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漢字・学名由来

ハシキンメはなぜハシキンメなのか?

【呼び名の由来の話だが、徐々に改訂していく、その土台のようなものだ】明治時代に西洋から来た科学のひとつが生物学で、その中のひとつに動物学が含まれていた。当然、動物学は分類から始まる。分類学で先ずやらなければいけないことは、国内にいる生き物の名と学名を照らし合わせることだ。手初めに全国で使われている魚の名をかたっぱしから集める。分類学で使う名を標準和名といい、世界中で共通して使う名を学名というのだが、まず最初に標準和名を決めなければ分類学は始まらないのだ。分類学の明治初めの拠点は東京にあったので、もっとも身近な場所で、例えば魚類が見られる場所から名の採取を始める。それが日本橋にあった魚河岸である。明治10年(1877)に来日したお雇い教師、アメリカ人のエドワード・モースが、来日すると同時に江の島に小屋を借りてシャミセンガイ(腕足類)の研究を始める。たぶんこの小屋はモースだけのものではなく、日本の分類学にも大きな意味を持つ。ハシキンメに学名をつけたのは、ドイツの動物学者でお雇い教師のルートヴィヒ・デーデルライン(国内の多くの生物を記載している)だが、彼も江の島に通ったひとりだ。標準和名も江の島で使われていた名を採用する。実際、標準和名の多くが江の島で採取された名であるのは、モースの小屋と明らかに関係があると思われるし、それを引き継いだ、デーデルラインとの関係もある。江の島で本種をハシキンメと呼んでいたのは、なぜだろう?参考文献/『全日本及び周辺地域に於ける魚の地方名』(高木正人 1970)
漢字・学名由来

イボダイは東京の呼び名の東京訛りを取り去ったものだ

つれづれなるままに。ほんの数年前までボクは、水産業とも動物学・植物学ともまったく関わりのない世界、非常に流行りとかトレンドとかを扱う世界の片隅にもいたのだ。学校を卒業して、そこで仕事を始めたとき、同時に水産生物をなんとなくではなく基礎から調べ始めた。そのとき神保町大学の先人から絶対に専門家になってはいけないと教わる。技術的な分野なら専門家になってもいいが、いわゆる文化をやるなら、「専門家=死」とも言われている。ということで、専門分野は死にものぐるいでやりながらも、まったく違う角度、素人・遠目の自分を存在させている、つもりだ。さてそこで、今回のイボダイの話に移る。標準和名イボダイは明治時代半ばには〈エボダイ〉が標準和名だった。田中茂穂はイボダイを標準和名としながらも、〈東京では訛ってエボダイということが多い〉とある。ちなみに「疣鯛」は体表から粘液を出すための名で、詳しくは述べない。ちなみにこの時代の標準和名が東京と神奈川なのは、動物学の本拠地でもある東京帝国大学理科大学が東京都本郷にあり、研究所が神奈川県江の島・三崎にあった。その周辺で呼び名を採取したからである。それにしても内村鑑三が魚類学者であったときの「エボダイ」を、東京の訛りだとしてイボダイにした犯人がわからない。【話の寄り道】 標準和名は国内での動物学の土台を作りあげた、箕作佳吉(安政4〜明治42/1858〜1909 14歳で大学南校からアメリカに渡米。日本人最初の動物学者)や石川千代松が、Standard Japanese name (標準和名)を決めることから始める。念のために、Standard Japanese name はあくまでも科学の分野での名前である。正しい名前などというものではない。これはモースと、動物学の教師ではないがヒルゲンドルフの時代から始まっていたはずだが、やはり本格的になるのは箕作佳吉以後だろう。
漢字・学名由来

エゾギンチャクでいいの? 岩川友太郎さん教えて

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に北海道別海町『丸イ 佐藤水産』からババノテが来ていた。漢字は「婆の手」で、年寄りの女性の手のように節くれ立っているという意味だ。「母の手(ハハノテ)」ともいう。昔、札幌中央市場で会った人は、「『身を粉にして働き、年を取り、手が節くれ立ち、(手の甲が)すすけたような色になった婆の手のようだ』という意味だけど、汚いという意味ではなく、尊敬の念を込めている」と市場人にしては詩的な表現をしていた。
箱に並んだケガニ
漢字・学名由来

クリガニ科ケガニの基本 1

八王子総合卸売協同組合、舵丸水産にやや大振りのケガニが来ていた。荷(発泡の箱)のまわりに産地が書いていない。パーチ(魚貝類の上に乗せる文字が書いたフィルムで、乾燥を防ぐ役割もある)もない。産地をパーチをつけたり、箱に書くなりするか、伝票だけで済ませるかは荷主(魚貝類を発送する業者)が決めることだ。せっかくなのでケガニめもを作ってみる。
アンコウ,クツアンコウ
漢字・学名由来

魚類学最大のミステリー、アンコウとり違え事件

魚の説明をするとき、この本来の呼び名と、魚類学の呼び名の違いを説明するのに非常に苦労することが少なくない。この魚類学の名前、標準和名はよほどのことがないと変えられないというのはわかっているが、明らかに市場価値と歴史を踏まえて、現在の「キアンコウをアンコウ」に、「アンコウをクツアンコウ」に変えて欲しいという話でもある。
稲のはさ掛け
漢字・学名由来

タモリは田守だ!

タレントのタモリではなく、魚のタモリの話だ。この魚のタモリには田中茂穂は「太母里」という漢字を当てているが、正しくは「田守」だという話でもある。田守は室町期には歴とした官職のひとつだった。それが時代が下り、江戸時代になると、野良で日がな一日、田畑を見守っている人という意味に変わる。ついでに言えば、田守という言語はダサイと同義語に成り下がる。無精髭を生やしたまま、パジャマの上に上着を羽織って市場に向かう自分などは典型的な田守である。田守は今や死語だけど、江戸時代には一般的な言語で、日常会話にも使われていたようだ。薄汚い、うらぶれ落剥した人とか、知的障害のある人を差す言葉といえばわかりやすそうである。ボクの生まれた高度成長期でも、このような人達の暮らしがなり立つようにそれなりの職業があてがわれていた。そのひとつが江戸時代には田守だったのだと思う江東区の聞取にしても、山本周五郎の世界にもそんな存在が出てくる。明治時代に宮城県仙台市にいた仙台四郎も同様な存在だったのだろう。今はなんでもかんでも差別だというが、むしろ露骨に田守のような差別用語を使っていた時代の方が人間的で温かみのある気がするから不思議である。先にも述べたように、田守は室町時代には官職名でデスクワークの人だったが、江戸時代には田に入ってくる害獣を追い払い、また畑仕事で助けが必要なときには呼ばれる、実労働者そのものを指す言葉になる。江戸時代の俳句では以下の2句がある。【稲塚の戸塚につゞく田守かな】 宝井其角 『最近俳句歳時記 秋』(山本健吉)【秋の夜をあはれ田守の鼓かな】 黒柳召波 『大言海』宝井其角は芭蕉門下で裕福な家の出であり、荻原重秀が作りだした華やかな元禄期を経験している。黒柳召波は蕪村の門下で、当然、蕪村の属していた京のサロンにも参加していただろう。蕪村、池大雅、伊藤若冲などがいて京がもっとも華やかだったときを生きている。句の意味合いは後者は落剥を思わせるが、前者は現代の言語訳ではよくわからない。稲塚は稲を杭にからめて干す形が塚(盛り土)に見えるための言語で、それを守る人が戸塚(多分東海道五十三次の戸塚宿のことで、京に上る最初の宿場。塚塚で韻を踏んでもいる)まで永遠と続く光景を詠んだのかも。ともに田守は侘しいとか淋しいとかで、決してきれいなイメージはない。田守には野良で衣類をかまわず、無精で不潔だというイメージがあるのである。
漢字・学名由来

山陰北部から北陸でメジナはサケのお使い

八王子総合卸売センター、総市に富山県氷見産のメジナが来ていた。日本海側を冬に旅をするとわかることだが、寒い時季、定置網に大量に入って、網が揚がらないなどということがある。能登半島などでは寒くなるとスーパーなどでよく特売するという。太平洋側では食用魚でもあるが、釣りの対象魚としての方が有名である。日本海側では寒くなるとやたらに目につく、単なる食用魚でしかない。日本海側ではクロダイ(チヌ)と比べると、釣りの対象魚としてはあまり人気がない。これは主な産地が日本海であるせいだ。もちろん太平洋側でも揚がるし、食用ともなっているが量的に大きな開きがある。島根県松江市、松江魚市場では寒くなって海が荒れると、「クロアイ(クロヤとも)」が競り場を覆い尽くす。仲買の方が「クロヤを買うのは義務だな」などと言っていたが、メジナだらけの市場を見て競り人、仲買のあうんの呼吸のようなものが感じとれる。山陰でメジナは冬の風物詩だ。富山県、能登半島、京都府では「ツカヤ」、「ツカエ」という。初めて能登半島を旅したとき、この呼び名の意味がまったくわからなかった。わかったのは渋沢敬三の『魚名集覧』を手に入れてからだ。ボクが初めて能登半島を旅した1980年代初め、元々の長々とした呼び名は省略されてしまっていたのだ。本来の呼び名は「サケノイオノツカエダイ」、「サケノツカエダイ」だ。漢字にすると「鮭の魚の使い鯛」、「鮭の使い鯛」である。定置網にメジナが入るようになると、サケの水揚げが始まる。また、メジナがたくさん揚がる年はサケが大漁だ、という意味もありそうだ。北陸でメジナは秋を感じるものであり、冬の風物詩でもある。今、富山湾や能登半島でサケが大量にとれているとは、とても思えないが、この地域でもサケが重要な漁業対象であった時代があった証拠だ、とも言えそうである。サケと関連性の高い呼び名と、島根半島以西の体色での呼び名の境となる地域も明確にあるはずで、鳥取県西部ではないかと想像している。
漢字・学名由来

ムシクイアイゴの英名和名語源由来

和名の「虫食い」は葉などを虫の幼虫が食べた跡のことで、「虫食い状態」とか、紋などに使われるもの。体側の独特の線形文様を表したもの。アイゴは、アイヌ語で棘のあるイラクサを「あい」という。ここから「あい」は棘のある、「ご」は魚を表す語尾だ。英名、Vermiculated spinefoot のVermiculated は線形の動物であるミミズや線虫などが這い回った跡(曲がりくねった形)を思わせる模様や造形のこと。もしくは虫そのものが蠢く様という意味だ。『日本産魚類検索』(岡田彌一郎、松原喜代松 三省堂 初版1938)にも蠕虫が出て来ているのは当時の魚類学者が英名を知っていたからだろう。さすがに蠕虫アイゴとつけては問題だと考えた上での「虫食い」だということがわかる。ちなみに1938年は第二次世界大戦の敗戦前で臺灣を統治していたとき。本魚類検索には現国内は生息域に入っていないことから、台湾(臺灣)の標本を基に標準和名がつけられていたことがわかる。spinefoot は直訳すると刺のある足になるが、足ではなく鰭のことで鰭に刺があるという意味。
漢字・学名由来

食用魚、カジカって何だろう?

もともとの鰍・杜父魚(かじか)は河川にいる標準和名のカジカ属のカジカ、ウツセミカジカ、カマキリのことだ。またハゼ科の魚との混称もある。これは「ごり」が石川県金沢でハゼ(ウキゴリなど)でもあり標準和名のカジカでもあることと同様だ。『和漢三才図会』(寺島良安 東洋文庫 平凡社 正徳2年 1712)に、かじか、ごりの多いところとして〈いま加州(加賀のことで現石川県)の浅野川に多くいる。〉がある。季語では秋のもので、〈河川にすむ渓流魚で、石にはりつくので石伏魚(正しくはハゼ科の魚だと考えている)の名もある〉、〈鰍突く〉も季語である。『物類称呼』(越谷吾山著 安永4/1775 解説/杉本つとむ 八坂書房 1976)では杜父魚(とふぎょ)が出てくる。大言海には〈ちかちかかぶりヲ上下に略シタル語ナルベシ〉。「ちかちかかぶり」は「ちちかぶり」と同じで〈かぢか(鰍)ニ同ジ〉。古名を「ちちかぶり」。〈淡水ニ産ズ〉ともある。海にいるカジカは千島、函館、青森などで「うみかじか」とされていた。『帝国博物館天産部魚類標本目録.帝国博物館』(石川千代松・松浦歓一郎 1897/明治30年)海にいるカジカ科の魚は非常に多く、大型の種の多くが食用となっている。一般にカジカというと淡水魚という概念があるが、水産の世界では「うみかじか」すなわち海産のカジカ科、ケムシカジカ科の魚である場合が多い。
名古屋市内
漢字・学名由来

ウナギのつく地名

小名木川 旧中川から隅田川を結ぶ人工的に作った運河。もともとは「宇奈岐沢」といった。『うなぎ風物詩 う』(川口昇 東京書房 1978)鰻坂 東京都新宿区市谷に鰻坂がある。蒲焼町 愛知県名古屋市市街地にある。鰻谷 大阪府大阪市心斎橋に鰻谷。
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