
フライパンで魚などをソテーし、一度取りだし、フライパンに酒・砂糖・醤油などを加えてたれにする、というのは、1970年前後に書籍にのった料理だと思う。いまじゃ、家庭料理の定番だろう。これ誰でも考えられそうな料理だけど、最初に作った人はとても偉い。

慌ただしいとき、仕事のはかが行かないときは、とろろ丼がいい。大和芋をすり鉢でする時間が非常に貴い。いろんな着想が得られるし、たぶん大和芋は体に力(りき)をつけてくれる。しかもデスクの上でかき込める。さて、今回の煮穴子は新しい煮汁を使ったのでやや味が軽い。非常にうまいな、なんて自画自賛できるものではあるが、ボク好みの煮穴子の味は、奥行きのある味なのである。箸で切るまでもなく切れる柔らかさなので、口に入れると、とろっと昼寝から目覚めたときのような陶酔感が感じられる。煮穴子だけだとこのとろふわだけでお終いなのだけど、ここに大和芋の濃厚な味がきて、これが煮穴子にむりやり抱きつくことで、両方の味が長続きする。面白いものでこれで完結、ハッピーエンドと思ったら大間違い。ご飯があるからこそ、この強いおいしさが生きる。あっと言う間に胃袋へと納まってしまうが、長い旅をしたごとき、になる。

炊き込みご飯を作ると、味見だけして、残りをもらってくれそうな人がいるとき、作ることが多い。ちなみに最小限の7勺炊くこともあるが、1合の方が作りやすく、2合だともっと作りやすい。目分量のいい加減な作り方なので、希に失敗する。そんなときはがんばって自分で食べることもあるが、味が悪いのではなく、塩気が強いのが苦手な自分にはダメでも、相手がむしろおいしいと言ってくれることが多い。さて、魚の炊き込みご飯でいちばん簡単なのが、カタクチイワシのしらす(生の稚魚)と、シラウオ類だ。だからシラウオ類のシラウオ、イシカワシラウオを買ったら、炊き込みご飯を作ることが多い。シラウオ類は都内の高級スーパー、デパートなどに並んでいることがある。夕方などになると加熱用となって半額になることがあるが、炊き込みご飯にするチャンスだと思うといい。さて、加熱するので塩水で洗わないで、そのまま生醤油に1時間以上漬け込む。24時間漬け込んでも問題ないし、この状態で冷凍してもいい。ちなみに酒を漬け地に加えると便利だけど、魚が硬く締まらず、炊き込むと煮崩れしやすい。炊飯の用意ができたら漬け地ごと入れて、酒少々。そのまま炊飯する。炊き上がったら、別のボウルなどに移して、できるだけ魚体を崩さないように切るように混ぜる。今回は、八王子総合卸売センター、八百角で特売していたサラダ春菊と、イタリアンパセリを青みに混ぜ込んだ。青みも、味つけも、本当はなんでもかんでも自分流でやるのが好ましい。料理は100%自由がいい。後は食べるだけだけ。それにしてもイシカワシラウオはいいだしが出る。ご飯がやたらにいい味だし、細長い本体を口に放り込むと、微かに苦味が感じられる。意外に一合いけそうで恐い。2合炊いたので、タッパーに入れて友人を待つ。

最近、北大路魯山人の料理を思いだして作ってみようかな、と思ったのは、我が家に仕事にきた若い衆がいきなり「ロサンジン」と言ったからだ。ロサンジン(魯山人)=グルメ、グルメ=贅沢、といった短絡的なわかりやすい考え方が面白かった。本当にそんなに単純なのか? その狷介さはともかく、魯山人の料理に対する考え方は至極まっとうなのだ、という話をした。魯山人の書籍(群)を貸して欲しいと言われて、探したが見つからない。まさか処分したのかな? から始まっている。ちょうど銚子産のそこそこいいマダイを買ったので、魯山人から真っ先に浮かんできた天茶を作ってみた。そして天茶である。かりっと香ばしく揚げた天ぷらを少し寝かせる。冷ますだけでもいい。我が家では1日寝かせて揚げた翌日の昼ご飯に食べた。さめた天ぷらを焼き目がつくくらいに焼く。焼きたてをやや温かいご飯にのせ、わさびをちょんとのせて、生醤油をかけて熱い粉茶を、天ぷらの上からではなく脇からそそぐ。だったはず。我が家に粉茶がないので安い緑番茶を、もちろん熱々でそそぐ。これを銚子産の腹身の天ぷらでやっただけだ。銚子のマダイは有名産地ではないため比較的安い、ので、決して贅沢ではない。それにしても天ぷらの香ばしさに、熱いお茶に溶け出した油と衣の入り交じったもの、生醤油の塩気とうま味、最後にくるマダイの身や皮からのおいしさ。これら全部が一度に押し寄せてくる快感がすごい。ちなみにマダイの天ぷらは旬や大きさに関わらず、おいしい。上質の白身のおいしさと、赤い魚の皮のおいしさと、で天ぷらに向いているのである。今回はできるだけ、揚げて焼いた香ばしさを生かすように食べたが、お茶をそそいで即ぐちゃぐちゃにして食べてもうまい。この場合は醤油をぐちゃぐちゃにしてからかけ回す。さて、本日も魯山人の書籍・雑誌一揃えをば、探索しなければならぬ。

カツオのづけ丼はスーパーの解凍ものでも、あまり脂ののっていないもの、売れ残って値引きされたカツオの刺身でも作れるので、ぜひ日常に取り入れて欲しいものである。保存できるなど便利で、しかも節約になる。もちろん刺身ならなんでもいい。いきなり余談になるが、おバカなタレントが旅番組などで、大きな種(切り身)がのっている海鮮丼に大騒ぎすることがある。昔その手の番組に出たことのある目立ちたがりの店で、同じ丼を食べている。その地に義理があって食べたが、調味料に軽くくぐらせただけでづけではなく、醤油洗いでしかない。種が矢鱈に大きいのでただの刺身とご飯でしかなかった。儲かるからやっているのだろが、もっと食べる側も進化すべきだと思う。個人的な考えからだけど、種が大き過ぎるのは、種とご飯とが馴染まない、ご飯と種の量のバランスも重要だ、と思っている。づけ丼は見た目が悪いくらいがいい。さて、今回のは日戻りなので鮮度がよく、つけ上がった状態でも、しこしこと食感がいい。醤油とみりんの調味料の味わいの中でもカツオらしい酸味や、豊かなうま味が感じられる。ちなみに近年、チンしたご飯がおいしい。ここ数年使っているご飯専用の保存容器のお陰だと思うがどうなんだろう。半合をあっと言う間に食べきった。食べきった後の柚子の香りが、爽やか〜なのもうれしい。若い頃はここで調子にのって、もう一丼だったけど、もうボクの人生には、もうそれはない。

鹿児島県鹿児島市の田中水産さんから探していた魚がやってきた。長年探していたので涙がポロリなのだけど、脇にそっと細長いものが。触ったら硬い。むむむ、っと緑の薄紙をひっぺがしたらスマ・カツオくんである。標準和名はスマで、鹿児島では「おぼそ」、「星がつお」などという。今回送って頂いた主役が、長谷川一夫だとしたら、西村晃とか小沢昭一のようなもの。その心は、どっちが主役かわからない、だ。……は前回も書いた。もちろん刺身にもしたし、あぶりにもした。ただ、最近、酒よりもご飯なボクは、八王子総合卸売センター、八百角で思わず千葉県多古町の大和芋を手に取った。八百屋でいきなりインスピレーション☆、漬けとろろ丼しかない。

ニベは比較的いつ買ってもおいしい、優等生のような魚だ。見た目が地味なので、余計にその優等生振りが強く感じられる。いろいろ料理してどれもが及第点ぎりぎりにうまいことが、本種のいいところでもあり、悪いところでもある。ときどき天ぷらにする。欠点ともいえる皮の固さや微かな臭みが、美点になるからだ。高温で揚げたてを口に入れると言うに言われる味わいがある。皮の臭味が、例えば「めごち(ネズミゴチ)」のように味になる。高温で揚げたことで上品な白身は口中で甘い風味を放ち、本種が隠していた個性的な部分が現れる。今回は写真撮影した残りを丼飯に乗せて、ニベ天丼にしたが、いい昼ご飯となりました、とニベにお礼を言いたいほどだった。きっとニベもない返事が返ってくるだろうが。

脂ののったヒラソウダの4分の1、背の部分はあぶり漬けにしてチルドルームに保存して置いた。夜明け前から雨で、ベランダの気温は8度だった。昨日撮影した画像を選別して保存。車の掃除に外に出ると、気温6度で雨が強くなってきた。朝いちばんにでっち羊羹を半分食べただけなので、腹の虫が大泣きする。鳴く腹の虫には勝てぬので、ご飯を戻して、ヒラソウダのあぶり漬けを切ってはのせる。柚子の風味づけをしているが、さらに追い柚子をして、滋賀県長浜市で買ったわけぎを刻んで散らす。若布のみそ汁と、あぶり漬け丼で、遅めの朝ご飯である。丼を前に暫し待て、をしていると、ヒラソウダのあぶった香りが、漬けにしているにも関わらず、する。柚子も香る。口に入れ体温で温まるとヒラソウダの切りつけた身の、脂が溶け始めるのだけど、それを楽しむ前に喉を通り過ぎては消える。その喉の壁に脂の甘さが残る。柚子・醤油・ヒラソウダのうま味を、結婚させたたれが染み込んだご飯もうまい。なぜだろう? 早食いしたためか腹の虫なだめられず、余計に騒ぎ出す。でっち羊羹の残り半分でしのぐ。そして外出。タイヤを冬用に交換。

学生時代以来の神保町(東京都千代田区神保町で、本の街)族だったので、名物だった天丼はよく食べた。1週間に何度も『天丼のいもや』に行き、希に佐野周二御用達の『はちまき』にも行った。安くて満足度の高い天丼ばかりで、天ぷら定食なんてめったに食べなかった。天丼を食べにだけで神保町に行くわけにもいかないので、ときどき自分で作る。今回の「あしあか(脚赤/クマエビ)」など上等の部類である。一に「まき(小型のクルマエビ)」、二に「芝蝦(しばえび)」で、「あしあか」は東京では三のひとつといったところか。精進ものは避けて、ちゃんと東京風に仕立てる。できればごま油で揚げたかったが、普通のサラダ油で我慢する。油の香り弱くちょっと上品過ぎるが、天ぷらには大きすぎるくらいの「あしあか」が実にうまい。濃厚なエビの風味に、プリッとした強い食感が実に心地よい。甘辛い天丼つゆと油っけありの衣がご飯に合う。久しぶりにほぼ1合飯をえび天と香の物だけで食らったら、都心に出られない憂さが晴れた。

いたるところに鰆飯あり。たぶん数えたら切りがないだろう。我が家の鰆飯は基本的に塩焼き、もしくは塩サワラを焼いたものを炊き込む。炊飯の用意して焼いた塩サワラを炊き込むのだけど、醤油と酒を少々加えるだけの単純なものだ。ときどきごぼうとか、にんじんとかを加えることもあるが、今回は焼いた塩サワラだけを炊き込んだ。炊き込みご飯は炊き上がりが待ち遠しい。秋、2合の、炊き上がりの湯気を浴びたうれしさよ、手にしゃもじだ。混ぜ合わせて茶碗に盛り盛りして、いつもながらにあっと言う間に食べてしまう。この短さに涙、涙、うれし、淋しの涙、なのだ。たぶん魚の炊き込みご飯の中でももっとも失敗がなく、もっとも端的にうまい。ここ数年、鰆飯を作るために、塩サワラを作っている気がするくらいだ。冷めてもう一杯、こんどはゆっくり食べる。焼いたサワラの香ばしさが、ほんの少しだけだけど、ご飯にも移っているのがいい。ほんの少しだけの醤油と酒なのに意外にも大活躍している。たった一つの味を全部の材料が、お互いに邪魔しないで作りあげている、これぞ茶碗の中の平和なのだ。すだちとローゼルの塩漬けを添えて、結構毛だらけ……。

2㎏ものの片身を焼き物に使うと、かなり食べでがある。取り分け、尾に近い方が、中途半端だけど味があった。ここを同じように照り焼きにする。時刻はまだ午前7時過ぎである。朝ご飯はおまんじゅうなので、昼飯用に弁当を作る。楕円形の弁当箱の最長部分は16cm、アルマイトではなくステンレス製だ。お菜を入れる部分がご飯に対して大きいことなど、新しい証拠だろう。ご飯を詰め込んで、甘い甘い卵焼き(卵・水溶き片栗粉少々・砂糖・白醤油少々)、ローゼルの塩漬け、ハヤトウリの漬物を詰め込む。ご飯の上に焼きたての照り焼きをのっけて、たれをちょんちょんと散らす。これにて出来上がりである。食べるまでの6時間が長いなんてもんじゃなかった。テレビをつけると西田敏行の死を伝えていた。同級生と一緒に見た林美雄と一緒だった番組が、とても変で印象的だったことが想い出された。なんて、ぼんやり思いながらも、照り焼き弁当に心は持って行かれる。なんて、ぼんやり思いながらも、タレをもっとかければよかったかもとも思った。まあサワラの照焼は史上最強のご飯の友だ。しかも弁当箱に入った飯も最強じゃないだろうか。甘い甘い卵焼きも、柚子をの香りをつけたハヤトウリも、梅干し代わりのローゼルもよし、だ。弁当2つ作っとけばよかったなー。

事務的なことと、定期的な仕事と、日常的な仕事で脳細胞が異次元に散らばる。なにをやっているんだかわからなくなる。気づいたら2時過ぎだったりする。気がついたのは腹が減っているからで、そんな感覚すら抜け落ちてしまうことがある。「(米を)まとめて買っておきなさい」と近所の米屋に言われたので、我が家には米、米、米袋が並んでいる。終日デスクワークという日々なので、精米して3合ずつ炊いて小分けにして冷凍保存して置く。最近、頻繁に作るのが煮つけや漬けを使った混ぜご飯だ。簡単ですぐに出来る。残り物の青柳(バカガイ)舌切りの混ぜご飯は作業時間、2分半と少々。電子レンジに冷凍保存のご飯を入れてスタート。2分半の間に材料を刻んで、チンといったら混ぜるだけだ。カップヌードルよりも短時間で食える。保存のために舌切りを漬け込んだ生醤油と、舌切り自体の苦甘い味だけのご飯だけど、ボクはとってもこれが好きだ。たぶん青柳好きにはたまらない味だと思っている。最近、ずーっと八王子綜合卸売センター、八百角で特売している水前寺菜の風味がいい。名残の時季となったみょうがもほんま爽やか。腹の虫を10分でなだめて、ふたたび異次元に戻る。

日々の暮らしで2つのことが同時進行してもギリギリなんとかなる。3つ重なってパニックになり、やっと2つになったと思ったが、少し面倒な仕事だったので、余計こんがらがる。脳が真空状態になり、お腹がきゅーっとなったので富山の反魂丹を一袋飲んだら、今度は腹がきゅーっとなって激しい腹ヘリ感が押し寄せてきた。深夜なので冷凍庫を探しに探して見つけたのが、イトヒキアジの炊き込みご飯である。炊き上がりを食べてから、そろそろ1ヶ月近くになる。チンとしたが、すぐには食べられなかった。チンして冷めたら、食えないだろう、と見ない振りをしてもう少しほったらかして、それでも我慢できないで、食べたら意外、だった。温もりのない炊き込みご飯がウマスギ GO! GO! だったのだ。たぶん4勺くらいなので、ゆっくり食べよう、ゆっくり食べようと思ってもダメだった。なによりも塩気がいいのだ。イトヒキアジのアジ科らしいおいしさを塩気がぐいーんと引き上げている。一時しのぎの飯が、まるで王様のご飯に格上げされたようだ。水前寺菜が独特の風味を醸し出しているもきいているではないか。だいたい午前3、4時に起きることが多く、食べ終わったのが午前0時半。まさか、まさかに眠れなくなる。■写真は炊きたてのときのもの。

自分のご飯なので腹の中に隙間が出来たら、あれこれ考えて、今回は「かます飯」にする。カマスさえ解凍すれば調理時間10分以下なので腹の虫をなだめるのには持って来いだ。橙を搾り込んだ麦飯に塩辛い山東菜、これだけでも青菜飯で完成品だ。ここに香ばしく焼いた脂の乗ったヤマトカマスを加えると、ちょっとだけよそ行きの着飾った感じになる。それにしても秋のヤマトカマスの「かます飯」は、他に置きかえるもののない味である。強いうま味と脂のこげた香り、これが麦飯と一体化しただけなのに、大御馳走化している。ボクはここに焼いた栗を添え、デザートというか口直しにするのが好きだけど、忙しいので我慢するのだ。昼間から大きな声で鳴くアオマツムシも秋の風物詩と思えば思えるので、秋だな、と言ってみる。

どことなく単調な丼になったのは、これはボクの朝ご飯だからだ。今回のように国内産生(一度も冷凍していない)の「上もの」で、料理店がこれとまったく同じものを作ったら、原価の3倍、最低でも2500円はもらいたいだろう。だから料理店では妻などで飾り立てる。観光客めあての市場の食堂で、トロもサーモンもエビ、イクラに卵焼きなど、いろいろ乗っている海鮮丼が2000円だったりするが、あれは総て冷凍品であり、卵焼きなどは市販品だからだ。苦労するのはいかに安く仕入れるかでしかない。あえていえば、町のすし屋が仕入れるレベルのものがいかに高いか、意外に誰も知らないのではないか。極上の「紅えび(ホッコクアカエビ)」と「ぼたんえび(トヤマエビ)」の、味わいの方向性は似ている。粘液生のあるアミノ酸や、本来呈味しないアミノ酸がからみあって、甘いと感じさせるもので、この甘トロが味の基本である。違いは食感である。前者は甘味がとても強いが、身は柔らかく脆弱である。後者はプリっとした食感があり、甘味はほどほどである。両種には優劣はない。好みは分かれるかも知れないが、曖昧かつ、もこもこふわふわとした、どうでもいいものでしかない。それが2種を一緒に食べると、意外にも単体で食べる以上に甘いし、歯触りがあるし。過去に同じようなことを何度かやっているが、なんどやってもうまいと思う。こんなことをやれるのも市場ならでは。しかも料理店の3分1の値段で食べられる。

「(節約のためには)スーパーには料理を決めて行きなさい」なんてつまらないことを言う、経済評論家らしき老人がいる。ばか丸出しはハナ肇の映画だけど、食を巡る人生の楽しみがわかっていない、アホ老人そのものである。スーパー、魚屋、八百屋もそうだけど、食料品は料理を決めないで行くべし!いろんな食品を見て感心したり、がっかりして歩くといいのだ。きっと新しい発見がたくさんあるはず。それを捨ててええんかいな?そこにあるいちばんいいもの、値頃感を感じるものを買ってから、それに合う料理を考えろ、なのだ。そんなフリーな買い物こそが大節約が出来るのである。ボクの食べ物買いは料理店の買い方に似ている。脊椎動物である魚を買うと、軟体類であるイカやタコ、貝か、エビカニなどの甲殻類などを必ず添えて買う。ある日はマアジにウッカリカサゴに「こはだ(コノシロの若い個体)」で軟体類がスルメイカだった。最近品薄のスルメイカが比較的安かったのでまとめ買いした。野菜は水産生物とのセッションなので、八百屋で頭をネジリネジリ決める。スルメイカの魅力は使い勝手がいいことである。使い切れないときは、例えばげそや耳(ひれ)などは醤油洗いして冷凍保存して置く。軟体類は冷凍保存しても劣化しにくい。しかも醤油で洗っているので尚更である。外光が欲しい昼下がりの根気のいる撮影のときなどによく作るのが、こんな重宝すぎる軟体類の醤油洗いを使っての炊き込みご飯である。スルメイカは醤油洗いしているので室温にもどすと、すぐに使える。炊飯の用意をした釜にげそや耳を入れ、ささがきゴボウを入れる。酒と醤油で味つけし、炊飯する。10分前後むらすと出来上がりだ。できあがりにみょうがを混ぜ込む。思い立って、出来上がりるまで1時間弱だけど、作業量が少ないので、撮影が続行できる。こんなに手抜き手抜きで作ったスルメイカの炊き込みご飯だが、口に入れると実に味わい深い。スルメが柔らかく、それ自体に味があり、ご飯に移ったイカのうま味と香りが強い。軽い味わいなのでスイスイスイダラらった、とかき込める。たまには我が家の定番料理もいかがなりや、であった。

初めて使う1合炊きの釜なので、恐る恐る蓋を開けたら、いい感じに炊けていた。木蓋であるのが残念だが、長ーく使えそう。さて、サラガイは比較的無個性な味の二枚貝である。対極にアカガイや青柳(バカガイ)がある。サラガイが、炊き込みご飯に向いているか? 否かは、炊いてみないとわからない。蓋をあけたとき、このおとなしい味のサラガイからいい香りが立ち上がってきた。やはり貝類は熱を通すとその味わいが増す。ご飯にもいい味が染み込んでいる。このご飯のおいしさに、少し心が頬笑む。厳格な白飯派だったのが、近年、炊き込みご飯が好きになってきたのはゆっくり食べられるようになったためかも。炊き込みご飯は、味の染みたご飯を楽しみ、具を楽しむ、そんな余裕がないとちゃんと味わえない。1合を2回にわけて食べるべきところ……。

市場から帰ると午前8時半過ぎ、午前3時、4時から起きているのでお腹と背中がくっついている状態なのである。ゆっくり朝ご飯を作っている場合じゃないので、丼といきたい。ケンサキイカの刺身にしょうが、そこに鳥取県の甘い刺身醤油をじゃぶっとかけて、ご飯に乗せて食らう。ケンサキイカのよさは甘味にあり、食感はヤリイカほどではないが、ほどほどにはある。この甘味がとてもご飯に合うのである。意外に(鳥取の)甘い醤油で丼はうまいものだと思う。薬味は後のせなのでねぎ、マヨネーズなどお好みで。

でっかいマダイの頭で兜煮、竜田揚げ、潮汁、兜焼きと作った。お終いのお終いの最後の最後は、サメがかぶりついた部分を成形したときの、切り取った身で炊き込みご飯だ。塩焼きにして炊き込むので、少々歯形がついていようが、変色しようがおかまいなし。1合の豪華絢爛、炊き込みご飯の鯛飯が目の前で香り立つ。最近は味つけに醤油を使っているので、醤油と、お焦げ、焼いた鯛(マダイ)の香りの三重奏である。マダイの炊き込みご飯は定番料理だが、嫌みのない上質な白身、皮からであるうま味がご飯と結婚すると最強だと、もちろん食べるときには思ってしまう。意外に軽い味なので遅い昼飯に最適である。

「阿波徳島飯」とは徳島県産ちりめんと、徳島県産すだちだけで食べる飯という意味である。大分県ならかぼすで大分飯でもええし、広島県ならレモンで広島飯とすればいいだろう。スーパーで特売していたので買ってきた、徳島県産ちりめんはボウルに入れて湯をそそぎ、1、2、3くらいまで数えて湯を切る。ほんの数年前までこんなことはしなかった、年を取ったと言うことだろう。ボクの生まれ故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)で家族はこの湯を使った食べ方をしていた。両親の親戚の多くは隣町の美馬町(現美馬市)にいたが、何人かが同様のことをやっていたので、「なんでお湯かけるんじゃ?」と聞いたら、「砂が混じっとるからじゃ」といった。当時、湯をかけて箸でちりめんを揚げると、茶碗の底に【希】にではあるが砂があったものだ。ちなみにボクの生まれ故郷は県西部の山間部である。すだち(分類的にはユズ)は県東部のもので、県西部に入ってきたのは意外に遅くて、1960年代はじめだと柑橘農家の叔父からきいたことがある。ボクがすだちという植物を認識したのは、この木に抱きついて大変な目にあった小学校中学年のときだ。だからボクが幼児の頃、すだちとちりめんはなかったかも。もちろん当時のちりめんにはコウイカ(コウイカやシリヤケイカ)やツツイカ類(スルメイカなど)、クルマエビ科のアカエビ属、サルエビ、タチウオ、イワシ類(マイワシ、ウルメイワシ)、アユやフグ類、タツノオトシゴ類の稚魚などが混ざっていた。ただ砂は混ざっていたとは思えない。念のために最近、ちりめんやしらす干しに、フグの稚魚が混ざっていたと言って大騒ぎするバカがいる。回収したりする。なんの問題があるんだろう。もったいないこと甚だしい。甲殻類なら大問題だが、フグの稚魚が人に影響を与える毒(MU値を考えろ)を持っている可能性などない。こんなバカなことはやめようね、といいたい。今、ボクが湯を使うのは少しだけだけどしっとりして柔らかくなるからだ。しらす干しの妖艶なまでのやわらかさではなく、さらさらしたちりめんが、ちょっとだけよ、と言いながら柔らかく、ご飯に馴染みやすくなる。これを茶碗のご飯に大量に盛り上げて、すだちをのせて、食卓へ。今回はすだち2個だったが、安い時季なので3個使ってもよかったなと、後悔している。すだちはこれからどんどん安くなる。香よりも果汁が主役になる。この「阿波徳島飯」の旬は秋のシラス漁の最盛期と、すだちがちょっと黄色くなる時季である。家族はちりめんに醤油を垂らしていたが、今現在のボクなどちりめんの塩気で十分過ぎるくらいである。塩気でカタクチイワシの稚魚のおいしさが生まれ、それを硬く干し水分含量を減らすことで濃縮する。ちりめんはうま味の塊なのである。すだちはそこに大量の香りと酸味を足してくれている。これがご飯の甘さと結婚すると言うに言われぬ味になる。今回はちょっとだけ大盛りご飯の、「阿波徳島飯」である。

あまりにも定番的な料理で恥ずかしいけど、やはりトコブシの炊き込みご飯はとても、とてもうまい。芸がないのにうまいので、自慢できないのも困りものである。トコブシの足(筋肉)からも「つのわた(肝膵臓)」からもたっぷりおいしい、のが染み出してきて、ご飯にくまなく行き渡る。このご飯がしみじみうまい上に、トコブシの足のほどよい歯ごたえと甘味が来て、おいしさが表現できなくなってこまっちゃうくらいなのだ。そしてとどめが「つのわた」の味である。小さな塊なのに、ここだけ熱い気がするくらいうま味が強い。茶碗いっぱいで大河ドラマを1年見終わった気がするから壮大かつ、無辺である。

いろんなことがあると体がついて行けなくなる。脆弱にだらけてくる。それでもお腹が空くので、困ったときの炊き込みご飯。仕掛けてから1時間以内に食べられるので何とか我慢できる。この鍋のふたを開けたときの感動は、何十回、何百回とやっているのに繰り返し繰り返し押し寄せるのである。キンメダイの頭部を取りだして硬い骨だけ取り除く。棘鰭類なのに、細かな骨は柔らかいのでキチンバサミで細かく切る。刻んだみょうがとキンメダイの身と皮をご飯に混ぜ込んで、後は食うだけだ。濃口醤油とキンメダイの香りがまずは御馳走である。ご飯に染み込んだキンメダイの味も名状しがたい。ただただうまいのがキンメダイの炊き込みご飯なのである。問題は7勺前後の飯では足りないということだけ。

一度もやっていないわけではないのに、久しぶりに天ぷらにして、おいしさに驚いてしまった。ふわふわとして、しかも香ばしく、中はとても豊潤。半身の腹側を揚げたので、ついでに追加揚げして天丼にしてみた。これがさらによかったのである。ご飯は偉大だ、と思ったのは天ぷら単体よりもうまいからだ。マナガツオの身の甘さと、うま味の豊かさが、ご飯の甘さと一緒になって、相乗効果が生まれている気がする。そしてふと考えたら、ボクの天ぷらを揚げる技能が向上している気もしてきた。若いときに作って、マナガツオの天ぷらはさほどうまくないと思ったのは、これぞまさに「若気の至り」だった。八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に来ていたのは、沖合い底曳きが盛んな、愛媛県八幡浜のものである。鱗の剥がれやすい魚で、できるだけ鱗が残っているものを選ぶ。選んだ体長32cm・1.493kgは今年最大のマナガツオだ。以上は前回も書いた。三枚に下ろして腹部の薄い部分の腹骨を取り、薄くへぎ切りにする。軽く振り塩をして少し置き、出て来た水分を拭き取る。小麦粉をまぶして衣をつけて高温で揚げる。

天丼はどこから食べるか、が重要である。ご飯に天つゆを少しかけて、ご飯が見えないくらいに種を並べる。種の上からもかけて、ここからが迷い箸。個人的には野菜から、食べ始めて空いた部分のご飯を食べて。主役であるキスの天ぷらに移る。キスの天ぷらは、脳みその中で6等分しているので1枚の3分の1を食べる。それにしてもキスの天ぷらくらい味わい深いものはない。江戸時代から江戸前天ぷらの主役であり続けているのは、天ぷらにしてうまいからだ。天種は上品な白身ではダメ、少しくせがあるからいいのである。キスの味は皮にあり、そこに独特の風味があるからいい。これは個人的な意見ではあるが、最近、江戸前ならではの魚種のみの天丼よりも、精進揚げも色とりどりにの上方風が好きだ。揚げ油もごま油プラスをしなくなっている。天丼を食べると、自分の嗜好が揺れに揺れているのがわかる。

猛暑になるとやたら揚げ物が食べたくなるということは、まだまだボクもイケテル気がする。7月になって連日のようにお昼は天丼を食べている。天ぷらと言えば、普通、小柱とか、穴子(マアナゴ)、「めごち(ネズッポ科ネズッポ属の魚)」やシロギスが定番だけど、タイ科のマダイや、コチ科のマゴチ、マナガツオなどなどいろんなものを種として使っている。天種としては異色だろうがなんだろうがご飯に乗せれば天丼なのだ。この日は旬のすぎたクサヤモロである。これが二度目の天ぷらだけど、マアジよりも血合いが多いせいか個性的で天種としては上かも知れない。脂が少ないせいか揚げ上がりが軽い。大葉やみょうが、ナスなど夏野菜と合わせた天丼くらい平凡うまいものはない。

エビの釜飯は、ふたをとったときの香りだけでも御馳走だと思っている。殻付きのまま炊き上げたので、余計に香り高い。炊き上がりにエビを取り出して、身を刻みまた混ぜ込む。赤だけではそっけないけど、自宅で、自分で食べる釜飯に飾りめいたものは不要なのだ。薄口醤油と酒だけの単純な味つけだが、エビと醤油の風味が非常に相性がいい。あっさりとした味なので、0.7合では足りなくなりそうである。峠の釜めしの釜もそろそろダメになりそうだな、なんて思いながら最後の一粒まで食べ尽くす。

ルーペや定規などが散らばった間で食べてもうまいのが天丼だな、とせわしなく箸を動かしながら思う。さくっと揚がったマイワシの天ぷらを食べて、頂き物の大葉(青じそ)の天ぷらをかじり。ワカメのみそ汁をすする。この時だけは次の撮影を忘れて飯食いに没頭する。

去年あたりから、信じられないくらい高騰してしまったのが真ツブ(エゾボラ)である。中国のせいだという人がいるが、水産物の輸出はしていないのではなかったか? それにしても大きなものは1個1万円以上、小さくても3千円くらいするととても手が出なかった。ふと、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産の貝の場所を見たら、もとの値近くにもどっていた。あの暴騰は終わったのかも知れない。かねてより作ってみたかったものがあるので1個だけ買ってきた。真ツブ(Aツブとも)はエゾバイ科エゾボラ属の巻き貝で、足の部分(刺身などで食べる)にテトラミンという毒を持っているのが特徴である。そんなに強い毒ではなく、北海道何カ所かで食べていた人の話を聞いても、酒に酔った気分になるだけだという。ボクも数個食べているが、ほんの少しいい気分になっただけだ。まあ個人差があるので要注意。主に北半球の冷水域にいる。巻き貝の中でも大型であり、1㎏近いものもある。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で北海道産のテニスボール大のホッキガイを買った。ホッキガイは標準和名ウバガイのことだが、この茨城県周辺の名は一般的にはほぼ使われていない。実は茨城県が南限のこの貝が、関東や山梨県にやってきたのはかなり古そうである。大型で海水がなくても数日生かしておけるので、冷蔵技術がなくても輸送しやすかったからだ。せいぜいアサリ、ハマグリしか見ていない関東・山梨の人が、こんなに大きな二枚貝を見て、さぞやおどろいただろう。昔(たぶん1945年前後から)は、鉄路での輸送だったので、関東への主産地は茨城県と福島県南部だった産地の呼び名が消費地の呼び名になる典型的なものなので、古くからウバガイで売り買いされ、またそれを採取して標準和名となる。これが、ホッキガイというアタリのいい言語にじょじょに関東でも置き換わる。地方名を集めている身には面白いのと、呼び名の消滅の危機とを同時に感じて複雑である。今回のホッキ買いは久しぶりに福島県相馬市に行った記念というと変だが、当地の郷土料理でもあるホッキの天ぷらを作りたかったからだ。ついでに天丼にしてお昼とする。ホッキガイのバカガイ科の、一般流通の二枚貝は天ぷらにしてすべてうまい。他には青柳(バカガイ)、シオフキ、ミルクイなどである。作り方は簡単。剥き身にして足とヒモや貝柱に分ける。足の中にあるワタを押し出して捨てる。塩水の中で汚れを流し。足は開き、ヒモなどは食べやすい大きさに切る。山菜の「ほんな(ヨブスマソウorヤマブキショウマ)」をざっと洗い適当に切る。足も、ヒモなども小麦粉をまぶして置く。足は衣をつけて高温で揚げる。「ほんな」とヒモなどは一緒にして衣と合わせかき揚げにする。熱々のご飯に乗せて完成である。我が家ではみりん1・醤油1を合わせ煮立てたものをかけ醤油にしている。これにカツオ節出し同量を加え、(全部同じ量)を煮立てて、追い鰹(カツオ削り節)し、天つゆにしてもいい。ちなみに、どぼっとつける天つゆの比率は関東と関西では違うし、結局のところ比率に関しては自分好みに作るしかない。ホッキガイの天ぷらをのせた天丼の困った点は、うますぎてじっくり味わえないことだ。普通、衣の香ばしさを先に感じるものだが、ホッキガイの天ぷらはなぜか同時に足の甘さが舌に感じられる。強いうま味もあって天ぷらとして最高の素材だという事がわかる。そこにヒモと「ほんな」の薄苦い味わいがいいアクセントになっている。最近、天ぷら屋に行けてない憂さを、ここで少しだけ晴らす。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産は若い衆ががんばっている。日々こつこつと地道な努力を重ねているのが頼もしい。それが証拠に彼らが作るマアジや小肌(コノシロの若い個体)の開きがだんだん上等になってきているのだ。せっかくなのでお昼ご飯に開きを買って来る。本当は酢じめにすべきものだが、今回は天ぷらを作るつもりだ。もちろん文字の世界ではあるが、この日のボクは脳みそが江戸の町に飛んでしまっている。川端の安い天ぷら屋台の情景を描きながら、大きさを揃えて袋に放り込む。文字の世界のよいところは、前日まで1220年代、後鳥羽上皇の傍若無人から、その翌日には江戸時代後期の物価のこと、庶民の世界に迷い込むことができる、ことだ。そのときボクは四文銭二、三枚を懐に、じゃらじゃらさせて歩く江戸の町民そのものになりきっていたのだ。

福島県相馬市のスーパーで「にくもちがれい(ミギガレイ)」を2パック買って来た。この魚、まあまあたくさん揚がるのに産地周辺のみで流通している。低評価魚の代表格である。未利用魚を日本全国を見渡して話ができる人には会ったことがない。未利用の定義も曖昧だが、この魚のようにときにまとまって揚がりながら、売れないという魚を知っている人がいないのが残念でならない。未利用魚・低利用魚などもっとしっかり定義した方がいいと思うな。さて、この魚は水分が多いものの、料理法によっては非常にうまいのである。

魚を刺身状に切り、ゴマ醤油に漬け込む。醤油だけに漬け込むのは関東でも見られるがゴマを使うのは九州ならではだと思う。特に福岡県では日常的に食べられているようだ。マアジ、カマス(アカカマス)、サバ(マサバ)など。例えば朝漬け込んで夕食に食べるとか、夜漬け込んで朝ご飯に食べるとか。福岡県でも博多地区での呼び名が「ごまさば」だった可能性がある。もしくはもともと「茶漬」と呼ばれていて、材料がサバのとき通りがいいので「ごまさば」という言語が生まれた可能性もある。づけとしてそのまま食べてもいいし、ご飯にのせて食べてもうまい。茶をかけるから「茶漬」と呼ばれるなら、基本形は茶をかけるものなのかも。

福岡県築上町椎田で作られているもの。北九州市の東、国東半島までは旧豊前の国にあたる。福岡県でも限界地方でも作られているという。豊前地方は干潟が広がり、漁獲物が多彩でノリ養殖なども行われている。福岡にあってこの地域で揚がる魚貝類を「豊前もの」という。初夏の朝方、たぶんとれたばかりの「かます(種不明だがアカカマスである可能性が高い)」の刺身を厚めに切り、醤油・ゴマ・酒などを合わせたたれに漬けておく。半日ほど漬け込んで温かいご飯に乗せて、熱いお茶を注ぐ、というもの。梅干しと一緒に食べるとより美味である。福岡県で広く作られているゴマ醤油だれに漬け込むという料理のひとつ。福岡県でゴマと醤油というと「ごまさば」が有名だが、もっと遙かに多彩な魚が使われていたという可能性をみる。福岡市など玄海地方などでもカマスで「茶漬」が作られている。『聞書き 福岡の食事』(農文協)

神奈川県小田原市小田原魚市場、二宮定置のダンベから小さなイサキをひろってきた。これで福岡県宗像・豊前浜の「茶漬け」を作る。マアジで作ることが多いということだが、小イサキで作っても遜色なしというか、以上の味になった。2010年、福岡県宗像市道の駅に向かおうとタクシーに乗った。そのときの運転手さんから聞いた料理が「茶漬け」だ。他に料理名はないのですか? と聞いても「茶漬けは茶漬けですね」だった。「普通、家で作りますけど今スーパーにも並んでいます」というので躊躇していたら、タクシー運転手の方が近くにあるスーパーに連れて行ってくれた。そこで1パック、道の駅で1パック買った。運転手さんと道の駅の方、駅で会った老人に作り方を聞いたら、まったく同じだった。朝食べるものだというのも同じ。運転手さんは「父親は酒のつまみで食べていた」と教えてくれたのだ。これと同様のものが福岡県豊前浜にもある。その料理名も「茶漬け」だ。それは醤油色に真っ黒に染まり、見た目は最悪というものだった。でもこれが宗像市で聞いた「茶漬け」そのものの色合いなのだ。実に簡単に作れて、日々朝に食べて手間いらずだ。やはり古くからのケの食文化は「手間省き」から生まれたものが多いのだ。夜に作り、朝に食べるものだという。ご飯にのせてそのまま食べることもあるが、熱いお茶をかけてさらさらと食べる方が多いという。このさらさらとかき込む「茶漬け」の茶漬けがウマシなのだ。

2010年、福岡県宗像市道の駅に向かおうとタクシーに乗った。そのときに運転手さんから聞いた料理が「茶漬け」だ。他に料理名はないのですか? と聞いても「茶漬けは茶漬けですね」だった。「普通、家で作りますけど今スーパーにも並んでいます」というので躊躇していたら、タクシー運転手の方が近くにあるスーパーに連れて行ってくれた。そこで1パック、道の駅で1パック買った。運転手さんと道の駅の方、駅で会った老人に作り方を聞いたら、まったく同じだった。朝食べるものだというのも同じ。運転手さんは「父親は酒のつまみで食べていた」と教えてくれたのだ。これと同様のものが福岡県豊前浜にもある。その料理名も「茶漬け」だ。それは醤油色に真っ黒に染まり、見た目は最悪というものだった。でもこれが宗像市で聞いた「茶漬け」そのものの色合いなのだ。実に簡単に作れて、日々朝に食べて手間いらずだ。やはり古くからのケの食文化は「手間省き」から生まれたものが多いのだ。夜に作り、朝に食べるものだという。ご飯にのせてそのまま食べることもあるが、熱いお茶をかけてさらさらと食べる方が多いという。このさらさらとかき込む「茶漬け」の茶漬けがウマシなのだ。基本的に魚の刺身をゴマと醤油に漬け込んだものだ。そのまま食べると塩辛く感じるもので、ご飯のともだ。最近では酒やみりんを使うというが、九州の一般的な醤油に必要だろうか?宗像市ではマアジで作り、朝ご飯などにご飯にのせてお茶をかけて食べた。豊前浜椎田ではカマスを使うがこれは別項で。また福岡市の「ごまさば」は新しい名称だと思うが、この根底にもこの「ゴマ醤油づけ」がある。

大分県のづけ飯は「ひゅうが」、「りゅうきゅう」、「あつ飯」の3種類がある。「りゅうきゅう」、「あつめし」はすりごまに醤油、みりん、酒などを加えてつけだれを作り、刺身など刺身の残り、切れ端などを漬け込んで、ネギ、しょうがなどの薬味を利かせるもので、名前は違うがほとんど同じものとしていい。また福岡県の「ごまさば」、「茶漬け」とも同じものである。「ひゅうが」だけが独特である。作る地域が津久見市周辺で狭い。起源は同市保戸島だとされる。ここはマグロ漁業の島であり、また日本各地の漁港などとつながりがあることなどで、生まれた料理なのかも知れない。材料がマグロであること、卵を使うことが特徴である。大分県には同様のものは見当たらない。魚は違うものの愛媛県に「ひゅうが飯」があり、作り方が非常に似ている。また同県には卵を使うづけ飯があることなど、むしろ愛媛県県南から来た可能性が強そうだ。『酒と肴の文化地理 大分の地域食をめぐる旅』(中村周作 原書房)

生の魚を刺身で食べて余ったものを、醤油などにつけて保存性を高めるものを「づけ(漬け)」と呼ぶ。日本各地で普通に行われているもので、あまった刺身などの保存のためでもある。また「づけ」を作るために魚を求めることもある作ることもある。江戸前ずしや八丈島、南大東島では島という環境の中で、魚はまずは保存性を考えて醤油に漬け込まれた。こちらは寿司図鑑でとりあげる。日本各地に同様の刺身(切り身)を醤油に漬け込む料理がある。そのままご飯にのせてもいいし、のせて茶漬けにして食べたりもする。東京都/づけ静岡県/カツオまご茶愛媛県/ひゅうが飯福岡県/茶漬、ごまさば大分県/りゅうきゅう、あつ飯、ひゅうが以上が有名であるがもっと遙かにたくさんの地域で作られていると思っている。当然、地域地域で呼び名があるだろう。この漬けにして食べるという料理があれば教えて欲しいものである。

鮮度のいいものは生で食べられる。殻が非常に軟らかいのでヒゲだけをとれば刺身になる。それでも気になるなら額角ごと取ってもいいだろう。生じょうゆにワサビで和えてご飯と食べると、上品な甘味がご飯に非常に合う。