
兵庫県但馬地方の「じゃう」は魚を水洗いして適当に切り、野菜と一緒に煮て作る醤油味の煮もの、汁、もしくは鍋だ。1960年代以前の食生活を聞書いた、『聞き書 兵庫の食事』(農文協)にも1行ほど載っていて、写真を見る限りは煮ものである。合わせる野菜はゴボウ、ネギが基本形であるようだ。これ一品を作るだけでおかずにもなり、汁にもなり、酒の肴にもなる。手間いらずな料理でもあるのだろう。よく「じゃう」を「すき焼き」のことだとしている書があるが、たぶん間違いだと思う。獣肉などを少量の液体で調理するのが「すき焼き」で、「じゃう」は鍋にするにしても液体の量が多いのである。要するに知名度が上がり一人歩きしはじめた「すき焼き」という言葉を多くの地域でそれらしい料理に当てはめ、見識のない人が「すき焼き」的ではない料理にも当てはめただけだ。また国内で長年問題となっていたリジン欠乏症には特効薬的なものだったのではないか。栄養バランスを考えても優れた料理だったのだと思う。同様の料理は日本各地にありそうである。大阪府のもっとも古い形の「うおすき」、滋賀県の「じゅんじゅん」、三重県尾鷲市の「じふ」、島根県石見地方の「煮食い(にぐい)」などだ。作り方などもそっくりなので魚がとれるところで自然発生的に生まれた可能性もある。醤油以前は「みそたまり(みそから染み出る液体)」で作った可能性が高いと考えられる。どの地方でも言えることだが、いろんな魚を使い作ること、また様々な作り方があることなども同じである。言うなれば魚を煮て食べるという単純な料理だから今に続いているのだ。写真は鍋の「さばのじゃう」だ。鍋でもあるというのは寒い時季の料理だからだ。汁や煮ものよりも煮ながら食べる鍋の方が効率的だし、また家族が食べたいだけ食べられるなどの利点がある。写真は鍋仕立ての「さばのじゃう」で、家庭により完全に作って食卓へというのもあり、食卓上で作るという家庭もあるだろう。聞取した限りでは、日本海に面した但馬地方では、今現在も「山がれい(ヒレグロ)」、「はた(ハタハタ)」で作られているという。この2種は寒い時季にあるていどまとまってとれ、また「山がれい」の小型は売り物にならない魚の自家消費といえる。

千葉県内房竹岡産に味をしめたので、地元、八王子の市場で、こんどは活け締めのクロダイを買う。産地不明で1.5kgもある。刺身にして、煮つけにして、塩焼きにしてと食べて、おいしいにはおいしいものの、味ではひとまわり小さい竹岡産に軍配が上がる。やはり活魚がいいのか、もしくは卵巣の膨らみは今回の方が大きく、そこに味の優劣が出たともいえる。春のクロダイは生殖巣の成熟度で味が決まる。あまり成熟が進んだものはおいしくない。2月もあと数日という日である。昼間は暖かいが、朝夕は寒い。まだまだ冬の鍋がよいと、鯛は鯛でもクロダイで「鯛ちり」にする。「ちり」は関西の料理だろう。同じく山陽、四国の一部では同様の鍋を「水炊き」という。昆布だしに酒・塩の単純な味つけの汁で煮ながら食べる。素材そのものの味が楽しめる。「鯛ちり」の「ちり」は、汁に魚の切り身を落とすと、ちりっと縮むので「ちり」だというが、個人的には素材を「いろいろちりばめた」ので「ちり」だと考えている。

京都の料理は京料理と言うらしい。京料理はその上、登録無形文化財だそうだ。そこにどんな意味があるのかと思ったら内容らしい内容がない。どうしてこんなに内容がないのだろう?つらつら考えるに京都の食の歴史が抜けているではないか? 京都の料理は水産物でいえば、四十物(海や琵琶湖から焼いたり塩をしたり漬けたりしてもたらされたもの)と、生簀が重要だと考えている。京料理は登録無形文化財なのに、観光客に受けそうなもので、あえて言えばフォトジェニックはモンばっかり、低級じゃねーか、とヤナ気持ちになる。京都だけではなく、関東、三河・尾張・岐阜などの天下をとった地域、京都、大阪などの料理は淡水魚から始まっているのである。ちなみに角倉了以は江戸時代初期に鴨川の水を京の街に引き込んだ。この高瀬川が多くの水路を生んだのが京の生簀の始まりである。関東には広大な過疎地、平野が広がっていて、そこに徳川家が入り大量の人が流入する。水は農業にも生きるためにも必須である。関東平野に水路が多く、また取り残された河川が多いのも人口流入の結果である。この人口の水域が生み出すのが膨大な淡水魚だ。これは遙かに水に恵まれている尾張・美濃など木曽三川地帯にも言える。河川はたたかう対象であるとともに、関東などと比べると遙かに水路が作りやすく、複雑な水域を作ることができる。そこから多種多様、膨大な淡水魚を生み出す。大阪が大坂だった頃、大阪城が豊臣秀吉によって築かれた時代に鮒や鯉を売る市場があり、食用フナとして重要なカワチブナを作りだしたのも大阪である。長すぎるけど、鳥取、島根(両県は並べると嫌がる人がいるのはなぜ?)の汽水湖周辺、岡山の児島湾(今では児島湖)周辺、九州筑後川、鹿児島など淡水魚を食べる地域は決して今でも少なくない。日本料理を生み出した最初が淡水魚なら、もっと淡水魚は食べられてもいいはずだ。久しぶりの千葉県神崎町で「鯉の洗い」を買った。洗いは作ったそばから食いたいとは思うが、さすがにそうもいかない。たぶん料理して12時間後くらいに食べたが十二分においしかった。洗いを食べながら浮かんできたものをつれづれに書くと以上になる。千葉県神崎町のオッチャンなど「海の魚はまずくて食えない」と言う。そこまでは思わないけど、フナの洗い・刺身、コイの洗い・刺身などを食べると、いつもながらに素晴らしい食感、豊かなうま味に感動する。確かに海の魚の刺身など味気ない気がする。千葉県神崎町、鯉洗いに合わせたのは、宮城県石巻の日高見で口中冷え冷えしてうまかった。

船場とは大阪市中区の北は土佐堀川、南は長堀通、西は御堂筋、東は東横堀川までの広い地域のことだ。典型的な大阪といった場所で丼池の繊維街、薬を扱う道修町、証券会社の集まる北浜などがある。今でも上品な大阪言葉が残っていたりする場所で、今どきの大阪弁であるごっつい泥臭さとは無縁の地なのだ。この船場と言われるところを歩いてみたが往時の商人町の面影はほとんど残っていない。あえていえば北浜の適塾(幕末にあった緒方洪庵の医術塾)や古い薬問屋、丼池の繊維街の喧噪くらいかも知れない。大阪中心部のこのあたりは大商人の町なので、丁稚どんに番頭どん、などたくさんの働き手が暮らしていた。多くは共同生活、集団での食事である。大正時代、船場平野町の薬問屋、安田市兵衛商店で丁稚だった日本演劇界の巨人、菊田一夫は、食事も完全なる階級制であり、大番頭は畳敷きの場所で座って食事を摂り、中番頭以下は土間に沿った板の間で食べたという。菊田一夫は身長が低く、食べるのが遅かった。ゆっくり食べていると十分に食べられない。そこで編み出したのが汁と飯を熱々の状態でかき込むということだ。汁がおかずでもあった証拠といえるだろう。大阪の商人町の食事は極端に動物性たんぱくが少なかったようだ。そんな中でも登場回数の多かったのが塩サバだった。北陸・山陰で、南は熊野灘は1960年代くらいまでマサバの大産地だった。これが大阪の地に送られて来ていたのだ。当時のマサバの流通のほとんどが塩蔵品、もしくへ干ものだったと思われる。しかも今では考えられない程の塩分濃度の濃いもの。この体幹部分は焼き、あらの部分を大根とたいて作ったのが「船場汁」、「船場煮」だ。汁といっても大根を煮て、塩蔵サバのあらを入れるだけ。塩味は塩蔵サバから出るし、あら自体も塩辛い。厳しい商家の生活にはなくてはならなかったものだろう。寒い時季に食べるもので、ときには生(鮮魚)を使って作られることもあるという。また重要なのは「船場汁」というのは大阪市の言葉だということ。他の地域でも同じような料理が作られている可能性が高い。地元の料理は地元の言葉で作り、食べて欲しい。参考/『聞き書 大阪の食事』(農文協)、『船場道修町』(三島佑一 人文書院 1990)、『評伝 菊田一夫』(小幡欣治 岩波書店 2008)

新潟県では魚のあら(中骨・腹骨の他、肝、白子、腹部の膜、腸などの内臓を含む)を「がら」、「どんがら」という。例えばサケの「がら」は中骨であったりする。新潟県で「たら」といえばスケトウダラなので、「たらのどんがら汁」、「たらのがら汁」はスケトウダラの汁となる。ちなみに新潟県以南はマダラも食べるけれど、どちらかというとスケトウダラ圏なのである 山形県で「どんがら」は魚のあら(内臓を含む)のことだが、主にマダラのあらを「どんがら」というようだ。当然、「どんがら汁」はマダラのあら汁のことになる。 秋田県ではあら(内臓を含む)を「じゃっぱ」、「ざっぱ」という。郷土料理店で食べたマダラの汁は「しょっつる仕立て」の「たら汁」であった。 青森県で魚のあら(内臓を含む)は県全域で「じゃっぱ」だと思っている。ただ県西部と東部では作り方がまったく違っている。津軽のみそ仕立て、下北の塩仕立てなどといい。濃厚で泥臭く体が芯から温まるのが津軽風、さっぱりして後味がいいのが下北風である。 どの県の汁も重要なのは肝(肝臓)、雄であれば白子である。肝が汁の味にこくを出し、肝の脂が汁の表面を覆うので、汁がいつまでも冷めないのだという。写真は山形県庄内、鼠ヶ関の「どんがら汁」でみそ仕立て。

農林水産省が「ぶり大根」を富山県の郷土料理に選定している。なんて愚かな、としか言いようがない。例えばライスカレーを特定の県の郷土料理とするようなもの。典型的なお役所仕事だ。「鰤大根」は郷土料理ではないと考えている。養殖が盛んになりブリの頭が単独流通するなどして、別にブリを仕入れなくても料理店で提供ができる。一般家庭でも普通の日常的な料理だと思っている。最初に。「鰤大根(ブリだいこん)」は冬に作られるものだが、年取とは無関係だということを述べておきたい。年取魚としてのブリはあくまでも塩蔵、もしくは塩蔵して干したものである。しょうゆ味の総菜、「鰤大根」は生のブリでなければ作れない。当然、産地でもない限り正月に食べるものではない。「鰤大根」という料理名が定着したのは最近のことだ。同様の料理に名前がなかったり、別の料理名であったかも知れない。郷土料理などの料理名が急激に消滅し始めるのは1970年代からだと思う。この頃、ラジオの料理の番組がテレビに移行する。この時期以降の料理番組、料理家(料理研究家ではない)には、地域性に関しても配慮が明らかに欠けている。地域での呼び名としての「鰤大根」は、1984年から刊行開始された『聞書き 日本の食事全集』をみる限り『聞書き 石川の食事』の金沢市、『聞書き 福井の食事』の福井平野にあり、ブリのあらと大根をしょう油で煮つけたものものとしている。蛇足になるが古い版の広辞苑、歳時記、『飲食事典』(山本荻舟 平凡社 1958)などにも「鰤大根」は出てこない。ちなみに『聞書き 富山の食事』に氷見地方の料理として「ぶりの残と大根の煮もん」が出てくるがみそ味だ。石川県と富山県は言葉など共通する部分が多いので、富山県にもしょう油味の鰤と大根の煮つけは存在するはずである。『聞書き 日本の食事全集』は優れた出版物だが、日常的にその地域で食されてきたほんの一部しか掲載していないということも忘れてはならない。

湖東天野川ほとりに世継ぎという不思議な名の集落がある。天野川河口域は昔からハスの宝庫で、その昔「ハス料理」を名物にする料亭が軒を並べていたという。そして今に残るのはたった一軒のみ。それが『やまに料理店』である。江戸時代には二条城に魚を納めていて、そこから山に二条城の「二」をいただいたものだとのこと。2008年で9代目、10代目とともに店を営んでいる。ちなみに京料理の根源は日本海からの塩乾魚貝類と滋賀県琵琶湖の湖魚である。大型のハスを料理するのはとても難しい。湖魚を扱う店で買い求め、いざ料理しても小骨が多いこともあってなかなか上手に料れないのだ。この難敵を見事に提供しているのが、『やまに料理店』である。滋賀県琵琶湖周辺でもハスの成魚の水揚げはあり、鮮魚は手に入るものの、提供している料理店はほぼないのではないかと思っている。この貴重な「ハス料理」を末永く継承していただきたいものである。

古くは浜で揚がった魚貝類の多くは鮮魚ではなく、加工して山間部や近くの都市部に送られていた。無塩(ぶえん)ものなどと呼ばれている鮮魚などは冬だけのものだったのだ。塩もの、干ものは今でも一般的だが、魚やイカを焼いて山間部や都市に売りに行くという地域は非常に少なくなっている。東北宮城県、日本海の新潟県から島根県などに残るが年々減少傾向にある。今でも比較的多く見かけるのは「焼きさば」である。サバ類以外で会社組織で成り立っているのは宮城県とこの兵庫県だけかも知れない。福井県以西では今、魚屋さんが朝方焼き上げて売ってることが多い。この中にあって沖ギス(ニギス)に特化しているのが浜貞商店、濱上栄作さんとそのお母様である民子さんである。工場内にはとてもいい香りが充満している。これだけで飯一膳といったもので、焼き上がるのを見ているだけでご馳走を食べているかのようである。『浜貞商店』の創業は昭和27年(1952年)だという。魚を焼いて加工する山陰にあって、ニギスに特化したのは大正解だと思っている。今や「焼きさば」の原材料マサバは日本海では加工用に回るほど水揚げされていない上に、全国的に見ても国産ではとても間に合わない状況にある。ニギスだけが地物で足りるのである。地産地消というが、「焼にぎす」は関西をはじめ、奥播磨などで人気がある。そのまま食べるだけではなく山間部など煮物などにも利用されている模様である。浜貞商店 兵庫県美方郡香美町香住区香住1806−4

葉ニンニク、ごま(入れないという人もいる)、みそ、酢、砂糖で作る合わせみそだ。高知市の居酒屋で初めてカツオに添えられていたとき、「昔から作られてきた土佐の郷土食です」と非常に若い店員さんに言われている。ただし高知県の食関連の書籍にはどこを探しても見つからない。高知県は葉ニンニクの栽培が盛んなので、意外に新しい食品なのかも知れない。とても簡単に作れて、しかもいろんな魚貝類につけて食べることができる。他の地方でも取り入れてもいいのでは、と考えている。自家製すると葉ニンニクなどのきめが粗いものとなるが、市販品のようにクリーミーなものよりもおいしいと思う。

三重県熊野地方で作られている魚のすき焼きで、魚はなんでもいいという。味も魚以外の具も家々で違っている。今回は尾鷲市での聞取をもとにする。比較的使われる頻度の高い魚は、マサバ、ゴマサバ、サンマ、マンボウ、ブダイ、マダイ、ブリ、サワラなど。「じふ」という音が不思議だ。「じ」と言えば、金沢の「じぶ煮」、兵庫県但馬地方の「じゃう」がある。要するに「じぶじぶ」ではなく「じふじふ」煮て食べるという意味かも知れない。このような地域性の高い言語はなんとしてでも残して置きたい。尾鷲で「魚すき」ならぬ、「魚じふ」を食べたい。写真は「さばのじふ」。材料はマサバ、白菜などの野菜、汁は酒・砂糖・醤油・水。焼き豆腐、糸こんにゃくなどがあるとより美味。同様のものが大阪では「魚すき」、島根では「へかやき」、「煮食い」という。魚貝類のすき焼きは地域での呼び名を大切にして頂きたい。協力/岩田昭人さん(三重県尾鷲市)

「沖鱠(おきなます)」という言語は非常に古く、全国的に使われていた言語だと思われる。「鱠」は魚貝類だけではなく陸上の動物なども細かく切ってたたいて食べること。「沖」は漁の合間という意味もあり、手早くということだろう。漁のときに沖合いで取れた魚を手早く下ろし、皮を引く。板の上にのせて細かくたたいたもの。好みで香辛野菜(しょうが、ねぎ、青じそ、みょうが)や調味料(みそ、醤油、酢、二杯酢)などを加える。また沖でとれた魚を料理すること自体をさすともいい、また沖の魚を土産に家族に持ち帰ること自体もいうとある。今現在、「たたき」と呼ぶ地域の方が多い。神奈川県小田原の「たたきなます」はマアジなどを細かくたたいてねぎなどを和える。三重県鳥羽市、尾鷲の「たたき」は、マアジ、「いさぎ」を三枚に下ろして皮を引き、腹骨・血合い骨などを取らないでかなり細かくたたく。しょうがや大葉を加え、みそで調味することもある。鳥羽市ではみそと調理しても醤油で食べる。尾鷲市では酢醤油で食べることが多い。三陸などではマルタ、ウミタナゴなどを細かくたたき、みそで調味するので「みそたたき」。千葉県、徳島県の「なめろう」は鱠をみそで調味したもののことだ。たぶん、この地域でも「沖なます(たたき)」があり、みそを入れたものを特に「なめろう」としていたのだと思う。千葉県の「さんが焼き」は沖で作った「なめろう」を浜で待つ漁の手伝いをする人や家族のために持ち帰り、焼いて食べたのが起源かも知れない。千葉県の「水なます」は鱠を冷たいみそ汁に入れたもので、鱠はだしの役割もする。歴史的にはもっと集めていかなければいけない。正岡子規の俳句に「はね鯛をとっておさえて沖鱠」、「涼しさや酢にもよごれぬ沖鱠」などがある。夏の季語だが、実際には沖でとった魚がすぐにだめになる時季に作られたのではないかと考える。写真/三重県尾鷲の、いさぎのたたき

煮つけの煮汁でおからを炒り煮する。この煮汁でおからの煮る、は日本各地で行われている、家庭料理だ。関東などでは煮汁を保存して、魚の煮つけに何度も使うが、これをときにおからに使うというのもありだろう。1970年代に上京して行きつけの食堂ができて、その一皿におからがあった。おから炒り(炒り煮)は家庭料理の基本のキなのだけど、なかなかこの食堂のおからのような味にはならなかった。農文協の『聞き書』シリーズにもアカエイの煮つけの汁でおからを作ると言うのが出てくるくらいだから、歴史的にも古い料理なのだと思われる。ボクが初めて出会ったおいしい食堂のおからにも煮魚の煮汁が使われていたのでは、と推測している。煮汁を保存して置くだけなので、経済的だし、とても簡単だし、そしておいしいし、で言うことなしの総菜である。

魚の煮つけと素麺は昔ながらの取り合わせだ。魚はマダイなどタイ科のタイが有名だが、何を使ってもかまわない。魚の種類にこだわる必要なない。愛媛県や滋賀県、長崎県などは有名だと思う。素麺は非常に古くから日本全国で食べられていた伝統食品なので、当然、煮魚で素麺は日本各地で行われているはずである。作り方は簡単である。魚は丸のままでも、大型魚は一部でもいい。湯通しして冷水に落として残った鱗やぬめりを流す。これを酒・醤油・砂糖・水でこってり甘辛く煮る。上品に煮てもおいしくない。素麺はゆでてていねいに冷水で洗う。水を切っておく。皿に煮つけを盛り付け、素麺を盛り付けていく。薬味はお好みで。

岡山中央市場や書籍、また旧児島湾周辺で教わったものだ。要するに白身魚を使った、汁かけ飯である。いろいろ取材した限りでは岡山市、玉野市などでの家庭料理であるようだ。またげた(ウシノシタ類)やフナはミンチ状にしたものが市販されている。マゴチ、シロゴチ(ヨシノゴチ)、ボラ、げた(クロウシノシタ、イヌノシタ、アカシタビラメ)、フナなどを使う。ゆでてほぐした身か、ミンチ状にした生の身を、野菜と一緒に煮汁(ミンチの場合にはそのまま煮た汁)と一緒に汁にして醤油味をつけたもの。野菜はゴボウ、ニンジン、シイタケ、大根、青み(セリや三つ葉)などあるものでいい。あっさりとした味わいで、ご飯との相性が非常によい。

マイワシでもカタクチイワシでもいい。カタクチイワシはともかく、マイワシは小振りの一年ものが煮やすい。脂ののったものよりも、成魚で産卵後などの脂の落ちた固体なども使いやすい。大きい固体ほど煮込み時間が長くなる。梅干しは臭い消しにもなるし、一緒に煮ることでイワシを柔らかくする。骨まで食べられるところが魅力。1週間くらいに渡って食べられるので、常備菜にも向いている。酒の肴にも、ご飯にも合うし、水分が少ないので弁当にも使える。

昔、正月に黒い魚を食べると「(家計が)黒字で縁起がいい」ので、泉南の魚屋、スーパーでは黒鯛(メジナで大阪ではグレ)を師走になると樽で塩漬けにした。大阪府泉佐野市ではこれを、魚屋が12月25日より正月用に販売していた。正月に焼いた「グレの塩漬け」を一人一尾ずつつけた。グレの塩焼きは数日にわたって食べられ、残ったものは仕事始めのお弁当にも持っていった。ちなみにグレの塩漬けは泉佐野以外にも泉南で広く作られていた可能性がある。『南大阪の伝統食』には泉佐野のグレ、貝塚市のアマダイ(アカアマダイ)、堺市のマダイと地域毎に正月の祝鯛は異なるとしている。写真は大阪市中央卸売市場『井内水産』が復活させて作り販売しているものです。井内正幸さん(井内水産/大阪市中央卸売市場 ■https://iuchisuisan.com/)、 『南大阪の伝統食』(小林宏編著 大阪公立大学協同出版会)

おはじき(御弾、お弾、オハジキ)は、大言海に〈細螺ノ介殻ヲ指先ニテ弾ク、小兒ノ遊戯〉とある。古くから浜の落ちている貝殻の美しい物を拾い、指ではじいて遊んだもの。今ではガラス製となっている。

漁業の町は漁師さんが魚をとる。当たり前だけどそれが核になるが、ただこれだけでは町は成り立たない。漁獲したもので鮮魚で出荷できるものは出荷する。それ以上に加工しないとダメなものを最適な方法で加工する。カマス類は九州から北海道まで、日本各地で漁獲され、量的にも多く重要なものとなっている。沿岸域で産卵するので稚魚から漁獲されている。稚魚はシラス漁に混ざると、多くが廃棄される。ただこれは産地での努力で出荷はできる。問題は鮮魚でも出荷できず、干ものなどにも加工できないサイズである。四国や九州ではこれを煮干しにする。やや強めの塩水で煮て放冷して干し上げたもの。この塩水で煮て放冷、干し上げて保存するというのは日本全国で行われていたのだと思う。ただこの煮干しの多様性がなくなりつつある。この煮干し加工のあるなしは、漁業の町を構築する上でも重要なポイントだと思う。

12月9日は大黒様のお歳夜(「大黒様のお年夜」、「大黒様の嫁とり」とも)といい「大黒様の嫁取りの日」とされ、「まっか大根(二股大根)」、豆料理を供え、豆料理とハタハタの田楽を食べる。ちなみにこの日、豪商(お金持ち)はイワシ(マイワシ)を焼いて膳にのせるらしい。庄内地方の鶴岡市、酒田市などでは鮮魚店で早朝からハタハタが焼かれる。またスーパーなどには数日前から「ハタハタの田楽」と豆料理、また「大黒様のお年夜」用のセットが売られる。家庭で作ったものかも知れないが、今では鮮魚店・スーパーなどで買うものとなっている。

たえず飢餓に脅かされてきた奄美大島で、貴重な栄養源となったのがソテツ(裸子植物門ソテツ綱ソテツ科ソテツ属)だ。利用するのは雄株の幹(ソテツは雌雄異株)と実(なり)。ともに有毒で水にさらすなどして毒性分を除いて利用される。この毒抜きが不十分だと死に至ることもある。「なり味噌」はソテツの実と玄米で発酵させて麹を作り、蒸した大豆と合わせて作る。現在作られているものは塩分濃度が低いが、これが本来の味なのかは不明。魚味噌(いゅうみすぅ)はスズメダイ(オヤビッチャ、アマミスズメダイなど)、タカサゴ、クサヤモロなどを焼いてほぐしたものと合わせたものだ。『新版 シマヌジュウリ 奄美の食べものと料理法』(藤井つゆ著 南方新書)、『奄美の伝統料理』(泉和子 南方新書)

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長崎県雲仙市小浜富津・平戸市度島で作られているもの。他の地方でも作られているはずだが、まだ情報を収集できていない。地域によって魚種が代わる。魚を皮付きのまま湯通しするのを「湯引き」といい。中まで火が通るが生に近い食感がある。これに対し、三枚に下ろして腹骨と血合い骨を取った状態で湯をかける「湯がけ」がある。「湯がけ」は皮と表面だけ白く霜降り状態になり、中は生である。日本料理の皮霜造りと違うところは、刺身状の形に切ってから、皮の方から湯をかけることだ。皮霜造りとあまり代わらないが、汎用性が高い。皮に厚みがあり、強いものでもいい。マゴチ、マダイ、オニカサゴ、キュウセン、イサキなどが向いている。

魚を刺身状に切り、ゴマ醤油に漬け込む。醤油だけに漬け込むのは関東でも見られるがゴマを使うのは九州ならではだと思う。特に福岡県では日常的に食べられているようだ。マアジ、カマス(アカカマス)、サバ(マサバ)など。例えば朝漬け込んで夕食に食べるとか、夜漬け込んで朝ご飯に食べるとか。福岡県でも博多地区での呼び名が「ごまさば」だった可能性がある。もしくはもともと「茶漬」と呼ばれていて、材料がサバのとき通りがいいので「ごまさば」という言語が生まれた可能性もある。づけとしてそのまま食べてもいいし、ご飯にのせて食べてもうまい。茶をかけるから「茶漬」と呼ばれるなら、基本形は茶をかけるものなのかも。

長崎県平戸市度島では「イカの湯引き」を祝い事のときに「みずいか(アオリイカ)」や「あかいか(ケンサキイカ)」と「がんせき(スルメイカ)」などとの時季のイカで作る。単純に塩ゆでしるだけだけど、非常においしい。ぬた(酢みそ)、刺身醤油で食べる。[福畑敏光さん 長崎県平戸市]

愛媛県松野町では町を流れる広見川の「いだ(ウグイ)」を使って「冷や汁」を作る。素焼きにして、みそと一緒にすり鉢ですり水を加える。夏の香辛野菜である青じそ、ネギ、ミョウガなどを加えて和える。淡水魚を使った同様の料理は他の地域でも見つかりそうだ。[農家民宿 わらび 愛媛県北宇和郡松野町]

愛媛県南西部の「さつま」はマダイやマアジなど新鮮な魚を焼き、麦みそと一緒にする。これをすり鉢の内側に均等に塗り、七輪の上に逆さにしてあぶり焼く。ここに水、もしくはだしを加えて混ぜ、薄味をつけたコンニャク、ネギ、陳皮(ミカンの皮を乾かしたもの)を薬味にする。九州で作られる「冷や汁」を「さつま」というのは愛媛県各地でみられる。

宮崎県の海から遠い平地、国富町や西米良など米良山地で食べられているもの。「いりこ(煮干し)」の頭とわたなどをとり適当にくずしてすり鉢でする。いりこをから煎りすることもある。いりこと味噌を混ぜた後、焼くという工程がない。ゴマ、みそを加えてすり、水を少しずつ加える。最後に薬味のネギ、青じそ、ミョウガなどを入れてご飯にかけて食べる。鮮魚に負けず劣らずうま味豊かなもので、別種のおいしさがある。

神奈川県小田原市 小田原魚市場の二宮定置にものすごい量のワカシが上がっていた。全長20cm、重さ120g前後のもっとも定置に入って欲しくないサイズだ。当然、売れないのでダンベ(大型容器)に放り込まれる。数百キロでいくらくらいになるのか? 要するに選別する労力が無駄という存在だ。でも食べ方によってはお宝になる。今回のものは長崎県雲仙市、佐藤厚さんに教わった冷や汁に、愛媛県のやり方、工程を加えたもの。素焼きにしてほぐして、すり鉢で予めすっておいてゴマとみそと合わせる。合わせたものを少し薄くのばしてバーナーであぶる。ここに水と夏の香辛野菜、キュウリを入れて氷などで冷たく冷やす。後はご飯に乗せてかき込むだけだ。夏の食欲のないときなどに最高にうまい。夏のご馳走でもある。

小型のサメ(ドチザメ科、サカタザメ科、カスザメ科)やギンザメをゆでて、酢みそなどで食べる料理で主に西日本で作られている。様々な呼び名があり、作り方も少しずつ違っている。これを言語的に整理している。和歌山県フカ湯引き/広島県ワニの皮の湯引き/広島県北部。ネズミザメではないかと思う。鱶湯引き(ふかゆびき)/広島市内などのスーパー、市場で売られている。山口県ふか湯引き/萩市・長門市など。ふか湯引き/長門市ではニュージーランド産のギンザメを湯引きにしていた。愛媛県湯ざらし(八幡浜)/サメの頭部を落とし、丸ごとゆでる。ふかのみがらし(宇和島市・八幡浜市など)。「みがらし」は辛子のきいた酢みそのこと。長崎県ふかの湯引き(諫早・彼杵・大村)/厚さ3mm位に切り、湯にくぐらせる。ノーソの湯引き(平戸市度島・雲仙市富津)/「ノーソ」はホシザメ、もしくはシロザメと考えた。身体の横に白い点々の有るヤツが主流です。頭落として、10センチ位に胴体を切り、サッと湯通しし、ザラザラ(鱗)を竹ベラ等で落とし、1cm位に再び切って、少量の塩でもんで、湯がきます。[福畑光敏さん、佐藤厚さん]酢味噌で食べます。大分県ふか湯引き(大分市周辺)宮崎県ふかゆがき・ふかの湯がき(佐土原町・日向市・都農町)/ふかを厚めに切り、塩もみしてゆでる。『聞書き 日本の食事』にある、この方法では鱗が気になるはず、大まかに切るか丸のままゆでて、鱗をこそげ落とす工程を落としたか。鹿児島県ゆでふか・(串木野市・南さつま市笠沙・鹿児島市)

福岡県築上町椎田で作られているもの。北九州市の東、国東半島までは旧豊前の国にあたる。福岡県でも限界地方でも作られているという。豊前地方は干潟が広がり、漁獲物が多彩でノリ養殖なども行われている。福岡にあってこの地域で揚がる魚貝類を「豊前もの」という。初夏の朝方、たぶんとれたばかりの「かます(種不明だがアカカマスである可能性が高い)」の刺身を厚めに切り、醤油・ゴマ・酒などを合わせたたれに漬けておく。半日ほど漬け込んで温かいご飯に乗せて、熱いお茶を注ぐ、というもの。梅干しと一緒に食べるとより美味である。福岡県で広く作られているゴマ醤油だれに漬け込むという料理のひとつ。福岡県でゴマと醤油というと「ごまさば」が有名だが、もっと遙かに多彩な魚が使われていたという可能性をみる。福岡市など玄海地方などでもカマスで「茶漬」が作られている。『聞書き 福岡の食事』(農文協)

大分県でも佐伯市鶴見などの海辺で作られてきたものらしい。その後に山間部にも広がったということか。マアジを使うと言うが、調べるともっと種は増えると思う。基本的には素焼きにしてほぐして、油でいためる。炒めながらみそと合わせ、砂糖、しょうがで味を整える。ほぐした身を炒めてみそと合わせるとみそとほぐした身がうまく一体化しない。予めほぐした身とみそを合わせて置いた方がいいかも。マアジは鮮度の悪いものでもよく、非常に庶民的なおかずということだと思う。『酒と肴の文化地理 大分の地域食をめぐる旅』(中村周作 原書房)

神奈川県小田原市小田原魚市場、二宮定置のダンベから小さなイサキをひろってきた。これで福岡県宗像・豊前浜の「茶漬け」を作る。マアジで作ることが多いということだが、小イサキで作っても遜色なしというか、以上の味になった。2010年、福岡県宗像市道の駅に向かおうとタクシーに乗った。そのときの運転手さんから聞いた料理が「茶漬け」だ。他に料理名はないのですか? と聞いても「茶漬けは茶漬けですね」だった。「普通、家で作りますけど今スーパーにも並んでいます」というので躊躇していたら、タクシー運転手の方が近くにあるスーパーに連れて行ってくれた。そこで1パック、道の駅で1パック買った。運転手さんと道の駅の方、駅で会った老人に作り方を聞いたら、まったく同じだった。朝食べるものだというのも同じ。運転手さんは「父親は酒のつまみで食べていた」と教えてくれたのだ。これと同様のものが福岡県豊前浜にもある。その料理名も「茶漬け」だ。それは醤油色に真っ黒に染まり、見た目は最悪というものだった。でもこれが宗像市で聞いた「茶漬け」そのものの色合いなのだ。実に簡単に作れて、日々朝に食べて手間いらずだ。やはり古くからのケの食文化は「手間省き」から生まれたものが多いのだ。夜に作り、朝に食べるものだという。ご飯にのせてそのまま食べることもあるが、熱いお茶をかけてさらさらと食べる方が多いという。このさらさらとかき込む「茶漬け」の茶漬けがウマシなのだ。

長崎県平戸市度島で作られている。ムツやクサビ(アカササノハベラもしくはササノハベラ属)を水洗いして素焼きにする。ほぐして硬い骨(中骨)を取りみそと混ぜる。これでご飯を食べたり、お握りの具にも入れたりする。酒の肴にもなる。また高知県の「やえこ」のように焼いてもおいしい。ムツは幼魚で十分。大きさにばらつきがあり、また数尾しかいないときでもいい。また小サバ類などと一緒になっているときは数種類の魚と一緒にして作ってもいい。ここでは長崎県雲仙市ヤマト醤油の麦みそを使ったが、どのようなものでもいい。麦みそは独特の香ばしさがあり、塩分が少ない。関東などのみそを使うときは砂糖を加えてもいいだろう。[福畑光敏さん 長崎県平戸市度島]

長崎県雲仙市富津の「冷や汁」は、タチウオ、トビウオなど焼いておいしい魚を使う。焼いてほぐしておく、ゴマと麦みそをすり鉢ですり、焼いた魚を加えてする。愛媛県のようにすり鉢に均等にならしてから、あぶる(焼く)という工程がない。少しずつ水を加えて、キュウリ、夏の香辛野菜であるネギ、みょうが、青じそなどを混ぜる。麦みそが非常に合う。これをご飯にかけて食べる。タチウオは身にうま味があり、麦みその香ばしさとあいまって非常においしい。また麦飯の香りが合う。協力/佐藤厚さん(長崎県雲仙市)

2010年、福岡県宗像市道の駅に向かおうとタクシーに乗った。そのときに運転手さんから聞いた料理が「茶漬け」だ。他に料理名はないのですか? と聞いても「茶漬けは茶漬けですね」だった。「普通、家で作りますけど今スーパーにも並んでいます」というので躊躇していたら、タクシー運転手の方が近くにあるスーパーに連れて行ってくれた。そこで1パック、道の駅で1パック買った。運転手さんと道の駅の方、駅で会った老人に作り方を聞いたら、まったく同じだった。朝食べるものだというのも同じ。運転手さんは「父親は酒のつまみで食べていた」と教えてくれたのだ。これと同様のものが福岡県豊前浜にもある。その料理名も「茶漬け」だ。それは醤油色に真っ黒に染まり、見た目は最悪というものだった。でもこれが宗像市で聞いた「茶漬け」そのものの色合いなのだ。実に簡単に作れて、日々朝に食べて手間いらずだ。やはり古くからのケの食文化は「手間省き」から生まれたものが多いのだ。夜に作り、朝に食べるものだという。ご飯にのせてそのまま食べることもあるが、熱いお茶をかけてさらさらと食べる方が多いという。このさらさらとかき込む「茶漬け」の茶漬けがウマシなのだ。基本的に魚の刺身をゴマと醤油に漬け込んだものだ。そのまま食べると塩辛く感じるもので、ご飯のともだ。最近では酒やみりんを使うというが、九州の一般的な醤油に必要だろうか?宗像市ではマアジで作り、朝ご飯などにご飯にのせてお茶をかけて食べた。豊前浜椎田ではカマスを使うがこれは別項で。また福岡市の「ごまさば」は新しい名称だと思うが、この根底にもこの「ゴマ醤油づけ」がある。

液体(水)と塩を使って魚に火を通す料理法は日本各地にある。それぞれの地に名称があると思うので、できれば個々のものを挙げたくはないが、例えば北海道などでの「湯あげ」、山形県などの「湯煮」、石川県・福井県などの「浜いり」、「塩いり」、沖縄県の「まーす煮」だ。あまりにも在り来たりな料理法なので料理名のない地域も多そうである。すべて日本料理の基本的なものだが、日本各地で様々な魚が使われ、その魚にあった火の通し方、塩分添加の仕方がある。これは長崎県雲仙市富津、佐藤厚さんに教わった料理法だ。マサバやマダイなどを適当に切り、強めの塩をして寝かせておく。塩が馴染んだところで多めの真水で均等に火が通るようにゆでて、ゆで汁は捨てるというもの。鮮魚ではなく塩サバで作ってもおいしいとのことだ。この強く塩をして保存し、食べるときにゆでるものを雲仙市の隣諫早市などでは「ゆでもの(さばのゆでもの)」という。どことなく福井県北部・石川県南部で見つけた「浜いり」に似ている。佐藤さんに教わったマサバでやってみたら非常においしい。柑橘類をかけて食べるとまた一層うまい。そのまま食べてもいいし、オリーブオイルやスパイスを利かせてもいい。マヨネーズで食べてもいいだろうし、酢コチュジャンなどもいいと思う。今の暮らしにマッチした料理である。

大分県のづけ飯は「ひゅうが」、「りゅうきゅう」、「あつ飯」の3種類がある。「りゅうきゅう」、「あつめし」はすりごまに醤油、みりん、酒などを加えてつけだれを作り、刺身など刺身の残り、切れ端などを漬け込んで、ネギ、しょうがなどの薬味を利かせるもので、名前は違うがほとんど同じものとしていい。また福岡県の「ごまさば」、「茶漬け」とも同じものである。「ひゅうが」だけが独特である。作る地域が津久見市周辺で狭い。起源は同市保戸島だとされる。ここはマグロ漁業の島であり、また日本各地の漁港などとつながりがあることなどで、生まれた料理なのかも知れない。材料がマグロであること、卵を使うことが特徴である。大分県には同様のものは見当たらない。魚は違うものの愛媛県に「ひゅうが飯」があり、作り方が非常に似ている。また同県には卵を使うづけ飯があることなど、むしろ愛媛県県南から来た可能性が強そうだ。『酒と肴の文化地理 大分の地域食をめぐる旅』(中村周作 原書房)

5代目 古今亭志ん生 1890年6月5日~1973年9月21日(明治23年~昭和48年)は主に大正・昭和になって活躍した落語家。桂文楽とともに戦前戦後の落語の全盛期を気づいた。話のなかに生活臭が感じられ、本来悲惨ではあるが、それを滑稽に見せるなどした。美濃部美津子 1924年(大正13)は長女だ。「お刺身のときは中トロばかり好んで食べてました。それもブツ切りが好きなの。」「中トロのブツを肴に酒を飲んだときの締めは決まって“まぐ茶”でした。マグロのお茶漬けですよ。ご飯の上に残ったブツをのせて、あぶった海苔をちぎってのせて、さっとお醤油をかけて、厚いお茶を注いで出来上がり」マグロは予め漬けにもしないで生そのまま。醤油をかけて海苔をちぎるだけの食卓で手っ取り早く作れるものだが、とてもうまい。特に酒の後にうまい。神田生まれの志ん生から見えてくる庶民の味としての中トロが実に面白い。『志ん生の食卓』(美濃部美津子 アスペクト 2008)

長崎県雲仙市小浜富津で作られているもの。魚を皮付きのまま湯通しするのを「湯引き」といい。三枚に下ろして腹骨と血合い骨を取った状態で湯をかける「湯がけ」がある。「湯引き」は身の芯の部分まで火が通る。「湯がけ」は料理用語の皮霜造りのことで中心部分は生だ。メジナやクロメジナ、コチ、アイゴ、マトウダイなどで作る。マダイでは作らないというが、これは味ではなく価格の問題かもしれない。水洗いし、三枚に下ろし腹骨・血合い骨を抜く。これを刺身状に切り、湯通しして冷水に落とし水分をよくきり、梅肉、山椒、しょうがしょうゆなどで食べるのを「湯引き」という。熱湯に落として冷水に取り、水分を切る一連の工程を「どぼん」というらしい。

郷土史家の越中哲也(1921年長崎生まれ)が1945年の敗戦直後、五島列島有川太田で食べたとされるものだ。現在も作られているかどうかはわからない。このあたりの日常食は「かんころもち」で、これを主食とする生活は苦しいものらしい。そんなときに麦飯(ごちそうという意味合いだろう)が炊かれ、供されたのが「ひや汁」である。「海岸から子供たちにミナ(ギンタカハマなどではないか)やサザエをとってこらせて、それを庭先のシソの葉と一緒に小さく刻み、みそをすりばちですって水でとき、その中に貝とシソの葉を入れただけのものなのである。その汁を今たきあがったばかりの麦めしにかけて食べるのである」これは明らかに生の魚の身を使った「冷や汁」のひとつで、巻き貝を使ったということでは非常に珍しい例だと思う。『長崎学・續食の文化史』(越中哲也 長崎純心大学博物館)

生の魚を刺身にして、家庭で醤油などにつけて保存性を高めるものを「づけ(漬け)」と呼ぶ。日本各地で普通に行われているもので、あまった刺身などの保存のためでもある。また「づけ」を作ることもある。飲食店でも同様のものを作る。日本各地に同様の刺身(切り身)を醤油に漬け込む料理がある。そのままご飯にのせてもいいし、のせて茶漬けにして食べたりもする。東京都/づけ愛媛県/ひゅうが飯福岡県/茶漬、ごまさば大分県/りゅうきゅう、あつ飯、ひゅうが

関東の栃木県、群馬県、茨城県、埼玉県で初午の日(今は新暦の2月の最初の午の日だが、本来は旧暦なので新暦だと3月初旬)に作られている。これを稲荷神に奉る。栃木県栃木市、栃木県小山市、栃木県宇都宮市今里、那須郡那珂川町、さくら市、群馬県板倉町、茨城県結城市では実際に家庭で作られているのを確認。埼玉県熊谷市下久(荒川沿い)では初午の日以外には作らないという。「しみつかれ」、「しもつかり」、「すみつかり」、「すみつかれ」、「すみずかり」ともいい正確には初午の前日に作る。この料理の起源や呼び名の意味は不明。鈴木晋一は『宇治拾物語』の「慈恵僧正戒壇築たる事」に「すむつかり」があって大豆を煎って酢をかけたもの。酢をかけると大豆に皺が寄って箸で挟みやすくなる。これを子どもがむずがって顔をくしゃくしゃにしているようだというので、「酢憤(すむつか)り」といい話が出ている。【材料/大根、ニンジン、塩引き鮭の頭、節分の大豆、酒粕】大根とニンジンは鬼おろしで粗くおろし、塩引き鮭の頭は焼いてぶつ切りにする。大豆は焙烙で煎って、皮を取り除く。鍋にニンジン、大根、鮭、大豆を煎れ、ことことと煮込む。塩引きが柔らかく煮崩れるようになったら酒粕をのせて、柔らかくなるまで煮て、最後に醤油で味付けする。八升だきの鍋で作るので、幾日にもわたって食べる。初午の日に赤飯と食べるとおいしい。『聞書き 日本の食事』(農文協力)、『熊谷市史調査報告書 民俗編 第二集 食生活』(熊谷市史編さん室)『たべもの史話』(鈴木晋一 平凡社)ほか

竹原市『藤原鮮魚店』、藤原みどりさんにつくっていただいた、「小いわしの刺身(カタクチイワシの刺身)」。オススメの食べ方はポン酢と一味唐辛子。これが非常に美味であった。まだシコシコと硬く感じるほどで、噛むと強いうま味が染み出してくる。広島県での一般的な食べ方は、しょうがしょうゆである。とにもかくにも初夏から夏に広島に来たら食べない手はない、それほどに美味である。丸のままを買い、自分で作る人もいるが、鮮魚店では注文を受けると目の前で作ってくれる。「小いわし」は広島県の海沿いでは名物と言うよりも日常的な味なのかも。

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サメの皮の煮こごり(鮫の煮凝)は東京都墨田区のおでん種の店で売られていた。練り製品を製造販売する店は都内に無数にあった。それが急速に減少している。その練り製品の店で寒い時季に作るものらしいが、今、作っている店は少ないのではないかと思う。『江東区の民俗 深川編』(江東区教育委員会)に大正7年(1918)年門前仲町生まれの男性が駄菓子屋や屋台で煎餅、飴などとともに鮫の煮こごりが売られていたという。新潟県上越市では師走になると、鮫の煮凝りを食べる。12月になると魚市場にはサメの皮が入荷して場内に並べられるという。大型のサメの産地としては宮城県気仙沼だろう。ここでサメを扱う業者によると、練り製品の店にはアオザメの皮が上越市などにはネズミザメ(もうかざめ)の皮を送るという。しょうゆ味の素朴な味わいで、甘く作ると子供のおやつにもなりそう。協力/濱喜(宮城県気仙沼市)

ギンタカハマ、ベニシリダカ、ウズイチモンジ、サラサバテイなど螺塔の高いものの軟体を抜くのはとても難しい。これを漁師さんたちは工夫して取り出している。 写真は長崎県雲仙市、佐藤厚さんに教わったもの。いろんな巻き貝に使えるものと思われる。材料/ステンレス線(ここでは1.4mmだが、1.2mmでもいいだろう)後は先を砥石などで尖らせて、この形に曲げる。ステンレス線は非常に硬く切れないので、道具は必要である。

酒・みりんを合わせて、アルコールを飛ばし、しょうゆを加えた地で短時間あっさり煮た。薄口しょうゆに代えると「白煮」というすし屋さんもいる。 5月のマアナゴは脂がのっていて、短時間煮てもこくがありほどよい軟らかさだ。1 開いたもののヌメリをとり、湯通しして表面の白いぬめりをとる。2 水分をよくきり、残った鰭などがあればていねいに切り取る。3 鍋に酒・みりんを煮立てアルコール分を飛ばす。しょうゆを加えて味加減をみる。4 煮立ったところに開いたものを入れて短時間さっと煮る。

神奈川県小田原市岩定置で揚がった9.5kgのヒラマサの中骨を使った。 中骨はじっくり時間を掛けて素焼きにする。この焼いた香りと脊椎のなかの髄液、骨からのうまみを液体に放出させるのだ。1 中骨は付着した血液などをていねいに拭き取る。2 素焼きにする。できるだけじっくり時間をかけて適度な焼き色をつける。3 完全に冷めたら、水・焼いた中骨・昆布(ここではホソメコンブだがなんでもいい。特に羅臼昆布が合いそうである)を鍋に。このまま数時間寝かせる。4 ゆっくり沸騰させないように温めていく。5 そのまま冷まして、濾す。

沖縄風天ぷらは魚を使うのが特徴だろう。特にイラブチャーの天ぷらはウミンチュも日常的に作るという。揚げるとふんわりとして表面がさくっと香ばしい。 冷めてもおいしく食べられるように衣に味がついているのも長崎県とともに特徴的だ。 ここでは三枚に下ろしたヒメブダイの切り身を揚げてみた。できるだけさくっと軽く揚げて、丼つゆをくぐらせてご飯に乗せてみた。1 魚は三枚に下ろして中骨・腹骨を取る。2 水分をよくきって、食べやすい大きさに切る。弱めの振り塩をする。3 少し置き、再度水分を拭き取る。4 小麦粉をまぶして衣(小麦粉・塩・砂糖・コショウ・水)を絡めてあげる。若ゴボウも同じように揚げる。5 揚がったものを丼つゆ(酒・みりんを合わせてアルコール分を飛ばしたもの・水・しょうゆを合わせて削り節を加えて少し煮たもの)にくぐらせてご飯にのせる。

沖縄県の浅海で揚がる魚は基本的にたんぱくな白身魚であることが多い。この淡泊さを補うために沖縄県では揚げる、という料理法が多かった。例えば天ぷら、素揚げなどだ。そこに1945年の敗戦後にやってきたアメリカ軍がアメリカ製のマーガリンを配給した(?)、もしくは安く出回った。これを使って作られたのが沖縄県の郷土料理となっている「バター焼き」だ。 主にフエダイ科のあまり大きくならない種やイトヨリ科タマガシラなどが使われている。小さくて脂やうま味の少ない魚を使った料理だとするとわかりやすいかも。 沖縄県内の食堂では基本的にバターは使わない。それなのになぜ、「バター焼き」なのかは不明だ。ちなみに沖縄県は統計的にはマーガリンの消費量が多いわけではない。スーパーなどにアメリカ産のホリデーマーガリンが大量に売られているのに不思議である。 沖縄県ではこのホリデーマーガリンをビックリするくらいたっぷり使う。 ご飯のおかず、総菜である。那覇の食堂で「バター焼き」にしょうゆをたっぷりかけてご飯に乗せて食べている人を見たが、こうするとよりご飯に合う。

剁辣椒(ドゥラージャオ)は中国湖南省・四川省などで作られている赤い唐辛子の塩漬けです。何種類かの魚で使ってみて魚料理にこれほど便利な食材はないと思い始めている。ほぼ総ての魚種が本料理に向いている。しかも今回使った湖南省のものは手に入れにくいが四川省のものは中華食材の店で安く売られている。調味料としては辛味と塩味だけで、余計な味がなく、素材のうま味を引き出してくれます。白身魚ならどんな種を使ってもおいしくできる。また臭みのある魚にも使えて便利。有名な料理は剁椒魚頭です。湖南省なので淡水魚などの頭部に剁辣椒を乗せて蒸します。淡水魚、海水魚に関わりなくおいしいのも特徴だと思う。もちろん、頭部だけではなく切り身で作っても美味だ。

魚屋(八王子総合卸売組合 マルコウ)で脂はあるけど筋の多い部分を買って来た。皮目のかきおとしなども一緒にして450gあった。不思議な切身が入っていて、脂があるので上の部分だと思うけど、それにしても形が変だ。たぶんキズがあったのだと思う。 これをできる限り低温で煮る。低温で煮ると軟らかく、内側にある脂も外に出てしまわない。 煮汁もスープとして楽しめるし、塊もいろいろ利用できる。無駄のない料理だ。1 水の中に入れて、塩・粒コショウ、ローリエ、玉ねぎ、セロリ、リーキと一緒に低温で2時間火を通す。2 そのまま鍋止めする。3 塊を取りだし、煮汁をこす。

古くは、〈形状(かたち)は鼠に似て、頭・尾・手足はなく、但前後に両口があるだけである〉『本朝食鑑』(人見必大 島田勇雄 訳注 1697)。 とてもネズミには似ていない。ただ昔、暗闇などで干しナマコを見るとネズミに見えたのだろうか?

1980年、宮城県気仙沼から岩手県宮古までおんぼろシビックで旅をした。大船渡と釜石の間、道路は舗装されていなくて(舗装中か改修中だったのかも)、すさまじいデコボコ道だった。ほこり舞う中、ときどき集落があるとほっとするそんな道中だったと記憶する。 そこに食堂を見つけて入ったのだ。何を食べたのかあまり覚えていないのだけど、ボクの前に座った男性がいた。いかにも土建業の方的な姿をしていて、座るとき椅子がぎいと鳴いた気がする。 何も注文していないのに丼がふたつきた。片方にしょうゆを入れて、片方のご飯の丼にかけた。間違いなくホヤ(マボヤ)だった。 都内でもホヤは珍しいものではなく、普通に食べていたが、ボクの場合、三杯酢もしくは柑橘類と塩で食べていた。生じょうゆをかけて、しかもご飯に乗せて食べるというのを見てビックリした。 ご飯が残っていたのでホヤを注文したら普通の酢の物が出て来た。きっとあれはあの方だけの特別メニューなのだと思った。 岩手県人はホヤでご飯を食べるのだろうか? 以後、そのような場面に遭遇していない。

魚貝類をソテーするときありったけの種類の野菜とソテーしてはいかがだろう。ソテーだけどサラダだ。 写真は岡山県産アカマテガイと赤・黄のパプリカ、ポワロ、ナス、新玉ねぎを一緒にソテーしたもの。ここに甘酸っぱさのために黄金柑を足した。1 アカマテを剥き砂などを流して切り、塩コショウする。2 野菜や同じ大きさに総て切っておく。3 オイル(ここではグレープシードオイルだけどなんでもいい)をフライパンに多めに入れてニンニクのスライスを加えて香り出しをする。4 材料のなかで火が通りにくいものからフライパンに入れていく。ここではポワロ、新玉ねぎ、ナス、、パプリカとアカマテは同時に。5 炒めったら、皿に取り、黄金感と和えて置く。6 フライパンをビネガー(ここではシェリービネガーだがなんでもいい)、シャリーでモンテする。7 塩コショウで味を調えて上からかける。塩味は最小限がいいと思うのでここでの味つけはしなくてもいい。

利根川の感潮域である利根川河口堰周辺で行われているのが、「うなぎかま漁(鰻鎌漁)」である。「うなぎかま(鰻鎌)」という長い竿の先に鈎状の鎌をつけて泥の中にいるウナギをからめとる。漁の獲物は「銀うなぎ」という海に下る直前のもので大きいものは1m前後になる。 千葉県小見川(現香取市)ではこれを「ぼっか」という。天然のウナギはこの秋から冬にかけて産卵に下る直前をよしとし、東京都内の老舗ウナギ店なども買いに来る。

ジョルジュ・キュビエが発見したとされている。ただし生殖巣と考えたようだ。 護身用の武器でナマコ綱でも持っている種と持っていない種がある。ニセクロナマコなどは無闇に触るとネバネバしてやっかいである。 ジャノメナマコ、フタスジナマコ、ニセジャノメナマコなども。 刺激を受けると肛門から吐き出し、外敵にからめて身動きできなくする。

『和漢三才図会』(寺島良安 東洋文庫 平凡社 正徳2年 1712)に壺やき(漢字無)が出てくる。〈肉味甘くて、硬く厚い。腸・尾を取り去って切って醤油に混ぜ、再び殻に盛り煮熟して食べる。これを壺やきという。〉 正徳年間(1711-1716年)にはすでに「壺焼」があったことになる。〈薩埵山東にあった西倉沢(西倉澤)茶店に栄螺・鮑を料理て価うなり。〉 宝暦10年(1760)正月22日(当然旧暦)土御門泰邦(江戸時代半ばの陰陽家で公卿で、宝暦暦を作る)が壺焼を食べている。 薩埵峠(現静岡県静岡市清水区由井西倉澤)は東海道の難所のひとつだ。 山形県産のサザエを買ったら殻に大量のフジツボがついていた。このような状態のサザエは砂を噛んでいる可能性が高いので、安い。実際に買って見たらこのままでは壺焼にできないので、江戸時代にならって作ってみた。1 剥き身にする。2 胃や腸、生殖巣も取り去って、砂を洗い流す。3 軟体である脚の部分だけを適当に切りしょうゆで和えて、殻に詰めて焼いた。参考文献/『たべもの東海道』(鈴木晋一 小学館ライブラリー)

ポルトガル料理店の料理を再現しただけなので、これが確実に当地の料理法なのかはわからない。 野菜は何をつかってもいいがジャガイモが入ると味のまとまりがよくなる。生で食べるもの、ソテーして食べるものなどを集めて置く。 魚は水洗いして頭部、鰭を落として水分をよくきっておく。 これに塩をして、ソテーするか焼く。野菜はソテーするものはして、ゆでるべきものはゆでておく。 野菜を並べた上に魚のソテーもしくは塩焼きを中骨・腹骨などをていねいにとって乗せる。 要するにカイエンヌペッパーとにんにくを効かせること、じゃがいもを加えることがポルトガル風だと思う。

日本各地に酢を使った料理は数知れずある。保存性が高いからだ。中でも国内全域で作られているのが「なます」だ。基本形は短冊かけん突きで細長く切った野菜に塩をして、甘酢につける。ここに魚やちりめんやかえりなどの干ものを加えることもある。この酢を使った「なます」という料理は昔、料理は基本的に当座(数日かけて)食べるものだった証拠だと思っている。ボクは1956年生まれだが、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の商店街のど真ん中で育ったので、その当座食べる習慣は残っていなかった。ところが我が町でも商店街以外では「なます」を作っていたし、美馬町(現美馬市)の山間部では呼び名は違えど、同じ料理「酢和え」を作っていたのだ。今回の「きりごみ」は長崎県平戸市度島の福畑敏光さんに教わったもの。日常的にも食べるものだと思うが、主に棟上げなどの祝い事などに作るようだ。数日後に祭を控えて、作るなんてものだと思うが、これがないと祭らしくないのやも知れぬ。大根とにんじんの基本形は同じだが、「ちしゃ(イシダイ)」や「ひらす(ヒラマサ)」などの皮や切り身の端などを適当に切って加える。皮などを切って入れる(込む)ことからくる名前で、漢字にすると「切り込み」だろう。甘酢で和えて、そのまま寝かせると魚の皮や身が柔らかくなり、酢が馴染んでおいしくなる。これは季節季節にいろんな魚を使って作るのだろう。飽きの来ない味で非常にうまい。問題なのは焼酎あたりに合い過ぎてすごしてしまいそうなことだけ。■作り方1 イシダイなどの皮や刺身などにしたときに切れ端を食べやすい大きさに切る。2 大根・ニンジンは短冊切りにする。3 野菜と魚は別々でもいいが、まとめて塩をしたほうが簡単だろう。4 出て来た水分を捨て、甘酢(酢と砂糖を同量合わせたもの)で和える。5 これを2〜3日寝かせる。写真はイシダイ。

深川というのは東京都江東区の深川八幡宮あたり。隅田川の東、深川には遊廓や有名な神社お寺があり、「深川八景」といわれる名所であった。その深川を冠した名物が「深川飯」である。深川には猟師町も魚河岸もあり、江戸前の魚と密接な関係にあった。内房からの貝類やイカタコ、魚などの集積地であったのかも知れない。 江戸時代から1945年の戦前くらいまで江戸の町(東京)ではバカガイ(青柳)、ハマグリ、アサリなどの剥き身が売られていた。二枚貝で殻付きのまま売られていたのは、汽水域でとれたシジミ(ヤマトシジミ)だけだった可能性もある。 深川周辺でもアサリなどがとれていたものの、主体は千葉県浦安・船橋などから小名木川、仙台堀川などを船でやってきていた。バカガイは殻付きで運ぶのがアサリと比べると難しい。それで剥き身にしたのはわかる。でアサリ、ハマグリまで剥き身にするのはなぜだろう。流通の主体が堀という今の高速道路のようなものを使った時代、物理的な理由かも知れない。 貝の剥き身をつかった、みそ仕立ての「ぶっかけ飯」を安いのもあって日常的に食べていた。 これを「深川飯」と呼んだのは後のこと。初期にはバカガイの剥き身を使ったとも言う。これがアサリやハマグリも使われるようになり、明治後期には安食堂のメニューとしても定着していたようだ。 本来は剥き身の、みそ汁かけご飯であったものが、大根やごぼう、油揚げをくわえた「深川飯」となる。 また、炊き込みご飯も「深川飯」と呼ぶことががある。『たべもの語源辞典』(清水桂一 東京堂出版)/『聞き書き 東京の食事』(農文協)他を参考としました

ナガラミとして流通する多くがダンベイキサゴ、めったには来ないもののキサゴも流通したことがある。 キサゴは内湾など波の穏やかな場所にいる。ダンベイキサゴは九十九里など外洋の波にさらされるような場所にいる。 当然、市場流通した状態でも砂を噛んでいることが多い。

鹿児島県屋久島で「もみこみ」、種子島で「つかまぜ」、「つかんまぜ」という料理がある。屋久島内でも他に呼び名があるかもしれないし、種子島で同じ雑貨店のご夫婦でも音が微妙に違っていた。鹿児島県川辺町でも同様の料理を作っている人に会っている。鹿児島県内だけではなくもっと広い地域で同じような料理が作られているとも思うので、同様の料理の呼び名も採取しないとだめだ。 これが漁師さんが作り始めたものだとすると、言語的にも作っている地域もかなり広い可能性がある。「つき」という大根おろしを粗いケンにする道具と、料理法の広がりも重要だと思う。 このような日常的な料理に名前がない、もしくはあっても消えてしまっていることが多いので、できるだけ早く言語を記録すべきだと思う。 今回は「もみこみ」、「つかんまぜ」という言語を使ったが、土地土地で呼び名が違う可能性が高い。無闇に1つの呼び名を使っては絶対にいけない。特に民俗学や郷土料理を研究している人間は慎重に採取すべきだと思う。 1つの言語が一人歩きすることを言語の癌化と我がサイトでは定義している。同様の料理法がお住まいの周辺にあるなら教えて頂きたい。 本来は漁師さんが船の上で作っていた料理。 大根と塩だけでできる。 釣れたばかりのカツオ、ソウダガツオ類、サバ類、トビウオ類、などを三枚に下ろす。 大根は独特のつき(大根などをあらく棒状に突く)で突く。 これを一緒にして塩で和える。 柑橘類を加えてもいい。

日の出直後、秋の鹿児島湾(錦江湾)は鏡のように穏やかだった。水深200mの海の底に網を掛け回す。 狙いはクダヒゲエビ科、タラバエビ科のエビである。 トントコ網漁は大正時代(1912-1926)初期には行われていたという。 桜島を見ながら網を揚げる浜島秀文さん。

下北半島西岸では定置網や刺し網に混ざるもので、漁獲量がそれほど多くない。 基本的に皮をむき、そのまま素干しにする。強く硬く干し上げたもので塩分添加をしていないので保存性が高い。 厳しい冬などには重要な保存食だったのではないかと思う。

小型のアカムツを島根県西部で「めきん」などと言う。干ものにするにも小さすぎるので、煮干し加工が盛んな大田市などで、煮干しに加工されている。 白身魚の煮干しは山口県でもそうだが、里芋と相性がいい。 昆布と「のどぐろ煮干し」を半日漬け込んで火をつけてゆっくり沸騰させ、沸騰する直前で手前で火を止める。 これをこして、煮干しはそのままで酒・しょうゆ味で煮る。[山根商店 島根県大田市仁摩町]

勇み肌で粋を好み、宵がしの銭は持たねー的な江戸っ子の中の江戸っ子を「いなせだね」と言う。 その「いなせ」の語源はなんだろう? 大言海には「鯔背」はない。1 〈新吉原(明暦の大火1657以後浅草千束の吉原)ニ地回リノ勇肌ナル者アリテ、美聲ニテ「いなせトモナキ、ソノ心カラ、帰ラシャンセト、ホレタ情」ト云フ小唄ヲ唄ヒ歩キタルガ名高クナリ、遂ニ粋ナルコトニナレリト云フ〉2 江戸時代、日本橋魚河岸の若い衆たちが「いな(ボラの若魚)」の背(上から見た形のことか)の形の髷を結っていたことから。

徳島県は古くは天然ウナギの供給地だったのではないかと思う。吉野川水系ではウナギをとっている人を見かけたことがあり、今でも河口域でとれた大型を中央市場で見かける。 またシラスウナギ漁も吉野川河口域で盛んに行われている。 シラスウナギがとれることから1960年前後からレンコン畑の転用でのウナギ養殖も盛んに行われた。ただし今では吉野川水系では消滅してしまっている。徳島で養殖業を行っているのは阿南市那賀川町の1軒のみとなっているようだ。 徳島県のウナギ屋(ウナギ専門店)の歴史はあまり古くないのではないかと思う。今現在も老舗といえそうな店は存在しない。 ただし養殖が行われていたこと、大阪などから近いことから四国4県の中ではもっともウナギ専門店が多い。 徳島市内、中央市場で教わって鳴門市までウナギを食べに言った。 鰻重をお願いする。地焼きなのでさほど待たされないで来た。 焼き加減は強くもなく弱くもなくで、焼き上がった香りが最高にいい。タレが重すぎず、口に入れた皮の硬さ、身のふっくらとした感じもいい。 まさか徳島でこれほどおいしいウナギが食べられるとは思わなかった。 しかも待つ間にお願いした「うざく」の味もかなり上の部類であった。

毎年冬に入荷してくるのが富山湾のサンマだ。日本海産なので大きさにばらつきがあるものの、大きなものを選ぶと2019年産秋の太平洋産にひけをとらない。サンマヒジキムシの跡もなく、とてもきれいな魚体だ。 太平洋側の不漁が続くと日本海側がクローズアップされるかも。

茨城県古河市を車で回っていたら、見事な造りの小澤糀店の前に出た。みそ屋をみつけたら買ってみる、それがボクの町巡りだ。古河市周辺で一般的だという米糀みそを買った。 いつもそうだが、初めての店でみそを買うと、「なめろう(みそたたき)」が作りたくなる。 必然的にアジを買う。 みその味から、ねぎではなく玉ねぎとしょうがの搾り汁だけで作ってみた。 三枚に下ろして腹骨、血合い骨を取る。玉ねぎはみじん切りにし、しょうがをすっておく。 皮を引いたアジの身も細かく切り、玉ねぎ、みそと合わせて叩く、しょうがの搾り汁を振り、またたたく。 少年が、「なめろう」を作る場面が安西水丸の小説にあったと思う。考えてみるとそんな簡単な料理だ。 糀がきいてほんのり甘味のあるみそが、「なめろう」に合う。 やはりうまいみそを買うと、「なめろう」を作りたい。

スルメイカをはじめツツイカ目を使った加工品、料理に「煮いか」がある。 市場など流通上のものは、生もしくは冷凍イカを塩ゆでしたもので、「ボイルいか」、「煮いか」、「ゆでいか」と表記されている。この表記のまま市販もされている。「煮る」、「ゆでる」は液体で熱を通すことなので同義語である。 ただ栃木県、茨城県の「煮いか」は煮汁(しょうゆ・砂糖など)で塩以外で味つけして煮たツツイカ類のことだ。

マツブなど(エゾボラ属)は基本的に剥き身にして、足の中心部分にある唾液腺をとってから料理する。 唾液腺にはテトラミンが含まれる。 テトラミンは死亡例はないものの、めまい、目のちらつき、船酔いに似た症状が出て、ひどいと嘔吐感に襲われる。 要するに酒を飲んだときのようになる。 第二次世界大戦のとき、戦後の酒のない時期に唾液腺を食べていた人に聞いたが、非常に酒によった状態に近いものだったそうだ。 加熱してもテトラミンの毒性は消えないので、必ず除去してから調理すること。

千葉県外房産の引き縄の大メジを発見。巻き網のメジは買わないが、引き縄なら買ってもいい。しかも八王子総合卸売組合 マルコウ水産クマゴロウが下ろしているのを見るとかなりの上物である。 どんどん買い手がついているので急いで半身を確保する。

市場で「小ヤリ」と呼ばれている小振りのヤリイカは多くが雌である。 ヤリイカは雄が大きくなり、雌は成長しても外套長25cm前後にしかならない。 今回のものは茨城県産で鮮度抜群だった。胴は刺身に、げそと卵巣・精巣は親子丼にしてみた。 鍋に水・みりん・しょうゆを合わせて火をつける。 玉ねぎを少し煮て甘味を出す。 げそと卵巣・精巣を加えて煮て、煮上がりに溶き卵を流し込む。 三つ葉を散らして出来上がりだ。 材料を揃えても10分以下しかかからない。簡単で食いしん坊も大満足って丼だ。

早朝の市場では膨大な量のサバヒーが水揚げされていた。サイズが揃っているのはほぼ養殖ものである。非常に大きな個体も並んでいたが、ハタ類などと混ざっていたところから天然ものであるようだ。 養殖されたものは、入荷時にも大きさが揃っている状態で、ほとんどが全長40〜50cm前後だ。

ガスレンジで魚焼き器などをのせてあぶってもいいが、最新の機器は熱すると、火が弱まってしまうのでやりにくい。 むしろオーブントースターで火の通り加減を見ながらあぶるほうがいい。 若い藻体を使った走りのものはすぐに鮮やかな緑に変わるが、春摘みはあまり色が変わらない。 色合いだけではなく、のりを触って見て火の通り加減を見る。

ラーメンスープの確たる定義なんてない、と思っている。個人的には魚貝スープのラーメンが好きだ。 自宅で作るときには煮干しで作ることが多い。 今回は青森県下北半島、脇野沢村特産の焼き干しでだしを取り、それをラーメンスープにした。青森の焼き干しと言えば、前回は平舘で買った「アジ焼き干し」、「カタクチイワシの焼き干し」で作った。 味つけは濃い口しょうゆと粗挽き黒コショウだけだから、これほどだし用素材の実力がわかる料理はない。 いつもながらに思う事は、青森の焼き干しで作るラーメンは最高である。

用意したのはイナダの切身、グリーンカレーペースト、ココナッツミルクだけだ。野菜も赤玉ねぎとパクチーだけなので簡単至極だ。 グリーンカレーを少量の油で炒めて、ココナッツミルクを加え、そこで一口大に切ったイナダを煮込んだ。 こんなに簡単にできるとは思わなかったが、意外にも非常に美味である。 驚いたのはご飯に合うことだ。 イナダ、ワカシなどブリの若魚をおいしく食べるためには、グリーンカレーペーストを常備しておくのも手かも。 特にワカシは値がつかず、定置に大量に入ると問題だらけ。料理法もいろいろ工夫し、利用度を上げないといけない。

ナマコ(マナマコ、アカナマコ)はうま味豊かで、ほんのり甘い。明らかにご飯に合うはずだと思った。 しかも口に入れるとすーっと溶けるのだから、ご飯との馴染みもいいはずだと思ったのだ。 酒の肴には柑橘類を振るだけなのだけど、しょうゆを合わせてご飯に乗せて食べてみた。実にうまい。ご飯の甘さとナマコの渋味をともなった甘味が合うのである。 問題は厚みである。今回は厚すぎた。次回は薄くスライスして食べてみよう。

ナマコ(マナマコ)には塩味がある。水洗いして、適当に切るだけで刺身になる。 酢のものとか、茶振りとかあるが、基本的には処理したものを切るだけで、薬味の大根おろしや柑橘類だけで食べる方がおいしい。 筋肉は最初硬く感じるが唾液で溶けていく。たぶんだけど喉元から消化されながら胃袋に落ちていくので、すいすいと食べられてしまう。 この甘味を伴った渋味の心地よさはなんだろう。何物にもない味わいである。

山陰以北が生息域のボタンエビ(トヤマエビ)はタラバエビ属でも大型になる。100gを超える大型も珍しくない。 いちばん知名度の高い甘えび(ホッコクアカエビ)と並べると親子に見えるほどだ。 ホッコクアカエビと違うのは食感が強く、ぷりっとして口に入れるとボリューミーであることだ。 主な産地は北海道。噴火湾などでもとれるが、大型が多く知名度が高いのは日本海側の留萌、増毛などだ。 だいたい50gを超えると値が跳ね上がり、100g以上になるといったいいくらにつくのか不安を感じてしまう。

市場で、一見いいなと思い値段を聞いて、お安いと思ったカワハギは、養殖ものであることが多い。安い養殖ものもないかわりに非常に高い養殖ものもない。安定した値段であるところが魅力なのだろう。 基本的に活魚であることが多いが、活け締めものもある。第一背鰭棘を切り落としているのが目印なのかも知れない。 カワハギ養殖をする地域が増えている。ますます天然の上物が値を上げる気がする。 鹿児島県出水。

宮崎県油津、ねこや商店にいただいたものだが、なんどかまねて作ってみたがうまくいかなかった。 油津の海水につけて、たたいた(あぶる)ものだが、火の通し加減が難しい。 握りにし、そのまま晩酌の友としたが、これはまたいただけるとありがたい。 門川安秀さんは大技もできるが、このような繊細な技もできる。●2015年05月21日

カキは小振りが好きだ。だから岩手、宮城、北海道よりも有明海や播州播磨灘産を買ってしまいがち。大型のカキは殻をぶつけるとコンコンと鳴り、小振りの殻をぶつけるとカッカッと鳴る。この鋭角的な音がいいのだ。 今回のものは兵庫県たつの市室津のマガキ。 殻が小さい割りに肥りぎみで食感がいい。味わい豊かで、貝らしい苦甘さがほどよい。 カキ肥る冬到来を感じる味。●2020年01月07日

兵庫県淡路島のアジ(マアジ)というと島の南端にある離島、沼島の釣りものが有名だ。今回のものも沼島への連絡船の港、土生の業者の出荷なので、やはり沼島なのだろう。本来この時期、マアジはもっと南に移動しているはずなのに漁が続いている、ということは紀伊水道北部の水温が高いのだろう。 脂がほどよくのっていて、7月の同サイズと変わらないおいしさだ。 4月には小型の新しい群れが入ってくるはず。淡路島のマアジの旬がわからなくなってきた。

最近、下北半島の「みそかやき」、津軽半島、青森市などの「かやきみそ」の「かやき」は「貝焼き」だ。要するに「貝」、ホタテガイの貝殻の深い方を使い調理する料理というもの。 ホタテガイは養殖が本格化した1980年代になっても非常に高価であった。養殖さホタテガイはあまり大きく育てないので、鍋代わりに使える貝殻は天然もので、特に大きなものを集めたものだろう。昔から貝殻自体も貴重なものだったかも知れない。 1987年に青森駅前市場群ではホタテガイの貝殻だけを売る店があって、非常に高価だった。当然、今青森県で見られるようなホタテガイたっぷりの「かやきみそ」、「みそかやき」はニュータイプというか、あくまでも観光客用である。 1988年2月に行ったときに釜、包丁、貝殻数個を売っている老人に通訳をかいしていろいろ話を聞いた。 貝殻を一般家庭で使うことはないと言う。浅い鍋などで「みそかやき」を作る人は多かったようだ。 そのとき市場の老人に教わったのは濃い目のみそ汁を浅い鍋で作り、溶き卵を入れて軽くかき混ぜるというもの。ホタテガイの貝殻を家(一般家庭)で使うことはないと言われる。

青森県では12月の10日前後にマダラの底建網漁が解禁となる。下北半島西岸にある佐井村牛滝漁港では水揚げされたマダラの肛門に「なばり」を差し込んで、白子・真子を見る。雄(白子)だと高いので競り場に並べ、雌(真子)は安いのでダンベに放り込まれる。[青森県下北郡佐井村牛滝漁港]

アカモク(ギバサ、ギバソ、ギンバソウ)はていねいに洗って、湯通しする。冷水に落として粗熱を取り、まな板にのせて余分な水分を流す。 これをできるだけ細かくネバリを出すようにたたき、ご飯にのせて食べる。 味つけは、しょうゆだけでもいいし、そばつゆなどでもいい。とろろ芋と合わせるとご馳走になる。 やたらとご飯がすすむ、そんなおかずだと思う。

アマダイ科の魚は焼いてこそその真味が楽しめる。ここでは若狭焼きにしたときの兜の部分を骨酒にしてみた。 兜はもう一度焼き直す。これを保温性の高い器に入れて、火がつく直前まで熱した燗酒をそそぐ。 蓋をして数分待つと出来上がる。 豊かな味わいが燗酒と混ざり合って濃厚な味になる。

魚貝類の煮つけに使った煮汁を保存して置いて、なんども使うと省エネにもなるし、また一切れだけを煮つけてもとてもおいしい。この煮汁を使い回すというのは都内の食堂でやっていたこと。他の地域でも同様の煮つけ方をしている可能性がある。魚だけではなくイカや貝などを煮るとぐっと煮汁の味がよくなる。 煮汁は都内の基本は古くは砂糖・しょうゆ・水だけ全部同量を合わせて、煮立たせながら水を加え、調味料を加えして加減する。ちょうどいい加減になったところで切り身を入れて煮る。 今回の切り身はサゴシサイズのもの。湯通しして冷水に落としてぬめりを流す。水分をよくきり沸騰した煮汁にいれて煮上げた。煮汁にはしょうがなどを加えず、皿に盛って、煮汁を適量かけて、仕上げに振りしょうがをする。 鍋に残った煮汁は熱いうちにタッパーに移して冷まし、冷蔵する。そのままでも1週間は持つ。

都内の食堂などで煮汁が真っ黒な煮つけが出てくることがあった。どうやら煮汁を何度も使っているみたいだ。魚だけではなくイカなどの煮つけに使うのでほんのりイカらしい風味がする。 調味料を無駄にしないということからも、自然に優しい。小さな切り身を1つ煮てもおいしく出来上がる。 ここでは晩秋から春にかけて出盛る、マガレイを使ってみた。マガレイは東シナ海、日本海、茨城県以北でまとまって水揚げがある。安くておいしい魚だ。 写真のものは北海道羅臼産で大きな固体なので半分に切って煮た。 身が緻密でほどよく繊維質で身離れがいい。ご飯との相性がよく、典型的お惣菜魚と言っていいだろう。 有眼部を上に盛り付けると、腹側を手前にすると頭が右にくる。

近年は選別が行き届いているので、ホタテの稚貝に付着物はないが、昔はよくアズマニシキが付着していた。表面の放射肋や鱗片を見てもアカザラガイとの違いはわからなかった。

韓国ではハマグリ(シナハマグリ 대합 テハプ)、アサリとシジミ(바지라 パジラク)、そしてイタヤガイ科が가리비(カリビ)だ。 11月に行ったソウル、仁川では日本から輸入されたホタテガイ、養殖されているホンアメリカイタヤ、そして本種を見ている。 東海岸の市場ではホタテガイとホンアメリカイタヤを見ている。 味が似ているので呼び名は同じと言うことだ。

韓国各地で見たホンアメリカイタヤ(アメリカイタヤ)の養殖地は黄海、韓国国内、中国山東省らしい。かなり大規模に行われているようで、国内にも冷凍貝柱として輸入されている。 韓国では海辺だけではなく、都市部にも海鮮を売り物にする店が日本以上に多い。その多くでホンアメリカイタヤが扱われている。 二枚貝には幼生期があり、養殖などのために移入すると、分散しやすい。 黄海で繁殖する可能性が高く、在来種のニッチを脅かしかねない。

福岡県大川市の荒木さんに獲れ立ての、ほんの数分前まで生きていたエツを洗いにしていただいた。 カタクチイワシ科ならではの豊かなうま味、微かな苦み、こりこりした食感に、一皿をあっと言う間に平らげる。しょうゆに半殺しのゴマがとても合う。 食べ尽くして、食べ足りない、そんな味である。口中がゴージャス極まりない状態になり、一瞬のうま味の爆発に酔いしれる間もなく、お代わりが欲しくなる。 たぶんだが冷えたビールが合うだろうな、と車で来た自分に腹が立つ。

熊本県から大分県、福岡県と佐賀県の県境を流れる筑後川は大河だ。古くはちとせ川、筑前、筑後両国の間を流れるので筑間川とも呼ばれたようだ。 河口域は情緒があるかというと、ない。護岸工事が行き届き大きな水路のようだ。 5月1日〜7月20日まで行われているのが、エツの刺し網漁である。 福岡県、佐賀県の船が許可を受けると配布される旗をなびかせて河口域に散らばる。 小型船で片舷から刺し網を河をまたぐように張る。夫婦ふたり船というのが多い。 汐が上げるとき、下げるときが漁の時間だ。

韓国東岸、江原道三陟市(サムチョクシ)の名物が곰치국(コムチクッ クサウオスープ)だ。 ちなみに韓国の곰치국はクサウオ科のイサゴビクニンとクサウオ両方をさすようだ。東海岸三陟市にはイサゴビクニンが山のように並んでいたし、それを食べさせる店が多いようだ。곰치국(コムチクッ クサウオスープ)は本来この地域の家庭料理だったのではないかと思う。 韓国東海岸삼척시(三陟市)사직번개시장(サジッポンゲシジャン 史直ポンゲ市場or三陟ポンゲ市場)、客の注文を受けて、イサゴビクニンの皮を剥き、切り身にする。

韓国東海岸임원(臨院)여정식당(yeo-jeong-sig-dang)で朝ご飯に鍋を食べた。 대구(テグ マダラ)なのか명태(ミョンテ スケトウダラ)なのかはわからない。澄んだスープで煮ながら食べる지리(チリ)だ。생태국(センテグ)だけでスケトウダラの鍋、これに지리(チリ)がつくのか。「ちり」自体が料理名としては一時的言語だろう。だから単純に関西の鍋の名前が韓国に渡ったとは言い切れない。 実にうま味豊かなだしでタラの鮮度がよく実にうまい。ご飯がすすむ。ご飯は小さなステンレスの容器に少しなので太りそうもない。

韓国では참기름(チャムギルム ごま油)と소금(塩 ソゴム)で刺身を食べる。초고추장(チョコチュジャン 酢コチュジャン)とともに刺身を食べるときの基本だろう。 今回のヤリイカは鮮度的には生食ギリギリなので、皮を剥き、湯通ししてヒモ状に切る。これをごま油と塩で和えて、韓国産の甘みのある唐辛子と生の三つ葉を加えてみた。 実にウマシである。ごま油の香りと塩、あまり辛くない唐辛子がいいアクセントとなる。 香りの強いごま油を使っているのに、辛口の純米吟醸に合うのはなぜなんだろう?

昔は、日本海側で水揚げされたブリを旧正月(太陽暦の1月後半)用に塩をして、保存性を高めて飛騨や信濃に送っていた。丸のままのブリの鰓や内臓を取り、塩をすり込むようにして馴染ませる。これは写真で見る限り、1960年代くらいまでは塩漬け(塩をすり込む)するのはブリの水揚げ地であったが、徐々に山間部まで鮮魚として送られて、消費地で塩をするようになったのだと思う。 長野県松本市などの松本市公設地方市場、魚屋さんに聞くと、スーパーや魚屋さんで塩をするのだけど、丸のまま塩をすることはなく半身か切り身に塩をするようになっているとのこと。 これを焼いて、年取、三が日の膳にのせ、雑煮にしていた。