
4月24日、広島県呉市倉橋島、『日美丸』、平本勝美さんにいろいろ送って頂いた。当然、中には倉橋島名物の鯛(マダイ)が入っていた。全長50cm・2㎏上は目の下一尺半である。桜は散り、5月、6月の産卵盛期を迎えようとしている時季だ。これを骨を残して総て料理し尽くす。刺身は先にも書いた。それはともかく、久しぶりに潮煮を作る。かまの潮煮の、出来上がりにすだち丸々1個搾り込んで、後は食らうだけだ。昆布だしでことことじっくり炊き上げたもので、表面の皮から、身からして、とろりと柔らかい。器に盛り付けるときは国宝を輸送するが如し、の気持ちでなければならない身から飛び出した肩帯(胸鰭周辺)の骨をつまむとひょいっと抜ける。マダイの肩帯と腰帯周り、すなわちかまの部分の骨が大きく小骨が少ないのも魅力だろう。抜けた骨周りの身をすすり込んだら、もうそこにあるのは別世界である。皮と身は、濃厚な昆布だしとマダイのうま味が凝縮されて液体のように舌を這う。潮煮は日本料理の基本ともいうべき料理であるが、要するに昆布の味と魚の味を仲睦まじくさせるといいのだ。皮や身、煮汁をすすり込む時間が永遠続くといい、とも思う。ちなみに潮煮はご飯の友というよりも、酒と相思相愛である。できれば燗酒を用意したい。煮汁は別の器に半分入れて、ときどきぬる燗と半割にして飲む。煮汁で酒がのめるのもうれしいねー。汁も身も皮もなく、器に残ってるのは鰭と骨だけになったら、残念ながら終いである。

鈴木項太さんに送って頂いた愛知県西尾市一色の、イタヤガイ科イタヤガイ、同科ツキヒガイを刺身にして食べ比べてみた。今回はちょっとだけツキヒガイの方が甘味が豊かで、貝らしい風味が優っていた気がする。でも気のせいかも知れない。それにしてもイタヤガイとツキヒガイはうまい。もちろんイタヤガイ科の食用貝は総てうまいけど、この2種はうまさのラインが刺身にして他の二枚貝より上だ。次いでヒオウギかな?といいながら、ヒオウギを食べるとまた違ってくるのが、ボクが通ではない証拠である。結論、イタヤガイ、ツキヒガイ、ヒオウギガイは同じくらいうまい。一色のすごいところは、このイタヤガイ科3種が全部揚がることだろう。

4月24日、広島県呉市倉橋島、『日美丸』、平本勝美さんにいろいろ送って頂いた。当然、中には倉橋島名物の鯛(マダイ)が入っていた。桜は散り、5月、6月の産卵盛期を迎えようとしている時季。雄で体が黒ずんではいるものの、精巣(白子)はまだ硬く成熟度は低い。白子は明らかに食べ頃である。白子は天ぷらにした。鯛白子天ぷらは東京都内、天ぷら屋では春の定番種だと思っている。白子を揚げるとき、衣を改めて作り直してから揚げているのが記憶にある。たぶんクルマエビや「めごち(ネズミゴチ)」のための、薄めの衣をつけて高温で揚げると、火が通り過ぎる、もしくは中の白子が散るのだと思う。天ぷら屋では職人さんのなすがままに食べたことはあるが、めったに追加したことはない。その「めったに」の種が白子だった。白子はていねいに取りだし、中の筋などを取り去る。軽く振り塩をして小麦粉をまんべんなくまぶして、厚めの衣をつけて高温で揚げる。使っているのは市販の天ぷら粉(これだと技いらずだ)に氷で冷やした水で厚めの衣を作る。一般家庭なのでわざわざ神経を使って衣を作る気になれない。最近の天ぷら粉はとてもヨイヨイよいやサ、だ。揚げたてを食べる。白子の衣は厚めの方がうまい。さくっと音が聞こえるくらいでなければならない。当然、中から一瞬だけ熱々の半液化した白子がとろりとくる。舌触りは生クリームのようだけど、ちゃんと魚らしい味わいがある。残念なのは、5分以内に食べないとおいしくないことかな。鯛の白子天ぷらに敬意を表して、本物ビールの晴れ風500mlを開ける。ボクに好みのビールが出来るなんて、思わなかった。日美丸さんに感謝!

広島県呉市倉橋島、『日美丸』、平本勝美さんにいろいろ送って頂いた。当然、中には倉橋島名物のマダイが入っていた。倉橋島は広島市の南にある。広島側からは江田島があり、倉橋島と大きな島が連なる。呉市に統合されてしまっているが、もともとの呉との間には音戸の瀬戸という海峡がある。たぶん広島県の最南端に当たるのではないか。このあたりは、広島湾から南に島と島が重なり合い、多様な貝類、エビなどが豊富で豊かな海域である。そんな海域で、多彩な貝類やエビなどを食べて育ったのが倉橋島のマダイだ。全長50cm・2㎏上で、吻から目の下、尾の先までが1尺半。マダイは目の下2尺までがいちばんうまいと思っているが、まさにそのサイズである。桜は散り、5月、6月の産卵盛期を迎えようとしている時季。雄で体が黒ずんではいるものの、精巣(白子)はまだ硬く成熟度は低い。『日美丸』のタイ釣りは伝統的なフカセという釣法で、いわゆる一本釣りである。マダイはエサ(食べているもの)、漁法、扱う人によって大きな差が出る。そのどれ一つが欠けても、うまいマダイは生まれない。

広島県呉市倉橋島、『日美丸』、平本勝美さんにいろいろ送って頂いた。うまいに決まっているセットだけど、本命はさておき、最強クラスの脇役から。ニシン目ヒラ科のヒラである。体長49cm・1.384kg はこの魚としては小振りである。魚類に興味のない人にとっては巨大なニシンのような魚で、北海道でも見つかっているが、あえて言うと瀬戸内海周辺、有明海周辺の魚といいたい。この魚、広い内湾域がないと産卵できないのではないか、と思っている。この点からも、自然破壊だけしかやらない、企業や行政や政治家達は、ヒラだけではなく、地球にとっても敵である。

八王子卸売協同組合、舵丸水産に北海道増毛から特上の「牡丹海老(ぼたんえび)」が来ていたので、味見用に1尾買う。一般的に「ぼたんえび」というのはトヤマエビのことだ。日本海と北海道以北の深場にいる大型の美しいエビである。標準和名(図鑑などにのるときの)ボタンエビは近縁だが別種なので要注意。もちろん標準和名のボタンエビだってやたらにうまい。

生の魚とみそとたたいたものは、「みそたたき」ともいい、「なめろう」ともいう。どっちでもいいのだけど、今回は酢で食べたので、千葉県南房での料理名、「なめろう」としたい。千葉県千倉の漁師さん、食堂のオカミサンに教わった食べ方だからだ。最初は酢をつけないで食べてみる。口に入れると、まことにあっけない。噛み応えがなく舌の上で溶ける。脂のりすぎ、といった感じである。疲れから大量投入したにんにくの存在が感じられない。感じられるのはみょうがだけだけど、それだけマイワシの存在感が大きい。荷の作りから石川県七尾産とみたが、富山湾ではなく、七尾湾に入り込んだ群れやも知れぬ。このように思いを馳せるのも楽しい限りなのだ。さて、食べてはやや控えめに酒をあおり、あおりして食べ進んでいったら、皿の上がきれいになってしまっていた。明日の「さんが焼き」はなし、となる。

東京では、たぶん江戸時代くらいから、千葉県外房以北の沖合いでとれるウスメバル(スズキ目カサゴ亜目メバル科メバル属)のことを、「たけのこ」とか、「たけのこめばる」といいった。たぶん竹の子がとれ始める頃に旬を迎え、たくさん入荷してくるからだろう。浅い場所にいるメバルは、「黒めばる」と呼ばれていた。こちらは分類的にはクロメバル、アカメバル、シロメバルの3種のことだ。こちらも竹の子との相性がよく、竹の子の時季に旬を迎えるので、「竹の子目張」といってもいいかも知れない。ただ、1980年代後半に築地場内で、「竹の子と煮る」というと黙ってウスメバルが出て来た。1984年、『土井勝 魚のおかず』の「メバルの煮つけ」で竹の子と合わせているのもウスメバルだ。東京では竹の子と合わせるのはウスメバルが主であったと考えている。昔は浅場にいるメバルと比べると、沖合いにいるウスメバルは味的に落ちるなんていう人がいたが、今、そんなことを言う人はほとんどいない。こんなことを言って通ぶる人は嫌いである。ボクは、みな同じようにうまい、としておきたい。話をややこしくしそうだが、念のために標準和名タケノコメバルという魚がいる。メバルにもウスメバルにも似ても似つかぬ魚で、見た目はあんまり美しいとは言いがたい。魚類学の父、田中茂穂は「竹の子のとれるときに旬を迎えるので、タケノコメバルなのだろう」とあるが、明らかにこれは間違いだと思う。ちなみに他にも同じ事を言う魚類学関係の人がいるが、ちゃんと食べていないのだと思っている。タケノコメバルは、体の模様が孟宗竹の竹の子の皮に似ているからタケノコメバルだ。

三重県志摩市へは何度か行っているが、安乗漁港のある安乗崎には行ったことがない。魚を食べるということは、知らぬ町を旅する如きである。また、志摩市内ではマアジを買ったことがあるし、食べたこともあるけど流通してきたものを手にするのは初めてだと思う。刺身にすると、思った以上に脂がのっていることがわかる。皮下に脂の層が見えるし、舌に乗せたときの脂の口溶け感があり、ねっとりと舌にからみつく。鮮度がいいので食感もいい。水氷(氷入りの塩水の中に魚を入れてある)に見えたので、値段は並かも知れないけど、味は上といえそうである。小さな真子を持っていたので産卵はまだまだ先で、志摩のマアジは旬を迎えているようだ。

愛知県西尾市一色から持ち帰ったイタヤガイ科イタヤガイでグラタンを作る。ホタテガイと似ているイタヤガイはホタテガイよりも一回り小さい。ホタテガイはどこでも手に入るがイタヤガイを手に入れるのは大変である。でも、手に入れるためにどんなに苦労しても後悔しない、うまし二枚貝である。同じくイタヤガイ科のホタテガイと比べてると貝柱の大きさでは負けているが、味は上。この豊かなうま味と適度な食感を備え持つ、イタヤガイのグラタンは大御馳走である。だれが作っても簡単に作れるし、食べても矢鱈にうまい。一度食べたら、何度でも、ときどき,無性に食べたくなるはずだ。とろっとろのホワイトソースにからんでも、やたらにうまいエリンギと一緒になっても、イタヤガイの存在感は大きい。ホワイトソースとソテーしたイタヤガイの層との境目が、グラタンを混ぜ込みながら食べることで融和する。この混ざり込み具合を見ながら、加減しながら食べる。クロワッサンでもあるといいお昼になる。

ビールを買いに近所のスーパーまで歩く。夕暮れ時なのに腰に付けた温度計は27度。念のためにもう一度見直しても27度だ。「晴れ風」という、不思議な名の新しいビールを飲むために、天ぷらを揚げて、揚げたてに、「晴れ風」。贅沢で飲む、といったもので、ハレの日のビールと言ってもいいだろう。「鯵の天ぷら」は中村武志(国鉄職員で小説家。1909-1992)の「目白三平」にも出てくるので、東京では至って普通の料理のようだ。ところが、アジフライはどこでも食べられるが、天ぷらを出してくれる店は少ない。当然、自分で作ることの方が多い。アジの天ぷらは高温以上の高温で短時間揚げるに限る。かぶりつくと表面の衣が音を立てるくらいがいい。その分、中がしっとりと柔らかく、マアジの背の青い魚特有の濃厚なうまい汁が舌に広がる。こごみの天ぷらも春の味。竹の子の天ぷらも春の味。るらんるらん、な気分で「晴れ風」500ml2本とは贅沢だな〜。

関東には大きな荷主(大卸で日本各地水産物を集めてくる)がいくつもある。それぞれ荷受けで得意とする地域があるが、兵庫県淡路島だけは全荷受けが仕入れてきている。特にマアジは他の追随を許さない。マアジにも並(味が悪いというわけではない。むしろ味的に上だったりする)と上がある。上アジは産地が限られている。並は島根県以西、九州が主産地である。東京などでのすし職人は、片身2かん(体長20cm)くらいを好んで使う。料理人もこのサイズが好きな人が多い。だから淡路の釣りアジがスポットライトを浴びる。ただ、4月はまだ早い。沼島(淡路島の真南にある島)のマアジが本格化するのはこれからである。切りつけたものを口に入れても脂は少ないので、口溶け感はない。脂がない分、マアジらしい味がある。舌の上にのせても味的にだれを感じない。「沼島はいいな」と思う瞬間である。今季初めて買ったみょうがをくるりと巻いて、ご飯に乗せると実に味わい深い。近年、季節を感じると悲しくなるが、このマアジなどまさに悲しみの種である。季節を感じる食べ物しか食べないつもりだけど、うれしいような悲しいような。これからは島根県の巻き網もの、定置もの。山口県の瀬つき、佐賀県・長崎県、鹿児島県など、マアジに困らない時季を迎える。

一色漁港(愛知県西尾市)の競り場に、新物のヒジキ(蒸しただけのもの)が並んでいた。それを前に、買い悩んでいた買受人が少なくなかった。高すぎるのである。新物のヒジキが欲しくて街中でスーパーをめぐったが探せど見つからない。豊橋市のスーパーでやっと三河湾産を手に入れた。今じゃ、ヒジキはとても庶民的とは言いがたい。旅先でなければ買わない値段である。温暖化のせいかも知れないが、海藻類の高騰がとまらない。海藻の減少は過度な治水、自然海岸の減少と正比例する気がするのはボクだけかな。毎年新物は買うことにしているが、たぶん2005年の2倍位している気がする。今回のものは海辺で蒸し上げただけのもので、乾燥工程は経ていない。この三河湾産の新物は非常に太く、柔らかくて、このまま食べてもおいしい。今回は久しぶりに、油揚げ(辻豆腐店 豊橋市)と煮た。「そうだ節削り節」のだしに、醤油と砂糖の味つけで、酒・みりんは使わなかった。柔らかくたいて、優しい味わいに仕立てた。ご飯の友になるぎりぎりの味の濃さである。新物のヒジキは、毎年思う事だけど、うまいとしかいいようがない。蒸し上げたり、煮たりして冷凍したもの、乾燥させたものにはない味がある。これをどっさりご飯に乗せる。春よ、ご飯と一緒に胃袋まで届け、なのだ。

刺身は口に入れてしばらくは、野締めなのに臭味はほとんど感じられない。ただ、終いの方の臭味はどうしても気になる。岸和田産というと巻き網のものだろう。野締めで来ても大阪湾のボラにほとんど臭味がないことが大発見である。2005年に泉佐野市で買った活けはおいしかったけど、野締めはダメだったことが思い出される。わさび醤油で食べてみると、どうしても臭味が残るが、野締めなのでボラだからということではない。あれこれ考えて、韓国風に胡麻油と塩で食べる。辛味が欲しかったら一味唐辛子などを振るといい。この韓国風の食べ方をすると臭味はまったく感じられない。ボラらしい濃厚なうま味が感じられる。念のために酢みそをつけてみたが、これもイケてる。大阪湾のボラは食べ方次第で実にうまいもんだ、なんて独りごちる。もともと魚があまり好きではなかったボクなので、かなり臭味には敏感であるが、大阪湾のボラはうまいが勝つ。ボラのおいしさの表現は難しいが上等のコイの刺身にも煮ているし、スズキの刺身にも似ている。でもやはりボラの味だなと思う。また見つけたら買わねばならぬ、大阪湾のボラだ。合わせた酒は、愛知県設楽町『関谷酒造』の蓬莱泉秀撰で、いい時間が過ごせた。

マアジに関しては大小にかかわらず、良し悪しがあり、小さいからいいとも、大きいからいいとも限らない。大分県産は比較的大形が多く、下氷(氷を敷いて魚を並べる)が基本である。この仕立てを見ただけで産地がわかる、というのも大分らしいところだろう。ちなみに並アジと今回の上アジで、買ったその日だと味は互角である。並上の違いは翌日になって初めてわかる。大分ものは年間を通じて、ていねいな仕立てであるが、さすがに寒い時季のものは脂が少ない。そして4月も半ばの今、箱に並んでいる活け締めもの総てに脂を感じられる。料理屋さんと荷をのぞき込んで、仲良く迷ってしまったほどだ。ふたりして、どれにしようかな? といちばん大型を1尾ずつ袋にしまう。帰宅して、鱗を引き始めると皮の表面に脂が感じられる。三枚に下ろすと身が脂で白濁して柔らかい。この脂で柔らかいのが旬のマアジの特徴である。刺身を口に放り込むと、すぐ舌の上でとろっと脂の口溶け感がする。その後、しっかりアジ科らしい豊かなうま味が残る。脂の多い時季は、うま味も多いのである。こんなに脂が豊かなのに後口がいいのもマアジならではだ。くどくど文字を並べても仕方がない。ここから数ヶ月、大分県産に限らず、日本各地からうまいマアジが届き始める。今年も時季のマアジは大分県佐伯市産から始まった。

昔、酒飲みだったときよく作ったものに、塩焼きの酒煮がある。塩焼きを適当にばらして、酒と煮るだけの簡単な料理だ。塩焼きと酒、ともに主役といったもので、若い頃は酒をうんとたくさん入れて煮た。吟醸酒などでもいいのかも知れないが、いつも普通酒(本醸造もしくは純米酒)を使う。

徳島県民で山間部に育ったので、ワカメといえば、基本的に「灰わかめ(今はもうない)」と干しワカメだった。生ワカメは上京するまで存在すら知らなかった。東京都内では今でもちゃんと寒い時季になると、生ワカメが売られているし、料理屋さんでも使われる。山国育ちのボクも、いつの間にか寒くなると「生ワカメ」な気持ちになるようになった。東京は産地に隣接しているので、寒くなるに従い「生ワカメ」が食べたくなるのが自然なのかも知れない。ヒトは季節に争わないで生きる方が地球に優しいし、地球上の生き物にも優しい。だから、生ワカメにも季節を感じとることができる自分が喜ばしい。4月半ばになって思うのは、今年、冬から春にかけて、まことにたくさんの生ワカメを食べたこと。初生ワカメは神奈川県江ノ島でとれたもの。秋田県男鹿市船川の漁師、近藤亮さんにワカメをいただいたのが4月1日で、これがボクにとって今季、最後の生ワカメだ。先々、書くかもしれないが、4月10日に故郷から鳴門の糸ワカメ(干しワカメ)が届いた。これからは生ワカメに代わり当分の間、干しワカメとなる。今季の生ワカメのメモの再整理を行っているが、やはり印象的だったのは、くどいようだが男鹿のワカメである。男鹿市では過去にもワカメを買っているけど、心に残らないまま今年に至っている。男鹿のワカメ、福島県只見町『目黒麹店』のさっぱり辛口のみそで作ったみそ汁は最高だった。さて、さっそく糸ワカメで「酢のもん」を作ろう!

青森県のトゲクリガニは春に外海から産卵のために陸奥湾に入ってくる。その入り口にあたるのが下北・津軽の両半島なのだろう。このとき陸奥湾のトゲクリガニの盛漁期が始まる。5月の連休過ぎまで、陸奥湾で盛んにとれる、それで青森市では「湾内ガニ」という。昔、この時季に青森市に行ったことがある。1988年、青森市内各所にあった市場に入ると真っ先に目に飛び込んできたのが、逃げ出したカニだった。逃げ出したのを追いかけて店から出たオバサンに、「つかまえたら持って帰れ(意訳)」と言われたり、あっちでもこっちでも試食試食でとても楽しかった。これがボクの「湾内ガニ」の初食いである。クリガニ科なので同じクリガニ科のケガニに味が似ているが、脚の身が締まっており、なによりも内子がうまい。ただしこの内子持ちの雌は高い。

以下は魚類学に興味のある方だけに。ときどきアジ科の魚に標準和名「カイワリ」が多すぎると思われないだろうか? これには歴史的な背景がある。ナンヨウカイワリ、ヒシカイワリなどカイワリとつく魚は昔、Caranx 属であった。今、Caranxの和名はギンガメアジ属(種の上の階級)だが、昔はカイワリ属であった。Caranx にはたくさんのアジ科の魚が含まれていた。基本的に魚の魚類学的な名は「特徴+属名」なので、「●●カイワリ」が多くなったという経緯があるのだ。そして今現在、ナンヨウカイワリはCaranx(ギンガメアジ属)ではなくFerdauia (ナンヨウカイワリ属)である。ついでにこのように学名はめくるめく変わる。伊豆半島の遙か南の海域にある岩礁群、銭州通いしている人に聞くと、「シマアジを狙っていて、こいつが来るとがっかりする」そうである。シマアジと比べると引きが弱く、見た目がシマアジに似てはいるが、どこかしらどんくさいかららしい。ボク、即ち、食べる側としては、確かにシマアジのように味的にスターとは言えないが、比べなければかなり上の部類だと思っている。いただけるならこんなに結構な魚はない。余談になるが、関東海域では、アカハタなど伊豆諸島以南に生息していた魚の多くが相模湾北部、小田原などでも普通にとれるようになってきている。ところが本種はいまだに伊豆半島南部までの魚である。小田原でシマアジは比較的見かける機会が多いのに対して、本種にはいまだに出合っていないことが、とても気になる。関東海域以南でもう少し水揚げが増えると、比較的安くて使える魚として人気が出るに違いない。若い個体なので、単純な刺身には向かないと思ったが、念のために造ってみる。相変わらず、体高のあるアジ科らしいうまさは感じられるが、脂は乗っていない。味に奥行きがない。過去のデータからすると脂ののるのは5月になってからだ。今はうま味と食感を楽しむものと考えるべきだろう。

本マの「ぶつ」を「づけ」にしたものなので、最近の小学生曰く鉄板のうまさ、である。本マの比較的控えめな酸味が醤油で引き出されているし、うま味だって調味料と一緒になって強くなっている。そこにマグロの筋のほどよい噛み応えが来る。これを明石海峡の焼きのり(スサビノリ)とご飯で包むだけの手抜き料理だけど、あっと言う間の大御馳走とあいなる。ちなみに焼きのりは一昨年頂いた明石の初摘み。一昨年から去年、今年にかけて焼きのりを、いただきすぎて、やっと底が見えてきた。明石浦漁協の焼きのりはとてもおいしかったと言っておきたい。ついでにボクは故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)でいちばん不器用ものと言われた男なので、のり巻きが作れない。なので、のり包みとなる。

煮つけにするなら、魚の体のなかでも複雑に骨が入り組んだ部分の方がおいしい。いちばん複雑なのが、頭部とかま(胸鰭・腹鰭まわり)で、この部分を兜という。骨が多くて食べにくいが、その労力に値倍するほどうまい。料理とは時間を食べるものだ、と思っている。骨と骨の間の身をほじくりほじくり、じっくり長々と、ちまちま食べると、ゆったりしたときが過ごせる。その点からしても兜の煮つけは優れている。赤いハチジョウアカムツの兜煮は、絢爛にして、見た目、雄壮でもある。皮と皮直下には脂の層があるので、煮つけるととろとろになる。身は繊維質で、箸でつまむとほぐれながら剥がれて、口の中に入れると脆弱に崩れる。身に脂が混在しているので一度液化しているのである。口に入れると体内温度でふたたび液化する。固体から半液体化するときに感じる甘さ、うま味の豊かさ、調味料の味と、食べながら自分の周りにおいしさの空間が生まれた気がしてくる。まずはこれにて5勺のご飯を食べて、昼を済ませる。午後は、机の上にそのまま置いて、おやつとして、お茶の友としてつまむつもりだった。夕方までもつな、と思ったら仕事でデータを受け取りに来た若い男子が、「欲しい」というので、残りを泣く泣くタッパーに入れてあげた。お楽しみはこれからだ、と思っていたんだけど……。「終いには骨湯(医者殺し)にするんだよ」。お礼にはまんじゅうがいいからね。

ときどき無性に本マが食べたくなる。ただ今のボクには、本マ(クロマグロ)は赤身ならなんとかなるが、脂の多い部分は最近重すぎる。これは明らかにデスクワークが長すぎるせいで、歳のせいではないと思っている。古今亭志ん生など死ぬまで毎日でも中トロだったらしいし、独特の茶漬けにするのも中トロだった。息子の馬生もそうだ。おでん屋で、中トロを食べておでんを食べないで帰ったことも多かったようだ。志ん生のように早く中トロがおいしいと思う体にもどりたいけど、フル回転の4月いっぱいはむりだ。さて、本マ(クロマグロの成魚)の尾に近い部分が安いのは赤身だし、筋が多いからだ。ただ本マの筋の際には味があるのである。初日はなんとか平造りに近い形になったが、決して感心できるような見た目にはならなかった。でも脂が思った以上に乗っていて、半中トロ的な味がした。いちばん下(尾に近い部分)だって本マは本マだ。高清水本醸造、燗酒うまし、春の宵。

秋田県男鹿市船川の漁師、近藤亮さんにワカメをいただいた。男鹿のワカメは、鮮度がいいことはもちろん、葉先・茎は柔らかく、めかぶはよくねばり、でとてもいいワカメだ。以上は前にも書いた。たくさんいただいたので、いろんな料理を作った。東京風のそばつゆがあったので、お昼は温かいそばにしようと思った。そこで作ったのが、ワカメの天ぷらである。惣菜として売られているのを見た事もあるが、我が家のものはちょっとだけ違っている。衣がぼってり厚いものが多いが、できるだけ薄い衣で口に入れると非常にもろいのである。ちょっと儚い感じだけど、さくさく、さくりと崩れて香ばしい。後からワカメの香りがふわーんと来る。

獅子文六(岩田豊雄 1893-1969)名義の『飲み・食い・書く』は学生の頃、単行本を古書店で買い、文庫本をこれまた古書店で買った。「食べ物本」は作家によっては資料として読める人と、読めない人がいるが、獅子文六は前者の代表格だ。慶應出身なのに文章に久保田万太郎のような慶應臭さがない。そこに、マルセイユではサバの塩焼きにレモンをかけて食べるというのがある。これとそっくりそのままを、1980年代に米軍住宅で見ている。フランス生まれの、米軍の事務官(?)の母親は、ひとりだけ魚を夕食に食べていた。たぶんメカジキの塩焼き(グリルパンで焼いたもの)で、カイエンヌペッパーとレモンを1個丸々かけて食べていた。ボクはデジタルカメラ以前にこの塩焼きにレモン、白コショウもしくはカイエンヌペッパーをかける、という写真を何種類もの魚で撮影していた。ただ、2、3日かけてデジタルデータを見直しても、この塩焼きレモンの画像が見つからない。なので撮り直している。今回はハチジョウアカムツの塩焼きにレモンである。個人的感想だけど、この国では「塩焼きには大根おろしとかしょうが」だけど、改めてレモンの方がおいしいと思った。3切れを2日間かけて食べ比べてみたが、レモン・カイエンヌペッパーよりもレモン・白コショウの方がいい。あまりにもおいしいので、当分、魚の塩焼きはこのフランス風の食べ方でやろうと決めた。

沖縄のウミンチュの食事に、ときどき登場するのがミツカンすし酢である。すぐ真似をするボクは、すぐにスーパーに行き、買った。ちょうど同じ頃、迷子になった画像を大捜索していて面白い画像を発見した。群馬県中之条町のバアチャンに、コイの話(もちろん恋の話ではない)を聞いたときのものだ。台所で「酢のものも、すしも全部これじゃ」と見せてもらったのが、1升瓶入りのすし酢(ミツカンではない)だったのだ。そのとき「漬物(作り)にも使うよ」と言われたはず。戦前生まれは、とても合理的なのだ。ちなみに本来酢のものは保存食で、1週間くらいにわたって食べるものだ。ボクの故郷である徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の隣町美馬町の、親戚の家で、何度も酢のものを食べているが、やはり作り置いたものだった。きゅうりとワカメ、ちりめんじゃこの酢のものが多かったが、ワカメなど茶色に変色していたが、子供のボクがいつもお代わりするくらいのおいしさだった。ボクは、魚料理にグルメとか通とか、こだわりは無用で邪魔なものだと思っている。こつこつ地道にちゃんと、いちいち加減酢を作ってもいいが、この便利なすし酢などもっと活用すべき、料理は最短を目指せ、なのだ。ということで、ヤナギダコの酢のものを作るのにミツカンすし酢を使ってみた。ゆでたてのヤナギダコをミツカンすし酢に漬け込んで、4日後(いつもは翌日)から数日かけて食べた。仕上げにゆでたワカメと和えるだけだけど、ワカメは秋田県男鹿市船川の漁師、近藤亮さんにいただいたものだ。いつもはそのときどきに三杯酢を作っているが、ミツカンすし酢で十分かもと、深夜酒用の小鉢にしてみて考えた。なにしろ3月、4月はやたらにあわただしい。手抜きは、とてもいいことだ。さすがに大きな会社が作るもので、ミツカンすし酢の味は万人向けである。嫌みはなく、ヤナギダコを差し置いて出しゃばることもない。実にいい小鉢ものとなって、夜酒のいい友となる。この量で3日間楽しめた。酒は、いただきものの「剣菱」で体が冷え冷えなので熱燗にする。

小笠原は今や21世紀の江戸前といっても間違いではない。その父島からきたので、江戸前のハチジョウアカムツだ。ちょっとくどくなるけど、ハチジョウアカムツは東京を代表する高級魚でもある。刺身は、近所の小学生の言葉を借りると、鉄板の味である。絶対にハズレがない。小笠原の魚は船便なので鮮度的にはやや落ちる。ただし、小笠原の魚には白身が多いので、仲卸に並んで、買っても数日は刺身になる。同じ江戸前でも伊豆諸島のものは鮮度がいいものの、値段も当然、非常に高く、清水の舞台から飛び降りるつもりで買わなければならない。個人的には高いことは高いけれど、小笠原で十分だ。さて、まずは尾の部分の刺身である。細長い魚は尾がおいしい。おいしい部分から食べるのがボクの仕儀なので、本能の赴くままに尾から食らう。もちろんいちばん脂のない部分なので口溶け感はない。でも口に入れた途端にどばーっとうま味が、口の容積の3倍くらいに膨らむ。そして筋っぽいのだけど、この筋の歯触りが素晴らしい。筋と言っても硬いわけではない。噛んでいると味が出てくる。刺身一切れで、味の交響曲を聴き終わった感じがする。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に神奈川県横浜市、小柴から小振りのマダイがきていた。中にチダイが混ざっていたので、比較のために買った。魚は日常的に計測して撮影しているので、そのためでもある。チダイはあれこれ作ったが、マダイのことを忘れていた。ちなみに今回のマダイは体長25cm・436gと小振り、産卵郡ではないようで、非常によいものであった。放置すること5日間、皮霜造りにしよう、などと考えていたことが思い出される。水洗いしてはいたので、後は簡単である。大急ぎで多めの振り塩をする。半日ほど冷蔵庫で寝かせる。表面に出て来た水分を拭き取り、あとはじっくりと時間をかけて焼き上げる、だけだ。

千葉県鴨川産のカイワリは1尾焼き、1尾天ぷらにし、2尾刺身にした。そして最後の2尾はなんにしようかな? と思っていたときに、秋田県男鹿市船川の漁師、近藤亮さんからワカメが届いた。ワカメを見たら頭に「料理の絵」が浮かんできた。ありがとうございますとしか言いようがない。ワカメでもいろいろ作るつもりだけど、まずは炊き合わせに使う。カイワリのおいしさを吸収してもらうのである。煮つけるとカイワリから「おいしい」が出る。ワカメを食べると、ワカメの「おいしい」よりも、カイワリの「おいしい」が感じられたりする。ほんの数分、一緒にたいただけでワカメからも「おいしい」が出るが、カイワリはガンコで意固地である。カイワリはどこまでもカイワリの味だけで、煮汁をからめるとやっとワカメのうまさがからまる。スーパースターなので仕方がないやも知れない。カイワリ、ワカメは炊き合わせても、合わさらない部分があるから「炊き合わせ」という料理なのである。融合しないことで料理の存在感が一回り大きくなる。それじゃー、私は、と、のらぼうの蕾が言いそうである。このほどよい苦味と甘味、植物持つ清涼感で、意外に存在感が強い。こう言った存在をたき合わせの「合いの手」、という。不思議なもので、魚介類の炊き合わせは、一般家庭では、どちらかというと春のものである。蛇足だけど、ブリ大根やスルメイカと里芋のように、煮込んで融合しているものを炊き合わせとは言わない。独立性が希薄だからだ。

千八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウに新島沖の小さなユメカサゴをもらう。ありがとう。たな(水深)は500mだというが、キンメダイ釣りの胴付き仕掛けなのでもう少し上だろう。ユメカサゴは150mあたりでも釣れるので、生息水深の幅があることがわかる。

今、白貝問題にのめり込んでいる。何度挑戦してもよくわからない。なにしろ、この白貝(マルスダレガイ目ニッコウガイ科サラガイ属)の同定の検索項目(種に行き着くための項目)をなんとかしないと、永遠に謎で終わりそうである。今年になって、そろそろ撮影画像が1000を超えるが、やっと形態的な特徴がわかってきた。考えてみると、この白貝問題とは、すでに30年も取っ組み合いのケンカをしている。それだけに我が家にはいつも白貝がある。さて、二枚貝と野菜を合わせて、炒めると非常においしい。取り分け白貝(今回のものはほぼアラスジサラガイ)はアサリなどと比べると軟体(貝殻以外の部分)が大きいので野菜炒めにとても向いている。二枚貝と炒めた野菜はすこぶるつきにうまい。野菜の味が白貝のうま味を吸って激変する。もちろん炒めた白貝だっておいしいのだけど、野菜を食べるための料理だと思うべきだろう。この日の昼定食は、白貝の野菜炒め、若布汁(ソウダ・さば節だしの醤油汁)、奈良漬け、ヨーグルト、そしてご飯なのでデブに優しい献立である。

一般的に北海道産「つぶ」とされる巻き貝は、エゾボラ属の巻き貝達である。日本列島周辺に生息しているが、水揚げ量は北海道がいちばん多い。このエゾボラ属の同定は難しく、自分なりに検索項目を作るしかない。念のためにエゾボラモドキに関して、貝類学者とボクの間には、あくまでも貝殻の形態のでの話だが、考え方が異なる。この肩に板状の盛り上がりがある個体は、典型的なエゾボラモドキだと思っている。このエゾボラ属の刺身はここ数年高くなりすぎて食べられなかった。やっと値が落ち着いての刺身である。それにしてもエゾボラモドキの刺身は食感が強く、甘味や貝らしい風味が豊かである。サザエとは違って、磯の香りというものではなく、ただただ軟体類の持つうま味が堪能出来る。残念なことに、つぶの刺身には日本酒しかない。致し方なく、酒をやるが、辛口がいいと思っている。といっても東京都内では至って普通に売られている、長野県諏訪市、真澄 銀撰である。

千葉県鴨川市を説明するのは意外に難しい。例えば関東以外の、東海地方以西の人に「鴨川市」と言っても誰もわからないと思う。「京都の話」などとなりかねない。素晴らしい海があり、観光施設もあるので、関東での知名度はそれほど低くないが、魚と結びつくのは水産関係者くらいかも知れない。ただ、関東に住んでいるなら、鴨川市は新鮮な魚の供給地であり、そこでとれる魚は関東にとっての地物だ、という認識があってもいいと思っている。月曜日の魚なので、鮮度抜群とは言えないが、真っ先に刺身が頭に浮かぶくらいには、いい。市場で買って、帰宅後すぐに水洗い。三枚に下ろし、保存して置く。これを昼に刺身にして、刺身定食にする。カイワリは市場で買っているので、比較的手頃な値段である。定食などといいながら、懐に優しい値段のカイワリ刺身と、野菜サラダと赤だしのみそ汁の、ごくつましい昼ご飯である。3月末のカイワリはそんなに脂が豊かではない。なので、口溶け感からくる甘味こそ少ないものの、口に入れた瞬間にうま味が口中にぱーっと広がる。おいしさの口の中での滞在時間の長いことと、うま味の豊かさは、大小で表すしかないが、間違いなく大の味である。ご飯の友は塩分もそうだが、味わいが豊かで強くないと務まらないが、カイワリ140gほどが2尾で、二杯飯が食べられるくらいうまい。そんなにいい時季でもないのにこんなにおいしくてもいいの、と問いたくなる。きっと4月も半ばになると、カイワリ1尾で二杯飯になるだろう。

値段が気になるのでスルメイカは大小交えて買っている。基本的に大きいのは雌、小さいのは雄だ。スルメイカの真子(卵巣)はヤリイカと比べると落ちるが、比べなければ非常においしい。産地がわかりにくいのが難点だが、だんだん真子が膨らんでくる。スルメイカの足のつけ根が頭だ。この頭と足(げそ)と、真子、触腕(他の腕よりも長く、小魚などを捕らえるためのもの)、鰓などなどいろんな部分が混ざり合った煮つけの味からして楽しい。刺身などにした残り全部をただ煮つけただけの、雑雑しいおいしさだ。ちなみに今ボクは甘い誘惑に弱いときを迎えている。ひょっとしたら秋田県人よりもあまいもん好きかも知れない。でもこの甘っ辛いしょうゆ味こそが日本列島の味だという気がしてきた。ちなみに合わせたのは、ご飯で、次ぎもご飯。こんどは日本酒の友にするつもりだ。

関東では「白貝(しろがい)」と呼ばれていて、近縁種のサラガイと区別しない。ホッキガイ漁などでの混獲物である。ちなみに漁獲されているサラガイの仲間はサラガイ、アラスジサラガイ、ベニザラガイの3種とされているが、ベニザラガイは流通上みていない。この3種の検索項目は混乱している。個人的には早く北海道の専門家と話し合い、この検索項目の混乱を整理したい。さて、ちなみにサラガイとアラスジサラガイの味は同じである。アラスジサラガイの方が大きいので刺身などにしやすい。ちなみに刺身といってもすし種の青柳(バカガイ)同様に軽く火を通している。さて、非常にくせのない、甘味がちな味で、食感は弱い。これをもの足りないと感じるか、食べやすいと感じるかは個人個人の領域である。若いとき、青柳と比べて鈍い味わいに、どうにも食指が動かなかった。本種をとても好きな友人がいて、昔、みつけると刺身にして届けていたことがあるが、一緒に食べている内に本種のおだやかなおいしさが好ましく思えてきた。これは今も変わらない。だから本種を見つけると、真っ先に刺身を作る。これで酒をやると、とてもいい時間が過ごせる。ついでに、意外に本種で食べる、ご飯がおいしいこともつけ加えておく。

タイトルからいきなり俳句は変だけど、日々、スルメイカを買っては量り、値段を記録していると頭が春色に染まって浮かれてくる。だからいろんな料理を作るのだけど、天ぷらのおいしさを、ここ半年で改めて知った気がする。イカ類の天ぷらというと、厚みが必要なので、取り分け都内の高級天ぷら店などでは、アオリイカか「墨いか(コウイカ)」になる。たぶん、庶民的な店でもスルメイカは避けて、冷凍のコウイカ類(一般的にはモンゴウイカという)を使うのだと思う。スルメイカの天ぷらを出すのは居酒屋くらいだろう。そんな主流じゃないスルメイカの天ぷらが、こんなにおいしいとは思わなかった。ちゃんと軟体類らしい甘みがあるし、夏を通すことでぷんとスルメイカの持ち味である風味が生きてくる。

活ジメを甘くみすぎていたかも知れない。1日半寝かしたので、そんなに硬くないと思って、やや薄め程度に切りつけたが、明らかに薄造りにすべきだった。寝かしが足りなかった気もする。フグの刺身は寝かしが、重要だと改めて思った。この見極めの悪さは初ものだからである。これからさんざんヒガンフグを食べることになる。どんどん食べ巧者になるはずだ。それにしても厚めに切って、少々硬いものの、ヒガンフグには味がある。噛めば噛むほどうま味がじわりじわりとくる。せっかく用意した酒が邪魔になるうまさで、2枚、3枚をじっくり噛みしめて、口中のうま味を流さないで楽しんだ。春が漁の盛期で、旬と考えてもいい、ヒガンフグは、春は盛の恵みでもある。余談になるが、我が家には4合瓶に移し替えた、かなりお高い福島県南会津町、「花泉 瑞鮮」と、長野県諏訪の「真澄 銀撰」という普通酒がある。なぜか普通酒の方がきゅんと辛口でヒガンフグには合う。ちなみにボクは酒グルメでもないし、いい舌を持っているだけでもない、ことだけは言ったおきたいけれど。ちなみにフグ科で高級魚なのはトラフグだけだ。ほかのフグは丸のままの状態はそんなに高くないし、みがき(毒の除去)の手間賃を出しても、懐が寒くなるようなことはない。もっと気軽に、日常的に、食べようぜ、フグ。

神奈川県小田原魚市場、二宮定置にわけていただいたマアジは、あまりにもてんやわんやだったので、煮つけ、塩焼きにした。いつもながらに、まことまことに、ありがとう。持ち帰ってすぐに頭部を落として腹を出し、尾鰭をちょんと落とす。振り塩をして1時間程度置き、表面に出た水分を拭き取り、ビニール袋に入れて冷蔵庫と冷凍庫に1尾ずつ保存する。振り塩さえしておけば冷凍保存しても大丈夫な出あることは、おぼえておくと便利だ。これをご飯時にじっくり焼き上げる。3月22日に冷蔵庫保存のを食べて、冷凍庫で1週間以上保存したマアジを焼いて、残念ではあるがこれにておしまい。余談になるがマアジの頭を落とすと、もったいないとか、クレームをよこす人がいるが、はっきりいって愚か者である。そのときどきの状況でいちばんいいやり方、楽なやり方で仕込むべし。ついでに魚の置き方は、左右手前向逆でもボク的にはどうでもいいと思っている。古事記などを引き合いに出す人がいるが、大和王権がそんなバカなことを残すはずがない。「海背川腹」の原則は、伊勢参りが一部地域で人気が出た江戸時代中期以降のこと。あくまでも料理店だけでの原則を一般家庭に持ち込むのはだめだ。特に頭を落としたときなど、いちばん普及している安いガスコンロのグリルで焼いているので、きれいに焼き上がった方が上でいいのである。料理に「で、なければいけない」ということはない。一般人は料理に「で、なければいけない」などという専門家は排除すべし。一般人の料理は自由自在がいい。

イカ類の「げその刺身」で、いちばんおいしいのはコウイカで柔らかくうま味がある。ヤリイカ科の中で唯一げそが大きいアオリイカは、少し硬めだがうま味はいちばん強い。その他のヤリイカ科はげそが小さいのが難点だが、味はいい。いちばん「げその刺身」に向いていないのがアカイカ科で、その代表格がスルメイカだ。スルメイカの「げその刺身」を作る人は少ないのではないか?なぜなら硬いからである。個人的にはこの硬さがいい。噛み砕くのに時間がかかるけど、その間、延々と味が楽しめる。げそは胴以上に味がある、ということに気づくはずだ。ちなみに硬いけど、消化が悪いわけではないと思っている。深夜酒をやるときには、この「げその刺身」はとても合う。深夜に我を忘れてニチャニチャ噛み、噛みする。正一合の酒をちびりちびりとやる。ひとりぼっちも悪くないなー。

神奈川県小田原魚市場、二宮定置の水揚げの中に小さなアンコウがいた。トラフグにがぶりとやられた痕が、実に痛々しい。がぶりとやられると、競りに出せないという意味での未利用魚だが、この傷み具合なら漁師さんなどが自宅で食べられる、という意味では利用魚である。ちなみにボクはアンコウ類(キアンコウ、アンコウ)を見ると唾液腺が開く。

おさかな365以上日記 和歌山県メカジキを大根と煮る近所のスーパーで和歌山県産生メカジキの「あら」を見つけて買った。「あら」というよりも「切り落とし」だ。やや高値だけど、捨てるところがなく、500g弱も入っているのはドテラくお買い得である。話は変わるが、30代に食べ物の好みが変わった。変わったと言うよりも、奇なもの、上等そうなもの、世間でうまいとされているものの裏側がすけて見えるようになり、好みがの幅が極端に広くなったと言った方がいい。たぶんその当時のことだ。徳島県美馬郡美馬町(現美馬市)の従姉妹の家で昼ご飯を食べた。父方の従兄弟・従姉妹の中で二番目に下なので、例えば従兄弟・従姉妹といっても上は団塊の世代とか、たぶん戦前生まれもいる。特に最年長の従姉妹は、年齢からして阿波西部っ子そのものである。「こんなもん食べんじゃろな」と、大根とじゃこ(煮干し)の煮つけを出してくれた。これがあまりにもおいしくて、大鉢いっぱい全部食べてしまったのだ。こんなことなどなどが、きっかけで美味は平凡(日常)にこそあり、平凡にうまいものは作りやすいものだが、それだけに得がたいものだと気づく。以後、従姉妹の料理の味に惚れているけど、故郷に帰れない。

今回も神奈川県小田原魚市場、二宮定置の水揚げを見ていたら、ボラが揚がっていた。2、3箱(発泡の箱にボラだけを詰め込んだ状態)作れそうだが、首折れ(首を折って活け締め)にできそうなのと、野締めがあった。選別台にボラを見つけて野締めかなと触ったら、まだ生きていそうなものを見つけて、Kai くんに首を、といったら怪訝そうな顔をした。やはりお亡くなりになっていたようだ。体長41cm・972gなので大きさ的には手頃である。やはりボクには魚を見極める才がない。このあたりどうしても二宮定置の若い衆とかKai くんと嫌でも比べてしまう、われぞ悲しき。ただし、当たり前だけど、鮮度抜群。二宮沖の浅場のものだろうから磯ボラとしてもいいだろう。小田原では磯(岩礁域)にいるボラの方がおいしい、とされている。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産のジュニアが、「これいりませんか?」と和歌山県新宮市三輪崎港産ブリの白子をくれた。横目で見た、ブリの片身に脂がありありと見える。白子自体がまだ未成熟である。和歌山県のブリはまだまだいけそうである。ちなみに今どきの無闇矢鱈の金持ちにとってのブリの旬は12月、1月だけど、庶民のブリの旬は気象庁の春である3月、4月、5月と秋の9月、10月、11月だ。要するにボクにとってのブリの旬は、まだまだこれから、だ。

だしは3日に1回くらいとる。そんなに頻繁にとらないのは、一人暮らしだからだ。それでも1年間に100回以上はとっているので、だしがらがぎょうさん出る。節類だと、ときどきふりかけにするし、煎ってお好み焼きの友にする。昆布は素揚げでパリパリにして、ぱりぱり食べたり、佃煮にする。さてだしの後の昆布は捨てることもあるものの、できるだけ冷凍保存して置くが、これも今、それなりにたまっているついでに言えば、ただいま、部屋の隅っこなどからなぜか出てくる黒糖の、消費月間なのである。紅茶にも黒糖だし、例えばトビウオ類の煮つけにも黒糖を使うが、それでも使い切れない。このところ不如意につき、使い続けている日高昆布(ミツイシコンブ)のだしがらと黒糖で、佃煮を作る。昆布はまだ凍っている状態でヒモ状に切る。切っている間に解凍する。だしを取るときに半日水に漬け少し煮出すことと、冷凍することで柔らかくなっている。それでも硬いので、最初に酒と多めの水で煮る。ほとんど水がなくなったら、酒・黒糖、濃口醤油(普通の砂糖のときは、たまり醤油と濃口醤油を半々)、しょうがのせん切りを入れて煮上げる。仕上げにみりんを加えて出来上がり。

ふとなんとなく深夜に酔っ払いたくなるときがある。こんなとき日本酒だとやたら飲み過ぎるので、常には飲まなぬ種類の酒を探す。冷蔵庫の隅っこに「Croft」の瓶が2本もあった。都心に出たときスーパーで特売していた酒で、名前買いしたのだ。封を切ってみて、シェリーだと気がついたくらいなので、アンダルシア地方だとかなんとかは、この時点では知らなかった。甘いもん好きなので、シェリーだけは必ず備蓄していた、その頃の名残かも知れぬ。冷凍庫に開いたトリガイを見つける。千葉県産トリガイで、18個もあったため、一度に食べきれず冷凍したのだ。トリガイで、シェリーで深夜酒というと、スペインのちょいつま、アヒージョかな。室温でもどしたトリガイに塩コショウする。これを小型の鉄のパン(カスエラなんてものは使わない)に入れる。大量のにんにく、三重県尾鷲市の辛い青唐辛子、虎の尾をちょぼっとだけ。多めのオリーブオイルを加えて火をつけて強火で作りあげる。ディルを散らして、出来上がり、だ。ド深夜、PCは寝ているし、ボクの頭はぼーっとしているし。うんと久しぶりにサッシ窓のレールに座布団を敷き、夜風にあたりながら、始める。アヒージョは、主役のトリガイとは関係なく、にんにくの香りが素晴らしい。シェリーは小さなグラスで飲むのが正しいとは知りながら、大グラスに満たして飲む。アヒージョの香りが、たぶんこれまた邪道のよく冷えたシェリーとよく合う。トリガイをつまむ、シェリーを飲む、の合間にトリガイの甘さと、弾力と、弾力の末の軟体動物のうま味とがくる。これを冷たいシェリーが流し去る。あっと言う間にトリガイが消えたら、これからが本番。これまた冷凍保存しておいた、食パンを軽くトーストしたもので、鉄のパンに残ったオリーブオイルを拭き、にんにくをパンに乗せて食べる。大グラスのシェリーをもういっぱい飲む。アヒージョの、主役は、オリーブオイルかも、なんて何も見えない夜空にぽつり。

近所のスーパーにやけにスマートな鹿児島県産マイワシが並んでいた。鹿児島県産は西日本のスーパーでは何度か見ているが、東京都内で見るのは初めてだ。非常に安いのもあり、買ってみた。体長20cm・80g前後なので中羽だ。鹿児島県産なのに鮮度がいいのは、脂がないので体が硬く締まっているためだ。下ろしてみると生殖巣が縮んでいる。そして脂がないことからすると、産卵後なのかも知れない。鹿児島県の知人に聞いたら、鹿児島県北部東シナ海側の巻き網ものではないかという。巻き網の恐いところは今どき、マイワシなどは飼料として人気があるので、とればとるほどお金になることだ。漁師も仕事なので仕方がないが、この飼料の高騰は浮き魚(サバやイワシ類)などの乱獲の原因になる。その一部が鮮魚流通したのだと思われる。今、資源の保全を考える上で大切なことは小規模漁業を大切にし、大規模な巻き網などはしっかり規制することだと思っているので、残念でもある。

デブなので「めかぶ(ワカメの生殖細胞が集まった部分でフリル状)」をよく買う。痩せたいと言うよりも、体調のためかも知れない。先週土曜日にスーパーで買った江ノ島産の「めかぶ」は柔らかくて、たたけばたたくほど粘り気が出て、非常にねばうまかった。「めかぶ」の魅力はねばだけど、海藻のおいしさも感じられる。

神奈川県小田原市、小田原魚市場の活魚槽に、生きている天然もののヒオウギを見つけて、思わず興奮した。過去に左右揃いの死貝はいただいている。磯に入るのが好きで入れそうなら必ず入って、磯の生き物を探す。ヒオウギは探しても、探しても、見つからない。まるで小船のようである。同じように探しに探していたチリボタンを見つけたとき、次はヒオウギだ、と思って20年以上経っている。そしてしかも、今回の個体は非常に大きく、殻長135mmもある。たぶん、サザエ、イセエビの刺し網のものらしくナガニシと一緒に活かされていた。見つけたからと言って手に入るとは限らない。さんの水産になんどもお願いして競っていただく。言うなれば他力本願での採取だが、競り落とせたとき、素直に「わーい!」 と飛び上がる。

ときどき人がもらした言葉をテキスト化している。昨年5月に、八王子総合卸売センター、八百角の社長が大きな「うるい(オオバギボウシ)」を手に取って、「もう野菜ですよ」と言った。山菜の中でもあまりくせがなく、流通量が比較的多い。もちろんほぼ総て栽培したものだ。ちなみに市場から少し車を走らせれば天然ものがいとも簡単に手に入るけど、やはり買った方が早い。トリガイに合わせる山菜(ぜんぶ栽培したもの)は浅葱やギョウジャニンニクでは強すぎるし、甘草の甘味は合わない。つらつら考えるに手に入れやすさからすると、「こごみ(クサソテツ)」もしくは、「うるい」だと考えている。もちろんときどきやってくるヨブスマソウやモミジガサもいいだろうが、日常的とは言いがたい。ようするにトリガイには比較的、くせのない山菜が合うと考えているのだ。ということで八百角で特売していた、「うるい」をゆでてトリガイに添え、辛子酢みそをとろり。意外だけど、こんな料理ともいえない料理が一般家庭には似合う、と思っている。辛子酢みそは市販のもので十分だけど、みそ・酢・砂糖・錬った辛子・場合によっては水を合わせて自分好みに作ってもいい。トリガイはわさび醤油で徹頭徹尾食うのもいいが、酢みそで食べてもおいしい。トリガイときどき「うるい」もいいし、「うるい」ときどきトリガイもいい。酒は、ボクには上等すぎる、福島県南会津町、「花泉」を5勺だけ。

今回のメバルの標準和名の話は一般の方達とはなんら関係がない。ボクは水産生物は選択的に食べるのではなく、できるだけたくさんの種類を食べることが、自然に優しいと思っているが、今回のメバル3種を見分ける必要まではないだろう。3種の味は変わらない、それでも見分け方を知りたかったら最後まで読んでいただきたい。年年歳歳、メバルがマイナーな存在となっている。昔、都内の料理店などで、メバルの塩焼きはとても上等なものだった。それが今では、一目で上等だと思う人はほとんどいなくなっている。嗜好の変化もあるが、魚の価値観が伝承されなかったからだ。昔々、なぜ上等だと思われていたのか、小さい魚なので丸々でてきて硬い骨はあるものの、焼いた香りも、身質も、そして身の味も上等だったからだ。今回のメバル(標準和名シロメバル)などうまいを通り越している。焼いているそばから、わくわくしてくる。今回は発見があった。頭部を口に放り込んでもごもごしていると、唐突にどろっと強いうま味が吹き出してくるのだ。これを脳みその味というとあまりにも曲がないので、隠れわたとする。実にお手頃な値段であったが、入合で来なければ2倍はしたはず。なんとか先々、入合で来ても、正箱(同じ種類の魚で3㎏から5㎏揃えて入っている)と同じ値段にならないか、と思っている。さて、塩焼きでご飯がやたらおいしい、今日この頃だ。昔はここに揚げ物が欲しいな、なんて思ったものだが、おいしい塩焼きがあれば、みそ汁があるだけで、ありがたや、ありがたや♪ なのだ。

魚が減っているのは乱獲のせいだというバカがいる。こんなに漁師が減っているし、船も減っているのに乱獲はないだろう。このバカどもは何もんじゃろう?魚の減少も困るけど、漁業者、産地の水産業者、大卸、仲卸、魚屋なども絶滅危惧業種なのにもっとしっかり考えろよ。養殖だけがどんどん増えていくが、これも豊漁の国から大量にエサを輸入して営んでいる。地球破壊の要因でしかない。はやくミールワームとかコオロギを使いなさい。なんて考えながら、市場に魚がないので保存材料をあさる。ちなみに水産生物はたっぷりあったり、まったくなかったりの大波小波があるからよい。安定的に供給するなんてクソ食らえだ。ちなみに世界中の特色ある料理は、この大波小波があったために生まれたのだ。なんてまたまた考えながら、冷凍のヤリイカげそと、温室栽培のフキを食べている自分がいる。でもフキは売れないと、すぐに安くなる。貧乏に苦しんでいるので、加温している温室ものだと知りながら手がついつい出るのである。この愛知県産のフキはアクがすくないので、水さらし時間も最低限でいい。フキを湯がいてさらして、冷凍保存して置いたヤリイカの胴の端っこやゲソとちゃっちゃ茶畑といいながら炒める。ウルトラ深夜というか朝に作るときはこんなものがうれしい。本当はスルメイカの方が炒めて味があるが、ヤリイカ雌のげそもいい味だしているではないか。しかも、ちゃんといかにもイカらしい風味がある。柔らかいのもいい。醤油とみりんだけの味つけなのに、味に奥行きがあるのはフキという非常に優れた野菜だからだろう。ああ、早く露地物のフキが来ないか、なーー。酒は、午前2時過ぎなので、福島県南会津町、「花泉」を5勺だけ。もち米を使った酒だというが、ボク流の表現だが、味が大きい。複雑でしかも後味がいいのがボク好み。

東京は神保町、小川町、一橋など深夜族の多い町で仕事を始めた。いくつかの仕事場にはそれぞれ深夜(朝)、食事をするところがあり、そこに集う人達の業種はぐちゃぐちゃ混ぜこぜだった。中華に、和食に、喫茶店(カフェなんて言葉なかった気がする)などなどで、その喫茶店的なところで初めて食べたのがエスカベーシュだ。品書きにはエスカベーシュとあった。そのときスペイン生まれ、育ちで、横浜のものすごいお嬢様学校出で、就職が神保町という生粋の日本人女子が、「エスカベーシュは間違っているわ」と言ったのよ♪エスカベッシュ、エスカベーシュ、エスカベッチェ(間違っているかも)などなど、この当時すでにオバハン、オヤジだった人たちが侃々諤々とやり始めた。食い気に走りながら、「いろんなことを知っててハイカラな人達じゃのー」、と思ったものだ。ボクは勝手に西洋式南蛮漬けと呼びたい。

カレー粉を魚に振るのは臭い消し、だと言ったバカな料理研究家がいた。臭い消しでもあるが、それよりも数倍、魚に合うから振るカレー粉なのである。ということで、今回のマイワシのフライにも大活躍。揚げたてを食べるのはちょっとだけ危険である。表面のパン粉の香ばしさにだまされて、大かじりしようものなら液化した脂が溶岩の如く舌を焼く。ふうふうしならが食べようね、といいながら食べる。島根県浜田沖のマイワシは脂乗っているぞ! とたまには島根県のサクラがごとき雄叫びを上げみる。サクラとの違いは本当の感嘆符であることだ。ちなみに画像を撮ったのは、おやつに揚げたフライの1枚を昼ご飯に残して置いたもの。揚げたてもおいしいけど、この脂がまた固まったのも、やたらにうまい。この冷めたものを食べると、微かにしてくるのがカレーの風味である。口の中に広がる、背の青い魚のうま味によくマッチする。アジフライよりもイワシフライと思う一瞬である。もちろん逆もある。マイワシには非常に豊かなうま味がある。この豊かなうま味と脂こそが酸化して嫌みになる原因だったけど、今現在の流通ではそれがない。マイワシは、もっとも万人向きの魚になっているのである。

3月も半ばなのに、ワカサギを焼きながら熱い内に食べるなんて冬がましいことをやっている。今年の春の寒さと、突然の暖かさに体がついて行けない。疲れているので、カセットコンロの火にすら癒やされる。さて、焼き上がりに山椒を振って食べると、醤油の香りのすぐ後から、ワカサギの淡水魚を思わせる独特の風味が口の中を満たす。真子がほくほくして甘いのもうれしい。ワカサギは塩焼きもおいしいけど、どちらかというと醤油との相性がいい。丸かじりして身の甘味とわたの苦味、真子のほくほくした感じが一緒になる。柔らかな骨の存在も味の内である。こいつはちょっと焼きすぎたかな? なんて独りごちながら食べるのも時間を楽しんでいることになるのかも。久しぶりに、福島県南会津町、「花泉」を燗つけて飲む。冷や酒、冷やし酒は冬と夏と秋に、燗酒は春かな、なんて無意味なことも思いながら、ときの過ぎゆくままに、だ。

貝の春とはいうが、この場合の貝とは内湾の干潟・浅場にいる二枚貝のことをさす。バカガイ(青柳)、ハマグリ、アカガイ、サルボウ、マテガイ、そしてトリガイなどだ。気象庁の春の初めの月、3月になると現実に二枚貝に春、を感じてしまう。さて、千葉県産トリガイの産地は木更津か富津あたりだろうか? 昔は船橋からも入荷していたがどうなんだろう。トリガイだけではなく干潟や浅い内湾の二枚貝は年々減少している。明らかに自然破壊が原因である。なにしろ、海辺の開発、埋めててはやり放題、し放題なのに、水産物の減少を乱獲とか温暖化のせいにしてしまう愚か者ばかりなのである。だから、めったに来ないし、来ても高すぎるが、その高すぎるトリガイに思わず手が伸びる。とんぼ(小さすぎてそのままゆでるしかないサイズ)ではなく、開けるサイズが1袋に18個なので、お買い得だった。トリガイの仕込みは楽しい。出来上がりをすぐに食べるのはとてもうれしい。取り立てて個性のある味ではなく、甘味と食感がほどよい。この食感の表現が難しい。弾力があるのに程よく噛み切ることができる。足の表面からも甘味が感じられるが、噛むとより甘い。あまりにも春らしい味なので、ちょっと高い酒、福島県南会津町、「花泉」を5勺だけ。

窓を開けたら、ちょっとだけ春の風が感じられて、真下には満開の紅梅である。梅が咲いたら日本海のマイワシがやって来る。昔、知り合いの外人(マスコミの差別用語だけどドナルド・キーンは考えすぎだと思う)に都内神保町の魚専門の定食屋『魚玉』の前で、「魚を焼く臭いは大嫌いだ(日本語で)」と言われたことがある。大羽イワシを焼きながら、「魚の焼ける匂いは大好きだ」と独りごちる。

マッシュポテトをみずべで♪ が子供の頃わからなかった。「マッシュポテト(さん)を見つめて」だと勘違いしていたことがある。弘田三枝子のヴァケーションは長い間忘れていて、大人になって、訳詞(ほぼ作詞)、漣健児(草野昌一)特集の、企画の下働きの下働きをしたときに初めて、このまったく意味のない言語の羅列を知った。それではマッシュポテトとはなんだろう? と思って麻布のナショナルストアでそのマッシュポテトを買ったけど、こんなものをアメリカ人は食っているのかとビックリした憶えがある。さて、ちなみにその頃、住んでいたそばに米軍住宅があり、仲良くなった家族の家でときどき、ご飯を食べていた。そこでゆでたジャガイモと牛乳と大量のバターで作るポテトをおぼえた。それがマッシュポテトかどうかわからないけど、以後、ずーっと我が家の定番料理である。タラ類(チゴダラ科、タラ科、ソコダラ科)が手に入ったときなど、このポテトに加えて練り上げている。これがウルトラ簡単な料理なのである。よくよく考えてみれば、アメリカ人が手の込んだ料理など作るはずがない。ブイ・アイ・シー・エイ・シー・ア・オ・エー♪ なんて歌いながらあっと言う間に作れる。これが端的にうまいのである。ご飯ではなくパンの友だけど、これでビールもまんざらではない。口の中でとろける感があって非常にうまい。

3月上旬、富山県魚津市、田中智宏さん(好栄丸)からソウハチが届いた。神経締めをし、胃洗浄をしており、血抜きは完璧といったものだった。ソウハチガレイは、日本海や東北太平洋側から北にいるカレイで、消費地では鮮魚よりも干ものとして馴染み深いものである。このカレイの刺身のおいしさは過去に島根県大田市、丸貴商店さんに教わって味だけは知っていた。ただし底曳きで揚がった野締めで鮮度はその場ではいいにしても、遠路、島根から帰り着いて食べたので、単なる味見でしかなかった。また新潟県上越市でも食べた。かなり大きな衝撃を受けたが盛り合わせの中の二切れでしかない。

イシガキダイの小型にはほんの少し磯臭さがある。皮目をあぶるとその磯臭さが前面に、これまたほんの少し出てくる。これを柑橘類とさらした玉ねぎ、からし菜で感じなくする。またこの植物の辛味がこの磯魚の味にプラスに働いてくれる。今回、しょうがも添えてみたが無用だった。あぶったイシガキダイの1切れの味わいの複雑さ、奥深さは他に類をみない。皮の香ばしさに、この皮自体の食感と味、その真下にちょっとだけ液体化した脂が層をなしている。その上、身に甘味とうま味がある。味があばれて、どんちゃん騒ぎというか、あちゃらかというか、喉を通り過ぎるまでが実に騒がしい。なのに後味が軽く、一瞬だけ味の余韻が感じられて無になる。この繰り返しがとても楽しい。今回合わせた「菊水新米新種 ふなくち」の味が強すぎて合わなかった。次回合わせるなら、がつんと辛口の、一本調子の酒かも。

粉山椒を振りながら、春よ来い、てな感じで♪、♪、♪どちらかというとTime time time ♪ かな、外は雪なので、とか♪、♪、♪冷凍しておいた銚子産マダイの腹骨周りを取り出して、テーブル上で焼く。軽く振り塩をしてから冷凍したものなので、みりん3・醤油1くらいのつけだれを塗りながら仕上げる。焼き上がって、そして粉山椒だけど、直売所に山椒の葉が並ぶのはいつなんだろう? と思いながら振ると、相馬御風からサイモンへと音が飛ぶという話である。歳のせいだと思うけど、最近、こんな物思いしがちな日々だし、こんなちょっぴりの酒の肴がうれしい。腹にたまらずおいしく酒の飲める量だ。腐っても鯛とまでは思わないが、その端の端っこまで食べ尽くせる。腹骨まわりがやたらに印象深い。骨周りの身は適度に締まっていて、強いうま味がある。ここに発酵調味料である、みりんと醤油で強すぎる味になってしまいそうだが、後味がいいので屋上屋を架すといった感がない。それにしても、こんな小さな2切れなのに、栃木県の『惣誉』正一合はやりすぎでござりまする。ついでに、ついでに、マダイの1本買いはやすいでもござりまする。

「蛤酒」の檜舞台、花見時はもうすぐそこまで来ている。標準和名、ハマグリは様々な文様があることで、「花蛤」というくらいなので、花見に飲むといい。花散る下で「蛤酒」をやる、なんてのは人生のゴールデンタイムかも。「蛤酒」の、ハマグリと日本酒とどっちが主役か、と問われれば両方だ、と答えたい。どっちが勝ってもダメだ。このハマグリの、強いうま味を受け取った日本酒のおいしさは文字に出来ない。ハマグリの吸物よりも遙かにうまい。かといって酒だけを飲み干しては行けない。少し飲んで、今度はハマグリの身と一緒にすする。代わり番こに飲み、食べるのがいい。大酒飲みなら1つのハマグリを酒で煮直して2杯酒をやってもいいだろう。3個で三杯酒などは贅沢の極みだ。ちなみに今回の酒は栃木県の「天鷹 本醸造」である。高い酒ではなくこのあたりで作るのがいちばんうまい。念のために桜はまだかいな、なら梅見でやってもいい。

流通上、関東で「白魚(しらうお)」として売られているのはイシカワシラウオとシラウオの2種である。シラウオの方が成長すると大きいものの、2種はとてもよく似ていて、区別をつけるのは難しい。イシカワシラウオは海に、シラウオは汽水域にいる。棲んでいる水域は違っても味はほとんど変わらない。味があまり違わないので、魚類に興味がなければ、同種と考えてもいい。ということで、イシカワシラウオの刺身は、単に「白魚の刺身」と考えたらいい。晩秋11月から春4月にかけて漁が行われているので、「しらうお」として売られているものを慎重に同定しながら探すと、見つかる可能性大である。イシカワシラウオの味の特徴は、透明でひ弱な姿にも関わらず、うま味・独特の風味が強く、食感も強いということだろう。ワカサギやシシャモに近い魚なので、どこかしら淡水域の風味を感じるという共通点もある。心地よい食感の後に来るのが、苦味である。春が盛漁期で、その春に一番感じたい苦味が持ち味の魚なのだから愛されるに決まっている。イシカワシラウオの刺身でご飯もあり、だけどやはり酒だな。

愛知県の豆味噌のみそ汁が続いている。ボクの生まれたところは米味噌地域なので、豆味噌のみそ汁を作るたびに、これでいいのかな? と思ったりする。みそは近所で手に入る、愛知県岡崎の老舗のものか、名古屋の大手イチビキのもので、今あるのはイチビキの「赤だし」である。豆味噌のみそ汁は連続して作るとだんだんおいしく作れるようになるが、ちょっと作らないでいるとへたになる。今、ものすごくおいしく作れてるのは、ここ1週間作り続けているため。おいしい豆味噌のみそ汁を立て続けに飲んでいると、岐阜・愛知・三重3県の人になったような気になる。我が家のだしは素人で一般家庭なのでその日その日で変わる。忙しいときはだしの素だって使う。今現在は、煮干しはひらご(マイワシ)、節は「宗田薄削り節(めじか節とも。原材料はマルソウダ)」と「さば節(ゴマサバ)」である。節のだしのときは基本的に「さば節」多めで、「宗田節」少なめ。でも、「さば節」がほぼなくなり、「宗田節」がたくさん残ってしまって、ほぼ「宗田節」のだしを取ったら作る、みそ汁が変わってくる。普段、みそ汁は米麹味噌で作るが、豆みそ(大豆麹、大豆味噌)になる。昆布は今高すぎて苦しみ抜いているので、安い日高昆布を使い続けている。もう50年近く、だしに関してはこんなことをやっているが、節でとるだしの用途は変わらない。まれに上のだしもとるが、日常のだしの方が、今現在のボクには難しい。

開いた貝殻から飛び出してきた軟体に目を見張る。春らしい光景といってもいいだろう。ふっくらと膨らんでしかも液体に満ちている。間髪を入れず口に放り込んだら嵩があり、噛むと柔らかい。この柔らかくて甘くて、終いに甘いのが来て、に、まさに春だなと思う。ちょうど我が窓の下には紅梅が咲き始めている。音楽のないボクの脳みそにも、もうすぐ春ですね♪ ではなく、春よ♪ が聞こえてくる。おんもに出たい、と思ってしまう味でもある。やはり内湾性のハマグリは最高、と思ったが、先日食べたチョウセンハマグリもおいしさが脳みそに残っているので、心が揺れる揺れる。酒は抜きのつもりが蒸し煮した汁にグラッパを落として、ちょっとだけ。このちょっとだけがうまい。

近所のスーパーで長崎県産ユメカサゴを買った。長崎県産体長27.5cm・534gで大振りなのに意外なほど安い。近年、カサゴ亜目の魚で安定的に高いのはキチジ、メヌケ類(オオサガ、アコウダイなど)だけで、その他は値を下げ始めている。切り身にならないので手が伸びないのだと思われる。ついでに言えば煮つけを作る人の減少が大きい。

大振りのマガキの剥き身と、小振り剥き身があって、朝っぱらから「なぜ、この前(2月20日)、ボクが大きいものを買ったか」という話を魚屋のおっちゃんと話していた。料理屋と魚屋では剥き身の大きさの好みが違う、という話から始まってずるずると長話をする。ボクの場合、いちばん作りたかったのが、つけ焼きだったから大振りの剥き身に飛びついたのだ。ていねいに水分をきったのを強火で焼く。醤油とみりんとたれをつけて焼き上げる。焼けるそばから山椒を振って食べる、というのは贅沢だけど年に一度はやらかしたいものだと、思っている。

富山湾より1日早く、今年の初ホタルイカは2月28日の相模湾二宮沖、二宮定置のものとあいなった。たった1ぱいだけだけど、それでも初ものには違いない。口の中にぽいっと放り込んだら、ちゃんとワタのおいしさ、身の甘さが楽しめた。初もの七五日などという。「こいつぁー春から縁起が、い、い、やっ」。

八王子総合卸売センター、八百角では、白菜やキャベツが高くて、なぜか菜の花の特売をしている。ここ数年、菜の花を買い忘れて、気がついたら「のらぼう(多摩地区などの薹立ち菜)」、「かき菜」などということがある。特売に手が出る、のは貧乏だからだ。墨イカ(コウイカ)を買って、菜の花を買って、無機質な部屋に春を呼び込みたい。菜の花は苦味こそだと思いながら、げその甘味と弾力を楽しむ。伊良湖の墨イカが滅法よくて、滅法うまい。げそに味があるし、膨らみがある。イカのうまさの表現は難しいが、噛めば噛むほど口の中に豊かなうま味と、豊かな甘味で満ちる。菜の花の苦味と調和する。そうだ、春は苦味というが、味の調和こそ、春だ。酒は栃木県の「惣誉」のぬる燗を5勺だけ。ボクって禁欲的やも知れぬ。

日日ワカメの葉をみそ汁しして、茎は佃煮にする。ワカメは春にやってきて、春のものなのに、春がましくない。どこか冬をはらんで淋しい気持ちになるが、これはボクだけかも知れない。ワカメは葉のみそ汁よりも佃煮がいいな、なんて思う今日この頃だ。みそ汁は毎食だけど、佃煮はすぐなくなってしまう。そう言えば最近、八王子では茎だけの袋を見ない。自宅で作ると薄味にできるのがいい。比較的茎の柔らかい今作る佃煮は、非常においしい。口中に感じる海藻らしい風味もいい。ワカメのみそ汁にワカメの茎の佃煮で、陸のものは福島県南会津町岩下の雪の下の大根煮。ご飯少なめ。

2月22日に作ったマダイの尾鰭酒を26日に投稿しようとしているが、急に温かくなって熱旨の話が不思議な気がする。また寒くなるのかどうかわからないけど、こんな料理もあります、ということで。体中が冷え切り、とりわけ足元が冷え氷のような日だったので、保存して置いた尾の干ものを取り出す。これを文字打ちをしながら1時間以上かけてあぶる。ちょっと目を外したすきに軽く焦がしてしまったけれど、身のある部分からも尾鰭の皮膜からもとてもいい香りがする。ここに沸点に達した栃木県の「惣誉 特別本醸造」をかけまわす。ラップをして3、4分まって飲み始める。強いうま味が加わった辛口の酒が体をずんと温かくしてくれる。焼いたマダイのうま味が鼻に酒の香とともに抜ける。尾鰭酒とはしたが、主役は酒ではない。塩気の強い尾が主役であり、これを少しずつこそげ取っては食べる。酒と一緒に口に流し込む。おいしいマダイの干ものを食べながら酔っ払える、というところがみそだ。ちなみにこれで2合はやれる。

学校はお茶の水だった。下ると神保町があり、そこには多くの古書新刊の本屋あり、本の卸問屋あり、多くの出版社が密集する本の街だった。なんとなく、そのまま40年以上、まるで暮らすように仕事を致すこととあいなった。あたり一帯、帰宅は朝という職場だらけだったので、そこここに深夜に食事がとれる、酒が飲める小さな店があった。その一軒でよく食べていたのがフリッターである。豚肉、エビ、カキ(マガキ)の3種類しかなく、カウンターに座るととりあえずビールとフリッターだった。作っているのを見て、自宅でも作るようになった。なにしろ小麦粉と塩とビールだけの簡単な衣で揚げるだけ。コショウの缶と小さなフォークと、セットでやってきたが、パセリだけが飾りっ気だった。ある日の昼下がり、机に大量の資料を並べ、整理をしながら昼ご飯を作る。冷蔵庫をのぞいたら、ご飯なく、パンなく、麺なくで、あるのはマガキの剥き身だけだった。困り果てた挙げ句に久しぶりに神保町でおぼえたフリッターを作る。思い立って出来上がりまで、約10分だから簡単至極。フリッターといっていいのかどうかわからないが、限りなく薄い衣と、マガキの間の空白感がやたらに好きだ。空白といっていいのかどうか。衣がべったりマガキに付着していない状態がいいのだ。もちろん衣はさわっと歯音がするくらい香ばしく、マガキはとても豊潤でうま味の塊そのものである。昼間なのでビールではなく冷やした凍頂烏龍茶だけど、いい昼ご飯だな、と思いながら食べる。

意外に千葉県銚子産マダイは珍しい。銚子でマダイというと、4月以降の大ダイというイメージが強い。銚子産の、このサイズを買うのは初めてかも知れない。同市外川はマダイ釣りでも有名である。きっと豊洲などにはもっと頻繁に入荷をみているのだと思われる。あまり馴染みがない銚子産を生でいろいろ食べてみた。

二杯酢だけで柚子も加えず、青みもなくと、実にシンプルな酢ガキを作った。最近、あれこれやり過ぎている気がしていたのもある。この単純な二杯酢の酢ガキが普通以上にうまい。今回の宮城県松島産のマガキは、身の膨らみが強く、濃厚なうま味としっかりした食感が楽しめた。無駄なことは、やらずもがなだったということもある。小浜の壺仕込みの酢も、上越市の濃口醤油も、ともに香りも味も強いのに、じゃまどころか、役不足に感じるほどマガキがうまい。やはりこの水切りしてくる剥きガキは、少々高くても買いだな、なんて思った。鬼下ろしで下ろし、粗く大小あり過ぎの大根がこれまたやけにうまいのも発見だった。盛り付けてボウルに残ったものまで食べていたら、意外に主役を食っていたのかもと感じたほどだ。この二杯酢の酢ガキなどというものは、本来、至って日常的なものでしかないが、上等の剥きガキ、上等の調味料、上等の大根を使うと、ハレがましい味となる。

北大路魯山人は、ご飯が多い茶漬けを「労働者の茶漬け」としていた、と記憶する。理想的なのは少量のご飯に魚の漬けを乗せて、熱い粉茶(粉末状の緑茶で茶こしに入れて熱湯をそそいでいれる)を注いだもの。魯山人のやり方の方が確かにうまいと思う。でも忙しない日々に、そんな悠長なことはしていられない。念のために魯山人は、「労働者の茶漬け」を否定してはいない。しかも、労働者は『男はつらいよ』の台詞通り、差別的なものでもない。ボクの茶漬けは明らかに「労働者の茶漬け」であり、おまけにチンしたご飯だし、緑茶の番茶だし、焼霜造り、皮霜造り、酢締め、刺身が混ざった漬けなのだから、「騒がしい茶漬け」とでもして置こう。ちなみに魯山人の作品や、一部考え方は好きだけど、ご本人自体は狷介すぎて嫌いである。

ボクのときどきのいいわけ、をば。鹿児島の田中水産さんから、ゴマサバが1月21日に送られて来た。触っただけで、すごいとわかるもので、なんだろう? と田中さんのメッセージを見たら、南さつま市坊津、「双剣鯖(そうけんさば)」だった。釣りサバであり、生け簀で活け越して締めて出荷しているものだ。

箸ではなくスプーンでしゃくってはご飯にのせて食べる。といきたいところだけど、あまりにもビールな気分になってしまったので、真っ昼間なのに誰かが置いていった、350ml缶を開けてしまった。室温だけど、その室温が玄関先の温度なので摂氏12度で、意外にこれが最近のボク好みのビールの飲み頃温度なのだ。もちろん季節にもよるがビールを冷やすのを止めて2ヶ月目のボクでした。黒星といわれるおいしいビールである。こげたみそだけでも御馳走なのである。でもみそだけなめたらあかん、ワラサの身とみそを混ぜながら食べる。くせのないちょっともの足りないワラサが、だからこそみそと馴染んで味わい深い。両方で塩気が調節できるのも素敵だ。ビール1缶ではもの足りないけど、基本的に昼飲みはやらないので諦める。泣きたいけど、しゃなな♪ なのだ。5勺のご飯に乗せて食べたら、こっちの方がビールを超えておいしい。甘辛いみそだけでも、充分ご飯の友になるが、ワラサが加わるといい伴侶になる。飯1合は食べすぎなので諦めて、食後にみかん1つ。お前は小学生か?

いきなり話の寄り道、「きんき(キチジ)は昔から安かったのか」について。1960年代まで、新橋(現山手線新橋駅)から築地までルノー(ルノーとは限らなくて背の高い車だったらしい)と呼ばれた乗り合いタクシーがあった。この乗り合いタクシーで仕入れに行っていたという、すし職人によく昔の話を聞いたものである。「きんき」については、〈(1950年代)新橋の食堂で「きんきの煮つけ」を何度か食べたことがあるが、高くもなかったけど、それなりの値段だったよ〉この食堂は何を食べてもうまかったが、煮つけで有名だったらしい。そのときの新橋の食堂の味は〈サッカリンの甘い醤油味〉だったけど、無闇にうまかったらしい。いろんな人に「きんき」の値段について聞取しているが、「きんきは昔はとても安かった」とは簡単には言い切れないところがある。東京都内で蒲鉾になったり、釧路で大正時代(1912-1926)に肥料にしていた記録が残っているが、釧路の場合の問題点は流通である。明治以来、東京都内への魚の供給で重要なのが東北本線であり、常磐線である。ともに「きんき」の産地につながっており、東京都での「きんき」の歴史は古い。さて、最近、「きんきの煮つけ」は上品な味よりも、こってり甘辛いのがよくなっている。今回の、50g〜100gの大小入り交じりも煮つけも甘辛こってり矢鱈にうまい。肝など濃厚な味なのに、後味が軽い。肝の味がすーっと消えてなくなるのに人生のむなしさを感じる。そして、ボクのようなデブにとって、「きんきの煮つけ」でご飯、くらい恐いことはない。まさかの二合飯、だったかも知れない。

雪の中に行くつもりが行けない。自宅で待っているだけの苦しいとき、せめて白梅一輪ほどの春が欲しい。初めて食べたときからの青柳好きなので、合わせる植物(野菜・山菜)の増える時季になると、毎日でも青柳のぬたが作りたくなる。だから冬枯れの市場で青柳(バカガイ)の剥き身を買い、辛子のきいた酢みそを作り、が頭に浮かぶ。なんて思ったら八百屋に合わせるものがない。水産物も枯れているが、それ以上に八百屋の店先が淋しい。青柳と言ったら浅葱か分葱だけど、ともにない。探しに探して、今現在のボクには奇遇にも、会津産のたらの芽を見つけたことはいいものの、青柳と同じくらいの値段がする。明らかに時期尚早なれど、青柳とたらの芽のぬた(酢みそ和え)はうまい。青柳の渋甘さとたらの芽の植物の苦味、辛子の辛味に心が癒える。ともに口の中で長々とうまいのが残るのもいい。これを酒で洗い流すのがもったいなくなる。春の味を楽しみながらも、部屋は厳寒なので、新潟県上越市、頚城酒造の「久比岐」本醸造を正一合を久しぶりに温める。

今月2個体目のマアジは兵庫県淡路島産で、たぶん沼島の船がとったものだと思われる。沼島のマアジは漁にさえ出て、入荷してきたものはすべておいしい。でも脂が乗り始めるのは、4月になってからで10月になるとがくんと脂が抜ける。念のために。沼島の南海域でも固体差があるようで、マアジの難しさはそのあたりにあることも忘れてはならない。さて、春をいちばん感じるのがマアジだろう。今回の個体は、ややというか微かにだけれど、味の上昇傾向が感じられる。脂はあまりないものの、身に強い張りがあり、うま味が豊富である。早くマアジの春がこないかな? と思いながら食べるといいかも。ちなみに、午前2時から画像整理をしているので、午後1時なのに新潟県上越市、頚城酒造の「久比岐」本醸造をコップ半分だけ。

上りガツオはもういない、下りガツオもちょっと怪しい。季節感がなくなったカツオだけど、ときどき上りガツオのような食べ方がしてみたくなる。昔々、初夏に北上する駿河湾、相模湾のカツオでしかやれないのが、銀皮造りでああった。でも今じゃ、季節とは無関係に小型のカツオが売られている。銀皮造りにも季節感が感じられなくなっている。さて、熊野灘の小ガツオの銀皮造りの皮付きの尾に近い端っこを味見した。2キロものなので、皮は柔らかく、2キロものなのに、ほどほどに脂があり、うま味豊かだ。久しぶりに当たりくじを引いたやも知れぬ。

「オレはこの町中で一番、不器用と言われた子供」だったので、魚料理と言っても単純で誰でも作れるものが好き、というか複雑な料理は作れない。魚料理で取り分け好きなのが塩焼きである。塩焼きを作れない人は絶対にいないと思う。そして、イサキと言われたら、塩焼きと答える人が多いはずで、イサキにいちばん合う料理が、魚料理のイロハのイである塩焼きだというところが、イサキのよさだろう。だから不器用なボクにとってもイサキは特別な魚である。冬枯れの2月に取り出した伝家の宝刀とも言えそうなのが、イサキのかまに振り塩をしたもので、冷凍保存して置いたものだ。振り塩をして味を馴染ませておけば冷凍しても劣化しにくい。実際に室温でもどして焼くととてもいい香りが漂ってくる。手づかみでむしゃむしゃ食べると、馴染んだ塩気とイサキならではの風味が押し寄せてくる。ヨットなら風をはらんだといった感じだと思う。もちろんヨットよりも漁船の方が好きだけど。口の中にイサキのいい香りとうま味が満ちる。これを都心の深夜スーパーで買った、缶のジントニックで流す。疲れているときはこんな異な味の酒もよい、と思うな。

年が明けてから(2025年になってから)ずーっと魚がない状況が続いている。冷凍保存の魚も枯渇寸前である。そのまさに、最後の最後がヒラメの腹部だ。小田原魚市場で買ったヒラメは卵巣を抱えていた。真子はオレンジ色をしていて卵粒が小さくて未成熟である。小振りではあるが、この未成熟の状態がいちばんおいしいと思っている。やや強めの塩をしておいたので、水分がしっかり抜けている。焼き上がりがとてもキレイである。このような歪な塩焼きは箸で食べてはならない。あちち、といいながら手づかみで食べるといい。香だけでも御馳走である。時季のヒラメなので脂がある、当然、焼いても身は柔らかい。この身に甘味がある。もちろん真子だってほの甘く、ちょっとだけ硫黄のような香りがして、強いうま味もある。逢魔が時の外気温は摂氏4度しかない。非常に寒い部屋で、あまり冷えていないビールをやる。久しぶりに飲む本物は、妙高高原アルペンブリックビールという変に長ったらしい名のピルスナーだ(最近、何がピルスナーじゃと思っている)。ビールには詳しくないが、あまり冷えすぎていないからこそ、ビールはおいしい。逢魔が時が過ぎて、皿には中骨だけしか残っていない。肋骨・血管棘は何処にいったやら。

1月31日、小田原魚市場にあったアカナマコには「このこ」がたっぷり入っていた。「こ」はナマコのことで、「こ」は「子」で卵巣のことである。消化管がほとんどなく体いっぱいに卵巣を抱えていたので、消化管は掃除して一緒に塩で和えた。

日本全国市場は冬枯れだと思っている。去年もそうだったし、一昨年もこの時季は枯れていた。せっかく八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に行ったので、何か買って帰りたいと思ったとき、何気なく目についたのが、ワラサである。体長68cm・4.4kg、触った感じからして決してよい、とは思えない代物である。でも、安い。「半身でいいかな?」ということで半身買いする。歩留まりを考えると、最近安値安定しているマイワシよりも安い。それにしてもこんなに安くて、いろんな料理に使えるのに、なぜワラサは売れないのだろう。

神奈川県小田原、小田原魚市場でニセタカサゴとタカサゴを見つけると、必ず手に入れるようにしている。今回もスーパー ヤオマサ、ナイトウさんにお願いして場内に1尾だけいたのを頂いてきた。昨年10月からは4個体目のニセタカサゴである。ちなみに両種を見つけるのは簡単なのでそれぞれのページを見て頂きたい。この偽とか偽じゃないのとか、おかしな標準和名も気になるし、ニセタカサゴ、タカサゴがクマササハナムロ属なもの気になる。特に気になるのが相模湾での両種の関係である。徹底的に手に入れては撮影、計測しているにはわけがあるのだ。この話は非常に長くなるので、置いておいて。このタカサゴ類(ニセタカサゴ、タカサゴ)は沖縄県で「ぐるくん」、もしくは「かぶくゎやー」、「むそーり」などと呼ばれていて沖縄県の県魚にもなっているが、沖縄で揚がるものよりも相模湾で揚がるものの方がうまい、気がしている。沖縄でうんとたくさん食べたわけではないが、相模湾の個体は冬でも脂があり、実にうま味が豊かなのだ。

水産生物を調べているので、スーパーはよく見て回る。気になるものがあると必ず買う。1月最後の日に気になったのがギンダラである。もちろん国産ではなくアメリカから冷凍輸入されたもの。なぜ、気になったのか?数字ではなく、直感的に、安いな、と思ったからだ。詳しい数字はあげられないが、隣にあった、関東で最も庶民的なアサバガレイと比べても、極端な差がない。たぶん、安定的に高いギンダラと、徐々に値を上げつつある国産の魚との差が縮まっているのである。1切れ100gの切り身の表面の水分を念のために拭き取り、振り塩をする。本種のように解凍したものにせよ、鮮魚の切り身にせよ、買い物から帰り、もしも塩焼きにするなら、必ず振り塩をして置くべきだ。食べない分はこのまま1時間以上寝かせて、表面に出て来た水分を拭き取り、ラップして冷凍すると半月は保つ。

いきなり寄り道の寄り道。ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)は北上すると険しい山越えになるけど、山を越えたらすぐそこが香川県である。距離的には徳島市内よりも遙かに近い。ただ、徳島市内にはよく行ったものだが、香川県高松は通り過ぎるだけだったり、海岸寺に海水浴に行くだけだったり。学生時代、上京するとき、徳島本線で池田駅で土讃線に乗り替え、高松に出て、宇高連絡線で岡山、そして新幹線で東京だった。このとき何度か高松駅で途中下車して街歩きをした。瀬戸内海の魚を売る魚屋があったためだ。そのとき手に入れたのがハナツメタ(タマガイ科の二枚貝)であり、アカマテガイである。高松駅からたぶん瓦駅方向に歩くと、その魚屋があったので帰郷する度に魚屋をのぞいたものである。その近くにあったうどん屋で普通の天ぷらうどんを食べていたら、そこにオッチャンがきて天ぷらをもらってソースをかけて食べた。ボクの家では醤油だった。「おっちゃん、それ、醤油とちゃうんで」と言いかけて、ひょっとしたら高松市内の普通かも知れない、だってテーブルにソースが置いてある、と言葉を飲んだ。さて、2000年前後、観音寺に水揚げを見に行って、普通の家庭で朝ご飯を食べた。昨日の天ぷらを温めて、恐るべきことに「ソースかけるよ」と大皿にウスターソースをかけたのだ。もっとあと大阪天神橋筋の居酒屋で、昼ご飯兼昼酒をやっていたら、となりのオッチャンが「えびの天ぷら」にじゃぶじゃぶ持参の泥ソースをかけていた。そんなん辛すぎで食べられんのとちゃうん、と思ったけど、それが大阪の普通なんだと思ったのであった。豊中市の豊南市場でも天ぷらにソースを目撃している。天ぷら専門店はいざ知らず、家庭ではどんなに上品な上物でも自由自在、融通無碍に食べるべし、かも。

神奈川県小田原魚市場でヒラメを見ていたら、まさか買うんですか?(ボクの場合、買受人に競ってもらうということで、直に買うわけではない)と、何人かの買い受け人に意外そうに聞かれた。「もちろん買います! 買います!」たまには普通のおいしい魚だって「買います!」。この日の小田原魚市場にはうまい魚が五万とあったけど、ボクが心底食べたいと思ったのはヒラメなのである。というような話をした朝、競ってもらったのが体長42cm・1.1kgのヒラメである。ぎりぎりヒラメといったサイズけど身に厚みがある。それほど大きいわけではないが、エイヤ! と気合いを入れないと買えない値段に競り上がった。持ち帰ってすぐに下ろそうと思ったら魚体が非常に柔らかい。夕方になっても柔らかいのは死後硬直前だからだ。下ろしにくいのをがんばって下ろす。皮を引くときにも、刺身に切りつけるときにも、死んでもなお食われてたまるか、といった抵抗を感じ取る。抵抗しながら身は硬く締まるのである。

ほぐしては酢につけて、大根おろしをちょんとのせて食べる、を繰り返す。個人的には塩ゆでにしても塩焼きにしても、脂の強いときは酢を使う。今回の福井県小浜市とば屋店の「壺之酢」は、香りがとても軽いのに味に深みがある。酸度が低いのだろう、つんと来ない。ときどき赤酢を使っているが、こちらの方が使いやすいと感じた。それにしても岩手県のマイワシの脂の乗り具合ったら、名状しがたいレベルである。わたのほろ苦さも素敵だ。年末には千葉県銚子産があり、2月を前に岩手県で揚がる。日本中のどこかしらから、年がら年中、脂ののったマイワシが来る。マイワシのある日々は豊かな日々かも。本当はご飯のおかずにしようと思って塩焼きにしたけど、凍頂烏龍茶のお茶請けで完結してしまった。糖質抜きにも関わらず、とても満足度が高い。脂の乗ったマイワシの塩焼きってダイエットになるかも。

素焼きの味は抜群においしいけど、外套長は17cm〜22cmとばらばらで、子も少なめだった。なぜ素焼きか? イカ類は少ないながら塩気を持っており、基本的にそれだけで十分だからだ。さて、下ろしてまだ外套膜内に水分があるまま強火で焼くと、多少巻き込んで丸くなるのが難点だが、これを真っ直ぐにたわめながら強火で焼くと実にいい香りが立つ。できるだけ水分を落としながら焼き上げて適当に切る。ヤリイカの真子はおいしいものだが、今回はちょぼっとだけしかない。小さいけれどちゃんとほろほろして甘い。それでも初ものはウレシなのである。もちろん胴は柔らかくほどよい甘さである。上越市の「スキー正宗」をなめては、つまむ子持ちヤリイカ初ものに、季節は冬なれど、ちょっとだけ春を感じる。■料理は1月27日。

はるか昔の話になるが、オオサガ(本目抜け)は安い魚の代表的なものであった。三陸沖から北海道周辺で大量に揚がったので、安い煮魚や焼き物になった。築地場内の年寄りに聞いたところでは、もっとも安くておいしいお菜だったらしい。東京都内には粕漬けや漬け魚の名店が少なくなったとはいえ、いくつか残っている。その名店ですら、輸入ものののシルバーやシロヒラス、アラスカ産の目抜けやギンダラ、銀むつ(マゼランアイナメ)を使い始め、今やカーディナル(オオヤセムツ)を使ったりもする。

魚体に触ろうと荷(発泡スチロールの箱)に手を入れると、冷たいという以上に痛いくらいだったので、持ち帰っても硬い。三枚に引くと包丁が重い。硬くて重いニシンである。刺身に引いた時点で表面が滲み始めるのも厚岸の、冬のニシンの典型的なものだ。臭味がないのでご飯にのせては、ご飯と一緒に口の中に収納していく。さほど口に入れたと思わないのにボリュームを感じるのは、脂がとけて広がるせいである。久しぶりに刺身醤油をかけ回して、しょうがと和えてご飯にのせて食べる。今年になりずーとディスクにへばりついて不健康で重苦しい気持ちだったのが晴れる。やはり背の青い魚の遊泳能力から来る力が刺身一切れにこもっている。懐にも優しい、ってのがニシンのニシンらしいところであるし。

ボクは徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)生まれだ。今では貞光町と同じ町内であるが、ほんの少し前まで、半田町は隣町であって、半田素麺も隣町のものといった感じだった。もちろんボクの町でも素麺を作ってはいたが、半田に圧倒されていた。よく素麺を食べる町だったので、素麺は必ず常備していたものだが、米があまりとれない吉野川南岸だからかも。ボクの家は商売屋だったので配達のついでに、ときどき買いに立ち寄っていたのが杉本製麺である。ボクはグルメ的な人間ではなく、人に何かをすすめるということはない。この杉本製麺が半田素麺の中でもっともうまいとか、どうとかは考えたこともない。そんなことを考えること自体好きじゃない。先祖代々、杉本製麺だから、ここしか知らないとしか言いようがない。ちなみに同じ商店街の同級生の家で、同じように、一カ所の製麺所の素麺を買っている家があり、包装紙が違うのが、とても新鮮だったりもした。産地周辺なんてこんなものだ。一昨年、未知の方から大量の素麺をいただいた。長々と食べていた。それがなくなったので久しぶりにお願いして送ってもらったが、やはりこの太めでなければボクの口には合わない気がする。これじゃ細いうどんでしょ、というくらい素麺にしては太い。文句あるヤツはどんどん言って欲しいものだが、はやり食感といい、小麦の香りと言い、杉本製麺の素麺はうまし、だとボクは思っている。

ありえないことだと思うけど、鹿児島県鹿児島市鹿児島魚市場に揚がるキジハタが、瀬戸内海や相模湾で揚がる個体と違って見える。ハタ類の遺伝子のデータベース化は進んでいるとは思うが、たぶんまとまるのは先の先だろう。鹿児島の個体も、たぶんキジハタだろうとは思うけれど、気になって仕方がないので鹿児島市の田中水産さんに送ってもらい、撮影して味見してみた。厳寒期、鹿児島キジハタの味はいかがなりや?瀬戸内海でキジハタ(あこう)は夏の魚だ、という。相模湾などでは年中高値がつくものの、春から夏により需要が高くなる。個人的にはキジハタの旬は曖昧模糊だと考えている。

年末に終えることの出来なかった情報整理を新年に持ち越し、おまけにいくつかのよしなしごとをやり、PCにへばりついていたら、そのしわ寄せが脳みそにも来たし、足にもきた。やはりディスクワークのやりすぎはあきまへん。買い物に行けるわけでもなく、籠もり籠もりして、食料が底を着いたとき、鹿児島県鹿児島市、田中水産から好物が届いた。一時はなんにも食べられなかったのに、刺身にしたらご飯が食べられた。やはりマカジキは素晴らしい。屋久島と種子島周辺のもので、脂がのっているし、筋がほとんどない。舌に滑らかで、すいすい喉に消えていくが、うま味が非常豊かなので、1切れのインパクトが非常に強い。

料理をしたら、基本的に撮影をする。撮影終了で、醤油皿を置いた途端に半分が消えた。たまたま居合わせた食べ手が興奮して大食いを始めたのだ。仕事で来ているはずなのに、仕事を忘れている気がするが、ボクも一切れ食べて、その興奮するわけが、わかる。突出して脂があるわけではない。冬イサキで脂べっとり濃厚な個体がいるが、それと比べると脂は少なく、脂の口溶け感はない。でも味がある。イサキには回遊魚にはない磯魚の風味があるものだが、その独特の味が際立っている。写真は3人前のつもりが、2人前以上を2、3分で食べてしまった若い衆に、びっくりする。冬イサキの平均的な個体だが、魚を食べつけない若い衆を夢中にさせるほどの味だとも言えるだろう。冬イサキは売れないものだが、この味を知らぬは損かも。

このところ出稼ぎが多くて、落ち着かない。小田原魚市場(神奈川県小田原市)に行っても魚を買う暇がなかった。我が家は魚枯れ状態が続いている。こんなときに活躍するのが冷凍保存して置いた魚だ。北海道産マガレイ、千葉県銚子産イワシ、三重県産カツオの腹の部分、長崎県産スマの血合い部分と鰭際、産地不明マグロ(メバチ)の中骨部分などなど。去年、振り塩をして1時間以上(長い方がいい)置き、水分が出て来たのを拭き取って冷凍した。こうしておくと干さなくても、おいしい状態で保存できる。冷凍保存振り塩魚をいろいろ食べ比べてみたら、スマとカツオがダントツにウマスギだった。写真はカツオだが、おいしさを文字にしようとすると、懊・悩するほど。酒で口中を洗うのがおしくなるほどの味だった。脂はあまりないのだけれど、うま味成分が多すぎて口が破裂しそう。残念ながら忙しい日々が続いて、我が家の冷凍保存振り塩魚はゼロとなる。また備蓄にはげもうと思う。

12月28日に新潟市南区古川鮮魚から届いた、「赤ひげ(アキアミ)」の3分の1見当を塩漬けにした。たぶん塩分濃度は2パーセント以下だと思う。ちなみに我が家の「塩から」造りは計量しない。「赤ひげ」に塩を加えては混ぜ、味見して、こんなものかなと思ったところまで、なのでいい加減である。なれたな(食べられる状態)と思ったのが1月20日なので、そんなに長期に亘って熟成させたわけではない。ちなみに「塩から」は発酵食品ではない。熟成(アミノ酸などの分解)はするけれど、微生物が介在するわけではない。「塩なれ」と言ってもいいだろう。塩をして1週間くらいは容器にいれて、そのまま待つ。そこから2、3日に1度くらいかき混ぜる。容器をあけてエビらしい香りが立って、思わず身悶えすると出来上がりだ。この時点で数日様子を見て、冷凍する。そのまま酒のつまみにするときには、小さな小さな茶匙いっぱいで充分なので、1年くらいは保つ。ちなみに酒の肴とするとき、ボクは何もつけ加えたくない。しかも茶匙いっぱいをみみっちくちょっとずつ食べる。昔、テレビ番組で塩から(このわた)をうんとこさ口に入れて、うまいと言ったタレントを見ているが、ボクは邪道だと思っている。「このわた」など、東野英治郎のようにトントン、ペチャと食べるべし。ほんの少し舌に乗せる方が塩からの味をしっかりちゃんと楽しめる。誤解を招くといけないので、食べ方は自由に自在に。別に茶碗いっぱいの「赤ひげ」の塩辛を食べてもいいし、汁粉の口直しにつまんでもいい。ただし、「赤ひげ」の塩からは、ボクにとっては酒の肴という以上に、調味料なのである。例えば、ゆでたじゃがいもや蒸かしたサツマイモに乗せて食べる。キムチのように漬物に使う。酢の物の香りづけにする。などなどいろんなものに使える。

相模湾では「紅あこう」と呼ばれているオオサガは、今や国内でもっとも高い魚となっている。オオサガは東北地方の呼び名だが、三陸などでは「本めぬけ」とも呼ばれている。アコウダイと比べると赤が強く、見た目がスマートである。相模湾の1000m以上で釣れたものをいただいて、あれこれ料理している。せつなくなるくらいおいしいのだけど、見事に失敗することがある。

連休明けといってもボクとは関係がないが、仕事が立て込んで疲労困憊の14日は眠れない夜で、深夜酒にトラフグの鰭をあぶりはじめる。同時に熱燗以上の火が入るくらいの熱燗をつける。あぶった鰭を温めた厚手の湯飲みに入れて、熱燗をそそぐ。蓋をして1、2分待つ。火を入れてアルコール分を飛ばしたりはしない。湯飲みが火傷しそうなくらい熱いのでタオルにくるんでふう、ふう、ふう。特別、トラフグの鰭がうまいとも思わないけど、鰭酒ではいちばん安定しておいしい。この焦がした鰭の香りと、うま味を混ざりこませた熱燗に優る熱燗はないかもな、なんてことも考える。なんとなくもの足りなくて、もういっぱいと思ったら、背鰭がない。胸鰭2枚では弱いので、臀鰭も使って濃厚なのをふう、ふう、ふうする。本当は3ばいのはずが、2はいだけになり、納得のいかないヤな気分になる。あの肉厚の背鰭、どこに行ったんだろう?

みそと魚などの身を香辛野菜とたたく料理を「みそたたき」、千葉県を始め徳島県などで「なめろう」という。今回の血合いで作るものをメモでさかのぼって調べると、不思議なことにあまり「なめろう」を作らない、千葉県勝浦市で教わったことになっている。ということで、今回は千葉県の言語「なめろう」とする。ケンケンガツオは鮮度がいいので、血合いに臭味がない。むしろ豊かなうま味がある。みそ多めで、青唐辛子のピリっがあり、にんにくやしょうがの風味がある。ときどき酢(福井県小浜市『とば屋酢』の壺之酢)をかけて、食べ始めると止まらない。これじゃ、さんが焼きにする分が足りなくなるので、半分保存する。酒は新潟県妙高市、「鮎正宗」である。本醸造の飾り気のない味にso much 合う。久しぶりにアメリカ人と話したので(もちろん通訳ありで)、ついつい英語が出る出る。ちなみに刺身も作ったが、刺身をつまみながら、ときどき「なめろう」が成り立つのは味がまったく違うからだ。このみそとたたくというのは、だれが考えたのだろう、ボクならノーベル賞をあげたいな。