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コラム

秋田県雄物川町、雄物川の「ためっこ漁」3 ざっこの貝焼き

「ざっこの貝焼き」は「ざっこ」のみそ汁である。「貝焼き(かやき)」は東北や新潟県の言葉で、もともとはホタテガイの貝殻を鍋にして作る、醤油・みそ仕立ての料理のことだ。ヤツメウナギやホタテガイ、みそ仕立ての卵料理などがある。ここ秋田県旧館合村(現横手市雄物川町)でも、また古くは貝殻を鍋にして作っていたことから「貝焼き」なのだ、と思われる。
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秋田県雄物川町、雄物川の「ためっこ漁」2 ざっこ蒸

秋田県横手市雄物川町、佐藤政彦さんが作ってくれた「ざっこ蒸」は「ためっこ漁」でとれた「ざっこ」の大方を使って作る。「ざっこ蒸」は「塩蒸しざっこ」ともいう。柔らかくほどよい塩味で、内臓に苦味がある。けっして食べやすいものではないが、残して置きたい雄物川の冬の味覚である。
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秋田県横手市雄物川町、雄物川の「ためっこ漁」 1

2017年1月21日、秋田県横手市雄物川町、佐藤政彦さんの家に到着すると同時に川に向かう。佐藤政彦さんは1945年、旧館合村(雄物川の右岸、現薄井・大雄)で生まれる。農業を営みながら、春はウグイ漁、夏から秋にかけてはアユ漁、冬には「ためっこ漁」を行っている。雄物川方面を見ると一面の銀世界で冷たさに顔が凍る。除雪されている地域は人があるけるが、少し離れるととても歩いていけない、そんな雪深さだ。それでも佐藤さんたちは「暖かい日だな」などと笑っている。雄物川は直線距離にしたら目と鼻の先だが、川原まではとても歩いては行けない。大型トラックターに乗って向かう。「ためっこ漁」は佐藤さんを含めて3人で行う。秋田県山間部の厳冬期の漁で一人ではとてもできない集団で行うものだ。「ためっこ」は数カ所あるが、1日に1カ所ずつ上げていく。古くは雄物川の各所に、農家の人達の無数の「ためっこ」があったはずである。狙うのは「ざっこ」である。「ざっこ」とは「雑魚」のことで、主にコイ科の小魚のことで、特にウグイを指すのだと考えている。雄物川ではサケやコイに対しての言葉だと思う。貴重なたんぱく源である「ざっこ」をとる「ためっこ漁」はとても原始的なもので、歴史は非常に古いものと考えられる。コイ科の小魚は、石のくぼみや、水際の木が沈み込む周辺などにもぐり込む習性がある。これを利用したのが全国で行われているのが「柴漬け漁」である。「柴漬け漁」は木の枝などを束ねて沈めておき、魚がもぐり込みやすい環境を作る。これをゆっくり上げて、下にたも網などで受けて取る。この「柴漬け漁」を大がかりにし、固定化したものが「ためっこ漁」である。取り分け秋田などの北国では、冬季になると「ざっこ」は川の冷たさを避けて岸のよどみなどに集まる。そこに木の枝などを束ねたものがあると格好のねぐらだと思うのだろう。
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アカヤガラの丸太ん棒鍋

食べているときの絵を頭の中で想像して作った。アカヤガラは丸太ん棒にすると煮えるのに時間がかかる。その内にいいだしが出るし、身(筋肉)が柔らかくなる。ゆっくり急がずに食べる鍋だ。目の前で丸太がゆらゆらするのを見ながら、周りの野菜から食べ始める。比較的強い塩味(しおあじ)をつけているので、柑橘類を振るだけでいい。豆腐ですらちょっとだけ醤油をかけるだけだ。昆布だしの野菜や豆腐のうまさを堪能した後に、丸太ん棒を引き抜いて食べる。器に昆布だしと丸太ん棒をとり、くずしながら食べる。小骨がなく身離れがいいので、食べやすいところがいい。柑橘類(黄色いすだち)を搾りながら食べるだけで、実に味わい深い。丸太ん棒4個は凄いボリュームなのに、いつの間にか鍋は空っぽ。終いにはつゆ一滴もなきぞかなしき。
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今季初虎で鉄っさ

非常に昔昔、大阪で食べたトラフグの刺身、「鉄っさ」は最高だった。びっくりするほどの値段で、さほど年齢の違わない大蔵省(古い言い方)に「大丈夫?」と聞いたのだ。当時、二つ持っていた仕事の一つ分の月収と同じ支払いだった。そこの店主らしきひとが、「フグは薄う引こうと思えば引けるけど、やや厚めに引いてこそうまい」と説明していた。塩とすだちで、と言われて、比較的醤油系が好きなのに、確かに醤油の醸造香はいらないと思ったものだ。ボクが作る「鉄っさ」も厚めだ。もちろん意図的に厚めにしているわけではなく、これがやっとこさ、だけど。でもやはり「鉄っさ」は厚いのがうまいとしておきたい。こんなに淡泊で寝かせても少々硬めなのに、噛むという行為がこんなに楽しくていいのだろうか? と思うほど楽しい。なぜ、脂やイノシンなどうま味成分の少ない魚に豊かな味を感じるのか、そこにも謎がある。噛めば噛むほどおいしい。しかもやはりわさび醤油ではなく、唐辛子系がいいし、柑橘類は絶対に外せない。古くからの組み合わせだけど、なんて素晴らしいバランスなんだろう。年に何度もやれない贅沢で、一見、太閤秀吉的だけど、自分で造って自分で食うので、木下藤吉郎的やも知れぬ。
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なれずし探し近江の旅 湖産物編 赤こんにゃく

関西(滋賀県・三重県北部・京都府南部・大阪府北部)に行って見つけると買ってしまうもののひとつが「赤こんにゃく」だ。スーパーなどにあれば買うけど、そんなに気にしているわけでもない。滋賀県名物で、近江八幡市が発祥らしい。近江の有名人、豊臣秀次とか、織田信長とかの伝説があって、なぜ赤なのか? なぜ弁柄をいれたのか? が語られるが、だれでも作りそうなわかりやすい嘘ばかりだと思っている。こんにゃくが一般的になるのは18世紀からで、普通の食品となったのも18世紀からではないか? と考えているからだ。さて、その歴史はいかがわしいものの味はいい。赤い色素である弁柄の味は感じられるような、感じられないような。この滋賀県に展開するスーパー、平和堂で買った近江八幡市の『乃利松』のものは取り分けよくみる。他のメーカーと比較するほど食べていないが、とてもおいしい赤こんにゃくだと思っている。
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アカヤガラの湯引きは冬の味

12月はアカヤガラの時季である。いちばん味がよく、ハズレのない時季でもある。一年を通して味をみているが、今回の1.2kgも間違いなしの美味であった。ただし刺身は飽きた。焼霜造りも造りすぎたので、湯引きにする。長崎県などでは日々の味らしいが、刺身以上に日常に生かせそうな料理である。今回は柚子入りの辛子酢みそで食べた。この方が冬らしさが感じられていいし、たくさん食べても食べ飽きない。アカヤガラのおいしさは皮周辺にあり、がまざまざとわかる。面白いもので刺身だと生の味はそっけないのに、湯引きの中心部分の生はインパクトが強い。皮のおいしさ、熱を通した身のおいしさを通り越して、最後にトリがやる、ような感じがする。やけに箸が進み、酒も進む。虫の音もきえ、外気温は5℃、中の気温は16℃で大げさだけど、今季初ちゃんちゃんこなり。
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日本海舞鶴のメジナに冬を感じる

12月2日、舵丸水産に京都府舞鶴市からメジナが来ていた。舞鶴は丹後半島、若狭湾の京都の集積地である。今季初の日本海メジナは京都府産ということになる。日本海でメジナ揚がり始めたら冬である。季節を感じるために水産生物を調べている。急激に消えて行く日本列島の季節だけど、まだまだ季節を感じる魚はいる。今回はあまりにも多くの魚を抱えているので、初メジナを買うわけにもいかなかったが、次は買おう。そして、今年も、日本海では荒天のメジナに悩まされるときが来た、のだ。漁師さんへ、少しでも高値でメジナが売れることを祈りたい。■舵丸水産は、一般客に優しいので、ぜひ近くにお住まいの方は一度お寄り頂きたい。
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10分でシバエビ、エビチリ、そして飯飯

一匙口に入れて失敗に気づく。豆板醤の入れすぎで辛すぎである。数年前ならベスト辛さだったけど、反魂丹、陀羅尼助が欠かせなくなった今、かなりきつい、けどうまい。しかもご飯に合う。たまには辛いものをば、調子の悪い胃袋に放り込むのもいいかも知れぬ、なー、なんてご飯で辛味をおさえる。それにしてもこの甘辛く、ちょっとケチャップ酸っぱい味を考えた人は偉い。ちなみにこの作り方は昔々の『暮らしの手帖』で読んで自分なりに簡単で、油を使わないものに変えたもの、である。甜麺醤とかシャンタンはあったから使っただけで、これなど確実にジャズセッションの世界だ。ちょっとモンクが入っておりまする。最初に自分好みに味つけするので、だれだって作れるアホ料理である。問題は150円分のシバエビが、ぷるんとエビ甘くてウマスギることだ。この「エビチリ」を考えた人にこそ、国民栄誉賞をあげるべきで、今どきの安臭いヤカラにやっても仕方がない。小さな器の中のちょぼっとの「エビチリ」なのに、ご飯2杯も食ってしまった!カロリーオーバーじゃ。
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近江・若狭丁稚羊羹を探す旅03 塩津浜『御菓子処 石田』の紅白まんじゅう

小学校の卒業式でもらったような、もらわなかったような。そんなおぼろ気な記憶しかない「紅白まんじゅう」である。めったに食べる機会がないが、とても好きだ。紅白なのにぱっとそたところがなく、実に地味。ボクの勝手なイメージでは、それほど歌のうまくない、顔立ちもよろしくないのにド派手な着物をきた演歌歌手のようだ。ボクの記憶の底にある1970年以前の色というか、古めかしさがある。それにしても、「紅白まんじゅう」が大好きで困る。大の前に一億個くらい大をつけてもいいくらい、かも。「紅白まんじゅう」とは、こしあん入りの「おぼろまんじゅう」の皮のあるやつだ。「おぼろまんじゅう」が好きってのもある。考えて見ると「紅白まんじゅう」の「おぼろまんじゅう」タイプもありそうである。問題はめったに食べられないことだ。ボクの故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)の幼児の時代は、家の前にある和菓子の『一屋』で、蒸かしているときだけ手に入るもので、数えるほどしか食べていない。
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師走なのに道東の戻りイワシ

先日、Dにマイワシの旬は梅雨時ですよね、と聞かれたが、あれは昔々のことでしかも太平洋の一部だけでの話だ、と答えておいた。この特定の地域だけの話をまるで一般的なことであるかのように、するのは俳諧とか、文学の世界の話で日常にはあまり意味をなさない。マイワシは数多く、産地を変えながら食べてみないとわからない。しかも今、都内で出回っている、上イワシ(高いということ)は北海道、並イワシ(平凡な値段)は千葉県銚子なので、ひたすらに2産地を食べ比べているさて、皮を剥くのがたいへんなほどに脂がのっていた。脂の白い層が分厚い。もちろんマイワシのいちばんいいときほどではないが、これだけいいものはめったに手に入らないだろう。めったに使わない甘い刺身醤油に浸してご飯の友にしたが、脂の口溶け感があり、やたらにうまし、ウマスギだった。それにしても、北海道道東のマイワシの旬は、11月後半から師走のいつまでなのだろう?師走最初の課題は道東のマイワシとなりにけり、だ。
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なれずし探し近江の旅 湖産物編 滋賀県の春菊

滋賀県長浜市と近江八幡市の直売所とスーパーで春菊を買ってきた。無類の春菊好きなので、今旅で2束しか買えなかったのが、心残りである。2つとも中葉だと思うけど、葉の切れ込みが浅い。あまりにも慌ただしい日々だったので、今回は単にゆでて食べた。やはり滋賀県の春菊は、香りが高く、味わい深しだった。
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ハマダイの幼魚は初対面で、しかもウマスギ

尾こそそんなに長くはないが、小さいのに間違いなくハマダイである。とりあえず、水洗いして焼霜造り(あぶり)にしてみる。小さいので脂はすくないものの、皮にも皮直下にも身(筋肉)にも味がある。微かに脂を感じる。
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マハタと天王寺蕪の白みそ仕立ての鍋

今回のマハタでは鍋、鍋、鍋、鍋だった。鍋らしい鍋に飽きたので、みそ仕立てにする。ことこと煮立てて、少し煮詰まったところをすくっては食べる。ものすごく温まる。白みそで煮ると、マハタの身が少しとろっとするくらい柔らかくなる。舌で潰れるくらい柔らかく、クリーム状のみそと一緒になって、ひとつの味を作りあげる。ポタージュのようだけど、油分を使っていないので軽い味だ。マハタの身とみそが一体化して口の中に広がる。
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なれずし探し近江の旅 湖産物編 ビワマスの刺身

滋賀県長浜市の直売所で買ったものだ。琵琶湖は今、ビワマスの時季ではない。養殖ものではなく、冷凍保存して置いたものとみた。ビワマスの刺身は滋賀県内の直売所でしばしば並んでいる。ビワマスの刺身は、例えばサクラマスに近い魚なので、味がとても似ているが、少しあっさりとして軽い味である。別に味気ないということではなく、上品な味と言った方が正しいだろう。琵琶湖周辺の人が「あめのいお」を愛してやまないわけがここに感じられる。琵琶湖に旅して当日にでも帰宅できるならお土産にもなるだろう。一度、淡水域だけど暮らしたサケ科の味も楽しんでもらいたい。
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近江・若狭丁稚羊羹を探す旅02 安土、『万吾樓』の、でっち羊羹

現在は石垣だけしか残っていないが、水際にあった安土城跡周辺は、昔は非常に美しいところだったという。高度成長期の広大な湾と内湖を埋め立てで、見る影もない。この埋め立てで湖魚が極端に減少し、漁師さんたちは大きなダメージを受けたらしい。田畑が広がっているものの、減反政策の今、美しい安土を台無しにしてなんの意味が合ったんだろうと思う。さて、そんな安土駅前の和菓子店、『万吾樓』で買ったのは、滋賀県の典型的な「でっち羊羹」だった。小豆入り半分、プレーンな蒸し羊羹半分で、非常にボク好み。「でっち羊羹」食ったぞ! という気になれた。
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今季初虎で初ふぐちり

トラフグを食べるなら11月か、12月も前半までだぜ! といいたい。12月も半ばになり、数え日が近くなるとトラフグは高騰する。トラフグのキヨミズガイなどするもんじゃない。今ならちょっと贅沢程度で食べられる。目の前に煮えているのはトラフグだけが入った鍋。食べる直前に芹と壬生菜混ぜこぜを少し投入する。「ふぐちり」は単純な方がいい。昆布だしだけで、野菜も最小限がボク好みだ。初めはひたすら鍋の中の虎に集中すべし。なぜ、こんなに煮ながら食べる虎はうまいのか、今世紀中には解明出来ない謎だろう。やや水分が多い身は煮るとちょっとだけ膨らんで、ほろっと骨から外れる。舌に触れると甘いのは多種類のアミノ酸からくるのだろう。いちばんうまいのは唇、「うぐいす」だ。4枚の鋭い刃物状の歯をかみ合わせるための筋肉と、その周辺の皮だ。2人で食べるなら仲良く上下で分けるといい。魚類界最強の噛み切り力を誇る。そのパワーを生み出す筋肉は煮ると、他の筋肉よりもちょっとだけ硬く締まっている。他の部分以上に味がある。唇周りの皮だってぶるんぶるんとして甘く柔らかい。いつも「愛してるよ」、と言って食べる。ただし、今回はここに、hidden treasure が。今回の個体が抱えていた白子である。「うぐいす」と人気を二分するが、どっちが上なんて考えても無駄だ。温まった白子は濃厚なうま味があり、クリーム状にとろける。ある意味、美しすぎる味かもしれない。ジャングルを飛ぶ美しい蝶のようなもの。
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お昼は、宮城県石巻産ニベで天丼

ニベは比較的いつ買ってもおいしい、優等生のような魚だ。見た目が地味なので、余計にその優等生振りが強く感じられる。いろいろ料理してどれもが及第点ぎりぎりにうまいことが、本種のいいところでもあり、悪いところでもある。ときどき天ぷらにする。欠点ともいえる皮の固さや微かな臭みが、美点になるからだ。高温で揚げたてを口に入れると言うに言われる味わいがある。皮の臭味が、例えば「めごち(ネズミゴチ)」のように味になる。高温で揚げたことで上品な白身は口中で甘い風味を放ち、本種が隠していた個性的な部分が現れる。今回は写真撮影した残りを丼飯に乗せて、ニベ天丼にしたが、いい昼ご飯となりました、とニベにお礼を言いたいほどだった。きっとニベもない返事が返ってくるだろうが。
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マハタ中骨の水炊き

今回のマハタでは鍋、鍋、鍋、鍋だった。さて、中骨の鍋を作るたびに思う事は、「不器用でよかった」だ。中骨にいっぱい身がついているので食べでがある。昆布だしに酒と塩だけど、漬け醤油はあまりいらない。ほんのちょっとだけの柚子と醤油で間に合った。今回の鍋は中骨は合いの手に食べて、野菜をだしを食べるものだ。このだしが煮るほどに素晴らしい味になるし、だしで煮た野菜だって、その野菜そのままの味とだしとからまった味とで二重に楽しめる。ついでに骨に付着した身(筋肉)とゼラチン質の部分が、やたらにうまい。箸で食べて、終いには手づかみでしゃぶりつくしても、まだ味がある。ちなみに今回は昆布だしを使ったが水・酒・塩だけでも充分満足すると思う。酒をおいてけぼりにしてしまったので、冷蔵庫をごそごそ、祭りの後は淋しいね。
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なれずし探し近江の旅08 10月7日 福井県若狭町鯖街道、小浜→熊川宿→今津

日本海のサバの交易を調べに、前回、若狭高浜から名田庄を経て和知、丹波に出る経路の旅をしている。今回は、滋賀県高島市今津と福井県小浜市を往復した。少しずつでもいいので、京都周辺(滋賀県・京都府・兵庫県)のサバ(マサバ)の食文化を調べていきたいと思っている。滋賀県の湖北地方・余呉・朽木などのサバは主に日本海から来ていた。滋賀県南部米原以南湖東にサバをもたらしたのは主に三重県太平洋側だ。サバの来た道、経路だが、当たり前だけれどもっと、もっと多種多様な水産物の来た道でもある。滋賀県は京都市内への中継地点なので、京都で消費されるサバも、主に日本海と三重県太平洋側から来ていたことになる。「さばのなれずし」、「塩さば(塩蔵品)」は今でも滋賀県全域で手に入る。「さばのへしこ(糠漬け)」、「焼きさば」は滋賀県北部が主な消費地であるし、生産地でもある。この4つの加工品総てが揃うのは滋賀県北部だ。こんなことからも滋賀県の食文化は、サバ抜きには考えられないことがわかる。昔、京・滋賀に対しての日本海でのサバの代表的な供給地は若狭地方だった。1950年代くらいまで日本海のサバは豊漁で、佐渡島、能登半島、若狭湾、隠岐が4大漁場であった。三方(現福井県若狭町)、小浜(同小浜市)の高浜(同高浜町)に水揚げされた若狭湾のサバが滋賀県を経由して京に送られていた。産地からは馬などを使った比較的規模の大きい交易もあっただろうが、食文化を考えるとき重要なのは量的には少ないものの歩行(丹波などでは自転車、汽車に乗って)による交易である。マスコミでも、ときに単行本でも「鯖街道」が登場するが、みな内容が薄いというか、誤情報ばかりで困る。さばの来た道は毛細血管のように張り巡らされていたのだ。貨幣での取引もあったが、1945年(敗戦)以後も物々交換が行われていたことはとても重要だ。
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ヒラソウダのなまり節と湖北産里芋煮

滋賀県長浜市で、不揃いで見た目の悪い里芋を買ってきた。いろんな人と会って話を聞いたり、魚すくいをして、昼遅くに直売所にいったので選べなかったのだ。ところが、下ゆでしていて気がついた。思った以上にいい里芋であることを。我ながら野菜を見る目がないな、と痛感する。それにしてもヒラソウダのうま味を吸い取った里芋を口に放り込んだら、ラララ♪ な気分になった。ウマスギ、ゴー、ゴーだ。里芋の品種はわからないが、ねっとりして甘い。ちょっと柔らかく炊きすぎた、と思ったのに煮崩れしていない。ヒラソウダのなまり節のうま味もあるし、煮たなまり節自体がおいしい。今回は醸造ものである酒もみりんも使わなかったけど、これも正解の正解だった。問題があるとしたら、ウマスギな里芋煮はついつい一気食いしそうになることだ。大急ぎで半分タッパーに移して皿までなめる。ちなみにご飯も酒もなく、相棒は冷たい凍頂烏龍茶だけだ。
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今季初「なめた」は煮つけから

今季初ものは、もちろん無理をしない程度の初もののことだけど、うれしいものである。取り分け「なめた(ババガレイ)」は待ち遠しい。10月になると本格的に入荷が始まるが、産卵期と旬が重なるので、腹を触っては、まだだ、まだだ、と待つ。待っただけにその一箸がうれしい。近所の魚屋のオヤジは「冬の煮つけの王様だよな」というが、言い得て妙。子持ちは5月くらいまでやってくるが、11月後半から2月末くらいのがいちばんうまいと思っている。身離れのいい身を箸でつまんで口に放り込むと適度に身が締まり、調味料に負けない味がある。真子がほくほくして甘くてうまい。
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福井県若狭町菊水堂、水羊羹のようなでっちようかん

練り羊羹はほどほどに好きだけど、買ってまで食べない。蒸し羊羹は、身体が蒸し蒸ししてくるくらい好きだし、食いたい。蒸し羊羹にいつも恋しているボクでした。蒸し羊羹のためなら唐天竺にだって行ける、のだ。念のために、近江国滋賀県に行ったら、なにわともあれ「丁稚羊羹(でっちようかん)」である。近江というだけで、あの、竹皮のぺたっとくっついた蒸し羊羹が一反もめんのように頭の中をひらひらする。これを「丁稚羊羹」の呪いという。さて丁稚羊羹が「なぜ、丁稚羊羹」かは次に持ち越す。今回最初の丁稚羊羹は、福井県小浜市に近い若狭町で買った。丁稚羊羹食うぞ、と思って箱をあけたら頭をぶん殴られるくらいに驚いた。ここでちょっと寄り道。1945年以降も続いた若狭・三方からの人力水産物流通で、福井県若狭町はとても重要な地なのである。今回は寄れなかったが同町、十村(とむら)は三方からの人力流通の拠点・里のひとつだったし、有名な熊川宿は若狭からの水産物の集散地なのである。室町時代の散所に当たるのかもと考えている。塩サバも「さばのなれずし」も「へしこ」も、全部ではないが福井県の海から里(売り先と同じで、福井県若狭町と滋賀県北部)にもたらされた。
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念のために買った小ヤリで無国籍鍋

頭が混乱するほど慌ただしい、何が何だかわからないし、外出するには忙しすぎるので何か買っておかなくてはいけない。ので、買った小ヤリである。小ヤリ4はいくらいを野菜に上に乗せて、ごま油を一回しかけて、鍋、ゴー! だ。火をつけるとだんだん野菜が沈んでくる。あっと言う間に鍋らしくなるので、スープごとすくっては食べる。ちなみ本当は豚肉でやるはずで、確か團伊玖磨の『パイプのけむり』の真似だったと思う。ある意味、なんでもかんでも、どうでもいい本でも必要な本でも手当たり次第に読んでいた遺産かも。
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普通の食用魚なのに手に取らない、シログチ

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、大量のエネルギーを使う養殖魚の影に隠れていたり、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり……。それを「隣の珍魚」という。たくさんの種類の魚を食べ、「隣の珍魚」を知っていると、温暖化にわずかだがストップをかけられる。とても自然に優しいし、環境にも優しい。しかも大いに自慢できる】東京湾にも多い魚なので、東京都内でもお馴染みの魚だが、「今日は何しよう?」というとき、「いしもち(シログチの関東での呼び名)の塩焼き」がいい、という人が、昔は多かったが今ではほとんどいなくなっている。魚屋にとっても近年売りにくい魚のひとつだ。釣りの世界でも同様である。東京湾でもっとも人気が高かったターゲットのひとつが本種だったのに、今やタチウオに入れ替わっている。魚食の世代間の断絶が起きている顕著な例がこの魚である。「のどぐろ(アカムツ)」を知っているのに、身の周りに普通に売られている、基本中の基本的な魚を知らない時代になっているのだ。この原因は魚食普及の失敗にある。魚の食べ方などを子供に教えてなんになるのだろう。たいして意味があると思えない。ほぼ無意味だろう。今、魚食の断絶は40歳以上60代以下で起こっている。この年代は、平凡なシログチの食べ方すら知らない人だらけだ。この世代に「魚屋かスーパーで塩焼き用に下ろしてもらって買いなさい」と、教えるべきなのだ。ちなみに魚食普及に魚の下ろし方は不要である。魚を下ろすのは魚屋かスーパーに任せるべきだ。魚の買い方を教えて、それでもの足りないと思った人間にだけ魚の下ろし方を教える。ものごとは1から始めるべきで、いきなり3とか4とかの高いところを教えてはならないのだ。どうしてこんな、わかりやすいことがだれもわからないのだろう。無意味なことばかりやっているのは、要するに役人の利権の問題とか、縦割り行政のためだろう。だいたい食べ物としての魚の、最低限の知識がある人間にこの国で会ったことがない。魚のことを体系的に教えられる人間がいないのも大問題なのだ。
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マハタの「すっぽん仕立て鍋」

今回のマハタでは鍋、鍋、鍋、鍋だった。いちばん最初に作ったのは、野菜はなしでもいい、というすっぽ仕立ての鍋だ。養殖ラウスコンブのだしに酒塩で煮ながら食べる。徹底的にマハタの兜を隅から隅まで食べるためだけの鍋だ。すっぽん仕立てというのは、京都で食べた鍋の真似だ。最初に強く煮込み、煮込むことで、マハタのうま味が大量に昆布だしに出て生まれたつゆと、本体(兜)を食べるというもの。いつもながらに本体(兜)もつゆもウマスギなので、なかなか野菜を食べるに至らない。柑橘類と醤油を用意したが、充分塩味(しおあじ)が感じられたので、不要だった。彩りの悪い、実に地味な鍋だが、材料費が矢鱈に高いので、プロにはできない鍋だ。つゆがたっぷりならここで野菜を煮て食べてもいい。今回は滋賀県で買ってきた春菊を大量に投入して食べた。心底マハタのおいしさが堪能出来るし、皮、目、身、ゼラチン質の部分に別々の味があることがわかる。ボクがもし、好きな女性と食べていたら、皮とゼラチン質をとってあげると思う。いないけど。
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銚子産マイワシに季節の遅れを感じる

江戸時代半ばになると江戸の町の「いわし(マイワシ)」は地元東京湾ではなく、旅物である銚子産が増える。江戸時代のハイウェー利根川→木下河岸→(陸路)松戸→江戸川→新川→小名木川→日本橋である。だからマイワシは秋の季語となる。だから11月(旧暦の10月)、銚子のマイワシの、脂の乗りには期待はしてはいない。ところがどっこい、まだまだ脂が、もちろんほどほどにだが、ある。マイワシならではのうま味豊かであるところに、落ちたとはいっても脂の口溶け感で、これは充分いけるわいな、とぞ思う。まだ夕方なのに滋賀県木ノ本の「鳰自慢 上撰」をロックでやったのは、ウマスギだからだ。マイワシも食ってみないとわからない、とぞ思う。
コラム

箸が伸びて困る、マハタの刺身

マハタの旬はわかりにくいが、今回は皮を引きながらねばっこさを感じた。脂がのっているのである。表面に脂の薄い層があり、身が白濁しているのも脂のためだ。わさび醤油とポン酢を用意して、まずは、何も漬けずに口に放り込む。刺身は醤油と結婚して初めてうまいのだが、なしでも脂の口溶け感があり、身自体の味がある。醤油をつけ口の中に放り込んだ、途端に、おいしさが舌に、口の上に広がる。白身の刺身に久方ぶりにびっくりする。こんな白身にはなかなか出合えるものではない。ハタ科の魚が、なぜ、高いのかがわかる。ちなみにやはりポン酢・ねぎで食べた方がおいしいかも。ポン酢で食べるマハタの刺身は、秋の澄んだ空のような味だ。今回のポン酢は柚子・醤油・少量の煮切りみりんを合わせたものだけど、柚子・醤油だけで充分だった。甘味がなくてもマハタの身自体に甘味があるからだ。さて、刺身はあくまでマハタ料理の前奏曲なのだ。物語はこれからだ。
コラム

大根と日本海のスルメイカをたく

スルメイカ料理はあまりにも多くなりすぎてページに収まらない。和洋、ものすごくたくさん料理を作ったけれど、個人的には醤油味でたいたものが好きである。一緒にたいていちばん好きな野菜は里芋、ついで新じゃがの小さいやつ、その次が大根で、次の次の次がゴボウで、気まぐれに青菜とたく。大根はあくまでも大根おろしのために買うのだけど、1本買いするとどうしても持て余す。それがスルメイカと煮ると、持て余さないどころか、大根っていいな、と思ってしまう。大根は少しだけ苦味が残っているくらいの下ゆで加減で、苦が甘いけど、甘味は非常に少なく、苦味以外の味はそんなにない。むしろ大根はその柔らかく、硬い寒天のようで、大根以外には例えようがない食感が特徴なのである。スルメイカは、里芋とたいて、今度は大根とたくと、なんとなくだけど、本当は子供なのに急に大人になった気がする。ボクの人生、大人気分になることはめったにないので、大根はときどき食べないとダメだ。
コラム

なれずし探し近江の旅07 10月9日 湖北水路で魚すくい

最終日は湖北の水路で生き物を追いかける。結局、滋賀県では3回しか魚すくいが出来なかった。過密スケジュールのためだが、もっと多様な水辺で多様な生物と巡り会いたかった。魚/スナヤツメ、オウミヨシノボリ、ウキゴリ、ドジョウ甲殻類/スジエビ貝類/タテボシガイ、マツカサガイ、マルドブガイ、マシジミ
コラム

ヒラソウダのあぶり漬け丼

脂ののったヒラソウダの4分の1、背の部分はあぶり漬けにしてチルドルームに保存して置いた。夜明け前から雨で、ベランダの気温は8度だった。昨日撮影した画像を選別して保存。車の掃除に外に出ると、気温6度で雨が強くなってきた。朝いちばんにでっち羊羹を半分食べただけなので、腹の虫が大泣きする。鳴く腹の虫には勝てぬので、ご飯を戻して、ヒラソウダのあぶり漬けを切ってはのせる。柚子の風味づけをしているが、さらに追い柚子をして、滋賀県長浜市で買ったわけぎを刻んで散らす。若布のみそ汁と、あぶり漬け丼で、遅めの朝ご飯である。丼を前に暫し待て、をしていると、ヒラソウダのあぶった香りが、漬けにしているにも関わらず、する。柚子も香る。口に入れ体温で温まるとヒラソウダの切りつけた身の、脂が溶け始めるのだけど、それを楽しむ前に喉を通り過ぎては消える。その喉の壁に脂の甘さが残る。柚子・醤油・ヒラソウダのうま味を、結婚させたたれが染み込んだご飯もうまい。なぜだろう? 早食いしたためか腹の虫なだめられず、余計に騒ぎ出す。でっち羊羹の残り半分でしのぐ。そして外出。タイヤを冬用に交換。
コラム

久しぶりにラウスコンブの贅沢使い

昆布の高騰で、2年くらい、例えば養殖ラウスコンブ(オニコンブ)でだしをとるとき、10×10cmくらいを1.5リットルにしている。これを一日寝かせる。それ以前はいい加減というかだいたいの大きさで使っていた。17日、久しぶりに昆布たっぷり使ってだしをとった。たまたま割れてしまった部分(普段の2倍)をそのまま使って、2リットルのボルビックにたっぷりのラウスコンブを放り込む。注/我が家の水道水では昆布だしが取りにくいので苦肉の策。なぜかボルビックがいいけど高いので安い水を探すか、いい浄化装置を考えている。
郷土料理

なれずし探し近江の旅 産物編 滋賀県長浜市「いもじく」

「いもじく」の炒め煮は、炒め煮界のトップというか、他に類を見ないうまさなのである。しゃきしゃきっとしていて、ほどよく青臭くて、蕗とは違う味がある。ちなみに南方で過酷な戦争体験をした、加東大介は来る日も来る日も、サツマイモとその茎ばかりで飢えをしのいだと書いている。サツマイモの茎はおいしいじゃない、と一瞬思ったが、醤油も油揚げもない南方でどのように料理していたのだろう。やたらにうまいのに、もっとたくさん買って来ればよかった、と思わないのは、手間がかかるからだ。この「いもじく」の皮を剥いてくれる優しい女性、いるわけないよな。
コラム

釣ってはキハダ、味のヒラソウダ

最近、相模湾で盛んなキハダマグロ乗り合いは、釣っては非常に面白いしダイナミックである。でも、でも食い気の強い人は、「釣り味なんてどうでもいいので、ヒラソウダ」となるはずだ。ヒラソウダは相模湾から外房にかけては今がまさに旬なのである。ついでに言わせてもらうと、昔、9月、10月、11月の相模湾や外房でつれるのは「きめじ(キハダマグロの若い個体)」で成魚はいなかった。親キハダは相模湾や東京湾口では新参ものなのだ。ボクは相模湾や東京湾口で、昔々から口福をもたらしてくれているヒラソウダを応援したい。さて、刺身に引くのが難しく感じるほど脂がのっていた。筋繊維が少なく脂が多いので脆弱なのである。切りつけたのを並べると表面が滲む。室内温度18度なのに表面が溶ける。口に入れるといきなり口溶け感を感じて甘いけど、決して重いわけではない。これがヒラソウダのよさである。ちなみにクロマグロの大トロを食べると、当分食いたくなくなるけど、ヒラソウダなら翌日も、となる。
加工品

なれずし探し近江の旅 産物編 「いさざ豆」

大豆ものが大好きなので、琵琶湖に行ったらイサザと大豆を炊いた「いさざ豆」か、スジエビと大豆を炊いた「えび豆」を必ず買い求めてくる。滋賀県で、「えび豆」は比較的どこにでもあるが、「いさざ豆」はイサザの漁獲量がとても少ないこともあって手に入れにくいものとなっている。滋賀県にはたくさんの直売所があるが、湖北の探すと手に入れやすい。イサザは琵琶湖固有のハゼ科の魚で、湖の深場に生息している。小さくて身が柔らかいので、湖産魚の中でも人気が高い。甘辛く煮た大豆と、柔らかなイサザがとても好相性で、毎日食べても食べ飽きない。琵琶湖土産の中でも万人受けするもののひとつだと思っている。
加工品

福井県小浜市「しのは」の干もの

もちろん通販を使ってまで集めたい、とは思わないが、オキヒイラギの干ものは見つけると必ず買うことにしている。水揚げのある地域すべてで作られていると思っている。例えば神奈川県佐島などでも希に作ることがあるという。ただ、その地の定番的な干ものであるかどうか、はわからない。今回の「しのは(オキヒイラギ)」の干ものは、福井県嶺南地方、小浜市の『若狭小浜お魚センター』で見つけたもの。「しのは」は「椎の葉」が変化したもので、オキヒイラギの形から来ている。他に「えのは」は「榎の葉」、ヒイラギ自体も植物の葉である。
文化

山口瞳の、鰹の中落ちの煮つけ

作家、山口瞳(1926-1995、東京生まれ)の文章にしばしば登場するのが「鰹の中落ちの煮つけ」である。山口瞳は行きつけの東京都国立市、国立駅前の『繁寿司』で土産にもらうのも「中落ち」だし、銀座の『鉢巻岡田』で食べるのも「中落ち」である。「鉢巻岡田の鰹の中落ちを食べなければ(私にとっての)夏が来ない」小説家以前にコピーライターだった山口瞳らしい文章だが、正直そう思っていたのだと思っている。また『繁寿司』でもらった中落ちは自宅で奥様が料理していたことなどから、本当にこの素朴な料理が好きだったのだと思う。
コラム

宮城県石巻からデブなアカカマス

アカカマスとしては最大級であるし、しかも太い。三陸からこのサイズが来るのは、なんとなくだけど唐突な感じがする。アカカマスが三陸からくるのは別に珍しくはないけど、ここまで大きい個体がまとまってとれるんだ、と改めて思う。石巻での定置網での水揚げ光景が想い出されるが、間違いなく大型水槽に何杯かあったのだろう。つかんだだけで脂を感じたので、皮下の脂の層に驚きはしない。それでも口に入れて、体温で溶け出してくる脂の量が多すぎるくらい多いのに驚く。脂が溶けるとともに甘く感じられ、のちにカマスにしかない濃厚なうま味がくる。普通、焼霜造りはあぶった香りから感じるものなのに、最後に鼻にぬけた。恐るべし、石巻のデブカマスくんなのだ。
コラム

なれずし探し近江の旅06 10月7日 高島市湖岸で魚すくい

さんざん場所探しをして、滋賀県高島市湖岸の駐車場に車をとめる。夜が明けるのを待って湖岸に向かう。まだ完全に乾ききらないウェーダーが履きにくいし、どことなく臭うのが気になるものの、雨が上がって実に気持ちがいい。それにつけても早朝の湖岸の美しさよ。1時間と少し、ドロっぽい水路の流れ込みをせっせと生き物を探す。獲物の大方がヨシノボリ属とウキゴリ。南湖ではスジエビばかりだったのに、ここにはテナガエビが同じくらいとれた。あまりにもワンワンを連れた人が多くなってきたのでやめてしまったが、もっと長くやっていたかった、ぜ。魚/オウミヨシノボリ(?)、ヌマチチブ、ギンブナ(?)、ウキゴリ、ドジョウ甲殻類/スジエビ、テナガエビ
コラム

なれずし探し近江の旅05 10月6日 飢餓につき堅田で大トンカツ

さて、滋賀の旅は午前0時に我が家を出る。夜明けとともに野洲川で魚すくいをする。野洲川でおぼれ死にそうになったが、獲物の撮影まではこなす。そのとき琵琶湖では北風が吹いていて、湖東の漁港は漁がなかった。ポテチン、だ。この日の不幸1 おぼれそうになったことこの日の不幸2 琵琶湖が荒れて漁がなかったこと朝から水しか飲んでいないので、『JAおうみんち』で柿を買って、飢えをしのぎながら、湖西に渡る。渡る度に思う事だけど、琵琶湖大橋の通行料金80円はいらぬと思う。一般道にした方がいいんじゃないかな?堅田の魚屋をみて、北上しようとして、北上できなかった。この日の不幸3 予定が大狂いしたこと。人は難しいなと思って時計を見たら、2時だった。普段、チェーン店には入らない、食わないことにしているが、飢餓につき、堅田でゴージャスに大トンカツを食べる。こんなときデブなんだからお握り一個で我慢しよう、という気持ちにどうしてならないんだろう。ただ、チェーン店なのにこの大トンカツがやたらにうまかった。さくっと香ばしいだけではなく、ロース肉に汁気があり柔らかい。豚肉らしい風味が好ましいぞ!まわりの漬けもの、サラダもおいしいし、豚汁もいい。ご飯のお代わりなしがデブ唯一の矜持なのだ。
コラム

冬なのに北海道で揚がるサンマ

旧暦の10月半ばなので、季節は初冬である。大正時代、林芙美子はあまりの寒さに綿入れを羽織っても耐えられないと書いている、新暦の11月だ。そして目の前にあるのが、場違いな感じがする冬サンマの刺身だ。一切れ食べて思った。決してまずくはないが、もうそろそろサンマの鮮魚流通、道東での棒受け網止めましょうよ、と言いたい味だった。「いやいやサンマ船は巨額なのだから、止められるわけがない」、とくるんだろうな。ただ、大型でもサンマの刺身の味が、下り坂にきているだけは間違いない。昔、千葉県銚子あたりから来ていた個体の脂の乗りだし、味でもある。
コラム

情熱ではなく微熱で、カツオの鍋焼きアヒージョ

滋賀の旅でなんとなくコカコーラを飲んでみたら、喉が飛び上がるほど痛い。痛いけど心地よかった。その痛心地よさに惹かれ、近所のスーパーで大量の乳酸飲料を買ったついでに、またコカコーラを買ってきた。この喉が痛がゆいコカコーラに合わせたのが鍋焼きアヒージョである。鉄鍋でソテーしながら表面は生、下は焦げ焦げを口に放り込む。カツオは強めの塩でマリネしているのでぱきっとした味で、ほんのり脂があってチョイトロで、後から酸味があって。同時に虎の尾が矢鱈に辛い。にんにくの香りが強くて腹の底までにんにくめいてくる。そこに激痛を呼び込むコカコーラで、微熱なのに情熱、な感じがする。不思議なものでコーラとかパンを飲んだり、食べたりすると喉が痛いが、気持ちいい。これでパンまで食べるとノックアウトされそうなので、コーラで通すけど、カツオの鍋焼きアヒージョとは最強タッグではないか。食べている時間が短いのが難点だけど、喉の風小僧くん、もう少しいてもいいよ。
コラム

今季初白子で独りぬくぬくと白子鍋

11月14日、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で買った、北海道釧路産が今季初白子(マダラの精巣)だった。白子はまだ蒸し暑い時季から市場に並ぶが、赤みがとれるまで待つ。釧路産の白子は触っただけで上々であることがわかる。食べ頃を外すとろくな事がないのが白子なのだ。不思議なことに、ここ数日、昼間は元気いっぱいなのに夜になると熱が出る。滋賀の旅の後始末と、連れ帰ってきた風小僧のせいで、気力は半分以下、疲れは夜になると蘇る。白子を見た途端、深夜の不調を鑑みて、今日は手間いらずの「白子鍋」を作るのだ、と決めたのもある。
コラム

なれずし探し近江の旅04 10月6日 高島市安曇川

元号は使いたくないが、便利なので。今回の旅は、なんどか漁獲物を見せてくれた漁師さんに会いに行くのも目的だった。昭和10年前後に生まれた世代は貴重である。会ってくれると言われてわざわざ行ったけど会えなかった。水産生物を調べているとこんなことは日常茶飯事、当たり前なので驚かない。そろそろ戦前生まれで話の聞ける方々も少なくなり、また明朗に答えてくれる人はもっと少なくなり、だ。気がついたら午後7時になっていたので、平和堂に走り込んで、萩の露とコイの子つけ、お握りを買って、駐車場を探す。そこでたき火(もちろん台の上で)をする。集めて置いた割り箸と紙だけなので、ちょろちょろたき火である。不思議なことにたき火をすると心が落ち着く。
コラム

温やっこと焼き穴子の鍋

ボクの一日は通常三等分なので、深夜に軽くなにかを食べて酒を飲む。今回は焼き穴子(マアナゴ)を使って、鍋仕立ての「温やっこ鍋」の天盛りにした念のために、「温やっこ」とは醤油味に煮込んだ豆腐で、温々の内に出されるので、この名がある。大阪で独り酒をやるときなど、あると必ずお願いするボク好みの酒の肴である。温やっこだけでもいいのだけど、華がない。華代わりの焼き穴子だ。別に「温やっこ」と焼き穴子を味で融合させようというのではなく、甘辛く煮つけた豆腐を食べて、合いの手に甘辛いつゆで温めた焼き穴子を食べると言うだけのものだ。普通鍋ものの具は何らかの関連性を持つ。例えば、湯豆腐にタラ(マダラ)などは一緒に煮ると、味に相乗効果が生まれるのだけど、今回のものは相乗効果を生まない。ただ、だしのきいた「温やっこ」はそれなりにおいしいし、温めた焼き穴子もおいしい。一鍋の中で2つの素材が別々のままだけど、単体で煮るよりは遙かに楽しい。この味を表現するのは難しいが、だしで煮た豆腐がうまいことはだれでもわかる。これだけで充分満足できるはずだ。焼き穴子は、みりんがきいてもともと少し甘い。これを甘辛いだしの中で温めただけだけどより味わい深くなる。先にも述べたように、鍋とは素材が鍋の中で結婚するものだと思いがちだけど、今回の鍋は2つの素材が結婚しないまま、ボクに食べられてまた別れ別れになる。これを「君の名は? 鍋」と名づけたい。「君の名は」は年代によって違うだろうけど。
コラム

なれずし探し近江の旅03 今津町、『川魚の西友 辻川店』でコイの白子の煮つけを買う

この国の人間は淡水魚を口にしなくなって、淡水域の破壊を食い止めるための手段として自然保護だけで語るしかなくなっている。淡水魚を食料と考えていないせいだ。淡水魚も食料であり、自給率などを考えたとき、淡水生物も海水魚・海水生物同様重要なのだ、ということがわかっていない。温暖化の今、淡水生物を食べることで、ぐっと淡水域が近くなり、淡水域を破壊することがいかに、危険かが如実にわかるだろう。ちなみに雑食性のコイなどコイ亜目の養殖の方が、肉食性の海水魚の養殖よりも自然に優しい、ということもつけ加えておきたい。さて、最近、コイという淡水魚の中でも、もっとも身近な食用魚すら食べたことのある人は希だろう。コイはくせのない上品な白身で、味がある。これくらい万人向きな魚は、海水魚にもそんなに多くはない。なのにコイを食べない人だらけなのは、淡水魚の味を語るときに「泥臭い」という言語を使うバカモノが多すぎるからだ。滋賀の旅に出ると必ず立ち寄る、『川魚の西友 辻川店』で見つけたのが、コイの白子の煮つけである。念のために。東日本淡水魚の料理法と、滋賀県や京都市内の淡水魚の料理法・味つけはまったく別物である。ボク自身が四国生まれで、西の味に親しんできたせいで、滋賀県の淡水魚の味つけは口に合う。しかも『西友』の煮つけの味は、とりわけさらりとしてあっさりしている。淡水魚そのものの味が生きている。今回、コイの白子の煮つけは、惣菜としては初めて食べた。雄のコイを手に入れたこともあるので、白子のおいしさは知っていたが、こんなにおいしいとは思わなかった。ついでだから蛇足をば。例えばコイやフナの煮つけを手に入れたとする。もしも愛する人と食べるなら、ボクは身(筋肉)を食べて、愛する人には内臓や生殖巣(真子・白子)を食べさせる。このコイ亜目の魚は断然内臓がおいしくて、身が主役ではないからだ。
コラム

今季初ズワイは、京都産「せこがに」

蒸して粗熱をとったものをすぐ食べた方がうまい。もちろんゆでても同じである。まだ温いのにかぶりつく以上の食べ方はない。だから活に意味があるのである。後はカニに専念するしかない。
コラム

こっち向いてヌマチチブ!

滋賀県守山市、野洲川河口域で溺れかけて、びしょ濡れになる。それでもやらなければならないのが撮影である。撮影後、ただちにお帰り願わなければならぬ。バスタオルを持って来ていなかったのが大失敗。下着まで新しいのに着替えて、車の中で体を気持ち乾かす。上着を濡らしたので、寒い中、上着なしで撮影する。さっきまで気にならなかった川風が痛い。さて、今回もっとも苦しめてくれたのが、なんども撮影しているヌマチチブである。オウミヨシノボリが素直にポーズを決めてくれたのとは大違い。水槽を揺らしても反転してもあっちを向いて振り向かない。真横にならない。その感にも体が冷え冷えになる。人と会う約束の時間が迫る。淡水の旅はきびしいくて、悲しい。
コラム

かきとほうれん草の割り下鍋

資料を読み始めると時間が暴走する。気がついたら逢魔が時を過ぎ、つけっぱなりのテレビの音声を上げると、9時のニュースをやっている。そんな日々なので鍋鍋、鍋な日々となる。マガキとほうれん草は辻嘉一の表現を借りると、出合いのもの、だと思う。本当はこれに豚肉があるとよかったんだけど、小分けのパックがなかったので今回は断念する。沸いてきた割り下に大量のほうれん草を投入してマガキを散らして、あつあっつしながら食べる。偽ビールを飲む、あつあっつと食べて偽ビールで肌寒の旧暦10月3日も……、ワシントン広場の夜はふけて♪ なのだ。それにしても出合いのものを合わせた鍋はうまい。マガキの濃厚なうまさに、ほうれん草の青苦さ。ほうれん草には甘味もある。考えてみたら鍋は時間を楽しむものなのに、この鍋は時短しすぎかも。あとは空酒で正一合。
コラム

戻りガツオ以前? 気仙沼のカツオ

市場の若い衆が気仙沼産のカツオを二枚に下ろしながら、「今年は遅れているようですよ」って、なにがさ?「戻ってくるの(南下)が遅れている」のではなく、下ろしているこのカツオの脂の乗りが「戻り」、ほどではないと言いたいらしい。ある意味、これから「戻りガツオ」らしくなる、とでも言いたいようでもある。今回のカツオ買いの目的は刺身ではないが、カツオといえば刺身なので、背の方を刺身に引いて、さっそく味見する。「戻り」が遅れているというとおり、脂の乗りは今イチだが、ボクにはちょうどいい加減だ。確かに「戻り」特有の分厚い脂の層は見られないものの、切りつけた身は白濁して柔らかい。ほどよい脂と、うま味に満ちている一切れに、厚めに切ったにんにくをのせて、わけぎをまぶしつけて口に放り込んだだら、言うに言われぬおいしさがぱっと口中に広がる。琵琶湖からボクにしつこくついてきた風邪小僧を、吹っ飛ばすおいしさだ。秋になると最低週一ていどはカツオが食いたいものだ、と思わせる味でもある。「戻り」手前のカツオの刺身で酒ではなく、冷たく冷やした偽ビールをやると、体が軽くなる。
コラム

なれずし探し近江の旅02 10月6日 野洲川河口域の生き物

滋賀県守山市、野洲川河口域ですくった生物のほとんどがオウミヨシノボリであった。急激に気温が下がったためにコイ目の小魚類などは深みに落ちたのではないかと思われる。魚/オウミヨシノボリ、ヌマチチブ甲殻類/ミナミヌマエビ、スジエビ、エビノコバン
コラム

なれずし探し近江の旅 琵琶湖周辺 01、北と南、ボクのめも

琵琶湖周辺を移動していると、まず北と南での違いに気づくはずである。湖西は山が琵琶湖に迫り、比叡山、比良山地からの颪にさらされている。農地が少なく、物成での南北の違いは、現在のところボクにはよくわからないが、南北に限らず寒い。湖東は草津、守山から、彦根を越えるといきなり北国になる。こんな顕著な違いは京都盆地にも見られる。当たり前だけど車は北に行くほど、4WDが増える。昔、余呉で雪から出られなくなって事がある。長浜から北に来るなら普通車では無理と言われたものである。農産物でいえば南部である草津市、守山市では柿が出盛っていて、まだまだ先が長いと感じたが、長浜市では「そろそろ柿もしまいですね」なんて言われる。白菜の品種にも違いがあるのではないか? 道路脇から見ただけではあるが、旧湖北町では早生の耐病性ではなく晩成が結球しつつある。南の草津や守山の方が野菜が豊富で、北に行くほど多彩さがなくなっていた、のは2013年11月の滋賀の旅で感じたことだ。それが今年はそれほど顕著ではない。余談になるが長浜市湖北町の直売所にはまだスイカがあった。温室だとは思うけど、本当に地元のものだろうか?この季節の差と、流通の地域性が今回の旅の目的でもある。
コラム

城ヶ島沖のムツのちり

産地でもあるので、関東では盛んにムツを鍋に用いていた。昔は贅沢なものではあるが、ちょっとがんばれば庶民の手の届くものだったようだ。今ではあまりにも高価なので、特別な日の料理となってしまっている。当然、料理店で食べるなんて夢のまた夢だ。だから「ムツの鍋」はいつも自宅で作る。さて、ムツの鍋が煮えてきたら、まずは汁の味見から始めたい。ムツのあらからじわりと煮汁に染み出したうま味たるや名状しがたい。これだけで酒が飲める。黒くて薄くて地味だけれど、皮は柔らかく脆いものの、おいしさが凝縮されて存在している。ましてや身の甘さ、うま味の豊かさよ。ムツばかり食べていると興奮して過呼吸になりそうなので、豆腐も山東菜もしいたけも、食べる。名残の黄色い、すだちは香りこそ弱くなっているが果汁はたっぷりである。このすだちと醤油だけで食べると、ムツの脂がありながら上品な味が端的に楽しめる。酒も進むけど正一合のみで、我慢、我慢。
コラム

明石浦サワラのみそ焼き鍋

旅の前に最近作った鍋の総ざらいをする。今回は、みそ仕立てで、煮ると焼く(ソテー)の中間的なものだ。ゆっくり、みそをこがさないように焼くだけに神経を集中させる。鉄鍋は直径12㎝の小さなものなので、あくまでも酒を飲むための時間稼ぎの鍋ともいえそうだ。さて、長野県諏訪、「銀撰 真澄」の紙パックをコップに注いでスタートする。この時点ではサワラのサイコロにみそが覆い被さった状態でしかない。弱火で煮ると、だんだんみそとサワラが馴染んでくる。どこかしらでみそが焦げているな、と思ったら大量のねぎを山形に盛る。
郷土料理

肌寒くない夜の、イカと里芋煮

我が家ではいたって日常的な秋の味である。こんな料理で一喜一憂しているなんてボクだけかも。その憂を生み出すのはいつも里芋である。いい里芋を見つけるのは、いいスルメイカを見つけることよりも難しい。今回近所のスーパーで買ったスルメイカに喜んで、里芋にほんの少しだけ泣く。11月最初の里芋煮は半喜半憂だ。さて、スルメイカと里芋煮は国内ではありきたりな料理だが、多摩地域では秋祭に作ることが多い。檜原村の老人曰く、ごちそうで楽しみにしていたという。まあ、一見普通の料理だが、すこぶるつきにうまい、これぞ真のごちそうだろう。久しぶりに作る味が優しいね。ご飯も食べ食べ、里芋もスルメイカも食べるとお腹が膨満してくる。けどスルメイカ独特の風味とうま味、それを吸い込んだ里芋がまずいわけがない。今年の里芋はいかがなりや。もっとうまい里芋食いたいな。
コラム

秋ザケの刺身って悪くない

昔、岩手県の大槌町にある『六大工』に泊まったとき、夕食の刺身に赤い切り身があった。どうやらサケらしいと食べたら、意外にうまい。夕食後、『六大工』の女将さんがせっせとラップに包んでいたのもサケのようで、これを一度冷凍するのだろうと思って見ていた。一度、沖取りのサケではなく、岸によってきたサケの刺身を食べてみたいと思っていたのも、『六大工』の赤い刺身がおいしかったからだ。今回、刺身にしてみたら、定置網ものなのに極端に脂が落ちていない。これからじょじょに河口付近に近づいていく手前とみた。トキシラズ(沖取りの未成熟な個体)とは比べられないが、刺身にこく味を出しているのは明らかに脂である。しかもとても味があるし、サケらしい味の個性が感じられる。この個性がとても魅力的だ。味があるので口中でだれがない。すり下ろしたばかりの「山わさび」ととても合う。普代沖の秋ザケの刺身はとてもうまいではないか。昔、山形県の鮭川村の老人に、「川のサケの刺身は海のサケよりもうまい」と言われたことがある。サケの刺身の味は脂ではなく、別の何か、かも知れない。とれなくなった今にして、サケの食文化の奥深さを感じた。
コラム

沢村貞子の水産物めも

『私の浅草』(沢村貞子 1976初版 暮らしの手帖社) は主に大正時代の話である。関東大震災以前の東京市浅草猿若町での実生活を垣間見ることが出来る、非常に貴重な書籍だと思っている。町奉行遠山金四郎は天保12年に水野忠邦の芝居小屋廃止を受けて、廃止ではなく浅草猿若町への移転にとどめた。浅草猿若町は山谷堀に近く舟運があり、吉原に近い。江戸三座の移転場所をここに決めた、遠山金四郎のすごみを感じる。守田座、中村座、市村座があったが、昭和になり、守田勘弥などが、江戸下町(現中央区)に新たな芝居小屋を作る。有楽町にも多くの劇場が出来て、猿若町は廃れてしまう。芝居小屋が消えたあと、住宅と川魚店も含む商売屋の並ぶ町になる。やがてここに沢村貞子の父で狂言作家、加藤伝九郎と母、まつ、兄・澤村國太郎、弟・加東大介の一家が同浅草馬車道から移転してくる。それでも浅草に芝居小屋はいくつか残る。加東大介が子役として活躍した、宮戸座もそのひとつだ。また当時、浅草はオペラやレビュー、映画など芸能・歓楽の町であった。澤村貞子(旧姓加藤貞子(ていこ)→大橋貞子 1908-1996年/明治41〜平成8年) は浅草千束町生まれ。→2才のとき浅草馬車道→小学校に行くときに浅草猿若町(現浅草6丁目)に引っ越す。非常に見た事をそのまま、なんのてらいもなく明解な言語で表現している。ある意味、天才的な文章家といっても過言ではない。林芙美子、武田百合子、沢村貞子の文章にはどことなく共通点がある。ともに資料的な価値もある。おふくろの味 鰻 〈背中合わせの川魚屋でメゾッコという小さい鰻が格安の日は、バタバタと七輪でいい匂いをさせて、鰻どんぶりの大ご馳走になる。母の財布がペシャンコの日は、おからを脂でいためて、ソースをかけ……〉。文章の流れを読む限り猿若町の頃だろう。ここは隅田川に近く、北東に山谷堀がある。ここに川魚屋があり、メゾッコ(小さなウナギ)が売られていたことがわかる。(『私のあさくさ』(沢村貞子 平凡社 2016 P44))みそ汁 〈甘味噌と辛味噌を適当にまぜて、すり鉢でゴリゴリすって、味噌こしで濾して——だしは雑魚を放りこんで——〉。雑魚はカタクチイワシの煮干しと考えていいのではないか。(『私のあさくさ』(沢村貞子 平凡社 2016 P75))
コラム

ぶわったらの寄せ鍋

サイト運営が危機的な状況にあるのに、ボランティアで面倒なことに時間を取られているのだから、我ながら悲しいものですね♪ なのであった。ということで夕べ、深夜に鍋を作ることが多い。ぶわったら(塩蔵タラ)の鍋を初めて食べたのは学生時代で、お茶の水駿河台・神楽坂など学校の縄張り的な場所の、安居酒屋の冬の定番だった。鍋材料の大方が豆腐の場合には「湯豆腐」といい、豆腐以外が多いと「たら鍋」、「たらの寄せ鍋」といった。ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)では「はげ(カワハギ)」、もしくはボラが鍋(水炊き)の材料定番だったので、ボクにとってマダラはまったく未知の存在だったが、学生時代は何を食べてもうまいし、楽しいので一時に好きになる。慌ただしいときなど、「たらの寄せ鍋」ほど重宝なものはない。また昆布だしとマダラがとても好相性なのだ。明らかに昆布の風味が勝っているけど、決してマダラも負けているわけではない。相乗効果のようなおいしさがある。おいしいし、糖質は少ないし、野菜も摂れて健康だし。腹が温まるのでよく眠れるし。親切なDにもらったチューリップを聴きながらなので、なんだか悲し、いし。
コラム

秋田県男鹿沖、赤テリの「かび」のあり、なしの比較

ウスメバルは冬から初夏にかけて入荷が多く、味がいいと思っている。メバル科の魚は卵胎生なので旬がわかりにくい。ただし10月半ばは荷(産地から送られてきたウスメバル)が少ない時季にあたる。2尾ともに生殖巣は非常に小さかった。「かび」あり、雌26cm・421g は三枚に下ろして刺身状に切ると身が白濁している。刺身の色からして、白く白濁したものの方がいいことがわかる。たぶんいちばん悪い時季ではないかと思うが、口に入れると脂があり、淡泊な中にもうま味がある。舌にのせてだれない。
コラム

岩手県普代のサケで、塩干しサケ

今年は2.5㎏を三枚に下ろした片身で、塩ザケを作る。味見しながら切っては焼いて、また干して、切っては焼いて、また干して。加減をみながら干し上げて、出来上がりは6切れとお茶漬け用5切れができる。味見した2切れを足すともっと正確な量になる。我が家の塩ザケには干しの工程が入る。といっても狭苦しいところに住んでいるので風に当てて枯らすとかではなく、干すのは冷蔵庫である。製造日数は5日間でしかない。個人的にはこれで充分だと思っている。サケを一本買いすると必ず作るもので、ボクにとっては常のものでしかない。世の中には、究極のとか、伝説の、とかいう薄汚い言葉があるが、そのようなものがうまかった、例しがない。平凡な人間の、平凡な食事には、平凡な塩ザケがいちばんいいのだ、ボクなんてと言いたい。
料理法・レシピ

ひじき煮には、酢を後がけ

ボクは当座煮とか常備菜が好きだ。切り干し大根、すき昆布煮、ひじき(ヒジキ)、大豆、干し椎茸などなどの乾物を使った料理だ。いちばん日常的なのは、手間いらずであっと言う間に作れる、「ひじき煮」だ。「ひじき煮」を作るとき、調味の段階で酢を少し加えたり、加えなかったりしていたが、最近、調味の段階では酢を使うのを完全にやめてしまった。気分的に酸味が欲しいとき、食べるときに酢をかけている。ものすごく些細なことだけど、料理というか、食べ物というのはこんな些細なことの積み重ねかも知れない。ちなみにボクの場合、使う酢は3種類。酢洗いに使うミツカンの銘撰(この安い酢はメーカーを問わず常備している)。日本各地で買った米だけの酢は味つけや、つけ醤油などのときに使う。赤酢はミツカンが基本。そして今使っているのは広島県尾道市の「マルシマ酢」だ。調味料は、これだ、と決めないで日本各地のものを使った方が楽しい。ヒジキの煮方がわからない人がいるとは思えないけど、念のために簡単な工程を。乾物のヒジキはたっぷりの水に入れる。少し置く(これは気分の問題で不要だと思う)。火に掛けて加減をみながら火を通す。この時点でさらに加熱しなくてもいいくらいに火を通すこと。ザルに取り、流水で洗って水を切る。一緒に煮つける素材でやり方が変わる。今回は油揚げなので、鉄鍋に水を切ったヒジキを入れて炒める。(油を加えてもいい)水が出て来たら火を弱めて酒・砂糖・醤油、(昔は酢)、油揚げを入れてからめるように炒める。我が家では加減をみて、常備しているうどんつゆ、とか、そばつゆを加えたりする。でもなければならないということはない。あれば、の話だし、つゆは半端な量残りやすいからだ。水分がほとんどなくなったら火を止めてそのまま冷まして出来上がり。
コラム

春夏秋冬おいしいのにイサキを知らない

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、大量のエネルギーを使う養殖魚の影に隠れていたり、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり……。それを「隣の珍魚」という。たくさんの種類の魚を食べ、「隣の珍魚」を知っていると、温暖化にわずかだがストップをかけられる。とても自然に優しいし、環境にも優しい。しかも大いに自慢できる】夏(決して夏だけではないが)だ! イサキだ、のイサキを知っている人は非常に少ない。でも、イサキを、「隣の」、とはいえ「珍魚」だというと「そんなバカな」という人と、「そうだ、見た事のない魚だ」とうなずく人に分かれるはずだ。そしてこの国に住む人の9割以上は後者だ。イサキという魚の存在を知らない人の方が圧倒的に多い。認知度が低いという意味での「隣の珍魚」なのだ。スーパーで見かける機会も多いし、刺身になって並んでいることもある。目の前に置かれているのに、養殖ブリの隣で、見えていない人が多い。ちなみに養殖魚は季節などとは無関係で、価格が安定しているので儲かる商材である。イサキは大きさや状態で価格を決めなくてはならないので、労力のわりに儲からない。養殖魚が大好きな人は小売店や水産業界の大いなる味方だけど、自然や地球環境の味方だとは思えない。イサキは、テレビからも雑誌からも、「知名度が低いから」、とか、「視聴率がとれないから」とかの理由で抹殺されている。とりあげてはいけない魚のひとつなのだ。一般的な料理番組、雑誌の基本となるページ(料理法のページ)でイサキを見た、という人はいないはずである。料理といえば豚肉とか牛肉とか鶏肉とか、魚でもせいぜいサーモン(養殖もののサケ科の魚)とか、少し背伸びしてアジ(マアジ)とか、くらいしかテレビにも料理雑誌にも登場しない。要するにマスコミの料理の関係者の頭に自然保護とか、食糧に自給率とかを真面目に考えている人は1人もいないのだ。豚牛鶏なんて、そんなものを使った料理はバカでも作れるでしょ、といいたい。半世紀以上前から連綿と続く、料理の焼き直しを来る日も来る日も続けているテレビや料理研究家って、バカじゃない。温暖化のことも、急激に地球規模で魚(食べ物)がとれなくなっている、こともまったく考えてはいない。この国で自給できるのは今現在、米と水産物だけなのに、おいしいパンを焼いたり、肉料理を作ったり、している場合なのか、愚か者達よ、と言いたい。
コラム

城ヶ島沖のムツの味に忍びなき

関東の千葉県、東京都、神奈川県、相模湾の伊豆東側はムツは最高である。この海域で揚がったものは鮮度がいいので、迷わず手が出る。ましてや釣り師が釣り上げて首折りしたものは、通常流通では手に入らないレベル、かけがえのないものと言えるだろう。さて、刺身はムツなのに食感が強い。どうやら1日早いようで、うま味は少なくあっさりしているが、この食感のよさは、その淡泊さを補って余りある。11月になると、さらに脂の乗りは豊かになると思うけど、ボクなど近年、これくらいがいちばんよい。ちゃんと舌に脂の甘さが感じられるし、豊かなうま味が舌に残る。炊き上がりの香り高いご飯に、山わさびを巻き込んで醤油に浸した刺身をのせて食べる。山わさびの辛味がムツに合う。天候不順でどこにも行けぬ、憂さが晴れる。
コラム

今年もまた「あかぜ」の季節となりにける

10月、11月ならマアジよりも「あかぜ(ムロアジ)」、だと思っている。もちろん扱い方にもよるが、この時季の相模湾ものは名状しがたい味である。ボクなど北の湖に立ち向かう平幕のような気分になる。萎縮して、爆発して、自滅というやつ。この自滅くらいうれしいものはない。まだ絶頂期ではない。1ヶ月先の最旬に向けての軽い舌触りだけど、口の中で時間がたつほど、じわりとうま味が来る。そこにちゃんと脂の口溶け感があるのだから、すごい。アジと行ったら一般的にはマアジのことだけど、マアジ以外のアジ知らないと人生の4分の3は捨てている気がする。アジ科のアジは美味揃い。なかでもこの時季の「あかぜ」は最高を超えている。
コラム

お昼ご飯は汐っこのポシェサンド

旅に出たいので、資料を読む平坦な日を送っている。ボクの旅はすべて目的のある旅なので、この退屈で平々凡々な時間には耐えるしかない。だから朝昼晩を作る時間と、食べる時間は大切にしたい。汐っこ(カンパチ)のポシェは何度か作っているが、昼時に、昼ご飯用にポシェすることはなかった。汐っこのサンドイッチは初めて作った。コンビニのツナマヨに近い味だけど、まったく違う味というと変だけど……。ハーブと白ワインで火を通したので、刺身にして独特の味である汐っこも、やや無個性な味になる。ブリ属のカンパチらしさは、全部を飲み込んだ後にやってくる。秋の汐っこらしい脂の存在と、ほぐれた身の口当たりは、ツナでもサーモンでもない。大量に粒マスタードを投入しているので鼻にツンとくる、のもいい。面白いものでケーパーはあくまでも独自の味の路線を行っている。これにレモンを落とした「お紅茶」を巨大マグカップで独り飲むのも、これまた淋し。
郷土料理

北海道根室市、「おおがい」、わたの塩から

北海道根室市は国内で唯一、オオノガイ漁が行われているところ。2024年6月24日の北海道根室市温根沼や春国岱でのオオノガイ漁解禁日(解禁日は年2回)に漁を見に行った。オオノガイは干潟の泥の中にもぐり込んでいるので、動力船などでの漁はできない。すべて手掘りである。この手掘り漁を、干潟を駆けずり回って見せて頂いた。オオノガイの料理に関しても聞いて回ったが、水管を刺身で食べるという人は少なく、常備菜とか保存食にする人ばかりだった。塩辛を作る、もしくは作っていたという人は取り分け多かったが、今でも毎年作るという人は少なかった。仕方がないので作り方を教わって、わたを譲り受けて作ってみた。
コラム

蛸さんにもらった「かげきよ」を刺身に

景清(チカメキントキ)は釣り師にもらっていちばんありがたい魚のひとつだ。真夏はともかくおいしい時期が長い。問題は釣り味がいいかどうかだけど、もらうボクには関係ないかも。まずは醤油をちょんとつけて食べる。ちゃんと脂が存在感を出している。身にうま味がたっぷりあるのもいい。なんと嫌みのない上品な味だろう。その上、味に奥行きがある。肝を醤油の中でつぶして、半分溶かし込む。これを刺身で包むようにして食べる。まあ、この味を表現するのは無理というものだ。景清の肝は魚の中でも最上級だし、ウマスギ、としか言いようがない。ついでにと言ってはいけないが、こりこりと心地よい歯触りの胃袋だってうまい。うまい上に、刺身で包んで食べると不思議な味になる。
郷土料理

氷頭なますを作るためにサケの1本買いをする

久しぶりの「氷頭なます」にどうにも箸が止まらない。日本酒にも合うので、ついつい杯を重ねることになり、終いにはコップ酒になる。心地よくなって、この「氷頭(上顎の先端と目の間の皮と軟骨)を食べようと思った始まりの地はどこだろう?」なんて考えてしまう。きっと村上市の人は、うちだ、といい。岩手の人も、うちだ、といいそうだ。こりっこりっとして噛みしめると髄液のような、不思議な液体が出てくる。軟骨なのにうま味がとても強いのはこの正体不明の液体のせいだろう。分厚い皮に微かに脂と甘味があるのもいい。ちなみに市販の「氷頭なます」で、うまいものに出合ったことがない。また作るしかないけど、来季かも知れぬ。
コラム

今季初マルヒラアジに秋潮を感じる

ここ数年、本種の若い個体を見つけると相模湾に秋が来た、と思ってしまう。だいたい10月、11月に少ないながら水揚げがあり、認知度は小田原でもゼロに近いので、そんなに無理をしなくても手に入れている。このマルヒラアジが赤道をまたいで広い生息域を持ち、相模湾は北限だと思うと感慨一塩である。今年の刺身も相変わらずうまい。身がきめ細やかで、その身に細かい粒子となって脂が混在している。だから口に入れて舌に乗せると、ねっとりしてほんの少し口溶け感がある。甘いと感じるのは脂のせいだし、アジ科ならではの豊かなうま味がある。
郷土料理

淡路産脚赤海老天丼

学生時代以来の神保町(東京都千代田区神保町で、本の街)族だったので、名物だった天丼はよく食べた。1週間に何度も『天丼のいもや』に行き、希に佐野周二御用達の『はちまき』にも行った。安くて満足度の高い天丼ばかりで、天ぷら定食なんてめったに食べなかった。天丼を食べにだけで神保町に行くわけにもいかないので、ときどき自分で作る。今回の「あしあか(脚赤/クマエビ)」など上等の部類である。一に「まき(小型のクルマエビ)」、二に「芝蝦(しばえび)」で、「あしあか」は東京では三のひとつといったところか。精進ものは避けて、ちゃんと東京風に仕立てる。できればごま油で揚げたかったが、普通のサラダ油で我慢する。油の香り弱くちょっと上品過ぎるが、天ぷらには大きすぎるくらいの「あしあか」が実にうまい。濃厚なエビの風味に、プリッとした強い食感が実に心地よい。甘辛い天丼つゆと油っけありの衣がご飯に合う。久しぶりにほぼ1合飯をえび天と香の物だけで食らったら、都心に出られない憂さが晴れた。
コラム

活けじゃなくてもよかったかも、汐っこの刺身

活け締めにしてから36時間後の刺身はあっさりした中に味があった。思った以上に脂が感じられた。東京で、「汐っこ」が好まれるのは、カンパチはあまり大きすぎない方がいいということと、このあっさりした後口のいい味からである。ちなみに相模湾北部、外房の沿岸域で秋には、せいぜい今回のサイズまでしかとれなかった。それが今、小田原魚市場には3㎏、4㎏なんてのがごろごろ揚がっている。この相模湾北部でのカンパチの大型化も温暖化のためだと思っている。今回の「汐っこ」の、背の部分にも脂が感じられる。これは明らかに秋だからだろう。ただ、ブリ属のよさは適度に酸味が感じられることだと思っているが、この時点では、その酸味がまったく感じられない。
コラム

10月下旬のウルメ刺し

切りつけた刺身は1ヶ月間で別物になっていた。9月の固体と比べると一回り大きくなり、身がしっかりと締まっている。身が締まっているので食感が心地よく、うま味が豊かである。小田原の、ウルメイワシの四季の変化が徐々に見えてきた。11月にはもう一段上の味となっているはずだ。次回は真子を楽しみたいので、焼いてみるつもりだ。
コラム

明石浦サワラを塩サワラにして作る鰆飯

いたるところに鰆飯あり。たぶん数えたら切りがないだろう。我が家の鰆飯は基本的に塩焼き、もしくは塩サワラを焼いたものを炊き込む。炊飯の用意して焼いた塩サワラを炊き込むのだけど、醤油と酒を少々加えるだけの単純なものだ。ときどきごぼうとか、にんじんとかを加えることもあるが、今回は焼いた塩サワラだけを炊き込んだ。炊き込みご飯は炊き上がりが待ち遠しい。秋、2合の、炊き上がりの湯気を浴びたうれしさよ、手にしゃもじだ。混ぜ合わせて茶碗に盛り盛りして、いつもながらにあっと言う間に食べてしまう。この短さに涙、涙、うれし、淋しの涙、なのだ。たぶん魚の炊き込みご飯の中でももっとも失敗がなく、もっとも端的にうまい。ここ数年、鰆飯を作るために、塩サワラを作っている気がするくらいだ。冷めてもう一杯、こんどはゆっくり食べる。焼いたサワラの香ばしさが、ほんの少しだけだけど、ご飯にも移っているのがいい。ほんの少しだけの醤油と酒なのに意外にも大活躍している。たった一つの味を全部の材料が、お互いに邪魔しないで作りあげている、これぞ茶碗の中の平和なのだ。すだちとローゼルの塩漬けを添えて、結構毛だらけ……。
コラム

小ヤリイカでかき揚げ、そして温そば

今週は過去のいろんな課題が解決して、それをまとめていたので、ほぼ椅子周りだけの暮らしだった。平凡だ、と思ったことが実は平凡でも何でもなく、非常に複雑だったと気づいたときの、「自分のアホさ発見」の悲しさは、他人にはわかりはしないかな。ボクはこれを「10回目の放浪記現象」と呼んでいる。というか、多くの人がこんなことの繰り返しだと考えるべきか。新しく買った水産物も使い、また冷凍保存して置いた水産物も活用して椅子にできるだけへばりついた。手持ちの素材でいろんな料理を作ったが、中で文句なしにうまかったのが、小ヤリのかき揚げである。八王子綜合卸売センター、八百角で何かの役に立つだろう、とニラ1束を、捨て駒的に買っておいた。これがまさかの8番打者の満塁逆転ホームラン、カキーンなんて思わなかった。ニラがあってこその小ヤリのかき揚げで、このおいしさは立ち食いそば屋の春菊天に匹敵する。柔らかくて上品過ぎる皮むきの小ヤリに、インパクトありすぎのニラが、味の邪魔じゃなくて神輿を担ぐように小ヤリの味を引き立てた。ちゃんと小ヤリが甘いのにビックリしたし、ちゃんとイカの風味もあるし、歯にイカの弾力というか食感もある。
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そろそろ名残の、ヤマトカマスの刺身

10月になって、市場にはアカカマスが毎日のように並んでいる。アカカマスの旬は10月から4月(もちろん前後)にかけてだと思っているので、おいしそうだな、とは思うものの手が伸びない。ヤマトカマスが去ってからのアカカマスとしよう、なんて思いが脳みそにがんと居座ってしまっているからだ。今回のヤマトカマスも刺身に切りつけたときの、包丁の重みだけで、わくわくして困った。刺身だけで、あぶりは不要だなと考えた。焼き目から来る香りが邪魔だろう、と思えたのだ。脂ののりは今月初旬と変わらない、要するに本種のベストシーズンが続いているのである。ヤマトカマスに「名残」をつけるのはボクぐらいかも知れぬが、名残惜しみつつ食べたい。それにしてもこの脂の舌の上での溶け具合、その甘さ、強いうま味。どうにも名状しがたい。
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10月24日、小田原魚市場、港のおっかさんのところで市場人の市場飯

小田原魚市場には4時過ぎに到着する。そこから水揚げされた水産生物をカウントしていき、いろんな方々としゃべり倒す。めぼしいものを採取して買ってと大忙し。当然腹ペコペコである。港のおっかさんのところでは、もちろん魚料理も食べるけど、市場で働く人達用野、おいしい普通の朝ご飯を食べる。この日はオムライス。普通のオムライスだけど、もちろん普通にうまい。どんどん胃の腑が温まり、まんぞく、まんぞくなのだ。
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トビハタはクエもチャマルもぶっ飛ばす

2001年にはただの魚でしかなかった。築地の仲卸が名前のわからない、ということで、活魚のメジナと同じ値段で買っている。確かに上から見ると、メジナそっくりなので、メジナと勘違いして仕入れたのかも知れぬ。まさかこれがハタ科の魚だとはだれも思わなかったのだ。2015年くらいからは築地場内、現在の豊洲でもメジナと間違う人はいなくなった。ちゃんとトビハタと書いて売っている。ハタ科の中でもトップクラスの味のよさを誇る、こともわかっているので、値段はいつ聞いてもすごい。10月の若い個体は、小型にもかかわらず脂がたっぷり乗っていて、口溶け感から甘く感じて、しかも味の嵩が大きい。個人的に刺身ではクエやチャマル以上だと思っている。凄い値段で買っても刺身で食べると「安いもんだ」と思わざる終えぬ、そんな豪腕、強い味だ。酒の肴にはもったいないので、刺身のために精米して、炊飯して、炊きたての白飯の友とする。
コラム

あんこうは鍋で食べれば万人向けの味

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、大量のエネルギーを使う養殖魚の影に隠れていたり、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり……。それを「隣の珍魚」という。たくさんの種類の魚を食べ、「隣の珍魚」を知っていると、温暖化にわずかだがストップをかけられる。とても自然に優しいし、環境にも優しい。しかも大いに自慢できる】11月の声を聞くと、「あんこう」の値がじわりじわりと上がり始める。ここまで書いて問題なのは、「あんこう」は標準和名(図鑑などに載るときの日本名)アンコウではなく、キアンコウだということだ。こんなややこしいことになったのは、明らかに世間知らずの魚類学者のせいである。これに関しては深く掘り下げないが、一般的な「あんこう」のほとんどがキアンコウという魚だということだけは知って置くべきだ。市場でキアンコウは「本あんこう」とも呼ばれている。年内から1月初めまでは高いが、それをすぎたら急激に安くなる。一般家庭で買うなら新年になってからがいい。地域差があるものの関東のスーパーなどで寒い時期になると、肝とぶつ切りがセットになって普通に売られている。手間がいらず、料理としても簡単なので、売れて困るだろうという話を魚屋にしたら、買っていくのは年配者ばかりだという。こんなにありきたりな普通の食用魚が近年じょじょに、関東ですら「隣の珍魚化」しているらしいのだ。「あんこう」は20世紀末になってもローカルな食材だった。全身ぶよぶよしたこの魚を盛んに食べていたのは、東京を始め関東周辺と大産地だった茨城県である。1980年代、東京築地場内では暮れになって「あんこう」の入荷が少ないと争奪戦になった。とても手が出ないと嘆く仲卸を何度も見ている。同じ頃、新潟県出雲崎近くの漁港で「あんこう」が捨てられていたのである。捨ててはいないかも知れないが、ボクがカメラをかまえていたら、「持っていっていいぞ」と言われてびっくりしたおぼえがある。どう見ても10㎏以上の「本あんこう(キアンコウ)」で嬉しくはあったが旅の途中なので辞退した。出雲崎ではとれてもほとんど食べないといわれたので、またビックリした憶えがある。今や「あんこう」は新潟県だけではなく、青森県、山口県下関の名物となっている。「あんこう」の食文化は流通と情報の発達によってやっと全国的に知られるようになった。それでもいまだに一般的な食用魚ではなく、料理店で食べる魚の域を超えていない。
コラム

男鹿半島沖のサバをマリネにする

痩せているからといって味がない、わけではない。脂のとろっとした感じがないものの、むしろうま味が複雑で味わい深いと思う。ここがサバの不思議なところだ。しかも塩をして、冷凍して、といろんな工程を経ているのに、しっかり食感が残っている。これは、釣り上げてすぐに締め、頭部と内臓をとったからだろう。サバの豊かなうま味にシェリーの香りと、橙の酸っぱさがプラスされて、一品料理としてどこに出しても恥ずかしくないものとなった。調和のとれすぎているところを、ケーパーと黒コショウが不協和音的な存在となり、意外に味に奥行きを出している。魚料理は調和しすぎてはならぬ、という典型的な例だ。この塩締め冷凍サバは、痩せたサバを食べる最高の手立てでもある。
コラム

北海道日本海、苫前から来たニシンを塩焼きに

初めてニシンの塩焼きを食べたのは、江戸川区小岩の北口にあった食堂で、だ。四国では一度もニシンを見ていないし、お使いで買ったおぼえもない。その食堂では、焼き置いてあり、レンジでチンして(セルフだった気がする)温めて食べた。それがあまりにもまずかったので、それ以来ニシンの塩焼きが嫌いになる。魚嫌いというか魚をあまり食べない自分を、魚好きに変革しようとしていた時期なので、これは大きな蹉跌であった。大好きになったのは神保町にある魚玉で食べてからだ。魚玉も焼き置きだが、客に出すとき焼き直してくれた。チンして水っぽく生臭くなったニシンとは大違いで、実に表面が香ばしい。ニシンは焼き方で非常に味が変わる、のである。ちなみにニシンはいまだに大衆魚でありつづけている。おいしいニシンの塩焼きを出す、食堂もまだまだいろんな地域にあるだろう。四方八方から焼き上げたニシンは中骨以外すべて食べられる。小骨は少々気になるが柔らかいので、幼児や介護が必要な老人以外はがぶりとやっても平気である。さて、ボクは最近、確実に子供の心に征服されているので、真子(数の子)から先に食う。いちばん好きな部分を食べたら、お後がよろしくないだろう、と思われるかも知れないが、本能が真子から食え、と命令しているので逆らえない。やはりニシンの真子はうまい。甘くておいしいだけではなく、独特の渋味があるのがいい。身だって青魚のうま味がたっぷり。ご飯にニシンの塩焼きをのせて、辛味大根をその上に。後はおぼろ〜♪ だ。
コラム

10月のヨコスジフエダイは湯引きかな

ヨコスジフエダイは今やイサキ並みに一般的な存在になりつつある。ただし旬がまだはっきりわからない。本種は寒くなるに従い脂が乗る。2005年から年間を通して食べているが、10月のヨコスジフエダイは刺身で食べても感動は薄い。脂の乗りが今イチで、うま味もやや少ない時季となると、湯引きにするしかないのかも。九州の湯引きは生食ではなく、ほぼ完全に火を通すものと、表面だけ火を通して中は生のものとがある。前者はハタ科の魚に、後者はタイ科や小型のフエダイ科の魚に向いている。比較的皮が柔らかく、薄いので表面を霜降りにして、身に味を出すといった考え方の湯引きである。皮はそれほど存在感がないが直下に薄い脂の層を感じる。湯引きして締まった身にも甘みがあるし、食感が増している。辛子酢みそで食べると、たっぷり食べても食べ飽きない。湯引きではなく刺身でおいしくなるのは12月になってからかも。
コラム

男鹿半島沖のサバはマサバか、ゴマサバか?

近藤亮さん(第八松宝丸 秋田県男鹿市)に秋田県男鹿半島沖の魚を送っていただいた。中にマサバかゴマサバか判然としないものが含まれていた。尾叉長34cmなので3歳くらいだろう。ゴマの模様はほとんど見られないが、時間をおくと微かに見えてくる。仕方なく背鰭1〜9の基底長と尾叉長を計る。11.8〜12.3%で、痩せすぎていることを考慮して、マサバとしたが、首折りをしているので測定が難しかった。
コラム

明石浦サワラで自分に作る照り焼き弁当

2㎏ものの片身を焼き物に使うと、かなり食べでがある。取り分け、尾に近い方が、中途半端だけど味があった。ここを同じように照り焼きにする。時刻はまだ午前7時過ぎである。朝ご飯はおまんじゅうなので、昼飯用に弁当を作る。楕円形の弁当箱の最長部分は16cm、アルマイトではなくステンレス製だ。お菜を入れる部分がご飯に対して大きいことなど、新しい証拠だろう。ご飯を詰め込んで、甘い甘い卵焼き(卵・水溶き片栗粉少々・砂糖・白醤油少々)、ローゼルの塩漬け、ハヤトウリの漬物を詰め込む。ご飯の上に焼きたての照り焼きをのっけて、たれをちょんちょんと散らす。これにて出来上がりである。食べるまでの6時間が長いなんてもんじゃなかった。テレビをつけると西田敏行の死を伝えていた。同級生と一緒に見た林美雄と一緒だった番組が、とても変で印象的だったことが想い出された。なんて、ぼんやり思いながらも、照り焼き弁当に心は持って行かれる。なんて、ぼんやり思いながらも、タレをもっとかければよかったかもとも思った。まあサワラの照焼は史上最強のご飯の友だ。しかも弁当箱に入った飯も最強じゃないだろうか。甘い甘い卵焼きも、柚子をの香りをつけたハヤトウリも、梅干し代わりのローゼルもよし、だ。弁当2つ作っとけばよかったなー。
コラム

思わず手が出た無塩のアカカマス開き

小田原で魚を見た帰りに、必ず立ち寄る神奈川県秦野市、スーパー ヤオマサ渋沢店は比較的地元密着で楽しい。そこで小さいけれど貴重な発見をした。ボク以外にはなんでもないものだけど、ボクにはとても重要な発見である。パック入りのアカカマスの開きまでは普通だが、そこに「無塩」の文字があったのだ。産地は小田原で、わざわざ「無塩」と書いているのは、「小田原開き(頭はそのままに背開き)」しているので、干ものと紛らわしいためだ。「塩分無添加」ではなく、今や死語になった「無塩」が今でも実際に使われているのは、非常に珍しいと思う。ちなみに開いた体表をなめると干ものほどではないが、微かに塩気を感じる。この開いたアカカマスの真の正体をヤオマサで聞いてみたい気もする。パックから取り出して、ただ単に焼いてみた。最近、塩分がダメなのであるで、ときどき塩をしないで焼いている。特にサバの仲間(サバ亜目。カマスはサバ亜目カマス科)は塩がいならいと思う事が多い。淡水魚は塩をしなければ味気ないが、海水魚は塩をしなくても最小限、塩味(しおあじ)が感じられる。アカカマスのように味のある魚ならばなおさらで、「無塩」をそのまま焼いてまずいわけがない。実際に焼き上げては食べると、微かな塩気を感じるし、味があるし、ボクにはしごくうまい。本種ならではの豊かなうま味とほどよい脂の乗りが楽しめた。
コラム

今年もいい味だ! 北海道噴火湾産オオズワイ雌

カニ食いではないので、カニで満腹なんてことはやりたくない。むしろカニの味にはシビアな人間である。ちなみに外子は味見程度には口に入れるが、ほぼ廃棄する。ズワイガニでもなんでもそうだけど、外子の多い個体はまずい。フンドシを外し、甲羅を取り、左右に割っただけで当たりだとわかった。クマイチゴ色の内子がこぼれ落ちそうである。いきなり内子ごと、甲羅下の身にかぶりつく。これなら、にわかカニ食いになっても仕方がない、といった味である。内子には、内子にしかない独特の濃厚なうま味と、強い甘味があり、喉元を過ぎた後にちょっとだけ苦味が感じられる。その上、身(筋肉)に、カニらしい香りがあるし、甘味がある。脚細なのに身がふっくらしているので、脚の先まで夢中になって食べ尽くせる。オオズワイの雌、あなどれぬ味である。
コラム

今季初ハタハタの塩焼きは釧路産

関東で暮らしているとハタハタの時季は、秋(10月)から始まる。10月からハタハタを食い始め、5月くらいまでがハタハタの時季だ。不思議と、夏に、ハタハタ気分にはなれぬ。市場では、秋に北海道の比較的大きなものが入荷してきて、やがて秋田県など東北日本海側のものがくる。春には山陰、鳥取県、兵庫県などがくる。産地での味の違いはないと思っている。成熟していない若い個体の方が脂があり、成熟が進むに従い脂が減る。雌の真子(卵巣)が硬くなったものはそんなにおいしくない。成熟個体は、真子よりも白子の方が味があるので、大きくなる雌よりも雄の方がうまい。
コラム

小ヤリイカげそ焼きそばで感じるノスタルジア

今回はどうせもいい徳島県西部生まれの無駄話をば。ボクは生来、甘い加賀屋のお好み焼きソースが好き、という話をしたいだけで、小ヤリイカの焼きそばの話がメインではない。1960年前後、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町南町)で、幼児の脚でもほんの数分のところにあったお好み焼き屋『吉田屋』にときどき通ったものだ。そのときの、焼きそばは脂身の多い牛肉を使ったものが贅沢だったが、豚肉はなかった。小学生になって「墓場の鬼太郎」を読むためだけに行っていた、お好み焼き店で初めて牛肉入りのお好み焼きを食べたはず。考えてみると当時は卵入りお好み焼きも贅沢で、普通は天かすとキャベツしか入っていなかった。もちろんイカ入りは食べたことがない。イカ入りのお好み焼きや焼きそばを初めて食べたのは、貞光中学校のときで、学校近くの『ひまわり』だった。『ひまわり』のお好み焼きは貞光町民には革新的だった。そしてどの店でもお好み焼きソースは甘かったのだ。以上、徳島県山間部生まれが感じる典型的なノスタルジアなのだ。加賀屋のソースがないので、我が家で作る東京の焼きそばは、敢えて言うと、八王子原住民風だ。八王子の魚屋数人、すし職人などに聞くとウスターソースか中濃ソースで味をつけるという。これじゃ味気ないのでケチャップを加えているが、ただただうまいだけで、はしゃいだ気分にはなれない。ラードで炒めたイカは意外にいい味出しているし、柔らかいのも魅力だと思う。でもやっぱりやっぱり、加賀屋のソースがないと徳島県人は焼きそばを食べた気がしない。こうなったら今年中に徳島に帰ろう!
コラム

舌切りのあまりもんを使って青柳飯

事務的なことと、定期的な仕事と、日常的な仕事で脳細胞が異次元に散らばる。なにをやっているんだかわからなくなる。気づいたら2時過ぎだったりする。気がついたのは腹が減っているからで、そんな感覚すら抜け落ちてしまうことがある。「(米を)まとめて買っておきなさい」と近所の米屋に言われたので、我が家には米、米、米袋が並んでいる。終日デスクワークという日々なので、精米して3合ずつ炊いて小分けにして冷凍保存して置く。最近、頻繁に作るのが煮つけや漬けを使った混ぜご飯だ。簡単ですぐに出来る。残り物の青柳(バカガイ)舌切りの混ぜご飯は作業時間、2分半と少々。電子レンジに冷凍保存のご飯を入れてスタート。2分半の間に材料を刻んで、チンといったら混ぜるだけだ。カップヌードルよりも短時間で食える。保存のために舌切りを漬け込んだ生醤油と、舌切り自体の苦甘い味だけのご飯だけど、ボクはとってもこれが好きだ。たぶん青柳好きにはたまらない味だと思っている。最近、ずーっと八王子綜合卸売センター、八百角で特売している水前寺菜の風味がいい。名残の時季となったみょうがもほんま爽やか。腹の虫を10分でなだめて、ふたたび異次元に戻る。
コラム

明石サワラはウマスギだった

サワラは最近、あぶり(焼霜造り)にすることが多い。刺身にはハズレがあるが、あぶるとハズレなしだからだ。ただし今回は刺身が上だった。脂だけではなく、身に豊かなうま味がある。る。あぶった香ばしさはいいにしても、あまりにも身自体の味がいいので、香りが邪魔だ、と思うほどにおいしい。さすが、明石海峡でとれたサワラはすごい。
コラム

おろ抜き大根について

南北に長い日本列島に暮らしているからだが、個人的に大根だけは季節を問わずあるといいなと思っている。F1(ハイブリットで2つの品種を掛け合わせている)が増えて、病害虫に強いものが生まれているのもあり、端境期がなくなっている。このF1のぜひはともかく、問題は、おろ抜きである。大根は1つのマルチ穴に数個ずつ種を蒔く。大きくなるに従い成長が悪いものを抜く、のだけど、この成長の遅いのが「おろ」じゃないかと思っている。本命の株は「おろ」がないと倒れやすい。「おろ」は大根栽培の縁の下の力持ちでもある。成長は悪いものの、主株には欠かせない「おろ」が役目を終えて抜かれてしまう。考えて見ると「おろ抜き」にも物語がある。この間引き菜とは別に、おろ抜き用に栽培しているなんてことはない、と信じたいので、以下はボクの最近感じたこと。おろ抜きの葉が柔らかくなってきている気がするのだ。ここ20年ほど、地方に行き大根が生えていると、もちろん栽培している方に断ってだが、葉を触らせてもらっている。F1だけかも知れないが、だんだん大根の葉が柔らかくなっている気がする。だいたい葉の棘もほとんど感じない。ひょっとしたら葉を収穫するのを考慮して品種改良しているのか? もしくはF1だから柔らかいのか。
コラム

男鹿半島沖のソイの焼霜造りに刺身

下ろしていると水に脂が浮かんできらきらしていたので、期待が膨らむ。ソイの定番料理、焼霜造りは期待以上だった。キツネメバルの皮は厚みがあり、皮を噛みしめるとうま味が浮かび上がってくる。岩礁地帯にいるメバル属の皮は非常にうまいのだと、改めて思う。しかも今回のものは皮下に脂の層がある。身にも脂が混在して、味のボリュームを感じる。
コラム

ヨメゴチはなんのために買うのか

ざっと消化管の中から出て来た巻き貝を撮影してみた。ちなみに貝類という曖昧なくくりには膨大な種がいる。イカもタコも入るけど、そのほとんど総てが巻き貝なのだ。貝類図鑑が、昆虫図鑑を作るくらいたいへんなのは、巻き貝も昆虫もミクロの世界の種があるためだ。貝屋さんが砂をざくざくやっているのを見ていると目眩がするけど、砂よりも小さな巻き貝がいるんだから仕方がない。
コラム

イシガキダイの小は大にうまい

偽ビールと室温の高清水辛口を並べて、唐揚げ&ビール、刺身&日本酒で逢魔が時を過ごす。偽ビールは350mlだし、日本酒は5勺なので、食べた後、軽く眠るためのアルコールだ。縦半分にがざっと割った素揚げは、中心部分はしっかりイシガキダイの味がし、その他の部分が香ばしい上に香ばしい。揚げ過ぎなくらい揚げているので、鱗も気にならず、中骨以外はさくさくと食べられる。ものすごく手を抜いた料理の割りに偽ビールが進む。
コラム

アルマイトの弁当箱に塩鰤2切れ

アルマイトの弁当箱に入ったご飯はやけにうまいという話をしたい。我が家にあるアルミの弁当箱は2つ。ひとつはただのアルミで、アルマイトではない銀色のもの。片方は大分県日田市の雑貨店で、昔、中学生(旧制で現在の高等学校)の学生が使ったというサイズのアルマイトだ。165㎜・105㎜で深さが54㎜あるが、これ以上のも、もっと大型も昔はあったらしい。買ってきて、ご飯をつめてビックリ仰天した。言われた通りにぎゅうぎゅうにつめると1合半くらい入る。ふんわりつめても1合で、おかず入れを脇に入れてふんわり詰めても、食堂の大盛りご飯以上だ。ここで大問題が発生する。ただのご飯なのにアルマイトの弁当箱につめるとず、ずーんとうまくなるのだ。しかもふんわりつめるよりも、ぎゅうぎゅう詰めの方がおいしい。昔、日の丸弁当(梅干しだけの弁当)なんて最低だ、と思っていたのは大間違いだったことに気づく。ちなみにボクはあまり弁当経験がない。徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の小学生は、お昼は家に食べに帰っていた。中学生の時は給食だった。高校生になると弁当を持っていくようになったが、ブックタイプというやつで箸箱が脇につき、おかず入れはパッチンとやるやつだった。初めて松本周辺に行ったのが、1990年代。この時代、旧制高校に通っていた世代がまだずいぶん生きていた。彼らは昭和2年から5年生まれで、アルマイトの弁当箱が高級品だった世代だ。話をもとにもどすと、このアルマイトの弁当箱に、飛騨高山や松本市では正月明けに塩鰤を入れて持っていくのがステータスだった。塩鰤が年取魚でもっとも高価だったためだ。久しぶりに旧制中学弁当を再現してみた。塩鰤だけでは寂しいので、梅干しにたくわんを加えたが、今どきこんな貧相な弁当を持っていく子供はいないだろう。ただ、不思議なほどうまいアルマイトの弁当箱のご飯に、熟成して濃厚かつ強い塩味の塩鰤が入っていたら、きっとこの上のサイズの弁当箱でも食い尽くせるはずだし、実は途方もなくぜいたくな弁当だといえないだろうか。これを食い切り、まだ胃の腑に余地があるのもアルマイト弁当箱マジックかも。
コラム

小糸ちゃんはできすぎ4、炊き込みご飯編

日々の暮らしで2つのことが同時進行してもギリギリなんとかなる。3つ重なってパニックになり、やっと2つになったと思ったが、少し面倒な仕事だったので、余計こんがらがる。脳が真空状態になり、お腹がきゅーっとなったので富山の反魂丹を一袋飲んだら、今度は腹がきゅーっとなって激しい腹ヘリ感が押し寄せてきた。深夜なので冷凍庫を探しに探して見つけたのが、イトヒキアジの炊き込みご飯である。炊き上がりを食べてから、そろそろ1ヶ月近くになる。チンとしたが、すぐには食べられなかった。チンして冷めたら、食えないだろう、と見ない振りをしてもう少しほったらかして、それでも我慢できないで、食べたら意外、だった。温もりのない炊き込みご飯がウマスギ GO! GO! だったのだ。たぶん4勺くらいなので、ゆっくり食べよう、ゆっくり食べようと思ってもダメだった。なによりも塩気がいいのだ。イトヒキアジのアジ科らしいおいしさを塩気がぐいーんと引き上げている。一時しのぎの飯が、まるで王様のご飯に格上げされたようだ。水前寺菜が独特の風味を醸し出しているもきいているではないか。だいたい午前3、4時に起きることが多く、食べ終わったのが午前0時半。まさか、まさかに眠れなくなる。■写真は炊きたてのときのもの。
コラム

ユメカサゴをべっ甲色に焼き上げる

最近、酒を飲みながら料理すると沈没してしまうので、我慢してノンアルコールで、作業開始。ガス台のグリルを温める。最初、塩をしたユメカサゴの表面を強火で焼き、最低限の弱火にして、5分ずつ様子を見ながら、ひっくり返しながら焼く。4回ほどひっくり返して、最後はつきっきりで焼き上げる。
コラム

産地不明のウチワエビを蒸す

最近、エビはマヨネーズで食べることにしている。未知の方に目の前でエビにマヨネーズを見せつけられ、ついつい真似したくなって、「真似るね」と言って、マヨネーズを分けてもらったのが、先々月のことである。見せつけられたときは、冷凍のミナミイセエビの試食だったけど、活けのエビにだってマヨネーズをつけないではいられなくなっている。このエビ&マヨネーズの日々は当分続きそうである。しかも今回は、辛子マヨネーズという最新の武器を用意した。ウチワエビはゆでるよりも蒸した方が身が締まり、うま味も濃厚である。ただしゆでた方が身は柔らかい。結局、蒸す、ゆでるは好みだと思う。蒸してまだ温かい内に手づかみで、身をつまみ出して野性的にかぶりつく。食べた後に口中に残るエビの風味がとても豊かである。半分はなにもつけず、半分は辛子マヨネーズをどばっとつけて楽しむ。食感が強いので、食べたぞ、という満足感がある。今回はみそ、内子もたっぷり。みそと内子の独特の味わいがこれまたすこぶるつきにうまい。
郷土料理

8月の北海道産ブリで塩鰤を作る

年取魚(大晦日から新年にかけて食べる魚)のブリはすべて塩鰤であった。新潟から富山、石川、山陰、玄海灘にかけて揚がったら、すべて塩蔵して保存していた。これを旧暦の正月前に売っていた。旧暦の正月は太陽暦の1月下旬から2月前半くらいまでなので、ブリは新暦の11月から1月にかけてとって塩蔵した。ブリ漁の最盛期は新暦の1月以降なので、新暦の年取・正月には間に合わない。そのため、2010年代初めまでは、岐阜県飛騨高山の安い塩鰤は養殖もの、高いものは富山湾などの天然ものであった。天然ものが、すごく高いのは氷見産であったり、時季外れに塩鰤を作るからだ。そして今、飛騨高山の塩鰤は養殖ものが下級品、北海道産が高級品となっている。
コラム

下の下でもそれなりにうまいベニズワイガニ

特売品ながら、ゆで上がりはキレイである。2尾並べるとゴージャスですらある。宴会などに1人1尾ついていたら、驚かし、にはなるだろう。
コラム

冷え込む夕べにショウサイフグで、ふぐちり

夜と昼の気温差に体がついていけない。夕方になると温かいものが食べたくなる。終日、ミクロな闘いをしており、しかもそのミクロなものは水産生物だけど食べるわけにもいかない。仕方なくショウサイフグを解凍して、「ふぐちり」にする。長い長い夏が去り、秋らしいと思う間もなく冬が来るなんていやだな、なんてことも思う。豆腐がなくて、愛知県の角麩があったのは奇跡である。9月の半ばにもらって忘れていた角麩である。この愛知県、岐阜県で食べられている麩はどれもこれも素晴らしい。これがフグのうま味とだしのうま味を吸い取っていいのである。合いの手以上、主役になりそうだ。塩で締まったショウサイフグに甘味があるのは、塩をした効果だ。身離れがいいので、食べやすく、またほどよいほぐれ感がある。フグってこんなにうま味豊かなんだというのも、単純なつゆで食べるからだ。水前寺菜を数秒つゆに沈めて食べると、また舌と脳みそが別の世界に持って行かれてしまう。このところ毎日のように市場に並ぶ、水前寺菜もまたうまし、だ。これから毎夜毎夜、独り鍋をつつくと思うと淋しいやら、諦観を感じるやらで、酒がすすんでしゃーない。

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