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外気温は34度もあり、ベランダの温度計は38度などという日の、常備菜は十六ささげ(ジュウロクササゲ)と薩摩揚げをたいたものだ。十六ささげは八百屋の特売品だし、薩摩揚げはそろそろダメになりそうだったもので、日常生活というのは、実はこのような合理性によって営まれているのである。このとりたててうまいとも思えないものが、ないと寂しいのは米好きだからかも。米(ご飯)というのは多様な脇役を要するものなのだ。

スダチが1個100円以下になった記念に、スダチめも。まだ早すぎるのにスダチについ手が出てしまうのは、徳島県人だからか?明らかに自然破壊行為なので、罪悪感を感じる。それでも買ってしまうのは、スダチは料理に使って見た目がいい上に、関東のスーパーで簡単に手に入るためだ。念のためにボクは特に徳島にこだわっているわけではない。香酸柑橘類は好きなので、ライムもレモンも、カボスもへべすも、新姫、酸酢も、仏手柑、摘果した温州ミカンでもなんでも見つけると買う。スダチも徳島県産にはこだわらないで、神奈川県小田原産でも秦野産でもよければ買うので、多様性重視の香酸柑橘類好きである。スダチは種名からするとユズで、ユズの突然変異のようなものかも。植物の分類は非常に難解である、動物の数十倍系統分類が複雑で難しく、界門綱目科種とデジタルではなく限りなくアナログに近づいている気がする。ということでわけがわからない。しかも最近、亜種という考えかたが消滅している気がする。それでもボクはミカン科ミカン属ユズの亜種スダチと考えている。このスダチを初めて見て、味わった日はなんとなくおぼえている。たぶん小学校のときで柑橘類の研究をしていた伯父が持って来た可能性が高い。1960年代、それまで徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)ではあまり馴染みがなかったと思っている。初物は、こんこ(たくわん)にしぼって食べた気がする。今では寒冷な地以外どこでも作っているスダチだが、1960年代は徳島県内でも珍しかった。県内でも神山町が産地だが、吉野川沿いのボクの町からは非常に遠かった。だいたい四国の鉄道は×印で、しかも神山町には鉄道がない。例えば我が家から徳島市に汽車で出ると、急行で1時間前後で行けた。もし当時、神山町に行くとすれば、我が家のミゼットで3時間以上かかっていたのではないか。徳島県西部は本来ユズを盛んに使っていた。アジの姿ずしにもユズの果汁を使っていたくらいだ。こんなユズ度の高いボクの故郷もスダチのせいでユズ度が下がっている気がしている。以上とりとめもなく。

八王子総合卸売センター、八百角に売られていたものだ。八百角の店頭では「Aー菜」。台湾の野菜らしいが、確かに当地で食べたような気がする。レタスの仲間で、所謂、チシャである。見た目がボクの故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の「しゃえんじ(舎園地で、自家用の野菜を育てる小さな畑)」にあったチシャに似ている。

ツルムラサキは新しい野菜ではない。1980年代にはやっちゃ場(築地の青果市場)で見ているし、甲州街道沿いの野菜の直売所でも見ている。だれでも知っているといった野菜であってもよさそうなものなのに、八百屋ではいまだに小松菜の影に隠れて売れないといった存在である。ベトナム人のお姉さんなど「おいしいよ」と喜んで買って行くので、東南アジアなどの新しい野菜だと思って手が出ないのかも知れない。ルッコラ(ロケット菜)がたぶんだが戦前から作られていた古い野菜かも知れないのに、いまだに新しい野菜と誤解されているのに似ている。八百屋、スーパーなどで一般的なのは大量収穫しやすい、青ツルムラサキだ。ボクはこのままゆでてとんとんとたたき、納豆と一緒に食い食いしたりする。マヨネーズにも合う。

ボクの生まれ故郷、徳島県の旧美馬郡には吉野川右岸にボクの故郷、貞光町があり、対岸の左岸の美馬町には親戚がいっぱい暮らしていた。ボクの町は商業の町で、対岸は農業の町だった。対岸で目立っていたのがハッサク畑だった。その頃、香酸柑橘類のスダチは美馬郡にはなく、徳島県東部のものだった。美馬郡の柑橘類は柚子とハッサクだけだった、気がする。温州ミカンは買わなければいけないけど、ハッサクはただだったので冬から春にかけて来る日も来る日もハッサクの日々だった。当然、みかん類は3月くらいには終わるものと思っていた。ところが八王子総合卸売センター、八百角の店の前は黄色いミカンだらけなのだ。なんだこれはと聞くと、「美生柑よ、宇和ゴールドなの、おいしいよ」というので買ってきた。皮がぼてぼてするグレープフルーツのようなものだけど、グレープフルーツほど水分が多くない。クレープフルーツのような苦味がなく、甘味が少しだけ強い。すっぱいのが苦手なボクにも食べられる。それにリンゴ剥きした皮からいい香りがする。

冬(寒い時季の)の大根やかぶの葉は干す、というのは1980年に山形県の山間部の国道で野菜を売っていたバアチャンに教わった。実際に見せてくれたのは2005年、栃木県那珂川町のオバチャン(ボクと同じくらいの)で、びゅんびゅん木枯らし吹く中、洗った大根の葉を畳表に広げて、水分をきり、干し竿に渡して「からからにまで干すのよ」、とやってみせてくれた。土産に干し葉を頂いてきた。これと魚のあらなどを煮てもいいし、ヒジキと煮てもいい。みそ汁に入れてもいい。

滋賀県長浜市と近江八幡市の直売所とスーパーで春菊を買ってきた。無類の春菊好きなので、今旅で2束しか買えなかったのが、心残りである。2つとも中葉だと思うけど、葉の切れ込みが浅い。あまりにも慌ただしい日々だったので、今回は単にゆでて食べた。やはり滋賀県の春菊は、香りが高く、味わい深しだった。

南北に長い日本列島に暮らしているからだが、個人的に大根だけは季節を問わずあるといいなと思っている。F1(ハイブリットで2つの品種を掛け合わせている)が増えて、病害虫に強いものが生まれているのもあり、端境期がなくなっている。このF1のぜひはともかく、問題は、おろ抜きである。大根は1つのマルチ穴に数個ずつ種を蒔く。大きくなるに従い成長が悪いものを抜く、のだけど、この成長の遅いのが「おろ」じゃないかと思っている。本命の株は「おろ」がないと倒れやすい。「おろ」は大根栽培の縁の下の力持ちでもある。成長は悪いものの、主株には欠かせない「おろ」が役目を終えて抜かれてしまう。考えて見ると「おろ抜き」にも物語がある。この間引き菜とは別に、おろ抜き用に栽培しているなんてことはない、と信じたいので、以下はボクの最近感じたこと。おろ抜きの葉が柔らかくなってきている気がするのだ。ここ20年ほど、地方に行き大根が生えていると、もちろん栽培している方に断ってだが、葉を触らせてもらっている。F1だけかも知れないが、だんだん大根の葉が柔らかくなっている気がする。だいたい葉の棘もほとんど感じない。ひょっとしたら葉を収穫するのを考慮して品種改良しているのか? もしくはF1だから柔らかいのか。

温暖化が急激に進む今、この国は東南アジアなのだと思って暮らすべきかも知れぬ。もちろん伝統は大切にし、わずかに残っている季節をちゃんと感じたいが。八王子綜合卸売センター、八百角でローゼル(ハイビスカス Hibiscus sabdariffa)という花のつぼみを買う。ベトナム人のトウさんが「おいしいよ」というので買ってみた。塩漬けにしたら酸っぱくてしゃくしゃきしてビックリ仰天するくらいにおいしかった。非常に使える野菜である。
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