
「浜から山(里)へ」は水産流通の基本である。海でとれたものを塩をするか、焼くかして山に向かって売りに行くことでこの国の食料の循環が行われていたのである。例えば塩をするか、焼くかしたサバ(マサバ)を山に運び、米や米ぬかと交換することで浜は糖質を補給していた。山の人は動物たんぱくを得られた。この浜から山へ、山から浜へを考えていきたい。新潟の浜では古くから魚を早朝から炭火で焼き上げ、山間部に運んでいた。いったいどんな魚を焼いていたのか?新潟市本町での、炭火に串に刺された光景は絵になるので、多くの書籍に写真はあるが、その魚の種類までは載っていない。農文協の聞き書きシリーズにもない。1988年の『新潟料理 ふるさとの味』(桜井薫 新潟日報事業社)に〈イカ、サバ、カレイ、アナゴ、ギス〉とある。それぞれスルメイカ、マサバ、マガレイ、クロメクラウナギ、ニギスである。カレイは日本海側では青森県から富山県まではマガレイ、石川県、福井県がアカガレイだと思っている。みな地先の浜でたっぷりとれていたものばかりである。ちなみにマガレイを海辺の魚屋で焼いて売るというのは、新発田市や村上市にもある。山形県でも同じである。新潟市の浜焼きは、何度も買い求めている。その光景以上に魅力的なのが、その香りである。見ていると食べたくなのは、この香りのせいだ。とても丸々一尾は食べられないが、冷めてもおいしいところも魅力である。寺泊は今や観光地と化しているが、ここも浜焼きが有名である。もうひとつの浜焼きの町が出雲崎である。1980年代に二度も行って、二度とも買っているが、ただ単に買って食べただけで終わっている。2004年にも浜焼きを買っているものの、なぜか画像がない。残念なことに焼いている時間には一度も行き会わせていない。4度目の出雲崎なので、今回こそは焼いているところを見てみたかった。細長い出雲崎の海岸線の集落に沿って南北にバイパスが、しかも海側にできていた。出雲崎の集落と狭い道は相変わらずつげ義春が好きそうな影の多い家並みで、一安心したが、こんな道路、ほんとうに必要なんだろうか?いい道路を造ったら人が来る、そう思っているのは土建屋さんと行政、政治家だけだろう。古い町並みを少し歩いてみたが、町は完全に寝静まっていて、車さえ通らない。

新潟県上越市・妙高市で、「ほくしん」という言語を何度か聞いた。上越市・妙高市の南、北信のことで、長野県の地方名である。長野には何度も行っているのに、どこに行ってもバラバラで理解できない部分が残ってしまうのは、要するに10もの地方に分かれるからだ。海のない長野県は必ず海と繋がりを持つ。そのとき長野県の地方地方で海が違うのである。北信では上越市の海辺。松本平・安曇野では富山県の富山湾になる。南信州・上伊那などは太平洋こそが海辺だ。新潟県とか日本海側に行くと、南が寒くて北が暖かいので、よく話がこんがらがるが、北国街道を南下すると急激に雪深くなる。今回、上越市・妙高市・北信地方(信濃町・飯綱町・長野市)が線として繋がったことによって、長野県の地域を調べるための入り口が発見できた。これが、今回最大の収穫である。この視点で長野に行ってみたくなった。

新潟市万代島にある市場は、長い歴史があり、新潟の地方性がいちばん感じられる場所だ。新潟市は地物が豊富な上に、陸送もあるという恵まれたところでもある。食というと石川県とか「きときと」で有名な富山県など浮かべる人が多いと思うが、実は新潟県はこの2県と比べても見劣りがしない。量はともかく、むしろ信濃川流域の水産生物もあるので、3県の中でも抜きいんでいる気がする。うまいものを食べたかったら、新潟だ、と思って欲しい、今日この頃でもある。ちなみに暮れも押し詰まってこれだけの荷があること自体素晴らしい。順不同。スサビノリ(岩のり 新潟市)、ぎんばそう(アカモク 新潟市?)マトウダイ(宮城県)、アカムツ(宮城県)、キアンコウ(宮城県)、山伏(ババガレイ 佐渡)、アカガレイ(佐渡)、メダイ(佐渡)、ヒラメ(佐渡)、イシガレイ?(佐渡)、キジハタ(佐渡)、ソウハチ(新潟)、マサバ?(佐渡)、カツオ(佐渡)、マンボウ?(佐渡)、クロダイ(佐渡)、どろやなぎ(ヒレグロ)、クロソイ(佐渡)、ホッケ(佐渡)、ウッカリカサゴ(佐渡)、アオハタ(佐渡)ハタハタ(新潟)、ヒラマサ(佐渡)、めじまぐろ(クロマグロ 佐渡)、サワラ(佐渡)、めばる(ウスメバル)アカアマダイ(新潟)、キダイ(新潟)、チダイ(新潟)、カイワリ(新潟)、シログチ(新潟)、アカムツ(新潟)、アラ(新潟)、ハツメ(新潟)、チゴダラ(新潟)マトウダイ(宮城県)、キアンコウ(宮城県)、タチウオ(宮城県)、ババガレイ(宮城)、カガミダイ(宮城)、シロメバル(宮城)本ずわい(ズワイガニ 新潟県佐渡水津など)、ケガニ(新潟県佐渡水津など)、なんばんえび(ホッコクアカエビ 新潟 小底)、クロザコエビ(新潟 小底)、赤ひげ(アキアミ 新潟市)、モクズガニ(新潟)。黒ばい(バイ 新潟)、カガバイ(比較的浅場 佐渡)、チヂミエゾボラ(比較的浅場 佐渡)、クロアワビ(不明)、ほっき(ウバガイ 茨城)、アオリイカ(佐渡)、ケンサキイカ(新潟市)、ミズダコ(佐渡)市場魚貝類図鑑へhttps://www.zukan-bouz.com/#新潟県 #新潟市 #佐渡

待ってるぞ、と言われて行ったのに、病院に行くのでダメだと言われ、それじゃ明日と言われたので行ったら、今日も病院だと言われる。ご老体、あきらかに、あれなのね、とわかったときにはもう遅い。脳みそがふやけた状態で、長浜市木ノ本にたどり着く。ボクの場合、食べ歩きはしないので、いいと思ったらそこだけでいい。それにしてもこの木ノ本駅近くの食堂はいい。人に振り回されてへとへとになった身体が、瓶ビールと店の湯気でひゅっと楽になる。

今回の目的は人だったのに、その方が行方不明となる。まさか、とは思ったがどうしようもない。これがボクの旅の現実なのである。この日には北風がやむということで、琵琶湖南湖東岸、西岸の漁港を回る。空振りだった。できれば南湖の水揚げを見たかったので、残念である。南湖で底曳き網の漁師さんに話を聞けたのだけが収穫。夕方に湖北に行ったが、やはり今回の主役には会えず。1945年以前生まれの漁師さんが、どんどん姿を消していく。唯一の収穫は情報をいただける漁師さんが増えたことだけ。なんと湖北も漁はないという。

この日は朝日が昇るのを見ながら琵琶湖湖畔で魚すくいをした。細かな泥っぽい砂地に足を取られてたいへんだった。魚すくいは夢中になりがちなので、空腹感も、疲れも、やっているときは感じない。気がついたらバカ長が脱げないくらい疲れていた。甘いものが欲しくなったので朝ご飯に柿一つ。ボクの旅はいつもどろんこで、這いつくばって、食い物もギリギリなのだ。滋賀県今津から福島県小浜についたら10時前だった。どこか食堂を探そうとして、腹の虫が大騒ぎしたので諦めた。くどいようだが、ボクの旅は愛のない、悲しみと諦めの旅でもある。小浜市にあった直売所、若狭ふれあい市場で、地元食材を大量買いし、ついでに弁当を買う。いちばんもりもりのやつを選ぶ。車の中を温かくして、飢えに耐えながら前日の足の傷をウエットティッシュでキレイにし、絆創膏を替える。最近、傷の治りが遅い。これは年のせいかしら、と思う。手も傷も足回りも清潔に、ある意味、明窓浄机して、といった感じで弁当を食らう。温かい烏龍茶で口の中を湿らせ、一気に食らう唐揚げ大盛り弁当がうまい。腹が減っているときの一口に涙がぽろりしそうになる。竜田揚げのしょうゆ味がおいしいし、かりっと揚がっているのもいい。おかずがどれもうまいし、ご飯がうまいのは福井米を使っているせいか。若狭ふれあい市場にまた来ることがあったら、また弁当を買うだろう。そして発見があった。兵庫県は定食・弁当にみかんがつく比率が高いと思っている。ひょっとしたら福井県もそうではないか?こんなことを考えてしまうから旅は疲れてしまう。

朝一番、琵琶湖畔で魚すくいをする。滋賀県今津から熊川宿を越えて小浜に出て、気になるところを見ながらふたたび滋賀県に帰ってきた。かたっぱしからスーパーに寄って、直売所も巡り、人に話を聞いた。収穫がありすぎる往復で知識のゲップがでるほどだった。いつのまにか夕闇が迫ってきていた。桓武帝を考える上でも、ぜひ寄りたいと思っていた塩津浜港を断念。久しぶりに歩いてみたいと思っていた木ノ本、北国街道も真っ暗だった。この日の最終地点、木ノ本駅の駐車場で、途方に暮れていたら、地元の方に駐車料金は無料であることと、ご飯が食べられる店を教えて頂く。教えてくれた方、ありがとう。北風が冷たく、闇が重く感じるほど濃い中、駐車場から歩いて数分のところに灯りが見え、暖簾らしきものが揺れているのを発見した。引き戸を開けると子供が椅子席にちょこんと座っている。湿度の高い店内がいい感じで、厨房の端、奥の方で湯気がもくもくと上がって白い。そこに晩ご飯が運ばれてきて、店のオバアチャンが前に座って話こんでいる。ここの子供らしい。ボクは、店の子供が店内でご飯を食べているような、飾りっ気のない店が大大大好きで、この店は大当たりだと確信した。

「ざっこの貝焼き」は「ざっこ」のみそ汁である。「貝焼き(かやき)」は東北や新潟県の言葉で、もともとはホタテガイの貝殻を鍋にして作る、醤油・みそ仕立ての料理のことだ。ヤツメウナギやホタテガイ、みそ仕立ての卵料理などがある。ここ秋田県旧館合村(現横手市雄物川町)でも、また古くは貝殻を鍋にして作っていたことから「貝焼き」なのだ、と思われる。

秋田県横手市雄物川町、佐藤政彦さんが作ってくれた「ざっこ蒸」は「ためっこ漁」でとれた「ざっこ」の大方を使って作る。「ざっこ蒸」は「塩蒸しざっこ」ともいう。柔らかくほどよい塩味で、内臓に苦味がある。けっして食べやすいものではないが、残して置きたい雄物川の冬の味覚である。

2017年1月21日、秋田県横手市雄物川町、佐藤政彦さんの家に到着すると同時に川に向かう。佐藤政彦さんは1945年、旧館合村(雄物川の右岸、現薄井・大雄)で生まれる。農業を営みながら、春はウグイ漁、夏から秋にかけてはアユ漁、冬には「ためっこ漁」を行っている。雄物川方面を見ると一面の銀世界で冷たさに顔が凍る。除雪されている地域は人があるけるが、少し離れるととても歩いていけない、そんな雪深さだ。それでも佐藤さんたちは「暖かい日だな」などと笑っている。雄物川は直線距離にしたら目と鼻の先だが、川原まではとても歩いては行けない。大型トラックターに乗って向かう。「ためっこ漁」は佐藤さんを含めて3人で行う。秋田県山間部の厳冬期の漁で一人ではとてもできない集団で行うものだ。「ためっこ」は数カ所あるが、1日に1カ所ずつ上げていく。古くは雄物川の各所に、農家の人達の無数の「ためっこ」があったはずである。狙うのは「ざっこ」である。「ざっこ」とは「雑魚」のことで、主にコイ科の小魚のことで、特にウグイを指すのだと考えている。雄物川ではサケやコイに対しての言葉だと思う。貴重なたんぱく源である「ざっこ」をとる「ためっこ漁」はとても原始的なもので、歴史は非常に古いものと考えられる。コイ科の小魚は、石のくぼみや、水際の木が沈み込む周辺などにもぐり込む習性がある。これを利用したのが全国で行われているのが「柴漬け漁」である。「柴漬け漁」は木の枝などを束ねて沈めておき、魚がもぐり込みやすい環境を作る。これをゆっくり上げて、下にたも網などで受けて取る。この「柴漬け漁」を大がかりにし、固定化したものが「ためっこ漁」である。取り分け秋田などの北国では、冬季になると「ざっこ」は川の冷たさを避けて岸のよどみなどに集まる。そこに木の枝などを束ねたものがあると格好のねぐらだと思うのだろう。

滋賀県長浜市の直売所で買ったものだ。琵琶湖は今、ビワマスの時季ではない。養殖ものではなく、冷凍保存して置いたものとみた。ビワマスの刺身は滋賀県内の直売所でしばしば並んでいる。ビワマスの刺身は、例えばサクラマスに近い魚なので、味がとても似ているが、少しあっさりとして軽い味である。別に味気ないということではなく、上品な味と言った方が正しいだろう。琵琶湖周辺の人が「あめのいお」を愛してやまないわけがここに感じられる。琵琶湖に旅して当日にでも帰宅できるならお土産にもなるだろう。一度、淡水域だけど暮らしたサケ科の味も楽しんでもらいたい。

日本海のサバの交易を調べに、前回、若狭高浜から名田庄を経て和知、丹波に出る経路の旅をしている。今回は、滋賀県高島市今津と福井県小浜市を往復した。少しずつでもいいので、京都周辺(滋賀県・京都府・兵庫県)のサバ(マサバ)の食文化を調べていきたいと思っている。滋賀県の湖北地方・余呉・朽木などのサバは主に日本海から来ていた。滋賀県南部米原以南湖東にサバをもたらしたのは主に三重県太平洋側だ。サバの来た道、経路だが、当たり前だけれどもっと、もっと多種多様な水産物の来た道でもある。滋賀県は京都市内への中継地点なので、京都で消費されるサバも、主に日本海と三重県太平洋側から来ていたことになる。「さばのなれずし」、「塩さば(塩蔵品)」は今でも滋賀県全域で手に入る。「さばのへしこ(糠漬け)」、「焼きさば」は滋賀県北部が主な消費地であるし、生産地でもある。この4つの加工品総てが揃うのは滋賀県北部だ。こんなことからも滋賀県の食文化は、サバ抜きには考えられないことがわかる。昔、京・滋賀に対しての日本海でのサバの代表的な供給地は若狭地方だった。1950年代くらいまで日本海のサバは豊漁で、佐渡島、能登半島、若狭湾、隠岐が4大漁場であった。三方(現福井県若狭町)、小浜(同小浜市)の高浜(同高浜町)に水揚げされた若狭湾のサバが滋賀県を経由して京に送られていた。産地からは馬などを使った比較的規模の大きい交易もあっただろうが、食文化を考えるとき重要なのは量的には少ないものの歩行(丹波などでは自転車、汽車に乗って)による交易である。マスコミでも、ときに単行本でも「鯖街道」が登場するが、みな内容が薄いというか、誤情報ばかりで困る。さばの来た道は毛細血管のように張り巡らされていたのだ。貨幣での取引もあったが、1945年(敗戦)以後も物々交換が行われていたことはとても重要だ。

最終日は湖北の水路で生き物を追いかける。結局、滋賀県では3回しか魚すくいが出来なかった。過密スケジュールのためだが、もっと多様な水辺で多様な生物と巡り会いたかった。魚/スナヤツメ、オウミヨシノボリ、ウキゴリ、ドジョウ甲殻類/スジエビ貝類/タテボシガイ、マツカサガイ、マルドブガイ、マシジミ

さんざん場所探しをして、滋賀県高島市湖岸の駐車場に車をとめる。夜が明けるのを待って湖岸に向かう。まだ完全に乾ききらないウェーダーが履きにくいし、どことなく臭うのが気になるものの、雨が上がって実に気持ちがいい。それにつけても早朝の湖岸の美しさよ。1時間と少し、ドロっぽい水路の流れ込みをせっせと生き物を探す。獲物の大方がヨシノボリ属とウキゴリ。南湖ではスジエビばかりだったのに、ここにはテナガエビが同じくらいとれた。あまりにもワンワンを連れた人が多くなってきたのでやめてしまったが、もっと長くやっていたかった、ぜ。魚/オウミヨシノボリ(?)、ヌマチチブ、ギンブナ(?)、ウキゴリ、ドジョウ甲殻類/スジエビ、テナガエビ

さて、滋賀の旅は午前0時に我が家を出る。夜明けとともに野洲川で魚すくいをする。野洲川でおぼれ死にそうになったが、獲物の撮影まではこなす。そのとき琵琶湖では北風が吹いていて、湖東の漁港は漁がなかった。ポテチン、だ。この日の不幸1 おぼれそうになったことこの日の不幸2 琵琶湖が荒れて漁がなかったこと朝から水しか飲んでいないので、『JAおうみんち』で柿を買って、飢えをしのぎながら、湖西に渡る。渡る度に思う事だけど、琵琶湖大橋の通行料金80円はいらぬと思う。一般道にした方がいいんじゃないかな?堅田の魚屋をみて、北上しようとして、北上できなかった。この日の不幸3 予定が大狂いしたこと。人は難しいなと思って時計を見たら、2時だった。普段、チェーン店には入らない、食わないことにしているが、飢餓につき、堅田でゴージャスに大トンカツを食べる。こんなときデブなんだからお握り一個で我慢しよう、という気持ちにどうしてならないんだろう。ただ、チェーン店なのにこの大トンカツがやたらにうまかった。さくっと香ばしいだけではなく、ロース肉に汁気があり柔らかい。豚肉らしい風味が好ましいぞ!まわりの漬けもの、サラダもおいしいし、豚汁もいい。ご飯のお代わりなしがデブ唯一の矜持なのだ。

元号は使いたくないが、便利なので。今回の旅は、なんどか漁獲物を見せてくれた漁師さんに会いに行くのも目的だった。昭和10年前後に生まれた世代は貴重である。会ってくれると言われてわざわざ行ったけど会えなかった。水産生物を調べているとこんなことは日常茶飯事、当たり前なので驚かない。そろそろ戦前生まれで話の聞ける方々も少なくなり、また明朗に答えてくれる人はもっと少なくなり、だ。気がついたら午後7時になっていたので、平和堂に走り込んで、萩の露とコイの子つけ、お握りを買って、駐車場を探す。そこでたき火(もちろん台の上で)をする。集めて置いた割り箸と紙だけなので、ちょろちょろたき火である。不思議なことにたき火をすると心が落ち着く。

この国の人間は淡水魚を口にしなくなって、淡水域の破壊を食い止めるための手段として自然保護だけで語るしかなくなっている。淡水魚を食料と考えていないせいだ。淡水魚も食料であり、自給率などを考えたとき、淡水生物も海水魚・海水生物同様重要なのだ、ということがわかっていない。温暖化の今、淡水生物を食べることで、ぐっと淡水域が近くなり、淡水域を破壊することがいかに、危険かが如実にわかるだろう。ちなみに雑食性のコイなどコイ亜目の養殖の方が、肉食性の海水魚の養殖よりも自然に優しい、ということもつけ加えておきたい。さて、最近、コイという淡水魚の中でも、もっとも身近な食用魚すら食べたことのある人は希だろう。コイはくせのない上品な白身で、味がある。これくらい万人向きな魚は、海水魚にもそんなに多くはない。なのにコイを食べない人だらけなのは、淡水魚の味を語るときに「泥臭い」という言語を使うバカモノが多すぎるからだ。滋賀の旅に出ると必ず立ち寄る、『川魚の西友 辻川店』で見つけたのが、コイの白子の煮つけである。念のために。東日本淡水魚の料理法と、滋賀県や京都市内の淡水魚の料理法・味つけはまったく別物である。ボク自身が四国生まれで、西の味に親しんできたせいで、滋賀県の淡水魚の味つけは口に合う。しかも『西友』の煮つけの味は、とりわけさらりとしてあっさりしている。淡水魚そのものの味が生きている。今回、コイの白子の煮つけは、惣菜としては初めて食べた。雄のコイを手に入れたこともあるので、白子のおいしさは知っていたが、こんなにおいしいとは思わなかった。ついでだから蛇足をば。例えばコイやフナの煮つけを手に入れたとする。もしも愛する人と食べるなら、ボクは身(筋肉)を食べて、愛する人には内臓や生殖巣(真子・白子)を食べさせる。このコイ亜目の魚は断然内臓がおいしくて、身が主役ではないからだ。

滋賀県守山市、野洲川河口域で溺れかけて、びしょ濡れになる。それでもやらなければならないのが撮影である。撮影後、ただちにお帰り願わなければならぬ。バスタオルを持って来ていなかったのが大失敗。下着まで新しいのに着替えて、車の中で体を気持ち乾かす。上着を濡らしたので、寒い中、上着なしで撮影する。さっきまで気にならなかった川風が痛い。さて、今回もっとも苦しめてくれたのが、なんども撮影しているヌマチチブである。オウミヨシノボリが素直にポーズを決めてくれたのとは大違い。水槽を揺らしても反転してもあっちを向いて振り向かない。真横にならない。その感にも体が冷え冷えになる。人と会う約束の時間が迫る。淡水の旅はきびしいくて、悲しい。

滋賀県守山市、野洲川河口域ですくった生物のほとんどがオウミヨシノボリであった。急激に気温が下がったためにコイ目の小魚類などは深みに落ちたのではないかと思われる。魚/オウミヨシノボリ、ヌマチチブ甲殻類/ミナミヌマエビ、スジエビ、エビノコバン

琵琶湖周辺を移動していると、まず北と南での違いに気づくはずである。湖西は山が琵琶湖に迫り、比叡山、比良山地からの颪にさらされている。農地が少なく、物成での南北の違いは、現在のところボクにはよくわからないが、南北に限らず寒い。湖東は草津、守山から、彦根を越えるといきなり北国になる。こんな顕著な違いは京都盆地にも見られる。当たり前だけど車は北に行くほど、4WDが増える。昔、余呉で雪から出られなくなって事がある。長浜から北に来るなら普通車では無理と言われたものである。農産物でいえば南部である草津市、守山市では柿が出盛っていて、まだまだ先が長いと感じたが、長浜市では「そろそろ柿もしまいですね」なんて言われる。白菜の品種にも違いがあるのではないか? 道路脇から見ただけではあるが、旧湖北町では早生の耐病性ではなく晩成が結球しつつある。南の草津や守山の方が野菜が豊富で、北に行くほど多彩さがなくなっていた、のは2013年11月の滋賀の旅で感じたことだ。それが今年はそれほど顕著ではない。余談になるが長浜市湖北町の直売所にはまだスイカがあった。温室だとは思うけど、本当に地元のものだろうか?この季節の差と、流通の地域性が今回の旅の目的でもある。

直売所に熱中して、ほぼ半世紀近くになる。初めての山形県旅で雪の来る前の国道沿いの直売所で買って買って、買いまくったのが最初である。それから30年後に同じ山形県南陽市の道端で、同じオバチャンがいたのには感動したものである。当時はコンビニなく、ケータイなく、といった時代だったので朝早くやっている直売所で朝ご飯を買うことが多かった。この道端の小屋のような直売所が、道の駅になりJAが経営して巨大化する。これはこれでいいが、最近やけに洗練されて、いちばん魅力的な土地土地のものが消えて行っているのが残念である。

最大でも全長13cmほど。定置網に混ざり込んでいた小さな生き物たちである。定置網に混ざるとやっかいなものたちだが、ボクには宝物そのものである。

根室周辺(根室市根室湾、風蓮湖、春国岱)の広大な浅瀬では貝類の手掘り漁が行われている。少し沖では桁引もある。中でも貝類は多彩で、アサリ、バカガイ、「ほっきがい(ウバガイ)」がとれる。これにやや沖のホタテガイ桁引のホタテガイを加えると計4種も揚がる。食用二枚貝は1種類の漁獲量が多く、地域内で揚がる種類が少ないのが一般的なので、根室周辺は国内でも希有な二枚貝多種類漁獲地域だ。この二枚貝が豊富な根室市の干潟で夏、5月から7月、大潮の干潮時に行われているのがオオノガイ漁である。たった2日間だけの、最干潮の前後4時間ほどの漁である。根室湾中部漁業協同組合の組合員によって漁が行われているが、組合員1軒につき2名(鍬2本)までが漁を行える。オオノガイは干潟の表面から30cm前後の深さのところにいる。漁は手掘りで、歯が3本の備中鍬で掘り進む。ひたすら前に少しずつ掘り進んでいく。漁獲していいのは殻長70㎜以上で、小さなものは埋め戻される。それにしても30㎝も鍬で掘り進み、大型をバスケットに入れ、小型を埋め戻すのは重労働である。家族が多い家では2本の鍬を交代交代に掘る。1人だけだと、たった1人で4時間掘り続けることになる。この漁業規制が末永いオオノガイ漁の保証になるのだと思われる。それにしても根室湾中部漁業協同組合の取り組みは素晴らしい。このとったオオノガイの水管は干ものになり、その他の部分は自家消費される参考/『オオノガイ資源を守るために-オオガイ生態調査に取り組んで-』(根室湾中部漁業協同組合貝手掘部会 オオノガイ研究グループ 木下秀雄)

北海道根室市の最終日、できれば市内でお昼ご飯を食べて帰りたい。でも情報なしで彷徨うタイプなので当てがないし、時間もない。困ったら人に聞くのがいちばんなので、目の前にいた『清月菓子舗」のオカミサンに聞く。結局いちばん近くにある、『ニューかおり』に向かう。駐車場が見つからないので昼ご飯は諦めようと思ったときに、やっとこさたどり着く。素直な性格なので、オカミサンに言われたとおりに、「スタミナライス」にする。意外なものが出て来た。ご飯の上に乗っているものがよくわからない。目玉焼きはいらない気もする。たぶん豚肉、竹の子や白菜、絹さやなどを甘辛いタレで炒め煮したものだろう。この店、外観は洋風で、出て来たものは中華風なものだった。味は悪くはない。上の目玉焼き、炒め煮を食べ進むと間にカツ(トンカツ)が挟んであった。実にうまいカツでただもんじゃない気がするが、今度は洋食屋的だ。スープも洋食風でもあるし、中華な感じもする。

前にも書いているが、北海道に来てから食べた飯は、弁当も含めてみな美味であった。特にコンビニ弁当がよかったのである。立ち話をした北海道バイク旅の若い衆が、朝一番に買える店を教えてくれた。『タイエー』というコンビニである。この若い衆、とても気さくで、ついでに店の位置まで車のナビに打ち込んでくれる。この手の作業がいちばん嫌いなので、ありがとうの三乗、といって感謝して別れた。今日中に羅臼、羅臼岳を超えて知床だという。若いって素晴らしい。たどり着いた『タイエー』はとても小さな店だったが、品揃えがとてもよかった。若い衆おすすめの「やきとり弁当」を注文すると、店内で焼き上げ、焼き上げたばかりをご飯の上に乗せてくれた。根室漁協の魚の搬入が見せる場所で取り出したら、なんと豚オヤジのイラストがかかれている。

根室3日目(6月25日)で、疲れが脚に来た。東梅という地区に行ったついでに水辺を見つけて、不用意に踏み込んだのが大間違いだった。出てこれなくなった。前日この地域でクマが目撃されている。あり得ないとは思ったけど、こんな状態でクマとご対面したらドナイショ、なんて不安がよぎった。こんなときに限って面白い生き物や植物が目に入るが、撮影する余裕もない。1時間近く(もっと短かったとは思うけど)かかって脱出できたが、胴長は2倍の重さになっていた。このとき、胴長ではなく長靴で入っていたらと想像すると恐くなる。夕方、根室市街地に帰り着き、銭湯の湯につかったときの極楽感は例えようもない。クリカラモンモンのオニイサンにおすすめの居酒屋を聞いたが、家に来いと言われた。もちろん遠慮して逃げた。疲れ果てると余計にアルコールが欲しくなる。風呂上がりに居酒屋を探して歩く。根室の夕暮れはあっと言う間に闇となる。雨がやんだのはありがたかったが、やたらに寒い。居酒屋を目指しながら野良犬同然のエゾジカを探すがいない。たぶんエゾジカも寒いんだろうな。

北海道に来てから食べた飯は、弁当も含めてみな美味であった。特にコンビニ弁当がよかったのである。着いた翌日の朝はセイコーマートの週替わり弁当である。この日が始まってから2時間、空腹感に耐えられなくなって店内に飛び込んで選ぶ間もなく買ってきた。主役のサケが養殖物だったらイヤだなとは思ったものの、じっくり選んでいる時間がない。根室の旅は1時間刻み以上にもっと細かく刻んで動いていた。根室漁協の水揚げは漁師さんがやってくるたびに場内にもどり、気になることをチェックしていたので、一段落つく間がなかった。競りが終わったら、すぐに向かわなければ向かわなければならないところもある。競り場を見ながらの朝ご飯だったが、なによりもご飯がおいしい。おかずもおいしくて、塩気のバランスがいいのも見事だ。これなら毎日食べてもいいかも。都内に帰ってきて、忙しくて大手コンビニの弁当を買ってきてもらって食べたら、悲しくなってきた。

居酒屋放浪記なんてテレビ番組があるが、目的の居酒屋が決まっているのに放浪記とはちゃんちゃらおかしい。へそで湯が沸くくらいに変だと思う。ボクの場合、いつも行き当たりばったりなので、夜の町をひたすら放浪する。ただし翌日が早いので、飲むのは午後7時までと決めている。なかったら諦める。歩いて15分くらいで北の酒場通りに着く。疲れ果てて足にきているので教わった居酒屋に入ったら、席にライター(たぶん持ち帰っていいってもん)がおいてあった。しかも隣ですぱすぱと煙が立ちこめる。生まれてから一度もタバコを吸っていないので、こりゃたまらんと席を替えてもらったが、なんとなくヤーな気分が立ちこめる。まずくはないけど早々に去る。本降りの雨で、非常に冷たく寒い。帰ろうかな? そろそろ眠ろうかな? と根室で考えていたら目の前にラーメン屋があるではないか。いい感じだったので、引き戸をあけて入ったら、もっともっといい感じだった。もうひとつ飲み足りないので、コップ酒を飲みながらラーメンを待つ。話の寄り道をすると、ラーメンと酒、もしくは焼酎は、博多長浜でからんできたオヤジに無理強いされたことに始まる。無理強いされてよかったと思っている。ほどなくやってきたラーメンをゆったり食べながら、酒もやる。もちろん博多のようにラーメンに酒を入れたりはしない。あっさりしたスープなのに、味の奥深さがある。ラーメン通ではないが麺も上等だと思う。

食べ歩きの人ではないので、いつもは行き当たりばったりの旅の食事だが、今回は根室名物の「エスカロップ」という、いったいなんなんだいそれは? といったものを食べてみる。ネット上でいろいろ調べたが、エスカロップの意味はわからなかった。1963年から広まったと言う。福井県発祥だとは、市内で会ったライダー(バイクにのった若い衆)の話。ようするにエスカロップはエスカロップとしか、いいようのないものやも知れぬ。地元の方の案内なので、向かったのは「エスカロップ」で有名だという『ドリアン』というしゃれた店だった。

北海道根室市の旅は市内に到着したその日の夜から酔いどれる。もちろん朝が早いので午後7時までの飲みだけれど、このときだけ体が緩む。初日は日曜日だったので、地元の方に営業している店を予約して頂いた。根室市の繁華街といっても密集した飲み屋横丁があるわけでもなく、暗がりの中にぽつんと居酒屋の灯がともっていた。『遊食酒場 壱炉 本店』という店で、外観は真新しく、日曜日なので家族ずれで賑わっていた。とりあえずの生ビールは一日の終わりの始まりにやたらにうまい。この店の突き出しはたぶんマコンブを薄甘く煮たもので、初手はまずまずボク好みであった。

今旅もまた、あまりにも詰め込みすぎて、寸暇がなかった。根室半島と東梅(温根沼大橋の西側)を右往左往し、また市内のスーパー、魚屋を踏破した。やっと時間が出来たので、念願の竿を出すことができた。ボクは日本全国を股にかけ釣りまくる、さすらいの防波堤釣り師なのだ。仕掛けは北海道中標津で買った片天秤のカレイ仕掛けで、錘は15号だと思うが数字がつぶれていて見えない。エサはアオイソメだ。釣り師お勧めの堤防には作業車がとまっていたので、港内奥まったところで釣り始めた。せわしなく仕掛けを作り、波ひとつない堤防のきわに落とすと目分量で水深1.5mくらいしかない。こーりゃ浅すぎてダメだと水くみをしていたら、ぴんと張っていたテグスがゆるんで竿が跳ね上がっている。潮がとまっているのかな、と、まわりに落としてしまった仕掛けの紙や、ついでに誰かが捨てていった仕掛けの袋とテグスを拾う。ついでにセイコーマートで買ったお握りをぱくぱくやっていたら、今度は竿が沈んでいるように見える。しとしとと朝から降り続いていた雨が上がり、風が止まり凍えるように寒かったのが少しゆるんだのは奇跡だ。またまた竿先が跳ね上がったが、この竿の動きからするとアマモでも引っかかっているに違いない。車まで飲み物を取りに行って、ついでに竿を上げたら、実に重い。ゴミでもひっかけたのかなと思ったら、シュークリームのようなものが仕掛けにしがみついていて、わやわやと何かが動いている。えいやっと堤防に跳ね上げたら、やはりシュークリームのような物体で、よくよく見るとクリガニであろうカニである。まあまあ大きい。クリガニが釣れるとは幸先がいい。じっとしていたのでつかまえようとしたら、いきなり横にするすると堤防を走って海に落ちていった。なんてこったい! カニさんカニさん、どこいくんじゃい?緊張感に欠けていたボクは思わず曇り空を見た。

北海道には何度も行っているが、去年の羅臼旅までセイコーマートのことは知らなかった。昔からあったのかしらん。羽田⇄中標津空港は1日一往復で、中標津着は午後2時前である。ここから根室までは2時間もかかる。旅の日の朝ご飯は食べないのが鉄則なので、現場(目的地)に着いた途端に腹が減る。中途半端な時間なので、おのずと軽い食べ物でもとコンビニに寄ることになる。到着した日だけではない。水産生物を追いかけていると朝が早い。だいたい朝は4時過ぎには浜にいて、クマを気にしながら水揚げを見る。ずーっと立ちっぱなしで、ときどき飛んだり跳ねたり、走ったりする。気になっていることを聞取、初めて見る生き物に興奮し、また聞取をする。終わるのが7時、8時なので、結局、またコンビニ頼りになる。