
神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置にまた「ごっそり」がまとまって入り出した。「ごっそり」は平均して1尾90g以下のイサキのことである。今回のものは小は60g、大は110gで大きさにばらつきがある。大きさが微妙に違っているし、量的に多すぎるので出荷できない。最近ではこれを買い受ける人(買える店)があるにはあるが、ほぼダンベ(大型容器)行きである。「ごっそり」は非常においしい、しかも安いので飛ぶように売れてもいいはず。なのに売れないのは消費者が無知だからだ。米の価格を騒ぐよりも、安くてうまいものを買うべし、なのだ。さて、「ごっそり」といえばまずは刺身である。イサキの特長は小さくても脂があること。「ごっそり」の刺身には脂の口溶け感からくる甘味があり、しかもうま味が豊か。これでご飯を食べると一升飯といったものだ。ちなみに刺身はごっそり作り、そのまま食べるだけ食べて、あとは醤油・みりんに漬け込んで置く。

コノシロは北海道南部から九州までの汽水域や内湾に生息している。内湾にたまった泥を飲み込み、中にいる珪藻や甲殻類などを食べている。「子代」という漢字を当てることがある。下野に住んでいた娘と有間皇子(ありまのみこ。孝徳天皇の悲劇の皇子。640年-658年)が登場するわざとらしい話があるなど、話題豊富な魚である。大都市圏のある内湾域に多い魚なので知名度は高い。古くからの共通固有名詞があるので、なんらかの形で古代に流通していたはずである。この魚の問題点は食べる地域が狭すぎるということだ。関東では全長20cmくらいまではすし種に使うが、それ以上になると流通量がぐっと減り、最底辺の価格帯になる。当然、産地で水揚げされても廃棄(フィッシュミール)などになることが多い。■写真は全長25cm以上の「このしろサイズ」のコノシロ。

日本列島のエイの食文化には北のガンギエイ科の「かすべ」と、南のアカエイ科がある。今回はアカエイの話である。アカエイは北海道、本州、四国、九州の内湾や川の河口域などの浅場に生息している。夏、干潟や漁港などで観察していると簡単に見つけることのできる、ありふれた魚だ。非常に原始的な軟骨魚類の仲間で、体に硬い骨はなく、全体に柔らかい。体は上下に平たく円盤形で細長い尾を持ち、尾の中ほどに太くてざらざらした棒状の毒を持つ棘がある。ちなみにアカエイはとても大人しい魚であり、攻撃してくるようなことはない。また誤って刺された経験のある漁師さんに聞いた限りでは、非常に痛かったが、数日で痛みは引いたらしい。棘を踏んでしまったときなどは確かに危険であるが猛毒で人を死に至らしめる、というのは極端な例である。市場に出回るものは棘のある尾を切り落としているので安全である。目は背中についていているが一見、目のように見えるのは噴水口で目は近くにあるが目立たない。鰓と口は体の下に開いている。1980年代に築地(東京都東京中央市場。現豊洲市場)に行き始めたとき、箱単位で売る仲卸に高く積まれていたのを見ている。場内でアカエイをぶつ切りにしている光景を見て、メモをとっていたら、「買わねーのか?」と言われたので、買っている。それ以前、江戸川区小岩の食堂で煮つけを食べているし、魚屋やスーパーで切り身が普通に売られていた。東京都内では「えいの煮つけ」は至って普通の食べ物だったのである。東京では食堂など庶民的な店だけではなく、料亭などでも使うもので、夏の魚として欠かすことの出来ない魚であったという。江戸時代には適当に切って行商していたようで、これを「赤えいのたちうり(断ち売り)」といった。どんな切り身だったはわからないが、裏長屋での売り買いの情景が浮かんでくるようだ。夏でも体に保持する尿酸のために腐敗しにくいために、江戸の町だけではなく、山間部にとっても貴重なたんぱく源であったはずだ。明らかに高度成長期には「アカエイの煮つけ」は「カレイの煮つけ」と同じように日常的な魚だった。一般に馴染みのない魚となったのは2000年前後くらいからではないか、と思う。アカエイの未利用魚化を食文化衰退型としてもいいだろう。関東のスーパーなどではほとんど並ばなくなっている。比較的見る機会が多い地域と少ない地域が斑模様となっているが、全体の消費量は急激に減っている。アカエイを食べる食文化が消費地から消え、いつの間にか普通の食用魚ではなくなりつつあるのだ。この食文化衰退の原因をアカエイが不気味だからだという人がいる。そう行ったリアクションをするタレントなども見かけるが、牛や豚と比べてもそれほど不気味だとは思えない。昔はアカエイ専門の空バリ漁が国内各地で行われていた。それほど需要が高かったのだと思われる。今では底曳き網や刺し網、定置網などで混獲されているだけだ。それでも漁獲量は決して少なくない。漁港などで見ている限り、その多くが廃棄されている。

オニカジカは体長30cm前後になる。北にいる魚で日本海や東北太平洋側以北に生息しているが、取り分け北海道に多い。本種の問題点はその姿形である。非常に棘が長く強く、漁のときに非常にやっかいなのである。漁師にもっとも嫌われている魚でもある。いきなり横道にそれるが、国内では、西日本においては、そんなに問題のない魚なのに、未利用魚だとしてあれこれ騒いだりする。逆に北海道に深刻な未利用魚が多々あるのにあまり騒がない。これがお国柄なのか? というと違うのではないかと考えている。北海道は大量にとれる魚が何種類もいて、漁業的にも安定していた地域だったので、細かいことまで気が回らなかっただけだ。サケ、スケトウダラ、カレイ類、今では少なくなったとはいえニシンなど、数え切れないくらい多獲性魚類やそれに準じる魚が存在する。その多獲性魚類のために見逃されてきた深刻な未利用魚、問題のある魚は少なくない。実際、国内的にみても、北海道は未利用魚銀座そのものなのだ。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。テナガダラはとてもおいしい魚だがまとまってとれることがなく、しかも見た目が不気味なので正しい評価がなされてこなかった。またその必要もなかった。ただ、北海道苫小牧のように大量にとれたら、一刻も早くこのおいしさを伝え、売れる魚にしなくてはならない。全長70cm前後になる黒一色の魚で北海道以南の深海に生息している。生息域はともかく、北海道や三陸であまりとれたという話は聞かなかった。むしろ駿河湾から遠州灘、熊野灘、土佐湾などでお馴染みの魚である。まとまってとれないが、味のよさはそこそこ知られている。静岡県沼津などの競り場で見ていても、引き取り手はいるものの、好んで持って帰りたいという人は少ないという微妙な魚でもある。それなりに馴染みのある駿河湾以南ですら微妙な魚なのに、苫小牧のように、一度も出合ったことのない地域でテナガダラがいきなりトン単位でとれたら漁師さんも困ると思う。苫小牧では当然、地元での呼び名がないので標準和名を使うしかない。漢字にすると「手長鱈」だが、どこが手なんだろう、と思うはずだ。手は胸鰭である。胸鰭まわりの骨格と筋肉が脊椎動物が陸上に上がるときに前足、すなわち手になることから来ている。広い意味ではタラの仲間で、分類学的にはタラ目ソコダラ科トウジン属の魚である。トウジン属の中では胸鰭が取り分け長いので「手長鱈」だ。トウジン属の魚は関東などにくると、みな「トウジン」で取引されてもいる。魚体のほとんどが頭と腹でまるで巨大なオタマジャクシのようだ。その上、体がトゲトゲしくて扱いにくいのもあり、見た目で損をしがちである。怪異な姿が先に立ち、見た目が似ているので、流通上で同定できないのもある。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。未利用魚として問題になるダツとは、標準和名のオキザヨリとテンジクダツと、ダツの3種である。とりわけ前2種が深刻である。国内海域にいるダツ科の魚は、サンマ、ハマダツ、ヒメダツ、ダツ、リュウキュウダツ、タイワンダツ、オキザヨリ、テンジクダツと8種類である。需要が高く水揚げ量の多いサンマ以外はすべての魚が未利用魚である。ハマダツは本州青森でも見つかっているが、いまだに四国、九州以南に多く、全国的にみてそれほど問題のある存在ではない。ヒメダツ、リュウキュウダツ、タイワンダツも国内では比較的珍しい。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。魚類を調べ始めたときの、魚類学事始めは魚類図鑑を暗記することだった。そこから人と関わりのない魚を捨てる作業をしたが、カタボシイワシは捨てたことすらおぼえていなかった。国内では非常に影の薄い存在でしかなかった。鹿児島県南さつま市笠沙の漁師で魚類学者の伊東正英くんから2005年に「突然、大量にとれ始めたんです」といって、送られてくるまで、魚類検索の絵でしかなかった。1955年の『魚類の形態と検索』(松原喜代松 岩崎書店 1955)に新称とあるが、このときの個体は標本として残っていない。1955年なので、いまだに1945年以前の標本である可能性があり、台湾の個体である可能性も捨てきれない。とすると、南さつま市笠沙で見つかった個体が、国内海域初の個体である可能性もある。カタボシイワシはニシンの仲間(ニシン目ニシン科サッパ属)でニシンに似ているが、触るとニシンより左右に平たく、体がニシンよりも硬い。カタボシイワシなどサッパ属の特徴は魚の体の底部分に棘のある鱗が並んでいることだが、この部分がとても刺々しい。インド洋、インドネシアからオーストラリアと生息域の広い魚である。国内では1955年以前には標準和名がなかった。これが2012年には相模湾にも現れ、2021年には千葉県鴨川市でも見つかっている。ちなみに、2005年前後に鹿児島県に現れる以前、1900年から2000年にかけて国内では採取されていなかったようだ。(『千葉県から得られた分布東限記録のニシン科魚類カタボシイワシ』畑晴陵 、佐土哲也、中江雅典)。この謎だらけの魚が国内で大量に揚がるとどうなるか? すでに見つかって20年以上になるのに流通上ではほとんど見ることがないのだ。かといって無視できる量ではない。他の魚に混ざる程度ならいいが、トン単位で未知の魚が揚がるととてもやっかいである。ほぼ魚粉などになり、直接人の口に入らないという意味で2025年現在明らかに未利用魚である。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。低価格で安定しており、小型はまったく取引の対象になっていないという意味で、シイラはもっとも深刻な未利用魚である。シイラは世界中の暖かい海域に生息する、生きているときはコバルトグリーンに輝く美しい魚である。ヘミングウェーの『老人と海』に登場することでも有名である。成長すると2メートルにもなり、その形はスケートボードのようで左右に極端に平たい。温かい海域を回遊していて、小さな時には甲殻類を、大きくなると魚を主に捕食する肉食魚である。世界中の温帯域と熱帯域にいる魚だ。国内では本州の温かい海域に生息していたが、温暖化で今や北海道に生息域を北上させている。生息域の広がりと、とれる時季が長くなっているので、水揚げ量も増えているはずである。魚へんに暑いと書いて鱪である。夏の魚で夏にとれる魚であった。これが東北、北海道でこそ夏の魚であるが外房以南では周年見られるようになっている。北海道など夏にサケがとれなくなり、シイラが大どれという悲劇的な状況になっている。サケはどんなに豊漁でも需要が高く、お金になるが、シイラは十分なお金を生み出さない。■写真は売りにくい全長1m以下の小型。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。ゲンゲという言葉から説明しないとだめだろう。明らかに一次的魚名(それ自体には意味がない)だが、「げ」には明らかに漢字「下」に通じるところがあり、この漢字を「げ」と読ませるのも低級であるとか、まずいとか、お金にならないとかの意味があるだろう。漢字にすると「下下」である可能性もある。ゲンゲ科(スズキ目ゲンゲ亜目ゲンゲ科)の魚は比較的海水温の低いところに生息している。細長く背鰭・尾鰭・臀鰭が繋がっていて、すべてぶよぶよしているのも特徴である。数え切れないほど多くのゲンゲ科のゲンゲが存在している。■写真上、シロゲンゲ、下、カンテンゲンゲ。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。高知県や徳島県で、「赤じゃこ」とか「はりめ」と呼ばれている煮干しが作られている。原材料はスズキ目テンジクダイ科のネンブツダイとクロホシイシモチである。でもほとんどの地域で直接人の口に入らないという意味での低価格魚。釣り人にとっては釣れて釣れて困るという意味での嫌われ者である。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。「問題のある魚」の「問題」は臭いだろう。雑食性の魚は多かれ少なかれ臭味がある。腸管が長いのも共通点だと思う。臭味のある魚としてはイスズミ科、アイゴ科、ニザダイ科、タカノハダイ科、マンジュウダイ科(ツバメウオ類)などが揚げられるが、イスズミ科、アイゴ科が量的にいってもいちばん深刻だと思っている。中でも臭い問題でもっとも難易度が高いのがイスズミ科の魚だ。国内にいるイスズミ科にはコシナガイスズミ属とイスズミ属の2属があるが、問題なのはイスズミ、ノトイスズミ、ミナミイスズミ、テンジクイサキの4種がいるイスズミ属である。もともとは関東海域までの魚だったが、今や東北でも見られるようになっている。種としては圧倒的にノトイスズミが多いものの、この4種の総称としてイスズミを使いたい。もちろん臭味のない個体もいるが、この4種は、かなり高い確率でとても臭くて食べるに耐えられない個体がいる。また海藻を食べる魚なので磯焼け(海藻類が消滅すること)の原因である可能性もある。磯焼けは温暖化とも相まってこれからますます深刻になるだろう。海藻自体の消滅も問題だが、海藻がなくなると生物の再生産の障害ともなる。原因を取り除くという意味では、本種の利用を考えずにはいられないと思う。ときどき冬のイスズミ(イスズミ属)は臭くないという人がいるが、それは産地での話、とってすぐに食べるからだ。翌日、翌々日に食べ手に渡る消費地の話ではない。昔、東京都八丈島で釣りました、「今(12月)なら食べられるから」と、送ってもらったものも、取り出してみると臭味が出ていたことがある。臭味がない固体もいるが、例えば50固体に1固体臭いだけでも流通は難しいと思う。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。ミギガレイはカレイ科の小型の魚だ。北海道南部から九州までの日本海と、これまた北海道南部から千葉県銚子市あたりの、やや深場に生息している。韓国沿岸にもいるが、ほとんど日本固有種といっても間違いではない。カレイ科の中でもっとも小さく、育っても全長25cmくらいにしかならない。高級カレイのマコガレイが全長50cm以上になることからも小ささがわかると思う。ミギガレイという標準和名はどうにも馴染めないでいる。カレイの仲間(カレイ目カレイ科)は、海底に体の左側つけて暮らしている内に、海底についている方の目が、つけていない右側に移動してきた。目が右にしかないという不思議な生き物である。遙か昔々は普通の魚の姿をしていたのが、なぜこんな姿に変身してしまったのか? は神のみぞ知る、だ。ミギガレイは漢字にすると「右鰈」であるが、姿形に「右」を探しても、どこにも「右」に思える部分はない。カレイ科の魚全種が基本的に2つ目がとも右にあるのが特徴なので、目が右にあるから本種の標準和名の意味が「右」なのだ、としてら、これもまた変なのだ。記載は、20世紀の初め頃、国内の魚をたくさん記載したことで有名な、アメリカの魚類学者、デイビッド・スター・ジョーダンとエドウィン・チャピン・スタークスである。学名(基本的にラテン語)には属名と小種名がある。属名が人の苗字だとしたら、小種名は名前である。このカレイの属名(苗字)のラテン語の意味が「右」なので、苗字、Dexistes は「右」さん、なのである。ついでに小種名(名前)、rikuzenius、は「陸前」で、宮城県陸前にあたる松島で揚がったもので記載さたための名前だ。この属名の「右」からミギガレイになった。標準和名を決めたのは、ジョーダンらと関わりの深い、田中茂穂である可能性が高いが、本種の特徴をまったく鑑みない標準和名はいただけない。福島県相馬市で「にくもちがれい」、岩手県では「目玉がれい」という。ミギガレイの仲間、ミギガレイ属にはミギガレイ1種しかいない。ミギガレイは天涯孤独なカレイなのである。

多くの人(一般人)が、未利用魚とは、とっても焼却処分にしてしまうとか、埋め立てに使うとかする魚だろうと思っているはずだ。そんなものあるんだろうか?ほとんどないはずである。今問題になっている魚は、未利用魚としながら、未利用ではない、魚たちだ。水産庁のホームページを見てみる。〈水産物の流通過程においては、魚体のサイズが不揃いであったり、漁獲量が少なくロットがまとまらないなどの理由から、非食用に回されたり、低い価格でしか評価されない、いわゆる「未利用魚」が発生しています。しかしながら、近年、この未利用魚を有効活用しようとする動きが広がっています。未利用魚の活用は、食べ物を粗末にしない、資源を無駄なく利用していこうという点で、「MOTTAINAI」の精神につながるものです。また、これまでは採算が合わないということで有効利用されていなかった未利用魚を、関係者の創意工夫や加工技術により商品化することで新たなビジネスチャンスにつなげている事例もみられます。産地の手取りの向上、魚介類の消費拡大を通じた食料自給率の向上のためにも、水産物の生産から流通、消費に至る各段階の関係者の積極的な取組が重要です。〉抜粋すると。1、魚体のサイズが不揃いである。2,漁獲量が少なくロットがまとまらない。3、非食用に回されたり。となると、未利用魚とは、利用魚そのものだとなる。魚食普及センターとはいったいどのような団体なのかわからないが、ホームページを見ると。1、価値がない・価値が低いので「低利用魚」2、目的の魚に混じるので「混獲魚(コンカクギョ)」3、雑多に獲れるので雑魚(ざこ・じゃこ)4、メジャーでないので「インディーズフィッシュ」。「MOTTAINAI」とはなんだろう? 「インディーズフィッシュ」とはなんだろう? 初めて聞く言語だ。このような低級な流行り言葉や、低級な言語は作らない方がいい。言語を勝手に作り出すのは世の中にとってマイナスである。ちなみに水産庁の「1、魚体のサイズが不揃いである。」・「2,漁獲量が少なくロットがまとまらない。」と、魚食普及センター「2、目的の魚に混じるので『混獲魚(コンカクギョ)』」・「3、雑多に獲れるので雑魚(ざこ・じゃこ)」は同じかも知れない。でもこれは20年くらいまえから、水産荷受け(大卸)で入合(何種類かの魚を混ぜて流通させる)を増やすなどで、やっていることで、目新しくない。また水揚げ港でもいろんな努力が行われている。水産庁と魚食普及センターはこの分野では新参者である。この流通上に行われている努力を無視しているかのようだ。個人的には長年取り組んでいる多くの産地や水産流通を無視して、今更なにを言っているんだろうと思う。水産庁の「3、非食用に回されたり。」は魚粉になるということで、家畜の餌になることだろう。これなどむしろ、利用されている魚といえそうである。ただ、ここでわかることは未利用魚は廃棄する魚ではないということだ。未利用魚とは、水産庁・魚食普及センターによると、安い魚、売れ残りやすい魚、クセのある(臭味がある)のでで売れない魚、直接人間の口に入らない魚、ということになる。お金にならないと言い換えてもいい。未利用(廃棄する)の魚ではなく、お金にならない魚と言い換えた方がわかりやすい。なぜならより多様な魚をお金になるようにする、ということは、漁獲物の無駄がなくなるということだからだ。未利用魚ということを考えるなら日本全国の魚の嗜好や価値観、古い食文化、新しい食文化を考えないといけないけど、そんなことはどこにも出てこない。このあたりも実に残念でなならない。続く!

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。本州以南、赤道を越えてオーストラリア沿岸までの広い生息域をもつ。浅い沿岸域にいて海藻など植物でも、甲殻類や小魚などでも、なんでもかんでも食べる雑食性の魚である。雑食性なのでやたらに腸管が長い。この長さが臭味の原因でもあり、珍味でもある。尾鰭と胸鰭以外の鰭に強く鋭い棘があり、毒がある。刺されると、ボクの場合、9時間くらい苦しんだ。海藻を食べるので、磯焼け(海藻がなくなり、石灰藻などがはびこる)の原因とも言われている。本当はアイゴが悪いのではなく、悪いのはヒトなのに可哀想な魚である。沖縄以南、西太平洋ではときどき高値がつく魚でもある。人気があるので養殖の研究もしている。西日本各地で人知れず人気がある魚でもある。沖縄の郷土料理、「まーす煮」など非常にうまいし、干ものなど絶品だと思う。基本的に魚類中もっともうまい魚でもある。さてアイゴは未利用魚なのか? どうも行政と、未利用魚の専門家と言われている無知な人達が作り出している、わざわざ未利用魚にさせられた魚だ、と言っておきたい。最初から臭味のことを出してくるが、この未利用魚に関わりを持つ人達よ、徹底的にアイゴを食べたことがあるんかい、と言いたい。産卵期のアイゴは信じられないくらいいい加減な扱いをしても比較的臭味がないし、この夏のアイゴはとても脂がのっている。手のひらサイズの若い個体は瀬戸内海の一部では高級魚なのだ。アイゴを食べていない愚か者は未利用魚を語るなかれ。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。今や青森県でも揚がっているが希で、太平洋側では房総半島、日本海側では能登半島以南で水揚げが多い。尾に近い部分に大きな棘が並んでいることと、鱗が皮膚と一体化してサンドペーパーのようになっているのが特徴である。浅い岩礁域に多く、雑食性で石灰藻や甲殻類などを食べている。腸が長く複雑なのは雑食性だからかも。過去に体長50cmという、釣り人がモンスターというのに出合っている。なーんだそんなに大きくない、と思ってはいけない。マサバの50cmとニザダイの50cmは大違いなのである。いきなり渡されたときにあまりの大きさにビックリ仰天している。銭州(伊豆半島の真南にある岩礁域で大物釣り場として有名)で釣った本人はシマアジのつもりが「さんのじ(ニザダイ)」が来てがっかりしたようだ。ちなみにニザダイは魚類の中でももっとも「釣り味」のいい魚(釣って引きがよく面白い魚)だとされている。釣ったものの、なんの処理もしていないので、食べる気にもなれなかった。要するに釣っても、突いても、網(定置網)でとっても、後の処理が悪ければ食べられたものではないということだ。特に腸管の長いニザダイ亜目の魚である本種、アイゴなどはできるだけ早く内臓をとってしまうことだ。また海域によっては臭い個体がいるが、逆に臭味のない個体のいる海域もある。このあたりの見極めも重要である。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。ミシマオコゼ科という見た目の悪い、マイナーな魚群の中では比較的水揚げの多い魚である。太平洋沿岸でも水揚げがあるものの、本州日本海側での水揚げが圧倒的に多い。太平洋側ではあまりまとまってとれないので未利用魚ではなく、日本海側の未利用魚と考えるとわかりやすい。砂地にいる魚のなかでは比較的大きくなる。当然、目立つ、だけれど人気がないという魚である。色や姿は途方もなく悪い。見た目からして手が出ない。見た目が悪い魚ほどうまいというけれど、味も今ひとつおいしいとは思えない。しかもこのミシマオコゼ科にはミシマオコゼがいる。こちらも売れない魚ではあるが、同じように並べて同じように調理すると、どうにもこうにもアオミシマに箸が伸びない。身に味がないのである。味が劣るので売れない、使われない未利用魚である。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。今回の主役は「がや(エゾメバル)」だ。この魚は選択的な魚食による未利用魚(「選択的」はできるだけ大きな、できるだけおいしい魚を求めるである。利用されているものの安すぎるのだ。石川県や宮城県以北の比較的浅い海域にいるメバルの仲間で、水揚げ量が圧倒的に多いのは北海道である。北海道や青森県のメバル類(中型のメバル属)の水揚げ量は、基本的に専門漁がないので不明である。メバル類の種類は非常に多いものの、メバル類では日本海のウスメバルくらいしか専門の漁はなく中には標準和名不明のまま処理されている種さえある。エゾメバルなど種名がわかっているだけでもいい方だ。上質の白身でくせがない。身質がいいので煮ても焼いてもそこそこおいしい。ある意味、食用魚界の優等生といった魚なのである。料理の仕方によっては非常においしい魚でもある。残念なことに最近、この上品な白身が嫌われ始めている。メバル類の優等生であったウスメバルさえ、他の魚の価格が急激に上昇しているときに高級魚ではなくなっている。本種で問題なのは大きくても安く、小さいと、競り場などでは厄介者であることだ。今現在の、同じ用途の資源(魚)があるのに、大西洋やアメリカアラスカから同じ用途の資源(魚)が輸入されている。アメリカのナガメバル、大西洋のタイセイヨウアカウオなどなどを手に取るときには、少しは温暖化などのことを考えて欲しいものだ。この資本主義的な現状は「資源を無駄なく使い。エネルギーを節約する」というSDGs(エスディージーズ)の考え方に反している。今、SDGsという言葉を本気で使っている人間をひとりも見ていない。バカ丸出しなのはオシャレだから使っているという愚か者までいる。言葉は意味がわかって使わなくてはならないのに、マスコミすらちゃんと使っていない。裏ネタだが、SDGsを歌っているタレントが馬鹿でかい車に乗っているそうである。せめて軽に乗ってからSDGsをうたって欲しい。嘘つきはいかんよ、と言いたい。

さて、未利用魚、未利用魚と騒がしいが、未利用魚がわかっている人いるんだろうか。ということで、未利用魚の基礎知識を始める。ちなみに未利用魚の問題点は巨大なデータを見て初めてわかるが、国内を見渡す限り、どこにもそんなものはなく、あえて言えば我がサイトが一番大きい。当然国内各地で聞取をする必要があるが、例えば漁業者に聞いてもいいが、買受人(大卸・仲卸)、小売業の話も重要であり、消費者も重要だということを忘れている人がいる。むしろいちばん未利用魚がわからないのは行政、そして漁業者かも知れないという現実も知るべきだ。最近、未利用魚にマイナー魚を加えるなど、驚くほどのバカ丸出しなことをいうヤカラまでいる。また、魚価を知らなければ、未利用魚はわからない、が、そのためには、日常的に魚を買っていないとダメだが、そんな人間見た事がない。今回の主役はサメである。また未利用魚は漁業者だけの話ではなく、そのバックヤード、魚の利用者(加工業者)の話だということを語っておきたい。写真の物体を間違っても「薩摩揚げ」などと言ってはならない。最近、「薩摩揚げ」と呼ばれているすり身を揚げたものは、もともとは東南アジアから台湾、そして沖縄から鹿児島(薩摩)にやってきたのだと考えている。東京には鹿児島から伝わった、それで東京では「薩摩揚げ」と呼ぶ。それを愚かにも一般用語化してしまったのだ。最低限、鹿児島県人にだけは「つけ揚げ」と言って欲しい。さて、昔、このすり身を揚げたり蒸したりする業界が至って元気だった。産地での水揚げされた多種類の魚の最後の引き受け手だった。全国津々浦々にこの「くずしもの」と呼ばれる揚げ蒲鉾や蒸し蒲鉾、ゆで蒲鉾を作る店があった。鹿児島市内にも多くの業者があったことは、向田邦子(1929-1981)のエッセイにもある。今、大問題なのが、この「くずしもの」を作る業者が急激になくなっていることだ。生き残っている業者に共通点がある。地元の材料を使わないことだ。鹿児島県の「つけ揚げ」の材料として挙げられるものは、サメ類、ブリ、シイラなどである。安いものはなんでもよかったのかも知れない。これらなんでもかんでもすり身にして「つけ揚げ」にする業者が急激に消えて行っている。問題になるのは昔は引く手数多だったサメ類、シイラなどが未利用魚になることだ。そしていちばんの問題点はサメ類だとも言える。イタチザメ科のイタチザメ、メジロザメ科のスミツキザメ、ネズミザメ科のアオザメ、オナガザメ科のシロシュモクザメ、アカシュモクザメ、などなどだ。これら練り製品の衰退で生まれるものを「伝統的食文化衰退による未利用魚」としたい。

味で考えると、相模湾のタカサゴと、沖縄の「ぐるくん(タカサゴ)」とが同種とはとても思えない。これは熱帯域でのヨコシマサワラと、石川県産ヨコシマサワラとの違いに似ている。鮮度がいいと熱帯の方が透明感があり、きれいだ。ただし味は透明感がなく曇っている相模湾の方が格段にいい。脂は皮の直下に層を作り、身にも混ざり込んでいる。驚いたことに撮影していると、刺身の表面が室温でにじんでくる。口に入れるとほどよい食感が感じられ、舌の上に脂のざらっとしたものが残る。このざらっとしたものが脂である。一瞬、脂ののったイサキに似ていると思ったが、より濃厚な味だ。非常に味わい深く、舌の上で味が長続きする。わさび醤油よりも酢みその方が合うかも知れない。見た目はともかく味からすると、相模湾に新しいスターが誕生した、そんな気がする。このタカサゴをテーマとして、また小田原に行かねばならぬ。

東京都豊洲市場などを歩けばわかることだけど、マサバは大きいほど高い。基本的に大きいほど味がいいと思われているためだ。今回の手の平に余る程度のマサバなど豊洲の仲卸は見た事もないだろう。でも、ダンベに行かなくてよかったねと言いたい。小さいのであらと尾と切り放した身を汁にすると、なんとたった6切れの刺身でしかない。でもその切り口が室温でにじんでいるのである。口に放り込むと生意気にも口溶け感がある。しかもアミノ酸が複雑に絡みあったうま味が大きい。これは小さいけど大物といったところだろう。あなどっていてゴメンネ、といいたい。マサバは不思議だ。この極小さばに魚の目利きに既成概念などいらないよ、と言われているようだ。残念なことにマサバの良し悪しはボクにはわからない。魚の目利きは努力しても手に入らない能力なのだ。当分、カイんの前では子猫ちゃんでいたいな、と思う。

比較的硬く干すのがボク好みなので、ガスコンロの魚焼きグリルの前に立ち、出したり閉めたりしてこがさないように焼き上げる。みり干しは焼きたてがまずいわけではないが、少し冷めてから食べても味が落ちない。ちゃんと皿に盛り、偽ビールをでっかいグラスに注いで、手づかみで食べる。ボクは甘い人間であるためか、みりん干しが大好きである。今回は本物の、みりんを使ったみりん干しだけど、砂糖・醤油の偽みりん干しだって好きだ。みりんと砂糖の違いは後味だと思う。砂糖の方が軽く、みりんの方が醸したときのうま味が加わるのでやや重い。どっちでもええけど、このところみりんでみりん干しを作っている。メアジはみりん・醤油味の中にあってもアジ科らしいうま味と皮の風味が感じられる。干ものはむしゃむしゃあっと言う間に食べてしまって、後からどんな味だったか想い出したり、いろいろ考えたりする。でも、考えなくてもいいやも知れぬ。

未利用魚、未利用魚と騒がしいが、本当に未利用魚といえる魚はほとんどいない。最大の問題点は未利用魚の定義が曖昧なことだ。未利用というよりもお金にならない魚、やっかいな魚は存在する。未利用魚というよりも、問題のある魚とすべきだろう。国内の閉鎖的な水域ではアサリの減少がクロダイの食害だと考えられていたり、養殖ノリ(スサビノリ)の収穫減少もクロダイが食害しているからだとされている。水産資源減少の犯人としての問題魚である。現在、汽水域や内湾は貧栄養で苦しんでいるのである。浜名湖などではアサリだけではなく岸壁などに大量に付着しているはずの二枚貝が減少しているようである。クロダイが本来エサとしないはずのアサリを食べているのは、エサの欠乏からだろう。ノリの問題も、同じようにクロダイのエサが減少しているからだと思っている。

6月7日早朝、神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置はたいへんだった。水揚げされた魚にたくさんのマイワシの破片が混ざっており、しかも小型の魚がわんさかあった。この小型の魚の大部分は直接人間の口に入らないという点で未利用魚である。ちなみに未利用魚という言語は曖昧すぎる。こんな曖昧な定義では未利用魚の活用は推進できない。選別すれば売れなくはない。これをなんとか選別できないかと考える人は漁業を知らないか、もしくは斬新なアイデアをもっている人かだ。ていねいに選別してもお金にならないし、過重労働を漁師に強いることになる。国はコンクリートよりも人にお金を使っていかなければならない。さて、体長10cm前後で、ウルメイワシ、カタクチイワシ、マイワシ、+タカベだった。タカベは二宮定置の若い衆がちょんと投げてくれたものだ。

神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置を見ていると、まさに夏到来と感じる魚が少なからず登場してきている。その魁のひとつが小イサキである。とれるときは半端な量ではなく、ごっそりとれるので「ごっそり」と呼ばれている。

神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置でダンベ(大水槽で飼料などになる魚を入れる)行きの小魚を分けてもらってきた。この時季は小魚が多くて定置網漁師は大変なのである。とにかく一刻も早く売れる魚を選別しなければならない。

神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置でダンベ(大型水槽)行きの小魚を分けてもらってきた。これを“このまま食べる”ことが未来を明るくする。もちろん絶対ではないが目の前に魚不足というか食糧不足が待ち構えていると思っている。養殖魚の魚粉以外の餌の開発が急務となっているのはその証拠である。すでに魚を大量消費する時代は終わり、とった魚を大切に食べる時代が来ているのだ。

西日本で揚がると湯引きで食べられるが、東日本で未利用魚である。サカタザメの刺身は淡泊でクセのない味わい。微かに酸味が感じられるが、単純に食べてもおいしくない。しょうゆとわさびで食べても少しもの足りない。これを大坂で教わった、ごま油・塩で食べてみた。実においしい。サカタザメの筋肉に感じられる酸味が、ごま油の香ばしさにあいまっているように思う。

煮て干すので煮干しだ。ボクの田舎、徳島県では「いりこ」という。これを神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置の未利用魚(家畜の飼料になるもの)で作る。今回はマアジの大小混じりが主体だった。魚はできるだけ小さいものがいい。全長5cm前後がいちばん上等。でも15cmくらいまでは作れる。本当はマアジ1種類で大きさを揃えた方が好ましいが、少し痛んでいるものを拾い出したものなので、モロとメアジが混じっている。これをよく流水で洗って、表面についた血液やとれた鱗を流す。水分をよくきり、4%〜5%の塩水で10分前後ゆでる。ザルに上げ、シャワーにして水をかけてざっと粗熱をとる。うちわであおぎながら表面の水分を乾かす。これを寒い時季なら日が当たらない屋外で、暖かい時期には冷蔵庫で干す。