コラム検索
全16件中 全レコードを表示しています

2024年3月24日も、神奈川県小田原市、小田原魚市場そば、港のおっかさんのところで市場人のための市場飯を食べる。この日はアジフライとイカ大根である。3月は忙しいわけでもないのにあわただしい。小田原で食べる朝ご飯の時間がボクの癒し飯でもある。久しぶりの揚げ物に元気はつらつ、気分は最高である。ところがアジフライがうまいのは当たり前だけど、イカ大根がいかにもうますぎる。食らう内にアジフライの存在感が薄れてくる。

東京都大田区東海、大田市場に行くと、『つかさ』と決めてしまった。食べ歩きしないボクは1カ所に決めたらめったに変えない。前回来たとき、なぜか隣に座ったのが昔なじみの市場人だった。注文しているものを横目で見ると、やけにうまそうな……。炒めたピーマンの香りが漂ってきて、こっちにすればよかったかも、と思ったので、何ヶ月も前に決意した、それにするところがボクらしさでもある。

神奈川県小田原魚市場そば、港のオッカサンのところで市場人定食を食べた。いつもどおり、おかずがうまいけど、ご飯がいつも以上にうまい。ご飯お代わりして、ご飯だけ食べたくなるほどおいしい。

さて、港のおっかさんのところにも最近、観光客の方達が増えている。たぶん新鮮な魚目当てだろう。でも、おっかさんの店は8時前くらいまでは魚市場関係者のための店で、観光客の方達はそんなに早く来ない方がいいよ、といいたい。小田原魚市場のある早川漁港の地元の魚介類の競りが終わるのは、午前7時から7時半の間である。陸送(他の産地)ものや地物を競り人達が整理し終わるのは、日によって変わるけど、かなり後になる。だから「市場人の時間」に来ても新鮮な魚が食べられるとは限らない。まあ、定番的なものはあり、それが実にうまいのだけれど、スタンバイできてから来た方が品書きも多いし、より新鮮なものが食べられる。余談になるが、昔、築地時代に市場グルメなどと騒がれたことがあったが、明らかに市場人とは関係のない人間が作り出した、市場人とは無関係な話だ。市場人はそんなに「さかなさかな」していない。例えば現在の豊洲だって市場人の主食は、売店の菓子パンだったり、カップ麺だったり、ちょっと高級なところで弁当だし、吉野ややカレーだったりする。豊洲場内の上の階で市場人を見かける店は2、3軒しかない。これは築地時代から変わらない。観光客は市場の食堂から市場人を完全に駆逐したのだ。ボクなど結局、市場グルメにはとてもなれなくて、小田原魚市場そば、港のおっかさんのところで、うますぎる平凡な朝ご飯を食べることを生きがいとしている。2024年12月16日も、神奈川県小田原市、小田原魚市場そば、港のおっかさんのところで市場人のための市場飯を食べる。この日は目玉焼きと煮つけである。この実に平凡だけど、実にうまいめしを表現することは非常に難しい。平凡ウマイな料理がいちばん難しく、食べる側もうまさを伝えることが難しい。

市場では急ぎ飯が原則である。しかも急激に市場行がきつくなる。市場を歩いて脳内にたまる情報が多くなりすぎて、破裂しそうになる。さて、カジキの専門店、『かね十』まできて、弁当とってもらっておけばよかった、と気がついたけどもう遅い。こんなときに限ってうまそうに食っている『かね十』オヤジが憎いね。あんたは小池さんかい。

さて、2024年12月16日、神奈川県小田原市、小田原魚市場そば、港のおっかさんのところで市場人のための市場飯を食べる。この日の定食はチャーハンと鶏の唐揚げである。〜〜昔、昔、小田原じゃー、みんな仲良くゆったりわいわい、豪華な朝ご飯を食べていたものじゃった。それがいつの間にやら、皆忙しゅうなり、飯は腹の虫をなだめるだけ、のものとなってしもうた。ああ、あの日に帰りたい、が帰らないんだろうな〜〜。ついでに、魚市場で働く人、買い出し人などで、朝ご飯に魚は食べない人の方が圧倒的に多い。カップ麺という人だっていっぱいいる。昔、築地に魚市場があったとき、築地でグルメ、とか食べ歩き、とかやっていたのは、明らかに市場とは無関係な人達である。だからチャーハンなどは上等の上の上等なのだ。身体が冷えているので、まずはみそ汁からなのだが、徳島県人なので、すだちじゃなくてレモンを数滴たらしでつゆを飲む。あれれ、のれれ、なのだ。なんだこのレモンは?非常に香り豊かだし、果汁が酸っぱいだけじゃないし。お姉さんに聞くと、山(どこなんだろう)に生えている木のもので、無農薬、ほったらかしのレモンらしい。こんなにうまいレモンが小田原にあるとは知らなかった、というかレモンのよしあしなんて考えたことがない。不覚じゃ。唐揚げに数滴落とした香りもトレビアーンだった。もちろん唐揚げも非常にうまいし、チャーハンなど皿から消えても食った気がしないくらいおいしい。でもこれチャーハンではなく焼き飯じゃないかな?小田原魚市場に4時過ぎについて、食べ終わったのが7時半前だ。箱根颪の冷たさと、半分興奮状態で同定しまくった疲れと、をかけ算したのが、とけて流れて消えちゃった♪余談になるが、この朝、はんなり、ちょっとシンネリした若い衆二人にあった。なんて面白い、お姉様達だろう。またあってお話ししたい、気もするな。

小田原魚市場には4時過ぎに到着する。そこから水揚げされた水産生物をカウントしていき、いろんな方々としゃべり倒す。めぼしいものを採取して買ってと大忙し。当然腹ペコペコである。港のおっかさんのところでは、もちろん魚料理も食べるけど、市場で働く人達用野、おいしい普通の朝ご飯を食べる。この日はオムライス。普通のオムライスだけど、もちろん普通にうまい。どんどん胃の腑が温まり、まんぞく、まんぞくなのだ。

市場人が市場周辺で食べないもの、そのNo.1は海鮮丼だと思う。場人が海鮮丼を見ると、頭が計算機にかわる。仕入れ苦労していそうだな、とか、もっと上手に仕入れよ、とか、とか。希に本物だけで作った海鮮丼に出合うこともある。そのときは泣けてくるほど嬉しくなる。ただ正真正銘の地魚海鮮丼は奇跡のごときものなのだ。正真正銘の海鮮丼に出合えた人は幸運を喜ぶべし。ボクも真剣勝負をしに小田原に行っているので、通常、市場人のための市場飯を食べる。小田原魚市場に仕事で来ている人のための飯だ。港のおっかさんのところでも、ときどき魚が出るが、そのときどきに安くておいしい魚が出てくるので、これもまたウレシ。

神奈川県小田原には午前2時に起きて、3時には家を出ている。それから小田原魚市場での競りが終わる、7時過ぎまでずーっと回転している独楽のようでもあるし、水産生物の中を泳ぐ怪しい生き物のようでもある。見るもの総てを同定して、それがそこにある意味を考える。今回は亜熱帯・熱帯系の魚がほどんどいなかったのはなぜだろう?サクラエビが浅場に上がってきたこととの関連は?なんて帰宅しても考え続けている。

不眠のまま神奈川県小田原市、小田原魚市場まで南下、魚を見て帰ってきたはいいが、シャワーをあびたらいきなりダウンする。気がついたらこんな時間になっている。疲れが溜まっているので、頭がずきずきして眩暈が止まらない。目覚めてはや1時間、やっと解消しつつある。最近、完徹ではなくほぼ徹夜すら苦しいのは年のせいだ。さて、実りある小田原行であった。夏の潮から秋の潮に替わる気配が感じられ、台風のために多くの定置が上がったまんまなのに、市場内には魚が溢れかえっていた。南伊豆の船が、伊豆諸島までくだって釣り上げたキンメダイ、メダイなどに混ざって、クサカリツボダイがあった。これを仕入れたナイトウさんが、港のおっかさんのところまで持って来てくれ、焼いていただく。じっくり焼き上がったクサカリツボダイの味は、箸をつけて、手がベトベトになり、Tシャツがクサカリツボダイの脂でまみれにまみれて、初めてうまいなとビックリした。息が詰まるほどウマシだ。ナイトウさん、ありがとさん。

静岡県熱海市、熱海魚市場に飲食店はない。市場に数時間立って右往左往していると矢鱈に腹が減るので、非常に残念、だ。話は変わる、ボクはFBでほぼ友達申請をしない。危険な方だけやっている。危険と言っても相手から申請されると失礼に当たるという危険である。いつの頃からか、FBで、たびたびおいしそーうな、卵焼きの画像が登場するようになった。これが熱海市にある、『ぶーちゃんのたまご焼き』だと気づいたのは最近のことである。卵焼きなら申請したかもわからないけど、この謎の店の卵焼きがFBに登場するのが謎であった。ちなみにFBで個人的な情報はいっさい見ないので、よほど卵焼きに惹かれたのだと思う。さて、話を5月10日にもどすと、案内して頂いた宇田水産の宇田勝さんに教わった、鰹節店を目指していたのである。信号でとまって、ひょいっと左を見るとなんと「ぶーちゃん」があったのである。この辺なのかなとは思ったものの、思わず違法駐車して訪ねたら朝ご飯が食べられるという。やれやれうれし、とカウンターに座ったら、とっても店の雰囲気がいい、じゃあーりませんか。たぶんぶーちゃんの奥さんが明るいし、お子様がお子様らしくていいからだろう。ちなみにボクは魚の子供よりも、人間のお子様が好きなのである。特に特に大騒ぎして、びゅんびゅん飛び回るような新鮮なお子様が好き。ぎゃーぎゃー泣いているのなんぞ見ると心が穏やかになる。(注/もちろん食べ物としてではなく、一緒に大騒ぎするのが好きなのよ)奥から本物のぶーちゃんが出て来たのに驚いた。ボクもぶーちゃん、彼もぶーちゃん、なのだ。

くどいようだが、四国の人間にとってもっとも浮かんで来ない東京の地名が、小平市、西東京市、東久留米市、東村山市、武蔵村山市、東大和市だ。そんな東久留米市の市場で朝飯を食べた。市場内にはラーメン店、海鮮丼の店、食堂の3店舗がある。海鮮丼は水産物を調べている人間には鬼門である。つらつら思うに面白いことは面白いけど、丼上は今や迷宮のごときであって、食い物とは思えない。ラーメン店でラーメンという腹でもない。ちなみに通常の市場人(買い物が目的のという意味)にとって、市場飯は空腹を満たすためにある。あの店で●●食べなきゃ、なんてことは夢にも思わない。そんな欲求を満たすための市場飯は食堂がいちばんいい。市場内を2周回って『大丸食堂』に決めた。豊洲でも食堂飯が食いたいが、今やまったく食堂的な食堂がない。この市場のこの食堂も整然ときれいすぎるのが残念だが、品書きは魅力的である。できればトンカツ定食にしたかったが、この早朝のサイト運営がきつすぎて、胃の腑が受け付けそうにない。写真を見て、控えめな気持ちでミックスフライにする。女性二人だけの店ではないかと思うが、とてもテキパキとして、それほど待たされることもなく、アジフライ主役の定食がやってきた。あまりにも小ぎれいで市場らしくないよくできた定食だけど、それぞれに味はいい。アジフライの揚げ加減もいいし、マグロ類の肉を串に刺して揚げたのかな、と思うものもおいしい。もう少し市場らしい、ワイルドな感じが欲しい気がするものの、東久留米での市場飯はここかな。ほどほどに満たされた気分で、やたらに複雑な、幹線道路のない東京都西部地区の南北あみだくじ道路をくねくねと、くねらせて帰宅した。

市場旅につきものなのが市場めし、これがないと市場旅の楽しさ半減。市場の魅力も半減する。千葉県千葉市、千葉市地方卸売市場の関連棟は肉屋あり、大きな八百屋ありで、多彩、中でも面白かったのは向かい合った2軒の昆布や乾物を売る店だ。さて、長い長い関連棟を歩き回った後に向かうのが、2階にある食堂街であるが、2階にあることはおぼえているが、どこから上がるのか見当がつかない。長すぎる関連棟の、見つけにくい入り口の階段を上がらないと食堂街にたどり着けないのは、よそ者だけではなく、市場人にも不便ではないか。市場を設計した人間は、明らかに働く人のことをまったく考えていない。豊洲もそうだけど、行政や施工者はなぜ働く人のことに無関心なのだろう。中央部分が吹き抜けになっていて、左右に食堂が2軒、中華が1軒、レストラン(喫茶)が1軒の計4軒がまばらに散らばっている。明らかに閉店した店が多いのだろう。関連棟の大きさを考えると、寂しい限りである。その中の1軒は客がいないので却下。食堂は海鮮丼の写真を見てやめた。中華は前回食べているので避けた。市場飯に魚介類を選ばないのは、外食くらいは魚を避けて通りたいのもあるけど、その料理に仕入れの苦労が見えてしまうためだ。特に海鮮丼は値段を考えると仕方がないとは思うけど、いじましくていやだ。希に本物の地物の海鮮丼があると、嬉しくなるが、それは奇跡というものである。ついでに冷凍マグロや冷凍輸入エビ・イクラなどがダメだとは思わないけど、お里が知れているものは食べない主義なので悪しからず。

2024年4月19日、神奈川県小田原市、小田原魚市場そば、港のおっかさんのところで市場人のための市場飯。この日は漁師さんも市場人もてんてこ舞いの忙しさで、ボク一人っきりの寂しすぎる、市場飯となる。市場人用の飯は、すぐ食べられて、しかも味がよくないとダメだ。ギンダラは地物ではないが、おっかさんが市場人のために仕入れた上物で、しかも名人でなければ作り出せぬ味。市場人は、観光客のように地物でもない魚介類たっぷりの海鮮丼に散在したいわけでもなく、ただただおいしい朝ご飯が食べたいのである。その点ではおっかさんの作る飯は天下一品なのだ。

神奈川県小田原魚市場、魚市場食堂はとても有名だ。ただ、残念なことに開店時間が遅いので、ほぼ市場人のボクが朝ご飯をとるのは無理だ。いつも、市場人のための食堂、港のオッカサンのところで、朝ご飯を食べる。今回は市場人定食(オムレツ)とブリ刺身、フクロフノリのみそ汁だ。昔は市場人でわいわいと楽しく朝ご飯を食べていたが、最近、みんな忙しくて集えないでいる。その上、春休みなのか、一般客が朝早くから楽しそうに小上がりを占領しているのである。オッカサン達も忙しくて、おちおち世間話もできない。小田原魚市場で魚を見るのは重労働だ。だいたい午前4時過ぎに市場に入り、地物をすべて同定し、基本的に全種の撮影をする。同定できないものもあるが、そのようなものは基本的に市場では無価値なので頂いてきたり、先取りしてもらう。持ち帰ってからが非常に大変なのだけど、ここで書いても仕方がない。ちなみに小田原魚市場場内は吹きさらしで、箱根颪と酒匂川に沿って丹沢から下りてくる冷気で、3月いっぱいは非常に冷える。この沈み込んでくる冷気が体力も気力も奪い尽くす。年のせいかと思ったら若い買受人がそばにきて、「きついっすね」と時候の挨拶代わりにぽつりとつぶやく。南は真鶴福浦、真鶴岩、江ノ浦、根府川、米神、二宮の地元の定置網があり、平塚、東京湾柴などからも荷(魚自体であり、魚を入れた箱でもある)がやってくる。最後に刺網の水揚げを待って、終了するのが7時前後だ。市場で右往左往してほぼ3時間、お腹と背中がくっついてクウクウと鳴る。

東京都大田区東海、大田市場でうんとうまい市場飯を食らった。市場飯は「食す」でも「いただく」でも、「食べる」でもなく、「食らう」のである。野生を取り戻し、がっついて食ってこその市場飯だ。くどいようだが、市場の旅につきものなのが市場飯である。ほぼ47都道府県の市場飯を食べているが、過酷な市場巡りの後の「食い気」は年をとっても衰えない。いきなり寄り道になるが10年以上前、重い荷物を持っていたらターレーに乗った若い衆が正門まで乗せてくれたことがある。途中で「飯を食おうか」と言って、一緒に行ったところが「吉野屋1号店」だった。単純に「大盛り牛丼の汁だく」にみそ汁だった。この店員さんも、仲卸の社長クラスですら、「水産物飯」ではない。社長クラスが築地時代に連れて行ってくれたのも、中華だったり、恐るべきことに焼肉だったりした。間違いなく真の市場人で魚介類を食う人は少ないと思っている。さかな、さかな、と市場に来る人は9割方観光客だろう。これなど豊洲市場の千客万来というぼったくり飯を見ても明らかである。ボクも自宅では年間1500以上の魚料理を作って食べているので、市場に行ったときくらい魚は避けて通りたい。だいたい仕入れ値がわかる人間なので、向こうもイヤだろう。ただし、カネ十のトッツァマみたいに、年がら年中『い和多』の日替わり弁当ってのもイヤだけど。大田市場には有名なすし屋もあり、人気の海鮮丼を出す店もある。こんなところにも行ったことはあるが、基本はそば屋か中華にしている。ちなみに大田市場の関連棟はとても面白いのである。今回は魚を持っていたのでやっちゃ場には行けなかったが、市場の水産棟よりも、青果や脇の関連棟での時間が長かったりする。今回、そば屋にするか、中華にするか、迷って右往左往し、結果、中華の店『つかさ』にした。決め手は客の数である。客が出ていったと思ったら、すぐに後から客がくる。行列の出来る店なんてエンガチョーンで、この程度がいちばんいいのだ。入ったら間違いなく家族経営の店だった。大田市場では過去にも中華を食べているが、店の名前はおぼえてない。
全16件中 全レコードを表示しています
関連コンテンツ
Copyright©2025 Bouz-Konnyaku All Rights Reserved.