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歴史

徳川家康と鯛の天ぷら

徳川家康が慶長20年、大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼす。その元和2年1月21日、鷹狩りに行ったときに、京都の貿易商・呉服商の三代目茶屋四郎次郎の話を聞いて食べたものが「鯛の天ぷら」だとされている。茶屋四郎次郎の話は近頃、鯛の天ぷら(興津鯛(アカアマダイとも))を榧(かや/イチイ科の木本植物で実は食用になり、食用油もとれる)の油で揚げて、韮(ニラ)をすりかけてかけて食べる」というものだ。同翌元和2年4月17日に数え年75歳で死去している。これが広がり「徳川家康が鷹狩りのとき天ぷらにあたって死んだ」という伝説が巷間に流布する。もちろん天ぷらと徳川家康の死は無関係だと思うものの、この天ぷらとはなんだろう?天ぷらの種は興津鯛(アカアマダイ)とも鯛(マダイ)ともされている。
歴史

醤油以前、ワラサのみそだけ煮

瀬川清子は女性に関する民俗を調べた学者として有名だが、食に関する民俗学の基礎を作った人とも言えるのではないかと考えている。宮本常一や柳田國男にはない実際的な食文化の探求が見られるのだ。著書が少ないのが残念ではあるが、個人的な考え方かも知れないが、国内の民俗学の巨人のひとりだと思っている。いちばん有名な『食文化の歴史』(瀬川清子 講談社学術文庫 単行本は1968)に、1935年、千葉県久留里(現君津市)に近い山村で醤油は貴重品で、普段は「味噌一式で暮らている」、醤油は正月だけの贅沢なものだと報告している。当時、東京都内で醤油は日常的なものだが、千葉県の山間では貴重品だ、という地域による時代差があるのだ。それでは魚などはどのように煮ていたのか? 例えば佐賀県鹿島市ではみそを水でとき濾した「すめ汁」で煮る「ふなんこぐい」が今に残る。ただこの鹿島市の「すめ汁」も作るのに手間がかかるので、特殊なものに思えてならない。この久留里周辺での昔の煮魚はどんなものなのだろう?ワラサの切り身が残っていたので、みそと水だけで煮てみることにした。水にみそを濾さないでそのまま入れる。瀬川清子はこれを「オトシ味噌」としている。後は煮るだけである。今回のみそは京都府京丹後市『小野甚』のもので塩分濃度は普通で、ほんの少し酸味があるもの。8分ほど煮て、熱いまま食べてみたら。うまみは味噌と魚のアミノ酸だけなのに、汁はまるでだしを使ったように味わい豊かで、酒もみりんも加えていないのに甘みがある。ワラサの切り身は硬く締まらず柔らかい。
歴史

節分に食べる・飾る魚貝類

節分とは雑節のひとつで、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことだ。特に立春の前日は、立春を正月とする考え方をしていたときには大晦日にあたる。季節の変わり目に現れる鬼、怨霊などを払う儀式として宮中で行われたのに端を発する。今現在もっとも多くの地で行われているのが柊(ヒイラギ)の枝に鰯の頭を刺し、豆幹(大豆をとったあとの茎と豆のさや)などを合わせて門などに飾り、豆をまいて鬼を払うというもの。今や立春2月4日の前の節分に先立って煎り大豆、鬼の面がスーパーなどに並ぶ。
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