
高知県土佐市、白木果樹園からいろんな種類の柑橘類を送ってもらった。現在整理中だけど、非常に難航している。とりあえず、1種ずつ紹介していきたい。今回は青い状態で収穫した小夏だ。昔、築地にアカアマダイばかり仕入れる老人がいて、「都はるみだな」と言ったが、ボクには意味不明だった。ボク以外には通じる言葉だったようなので、使ってみたい。「小夏に都はるみだぜ」だ!小夏にほれすぎて、イソフエフキ刺身、ハナザメの湯引きの酢みその香りづけ、メダイ兜焼きなど使い過ぎたので、だんだんワケがわからなくなる。念のためアブソルートに落としたときには、5分の1切れくらいになっていた。これもいい。小夏のよさはつんとくるのではなく穏やかな酸味で、しかもその酸味に広やかさがあることだと思う。しかも香りが素晴らしい。口の中をとつぜんロマンスが駆け巡るようだな、小夏ちゃんと言いたくなる。終いにくる甘味は優しい年上の女性(男性だって、どっちでもない人だってなんでもいいけどボクは女性)を思わせる。青切りなのに丸々半分食べてもヒエェーと叫ばないどころか、おいしく食べられる。谷山水緒さんにいただいた、みかんノートという方の書いた、『みかん図鑑』を見ると宮崎県の日向夏を高知県で栽培したものらしい。違いはわからないが、宮崎県の日向夏も、2016年に食べた宿毛市産の小夏も、どちらもボク好みとメモしている。完熟した小夏もまた食べてみたいものだ。園主である白木浩一さんに感謝!白木果樹園https://buntan.com/

高知県土佐市、白木果樹園からいろんな種類の柑橘類を送ってもらった。現在整理中だけど、非常に難航している。とりあえず、1種ずつ紹介していきたい。水晶文旦は秋に採れる食用ミカンといったものだろうか?今回、高知市などでいっぱい見かけたが、初めて食べた。その来歴を調べると余計にわからなくなる。だいたい、ブンタンのもともとはザボンだとか、ポメロだとか。そのブンタンの中でも土佐文旦から生まれたものらしい。ボクは徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)生まれで吉野川の北側にあるのが現美馬市美馬町で八朔の産地である。寒くなると八朔が常に家にあり、面倒だなと思いながら食べていたのだけど、その内イヤになって、めったに温州ミカン以外の食用ミカンを食べなくなる。

秋、高知県のスーパーに「ある率」が高く、旅のできるだけ最後に買うのが、「いもの茎(いものくき、とも、いもぐきとも言う)」だ。要するにサツマイモの茎だけど、直売所にはあるけど、スーパーに並ぶという地域は少ないのではないかと思っているが、データはあまり集めていないので、なんとも言えない。とにもかくにも高知県で「いもの茎」を買い、真四角な「厚あげ」(梶原食品 高知県宿毛市)と炒め煮にする。少しだけアカカマスの煮干しだしを使う。実にありきたりな炒め煮だけど「いもの茎」のしゃきしゃきした食感と、噛みしめたときの味、少しだけの甘味が他に類を見ない味を生んでいる。おいしいんだけどあまり自己主張しない「厚あげ」もとてもうまい。丸みのあるアカカマスの煮干しだしは炒め煮に向いている気がする。穏やかにすべての材料を包み込んで、ひとつの料理としてのまとめている。もちろん合わせるのは、白いご飯だ。

高知県土佐市、白木果樹園からいろんな種類の柑橘類を送ってもらった。現在整理中だけど、非常に難航している。とりあえず、1種ずつ紹介していきたい。ベルガモットという言葉は知っていたが、それが何か?まったく知らなかった。あえて言えば、食べ物なのか? すら知らなかったと言っていい。主産地はイタリアという柑橘類で、鼻をすりつけただけでいい香りがするなんて、ことも。果汁と果皮の香りは、間違いなく柑橘類なのだけど、全体的に、冬の湿った枯れ葉が敷き詰められている森を思わせる。ボクの表現能力を超えている存在なのだけど、果汁には微かに苦みがあり、後味は苦み以上に僅かばかりの甘味がある。イソフエフキの刺身にかけたけど、ベルガモット自体の存在感が強く、わずかな苦みが邪魔な気がする。魚よりもそのまま切り口をなめたくなる。

カワラケツメイは、本州、四国、九州などの川原などに生えているマメ科の植物である。これを炒って飲む地域は国内に点々と散らばっているようだ。高知県は島根県とともに広い地域でカワラケツメイのお茶を飲んでいる。高知県で「きし豆茶」という。カワラケツメイが川原など、川岸に生えているために「岸豆」だ。これが和歌山県では「弘法茶」、岐阜県の一部では「びん茶」、島根県では「浜茶」という。カワラケツメイは便秘、利尿作用、むくみを取る薬効があるとされている。ただ島根県津和野などでは「茶は贅沢だから浜茶」を飲むとされている。ちなみに高知県の「土佐番茶」は、若芽だけではなく、枝ごと大雑把に切り取りお茶に、したいわゆる一般的な晩茶も言うが、この晩茶を焙じて「きし豆」を加えたものが普通だという。

八王子総合卸売センター『八百角』の社長は、売れそうにないのに仕入れてくる野菜がとても多い。最近、店内はかなり東南アジアなので、東南アジア系も多くエスニックな感じが強くなっている。そこに殴り込みをかけているのがヨーロッパ系である。特に、最近、ナスはイタリアなのかも知れない。たぶん八百屋で「ナポリ」と呼ばれているカボチャ型のナスも、ナポリなんだからイタリア産なのだろう。正式には、Rosso di Napoli Eggplant らしくて、エチオピア原産のナスだという。

長野県中野市・飯綱町などで食べられている夏の料理に「やたら」がある。大根などのみそ漬け、ピーマン型の青い唐辛子・ぼたんごしょう(かぐらなんばん)、八町きゅうり、丸ナス、みょうがを、すべて細かく刻んで混ぜただけの料理である。みそ漬けの塩気があるので、混ぜ合わせてもの足りなかったら、塩を加える。みそ漬けの塩気が強く、また多めにみそ漬けを刻めば塩はいらない。とにかくすべてを刻んで刻んで刻む。一心に刻むのがコツである。みそ漬けだけの塩気で全体がしっとりとして、味が馴染んでくる。長野県飯綱町、滝澤農園の滝澤さんに教わって早10年になるが、ほぼ毎年作っている。ボクの場合、徹頭徹尾、ご飯に乗せて食べているが、飽きが来ない味で、毎日食べても結構毛だらけである。

ピーマンのような形をした辛い青唐辛子が、新潟県、群馬県、長野県、岐阜県にある。他県人だとわかると、長野県の直売所でも、群馬県の直売所でも「これ唐辛子で辛いんですけど、大丈夫ですか?」と聞かれることが多い。同じ地区で「かぐらなんばん」ともいい、「ぼたんごしょう」ともいい、呼び名がこんがらがってる。「かぐらなんばん」は「神楽南蛮(なんばん)」と書かれることが多く、「ぼたんごしょう」は「牡丹胡椒(ごしょう)」だ。「牡丹胡椒」は形からだと思うが、「神楽南蛮」の由来はわからない。「かぐらなんばん」という表示の多い長野県中野市で「『ぼたんごしょう』とも言うよ」と教わったので、呼び名が違うだけで、まったく同じ品種なのだと思われる。飛びっきり辛いのもあり、あまり辛くないものもありで辛さはまちまちである。今年は長野県中野市オランチェ(直売所)、飯綱町の直売所で買っているが、ふたつともあまり辛くない。年々辛みに弱くなっているのでちょうどいいかも。

イタリアナスはイタリア語でVioletta di Firenze と言うらしいと、近所のオバチャンが調べてくれた。最近、やっちゃ場(青果市場)では在り来たりな野菜らしい。初めて来たときは飛びついたが、今は安いときだけ買う。近所のスーパーにもあって、かなりお高かった。八王子総合卸売センター、八百角ではなく普通の店で買うと高いのだろうな。これをツムブリとソテーしたら、丸ナスとか普通のナスよりも上、とまでは言えないけど、切身のふんわり感にナスのふんわり感がとても調和してよかった。要するにツムブリを多めの油でソテーすると、うま味と、焦げた風味がじわりと出る。それを少しだけふんわりしたイタリアナスが吸う。なんだか食べでがあるし、一気に食べてしまうだけの魅力がある。昼に、これと凍頂烏龍茶だけで、夜まで間食なしで過ごせた。腹持ちのいいナスである。本当の主役はツムブリなのに、脇役のはずの西村晃が目立っていたといった感じ。

中野市、長野市、飯綱町、信濃町の北信地方のナスといったら丸ナスである。実際、この地域のスーパーにも直売所にも、普通のナスもあるけど、地元で栽培されだろう丸ナスが幅をきかせている。新潟でもナスの分布域を調べたいけど、まだ実行していない。今現在新潟県の情報は妙高市新井の女性も丸ナスをよく食べていたということだけだ。長野県飯綱町の滝澤さんにも、信濃町の老人にも、中野市のそば屋さん、妙高市の女性にしても、基本的な料理法は油で炒める、である。実際、多めの油でソテーして、醤油をかけ回して食べると、やたらにおいしい。もちろんみそ汁に入れてもいいけど、油を使った料理に向いている気がする。■写真は丸ナスを青唐辛子の「ぼたんごしょう」と多めの油で炒めて醤油を回しかけたもの。

ミョウガの足のみそ汁をすすりながら暫し思ったこと。「ミョウガの足」は東京都八王子市やっちゃ場(青果市場)での呼び名で、高知県では「みょうがの茎」というらしい。八王子総合卸売センター、八百角で見つけると必ず買うもので、根本は少し硬いが赤茶色の花(?)の部分は柔らかい。ミョウガのみそ汁は毎日でもいいので、これをざくざく粗く刻んでだし(このときのだしは、アジ節/ムロアジ、さば節/ゴマサバに日高昆布)にぶっ込み、みそを溶く。ミョウガは物忘れもしそうだが、暑さ忘れも出来る。

エゴマの醤油漬けでご飯、というのがやたらに好きだ。醤油と胡麻油で1枚1枚漬け込んでいるだけの醤油漬けは、ご飯をどんどん消費していく。やめられなくなる。しかも夏を感じる味でもある。エゴマの独特の風味はエゴマの風味としか表現できない。青じそとの違いは葉に甘みがあることかも。そこがご飯に合う。

外気温は34度もあり、ベランダの温度計は38度などという日の、常備菜は十六ささげ(ジュウロクササゲ)と薩摩揚げをたいたものだ。十六ささげは八百屋の特売品だし、薩摩揚げはそろそろダメになりそうだったもので、日常生活というのは、実はこのような合理性によって営まれているのである。このとりたててうまいとも思えないものが、ないと寂しいのは米好きだからかも。米(ご飯)というのは多様な脇役を要するものなのだ。

スダチが1個100円以下になった記念に、スダチめも。まだ早すぎるのにスダチについ手が出てしまうのは、徳島県人だからか?明らかに自然破壊行為なので、罪悪感を感じる。それでも買ってしまうのは、スダチは料理に使って見た目がいい上に、関東のスーパーで簡単に手に入るためだ。念のためにボクは特に徳島にこだわっているわけではない。香酸柑橘類は好きなので、ライムもレモンも、カボスもへべすも、新姫、酸酢も、仏手柑、摘果した温州ミカンでもなんでも見つけると買う。スダチも徳島県産にはこだわらないで、神奈川県小田原産でも秦野産でもよければ買うので、多様性重視の香酸柑橘類好きである。スダチは種名からするとユズで、ユズの突然変異のようなものかも。植物の分類は非常に難解である、動物の数十倍系統分類が複雑で難しく、界門綱目科種とデジタルではなく限りなくアナログに近づいている気がする。ということでわけがわからない。しかも最近、亜種という考えかたが消滅している気がする。それでもボクはミカン科ミカン属ユズの亜種スダチと考えている。このスダチを初めて見て、味わった日はなんとなくおぼえている。たぶん小学校のときで柑橘類の研究をしていた伯父が持って来た可能性が高い。1960年代、それまで徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)ではあまり馴染みがなかったと思っている。初物は、こんこ(たくわん)にしぼって食べた気がする。今では寒冷な地以外どこでも作っているスダチだが、1960年代は徳島県内でも珍しかった。県内でも神山町が産地だが、吉野川沿いのボクの町からは非常に遠かった。だいたい四国の鉄道は×印で、しかも神山町には鉄道がない。例えば我が家から徳島市に汽車で出ると、急行で1時間前後で行けた。もし当時、神山町に行くとすれば、我が家のミゼットで3時間以上かかっていたのではないか。徳島県西部は本来ユズを盛んに使っていた。アジの姿ずしにもユズの果汁を使っていたくらいだ。こんなユズ度の高いボクの故郷もスダチのせいでユズ度が下がっている気がしている。以上とりとめもなく。

八王子総合卸売センター、八百角に売られていたものだ。八百角の店頭では「Aー菜」。台湾の野菜らしいが、確かに当地で食べたような気がする。レタスの仲間で、所謂、チシャである。見た目がボクの故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の「しゃえんじ(舎園地で、自家用の野菜を育てる小さな畑)」にあったチシャに似ている。

ツルムラサキは新しい野菜ではない。1980年代にはやっちゃ場(築地の青果市場)で見ているし、甲州街道沿いの野菜の直売所でも見ている。だれでも知っているといった野菜であってもよさそうなものなのに、八百屋ではいまだに小松菜の影に隠れて売れないといった存在である。ベトナム人のお姉さんなど「おいしいよ」と喜んで買って行くので、東南アジアなどの新しい野菜だと思って手が出ないのかも知れない。ルッコラ(ロケット菜)がたぶんだが戦前から作られていた古い野菜かも知れないのに、いまだに新しい野菜と誤解されているのに似ている。八百屋、スーパーなどで一般的なのは大量収穫しやすい、青ツルムラサキだ。ボクはこのままゆでてとんとんとたたき、納豆と一緒に食い食いしたりする。マヨネーズにも合う。

ボクの生まれ故郷、徳島県の旧美馬郡には吉野川右岸にボクの故郷、貞光町があり、対岸の左岸の美馬町には親戚がいっぱい暮らしていた。ボクの町は商業の町で、対岸は農業の町だった。対岸で目立っていたのがハッサク畑だった。その頃、香酸柑橘類のスダチは美馬郡にはなく、徳島県東部のものだった。美馬郡の柑橘類は柚子とハッサクだけだった、気がする。温州ミカンは買わなければいけないけど、ハッサクはただだったので冬から春にかけて来る日も来る日もハッサクの日々だった。当然、みかん類は3月くらいには終わるものと思っていた。ところが八王子総合卸売センター、八百角の店の前は黄色いミカンだらけなのだ。なんだこれはと聞くと、「美生柑よ、宇和ゴールドなの、おいしいよ」というので買ってきた。皮がぼてぼてするグレープフルーツのようなものだけど、グレープフルーツほど水分が多くない。クレープフルーツのような苦味がなく、甘味が少しだけ強い。すっぱいのが苦手なボクにも食べられる。それにリンゴ剥きした皮からいい香りがする。

冬(寒い時季の)の大根やかぶの葉は干す、というのは1980年に山形県の山間部の国道で野菜を売っていたバアチャンに教わった。実際に見せてくれたのは2005年、栃木県那珂川町のオバチャン(ボクと同じくらいの)で、びゅんびゅん木枯らし吹く中、洗った大根の葉を畳表に広げて、水分をきり、干し竿に渡して「からからにまで干すのよ」、とやってみせてくれた。土産に干し葉を頂いてきた。これと魚のあらなどを煮てもいいし、ヒジキと煮てもいい。みそ汁に入れてもいい。

滋賀県長浜市と近江八幡市の直売所とスーパーで春菊を買ってきた。無類の春菊好きなので、今旅で2束しか買えなかったのが、心残りである。2つとも中葉だと思うけど、葉の切れ込みが浅い。あまりにも慌ただしい日々だったので、今回は単にゆでて食べた。やはり滋賀県の春菊は、香りが高く、味わい深しだった。

南北に長い日本列島に暮らしているからだが、個人的に大根だけは季節を問わずあるといいなと思っている。F1(ハイブリットで2つの品種を掛け合わせている)が増えて、病害虫に強いものが生まれているのもあり、端境期がなくなっている。このF1のぜひはともかく、問題は、おろ抜きである。大根は1つのマルチ穴に数個ずつ種を蒔く。大きくなるに従い成長が悪いものを抜く、のだけど、この成長の遅いのが「おろ」じゃないかと思っている。本命の株は「おろ」がないと倒れやすい。「おろ」は大根栽培の縁の下の力持ちでもある。成長は悪いものの、主株には欠かせない「おろ」が役目を終えて抜かれてしまう。考えて見ると「おろ抜き」にも物語がある。この間引き菜とは別に、おろ抜き用に栽培しているなんてことはない、と信じたいので、以下はボクの最近感じたこと。おろ抜きの葉が柔らかくなってきている気がするのだ。ここ20年ほど、地方に行き大根が生えていると、もちろん栽培している方に断ってだが、葉を触らせてもらっている。F1だけかも知れないが、だんだん大根の葉が柔らかくなっている気がする。だいたい葉の棘もほとんど感じない。ひょっとしたら葉を収穫するのを考慮して品種改良しているのか? もしくはF1だから柔らかいのか。

温暖化が急激に進む今、この国は東南アジアなのだと思って暮らすべきかも知れぬ。もちろん伝統は大切にし、わずかに残っている季節をちゃんと感じたいが。八王子綜合卸売センター、八百角でローゼル(ハイビスカス Hibiscus sabdariffa)という花のつぼみを買う。ベトナム人のトウさんが「おいしいよ」というので買ってみた。塩漬けにしたら酸っぱくてしゃくしゃきしてビックリ仰天するくらいにおいしかった。非常に使える野菜である。

ミニなかぼすを八王子綜合卸売センター『八百角』で買った。果汁はともかく普通のかぼすよりも香りは数倍上だった。いろんな料理に使ったが素晴らしいったらありゃしない。国内の青果市場の大きいほど高い、という原則ほどつまらないことはない。おかしいんじゃないと思っている。もっと普通にミニかぼす買えるようにならないかな?さて、念のため。水産生物の食べ方も多種多様でなければならないが、野菜もそうだと思っている。地球上の全生物が危険なのだから、既成概念などぶっ飛ばさないとだめだ。ときどき八百屋で思う事は、夏にほうれん草、夏に小松菜、夏に白菜や止めた方がいいということ。空心菜、ヒユナ、ツルムラサキ、ニガウリ、カボチャの茎などなど本来東南アジア・沖縄で作られていた、売られていた野菜が、今や関東でも作られているし、売られているのだからそっちを使おうよ。夏にアブラナ科の植物を作ってなんの意味がある。ほうれん草もしかりだ。テレビや雑誌などに出ている料理研究家ってバカだねと思うのは、この季候をおもんばかって料理を考えていないだろうということ。これはマスコミも悪い。バングラデシュ人がバングラデシュよりも何倍も暑いと言わしめる、この国の実情をわかっているのかね。いかん! 話がそれたが、要するにいろんな野菜、果物を季候に合わせて食べようぜ、ということ。