
マガキが主種のお好み焼きは、我が家では長年定番的なものとなっている。この組み合わせのお好み焼きはいつ作ってもうまい。だれが考えたのか知らないが、マガキのお好み焼き、「かきおこ」を初めて食べたのは岡山県日生(ひなせ)で、2回目も日生で、3回目も日生なので「日生名物」かも知れない。今回、生地に広島県マガキの破片を混ぜ込んでいるので、生地にもマガキのおいしさがあり、上に乗せたマガキの濃厚なうま味とソテーした香ばしさがある。今季は剥いたカキすらも、殻付きもやたらに高いのでおやつというには高級すぎるけど、やはりマガキのお好み焼きはおいしい。冷凍マガキを使ってもやたらにおいしいのは、やはりマガキの味の実力だろう。これが今年の広島県産ならどんなによかった、のだろうと思いながらノンアルコールビールを飲む。ついでに本物ビールが飲めるようにもなりたい。■写真はあおさ(板東粉)をかける前。

東京の我が家から徳島市内までは約9時間。休みながらなので10時間以上かかる。淡路島までくるとほっとする。徳島ICを下りると、沖洲にある中央卸売市場まではまっすぐ行けばいい。4時過ぎに市場に到着する。徳島魚市の清重さんに挨拶してから市場を回る。

初あんこう2 あんこう鍋・煮つけセットで、煮つけhttps://www.zukan-bouz.com/article/1881初あんこう3 あんこう鍋・煮つけセットでみそ仕立て鍋https://www.zukan-bouz.com/article/1886今季初「あんこう鍋」は12月19日だった。毎年、同じ頃に、「あんこう鍋」を食べているので恒例と言ってもいいだろう。我が家の「あんこう鍋」は東京風である。割り下にだしを加えて酒と醤油なのだけど、これは神田須田町(東京都千代田区神田須田町)の彼の店に近い。学校が近くにあったので学生時代に一度、仕事を始めて一度、仕事先を増やしたあとは年2、3回は行っていた。ボクのほぼ棲んでいた地域から歩いて10分足らずにあったので、夕食に「あんこう鍋」もありだった。この水・削り節のだし(昆布はなし。だしの素でもいい)・酒・塩・薄口醤油というのは、何にでも合うけど、やはり「あんこう(キアンコウ)」にぴったりかも。我が家は独り鍋なので、最初に皮・胃袋・小さな卵巣・身などを入れて、鍋の中で、「あんこう(キアンコウ)」がおしくらまんじゅうを始めたら野菜と蒸した肝を入れる。後は食べるだけ、である。この身よりも皮、皮よりも鰭、鰭よりも胃袋、胃袋よりも肝がうまい魚の鍋を発明した人は偉い。今回の醤油味は東京風としてもいいのだと思っているが、東京湾も相模湾も、昔々から「あんこう(キアンコウ)」の産地だったから生まれた鍋だ、というのもあるだろう。もちろん本格的な漁は江戸時代、紀州から網漁が入ってきてからだと思うけど、こんなに近場で怪異な姿の巨大な魚が取れることに、江戸っ子はさぞや驚いたことだろう。意外に味のある魚だということが、割り下で煮ながら食べると、わかると思う。口の中で皮や身を長くとどめておいても決して味がだれない。むしろ変化する。胃袋など濃厚な味がする。野菜や「あんこう(キアンコウ)」を煮れば煮るほど汁がうまくなる。この汁と身や皮や肝を一緒に食べるのがまたいい。結局、汁も「あんこう(キアンコウ)」も野菜も全部食べ尽くす。鍋の後がない鍋となりにける。

最近、知り合いからの魚料理の問い合わせがくるようになった。図鑑のボクではなく、料理するボクの認知度が上がっているのかも知れない。いちばん最近教えたのが、ムニエル。ムニエルは上等な、難しい料理ではなく、フレンチではあるけど、やたらに簡単な料理だぜ! と教えたのである。さて、ついでに言うと、「魚料理はなめてかかれ」がボクのモットーであるということも言っておきたい。難しく考えないで、いとも簡単なんだと思え、ということだ。くどいようだが、ベスト・ベターは考えなくてもいいので、とりあえずやってみよう! ということでもある。さて、今回はウマヅラハギのムニエルの話なんだけど、ここで重要なのが便利な物は使うべきだということだ。魚は丸のまま買いたい人は買えばいいが、いろいろ忙しいし、手っ取り早くやりたい人は、ムニエルや塩焼きならスーパーの切り身でもいいし、下ろしてもらってもいい。そして今回の主役、ウマヅラハギは、東京都内ではあまり丸のまま並ばない魚だが、意外に今回のような皮を産地で剥いたものは平凡なスーパーにも並ぶ。こんなに便利なものはないので、魚の初心者はためらわすに買いなさい、と言いたい。これに塩コショウして小麦粉をまぶして、ソテーしたらムニエルの出来上がりである。沖縄のバター焼きもムニエルそのものの作り方で作る人がいるので、ムニエルの一種とすべきかも。ウマヅラハギのムニエルの魅力は小骨が少なく、身離れがいいことである。スプーン1つあると簡単に身ははずれ、朝ご飯のパンの友としてもいいし、醤油をたらすとご飯にも合う。当たり前だけど、非常においしいというのだから笑いが止まらない。蛇足になるけど、ウマヅラハギはバター(マーガリンでも)との相性が非常にいいので合体すると途方もなくおいしいものが出来上がる。柑橘類とも合う。ついでにいうと皿に残ったバター(マーガリンでも)をパンで拭き掃除すると皿洗いが簡単でもある。結構毛だらけでネコ丸裸、って感じ。

ひどい風邪で味覚が消えた。それ以前になにも食べられなくなる。これがじょじょに回復して、味覚がよみがえり、食欲の方ももどってきた。それでも食べたいものが限られる。辛いものもダメだし、刺激のあるものもダメだ。全快まで優しい味に終始する。だしを加えた割り下で、大量のきのこと焼き穴子を煮ながら食べるのは、体を癒やすためだと思っている。体調不良のときの鍋でもある。煮えた焼き穴子は口の中で柔らかく、舌の上で簡単につぶれてトロっとした味を発散する。このトロは明らかにマアナゴの脂からくる。焼いて一度、脂が液化して、今度は煮て液化するという行ったり来たりの後のトロだ。しかも甘味があるのが舌にとっての癒やしだと思っている。同時に大量投下したきのこのうま味たるや名状しがたい。煮えたきのこがうまいというのはあるが、それ以上にだしがいい。合いの手に芹を味わいながら、ほとんど残っていないだしに、終いの雑炊はできないし、いらないとぞ思いける。

福島県二本松市は行ったことがない町なので行っただけ、といってもいいだろう。今回の福島旅で一カ所くらいは歩きたいというのもあった。地図で見て歩く場所を二本松市に決めたのだが、こぢんまりしていて商店街があって、と楽しそうだ。それとうれしい誤算は和菓子店が非常に多いことだ。しかも二本松市の和菓子は地域性が高い。ボクが調べているのはこの国の地域性なので、うれしすぎる誤算だった。さて、二本松市にはJR二本松駅周辺と二本松城から東に延びる通りと二カ所に商店街がある。豊田屋菓子店は二本松市の北、二本松城近くにある商店街にあった。ここで買ったのがカステラまんじゅう、草ゆべし、あわまんじゅう、吹雪まんじゅう、あんぱん、「霞ヶ城 石垣ようかん」である。

舵丸水産店頭にある殻付きホタテガイは小振りである。でも非常に高い。念のために舵丸水産だから高いのではなく、むしろ安く抑えているのに高いのである。市場価格が高いという話でもある。東京都郊外のすし屋で何軒仕入れることができるんだろうか?なんて思うほどの値段だったので記念に1個だけ買ってみた。剥きホ(貝柱だけになったもの)も、今年は、ここ数年の2倍以上になっている。青森県陸奥湾の大量斃死といいホタテガイには不安定要素が多すぎる。せっかくなので味の記録もしなければいけないので、昼ご飯のおかずに刺身にする。刺身といっても小さい小さい。ただ、決していい状態ではないのに、意外にも甘味も貝らしい風味も豊かだ。非常においしいと言ってもいいだろう。ニュースや公的機関の数値ではなく、これからこつこつ市場でのホタテガイの値段、味を記録していくつもり。どんなに正確な数値よりも、値段がいちばんその魚貝類の現状を表していると思う。それにしてもおいしいではないか、苫小牧のホタテガイ。これ以上値上がりして欲しくないとぞ祈る。

魚の低価格化、未利用問題の原因のひとつが伝統料理の衰退にある。「(カレイは、)昔は飛ぶように売れたな」という魚屋が多いのは、自宅で煮つけにできる人間が多かったためだ。「今は売れねーなー」というのは煮つけを作らなくなったせいだ。ちなみに東京で「なめた(ババガレイ)の煮つけ」はちょっとだけ贅沢なものである。魚屋など、ボクが「なめた」を選んでいるのを見ると贅沢だね、なんて宣う。ボクなど米好き、ご飯好きなので頻繁に矢鱈に煮つけを作るが、やはり「なめた」の煮つけを作っていると贅沢な気分になる。しかも今季「初なめた」でもある。今回「なめた」を1尾丸ごとかったので我が家の二通りの煮つけを披露する。失敗しない、もっとも簡単でしかもおいしい煮つけが作れる方法である。まず初手は簡単で失敗しないやり方。長々と煮たわけではなく、魚に火を通すのと、適度に粘り気のある煮汁を分けて仕上げる。ちなみに煮染めて(魚の中心部分まで煮つける)はいない。表面だけが煮汁で煮染まり、中は白いまま。今回の「なめた(ババガレイ)」は非常に上質な白身で、そのまま食べてもおいしい。刺身をつけ醤油で食べるように、煮染まっていない身を煮汁にからめて食べる。

二本松市から南下、須賀川市に向かう。かなり前になるが、コイをよく食べる地域を探していると言ったら、須賀川市に面白いスーパーがあると教わっていたからだ。店名がわからないので、ボクとしてはめずらしくネットで探して特定した。ネット情報もバカには出来ない。ちなみに福島県中通りは、コイをよく食べる地域と言えるだろう。この歴史は非常に古いのではないかと思っている。戦国時代後期、伊達政宗が南下した地域がそのままコイ食文化のある地域というのも面白い。

ボクの故郷は徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)という山間の町だが、冬、「水たき」をよく作った。徳島県西部にも少しだけ瀬戸内海的な部分があるので、魚は「はげ(カワハギ)」、ボラが多かったが、「水たき」はごちそうだった。昔は昆布だしなどとらず、料理名のままに水で煮ていたが、これで充分おいしかった。今のボクは、まだまだ半病人なので食べやすくて滋味豊かなものが食べたい、となると子供の頃から食べている「水たき」しかない。これを今回買った淡路産「ちぬ(クロダイ)」でやる。「ちぬの水たき」のおいしさは香川県観音寺の競り場(漁港)でも教わったもので、瀬戸内海で「ちぬ(クロダイ)」は手に入れやすいのもあって定番的なものかも知れない。ちなみに広島県広島市にある中央市場でも「ちぬの水たき」の話を聞いたが、ハイカラなことに子供の頃からレモン醤油で食べていたと言った人がいる。今回は徳島で買ったユコウ(ユズの変種)と醤油で食べた。ていねいに湯引きして水にさらしたクロダイの頭が非常においしい。思った以上に身があり、この身と皮に味がある。ユコウと醤油で食べると止まらない。頭部からにじみ出たおいしいだしも大ごちそうである。だしで煮た野菜は半病人には薬のようなものでもある。酒抜きで汁をご飯にかけては食らう。早く酒が飲みたいとも思うけど、酒抜きの鍋もおいし。

舵丸水産に大分県産佐伯市鶴見『丸直水産』から来た、高級マイワシが素晴らしかったということを書いた。当然、塩焼きにもしてみた。他県ではあるが自転車で5分くらいのところに住んでいる、その世界にいた人間には助けられた。飲み物が欲しいと言えば買って来てくれるし、まとめようとしている「魚食普及とはなんだろう?」というテーマに関しても聞いてくれた。その日、ボクのマイワシの塩焼きの食べ方を見て、「親に『頭も内臓も食べろ』と言われたのが、魚嫌いになったきっかけかも」。と言いながらボクが残した内臓をおいしそうに食べていた。「内臓は大人の味ですね」大人になって魚好きになった五十路がいう。風邪を引いて味覚が鋭敏になり(子供舌になり)、とても内臓を食べる気にならないので、「結局、頭や内臓は食べても食べなくてもいいんじゃない」というと、「よくよく考えるとそうですね」彼の新しい仕事などの話もしたが、食べものの世界に「なければいけない」という言語はそぐわない、という結論に達した。ボクが食べられそうにない、腹回りの身を食べて、「脂がおいしいし、腹のまわりの身と内臓が一緒になるとメチャすごい」今回の大分県産マイワシは刺身にしても、塩焼きにしてもおいしかったけど、いろんなことを考えるきっかけにもなった。■舵丸水産は、一般客に優しいので、ぜひ近くにお住まいの方は一度お寄り頂きたい。

意外に知られていないサンマの基本を整理して公開するが、以下の章をもうける。・サンマの基礎知識 1 サンマとは?・サンマの基礎知識 2 サンマはなぜサンマになったのか?・サンマの基礎知識 3 江戸時代からサイラをとっていた紀州(▼本ページ)・サンマの基礎知識 4 東京を始め関東がサンマっ食いになったわけ・サンマの基礎知識 5 落語、目黒のさんまを掘り下げる・サンマの基礎知識 6 1945年以降、そして2000年以降、塩焼きから刺身へ・サンマの基礎知識 7 日本海のサンマサンマの食文化が国内で最初に繁栄したのは紀伊半島周辺である。太平洋に広く生息域をもつサンマには3系群(大きな産卵群)あるが、国内には太平洋北西系群と日本海系群の2つがいる。もっともたくさんとれて国内での生活に直結しているのは太平洋北西系群(太平洋沿岸を南北に回遊する)である。太平洋側のサンマは水温が下がる秋から春に、温かい南の海域で産卵をし、孵化した稚魚、幼魚は黒潮(暖流)にのって北上する。エサの豊富な北海道・青森県東沖で成長する。そしてまた夏から春にかけて産卵のために南下する。脂がもっとものる時季は8月から10月にかけて、北海道・青森県の東沖だが、岸から非常に遠い位置に群れている。サンマは昔々から食べられていたが、江戸時代から昭和になっても、原始的な漁法では岸に近づいてきた個体群しか漁獲できなかった。現在のように脂ののったサンマが食べられるようになったのは現代になってからなのだ。日本列島でもっとも古くからサンマを食べていたのは、南下する群れが陸に近づいてきたところ、半島、もしくは島だ。日本海の佐渡島、また能登半島のある富山湾、朝鮮半島に島が連なる長崎県。■日本海のサンマに関しては別項をたてる。太平洋側では伊豆半島、紀州(和歌山県南部と三重県西部)、高知県室戸岬東岸であるが、多くが紀州(紀伊半島)を目指して南下してくる。紀伊半島の東側の熊野灘は江戸時代以来の産地と言えるだろう。もっとも陸地に近づくのが旧紀州藩の紀伊半島熊野灘側で、いちばん漁獲していた地域は紀州の熊野灘にそった三重県と和歌山県だ。この地域ではサンマを、サイラ、サイリ、サイレ、サイロ、サエラ、サイレなどと呼ぶ。学名のCololabis saira (Brevoort, 1856)の種小名「saira」も採取した地域の呼び名サイラから来ており、マシューペリーのペリー艦隊が採取して故国アメリカでジェイムズ・カーソン・ブレボートが記載したときの個体も、紀伊半島周辺のものかも知れない。紀州は漁業先進地であり、江戸時代延宝年間(1673-1681)までには群れを作って回遊するサンマなどをとる漁法が生まれていた。16世紀~17世紀初頭に近畿地方、尾張地方などで綿花栽培が始まり、菜種の栽培も盛んになる。この綿花栽培は衣料の革命でもあって、人々の暮らしを大きく変えた。それまでの繊維である麻は保温性が低く、羽織っても寒く着心地が非常に悪い。保温性が高く、洗える木綿は急速に普及し、畿内で始まった綿花栽培は急速に広がっていく。ここで必要となったのが干鰯(マイワシをゆでて干したもの)である。干鰯の需要のもとに網漁である紀州漁法が生まれたのだ、ともいえるだろう。17世紀に生まれた紀州漁法は巻き網のひとつで、主にサンマをとるので「さいら網」という。紀州の多獲性魚類の漁は干鰯の原料であるマイワシに始まり、マサバもとるようになる。やがて時季にはブリをとり、サンマをとるというように発達してくる。この紀州漁法は17世紀に醤油醸造などの技術とともに千葉県銚子にも伝わる。千葉県銚子が江戸時代に漁業が盛んな地となり、サンマの産地になったのはこのためだ。■関東でのサンマの食文化は次回に持ち越す。

クロダイはマダイ同様、高級魚ではなくなってしまっている。マダイ以上に下落しているので、ものによっては大衆魚以下といってもいいだろう。ただ、値を下げているものの味のよさは変わらない。要するに安くておいしいので、不況で物価高の今こそ買い、の魚といってもいいだろう。余談になるが仕立てのいいもの(即死させてていねいに出荷したもの)は高値をつける。これもマダイとそっくりである。12月11日、八王子卸売協同組合、舵丸水産で買ったマダイは脂はそこそこなれど、非常においしかった。少しアニキ(売れ残り)だったけど、さすが淡路の仕立てはよく、刺身でむしろ味わい深くなっていた。食感はやや弱いものの濃厚なうま味があり、後味が甘い。しかも食べて少し置くと、口中からきれいに味がさっぱり消えてなくなるのもいい。このうま味と甘味が豊かな刺身にご飯というのがたいそうよかった。完全なる健康体なら大盛りご飯といきたいクラスである。さて、クロダイは2025年一月に1尾ずつ買って味見しているが、今のところ8月の大分県佐伯市鶴見の個体が随一、飛び抜けた味であった。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが駿河湾石花海(せのうみ)で釣ってきたヤリイカを活かしていた。欲しいなー、といったらしめて(生きている内に即死させて)くれた。時季なのか小振りで外套長(胴に見える部分)22cm・143gであった。(ヤリイカは春から初夏に産卵。秋に小イカがとれ始め、厳冬期から春に親となる)小さいけど実にうまそう。ありがとう!持ち帰り、外出前に炊飯の用意をして置いたご飯を炊く。10分で炊き上がり、蒸らしの15分ほどでヤリイカを下ろす。袋から出したらいきなり噛まれそうになる。意外にイカに噛みつかれると、「痛いのよ♪」、なんていいながら下ろしていたら元気がよすぎてじっとしていない。「本当にちゃんと締めたんだろうな?」という疑問が浮かぶ。げそをはずし、内臓と墨を捨てる。足(腕)の先を切り落とし皮を剥く。食べやすい大きさに切る。皮を剥き、耳(鰭とも)と胴の部分の薄皮を剥く。生きているので完全には剥けない。

福島市から直売所、スーパーに寄りながら、一度も行ったことのない、通り過ぎたこともない場所に点々と立ち寄る。福島県の南、二本松市は『福島の歴史』(山川出版)を読むと、安積(郡山)や白河と比べるとイメージがぼやけている。戦国時代には伊達家の米沢から近く、早くから伊達家の勢力圏内にある。城主は伊達氏、豊臣時代は蒲生氏、上杉氏、加藤嘉明の加藤氏、丹羽氏と替わる。ただ今回、城を見る時間はなく、上にもちろん菊人形にも興味がない。とりあえず寄ってみただけ、の町だ。期待しないで行ったところ、非常にきれいな町並みがあるではないか。町並みは二本松駅周辺と、少し離れたところ二本松城の東側との2つに分かれている気がする。まだ生きている商店が意外に多く、歩いて楽しい町とみた。当てもなく、歩け歩けで、途中、『大七酒造株式会社』を見つけて四合瓶でも買って帰ろかな? と思ったら入り口がわからないので断念する。つけ加えるに和菓子店が多いのも素晴らしい。今回、無手勝流に3店舗ばかり流したが、「城下町=和菓子店が多い」が、そのまま当てはまるいい町である。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に宮城県産の天然エゾアワビが来ていた。体調不良で、食べたいものを、素直に買うことにしているので、素直に1個(100g)だけ買う。1個だけど、チェーン店なら食事が出来るくらいの値段だと思うな、知らないけど。お昼過ぎに貝殻からはずし、塩で揉む。口と硬いヘリの部分を切り取る。水洗いしてぬめりと流して、食べやすい大きさに切る。肝は軽くゆでる。ユコウ(徳島県産ユズの変種)と醤油を用意する。凍頂ウーロン茶を飲みながら、茶菓子を食べるように食べる。そのまんま口に放り込んで口溶け感を楽しみながら、食べ始めたら、とまらない。結局何もつけず、冬のエゾアワビのおいしさに酔いしれる。やはり天然エゾアワビは高くてもかまわない。この複雑なアミノ酸からくる甘味。しこっとした強い食感と、唾液で表面が溶け始める感じ。病み上がりで涙もろくなっている、ので泣けてくる。それにアワビに茶もええじゃないか。■舵丸水産は、一般客に優しいので、ぜひ近くにお住まいの方は一度お寄り頂きたい。

それはとても不思議な荷だった。値札を見てビックリする以前に、下氷の上のマイワシが珍しい。最近、マイワシなど背の青い魚は基本的に水氷となっているが、フタをあけたら下氷でていねいに並べてあったという。マイワシの産地ではない大分県佐伯市に水氷の技術がないのだろう。だから突然、まとまって揚がった大羽イワシ(大形のマイワシ)をまるで上物の魚のように、ていねいに1尾ずつ並べたのだ。荷の仕立てが国内随一の鶴見らしいといった荷姿である。帰宅して、刺身にしてほんの少量のご飯の友にする。刺身はとても不思議な味だった。マイワシと思って食べたら、裏切られたというか、別のおいしさがある。食感はマアジのようで、非常に複雑で強いうま味がある。ただし、脂は少なく、舌の上で脂が溶けていくという、マイワシに求めていたものがない。これは賛否両論評価が分かれそうだが、ボクは心底うまいと思った。並のマイワシの2倍以上の値段だったが、2倍以上の味がした。かつて同じ味のマイワシを食べたことがある。ネガフィルム時代なので正確ではないが、千葉県鴨川市もしくは勝浦市で買った定置網に混ざっていた大羽イワシである。

さて、大風邪を引き込んで寝たきりになった途端、近所の元その世界のヤカラがへんな差し入れを持ってやってくるようになった。長年、ボクの本棚を撮影しているのだけど、今回は魚食普及の話にもなる。人恋しいので我ながら語る、語る。喉が枯れているのがよけいに枯れる。「魚食普及は知識だ」と思っているし、「魚食普及は魚料理のハードルを低くすることだ」と常々思っている、ということからはじめて。「(総論的に日常的に)魚食や水産生物を調べる」と言うことで、世の中に満足な知識を持っている人は一人もいない。ボクも日暮れて道遠しなので人の事を言えた義理ではない。中途半端な人間はやたらに難しいことを言いたがる。でも「知識」、「知ること」は楽しいのである。世の中には難しそうなこと、ご大層なことを言う人が少なからずいるが、無視するといい。魚(食べ物としての水産生物)を知ることは難しいことではなく、とにかく楽しいことなのだ。要は魚に関しては難しく考えないで簡単に考えるべし、ということでもある。ということで、半冷凍保存(我が家の冷蔵庫の機能なので)している汐っこ(カンパチの1キロ前後の大きさ)の祐庵焼き(幽庵焼き)を焼きながら、「祐庵焼きは塩焼きよりも簡単」という話をした。「祐庵」は琵琶湖の漁港堅田(滋賀県大津市堅田)に住んでいた北村祐庵(江戸時代前期の豪商で茶人)にちなむという。確かにこの料理、上品で淡泊過ぎるフナやコイで作ると絶品なので、琵琶湖生まれには違いない。ちなみに、現在のような料理屋の料理の起源は琵琶湖周辺と京都市中心部にあると思っている。最初の料理屋の料理はフナ、コイなどの湖魚を材料としていることも、間違いないだろう。どうしてこんなことがわかるのか?17世紀くらいから食の文字情報が増え、それが今簡単に読めるからだ。その最大の要因が茶会記(室町の末に始まる)にあり、というのも知っておくと自慢できるかも。閑話休題。祐庵焼きはとても簡単な料理だ。なのにいかにも、という感じで語るオバカな人間がいるが、やめて欲しい。魚の切り身を地(たれとも言いそう)に漬け込んで焼くだけだ。魚を初めて料理するのに持って来いだ。今回は9月に徳島から送ってもらったユコウ(ユズの変種)で香りづけしている。ユズで香りづけすると「柚庵焼き」ともいうが、ユコウでは語呂が悪い。流動物しか受け付けないボクの前で、食欲凄まじいおのこは、汐っこの祐庵焼きをぱくぱく食べて帰って行った。それにしても祐庵焼きの香りは素晴らしい。

体調不良なのにウルメイワシの丸干しが食べたくなる。無性に食べたくなったので、自然解凍してあぶる。最近、食べる前に頭はいきなり捨てることが多くなっている。内臓も食べるときと食べないときがある。知り合いがこれを見ていて「通じゃねー」、なんていうが、当然ボクは通ではない。頭も内臓も食べたいときには食べるし、食べたくないときには捨てる。これでいいのだ。今回など、腹具合が悪いので、背の部分を裂いて口の中で鯣(するめ)をなめるようになめる。丸干しの2分の1を捨てているわけで、世にはびこる、通なんてヤカラに見られたら、なんと言われるかしれたものではないが、これがやたらにうまい。茶菓子代わりに食べると、5、6本あぶったのが夕方には消えている。ボクの場合、かなり前に通とは真逆の人間であることを自覚し、魚などでもできるだけ手抜き料理をし、食べたいように食べたいと思い始めて長い。だから今回も非常に干しのいい、上等の鹿児島県産ウルメイワシの丸干しを贅沢に、自由気ままに食べたら、通っぽく丸ごと全部食べるよりも何倍も癒やされた。最近、新聞記者の方に「山口瞳が子供の頃から好きで好きで」、というと。あっちは「開高健が今でも好きです」という。お互い食に関しての無駄話の最中だったが、性格がにじみ出ている気がする。例えば開高健や白土三平があまり好きじゃないボクにとって、この当たりの好みの差こそが通とアンチ通の分かれ目かもと思った次第でもある。

風邪が長引き、なかなか元の状態にもどらない。食べられるものはバナナとかプリンとかだけ。米が食べたいけど、まだ受け付けない。全快とまではとても言えそうにない朝、市場をのぞきに行ったら、店頭はすっかり冬景色。唯一食べられそうな、茨城県産シラウオを買ってくる。ちなみにボクを呼び止めて、シラウオの食べ方を聞いた方へ。熱っぽかったので、ちゃんと答えられたか自信がない。シラウオは下ごしらえも簡単だし、料理法も多いし、そんなに高くないので、魚料理の初心者には大いにおすすめです、と言ったつもり。「魚はそんなにハードルが高くないので、いろいろ食べてみてくださいね」とも言ったつもりだが、声がかすれていたので伝わらなかったかも。1日、白醤油・ゆずに漬け込んで、ご飯がゆに混ぜ込んで食べる。かゆには大量の芹を混ぜ込んでいる。芹の香り、シラウオのほろ苦さと、ほの甘さ。かゆに乗せ、そのままかゆと一緒にすくうと生の味。混ぜ込むと火が通り、シラウオの甘さや魚のうまさが浮き上がってくる。12月は冬のはじまりだけど、一足お先に春のほろ苦さを楽しむ。

生まれた家が食器や雑貨、紙、練炭などの燃料を売る店だったので、国内どこにいっても同じような店に吸い込まれる。新潟県は上越、中越、下越に分かれるが、下越は新潟市を起点として、新発田市、そして胎内市、起点・米沢に向かう米坂線の終点・坂町駅のある坂町、漁業で有名な岩船町(村上市)、村上市へと続く。新潟市、新発田市、村上市は知名度も高いが、この間にある町がいい。さて、胎内市中条町にはまだ商店街が残っている。取り分け、食器や生活用品を売る店、『鉛山商店』があるのが素晴らしい。

日本全国を旅しているが、地域地域で必ず探すのが「しじみ(ヤマトシジミ)」だ。北海道から九州までの川の河口域に普通で、大産地は島根県、青森県、茨城県、三重県・愛知県などだが、ボクは小さな産地が好き。ヤマトシジミはボクにとっての定番的な旅土産のひとつである。地方で買い求めると必ず記録してサイトにも反映している。新潟県では新潟市阿賀野川でヤマトシジミの水揚げがある。漁期は7月から9月はじめ。県内では有名で、スーパーなどですぐに見つかる。今年は8月の終わりと、9月のはじめに手に入れた。

1泊するために、福島市に行った。疲れがたまりすぎていて、なにもできない空白の時間を作りたかったのものある。どうでもいいことだけど、今回の福島市泊で、県庁所在地で宿泊していないのは千葉市、さいたま市、静岡市、大分市であることが判明した。千葉市、さいたま市は仕方ないにしても、静岡市は意外だった。さて、簡単に福島市メモ。

節(カツオ節など)にはカツオ、マグロ類(キハダマグロ・ビンナガマグロなど)、マルソウダ、ゴマサバ、ムロアジ類、ウルメイワシなどがあるが、我が家に欠かせないのはマルソウダの節、「そうだ節(めじか節)」である。国内で使われている「そうだ節」の7、8割が高知県土佐清水市の中の狭い地域で作られている。この地域に足を踏み入れると燻煙(香りのある木材でいぶす)が風にただよってくる。無性に腹の虫が騒ぐ。ここが未利用魚になってしまいがちなマルソウダを有益に使い、しかも国内のだし文化の土台を固めているのである。

青森県下北半島で揚がったサザナミダイで沖縄県の郷土料理「まーす煮(塩煮)」を作る、そんな時代なんだな、と思いながら、作る。近年、「まーす煮」に使う酒の種類と、加えるタイミングなどをいろいろ変えてやっている。フエフキダイ科の魚はすべて「まーす煮」にして、おいしい。本種などその典型的なものでもある。季節を問わずおいしいが、風味づけに使う酒の種類とその入れるタイミングは非常に重要に思えてきているのである。ここ数ヶ月、気になっているのが泡盛である。「まーす煮」には必ず酒を加えているが、基本は泡盛である。昔はいろんな酒を試したが、迷った挙げ句に行き着いたのが泡盛という基本形のもの。他の日本酒などではだめなのか?日本酒ではうま味と微かな甘味が出るが、邪魔に思える。うま味、甘味という魚と同じ方向性の味ではなく、異なものがほしい。より、刺激(アルコール分)を残して置く方がいいのかも。ちなみに黒糖焼酎、麦焼酎、ジン、ウオッカなども使ったが泡盛がいい気がしてきた。といううことで泡盛のアルコール分が少し残るように仕上げに加えた。極上の魚で作った「まーす煮」はおいしかった。サザナミダイ自体に味があるのもいいが、単調さを泡盛の香りが壊してくれる。せっかくなので泡盛を飲みながら「まーす煮」といきたいが、最近、なぜか凍頂ウーロン茶を合わせた。2025年11月16日にテキスト化したものです。

福島県相馬市原釜、相馬原釜地方卸売市場は一時はボクのホームグラウンドのような漁港だった。浜通り(阿武隈産地の東側の海岸地方)には有名な漁港がたくさんあるが、原釜は漁が多彩であり、当然、水揚げされる水産生物が多彩であるなど突出した漁港である。ちなみに相馬市は市街地のある城下町中村と海辺の松川浦(広大な汽水域)、外洋に面した原釜に分かれている。水産物だけではなく農産物も豊富である。福島県は総水揚げ量はさほど多くはないが、ヒラメ・カレイ類の水揚げが多いのが特徴であった。例えば築地場内でヒラメと言えば常磐物であったし、中でも設備が整っていた原釜が目立っていた。震災でこれが低迷したが、そろそろ原釜のヒラメが主役になるだろうと思っていたら、思わぬところから思わぬ主役、トラフグが登場していた。秋の主役であるサケが場内に1尾も見当たらない。2025年10月22日、久しぶりに原釜に入る。相馬原釜地方卸売市場が正式名だが、市場関係者は地名の「原釜」だ。福島県から茨城県北部太平洋側の魚は、常磐ものと呼ばれて、東京都内だけではなく、関東でも重要である。ヒラメやアイナメを注文したすし屋が「常磐物だろうな」なんて言っていたものだ。高級なヒラメ、「あおな(マコガレイ)」、マツカワガレイだけではなく、「なめたがれい(ババガレイ)」、「ふうじま(メイタガレイ)」、ナガレメイタ、イシガレイ、ソウハチ、「くろやなぎ(ヒレグロ)」、「やなぎ(ヤナギムシガレイ)」、ムシガレイなどヒラメ・カレイ類の種類は非常に多い。このヒラメ・カレイ類の水揚げを見に来たつもりがいきなりトラフグの大波を被る。ものすごい量だが、去年よりは少ないという。

小説など活字となった文章の中の「カキフライ」を見つけてはつけ加えていく。できるだけ時代順に並べる。まずはカキフライとは?カキフライが生まれたのは日本だと思っている。海外にカキフライもしくは似た料理があるのかどうかはこれからの課題。カキフライはカキの剥き身(マガキ)にパン粉をつけて揚げたもののことだ。同様の料理にはエビフライ、とんかつ(カツレツ)などがある。「カキ(マガキ)」はわかるが、「ふらい」は揚げるという意味。揚げるは、英語で「Fry」、フランス語で「frire」でここから音をとったと思うべきだろう。「とんかつ」の「かつ」はフランス語のコートレット(côtelette)からきているとされている。コートレットが「カツレツ」にも変化する。なぜか、マガキのフライを「かきかつ」とは言わない。海産物は、エビフライにアジフライ(マアジ)、魚のフライ(切り身)とフライ。陸上動物はトンカツ(豚肉)、牛カツ(ビーフカツとも)、チキンカツとカツである。フライもカツもパン粉をつけて揚げるという意味で同じだが、料理店で使い分けることにしたのだろうか。カキフライを最初に作ったのは、今銀座で健在である『煉瓦亭』だとかの説がある。『煉瓦亭(明治28年/1895)』は「とんかつ(カツレツ)」発祥の店だとされている。そしてマガキを使った「カキフライ」も、である。ボクもカキフライは大好きで日本橋周辺で仕事をしていたとき、10月になると高嶋屋裏によく通ったものだ。ちなみに徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)生まれの田舎者が、カキフライを初めて食べたのは上京してからのことだ。あまりにもおいしいのでショックを受けた記憶がある。

2025年10月22日、福島県に入ると放射線量の表示板が高速道路に点々と続く。放射線量は0.2μSv/hとかだけど、これはほぼゼロに近い数値だと思われる。原発事故は未だに続いているが、放射線の脅威は現状ではないということだろう。さて相馬市の相馬という言語、また言語のもとになった相馬氏の歴史は古い。相馬氏は国内でももっとも古い家だ。桓武平氏で、平安時代、後三年の役(1083-1087)に戦功をたて下総千葉郡に下って千葉氏が生まれるが、その庶流になる。房総平氏(平家ではない)は関東に広がった平氏の一群でほかには秩父平氏、相模平氏の武士群が存在した。もちろん源義家とその弟、義満、藤原秀郷などの子孫が関東に勢力を持つ。相馬氏の祖は下総相馬郡をおさめて相馬を名乗り、奥州合戦(奥州藤原氏と源頼朝のたたかい)、南北朝の闘いで手柄を立てて現在の南相馬市、相馬市に定着する相馬氏は平安時代、鎌倉時代源氏・北条執権時代を生き抜き、南北朝時代の戦乱も、戦乱に次ぐ戦乱の室町時代も息抜き、徳川時代になって相馬、中村藩の藩主となり明治まで続く。

近所のスーパーで売っていた愛媛県産イトヒキアジは、魚価が高騰している中にあってもとてもお買い得だった。おいしい魚だが、知名度が極端に低いので安いのだ。めぼしい魚のない日で唯一光り輝いていたのにだれも気がつかない。その日、探していたのはおかずになる魚だ。2切れで321gあるので、独り者なら4食のおかずになる。当日はボクの本棚を撮影に来た若い衆がいたので、一緒に試食していただく。作ったのはバター焼きと、まーす煮だ。沖縄では「がーらのバター焼き」、「がーらのまーす煮」だろう。「バター焼き」は切り身に塩コショウして小麦粉をまぶし、多めの油で焦げ目がつくくらいソテーする。仕上げに油をすて、マーガリンをからめる。たべる直前にしょう油を垂らす。ボク以上にカメラマンさんが夢中になる。温めたパンを渡すときれいさっぱり食べてくれた。イトヒキアジは少し味が淡泊すぎる。上品な味の魚にはマーガリンのようなインパクトのある素材が合う。焦げたマーガリンの味と上品な身の対比がいい。

写真は水揚げ後、5日目の刺身だ。6日目も同じく非常に美味であった。福島県郡山市から12日に来て、撮影し、12日の深夜、翌日、と刺身を造っているが、味も食感もそれほど落ちない、というかうま味は増すばかりだった。サザナミダイなどメイチダイ属の魚には不慣れなはずの下北半島揚がったものなのに、サザナミダイと気がついた人がいたこと自体が奇跡。味の素晴らしさも相まって、感動的でもある。12日深夜は食感こそよかったものの、うま味自体は少なく、おいしいとは思ったものの、平凡な味だった。これが翌日、翌々日とうま味が増大する。食感がなめらかで、それだけでもいいのに、舌に触れた途端に甘味が感じられ、うま味が延々と続く。ちなみに今回のサザナミダイは非常に上品な白身で、時季のせいかそほど脂がのっていなかった。身のうま味だけのおいしさなのに、強い衝撃が残る。最後に残った菊正宗樽酒を用意していたが、無用だった。

毎年、11月になって日本海の多くの県でズワイガニが解禁されると、必ず雌ガニ(兵庫県などでは、せこがに)を買う。雄ガニは年を越してから買うことにしていたが、今年は早々と山形県産で初物食いをすませてしまった。山形県はズワイガニ漁解禁の狂騒の中にいないが、ボクには十二分においしいというか、十二分に贅沢である。雄はともかく、今季日本海の初雌ガニは兵庫県浜坂産だ。雌ガニである「せこがに」の問題点は食中に食べるものでも、酒の肴でもないことだ。それならなんだ? と言われたら、おやつだ! と答えるしかない。強めの塩水でゆでること10分ほど。背を下にしてゆで、上にして板などに取る。冷たい水をかけて粗熱を取る。

八王子卸売協同組合、舵丸水産で今季初のむきガキ(マガキ)を買った。荷の箱が見つからなくて産地不明だったが岩手県産かも知れない。持ち帰って驚いた。全体に小さくて、破片としか思えない大きさのものまで混ざっている。なのに高い。舵丸水産では大きくて粒ぞろいのものは仕入れられなかったようだ。今回は片栗粉を絡めて洗う。布の上でつぶを揃えながら、極小だけを集めて、醤油に漬け込む。この極小がバカにならないほど多いが、つぶを揃えたものの値段を聞くととても手が出ない。こんなに遅い初むきガキも初めてだし、こんなにつぶの揃っていない小さなむきガキも初めてだ。同時に炊飯の用意。

胎内市中条は街歩きのできる貴重なところだった。商店街が生きているのがいい。こんなところに来たら、何をやるのか?ただただ歩くだけ、それで充分楽しい。歩きながら和菓子屋を見つけたら片っ端から買い求めようとしたが、なんだか中条町の和菓子屋は和菓子屋のようで和菓子屋のようでなく、洋菓子屋のようで、洋菓子屋のようでもない。これと同じ感じは根室にもあった。そろそろ新潟市に向かおうかと中心地から少し外れたところに、また和菓子屋があって、入ると洋菓子屋だった。新潟県の菓子店の特徴は和洋がはっきりしないこと、かも知れない。そこで買ったのが、久しぶりに出合った「たぬきケーキ」、そして「ロックケーキ」だ。考えてみると「たぬきケーキ」は千葉県以来ではないか。要するにタヌキの形をしていれば、「たぬきケーキ」だということがわかってきた。周りが少し硬い生地で中がカステラ、上にクリーム(これなんていうんだろう)で頭を造り、繋がった目と鼻と尾がある。そんなに出合っているわけではないが、このタイプは初めてだ。

モウレツ釣り師である舵丸水産、クマゴロウが手渡ししてくれたシログチは非常に小振りだったが、掌に受けただけでただものではないと感じるものだった。小さいのに強い張りがあって大きく感じる。しかも魚屋で釣り師なので首を折って血抜きしていて、カタカタである。持ち帰ってすぐ計測して撮影、水洗いする。三枚に下ろしてペーパータオルにくるんで保存、夕方に刺身、焼霜造りにする。刺身を食べた途端に、焼霜造りは屋上屋を架すものだと思った。シンプルな刺身一切れの食感が素晴らしいのである。硬いのではなく、なんなくかめるのにシコっとする。そして一気に甘味が広がり、明らかにその甘味は複雑なアミノ酸からくるものだとわかる。旅の前で減酒に励んでいるのに、コップに酒をそそいでいる自分がいる。やりすぎかな、と思った焼霜造り(あぶり)も結構毛だらけである。どこにも欠点がない。炙った皮目の香り、強いうま味で脳みそがうれしくて沸き立つ。今は刺身びいきだけど、食べ終えた後に評価が揺れる。いけないとは思いながら菊正宗樽酒を正2合。

あじ(マアジ)の開き干しの頭は開いた方がいいのか、そのままの方がいいのか?どちらでもいいのだけど、頭を割らない開き干しを見ると西日本のものだろうと思ったりする、この地域性がとても重要だ。高知県の開き干しは頭を落として開いたりもするが、この頭そのままが多いようだ。しかもこの黒潮町の開き干しは絶品なのだ。塩加減がまさにちょうどいいし、鮮度がいいもので作ったのか、ボクの苦手な酸化による苦みがない。塩慣れしているので、うま味が増していて、ご飯に乗せて食うとやたらにいい。甘味のあるご飯と相乗効果を産む。ちなみに高知県の干ものに土佐市白木果樹園の「ぶっしゅかん(モチユ)」をたっぷり搾る。干ものに酢みかんとはいい夫婦のようなものだ。

吉野川の支流である貞光川(徳島県美馬郡つるぎ町)は今、明らかに不健康というか重い病気にかかった状況にある。たぶんもう取り返しがつかないと思うが、今に残るものを少しずつ整理してきたい。非常に健全であったときの貞光川を知っている人は今やほとんどいない。ただ1960年代、小さい川であるが長い上流域があり、短い中流域があり、吉野川との合流近くは下流域に近い環境であった。それが今やかなり奥(上流)の旧端山村あたりまで行かないと中流域の環境ではなくなっている。山が荒れているので吉野川合流地点から貞光市街地の端、木綿麻橋(ゆうまばし)くらいまでの川原が荒廃してしまっている。この市街地周辺の流域にもいたオオヨシノボリは、木綿麻橋の上流域に行かないと見られないのだと思う。岸に植えられた竹の枝がたわむくらいいたホタルはまだいるのだろうか?吉野川の大川に対して小川(こがわ)と呼ばれていた貞光川にいなかったニゴイが、わんさかいるのも不気味だ。この原因は明らかである。剣山周辺の森林の荒廃と自然環境を考えない護岸である。人間は自分の住む区域(生活圏)を暴力的に広げ、針葉樹の無理な植林をし、森林管理を放棄している。その結果、川の生き物の種類が減り、川原も川底も泥だらけになった。現在の貞光川には歴史的遺産が残り、美しかったときの名残はわずかしかない。過去に見つけたのは2つ。そのひとつが「かんのう」、そして青石の構造物だ。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に待ち望んでいた乳白色の物体が来ていた。節約生活なので我が家でいちばん小さな鍋一つ分だけ買ってきた。財布の中身を考えながら魚貝類を買う、なんて悲しいボクなんだろう。脳みそが計算機になっていたので産地を聞き忘れた。北海道産だろうな。それにしてもマダラの白子は年々値が上がる。マダラの世界がますます男尊女卑となりそうである。さて、逢魔が時になり、久しぶりにぐれてやろう。早めの酒としようではないか、と思ったがぐっと我慢、もう一仕事する。窓を開けると冷え冷えした深夜に白子を処理する。我が家最小の鍋にもどした昆布を敷き、昆布だしをそそぐ。昆布だしの中で白子がときどきどくん、どくんと揺れる程度に温める。クリーミーなどという言葉を使いたくないが、非常に柔らかく舌でつぶすととろりとして甘い。甘いだけではなく非常にうま味が強い。その味がちゃんと余韻を残して消える。この余韻こそが白子のよさかも。さて、出来上がったとき、飲むための酒を持ってこようとしたらなかった。探しに探していたら、眼の前の本棚に菊正宗の樽酒があるではないか?買った覚えがないし、箱入りなので誰かがくれたのかも。今回の最小鍋には、ほんのわずか80グラム白子、次回はせめて100グラムかな。

納豆は上京して初めて見たなんていうボクがいうのもなんだけど、地納豆が好きだ。大手もいいけど、地納豆が消えたら嫌だと思っている。ボクは昔々から、地域と地域性と地域力を調べている。東日本では食の地域力という点で、納豆は欠かすことが出来ない。新潟県は取り分け納豆製造業者が多かったようだ。それが激減したといっても、スーパーには必ず地納豆があるのがいい。県庁所在地新潟市の中心地域に3つも業者があるなんて新潟以外にはない。新潟納豆 高橋商店 新潟県新潟市

10月4日、越後新川、五十嵐浜で午前と午後、遊びに遊んだ。この年で子供と夢中で遊んで、その果てに疲れすぎて、楽しすぎてぼろぼろになる、なんてやってていいのかどうかわからないが、とにかく疲れた。それでも400キロ以上の距離を自宅に帰らなければならない。ボクの場合、できるだけ旅先でものを買う。高速道路上では食べない、飲料水を買わない、が基本なので、旅先で食べ物を持ち帰る。

山梨県上野原市でトラック行商をしている太田商店の太田さんが、舵丸水産で大量にゴマサバの切り身を仕入れていた。「太田さん、何枚かおくれ」と言うと、いつも爽やかな太田さんは、「いいよ」というので2枚もらってきた。帰宅後すぐみそ煮にしてご飯の友にする。ゴマサバはあまり脂があるわけでもないが、うま味は豊かだ。8時半に煮始めて、約1時間で出来上がる。鍋止めをしているのを皿に一枚取り、昼ご飯のおかずとする。サバのみそ煮は強い味なので、一枚で茶碗一ぱいには多すぎるくらいだ。確かに脂ののったマサバには敵わないが、昼ご飯に一切れあるとこんなにいいおかずはないと思う。ちなみにこの日の昼ご飯は、ゴマサバのみそ煮、若布と豆腐のみそ汁(あじ煮干しだし)、炉端漬け(東京都調布市の漬物)、金時草のサラダで、昼20分ほどのおいしい時間が過ごせた。太田さん、ありがとうさん。

緑茶の番茶(遅摘みで枝なども入っている)や、早い摘みでも葉の大きさを揃えず枝などが入っているものを「柳茶」というのだ、ということを知らなかった。文字の専門家に聞いたら、それは一般的な言語だというので、恥じ入る思いがした。ボクが普段飲んでいるお茶もこの柳茶である。我が家で飲んでいるお茶はこのタイプが年5㎏くらい、上煎茶は1㎏弱、ほうじ茶も1㎏弱だ。凍頂ウーロン茶に、紅茶も飲むが、非常に少ない。この柳茶は淹れる最適温度の幅が広く、いい加減でもいい。上煎茶ほど刺激が強くないので、上煎茶やコーヒーを朝から飲むと障害が出るボクにはこれ以上のものはない。

11月6日に買った汐っこ(カンパチの若魚)は昨日9日に総てなくなる。4日間にわたって刺身で食べられたというのは山口県下関市、『下関勇次水産』の扱い方がよかったからだ。カンパチという魚は優秀でいつ食べても刺身はおいしいと思う。問題があるとしたら嫌みがなく、非常によくできた味過ぎる、という点だ。ただただおいしい刺身はすぐに飽きが来るのである。料理屋などで刺身盛り合わせには持って来いだが、主役にはなれないのは、平均点が高いだけで、欠点がないせいだ。だから最終日は酢洗いにした。箸で一切れ取ると粕酢(赤酢)の香りがほんの少しだけする。これを醤油とわさびで食べるのだけど、醤油はちょんとつける程度でいい。酢にからめたのはほんの1、2秒なので酸っぱくはないが粕酢にはうま味がある。非常に優秀な嫌みのない汐っこの味に、凹凸感がプラスされる。一切れ一切れのインパクトが強くて、やけに箸が伸びる。酢洗いはご飯よりも酒に合うので、「鶴の友 特撰」をこれが最後の正1合。

高知県に四万十市があって、高岡郡四万十町とはやけにわかりにくい。四万十町には点々と市街地のある町がある。このあたりではまあまあ大きな町、土佐大正があって、窪川があるが、その窪川の近くとしかいいようのないところに、やけに古風な造りの和菓子屋がある。かなり前のことだが、窪川から南に下ってここに来たことがある。あんこものを探したら、羊羹専門店なのでがっかりした。考えてみると前回は土佐昭和駅があって、土佐大正駅があるとは、なんじゃらほい、という理由でわざわざたどった道すがらだった。結局、昭和も大正もなんだかわからなかったが、帰宅後に食べた羊羹はたいそううまかった。

新潟県新潟市西区五十嵐新川漁港周辺の生物・食物図鑑を作っていく。新川漁協に水揚げされる水産物は量的には多くないが、多彩である。新川漁港の周辺には磯や護岸もある。浅い砂地にいるのがアサリだ。アサリは琉球列島以外の干潟や浅い内湾に普通に見られる。国内でもっとも人気のある二枚貝である。残念なことに年々国内での生息数が減っている。新川漁港周辺にはどうやらそんなにたくさんはいないようだが、面白い色をしている。写真は五十嵐浜のものだが、成長が悪いようで貝殻の長さが短い。ちなみにアサリは横から見て円に近いほど生育が悪く、ラグビーボールのような楕円形の方が生育がいい。念のために、砂地でアサリの生育が悪いと言うことは、そこの水質がいいということに他ならない。たぶん真水が流れ込む新川に近いところにいるアサリは、貝殻が長いと想像する。次回は新川寄りで生き物探しをしいたいものである。協力/鈴木重雄さん、島谷将之さん・星野健一郎さん(拓洋丸)・中務謙吾さん(すべて新潟県新潟市西区五十嵐新川)

9月半ば、高知県高知市愛宕町の金曜市の塩乾などを売る店で、あじ煮干し(マアジ煮干し)大と小を1袋ずつかった。小は見た目は悪いが、見た目のいい大よりも上とみた。値段は2つとも変わらないが、小でとっただしの方がうまい。煮干しは見て、1つ2つ食べてみて買うことにしているが、当日は時間がなかったのでそれが出来なかった。ただ、金曜市の煮干しはぜんぶよかった。日曜市にも店を出しているようなので、次回もこの店で買おう。あじ煮干しは頭と内臓を取る。2つ割りにする。我が家はから煎りしないが、煎ってもいい。これは好みの問題。ボクは煎ると煎った香りが余計な気がするだけ、昔昔は煎っていた。これを昆布と一緒に12時間以上浸しておく。これをゆるゆると温め、昆布を取りだして沸点手前まで熱くする。

鹿児島県産のマイワシは久しぶり、だったので買った。触った感じがとてもよかったので期待しすぎるくらい期待して持ち帰った。ちなみに生殖巣は膨らんでいない。

イカを買うのは、先ずいちばんにご飯のおかずにしたいがためだ。ここ1週間、なぜか、ご飯と食べるイカがない。スルメイカ豊漁なのに休漁を迫ったりという、すったもんだのせいかも知れぬ。その日、あったのはアオリイカの当歳もので、秋イカと言われるものだ。そんなに高く感じないのは、スルメイカが高いせいだ。早々に帰宅して、すぐに水洗いして刺身にする。早朝におまんじゅう1個なのでお腹と背中が張りついている。刺身の出来上がりまで10分。こんどは冷凍しておいたご飯をチンする。

その町がまだ健在であることは、和菓子店、洋菓子店、パン屋があるかないかでわかる。内野町には和菓子店と、洋菓子店もあり、パン屋もある。駅そばにある『ブーランジェ ヨネヤマ』は、創業年はわからないが、とても懐かしいパンもあるし、初めて聞く名のパンもある。懐かし、新し、のパン屋だし、まるで洋菓子店のような感じもある。

意外に知られていないサンマの基本を整理して公開するが、以下の章をもうける。・サンマの基礎知識 1 サンマとは?・サンマの基礎知識 2 サンマはなぜサンマになったのか?(▼本ページ)・サンマの基礎知識 3 江戸時代からサイラをとっていた紀州・サンマの基礎知識 4 東京を始め関東がサンマっ食いになったわけ・サンマの基礎知識 5 落語、目黒のさんまを掘り下げる・サンマの基礎知識 6 1945年以降、そして2000年以降、塩焼きから刺身へ・サンマの基礎知識 7 日本海のサンマ明治時代の初め、非常に限られた地域でサンマはサンマと呼ばれていた。サンマは関東などの一部で使われていたもので、主流ではなかった呼び名である。なのになぜ、サンマをサンマということになったのか?日本の近代的な動物学(生物学)は明治時代はじめ、東京市にあった東京大学で始まる。このとき動物学者は国内で共通して使うための動物の名前を大急ぎで決めなければならなかった。これを標準和名というが、実際に使われている呼び名を採取して採用した。当然、東京大学は東京にあったので東京周辺で大急ぎで呼び名を集めた。サンマは当時、明らかに西の魚だったが、東京を始め関東の呼び名サンマとなったのには、このような経緯があったためだ。余談だが、標準和名のアカアマダイは東京では雑魚に近い扱いでくずしもの(練り製品)にするのが関の山だった。比べると京都を始め近畿では「ぐじ」と呼び、盛んに、様々な料理法で食べる。なのに「あまだい」となったのも東京大学で動物学が始まったせいだ。後に述べるが、サンマ漁は紀伊半島南部の旧紀州藩の紀州、三重県・和歌山県の熊野灘で江戸時代に始まる。これが熊野灘から紀伊半島の山岳地帯、伊勢地方、近畿へと送られた。当然、呼び名と一緒に送られたので、紀州での呼び名を使う地域が広がる。昭和17~19年までに発刊された、『日本魚名集覧』第一部、第二部、第三部(アチック・ミューゼアム、のちに日本常民文化研究所)などでも標準和名サンマの地方名は紀伊半島南部周辺に多い。そこから供給を受けていた紀伊半島山間部、和歌山県西部、三重県東部・北部、滋賀県、奈良県、大阪府には鮮魚も送られていたと思うが、主に塩蔵品で、もっとも多かったのが丸のまま硬く干したものだろう。〈このころ(秋)になると、伊勢(三重県伊勢地方)の行商人が生のさよりを持って回ってくる〉というのが『聞き書 岐阜の食事』の「美濃〈御嵩の食〉」(農文協)にある。この熊野灘から供給を受けていた地域ではサイラ(呼び名もカタカナ表記とする)、サイリ、サイレ、サイロ、サエラという呼び名が広く使われ、三重県、和歌山県の一部地域でサヨリと呼ぶ。熊野灘から遠い三重県伊勢地方鈴鹿などではカドという。

秋なので「幽安焼き」を作る。「祐庵焼き」かも知れないが、こんなもんどっちゃでもええ。柚子を入れると、「柚庵焼き」と書くときもあるので、これでいいのかも。江戸時代前期の琵琶湖西岸堅田の北村祐庵の名からとったとされている。とすると琵琶湖発祥ということになる。それがうなずけるのは、海水魚よりも淡水魚の方が合うところだ。そんなことはともかくなぜか夏には作らない。肌寒くなると作り、風がぬるくなると作らなくなるのが「幽安焼き」だ。さて半日ほど漬け込んだものの水分を拭き取り、焦がさないようにじっくり焼き上げる。血合いなのでどす黒い仕上がりになる。見た目よりも香りが素晴らしいとしかいいようがない。たぶん血合いからうまい液体が調味料と一緒に染み出て、それが焦げたことで放出される香りだろう。これをおもむろに手で半割にして食べる。最近、上品さよりも本能の人となり下がっているので仕方がない。一切れ丸ごと土佐番茶の茶請けとして食べてしまう。濃厚でしかも、野卑なうまさに、土佐番茶濃い目が合う。もちろんご飯の友にしてみたが、これだっていい。日本の発酵調味料は実にご飯泥棒だし、めじの血合いの強いうま味も飯に合う。

1980年代くらい、初秋(9月)、築地場内に行くと「汐っこ(「しょご」ともカンパチの1㎏前後以下)」が出始めており、季節を感じて仕入れていく人が多かった。「汐っこ」は関東では秋の季語にしたいほど、秋に漁の最盛期を迎え、人気があった。だから秋になると必ず真っ先に「汐っこ」を買っていたが、今や「汐っこ」の存在感はほぼない。年がら年中、カンパチの成魚が入荷しているし、「汐っこ」自体が秋の汐(潮)とは無縁になったからだ。秋だから「汐っこ」を買ったのではなく、めぼしいもの、買い頃なものがなかったという消極的な理由で買った。ただし買って正解だった。山口県下関市、『下関勇次水産』は扱いがていねいで血抜きも完璧である。刺身は脂の乗りはほどよく、上品な味わいでほの甘くしっかりブリ属らしいうま味が感じられる。ほどよい食感があり、後味がいい。同サイズのブリは値がつかないのに、カンパチには値がつくのはこの食感と後味のせいかも。

新潟県には洋菓子店とも和菓子店とも判別しにくい店が多いようだ。和菓子にシフトしているので、もちとか蒸かしまんじゅうの類いがないと面食らってしまう。ただ新潟県のこのハイブリットな店店は、どこもボクが入っても緊張しない懐かしい雰囲気が漂っている。胎内市中条の商店街にある『マサヤ菓子舗』は洋菓子店なのかパン屋さんなのかわからなかった。ボクの前の客はサンドイッチを注文していたらしく、大きな袋を抱えて帰って行った。このまま回れ右するわけにもいかないので、銀紙に包んだのと円盤形のチョコレートのようなものを買った。

江戸時代、天保三年(1832)春に「まぐろ(クロマグロ)」の水揚げが多く、しわいやで狷介な滝沢馬琴も二尺ほどの半身八十文で買って食べている。ちょうど今回の「めじ(めじか)」くらいの大きさで、江戸時代の春(2月から5月)なら刺身でも食べたはずである。江戸時代、この天保時代に大量に揚がったサイズのクロマグロは決して安くはなかった。安かったのは四尺以上の個体で、二尺サイズは本来は高級、なのに安かったので馬琴は手に入れたのだ。さて、2025年の今も、「めじ」は決して安くはない。1尾はとても買えないので、舵丸水産、クマゴロウにお願いして「半身でもいいかい」、「いいよ」ということでやっとこさ買った。我ながら馬琴の気持ちがよくわかる。「めじ」が島根県で揚がり始めたと言うことは、水温が下がった証拠だろう。これから順調に揚がってほしいものである。まだまだ走りなのに、今回の個体はとても脂が乗っていた。この脂が舌をコーティングする。ねっとりとして甘味があり、酸味は少ない。大物なら中トロといった感じかも知れない。たいそうおいしいので、久しぶりに刺身の大量食いをする。こんなボクを馬琴はなんと言うのやら。■参考文献/『馬琴の食卓 日本たべもの史譚』(鈴木晋一 平凡社新書)

新潟県新潟市西区五十嵐新川漁港周辺の生物・食物図鑑を作っていく。新川漁協に水揚げされる水産物は量的には多くないが、多彩である。新川漁港の周辺には磯や護岸もある。そんなところにいるのがイボニシである。写真の個体はフジツボだらけでわからないが、貝殻はいぼいぼの突起が目立つので「疣螺(いぼにし)」という。江戸時代に作られた貝の図鑑である『目八譜』(1843年、武蔵石寿)にはきれいな呼び名が多いのに、なぜか本種だけはそのものズバリの名がついている。

10月4日、越後新川、五十嵐浜で午前と午後、遊びに遊んだ。子供とその家族を自然とふれ合っていただくための催しだったが、ボクの方が遊んでもらったようだった。さて、夕闇迫る頃、疲れを取るためにスーパー ichimanの前で地元新潟市のアイスを食べた。改めて見ると、店の前でソフトクリームを食べている女子中学生らしきや、近所の主婦、金髪の若い衆などが集まっては散り、集まっては散っていく。ボクにもこんなときがあったものだ。地スーパーとしては理想的だと思っている。ボクの場合、たった一人ではあるが、地スーパーを応援している。例えば、新潟県下越には下越のものがあって、それこそがお土産になると思っている。地方で土産を買うなら、個人商店もしくは地スーパーがいい。

先日、京都中央卸売市場、シーフーズ大谷さんと話をする機会があって、京都人、京都の料理店は季節に合わせた料理を作る。時季外れは高値がつくのではなく、売れないのだという。ボクなども京都人ではないが、季節に合わせて食べ物を買い、食べている。温暖化で遅れたり、早まったりすると、それはそれでいいが、無理矢理なものは食べない当然、マガキは基本的に10月からで3月いっぱいで食べるのをやめる。八王子卸売協同組合、舵丸水産で殻つきマガキを初買いしたのはなんとそろそろ11月というとき。宮城県で種ガキを生育して、北海道釧路町、昆布森海域で育てたものだ。残念ながらその後も、入荷も不安定だし、値段も高い状態が続いている。さて、昆布森の長細いマガキはまだまだ軟体は痩せてはいたが、それでも初物はうれしいものだ。剥きたてを食べると、味は非常に濃厚である。うま味に満ちており、軟体の食感もいい。久しぶりにカキを食べているな、という実感が湧く。3個ではもの足りなかったかも知れない。20年ほど前まで、10月になると長方形の深い簡便な箱にどさどさと殻付きガキが、投げ入れられていたのが山積みになっていた。あれは今や幻となったとみるべきかも。

高知県で飲まれているお茶は種々様々である。茶といってもマメ科植物の茶あり、所謂茶であるチャノキの茶もある。「はぶ茶」の「はぶ草」の正体はわからない。ネットで調べると、マメ科ジャケツイバラ亜科センナ属のハブソウ、もしくは同じ属のエビスグサとなっている。専門家ではないので、原材料は不明のままとしたい。高知県にマメ科の「茶」は「きし豆茶」と「はぶ茶」があることがわかる。

サンマは古くはとても地域的な魚であった。江戸時代以前には伊豆、紀伊半島、高知県室戸などの半島、岬だけのもの。それがまとまってとれるようになり、紀州(三重県西部・和歌山県東部)で食文化が生まれ、関東の銚子から江戸(東京)に伝わる。1945年以降に棒受け網などの普及で全国で食べられる大衆魚となる。大衆的な魚だったサンマが2000年前後に一部高級なものへと生まれかわる。意外に知られていないサンマの基本を整理して公開するが、以下の章をもうける。・サンマの基礎知識 1 サンマとは?(▼本ページ)・サンマの基礎知識 2 サンマはなぜサンマになったのか?・サンマの基礎知識 3 江戸時代からサイラをとっていた紀州・サンマの基礎知識 4 東京を始め関東がサンマっ食いになったわけ・サンマの基礎知識 5 落語、目黒のさんまを掘り下げる・サンマの基礎知識 6 1945年以降、そして2000年以降、塩焼きから刺身へ・サンマの基礎知識 7 日本海のサンマ

日本列島の地域性とか地域力(ボクが作った言語)を調べているので、菓子、和菓子は外すことが出来ない。47都道府県で菓子を買っていると様々な発見があり、地域同士の繋がりが見えてくる。今回、胎内市中条『浜屋菓子店』で見つけたのが「中皮」だ。「中皮」の読みは「ちゅうか」で、どら焼きの皮1枚を折り畳んであんを挟んだもの。念のために商品名は「千代華」。新潟県で見つけた「中皮」は長岡市についで2つめだ。「ちゅうか」と呼ばれ、形も作りも同じ和菓子を、茨城県では「中華」、「中菓」と書き、長野県では「中か」だった。福島県ではまったく形も作りも同じなのに「カステラまんじゅう」という。

三浦半島大津沖でヒラメか、カンパチかのエサになるはずが、ボクのエサになった小アジ(マアジ)の刺身にタヒチライムをしぼり、塩をつけては食べる、11月の小アジが抜群にうまい。意外に脂がのっているのはたまたまなのか?釣り師クマゴロウは魚屋クマゴロウでもあるので、魚の扱いがいい。釣り上げた翌日なのに食感が実に心地よいのもある。スエーデンのアブソルートと合わせるときの刺身は柑橘+塩だけ。あっさりしているはずなのにうま味が濃厚である。

9月半ば、高知県高知市愛宕町の金曜市の塩乾などを売る店で、買ったものだ。通販をほとんど使わないボクには、段ボールから量り売りで買う煮干しがいちばんいい。味見できるし、好きな量買える。四国や西日本では当たり前のことだが、関東にはほぼない。せっかくなので売られている煮干しを全種類買い求めてきた。ボクが調べているのは地域と、地域性と、地域力だけど、高知を始め四国には多彩な煮干しという目立たないけど他の地域にはないものがある。これも重要な高知県を始めとする、四国の地域力だ。煮干しは日常的なものなので、帰宅してすぐからこの煮干し類を使い始める。まずは「あじ煮干し(マアジ煮干し)」から。大小合って大の方から使うが、大の方が安い。

スーパーに立派なブリの切り身が並んでいたので2切れ買った。北海道産、北海道青森県沖太平洋で揚がったブリ切り身が2切れで254gなので、切り身としては大きめである。1切れ250円くらいなので最近では安いと言えるだろう。明らかに刺身でもいけそうだけど、食べたかったのは煮つけ、切り身が大きかったので塩焼きも作った。

10月初旬の新潟の旅ではおいしいものをいっぱい買ってきたし、食べた。おいしい、以上に驚いたものもあった。それがイタリアンという食べ物である。見た目からしてあまりイタリアを感じさせるものはなく、あえていえばトマトソースがイタリアンなのかもしれないが、ソースの下にあるのは焼きそばに見える。しかも、ソースの中にぽつんぽつんとあるのがコーンで、そのわきにあるのがしょうがの酢漬けなのだ。

高知県に行くと「野根まんじゅう」を買っているが、画像を整理していると安芸市、東洋町、室戸市と3つもある。今回直売所で買ったのは室戸市のもので、まあまあイケている味だと思う。高知県でももっとも遠い室戸市のものであるが、意外にあっさりと食べやすい。

ある晴れた秋の朝、八王子卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが「そこの小魚全部持って行っていいよ」、と言ったので、ありがたくもらってきた。中にマルアジが混ざっていて体長15cm・50g 前後だった。茅ヶ崎沖で釣り上げたもので、ねらいはカンパチなので間違いなくエサの残りである。よろこんでもらってきたのは、気温が下がって干ものの外干しが出来そうだ、と思ったからだが、考えてみると我が家の冷凍庫には高知県で買った干ものがいっぱいたまっている。サビキ釣りで釣り上げたのだろう、見た目は悪いが鮮度抜群である。急遽、刺身を造る。

赤い蒲鉾を見ると手が出るのは、徳島県人のボクは子供の頃から蒲鉾は赤いものだと思っているからだ。板にのった赤い蒲鉾を「板つけ」と言った。徳島県ではうどんに「板つけ」はつきものだった。基本的に「板つけ」は赤い蒸し蒲鉾のことだけど、決して上等ではない、下手なものをさした。香川でも「板つけ」、高知でも「板つけ」だけど愛媛県ではなんというのだろう。全国的にどうなのかはわからないが、高知県宿毛市で買った『八馬かまぼこ』と『大原かまぼこ』の赤い蒲鉾は「板つけ」そのものであるが、表記は単に「蒲鉾」である。またうどんの具として使うのか否かは不明だ。

合併というものは町の名前を削除するだけではなく、町のよさも削除してしまいがちである。今では新潟市西区内野町、でしかないが、合併前までは内野町だった。合併は大失敗だという人が少なからずいるが、ボクなど暴挙だと思っている。自治体(小さな行政)と行政区(大規模な行政)を分ければいいだけなのに、乱暴なことをやる。さて、内野駅周辺は明らかに新潟市中心部への住宅地といったところだろうか。例えば京王線だと調布とか、中央線だとすると荻窪だとか。夕闇迫る頃、商店の灯りが点々と見える。こんなところにはいい居酒屋がありがちである。今回、越後新川の面々と訪ったのは『旬菜 籐や』という居酒屋である。どうやら内野町にはいい居酒屋が少なからずあるようだが、そのひとつだ。店内は満席に近い。話が主となり、料理はおいしい記憶しか残らなかったが、一皿一皿外れなしだった。

日本酒は旅先で、酒屋で買うのが好きだ。ただ最近、普通にいい酒屋がとても少なくなっていて困っている。やたらに珍しい酒とか、変な名前の酒とかを置いている酒屋が生き残り、普通の平凡だけど優秀な酒屋が消えつつある。その点、『やしち酒店』はボクの理想の酒屋に近い。まず酒の扱いがていねいである。普通の良酒が普通に揃っている。ほんの数百メートル先にある『樋木酒造株式会社』鶴の友は全種揃っている。同町内の『塩川酒造』の酒がいい酒であることもわかった。特に今回買った鶴の友3種はみな素晴らしかった。新潟県の良酒が総て揃っているのに、さりげない。

お茶の水、駿河台にあった学校の隣に居酒屋があった。神保町で働き始めてすぐに、この居酒屋で友人と酒を飲んだ。この居酒屋に必ずあったのが「いしもちの塩焼き(シログチの塩焼き)」で、お願いするといつも生焼けだったので、いつも焼き直してもらっていた。卒業したての頃、同級生とこの居酒屋で「いしもちの塩焼き」をお願いして、また生焼けだったので大笑いしたものだ。以来彼とは会っていなかった。そんな男とまた会うなんて。「いしもちの塩焼き」には想い出がいっぱいある。舵丸水産で1尾だけ「いしもち(シログチ)」を買ったのも、久しぶりに同級生とあったからだ。それほど「いしもちの塩焼き」は東京を代表する魚料理であった。東京湾で盛んだった「いしもち釣り」も、「焼き魚を釣りに行く」という感じだった。さて、水洗いしてずぼ抜き(口から内臓を出す)し、振り塩をして1日寝かせる。塩をして1時間程度で焼いてもいい。我が家で丸のまま焼けるぎりぎりのサイズだったので、つきっきりで焼き上げる。今回は焼き上げて間髪入れずに食べたが、塩焼きは冷めてから食べてもおいしいことも書いておく。これでご飯を食べたが、小骨が少なく、身離れがいいなど、至っておかず向きの魚である。取り分け皮の風味がいい。この皮の風味は冷めた方が強く感じられるのは不思議だ。データを見るとシログチの塩焼きは去年の秋に食べて以来だ。来年は毎月味見して記録をとろう。

新潟県新潟市西区五十嵐新川漁港周辺の生物・食物図鑑を作っていく。新川漁協に水揚げされる水産物は量的には多くないが、多彩である。今回はカズラガイである。新潟県・房総半島以南の比較的浅い砂地や泥場に棲息している。今回のものは新川漁港の沖合、水深10m前後でとれたものだ。貝を集めるという趣味がある。コレクターという言葉は使いたくないが、いたって身近なところにいる軟体類である巻貝や二枚貝を集めるのは、すぐ始められるし、とても楽しい。それぞれの貝には「手に入れやすいもの」、「手に入れるのが大変なもの」など多彩である。中で巻き貝の種類は膨大で、未だに名前のない種もいる。そんな中でもカズラガイはビーチコーミングでも刺網の混獲物としても手に入れやすいもののひとつ。とても美しい貝なので、貝集めを本種から初めてもいいだろう。協力/鈴木重雄さん、島谷将之さん・星野健一郎さん(拓洋丸)・中務謙吾さん(すべて新潟県新潟市西区五十嵐新川)

10月17日、二宮定置に入った小型のアイゴの干ものは持ち帰ってすぐ、立て塩にして干したものでまったくくせも臭味もない。話が横道に逸れるが、徳島県県南に、このくせのない干ものを嫌う(臭い干ものが好きな)老人達(当然ほかの地域にもいまだにいる)がまだ存在するが、いかなボクの生まれが徳島県でも、この臭みが好きになる可能性はないと思っている。このアイゴやタカノハダイ、ニザダイの臭みを好む傾向は、生まれてすぐから連綿と臭みのある魚を食べることで手に入れたものだろう。このような臭みを好む老人達を継ぐ人もいない、と思う。閑話休題。アイゴのおいしさは、一に皮、二に身だ。小さい個体のいいところは、意識しなくても身も皮も一緒に口に入ってしまうことだろう。身に対する皮の量的な比率が大きいこともあると思う。香ばしさと強いうま味が口の中いっぱいに広がる。1尾だけゼンマイ状の内臓を残して干してみた。臭みはあるものの内臓のうま味が恐ろしいほどに強い。細長い袋状の消化管自体もおいしいが、ゼンマイの中には海藻らしいものが少し入っていて、独特の味がする。小型なので臭みは耐えられないほどではない。好きか? と言われると、好きではないが、これくらいなら珍重する向きもありそうである。

あっちのスーパーで岩手県産をがあったとサンマ買い、こっちのスーパーで北海道産を見つけてまた買う。毎年、計測して撮影しているのだけど、今年は安くてありがたい。近所で刺身用とあるものの北海道産を、これが最後かも、と思って買って、せっかくなので、丼にする。焼霜造りと刺身を作って、ご飯に乗せるだけだけど、ご飯に一工夫する。もうどこのものだかわからない柚子をご飯に振り、あらったみょうがと青じそを散らす。そこに焼霜、刺身を乗せるだけだ。高知県宿毛市、『篠上商店』のフンドウカネカ醤油を一回しかけて出来上がりだ。やけに甘いフンドウカネカ醤油とサンマの刺身が、これまたやけに合う。そろそろお終いか、と思うせいか、このサンマでしか味わえないおいしさが愛おしい。それにしてもご飯とサンマってのも結構毛だらけである。

言った憶えがあるので否定できないので非常に困った。問題は「(アサリの)木更津ブルーは本当ですか」という話である。たしかに初めてこの言葉を吐いたのはボクだと思う。国内、中国など海外でみてもアサリの青い個体の比率は低いのに、千葉県木更津、富津のアサリは青い個体の比率が高い。「木更津ブルー」はそこから飛び出した言語なので、犯人はボクだ。でも今頃、どこで、どのような媒体で見たのか知らないけれど、わざわざ聞いてくるなんて、思いもしなかった。ついでに、とあるDと撮影中に「空の色のようなブルーのアサリを見つけると、幸せになる」と言った気がする。また、サービス精神旺盛なボクは、今回も、「青い、ブルーのアサリを見つけると幸せになれるという木更津の伝説があるんです。もちろん木更津に限りません。四つ葉のクローバーよりも確実に幸せになると思います」と言ったけど、本気にしなかったと思うけど、どうでしょうね。ちなみに幸せになれる保証はない。

10月3日、午後5時前、新潟駅のホームに上る。下校時のラッシュは過ぎているようで学生の数は多くない。多くがスマートフォンを見ていて昔の騒がしさはない。高校生らしいとは思ったものの、平日なのに学生服姿は一人もいない。越後線に乗って南下する。新潟県の面積は47都道府県中5位で、北から下越、中越、上越と別れるが、捉えどころがないくらいに広い。下越の新潟市から中越の柏崎市までを繋ぐのが越後線である。ほとんど鉄路のない四国生まれなので4路線が通る新潟駅が複雑に思える。

6,7月にアカガイの味が落ちる。これが秋になり回復してくる。一年を通してみると11月のアカガイは2、3月と比べると落ちるがとても美味である。毎年一月に2、3回ずつ味見しているが、今年の10月はこれが最初で最後になりそう。もちろん中国産だが、これが町のすし屋の定番といえる。1個120g前後なのですし屋も使いやすいだろう。ちなみに宮城県や瀬戸内海、大分県のものと比べると確かに味は少々落ちるとは思うけど、毎日味見するとか、並べて食べないとわからないレベルだと思っている。さて、10月の中国産は身がふくらんで弾力がある。強い甘味があり、ほどよい渋味がある。端的においしいと思う。この味なら半額の中国産は悪くない。アカガイ好きで年間を通して食べているが、今回はとてもおいしかった。深夜酒に中国のアカガイもいいと思うな。

ボクのおいしいの「ストライクゾーン」はかなり広い。食は冒険だ、と思っているから旅をするとなんでもかんでもその土地の食料品を買ってくるが、まずいと思ったことはほとんどない。明らかに排他的な考え方を持つ、グルメとか通などと自称する人間とは真逆である。面倒くさがりやなので、調べもしないで、土地土地の、醤油でもみそなどの調味料でも酒、練り製品でも手当たり次第に買ってくる。その土地の人のようになり、その土地の人の嗜好に合わせた食をもって日々を送るのが好きだ。福島県二本松市のスーパーでは二本松市の酒も買ったが、喜多方市の酒も買った。昨日から飲んでいるのは、喜多方市の「笹正宗 純米吟醸」である。本醸造しか買わないのにちょっと高めの酒を買ってしまったのは、そのときボクが疲れすぎていたのかもしれない。飲みやすくてとてもバランスのいい、よい酒だと思う。

ニュースでは、なぜクマが人の住む領域に侵入してくるのか、をあまり報道しない。クマが人の領域にくるのは、山と市街地の間にある里山がなくなっていることだと思う。実際には利用しないのに、無闇に人の住む領域を増やしていることなどで生存の危険にさらされている生き物も少なくないと思っている。困っているのはクマだけではない。利益のために人間の領域を広げすぎて野生生物から守る面積が増えすぎている気もする。また当たり前だけど、クマのすむ領域にエサ(ご飯)がないために市街地にくるんだろう。秋田県知事がやろうとしていることは、仕方がないと思うが、それだけでは片手落ち(差別用語だけど)だと思うな。例えば環境省や国土交通省(?)がやらなければいけないことは、野山川海の現状を把握し、できるだけ人間の領域を減らし、クマの領域と市街地の間にあった里山を回復、クマの領域をお腹いっぱいになるくらいのエサ(ご飯)が増える環境にすることじゃないかな?江戸時代の書籍を読みあさっているけど、空腹、飢餓ほど残酷なものはないようだ。クマもたまらないと思う。報道されているクマ被害を見て、じょじょに自然界のあるべき姿を勉強しなくては。

高知県で飲まれているお茶は種々様々である。茶といってもマメ科植物の茶あり、所謂茶であるチャノキの茶もある。もっとも一般的なのは土佐番茶といわれるものらしい。チャノキの茶を焙じたものと、きし豆(カワラケツメイ)の葉を焙じたものを混ぜたもの。安芸市や黒潮町の直売所で買ったものは、きし豆(カワラケツメイ)の比率が多く、甘味がある。高知県高知市帯屋町『森木翠香園』のものはチャノキの葉が多めで、きし豆が少ない。

午後2時過ぎに新潟市に戻る。昨夜から睡眠時間2時間弱なので、この時間帯に疲れの大波が来る、ここで眠ってしまうと体が余計にだるくなるの予定通りに銭湯に行く。新潟市東区秋葉通にある小松湯は驚くなかれ、午前8時半からやっている。最近、ボク好みの普通の銭湯が全国的に消えてしまいつつある中、新潟市内には10店舗近くある。新潟市は銭湯のある町と言ってもいいだろう。小松湯は昔ながらの設備の、昔ながらの銭湯である。シャワーが出なくて困っていたら、「開けたり閉じたりすると出るから(身振りで)」と教えてくれる。常連さんが優しいのがいい。じっくりゆっくりと湯船に浸かり、ジェットを背中に受けて上がったら、体がクラゲ状態になっていた。ぼうずコンニャクなのでコンニャク状態かも。

毎年、日本海のズワイガニの11月の解禁後に、高級な日本海の雄ガニは1尾だけ11月中に買うことにしている。今年は解禁が1ヶ月早い山形県産を買ってみた。日本海産雄のズワイガニは年1回だけの贅沢である。12月になるととても手が出なくなる、その前。2024年は鳥取県産、2023年は兵庫県産、そして今年が山形県となる。余談だが、山形県では「芳ガニ」と呼ばせたいらしい。「芳」は当て字で、山形県から能登半島にかけて「葦ガニ(よしがに)」と呼ばれていた。足が長く細いので「葦(ヨシ)」なのだろう。「よしがに」という消え去りそうな呼び名が復活するのはいいことかも。さて、鼠ヶ関から来たズワイガニはとても身が詰まっていた。甘味が強くカニらしい風味も豊かだ。日本海どころか、太平洋側、北海道のズワイガニと比較する能力すら持ち合わせていないが、今季初ズワイガニはボクをとても幸せな気分にしてくれた。ズワイガニの身の魅力は筋肉が束状になっていて、ヒモ状にほぐれることだ。脚1本だけ味見するつもりが、昼下がりなのに2本、3本とやめられなくなる。あっと言う間に鉗脚(ハサミ脚)も含めて食べきる。

ここ2回の新潟行では、2回とも、帰宅した日の夜中は「サケのあらのみそ汁」を作っている。簡単に作れるし、腹にたまるからだ。ついでにいうと酒の肴にもなる。濃い目に作るのが疲れているのに眠れないときの味つけの秘訣だ。暑い日でも寒い日でも、熱々を食べることにしている。サケの魅力は骨などからいいだしが出ること。煮ても硬くならず、身離れがよくふんわりとして甘味があることだ。そしてサケ科特有の風味が感じられることもいい。これ以上望めないくらいに味わい深く、酒と一緒に流し込むと味の相乗効果を生む。酒は新潟県新潟市内野町「鶴の友 特撰」を正一合。

新潟県胎内市中条町の昼ご飯は、朝市のバアチャンおすすめの『福よせ食堂』で。いちばんのおすすめは朝市の通りの『志まつ』というジンギスカンの店だったが、「行列ができる」、「肉肉しすぎる」ので御免被る。昨日の夕方からタイの刺身とサツマイモの天ぷら1切れしか食べていないので、危険を感じるくらいにお腹が空いている。昔ながらのサンプルのある店先に立ち、オムライスだと決めて入る。店の中が比較的明るいのがいい。店員さんも親切そうだし、じっくり考えてお願いしようと思ったら、だんだんオムライスの陰が薄くなる。食堂のチャーハンもいい、気がする。考えてみると食堂で焼きそばもある。焼きそばにしようと思ったら、中華丼なんて何十年も食べていないことに気づく。考えた挙げ句にとどのつまりの、カツ丼セットにする。ラーメンとのセットは珍しい気がする。やや甘めのカツ丼がはらわたにしみ通る、秋の昼なのであった。喉を通ると同時に胃で消化されていくのを感じる。醤油ラーメンは食堂にしては鶏ガラの香り少なく、なんのスープなんだろう? とか考えたり、あれ、新潟県の「なると」はこんな「なると」だっけな、富山のような個性的な「なると」ではないなどと考えたり。考えに考えている内にたくわん一切れだけが寂しく残る。食堂の隅、たくわん一切れ食べる、おのこありける。

10月17日、神奈川県小田原魚市場、二宮定置はたいへんなことになっていた。大量の小型のゴマサバ、イサキでダンベ3個、4個が並ぶ。そんな慌ただしい中、お邪魔して申し訳ない。中に小型のタカベがあった。体長13cm・38g前後である。高級魚のタカベだが、このサイズではどうしようもない。以上は前回にも書いた。これで干ものを作る。水洗いして水分をきり、塩水に10〜15分ほどつける。室温20℃前後で塩分を控えているなら10分くらい。水分をよくきり、室内の風通しのいいところで24時間干す。地域によっては外干しができる。この場合、半日くらいで干し上がる。後は焼くだけである。非常に強いうま味があるのだけれど、表面にまず脂の熱せられ、また固まる途中の半溶けの風味がする。他の魚にはない独特の風味で、これがタカベの価値を上げているのだ。皮も身も全部うまいのが小型魚の干もののいいところだ。蒸かしたサツマイモのお菜にする。滋賀県の番茶を大ジョッキで1パイ。

道具話はだいたいにおいて独りよがり的なものとなってしまう。意見が違っても悪しからず。我ながら呆れるくらい、二枚貝の料理・刺身が大大、大好きだ。バカガイ(青柳)、トリガイ、アカガイ、ウバガイ(ほっきがい)などなどいいものがあると必ず手が伸びる。ちなみにホタテガイの話は別項を立てる。当然、貝剥きほど使用頻度の高い道具はない、といった感じだ。寒くなると殻つきマガキが中心になるが、食べる頻度が高いので、貝剥きは出しっぱなし状態になる。我が家にある貝剥きの数はわからない。20本以上ある可能性が高いが、バラバラに散らばっているのでどこにあるのかわからない。意外にもらいものが多いし、仕方なく通販でカキの類を買うと、メチャクチャ使いにくい貝剥きが大きなお世話なのについてきたりする。

金曜日は福島県から持ち帰った水産生物と産物の整理で費えた。土曜日は旅の疲れに、産物整理・生物の同定(種を割り出す作業)の疲れの二重奏でなにがなんだかわからない日だった。日曜日、窓を開けるとやけに風が冷たく、まさに鍋日和だ。水産物が底をついたときで、たまには魚を食べない日があってもいいだろうと思ったものの、なんだか寂しくなって近所のスーパーまで鍋材料を買いに行く。驚くほど魚がなかった。養殖魚ばかりなのは海が荒れているせいだろう。目的の北海道産マダラの切り身はあったにはあったが1パックだけ。塩ダラ(「ぶわたら」ともいい塩蔵したマダラ)がなく、残っていたのは生(塩をしていない)タラである。さて、福島県相馬市で今季初めて白菜を買った。新潟県胎内市中条で文化鍋(ふた付き両手のアルミ鍋)を買った。これで鍋を作る。マダラは食べやすい大きさに切る。振り塩をして少し寝かせて湯に通して氷水に落とし、表面のぬめりを流し水分を切る。白菜など野菜は食べやすい大きさに切る。高知県の酢みかんは黄色くなってしまっているので香りは少ないものの、果汁はたっぷり絞れるので、たっぷり切る。鍋にソウダ節でとっただし半分、水半分を合わせて塩と酒で味つけする。後は煮ながら食べるだけだ。マダラの切り身は手に入れやすく、しかもハズレがない。関東では至って日常的なタラだが、鍋ものにすると最強だと思う。煮えたタラは矢鱈においしい。身は層をなしており非常に柔らかく脆弱で甘味と魚ならではのうま味がある。白菜は日数の少ない品種(白菜は品種名+結球までの日数で、今あるものは夏撒き)だと思うが、久しぶりに食べるとうまいな。魚、野菜、豆腐など多様で量食べられるのも鍋のよさだ。酒は福島県二本松市の「千功成 本醸造」(檜物屋酒造店)。名前はボク好みではないが、味はボク好み。

高知県土佐市、白木果樹園からいろんな種類の柑橘類を送ってもらった。現在整理中だけど、非常に難航している。とりあえず、1種ずつ紹介していきたい。今回はピンクレモネードだ。アメリカで作られているユーレカレモンという、たぶんレモンの1種らしいものから、アメリカで生まれた変種らしい。酢みかんでレモネードとあると、少し甘味があるという意味だと勝手に解釈しているが、このピンクレモネードも少し甘い。スダチのような渋酸っぱいというのではなく、甘味があって、渋味は少ない。香りはそれほど強くない。レモン同様に焼きものにソテーしたものに、刺身などにも使えるが、いちばんいいな、と思ったのはカルパッチョだ。穏やかな甘さが、オリーブオイル、にんにく、塩と融合して味の一部と化して邪魔しない。魚の薄い切り身のうま味の中に酸っぱい甘さが感じられる。皮ごと飾ると皮の縞々模様とピンク色の果肉が映える。もっと意外だったのは、ハナザメのステーキに使ったときの酸っぱい中のまろみである。醤油やバターとの相性がいいようだ。

宿毛市、すくも湾漁協中央市場の入り口で、とても魅力的な赤い提灯を発見した。大判焼きである。ボクは甘いもの好きであるが、大判焼き、今川焼き、鯛焼きは自分を失うくらい好きだ。きっとサッポロビールの柴田さんは驚いたと思うけど、何が何でも大判焼きだ、と脳みそに一億個くらい大判焼きの文字が蠢いて、他のものが入り込む余地がなくなってしまった。買ってうれしいのは大判焼きの温かさだ。達磨の絵が焼き付けてあり、「すくも」とある。

胎内市中条の朝市は、3のつく日と、8のつく日の開かれるので三八市である。大方見終わろうとしているとき、「9時になったら魚屋が来るから待ってな(意訳)」と言われた。少し町を見て帰ってきたら、有名だという焼き肉店の前にライトバンがとまっていた。

10月17日、神奈川県小田原魚市場、二宮定置はたいへんなことになっていた。大量の小型のゴマサバ、イサキでダンベ3個、4個が並ぶ。そんな慌ただしい中、お邪魔して申し訳ない。中に小型のタカベがあった。体長13cm・38g前後である。高級魚のタカベだが、このサイズではどうしようもない。小田原で「くちもの」と呼ばれる雑多な箱にしても売りにくく、ダンベに入れると魚粉業者に嫌われそうである。持ち帰って水洗いしてペーパータオルにくるんで保存。昼下がりに「あぶり(焼霜造り)」にする、といても三枚に下ろし、腹骨・血合い骨を取り、皮をあぶって氷水に落とす。水分をきり、冷蔵庫で少し寝かせて皮目を落ち着かせて切っただけ。これが端的においしい。文句なしといってもいいだろう。タカベは皮を生かさないとダメだ。若い個体の血合いは鮮度がよくてもくすみ、食感のよさは数時間しかもたない。舌にずんと響くような強いうま味とあぶった香りで、「これを捨てたらあかん」とぞ思う。

8時前に胎内市中条の朝市、熊野若宮神社前に着いた。3のつく日と、8のつく日の開かれるので三八市である。新潟県は朝市県といってもいいほど朝市だらけである。これは里(商工業地)と農家・漁業者がはっきり分かれていたためだ。少しだけ専門的になるが、庶民交易史の世界では、この異業種間の交流こそが中世以来の「交易」の姿なのである。1980年代、新潟県の朝市は歩くのがたいへんといった混み具合だった。人気のある農家の露店などには人だかりが出来ていた。鍛冶・刃物、和菓子やこんにゃく、寒天(ところてん)つきなど様々な業種がひしめき合っていた。占いなのかなんなのか、怪しいくじに並ぶ人もいた。新潟県にしかない、というものがいっぱいだったが、今や見る影もない。

10月17日、神奈川県小田原魚市場、二宮定置はたいへんなことになっていた。大量の小型のゴマサバ、イサキでダンベ3個、4個が並ぶ。そんな慌ただしい中、お邪魔して申し訳ない。二宮定置にアイゴの成魚はたくさん揚がるが、今回のように体長13cm・50g前後が入ることはあまりない。瀬戸内海ではこの秋の小型を珍重する。トン単位の魚にもまれて決していい状態ではなかったが、十数尾もらってきた。潰れてしまったものを除き、水揚げから5時間後に頭を落として内臓を取り去る。ペーパータオルに巻いて、昼過ぎに刺身にする。小型のアイゴは基本的に生かして置いて、締めて料理する。だから瀬戸内海の一部ではそれなりに値がつくのだ。野締め(漁の間に死んでしまったもの)で、ほかの魚にもまれているので、食感は望まなかったが、意外にもほどよい歯触りがある。アイゴの身(筋肉)の特徴はうま味の豊かさだが、こちらも想像以上である。相模湾の小アイゴの味は瀬戸内海とかわらず、非常にうまい。昼なので土佐番茶で口中を洗うが、至極満足。

2025年10月17日の港のおっかさんのところでの朝ご飯は、アジフライだった。アジ(マアジ)は小田原名物のひとつなので当たり前だけど、考えてみると市場人の飯には久しぶりの登場だ。ただし小田原水揚げのマアジだけがうまいわけじゃない。神奈川県相模湾のマアジはすべてうまいし、東京湾もうまい。内湾で揚がるのはみなうまい。と、いうことでおいしいアジフライにおいしいご飯をパクパクと胃の腑におさめる。この日、このまま行き倒れになってしまいそうだったけど、うまい飯で復活。

秋深しなので、小田原魚市場にはうまそうな魚が揃っている。マアジが少ないので買受人は右往左往しているが、うまい魚が欲しいボクにはどこ吹く風なのである。どうしても欲しかったのは活けのヘダイである。生け簀の中のヘダイを数えている買受人が一人二人三人と、やけに目につく。さんの水産さんにお願いしたが、かなり厳しい戦いになりそうだ。ということでなんとか手に入れたのは、体長24.5cm・414g と小振りである。ていねいに締めてもらって、手渡ししてもらってビックリ。何がビックリしたかというと、下ろしたらその脂の乗りにビックリしたのだけど、その脂が体の表面にも感じられたからだ。脂と言っても深海性の魚の脂ではなくタイ科の魚の上品な脂である。毎年思うことだけど、この時季のヘダイの刺身にはおいしすぎて腰が抜けそうになる。1切れ、1切れの味が大きい。ぱきっとわかりやすいおいしさである。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に北海道根室・厚岸産マイワシが連続してきている。近所のスーパーにもあるので、一消費者になるとこれまた北海道産のサンマか、北海道産のマイワシか、で迷うかも。非常にいい感じの岩手県産ゴマサバが格安なので、そっちもいいとかとか。さて、北海道根室産は売れに売れ、残ったのはたったの5尾だけ。市場の残りものにいいものはなし、なので迷ったけどすべて買う。残り全買いは気持ちのいいものだ。刺身になりそうなものは1尾しかないので、とりあえず1尾だけ刺身で味見。根室で10月半ばといえば本来は冬だろうに、それほど低水温に強くないマイワシが揚がり、しかもべっとりと脂がのっているのって、不思議である。温暖化はわかっているのに、信じられぬ思いがする。それにしても10月の根室産マイワシは非常にうまい。

ナイフに縁はないけど、ナイフについて。2025年2月。真冬の南会津では市街地にしか行かなかったのに、いろんなことが起きた。数時間の内に膝上までの降雪があったためで、四国生まれのボクには畑の中の一軒家に行くのさえ、試練だった。そんな雪の中でちょっとしたことがあって、ほんの数十分共同作業をした名前も知らない人に、ポケットにあったナイフを差し上げた。ボクは都内に帰るけど、そのまま南会津に数日いるというからだ。このときナイフを持つ意味を知った気がする。フィールドワークに出るときには必ずナイフ2本は持っていく。主に漁港や競り場、防波堤釣り、淡水の釣りで使うが、刃物好きではないので、例えば勝手知ったる小田原には持っていかない。会津で差し上げたものは岐阜県の山間部のホームセンターで買った黄色に近いオレンジのもの。値段は1000円以下だったはず。今回買ったものは青緑色で、少し高いけど体調不良で買い物に行けないので仕方がなくアマゾンで買った。ナイフにはまったくこだわりがないけど、絶対黒や渋い色は買わない。頻繁に使う人は目立たなくてもいいし、本格的なものの方がいいけど、ボクのように非常にアマチュアで、山に入ることもなく、ときどきしか使わない人間にはなくしやすいのもあって目立つものの方がいい。以上は今のボクのナイフノート。ときどき改訂していく。

今年とれないはずのサンマが豊漁なのは、なぜ? なんて専門家は考えている気がする。たぶん漁業の予測はつかないのに予測している、想定できないのに想定外という専門家が大好きな言語が飛び交いそうで恐い。きっと、予測外だったときはなぜ、予測が外れたのか? に予算を使う気がするが、これこそが税金の無駄遣いだろう。漁業の予測とか資源学は一般人にはまったく意味がわからない。科学と言えるものなんだろうか?しかも10月下旬になってもサンマは、ほぼ北海道産なのだ。たぶん鮮サンマ(そのまま流通)だけではなく、冷凍用サンマも加工し始めているのだろうけど、今年の鮮サンマっていつまで続くんだろう?ちなみにボクは時季にしか魚は食べない主義なので、冷凍サンマは気になることがあったときにしか買わない。冷凍保存するくらいなら、できるだけたくさんの個体を南下させてやってくれないかな。なんて水産業のことは、まったく考えないで思ったりもする。

10月3日の新潟旅はいつものように新潟漁業協同組合の競り場から始まる。水揚げされている水産生物をすべてチェックして、今度は海から遠い田園地帯にある中央市場に行く。ここは水産大卸が新潟冷蔵、山津水産の2社あり、日本海側屈指の大型の市場である。新潟市の人口は76万人あまり、考えてみると我が故郷徳島県の人口よりも多い。しかも県内だけではなく阿賀野川をさかのぼり、福島県にも荷を送り出している。

軽く眠っただけで、元気なくたどり着いても小田原魚市場をひとまわするとシャキッとはしないけど、ある程度はしゃんとする。ただし残念なことに、むりやり来たので目が見えていない。オヤビッチャの隣にコトヒキがいる、と思ったら二宮定置の山崎さんが、「ヒメコトヒキですね」、といってくれた。めったにとれないし、売れない魚なので意外に手に入れるのが難しい。いいわけがましいが、元気なら真っ先に見つけたはずなのに、疲れすぎているので反応できなかった。ヒメコトヒキにしては非常に大きい、と言っても体長14cm・83g しかないが、相模湾では最大級だろう。触ったら硬いというか身がぎゅうぎゅうに詰まっているようだ。表面の手触りに脂感がある。下ろしてみたら、もっとすごかった。本種の身色がこんなに美しいとは思わなかった。血合いの赤味こそ弱いが脂が層をなしている。くせのない上質の白身で下にねっとりとからみつく。そこに脂の口溶け感がある。刺身としては今年いちばんかも知れぬ。

専門分野のない人はあやしいというか信用できない。水産学の方に話を聞いたら、それは高度成長期に出た、水産学の書籍の内容そのものだった。水産学は日々、変化しているのに、それはないだろう、と思ったら、水産学は片手間らしい。魚類に関しては魚類学者に聞く、貝に関しては軟体類学者に聞くが、曖昧な人に聞いても仕方がない。だいたい、なんでもかんでもやれる、とかやっています、という人には会いたくない。宇宙船ビーグル号のようなこともあるので総合科学という分野もあると思うけど、それも総合科学という分野なのだと思う。ボクにも専門分野があって、人と水産生物の関わりを調べている。文系の民俗学的なものと分類学の合体である。民俗学というのは曖昧な分野なので、専門分野といっていいものがあるのかないのか、よくわからないが、分野的には広い荒野にぽつんといるよで、な感じだ。残り時間が少なくなっているので、分野の幅を狭めている。7月に長野市から信濃町まで旅をしたのは、分野の幅を狭めた後なので、目的がはっきりしていた。若いとき北国街道で運送の仕事をしていたという方に会うためだ。北国街道は佐渡の金を運び、直江津からスケトウダラを運んだ道だ。ボクの場合、上信越自動車道ができる以前のことすら知らないので、1945年の敗戦後すぐに現役だった人の話は貴重である。ただ、残念なことに85歳の壁を超えられなかった。収穫と言えばこの国道18号線、豊野町、飯綱町、信濃町にドライブイン的な飲食店や廃墟が多いことが確認できたこと。上信越道が開通して30年近くになるが、これも北国街道の遺構だろう。飯綱町、滝澤農園の滝澤さんに教わった、『さかえや飯店』で、昼ご飯を食べた。普通のラーメンとチャーハンだったが、とても普通に、満足度高い昼ご飯だった。

ボクは庶民的な下世話な菓子が好きだ。もちろんおしゃれなものもいいし、京都滋賀などにあるツンと取り澄ましたような菓子だって嫌いじゃない。でもそのような見た目のいい菓子というものを見つけても、脳みそからいきなり手が出るほど食いたいか、というとそうでもない。今回、「道の駅 大月 ふれあいパーク」で見つけた有田有為堂製菓「羊羹巻」なんざー、気がつかない内に手に持っていた。心と体が同時に欲しがったためで、本能買いという。日本中に「羊羹巻(ようかんまき)」があり、いろんな形や生地のものがあるが、カステラ生地がいちばんボク好みだ。あまりにも好きなタイプなので、そーっと見るだけにしてもよかったけど、おいしそうな磁石に引っ張られて口に放り込んでいた。荒いカステラ生地のパサっとしたところに甘さ控えめ、柔らかめの桜色の羊羹がくる。また、大月町に行けたら、買ってしまう、だろうな。羊羹は決して本格的なものではなく、子供口のボクの心をトントンとたたくような味だ。有田有為堂製菓 〒788-0302 高知県幡多郡大月町弘見2108−1