徳川家康と鯛の天ぷら
徳川家康が食べた天ぷらについて考える
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徳川家康が慶長20年、大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼす。その元和2年1月21日、鷹狩りに行ったときに、京都の貿易商・呉服商の三代目茶屋四郎次郎の話を聞いて食べたものが「鯛の天ぷら」だとされている。
茶屋四郎次郎の話は近頃、鯛の天ぷら(興津鯛(アカアマダイとも))を榧(かや/イチイ科の木本植物で実は食用になり、食用油もとれる)の油で揚げて、韮
(ニラ)をすりかけてかけて食べる」というものだ。同翌元和2年4月17日に数え年75歳で死去している。
これが広がり「徳川家康が鷹狩りのとき天ぷらにあたって死んだ」という伝説が巷間に流布する。もちろん天ぷらと徳川家康の死は無関係だと思うものの、この天ぷらとはなんだろう?
天ぷらの種は興津鯛(アカアマダイ)とも鯛(マダイ)ともされている。