コラム検索

検索条件
カテゴリ:
シリーズ:
関連する水産物等:
表示順:

全32件中 全レコードを表示しています
漢字・学名由来

イボダイは東京の呼び名の東京訛りを取り去ったものだ

つれづれなるままに。ほんの数年前までボクは、水産業とも動物学・植物学ともまったく関わりのない世界、非常に流行りとかトレンドとかを扱う世界の片隅にもいたのだ。学校を卒業して、そこで仕事を始めたとき、同時に水産生物をなんとなくではなく基礎から調べ始めた。そのとき神保町大学の先人から絶対に専門家になってはいけないと教わる。技術的な分野なら専門家になってもいいが、いわゆる文化をやるなら、「専門家=死」とも言われている。ということで、専門分野は死にものぐるいでやりながらも、まったく違う角度、素人・遠目の自分を存在させている、つもりだ。さてそこで、今回のイボダイの話に移る。標準和名イボダイは明治時代半ばには〈エボダイ〉が標準和名だった。田中茂穂はイボダイを標準和名としながらも、〈東京では訛ってエボダイということが多い〉とある。ちなみに「疣鯛」は体表から粘液を出すための名で、詳しくは述べない。ちなみにこの時代の標準和名が東京と神奈川なのは、動物学の本拠地でもある東京帝国大学理科大学が東京都本郷にあり、研究所が神奈川県江の島・三崎にあった。その周辺で呼び名を採取したからである。それにしても内村鑑三が魚類学者であったときの「エボダイ」を、東京の訛りだとしてイボダイにした犯人がわからない。【話の寄り道】 標準和名は国内での動物学の土台を作りあげた、箕作佳吉(安政4〜明治42/1858〜1909 14歳で大学南校からアメリカに渡米。日本人最初の動物学者)や石川千代松が、Standard Japanese name (標準和名)を決めることから始める。念のために、Standard Japanese name はあくまでも科学の分野での名前である。正しい名前などというものではない。これはモースと、動物学の教師ではないがヒルゲンドルフの時代から始まっていたはずだが、やはり本格的になるのは箕作佳吉以後だろう。
コラム

メガロパはカニの子

神奈川県小田原市、小田原魚市場、江の安、ワタルさんのところに揚がったオニオコゼをおろしていたら、可愛らしいおもちゃのような子がポロリンコとこぼれ落ちた。16mmの、カニの赤ちゃん、メガロパである。このエビでもカニでもない、どことなくぎょうげた形の子が大好きである。春、堤防などで釣りをしていると、きらきらコバルトグリーンに輝くメガロパがミズスマシのように泳いでいることがある。これをバケツに放り込んで見ていると、ロボットのようだし、小さな宇宙船のようようでもある。のぞいている内に、釣りなどやっていられなくなるのはどうしてだろう。今回は、カニの赤ちゃんの話だが、この場合のカニは短尾下目というグループで、カニの研究者として世界的に有名であった酒井恒は真生のカニとしている。エビ(クルマエビなど根鰓下目)、エビ(抱卵下目)やヤドカリやタラバガニの異尾下目、カニの短尾下目などを十脚目という。動いたりはったりする足(脚)が10本だからだ。
同定

オオエッチュウバイは白バイの王

東京都東久留米市、東京北魚で買い求めた新潟県佐渡産白バイは、明らかに富山湾、朝鮮半島東岸などにいる、カガバイよりも北にいるタイプ、ノッポバイだと考えた。このあたりは貝類学者の黒住耐二さんの考えとも一致する。中に1個体だけオオエッチュウバイが混ざっていた。とするとバイかご(バイガイ用のかご)の水深は400mくらいではないかと思われる。オオエッチュウバイはエッチュウバイ・ノッポバイと比べると深い場所にいるが、今回の佐渡沖ではその中間地点で漁が行われていて、オオエッチュウバイとノッポバイを水揚げ後選別している可能性を感じる。ちなみにノッポバイと比べるとオオエッチュウバイは大きいというのもあるが、ずんぐりむっくりして膨らみが強く、貝殻が薄くもろい。オオエッチュウバイは島根県、山口県などで大量に揚がる白バイ(エッチュウバイ)などと比べて、遙かに美味である。新潟県で名物として高値がつくのもわかる気がする。
同定

連続するか、しないか、モロハバイ

北海道室蘭市、『ヤマサン 渡辺』、山本涼子さんたちに送って頂いた、エゾバイ科モロハバイ属の巻き貝を完全に処理するのにはまだまだ時間がかかる。合計10㎏近くが我が家に眠っていて、基本的に全部のタイプを分けたつもりだだけど、全然行き着く先はわからない。千葉県立博物館に何㎏か送り、そのうちモロハバイ属の座談会をひらく。我が家にある貝類図鑑は13冊だが、県立博物館にはこの何倍もあり、紙で保存している論文も多い。この1つの属をめぐってああでもない、こうでもないと議論することは非常に有意義である。偉大なる貝類学者の一人である、吉良哲明(1888-1965。僧侶でもあった)は、この座談会的なものの中心にいて、貝類の分類をすすめていたのだと考えている。この非常においしい、北国の巻き貝は、我が家にある貝類図鑑では、モロハバイ、ヤゲンバイ、ヒモカケヤゲンバイ、ヒトハバイになるが、1種にまとめるべきか、それぞれ亜種としていいかは、ボクの段階ではわからない。ことほどさように同定というものは難しい。テレビの監修をやっていたことがあるし、問い合わせに応じたこともあるけど、画像だけで見るのは不可能なものがいっぱいある。4月中には結論を出すつもりだが、亜種すべてをページ化する。
漢字・学名由来

エゾギンチャクでいいの? 岩川友太郎さん教えて

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に北海道別海町『丸イ 佐藤水産』からババノテが来ていた。漢字は「婆の手」で、年寄りの女性の手のように節くれ立っているという意味だ。「母の手(ハハノテ)」ともいう。昔、札幌中央市場で会った人は、「『身を粉にして働き、年を取り、手が節くれ立ち、(手の甲が)すすけたような色になった婆の手のようだ』という意味だけど、汚いという意味ではなく、尊敬の念を込めている」と市場人にしては詩的な表現をしていた。
同定

種にかかわらず流通上はすべて白バイ

東京都東久留米市、東京北魚で新潟県産Buccinum を発見した。和名はエゾバイ属である。この属内に亜属(属の下の階級)が設けられていないのが不思議なほど種が多い。現在の奥谷図鑑(『日本近海産貝類図鑑 第二版』)は明らかに種の整理をしていっているようだが、産地からして妥当なんだろうか? という疑問が残る。魚類(脊椎動物は)は形態学的なものが比較的単純であるが、軟体類の形態学的な考察は大きさ、産地、水深、貝殻の感触など非常に複雑である。この『日本近海産貝類図鑑 第二版』の問題点の中に、市場などで白バイとして流通するグループがいる。このグループをアニワバイグループとしている研究者が多いので、これに従っている。ただ、アニワバイの形態と変異の多さと、本当に国内海域にいるのかという疑問があり、むしろ比較的安定的な形態を持つ、エッチュウバイを基本とした方がいいのではないかとも考えている。ただし、当方にはアニワバイのデータが少ないために、今後の課題として置くしかない。各ページの分類グループはアニワバイを使い、新たに一般分類に白バイを加えることにした。これと同時に、日本海でのアニワバイグループの空白部分を鑑みて、ノッポバイを復活させた。個人的にはアキタバイはノッポバイの一形態だと思っているが、貝類学者の黒住耐二さんとの意見が一致しない。https://www.zukan-bouz.com/com/白バイ
コラム

関東でクロガレイはもっとも在り来たりなカレイなのだ

「黒ガレイ」は関東で一般的だが、関西ではあまり見かけない。関西のカレイ類の供給地が山陰を始め、日本海と瀬戸内海、紀伊水道だからだと思っている。関東の供給地は北海道と東北、常磐なのである。特に北海道は関東最大の魚の供給地であるということからも、「黒ガレイ」をよく食べるようになったのだと思う。ただ、問題なのは関東に住んでいるほぼすべての人がカレイはカレイでしかなく、種類があることすら認識していないことだ。ましてや「黒ガレイ」が2種のカレイの総称だとわかっている人はいないだろう。土曜日の昼下がり、近所のスーパーで売られていた「黒ガレイ」は標準和名のクロガレイであった。もう1種の「黒ガレイ」であるクロガシラガレイは昨年、今年とボクがが知る限りは見ていない。姿もそっくりなら味も同じ。やや水分が多く、身(筋肉)のうま味の量が少ないものの、料理次第ではとても味わい深い。ちなみにクロガシラガレイは東北太平洋側にもいるが、クロガレイは北海道の特産種である。この安くて料理次第とはいえ、おいしく食べられるカレイは2種あるとかはどうでもいいので、せめて「黒ガレイ」という言語でおぼえて欲しいものである。今回の切り身パックは側線の形からクロガレイとした。このようなパックを作る場合、1尾をばらさないで詰める方がやりやすいので、並べてみて体高からもクロガレイという結論になる。こんなことはやらなくてもいいので、安くておいしい「黒ガレイ」をみんな食べようぜ、といいたい。
コラム

イガイに挑んで意外な手強さに苦しむ

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で宮城県産だという、「しゅーりがい」を買う。重さをチェックしたクマゴロウの恋女房は、ためらうことなく伝票に「ムールガイ」と書いた。今や「しゅーりがい」も、「しゅうりがい」も、「いのかい」も、イガイも消滅して、「ムールガイ」になってしまったのだ。本来、Mulgaï (ムール)はヨーロッパイガイと日本列島でも大繁殖しているムラサキイガイの、ヨーロッパ、アメリカ、カナダの呼び名であって、イガイはイガイなんだけど世間は標準和名イガイすらを抹殺しようとしている。驚くべきは産地の伝票すらムールとなっていることが多い。簡単にいうと、本来日本列島にいたイガイは、ヨーロッパから来た新参者のムラサキイガイに流通の場で量的に負けており、最近では呼び名すらカッコイイからかも知れないけど、「ムールガイ」にされているのだ。これじゃ、ヤマト王権に抹殺された縄文人じゃねーか。千葉市で、本来はマイクロシェルという、実に深い奈落のような底を這うような世界の研究家、黒住耐二さんとイガイ属の検索に関して話してきた。イガイ属の同定はとても難しい。簡単に考えると簡単だけど、自分で検索項目を考えないといけない。国内海域には本来いなくてサハリンなどからの移入種、キタノムラサキイガイを加えて考えると、余計に難しく脳みそが奈落の底に落ちていくような気がする。さて、イガイは撮影が終わったら、少量の水分(真水)で蒸し煮にしては貝殻の内側を撮影する。
コラム

ボクのイカ学、アカイカ科の眼は剥き出し

アカイカ科のスルメイカなどと、ヤリイカ科のヤリイカなどはどこが違うのか? を少しずつ。だいたい見た目が大いに違っているので、そんなことどうでもいいだろう、と思う人が多いのではないか。ただ、どこがどう違うか、と思った人も少数派には違いないがいるはずである。同じような姿で、同じように貝殻の名残が薄いフィルム状で、頭に思えるお尻にエンペラ(鰭)があるので、比較的近い生き物だと思っていないだろうか?この2種の間には分類学的には、深くて暗い河が横たわっているのだ。スルメイカやヤリイカは巻き貝、二枚貝と同じ軟体動物(門)である。頭と思える部分がお尻で、足(腕、どっちでもいい)が生えているつけ根が頭だ。頭から足が生えているので頭足類という。頭足類にはタコの仲間もいる。タコの八ちゃんというのは足(腕)が見た目からして8本だからだ。それではイカは10本だ、というとそんなに単純ではない。移動手段としての足(腕)は8本で、別に触腕という武器を持っていて、これも足(腕)に見えるので10本となる。10本に見えるので十腕上目(階級はおぼえなくていい)という。この10本足(腕)の動物をイカというが、身体に貝殻の名残をちゃんと残していて、おいしそうなぼた餅のような姿をしているのがコウイカ(目)の仲間で、スマートで筒状をしているのが、ツツイカ(目)だ。このツツイカの仲間の、スルメイカやアカイカのアカイカ科と、ヤリイカやケンサキイカのヤリイカ科の最大の違いは眼にありということから。
郷土料理

岩手県宮古産ギンザメの赤ちゃんはだーれ?

ボクは魚類学者ではない。魚類学者になるために不可欠な数学がダメだし、不可欠な英語もだめだし、ペアになってくれる分子生物学者もいない。魚に関して、食文化の分野ではかなりイケテルと思っているが、魚類学的にはパープリンである。福島県郡山水産の田母神真広さんからメッセージがきて、岩手県宮古の須藤水産さんがギンザメの赤ちゃんを確保してくれているという。それが本日やってきた。見たところ、明らかに標準和名のギンザメではないと思われる。さて、なんだろう? なんてよくわからない壁にぶち当たる。このボクの壁を語るには、まずは、魚類学とはなんだろう? から。ボクに最低限できることは、形態学という魚類学の一分野でしかない。これだけでもやたらに時間がかかる。例えば、山梨県西湖で見つかった魚にクニマスというのがある。これがボクにはわからない。ベニザケの陸風型、ヒメマスじゃねーか、と言ったら関わりをもっているのか、生命の星、Sさんは解剖学的にもクニマスでいいという。とするとすでにSさんのグループ、京大のNさんのグループは個体の生理を研究し、解剖し、骨格を調べ、DNAも調べていることになる。今回のギンザメは非常に原始的な魚類である。スズキやマダイなどよりも遙かに原始的な(この言語はネオダーウィニズムでは否定されていた気がする)、サメやエイよりも、さらに遙かに原始的だ。ギンザメの仲間は魚類学の父、田中茂穂(明治、大正、昭和にまたがり魚類の研究をした)の段階でかなり研究が進んでいた。田中茂穂自ら記載したものもあり、彼が学んだアメリカのスタンフォード大学の魚類学者、ジョルダンなどが記載したものもあるからである。ギンザメ類は、今現在、再整理している気がする。ギンザメ類の基礎的な存在、種として記載するもとになった、タイプ標本にもあたっているのではないか。ギンザメのタイプ標本は国内にもあり、アメリカにあるので場合によってはアメリカに行ったのだろうか? 魚類学には途方もなく労力がいる。以上、ギンザメというだけでもいろんな話が浮かんでくる。残念ながら我が家には、ギンザメの稚魚の個体画像がない。かなり前から、0歳のギンザメの個体画像もしっかり撮っておくべきだと思っていたが果たせていない。
コラム

シラウオの歴史を調べるのは非常にたいへん

愛知県と三重県の間にある木曽三川は東から木曽川、長良川、揖斐川と大河が並んで海に流れ込んでいる。ここに広がる河口域は伊勢湾のはじまりでもある。今回、いちばん東、木曽川河口域で伊藤勇人さん(三重県桑名市)がとったばかりのシラウオを送って頂いた。非常に上物で、豊洲で買ったらいくらくらいするのか、考えると申し訳ない気がする。ありがとうございました。それにしても木曽川河口域のシラウオは素晴らしい。せっかくなのでこのたび、シラウオの歴史をちゃんと調べたいと思っている。ただこれが非常に難しい。松尾芭蕉、歌川広重、三田村鳶魚、寺島良庵、などなどをみても、よく語られるシラウオ話が載っていないのである。ちなみに「何でも弘法大師話」とはボクが勝手に作った話である。徳川家康がシラウオを三河から連れてきた。頭部に葵の紋がある。また佃島の漁師さんと家康との話などなどは、典型的な「何でも徳川家康話」だ。完全に怪しい話はいいとしても、いかにも歴史的に証明されているかのごとき、佃島漁師の起源には疑わしい部分もある。確かに摂津、佃の漁師は河口域での漁に熟達していた。隅田川河口域での漁の権利は徳川家公認だった、などなどは、歴史的にも証明されている。ただ、徳川家康が摂津から堺に渡るときに舟を出したり、隠密になったりなどはそのまま信じていいものか? 徳川家が漁師をスカウトした理由は別にあるのではないだろうか?太田道灌が江戸城を整備した室町時代、関東では、応仁の乱など子供だましに思えるほど過激な享徳の乱があり、その後も戦乱は続く。北条早雲の後北条氏が支配していたときにも、里見氏、上杉家との戦場であった。江戸は、まるで荒野のガンマンの世界のようだったのだ、と考えている。徳川家康江戸入り以前の江戸はそれなりに市街化されており、港なども整備されていた。それでも数万にも及ぶ徳川家臣団、関連商人が江戸入りした場合、江戸周辺にはそれをサポートする人員が不足していたはずだし、土木など、いろんな業種の専門家が不足していたのだと思う。摂津佃の漁師の江戸入りは単純なるスカウトだと考えている。また深川猟師町と伊那氏の関係も需要である。隅田川(当時は角田川)河口域での漁は佃島の漁師だけのものではないのだ。
コラム

兵庫県産ハタハタを食べて、ハタハタについて考える

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に兵庫県日本海側、浜坂からハタハタが来ていた。この小振りのハタハタのうまさを知る人は少ない。昨年は一度も買えていなかったので、大発見した気分になってまとめ買いする。また、大きいものの方が高いが、味は大きさに正比例しないことだけは知っておくべきである。ハタハタは西部北太平洋の沖合いに生息している。本州太平洋沿岸にも少ないながら生息しているが、日本海、北海道に圧倒的に多い。ハタハタ科は上の階級までたどるとカジカ(カジカ科)に近い魚だ。ハタハタ科は世界中に2種。日本周辺に多い本種と、もう1種は東部北太平洋にいる、 Pacific sandfish である。古い図鑑をみるとエゾハタハタという魚がいるが、このPacific sandfish と、国内海域にいるハタハタを混同したための無効な和名である。ハタハタには北海道、秋田、朝鮮半島で産卵する3系統がある。漁期も産卵時期も異なるので、北海道では未成熟なものと、成熟したものがともに揚がり。秋田県は比較的成熟したものが揚がる。能登半島以西の日本海では未成熟なものだけが揚がっている。もっとも昔からハタハタを食べていた秋田県や山形県でのハタハタを考えると、非常に地域性の高い魚だと思えてしまうが、実は広範囲に回遊しているのだ。例えば太平洋側にも少ないながらハタハタがいるが、生まれは日本海や北海道らしい。ハタハタは回遊魚なのだ。山陰沖のハタハタ漁は9月から5月までで、ボクの個人的な感覚では春の魚といった感じがする。今回の個体の腹からは大量のホタルイカが出て来た。山陰沖の個体に脂が豊かなのは、同じ海域にいる春の味覚、ホタルイカのせい、かも知れない。これを山陰ではハタハタと呼ばず、白ハタという。山陰に行くたびに「秋田や山形のとは別の魚だ」、とくどいほど言われるが、確かに味はまったく違っている。秋田、山形はブリコを喜び、冬の風物詩として喜ぶべきで、山陰ものは本体自体を楽しむもので別種、別物と考えるのは正しいことだと思っている。今回、兵庫県浜坂のハタハタは体長16cm・50g前後しかない。9月の北海道釧路産が体長22cm・重さ130g前後だったのと比べると、重さ半分以下しかないものの、脂ののりでは浜坂産に軍配が上がる。
カメノテ
コラム

カメノテはだれのものか?

カメノテを買うたびに、少し後ろめたい気持ちになるし、今現在の社会のゆがみを感じる。今、全国的に磯物をとるのも、入るのも、漁業者もしくは漁業組合の人だけになりつつある。実際にボクが海岸線で生き物の撮影をしていたら、脅迫行為をされたことがある。アマノリをとっているわけでもなく、撮影していると説明しても、「出て行け」と言われたことがある。地元の人と一緒でなかったら、旅は非常に不愉快なものになったはずだ。広島県では土地に住む人が海藻を採るのは昔、昔から季節の楽しみであったのに、ある日突然に漁業組合員以外の採取が禁止となったという。これなど法律的にも正しいのだろうか? 島の楽しさがなくなり、減少傾向にある島の人口がもっと減ると思う。もしも違法なくらいの量の採取や、密漁を防ぎたいなら、だれが商売になるくらいとっているのか? 真剣に取り組む必要があると思う。一般人が戯れに磯遊びをしたり、きれいな貝をとるだけで、脅したり排除したりしない方がいい。これなど漁業関係者の海岸線の私物化である。昔、愛知県で自然保護活動をしていた方と長々と話をしたことがあり、「漁業者は漁業権を売ることでお金をもらい、自然破壊をしている」、と怒りをあらわにしていた。海岸線の埋め立てや漁港の作りすぎは、漁業者だけの問題ではなく、地球の問題なのだ。海岸線はだれのものでもない。個人的にはレンジャー制度の導入をすべし、と思う。特に成長の遅いカメノテをとるのは漁業者であっても自然破壊というか、とる時期や量を決めないと危険である。最初に流通に乗せたのは鹿児島県ではないかと思うが、高値がついて流通量が俄然増えた。最近やっと値段が落ち着いているものの、根強い人気がある。
板倉町の水郷
郷土料理

群馬県南部の郷土料理「えび大根」について考える

なんども書くが関東平野に群馬・栃木・茨城・埼玉が接する場所がある。面白いことにここをちょっと歩くと4県ぐるりと回ることができる。ここに水郷地帯がある。群馬県館林市で買った「えび大根」のエビはサクラエビを使っていた。冷凍の小エビも入って豪華である。この「えび大根」はボクには貴重な資料だけど、この貴重さがなかなかわかってくれない。我がデータベースの根幹をなす部分なのだけど、世の中は派手派手しいものには飛びつくが、地味で日常的なものには見向きもしない。「えび大根」は関東平野では栃木県でも茨城県でも、群馬県でも埼玉県でも日常的な惣菜である。1960年前後まで洪水に悩まされていた、東京都の隅田川の東側でも作られていたようだ。あえていうと平野部の、広い淡水域のある日本中の町で作られていると考えるべきかも知れない。また、「えび大根」は淡水魚食でも平野型の郷土料理だ。ボクの生まれた徳島県西部は渓流・清流型淡水魚食で、アユ、アマゴ、オイカワ、ヨシノボリで多彩さに欠ける。これに対して徳島県東部吉野川下流域では淡水エビ・淡水魚を多彩に食べていた。この構図が国内全域で当てはまる気がする。2010年前後から群馬県板倉町にはなんどか淡水生物を調べに行っている。現在、十数年経って、急激に淡水生物を食べる食文化が消えつつある。2010年に板倉町で霞ヶ浦産の「干しえび」を買った。どう使うか直売所で聞いて、親切な老人がいて、作り方を再確認して、少しだけエビの話をしたのだ。板倉町、館林市には本流である利根川に沿うように谷田川が流れている。このあたりで淡水魚食が盛んなのは、利根川ではなく谷田川から広がる水路によってだ。老人達の話では「えび大根のエビは昔は溜池のようなところでつかまえていた」という、谷田川のものは買い、ときどき霞ヶ浦から干したものを売りに来た。とすると溜池のエビはほとんど流れのない水域にいるヌカエビ、谷田川のは少しだけ流れのあるところにいるスジエビ、霞ヶ浦のはほぼ感潮域(少しだけ海水の入り込む)に多いテナガエビでスジエビも混ざると言ったものだったはずだ。写真は館林市、板倉町を流れる谷田川。
コラム

ツブ学1 BとはAよりも下という意味のアツエゾボラ

関東と関西と比べると、関東の方が「ツブ」と呼ばれる、エゾバイ科エゾボラ属の巻き貝をよく食べている。なぜか?関西では「バイ」であるエゾボラ科エゾバイ属のエッチュウバイ(もっと深く知りたい人はカガバイも憶えておくといい)を生で食べることが、関東よりも普通だからだ。関東では刺身といえば「つぶ」だが、関西で刺身といえば「バイ」もあるし「ツブ」もありで、選択肢が多いのだ。昔、島根県では、「なぜ関東では『白バイ』の刺身を食わんのか?」なんて、隠岐の県職員が悪戦苦闘していた。だから隠岐などで揚がる上物の大振りの刺身用エッチュウバイは関東には向かわず、石川県金沢市場、京都市場、大坂市場、広島市場に向かうことになる。関東では刺身で食べる巻き貝は、エゾバイ科エゾボラ属の「ツブ」という考えが強いのだ。豊洲などでエッチュウバイは煮物用の小振りの方が高く、大振りなのは安い。対するにエゾボラ属のツブは、豊洲などの仲卸に大小揃い踏みで種類も多く並べられているが、大きければ大きいほど高い。関東で、Aツブは真ツブともいい、エゾボラのことだ。その他のエゾボラ属はみなBツブなのである。昨年からこのAツブ(エゾボラ)が非常に高騰している。ひょっとしたら巻き貝の王であるマダカアワビよりも高い可能性がある。それだけで終わればよかったのだけど、Bツブまで高騰したのである。
箱に並んだケガニ
漢字・学名由来

クリガニ科ケガニの基本 1

八王子総合卸売協同組合、舵丸水産にやや大振りのケガニが来ていた。荷(発泡の箱)のまわりに産地が書いていない。パーチ(魚貝類の上に乗せる文字が書いたフィルムで、乾燥を防ぐ役割もある)もない。産地をパーチをつけたり、箱に書くなりするか、伝票だけで済ませるかは荷主(魚貝類を発送する業者)が決めることだ。せっかくなのでケガニめもを作ってみる。
同定

水産生物を調べているという病で、タイワンシジミかも? と懊悩する

千葉県の食堂でトンカツ定食を食べていた。自宅では魚貝類しか食べないので、外食ではついついトンな気持ちになる。水産生物とヒトとの関わりを調べていると、その膨大な情報量と、広大無辺な世界に圧倒されて常に疲労感に浸かっているわけで、時々溺れそうになる。要するに息抜きの獣肉食いというやつだ。ところが今回、みそ汁を飲んだら、明らかにシジミの味がする。そう言えば神保町の『いもや』もシジミのみそ汁なのだから、トンカツにシジミはつきものなのかも知れない。汁を飲み干し出て来たのは、見た目的に微妙な個体だった。ただし味はシジミ科のなかでも、ヤマトシジミ(もっとも一般的なシジミ)そのものの味である。
小田原,アカアジ
コラム

アカアジは相模湾ではお馴染みだけど、探すとたいへん!

2024年1月19日、神奈川県小田原市、小田原魚市場でアカアジを発見した。相模湾のアカアジとは長い間ご無沙汰だったので浮き浮きして帰宅する。ときどき不用意に「これはマイナー魚」だとか「マイナー魚」ではないとか、「未利用魚」だとか違うとか言う人がいるが、ちゃんと理解して話している人に今のところ出会っていない。マイナー魚がわかっている人はまったくいないと言っていいだろう。例えばリュウグウノツカイはマイナー魚だが、マイナー魚度がかなり低い。非常に知名度が高いのと言う点からするとマイナーではない。ただしめったに揚がらないという意味ではマイナーだ。今どきの言語を使うとレア度というべきか。要するにレア度は高いがマイナー魚度は高くないのだ。基本的にマイナー魚とは知名度が極端に低い、もしくはレア度が極端に高い魚ということになるが、希に両方を兼ね備える魚もいる。ちなみに大正8年、神奈川県小田原市生まれ関東大震災経験者の船頭曰く、「リュウグウノツカイは珍しくない。もし見つけても、見て見ぬ振りをする。定置網などに入っても逃がす」と話していた。これは小田原の現役漁師でも同様の人がいるので、昔から嫌がられている、忌避される、縁起の悪い魚だと考えられていたことがわかる。だいたい、リュウグウノツカイのニュースなど見飽きていると思う。千葉県外房、相模湾周辺が北限ではないかと思っているアカアジは世間一般の知名度はゼロに等しい。ひょっとしたら、知っているのは魚類学者と、魚類に取り分け関心のある一部の人間、また漁業者の一部だけだろう。要するに国民の0.001%以下しか知らない魚なのだ。見た目通りにアジ科の魚で、もっと絞り込むとムロアジの仲間である(スズキ目スズキ亜目アジ科ムロアジ属アカアジ)。この魚、鰭などが赤みを帯びているということ以外、見た目は実に平凡なのである。平凡なということは印象に残らず、かなり魚に詳しくないと、その珍しさに気づかないまま、通り過ぎてしまうといった魚なのである。珍魚というほどではないが、平均的にみるととれる量が極めて少なく。ときどきたくさんとれることがあっても、安定しない。このような魚をボクは「がんばって探せば手に入る魚」としている。ただ、最近、キツネアカアジという超ソックリサンが国内にいることがわかった。この「アカアジに似てキツネ顔をしている魚」という、とても魚類学的な名の魚は紀伊半島が北限となっているが、相模湾にもいないとは限らないのだ。魚類検索などで検索するだけではなくキツネアカアジではないことも検索(違いをちゃんと認識、撮影)しなければならなくなった。以上のことから、珍しい上に、同定が難しいという意味では「ぎりぎり珍魚」としてもいいと考えた。こんなに平凡な魚にも、これだけの脳内旅行を強いられるのが、水産生物の食文化を調べているボクの日々なのだ。
松屋のにしんそば
文化

にしんそばと北前船と琵琶湖舟運と菜種と

年明けに、愛知県人なのに先島諸島住民で、しかも京言葉を使う若い衆にいただいたものの中に京都市、『松葉』の「しんそば」があった。初めて京都に行ったときは、まだ市電があった。家族にお金を渡せされて、京都で頼まれた買い物をして帰郷した。『いずう』でやたら高い「さばずし」を買い、デパートで漬物を買い、四条下がって南座横の『松葉』で「みがきにしん」のたいたものを買い、ついでに『松葉』で「にしんそば」を食べた。東京の黒い黒い醤油のつゆでもなく、徳島・香川のしゃきっとした塩味がちなつゆでもない、丸みのある味に驚いた。「みがきにしん」は弱冠二十歳のボクにはよさがわからなかった。ここ15年ほど、京都の夜は居酒屋ではなく、西陣のそば・うどん店で酒を飲み、しめに「にしんそば」と「にしんうどん」を食べることが多い。「みがきにしん」はうどんには合わないことを知り、西陣の『えびや』の「みがきにしん」は京都でもいちばんうまいなんて思っていたのだ。2018年にもういちど『松葉』に立ち寄って恥ずかしげもなく「にしんそば」を食べたら、つゆの味が西陣の馴染みのそば・うどん店よりも丸味があることに驚いた。それに「みがきにしん」もおいしいではないか?そして今回、いただいたお持ち帰り用の「にしんそば」が、思った以上に南座隣のあまりにも普通の店である『松葉』そのものの味であることに、これまたもっと驚いた。お持ち帰りなのにここまでの味とはさすがに老舗である。
郷土料理

おちょぼさんと木曽三川、輪中と新バエと

木曽三川といわれる木曽川、長良川、揖斐川の下流域を輪中地帯という。岐阜県、愛知県、三重県にまたがり水郷地帯というよりも河川の氾濫地帯と言った方がいいだろう。平安時代、荘園としては三河の方が重要視されていたようだし、鎌倉時代になってじょじょに治水が行われて、江戸時代18世紀には薩摩藩などによって、尾張側(木曽三川の東)の平地が安定的な耕地になるが、現在の海津市や愛西市、弥富市、長島(現桑名市)などはおいてけぼりになり、1960年代(1970年代かも)になっても氾濫の危険をかかえていた。ちなみに鹿児島、薩摩藩が幕末に飛躍するのは、この治水工事で、藩主、大御所で酷薄な島津重豪がどん底を見たからだ。この地域こそは国内で淡水魚食を調べている人間にとって外せない地域でもある。ちなみにこの尾張・南美濃は基本的たんぱく源は淡水魚という地域だった。とすると織田信長も豊臣秀吉も、加藤清正も淡水魚で育ったといっても間違いではないと思う。ちなみに尾張人はこの輪中地帯と同じようなものを食べていたが、この輪中地帯の人々の土地にたいする執着心がわからなかったのではないか? これがために織田信長は長島攻めに苦労したのだと思う。河川・水路が交通の動脈のごときものであった時代に、この河川が交わり、周辺の平野に灌漑を施し、堤防を築くということが築城につながり、また交易(貿易)に目を向けさせることになる。戦国時代に合戦が消耗戦になることにいち早く気づいたのも、織田信長など交易に長けた尾張人である。余談だがこの木曽三川の、より原始的なバージョンが江戸時代以前の江戸だ。干潟、江戸湾からの汽水・海水生物も食べているが、それ以上に淡水生物へのタンパク質依存が高いということで共通している。さてその輪中地帯にあるのが海津市で、ここに唐突にあるのが千代保稲荷(おちょぼさん)だ。鉄道のない地域であり、取り立てて市街化された場所がないところに、忽然と参道という商店街がある。名物の串カツやどて焼き、和菓子もあるが、それ以上にこの千代保稲荷を特徴付けるのが淡水魚なのである。ウナギやナマズ、コイなどの料理が楽しめ、「ふなみそ(フナと大豆の煮込み料理)」、佃煮などの加工品なども買える。今回、愛知県人なのに先島諸島住民という若い衆にいただいたのが千代保稲荷、大周屋の「新バエの佃煮」と「いなごの佃煮」だ。イナゴはともかく、新バエは我がサイトの調べているもののひとつなので、実に興味深い。「はえ」というのは多くの地方でオイカワの呼び名であったりするが、この輪中地帯周辺では小ブナのことである。フナにはいろんな種類がいると思うが、たぶんギンブナだろう。フナの小型を「新バエ」というのは愛知県津島市、そして三重県桑名市、そして海津市で確認しているが、もっと広範囲に愛知県西部、南美濃、伊勢で使われている呼び名だと考えている。小ブナの加工品は日本各地に残る。関東にも多く、長野県佐久などにもある。愛知県・岐阜県・三重県があって、岡山県にも今も残る。ちなみに佃煮は醤油を使うが、本来はゆで干し、塩煮だろう。それが江戸時代になり醤油が普及して佃煮に変化する。佃煮という江戸っぽい名前がいかに変か、というのが、このあたりからわかると思う。淡水の小型魚を加工するのはこちらの方が先だと思うのだ。さて千代保稲荷、大周屋の「新バエ」がうまい。炊きたてご飯に合う。非常に均質に柔らかく炊けているのも魅力的である。強烈に輪中地帯への熱量が高まってきて困る。先島諸島の若い衆に感謝する。
コラム

関東でのアカアマダイの価値の変遷

1980年代のはじめ、神奈川県小田原市早川の五郎丸という船宿が、ボクの(海の)船釣り初体験であった。以後、初心者のとき、相模湾では小田原、茅ヶ崎、平塚などに通っていた。春のキス(シロギス)、夏のワカシ(ブリ)、秋のマダイ、真冬の小アラ釣りと季節によって釣り物を替えていたが、やがてマダイ釣り一辺倒になる。当時、マダイ釣りの外道とされたものにサクラダイ、ムシガレイ、アズマハナダイ、トンボ(ヒメ)などに加えてアカアマダイがいた。寒い時季のマダイ釣りの水深は100m以上なので、どうしてもタナが低いとこの常連さん達がエサをくわえてしまう。平日に小田原早川に釣りに行くと、客はボク一人ということが何度もあって、そんなときは大型船ではなく小型の船、老船頭で沖に出ていた。関東大震災の経験者で、沖から小田原の市内から煙が上がっているのを見たというジイサンがやけに嫌っていたのがアカアマダイである。アマダイ(アカアマダイ)は関東での呼び名で、漢字にすると「甘鯛」である可能性が強い。昔、アカアマダイは関東では鮮魚では食べない魚だったようだ。主に「くずし」にしていた。「くずし」とはすり身にして「よせる(固める)」料理で、蒸し蒲鉾などが最たるものだ。すり身にして蒲鉾など練り製品に加えると甘味が出るので「甘鯛」である。実際に小田原では上等の蒲鉾用の魚を専門に釣る漁師がいて、ジイサンもそのひとりだった。年末が近づいての獲物はギス(今でも小田原の高級蒲鉾に使われている)だが、アカアマダイも釣っていたようだ。そんな蒲鉾材料ばかり釣る客に表だって不満は言わないが、明らかに不愉快そうに見ていたのが昨日のように思い出される。ちなみ小田原の話し言葉はきついので要約を。ジイサン曰く。アカアマダイは海底に穴を掘って、半身を出して、口を潮上に向けている。エサが目の前に来るとどうしてもくわえてしまうので、タナを上げろ、リールを巻き上げる仕草をするのである。ちなみに茅ヶ崎でも平塚でもアカアマダイばかり釣り上げる客は嫌われた。
同定

ヤガラは鞴型魚食い

国内で揚がる食用魚でもっとも不思議な姿をしているのが、棍棒のような形をしたアカヤガラとアオヤガラだ。両種は見わけがつかないくらいに似ている。両種を釣り上げた経験がある方ならわかると思うけど、アタリが変だ。魚が来ているのか、それとも隣とお祭りしているのか、それともジャミなのかわからない。なんとなくスーッと引き込まれるようなので、とても魚のアタリとは思えない。そのスーッと感じる時間が長いため、少しきき合わせると、抵抗して強く吸い込もうとするのがわかる。これこそが典型的なヤガラのアタリである。少し待って合わせると釣れていたりする。
コラム

ホウボウはどうやってご飯を食べているのか?

魚のご飯や、ご飯のとり方は口の形から想像できるのではないかと考えている。魚の口には様々な形がある。歯がない魚もいるし、歯がある魚もいる。魚は、吸い込む、つつく、かじり取る、丸呑みにするなどいろんな方法でエサ(ご飯)を食べていて、それぞれに最適な口の形に進化しているのだ。11月26日、まずは眼の前おかれた魚、ホウボウの口を見ていろいろ考えてみたい。
コラム

イカの大きさについて

昔、釣り雑誌と関わっていたとき、たぶん読者の方から、「スミイカの11cmはありえないでしょう?」というメールをもらったことがある。その方が釣った東京湾のスミイカのサイズは総て30cm近いとして、写真も添付してあった。それもそのはず、触腕をわざわざピンと伸ばして測っていたのだ。触腕は小魚などに狙いをつけて急激に突き出して吸いつき取るためのもの、例えて言えばウミンチュの水中銃のようなもの。このような特殊な腕まで加えるとイカの長さは、やたらに長くなる。ときどき底曳き網などにシシイカという貝殻(甲)のあるイカが入るが、これなど第2腕(目のある方を正面に向け、いちばん前の小さな2本の第1腕の両脇の腕)が信じられないくらいに長い。軟体類学者・頭足類(イカやタコ)の父といってもいい佐々木望(まどか 1883〜1927年)はこの長い腕を歌舞伎連獅子の髪の毛と見立てて「獅子烏賊」と名付けたのだと思っている。これなど胴(刺身にする部分)の4倍の長さの足が生えていることになり、小さいイカなのに全長で測ると35cmくらいになる。見た目の大きさは全長では表せない。
タコソース
料理法・レシピ

生まれて初めて作るタコスはシバエビで

さすがに初めて食べるわけではない。1980年前後、都内にやたらに世界各国の料理店が出来たとき、メキシコ料理店でいきなり出て来たのがタコスだった。考えてみるとタコスは記憶に残っているが、メキシコ料理とはなんぞやと聞かれると出てこない。その頃、アボカドを都内スーパーで比較的よく見かけるようになり、なんとなくメキシコ・アボカド(トではなくド)をセットで記憶している。あまり食べ歩きをしないボクには遠い存在の食べ物で、食べたことはあるが、もちろん作ったことはない。ボクは人が作っているのをみると、真似したくなるたちだ。遠い先島諸島で夕べに一人淋しそうにタコスを作っているのを見て、タコスか! と思ったら、タコスに関しては何も知らないことに気づいて、無性に作りたくなる。タコスはトルティーヤという、印度料理のチャパティーのようなもので、餃子の皮の二倍くらいの半径のものでもある円形の物体で、さまざまなものを包んで作る。あとはタコスのソースだ。要するにトルティーヤとソースがあれば作れる。いろいろ調べて駅前までタコスセットを買いに出掛ける。まず最初のつまずきは、トルティーヤはトウモロコシのものと、小麦粉のものがあることだった。迷いに迷ってトウモロコシのものにして、迷っている間に目についたそのとなりのモンブラン大福まで買ってしまった。責任者出てこーい。もっとわからなかったのは、ソースだ。店員さんに不得要領に聞いたら、「鮹ソースですね」と言われて、「タコソース」って言うんだと知ったものの、何種類もある。いちばん普通の、を買う。
歴史

川路聖謨が食べたうなぎのみそ漬け

『島根のすさみ』(天保11年 1840)に、川路聖謨(旗本。御目見以下の御家人から大名格の勘定奉行にまでなった)が佐渡奉行につく旅の途中、渋川(群馬県)で〈うなぎのみそ漬也。珍敷き事〉とある。このみそ漬けとはどのようなものだろう。ウナギはみそ漬けにしてうまいのだろうか?いちばん簡単な方法で作ってみた。みそ・みりん(天保期なのであっただろうし、酒よりも古くから甘味に使われていた)で合わせみそを作る。みそだけだったかもしれないが、ウナギにはみりんがよく合うので、甘味を加えてみた。これに適当に切ったウナギの開いたものを漬け込む。丸のままであった可能性もあるが、天保期であること、江戸から遠くない渋川であることから開きを使った。比較的強火で焼き上げると、みその香ばしさ、ウナギの風味が相まって予想外にウマシだった。次回は丸で試してみよう。
名古屋市内
漢字・学名由来

ウナギのつく地名

小名木川 旧中川から隅田川を結ぶ人工的に作った運河。もともとは「宇奈岐沢」といった。『うなぎ風物詩 う』(川口昇 東京書房 1978)鰻坂 東京都新宿区市谷に鰻坂がある。蒲焼町 愛知県名古屋市市街地にある。鰻谷 大阪府大阪市心斎橋に鰻谷。
コラム

岩手からケンサキ?

2019年10月12日、台風襲来の直前に八王子総合卸売市場で見つけた。箱には「ヤ」と書いていたので、ヤリイカのことだろう。聞いてもらうと岩手県からだという。でも帰宅して見たらケンサキイカに思えてきた。体系的には明らかにケンサキイカに見える。ケンサキイカとして保存していたら、宮城県水試の方からヤリイカです、とのご指摘があった。もう一度、岩手県産のヤリイカを買い求め検索してみる。ここでは一番簡単な鰭の比率と色合いを中心に書く。鰭の比率はケンサキイカではほぼ70%、ヤリイカでは60%以下で、この固体は57%(小数点以下略)。古くなったとき、ケンサキイカの外套膜は色素胞がやや大きくまばら、乳白色で少し赤み強い。ヤリイカは色素胞が小さく多く、白く青みがかる。この固体は青みがかる。要するに岩手県産ヤリイカとして入荷してきたものは、まごうことなきヤリイカであった。
コラム

北海道ブリは季語歳時記も変える

10月、羅臼から入荷してくる個体を見る限り、ブリの旬は10月から、ということになる。季語歳時記事典の“冬”も書き改めるべきだと思う。10月、北海道のブリ、おそるべきうまさだ。
トガリエビス
コラム

イットウダイは一刀鯛

分類学イットウダイ科イットウダイ亜科の魚に共通するのは、鰓蓋に1本の非常に強い棘があることだ。このとても分かりやすい表現をしたのは誰だろう。学名で刃物(日本刀とか)を思わせるのはハナエビスの「ensiferum」だけだ。
コラム

シュモクザメの赤と白は筋肉の色か?

田中茂穂はシュモクザメのなかで比較的赤みが弱い種にシロシュモクザメ、比較的赤みの強いものにアカシュモクザメとつけたと書いている。当然、現在使われている標準和名を決めたのも田中茂穂だろう。写真は伊豆半島東側伊東市富戸沖の定置網で揚がった個体。確かに赤みが弱い。
料理法・レシピ

カツオの当座煮

スーパーで見つけてうれしいもののひとつが、カツオの切身である。たぶん煮つけ用だと思う。今回のものは神奈川県秦野市の普通のスーパーを見て回っていたときに発見して、小田原魚市場の魚をたくさん持っているのにも関わらず買い込んでしまった。これを素直におかずにたく。高級な魚や料理店の料理だけではなく、スーパーに並ぶ、何気ない食材に気を止めるのも大人のあり方だし、自然保護にとっても重要なことなのだ。湯通しして冷水に落として霜降りにする。これを酒・みりん・砂糖・濃い口しょうゆ・たまりしょうゆ・水を煮立たせて、切り身をいれて水分がなくなるまでたきあげる。カツオは生でと考えがちだが、本来は煮つけや焼き物にして食べることが多かった。
全32件中 全レコードを表示しています

関連コンテンツ

サイト内検索

その他コンテンツ