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我が家ではいたって日常的な秋の味である。こんな料理で一喜一憂しているなんてボクだけかも。その憂を生み出すのはいつも里芋である。いい里芋を見つけるのは、いいスルメイカを見つけることよりも難しい。今回近所のスーパーで買ったスルメイカに喜んで、里芋にほんの少しだけ泣く。11月最初の里芋煮は半喜半憂だ。さて、スルメイカと里芋煮は国内ではありきたりな料理だが、多摩地域では秋祭に作ることが多い。檜原村の老人曰く、ごちそうで楽しみにしていたという。まあ、一見普通の料理だが、すこぶるつきにうまい、これぞ真のごちそうだろう。久しぶりに作る味が優しいね。ご飯も食べ食べ、里芋もスルメイカも食べるとお腹が膨満してくる。けどスルメイカ独特の風味とうま味、それを吸い込んだ里芋がまずいわけがない。今年の里芋はいかがなりや。もっとうまい里芋食いたいな。
昔、岩手県の大槌町にある『六大工』に泊まったとき、夕食の刺身に赤い切り身があった。どうやらサケらしいと食べたら、意外にうまい。夕食後、『六大工』の女将さんがせっせとラップに包んでいたのもサケのようで、これを一度冷凍するのだろうと思って見ていた。一度、沖取りのサケではなく、岸によってきたサケの刺身を食べてみたいと思っていたのも、『六大工』の赤い刺身がおいしかったからだ。今回、刺身にしてみたら、定置網ものなのに極端に脂が落ちていない。これからじょじょに河口付近に近づいていく手前とみた。トキシラズ(沖取りの未成熟な個体)とは比べられないが、刺身にこく味を出しているのは明らかに脂である。しかもとても味があるし、サケらしい味の個性が感じられる。この個性がとても魅力的だ。味があるので口中でだれがない。すり下ろしたばかりの「山わさび」ととても合う。普代沖の秋ザケの刺身はとてもうまいではないか。昔、山形県の鮭川村の老人に、「川のサケの刺身は海のサケよりもうまい」と言われたことがある。サケの刺身の味は脂ではなく、別の何か、かも知れない。とれなくなった今にして、サケの食文化の奥深さを感じた。
今年は2.5㎏を三枚に下ろした片身で、塩ザケを作る。味見しながら切っては焼いて、また干して、切っては焼いて、また干して。加減をみながら干し上げて、出来上がりは6切れとお茶漬け用5切れができる。味見した2切れを足すともっと正確な量になる。我が家の塩ザケには干しの工程が入る。といっても狭苦しいところに住んでいるので風に当てて枯らすとかではなく、干すのは冷蔵庫である。製造日数は5日間でしかない。個人的にはこれで充分だと思っている。サケを一本買いすると必ず作るもので、ボクにとっては常のものでしかない。世の中には、究極のとか、伝説の、とかいう薄汚い言葉があるが、そのようなものがうまかった、例しがない。平凡な人間の、平凡な食事には、平凡な塩ザケがいちばんいいのだ、ボクなんてと言いたい。
ボクは当座煮とか常備菜が好きだ。切り干し大根、すき昆布煮、ひじき(ヒジキ)、大豆、干し椎茸などなどの乾物を使った料理だ。いちばん日常的なのは、手間いらずであっと言う間に作れる、「ひじき煮」だ。「ひじき煮」を作るとき、調味の段階で酢を少し加えたり、加えなかったりしていたが、最近、調味の段階では酢を使うのを完全にやめてしまった。気分的に酸味が欲しいとき、食べるときに酢をかけている。ものすごく些細なことだけど、料理というか、食べ物というのはこんな些細なことの積み重ねかも知れない。ちなみにボクの場合、使う酢は3種類。酢洗いに使うミツカンの銘撰(この安い酢はメーカーを問わず常備している)。日本各地で買った米だけの酢は味つけや、つけ醤油などのときに使う。赤酢はミツカンが基本。そして今使っているのは広島県尾道市の「マルシマ酢」だ。調味料は、これだ、と決めないで日本各地のものを使った方が楽しい。ヒジキの煮方がわからない人がいるとは思えないけど、念のために簡単な工程を。乾物のヒジキはたっぷりの水に入れる。少し置く(これは気分の問題で不要だと思う)。火に掛けて加減をみながら火を通す。この時点でさらに加熱しなくてもいいくらいに火を通すこと。ザルに取り、流水で洗って水を切る。一緒に煮つける素材でやり方が変わる。今回は油揚げなので、鉄鍋に水を切ったヒジキを入れて炒める。(油を加えてもいい)水が出て来たら火を弱めて酒・砂糖・醤油、(昔は酢)、油揚げを入れてからめるように炒める。我が家では加減をみて、常備しているうどんつゆ、とか、そばつゆを加えたりする。でもなければならないということはない。あれば、の話だし、つゆは半端な量残りやすいからだ。水分がほとんどなくなったら火を止めてそのまま冷まして出来上がり。
関東の千葉県、東京都、神奈川県、相模湾の伊豆東側はムツは最高である。この海域で揚がったものは鮮度がいいので、迷わず手が出る。ましてや釣り師が釣り上げて首折りしたものは、通常流通では手に入らないレベル、かけがえのないものと言えるだろう。さて、刺身はムツなのに食感が強い。どうやら1日早いようで、うま味は少なくあっさりしているが、この食感のよさは、その淡泊さを補って余りある。11月になると、さらに脂の乗りは豊かになると思うけど、ボクなど近年、これくらいがいちばんよい。ちゃんと舌に脂の甘さが感じられるし、豊かなうま味が舌に残る。炊き上がりの香り高いご飯に、山わさびを巻き込んで醤油に浸した刺身をのせて食べる。山わさびの辛味がムツに合う。天候不順でどこにも行けぬ、憂さが晴れる。
10月、11月ならマアジよりも「あかぜ(ムロアジ)」、だと思っている。もちろん扱い方にもよるが、この時季の相模湾ものは名状しがたい味である。ボクなど北の湖に立ち向かう平幕のような気分になる。萎縮して、爆発して、自滅というやつ。この自滅くらいうれしいものはない。まだ絶頂期ではない。1ヶ月先の最旬に向けての軽い舌触りだけど、口の中で時間がたつほど、じわりとうま味が来る。そこにちゃんと脂の口溶け感があるのだから、すごい。アジと行ったら一般的にはマアジのことだけど、マアジ以外のアジ知らないと人生の4分の3は捨てている気がする。アジ科のアジは美味揃い。なかでもこの時季の「あかぜ」は最高を超えている。
景清(チカメキントキ)は釣り師にもらっていちばんありがたい魚のひとつだ。真夏はともかくおいしい時期が長い。問題は釣り味がいいかどうかだけど、もらうボクには関係ないかも。まずは醤油をちょんとつけて食べる。ちゃんと脂が存在感を出している。身にうま味がたっぷりあるのもいい。なんと嫌みのない上品な味だろう。その上、味に奥行きがある。肝を醤油の中でつぶして、半分溶かし込む。これを刺身で包むようにして食べる。まあ、この味を表現するのは無理というものだ。景清の肝は魚の中でも最上級だし、ウマスギ、としか言いようがない。ついでにと言ってはいけないが、こりこりと心地よい歯触りの胃袋だってうまい。うまい上に、刺身で包んで食べると不思議な味になる。
ここ数年、本種の若い個体を見つけると相模湾に秋が来た、と思ってしまう。だいたい10月、11月に少ないながら水揚げがあり、認知度は小田原でもゼロに近いので、そんなに無理をしなくても手に入れている。このマルヒラアジが赤道をまたいで広い生息域を持ち、相模湾は北限だと思うと感慨一塩である。今年の刺身も相変わらずうまい。身がきめ細やかで、その身に細かい粒子となって脂が混在している。だから口に入れて舌に乗せると、ねっとりしてほんの少し口溶け感がある。甘いと感じるのは脂のせいだし、アジ科ならではの豊かなうま味がある。
活け締めにしてから36時間後の刺身はあっさりした中に味があった。思った以上に脂が感じられた。東京で、「汐っこ」が好まれるのは、カンパチはあまり大きすぎない方がいいということと、このあっさりした後口のいい味からである。ちなみに相模湾北部、外房の沿岸域で秋には、せいぜい今回のサイズまでしかとれなかった。それが今、小田原魚市場には3㎏、4㎏なんてのがごろごろ揚がっている。この相模湾北部でのカンパチの大型化も温暖化のためだと思っている。今回の「汐っこ」の、背の部分にも脂が感じられる。これは明らかに秋だからだろう。ただ、ブリ属のよさは適度に酸味が感じられることだと思っているが、この時点では、その酸味がまったく感じられない。
切りつけた刺身は1ヶ月間で別物になっていた。9月の固体と比べると一回り大きくなり、身がしっかりと締まっている。身が締まっているので食感が心地よく、うま味が豊かである。小田原の、ウルメイワシの四季の変化が徐々に見えてきた。11月にはもう一段上の味となっているはずだ。次回は真子を楽しみたいので、焼いてみるつもりだ。
今週は過去のいろんな課題が解決して、それをまとめていたので、ほぼ椅子周りだけの暮らしだった。平凡だ、と思ったことが実は平凡でも何でもなく、非常に複雑だったと気づいたときの、「自分のアホさ発見」の悲しさは、他人にはわかりはしないかな。ボクはこれを「10回目の放浪記現象」と呼んでいる。というか、多くの人がこんなことの繰り返しだと考えるべきか。新しく買った水産物も使い、また冷凍保存して置いた水産物も活用して椅子にできるだけへばりついた。手持ちの素材でいろんな料理を作ったが、中で文句なしにうまかったのが、小ヤリのかき揚げである。八王子綜合卸売センター、八百角で何かの役に立つだろう、とニラ1束を、捨て駒的に買っておいた。これがまさかの8番打者の満塁逆転ホームラン、カキーンなんて思わなかった。ニラがあってこその小ヤリのかき揚げで、このおいしさは立ち食いそば屋の春菊天に匹敵する。柔らかくて上品過ぎる皮むきの小ヤリに、インパクトありすぎのニラが、味の邪魔じゃなくて神輿を担ぐように小ヤリの味を引き立てた。ちゃんと小ヤリが甘いのにビックリしたし、ちゃんとイカの風味もあるし、歯にイカの弾力というか食感もある。
10月になって、市場にはアカカマスが毎日のように並んでいる。アカカマスの旬は10月から4月(もちろん前後)にかけてだと思っているので、おいしそうだな、とは思うものの手が伸びない。ヤマトカマスが去ってからのアカカマスとしよう、なんて思いが脳みそにがんと居座ってしまっているからだ。今回のヤマトカマスも刺身に切りつけたときの、包丁の重みだけで、わくわくして困った。刺身だけで、あぶりは不要だなと考えた。焼き目から来る香りが邪魔だろう、と思えたのだ。脂ののりは今月初旬と変わらない、要するに本種のベストシーズンが続いているのである。ヤマトカマスに「名残」をつけるのはボクぐらいかも知れぬが、名残惜しみつつ食べたい。それにしてもこの脂の舌の上での溶け具合、その甘さ、強いうま味。どうにも名状しがたい。
2001年にはただの魚でしかなかった。築地の仲卸が名前のわからない、ということで、活魚のメジナと同じ値段で買っている。確かに上から見ると、メジナそっくりなので、メジナと勘違いして仕入れたのかも知れぬ。まさかこれがハタ科の魚だとはだれも思わなかったのだ。2015年くらいからは築地場内、現在の豊洲でもメジナと間違う人はいなくなった。ちゃんとトビハタと書いて売っている。ハタ科の中でもトップクラスの味のよさを誇る、こともわかっているので、値段はいつ聞いてもすごい。10月の若い個体は、小型にもかかわらず脂がたっぷり乗っていて、口溶け感から甘く感じて、しかも味の嵩が大きい。個人的に刺身ではクエやチャマル以上だと思っている。凄い値段で買っても刺身で食べると「安いもんだ」と思わざる終えぬ、そんな豪腕、強い味だ。酒の肴にはもったいないので、刺身のために精米して、炊飯して、炊きたての白飯の友とする。
痩せているからといって味がない、わけではない。脂のとろっとした感じがないものの、むしろうま味が複雑で味わい深いと思う。ここがサバの不思議なところだ。しかも塩をして、冷凍して、といろんな工程を経ているのに、しっかり食感が残っている。これは、釣り上げてすぐに締め、頭部と内臓をとったからだろう。サバの豊かなうま味にシェリーの香りと、橙の酸っぱさがプラスされて、一品料理としてどこに出しても恥ずかしくないものとなった。調和のとれすぎているところを、ケーパーと黒コショウが不協和音的な存在となり、意外に味に奥行きを出している。魚料理は調和しすぎてはならぬ、という典型的な例だ。この塩締め冷凍サバは、痩せたサバを食べる最高の手立てでもある。
初めてニシンの塩焼きを食べたのは、江戸川区小岩の北口にあった食堂で、だ。四国では一度もニシンを見ていないし、お使いで買ったおぼえもない。その食堂では、焼き置いてあり、レンジでチンして(セルフだった気がする)温めて食べた。それがあまりにもまずかったので、それ以来ニシンの塩焼きが嫌いになる。魚嫌いというか魚をあまり食べない自分を、魚好きに変革しようとしていた時期なので、これは大きな蹉跌であった。大好きになったのは神保町にある魚玉で食べてからだ。魚玉も焼き置きだが、客に出すとき焼き直してくれた。チンして水っぽく生臭くなったニシンとは大違いで、実に表面が香ばしい。ニシンは焼き方で非常に味が変わる、のである。ちなみにニシンはいまだに大衆魚でありつづけている。おいしいニシンの塩焼きを出す、食堂もまだまだいろんな地域にあるだろう。四方八方から焼き上げたニシンは中骨以外すべて食べられる。小骨は少々気になるが柔らかいので、幼児や介護が必要な老人以外はがぶりとやっても平気である。さて、ボクは最近、確実に子供の心に征服されているので、真子(数の子)から先に食う。いちばん好きな部分を食べたら、お後がよろしくないだろう、と思われるかも知れないが、本能が真子から食え、と命令しているので逆らえない。やはりニシンの真子はうまい。甘くておいしいだけではなく、独特の渋味があるのがいい。身だって青魚のうま味がたっぷり。ご飯にニシンの塩焼きをのせて、辛味大根をその上に。後はおぼろ〜♪ だ。
ヨコスジフエダイは今やイサキ並みに一般的な存在になりつつある。ただし旬がまだはっきりわからない。本種は寒くなるに従い脂が乗る。2005年から年間を通して食べているが、10月のヨコスジフエダイは刺身で食べても感動は薄い。脂の乗りが今イチで、うま味もやや少ない時季となると、湯引きにするしかないのかも。九州の湯引きは生食ではなく、ほぼ完全に火を通すものと、表面だけ火を通して中は生のものとがある。前者はハタ科の魚に、後者はタイ科や小型のフエダイ科の魚に向いている。比較的皮が柔らかく、薄いので表面を霜降りにして、身に味を出すといった考え方の湯引きである。皮はそれほど存在感がないが直下に薄い脂の層を感じる。湯引きして締まった身にも甘みがあるし、食感が増している。辛子酢みそで食べると、たっぷり食べても食べ飽きない。湯引きではなく刺身でおいしくなるのは12月になってからかも。
小田原で魚を見た帰りに、必ず立ち寄る神奈川県秦野市、スーパー ヤオマサ渋沢店は比較的地元密着で楽しい。そこで小さいけれど貴重な発見をした。ボク以外にはなんでもないものだけど、ボクにはとても重要な発見である。パック入りのアカカマスの開きまでは普通だが、そこに「無塩」の文字があったのだ。産地は小田原で、わざわざ「無塩」と書いているのは、「小田原開き(頭はそのままに背開き)」しているので、干ものと紛らわしいためだ。「塩分無添加」ではなく、今や死語になった「無塩」が今でも実際に使われているのは、非常に珍しいと思う。ちなみに開いた体表をなめると干ものほどではないが、微かに塩気を感じる。この開いたアカカマスの真の正体をヤオマサで聞いてみたい気もする。パックから取り出して、ただ単に焼いてみた。最近、塩分がダメなのであるで、ときどき塩をしないで焼いている。特にサバの仲間(サバ亜目。カマスはサバ亜目カマス科)は塩がいならいと思う事が多い。淡水魚は塩をしなければ味気ないが、海水魚は塩をしなくても最小限、塩味(しおあじ)が感じられる。アカカマスのように味のある魚ならばなおさらで、「無塩」をそのまま焼いてまずいわけがない。実際に焼き上げては食べると、微かな塩気を感じるし、味があるし、ボクにはしごくうまい。本種ならではの豊かなうま味とほどよい脂の乗りが楽しめた。
カニ食いではないので、カニで満腹なんてことはやりたくない。むしろカニの味にはシビアな人間である。ちなみに外子は味見程度には口に入れるが、ほぼ廃棄する。ズワイガニでもなんでもそうだけど、外子の多い個体はまずい。フンドシを外し、甲羅を取り、左右に割っただけで当たりだとわかった。クマイチゴ色の内子がこぼれ落ちそうである。いきなり内子ごと、甲羅下の身にかぶりつく。これなら、にわかカニ食いになっても仕方がない、といった味である。内子には、内子にしかない独特の濃厚なうま味と、強い甘味があり、喉元を過ぎた後にちょっとだけ苦味が感じられる。その上、身(筋肉)に、カニらしい香りがあるし、甘味がある。脚細なのに身がふっくらしているので、脚の先まで夢中になって食べ尽くせる。オオズワイの雌、あなどれぬ味である。
関東で暮らしているとハタハタの時季は、秋(10月)から始まる。10月からハタハタを食い始め、5月くらいまでがハタハタの時季だ。不思議と、夏に、ハタハタ気分にはなれぬ。市場では、秋に北海道の比較的大きなものが入荷してきて、やがて秋田県など東北日本海側のものがくる。春には山陰、鳥取県、兵庫県などがくる。産地での味の違いはないと思っている。成熟していない若い個体の方が脂があり、成熟が進むに従い脂が減る。雌の真子(卵巣)が硬くなったものはそんなにおいしくない。成熟個体は、真子よりも白子の方が味があるので、大きくなる雌よりも雄の方がうまい。
今回はどうせもいい徳島県西部生まれの無駄話をば。ボクは生来、甘い加賀屋のお好み焼きソースが好き、という話をしたいだけで、小ヤリイカの焼きそばの話がメインではない。1960年前後、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町南町)で、幼児の脚でもほんの数分のところにあったお好み焼き屋『吉田屋』にときどき通ったものだ。そのときの、焼きそばは脂身の多い牛肉を使ったものが贅沢だったが、豚肉はなかった。小学生になって「墓場の鬼太郎」を読むためだけに行っていた、お好み焼き店で初めて牛肉入りのお好み焼きを食べたはず。考えてみると当時は卵入りお好み焼きも贅沢で、普通は天かすとキャベツしか入っていなかった。もちろんイカ入りは食べたことがない。イカ入りのお好み焼きや焼きそばを初めて食べたのは、貞光中学校のときで、学校近くの『ひまわり』だった。『ひまわり』のお好み焼きは貞光町民には革新的だった。そしてどの店でもお好み焼きソースは甘かったのだ。以上、徳島県山間部生まれが感じる典型的なノスタルジアなのだ。加賀屋のソースがないので、我が家で作る東京の焼きそばは、敢えて言うと、八王子原住民風だ。八王子の魚屋数人、すし職人などに聞くとウスターソースか中濃ソースで味をつけるという。これじゃ味気ないのでケチャップを加えているが、ただただうまいだけで、はしゃいだ気分にはなれない。ラードで炒めたイカは意外にいい味出しているし、柔らかいのも魅力だと思う。でもやっぱりやっぱり、加賀屋のソースがないと徳島県人は焼きそばを食べた気がしない。こうなったら今年中に徳島に帰ろう!
サワラは最近、あぶり(焼霜造り)にすることが多い。刺身にはハズレがあるが、あぶるとハズレなしだからだ。ただし今回は刺身が上だった。脂だけではなく、身に豊かなうま味がある。る。あぶった香ばしさはいいにしても、あまりにも身自体の味がいいので、香りが邪魔だ、と思うほどにおいしい。さすが、明石海峡でとれたサワラはすごい。
下ろしていると水に脂が浮かんできらきらしていたので、期待が膨らむ。ソイの定番料理、焼霜造りは期待以上だった。キツネメバルの皮は厚みがあり、皮を噛みしめるとうま味が浮かび上がってくる。岩礁地帯にいるメバル属の皮は非常にうまいのだと、改めて思う。しかも今回のものは皮下に脂の層がある。身にも脂が混在して、味のボリュームを感じる。
最近、酒を飲みながら料理すると沈没してしまうので、我慢してノンアルコールで、作業開始。ガス台のグリルを温める。最初、塩をしたユメカサゴの表面を強火で焼き、最低限の弱火にして、5分ずつ様子を見ながら、ひっくり返しながら焼く。4回ほどひっくり返して、最後はつきっきりで焼き上げる。
最近、エビはマヨネーズで食べることにしている。未知の方に目の前でエビにマヨネーズを見せつけられ、ついつい真似したくなって、「真似るね」と言って、マヨネーズを分けてもらったのが、先々月のことである。見せつけられたときは、冷凍のミナミイセエビの試食だったけど、活けのエビにだってマヨネーズをつけないではいられなくなっている。このエビ&マヨネーズの日々は当分続きそうである。しかも今回は、辛子マヨネーズという最新の武器を用意した。ウチワエビはゆでるよりも蒸した方が身が締まり、うま味も濃厚である。ただしゆでた方が身は柔らかい。結局、蒸す、ゆでるは好みだと思う。蒸してまだ温かい内に手づかみで、身をつまみ出して野性的にかぶりつく。食べた後に口中に残るエビの風味がとても豊かである。半分はなにもつけず、半分は辛子マヨネーズをどばっとつけて楽しむ。食感が強いので、食べたぞ、という満足感がある。今回はみそ、内子もたっぷり。みそと内子の独特の味わいがこれまたすこぶるつきにうまい。
青柳(バカガイ)とくると「ぬた」しかない。春の「ぬた」と秋の「ぬた」は違う。秋に作るものは相棒が少ない。春のように山菜がないので華やかさがない。ねぎか、オータムポール・コウサイタイ・高菜系の青菜などのアブラナ科を合わせることが多いが、秋の地味な「ぬた」もいいのである。バカガイがまたよくなりつつあるときで、久しぶりにスーパーで見つけた九条葱と合わせた。さて、「高清水辛口」紙パックは秋田酒類製造でいちばん安い酒だろうが、意外にもすごくボク好みだ。これを室温でゆっくり盃で飲みながら「ぬた」をつまむ。盃は倉敷の武内立爾さんの、真っ直ぐベートーベン的なもの、「高清水辛口」はなんだろう。ブルックナーかな。我が家は最近、無音の深夜酒なので、こんなことを思ってときを過ごす。ボクは矢鱈に青柳が好きだ。バカガイをバカにするものは許せん、と思うほどにバカガイ贔屓である。酢みそをまとった青柳の、このほろ苦さと貝らしい呈味成分の混ざり合った甘さ、そして心地よい食感に、明らかに惚れている。安かった九条葱もよいではないか!今年はずーっといい葱に出合えなかったので、夏のダメージからの回復を感じる。さて問題はベートーベン的などっしりと重い盃で、いったいどれほど飲んだのか?だけど、敢えて考えないことにしたい。
小皿に乗ったカゴカキダイを見つめて、1979年前後にタイムスリップする。卒業する年で同級生と網代(静岡県熱海市網代)に堤防釣り(波止釣り)に行った。その日は嵐で釣りどころではなく民宿に泊まり、翌日竿を出したのが川奈港だった。ネンブツダイばかりのなか釣れてビックリしたのが、カゴカキダイの熱帯魚のような色にだった。とても食べられそうになかったので撮影して、種名をメモしてお帰り願った。同じ事を繰り返していたら、散歩にきていた老人(じゃなかったかも)に声を掛けられた。「おいしいから持って帰りな」とでも言われたのかも知れない。以上は、今年になって古本屋が救い出してくれていた当時のノートを見て書いている。人間の記憶は曖昧だななんて、この日の前後を見て気がついた。川奈漁港で釣り上げた最初の固体も、今回持ち帰ったものと同じくらい。親類のオジサンに教わって作り始めていたカードに、おいしさを5段階で書きとめ始めていた中でも、もっとも古いものだと思う。味は★5つなので、今と変わらない。相変わらず、小さくでも脂があり、皮にも身にも独特の風味があって、ウマスギ GO! GO! じゃないかとうれしくなる。
1切れ口に放り込んで厚く切りつけすぎた、と後悔した。食感が半日経っても強いのである。この食感の強さは身に張りがある証拠である、ということで、とても健康的だと言えるだろう。自分のぶよぶよお腹を見ながら、この障害を乗り越えたサバに乾杯したくなって、シャブリをそそぐ。上等なシャンパンがあればよかったのにな、なんて思ったほどに味がある。マサバの味は、うま味成分の多さから来る味である。決して濃厚でも、くせのある味でもない。ストレートな、そのまんまのうまさだ。そのうまさが、今回の固体は取り分け大きい。そして噛むほどに脂が浮き上がって来て、まったりした舌触りになる。脂は呈味成分でもないし、当たり前だけど糖質でもないのに、溶ける時間だけ甘く感じさせてくれる。その味が、誰かがくれた、冷蔵庫で2年近く寝ていた、高そうなシャブリにとても合う。いずれにしても、今回の固体に当てはまった、「苦労して大きくなった魚の方が、のほほーんと大きくなった魚よりもうまい」法則は、これからどこまで当てはまるのか?こうなりゃ、小田原で障害を負った魚を探すしかない。
この時季のイサキに見向きもしない料理人がいるのが残念でならない。ばらつきはあるものの、2歳・20cm前後のイサキは年間を通じて味がいい。難しいのは2歳で産卵する固体が3割くらいあることだ。今回触って脂を強く感じたのは産卵しなかった固体で、やや脂が少なく感じたのが産卵した固体だろう。いずれにしても2歳魚は安定している。二宮定置の水揚げを見ている限りでは、2歳のイサキはみな左右幅、体高ともにある。明らかに2歳魚は今、味の盛期の入り口に到達している。刺身を見ると黄色みががかった部分がある。脂の層が厚い腹部だ。鮮度がいいのにとても柔らかいが、これも脂がものすごく多いためだ。この脂に独特の風味がある。口溶け感が強いので口中、甘味ともうま味ともわかりにくいもので満ちる。表面こそ脂だけど噛みしめるとちゃんと食感も感じられるのが不思議。9月の終わりから10月の始めまで、体長30cm超えの痩せたイサキを食べているので、まったく別の魚のように思える。ちなみに最近、1㎏超えのイサキはキロ1万円以上するのが当たり前なのである。なんどか万超えのイサキを買っているが、味からすると今回このあまり高値のつかない2歳に負けていると思う。
魚づくめの日々で水産生物の中心は、魚類だが、そこに甲殻類(エビ・カニ)、軟体類(貝・イカ・タコ)を適度に加えていく。これは料理店と同じである。近年、この軟体類が全般的に少ない。そんな中、山口県産のケンサキイカが見るからに魅力的だった。山口県の日本海側は日本屈指のケンサキイカだけど、秋になって揚がるのはブドウイカ型である。今回のものも鰭(耳)が長いので、ケンサキイカのブドウイカ型と見た。味はケンサキイカ(ゴトウイカタイプ。細長いもの)と変わらない。ケンサキイカに季節感がなくなって久しいが、秋のブドウイカは季節通りだ。味はケンサキイカ属ならではの甘味の豊かさがあり、ねっとりとした舌触りである。この甘ねっとりが日本酒にとても合う。
とても奇妙な姿なので、初めて見る人はびっくりしそうである。ただしそんなに珍しいエビではない。日本列島の暖かい海域の岩場に普通にいる。イセエビの刺し網などに混ざってとれ、昔は見向きもされなかったが、近年、人気急上昇中である。漢字「草履海老」、「足袋海老」などの名があるが、たしかに草履にも足袋にも似ている。大きなくくりではイセエビに近く(イセエビ下目)、もっと近い親戚筋には、ミナミゾウリエビ、セミエビ、コブセミエビ、ウチワエビ、オオバウチワエビ、ウチワエビモドキ(以上セミエビ科)がいる。以上総てが今現在、この国では高級エビとして人気が高い。ただし、知名度が高いわけではない。この中で1種類でも見た事のある人は、かなりエビを知っていると思う。今回はかなり残酷なやり方で料理した。いつもはゆでているが、今回は焼き上げたのだ。焼いている最中から強いエビの香りが部屋に充満する。この香りがたまらないという人は真のエビ好きだろう。
10月の「水がます(ヤマトカマス)」にハズレなし。うまくて当たり前だと思いながら食べても、ちょっと脳みそが痺れる。皮下に脂の層ができるのではなく、身に小さな粒子となって脂が混在している。だから程よい食感と口溶け感が一緒に楽しめる。キロ万超えの魚も裸足で逃げる、痺れるくらいのおいしさだ。だから小田原行きは止められない。これほどの美味を開いて干ものにしても、それはそれでおいしいけど、まず刺身だよなと思う。このおいしさを知らないと、ちょっとだけ損な気がする。問題はよほどの温度管理でもしないと、翌日昼までの味ってことだけだろう。ある意味、産地に近づかないと食べられない味でもある。
ぜんぜん期待しないで作った小ツムブリの開き干しが、ガスの魚焼きの中で音を立てている。なんだろう? と見たら脂が泡となりプツプツと鳴いているのである。ツムブリの本州での旬は寒い時季、例年なら9月中旬からだと思っている。やたらに暑かった今年の夏がじょじょに遠のいているのが気温でわかる。この日の朝の外気温は21度だけど、海も秋めいているのかも知れない。ボクは山育ちなので海に憧れていた。そして海への憧れは今も続いている。山の山の山の中育ちは海まで遠さに比例して、海への強い感性を持っている。干ものを焼きながら海を感じてしまうなんて、海育ちにはわかるまい。干ものの表面が微かに飴色を帯びている。脂のこげた香りがする。大きい干ものなので、えいや! とばらして口に放り込むと、意外にも強い味が舌をつく。ツムブリの残念なところは皮が硬いことだ。もったいなので皮をあぶり直してかりかりと食べて、新しいツムブリの味を知ったのも今回の収穫だろう。また釣ってこないかな、クマゴロウ殿。
大失敗! まさか、まさか、無意識にサルエビから手を出した。いつもながらにエビらしい風味が豊かで後から来る甘味もたっぷり。1尾で3gしかないとは思えないほど味がいい。サルエビは東京湾でも昔はたくさんとれていて、横須賀の漁師さんは「おやつになるエビ」と言っていたっけ。確かに10gではなく200g以上あったらとてもいいおやつになる。普通評価の低い方を先にい食べるべき、なのに評価の高いサルエビの次ぎにフトミゾエビというのはダメだろう。と、思ったが、今回、ボリュームがあるために、フトミゾエビも充分おいしく食べられた。水産生物の味を比較するのは反対、しているボクなのに、ついつい比較してしまいそうになっていた。フトミゾエビにあやまりたくなる。
製薬問屋の多い大阪船場(非常に広い)道修町(どしょうまち)の商家などで、奉公人のために作られていた料理である。本来は四十物(加工品のことで「あいもの」と読む)である塩サバ(マサバの塩蔵品)を使って作られていた。ちなみに大阪(大阪市)には、豊漁であった日本海山陰などから大量にマサバが送られて来ていた。もちろん冷蔵庫の普及しない、1950年代以前は冬でもないかぎり、基本的に塩蔵サバでの流通だったろう。温暖化でマサバ(本来国内で主に食べられてきていた「さば」)がとれなくなってから、なかなか塩蔵マサバが手に入らない。我が家では最近、安いのもあり、ゴマサバで作ることが多い。ゴマサバで船場汁を作るのも温暖化の一現象といえるだろう。ちょっと長くなるが昭和、戦前戦後と活躍した劇作家の菊田一夫(1908-1973)は子供の頃、道修町で丁稚をしていた。丁稚時代、いちばんおいしかったものは、船場汁だったという。ただ、背が低かったので、汁(船場汁)の入っている大鍋から汁をすくうのがいちばん後になり、具がほとんど食べられなかったという。汁とありながら、塩辛いのでおかずだったようなのだ。この汁気をなくしたものが船場煮だ。さて、久しぶりの船場汁がやけにおいしい。大根おろし用に買った大根だが、しっかり大根らしい甘さとうま味がある。たぶんF1だと思うが、あなどれないかも。だしはゴマサバから出たうま味と、日高昆布だけではあるが汁がとてもうまい。昼の献立なので単純に汁として置いていたが、やはり船場汁はご飯に合う。また10月1日入荷の岩手県産ゴマサバは、とても脂が乗っていた。汁の中で煮てもふんわりと柔らかく、身離れがいい。わかりにくいゴマサバの旬だが、岩手でのゴマサバの旬は秋かも知れない。
日常的には魚とおまんじゅうしか食べないので、知らず知らずの内に、料理を工夫するようになる。最近、揚げ物が多い。これは肉を自宅で食べないからだ。油で揚げると、肉に劣らず満足度が高い。マイワシはフライにして、開いて天ぷらにして、今回はかき揚げにした。かき揚げがいちばん食べ応えがあった。
さて、強く握りつぶして骨と身をはずし(やってみるとわかる)じっくり素揚げにしたショウサイフグは、揚げてる最中からいい香りを立てはじめる。この香りを楽しむためだけでも作りたいと思うくらいだ。表面は硬いくらいだが、その下は焼き菓子のようであり、中心部分はしっとりとして豊潤である。さくっとして香ばしいだけではなく、ショウサイフグ本来の味も楽しめる。問題と言えば早食いしすぎることでしかない。
刺身は、まるで活魚のように透明感がある。もちろん活け締めにし、神経を抜いているのはわかるが、通常流通なのにこのレベルはすごいかも。最近では国内の仕立て(漁のとき、水揚げ後などの処理と箱の中での置き方や氷の使い方)が断然よくなってきているが、大分はそんな中でも屈指の産地だ。買って1日目は、出荷した翌日に当たるので、締めて2日目でもある。とてもきれいな刺身だが、文句なしのうまさとは思えなかった。もちろん十二分にうまいのだけど、食感が楽しめる割りにあっさりしすぎていた。
ざっと選別しただけなのでゆで上がりに、シラエビ(富山県でシロエビ)、タイワンホタルイカ、オキヒイラギなどが混ざっている。混ざっているから楽しい。この混ざりものありは自宅でなければ作れない。サクラエビは生でも食べられる。めったに食べられないので魅力的だが、基本は塩ゆでである。できたばかりのをつまんで口の中に放り込むと、強いエビの風味が口の中に広がり、後から甘味が追いかけてくる。合いの手に食べるタイワンホタルイカもいい味である。シラエビは2固体だけだったけど、サクラエビよりもあっさりとして、またこれもよしなのである。
カレースプーン1ぱいずつ出しては酒の肴にし、残りはすぐに冷凍する。これを貧乏人のイクラ食いという。2、3粒ずつ口に入れてはつぶし、神奈川県松田町の、「松みどり」で流す。超高速回転過呼吸気味なので、こんな時間が自分に優しい。羅臼産筋子は9月後半、まだ柔らかい。イクラとしてはいちばんいい時季ではないか。圧力をかけようとしなくても潰れて広がる。サケの卵は全部が全部赤いコロイド状で、脂そのもののようでもある。甘いと感じるのはこの脂からくるものだと思っている。イクラにいちばん合うのはご飯だが、今年は酒と合わせるだけで終いかな。
ボクだけの小さな異変だけど、最近パスタがやたらに濃厚化している。具もそうだが、オリーブオイルに、いかに多くの味を移すか、にちょっと大げさだけど心血を注いでいる。このうま味豊かなオリーブオイルにリングイーネが合う。ついでに今年はスイートバジルが安い。オリーブオイルやパスタが高騰しているとき、今回などメチャクチャデゴザリマスル、というくらい使ったが直売所で買った1束120円の3分の1でしかない。いきなりぐちゃぐちゃにしてから食べる。かき混ぜるとスイートバジルの香りにオリーブオイルの香り、香ばしくソテーしたオアカムロの香りが立つ。リングイーネの1本1本が濃厚な味わいで、重量級のうま味を感じる。ケーパーとくるみとオアカムロの強い味が一体化しながらも、いちばんの主役はオアカムロであるところがいい。オアカムロのすごいところはうま味の豊かさだというのが、オイルをかいして加熱するとわかる。刺身以上に真価を発揮する。ついでに、「パスタにくるみ」はたまたまパスタを作るとき、偶然、煎ったばかりのヒメグルミがあったことから始めたものだが、ここからパスタとナッツが合うことを発見したことになる。明らかに2人前なのに……。デブは死ななきゃーなおらない。
少し食べるとおいしいのに、食べすぎるとヤな気分になる。生で食べると脂っこさが鼻につき、生でたくさん食べるともっと困ったことになる。やっかいなエビのひとつである。駿河湾の底曳きにのってお昼ご飯のおかず、煮つけを食べたら、やたらにおいしい。もっと欲しそうな顔をすると船頭さんに首を左右に振られたことがある。駿河湾の海の上で体調不良になったら取り返しがつかない。船頭さんがとめたのはそのせいである。本種などチヒロエビの仲間で一般的な食用エビは国内にはいない。漁業的にとって流通している種は南米スリナムやスペインのオオミツトゲチヒロエビくらいだろう。甘辛く煮つけるのがいちばんうまい料理法だけど、今回は1固体だけだったので、ゆでて放冷したものを口に放り込んでお終いである。温かい内に食べると味がなく、冷めて初めてこくのある本種ならではの味が表に出てくる。数ヶ月ぶりに食べて、やはりうまいエビだな、とは思ったものの、せめて5、6尾食いたかった。
能登半島の豪雨を見てもわかる、北海道の昆布の異常な高騰からも感じる。温暖化はあきらかに崖っぷちに来ている。加速状態になったら止めることは出来ない。1年の内半分は外出不可能となりかねない。一刻も早く個々にでもいいので省エネをすべきだろう。温暖化をとめるのは、小さな事から始められる、とボクは思っている。ものを大切に使い、できるだけ車に乗らない、車は軽にする。またエネルギーを消費する食べ物はなるべく避けるだけでもいい。国内水揚げだけで、国内需要を満たすことができるのに、大量のエネルギーを使って魚を輸入している。養殖も同様である。そんな現状を知り、国内で水揚げされている魚は、選択的に食べないで、多種類を多様に食べる、余すところなく消費するべきである。いきなり、小さな話になるが、その意味で「みそたたき(なめろう)」はとても優れた料理法だと思っている。多種多様な水産生物が使えて、しかもおいしい。ウルメイワシの「みそたたき」は中骨も腹骨もそのままに、徹底的にみそとたたいただけなのに、ご飯のすすむおかずだし、焼酎にも合う。イワシ類の中でも、生の状態でのうま味がもっとも豊富である。みそや夏の香辛野菜の中に混ぜこぜになってもウルメイワシここにあり、と叫んでいるごとく味が浮き上がってくる。今回は甘口の徳島県産、『かねこみそ』を使ったので、余計にご飯に合うのかも知れないが、デブには危険なおかずである。2杯目を「みそたたき茶漬け」にするとなおうまい。計測のために持ち帰ったはずなのに、おいしいおいしいとボクのお腹に消えた。持ち帰った目的は、本当に計測のためだったのか?
9月はイタボガキ科の二枚貝である、イワガキ、スミノエガキ、シカメガキ、イタボガキなど総てを食べないことにしている。イワガキが終わり、マガキには早いからだ。なのに仙鳳趾のマガキを買ったのは、ちょっとした好奇心からだ。あと、せっかく足立市場に来たのに、なにも買わないのもいやだ、と思ったのもある。細長いのはボクが選んだもの、平たいのは『磯崎』、舘野翔紀さんに選んでいただいたものだ。大振りのマガキはちょっと苦手なのだけど、へべすを搾って食べたら、なかなかイケル味だった。9月でこの味ならよい、のではないか。ほどほど可動筋の食感もある。ちなみに細長い方は軟体部分が小さく、味も今イチ。舘野翔紀さんに選んでいただいた平たい方は軟体が大きく、味もよかった。我ながら修行が足りぬ。今季初マガキは9月25日である。
焼き上がりを手で食べながら、イトヒキアジ本来のうま味というものにビックリしている。頭部を落としただけの丸干しに近いものなので、身離れのいい左右の身を手で割ってむしゃむしゃ、手で割ってむしゃむしゃする。眠れない夜にビールはないだろう、と思いながら偽ビールで口の中を冷やして、また食べる。アジ科の魚はうま味が非常に豊かだ。これは上品なものではなく、古今亭志ん生のようなものである。おいしいので思わず、ワッハッハと笑ってしまうようなおいしさだ。骨にちょっとくっついた身まで余さず食べてしまう、この味ってなんだ? と思ってしまう。やはりイトヒキアジの体形からくる皮の面積の広さからやも知れぬ。身に豊かなうま味がある上に、皮には焼いた時に生まれる香りがある。今回持ち帰ったいちばんミニですら味わいが大きいのだから困る。さすがに午前2時半では偽ビールもう1本はいかんだろう。
山口県の魅力は日本海と瀬戸内海の距離が短いことだろう。瀬戸内海側で水揚げを見ていても、「北浦もの」と呼ばれるものが陸送されてくる。両海あってこその山口県だということが、瀬戸内海側にいるととてもよくわかる。そして日本海秋の味覚というとカツオ、とあいなる。10年前は迷子だったが、今は迷っていないカツオである。今年は夏前からとれているが、現在は定置網で数がとれているという。とれなかったものが温暖化で日本海でも揚がっているのだけど、日本海の固体は大型が多い。今季初めての日本海カツオなので大いに期待する。下ろしていて、脂がそれほど乗っているとは思えなかった。背の部分を食べてみると、とろっとはしていないが、とてもうま味が豊かである。なんだか新鮮すぎるくらい新鮮なのでビックリする。血抜きって文字が張ってあった。ということは活け締めか?あぶり、刺身と造ったが、素直に刺身の方がうまい気がした。脂の乗り具合からすると、まだだとは思うが、酸味が控えめで、うま味が豊かである。にんにくをたっぷりのせ、刺身醤油をつけて、へべすを搾って食べたら、あぶり、刺身を完食しても足りない気がしてきた。ちなみに刺身は翌日の方が上であった。このあたりが魚の難しいところだ。11月になると脂は頂点達するはずである。
シラウオが手頃な値段で売られていると、ついつい手が出てしまう。まあ、それくらい好きな魚なのである。いちばん好きな料理法は天ぷらである。上等かつ高級な天ぷら店で大きな個体を2、3尾、つまんだのを揚げたものもいいけれど、自宅で小振りなものをざわざわと大振りのかき揚げ風に揚げたものの方がボク好みである。揚げたては数十秒放置する。揚げたてよりも少し時間をおいた方が、より香ばしいからだ。ボクは小シラウオの香ばしさに惹かれる。非常に香ばしくざくっと、ぱりっとした歯触りなのにシラウオの苦味がちゃんとくる。問題はあまりにも瞬間的にうますぎて、じっくりゆっくり味わえないことだろう。お昼ご飯に揚げたのに、うますぎる料理はいつもご飯をおいてけぼりにする。シラウオをせっかく揚げたのに、ご飯をきゅうりのキューちゃんで食べている、ボクってなんだろう?
見るだけで、食べたくてもじもじする魚がいくつかあるが、オアカムロもそのひとつだ。しかもこの日、小田原にあった固体は体長35cm・500gの大型である。競りが終わってそーっとのぞいてみたら、ヤオマサの緑の紙が浮かんでいた。脱兎の如く、ヤオマサのナイトウさんを探す。ボクなどこれだけで体重1㎏減だから、結果よしだったかも知れぬ。帰宅して下ろしながら中骨下の腎臓をこしこししただけで、脂の乗りが伝わってくる。帰宅後一休みし、逢魔が時に刺身にする。皮を引くと表面が滲んでくる。脂が室温で溶け出しているのだ。一切れ、味見しただけで天にものぼる思いが募る。やはりボクはムロアジ属が好きだけど、とりわけオアカムロが好きかも。ただし、ムロアジが揚がり始めると同じ事を書きそうだが、ご容赦を。さて、一切れの味のインパクトが強いので、久しぶりに本物ビールをあける。カツオの刺身が日本酒よりもビールに合うのに似ている。500gサイズを半身食べてももの足りない。もう半身と思いながら、小田原からたくさん連れ帰ってきているときなので、ひとり悶え苦しむのである。魚の旬がわかりにくくなってきているが、相模湾のオアカムロはこれからもっとよくなるはずだ。今年はアアカ三昧したいものだ。
9月は細かい撮影が多かった。水の中に小さな生き物を沈めたまま食事という日が何度かあった。そんなときは10分以内でご飯といきたいもの、なのだ。だからフィッシュ&ティップスを作る。存在を初めて知ったのは『暮らしの手帖』だったと思うが、実際に作ってみせてくれたのは友人の夫のイギリス人で、魚は冷凍のマダラだった。作り方がものすごく雑で、重曹ではなく黒ビールという贅沢なものだったが、そのとき飲んでいたのが、黒だっただけ。黒で作ると見た目が悪かった。そのとき初めて見たビネガー(モルトビネガーだったと思う)を、じゃぶじゃぶかけたのも光景として残っている。我が家のフィッシュ&ティップスは徹底的に時短で、ガリっと言うくらい表面を硬く揚げる。イギリス人のネーティブなフィッシュ&ティップスはやけに雑な感じだったが、少しだけおしゃれでもある。写真のハマフエフキとクサヤモロ(くさやに加工される)では、上品な味わいのハマフエフキがおいしかった。表面はがりっとしており、中はとても豊潤で、ビネガーをかけると矢鱈においしい。
泳いでいるのを見ていると、まるで蝶のようだし、銀色のジュディ・オングのようでもある。防波堤釣りではお馴染みの魚だった。目の前にエサを落としても見向きもしない。可愛いものには縁がないボクだからかも知れないが、なぜか釣れない。そんな釣れない魚こそが、秋になると相模湾に押し寄せてくるイトヒキアジの若い個体、ジュディ・オングではなく小糸ちゃんである。焼いても煮てもおいしい魚だが、刺身にしてもおいしいことはあまり知られていないのではないか。これがあの小糸か? と思うほどうまいのである。コツは皮をそのままに刺身にすることだ。銀色の美しい刺身の皮と皮の真下に味がある。皮はほどよい硬さで、食感がまたいいのである。しょうがを搾り、ボクの故郷徳島産スダチに濃口醤油をたらし、混ぜ混ぜしてご飯にのせて食べたが、丼が小さすぎた。深夜には酒の肴にして楽しんだ。宮崎県産へべすをどばっとかけて、塩で食べたが、小粋な味なのである。思わず、岐阜県八百津、「花盛 本醸造」を2合となる。見た目が美しい魚は、味も美しい。
ワカサギは汽水域に多いが、純淡水域でも生活環(生から産卵、死、そして再生)をまっとうできる。子供の頃、ボクの生まれた徳島県、美馬郡(当時は脇町・穴吹町・美馬町・貞光町・半田町・一宇村)でも、「あそこの溜池に『あまさぎ(ワカサギではなかった)』いるらしい」などと子供の間で話題になっていた。こんな山間の町にもワカサギを放流する人がいたのだ。そして、その導入元が島根県だったので「あまさぎ」だった可能性がある。1970年以前には戦争での飢餓体験が残っており、食料を増産するという考え方が強かった。そのひとつではないか、と思っている。このミニ移植は全国で行われていたはずだ。これを巨大なプロジェクトとして実施したのが滋賀県琵琶湖だろう。今や琵琶湖周辺のスーパーには当たり前のように湖産の鮮魚が並び、佃煮屋では湖産の佃煮が売られている。ワカサギは山椒煮がいちばん好きだ。若葉のことなら生があるが、秋なので粒山椒(ぶどう山椒)を使っている。少しいじめた山椒からいい香りが立ち上がってくる。ほぼつきっきりで煮るのだが、ときどきつまみ食いをする。こんな無心になれるひとときもいい。煮汁がねっとりしてきたらバットに広げて、まずは茶漬けでいっぱい。ワカサギのいいところは煮ると、ほろっとした柔らかさになることだろう。説明が難しいけど、シフォンケーキのような柔らかさではなく、ビスケットのようなもろさ、柔らかさだ。甘辛い調味料の中にワカサギのうま味が感じられ、最後に微かな苦味が残る山椒の実を合いの手につまむと、香りと刺激が口中に広がる。このワカサギの味と山椒の刺激が心地よいリズムのようだ。山椒煮は約1週間にわたり、ご飯の友となり、酒の友となる。
刺身、天ぷら、干ものと小糸(イトヒキアジの小型)ちゃんくらい大活躍するものは他にないだろう。きれいな(料理する上での話)魚で、やたらに下ろしやすいのも魅力的である。今回は神奈川県秦野で買った夏野菜があってので、まずは天ぷらにする。直売所の野菜の天ぷらはそれだけで料理の主役だと思っている。でも、小糸天を食べると、その存在が消えてしまったのである。平たく体高(左右に平たい)があるので三枚に下ろすと皮の面積が広い。揚げるとこの皮がスターに変心するのである。おそるべしアジ科の皮よ、と言いたくなる。食わなきゃわからない話だけど、いつの間にか野菜をおいてけぼりにし、ご飯の存在も消えてしまった。まるで、小糸の天ぷらは、 Gone the rainbow♪ だ。かなりたくさん小糸を持ち帰ったが、本能のまま食べると足りなくなりそうだ。ご飯は精進揚げで食う、昼時であった。
見た目からして、9月らしいとは思うものの、2016年の4倍以上の値段を考えると、手放しで喜べない。室温が27度もあるせいか、切りつけた身がにじんでくる。刺身醤油をはじき返すほど、脂がある。久しぶりのサンマらしい口溶け感がある。これでやっと昔ながらのサンマにありつけた気がする。
ご飯のおかずにも酒の肴にもなる料理が、とても好きだ。そこにあるだけで心が豊かになる料理、できるだけ平凡な、なにげない料理が好き。テレビやキワモノの雑誌で究極のとか「めっちゃ(この言葉嫌いだけど、いつどのように生まれたんだろう)」とか、「レジェンド(こんなバカなことを言われたら人生終わり)が作った」とかではなく、なんとなくそこにある料理こそ食べたい料理なのだ。だいたい特別に思える料理は凡人でも出来るけど、平凡な料理は非凡な人間にしか出来ない。そういう意味でボクは非凡になりたい。そんなこととは関係なく、サイト内のシステムが変わったので、ボクが日常的に作る料理も載せることにした、というのもある。「いか豆腐」もそのひとつだ。ご飯にも合うし、酒、取り分け甘口の日本酒にも合う。鍋止めしてぐっと甘辛い調味料が均質に混ざり込んだ豆腐と、長野県の『勢正宗』などと合わせると、かけがえがない気がする。ちなみにスルメイカと里芋は東京都多摩地区・奥多摩地区の秋祭の料理だが、ボクはこの里芋スルメイカと、豆腐スルメイカを代わりばんこに煮ている気がする。甲乙つけがたいものだが、ふたつとも、「うま味豊かなで、イカの風味たっぷりなスルメイカの味」を素直に受け入れる、からうまいのである。今回のスルメイカは大漁だった時期にはバラになっていたはずの若い個体なので、煮ても軟らかい。今回は若いイカ2はい、豆腐2丁を煮て、鍋いっぱいになったが、一度に食べてしまいそうで恐かった。実は冷めて翌日、別の味に変身するのである。冷たく冷やした煮つけは、スルメイカがやたらに味わい深く、豆腐だって1個あたりの満足度が増し増しとなっているのだ。2日続けて「いか豆腐」のある生活を送れた。これがボクの幸せって、ことかも。
9月12日に昆布に巻いた、昆布締めは、作ったこと自体を忘れていた。東京に続けざまに行き、大の苦手の事務的なことをやりで、気がついたのが16日だった。忘れていたにもほどがある。昆布には大量のアルギン酸などがある。確か殺菌作用もあったはずなので恐る恐る昆布から取り出し、端っこを食べたら、とてもいい味、じゃなくて、どえらくうまい。ヒモ状に切ってへべすをしぼり、わさびをちょんと乗せて食べたら、結構、結構! 申し分のない味だった。後から追いかけてくる昆布のうま味がボクの琴線に触れる。甘いとすら思える、うま味豊かなアカアマダイと、上等の羅臼昆布の、千秋楽の取り組みのようだ。まだ逢魔が時なのに少しだけ、「玉柏 本醸造」を室温にてやる。残りの仕事はあきらめる。
丸干しの焼き方はとても難しい。ガス台のグリルを熱しておき、椅子をそばに寄せ焼き加減をみながら焼く。みりん干しと、塩干しを作ったが、難易度の高いみりん干しから。焼きたては醤油の香りが鼻にぶつかってとてもいい感じである。スミクイウオの身はどこまでも柔らかく、身と脂が混ざり合ってひとつの味になる。調味料は本種にとって邪魔者と思い込んでいたが、間違いだったようだ。みりん干しは、干ものの王道とは言えないが、毎回セットで作ってもいいだろう。
深夜のツマミ、深ツマは数分できなくてはならない。しかもカロリーの高いものや、糖質は、デブにつき深夜には食べたくない。だいたい酒=糖質なので、そこに高カロリー・糖質はだめだろう、と思ったのもある。目の前にあるのはイカのから煎りなので油分ゼロだ。白醤油もほんの少しだし、たぶんほぼカロリーゼロだろう。一味唐辛子なんて痩せるためにはいいんじゃないかな? ピリピリ。ピリピリはするものの、まことに穏やかな味に、きゅうりもみの酸味と青臭味って、残暑の候にはうれしいものだし、9月になっても熱帯のままのこの国の住人であるボクには、こんな料理がいけるのである。今回、ケンサキイカの刺身用に皮を剥いたものを使ったら、柔らかく、ケンサキイカの甘味とイカらしいうま味が、穏やかに、しかも力強く口の中でダンス・ダンス・ダンスだった。酒はブラックニッカのハイボールで、これも久しぶりに飲むとうまい!
不思議な経緯で標準和名に伊豆とついているが、主な産地は西日本である。最近ではじわじわと日本海側を北上しているようで、日本海での水揚げが増えている。関東では食用魚とても人気が高く、「おにかさご(イズカサゴ)」釣りなど中深場釣りの主役でもある。40cm以上の輝くような赤色が水中から上がってくるのは、それはそれは感動的ですらある。ただ、どうやって食べるべきか、いつも迷う。刺身、湯引きなどにすると歩留まりがやたらに悪い。むしろその残り、あらが主役になる。久しぶりだったので片身は湯引きにしてみた。おいしさは皮にある。身は弾力があって上品な味わいで嫌みがない。これを梅肉醤油と柚子胡椒で食べたが、意外にも柚子胡椒がよかった。それほど辛さに強くないので、ちょこんとのせて口に放り込んだが、梅肉以上に本種のよさが引き出されていた。
「ぐじ(アカアマダイ)」などを焼くとき、若狭地(酒・醤油少々)を塗りながら仕上げるというものを「若狭焼き」という。酒の代わりにみりんを使ったものを当方では「つけ焼き」としている。この地をつけながら焼き上げるというのは、調味料はわからないが、江戸時代初めの茶会記などにフナを使った「色つけ」として出てくる。当たり前だが江戸時代になって突然、出て来た言葉ではなく遙か古くから使われてきたものだと思っている。この料理名や調味料の変遷を考えるのは非常に面白い。この「つけ焼き」の地(みりん・醤油同割り)は軽く火を入れると味が安定するので、ときどき作って保存している。塩焼きや煮つけではなく「つけ焼き」にすると、日々のマンネリ感から脱却できる気がするのだけど、気のせい、かな?ヘダイの「つけ焼き」は、安定的においしい塩焼以上に、非日常的なよさがある。1尾丸ごと時間をかけて食べても食べ飽きない。ヘダイの上品でいながら、味わい深いところに調味料が加わると、味に膨らみが生まれる。時間がたち冷めるとぐっと味が入るので、半身を深夜にウイスキーハイボールの友としたが、これもグッドだった。
今年のことだが、豊洲市場の仲卸でメバルの分類に関する蘊蓄をとうとうとやられて不愉快になった。要するに標準和名メバルが2008年に3種類に分かれたという話だが、こんな耳にタコができそうなことをよく言うよな、と呆れる。分類しながら歩いているので、最近、3種が見分けられるが、一般客にはどうでもいいことで、全部メバルでかまわないのだ。連れは分野こそ違うが分類の世界の人間なので思わず二人して笑ってしまった。まあ、とにもかくにも、この浅場にいるメバルは、三種に分かれようとも全部煮つけてうまいのである。3種とも、味も、見た目もほとんどかわらないので、一般人よ、メバルでいこうぜ、といいたい。さて、今回のメバル(シロメバル)は生殖巣が膨らんでいなかった。だいたい11月前後に交尾して産卵、腹の中で稚魚にして冬に出産する。実はこの魚、産卵、出産と旬の関わりがよくわからないために、季節ごとに買っているのである。見るからに見事な固体で煮ると透明な粒状の泡が煮汁の表面に散った。脂があるので身が柔らかく、身離れがいい。このシロメバルの産卵時期はわからないが、こんなにうまいメバルの煮つけは久しぶりである。深夜に酒の友とし、翌日の煮凝りでご飯が、めちゃくちゃでござりまする、というくらいにおいしくて、ご飯、一膳が悲しかった。やはりメバルは煮つけかな?
日本各地の深海に生息している真っ黒な魚で、たぶん平均して水揚げがあるのは鹿児島県だけだろう。相模湾などでは春の湧昇流のときにまとまって揚がるが、普段はぽつりぽつりと数尾揚がる程度だ。当然、出荷に至らない。どんな料理にしてもうまいという魚ではないが、料理法によってはがぜんおいしくなる。その最たるものが「あぶり」である。あぶってすぐに口に入れると、ものすごくあちちのチだが液化した脂がやたらにうまい。さすがに危険なので皿に盛ってわさび醤油にすだちをかけて食べるが、この時点でも脂は完全に凝固していない。単純に固体を食べている以上の舌触りがやたらに楽しい。身の方は平凡だが皮のうまさの引き立て役だ、と思うと、「ツービート」のきよしのようでもある。この平凡な身と、強烈に味わい深い皮がひとつになって、スミクイウオはとてもうまいのだ。田中さん、酒飲みすぎはだれのせいだ、ろうね。
最近、そうざい作りが楽しい。毎日必ず飯の友を作っている。ケンサキイカのげそは何時ものように塩ゆでして酢みそでと思ったが、せっかく初買いのトカドヘチマがあるので炒めものとする。トカドヘチマは名前の通り断面に十の角があるへちまで、原産地は東南アジアだという。表面が硬いが、中身は沖縄のナーベラー、へちまそのものだった。炒めたトカドヘチマを口に入れると、沖縄料理の穏やかで優しい味の記憶がよみがえってくる。考えてみると、これはナーベラーチャンプルーそのものだ。噛むと少しだけシコっとして面白い食感だが、これ自体には味がなく、でてきた水分にも味がない。あえてトカドヘチマの特徴を挙げると、ナーベラーよりも青い風味が高いことかも。この無個性な味にみそとケンサキイカのうま味が加わると、非常にご飯のすすむ、おかずになる。炒め煮にしたときの汁とトカドヘチマ、ケンサキイカのげそをスプーンでしゃくってご飯に乗せて食べると、カレーライスを食べるときのように、ご飯とおかずが一体化して喉をどんどん通過していく。鋭角的な味ではなく鈍角的な味で、食べたときの印象は薄いが、数時間後、また食べたくなっている、そんな自分を発見する。
「うっかり」とつけた理由はともかく、標準和名のカサゴが岸寄りの浅場にも普通にいるのに対して、大型の本種は沖合い、成魚などは水深100m以上にいる。同じサイズのカサゴと比べると味が劣る。味がないと言い換えてもいいだろう。もちろんカサゴもウッカリカサゴも上等の魚であることには変わりない。出来上がりを食べてみると、カサゴほど香ばしくない。丸ごと食べ尽くせない。これはボクの技術的なつたなさ故だろうけど、昔、京都中央市場で会った方は、「ウッカリカサゴの方が骨が強い」と言っていたこともつけ加えておきたい。それでも揚げた身の、独特の歯触り、香ばしいのにねっとりとした感じが実に好ましい。唐揚げのおいしさは堪能出来るが、カサゴと比べなければ、だと思う。やはり頭部や中骨まで丸ごと食べたいものだ。当分、小型のウッカリと見つけたら唐揚げに精進しよう。
9月になっても窓を開けられないくらい暑い。それなのに食欲が落ちそうだが、落ちない。昼ご飯がもりもり食べられる。疲れているのにもりもりなボクにも、気温が下がってからの疲れの逆波くるのだろうか?もりもり食べるご飯の、お気に入りのおかずは、銭州解禁いらいクマゴロウが釣り上げてくるクサヤモロのフライである。ときどきカレー風味をつけたり、サンドイッチに挟むときはドライパセリを散らしたりして揚げている。1尾150g前後なので、1尾で充分だけど結局2尾、4枚食べている。ご飯にはじゃぼじゃぼとソースをかけてご飯にのせて。ときどきおやつにも食べているが、そんなときにはタルタルソースがいい。さくっとしたパン粉の下、皮とその直下に強い風味が感じられる。血合いが大きいのだけど、この血合いの豊かなうま味も魅力的である。ちょっとだけマダイなどと比べると野性的でうま味が強いのだけど、ご飯と相性がいいのはこのアジ科ならではの風味だと思っている。
青森県で「かき」はミネフジツボというフジツボ科の甲殻類をさす。要するに海辺にいくとどこにでも見られるフジツボの一種だ。フジツボとしてはオオアカフジツボとともに国内海域では最大種のひとつだろう。瀬戸内海でも普通に見られるなど、国内での生息域は広いにもかかわらず、たぶん流通するくらいとっているのは青森県だけだと思う。これなど流通の世界や料理店では、珍しくもなんともない普通の魚介類だが、一般人には珍奇なものに見える、という意味で「プロと普通の人の認知度にとても落差のあるもの」のひとつだ。毎年、7月、8月に買っているが、今年は9月12日が初買い、だった。料理法は酒蒸しだけだ。食卓に出てくると不思議な物体に見えるが予想外においしい。爪(蓋板)の下にある黄色い塊を食べるのだけど、意外にボリューミーである。味は濃厚な海のポタージュのようでもあるし、食感は硬めのババロアのようでもある。いずれにしろカニやエビの風味のある、濃厚な味の柔らかな塊そのものといえるだろう。今年は薄いウイスキーのソーダ割りの友とした。
兵庫県淡路島そばにぽつんと浮かぶ沼島(ぬしま)沖のアジ(マアジ)は春から夏がベストシーズンだが、秋になってもそんなに味が落ちるわけではない。これが9月下旬になるとマアジの群れが小さくなり、マルアジが主体になる。マルアジが増えたら、マサバを狙う。淡路はマアジだけではなくマサバでも有名である。余談になるが、沼島のマルアジは鮮度からしても魅力的だし、実にうまいということも知って欲しいものである。9月初旬のマアジは実際、刺身にしてそれほど脂を感じない。とろっとした舌触りがない。それでも食感がよく、身に張りを感じる。なによりもアジならではの強いうま味が口中に広がる。
魚料理は簡単だと思うべし、じゃないかと思っている。難しく考えないことじゃないかな、とも思っている。塩焼きなどにする魚は一般の方はできるだけ魚屋やスーパーで下ごしらえをしてもらい、帰宅したらすぐに塩をしてしまって、そのまま保存。食べたいときに焼けばいいと思う。昔は親切な魚屋さんで振り塩をしてくれるところがあった。あれはとてもよかったのだけど、今、そんなことをやってくれる店あるかな。焼き方はコツがいるが焦がさないように焼けば、ほどほどおいしく作れる。今回のチダイはご飯を食べる30分くらい前にガス台のグリル(予め熱しておく)に入れる。最初は焼き具合をつきっきりで見ながら強火で表面を短時間焼く。今度は火を最小限にして中まで火を通す。終いに再度強火にして焼き上げる。弱火の時間に他の料理とか、用事を済ませばいい。皿に盛る場合、決まり事を作るのが好きな人は決め事通りにやればいいが、できれば自分の美意識で自由に方向を決めて欲しい。写真は単にきれいな方を上に向けただけ。家庭では方向を決めて焼くのは難しい。さて、今回は焼き上がりを撮影したまではよかったのだけど、部屋のメンテナンスがある日だというのを忘れていた。ので、そのまま1時間以上放置することになってしまった。がっかりして冷めた昼ご飯の前に再度座ったら、意外にもこの冷めた塩焼きがうまい! ではないか。箸など放り出して、手つかみで食べてしまって、ご飯を取り残してしまった。タイ科の魚は焼くと俄然うまくなる。皮目の香ばしさだけで飯が食える。その皮は食べると香り以上に強いうま味があり、チダイはこの時季脂が乗っているので、その真下に液化した脂がある。今回改めて気づいたのはこの液化した脂が再度固まるといい味になるということだ。身質がよく身離れがいいのも素晴らしい。さて、くどいようだが、熱々を食べるとおいしいのだけど、むしろ冷めてから食べた方が味わい深く、しかも塩焼きのうま味がぐんと増すのである。熱々、冷め冷め、どっちゃでも好みの問題だと思うけど、邪魔者が入って、よかったかも。
なんとなく酢、なんでも酢、なのは体が欲しているためだろう。フィッシュ&ティップスを作ったらモルトビネガーをじゃぶじゃぶ。塩焼きの添え物にきゅうりもみ、こはだの酢じめを作り、ソテーした魚にもライムをぎゅっと搾る。そして近所のスーパーで買ったゴマサバは、深夜には南蛮漬けになって目の前にある。酢の物は酒の肴の主役になれはしないが、動物たんぱくが入ると、順主役級にはなる。南蛮漬けの南蛮の本来の意味は戦国時代から交易のあったオランダとかスペインのことだが、料理では「油を使った料理」や辛味である唐辛子を使ったものにつく。どこかしら目新しいものという意味がある。唐辛子を加えた酢を「あちゃら酢」というが、「あちゃら」と「南蛮」は同義語だと思っている。たぶん南蛮漬けはそんなに古い料理ではないが、上手な命名だと思っている。ゴマサバの唐揚げは思った以上に存在感が大きい。ゴマサバ自体に豊かな味があるし、そこに香ばしさが加わると最強かも知れぬ。その味の強さに爽やかな合わせ酢、青唐辛子の辛味、野菜のしゃきしゃきとした歯触りが心地よい。プラス6Pチーズで長野県諏訪、真澄の紙箱を飲んだら、意外にもおいしい。虫集き、いい深夜酒となりにけり、だ。
ニベ科の魚の塩焼きは、焼き上がりを見ただけでよだれが出そうで困る。とにかく香りがいいのだ。旬を外れているのに、いちばんうまい皮の、下の身がふっくらしている。食べやすく、焼き上がった塩焼きの、食べの歩留まりがいいのもうれしい。箸で食べていたのは初手だけ、ついつい手づかみになり、しゃぶるように食べる。顔周りがやたらにうまいことに、改めて気づく。ちょっとした軟骨など野蛮に食ってしまったが、それほどおいしい。練り絹のような身の味も素晴らしい。クログチはニベ科の中でも独特の身質で、刺身にすると同科のシログチではなくマダイのようだ。これが焼くとちゃんとニベ科の味がする。ご飯のおかずだったのにご飯をおいてけぼり、とあいなった。
最近、一合ではなく二合飲めるようになってきた。眩暈があるのでやってはいけない、ことだとは思うけど、やけに酒がおいしい。岐阜県八百津、「玉柏」の酒酒が意外にボク好みだったためやも知れぬ。だからせっせと酒の肴を作る。ニッコウガイ科のサラガイの難点は嫌みのないところだ。青柳(バカガイ)のような特異なところがない。ただただ無難な味というところだけど、最近、だんだんこの難点なしの味がわかるようになってきた。ゆっくり味わいながら、急がずに食べるとサラガイの嫌みのない味の中に深みが感じられるではないか。貝らしいうま味からくる甘味もあり、ほどよい食感も楽しめる。デブは早食いというけれど、酒も早飲み、肴も早食いがいけなかったようだ。飲食店では「白ガイ」で売られているので、白ガイの湯引きとなるが、すし屋などでは湯引いても刺身という。軽く熱を通すとぐっと身が締まり、味が前面に出てくる。すし屋で青柳でやっていることだけど、深夜酒の肴などのとき直に貝の味が来るよりも、好ましい気がする。12個のサラガイの足で正二合は飲み過ぎかも。
最近、午後に書籍を並べて比較していることが多い。軟体類の同定に苦しんでいるからだ。こんなときはちゃんと飯を作るのは煩わしいので、後片付け込みで、ほぼ15分程度でちゃちゃっと作ることが多い。今回の、イナダ(ブリの若魚)のフィッシュ&ティップスは表面はがりっとするくらい硬く、中は豊潤にしてみた。じゃがいももガリサクって感じである。こんなにスナック感覚なのにイナダがいい味なのである。今回のイナダは巻き網ものと思ったが、予想外に上質だ。魚らしいうま味もあるし、ほどよく繊維質なので舌の上で心地よくほどける。青いリンゴのプラムリーのソースと、モルトビネガーをつけたり、かけたりしてみたが、やはりモルトビネガーの方が断然、フィッシュ&ティップスと相性がいい。合わせたのは野菜ジュースに赤酢と塩と氷。これだと眠くならない。これで材料費は200円くらいだと思うので、空っ風吹く懐にも優しい。
一度、両種の食べ比べをしたかった。同じ時間立て塩にして同じ時間干したものだ。焼きも同じ。今回目の前にあるのは、まさに同じ作りなので比較可能だと思っている。ただ、実は両方ともおいしくてよくわからなかった。おいしいものを並べると比較できなくなるのだ。ムロアジの開き干しの方が少し柔らかく、身がきめ細かいように思えた。身に脂があるためだと思った。
タコの卵焼きを焼いたら、困ったことにタコからでるうま味豊かな液体で、卵焼きがやわやわとろりになってしまったのである。カタカタが好きなのでボクにとっては失敗作である。どうしてこのような柔らかい焼き目のない卵焼きになってしまったのか、解凍したタコ頭が多すぎたのだ。半分こにして後は汁に入れるなりすればよかったのに、と思ってももう遅い。タコは水分の塊で熱を通すとうま味豊かな液体が出てくる出てくる。当然、半熟卵焼きのようなものになってしまう。ボクのようにカタカタが好きな向きには困る。まあそれでも半熟も悪くないのかも、な、という発見をしたやも。じゅくじゅくとろとろする全部が卵のうま味と濃厚なマダコの味なのである。タコ頭がこんなにうま味豊かだとは思いもしなかった。ご飯の友にしようと作ったのに、パンに合いそうな感じがしたので、急遽食パンに乗せて食べた。これはこれで結構であった。
深夜にゆで節を冷蔵庫から取り出す。片づけをする間、ガス台のグリルの火を最小限にした中に放り込んでおく。ときどきのぞき込んで焼き色がついたら取り出す。後は、マヨネーズを添えるだけだ。深夜で体がだるいのですだちさえ切らなかった。いちもながらに、なんて簡単な料理とも言えない料理だろう、とは言いながら、これほどあって助かるものはない。そのままでも食べられるけど、焼くと俄然おいしくなる。
盛り付けた刺身の皿の周りにいろんな調味料を並べて食べた。そのほぼ総ての調味料に出番がなかった。刺身にすだちをちょっと搾り込んで、わさび・醤油で十二分にうまかったからだ。最近、神奈川県小田原でもイナダの価値が上がっているが、こんな素晴らしいイナダが青森県沖から来るなら、若いブリの価値の底上げがかなうかも知れない。もちろん脂があるわけではないが、身に張りがあり、舌触りがいい。ほんのわずかな酸味があり、なによりもブリの若い衆らしい旺盛な生命力からの味がある。1切れ口に入れると、強い満足感が得られる。税別298円の4分の1が1人前なので、超お買い得ともいえるだろう。おいしいものは高いとは限らない、よい例である。
刺身にするとき必ず、下ろしながら味見でちょっとつまむことが多い。今回の小振りのものは、身色は野締めだが、味は活魚以上かも知れないと驚かされた。水揚げから12時間ほどで、うま味成分であるイノシン酸が爆発的に増えたのだろう。切り身を醤油をつけずに、そのまま口に放り込んでおいしいと思えた。素直に、刺身から食べてみる。活魚のメイチダイにはない、強いうま味がある。呈味成分が複雑に絡みあって甘いとも感じる。野締めのメイチダイは外見はちょっと寂しい感じがするのだけど、刺身はフルバンドのうまさが感じられる。身が柔らかい分、余計にうま味が強く感じられるのかも知れない。最後の一切れまで味がだれない。
ぜんぜん秋らしくはないが、秋のトビウオをつまみながら、外から聞こえてくるアオマツムシの大合唱に耳を傾けるというのもおつなものかも知れぬ。ちんちろマツムシや、りーんりーんのスズムシ、るるるるるるるっのカンタンなんて贅沢は言いませぬ。たたき(たたきなます)は名残のみょうがに、様々な香辛野菜を使って、トビウオの単調な味わいを彩っている。不思議なもので刺身として食べると今イチだが、細かく切るとうま味を放出する面が多くなる、その面の多さと正比例しておいしさが増して感じられる。しかもトビウオのおいしさは青魚特有のもので、それは皮にある。ちなみに皮付きは新鮮でなければならないが、石巻産はその点でも優れていた。
ブリ半身で何品作れるか? 失敗したのもあったけど数えるのは嫌になるくらい作る。最近、酒量が減っているので料理はおかずが8割、酒の肴が2割だ。個人的にはご飯の友を作る方が好きなのだ。『今日の料理』は、ボクが1960年前後の幼児のころから見ている。後は『暮らしの手帖』は小学生の頃から仕事を始めるまで愛読書だったし、後に『四季の味』や『専門料理』もとっていた。「フライパン照り焼き」は学生時代から作っているが、この言語をテレビ番組、雑誌のどこからとったのかがわからない。一般家庭でとても作りやすい、超おすすめ料理法だ。脂ののったブリの切り身はソテーすると表面が香ばしく、中がふっくらとして柔らかい。魚のうま味も豊かなので、別にソースなんていらないくらいおいしい。でもここでとどめのソースが来ると別世界の味になる。今回は甘酢醤油でソースを作ったが、ご飯が進んで困った困った。コショウを使わず、神楽南蛮(パーマン型の唐辛子)を使ってピリっと来るのも大成功だったかも。
最近、小田原から、もちろん売りものにならない魚が中心だが、大量に持ち帰ってきている。すべて測定して記録をとっているからだ。ただ最近なんとなくわかってきたのは、小田原には問題あり、な魚がほとんどないということだ。どれもこれも食べればうまいし、意外な味の発見がある。ニセタカサゴは相模湾では主に小型だけしか揚がらないので、なかなか売り買いの対象とならない。相模湾周辺ではある意味、未利用魚のひとつである。神奈川県のスーパー ヤオマサなどが引き取ってそのおいしさをアピールしているが、買った人はおいしさの発見があったはずである。小さいので焼くか、揚げるか、だけども一夜干しは、ほかの魚にはない味がある。
山形県・新潟県はマガレイをよく食べる。両県で「かれい」というとマガレイになる。実際、この両県には陸送(他県から送られてくる)でもマガレイが目立っている。スーパーにいくと必ず並んでいるし、魚屋では「焼きがれい」が盛んに焼かれている。ちなみに福井県に行くと圧倒的にアカガレイだ。比較的干ものにしない魚なのに干ものにしているし、魚屋で焼いて売っている。刺身でも食べる。この3県ほど極端に、1種類のカレイを好む傾向を見せる県はないと思っている。ちなみに東京都は昔からカレイ類をよく食べているが、今、取り立てて好きなカレイはない。イシガレイ、マコガレイがいちばんなどといった時代は遠い過去となっている。さて、たまたま新潟県の過去の写真データを整理していたら、マガレイの塩焼きが食べたくなった。偶然とは恐ろしいもので、近所まで買い物に行ったらマガレイが特売されていたのだ。新潟県新発田市で売られていた、「ひらめ(マガレイ)」の文字を保存したばかりだったので、奇跡のようである。東京都に流通するカレイでいちばん大衆的なのはアサバガレイ、黒がれい(クロガレイ、クロガシラガレイ)だ。その上がマガレイ、アカガレイになる。最近、「黒がれい」ばかりだったので、少しだけの贅沢、といったものである。カレイの塩焼きにはしょうがを添える、のがボク好みだ。身を箸でつまみ、しょうがをちょっと乗せて食べるとたまらなくうまい。そしてときどきすだちを振る。北海道のマガレイは春から夏の産卵後味が落ちる。9月の声を聞くと身に張りが出て、いちばんいい時季となる。ボクはこれを身(筋肉)の旬と呼ぶ。北海道などの競りでは圧倒的に冬から春の真子持ちが高いが、身の味では秋から初冬である。それにしても皮の香ばしく味わい深いこと。身の甘いこと。相棒は偽ビールだけどいいときを過ごせた。
最近、舵丸水産で貝などを買うと、「4つも買うんですか?」と若い衆に言われる。「も」はいらんだろう、「も」は。トコブシは4つあれば醤油で煮ることが出来る。1つでは煮てもおいしくないので、4つなのだ。買い物は最低限が正しい。昼に煮て、保存容器に入れてあったもの。深夜に器に盛り込んで、あとは、群馬県の「妙義山」四合瓶を机にトンと置く。あとはゆったり楽しむのみ。ちなみに池本惣一さんの器は天地逆。池本惣一さんにほんのちょっとだけゴメンナサイだ。さっと煮て、鍋止めして、冷やしたものなので、柔らかい。火は通っているものの脆弱で、冷や冷やとしてうまし。いつたべてもトクブシの醤油煮は昔ながらの平凡な料理のよさを感じる。今回はワタが肥っていた。このワタだけでも「妙義山」正一合いけそうだ。
8月26日のメモを文章にしているので、ちょっと時季を逃している可能性があるが、マサバのこと。さて、今回は改めてこんなことを思った。平凡な魚ほどよしあしを見極めるのは難しい。取り分け、マアジが難しく、マサバはそれ以上に難しい。難しいといえば、水産生物のよしあしを見分けるのは、全部が全部難しいと思っているので、まことにまことに水産生物の世界は広大無辺である。二宮定置の選別を見ていたら、体長30cm前後よりも、25cm前後の方が丸味がある。明らかに小型の方が魅力的に見える。実際、定置の若い衆はこの小さい方を取り分けていた。必ずしも同サイズがすべて選別の対象になっているわけではない。見ていて、はいッと、カイくんがわたしてくれたのが、小型の個体から選んでくれた写真の個体である。触った感じからして違っていたが、同じサイズを何尾か触っても、それほど迅速に違いがわからない。違いは刺身を一切れ食べて初めてわかった。こんなに小さなマサバなのに味が大きいのである。脂べっとりではないが、切りつけた身にふくらみがあり、舌にからむ。からみながらおいしい、の大盤振る舞いをしてくれる。こんな小さなサバがたぶん、有名どころのブランドサバよりも上に違いないと思えるなんて……。まことにサバ(マサバ)って難しい。あまりにもいろんなことを考えすぎたので、夕方の、猪口一杯の酒を飲み忘れた。
でっかいマダイの頭で兜煮、竜田揚げ、潮汁と作った。兜煮の反対側は素直に塩焼きにして目の前にある。ただでもらったマダイでいったい何種類料理を作るんじゃい!? と声が飛んできそうだ。その上、この主鰓蓋骨(鰓蓋)から前の部分だけの塩焼き、身がたっぷり過ぎたので二回に分けて食べた。
神奈川県小田原の魚の話だが、いきなり寄り道をさせていただく。アイゴをボクの故郷徳島県では「あいのばり」とも、「あい」ともいう。同じく、和歌山県でも「あい」、小型のアイゴを「ばりこ」という。徳島、和歌山ともにアイゴを干ものに加工する。「ばりこの干もの」は有吉佐和子の名作、『紀ノ川』にもある。徳島県では干ものに、すだちを搾り、和歌山県では「さんず」を搾りかける。和歌山県田辺で干ものを買ったら、立ち話をしたオヤジサンが「さんず」をもいでくれた。アイゴの干ものは香酸柑橘類ととても合う、というのが常識なのだ。今回のものは神奈川県小田原のアイゴで作った干ものだが、せめてもということで徳島県産のすだちを搾りかける。
ブリ半身で何品作れるか? 失敗したのもあったけど数えるのは嫌になるくらい作る。最近、酒量が減っているので料理はおかずが8割、酒の肴が2割だ。ブリと八王子綜合卸売協同組合内の豆腐屋の、ちょっといい木綿豆腐を合わせたら格好のおかずになった。まったく飾り気のない素な感じのおかず、って素晴らしいとボクは勝手に思っている。大上段に構えた料理は嫌いなので、するするっと作ったおかずに愛を感じる。もう少し水分を切った方が豆腐は煮上がりがしゃきっと真四角な感じになったはず、というのが今回の反省点だ。ただ、限られた時間で作っているので豆腐の押しが甘くても致し方なし、かな。じっくり甘辛く煮つけたブリは身の味わいもさることながら、そこからにじみ出た、だしこそ重要かも知れない。考えて見るとボクが作るおかずは醤油甘辛系ばかりである。よく煮上げて舌の上で脆弱につぶれるブリの身からも醤油の煮汁が出てくるし、豆腐が纏っているのもブリのうま味と醤油である。それにしても、こんなに簡単に、誰にでもできるおかずこそ、ご飯を消費する元凶なのだよ。また腹回りが、ちょっと余計に気になる。ポテチン、なのだ。
まさかこの若いスマを食べてみようとは思いもしなかったので、一切れつまんで、気もそぞろになる。大漁だった二宮定置に、たった1個体混ざっていてくれて、まことにありがとさん、としか言いようがない。サバ型類(亜目にあたる)の旧カツオ科であったスマ、マルソウダ、ヒラソウダ、カツオの特徴は小さくても味があることである。これを忘れていた自分の不覚を感じないではいられない。ものすごくうまいのである。豊かな呈味成分が舌に広がる。
天然羅臼昆布のだしで、ことことと30分ほど煮たものなので、腹鰭を持って引っ張るとバラバラになる。ほぐれた身と皮とを濃厚かつ上品なだしと一緒に食べる。腹鰭の後ろなどをしゃぶっているとサメとチューしているみたいで、なんとも不思議だ。平凡な料理なのにというか、平凡な料理だからこそ生まれる味わいなのだと思っている。面白いもので長時間煮だしているので皮など舌の上でとろりと溶ける。そのとろける舌の感覚が呈味成分とは関係なく甘く感じる。このおいしさは文字に出来ない。潮汁はていねいに作ると、御馳走だ、ということがわかる。これで清酒を正一合と行きたいが、昼間なので凍頂烏龍茶。
ブリ半身で何品作れるか? 失敗したのもあったけど数えるのは嫌になるくらい作る。マリネは最近、夕方とか深夜にジンハイボールを飲むために、オキアジで作り、ブリでも作った。ブリに好きなものをできるだけ投入したら、見た目の地味なものが出来上がった。赤が足りないなんていうプロっぽいことは考えたくもないので、ありのままにしてみた。素がいちばんいいと思っているのだよ。今回、ケーパーとスリカンボ(イタドリ)の塩気が別種で、別種の塩気が混ざり合うと新しい塩気になるのに始めて気がついた。当たり前だけど、ケーパーの塩気は柔らかい。スリカンボは酸味があるので棘立った塩気である。粗挽きの黒コショウの辛味もいい感じだし、最近、好きになって多用している生のタイムもいい役をこなしている。北海道根室産ブリのすごいところはこんなにたくさんプラスしても、その脂のとろっとした舌触り、甘味が浮き上がってくることだろう。ブリが全体をまとめる役割を担っているようにも感じる。ここに大量投入したライムの酸味がきて、ジンハイボールを喉に流し込むと爽やかな気分になる。
8月のタイラギ(タイラガイ)に期待する人はいないだろう、と思ったけど、それでも買ってしまう、のは水産生物とヒトとの関わりを調べているからだ。買ってみたら意外にもそんなに悪くはない。貝柱の膨らみが弱く、身のきめ細やかさがないものの、貝としての味の実力者なりに、不調であっても横綱的なところがある。貝柱自体が痩せているのは、この時季しかたがない。それでも充分、甘味をともなった微かな渋味と、ほどよい食感が楽しめる。この独特の風味はタイラギだけにある。タイラギがホタテガイなどと比べて断然高いのには、この風味故だ。しかも近年、漁獲量が減っている。これ以上高くなったらどうしようと思いながら、群馬の妙義山を正一合。
神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置で選別のじゃまをしてたら、足元にシオッコ(シオ、ショゴなどなど。漢字は汐っ子とすることが多い)があって、小振りなので、ことわって拾ってきた。現在、徹底的に魚を計測しているので、そのためだ。今回くらいの漁があって慌ただしいときに、こんなにミニで数がまとまらないと、入合にしても売れ残ることが多い。ある意味、典型的な未利用魚でもある。体長22cm・192gあった。東京というところはカンパチの若い個体、シオッコが好きだ。現在の豊洲などでのシオッコはだいたい【25cm以上40cm以下】なので、この個体はシオッコ以下である。お盆が過ぎると昔、築地場内では、「シオッコ買ってかないか」、「いやいやまだ早いだろう」なんて立ち話が聞こえてきていた。ボクもそこに入れるようになったとき、市場人だな、ボクも、と思ったものだ。実際そのころ、関東で揚がるカンパチの群れは、いうなれば同級生、単系統であり、年間を通して揚がるものではなかった。8月後半になると黒潮にのってやってくるのは決まってシオッコで、とてもいい値がつく、そんな存在であった。余談になるが今では相模湾でも比較的大きな個体が普通に揚がる。伊豆諸島に南下するとびっくりするような大型もとれる。ブリは大きいほど高く味がいいが、カンパチは、あくまでも関東での話だが大型は人気がなく安い。味も値段通りだと思っている。この相模湾でのカンパチの水揚げからも強く温暖化を感じる。計測のために持ち帰って、計測していたら思ったよりも身がよさそうだった。刺身にしてみたらとても味があった。野締めなので食感は失われていたものの、逆に舌触りがなめらかで、微かに甘味すら感じる。水揚げした日限定の美味だけど、期待しなかっただけに驚かされた。念のために塩とごま油も用意していたが、いつものようにわさび・醤油で十二分においしかった。このサイズはブリだとワカシサイズになる。同じブリ属なのにワカシには味がない。これがとても不思議である。
魚屋で開いていたものだが、推測ではあるが全長10cm足らずなので明らかに最近の考え方では新子(コノシロの幼魚)、その酢じめである。新子は本来、秋のものなので立秋から二月余りの間のものだが、最近、関東では5月の後半には3〜5gくらいのものが100g・ 20000円なんてべらぼうな値段でやってくる。もちろんそんなものとは縁のないボクは毎年、そろそろ秋めいてくる8月後半に初物食いをする。それにしても最近、秋を感じるのは一月遅れの9月後半になってからだ。秋めいてくると書いたのは間違いだけど、セミも少なくなって、虫集く頃なので、1ミクロンほどは秋になったやも知れぬ。さて、ボクが作ったとはいいきれない新子の酢じめだが、端的にうまい。走りの頃の4、5g なんて舌の上で溶けてしまうものよりも、味からすると今回の12g、13g程度が上である。背の青い魚の強いうま味と、皮にほんの少し感じられる淡水魚のような粗野な味があることが新子のよさであるが、それだけではだめなのだ。そこに、ほどよい塩味と酸味がきてこその味わいである。面白いものでコノシロという魚は塩と酢で味際立つのである。このサイズまでの身の軟らかさも重要かも知れぬ。醤油をつけないでわさびだけつけてつまむ。酒は群馬の妙義山を正一合。
ブリ半身をあれこれ料理するのは重荷だなと感じながら買い、一刻も早く消費していかなければと思い、あまりにも直球勝負なれど、定番料理、照り焼きを作る。ブリ照り用に切りつけて、ブリ照り用のたれを塗って塗って、塗ってと3度以上塗って焼き上げたものなので、焼き上がりの調味料とブリの脂が混ざり合った香りだけで、しわいやなら飯三杯といったところだ。照り焼きは、安土桃山時代に料理名として残る、「色つけ」という料理が名前を変えたものだと思っている。室町時代には醤油にせいぜい少量の酒を加えたタレだったと思うけど、今やみりんもあるし砂糖もあるので、こてこての甘辛味にしてみた。それでもちゃんとブリ本来の味が、むしろ調味料のせいで余計に感じられる。この不思議さも味の内である。産地不明の「神楽南蛮」の辛味がこれまたとてもいい。これとわかめのみそ汁で、茶碗一ぱいのご飯とはデブって辛いなと思う。
ボクの覚え書きから。「竜田揚げ」とは、奈良県生駒市などを流れる、紅葉の名所、竜田川から来ている。料理名の起源は意外に新しく、明治以降ではないかと推測する。奈良県の竜田川(龍田川)が紅葉(特定の植物の名ではなく紅葉した植物という意味)の名所だったことから来る。わかりやすく言えば、「紅葉=赤い」、料理では「赤は醤油に染まる」、ことからの名だ。百人一首、在原業平の〈千早ぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くぐるとは〉が有名だったので、実際の川とはなんの関係もなくつけたのだと思う。生駒市を流れる川に実際に行ってみたらわかることだけど、ほんまにこれが名所なんかい、とがっかりすること間違いなし。ちなみに在原氏は9世紀半ば、桓武天皇が平安京遷都をし、平城京にあった勢力からの脱皮を果たし大改革した混乱期に、歴史的にも不思議な存在である平城天皇から臣籍降下した一族である。在原氏で有名なのは鍋の名に残る行平(ゆきひら)と歌人で有名な業平だけだ。いつの間にか歴史上から姿を消す。ちなみに平安時代の和歌はどちらかというと、落ちこぼれ貴族が作るもので、左御子家の定家も、在原業平も紀貫之も落ちこぼれそのものである。さて、目の前にある竜田揚げは醤油+甘味+にんにくなどの味がついている、ので冷めても味が落ちない。いくつかの事象を文字で並べて関係性を調べるという、クソ面倒くさいことをやっているときの、おやつに持って来いである。ちなみに調べ物をしながらもの食うとき、ボクは、左利き♪ である。サメに食いちぎられた部分なので不揃い極まりないが、意外にもこのガタガタした部分がおいしい。普通に三枚に下ろした身(筋肉)よりも、より柔らかい気がする。これなどサメに食われたときのショックで筋肉が変質したせいかも。柔らかいだけではなく、ちゃんとマダイの味がする。身の甘味は、たぶん呈味成分が複雑にからみあったことからくるのだろう。繊維質で口の中で心地よくほぐれるのもいい。ふわっと柔らかいのに、時間がたってもこのままで、表面に油が浮き上がってこない。意外にも〈神代もきかず〉なうまさだった。
神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置で選別のじゃまをしていたら、ヒラソウダをいただいた。触った感じが硬いので、それほど期待して食べたわけではない。ただ、二宮定置の若い衆が、ヒラソウダを指さして、「脂はないけどうまいんです。さっぱりしていて……」と年齢に合わないことを言ったのだ。そしてボクもいいたい。なんだかわかんないけど、脂のあまりないヒラソウダは、ごっつごっつぉ(徳島弁で大御馳走)じゃ。半身の背だけを食べたが、昨日の感動が残っているので今日は腹の部分を食べてみよう!なんて気持ちになっている。脂が乗っていると、脂のこくというか口溶け感からくる甘さを堪能出来るものの、真のヒラソウダの味がわからないのかも知れない。8月後半のあっさりしたヒラソウダは、ヒラソウダの持っている呈味成分だけで勝負して勝利を勝ち取っているみたいだ。たぶんイノシンの豊かさからくる強いうま味だけではだめで、ほどよい酸味があるからうまい。この酸味がなければ味が単調過ぎる気もする。それにしても漁師というのは、テレビなんかに出てくる偽グルメが裸になって逃げるくらい本物グルメなのである。
ボクは四国は徳島の人間なので、言語的には関西である。「煮る」というと、なんとなく醤油辛く棘立って感じ、「たく」というと優しい穏やかな味を思う。そしてボクの基本、通奏低音のようなものは、地味で日常的なところだと思っている。事実、好きなものも目立たない、平凡なものだ。だから魚料理の中でも、おかずを、「煮る」のではなく、「たく」ことがいちばん好きだ。オキアジを前すると、作りたい料理が浮かびすぎて困るくらいだった。結局15品以上作った。中に、「獅子唐とあらをたいたもの」がある。別に思いついたという事ではなく、八王子綜合卸売センター、八百角で獅子唐の特売をやっていて大袋を買った。そこにオキアジがあっただけだ。あらからこそげ取った身がフレーク状になり、獅子唐にまとわりついている、ように見える。今回の獅子唐も少し辛いのが混ざっていたが、なんとかこの甘いフレーク状のオキアジの身のお陰で舌をシーハーしなくても済んだ。それにしてもオキアジのあらの豊かなうま味はすごいと思う。獅子唐はちょっと青臭いくらいの軽いたき加減にしたが、この青臭味をオキアジのうま味が抱き込んで、一つの味に作りあげてくれている。結局、みそ汁も作らず、これだけで茶碗1ぱいの飯を食らう。
ブリ半身をあれこれ料理するのは重荷だなと感じながら買って、一刻も早く消費していかなければと思い、いきなり焼いた。いちばん最初に、おやつのような感覚で作ったのが血合いの塩焼きだ。動かないで文字文字しているのに、夕方前に必ず腹の虫が騒ぐ。けれどもここで糖質を食べるわけにはいかない、この時間に、ちょっとだけ魚料理をつまんでみたら、ちゃんと腹の虫が黙ったのである。緑茶の番茶で食べるので、これは、はやり、おやつだろう。この血合い骨を切り取った部分だけ焼いたものは、不思議な味だった。焼き上がりはなんだか普通だけど、ものすごく個性的な味である。10㎏上のブリになると、血合いが牛肉のような風味だし、ちょっとレバーのようだし、なのだ。その下の普通の身(筋肉)は脂がのっているので、普通にうまいしでもある。脂があるということはとても柔らかい。その柔らかい塩焼きに2つの味があって、混ぜこぜになった味を、緑茶の番茶が流し去る。これだけで満腹になった気がするから不思議。
ここまで大きいと、どこから食べていいのか見当もつかない。いきなり唇にちゅーなのである。このぶるんぶるんとした食感の唇ウマシ。皮も絶品というか、皮だけで料理一品と同じくらいの存在感がある。あっちゃこっちゃの身のおいしさも、名状しがたい。あえていうと身の筋繊維のほどよいほぐれ感と、締まり具合と、うま味で、ただただうまいとしか言えそうにない。泣けてくる。付着している皮や身だけで、胃の腑のご飯用の隙間がなくなる。鱈腹食べるではなく鯛腹食べる、だ。満腹になり、食べ疲れてダウン。銭州のサメくん、ありがとさん。
このところケーパーに夢中になっている。いろんな料理に使っているが、やはりマリネに使うのが、いちばんケーパーのよさが出る、と思い始めている。アイゴ、スギ、ハチビキ、ブリでマリネを作ったが、だんぜん、アイゴがウマスギだった。この一般流通ながら扱いのいいアイゴというのは非常に使える、ということもわかった。やや細く切ったアイゴにケーパーの塩気、トマトや紫玉ねぎなどの風味がライムジュースで一体化する。ものすごくゴージャスなフルバンド的な味である。しかもアイゴ自体の食感の豊かさ、身の豊かなうま味が強く強く舌を震わせる。あくまでも深夜酒のアテなのに、心に残る味であった。深夜なのに岐阜県八百津、「玉柏 原酒」の水割りを思わず2杯。
関東周辺のスーパーを回っていて、意外に見かける機会が多いのがウルメイワシである。小さいと劣化が早いので消費地では比較的大振りが売られていることが多い。今回のものなど手に取った時点で揚げものにしてやる、と思ってカゴに放り込んだ。買い求めた初日は、お昼なので天ぷら定食の天ぷらの1種にする。季節のなすやオクラも揚げて、おいしい、おいしい昼飯なのである。天ぷらの種は上品でくせのない味の魚ではだめなのだ。ウルメイワシのちょっと背の青い魚的なワイルドな部分、そして豊かなうま味が揚げることで凝縮する。ご飯を食べ過ぎないように1尾だけ揚げたが、それでもご飯がもっともっと欲しくなった。