今、浅草猿若町はただの街

江戸三座の大櫓を勝手に想像してみる猿若町


天保13年(1842)、徳川幕府は、それまで堺町、葺屋町(東京都中央区人形町)、木挽町にあった中村座、市村座、薩摩座(浄瑠璃)、結城座(浄瑠璃)を浅草聖天町に移転させる。後に河原崎座が移転してきたことで江戸三座が並び立った。
このとき聖天町から猿若町に町名が変更されたのだ。

「猿若」は、猿若勘三郎(中村勘三郎)にちなむ。
猿若勘三郎は1924年、江戸で最初の常設の芝居小屋である「猿若座」を作る。江戸歌舞伎の始まりは狂言師であった猿若勘三郎が京から江戸に流れ着き、江戸に座を作ったことに始まるのだ。
テレビでしか歌舞伎を見た事のないボクがいうのも変だけど、歌舞伎の演目が狂言と呼ばれること、歌舞伎には舞、長唄など多彩な面があるのも、猿若勘三郎の流れかも。
余談になるが、中村勘三郎家は江戸時代、歌舞伎俳優でもあり、座主でもあり、興行師でもあった。
市川團十郎や中村仲蔵、大阪の中村鴈治郎とはまったく違う、特異な存在である。

天保期、江戸三座の廃止をもくろんだ水野忠邦を押しとどめて、移転させたので有名なのが、遠山景元(遠山金四郎)だとされている。
江戸の街にあった最大級の娯楽施設の移転先に、この待乳山聖天に隣接する地が選ばれたのか?
そのボクなりの答えが、全然無関係な、沢村貞子の『私の浅草』を読んでいていきなり整理整頓された。浅草→浅草寺→(新)吉原→江戸三座→魚屋(魚河岸、漁港)だ。
沢村貞子が加東大介(ボクが子供の頃とても人気があった)が育った町、猿若町に江戸の食文化を考えるヒントがあったのだ。
念のために沢村貞子は林芙美子、武田百合子と並ぶ、文章の達人である。
この待乳山聖天から猿若町にかけて、魚屋や淡水魚を売る店が多かったのではないか、と。

浅草は芝居小屋が来たことで娯楽の宝石箱になる


浅草には江戸庶民最大の観光地である浅草寺、吉原(遊郭であった以上に連が開かれたりと、文化的な場でもあった)があり、江戸時代のターミナルのひとつ山谷堀があった。また洪水が頻発する江戸にあって、吉原土手があって比較的安定した地でもあった。
徳川家治が将軍であった時代、田沼意次(いわゆる田沼時代で、宝暦・明和・安永・天明)は、江戸の町に好景気、と開放的な空気をもたらす。この時代(1751年-1789年)は江戸文化が急激に開花する時期でもある。関係ないことだけど、田沼意次は意図しないところで俵物貿易も振興している。これは水産物を調べる上でとても重要。
金銭的に余裕が出来たために、江戸庶民だけではなく、日本各地から人々は娯楽をもとめて浅草に集まってきていたのだと思っている。
この時代、平賀源内が、山東京伝が、ある意味奇抜すぎる、サイケデリックなブームメントを作り出していたのも重要だろう。ボクの世代が今どきの若い衆のファッションについていけないどころではない、もっと遙かに奇妙奇天烈なファッションや流行り物を作り出していた。
江戸時代の連(集団)が開かれたとことで、太田蜀山人、恋川春町などが遊興し、狂歌を作った場所でもあった。

遠山景元(金四郎)とそのブレーンが移転地をここ浅草寺近くに選定したとしたら、江戸庶民の暮らしとか娯楽がよくわかっていたに違いない。しかも浅草に江戸三座を持ってくるのは、今に例えるなら東京ディズニーランド(行ったことないけど)を移転させるに等しい規模かも。
ここまではだれもが考えることだと思う。

猿若町には歌舞伎も芝居も、なにも残っていなかった


それだけではなく、『私の浅草』を読んでいて、ここに小さな漁港(水産生物の水揚げ港)があったことも重要だと気がついたのだ。日本橋魚河岸は最大の魚河岸(市場)だったが、それ以上に重要なのは江戸には無数の芝浜(小さな漁港、魚河岸)があったことだ。江戸時代の水産は日本橋魚河岸だけでは語れない。この芝浜が浅草にもあった。
当然、魚屋も無数にあったに違いない。

当時最大の観光スポット寺と神社があり、吉原があった。
プラス、食である。
うまい魚が豊富にあり、料理屋もたくさんあった。ウナギの食文化史上重要な『重箱が』山谷堀にあったのは、吉原の客をみこしただけではなく、ウナギを手に入れやすかったからだ。浅草は食の場として、向島の鯉料理屋以上の規模だったのではないか?

考えたら、行ってみないと気が済まない。
ただし、いざ行ってみたら、ただの、なんの変哲もない東京の街だった。少し前まであった芝居小道具の藤浪小道具も大方が移転してしまい、歌舞伎の街だった名残は小さな土蔵ひとつとなる。

沢村貞子の住んでいたところに案内してくれた、さしすせそのない人たち


行きくれて入った、食料品・酒の『サカイヤ』のご主人に、昔、このあたりにはたくさんの魚屋があったこと、戦後にも沼地などが残っていたことなどを聞取できた。
ついでに、沢村貞子が住んでいた場所に連れて行ってもらった。工事中でなにもなかったが、この横丁の記憶が地元の人には残っていることだけは明白である。
この日、さしすせそのない生粋の浅草っこに会えたのも大きな収穫だった。
猿若町の旅は、文字だけでは、なにも考えられないボクの脳みそを活性化させてくれた。


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