
東京都台東区には昔、40軒の豆腐屋があったという。それが今ではなんと4軒だけに。江東区の老人は(戦前なので1945年以前でしかも戦時体制深まる前)横丁を曲がると、豆腐屋、納豆屋のどっちかがあったともいう。いずれにしても今や都内の豆腐屋は絶滅の危機に瀕している。ちなみに24区内、特に下町の納豆屋は墨田区毛利にあった四ツ目納豆が最後で、絶滅したのではないかと思っている。さて10月27日に台東区稲荷町に『伊勢源』という豆腐屋を見つけて、木綿豆腐を買って今季初湯豆腐を食べた。考えてみると、ほんの20年くらい前まで下町で木綿豆腐というと嫌がられたものだ。ましてや絹ごし豆腐なんて言うと、一昨日来やがれ、と怒鳴られたことすらある。下町で買うのは「豆腐」であって、木綿豆腐とさえ言わなかった。

自宅軟禁といった1週間だが、多種多様な魚がやってきた。どれもこれも素晴らしい味だったし、超高級魚もあったが、意外にも真夜中にノンアルビールの友とした地味なものが印象に残りすぎたので、これを1週間のトップとしたい。マンボウの腸の干ものである。マンボウは、千葉県外房に通っていたとき、千倉から千田に向かう舗装が一部剥がれているような道路の、道ばたにあった魚屋で初めて買っている。この道路沿いに「マンボウあります」の文字を見ての初マンボウである。腸の干ものはおまけにもらったと記憶している。外房の郷土料理である、肝と身をみそで和えたものと比べると食べやすいというよりも、端的にうまかった。この国道沿いの魚屋がいまや激減している。考えてみるとそのとき、ボクはてっきりマンボウを下手なものというか、珍味のたぐいだと思っていた。それが外房に通う内に身近なもの、普通の食用魚と思えるようになった。一時期、肝の味の虜になったこともある。今回の主役、マンボウの旬は秋から早春にかけてなので、時季のものともいえるだろう。巨大な魚なので流通の場に丸のまま来ることはない。解体しての流通だが、ほんの数年前まで身(筋肉)と肝のセットで入荷してきていた。これが最近では腸ばかりがくる。身と肝よりも保ちがいいのもある。腸は単に炒めても焼いてもうまいが、身と肝は食べ方が限られる。

トラフグはフグ類唯一といってもいい高級魚である。上物ともなると魚の値段とはとても思えない値がつく。それでも10月、11月はさほど高くなく、師走になるとぐんと急カーブを描いて値を上げる。今こそが虎の買い時なので、トラフグを見つけたら買って食べている。江戸時代から庶民の味方であるショウサイ(フグ)もあるけど、トラフグと並んでいると、阪神タイガースのファンでもないのに、ついつい虎磁石に吸い寄せられる。八王子総合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウはフグ調なのでみがいて(毒の除去)もらえて便利。余談だが、釣りなどで、自分が釣ったフグ類は自分で下ろしている。地方にいって赤目(東京の呼び名でヒガンフグ)やコモンフグがあると、締めてもらって買って帰って自分で磨いている。オススメはしないがドクサバフグなどのフグの同定が完全にできるなら、筋肉だけを食べている限り危険はない。ちなみに、フグ類の多くが皮に毒を持つ、真っ先に捨てるべきなのは鰭と皮である。あくまでもオススメはしないが、なのだけれど。さて、初物ではなく、しかも野締めのトラフグなので料理は融通無碍、食べたいものを作る。やや小振りのものを天ぷらにしてみた。作り方は、三枚に下ろして身をペーパータオルでくるぐるまきにし一晩寝かせて水分を取る。揚げやすい大きさに切り、並べて振り塩をする。水分が出てくるので、拭き取り、小麦粉をまぶす。衣をつけて高温で揚げる。表面はややさくっと香ばしく、まるで鶏肉のように身が締まり、しかも魚らしいうま味がある。禁酒中なのでこれで飯を食ったら、なんと二はい。醤油4・だし2・みりん1の天つゆは辛口でどぼんとつけれれないけれども、とてもうまい。どぼんとつけたかったらだし4・醤油0.5・みりん0.5くらいがいい。我が家は丼つゆ兼用なので濃い。

八王子総合卸売センター、福泉に青森県産「ごり」が来ていた。間違いなく小川原湖で上がったジュズカケハゼである。今、この汽水域で揚がる小型のハゼは貴重な存在である。産地は青森県小川原湖と秋田県八郎湖であるが、秋田・青森両県でも漁師さんの老齢化が進んでいて、「ごり」の行く末が案じられてならない。今現在、淡水域・汽水域のハゼ科の魚は非常に水揚げ量が少なく、食用としてとっているのは秋田・青森両県、滋賀県の他には岐阜県、高知県がわずかに水揚げしているだけだと思う。さて念のために、青森県小川原湖産ならジュズカケハゼに違いないとは思うが、100パーセントそうかと言われると自信がない。ただ冬から春になると婚姻色がくっきり現れるので、間違いないようにも思える。そっくりさんには婚姻色が出ない。ここで念のために秋田・青森両県で揚がるのは汽水域に多いジュズカケハゼ、滋賀県で揚がるのは琵琶湖特産のイサザである。両種はウキゴリ属で、水底にへばりついて生活するのではなく、浮いて泳ぐ習性がある。岐阜県で漁が行われている「うろり」はヨシノボリ属のカワヨシノボリ、高知県などの「ごり」はチチブ属のヌマチチブと、カワヨシノボリである。ほかの県でもボウズハゼなど様々な漁が行われているが、非常に流通する地域が狭い。

スケトウダラは知らなくても「たら子」は知っています、は当たり前なのである。これぞ親不知子不知そのものだけど、丸のままのスケトウダラを見たことがある人は非常に少ないのが現状だろう。タラは国民的な魚といってもいいくらい重要であるが、そもそもタラにスケトウダラとマダラの2種いることすら多くの人が知らないと思う。スケトウダラは冷凍食品の「タラのフライ」の材料でもあるし、竹輪や蒲鉾など練り製品の原料でもある。「塩ダラ」とか鍋ものの「たらちり」とかに使うのがマダラである。少しは魚を知る人に限って、単にタラというとマダラを思い浮かべる人が多いので「たら子」をマダラの子と思っている人がいるのも事実である。スケトウダラの卵巣は卵粒(一つ一つの卵の大きさ)が小さくしっとりして味があるので、「塩たら子」や「明太子」などで抜群に人気が高い。対するにマダラの卵巣は卵粒が大きくて、少しパサつく上に1つの卵巣が非常に巨大なのでめったに小売店に並ぶことがない。念のために「たら子」はスケトウダラの子なのだ。タラ科の魚であるスケトウダラは普段は深海にいて、冬の産卵期になると浅場にやってくる。これをもともと日本海新潟県などでもたくさんとっていて、関東に送り出してきていた。これが徐々に北海道産がメインになる。また頭部を落とし、青森県産の真子と白子を抱いたドレスも最近あまり見かけないが、今年は来て欲しいものである。関東でもほんの20年くらい前まで、秋も深まると市場に小山をなすほどのスケソウダラ本体が見られた。当然、本来は副産物であった「たら子(すけ子)」なども消費地である東京で、普通に食べられていたはずだと思っていた。ところが関東の資料を読むと、やっと大正時代末(1920年代)くらいに「たら子」が登場してくる。比較的北国との繋がりが深い関東、特に東京でも「たら子」が身近になるのは昭和になってからかも知れない。スケトウダラ本体と「たら子」の逆転現象が起きた時代は不明である。想像でしかないが、スケトウダラのすり身加工が確立した高度成長(1955-73)期くらいからだと考えている。ちなみに高度成長期終盤に開催された大阪万博で国内の伝統的、かつ貴重な文化的財産が大大的に破壊、破却される。ばかやろう! 万博なのだ。

マサバという標準和名からは、明治になり、箕作佳吉などが西洋から取り入れた近代的な動物学をがむしゃらに学び始めたときの、息吹というか、明治の動物学者未満の人達の青春時代を感じる。この時代、北は北海道から南は琉球まで動物学者はあらゆる生物の情報、呼び名を集める。そして標準和名を決めていく。ボクが通っていた学校で「名前がないものは無なのだ」と教わったことがあるが、無から有を生み出す時代だったのだ。「真鯖」は、日本橋にあった魚河岸でのゴマサバと区別するための呼び名で、当時、教授としても若手だったり、学生だった箕作佳吉、石川千代松などは無我夢中でもめをとり、個体の採取をも行ったのだと思う。この時代、サバ属に関しては彼らにはよく理解できなかったのではないか? 例えば内村鑑三も石川千代松もサバ属の魚名を明確に採取していない。明らかにマサバ・ゴマサバの学名まではたどり着くが、タイプ標本のあるオランダは遠く、壁があったのだ。このあたりがボクには無性に面白い。

「トラフグの鍋」というと、どことなくしっくりこない。仕事をしていたときは年に一度は下町のフグ専門店でフグを食べていたが、店の隣の部屋が住居という庶民的な造りの割りにはお高くついた。養殖フグは食べないので、東京でうまいトラを食べるともなると、エイヤー! なんて気合いを入れないと暖簾をくぐれなかった。古く、日本橋魚河岸(東京市場)で「まふぐ」と言えばショウサイフグのことだった。「真」はもっとも普通の、その地でもっとも食べられているという意味でもある。たぶん松尾芭蕉の「ふくと(ふぐと)」もこの江戸時代の「まふぐ」だったわけで、敷居の低い庶民的な味でしかなかった。長年東京に高級魚トラフグは不似合いだったといえる。昔、大阪は南の平凡な居酒屋で、「二人前作りましょか?」と「てっちり」が出て来た。確か1人前1500円くらいだったと思うが、最初から値段がわかっているので、銘々1人前追加して、ついでに雑炊まで食ったのが、ボクの「てっちり」の最高峰かも知れない。ちなみに「てっちり」のよいところは他にいろいろ頼まなくても仕上げまで完備されているところで、結局安く飲めたことになる。さて、そんなトラフグ地図が大いに変わりつつある。漁場が北上傾向なのである。昔は玄海灘とか東シナ海とか山陰だったものが、今や三重県、静岡県、神奈川県を通り越して福島県でもたっぷり揚がっている。トラフグはもう西のものではなくなっている。その上、トラフグの相場は関東の方が安いようなのだ。実際このところ、千葉県銚子から安い天然トラフグがやってきている。これが12月の声をきくと味が断然よくなるのはいいとしても、値段もグンと跳ね上がる。庶民の手の届かないものとなる前にトラを食うのが庶民の知恵である。東京ではフグ調理師にみがいてもらわないと、食うことさえ出来ない。なんの意味があるんだこんな馬鹿げたこと、とは思うが仕方がない。八王子総合卸売協同組合、マル幸のクマゴロウがフグ調理師なのでやってもらうが、フグの取り扱いはより実質的に「フグの同定と毒の区別と除去」だけできればいいと思う。行政も漁業の現状を見るくせをつけなよ、といいたい。

熱帯域のバザールで危険を感じつつ地元のオバチャン、オッチャンたちの弁当を見て歩いた。ついでに同じものが売られていたので買ってみる。いくつか買ってみて、得体の知れないものもあったが、おかずの多くが魚の素揚げだった。これをキャッサバとかタロイモなどと一緒にビニールに包んで売っている。熱帯域でも観光地では醤油が売られてるためか、弁当を買うと醤油ベースのたれがついてくる。キャッサバ、タロイモはご飯と比べると味がなく、魚は水洗いがちゃんとしていないので、ところどころ苦くて、オマケに塩気がないなど欠点だらけだったが、じっくり味わいながら食べると捨てがたい味だった。また、アイゴは活け締めにすれば生で食べても矢鱈にうまいが、ニザダイ科は臭味が出るのが早い。取り分けサンゴ礁の小型種は下ろす前から臭いものもある。国内では、あまりとれない魚なので未利用魚としてはそれほど問題にならないが、手にいれたら、できるだけ食べたいので、片っ端から素揚げにしている。今回のヒレナガハギは観賞魚として人気が高い割りに、沖縄の競り場などでは十把一絡げの魚でしかない。同じくニザダイ科の小型種と一緒にトカザー(クスケー)として競られていることが多い。最近、沖縄の方からヒレナガハギは「トカザー(ニザダイ科の小型種の総称)の中でもっとも味がいい魚です」と教わり、再度食べてみたいと考えていた。ちょうどそんなときに鹿児島県鹿児島市、恵水産さんからヒレナガハギの画像が送られてきたのにはビックリした。あまりにもグッドタイミングなので、さっそく送ってもらう。

慣用句、「猫に鰹節」を小学生のとき教えられて、「いんじゃこ(いりこ)」と思ったことがある。ときどき家に巣くう猫にやる御馳走は「いんじゃこ」だったからだ。徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の商店街のボクの家に「いんじゃこ(徳島県西部では最低限いりこで、煮干しと言わないはず)」は常にあったが、カツオ節は見た記憶がない。寒い時季に教室に入ったらストーブがたかれていてとても温かかった。「杉玉鉄砲(細い竹とひごで作る水鉄砲のミニ版で杉の実を飛ばす。寒い時季のもの)」などの話をしていたら、同級生の息に「いんじゃこ」の匂いがした。ボクは典型的な学習障害児童だったので、好きなことしか興味がなく、勉強などはまったくしなかったが、やたらに食べ物のことが好きで興味があった。覚えていることも食べ物のことが多い。要するにボクの町の貞光小学校に通っていた家では、ほぼ「いんじゃこ」だったと思っている。今でもやたらに日常的に「いんじゃこ」を使っているので、ボクの体のかなりの部分が「いんじゃこ」で出来上がっていそうだ。去年暮れ、愛知県豊橋市で節類を大量買いしている。愛知県は「めじか節(マルソウダ)」の種類(節自体の大きさと削り節なので厚み)が多く、混合節にも「めじか節」比率が高い気がする。基本的に削り節は100g単位に分けて冷凍保存する。保存法としてはベストではないがあまり劣化しないと考えている。愛知県で買った「めじか節」と混合節をそろそろ使い切らないと、と思っていたら、今度は大阪市木津の市場で買ってきてもらった、和歌山県産(?)だという「いりこ」が底をついていた。「いりこ」がないと生きていけないので、八王子総合卸売センター、総市商事部で探したら、いちばん在り来たりな愛媛県伊予市の『ヤマキ』のものがあった。産地不明ながら、ボク好みの普通の煮干しで実際に使ってみたら、上々以上にいい感じだった。ちなみに「いりこ(煮干し)」は新鮮なものを、新鮮な内に鮮度管理も完璧な状態で作られたものの方がいい、という人が多いが例外も少なくない。かなり問題がある外見なのに素晴らしいものもあるし、見た目がいいのにダメなものもある。要するに買ってみないとわからない。例えば、千葉県産を悪く言う人に会ったことがあるが、なんて愚かなと思ったものだ。大きくて黒いけれど、だしの取り方によっては非常にうまいではないか。また、「いりこ(煮干し)」は大産地で大量生産するものももちろんいいが、むしろ狭い地域地域で地元で揚がったもの、自分の住まう地域の近くで作られているものを使うべきだと思っている。その地元産が切れたときに大産地で補えばいい。またこの地元の製造業者が消滅しているケースも多いだろう。今、国内の水産業において最大の問題は、地域地域で定置網などで揚がった魚を無駄なく使うシステムが崩壊しつつあることだ。干もの・乾物類だけではなく練り製品、缶詰など様々な水産加工業が漁港周辺になければならない。

17世紀、江戸の町で松尾芭蕉が食べた「河豚汁(ふくとしる)」はみそ仕立てか塩仕立てなのか? 種はなんだろう? とかいろいろあるが、そんなこととは関係なく、ボクはやたらにフグのみそ汁が好きだ。潮仕立て(塩味)の汁よりもみそがいいと思っている。ただし年齢ごとに替わっているので、どっちでもいいのかも知れない。今、愛知県の赤だし(みそ)にどっぷりはまっているので、今季初トラはトラフグの赤だしみそ汁にする。今季初トラフグは、八王子総合卸売協同組合、マル幸で見つけた銚子産である。のじ(野締めのことで、漁の間に死んだ個体)なのでお買い得である。最近、魚全体の値が上がってきているので安く感じるほどだ。

さすがに初めて食べるわけではない。1980年前後、都内にやたらに世界各国の料理店が出来たとき、メキシコ料理店でいきなり出て来たのがタコスだった。考えてみるとタコスは記憶に残っているが、メキシコ料理とはなんぞやと聞かれると出てこない。その頃、アボカドを都内スーパーで比較的よく見かけるようになり、なんとなくメキシコ・アボカド(トではなくド)をセットで記憶している。あまり食べ歩きをしないボクには遠い存在の食べ物で、食べたことはあるが、もちろん作ったことはない。ボクは人が作っているのをみると、真似したくなるたちだ。遠い先島諸島で夕べに一人淋しそうにタコスを作っているのを見て、タコスか! と思ったら、タコスに関しては何も知らないことに気づいて、無性に作りたくなる。タコスはトルティーヤという、印度料理のチャパティーのようなもので、餃子の皮の二倍くらいの半径のものでもある円形の物体で、さまざまなものを包んで作る。あとはタコスのソースだ。要するにトルティーヤとソースがあれば作れる。いろいろ調べて駅前までタコスセットを買いに出掛ける。まず最初のつまずきは、トルティーヤはトウモロコシのものと、小麦粉のものがあることだった。迷いに迷ってトウモロコシのものにして、迷っている間に目についたそのとなりのモンブラン大福まで買ってしまった。責任者出てこーい。もっとわからなかったのは、ソースだ。店員さんに不得要領に聞いたら、「鮹ソースですね」と言われて、「タコソース」って言うんだと知ったものの、何種類もある。いちばん普通の、を買う。

鹿児島県鹿児島市、タカスイからキアマダイ1.1kgがやってきた。アマダイ科で1㎏上はおしなべておいしい。過去に外れなしである。余談になるが築地場内が無法地帯のとき、アマダイ科の荷の前で、「白赤黄でなんとかかんとか……」といいながら、「黄はまずい」と家族に大声で話している大バカオヤジがいた。仲卸の店員が嫌な顔をしていたのは真ん中に黄があったためだ。こんなバカに限って㎏上の赤の値段を聞いてくるものの、買いもしない。1㎏1万円と聞き、素人丸出しに驚いたのかも知れない。ちなみに大型の赤と同じく大型の黄は、確かに少し安いものの、そのとき㎏あたり8千円だった。しかもアマダイ類の山の中に黄は1尾だけ。黄が混ざっているだけでも珍しいことから、意外に黄を食べたことのある人はほとんどいないはずなのだ。ちなみに黄を買ったのはボクで、土曜日だったので、思い切り値引きをしていただく。このような典型的バカは分かりやすくて罪がないので、仲卸も追い立てたりはしない。けど世の中、自分が食べてもいないのに、評価を下すバカが多くて困る。どんな食い物も食ってから評価せよ。

モンガラカワハギ科であまり大きくならない種類を沖縄では総称してフクルビなどという。今回の主役、メガネハギは本来は熱帯・亜熱帯の魚で、沖縄県を代表的するフクルビである。フクルビはどの種も同じようなところにいるのだろう。沖縄の漁港の競り場に、ツマジロモンガラなどなどとともに小山をなして並んでいる。昔から食用としている地域は沖縄県、鹿児島県の奄美、小笠原くらいだ。本種は東京都島嶼部で見る限り、本来の生息域、小笠原から伊豆諸島に北上してきている。これに困っている人達がいる。釣り師たちである。狙いはシマアジとかウメイロ、アオダイなのに真っ先に落とし込んだ餌にたかるのは、このメガネハギや同じくモンガラカワハギ科のナメモンガラなのだ。釣り師にとってもやっかいだが、普段モンガラカワハギ類など見たことのない料理人は、この硬い皮でぬめぬめしている魚に、もっと困っている。我がサイトでは、このモンガラカワハギ類(亜目)を「皮剥ぎ魚」としてまとめている。鱗を引くのではなく皮を剥くからだ。たとえば同じモンガラカワハギ類(亜目)カワハギ科のカワハギ、ウマズラハギも「皮剥ぎ魚」である。ただ、カワハギ科の魚の皮は剥きやすいが、モンガラカワハギ科の皮を剥くのはたいへんである。力がいる。4、5尾も剥くと頭部に血が上って顔が赤くなってくるほどである。昔、沖縄本島、泡瀬で巨大なゴマモンガラを一気にべりっと剥いている筋肉隆々の若い衆に出会っているが、要するに力がないと大型のモンガラカワハギ類はおろかフクルビすら剥けない。剥いたらそこにあるのはくせのない赤みがかった白身だ。ただ、見た目は悪くないが、身(筋肉)に味がない。おいしく食べるためには工夫がいる。

落語、芝浜にもある「芝」とななんだろう? 例えば現港区芝だとする。1590年に徳川家康が江戸入りして、江戸の町をつくるために江戸城近くまで入り込んでいた日比谷入江を埋め立てる。芝という地は入江の東にある江戸前島(島が現在の島と同じ意味になったのは後のことで、半島というか水域に孤立する地という意味合いもあった)の南端あたりで、芝の浜は埋め立て後も小さな漁港であり、多彩な江戸前の魚貝類の水揚げ地でもあった。それでは芝浜についた「芝」とはなにか? 我が家の漢和辞典すべてをみてもよくわからないし、語源辞典でも地名辞典でもよくわからない。まったくの個人的意見ではあるが「小」と同じ意味ではないかと考えている。下関などで「しばだい」はマダイ・キダイなどでも小型のことだし、老人が山に刈りに行く「柴」は漢字は違えど、「芝」同様「小」枝のこと。芝生も丈の短い「小」草のことだ。 『本草綱目啓蒙』(江戸時代後期)をみてもシバエビは東都芝に多産するから「芝えび」だが、芝浜自体が日本橋魚河岸などと比べるとローカルな小さな浜で、小さな浜で揚がる小さなエビという意味と考える方がいい。となると現在のクルマエビ科のシバエビだけではなく、テナガエビ科なども含む河口域で大量に揚がった小さなエビの総称とすべきかも。いきなり横道にそれたが、語源はともかくシバエビの入荷が本格化している。八王子総合卸売協同組合、マル幸にも佐賀県産がやってきていた。長いヒゲに指をからめて今季初シバエビ買いをする。

北海道産マイワシがどの仲卸にも置かれていて、どれもずばぬけた鮮度で、鱗がびっしりついている。八王子総合卸売協同組合、マル幸で厚岸産であることを確認して水氷に手を入れると、中羽ぎりぎりで小振りである。2、3尾手に取ると、かちかちに硬くてぬめぬめした感触だった。まさに、これを買わないでどうする、といったものだった。ちなみにこの秋に取れる小振りのマイワシが好きだ。このサイズを和歌山県では「白いわし」という。別に和歌山県だけではなく、愛知県でも千葉県でも同じサイズが揚がるが、このサイズで、脂の乗った個体はすこぶるうまい。ちなみに鰯(マイワシ)は秋の季語である。季語ではあってもあくまでも江戸時代の関東での話であって、俳句という非常に閉鎖的な文学の中での話でしかない。実際、マイワシは季語にならない。こんなところが秉五郎さんびいきになるゆえんである。

ゆでただけのマダラ(鱈)を初めて食べたのは日本橋大伝馬町でアルバイトをしていたとき、神田駅近くの居酒屋で、だ。「ゆでだら」と言っていた気がするが、はっきりしない。同様の料理の名を知っている人がいたら教えて頂きたい。初食いといったが、記憶があまりにもあいまいなので、なんども違うことを書いている気がして不安になる。当時、よく神田駅周辺で酒を飲んでいたが高架下の店と、アルバイト先の社員さんのオネエサンのやっていた店で何度か食べている。その前にも食べた記憶がある。最近、めったにこれを出す居酒屋はないそうだけど、当時は当たり前過ぎる居酒屋メニューだったのかも。ちなみに京都市内の居酒屋でも食べているが、マダラの切り身以外にも水菜、干し湯葉(?)などが添えられていて、少しオシャレ過ぎるものだった。関西以西では京都でしか食べていないが、この点でも調べる余地がある。マダラは日本海と茨城県以北に生息している大型の魚だ。考古学的には古代から食べられていたが、歴史的に見る限り室町時代以降に文字として登場してくる。産卵期は浅場に上がってくるが、それでも100m以深にいる。この深さの魚は中世になり、漁法の向上からとることが出来たのかも知れない。ちなみに「たら」という言語は明治時代の初めに日本橋魚河岸で使われていたもので、「真(ま)」は魚河岸の人間と魚河岸を利用していた人達が、スケトウダラなどと区別するためにつけたのだろう。国内のタラ科はスケトウダラとマダラの2種だが、東京の鮮魚はマダラが主流である。スケトウダラの生はほんの20年くらい前までは盛んに東京にも来ていた。それが近年急激に減少している。そして東京で鮮魚と同じくらい流通量があるのが「塩蔵タラ(ぶわたら)」である。ちなみにマダラの流通の歴史は室町時代にまでたどれとしたが、基本的に乾物(棒だら)であった。それが塩蔵タラでも流通するようになり、氷が作れるようになると鮮魚でも流通することになったのだと考えている。今回の「ゆでだら」は「塩蔵タラ(ぶわたら)」で作った。三枚に下ろして塩漬けにしたもの。古くは国内で水揚げされたもので作られていたが、近年ではほぼ総てがアメリカやロシアからの輸入されたものを原材料としている。当然、今回の「塩蔵タラ」も原材料はアメリカアラスカ産である。余談になるが、「塩蔵タラ」は魚の初心者にはもってこいの食材である。最近では塩分が低いのでこのままフライにしてもいいし、ソテーして朝ご飯に食べてもいい。魚を食べない人の多くが最初の一歩が踏み出せないはず。そんなときには、とりあえず「塩蔵タラ」をチョイスしてみて欲しい。

島根県で作られている鍋ものに「へか焼き」がある。「いり焼き」、「煮食い」とも言う。魚を主役とした醤油味の鍋で、大阪の「魚すき」にあたる。兵庫県日本海側但馬地方の「じゃう」、三重県尾鷲市の「じふ」なども基本は同じで、このしょうゆ味の鍋は、日本各地で作られているのだろうと思われる。2008年、島根県大田市和江では、底曳き網でとれたばかりの魚を夕方に競りにかけていた。これを夕市(現在は廃止)という。底曳き網には様々な魚がはいるが、売っても高値がつかない魚や、カレイ類の若い個体(小型)で作るのが、「へか焼き」である。カナガシラ、キダイ、ソウハチガレイ、ヤナギムシガレイなど、使われる魚の種類は日々変わり、多彩であった。これを福島県相馬市原釜産のミギガレイで作ってみた。大田市和江の元組合長であった月森元市さんに教わったやり方は、鍋に水と醤油を煮立たせて、そこにとれたばかり、水洗いしたばかりの魚を入れて、煮えたそばから食べると言ったもの。必ず入れるのはこんにゃくで、野菜はあるものを使い、豆腐も好みで入れるという鍋である。

鹿児島県鹿児島魚市場、恵水産さんからミハラハナダイがきた。最近、珍しくもない魚をみて極端なリアクションをする人とか、極端な言語を並べる人がいるが、ほとんどはややマイナー程度で、その魚たるや珍しくもなんともないといったものであることが多い。それからすると本種は正真正銘の珍魚と言ってもいいだろう。探してもなかなか手に入らないのだ。阿部宗明は築地市場に大量入荷したことがあると述べているので、広い海の中のどこかに群れを作っているのかもしれないが、現豊洲市場に移ってからもボク個人は1個体しか見ていない。記載者である片山正夫はタイプ標本を伊豆大島近海で手に入れているが、相模湾でも、伊豆諸島でもめったに揚がる魚ではない。余談だが、魚類学者は素晴らしい業績を残しながら、目立たない人が多い。まあ隣の県の蝶マニアの御仁もそうだし、この片山正夫などもそうだ。画期的なことをやり遂げた、益田一など生い立ちからして魚類学界の井原高忠といってもいいのに魚類学の世界以外では、知名度はイマイチだと思う。もちろん京都大学のあの方など偉大すぎて困る。伊豆大島なので三原山でミハラハナダイというのは標準和名としても、かなりイケテルと思っている。さて、ミハラハナダイ科のミハラハナダイはかなりハナダイ科に近い姿をしていて、身質もハナダイ科の魚に似ている。旬と外れの差が大きいのだ。我が家には静岡県沼津魚市場で最初に手に入れたもの(写真的に問題がある)から7個体が来ているが、早春の個体など脂が抜けてまったく味がなかったのだ。

ボクは若い女性にはモテないけど、老人というか、80歳以上のバアチャンにはモテる。昨日朝、お見舞いやろうか、と90歳プラスのバアチャンからケータイがはいった。その夫のそろそろ90歳の友人に「今車の運転はできないのよ」、と言うとひ孫が、欲しかった小説と専門書と貼り薬と、ナッツと野菜と意味不明の小ヤリを持って来てくれた。小ヤリはいらないとも言えないので、ありがたくいただく。小ヤリはバアチャンが近所の高級スーパーで買った半分だそうである。第二次世界大戦の経験者は過剰にお節介焼きだけど、そこがとても魅力的だと思う。本日、バアチャンよりも年下の黒柳徹子のインタビューを見ていたが、昭和一桁世代は苦労人というか、物事の本質を知っている気がする。頭がクラクラするので、小ヤリでアヒージョを作る。ざざっと洗って、水分をきるだけで小ヤリの下ごしらえは終了。大量のにんにくに、自分で作った塩ドライトマトをほんの少々刻み、たっぷりのオリーブオイルを入れた中に小ヤリを放り込んで塩コショウ。後は火にかけるだけ。乾ききったかちかちバゲットを水に浸してもどし、焼き直して、これで遅い昼ご飯にする。酒は飲めないので、アイスティーとアヒージョと、もどしバゲットで、遅い朝ご飯にしたが、やたらにウマシ。90歳と何年か知らないけど、ボクの母親と同じ世代である。まだまだ長生きして欲しいものだ。

世にお魚マイスターとか野菜ソムリエなどという言葉があるが、だたのカルチャーセンターのようなものかも知れないが、この言語を正しく使わないところが非常に嫌いである。マイスターは靴とか楽器とかもの作りにだけ使うものだし、ソムリエはワインとかその周辺の種類にだけ使うべきである。別にカルチャーセンターに通うのはいいにしても、小説のカルチャーセンターに行っても小説家にはなれない。要するにヒントのようなものが与えられるだけで、こんなもので本当のマイスターとかソムリエとかになれるわけがない。最低限自称してはいけない。ちなみに知識とか利用法の探求とかで、国内には水産物の分野で「物作りのマイスター」に例えるような深い知識を持っている人間はひとりもいない。それぞれの分野のプロはいる。ただ、魚屋は魚屋のプロだけど、水産物の知識はさほどなくても、商売上手ならなれる。漁師は漁のプロではあるが魚をおしなべて知っているわけではない。ただ、魚屋のプロは今現在確実にいるし、漁師のプロもいる。大問題は利用する側(消費者)のプロがいないのだ。さて、どうしてこんな話をするかというと、過去にこの手のカルチャー的な仕事に関わったことがあるからだ。その人達は目が見えていないのに絵を平気で語るかのごとき人間たちだった。例えばこの手のカルチャーなことをやらかす会社などは、水産の基本は知らず、奇をてらったものばかりを追う。水産の世界は「もっとも平凡な、もっとも日常的な水産物を知ることから始めなければいけない」のにそれをしない。今、もっとも知って置かなければならない水産物、例えば魚ならば、古くから食べられていたサメ類とか、カレイ類とか、イワシ類とかとかだし、今現在もっとも安くて庶民的な水産物だ。平凡を知らずして奇を追うことなかれ。

市場のマグロ屋のいいところは日常的にマグロを解体していることだろう。あくまでもボク個人だけの話だが「マグロの解体ショー」など、●●気をもようすほど嫌いである。まあもともとボクはやさぐれ、イベント・祭嫌い、なのでボクだけの話ではある。秋田県のとある町で街歩きをしたいので古い町並みのあるところを教えてと言ったら、その町の花火大会の話をし始めた観光課の女子がいて、心の中でこのバカ女子を射殺したくなったくらいハレ話は大嫌い。背中を嫌悪感が這い上がって死にそうになったこともある。そんなボクなので解体ショーをやっている人は気にしないで欲しい。マグロは日常の中で何気なく買うからいいのだ。その点、市場はいい。マグロ屋を冷やかして、いいのがあったら気軽に買って、自宅で普通に食えばいい。食はイベントとはちゃう。八王子総合卸売協同組合、マル幸で青森県産の本マグロ(クロマグロ)を下ろしていた。ちょうど中骨を片身からちょんちょんと包丁を当てて半身から外していた。「ちょっとだけおくれ。あのさ、あのさ、退院したばっかりだから退院祝いに安くしてよ」というと本当に安くしてくれた。ありがとうクマゴロウ!

流通の世界も、水産業に携わる人達も、軟体類の同定はまったく出来やしない、ということを照明するために、大嫌いなネットでの買い物をする。あらためてふるさと納税の闇というか、ふるさと納税は犯罪そのものであることがわかったりして、勉強にはなった。それなりに買い込んだ、ホンビノスガイの処分に困ったが、実は本種はやたらに歩留まりが悪い。アサリやバカガイと比べると重さに対して食べられる部分が極端に少ないのだ。余計なお世話かも知れないが、この点からすると現在の価格は高すぎると思っている。しかもそんなにうま味が豊かな貝ではない。実際、ボウル一杯のホンビノスを前に食欲が湧かないのだ。ちなみに今回、ホンビノスを買い求めたのは北海道などのビノスガイやエゾワスレなどと言語的に混乱が起きていそうだからだ。ホンビノスは在来種と比べて魅力はないとは思うが、例えば在来種のビノスガイと比べると数段上なのである。ネット社会の価値観の構築はまだまだ先のようだ。改めて、一般流通の世界の大切さを痛感する。

静岡県熱海市、宇田勝さんに網代漁港の魚をいろいろ送って頂いた。ニセタカサゴの若魚が混ざっていた。相模湾では北部でも普通に揚がるもので、まとまらないので未利用魚である。相模湾には古くから本種がとれていて、「たかさご」という呼び名も本来は本種に対するものなのである。この正真正銘、「たかさご」と呼ばれていた魚に「偽(にせ)」がつくようになったわけがだんだん判明してきたが、わからないことも多い。さて、この若い個体は非常に身が締まっていて、うまそうなのである。今回は撮影が立て込んでいたのもあり、刺身にしなかったことが残念ですらある。

八王子総合卸売センター、福泉に熊本県産マテガイがあった。産地もとる漁師もいなくなって、とても入荷が不安定なので、見つけるとつい手が出てしまう。国内で流通するマテガイ類はマテガイ、オオマテガイ、アカマテガイの3種で、そのどれもが入荷量はごく少なく、手に入れるのが難しくなってきている。最近では国内産マテガイがとれなくなりマテガイモドキ属のジャックナイフガイや、パキスタン産の和名のないマテガイまでやって来ている。新橋の居酒屋でマテガイとは似ても似つかないパキスタン産のマテガイが、堂々、マテガイとだけ書かれて品書きに載っていた。写真通りのパキスタンものがやってくるのかどうか、好奇心から思わずたのんでしまったこともある。マテガイは干潟の泥と非常に細かな砂が混じり合ったようなところに生息している。東京湾に自然の海岸線はほとんど残っていないが、残っている海辺には今でもたくさん生きている。千葉県木更津市の干潟で引き潮の時間が終わって塩が満ちてくるとき、あっちにもこっちにもじょじょに貝殻が出てくるのを無心になって引っ張りとったのが懐かしい。ちなみに引き潮のときに塩を振ってとるのも楽しいけど、満ちてきたときに「満ちてきたぞ、満ちてきたぞ、わーいわい」といいながら出てくるマテガイをとる方が好きだ。

静岡県熱海市、宇田勝さんに網代の魚をいろいろ送って頂いた。中にハタンポが入っていて、検索してミナミハタンポにいきついた。ハタンポは魚類検索ではわからないこと、わからない種が多く至難である。無意識にハタンポを避けていたところにいいきっかけを頂いた。まずはお礼を。相模湾にいるハタンポでいちばん多いのはミナミハタンポだと思っている。次いで元標準和名がハタンポであったツマグロハタンポ。ミエハタンポらしい画像もあるが、自信がないので後々確認していきたい。これが駿河湾以南だと何が何だかわからなくなる。問題は小枝圭太さんの研究によるダイトウハタンポ、ユメハタンポ、ボニンハタンポ、キビレハタンポなど新登場のハタンポたちである。ただでさえ混沌としているのに、もっと遙かに複雑になりそうで恐い。ボクはこれをハタンポ応仁の乱と呼ぶことにする。閑話休題。さて、ハタンポはとても味がいい。四国や九州、沖縄県では歴とした食用魚で、漁師さんなどで絶賛する人が多い。相模湾周辺では、ほぼ未利用魚であるため、一生懸命拾っているのはボクくらいかも知れない。そして拾うたびに同定で苦しむ。来週辺り網代にうかがいたいと思っているので、目的はハタンポとしてもいいくらいだ。さて、ミナミハタンポは水揚げされるとみな同級生ばかりだと思っている。大小がないのである。

最近、古いノートをワープロで打ち込んだテキストをときどき見ている。もともと大して打ち込んでいないし、少ししか変換していないが、初甘エビ(ホッコクアカエビ)は高校二年生のとき銀座で、だ。なぜこのとき東京にいたのかは、あまりにも恥ずかしいので言えない。女性誌に「とても珍しいエビが食べられると載っていたので、その店を選んだ」と家族に言われている。甘エビは1970年代、東京で一般的には非常に珍しいエビで、1980年代になってやっと知られ始めた、新しいエビだったと考えている。それまでクルマエビを筆頭に、大正えび(タイショウエビ)、シバエビ、サクラエビ、イセエビ(以下は省略)などが国内を代表するエビで、これらはみな浅場でとれるエビたちである。ここに新たに登場した甘エビは水深300m以上の深海に生息している。当然、動力船以前(帆や櫂でこいで船を走らせていたとき)、また化学繊維以前にとるのは大変だった。タラバガニやズワイガニがたまたまとれて知られていた時代に同じ程度に知られていたエビだ。ちなみに甘エビの科・属名であるタラバエビのタラバは、マダラがいるくらいに深い場所(鱈場)にいるエビという意味がある。これが動力船になり、化学繊維の網やカゴができると漁業対象になる。日本海で「トンエビ」というのは、とれると何トンもとれるためである。さすがに今では漁獲量は激減しているものの、それなりの金額を出せば国内でとれたものが手に入る。ちなみに甘エビは2種類のエビの総称である。アイスランドやカナダ、グリーンランドなど大西洋北部からくるホンホッコクアカエビ(国内産と同種だと思われていた)も甘エビとして海鮮丼などに盛んに使われ、またスーパーにも並んでいる。この海鮮丼などに使われている甘エビは冷凍ものである。冷凍と完全なる生との味の違いは少なくない。甘エビ(ホッコクアカエビ)は島根県以北の日本海、北海道以北の深海にいる。国産以上にロシアなどからの冷凍輸入ものもあり、流通の全体量は非常に多い。海鮮丼に甘エビが入っていて、「贅沢だ」などと思っていると、実は大西洋産やロシア産の冷凍品だったりする。冷凍エビはとても儲かる商材なのだ。

八王子総合卸売協同組合、マル幸で10月2日に買った神奈川県佐島産小ガツオ(全長43.5cm・1.341kg)は半身を「生節」にした。「煮節」、「ゆで節」、「いで節」、「生利節」ともいう。スーパーなどにも普通に置かれているが、関東では食品棚の隅っこが定番位置、といったもので、まだ一度も食べたことがない人も多いのではないか。そのまま食べてもいいし、甘辛く煮てもおいしい。鮮魚と比べると下ごしらえ不要なので、忙しいときなどにもっと活用して欲しいものである。「生節」とはなにか? カツオはとても「足の速い魚」である。今現在、カツオは一般流通(加工品流通ではなく)では鮮魚か冷凍が普通だ。これは冷蔵技術・輸送技術が向上したためで、鮮魚が多く出回るようになったのは、1950年代になってからだと考えている。それじゃ、江戸時代後期、江戸っ子が小判3両出してでも買っていたカツオはどうなんだ、となる。初カツオが生か、生に近い形で食べられたのは、大消費地である江戸の町と産地である相州(神奈川県相模湾周辺)、上総(房総半島)が近かったのもあるし、また江戸が国内でも随一のお金持ちの町でもあったためだ。江戸時代は歴史的に見ても寒冷な時代だったとされている。それでも旧暦の4月・5月(新暦の5月下旬から7月初旬)に相州・上総で揚がった初ガツオを、生で食べられる状態で江戸の町まで運ぶのはとても大変だった。それを可能にしたのは人力(人足)である。船にしても、陸路にしても漕ぎ手を増やし、大人数で野山を駆けて運んだに違いない。カツオの代金には、このたくさんの人力のための代金(運送料)が入っていたのだ。たぶんだけどこれだけお金をかけても当たる人はいたはずだ。

ネット上でもテレビでもそうだけど毒魚という言語がたびたび使われている。昔、テレビで内臓に毒を持っている魚だと聞いて、触るのも危険みたいなリアクションをする芸人がいて、それをそのまま放映していた。これなど愚かなDが愚かなリアクション芸人に、非科学的なリアクションさせているだけではあるが、笑っていられない不気味さを感じる。アニサキスにかかって大げさなことを言って、マスコミでの露出を喜ぶげすタレントに似ていて、まことに薄汚い。例えばフグ毒、純粋なテトロドトキシンの毒性は高いが、フグが純粋なテトロドトキシンを持っているわけではないのだ。フグ毒にはMU(マウスユニット)という、人にどれくらいの毒性を与えるのかの、数値が存在する。だから筋肉に毒を持つショウサイフグだって食用可なのである。ちりめんにほんの数グラムのフグの稚魚が混入しただけで、食糧不足の現代にあっても回収っさせるなんてことを非常に愚かな行為を保健所がやっているが、これなど常軌を逸している。フグが混入していたら、できれば食べない方がいいと言えばいいのであって、食べても死ぬ可能性なんてない。個人的には極端に生物を危険視しするのはいけないと思っている。せっかく平和に暮らしている、セアカゴケグモを見つけ出して全部殺してしまうなんてやたら恥ずべき行為だと思う。だいたい温暖化をまねいた人間のつけを、温暖化でやってきた生物に払わせていいのか?いまだに八王子の市場のフグに子供が触りそうになると、「毒があるから触ってはダメ(基本的に買わないのに触ってはダメなんだけど)」と言う親がいる。なんて非科学的なことを言うんだバカヤロウといいたい。毒よりも恐い戦争は、プーチンもそうだけど、根拠のないこと、非科学的なところから始まるんだよオバカサンといいたい。くどいほど言わせてもらうなら、フグは毒がある以前においしい魚なのだと教えるべきだ。ヒトという生き物は自然破壊し、自然に毒を平気でばら撒いているくせに、危険性が非常に低いものに限って、極端な報道をしたり、行政が条例を作ったりする。ハレンチではないのかねヒトって。今、市場などを通じて流通しているフグは場合によっては調理師が毒を除去してくれるし、予め除去したものはちゃんと許可証が添付されている。漁業資源が激減している今、合法的に流通しているフグは、もっと積極的に食べるべきなのである。

ホンビノスガイは北アメリカ東岸原産の二枚貝で、2001年に流通の場で千葉県船橋産を初めて見た。当時の貝類図鑑にはなく、北海道などにいるビノスガイに似ていると思いながらも買っている。たぶんだが、本種が流通に乗ったのは2000年前後だと思う。ホンビノスガイにたどりついたのは、翌年のことで、2003年には京浜運河まで採取に行って、運河に堆積した砂地にごろごろといるのにビックリしている。千葉県立中央博物館の貝類学者、黒住耐二さんは1990年代に東京湾奥で稚貝を採取しており、すぐに成貝も手に入れたと言っているので、アメリカ東岸からの移入時期は1990年代半ばかも知れない。どのように移入してきたのかは不明だが、世界中を見渡すと、何種類かの二枚貝がコスモポリタンになっていて、その多くは船のバラスト水に混ざって生息域を広げたのだとされている。本種も同じだろう。この新顔の二枚貝が、千葉県船橋市で水揚げされるようになり、日本各地に送られるようになると思っていたのは、船橋市の貝類業者ぐらいだろう。そのときすでに、「白はまぐり」という商品名が出来上がっていたはずなのである。ちなみに船橋市周辺は江戸前の二枚貝の宝庫だった。トリガイ、バカガイ、ハマグリ、アサリなどだ。船橋市はこれら多産する二枚貝の加工のメッカでもあったのだ。それが今や市内でとれるのはホンビノスのみとなっている。東京湾は自然の海岸線を破壊しすぎているのだが、そんな海でも生きていけるのがホンビノスだともいえそうである。

神奈川県小田原などの船宿で、釣り客が一人っきりのときやれた釣り方にカッタクリがある。イナダ、しよっこ(汐っこ・カンパチの若魚)などを狙うのだけど、希に「かきのたね(カツオの幼魚)」や、1キロ前後のカツオやキハダマグロの子が釣れた。明治生まれの船頭に、「こんだらもん、イナダの方がうまいだ」なんて言われながらも釣り上げて喜んでいたときは、また釣り味を尊んでいたんだと思う。ボクの場合、釣り初心者のときは釣り味を楽しみ、その内、魚の味の方が楽しみとなる。この「かきのたね」や小ガツオで当時作り始めたのが「揚げたたき」である。非常に単純な料理なので、だれでも考えつくはず。到底、ボクのオリジナルなどとハレンチなことは言えないけど、なぜ、こんな料理を作ろうと思ったのか?最近、読み直している8インチフロッピーの過去のテキストを見ていて、学生時代の失敗からかも知れないと思い至る。同級生が集まってワイワイガヤガヤ料理を作っていたとき、刺身にするはずのカツオの4分の1を、そのまま天ぷらの鍋に投げ込んだ男がいたのだ。たぶん酔っ払っていたに違いないけど、まだ食い盛りの学生なので、その素揚げのカツオに醤油をつけて一気食いしているのである。失敗作だけど、とてもおいしかったのだ。仕事を始め、船釣りを初めて、この記憶がどこかしら頭に残っていたことからの、「揚げたたき」だと考え始めている。以来、40年近く脂のない小ガツオがあると必ず「揚げたたき」を造っている。さて、八王子総合卸売協同組合、マル幸にあったのは神奈川県佐島産の小ガツオ(全長43.5cm・1.341kg)だ。

八王子総合卸売協同組合、マル幸にあったのは北海道産13入りのサンマだった。少し前までは樽入りや4kg入り、5kg入りなどもあったが、今は2kg入りなので、13入りで1尾155g前後である。それでも去年よりも遙かにいい。昨年は同時期に110gとか120gが出回っていたことを考えると、明るい兆しかも知れない。ただ、この13入りは高い。12入りなど、とても手が出ない値となっている。ちなみにこの12入りサイズは昔、秋も深まったとき、樽入で大量入荷していた、そんなサイズである。それを考えると隔世の感がある。やはりサンマの不漁は続くのだろうな。

教わったらすぐ試してみるタイプなので、FBで藤林久仁子さんに教わった、桃屋の「きざみにんにく」をさっそく買って来た。桃屋はやたら懐かしい三木のり平の江戸紫が思い浮かぶが、今ではいろんな種類のいろんなものが出ていて、思わず当初考えなかったものまで買って来た。考えてみると、キアンコウで使った「キムチの素」も桃屋だった。さて、味見してみると、このまま食べてもかなりうまい。年をとって辛いものがからきしダメになったボクにもピリ辛少々で優しい味だし、塩味もほどよく、にんにくの香りは十二分に強いというところもいい。さすが、三木のり平の桃屋である。

八王子総合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウが利島沖で釣り上げた、クサヤモロは非常に大型で体長38cm・0.67kgもあった。持って帰ってきたと言うことは、たぶんデカすぎて餌にならなかったのではないかと思われる。相模湾、伊豆諸島周辺にはムロアジ(赤むろ)とクサヤモロ(青むろ)ともに生息している。2種では後者が少しだけ水温の高い水域にいて、ある意味、棲み分けているのではないだろうか? 伊豆諸島周辺で釣り師が釣ってくるのはクサヤモロばかりだ。たぶんだが、本種の漁獲量がいちばん多いのも全国的にみても伊豆諸島周辺だと思っている。伊豆諸島の特産品「くさや」の代表的な原料だからこの呼び名がある。「くさや」のほとんど総てが関東で食べられている。昔、島根県の漁師さんと築地場内を歩いていたとき、段ボールに入った「くさや」を嗅いだときの漁師さんの表情が忘れられない。鼻をつまんで「これ食べる人がおるんかい(出雲弁で)」と言われたのだ。ビニールで密閉されていたのに匂いを感じたのは、「くさや」初体験だったためだろう。西日本ではまだいちども「くさや」を見ていない。ついでに2000年前後、福岡市柳橋連合市場の乾物店で聞取したら過去に何回か仕入れたことがあるというが、当然の如く売れなかったという。

八王子総合卸売協同組合、マル幸で9月22日に買ったチダイは尾頭付きで焼き、食べるだけ食べて残った頭部と中骨は冷凍保存した。毎日4時間単位で仕事(?)をしているので、一日三仕事にすると、真夜中に空き時間ができたりする。日付が替わる時間、まさか飯を食うわけにもいかず、最近では正一合程度の酒をのむための肴を用意している。今回は豆腐があったので、湯豆腐を作る。東京西部の水道水をいかに濾過してもだしは取りにくい。仕方がないのでフランスのボルビックを使っている。今のところこれがいちばんだしを取りやすい。ただフランスから水を運ぶなんて、しかもその水を使うなんて、なんて恥ずべき行為なんだろうと反省している。現在の在庫を使い果たしたらペットボトル入りの水をやめて、だしに関しては別の手段を考えなくてはならない。悲しいことにボルビックで取ると昆布だしが早くおいしくとれる。これを科学的に説明してくれる人おらんかな?だしをとったらド深夜なので、すまんすまんと謝りながら頭部と中骨は捨てる。

今季、筋子はそれほど高くない。9月25日はたぶん一年ぶりくらいの筋子買い、イクラ作りである。イクラは、頼まれて作ることもあるが、自分用に作ることは年一、二回程度である。そう言えば、昔、テレビで芸人さんが市販のイクラをご飯に大量にのせて食べたのをそばで見ている。まさか食べきるとは思わなかったのに食べきったのである。イクラのだいたいの塩分濃度がわかるので、その根性はすごいなと思うけど、体に悪いことこの上なしだ。市販のイクラは塩辛くて食べられない。イクラを自家製するのは塩分を限界にまで少なくするためである。

八王子総合卸売協同組合、マル幸にで新潟県佐渡産のチダイがきていた。チダイという標準和名は関東ではほとんど使われていない。江戸時代、明治時代には「小滝鯛」、日本橋の魚河岸では、現在若い個体にだけに使われている「春日子鯛(かすごだい)」が、成魚のことでもあったようだ。そして今、関東では「花鯛(ハナダイ)」呼ばれることが多い。明治初年時でも比較的一般的ではなかった呼び名、「血鯛(チダイ)」を標準和名として採用した理由は不明だが、魚類学をやっていないとわかりにくいが、属の段階になるとわかりやすかったりする。古くから塩焼き用の魚とされていた。明治時代から1970年以前(関東大震災、第二次世界大戦とともに文化の大破壊が行われた年)の書籍を読んでいると、近海で揚がる魚はそれぞれ用途が決まっていたことがわかる。1980年前後、世田谷区桜新町の魚屋で買ったとき「焼くだけにしようか?」と言われたことがある。そのチダイの定番とされる塩焼きを作る。特別な器具がないので今回の体長25cm・415gは丸のまま焼けるギリギリのラインである。

15年前、午前3時の那覇市農連市場でおばあの朝ご飯を見せてもらった。沖縄らしい味つけした魚の天ぷらがタッパーに入っていて、何人かで分けて食べていた。うるま市の農連市場でも同じものを食べていたが、こちらは自家製ではなく市内の天ぷら店の天ぷらだった。魚の天ぷらならグルクン(タカサゴ)やグルクマー、キハダあたりかなと思ったら、意外すぎるものだったのでビックリした。サンマの天ぷらだったのだ。沖縄本島中のスーパーを片っ端に見て歩くと、確かに解凍サンマが普通に置いてある。総菜売り場にもサンマの天ぷらがあった。いかにも旅のもんですが、といった感じでサンマのことを聞いたら、島の魚よりも人気があり、天ぷらも作るという。サンマの不漁に「サンマが食べられなくなる」とこの国の人間は突然降って湧いたかのように宣い、テレビでも報道する。これには強い違和感を感じないではいられない。本来サンマを食べない地域にも売り込み、本来サンマ漁をやっていなかった臺灣にサンマ漁を導入させたのも、この国の仕業ではないのかな?漁業と自由主義経済は切り放して、厳格化しないとダメだと思うな。自由経済は明らかに破綻していて、ある意味、弁証法のように大きな視点で考えるときが来ていると思う。ちなみに我がサイトは多様な生物を多様な料理法で食べることが、自然には優しいということからはじまっている。そろそろ生きること、食べることは自然と直結することだと、思って欲しいものである。いろんな自然保護のイベントや活動をやって目立っている人達は無数にいるけど、この日常的なことをから自然を考えようと思っている人が少なすぎる。イベント的な自然保護活動は否定しないけど、日常的に自然保護を考える方が地球を救う効果は数十倍ある。

9月11日、八王子総合卸売協同組合、マル幸で宮城県石巻産のゴマサバを買った。全長44cm・937gだから大型である。触っただけで脂ののりがわかるといったもので、もともと断面の丸いゴマサバが余計に丸く感じる、そんな上物だった。

ボクのおさかな365以上日記 小ヤリはイタリア風(?)トマト煮がいい市場では秋の小イカからはじまって春の大イカで終わる。そんなヤリイカの陰が薄くなってしまっている。相模湾などでも本来ヤリイカシーズンである寒い時季にもケンサキイカ(赤いか)がとれる。主役であるはずのヤリイカは探さないといけなくなっている。最近、真冬にケンサキイカとヤリイカが隣合わせで売られても驚かなくなっている。南のケンサキイカがずんずん北上して、北のヤリイカがずんずん北に去りつつある。日本列島のイカ地図(勝手に作っているもので非売品)では、成り上がり者のケンサキイカの勢いに押されて、大大名であったヤリイカ家が石高減少で滅亡してしまうのではないかと思えるほどだ。ヤリイカ科ではアオリイカ、ヤリイカ、ケンサキイカとそれぞれ味に違いがあり、それぞれに好きなのでヤリイカが消えてもらっては困る。さて今季のことだが、ヤリイカは8月末から9月ころには当歳イカが入荷してくるものと思っていた。走りの時季は外套長7cmくらいででしかない。9月の声を聞くと、茨城県、福島県などからこの小ヤリがわんさかやって来ていたが、今年は来ないなーと首を長くして待っていた。やっと見つけた初ものはなぜか常磐を通り過ぎて、いきなり北海道函館産である。常磐の小ヤリ何処へ? 豊洲まで探しにいかないと見つからないのかも知れない。

板ノリは焼きノリもあるし、生板ノリもある。頂き物があり、義理で買ったものもあるし、伊勢の旅でたっぷり買い物をしてオマケでもらったものもある。すべて密閉できるビニールに入れて冷蔵保存しているが、それでもときどきダメになるものがある。そんなダメになった板ノリは捨てないで集めて置く。これを「海苔の佃煮」に作り替えるのである。今回のものは焼き海苔7割で生板ノリがほぼ3割、数枚味つけ海苔が混ざっている。これを佃煮に変身させる。ちなみに佃煮に向いているのは生板ノリである。

貝の刺身が好きだ。巻き貝、二枚貝とも好きでときどき撮影無しでも造って食べている。残念ながら今、貝類がいちばん少ない時季なのである。特に今年は少ない気がするのだが、これも災害級の暑さのためかも知れない。唯一、安定的に入荷してきているのがホッキガイ(標準和名ウバガイ)である。ベストのシーズンではないが、買っても損はないレベルといったもので、1週間に2度、3度買っても食べ飽きない。さて、日常的に使っているミツカンの山吹という赤酢がなくなってしまった。比較的安定した味で、比較的安いので我が家の定番酢のひとつである。主に酢洗いに使う。酢洗いは日本料理の基本中の基本だが、その酢洗いにも2つの目的がある。臭味をとるための、と、香りづけのためだ。当たり前だけど赤酢は後者である。特に二枚貝の刺身は香りづけに酢洗いすることが多いのだけれど、今回は初めて買った赤酢を買って試してみた。銘柄は書かないが岡山県のものだ。

標準和名が「正しい名前」という愚か者が多くて困る。標準和名とはあくまでも科学の世界で便宜的につけた名であって、正否の問題ではない。だいたい標準和名など使うと余計にその動物、植物に行き当たらないなんてことだってある。特に生食されることが多いタラバエビ科のエビなど標準和名などない方がいい、のではないかと思っている。さて、1970年代くらいまでタラバエビ科のエビはこの国でほとんど流通して食べられていなかった。タラバエビ科のエビは筋肉が発達しておらず、呈味成分が多いわけでもない。多種多様なアミノ酸がからみあって身も身のエキス分をも粘質にし、またこの多様なアミノ酸が甘いとヒトの舌に感じさせる。身に水分が多いのも特徴である。それまで本州、四国、九州などで主に食べられていた、非常に原始的なクルマエビ科のエビとは真逆の味である。ちなみにタラバエビ科でもっとも早く全国的に知られたのが甘エビ(ホッコクアカエビ)である。これは1970年代東京都内デパートが始めた新潟物産展からとされている。ちなみに1974年、銀座の秋田料理の店で初めて食べたとき、「都内でも数軒しか食べられない」と説明を受けている。タラバエビ科のエビでは、標準和名でホッコクアカエビ(甘エビ)、トヤマエビ(ボタンエビ)、モロトゲアカエビ(シマエビ)、ボタンエビ、ヒゴロモエビ(ブドウエビ)の順で流通量が多い。ほかにもあるが、ここでは省く。今タラバエビ科でいちばん高いのはヒゴロモエビ(ブドウエビ)であるが、ここには流通量が少なくて希少だということが加味されている。流通量のことを考えると、正真正銘、いちばん高いエビはトヤマエビ(ボタンエビ)とした方が正しいと思っている。本種は国産だけではなくアメリカやロシアから冷凍輸入されたものもある。アメリカのものはともかくロシアのものは格段に安い。今どき大はやりの海鮮丼に乗るボタンエビの何割かは、ロシア産の冷凍ものである可能性が高い。丼にのるボタンエビをありがたがって食べている人がいるが丼の値段から儲かると思う。さて、本種は特に60gを超えるとキロ単価で(仲卸値段なので卸値以下同)1万円くらいする。品薄感があると2万円というのも見た事があり、過去に80gでキロ単価25000円というのを買っているが、こうなると食べ物の値段とはとても思えない。さて、八王子総合卸売協同組合、マル幸に来ていた羽幌産はだいたい60g前後で平均価格の㎏あたり10000円よりも安かった。それでも2本で原価1000円ほどになる。ちなみに1尾500円と考えると、刺身に2尾盛り込んだとして、料理店では2000円では出せない。たぶん3000円で出しても苦しいと思う。なぜなら足が速いからだ。

カタボシイワシは1955年に標準和名がついた。当時の魚類検索には南日本と記載されていない。当時はヤマトミズン属だったが、現在ではサッパ属で、岡山県の「ままかり(サッパ)」と同属である。サッパ同様腹部の稜鱗(刺々しい鱗)が強い。2005年前後に鹿児島県で水揚げされ始め、またたくまにいろんな地域で発見され、突然定置網に入ったのはいいけれど、魚の名前がわからないから教えてくれ、などという問い合わせを何度も受けている。比較的暖かい海域にいる魚ではあるが国内での生息域はよくわからない。四国九州、そして沖縄にも生息。南はオーストラリア、アフリカ東岸にもいる。さて9月14日は、もう1週間も前のことになるが、神奈川県、小田原魚市場で1尾だけ手に入れた。体長21cm・139gは小田原では平均的なサイズである。ここ数年、見つけると、拾ってきては味見している。たくさん揚がったときにはスーパーヤオマサ、ナイトウさんのところから1尾だけ失敬したこともある。今更あやまっても仕方がないけど、ごめんなさい。ちなみに本種を手に入れたかったら神奈川県にあるスーパーヤオマサに行くと手に入る可能性大。味見なので1から3尾ずつ、1年間で30個体近く食べたことになる。要するに旬がわからないための味見である。鹿児島県などでは冬にもいるが、小田原では水温の高い春から晩秋にかけて水揚げが多い。相模湾では5月から7月、8月くらいまではあまり脂がなく、9月になると急に脂が乗り始める。考えてみると同じニシン科のコノシロでもそうだが、産卵期前後は味が不安定で、産卵後は脂が抜けるのである。このことから相模湾での本種の産卵期は、晩春から初夏ではないかと考えている。

9月14日は、もう1週間も前のことになるが、神奈川県、小田原魚市場ではマサバの小が大量に揚がっていた。中には加工用に引き取られていくのもあるだろうけど、後の残りは飼料とか場合によっては輸出用となるのだと思う。この小型のマサバは未利用魚ではないが、ていねいに大きさと質を選別すれば、ちゃんと流通できるものがかなり紛れ込んでいる。なぜ選別しないの? というと人手が足りないからだし、流通しても確実に利益が出るとは限らないからだ。最近、未利用魚という言語で商売をやらかしている人達がいるが、未利用魚でもなんでもなく、むしろ高級魚を売っているところなど詐欺に近いものまである。未利用魚は漁業者を助けるというのが目的なんだけどな、なんて考える。例えば未利用魚に価格の低いというのが入るなら、この大量に揚がった小マサバを再選別して積極的に利用法をアドバイスし、流通させてはいかがだろう。とここまで書いてきて、ではボクにその上物が選別できるのか? と問いかけてみた。せっかくなのでやってみた。数百キロの中から、しかも大小混じりすぎの中からいいものを選ぶのは大変である。やってみてすぐにあきらめてしまったのは人間性の問題かもしれない。無造作に数本選んだだけで、ままよ、なんて居直った。そこに二宮定置の山崎さんがきて「これがいいんじゃないですか?」と、ひとまわり大きいのを手渡してくれたのだ。帰宅して計測する。計7本持ち帰り、最小は干もの用に外し、計5本を干もの以外にしたいと思ったが、刺身を考えると残りは、2本で、小さい方がボクの選の24cm ・167g、大きい方が山崎さん選の26cm・233gだ。だんぜん山崎さん選がよかったので、刺身用に水洗いしてペーパータオルにくるんで保存する。

9月14日の神奈川県、小田原魚市場の活魚槽にガンゾウビラメが泳いでいた。たぶん岩とか福浦(ともに真鶴町)の定置で揚がったものだろう。ガンゾウビラメは比較的暖かい海域の砂地などにいる魚で、一般的な知名度はゼロといってもいいが、流通上は至って普通の食用魚だ。地方名が非常に多い。これはヒラメよりも水揚げ後の鮮度落ちが早く、水揚げ地で消費される比率が高いためである。小型底曳きなどでまとまってとれる魚だが、少ないながら定置網でも揚がる。底曳き網ものがこの魚の価値を決定しているので安いが、実は定置ものの活魚は上物なのである。これなど第二のヌマガレイ(まったく売れない魚だったのが活魚で売れるようになった)となる可能性だってある。活魚なのにそんなに高くないのは、とれる量が少ないためだ。最近、未利用魚のことで盛んに入合(何種類かの魚で1つの荷にする)を作れなどというが、意外に難しいのは水揚げされた全魚種の価値をちゃんとわかっていないと入合が作れない点にある。入合、入合と言っている人間でこの基本のキがわかっていない人が多すぎる。このぽつんと2、3枚程度のガンゾウビラメなど漁師さんや仲卸さんすら一定の評価を持つに至っていないのだ。当然、活け締めにして入合に入れるなんて発想は湧かない。小田原の恵まれているところは、多様な水産物の産地であり、集積地であり、また巨大な商圏を持っていることである。だから売れない魚はほとんどない。この200g〜300gで大小ありの活魚にもちゃんと値がついていた。これをいつもながらにさんの水産さんに競り落としてもらい、活け締めにしていただく。

八王子の市場に千葉県銚子産の小振りなマイワシ(16cm前後・53-69g)が来ている。最近、銚子の荷の仕立ては抜群にいい。冷やし込みがきいて、堅堅である。ボクの市場通いは日常でしかないので、けち臭くはあれど、朝ご飯用に3尾だけ買ってくる。1尾60g前後なので3尾で180円でしかない。小羽を手に八王子総合卸売センター、八百角に寄ったらあんまりいい小ネギがない。日本各地で暑さに小ネギが萎れてしまっているのだという。今年はどうなっているんだろう? というかこれからずーっとこうなんだろうか?秋の小羽はアタリが多い。へたな大羽よりも秋の小羽だと思っている。帰りの車外温度が34度もあるのでとても秋とは思えないけど、彼岸の入りなので秋は秋で、小羽に秋を感じればいいのである。

たぶんアイゴは画像があるだけで数百個体は味見している。2016年11月、愛知県一色で非常に雑な状態で置かれていたアイゴを買っている。見た目が悪かったので、どれくらい臭うか知りたかったためだ。ところがそんなに臭くはない。それは鈍感だからだろう、と言われそうだけど、もともと魚嫌いな人間なので臭味には敏感なのだ。2011年10月には徳島県海陽町宍喰竹ヶ島の大型個体を3個体持ち帰っている。これはイセエビの刺網で揚がったものであったこと、宍喰から我が家まで車で11時間かかり、しかも水揚げの翌日に下ろしたので臭った。ここ3、4年、気になると小田原魚市場で廃棄されているアイゴを持ち帰って、様々な方法で下ろしては食べている。たぶん数十個体に上ると思うけど一度も臭くない。別に宍喰のアイゴが臭いわけではない。定置網の個体に臭味はないのだ。磯もんと呼ばれている刺網でとれたものが臭い。要するにアイゴの臭味は漁法にもよるし、水揚げ後の処理にもよるのだ。それなのに最近の未利用魚をあれこれ報道しているバカなマスコミは、臭い臭いと言いすぎている。たぶん未利用魚に取り組んでいる人間の中にも様々な状態のアイゴをさほど食べていない、未熟な人間がいるのだ、と思っている。だからちゃんと報道されないのだ。9月14日、神奈川県小田原市、小田原魚市場二宮定置でアイゴを3個体いただいてきた。野締めである。お隣の江の安、日渉丸のものは活け締めで金色に発色しているので、臭い臭くないのの次元ではなく、超高級魚であるメイチダイ並にうまいに決まっているので比較対象にならない。普通の扱いのアイゴ、しかも産卵後1ヶ月くらいの野締めのアイゴが欲しかったのだ。紀州の魚類学者で民俗学者の宇井縫蔵は八九月のがいちばんうまいというが、小田原のアイゴは夏に産卵するので9月の個体は痩せている。このあたり和歌山県のアイゴも比較のためにまた拾いに行きたいものである。

東京では夏の風物詩でもあるし、梅雨時になるとぐんと値を上げる、それがタカベである。最近あまり見かけない上に、例えば豊洲などで伊豆諸島産などを見つけると恐るべき値がついていたりする。古くは東京都の庶民の味だったタカベが、とても手の届かない高嶺の花と化しているのである。タカベは1科1属1種という孤高の存在である。魚類学者はあれこれ考えたようで、現在ではイスズミ科(この仲間も一般的にはほぼ知られていない)だとする説がある。そうなったらなったで納まるところに納まった感じもするが、淋しい思いが強くなりそうだ。生息域は日本列島でも相模湾以南、九州までの太平洋側で、このまま熱帯にもいるのかと思ったら差に非ず、中国大陸の黄海や渤海にはいるらしいがやたらに生息域が狭い。魚類には生息域の狭い種がいると同属に生息域のやたらに広い種がいたりする。例えばブリは非常に狭い海域にいるが、同じ属のヒラマサはインド洋、太平洋域に広大な生息域をもつ。タカベにも同属で広い生息域をもつ種がいてもいい、と考えるがいないのである。9月14日、神奈川県小田原市、小田原魚市場に二宮定置の水揚げを見ていたら、非常にミニなタカベをボクに渡してくれた若い衆がいた。そのとき、「こんなものをもらってもなー」と思いながら持ち帰ったのだ。体長11cm・27gなので昨年秋生まれの個体だろう。タカベの旬は伊豆大島で「麦倒し」というくらいなので、梅雨時から8月いっぱいだと思っている。9月も半ばになるとなんとなくタカベの成魚には手が伸びない。それではこの若魚というか、やっと稚魚ではなくなった個体の味はどうなんだろう? ちゃんとサメやアイゴなど大型の中に紛れないように別袋に入れて持ち帰ってきた。

神奈川県小田原市、小田原魚市場に水揚げされるカニの量はそれほど多くはない。相模湾ではむしろ東の海域に多く、西の海域に少ない気がする。それでも小田原魚市場に揚がるカニを、思い浮かぶだけ挙げるとガザミ(ワタリガニ)、ジャノメガザミ、タイワンガザミ、トゲノコギリガザミ、アカイシガニ、アカイシガニモドキ、深海性ではタカアシガニ、オオエンコウガニなどなどかなりの種にのぼる。今回9月14日の小田原魚市場の生け簀に泳いでいたのはタイワンガザミである。たぶん定置網で揚がったもので、脚一本取れていないし、雄なのでコバルトブルーがド派手に目立つ。考えてみると最近、ガザミは買っているが、タイワンガザミは長いことお目にかかっていない。調べてみると1年振りの雄である。よくガザミと比較して落ちるとかなんとか言う人がいるが、決してガザミに比べて引けを取ることはない。最近、高値安定なのはうまいからだと思っている。

八王子総合卸売協同組合、マル幸水産に北海道鵜川産のウバガイが来ていた。東京では、最近、ホッキガイと呼ぶ人ばかりになったので、ホッキガイとした方がいいのかも。大きくて黒いほど値が高く、小振りで薄茶色のものは安い。このところ市場に来るたびに貝を買っている。これなどたぶん、貝のタウリンを体が欲しているからだろう。小振りで薄茶色は、値段的にも癒やし系だし、ボクの体にとっても癒やし系だ。ウバガイ(ホッキガイ)は太平洋側では鹿島灘、日本海側では北海道西沿岸で水揚げがある。旬は難しい。いつもある程度のレベルは超えているし、外れと思えるほどに外れには出合っていない。要するに優等生的な味の二枚貝だ。ちなみにウバガイ(姥貝)というのは江戸時代天保期、旗本である武蔵石寿が編んだ目八譜にある。たぶん常磐から福島にかけてのいずれかの藩から手に入れて(寄贈かも)、その藩での名をそのまま使ったのだと思う。武蔵石寿が参加していた江戸のカルチャラルな集団、赭鞭会は貝や生物の名を風雅な何かに見立てて名をつけることが多い。にも関わらず、このあまりにも直截的な名をそのままに使ったのは、どうしてだろう。それほど貝殻の見てくれが悪かったのだろうか。

神奈川県小田原市、小田原魚市場はボクのホームグランドのようなところだが、初夏になると全長20cm 前後の子カマスが岸寄りでとれ始め、秋深まると全長30cmを超えて、食べ頃を迎える魚がいる。水ガマス(ヤマトカマス)である。さて今回の9月も半ばの小田原行で出合った水ガマスは、体長25cm前後、重さ90〜116gほどに育っていた。これがもう一段成長しながら、確か昨年は、岸寄りの水温が下がる晩秋までとれたはずである。沖合いに多いアカカマスは全長50cm前後の大ガマスになり、水深100m以上の深場にもいるが、本種はせいぜい35cm前後にしかならなず、深くても水深80mくらいにしか見られない。しかも寒くなると姿を消すのだ。くどいようだが、アカカマスは周年漁獲され、定置網などでは主要な獲物となっているが、こちらは初夏から秋まで季節限定の魚だ。さて、小田原は干もの作りが盛んなので、干ものになることが多い魚だが、地元では刺身で食べる魚なのだ。問題は刺身で食べられるのは当日限りという点である。小田原魚市場を歩いていていて、2、3本分けて、ともいえないので、地元系スーパーのヤオマサ、ナイトウさんに分けてもらう。朝どれの魚が並ぶヤオマサに行けば、ボクがやろうとしている地域限定の食べ方が普通にやれる、ここが小田原の凄いところなのだ。忘れぬ内にナイトウさん、ありがとうさん。

近所のスーパーに行ったら、三重県産の唐揚げ用小アジ(マアジ)が売られていた。マアジの若い個体は売れる魚なので、面倒でも水揚げのときに選別する。端で見ていても大変ではあるが、苦労に足りるくらいの値をつける。この1パックには漁師さんと小売店の苦労が見えてくるもので、値段以上の価値を感じる。水産物とヒトとの関わりを調べているので、ボクなどこのようなものから様々なことがわかる。さて、小アジの下ごしらえはとても簡単である。鰓蓋に指を入れて鰓ごと引っ張ると、内臓がきれいにとれる。これをざっと塩水で洗い水分を取る。簡単ではあるが、ここまでスーパーでやってくれるってありがたい。

魚のことを話していて、この人よくわかっているな、という人でも貝類に関しては幼稚園というか未就学児童程度なんだとビックリすることがある。わかるのはサザエ、アサリ?、ハマグリ?、ハマグリ?、ホッキガイ(ウバガイ)、ホタテガイ程度で、アサリがアサリであることがわからなかったことすらあって唖然としたことがある。ましてや「シッタカ」は、ただただ「シッタカ」でしかない。東京都豊洲市場には貝屋(貝専門店)が多く、もともとは貝屋だったという仲卸も多い。それでも「シッタカ」は「シッタカ」でしかないのだ。ちなみに「シッタカ」は本来関東でのバテイラの呼び名である。昔、秋田県の漁師さんが、こんなもの売れますかと築地の大卸に持って来たのも、「シッタカ」だったが、これは典型的な日本海の「シッタカ」で、標準和名をオオコシダカガンガラという。東京都内で「シッタカ」として扱われたことがあるのはバテイラ、コシダカガンガラ、オオコシダカガンガラ、ヒメクボガイ、クボガイ、ヘソアキクボガイの6種だ。バテイラがいちばん高く、あとはほとんど値段は変わらないが、やや高値となっている。どれもがそこそこの値段で売られているのは、磯の巻き貝類が減少したためと、とる人がいなくなっているためだ。漁村の成り立ち(生活環)とは、子供の頃には老人と磯(近場)で魚介類を採取し、若いときには沖に出る。様々な漁を経験してふたたび磯に戻るのだと思っている。その循環がなくなっているのだ。この循環を破壊したのは、戦後の水産バブル経済(ボクの造語)によると思っているがここでは語らない。そのコシダカガンガラは太平洋側に多く、日本海側には少ない。日本海にはコシダカガンガラはあまりいない代わりに、オオコシダカガンガラが多い。長崎県以北の産地から来る「シッタカ」はオオコシダカガンガラがほとんどで希にコシダカガンガラが来るといった感じだ。

どこの家でもそうだと思うのだけど、常備している乾麺などは1種類や2種類ではないと思う。我が家は故郷の半田素麺、そば、パスタ類数種、そしてビーフンである。中でも、いちばん簡単にいちばん短時間に作れるのがビーフンである。近所で簡単に手に入ることもあって、常に台湾の「新竹米粉」を常備している。ビーフンを初めて食べたのは学校を卒業して、仕事を始めてからだ。毎日深夜になるまで働いていて、中華とカレーの町といわれていたその町で、もっとも遅くまでやっている中華の店でビーフン、チャーハン、焼きそば、餃子をテイクアウトしていた。午前3時の焼きビーフンがやたらにおいしかった。作り方は柴田書店の中華の基礎的な書籍で覚えたけれど、朝から探しているが本が見つからないので参考文献はなし。要するに本で作り方を覚えて、やたらに食べていた仕事場近くの中華の店の豚肉のビーフン、旧フジテレビ近くにあったちょっとお高い中華の店の海鮮ビーフン、横浜の台湾料理の店の辛い味のビーフンの味に近づけたといった、いい加減なものである。ちなみにすぐに真似をするのがボク流だ。さて、先日買って冷凍保存しておいたバライカ(スルメイカ)のげそ、冷蔵庫で発掘した野菜たっぷり、もどしたビーフン、中華だし(確か味の素のもの)、四角い瓶のコショウ(ビーフンにはこのテーブルコショウがいい)を揃えておく。

ハーモニカとは、もちろん、小学校で習うハーモニカ♪ではなく、魚の部位のことである。ボクはこの「ハーモニカ」が大好きだ。簡単に言うとカジキ類の背鰭下の部分のことだが、カジキ類は釣り上げると背鰭と嘴を切り落としてしまうようである。この背鰭下の鰭筋、条が癒合して厚みが出た部分を切り取る、その切り取ったものをハーモニカという。さて、カジキ類といっても比較的手に入れやすいのはメカジキである。メカジキ以外のハーモニカは、よほどカジキ屋(東京都豊洲市場などの)と仲良くならないと手に入るとは思えない。さて、気仙沼市にすむマコさんは宮城県気仙沼市、『海の市』で魚屋を経営している。昨年から今年にかけて宮城県にはなんどか訪れているが、『海の市』にあるマコさんの店、『魚介類 濱喜』に寄らないわけにはいかない。『魚介類 濱喜』は、『海の市』という観施設光の中の店だが、観施設光にありがちな魚屋ではなく、いたって普通の気軽に立ち寄れる店だし、品揃えをみても気仙沼という地にこだわりが感じられ、しかも細かく見ていくと発見がやたらに多い。先日、この店にある冷凍庫の中で発見したのが、メカジキのハーモニカである。全長4mにもなる魚なので、鰭下の部分も大きいだろうと思ったら大間違い。その巨大さの割りにメカジキの背鰭は小さいのだ。当然、鰭筋もそんなに大きくはない。今どきの言葉ではあるが希少部位そのものなのである。

鹿児島県北部には行ったことがない。特に不知火海に港をもつ出水市にはしごく行ってみたい。ちなみに熊本県南部人吉市にはいったことがあるが芦北町、水俣市にも行ってはいない。これをセットにしてなんて考えたことがあるが、先立つものがないので断念している。さて、関東の水産関係者にとって、特に小物(すし種など細々としてもの)を扱う仲卸にとって出水市といえば「新」となる。これが浮かばなければ、小物屋さんはやっていけない。毎年出水市からやってくる「新イカ」は値が落ち着くと必ず買っているのに、今年は味わっていない。「新イカ」は明らかに関東限定の言語で、春から初夏に産卵するコウイカ(関東では墨イカ、西日本では針イカ)の子供のことだ。江戸時代の水産物の書、『魚鑑』を編んだ武井周作も述べているように江戸っ子の初物食いに対する執念はすごい。コノシロの稚魚といってもいい「新子」など初売りは「10万(100g1万円)だ、いやもっと高いらしいよ」などと騒ぐ。これは大阪ではあり得ない。ボクなどどちらかというと実を取る大阪的な人間なので毎年理解に苦しむ。同じく夏に出てくるのが「新イカ」だ。初売りとなると4万円とか5万円もする。しかもピンポン球のような姿の「新イカ」は見た目よりも重い(体重のこと)。小さくても1尾20gとか30gくらいはある。このサイズで漬けると、握り一かんで2尾は必要になる。100g4000円もするとしたら1尾800円以上につく。その2倍の1600円が原価だとすると、一かんいくらになるのか。関東の市場に並ぶ「新子」、「新イカ」の多くが出水市からくるのである。出水市の港がある不知火海(八代海)は天草側からは見ているが、東からは見ていない。やはり魚貝類の産地は行ってみないとわからない。ちなみに豊洲市場などでは9月になっても「新イカ」と言えそうな50〜70gサイズが並び、隣に「成イカ」の200g前後が売られていたりする。これは産卵期が南(鹿児島県)で早く、北上するにつれて遅くなるからだ。ちなみに築地時代、年寄り(現在でいう先代)に聞くと、江戸前の「新イカ」は秋のものだったという。

ボクの周りには奥多摩出身の方が多い。現在も暮らしている人、都会(八王子)に出て来た人などさまざまだ。今でこそ奥多摩は観光地だけど、古くは山奥のまた奥であった。奥多摩は東京都の方はともかく、全国的にみると非常にマイナーな地域だと思っているので説明しておきたい。東京都の西、山梨県に接する地域である。厳密に言うと青梅市とあきる野市から西の山間部だと考えている。東京檜原村はときどき生き物を見に出掛けていたところ。ここで様々な人に話を聞いた。マタタビの酒(薬)のこと、イタドリを食べていたらしいことや、山菜などの保存方法・塩抜き、木の皮は薬だとか、クマの話、祭のとき八王子まで2日かけて歩いたこと、学徒動員で始めて電車に乗ったことなどなどだ。市場にも檜原生まれの方がいて、秋祭に「いかと里芋」を作ったと教わっている。実に素朴なイカと里芋だけの煮物である。これが八王子にくるとにんじんやゴボウが加わり、こんにゃくを入れたりする。念のために、里芋とイカを煮合わせる料理は日本全国にあると思う。ボクは上京して始めて江戸川区小岩という下町で食べたが、たぶん東京都ではありふれたものだろう。檜原村では古くは塩イカ(長野県とは違って開いて塩漬けにしたもので、今も手に入る)を使ったようだが、戦後(1945年)になって生のイカを使うようになったという。八王子綜合協同卸売組合、マル幸に日本海産のバライカ(スルメイカの若い個体)があった。昔はありふれた存在であったが、スルメイカの急激な減少を受けて最近では貴重なものとなっている。思ったよりも安かったが、それでも昔と比べると、と思わずにはいられない値段である。

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に北海道厚岸からアカボヤが入荷してきていた。国内で食用となっているホヤ類は東北などで養殖も行われているマボヤと、北海道特産のアカボヤの2種である。マボヤが岩や杭などしっかりしたものに付着するのに対して、アカボヤは北海道以北の貝殻などが混ざる砂泥地にいる。マボヤが剥きホヤなども含めると年間を通して入荷をみるのに対して、アカボヤはめったに来ない。めったに来ないので、来ると必ず買い込むことにしている。ホヤはホヤだけど、マボヤとは違う味だからだ。マボヤは苦味甘味が強く、食感もほどよい。アカボヤは苦味も甘味も少ないものの食感が心地よいのだ。

一般に「目光(めひかり)」と呼ばれることの多いアオメエソ科のアオメエソとマルアオメエソは生息域は違っているが、形態的に違いを見いだせないでいた。1980年代初めに茨城県で「めひかり(マルアオメエソ)」を手に入れて、1990年代に静岡県沼津市で「とろぼっち(アオメエソ)」を手に入れたときなど、写真を撮り、トレスコープで同じ大きさに拡大して何十回とためつすがめつしてもわからなかった。今、やっとマルアオメエソが消滅した模様だが、なぜか和名だけは鹿児島大学のリストにも残っている。往生際が悪いとは思うものの、今年から銚子以北のマルアオメエソとされたものもアオメエソとする。ちなみに標準和名は国内のわずかな人しか知らないと思う。昔、あるマスコミでの打ち合わせでイサキを知らないという女性が「めひかりは好きです」と言ったのに驚いたことがある。イサキは比較的浅場に多く、たぶん縄文時代からお馴染みの魚である。対するに「めひかり」、アオメエソは動力船が国内で導入し始めた昭和になってからの魚なのだ。一般流通し始めたのは1990年代になってからだと思っている。この、「魚の常識のゆがみ」ってのは日常が消滅して、魚の名がいきなりマスコミとかネットから下りてくるようになって生じたのだな、などと思う。これなど眼の前にあるものを見ず、情報を受けて始めて知る。ある意味、鬼の絵は描けるけど犬の絵は描けない、ていのものだ。

静岡県、愛知県、三重県で「赤ごち」と呼ばれている魚がいる。その名の通りまぶしいくらいに赤い色をした不思議な姿の魚である。見た目も変わっているが、どんな魚なのか、普通の人には見当もつかないと思う。スズキ目ネズッポ亜目ネズッポ科ベニテグリ属の魚であるが、分類上の話をしても余計に混乱するだけだ。このネズッポ科に知名度の高い魚はまったくいない。あえて言えば天ぷら種として使われる「めごち」が種としては近いが、「めごち」自体が非常にマイナーな魚で、これを説明するのは「赤ごち」を説明する以上に難しい。写真を見ればわかるように頭部が非常に大きく尻尾に近づくにつれて細くなる。これがネズッポ科の魚の特徴である。鰭に棘がなく、鱗らしい鱗もない。目が矢鱈に大きく、やけに体全体が赤いのは深海魚の一典型でもある。標準和名をベニテグリという。本種は沖合いの深海にいるので、動力船が導入される大正時代、昭和初期くらいまでは漁の対象ではなかった。江戸時代の19世紀前半、シーボルトがオランダに持ち帰った魚としても有名であるが、採取場所が長崎だとしてどのような漁で揚がったものなのかはわからない。当然、古くからの呼び名はない。ベニテグリは一般に使われている呼び名がなかったため、魚類学者がつけた名ではないか、と思っている。「べに」は「紅」だけど、「手繰り(てぐり)」は今ではほとんど使われない言語で、底曳き網のことである。要するに「紅色の手繰り網でとれるコチ」という意味になる。古く底曳き網は錘をつけた網で海底を船で曳き、最後に人が手繰り寄せて上げた。手繰り上げるので「手繰り網」という。今でも漁業者の間で普通に使われている「小手繰り(網)」、「大手繰り(網)」は、今現在の漁法用語にすると小型底曳き網、大型底曳き網になる。本種は大型底曳き網で揚がる魚でもある。

1926年暮れに大正時代は終わり、昭和が始まる。1945年の敗戦まで下町(日本橋、両国、深川、本所など)には、「しじみ売り」が来ていたという。「しじみ売り」が売り歩いていたのはシジミ(ヤマトシジミ)だ。他に貝売りもいてアサリ、剥きアサリ、ハマグリで、時々バカガイ(青柳)の剥き身・ゆでたものを売っていた。この売り歩いていた二枚貝の中でもシジミがいちばん安かったのは、東京の低地である下町ではどこでもとれたからだろう。ちなみに関東の利根川河口域は日本一のシジミの産地であった。これが河口堰ができて激減し、産地ですらなくなってしまっている。今や利根川産のシジミはめったに見かけぬものとなる。今、全国的に流通しているシジミの産地は島根県、木曽三川の河口域、北海道、青森県、そして主に関東周辺に流通する茨城県涸沼産である。魚貝類を調べ始めると、最初は珍しいもの、高額なものに目が行きがちだった。これが10年もすると総て同じになる。学ぶということは特異点が消えるということだとわかる。最近ではシジミが気になって仕方がない。温暖化、環境の変化がこんな小さな二枚貝が教えてくれているように思えてならない。食べることは環境や自然を考えることなのだ。さて、一般的にシジミはシジミでしかない。シジミにも種類があることくらいは知って置くべきである。食用として重要なのは、汽水域(海水と淡水が混じる水域)にいるヤマトシジミ、琵琶湖特産のセタシジミ、純粋な淡水域にいて多くが卵胎生のマシジミの3種だ。水揚げ高もこの順で多く、マシジミは希に直売所や朝市などで見かける程度である。ここではタイワンシジミやまったく同定不能な外来種は取りあげないが、最低でも国産食用シジミは3種類だ、ということくらい知って置くべきだと思う。ちなみにこのシジミ科の二枚貝は環境の変化に敏感である。利根川でも木曽三川でも河口堰の影響は甚大であり、また水質汚染にも決して強いわけではない。

盆が明け、9月になっても、市場には魚がない状況が続いている。10日あまりも風邪で苦しみ。やっと酒でも、というときなのでやたら淋しい。こんなときは冷凍庫をあさるしかない。出て来たのが愛知県伊良湖産のトコブシである。流水で洗って貝から外し、貝殻にもどして冷凍しておいたものだ。これをあっさり酒蒸しにしてもいいし、バター焼きにしてもいい。4個体だけ解凍する。貝殻をタオルの上に伏せて水分をよくきる。いろいろ考えて、いちばん簡単な料理に決めた。

新しい超高級魚であるシマアオダイはマダイやアマダイに負けぬほど安定的な、上の上の味だと思っている。マダイは産地が重要だし、また活け越しなどのわざが上物を生む。対するにシマアオダイはそれほど神経質にならずとも上の味が楽しめる。こんなところもシマアオダイの値を押し上げているのだと考えている。ただ、和の基本料理に使ったときの実力は未知数だ。刺身の味では特上のマダイと同等だとは思うけど、焼き物や煮物などにしていかがなものか? もちろん、旬がずれているので一概にはいえない。マダイの旬は晩秋から冬にかけてだが、シマアオダイはそのピークと言えそうな時季がないようなのだ。

月桂冠は使える酒である。風邪をひいたときなど燗をつけてやってもうまいし、酒を前面に押し出すような料理に使うと飲む以上にいい。2000円以下で買えて、探さなくても手に入るのがなによりもいい。この月桂冠と近所の醤油、2対1(1対1のときもある)を生のまま合わせて置く。これが我が家の「若狭焼き」に使う若狭地である。薄味の塩焼きに若狭地を塗りながら仕上げるのが「若狭焼き」だ。ちなみに我が家では一汐ものは清酒だけを塗りながら仕上げが、これも「若狭焼き」だと思っている。フナ、アカアマダイ、イトヨリ、マダイなど昔から親しまれてきた白身魚に向いている料理だ。もちろんあれもこれもと挙げたらきりがない。「若狭焼き」にはある程度大きくて、くせのない白身で、しかもほどよい脂が感じられて、皮に風味があるものが好ましいのだ。鹿児島県鹿児島市、タカスイの競り情報をみて買ったのは1.6kgと手頃なサイズのシマアオダイである。近年、マダイ以上にスタンダードな白身だと考えているのが、フエダイ科アオダイ属のウメイロ、アオダイとシマアオダイだ。ウメイロ、アオダイは古くからの東京の魚だが、より南方系の近縁種、シマアオダイも今では豊洲市場などでは決して珍しい魚ではない。安定的な高級魚だといってもいいだろう。

サンマ離れをしてしまっていることに気づいたのは、今年最初にサンマを見てもなんとも思わなかったためだ。2018年くらいまでは7月の初サンマを築地の上物屋で1本3千円、4千円出して買っていた。わざわざ築地まで行って買っていたのは、意味があると思っていたためだ。ここ数年、ボクの初サンマは8月下旬であり、今年の初ものは根室産16尾入り(2㎏で16尾という意味)なので120〜127g前後と去年と同じくスマートだ。くどいようだがようだが、2018年以前は大型船で取るようになると200g前後が当たり前だったのに、このサイズをここ数年は一本も食べていない。8月下旬から10月にサンマを選びながら、「これじゃ昔の初サンマじゃねーか」という人がいたが、まさにまさにそうだ。今年は去年よりも大きいものの、1尾350円は高いと思う。個人的にはサンマは脂だけにはあらずと思っているものの、刺身に引くとやけに身の薄さを感じる。サンマの味は三陸から北海道の遙か東で盛んにケンミジンコを食べて肥える。きっとこの太平洋域のプランクトンの生産構造が壊れているんじゃないだろうか? これが回遊魚特有の大きな周期によるものなのか? それとも温暖化のせいなのか? 神のみぞ知るってやつだ。さて、サンマは脂の豊かさよりも、その独特の味が好きだ。だから日本海ものだって昔から見つけるたびに買っている。そろそろサンマも脂ではなく、そのこくというか深みのある味に惚れて買うべきだと思う。毎年、昔のサンマはよかったね、なんて言う人がいるが無視して食べよう、眼の前のサンマなのだ。

お盆前からのてんやわんやな日々と、過酷な旅のはてに引き込んでしまった風邪で、かれこれ1週間以上酒を飲んでいない。喉の痛みで、お見舞いにいただいたノンアルコールビールすら飲む気になれない。風邪はじょじょに回復傾向にあるが、深夜に目がさえて、眠れないときなど、酒のないやるせなさを痛感する。外はいつの間にやらアオマツムシの大合唱が始まっている。マツムシ、スズムシ、カンタンの声や遠し、なのだ。せっかくいただいたノンアルコールビールなので、軽いアテを作ってゆっくりじっくり飲むことにする。冷凍庫の隅にあったのが大アナゴの中骨である。8月始めて買った宮城県産大アナゴは脂が乗っていて実に味がよかった。中骨はタワシなどでていねいに血液などを洗い流し、軽く干し上げて冷凍していたもの。多めのオリーブオイルを熱して、ゆっくりと時間をかけて揚げる。二度揚げして、振り塩をするとさらさらといい音がする。軽い味の骨せんべいがとても香ばしく、優しく喉から本調子ではない胃袋に落ちていく。やっと手に入れたと言って持って来てくれた外国産のノンアルも悪くない。これにて、二度寝。

エゾボラ科の巻き貝は食用としても非常に重要である。貝の収集家ではなく、食文化を研究しているのでエゾボラ科に関しては我がデータベースなりに、明確に種を規定したいと思っている。手初めに三陸に多いコエゾボラモドキから。コエゾボラモドキは、北海道道東などに多いエゾボラモドキに似ている。『日本近海産貝類図鑑 第二版』(奥谷喬司編著 東海大学出版局)のコエゾボラモドキの画像は殻皮が感じられず、むしろエゾボラモドキに近い。ここでは形態に関しては『北の貝の仲間たち』(樋口滋雄)の殻皮が目立ち、殻が非常に薄いタイプが真のコエゾボラモドキと考えた。

モスソガイは江戸時代の『六百介品』から標準和名をとっている。裳裾は足(軟体部分)が貝殻からはみ出しており、女性が裳裾(着物の裾)を引きずっている様に似ているためだ。貝類の名を貝殻以外の形態からとる珍しい例でもある。宮城県では「あわびつぶ(鮑螺)」という。どう考えても刺身にしてアワビに負けないくらいにうまいという意味だととれるが、長年これがよくわからなかった。東京でも珍しいというほど珍しいわけではないが、あまり鮮度のいいものが手に入らなかったためだ。ちなみに流通させるために宮城県でも青森県でも浜や市場で塩ゆでにするのが一般的である。これは鮮度保持が目的でもあるが、それ以上に大量の粘液をだすために活けで出すと見た目が悪いからだろう。

八王子綜合卸売協同組合『マル幸』に島根県産スマがきていた。2kg上もあって脂がありそうだったので買い求めた。意外にスマの旬はわかりにくい。例えばこの時季は生殖巣が膨らんだ個体が多く、初夏ほどには脂が乗っていないことが多い。2000年以前はとてもローカルな食用魚だった。西日本の太平洋側に多く、あまり関東にはやって来なかった。それが今では北海道でも揚がり始めている。東京都豊洲市場では大きくて鮮度のいいものが普通に並んでいる。こうなるとますます水揚げ地が北に広がり、旬がわからなくなりそうである。標準和名、スマは東京での呼び名だとしているが、明治・大正と活躍した動物学者岸上鎌吉が提唱した「やいと」の方が地方名などを見る限り、混乱は少なかったように思える。

八王子綜合卸売協同組合『マル幸』に小柴産サルエビがきていた。「小柴」は横浜市にある金沢八景のひとつで、現在の横浜市柴漁港にあたる。古くからアナゴ(マアナゴ)、シャコ、小エビ類、カレイなど江戸前魚介類の産地として有名なところだ。今日、これに加えてタチウオの産地としても関東圏ではつとに名を馳せている。現在の状況はよくわからないものの、もともと底曳き網漁の盛んなところで、小柴のシャコ、エビ類は非常に有名であった。今回、やってきたサルエビもそのひとつだ。小エビ類の中では比較的大形で最大10cm前後になる。雄雌では雌が大きくなり、春から秋にかけて抱卵(内子とよばれることの多い受精前の卵を持っている)個体が多く、この時季に子持ちが楽しめるのも魅力である。小エビ類の寿命は短く1歳〜2歳で死んでしまう。ある意味、旬がはっきりしている魚介類のひとつ、今が旬といってもいいだろう。また、小柴でサルエビがとれているということは、東京湾はまだ健全さを完全に失っていない証拠でもある。

「三平汁」は近世江戸時代に「にしん漁場」で作り始められたもの。ニシンの「塩漬け(魚自体も使うとは思うが現在の魚醬のようなものか)」と野菜を煮た汁のこと。「さんべ汁」、「さんぺ」、「まくり汁」、「かぼし汁」ともいうが、語源は不明であるようだ。三平という人物が存在して、おいしい汁を考え出したので、「三平汁」という説を聞いたことがあるが、なんら根拠はない。これが「塩漬けニシン」から「すしにしん(ニシンのぬか漬け)」に代わる。野菜はあり合わせのものでよく、ニシンの塩気があるので材料も少なくてすむ。非常に合理的なものである。古くは保存食である「塩漬けにしん」や「すしにしん」を使ったものが、鮮魚を使うようになる。今現在、「塩漬けにしん」は手に入らないので「すしにしん」で三平汁を作る。また魚は鮮魚も使うようになり、サケ、タラ類、メバル類など手に入るものはことごとく使っていたようである。参考/『聞書き 北海道の食事』(農文協)

八王子綜合卸売センター、福泉に青森県下北半島からミネフジツボが来ていた。いつの間に来ていたのやら? 今年は慌ただしくて気がつかなかった。ちなみにフジツボはエビやカニと同じく甲殻類であり、岩などに固着して蔓脚という熊手のようなものを広げ、海水中のプランクトンや有機物をキャッチして生きている。オオアカフジツボとともに国内海域にいる最大級のフジツボで、唯一食用として流通しているフジツボでもある。最近、都内では単にフジツボと呼ばれるようになっているが、2000年前後、発泡に書かれていた「カキ」が、伝票にも書かれ、「カキ」と呼ぶ人が築地場内にもいた。軟体類二枚貝イタボガキ科のカキ(マガキ)とミネフジツボの青森県での呼び名、「カキ」の語源は同じだと考えている。すなわち「かき落として取る」からカキだ。海水温度の比較的低い海域にいるフジツボで、瀬戸内海にも普通にいる。なのに食用として生産、とっているのは青森県のみというのは長年の培った技術が必要なのだろう。

お盆明けには市場に行かない、のがボクの勝手な決め事だけど、ハードスケジュール直前なので市場に行った。買い物はしないつもりだし、期待ゼロで回ると、やはりなにもない。しかも野菜を買おうにも八百角は休み。多摩地区の、青果と魚市の休市が違うのはなぜだろう?しかも、しかも上野原のトラック行商のオヤジが夫婦幸せそうに歩いているのを見て、不幸なボクの心に木枯らしが吹いた。八王子綜合卸売協同組合、マル幸にもあまりめぼしいものはなく、「明日からかな?」、「だろうな」なんて無意味な会話をして後悔する。歳を取ったら意味なし会話はやってはならぬ。唯一いいなと思ったのが石川県産のマアジだった。魚がないときなのでちょっと高めで、しかもかなり人の手が入っている(注文分をとった後かも)ので残り少ない。けちくさくはあれど1尾だけ連れて帰ってくる。小振りではあるが丸みのあることからみて石川県でも富山湾側、七尾から来たものかもとは思ったが、パーチを探す気にもなれない。

お盆もそうだが、2連発の台風で我が家だけではなく国内どこを見渡しても魚がない。我が家から歩いて行ける範囲に2軒のスーパーがある。一軒は解凍カツオと切身ばかりで何もなし、熱風の中もう一軒に立ち寄ったら、大発見! 静岡県産のヤマトカマスがあった。4尾299円(税抜き)は安い。ときどきアカカマスと比べる人がいる。書籍にもアカカマスの方が上とかあるけれど、鮮度落ちが早いという難点があるものの値段が安い上に、料理法によってはアカカマス以上にうまいのだ。もっとちゃんと魚の知識を身につけて発言したり、書いたりしてもらいたいものだと思う。さて、アカカマスと本種の違いは水分にありだ。本種は古くなるとどうしても水が出る。だから普通の流通では両種に差が出てしまう。並べて測定すると生後1年未満、体調22cm・70g前後である。安売りで人気のスーパーの割りに鮮度はいい。これが中秋にむけてずんずん大きく育つ。

同級生に「デブは死ななきゃなおらない」と言われたので自戒を込めて、ご飯もののコラム名にする。八王子綜合卸売センターに、インドだが、パキスタンだか、なんだかわからない食材店、『Rani Bazar』がある。このような最近国内各所に出来てきている国籍様々な食材店がとても好きだ。東新宿のアジアンマーケットや群馬県大泉町のスーペルメルカド・タカラなど、ときどき意味もなく立ち寄っては知らないものを買う。『Rani Bazar』で、買ってはみたものの長い間、ほったらかしにしているものにメースリーフ(Mace leaf) がある。ナツメグの内側の皮だ。ナツメグは栗と同じように4重構造になっていて、外側に硬い皮があり、種子本体にも皮がある。その種子に密着している皮を覆う粗い皮がメースリーフらしい。ちなみにこれは『Rani Bazar』のたぶんバングラディシュの方から聞いたことで、ちゃんと聞き取れていないかも知れない。

お盆を利用してサイトの遅れを取り戻すなんて悲惨な状況にある。今や近所のスーパーや保存しておいた水産物を消費しているだけの日々だ。さて、お盆前を振り返ると、八王子綜合卸売協同組合、マル幸で買った「瀬つきアジ」が素晴らしかった。体長25cm・230g前後で体に丸味がある。もちろん選びに選んで買ったので、触った感触からも脂ののりが感じられた。山口県には日本海と瀬戸内海があるために、漁獲量はわからないが、もっとも多彩な漁が行われている県であり、水揚げされる水産生物も多彩である。幾度となくたずねているが、ヒトと水産生物の関わりを調べているボクには旅の収穫がもっとも多い県である。さて、山口県日本海側を北浦という、山口県の瀬戸内海側の水産関係者などよく、「今日は北浦ものがないので寂しい」などという。瀬戸内海だけでも十分なのに、日本海からも東シナ海からも水産物が集まるのも山口県の特徴なのだ。山口県の基本的な部分は日本海側が作りだし、特徴付けるのは瀬戸内海側だと思っている。さて、北浦のアジは比較的沖にいる「沖アジ」と、陸に近い海域にいる「瀬つきアジ」の2系統がある。味のいいのは断然「瀬つきアジ」である。萩市・長門市沖には日本海には珍しくたくさんの島や岩場があるが、この島々の周辺海域に転々と小山があり、この小山が作る浅瀬を「瀬」という。「瀬」には大量のプランクトンがわき、それを食べる小型の甲殻類、小魚などがわく。これをエサとすることで脂の乗った「瀬つきアジ」が生まれるのだ。ちなみに山口県の「瀬つきアジ」というのは今やブランド化されているが、萩市などでは古くからの言葉である。「瀬つきアジ」を選びながら萩沖の島々が思い浮かぶ。お盆は自宅軟禁状態に自ら置くつもりなので、夏の日本海を思いながら食らう。さて、持ち帰ったらすぐに計測して、撮影。水洗いして置く。

八王子綜合卸売協同組合、マル幸にちょっとアニキ(すし屋用語で数日前のという意味)なニシンがあった。頭を落としてるところを見ても、元が大きいことがわかる。これなら半額以下で買えるとふんだ。魚は鮮度が命なんておかしなことをいうヤカラがいるが、それは無知か、もしくは無限大に金を持っているとか、水産関係の人間の言うことである。こちとら消費者で庶民なので料理法を考えながら安く買えれば、買う。魚の買い方は様々で、総て正解。鮮度の落ちた魚を買うのはとても自然に優しいし、ふところにも優しい。鮮度にこだわりすぎると地球は守れない。

関東で「ざっこ」、「ざこ」、「小魚」などと呼ばれているものをまとめる。同様のもので「もろこ」、「はや」があるが別項とする。関東で「ざっこ(雑魚)」はコイ目コイ科、十脚目テナガエビ科の淡水生物である。主流はモツゴとタモロコなどの小魚で、ここにスジエビ、テナガエビが混ざる。ともに淡水の比較的ながれのない水路や池(沼)、湖などに多い。例えば流れのあるところにいるウグイやオイカワなどは、関東では「ざっこ」には入らない。関東は平安時代から水田耕作も畑作も発達し、耕作地や住宅地域での土地開発が国内でももっとも進んだ地域である。鎌倉時代、室町時代、江戸時代と関東は政治的な中心地でもあった。ちなみに室町時代、政治の中心は京都にあったかのように見えるが、関東は明らかに独立国家であって、独立した政治が行われていた。時代が進むとともに土地改良が進み、水路や運河が発達する。この膨大に広がった水域である、用水路、水路、運河を住み家とするのがコイ科の小魚とテナガエビ科の小エビである。これをとる漁は今でも関東平野でほそぼそと続けられている。江戸時代の江戸御府内をはじめ関東平野全域に、たくさんの川と沼がある。今でも江戸時代葛飾であった東京都隅田川東岸、群馬県南部の埼玉県・栃木県茨城県にまたがる地域と、霞ヶ浦、北浦、手賀沼、印旛沼などは特に広い水域をもち、ときに水郷とさえ呼ばれている。関東平野は、もともと広大な水域を持っていた上に、より魚を取りやすい場所である水路が発達したために様々な水産加工品、料理が生まれる。江戸時代初期から大川河口域にある佃島で、江戸の猟師町で揚がった小魚類を煮上げて、浅草や日本橋の魚河岸などで商っていた。これで小魚類を醤油で煮たものを「佃煮」と呼ぶようになったとされる。今や「佃煮」は今や水産物を醤油で強く煮つめたものの総称になってさえもいる。ただ、佃島が関東で小魚を煮て食べた発祥の地とは思えない。この小魚を煮た「佃煮」を集めるとわかることだけど、関東平野は現在、「佃煮」と呼ばれる食品のもうひとつの発祥の地である可能性がある。「佃煮」を語るとき枕詞のように佃島が登場するのはいかがなものかと思うがどうだろう。ちなみに茨城県や利根川周辺に「煮干し」と呼ばれるものがある、汽水域、淡水域の生物を塩水で煮て、放冷したものである。こちらの方が歴史は古いと思っている。現在の「佃煮」は江戸初期は江戸府内だけのものだった可能性が高い。関東で醤油が手に入りやすくなった江戸時代中期以降に醤油味の煮物である「佃煮」が本当の意味で誕生したのだと思っている。さて、江戸(汽水域)を中心にした醤油味で小魚を煮たものと、関東平野のもの(汽水域と純淡水域)は歴史的にも原材料的にも入り混ざっていることも述べておかねばならない。

標準和名、ホッカイエビと言っても国内ではほぼ通じない。たぶん東京豊洲市場で言ってもだれ一人知らないと思う。流通上では「北海シマエビ(ホッカイシマエビ)」である。産地では単に「シマエビ」と呼ばれているが、関東などでの市場で「シマエビ」は別(モロトゲアカエビ)なので、わざわざ「北海」がつく。さて、羅臼の旅のついでに尾岱沼を撮影しに南下した。下見というか一度は漁を見てみたいと思っていだけで、とりたてて目的があるわけではない。ホッカイエビもそうだが、混獲物を調べてみたいと思っているが、これはまだ先のことになる。南下するだけで面白かった。広大なそば畑があり、野に咲く名前がわからない草花がとても面白い。国道から、岸辺に下りて水域を撮影してから、尾岱沼漁港を目指す。尾岱沼漁港に人影はなく、直売所は漁がなかったこともあって見るべきものはなかった。むしろ直売所隣で売っていた脱皮した個体をゆでたもの、活けが珍しかった。

7月27日の、5㎏のシイラを食べ尽くすには多種多様な料理に挑戦するほかはなかった。今までやったことのない料理を作り、ことごとくおいしかったことにビックリした。とは何度も書いている。その料理のひとつがポキである。ボクの作るポキは、とある島で、ハワイやミクロネシアの島々で働いていたというバングラデシュ人、パキスタン人、沖縄で働いたことがあるという日本語の出来るフィリピン人、島の現地人に教わったもので本来のハワイのものとは関係ない可能性がある。たぶんハワイで、マヒマヒであるシイラもポキの定番的な魚だと思っている。ちなみに明らかに怪しい、コンクリート造りのコンビニのようなところで、やたらに危険そうな男達と、車座になって意気投合して飲んで騒いだときのものなので、かなりいい加減である。しかも、アルコールを飲んでいたのはボクだけだった。ここではポキとしたが、甘い炭酸飲料しかのまない若者はポケと言っていたことも述べておかなければならぬ。またドルが余ったので、教えてくれたお礼に甘い飲み物をたっぷり買って上げたら、ポキに合うという唐辛子の調味料をいただいた。ポケットに入れたところまでは覚えているが、泥酔に近かったのでなくしてしまった。味見はしたので、この真っ赤なキダチトウガラシで作った調味料も確かにポケに合うと思うし、同じ味の調味料はアジアンマーケットなどで手に入る。シイラは三枚に下ろし、腹骨・血合い骨を取る。皮を引いて細かく切る。トマト、辛い唐辛子、にんにくは適当に切っておく。これをすべて和えて、ごま油(これはボクが好きだからで、油の種類はなんでもいいのだと思う)・醤油・ねぎ・にんにく、トマトなど好みの野菜、ハーブ(今回は東南アジアのバジル)と和える。切り身をごま油・醤油・ねぎ・にんにくで和えて置くと数日使えて便利。この料理の特徴はわかりやすいうまさだというところだろう。だれが食べてもうまい。しかも味つけの濃さによってはご飯にもあうし、パンにも合うところがいい。ちなみに酒を飲まない熱帯の労働者諸君は、ねぎは非常に高いので使ったことがないという。ネギは島の裕福な階級で使うものらしい。しかも酒なんて飲まない人類なので酒の相性はボクだけの勝手な思い込みだ。ちなみにジンなどスピリッツにも、ウイスキーの水割りにも、日本酒にも合いすぎるぐらい合う。

8月7日に買った福島県産スズキ1.89kgは、料理法を考えながら下ろした。スズキと決める以前に、そろそろ残り少なくなった我が故郷の名品、半田素麺を一気に消費してしまおうと考えていたこともあり、煮つけにしてうまい魚を探していたのもある。魚の煮つけで素麺を食べるというのは、日本各地で行われている。例えば愛媛県松山市に「鯛素麺」があるが、あれは家庭料理を豪華にしてやたらに宣伝しただけで、本来の形ではない。だいたい松山市でも魚市場のある三津では、むしろ「ちぬ(クロダイ)」で作ることの方が多いという。同様の料理は徳島にもあるし、大阪市にもある。ちなみにボクの魚の調べ始めは淡水魚で、海の魚は上京してからだ。スズキの煮つけは、塩焼きほど知名度はない。生まれて初めてスズキを食べたのは東京都江戸川区小岩の食堂だが、塩焼きだった。当時、やっと魚が身近な存在になってきていたので、このような初物食いはうれしい限り、とてもおいしかった。今思えば、当時(1970年代末)、スズキを食べる人は都内にはあまりいなかった。たぶんスズキにとってはどん底時代といってもいいだろう。いかに葛飾小岩とはいえ、スズキを食べることができたのはラッキーだったと考えている。これに関しては江戸時代の高速道路をたどっているので、そのときに述べたい。スズキの煮つけをやたらに食べたのは俗に「ちばらき」とされる霞ヶ浦、利根川方面に通っていたときだ。漁師の魚料理の基本は煮つけなのである。漁師さんがスズキをくれるときも「煮つけにしなよ」だった。余談だが、千葉県、茨城県の水郷地帯は国内屈指の醤油どころだ。本当か嘘かわからないが、醤油に亀甲は、土浦藩(茨城県土浦市)、土屋家の城が通称、亀城と呼ばれるのに由来するという。このあたりの漁師の煮つけがそんなに甘くないのは、醤油がいいからだという人もいる。スズキを見て、煮つけが浮かんでしまうのは、大小様々なスズキをあっさり味で散々食べているからだ。スズキには淡水魚を思わせる風味がある。これが好き嫌いが出るところだが、ていねいに湯引きして臭味をとって煮つけると実に味わい深いのである。

生物の科学的アプローチには膨大なやり方、方向性がある。例えば分類という一科学分野を考えても、明治期に西欧から【本格的】にリンネの二名法が導入されて以後最初にやらなければならなかったことは、生物を研究し、世界的な名である学名に当てはめることや、未記載のものを記載することだけではなく、その時点で国内での生物の呼び名を集めて整理することだった。名前がないものは存在しないことから、西欧の分類学以前に膨大な作業があったのだ。この呼び名の採取は書籍から始まった可能性が高い。古くは古事記であり、平安期から鎌倉時代の日記であり、物語である。安土桃山期に本草綱目がもたらされてからは本草学書であり、江戸時代中期の木村蒹葭堂のように生き物自体や由来などをやたらに集めた人物が登場する。また江戸時代18世紀の末あたりから武蔵石寿のような生物に名前をつけてしまう学者が出現する。いずれにしろ生物学の標準和名(国内で基準となる名。正式な名なんて言う人がいるが無知極まりない)はできるだけ過去に使われた呼び名から選ぶことから始まる。例えば日本の魚介類の標準和名は黎明期には純淡水魚介類は琵琶湖を中心に採取、その他の魚介類は日本橋魚河岸で採取された。明治期の石川千代松、岩川友太郎も、後継者の田中茂穂、黒田徳米も、松原喜代松も決して巷間使われている呼び名を軽視しなかった。さて、この呼び名を集めるというのは、非常に地道で粘り強さが必要なのである。魚名は民俗学の恩人であり、巨人のひとり渋沢敬三がお金と頭脳を使い集めて、それが現在に至る。軟体類、特に貝に関しては千葉県富津市の一教諭であった川名興がいる。この人がいなかったら貝類の地方名はほぼ消滅していただろう。ボクなども出来る限り呼び名を集めているが、2023年時点ではほぼ消滅した後でしかない。しかも呼び名の収集は川名興が民俗学者であるように、必ずしも動物学の分野ではない。民俗学の最大の欠点が同定(分類)できる学者がいなかったことだ。宮本常一にしても、タラはタラでしかない。むしろ比較的民俗学的な立場も踏まえ呼び名を集めた、宇井縫蔵の方が分類的には遙かに上なのだ。川名興は渋沢敬三とともに分類が出来る希少な民俗学者なのである。だから川名興という人はもっと評価されていい。ちなみに川名興の『日本貝類方言集 民俗・分布・由来』は出版と同時に、神保町に就職した先輩が教えてくれ、「買うか?」というので買ったら、1988年、利潤抜きなのに確か13000円くらいしてびっくりした。後に古書目録に遙かに安く出ていたので、無性に腹が立ちもう1冊買ってしまっている。

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に活け締めもしくは活のスズキがあって、枯渇中の市場を見る限り、これしかないな? という気がしたが通り過ぎた。市場をぐるっと回って戻っていると1本だけになっていたので慌てて確保する。水産業にとって今回の台風の影響は大きい。市場にあるのは養殖魚ばかりである。さて、このスズキは生食以外の食べ方を模索するために買ったつもりである。だから特殊な下ろし方をして、焼く、煮る、ソテーする、蒸すと最初から用途別に切り分けていく。

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に熊野市からイワガキがきていた。イワガキは汽水域というか内湾にいるものと外洋にいるものがある。徳島県は最近、天然イワガキの一大産地ではあるが、吉野川の影響を受けるようなところでとっているので内湾ものと考えている。対する熊野灘のものは貝殻からしても外洋ものだと感じられるのだけど、このへんはカイヤさんたちと議論したい。さて、熊野市は海を見る限り岩だらけだ。海岸線の3分の2は岩場と言っても間違いではないと思う。三重県ではあるが旧紀州徳川家であって暴れん坊将軍が殿様だったことがある。それでこの地方を東紀州という。志摩市や鳥羽市以上に外洋的なところで、イワガキにとっては決して栄養豊富とは言えそうにないが、逆にとてもきれいな海域で長い年月をかけて育った健全さが感じられる。……もちろん勝手な思い込みだけど。さて、我ながら想像を絶するような長時間のデスクワークに、体のあちこっちが変だ。魚屋の店頭に美しい熊野灘のイワガキがあったら絶対買わなければ、と思うほど、極悪な体調でもある。すなわちボクにとってイワガキは薬なのだ。さて、立秋の日が終わろうとする深夜にカシカシと貝殻表面の汚れを落とす。気になる付着物を確保して、エイヤ! と剥く。流水で貝殻と塩分少々を流して、今回はかぼすを添える。ちなみにイワガキの軟体部分をぺろりと食らう人がいるが、とてもそんなことをやる気にはなれない。4等分してゆっくり味わいながら食べる。軟体部分を口の中で転がしながら咀嚼すると、やはり熊野灘のイワガキは澄んだ味がするなと思う。うま味豊かで、ほろ苦くて、微かに硫黄のような風味がして、後から遅れて来る苦味もちゃんとあるのだけど、荒波に揉まれているせいか、食感がほどよくあって、その有象無象混沌とした複雑な味を適度に緩和してくれて後口がいい。次の一切れを心待ちにする瞬間が生まれる。なんだか吉田健一的表現にならざる終えないのは、ボクの頭がしゃっきりしていないためだ。合わせた酒は北海道の千歳鶴、1合弱。20年ほど前まで、四谷の行きつけの店でよく飲んでいた酒蔵の酒だけど、吟風ってなんだろう? 普通酒の方がイワガキには合うと思う。

7月27日の、5㎏のシイラを食べ尽くすために多種多様な料理に挑戦した。シイラは素直においしい魚なので余計にいろいろ考え込んでしまっての挑戦であったが、ことごとくおいしかったのことは我がサイトにとって大収穫となった。岡山県の山間部の町で、ありとあらゆる魚を山間の町でも売られるようになった今でも、「シイラくらい味のある魚はない」と、言ってのける老人に会っているが、さもありなん。シイラはうま味豊かで食用魚として最上級の魚なのだ。さて、最後に大きすぎる頭の料理法に悩んだ。過去には、大きすぎるので分解して煮つけにしているが、これでは面白みがない。つらつら考えてみると、清蒸を作っていないことに気づく。

人生始めての北海道波止釣り、一投目でボクは波止釣り(防波堤釣り)の天才に違いないと思った。いきなり来たのがクロガシラガレイとは、幸先いいにもほどがある。二投目も三投目も空振りなしでアタリまくる。すべてガヤだったが、それなりに楽しめた。問題はその後も、そのまたまた後もガヤで、他の魚がまったく来ないことだ。まあ、10尾くらいまではガヤも初めて釣れた魚種だったのでウレシかったが、その内、限りないガヤに顔が引きつってきた。

毎年、立秋を過ぎるとやってくるのがトビウオだ。トビウオはトビウオ科の総称だけど、季節ごとに入荷するトビウオの種類が代わるのである。そして、ちょうど今頃から秋深まる頃までやってくるのが標準和名のトビウオだ。別名を秋津飛魚(アキツトビウオ)という。まだ冬そのものの2月から市場に顔を見せるハマトビウオ、春長けてやってくるホソトビウオ、ツクシトビウオの後に、秋津飛魚がやってくる。「秋津」とはトンボ(アキアカネ)のことで、トビウオの姿とトンボが似ていること、そのとれ始める時期がアキアカネが空を舞い始める時季と重なるための名でもあるさて、トビウオは古くから東京の庶民の味であった。昔は焼いたり、煮たりして食べていたようだが、今どきの嗜好からすると淡泊過ぎる。むしろ生で食べた方が味わい深かったりする。あとは油を使った料理に向いている。さて、台風6号が沖縄周辺で迷走している。大型なので漁業の影響も大きいようで、8月3日あたりから魚の入荷が減り始めた。今回の台風の特徴は長期間にわたって西日本だけではなく、東日本の海にも荒天をもたらしそうなことだ。念のために千葉県鴨川から来た初物を数本買い込んで、水洗いして三枚に下ろし、腹骨・血合い骨を取り、塩コショウして冷凍保存して置いた。魚が我が家的に完全に枯渇した日曜日に、これを自然解凍した。解凍時に染み出た水分を拭き取り、小麦粉をまぶして、溶き卵をからめてパン粉をつけて揚げる。これで実にゴージャスな夕食の菜になった。今回はフライパンに油とバターをたぎらせた中で、ソテーするように揚げてみた。少し重い味になるけれど、トビウオの豊かなうま味とバターの風味があわさって、やたらにうまいではないか。いつ食べても思う事だけど、トビウオフライはアジフライにおっつかっつの味なのだ。ビールも酒も控えているので2分の1尾、1枚で我慢したが、無限大に食えそうな味である。

先週は魚があまりなく、久しぶりに我が家の魚資源が枯渇しているので、冷凍庫からとっておきのものを出してくる。素焼きにした穴子(マアナゴ)の兜(頭部)である。マアナゴのいちばんうまい部分は頭だ、なんて短絡的なことは言わないが、最後まで惜しんで取って置きたいくらいにうまい、無類の味だ、とは思っている。7月13日に、八王子綜合卸売協同組合、マル幸水産で買い求めた宮城県産大アナゴの兜だ。75cm TL・713gなので、すし屋、天ぷら屋では使いにくいが、料理の技さえ持っていれば一般家庭向きのサイズだと考えている。この大アナゴで8品作り、兜で9品目となる。1本1500円也の9分の1なので、1品の原価は平均170円弱でしかない。さて、−20度の冷凍庫から取り出して、保存袋と厳重に巻き巻きしたラップを脱がせる。タオルにくるんで室温で戻す。軽く焼いて、兜を半割にする。鰓などを取り、こんどは強火で表面をかりっと焼き上げてタレ(みりん・醤油同割りを煮つめたもので、市販のウナギのタレでもおいしい)を2、3度くぐらせて焼き上げる。さて大アナゴの兜は思った以上に食べられる部分が多い。なによりもマアナゴの皮が、こーーーんなにおいしいなんて、兜を食べないとわからないと思う。世界三大珍味なんて、例えばキャビアなどちょぼっと食べるから世界に冠たるものになるという、非常にいかがわしい代物だが、マアナゴの皮は飽食してもうまい。皮だけで酒を飲み、飯を食らってもこれに代わるものはないと、もちろん食べているときは思う。しかも頭部に付着している筋肉のうまさよ。名状しがたい味なので、文字にしようがないが、ほろっと柔らかいのに舌の上での存在感がすごくデカイ。大方食べ終わった残骸は口の中に放り込んでガムのように嚙む。これだけでも十分御馳走の類とは泣けてくる。深夜なので、千葉県酒々井の甲子正宗をグラスいっぱいだけ、にすべきだったが、無理だった。

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に青柳(バカガイの剥き身のことでプラスティックのトレイに乗せられている)があった。見た目からして北海道産とみたが、はっきりしない。矢鱈にバカが好きなおバカなボクは、人様が買っているのを見るとつられる質なので、素直に手を出す。ときは7月も末のことで当然、生殖巣は膨らんでいる。雄雌混じりを選んで買うが、味的には雌雄に変わりはないと思っている。これが生粋の貝食いである(千葉県)船橋や木更津っこなら違いがわかるのかも知れぬが、こちらは撮影のための雌雄混ざりである。身(足)の方は少し痩せ気味である。この生殖巣の膨らみ具合から考えるとそろそろ産地は禁漁にすべきだろう。

2005年頃、切身屋で無駄話をしていたとき、まな板に水洗いしたシイラが乗っていた。みそ漬け用としては大振りの60gの切身にするためである。切身屋は骨のない背の部分だけを正確に60gの切身にしていく。尾に近い部分は、「お得感が出るように切るのがプロなのよ」と言っていた。「昔(バブル期)はブリやサワラに化けていたけどね。今じゃシイラで出ています♪」ちょっとお高い弁当用である。ちなみにこの時すでにチェーン店や町の平凡な弁当総菜の店では国産魚は使っていなかった。高いのもあるし、質にばらつきがあるせいだ。国産魚といえば、養殖のブリは業務用の弁当に使えても天然のブリは使えないし、シイラを使うこと自体が珍しかった。「国民の質が落ちているんだろうね」と言ったのは築地場内の老人である。魚をまるでナショナルブランドのチョコレートのごとく思っているのが、今どきのヒトなのである。花火を見て夏を感じるのに、魚を食べて季節を感じない。さて、バブルの時、よくブリやサワラにに化けたことがあるシイラだけど、切り身屋も築地の老人も「みそ漬けにするとブリ以上の味だし、値段も安いんだから罪はねー」という。ボクなどもそうだと思っているがいかがだろう? 今や料理店でシイラの焼き物が出てくるとうれしくて泣けてくる。夏から冬にかけてのシイラは決しブリやサワラに味で劣るわけがない。さて、7月の末、神奈川県、小田原魚市場、原辰定置のシイラ中型(5㎏)を一本連れ帰ってきた。

神奈川県小田原市、江の安定置、ワタルさんにオキヒイラギをいただいてきいた。標準和名よりも山口県の「平太郎」、高知県の「にろぎ」の方が有名だと思う。相模湾周辺ではギラとかアブラッコというが、高知や山口ほど人気がなく、東京湾沿岸、相模湾、駿河湾の周辺ではまれに干物などにする程度だ。おいしいのに東海、関東などであまり知名度が上がらないのは、単に呼び名のせいだと思う。ちなみに「にろぎ」は呼び名的には弱いが、かの檀一雄がオシなのである。檀一雄は昭和という時代に唯一、素材にまで言及した小説家で真の食いもん好きだ。そして、「平太郎」は太郞なのである。擬人化もここまで優れているとまるで商品名の戦略会議をしたようではないか。ちなみに鹿児島県、熊本県、福岡県、山口県、岡山県、徳島県、などなど全国各地で買い求めたオキヒイラギで丸干しを作っているが味に遜色はない。同じなのだ。

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に宮城県産の大アナゴがあった。触った感じ締まっていないし、料理屋の店主が仕入れているのを見て、釣られ買いした。こんち丑の日とはいかなかったが、少し遅れて長いものを食い暑気払う、のだ。75cm TL・713gなので、兵庫県明石ではデンスケ、広島ではトウヘイと呼ばれるサイズである。このサイズ、すし屋、天ぷら屋が使いにくいので少々安く買えるのもありがたい。その上、安いからと言って味が劣るわけではない。むしろ余計に脂がのっていたり、焼いてふっくら福福するなどいいところだらけである。さて、土用丑の日に鰻を食べる習慣は明らかに江戸時代後期からだと思う。平賀源内とか太田蜀山人だとかの説があるが、時代的に合わない。意外に普通の鰻屋が、何気なく考えたら当たったというあたりが正しそうだ。ちなみに関東のウナギ漁を何カ所かで見ているが、天然ウナギの旬は秋なのである。天然ウナギの旬ではない時季だからこその土用丑の日なのだ。土用丑の日に「うがつくものを食べる」などというが、むしろ「長いものを食べる」という地域の方が多い。だからうどんを食べる地域もあるし、ドジョウを食べる地域もある。長いと言えば穴子(マアナゴ)も同じ、ボクの昔の仕事場近くの鰻屋にも大行列が出来ていたようで、死ぬ思いをして食べたと自慢された、今年の土用丑の日だが、土用丑の日こそ自宅で穴子を食うべしなのだ。

7月31日、八王子綜合卸売協同組合、マル幸の店頭、目線を下げた途端、パーチの下にあるトビウオ科の魚に違和感を感じた。ツクシトビウオかなと思って引っ張り上げたらトビウオであった。立秋前のトビウオは、少し早い気がするが気のせいかな。東京には早春というよりも真冬ともいえそうな2月になると大型のハマトビウオが鹿児島県や四国、東京都島嶼部、静岡県、紀伊半島などからやってくる。春めいてくると相模湾でもハマトビウオが揚がり始める。晩春から初夏にかけてはツクシトビウオ、ホソトビウオがきて、夏真っ盛りになってトビウオがみられる。毎年、多少早い遅いがあるものの、この順番は変わらない。ちなみに数日前、小田原魚市場で見たのはウチダトビウオとツクシトビウオである。相模湾奥の小田原周辺よりも外房の方が暖流の影響が強いためトビウオなど、暖流の申し子は外房の方がとれ始めは早い。千葉県鴨川産で体長27cm・263gが今季初トビウオであった。船上締めしているためか身が硬く締まり鮮度抜群である。

神奈川県小田原市、江の安定置、ワタルさんにアオリイカの極小と小をいただく。「アヒージョにしなよ」とてもアヒージョという言葉が出てくるような人には見えないので、ビックリしたが、実にありがたい。ワタルさん、ありがとう!相模湾のアオリイカは晩春から梅雨時にかけて産卵するのだと思う。7月も中旬になると大人の爪くらい(外套長1cm前後)の大きさが定置網に入る。下旬になると握りの、丸漬けにはならないが、二枚漬けくらいにはなるサイズが混ざる。

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に千葉県銚子からマイワシが来ていた。最近、マイワシはどこの産でもいい、といった感がある。全体の鮮度の水準が上がっているのだ。あとは脂ののりだなと思って水氷の中に手を突っ込んで、数尾つかんでは離す。触った個体すべてに張りがあり、脂が感じられる。お隣に別の産地のものがあったが、段違いにいい。江戸時代から昭和の初期にかけて千葉県銚子は江戸時代以来の水路(高速道路)の始点のひとつ。この江戸までの直行便があったために醤油業が栄え、漁業が栄えたのである。ちなみに江戸時代、鰯(マイワシ、カタクチイワシ)が江戸の町の基本食になったのも、この利根川→江戸川→新川→小名木川→日本橋の舟運によるのである。それから昭和をへて平成にかけても、銚子はマイワシの供給地であり続ける。そして一時の不漁期を経て、また銚子の鰯が復活してきている。全国的なマイワシの豊漁期が近づいてきている気もする。

神奈川県、小田原魚市場、原辰定置の発泡の前で立ち止まっていたら、次々に同じ目線で立ち止まる人がいる。顔見知りなどボクの方を見て、「だろ?」と言っているかのようだ。ボクが非常に欲しそうな顔をしている魚を、ときにゆずってくれることがあるので、欲しいな、欲しいな、という顔をしてみせる。1980年代にはわんさかわんさかとれて、漁師さんのおかずでしかなかった魚である。昔、小田原の釣り宿で地元の水産業者と名乗る人に、この魚の話をしたら、「丸(マルソウダ)は金になるが平はおかずにしかなんねーだら」と言われたことがある。同船宿の船頭に、この魚を海面近くで釣り上げて喜んでいたら、「手返しが悪い」と怒鳴られたことさえもあった。ボクの視線の先にあったのがその魚、1.5kgのヒラソウダである。遠目で見ていても立ち止まっている人がいる。ボクは食べたいだけだけど、魚屋さんたちは納入先を考えているに違いない。最近、ヒラソウダのおいしさを知る料理人が増えているのだ。結局、このヒラソウダは手に入らなかった。たぶん漁協(小田原)の水揚げで米神岩の沖合いの個体だろう。手に入ったのは、体長33cm・544gであったが、食べたいだけのボクにはこれで十分だ。ヒラソウダの旬は秋が深まる時季から師走、新年にかけてだと思っている。これが鹿児島や大分や四国、紀伊半島、伊豆半島周辺で微妙にずれる。しかもヒラソウダの凄いところは旬ではなく脂がなくても、そこそこうまいことである。

神奈川県、小田原魚市場、原辰定置のシイラ中型(5㎏)を一本連れ帰ってきた。当然、朝から晩までシイラ、シイラ、シイラ料理なのだ。ちなみにシイラを手放しにほめたいわけではない。例えばシイラはある程度大きくないとダメだ。小型は干物にしたり、ボクの生まれ故郷、徳島では燻製にしたりしてうまいなー、とは思うけど、鮮魚では今ひとつ工夫しないとうまくない。まあ工夫するのも楽しいけど、大小あれば大ってのがシイラなのである。さて学生時代に雑誌で覚えた料理と、バブルのときに鉄板のあるステーキ店で見た料理法を合体させた料理を作る。ステーキである。ステーキ店ではホタテガイを牛肉と同じような味つけにしていて、食って、感激して、以来の我が家の勝手に真似真似料理である。ちなみに若い頃、深夜ワイワイガヤガヤやっていたときに、ほぼデルモで日常会話は英語という、女子が焼いたステーキの作り方も同じだったのでアメリカンなのかも知れない。

神奈川県、小田原魚市場、二宮定置に小アジを分けてもらう。手の平に乗せただけで、身に張りがあり、体表の色も違っている。どう考えても、野締めではない。帰宅して測定すると体長12cm・25g前後だった。マアジは20gもあれば立派な刺身が作れる。明らかに「刺身で食べてね」という意味である。大小に関わらずというか、むしろ小さい方がうまいのは、アジ科の魚でマアジくらいだと思う。持ち帰った水産動物は、撮影しなければならぬものは撮影の準備、撮影しないものは水洗いして下ろしておく。ここで体の塩分を洗い流す。この時季の小田原魚市場には箱根颪という名の熱風が吹く。ここに3時間前後立っているだけで、体中に塩味がつき、頭がクラクラしてくる。

神奈川県、小田原魚市場、原辰定置のシイラ中型(5㎏)を一本連れ帰ってきた。水揚げされたばかりのシイラの美しさは表現しようがない。頭は宇宙怪獣ジャミラのようで、じーと見ていると動き出しそうで恐い。美しいと不気味さが同居している空想世界にいる何か、のようでもある。最近、シイラのことを毒魚とか、まずいとか書いているネット上のサイトをよく見かける。所謂フェイク魚情報という悪質なものである。シイラは島根県などで食中毒が起こったことがある。でも問題なのはシイラ自体ではなく、白身ではなくむしろサバ科の魚のように鮮度保持が難しいことにある。ちなみにシイラの一大産地である島根県でもいろいろ研究が進んでいることも述べておく。島根県、高知県など日本各地で揚がったシイラを心待ちにしている地域がある。岡山県や広島県、長野県の山間部である。岡山県新見市や広島県庄原市で聞くと、多くの人が刺身が好きだという。例えば島根沖、シイラ漬け漁業で揚がったシイラが山間部に送られ、刺身や焼き物になって食卓を飾っていたのだ。庄原市の女性など「サメもうまいけど、マンサク(シイラ)の刺身にはかなわん」とのこと。ちなみにシイラの刺身のうまさは食べ慣れたからうまいのではなく、シイラ自体がうまいのでる。さて、小田原は国内随一、魚の扱いがいいところである。原辰のシイラも見事なものだった。

八王子綜合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウが銭州で釣り上げた魚にオキアジがあった。体長41cm・ほぼ2㎏を筆頭に大型ばかりである。オキアジは相模湾でもときどきサビキなどにかかるが、若魚しか釣れたとは聞いていない。これってすごいことかも知れぬ。こんなに大型の個体が5、6尾も釣れ上がること自体めったにないことではないだろうか?ちなみにオキアジはあまり大きな群れを作らず、比較的沖合いの泥場・砂場などで、泥や砂と一緒にエビや軟体類をエサとしているようである。クマゴロウの仕掛けが落ちたところにちょうど、この小さな群れがたまたまいたとしか思えない。さて真ん中のサイズ、体長35cm・1.2kgを連れ帰ってきた。相変わらず魚屋が活け締めにしたものなので鮮度抜群である。三枚に下ろすといちばんいい時季ではないものの、ほどほどに脂がのっており、味見すると豊かなうま味がある。たぶん、オキアジは味で魚のトップランナーの1種である。もちろんサイズはあるがいつ食べても味わい深く、しかも食べた後にも味が殷々を舌に残る。