も多そうである。すべて日本料理の基本的なものだが、日本各地で様々な魚が使われ、その魚にあった火の通し方、塩分添加の仕方がある。我がサイトではこれらを「水と塩だけの料理」として紹介していく。