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コラム

アカアマダイの昆布締めは永遠に

9月12日に昆布に巻いた、昆布締めは、作ったこと自体を忘れていた。東京に続けざまに行き、大の苦手の事務的なことをやりで、気がついたのが16日だった。忘れていたにもほどがある。昆布には大量のアルギン酸などがある。確か殺菌作用もあったはずなので恐る恐る昆布から取り出し、端っこを食べたら、とてもいい味、じゃなくて、どえらくうまい。ヒモ状に切ってへべすをしぼり、わさびをちょんと乗せて食べたら、結構、結構! 申し分のない味だった。後から追いかけてくる昆布のうま味がボクの琴線に触れる。甘いとすら思える、うま味豊かなアカアマダイと、上等の羅臼昆布の、千秋楽の取り組みのようだ。まだ逢魔が時なのに少しだけ、「玉柏 本醸造」を室温にてやる。残りの仕事はあきらめる。
コラム

スミクイウオは丸干しはウマスギて脳天を打つ

丸干しの焼き方はとても難しい。ガス台のグリルを熱しておき、椅子をそばに寄せ焼き加減をみながら焼く。みりん干しと、塩干しを作ったが、難易度の高いみりん干しから。焼きたては醤油の香りが鼻にぶつかってとてもいい感じである。スミクイウオの身はどこまでも柔らかく、身と脂が混ざり合ってひとつの味になる。調味料は本種にとって邪魔者と思い込んでいたが、間違いだったようだ。みりん干しは、干ものの王道とは言えないが、毎回セットで作ってもいいだろう。
郷土料理

ヒメを見て考えた「姫」と「ヒメ」の語源の違い

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが新島沖で釣り上げたヒメを撮影しながら考えた。標準和名のヒメは体長20cm前後の比較的原始的な魚で、本州から九州の比較的暖かい海域の沖合いに生息している。国内海域以外では台湾や韓国釜山で見つかっているだけで、魚類の中でも生息域の狭い種である。近縁種にイトヒキヒメがいるが、こちらは国内海域では珍しい魚といってもいいが、生息海域は南半球にも及ぶ。系統的に似たもの同士は生息域が南北にずれていて、少しだけ生息域が重なることがあるが、この両種も同様である。江戸時代が終わり、明治になってドイツから近代的な博物学が入ってくる。鉱物や生物などごちゃ混ぜの博物学は、それでも江戸時代と比べると系統立っていて科学的だった。そんな博物学(生物学)は国内にいる生物の、実際に使われている呼び名集めから始まる。名のないものは存在しないからで、名がばらばらだと研究できないからだ。
コラム

深夜、ケンサキイカでイカの煎り焼き

深夜のツマミ、深ツマは数分できなくてはならない。しかもカロリーの高いものや、糖質は、デブにつき深夜には食べたくない。だいたい酒=糖質なので、そこに高カロリー・糖質はだめだろう、と思ったのもある。目の前にあるのはイカのから煎りなので油分ゼロだ。白醤油もほんの少しだし、たぶんほぼカロリーゼロだろう。一味唐辛子なんて痩せるためにはいいんじゃないかな? ピリピリ。ピリピリはするものの、まことに穏やかな味に、きゅうりもみの酸味と青臭味って、残暑の候にはうれしいものだし、9月になっても熱帯のままのこの国の住人であるボクには、こんな料理がいけるのである。今回、ケンサキイカの刺身用に皮を剥いたものを使ったら、柔らかく、ケンサキイカの甘味とイカらしいうま味が、穏やかに、しかも力強く口の中でダンス・ダンス・ダンスだった。酒はブラックニッカのハイボールで、これも久しぶりに飲むとうまい!
コラム

料理店にとっての「白みる(ナミガイ)」の歩留まり

広い意味でのオオノガイの仲間(オオノガイ目)でキヌマトイガイ科に属している。キヌマトイガイ科には他に食用として流通している貝はなく、例えばキヌマトイガイは大きくても1cm前後の小ささである。またオオノガイの仲間の主な食用部分は長く伸びる水管である。二枚貝は刺身にする部分は足、外套膜(ひも)、貝柱、水管であるが、貝の種類で食べる部分が違うこともおぼえておくといいだろう。本種は今現在でも、「みるがい(ミルクイ)」の半値である。それでも歩留まりは「みるがい(ミルクイ)」並に悪いので、実は貝類の中ではかなり高価だ。要するに国内の二枚貝が激減しているなか、両種とも貴重な存在になっているのだ。「白みる(ナミガイ)」は、1980年代には「みるがい(ミルクイ)」の偽物、代用品などという人がいた。確かに初期の回転ずしで回っていたこともあるが、需要が起こるとすぐに値を上げて、国内にいるナミガイは比較的安価な回転ずしからは消えたと記憶する。替わって「白みる」と呼ばれて回っていたのはアメリカ、カナダなどからの輸入ものである。この偽物呼ばわりしていたやからの多くは両種を本当に食べ比べていないのだと思っている。両種の違いは上下ではなく、好き嫌いの範疇でしかない。個人的にはややミルクイの方が好きだが、ナミガイが落ちるかと聞かれると、疑問符がわく。要するにどちらもおいしいのである。今回の愛知県三河湾産の「みるがい(ミルクイ)」は身に張りがあり、微かに渋く、苦味もあり、強い甘味と貝らしい複雑なうま味成分の絡み合いが感じられる。1個体当たり料理店では2人前だろうが、2人前食べてももの足りなかった。
コラム

イズカサゴ料理、どっちが主役か?

不思議な経緯で標準和名に伊豆とついているが、主な産地は西日本である。最近ではじわじわと日本海側を北上しているようで、日本海での水揚げが増えている。関東では食用魚とても人気が高く、「おにかさご(イズカサゴ)」釣りなど中深場釣りの主役でもある。40cm以上の輝くような赤色が水中から上がってくるのは、それはそれは感動的ですらある。ただ、どうやって食べるべきか、いつも迷う。刺身、湯引きなどにすると歩留まりがやたらに悪い。むしろその残り、あらが主役になる。久しぶりだったので片身は湯引きにしてみた。おいしさは皮にある。身は弾力があって上品な味わいで嫌みがない。これを梅肉醤油と柚子胡椒で食べたが、意外にも柚子胡椒がよかった。それほど辛さに強くないので、ちょこんとのせて口に放り込んだが、梅肉以上に本種のよさが引き出されていた。
コラム

安かった小ヘダイでつけ焼き

「ぐじ(アカアマダイ)」などを焼くとき、若狭地(酒・醤油少々)を塗りながら仕上げるというものを「若狭焼き」という。酒の代わりにみりんを使ったものを当方では「つけ焼き」としている。この地をつけながら焼き上げるというのは、調味料はわからないが、江戸時代初めの茶会記などにフナを使った「色つけ」として出てくる。当たり前だが江戸時代になって突然、出て来た言葉ではなく遙か古くから使われてきたものだと思っている。この料理名や調味料の変遷を考えるのは非常に面白い。この「つけ焼き」の地(みりん・醤油同割り)は軽く火を入れると味が安定するので、ときどき作って保存している。塩焼きや煮つけではなく「つけ焼き」にすると、日々のマンネリ感から脱却できる気がするのだけど、気のせい、かな?ヘダイの「つけ焼き」は、安定的においしい塩焼以上に、非日常的なよさがある。1尾丸ごと時間をかけて食べても食べ飽きない。ヘダイの上品でいながら、味わい深いところに調味料が加わると、味に膨らみが生まれる。時間がたち冷めるとぐっと味が入るので、半身を深夜にウイスキーハイボールの友としたが、これもグッドだった。
メバルの煮つけ
コラム

メバルといったら煮つけに限る、かも

今年のことだが、豊洲市場の仲卸でメバルの分類に関する蘊蓄をとうとうとやられて不愉快になった。要するに標準和名メバルが2008年に3種類に分かれたという話だが、こんな耳にタコができそうなことをよく言うよな、と呆れる。分類しながら歩いているので、最近、3種が見分けられるが、一般客にはどうでもいいことで、全部メバルでかまわないのだ。連れは分野こそ違うが分類の世界の人間なので思わず二人して笑ってしまった。まあ、とにもかくにも、この浅場にいるメバルは、三種に分かれようとも全部煮つけてうまいのである。3種とも、味も、見た目もほとんどかわらないので、一般人よ、メバルでいこうぜ、といいたい。さて、今回のメバル(シロメバル)は生殖巣が膨らんでいなかった。だいたい11月前後に交尾して産卵、腹の中で稚魚にして冬に出産する。実はこの魚、産卵、出産と旬の関わりがよくわからないために、季節ごとに買っているのである。見るからに見事な固体で煮ると透明な粒状の泡が煮汁の表面に散った。脂があるので身が柔らかく、身離れがいい。このシロメバルの産卵時期はわからないが、こんなにうまいメバルの煮つけは久しぶりである。深夜に酒の友とし、翌日の煮凝りでご飯が、めちゃくちゃでござりまする、というくらいにおいしくて、ご飯、一膳が悲しかった。やはりメバルは煮つけかな?
コラム

スミクイウオはあぶりだな

日本各地の深海に生息している真っ黒な魚で、たぶん平均して水揚げがあるのは鹿児島県だけだろう。相模湾などでは春の湧昇流のときにまとまって揚がるが、普段はぽつりぽつりと数尾揚がる程度だ。当然、出荷に至らない。どんな料理にしてもうまいという魚ではないが、料理法によってはがぜんおいしくなる。その最たるものが「あぶり」である。あぶってすぐに口に入れると、ものすごくあちちのチだが液化した脂がやたらにうまい。さすがに危険なので皿に盛ってわさび醤油にすだちをかけて食べるが、この時点でも脂は完全に凝固していない。単純に固体を食べている以上の舌触りがやたらに楽しい。身の方は平凡だが皮のうまさの引き立て役だ、と思うと、「ツービート」のきよしのようでもある。この平凡な身と、強烈に味わい深い皮がひとつになって、スミクイウオはとてもうまいのだ。田中さん、酒飲みすぎはだれのせいだ、ろうね。
コラム

ケンサキイカとトカドヘチマのみそ炒め

最近、そうざい作りが楽しい。毎日必ず飯の友を作っている。ケンサキイカのげそは何時ものように塩ゆでして酢みそでと思ったが、せっかく初買いのトカドヘチマがあるので炒めものとする。トカドヘチマは名前の通り断面に十の角があるへちまで、原産地は東南アジアだという。表面が硬いが、中身は沖縄のナーベラー、へちまそのものだった。炒めたトカドヘチマを口に入れると、沖縄料理の穏やかで優しい味の記憶がよみがえってくる。考えてみると、これはナーベラーチャンプルーそのものだ。噛むと少しだけシコっとして面白い食感だが、これ自体には味がなく、でてきた水分にも味がない。あえてトカドヘチマの特徴を挙げると、ナーベラーよりも青い風味が高いことかも。この無個性な味にみそとケンサキイカのうま味が加わると、非常にご飯のすすむ、おかずになる。炒め煮にしたときの汁とトカドヘチマ、ケンサキイカのげそをスプーンでしゃくってご飯に乗せて食べると、カレーライスを食べるときのように、ご飯とおかずが一体化して喉をどんどん通過していく。鋭角的な味ではなく鈍角的な味で、食べたときの印象は薄いが、数時間後、また食べたくなっている、そんな自分を発見する。
コラム

ウッカリカサゴの唐揚げは難しいな

「うっかり」とつけた理由はともかく、標準和名のカサゴが岸寄りの浅場にも普通にいるのに対して、大型の本種は沖合い、成魚などは水深100m以上にいる。同じサイズのカサゴと比べると味が劣る。味がないと言い換えてもいいだろう。もちろんカサゴもウッカリカサゴも上等の魚であることには変わりない。出来上がりを食べてみると、カサゴほど香ばしくない。丸ごと食べ尽くせない。これはボクの技術的なつたなさ故だろうけど、昔、京都中央市場で会った方は、「ウッカリカサゴの方が骨が強い」と言っていたこともつけ加えておきたい。それでも揚げた身の、独特の歯触り、香ばしいのにねっとりとした感じが実に好ましい。唐揚げのおいしさは堪能出来るが、カサゴと比べなければ、だと思う。やはり頭部や中骨まで丸ごと食べたいものだ。当分、小型のウッカリと見つけたら唐揚げに精進しよう。
コラム

クサヤモロのフライが昼ご飯にいい、のだ

9月になっても窓を開けられないくらい暑い。それなのに食欲が落ちそうだが、落ちない。昼ご飯がもりもり食べられる。疲れているのにもりもりなボクにも、気温が下がってからの疲れの逆波くるのだろうか?もりもり食べるご飯の、お気に入りのおかずは、銭州解禁いらいクマゴロウが釣り上げてくるクサヤモロのフライである。ときどきカレー風味をつけたり、サンドイッチに挟むときはドライパセリを散らしたりして揚げている。1尾150g前後なので、1尾で充分だけど結局2尾、4枚食べている。ご飯にはじゃぼじゃぼとソースをかけてご飯にのせて。ときどきおやつにも食べているが、そんなときにはタルタルソースがいい。さくっとしたパン粉の下、皮とその直下に強い風味が感じられる。血合いが大きいのだけど、この血合いの豊かなうま味も魅力的である。ちょっとだけマダイなどと比べると野性的でうま味が強いのだけど、ご飯と相性がいいのはこのアジ科ならではの風味だと思っている。
コラム

サラガイの炊き込みご飯を新釜で

初めて使う1合炊きの釜なので、恐る恐る蓋を開けたら、いい感じに炊けていた。木蓋であるのが残念だが、長ーく使えそう。さて、サラガイは比較的無個性な味の二枚貝である。対極にアカガイや青柳(バカガイ)がある。サラガイが、炊き込みご飯に向いているか? 否かは、炊いてみないとわからない。蓋をあけたとき、このおとなしい味のサラガイからいい香りが立ち上がってきた。やはり貝類は熱を通すとその味わいが増す。ご飯にもいい味が染み込んでいる。このご飯のおいしさに、少し心が頬笑む。厳格な白飯派だったのが、近年、炊き込みご飯が好きになってきたのはゆっくり食べられるようになったためかも。炊き込みご飯は、味の染みたご飯を楽しみ、具を楽しむ、そんな余裕がないとちゃんと味わえない。1合を2回にわけて食べるべきところ……。
コラム

2024年、年に一度だけの青森県産「かき」食い

青森県で「かき」はミネフジツボというフジツボ科の甲殻類をさす。要するに海辺にいくとどこにでも見られるフジツボの一種だ。フジツボとしてはオオアカフジツボとともに国内海域では最大種のひとつだろう。瀬戸内海でも普通に見られるなど、国内での生息域は広いにもかかわらず、たぶん流通するくらいとっているのは青森県だけだと思う。これなど流通の世界や料理店では、珍しくもなんともない普通の魚介類だが、一般人には珍奇なものに見える、という意味で「プロと普通の人の認知度にとても落差のあるもの」のひとつだ。毎年、7月、8月に買っているが、今年は9月12日が初買い、だった。料理法は酒蒸しだけだ。食卓に出てくると不思議な物体に見えるが予想外においしい。爪(蓋板)の下にある黄色い塊を食べるのだけど、意外にボリューミーである。味は濃厚な海のポタージュのようでもあるし、食感は硬めのババロアのようでもある。いずれにしろカニやエビの風味のある、濃厚な味の柔らかな塊そのものといえるだろう。今年は薄いウイスキーのソーダ割りの友とした。
郷土料理

ムニエルはフランスの塩焼き、ツキノワメイチダイ

長崎県長崎市、魚喰民族 石田拓治さんに送って頂いた新種記載ほやほやのツキノワメイチダイではいろんな料理を作った。その中にムニエルがある。魚料理の基本にソテーがあるが、和食の塩焼きに対してフレンチなどではムニエルがそれにあたると思う。塩コショウして小麦粉をまぶしてソテーすると、バターを使わず、どんなソースにしても、どんな油を使ってもムニエルと考えたい。要するに魚でも貝でもイカでも、エビだってムニエルになる。魚介類をよく食べる、この国でムニエルはもっと食べられてもいい、という話でもある。メイチダイ類(メイチダイ、サザナミダイ、シロダイ、本種などメイチダイ属)はソテーしてもとてもうまい。もちろん臭味が出やすい魚なので、ていねいに水揚げしたものに限るが、ムニエルにするとトップクラスだと思っている。三枚に下ろし、腹骨と血合い骨を取る。塩コショウして小麦粉をつけて多めの油でソテーする。片身を取り出して皿に移して、バターを加えて泡立て少し煮つめソースにする。
コラム

すし屋にとってのホタテガイの歩留まり

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で買ったホタテガイは、ナミマガシワが欲しかったので買ったものだが、念のために貝柱(閉殻筋/貝殻を閉じるための筋肉)を刺身にしたときの歩留まりを調べておいた。ナミマガシワは6g前後なので貝殻全部の重さは、168gとする。
コラム

ベストシーズンではないが沼島のアジはオイシ

兵庫県淡路島そばにぽつんと浮かぶ沼島(ぬしま)沖のアジ(マアジ)は春から夏がベストシーズンだが、秋になってもそんなに味が落ちるわけではない。これが9月下旬になるとマアジの群れが小さくなり、マルアジが主体になる。マルアジが増えたら、マサバを狙う。淡路はマアジだけではなくマサバでも有名である。余談になるが、沼島のマルアジは鮮度からしても魅力的だし、実にうまいということも知って欲しいものである。9月初旬のマアジは実際、刺身にしてそれほど脂を感じない。とろっとした舌触りがない。それでも食感がよく、身に張りを感じる。なによりもアジならではの強いうま味が口中に広がる。
コラム

ケンサキイカ丼、丼の2日間

市場から帰ると午前8時半過ぎ、午前3時、4時から起きているのでお腹と背中がくっついている状態なのである。ゆっくり朝ご飯を作っている場合じゃないので、丼といきたい。ケンサキイカの刺身にしょうが、そこに鳥取県の甘い刺身醤油をじゃぶっとかけて、ご飯に乗せて食らう。ケンサキイカのよさは甘味にあり、食感はヤリイカほどではないが、ほどほどにはある。この甘味がとてもご飯に合うのである。意外に(鳥取の)甘い醤油で丼はうまいものだと思う。薬味は後のせなのでねぎ、マヨネーズなどお好みで。
コラム

チダイの塩焼きなど簡単だ、と思え

魚料理は簡単だと思うべし、じゃないかと思っている。難しく考えないことじゃないかな、とも思っている。塩焼きなどにする魚は一般の方はできるだけ魚屋やスーパーで下ごしらえをしてもらい、帰宅したらすぐに塩をしてしまって、そのまま保存。食べたいときに焼けばいいと思う。昔は親切な魚屋さんで振り塩をしてくれるところがあった。あれはとてもよかったのだけど、今、そんなことをやってくれる店あるかな。焼き方はコツがいるが焦がさないように焼けば、ほどほどおいしく作れる。今回のチダイはご飯を食べる30分くらい前にガス台のグリル(予め熱しておく)に入れる。最初は焼き具合をつきっきりで見ながら強火で表面を短時間焼く。今度は火を最小限にして中まで火を通す。終いに再度強火にして焼き上げる。弱火の時間に他の料理とか、用事を済ませばいい。皿に盛る場合、決まり事を作るのが好きな人は決め事通りにやればいいが、できれば自分の美意識で自由に方向を決めて欲しい。写真は単にきれいな方を上に向けただけ。家庭では方向を決めて焼くのは難しい。さて、今回は焼き上がりを撮影したまではよかったのだけど、部屋のメンテナンスがある日だというのを忘れていた。ので、そのまま1時間以上放置することになってしまった。がっかりして冷めた昼ご飯の前に再度座ったら、意外にもこの冷めた塩焼きがうまい! ではないか。箸など放り出して、手つかみで食べてしまって、ご飯を取り残してしまった。タイ科の魚は焼くと俄然うまくなる。皮目の香ばしさだけで飯が食える。その皮は食べると香り以上に強いうま味があり、チダイはこの時季脂が乗っているので、その真下に液化した脂がある。今回改めて気づいたのはこの液化した脂が再度固まるといい味になるということだ。身質がよく身離れがいいのも素晴らしい。さて、くどいようだが、熱々を食べるとおいしいのだけど、むしろ冷めてから食べた方が味わい深く、しかも塩焼きのうま味がぐんと増すのである。熱々、冷め冷め、どっちゃでも好みの問題だと思うけど、邪魔者が入って、よかったかも。
コラム

ゴマサバで夏らしい南蛮漬け

なんとなく酢、なんでも酢、なのは体が欲しているためだろう。フィッシュ&ティップスを作ったらモルトビネガーをじゃぶじゃぶ。塩焼きの添え物にきゅうりもみ、こはだの酢じめを作り、ソテーした魚にもライムをぎゅっと搾る。そして近所のスーパーで買ったゴマサバは、深夜には南蛮漬けになって目の前にある。酢の物は酒の肴の主役になれはしないが、動物たんぱくが入ると、順主役級にはなる。南蛮漬けの南蛮の本来の意味は戦国時代から交易のあったオランダとかスペインのことだが、料理では「油を使った料理」や辛味である唐辛子を使ったものにつく。どこかしら目新しいものという意味がある。唐辛子を加えた酢を「あちゃら酢」というが、「あちゃら」と「南蛮」は同義語だと思っている。たぶん南蛮漬けはそんなに古い料理ではないが、上手な命名だと思っている。ゴマサバの唐揚げは思った以上に存在感が大きい。ゴマサバ自体に豊かな味があるし、そこに香ばしさが加わると最強かも知れぬ。その味の強さに爽やかな合わせ酢、青唐辛子の辛味、野菜のしゃきしゃきとした歯触りが心地よい。プラス6Pチーズで長野県諏訪、真澄の紙箱を飲んだら、意外にもおいしい。虫集き、いい深夜酒となりにけり、だ。
コラム

海にいる巻き貝の代表選手だったバイ

本種の標準和名バイは、江戸時代以前から使われていた言語だ。「ばいがい」という人が多く、市場などで「ばい貝」と書かれているのもよく見かける。実は「ばい」も漢字では貝なのである。「ばいがい」を漢字にすると「貝貝」になる。これくらい国内の巻き貝の代表的なものだったとも言えるだろう。古くから居酒屋などで「ばい貝の煮物」は定番的な酒の肴であった。1900年代には飲食店などではとても重要なもので、築地場内で「突き出しがない」と本種を探し回っている人を見ている。
加工品

ときどき無性に食べたくなる、くさや

ときどきやたらに食べたくなるものがいくつかあるが、「くさや」もそのひとつだ。初めて食べたときのことをおぼえているのは、かなり衝撃を受けたからだ。江戸川区小岩に住んでいたが、ときどきお昼を近所で食べた。昼は定食屋、夜は居酒屋という店で、「これ食べられるかな?」とサービスしていただいたのが、「くさや」である。前夜に焼いたと言うが、臭いはそのままだった。食べたら、臭いではなく匂いに変わった。生来の「くさや」好きだったようなのだ。小岩に住んでいたとき、近所で酒を飲むという事はほどんとなかったが、その店では「くさや」を千葉街道(国道14号線)の歩道で焼いていたと記憶する。それでも店の中まで匂いが漂ってきた。「くさや」は確かに独特の匂いがあることはあるが、それ以上にクサヤ菌が生み出す、複雑なうま味がたまらない。身が締まっているので、ボクは焼き上がりをほぐして、そこから酒の肴にする。江戸時代から愛されてきた庶民の味だとされているが、伊豆諸島や伊豆からわざわざ江戸の町に送られてくるだけの魅力は十二分にあっただろう。ちなみに「くさや」だけはボク個人はご飯のおかずにしない。東京都八王子市で古くは織子さん(自動織機で布を織る)のおかずだったという老人がいるが、本当だろうか。余談だが、我が家は集合住宅なので、「くさや」は各個部屋を閉め切っている夏しか食べられない。これだけはどうしようもないが悲しいね。
コラム

クログチは、いの一番に塩焼き、かな

ニベ科の魚の塩焼きは、焼き上がりを見ただけでよだれが出そうで困る。とにかく香りがいいのだ。旬を外れているのに、いちばんうまい皮の、下の身がふっくらしている。食べやすく、焼き上がった塩焼きの、食べの歩留まりがいいのもうれしい。箸で食べていたのは初手だけ、ついつい手づかみになり、しゃぶるように食べる。顔周りがやたらにうまいことに、改めて気づく。ちょっとした軟骨など野蛮に食ってしまったが、それほどおいしい。練り絹のような身の味も素晴らしい。クログチはニベ科の中でも独特の身質で、刺身にすると同科のシログチではなくマダイのようだ。これが焼くとちゃんとニベ科の味がする。ご飯のおかずだったのにご飯をおいてけぼり、とあいなった。
コラム

サラガイの湯引き造りは酒の肴そのもの

最近、一合ではなく二合飲めるようになってきた。眩暈があるのでやってはいけない、ことだとは思うけど、やけに酒がおいしい。岐阜県八百津、「玉柏」の酒酒が意外にボク好みだったためやも知れぬ。だからせっせと酒の肴を作る。ニッコウガイ科のサラガイの難点は嫌みのないところだ。青柳(バカガイ)のような特異なところがない。ただただ無難な味というところだけど、最近、だんだんこの難点なしの味がわかるようになってきた。ゆっくり味わいながら、急がずに食べるとサラガイの嫌みのない味の中に深みが感じられるではないか。貝らしいうま味からくる甘味もあり、ほどよい食感も楽しめる。デブは早食いというけれど、酒も早飲み、肴も早食いがいけなかったようだ。飲食店では「白ガイ」で売られているので、白ガイの湯引きとなるが、すし屋などでは湯引いても刺身という。軽く熱を通すとぐっと身が締まり、味が前面に出てくる。すし屋で青柳でやっていることだけど、深夜酒の肴などのとき直に貝の味が来るよりも、好ましい気がする。12個のサラガイの足で正二合は飲み過ぎかも。
コラム

15分でランチ、イナダのフィッシュ&ティップス

最近、午後に書籍を並べて比較していることが多い。軟体類の同定に苦しんでいるからだ。こんなときはちゃんと飯を作るのは煩わしいので、後片付け込みで、ほぼ15分程度でちゃちゃっと作ることが多い。今回の、イナダ(ブリの若魚)のフィッシュ&ティップスは表面はがりっとするくらい硬く、中は豊潤にしてみた。じゃがいももガリサクって感じである。こんなにスナック感覚なのにイナダがいい味なのである。今回のイナダは巻き網ものと思ったが、予想外に上質だ。魚らしいうま味もあるし、ほどよく繊維質なので舌の上で心地よくほどける。青いリンゴのプラムリーのソースと、モルトビネガーをつけたり、かけたりしてみたが、やはりモルトビネガーの方が断然、フィッシュ&ティップスと相性がいい。合わせたのは野菜ジュースに赤酢と塩と氷。これだと眠くならない。これで材料費は200円くらいだと思うので、空っ風吹く懐にも優しい。
コラム

ムロアジ・クサヤモロの開き干し、どっちもうまし

一度、両種の食べ比べをしたかった。同じ時間立て塩にして同じ時間干したものだ。焼きも同じ。今回目の前にあるのは、まさに同じ作りなので比較可能だと思っている。ただ、実は両方ともおいしくてよくわからなかった。おいしいものを並べると比較できなくなるのだ。ムロアジの開き干しの方が少し柔らかく、身がきめ細かいように思えた。身に脂があるためだと思った。
コラム

タコ頭多すぎでうまいが、巻くに巻けぬぞ、タコ卵焼き

タコの卵焼きを焼いたら、困ったことにタコからでるうま味豊かな液体で、卵焼きがやわやわとろりになってしまったのである。カタカタが好きなのでボクにとっては失敗作である。どうしてこのような柔らかい焼き目のない卵焼きになってしまったのか、解凍したタコ頭が多すぎたのだ。半分こにして後は汁に入れるなりすればよかったのに、と思ってももう遅い。タコは水分の塊で熱を通すとうま味豊かな液体が出てくる出てくる。当然、半熟卵焼きのようなものになってしまう。ボクのようにカタカタが好きな向きには困る。まあそれでも半熟も悪くないのかも、な、という発見をしたやも。じゅくじゅくとろとろする全部が卵のうま味と濃厚なマダコの味なのである。タコ頭がこんなにうま味豊かだとは思いもしなかった。ご飯の友にしようと作ったのに、パンに合いそうな感じがしたので、急遽食パンに乗せて食べた。これはこれで結構であった。
コラム

マルソウダはゆで節にするのが手間いらず

深夜にゆで節を冷蔵庫から取り出す。片づけをする間、ガス台のグリルの火を最小限にした中に放り込んでおく。ときどきのぞき込んで焼き色がついたら取り出す。後は、マヨネーズを添えるだけだ。深夜で体がだるいのですだちさえ切らなかった。いちもながらに、なんて簡単な料理とも言えない料理だろう、とは言いながら、これほどあって助かるものはない。そのままでも食べられるけど、焼くと俄然おいしくなる。
コラム

太平洋青森県沖イナダ、素晴らしい 1 刺身

盛り付けた刺身の皿の周りにいろんな調味料を並べて食べた。そのほぼ総ての調味料に出番がなかった。刺身にすだちをちょっと搾り込んで、わさび・醤油で十二分にうまかったからだ。最近、神奈川県小田原でもイナダの価値が上がっているが、こんな素晴らしいイナダが青森県沖から来るなら、若いブリの価値の底上げがかなうかも知れない。もちろん脂があるわけではないが、身に張りがあり、舌触りがいい。ほんのわずかな酸味があり、なによりもブリの若い衆らしい旺盛な生命力からの味がある。1切れ口に入れると、強い満足感が得られる。税別298円の4分の1が1人前なので、超お買い得ともいえるだろう。おいしいものは高いとは限らない、よい例である。
コラム

野締めなのにびっくり美味なメイチダイ

刺身にするとき必ず、下ろしながら味見でちょっとつまむことが多い。今回の小振りのものは、身色は野締めだが、味は活魚以上かも知れないと驚かされた。水揚げから12時間ほどで、うま味成分であるイノシン酸が爆発的に増えたのだろう。切り身を醤油をつけずに、そのまま口に放り込んでおいしいと思えた。素直に、刺身から食べてみる。活魚のメイチダイにはない、強いうま味がある。呈味成分が複雑に絡みあって甘いとも感じる。野締めのメイチダイは外見はちょっと寂しい感じがするのだけど、刺身はフルバンドのうまさが感じられる。身が柔らかい分、余計にうま味が強く感じられるのかも知れない。最後の一切れまで味がだれない。
郷土料理

主役はこっち、美しすぎるナミマガシワ

貝屋(貝の収集家)ではないが、基本的に生き物が好きなので、貝を見るのも触るのも、食べるのも好きだ。産地不明のホタテガイがあって、べっとりくっ付いているものがある。普通はホタテガイが主役だけど、ボクにはべっとりくっ付いている方が主役だ。市場ではボクのそんな行動が変に見えるらしいが気にしない。
コラム

秋のトビウオを今季初買い

ぜんぜん秋らしくはないが、秋のトビウオをつまみながら、外から聞こえてくるアオマツムシの大合唱に耳を傾けるというのもおつなものかも知れぬ。ちんちろマツムシや、りーんりーんのスズムシ、るるるるるるるっのカンタンなんて贅沢は言いませぬ。たたき(たたきなます)は名残のみょうがに、様々な香辛野菜を使って、トビウオの単調な味わいを彩っている。不思議なもので刺身として食べると今イチだが、細かく切るとうま味を放出する面が多くなる、その面の多さと正比例しておいしさが増して感じられる。しかもトビウオのおいしさは青魚特有のもので、それは皮にある。ちなみに皮付きは新鮮でなければならないが、石巻産はその点でも優れていた。
コラム

根室産ブリのフライパン照り焼き

ブリ半身で何品作れるか? 失敗したのもあったけど数えるのは嫌になるくらい作る。最近、酒量が減っているので料理はおかずが8割、酒の肴が2割だ。個人的にはご飯の友を作る方が好きなのだ。『今日の料理』は、ボクが1960年前後の幼児のころから見ている。後は『暮らしの手帖』は小学生の頃から仕事を始めるまで愛読書だったし、後に『四季の味』や『専門料理』もとっていた。「フライパン照り焼き」は学生時代から作っているが、この言語をテレビ番組、雑誌のどこからとったのかがわからない。一般家庭でとても作りやすい、超おすすめ料理法だ。脂ののったブリの切り身はソテーすると表面が香ばしく、中がふっくらとして柔らかい。魚のうま味も豊かなので、別にソースなんていらないくらいおいしい。でもここでとどめのソースが来ると別世界の味になる。今回は甘酢醤油でソースを作ったが、ご飯が進んで困った困った。コショウを使わず、神楽南蛮(パーマン型の唐辛子)を使ってピリっと来るのも大成功だったかも。
コラム

ニセタカサゴは意外に味の実力者

最近、小田原から、もちろん売りものにならない魚が中心だが、大量に持ち帰ってきている。すべて測定して記録をとっているからだ。ただ最近なんとなくわかってきたのは、小田原には問題あり、な魚がほとんどないということだ。どれもこれも食べればうまいし、意外な味の発見がある。ニセタカサゴは相模湾では主に小型だけしか揚がらないので、なかなか売り買いの対象とならない。相模湾周辺ではある意味、未利用魚のひとつである。神奈川県のスーパー ヤオマサなどが引き取ってそのおいしさをアピールしているが、買った人はおいしさの発見があったはずである。小さいので焼くか、揚げるか、だけども一夜干しは、ほかの魚にはない味がある。
コラム

9月、北海道産マガレイは身の旬を迎えている

山形県・新潟県はマガレイをよく食べる。両県で「かれい」というとマガレイになる。実際、この両県には陸送(他県から送られてくる)でもマガレイが目立っている。スーパーにいくと必ず並んでいるし、魚屋では「焼きがれい」が盛んに焼かれている。ちなみに福井県に行くと圧倒的にアカガレイだ。比較的干ものにしない魚なのに干ものにしているし、魚屋で焼いて売っている。刺身でも食べる。この3県ほど極端に、1種類のカレイを好む傾向を見せる県はないと思っている。ちなみに東京都は昔からカレイ類をよく食べているが、今、取り立てて好きなカレイはない。イシガレイ、マコガレイがいちばんなどといった時代は遠い過去となっている。さて、たまたま新潟県の過去の写真データを整理していたら、マガレイの塩焼きが食べたくなった。偶然とは恐ろしいもので、近所まで買い物に行ったらマガレイが特売されていたのだ。新潟県新発田市で売られていた、「ひらめ(マガレイ)」の文字を保存したばかりだったので、奇跡のようである。東京都に流通するカレイでいちばん大衆的なのはアサバガレイ、黒がれい(クロガレイ、クロガシラガレイ)だ。その上がマガレイ、アカガレイになる。最近、「黒がれい」ばかりだったので、少しだけの贅沢、といったものである。カレイの塩焼きにはしょうがを添える、のがボク好みだ。身を箸でつまみ、しょうがをちょっと乗せて食べるとたまらなくうまい。そしてときどきすだちを振る。北海道のマガレイは春から夏の産卵後味が落ちる。9月の声を聞くと身に張りが出て、いちばんいい時季となる。ボクはこれを身(筋肉)の旬と呼ぶ。北海道などの競りでは圧倒的に冬から春の真子持ちが高いが、身の味では秋から初冬である。それにしても皮の香ばしく味わい深いこと。身の甘いこと。相棒は偽ビールだけどいいときを過ごせた。
コラム

銭州のサメのおこぼれマダイを食べる 5、これにて終いの鯛飯

でっかいマダイの頭で兜煮、竜田揚げ、潮汁、兜焼きと作った。お終いのお終いの最後の最後は、サメがかぶりついた部分を成形したときの、切り取った身で炊き込みご飯だ。塩焼きにして炊き込むので、少々歯形がついていようが、変色しようがおかまいなし。1合の豪華絢爛、炊き込みご飯の鯛飯が目の前で香り立つ。最近は味つけに醤油を使っているので、醤油と、お焦げ、焼いた鯛(マダイ)の香りの三重奏である。マダイの炊き込みご飯は定番料理だが、嫌みのない上質な白身、皮からであるうま味がご飯と結婚すると最強だと、もちろん食べるときには思ってしまう。意外に軽い味なので遅い昼飯に最適である。
コラム

トコブシを食べて息つく、去らぬ夏の日

最近、舵丸水産で貝などを買うと、「4つも買うんですか?」と若い衆に言われる。「も」はいらんだろう、「も」は。トコブシは4つあれば醤油で煮ることが出来る。1つでは煮てもおいしくないので、4つなのだ。買い物は最低限が正しい。昼に煮て、保存容器に入れてあったもの。深夜に器に盛り込んで、あとは、群馬県の「妙義山」四合瓶を机にトンと置く。あとはゆったり楽しむのみ。ちなみに池本惣一さんの器は天地逆。池本惣一さんにほんのちょっとだけゴメンナサイだ。さっと煮て、鍋止めして、冷やしたものなので、柔らかい。火は通っているものの脆弱で、冷や冷やとしてうまし。いつたべてもトクブシの醤油煮は昔ながらの平凡な料理のよさを感じる。今回はワタが肥っていた。このワタだけでも「妙義山」正一合いけそうだ。
コラム

小田原産小サバにビックリ仰天する

8月26日のメモを文章にしているので、ちょっと時季を逃している可能性があるが、マサバのこと。さて、今回は改めてこんなことを思った。平凡な魚ほどよしあしを見極めるのは難しい。取り分け、マアジが難しく、マサバはそれ以上に難しい。難しいといえば、水産生物のよしあしを見分けるのは、全部が全部難しいと思っているので、まことにまことに水産生物の世界は広大無辺である。二宮定置の選別を見ていたら、体長30cm前後よりも、25cm前後の方が丸味がある。明らかに小型の方が魅力的に見える。実際、定置の若い衆はこの小さい方を取り分けていた。必ずしも同サイズがすべて選別の対象になっているわけではない。見ていて、はいッと、カイくんがわたしてくれたのが、小型の個体から選んでくれた写真の個体である。触った感じからして違っていたが、同じサイズを何尾か触っても、それほど迅速に違いがわからない。違いは刺身を一切れ食べて初めてわかった。こんなに小さなマサバなのに味が大きいのである。脂べっとりではないが、切りつけた身にふくらみがあり、舌にからむ。からみながらおいしい、の大盤振る舞いをしてくれる。こんな小さなサバがたぶん、有名どころのブランドサバよりも上に違いないと思えるなんて……。まことにサバ(マサバ)って難しい。あまりにもいろんなことを考えすぎたので、夕方の、猪口一杯の酒を飲み忘れた。
郷土料理

2024年8月29日が今季イワガキ終い

ボクは季節に従順でありたい。季節に争うなんてやりたくもない。今や亜熱帯となってしまったが、わずかでも季節をありのままに感じたい。ということでイワガキは今季は終い、マガキが来るまで待ちたい。今季最後のイワガキは新潟県産となる。年をとるごとに発見が多くなり、忙しくなる。これは老人の友人の言葉だけど、しかり、だ。あまりにもたくさんの水産生物が来たので、結局、夏の間、豊洲に行けなかった。当然、日本各地のイワガキを食べたいという願いは叶わなかった。さて、新潟県産のイワガキは特有の濃厚なうま味が感じられた。ただし最盛期を過ぎているために食感は今イチである。毎年同じだが、産卵期のこともあるし、そろそろ名残の時季となりにける、だ。結果、新潟県産は今季最後としては上々かも知れぬ。
コラム

銭州のサメのおこぼれマダイを食べる4、兜焼き

でっかいマダイの頭で兜煮、竜田揚げ、潮汁と作った。兜煮の反対側は素直に塩焼きにして目の前にある。ただでもらったマダイでいったい何種類料理を作るんじゃい!? と声が飛んできそうだ。その上、この主鰓蓋骨(鰓蓋)から前の部分だけの塩焼き、身がたっぷり過ぎたので二回に分けて食べた。
コラム

白ばいの大方は富山湾にいないエッチュウバイ

「白ばい」はもっとも流通量の多い巻き貝のひとつだ。標関東や関西などの消費地でもお馴染みで、比較的スーパーなどで見かける機会も多い。代表的な産地は島根県と山口県である。標準和名(図鑑などに載っている名)はエッチュウバイでというが、流通の場にいても知らない人がいる。貝を勉強し始めたとき、このエッチュウバイという和名よく惑わされたものである。まさか越中富山にはいない貝で、山陰に多いなんて誰も思わないだろう。分類学的に書くと「エゾバイ科エゾバイ属エッチュウバイ」である。このエゾバイ科には食用貝類がたくさんいるので、専門的になりすぎるが、おぼえておくと便利だと思う。日本海福井県以西の深場に生息している。済州島にはいる可能性があるが、朝鮮半島にはいない。世界的に記載したのはイギリスのジョージ・ブレッティンガム・サワビー1世だ。このサワビーはⅡも含めて、動物学者でもあり、植物学でもあり、イラストレーターでもある。日本には一度も来ていない。採取したものを別の人間がイギリスまで送り届けて記載したことになる。ついでに、この一族がやらかした分類学的な謎はすごく多いと思うが、専門家の方はどう思っているのだろう。エッチュウバイの「ばい」を漢字にすると「貝」、とくに巻き貝のことだ。同じ意味の漢字に「螺(にし)」、「蜷(にな)」がある。海産巻き貝のことを日本海側では「ばい」ということが多く、北海道や本州太平洋側では「つぶ」ということが多い。「えっちゅう」は当然、「越中(現富山県と思っていい)」である。福井県以西にいるのに「越中貝」とは不思議だと思わないだろうか?模式標本(タイプ標本とも。種として記載したときの標本)は丹後半島沖なのである。この模式標本からするとタンゴバイにすべきである。
加工品

本能で買う、マイワシの丸干し

ニシン目(イワシ類)のカタクチイワシ、マイワシ、カタクチイワシの干ものがときどき無性に食べたくなる。とりわけ上物となるとついつい手が伸びる。今回のマイワシの串干し(小倉水産 千葉県山武郡九十九里町)は小振りで酸化が見られず、非常にうまそうだった。「串干し」という言語は過去にあったかどうか? 串が目を貫いているので「目ざし」とした方がわかりやすいだろう。鰓から指すと「頬ざし」、である。後は焼くだけなのだけど、関東の干ものは比較的干しが甘いので、じっくり焦がさないように焼きたい。これで朝ご飯、というのがいちばん好きだ。その日最初のご飯は、早くても市場から帰ってからなので、このような、市場でご飯と結婚させて永遠に結びつきそうなものを見つけると、涙がでちゃう♪ なのだ。この、焼いて香り高く、イノシン豊富な干ものがご飯と一緒になったら最後、後は無意識で箸が伸びる。イワシ類の干もの(塩乾品)は日本各地に様々なものがある。イワシ類の干もの買いで日本一周だって出来てしまう。その土地土地の干ものを楽しむことこそ、この国の幸せだと思っている。といいながらご飯を2膳。デザートは、同市場内、八百角で買った山梨県産の硬い桃。
コラム

8月29日、400円サンマ、おいしい! ではないか

【めったに受けない健康診断で、いろいろ言われた。専門家に自分が食べたものを見直しなさいと言われ、同じ日に友人に食べたものを書き出せ、と言われる。いちばんしっかり食べる朝ご飯を、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。】市場には要撮影の水産生物がなく、久しぶりに楽な朝だった。サンマを焼いて、冷や汁を作ってで、他は小米なすの漬物とヒジキと竹輪の煮物で常備菜、そしてご飯だ。読み進めている『小田川流域の生物文化多様性』(田賀辰也 2024)を脇に置いて朝ご飯を食らうが、時計を見たら9時半なので朝ご飯らしい時間でもある。田賀さんの力作から気になるカ所に赤鉛筆で印をつけながら食べるのだけど、意外にも400円のサンマがおいしすぎて集中できない。だめだだめだと言われているサンマだけど、そんなにだめではない。ときどき口中を冷や汁で冷やす。これも夏ならではだ。
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小田原産活け締めアイゴで干ものを作る

神奈川県小田原の魚の話だが、いきなり寄り道をさせていただく。アイゴをボクの故郷徳島県では「あいのばり」とも、「あい」ともいう。同じく、和歌山県でも「あい」、小型のアイゴを「ばりこ」という。徳島、和歌山ともにアイゴを干ものに加工する。「ばりこの干もの」は有吉佐和子の名作、『紀ノ川』にもある。徳島県では干ものに、すだちを搾り、和歌山県では「さんず」を搾りかける。和歌山県田辺で干ものを買ったら、立ち話をしたオヤジサンが「さんず」をもいでくれた。アイゴの干ものは香酸柑橘類ととても合う、というのが常識なのだ。今回のものは神奈川県小田原のアイゴで作った干ものだが、せめてもということで徳島県産のすだちを搾りかける。
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ブリ豆腐は飯失い

ブリ半身で何品作れるか? 失敗したのもあったけど数えるのは嫌になるくらい作る。最近、酒量が減っているので料理はおかずが8割、酒の肴が2割だ。ブリと八王子綜合卸売協同組合内の豆腐屋の、ちょっといい木綿豆腐を合わせたら格好のおかずになった。まったく飾り気のない素な感じのおかず、って素晴らしいとボクは勝手に思っている。大上段に構えた料理は嫌いなので、するするっと作ったおかずに愛を感じる。もう少し水分を切った方が豆腐は煮上がりがしゃきっと真四角な感じになったはず、というのが今回の反省点だ。ただ、限られた時間で作っているので豆腐の押しが甘くても致し方なし、かな。じっくり甘辛く煮つけたブリは身の味わいもさることながら、そこからにじみ出た、だしこそ重要かも知れない。考えて見るとボクが作るおかずは醤油甘辛系ばかりである。よく煮上げて舌の上で脆弱につぶれるブリの身からも醤油の煮汁が出てくるし、豆腐が纏っているのもブリのうま味と醤油である。それにしても、こんなに簡単に、誰にでもできるおかずこそ、ご飯を消費する元凶なのだよ。また腹回りが、ちょっと余計に気になる。ポテチン、なのだ。
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小田原産小スマの刺身

まさかこの若いスマを食べてみようとは思いもしなかったので、一切れつまんで、気もそぞろになる。大漁だった二宮定置に、たった1個体混ざっていてくれて、まことにありがとさん、としか言いようがない。サバ型類(亜目にあたる)の旧カツオ科であったスマ、マルソウダ、ヒラソウダ、カツオの特徴は小さくても味があることである。これを忘れていた自分の不覚を感じないではいられない。ものすごくうまいのである。豊かな呈味成分が舌に広がる。
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ちりめんとすだちで阿波徳島飯

「阿波徳島飯」とは徳島県産ちりめんと、徳島県産すだちだけで食べる飯という意味である。大分県ならかぼすで大分飯でもええし、広島県ならレモンで広島飯とすればいいだろう。スーパーで特売していたので買ってきた、徳島県産ちりめんはボウルに入れて湯をそそぎ、1、2、3くらいまで数えて湯を切る。ほんの数年前までこんなことはしなかった、年を取ったと言うことだろう。ボクの生まれ故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)で家族はこの湯を使った食べ方をしていた。両親の親戚の多くは隣町の美馬町(現美馬市)にいたが、何人かが同様のことをやっていたので、「なんでお湯かけるんじゃ?」と聞いたら、「砂が混じっとるからじゃ」といった。当時、湯をかけて箸でちりめんを揚げると、茶碗の底に【希】にではあるが砂があったものだ。ちなみにボクの生まれ故郷は県西部の山間部である。すだち(分類的にはユズ)は県東部のもので、県西部に入ってきたのは意外に遅くて、1960年代はじめだと柑橘農家の叔父からきいたことがある。ボクがすだちという植物を認識したのは、この木に抱きついて大変な目にあった小学校中学年のときだ。だからボクが幼児の頃、すだちとちりめんはなかったかも。もちろん当時のちりめんにはコウイカ(コウイカやシリヤケイカ)やツツイカ類(スルメイカなど)、クルマエビ科のアカエビ属、サルエビ、タチウオ、イワシ類(マイワシ、ウルメイワシ)、アユやフグ類、タツノオトシゴ類の稚魚などが混ざっていた。ただ砂は混ざっていたとは思えない。念のために最近、ちりめんやしらす干しに、フグの稚魚が混ざっていたと言って大騒ぎするバカがいる。回収したりする。なんの問題があるんだろう。もったいないこと甚だしい。甲殻類なら大問題だが、フグの稚魚が人に影響を与える毒(MU値を考えろ)を持っている可能性などない。こんなバカなことはやめようね、といいたい。今、ボクが湯を使うのは少しだけだけどしっとりして柔らかくなるからだ。しらす干しの妖艶なまでのやわらかさではなく、さらさらしたちりめんが、ちょっとだけよ、と言いながら柔らかく、ご飯に馴染みやすくなる。これを茶碗のご飯に大量に盛り上げて、すだちをのせて、食卓へ。今回はすだち2個だったが、安い時季なので3個使ってもよかったなと、後悔している。すだちはこれからどんどん安くなる。香よりも果汁が主役になる。この「阿波徳島飯」の旬は秋のシラス漁の最盛期と、すだちがちょっと黄色くなる時季である。家族はちりめんに醤油を垂らしていたが、今現在のボクなどちりめんの塩気で十分過ぎるくらいである。塩気でカタクチイワシの稚魚のおいしさが生まれ、それを硬く干し水分含量を減らすことで濃縮する。ちりめんはうま味の塊なのである。すだちはそこに大量の香りと酸味を足してくれている。これがご飯の甘さと結婚すると言うに言われぬ味になる。今回はちょっとだけ大盛りご飯の、「阿波徳島飯」である。
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銭州のサメのおこぼれマダイを食べる 3、釣り鐘の潮汁

天然羅臼昆布のだしで、ことことと30分ほど煮たものなので、腹鰭を持って引っ張るとバラバラになる。ほぐれた身と皮とを濃厚かつ上品なだしと一緒に食べる。腹鰭の後ろなどをしゃぶっているとサメとチューしているみたいで、なんとも不思議だ。平凡な料理なのにというか、平凡な料理だからこそ生まれる味わいなのだと思っている。面白いもので長時間煮だしているので皮など舌の上でとろりと溶ける。そのとろける舌の感覚が呈味成分とは関係なく甘く感じる。このおいしさは文字に出来ない。潮汁はていねいに作ると、御馳走だ、ということがわかる。これで清酒を正一合と行きたいが、昼間なので凍頂烏龍茶。
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ブリのマリネにスリカンボ

ブリ半身で何品作れるか? 失敗したのもあったけど数えるのは嫌になるくらい作る。マリネは最近、夕方とか深夜にジンハイボールを飲むために、オキアジで作り、ブリでも作った。ブリに好きなものをできるだけ投入したら、見た目の地味なものが出来上がった。赤が足りないなんていうプロっぽいことは考えたくもないので、ありのままにしてみた。素がいちばんいいと思っているのだよ。今回、ケーパーとスリカンボ(イタドリ)の塩気が別種で、別種の塩気が混ざり合うと新しい塩気になるのに始めて気がついた。当たり前だけど、ケーパーの塩気は柔らかい。スリカンボは酸味があるので棘立った塩気である。粗挽きの黒コショウの辛味もいい感じだし、最近、好きになって多用している生のタイムもいい役をこなしている。北海道根室産ブリのすごいところはこんなにたくさんプラスしても、その脂のとろっとした舌触り、甘味が浮き上がってくることだろう。ブリが全体をまとめる役割を担っているようにも感じる。ここに大量投入したライムの酸味がきて、ジンハイボールを喉に流し込むと爽やかな気分になる。
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8月のタイラギは悪い時季にもかかわらず美味

8月のタイラギ(タイラガイ)に期待する人はいないだろう、と思ったけど、それでも買ってしまう、のは水産生物とヒトとの関わりを調べているからだ。買ってみたら意外にもそんなに悪くはない。貝柱の膨らみが弱く、身のきめ細やかさがないものの、貝としての味の実力者なりに、不調であっても横綱的なところがある。貝柱自体が痩せているのは、この時季しかたがない。それでも充分、甘味をともなった微かな渋味と、ほどよい食感が楽しめる。この独特の風味はタイラギだけにある。タイラギがホタテガイなどと比べて断然高いのには、この風味故だ。しかも近年、漁獲量が減っている。これ以上高くなったらどうしようと思いながら、群馬の妙義山を正一合。
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関西にあって関東にないポークチャップ

『木皿食堂』に熱中している。ベッドでは、曲亭馬琴やベルツの世界にいないといけないし、ちょっとだけ平安時代なのに、読んではいけない禁断の世界に落ち込んでしまっている。著者の女鹿年季子は神戸在住で、ポークチャップ(ポークチョップ)を食べているときのことが出ている。これだけでも今どきの、人ではないことがわかる。「ポークチャップ」は昔、2つの顔を持つ尼崎(兵庫県尼崎市)のざわざわした方の食堂で一度だけ食べている。ついで書いておくが、尼崎はこのざわざわした阪神めいた南の方が、パルナスの喫茶店もあるし(今もあるかわからないけど)、で好きだ。商店街に阪神の歌(たぶん)ががんがんに流れて、マジック70とかあって意味不明なところもいいし、オバチャン、オッチャン、バアチャン、ジイチャンの野球帽比率が高いのもすごい。商店街にあるへんな物体を眺めていると、肩に抱きついてきたオッチャンに、「旅の人でっか?」と聞かれてうなずくと、「阪神タイガースは大阪ちゃいます、尼崎です(ともに意訳)」とか、言われて、ビックリして逃げたことがあるのも、南の尼崎の魅力だろう。閑話休題。おいしいかったのか、といったら「?」だった。どこかしらもの足りない思いしかボクの脳みそには残っていない。たぶんこの料理、関西では普通だけど、関東にはない、のではないか? とすると関西発祥(大げさだけど)かもしれない。味はケチャップそのものだった気がする。ケチャップを使っているだけでオシャレ、といった時代があったんだと思う。
コラム

標準和名ハマグリの話

「ハマグリ(標準和名はカタカナ)を知らない人はいないでしょう?」と言う人はハマグリを知らないと思う。一般的な「はまぐり(一般名称は「」内)」も、標準和名のハマグリも、知っている人はこの国の1パーセントもいないと思う。だいたいハマグリを食べたことがある人も1パーセント以下だと思う。ハマグリはアサリと同じマルスダレガイ科の二枚貝である。北海道南部から九州の内湾の干潟などに生息している。内湾の歩いて行ける浅場にいるために国内では縄文時代(紀元前16000年前後〜紀元前1000年前後)にも盛んに食べられていた。古くはたくさんとれたが、20世紀の後半には減少し始め、今や産地と言えるほどの産地は数えるほどしかない。平安時代の「貝合」の二枚貝であり、雛祭に食べるものでもあり、また「ぐれる」の語源ともなった。伊勢湾名物だったので、「その手は桑名の焼き蛤」なんて面白い俚諺もある。だれでも知っていそうで、だれも知らないのがハマグリなのだ。
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小田原産活け締めアイゴで作るヤのやっぎ

これが三度目の「やっぎ」だ。漢字にすると「焼切」で、日本各地で作られている「焼き切り(焼き切れ)」と同じだ。前々回は市場流通してきたものを、買って2日目に作ったが、弾力がなく皮目の香ばしさが感じられなかった。これを小田原の活け締めで作ったら想像だにできなかった、まるで別物の料理となる。鹿児島県南さつま市笠沙周辺の郷土料理なので、当地でも、当然とれたばかりを料理しているはずなのだだ。だから人気があるのだろう。あえて言うと、とれたて、もしくはとれて翌日くらいのものを使ってを作らないと、作れないということがわかったことになる。今回のものは神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置で活け締めしていただいたもので、当日、夜に作ったのが「やっぎ」だ。口に含んだ途端、焼いた香りが口中に広がる。これが「やっぎ」の真骨頂だのだとわかる。アイゴの皮周辺の濃厚なうま味と、噛むとじわりと染み出てくる脂など他に類をみない。考えてみると「やっぎ」は噛む料理なのだなとわかってくる。漁師さんが輪になって食べるとき、口中にある時間が長い、それもいいところだろう。ちなみに普通の濃口醤油とわさびで食べたが、鹿児島の甘い醤油の方がよかったやも知れない。合わせたのは、ジンハイボールだ。
コラム

通やこだわりのある人の話は1億分の1だけ聞け

〈お母さんは、子供にどんどん自己流のヘンなものを食べさせるべきだと、私は思う。〉『木皿食堂』(木皿泉 二葉文庫)が、好きで、この部分だけなんども読み直している。すごいな、とか、いい言葉だな、とかではなく、本当にそうだと思っているためだ。食通とかこだわりのある人は、ボクには異星人に思える。たぶん冥王星よりも遠い星の人、M78星雲のもっと遙か彼方の人かも知れない。別にいたとしても気にしなくていいと思うけど、そんな異星人に惑わされず、自分自身に立ち返れといいたい。自分自身が本当に好きなもののこと、本当に知っているんだろうか?だいたいボクの嗜好、好みはコロコロコロとローリングストーンなのだ。ぜんぜん一定の好みというか“好き”がない。辛いのが好きなときがあったが、今現在はちょっとだけ辛いくらいがいいし、煮つけは去年まではあっさり味つけていたのに、今年はこてっこってなのである。みりんと砂糖を両方使うと、たとえばみりんを2倍入れるよりも甘くなるので両方使いしている。去年のボクが食べたら、甘過ぎらいバカヤロウ! と思うくらいに甘い。最近、魚屋に言わせると、煮つけを敬遠してカレイが売れないそうだ。お客に聞くと上手に作れない、と答えが返ってくるという。バカ言ってんじゃネー。それでいいのだ。煮つけは失敗してこそ上手になる。上手にならなくても失敗は人生の糧になる。食べられないくらいまずい魚の煮つけを作れる人は、逆に考えると料理の天才ではないだろうか。木皿泉ではないが、ヘンな料理の方が心に残る。心に残る料理を作ろうぜ。
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シオで野締めなのに、うまいじゃない

神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置で選別のじゃまをしてたら、足元にシオッコ(シオ、ショゴなどなど。漢字は汐っ子とすることが多い)があって、小振りなので、ことわって拾ってきた。現在、徹底的に魚を計測しているので、そのためだ。今回くらいの漁があって慌ただしいときに、こんなにミニで数がまとまらないと、入合にしても売れ残ることが多い。ある意味、典型的な未利用魚でもある。体長22cm・192gあった。東京というところはカンパチの若い個体、シオッコが好きだ。現在の豊洲などでのシオッコはだいたい【25cm以上40cm以下】なので、この個体はシオッコ以下である。お盆が過ぎると昔、築地場内では、「シオッコ買ってかないか」、「いやいやまだ早いだろう」なんて立ち話が聞こえてきていた。ボクもそこに入れるようになったとき、市場人だな、ボクも、と思ったものだ。実際そのころ、関東で揚がるカンパチの群れは、いうなれば同級生、単系統であり、年間を通して揚がるものではなかった。8月後半になると黒潮にのってやってくるのは決まってシオッコで、とてもいい値がつく、そんな存在であった。余談になるが今では相模湾でも比較的大きな個体が普通に揚がる。伊豆諸島に南下するとびっくりするような大型もとれる。ブリは大きいほど高く味がいいが、カンパチは、あくまでも関東での話だが大型は人気がなく安い。味も値段通りだと思っている。この相模湾でのカンパチの水揚げからも強く温暖化を感じる。計測のために持ち帰って、計測していたら思ったよりも身がよさそうだった。刺身にしてみたらとても味があった。野締めなので食感は失われていたものの、逆に舌触りがなめらかで、微かに甘味すら感じる。水揚げした日限定の美味だけど、期待しなかっただけに驚かされた。念のために塩とごま油も用意していたが、いつものようにわさび・醤油で十二分においしかった。このサイズはブリだとワカシサイズになる。同じブリ属なのにワカシには味がない。これがとても不思議である。
コラム

今季初新子は産地不明・手抜きだけどウマシ

魚屋で開いていたものだが、推測ではあるが全長10cm足らずなので明らかに最近の考え方では新子(コノシロの幼魚)、その酢じめである。新子は本来、秋のものなので立秋から二月余りの間のものだが、最近、関東では5月の後半には3〜5gくらいのものが100g・ 20000円なんてべらぼうな値段でやってくる。もちろんそんなものとは縁のないボクは毎年、そろそろ秋めいてくる8月後半に初物食いをする。それにしても最近、秋を感じるのは一月遅れの9月後半になってからだ。秋めいてくると書いたのは間違いだけど、セミも少なくなって、虫集く頃なので、1ミクロンほどは秋になったやも知れぬ。さて、ボクが作ったとはいいきれない新子の酢じめだが、端的にうまい。走りの頃の4、5g なんて舌の上で溶けてしまうものよりも、味からすると今回の12g、13g程度が上である。背の青い魚の強いうま味と、皮にほんの少し感じられる淡水魚のような粗野な味があることが新子のよさであるが、それだけではだめなのだ。そこに、ほどよい塩味と酸味がきてこその味わいである。面白いものでコノシロという魚は塩と酢で味際立つのである。このサイズまでの身の軟らかさも重要かも知れぬ。醤油をつけないでわさびだけつけてつまむ。酒は群馬の妙義山を正一合。
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夏のブリで甘辛ブリ照りを作る

ブリ半身をあれこれ料理するのは重荷だなと感じながら買い、一刻も早く消費していかなければと思い、あまりにも直球勝負なれど、定番料理、照り焼きを作る。ブリ照り用に切りつけて、ブリ照り用のたれを塗って塗って、塗ってと3度以上塗って焼き上げたものなので、焼き上がりの調味料とブリの脂が混ざり合った香りだけで、しわいやなら飯三杯といったところだ。照り焼きは、安土桃山時代に料理名として残る、「色つけ」という料理が名前を変えたものだと思っている。室町時代には醤油にせいぜい少量の酒を加えたタレだったと思うけど、今やみりんもあるし砂糖もあるので、こてこての甘辛味にしてみた。それでもちゃんとブリ本来の味が、むしろ調味料のせいで余計に感じられる。この不思議さも味の内である。産地不明の「神楽南蛮」の辛味がこれまたとてもいい。これとわかめのみそ汁で、茶碗一ぱいのご飯とはデブって辛いなと思う。
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銭州のサメのおこぼれマダイを食べる 2、竜田揚げ

ボクの覚え書きから。「竜田揚げ」とは、奈良県生駒市などを流れる、紅葉の名所、竜田川から来ている。料理名の起源は意外に新しく、明治以降ではないかと推測する。奈良県の竜田川(龍田川)が紅葉(特定の植物の名ではなく紅葉した植物という意味)の名所だったことから来る。わかりやすく言えば、「紅葉=赤い」、料理では「赤は醤油に染まる」、ことからの名だ。百人一首、在原業平の〈千早ぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くぐるとは〉が有名だったので、実際の川とはなんの関係もなくつけたのだと思う。生駒市を流れる川に実際に行ってみたらわかることだけど、ほんまにこれが名所なんかい、とがっかりすること間違いなし。ちなみに在原氏は9世紀半ば、桓武天皇が平安京遷都をし、平城京にあった勢力からの脱皮を果たし大改革した混乱期に、歴史的にも不思議な存在である平城天皇から臣籍降下した一族である。在原氏で有名なのは鍋の名に残る行平(ゆきひら)と歌人で有名な業平だけだ。いつの間にか歴史上から姿を消す。ちなみに平安時代の和歌はどちらかというと、落ちこぼれ貴族が作るもので、左御子家の定家も、在原業平も紀貫之も落ちこぼれそのものである。さて、目の前にある竜田揚げは醤油+甘味+にんにくなどの味がついている、ので冷めても味が落ちない。いくつかの事象を文字で並べて関係性を調べるという、クソ面倒くさいことをやっているときの、おやつに持って来いである。ちなみに調べ物をしながらもの食うとき、ボクは、左利き♪ である。サメに食いちぎられた部分なので不揃い極まりないが、意外にもこのガタガタした部分がおいしい。普通に三枚に下ろした身(筋肉)よりも、より柔らかい気がする。これなどサメに食われたときのショックで筋肉が変質したせいかも。柔らかいだけではなく、ちゃんとマダイの味がする。身の甘味は、たぶん呈味成分が複雑にからみあったことからくるのだろう。繊維質で口の中で心地よくほぐれるのもいい。ふわっと柔らかいのに、時間がたってもこのままで、表面に油が浮き上がってこない。意外にも〈神代もきかず〉なうまさだった。
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脂がないのにごっつぉじゃった、ヒラソウダ

神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置で選別のじゃまをしていたら、ヒラソウダをいただいた。触った感じが硬いので、それほど期待して食べたわけではない。ただ、二宮定置の若い衆が、ヒラソウダを指さして、「脂はないけどうまいんです。さっぱりしていて……」と年齢に合わないことを言ったのだ。そしてボクもいいたい。なんだかわかんないけど、脂のあまりないヒラソウダは、ごっつごっつぉ(徳島弁で大御馳走)じゃ。半身の背だけを食べたが、昨日の感動が残っているので今日は腹の部分を食べてみよう!なんて気持ちになっている。脂が乗っていると、脂のこくというか口溶け感からくる甘さを堪能出来るものの、真のヒラソウダの味がわからないのかも知れない。8月後半のあっさりしたヒラソウダは、ヒラソウダの持っている呈味成分だけで勝負して勝利を勝ち取っているみたいだ。たぶんイノシンの豊かさからくる強いうま味だけではだめで、ほどよい酸味があるからうまい。この酸味がなければ味が単調過ぎる気もする。それにしても漁師というのは、テレビなんかに出てくる偽グルメが裸になって逃げるくらい本物グルメなのである。
コラム

小田原魚市場そば、港のおっかさんのところでクサカリツボダイ

不眠のまま神奈川県小田原市、小田原魚市場まで南下、魚を見て帰ってきたはいいが、シャワーをあびたらいきなりダウンする。気がついたらこんな時間になっている。疲れが溜まっているので、頭がずきずきして眩暈が止まらない。目覚めてはや1時間、やっと解消しつつある。最近、完徹ではなくほぼ徹夜すら苦しいのは年のせいだ。さて、実りある小田原行であった。夏の潮から秋の潮に替わる気配が感じられ、台風のために多くの定置が上がったまんまなのに、市場内には魚が溢れかえっていた。南伊豆の船が、伊豆諸島までくだって釣り上げたキンメダイ、メダイなどに混ざって、クサカリツボダイがあった。これを仕入れたナイトウさんが、港のおっかさんのところまで持って来てくれ、焼いていただく。じっくり焼き上がったクサカリツボダイの味は、箸をつけて、手がベトベトになり、Tシャツがクサカリツボダイの脂でまみれにまみれて、初めてうまいなとビックリした。息が詰まるほどウマシだ。ナイトウさん、ありがとさん。
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銭州のオキアジのあらを、獅子唐とたく

ボクは四国は徳島の人間なので、言語的には関西である。「煮る」というと、なんとなく醤油辛く棘立って感じ、「たく」というと優しい穏やかな味を思う。そしてボクの基本、通奏低音のようなものは、地味で日常的なところだと思っている。事実、好きなものも目立たない、平凡なものだ。だから魚料理の中でも、おかずを、「煮る」のではなく、「たく」ことがいちばん好きだ。オキアジを前すると、作りたい料理が浮かびすぎて困るくらいだった。結局15品以上作った。中に、「獅子唐とあらをたいたもの」がある。別に思いついたという事ではなく、八王子綜合卸売センター、八百角で獅子唐の特売をやっていて大袋を買った。そこにオキアジがあっただけだ。あらからこそげ取った身がフレーク状になり、獅子唐にまとわりついている、ように見える。今回の獅子唐も少し辛いのが混ざっていたが、なんとかこの甘いフレーク状のオキアジの身のお陰で舌をシーハーしなくても済んだ。それにしてもオキアジのあらの豊かなうま味はすごいと思う。獅子唐はちょっと青臭いくらいの軽いたき加減にしたが、この青臭味をオキアジのうま味が抱き込んで、一つの味に作りあげてくれている。結局、みそ汁も作らず、これだけで茶碗1ぱいの飯を食らう。
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夏のブリを塩味で焼いて、揚げたように焼いて

ブリ半身をあれこれ料理するのは重荷だなと感じながら買って、一刻も早く消費していかなければと思い、いきなり焼いた。いちばん最初に、おやつのような感覚で作ったのが血合いの塩焼きだ。動かないで文字文字しているのに、夕方前に必ず腹の虫が騒ぐ。けれどもここで糖質を食べるわけにはいかない、この時間に、ちょっとだけ魚料理をつまんでみたら、ちゃんと腹の虫が黙ったのである。緑茶の番茶で食べるので、これは、はやり、おやつだろう。この血合い骨を切り取った部分だけ焼いたものは、不思議な味だった。焼き上がりはなんだか普通だけど、ものすごく個性的な味である。10㎏上のブリになると、血合いが牛肉のような風味だし、ちょっとレバーのようだし、なのだ。その下の普通の身(筋肉)は脂がのっているので、普通にうまいしでもある。脂があるということはとても柔らかい。その柔らかい塩焼きに2つの味があって、混ぜこぜになった味を、緑茶の番茶が流し去る。これだけで満腹になった気がするから不思議。
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銭州のサメのおこぼれマダイを食べる 1、兜煮

ここまで大きいと、どこから食べていいのか見当もつかない。いきなり唇にちゅーなのである。このぶるんぶるんとした食感の唇ウマシ。皮も絶品というか、皮だけで料理一品と同じくらいの存在感がある。あっちゃこっちゃの身のおいしさも、名状しがたい。あえていうと身の筋繊維のほどよいほぐれ感と、締まり具合と、うま味で、ただただうまいとしか言えそうにない。泣けてくる。付着している皮や身だけで、胃の腑のご飯用の隙間がなくなる。鱈腹食べるではなく鯛腹食べる、だ。満腹になり、食べ疲れてダウン。銭州のサメくん、ありがとさん。
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夏には、ブリこん辛みそ鍋

若いとき、体は木製だった。年を取ると、体はコンクリート製になる。若いときは昼間の熱がすーっと去って行くが、年を取ると体の熱がこもってぜんぜん去りはしない。年寄りが、熱がこもって死にそうなとき、逆療法がいいんじゃないか?暑いときには涼やかな冷たいものではなく、濃厚かつ非常に辛くて熱々のものを食った方がいいんじゃないかな。ブリの腹身とこんにゃくだけなので、交互に食べる。いちばん脂のある部分なので切り身を舌に乗せると脆弱で、しかもとろっとしている。甘いと感じるのは脂のせいだろう。このとろっと柔らかいところに、こんにゃくのごく熱く、強く歯に抵抗感を感じるのがとてもいい。なぜだかわからないけど、最近、辛すぎると食べられない。本当はコチュジャンの辛さに追い唐辛子をするのだけどやめた。それでも汗がぽちぽちと落ちてくる。ぽちぽちふうふう鍋。辛さの中に見えてくる人生儚し、だ。ここに沖縄のハブボールを2缶は飲み過ぎかな? 逆療法なのでこれもよしかな?
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エゾボラは真ツブでAツブで刺身ツブで

食用としている軟体動物貝類(軟体動物のタコやイカ、ウミウシを除く)の基本的なものを挙げて行く。学者とか貝に興味がある人のレベルは除く。知っていると生活に生かせるレベルのものだけにした。基本的食用貝類の覚え書きだ。エゾバイ科エゾボラ属エゾボラという巻き貝の話。(科や属などの階級は知らなくてもいいけれど知って置くとのちのち便利)本種は普通の食用貝だけど、知っていたら、貝に関しては通人である。市場では標準和名ではなく「真ツブ」とか「Aツブ」と呼ばれることが多い。BがあるからA、真ではない同じような貝がいるから真で、このエゾボラ属ではもっとも味がよくて、値段の高い種でもある。消費地のスーパーなどに並ぶことはなく、一般小売店の中でも高級魚店かデパート・高級スーパーでしか買えない。
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銭州のオキアジでトルコ風サンド

まだ若くて水産生物とヒトとの関わりを調べ始めたばかりのときに、おぼえたのが「トルコ風サンド」だ。写真しかなく、トルコ在住だった人間や、行って帰ってきたばかりの人間をとっつかまえて教わり、作り方を考えたものだ。なんてことを前々前回書いた。あまりにもたくさん料理を作ったので、今回のオキアジに関してはとりとめがない。テーブルの上でアジ科の分類的変遷をたどりながら、オキアジ料理を作りすぎているのに、朝ご飯までもオキアジで、となる。オキアジの全粒粉ソテーを挟んだもので、トルコ風サンド・ソテータイプだ。全粒粉の穀物感で切身の表面がちょっとだけ餅っとして、オールスパイスの風味が立ち上がる。バタールなので食べ応えがある。それにしてもオキアジは、なんという味の実力者なんだろう。脂が口溶け感が感じられるし、アジ科らしいうま味もある。しかもソテーするとふんわりして柔らかい。塩味をつけた紫玉ねぎがとてもいい存在感を発揮しているのも、いいねー。調べごとの最中なのに、群馬県中之条町、甘い甘い三山ワイン赤を1ぱいだけ。八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが銭州で釣り上げたオキアジの体長は40cmだ。この種としては最大級である。過去にこれほど大きな個体は見たことがない。以上は前回書いた。薄い切り身を作る。塩コショウして全粒粉をまぶす。ソテーする。温めたバタールにレタスを敷き、トマト、塩とオリーブオイルとにんにくで和えた紫玉ねぎをのせた、オールスパイス(お好みのものを)を振る。その上にオキアジのソテーをのせてあとはいろいろ。食べる前に思いっきり上から押し押ししてがぶり。
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大分県佐伯市産アイゴのマリネ

このところケーパーに夢中になっている。いろんな料理に使っているが、やはりマリネに使うのが、いちばんケーパーのよさが出る、と思い始めている。アイゴ、スギ、ハチビキ、ブリでマリネを作ったが、だんぜん、アイゴがウマスギだった。この一般流通ながら扱いのいいアイゴというのは非常に使える、ということもわかった。やや細く切ったアイゴにケーパーの塩気、トマトや紫玉ねぎなどの風味がライムジュースで一体化する。ものすごくゴージャスなフルバンド的な味である。しかもアイゴ自体の食感の豊かさ、身の豊かなうま味が強く強く舌を震わせる。あくまでも深夜酒のアテなのに、心に残る味であった。深夜なのに岐阜県八百津、「玉柏 原酒」の水割りを思わず2杯。
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8月12日、主菜は海水のものと陸水のものと

【めったに受けない健康診断で、いろいろ言われた。専門家に自分が食べているものを見直しなさいと言われ、同じ日に友人に食べたものを書き出せ、と言われる。いちばんしっかり食べる朝ご飯を、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。】7月後半からいろんなことをやり、それのほとんどがお初なものばかり。それにしても周りは見知らぬ人ばかりってのはくたびれる。そんな日の翌日の祝日の日の遅い朝ご飯だ。スギのみそ汁を作っただけの朝ご飯で、しかも二度寝前のご飯なのだ。面白いもので納豆が食べたかったので、ワンパック開けたけど、変な取り合わせになる。スギみそ汁、鯉濃(コイ)、納豆、ご飯、トマト。納豆は副将軍なんてふざけた名のもの。■スギみそ汁。中骨を適当に切り、湯通しして氷水に落とす。水分をよくきり、水から煮出して、みそを溶いたもの。■鯉濃はこの時点でシチューのごときものとなっている。ご飯にやたらに合う。食った後また睡眠。
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三重県産ウルメイワシの揚げ揚げ

関東周辺のスーパーを回っていて、意外に見かける機会が多いのがウルメイワシである。小さいと劣化が早いので消費地では比較的大振りが売られていることが多い。今回のものなど手に取った時点で揚げものにしてやる、と思ってカゴに放り込んだ。買い求めた初日は、お昼なので天ぷら定食の天ぷらの1種にする。季節のなすやオクラも揚げて、おいしい、おいしい昼飯なのである。天ぷらの種は上品でくせのない味の魚ではだめなのだ。ウルメイワシのちょっと背の青い魚的なワイルドな部分、そして豊かなうま味が揚げることで凝縮する。ご飯を食べ過ぎないように1尾だけ揚げたが、それでもご飯がもっともっと欲しくなった。
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ムールガイのシェリー蒸でおしゃれなブランチ

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産でこれを量りにのせると、帳場で値段(㎏単価)がわからないので、「ムールいくら」と声が飛ぶ。ムラサキイガイは、市場人総てがムール(ガイ)で、買い出し人も含めると百パーセント、ムールである。標準和名なんて誰も知らない。そしてボクも市場から帰宅して、トレビアーンと言いながら、ムールガイのシェリー蒸を作り、バゲットと合わせてブランチにする。
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銭州のオキアジで外房のなめろう

夏には「なめろう」かも知れない。「みそたたき」ではなく、「なめろう」と千葉県の郷土料理名を使うのは、酢を使うからだ。この千葉県ならではの、「なめろう」がいちばん夏向きである。マアジ、ウルメイワシ、マイワシと作ったが、意外にもオキアジがいちばん印象に残った。定番というか「なめろう」の主役であるマアジを超えたのは、意外だった。オキアジ自体に豊かなうま味があり、刺身で感じた以上の脂が感じられる。オキアジ恐るべしだけど、少量入れた青唐辛子のピリっだってやけに心地よいし、大量投入したにんにくもいい。今回は長崎県の麦みそを使ったのも正解だったかも。ついでにいえば「なめろう」を作るために徹底的に包丁研ぎをした。やはり「なめろう」は切れる包丁で叩くべし。夏バテのせいか、いけないとは思いながら、このところ毎晩酒を飲んでいる。冷やした岐阜県八百津の「玉柏」もよし、なのだ。
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2024年、今季初サンマは8月19日

8月中旬なのにこんなに痩せた身で、こんなにぺろっとした魚体なのか、とある意味、ビックリ仰天している。ただし去年の初サンマは8月31日で、今年よりももっと痩せていたのである。刺身は細く作って3、4本くらいすくっては食べたが、ちゃんとサンマらしい味はする。個人的には初サンマの味としてはこんなものかなと満足している。サンマらしい独特の渋味を伴ったうま味があるし、少ないながら脂を感じる。気温は真夏だけど、暦では秋なので、初物食いを喜びたい。
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暑すぎても大丈夫、スギのセビチェ

セビチェは高野潤の書籍で知り、だいたいのところしかわからないので、ペルーに何度か行っている知り合いに作り方を書いてもらって初めて作った。結局のところ、今の今まで本物を知らないので、少々不安ではある。ただ、ペルーに駐在していたという知り合いに、我が家まで来てもらって味見してもらったことがある。「こんなものだろう」と言ったのでこんなものなのだろう。気になるのは、ペルーでは穀物に合わせるための、おかずだ、という。それなのに、こんなに酸っぱくて塩辛くていいのだろうか? なんて最近、また不安になっている。特別わかりやすいおいしさではないが、ときになんとなく作るのが、我が家にとってのセビチェと言えそうだ。さて、夜中になっても外気温は30度近くあり、体が欲しているアルコールは日本酒よりもスピリッツだ。ここ数日立て続けに飲んでいる、アブソルートに合わせようとすると、いやが応にもセビチェを作ることになる。スギは比較的お安かったのでいろんな料理を使ったが、セビチェもそのひとつなのだ。これが実においしかった。身がしっかりしていて味がある。ライムの酸味や香り、尾鷲市の唐辛子、虎の尾の辛さにも、決して負けないうま味があった。それにしても今年の虎の尾はやけに辛い。そのひりひりを北欧のウォッカで洗う。脳みそにオーロラが浮かんできた。
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今季初ブリは根室産で、まずは刺身

根室のブリは、市場ではまだまだだな、と言っていたが、ボクには十二分を通り越して、もう限界の脂の乗りであった。正直な話、暮れから2月くらいまでの氷見の青箱からボクの嗜好がずんずんと遠ざかっていく。ブリは北海道がいちばんとさえ思っている。3月中旬以降の春ブリもいいな、とかとか。考えてみると、若い頃もそんなに脂に強かったわけではない。バブルの時、氷見ブリを専門に食べさせるという料理店で出て来た刺身が、3切れ。会食したメンバーが全部食べきれないので、若いボクに食べろよ、とどんどんよこしてくる。2切れで充分なんだけどなー、とも言えず、喜んだ振りをして食べたけど、以後の料理がまずくて困った。ブリは脂の乗りを重視してはならぬ。ほどよさが肝心なり、が24歳のときのボクの学びだった。背から食べたが、ブリの身の軟らかさと曇りガラス状に曇らせた脂とでで圧倒された。そんなに厚みのある刺身にしたわけでもないのに、もう少し薄めでよかったかもと思う。酸味がわずかなので、脂の口溶け感とねっとりした舌触りとで、とてもおいしさの量が多い。濃口醤油をやめて刺身醤油に替えてみた。正解だったかも。
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キジハタのこってりこってこて煮つけ

こってり煮つけたら魚の味が死んでしまう、なんてありゃしない。煮つけはこってりと甘々がいい気がしてきた。知り合いの料理人をとっ捕まえて聞いたら、某所(東京都西部)では原始時代から砂糖どばっで甘くて醤油辛い煮つけを作っているという(あくまでも個人的意見だけど)。ボクの場合、そんなに単純ではないし、砂糖ではなくみりん甘いだけど、暑さに疲れてくるとどんどん煮つけが甘辛くなる。今回のキジハタの煮つけなんざー、初めて暮らし始めた東京都江戸川区小岩の食堂で食べた味そのものになってしまっている。それでもちゃんとキジハタの持ち味が感じられる。筋肉に染みている煮汁の中で、ほどほどの脂のある身の軟らかさ、キジハタ本来のうま味が浮き上がって来ている。大体皮がおいしい。今回残念だったのは肝が小さかったことだけど、この肝だっておいしいし、胃袋だっておいしい。
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北海道根室市、夏のオオノガイ漁と干もの

根室周辺(根室市根室湾、風蓮湖、春国岱)の広大な浅瀬では貝類の手掘り漁が行われている。少し沖では桁引もある。中でも貝類は多彩で、アサリ、バカガイ、「ほっきがい(ウバガイ)」がとれる。これにやや沖のホタテガイ桁引のホタテガイを加えると計4種も揚がる。食用二枚貝は1種類の漁獲量が多く、地域内で揚がる種類が少ないのが一般的なので、根室周辺は国内でも希有な二枚貝多種類漁獲地域だ。この二枚貝が豊富な根室市の干潟で夏、5月から7月、大潮の干潮時に行われているのがオオノガイ漁である。たった2日間だけの、最干潮の前後4時間ほどの漁である。根室湾中部漁業協同組合の組合員によって漁が行われているが、組合員1軒につき2名(鍬2本)までが漁を行える。オオノガイは干潟の表面から30cm前後の深さのところにいる。漁は手掘りで、歯が3本の備中鍬で掘り進む。ひたすら前に少しずつ掘り進んでいく。漁獲していいのは殻長70㎜以上で、小さなものは埋め戻される。それにしても30㎝も鍬で掘り進み、大型をバスケットに入れ、小型を埋め戻すのは重労働である。家族が多い家では2本の鍬を交代交代に掘る。1人だけだと、たった1人で4時間掘り続けることになる。この漁業規制が末永いオオノガイ漁の保証になるのだと思われる。それにしても根室湾中部漁業協同組合の取り組みは素晴らしい。このとったオオノガイの水管は干ものになり、その他の部分は自家消費される参考/『オオノガイ資源を守るために-オオガイ生態調査に取り組んで-』(根室湾中部漁業協同組合貝手掘部会 オオノガイ研究グループ 木下秀雄)
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観音崎沖のアジは昨日のカレー

木皿泉の『昨日のカレー、明日のパン』があまりにも好きで、ときどき鬱に落ちると読む。東京神田神保町、東京堂のお勧めコーナーに並んでいて、いつもはこのコーナーの本を買わない主義なのに買った本。タイトルからもわかるように悲喜劇はあるものの、日常がなんとなく過ぎていくという、起伏がないのに強い引力がある小説である。ボクの人生もこんな感じかなと観音崎灯台沖の、特上のマアジを食べながら思ったのだ。有名な、神奈川県横須賀市走水の大アジもいいけれど、個人的にはもう少し小さいほうが好き。釣り師ではないので釣りアジではなく、アジの味が大切なのだ。刺身はここ数ヶ月でトップの味だった。脂はほどほどながらうま味があり、釣り上げて首を折って、丸一日なので食感も豊かである。ジンの薄めの水割りを飲みながら、ついつい箸が伸びる。止まらない。1尾丸ごと食べきってしまいそうなので、途中でふと箸を止めて考えた。3分の1を醤油にみりん少し、しょうがの漬けにして仕舞う。ちょっともの足りないのも結構じゃござんせんか。
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今年の新イカは残暑の頃

新イカにこだわっているわけではないが、東京の夏の風物詩のひとつでもあるので新イカらしいときに、必ず1度だけ買っている。コウイカ(西日本ではハリイカということが多い)に味が出るのは外套長(刺身などにする部分の長さ)12cmくらいからなので、今回の外套長6㎝前後では味がない。味がないのにこのサイズに1ぱいに1000円以上出したいのが、東京人、特に高級すし屋の奇妙さなのである。当然、客は、「新イカをつまみましたよ」と大枚腹って通ぶりたいのだろう。ちなみにボクが買うのは1ぱい100円前後になってからだが、それでも高価である。刺身と言っても軽く湯に潜らせたものだが、淡い淡い味しかない。非常に脆弱で、食べていてはかない。手放しでうまいとはいえない。今回合わせた酒は岐阜県八百津の「玉柏」だが、酸味がほどんど感じられずさらりとしている。このさらり軽やかなところが新イカに合う。
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スギのちょいツマ、シラチャーソース和え

ちょいとつまみでも作ろうか、というのを自分に対して自分で「ちょいツマ」とは、本当は言わないけど「ちょいツマ」の話。サイト内の料理は本来は生・焼く・煮る・ソテー・汁、の基本的なものだけを載せていたが、コラムページが出来たので、出来心で作ったものもコラムで公開していく。さて、お盆休みであまり魚が来ないため、文字の世界にどっぷり浸かっている。サイトの改訂につぐ改訂である。あまりにも座ってばかりで、ちょっとだけ体調不良に陥る。持病の眩暈に不定愁訴で体がしゃきっとしない。そうだ、昼酒しよう、と思ったのはなぜだろう? 無謀な気がするものの、冷蔵庫をあさって本能のままに作ったのが、スギのシラチャーソース和えである。猛暑なんて言語が追いつかないくらい熱い今日この頃、なぜかコチュジャンをよく使う。暑いとコチュジャンとか唐辛子が欲しくなるのかも。普段はチューブのコチュジャン、蜂蜜、ごま油少々、にんにくで甘いソースを作り魚や野菜と和えるのが好きだけど、ここで大変なことが発覚。コチュジャンが切れていたのだ。残っている調味料を広げに広げて、やっと見つけたのがシラチャーソースだ。タイの辛いソースだけど、辛甘いという意味ではコチュジャンで作るものとそんなに変わらない。ただし辛いものに強くないボクにはちょっとだけ辛すぎる。そんな冒険心を奮い立たせての、スギのシラチャーソース和えである。それにしても普段は甘すぎるくらい甘いコチュジャンソースなのに、このタイのチリソースは少しだけ蜂蜜を足したのも関わらず辛すぎてハーハーする。ただし、スギの塩焼きに辛いソースがよく合う。エゴマの葉が入るとコチュジャンを使ってないのに韓国風になる。この辛味は不定愁訴をちょっとだけ吹っ飛ばす効果がある、みたいだ。韓国の酒飲みに笑われそうだけど、これにチェジュの水割りで、あとはそっとー、そっとー♪ お休み自分なのである。八王子綜合卸売センター福泉で買ったスギも残りわずか。尾に近い部分に弱い振り塩をする。少し置き、じっくり焼き上げる。焼いたスギ、エゴマの葉、きゅうりを太めのせん切りにしてシラチャーソース+蜂蜜で和える。
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銭州の大オキアジで天ぷらそば

たまりにたまった情報を処理しているので、今年に入ってじっくりご飯を食べる暇がない。救いのない生活の合間に、群馬県吉岡町で買ってきた蒸しそばできりぎり昼前、11時半に朝ご飯を摂る。目の前で蒸しそばに、超簡単なそばつゆをかける。そばつゆは煮きりみりん+カツオ節出し+加減をみながら足す醤油、といったもの。あわただしいので火は入れない。みりんの代わりに砂糖でもケッコウ毛だらけだ。究極のそばつゆなんて下らないことは考えない、やたらめたら手抜きしすぎ、のつゆだ。ここに撮影のため作ったオキアジの天ぷらに、野菜の天ぷらをのせて、きざみねぎをそえる。わさびはチューブのもので、最近のものはよく出来ていて、いい香りいい辛味だ。オキアジの天ぷらはふわっと軽く、身が甘いのもあり、とても味わい深い。きちっと動物たんぱくならではの実力をみせてくれている。あとの夏野菜の天ぷらだって、撮影台の上で食べているとは思えないくらいにおいしい。それにしても群馬県で買う、麺はぜんぶうまい。今回の蒸しそばだって小麦粉多めなのに、とてもいい味だし、そばの風味も十二分にする。群馬県ってすごいかも。
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八月美味なるアイゴの塩焼き

宇井縫蔵の『紀州魚譜』にもある「八九月頗美味」なアイゴの塩焼きを作った。水洗いして内臓をとって焼くべきか、丸のまま焼くべきか、悩んだ。産卵期のアイゴは比較的臭味がなく、しかも今回のものは扱いがとてもよかった。高知県大月町道の駅で出会った方の教え通り、丸のまま何もしないで焼いてみた。水洗いして頭部を落とした塩焼きは何度も作っているが、丸のまま焼くのは冒険に思えた。
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絵を描くように作るスギのカルパッチョ

カルパッチョを作ったらいい絵が描けたかなとまずは愛でる。この料理の語源はいろいろあるらしく、昔、専門料理では肉を並べた情景がカルパッチョの絵のようだから、というのがあって、そんなもんじゃねーかな、どうせこじつけだろうからと思っている。この国でこれを魚介類にアレンジしたのだと思う。ただイタリアでは、肉を薄切りにして並べてオイルやチーズ、調味料で味つけをするというのが基本であるなら、その縁を忍べるように作りたいと考えている。だから並べるというのと、下になにかを敷いて、上になにかを乗せて描くように作っている。今回のスギは脂の乗りはそこそこだが、うま味が豊かで食感もよかった。ここに足したのはオリーブオイル・にんにく・塩につぶしたフルーツトマト、黒コショウにタイムとかぼすである。昔、フレンチの店で甘みのあるキウイを乗せたのがあったが、白身(ヒラメ)には甘味が勝ちすぎていると思った。甘味は最低限でいい。取り分け、我が家の場合は甘味は最小限にしている。魚本来の味と塩、スパイスが主で、そこに柑橘類の酸味がくると、きりりとした味になる。いろんなものを抽象画のようになぐり描いたら、ちゃんとオリーブオイルが全体をまとめてくれている。1枚1枚くるくると丸めて食べる時間もいいし、実においしいし、安い白ワインに合う。
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タナカゲンゲとは、いったい何だ?

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変で、ちょっとだけ珍しい、のを「隣の珍魚」という。「隣の珍魚」を知っているととても自然に優しいし、環境にも優しい。しかもちょっとだけ自慢できる!】タナカゲンゲは国内では日本海の深場に生息している。珍しい魚とまでは言えないが、見た目が非常に変なのだ。顔つきが人のようだし、キツネとか耳の長〜い犬のようにも見える。しかも1m以上になり、やたらに大きい。大きくて変な姿なので思わず目が引き寄せられる。これはいったい「何だ?」と思わない人はいない、「隣の珍魚」だ。一般的に考えると、日本海周辺では比較的普通の食用魚で、ちょっとだけ珍しいくらいなので「隣の珍魚」、太平洋側では「珍魚」である。ちなみに消費地でも関西の方が「隣の珍魚」的であり、関東では「珍魚」中の「珍魚」だと思う。東京都内ではときどき珍魚大好きな魚屋が看板代わりに並べていることもあるが、極めて珍しいから大看板になる。
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コウイカの甲は貝殻なのだ

この話は数億年前から始まるが、その細かい年代記はここでは書かないつもり。階級にも触れない。自分で年代記・階級などなどを作ってくれるとありがたい。軟体動物(門)という体が柔らかい動物がいて、最初はミミズのような形をしていて、徐々に水中にたっぷりある炭酸カルシウムを取り込んで貝殻を作る。お椀を伏せたような貝殻、板を繋ぎ合わせた貝殻を持つ動物が生まれる。これがネオピリナであり、ヒザラガイである。徐々に卵から孵化するとすぐ、渦巻きを描きながら巻き巻きした貝殻を作るような動物に進化する。軟体類でもっとも多数を占めるサザエやバイなどの巻き貝である。この巻き貝の貝殻は重いし、動きにくいので、自由が欲しいと思った動物が誕生する。貝殻を持ちながら泳ぐようになる。絶滅したアンモナイトやオウムガイだ。この貝殻をつけたままでは早く泳げない。貝殻を捨てようと思った生物がいて、それがイカである。貝殻を体の中に封じ込めてハンディータイプの靴べらのようなもの(ある人は船に似ているものという人もいる)にして体に取り込む。それが、甲(写真はコウイカの甲)である。甲は貝殻でイカが貝だった証拠なのだ。この甲を持っているのがイカの仲間が、コウイカであり、シリヤケイカであり、カミナリイカだ。コウイカの貝殻には先に棘があるので、「針イカ」と西日本で呼ばれている。その内、こんな貝殻はいらんといい始めた生き物が生まれる。貝殻は徐々にもっと小さくなり、フィルム状になる。これが筒状の体をしたイカであるスルメイカ、ヤリイカ、アオリイカなのだ。そしてタコになり貝殻が消滅するが、それは別項にて。
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旬はこれから、銭州の大オキアジの刺身

オキアジの端正な味の表現が難しい。白身でもなく、アジ科の背の青い魚でもない。あえて言うと、身が白濁しやすいということでは、サバ科のサワラやハガツオに似ている。うま味の強さも似ている。今回の脂はそれほどという個体も実においしいと思うのは、切りつけた身にうま味成分が多く、食感は強くなく、どちらかというと柔らかいからだろう。最近、神奈川県小田原などでも手に入れにくい魚になりつつあるのは、とれると欲しい人が多いためだ。お昼ご飯にご飯の菜としながら、この脂ではなくうま味成分の豊かさ故の味に感服している。ご飯にのせて食べるとなおうまいのは、オキアジの身に甘味があるからだろう。今年の秋は去年以上にオキアジ食うぞと思っている。
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がやがや、エゾメバル

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変で、ちょっとだけ珍しい、のを「隣の珍魚」という。「隣の珍魚」を知っているととても自然に優しいし、環境にも優しい】全部、「めばる」になってしまう不思議。最近でこそ、スーパーなどで標準和名で表記されているが、現メバル科メバル属の多くがただただ「めばる」だった。急激に人気が陰っている「めばる」とされる魚で、標準和名が知られている種はまったく存在しない。この知名度の低さは、昔、メバルだった魚が3種類に分かれたのも原因だし、もっといえば「めばる」が多すぎるのも問題である。余談だが、メバル科には一般的に「めばる」と呼ばれるものと、「そい」がいて、ともに岩礁域(根周り)にいる。クロソイ、ムラソイなどの「そい」は根(底)についているが、「めばる」と呼ばれる魚は全部が全部ではないが少し海底から浮いて暮らしているのだ。北海道、東北などではこの違いが、もちろん漁業関係者の間ではだが明確にわかっているようだ。その問題多すぎの「めばる」の中でももっとも問題を抱えているのがエゾメバルである。
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民芸の名品にクサヤモロのきゅうりもみ

暑さ疲れもピークに達している今日この頃、毎日欠かさず酢のものを食べている。いつもは保存容器に入れてそこから直で食べているが、たまには器に盛ってみた。使ったのは、ひょっとしたら明治時代のものかも、という、いっちんの小鉢である。青みを帯びた灰釉に白い線がなんともいえず、しゃれている。以下はボクの知識ではなく、東京都駒場東大前『べにや民芸店』のりょうさんから教わったこと。いっちんは釉薬とか陶土をクリーム状にして、袋に入れて少しずつ絞り出して、線を描いたもの、非常に高度な技術を要す。このような民芸的な器に盛っていただくと、息苦しいほどに蒸し暑い夏に涼を感じる。酢に混ぜ込んだクサヤモロのうま味豊かであること、きゅうりの歯触り、青い風味も夏にこそのものだ。長野県諏訪の「真澄 銀撰パック」を冷たくして正一合だけ。
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スマとレッドアンデスに結婚してもらう

スマは野菜や芋類などと煮るとことが多い。今回はじゃがいものレッドアンデス、翌日は丸ナスと煮てみたが、レッドアンデスの方が上かな。あまりにも相性がよかったので、翌々日にもまた作る。岐阜県で大量買いしたレッドアンデスをスマ1尾と煮て使い切る。普段は生節(塩ゆでにして放冷)にして煮るのだが、今回は生炊きにしてみたがこれも正解。サバ科の魚の特徴はイノシンが多いことではないか。おいしい成分を大量にもっているので、煮合わせるとやたらにその真価を発揮するのだ。また、レッドアンデスのよいところは、じゃがいもとしてのうま味もあり、煮崩れにくいことだ。これがスマのおいしいと合体すると敵なしの味になる。またスマは何度か煮直したが硬く締まらなかった。ほどよい硬さでうま味に満ちているのでじゃがいもも、スマも食べ飽きない。これなど大発見かも。
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夏が来れば食べたくなる、鯉濃

鯉濃(こいこく)は煮れば煮るほど、みそとコイが一体化し、液体というよりも味は違うけどドミグラスソースのようなものに変化してくる。この過程が面白い。鯉濃はみそ汁でもなくみそ煮でもない。作った翌日が、一日目で、ことことと煮て、冷まして温めたものは骨が気になるやら、みその味が馴染んでいないやらで、おいしくはない。
コラム

大分県佐伯市産アイゴの刺身

アイゴはすべてが臭いわけではない。海域にもよるが、臭い個体があるにはあるが、そんなに臭い個体の比率が高いわけではない。今回の大分県佐伯市から来たものなど、とりたてて特別な締め方をしているようには思えないのに臭い個体は皆無だった。しかも非常に脂が乗っていた。いろいろ作ったが、まずイの一番に刺身について。へぎ造りにした身の表面に脂の層が出来ている。わさび醤油で食べた刺身は、今夏食べた魚の中でもトップクラスの味であった。一日に多種類の魚を食べないといけないので、普段食べる刺身は最小限味見程度としているが、1尾丸ごと14切れ食べてしまった。それでも飽きが来ない。もともと身質がよく、うま味に満ちているが、そこにたっぷりの脂が乗っているので、甘味が感じられる。盆で魚の流通が止まっている今、もっとたくさん買って来ればよかった、と後悔さえしている。
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タイプ標本が丹後半島沖なのにエッチュウバイ

群馬県吉岡町、『スーパーマーケット ツルヤ』で買った福井県産白バイを食べながら考える。それにしてもこの白バイは文句なしの美味で指が汚れるのもいとわず、ついつい手が伸びる。関東のスーパーにもよく並んでいて、見つけると必ず買う水産生物のひとつだ。念のために煮方をば。まずは流水でていねいに泥などを流す。鍋に水・醤油・酒(みりんでも)を入れて10分前後煮る。このまま冷ます。泥を噛んでいることが多いので、軟体を貝から出し、煮た汁の中で洗う。軟体は貝に戻す。今回『ツルヤ』で買った福井県産白バイの標準和名はエッチュウバイである。このエッチュウバイをはじめ日本貝類学にはびっくりするくらい謎が多い。別の分野の専門家で貝類学は謎学だといった人がいるくらいで、ボクなど門外漢は入り込むこと自体が危険だな、と思っている。ただし、このようなありふれた食用貝に関しての謎を避けて通るわけにはいかない。この謎の端切れを述べたいが、ここでは海域に関してに限定し、水深に関しては省く。複雑になりすぎるからだ。以下、気にならない方は読む必要はない。また、貝殻を愛でて楽しんでいる限り、あえていうと深みにはまり込まない限り、こんな永久迷路にはまり込むことはない。楽しもうぜ、貝の世界とも言っておきたい。
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キジハタ薄造り、塩ライム&黒コショウ&タイム

自宅では主に水産生物を食べているので、持続、そして持続するためにあれこれ工夫する。目の前にキジハタ(西日本ではアコウ)の薄造りがあり、わさび醤油と柑橘類にしたいと思って造ったら箸が伸びない。大好きなライムと塩で、オリーブオイルは抜きにしてみても、今ひとつ足りない。あらびき黒コショウをパラパラと散らし、タイムを乗せてみた。意外にも完成度が高い。
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北海道産マイワシの全粒粉揚げ

ほどよく脂が乗っているのでマイワシは、ふんわり柔らかく揚がっている。つけた全粒粉は粉というよりも穀物的な味がする。かりっとではなく半分餅っとした揚がり具合である。ノンアルコールではあるが、ビールにとても合う。ふんわり餅々ってのもいいものだ。
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見極めが難しいツムブリの刺身

抱卵個体で、値段が安かったので、それなりの味だろう、と思ったらけっこうイケル味であった。ツムブリは遺伝子的にはブリ類を代表する魚で、味わいの方向性もブリに近い。ブリほどではないが微かな酸味があるのもブリを感じさせる。嫌みのない優等生的な味と言ってもいいだろう。2日間にわたって刺身にしてみたが、初日はわさび醤油、2日目はごま油・唐辛子・塩・にんにくで食べてみた。夏なので柑橘類にわさびであっさりがいい、と思ったら、ごま油の方に惹かれた。これなら優等生的で単調になりがちなところがリカバリーできる。このごま油塩は大阪で教わった食べ方で、実際に鶴橋の飲食店で食べてもいるが、実に優れている。ツムブリのように歩留まりがよい魚は、刺身の食べ方もいろいろ工夫すべきかも。
コラム

小クサヤモロのコチュジャン和え

やはり夏は辛味だなと思う。皮付きのクサヤモロをコチュジャン、酢、にんにく、ごま油と、普段はやらない食べ方で食べるのも、外気温が38度もあるせいだと思う。小型のクサヤモロは釣り上げてすぐに首を折ってあったので、刺身でもいけたが、今回は強い味にしてみた。夏は辛味と酸味というが、この韓国風の味を体が求めているといたのかも知れぬ。こんなに小さな個体なのにコチュジャンの辛さに負けないで、おいしさの存在感があるところなど、意外でもあった。深夜にこれででチェジュをやったら、ぐっすり眠ることができた。余談になるが、小出楢重(1887-1931)は夏に弱く、食欲不振のまま食べるものも食べないで、夏をやり過ごしていたようだ。この短い人生のあり方がこんなところにあった気がする。この天才的な画家の話を持ち出すまでもなく、この残酷なほどの暑さの中ででも、なにかを食べたいという気持ちこそがとても大切なのである。そこに辛味だ。夏はあれこれ味を変えて水産生物の料理に取り組むべしだ。
コラム

頭を触ればガンコだとわかる

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変で、ちょっとだけ珍しい、のを「隣の珍魚」という。「隣の珍魚」を知っているととても自然に優しいし、環境にも優しい】この魚、ガンコは山陰以北の日本海、銚子以北の太平洋の深場に生息している。全長50cm弱で、普通の人がいきなり見たら魚だとは思うだろうけど、それ以上なにもわからないと思う。見た目がかなり厳つい。一見刺々しく見えないし、ぶよぶよしているので触ってみようかな、と思うはずである。触ったらわかることだけど、この魚、皮膚の下が棘だらけなのだ。チクリと刺されるような棘ではなくゴツゴツトゲトゲしていて、痛いけどケガはしないはずだ。しかもまるで西部劇の悪役俳優のような頬髭、口髭を生やし、実に精悍な面構えをしている。とても根は気のいい頑固オヤジには見えない。
郷土料理

スマのスパゲッティは〈delizioso〉

7月はじめに魚のパスタを作り始めて、目から鱗というと月並みだが、魚魚しいパスタがこんなにもおいしいのかと、作るたびにデカイ腹を突き出しのけぞっている。そして、スマ、だー。比較してはいけないかも知れないが、食べているときには正しい評価が出来ないものだが、ここに魚魚しいパスタの頂点をみた気がする。(もちろんどんどん評価は変わるけど)ソテーしたスマの中落ちがやけにうまいだけではなく、中からにじみ出てきたうま味が非常に豊かだ。最近、できるだけ塩を使わないのに濃厚に思えるのは、スマのうま味成分がぎょうさん出ているためだろう。ここに今回のひらめきで入れたヒメグルミのこくが追加される。ナッツ系の濃厚な油分ありのうま味と香ばしさって、足しても余計ではなく、うまさが倍増する役割を担うのだ。うま味を含んだ油とスパゲッティだけでも、ごっついええな、と思う。そこにケーパーの酸味と塩気がくるのもいい。こんなに魚のうま味と、ケーパーの酸味が合うなんて思わなかった。しかもしかもプラスティックのケースに入って高かったスイートバジルではなく、袋にどばっと入って安い直売所のものを、どんどんちぎり入れたら、これもええ、ではないか。ハーブとか香りのものは高値だからと、ケチケチ使っていたのではよさがちっともわからないってのも最近わかってきた。ネットで調べると、イタリア語で、おいしいは、〈delizioso〉らしいけど、この一皿で感じることは、それだな。〈delizioso〉でボクの腹が、また一回り膨らんだ。早く昼ワインを飲んでも、仕事が継続できる体にもどりたい。
コラム

7月26日、シロギス天丼で朝昼兼用

【めったに受けない健康診断で、いろいろ言われた。専門家に自分が食べたものを見直しなさいと言われ、同じ日に友人に食べたものを書き出せ、と言われる。いちばんしっかり食べる朝ご飯を、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。】最近、丼ものが多いな、と思っているが、これも朝方の作業がなかなか終わらないからだ。そんなに忙しい人間ではなく、比較的世の中とのリンクもほとんどない孤立無援の淋しいボクなのに、なぜかやることなすこと多し、なのだ。期限がある仕事すら終わっていないわけで、行き詰まっていた日でもあった。この日は朝から揚げ物ばかりの撮影をしていた。味見をしていたらご飯を食べる気がなくなり、なんと午後4時に朝昼兼用のシロギス天丼を食べた、ヤマトシジミは前日から砂出だしをして、これまたこの朝、撮影したもの。八王子綜合卸売センター、八百角で買った四葉きゅうりの漬物をつけたのは昨夜のこととなる。丼も汁も漬物も残り物、作り置きものだ。■シロギス天丼。シロギスは前日、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で開いたものを買い、この日の朝、少し成形して揚げて撮影、味見した残り。野菜も同様。■シジミのみそ汁。島根県産ヤマトシジミを泥だししてこの朝、600gほどをみそ汁にしたもの。すぐに冷蔵して食べたいときに温めて食べる。みそは愛知県岡崎市の八丁味噌。撮影に使った脚立に腰掛けてパクパクと。名残のキスの天ぷらを名残惜しむ暇もなし。これじゃ現場飯である。夜にはもっと面倒くさいことが待っている。
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黒くて何が悪い、クロダイの話

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変で、ちょっとだけ珍しい、のを「隣の珍魚」という。「隣の珍魚」を知っているととても自然に優しいし、環境にも優しい】タイとそっくりな姿だけど赤くない、黒いけどタイ科のタイだからそのものずばり黒鯛である。実際に本種を見るととてもカッコイイし、うまそうなのだ。最低限、赤いタイ(マダイ)と黒いタイがいることくらいは知って置いてもらいたいものだ。
コラム

野菜・植物について ミニかぼす素晴らしい

ミニなかぼすを八王子綜合卸売センター『八百角』で買った。果汁はともかく普通のかぼすよりも香りは数倍上だった。いろんな料理に使ったが素晴らしいったらありゃしない。国内の青果市場の大きいほど高い、という原則ほどつまらないことはない。おかしいんじゃないと思っている。もっと普通にミニかぼす買えるようにならないかな?さて、念のため。水産生物の食べ方も多種多様でなければならないが、野菜もそうだと思っている。地球上の全生物が危険なのだから、既成概念などぶっ飛ばさないとだめだ。ときどき八百屋で思う事は、夏にほうれん草、夏に小松菜、夏に白菜や止めた方がいいということ。空心菜、ヒユナ、ツルムラサキ、ニガウリ、カボチャの茎などなど本来東南アジア・沖縄で作られていた、売られていた野菜が、今や関東でも作られているし、売られているのだからそっちを使おうよ。夏にアブラナ科の植物を作ってなんの意味がある。ほうれん草もしかりだ。テレビや雑誌などに出ている料理研究家ってバカだねと思うのは、この季候をおもんばかって料理を考えていないだろうということ。これはマスコミも悪い。バングラデシュ人がバングラデシュよりも何倍も暑いと言わしめる、この国の実情をわかっているのかね。いかん! 話がそれたが、要するにいろんな野菜、果物を季候に合わせて食べようぜ、ということ。

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