ぼうずコンニャクの日本の高級魚事典
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ぼうずコンニャク新境地!? グルメエッセイ也。

更新情報など

最新コラムより

サロマ湖産マガキ
コラム 

師走最初の生ガキはサロマ湖産

東京都内で暮らしている利点は全国の水産物が手に入ることだと思う。寒くなると産地別のマガキが仲卸の店頭に並ぶ。
北は北海道から九州まで日本各地のマガキが手に入るので、寒くなるとお国巡りをするように、食べている。
今年は岩手県産ばかりだったが、今週になり八王子総合卸売センター、福泉に北海道サロマ湖の小振りなものが来ていた。
サロマ湖には天然での生育もあり、昔ボール状になったカキ礁の塊をいただいたことがある。サロマ湖も行かなければならない地だけど、当分無理だと思っている。サロマ湖産マガキを食べて、旅心をなだめるしかない。
サロマ湖はオホーツク海に繋がっている。そんな光景を思い浮かべながら食べるのも、ボクの密かな楽しみのひとつだ。
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コラム 

イカの値段に温暖化を感じる、スルメイカ対ヤリイカ

スルメイカの高騰は温暖化のためだと思っている。ヤリイカ、ケンサキイカ、アオリイカの高級イカ3種は用途が刺身で同じなので総量で価値が決まるが、スルメイカはスルメイカでなければ作れない刺身以外の料理があるため、なければ1種だけで高騰する。
近所の魚屋をとっつかまえては聞いていることだけど、普通の町の魚屋は最近、スルメイカを本単位(はい数が正しいかもだけど、魚屋はイカを1本、2本と数える人が多い)で仕入れているようである。
20世紀末には八王子あたりの老舗だと4,5箱仕入れていたことを考えると隔世の感がある。市場では「日本海スルメイカ(下氷)の箱の山に魚屋の札」が普通だったのである。
先日、知り合いの魚屋がヤリイカ3、スルメイカ3なんて仕入れていた。ヤリイカなどの高級イカは仕入れない庶民的な魚屋なので、「注文かい?」と聞くと、「最近こんな感じよ」と言う。
要するにイカの需要はあるのだけど、イカの刺身が高級品になったので用途の違う2種を最低限仕入れているのだ。
「最近ウチもね、アオリもケンサキも仕入れてるのよ、世の中変わったよね」
マイワシがキロ単価で3000円以上したときは魚屋が大騒ぎしたけれど、スルメイカはそこまでの騒ぎにはならない。でも深刻だと考えている人は多いのだ。イカは目立たないけど地味に大変な状況にある。
なんとなく仕入れていたスルメイカが1本大きいと700円もする世の中が来るとは誰も思わなかったはずである。ちなみに昔は立派なのが300円くらいで買えた。安いと100円なんてスルメイカもあったのだ。その100円サイズだって今じゃ450円はすることからして、スルメイカは高級イカとなってしまったことになる。
念のために岩手県産ヤリイカと日本海(正確な産地は不明)スルメイカ両方を買って値段を比べてみた。ヤリイカはキロ単価(重さを量って買う)、スルメイカは1本売りなので買って調べるしかないのだ。
正確なことは公表できないが、ほぼ同じキロ単価だった。だからスルメイカとヤリイカ両方を魚屋は仕入れていくのだ。
ちなみに外套長(同の部分の長さ)が同じなら、頭と足が大きいスルメイカの方が重い。このあたりも両種の用途の違いを生むのだけど、これはまた別の機会に。
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イサキ
同定 

イサキは孤立無援で淋しい魚なのだ・分類編

イサキとはひとりぼっちで悲しい魚だという話をしたい。
本州、四国、九州にいる魚で、漁獲量は多獲性魚類(サバ類、マアジ、サンマなど)であるマイワシなどと比べると少ないが、決して魚全体からみると決して少なくはない。
外洋に面した磯(岩などが多い浅いところ)にいる魚で、漁港や岩場などから海をのぞくと小型なら見られるくらい在り来たりの存在である。しごくおとなしい顔をしており、歯は小さく、エサは甲殻類や小さな軟体類であるイカタコなどで、食い殺すのではなく飲み込むタイプである。小エビなどにとっては優しい悪魔だ。
ここまではイサキの解説だが、まずは食用魚イサキって知ってますか? から始めなくてはいけない。たぶんだけど、この国に住むほとんどの人は知らないだろう。
昔、マスコミ関係の話し合いで、食の専門家ですらイサキを知らない人がいてビックリしたが、これが現実だろうなと思ったものだ。ちなみにこの国の料理研究家は最低限の植物(野菜)と、鶏肉と豚肉、牛肉だけ知っていて、ご飯が炊けて、パンでも焼ければなれそうだと思う。間違いなく水産物の知識はゼロでもやっていける。この国のほとんどの人が食べ歩きには興味があるが、料理にも食材にも興味がないのだから、仕方がないだろう。
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料理法・レシピ 

五島列島産スマの刺身あい盛り

本命中の本命が週間トップというのも恥ずかしい気がするが、迷うことなく週の大本命になりそうだと思って買った、五島産スマが突き抜けてうまかった。
スマはサバの仲間で、古くはマグロ族というくくりがあり、いわゆるマグロであるクロマグロやメバチマグロと同じ仲間だった。身色も身の性質もマグロとあまり変わらない。
インド洋、太平洋の熱帯域から温帯域を高速で泳ぎながらエサである魚を追いかけ回している。
このところ長崎県五島から毎日のようにスマがやってきている。1.5kg前後と形が揃っている。粉砕氷の中に入っていて鮮度がいい。今や毎日のように市場で見かけるスマも、昔は西日本に多く、産地周辺で消費されて、めったに関東には来なかった。
1ヶ月に1尾は食べているので、もうそろそろスマかなと思っていた。今回は小田原で探したいと思ったが、もろもろの事情で、今回10、11月初めと同じ八王子(八王子総合卸売センター、福泉)で買った。
今回の個体は全長45cm・1.247kgで、近年、鹿児島県などでは大型化していることからすると手頃なサイズである。触って硬く感じるくらいなので、鮮度は抜群。しかもどう見てもデブである。
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ヒゲソリダイ
料理法・レシピ 

ヒゲソリダイの水炊き

ヒゲダイがいるからヒゲソリダイがいる。ヒゲダイは立派なヒゲがあり、ヒゲソリダイはほんのちょっぴりのヒゲがあるだけ。だから鬚剃鯛となる。このヒゲダイ、ヒゲソリダイの名とか分類は長年混乱があって、それはそれで面白いのだけど、ここでははしょる。
外房以南の浅場にいる魚で、相模湾でも昔からとれてはいたが、固体数が少ないのか、めったに見ることが出来なかった。とれても小型が多かった。それが最近では量的にも増えているし、大型が増えた。関東の市場でも昔は珍魚のたぐいだったが、流通量が増えて、普通の食用魚となってしまっている。
温暖化が顕著に感じられる魚ではないが、確実に温暖化で増えている、そんな魚である。
初めて見たときは、イサキ科なのにイサキのようなスマートな体形ではなく、鯛型(体高が高く)で身が厚く、どことなく鈍い感じのする魚だな、と思ったものだ。
デジタルカメラでの初の撮影は2004年で、広島県倉橋島の日美丸さんという漁師さんにいただいたものである。体長25cmくらいだったけど、関東ではめったに手に入らない魚だったので、ハッスルして120画像も保存してしまっていた。
以後、イサキ科の主流はイサキのようにスマートではなく、鯛型でやや左右に分厚いということを知る。
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煮干し醤油
コラム 

湯豆腐のための煮干し醤油を作る

ボクのようにねっからの四国徳島人にとって、日常欠かせない調味料は醤油(しょうゆ)である。醤油がなければ一日たりとも暮らせない。
醤油はなんでもいい。非常に若いときは、これだ!、というものばかり使っていたが、そんなこれだ!、と思う事のつまらなさを知り、これだ!、と思わなくなった。
ちなみにボクの場合、九州や山陰にいけば甘い醤油を買い、千葉県利根川河口域にいけばキリリとした醤油を買う。東北・北陸のまったり系もいいと思うし、実際に買ってくる。旅で調味料を買うってことは矢鱈に楽しいことなのだ。
ただし加減醤油を作るときは千葉県の大手や地醤油、東京都内の醤油の方が作りやすい。
我が家の加減醤油は土佐醤油、めじか醤油、煮干し醤油(煮干しはカタクチイワシ、トビウオなどなど)、唐辛子醤油である。
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加工品 

謎の甲つきするめを作ってみる

コウイカ科のイカの特徴は「貝のような姿の動物」であった名残である、貝殻を体に有していることだ。貝殻は一般的には甲という。甲を持っているイカなので甲烏賊となり、科名(コウイカ科)種名(コウイカ)になっている。
山間部に育ったボクに甲は珍しく、子供の頃、魚屋にお使いに行って、甲をもらって、うれしかった想い出がある。
生物学者・谷田専治(1908年生まれ)は粉末にして歯磨き粉に用いる、…甲に彫刻して飾りものにする…止淋散と称して墨客に利用されると述べている。止淋散は不明。魚屋の中に乾燥して粉末にして血止めにするという人もいる。
鯣(するめ)はイカの開いて干したもののことであるが、比較的大形の食用イカすべてで作られている。スルメイカは国内でたくさんとれ、鯣にもっともよく加工されるために、鯣烏賊と呼ばれるようになった。
鯣に加工される主なイカは多い順にスルメイカ、ケンサキイカ、アオリイカのツツイカ類(体がスマートで貝殻がフィルム状)。シリヤケイカ、コウイカ、カミナリイカのコウイカ類である。
ツツイカ類の鯣はスーパーなどでもよく売られているので、探せば手に入るが、コウイカ類の鯣を手に入れるのはなかなか難しい。コウイカ(ハリイカ)の干ものは徳島県鳴門市、阿南市で食べているのに、撮影し忘れるという失態をおかしているが、非常にローカルな食材である。
そのコウイカ類の干ものに「甲つきするめ」がある。先に述べた谷田専治、軟体類学者・奥谷喬司の著書にあるし、塩乾加工の書籍にもある。
長崎県雲仙市の佐藤厚さんはシリヤケイカ、コウイカで実際に作っていたとのことで、味はシリヤケイカの方がいいという。とすると「甲つきするめ」は主にシリヤケイカで作られていたのだろう。これは奥谷喬司がシリヤケイカは東シナ海でたくさんとれていた。「甲付するめ」にも製されていたということと一致する。
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コラム 

11月最後の日の今季初カキフライ

情報処理に追われているし、雑務事務作業もあり、送られてくる水産生物もある。
たまに都心に出ると、探すものがある。
食堂・洋食屋のカキフライだ。
本来は10月の声をきくとそわそわしたものだが、今年はカキ自体が遅れている。当然、カキフライも11月になってからだと思い込んでいたのだ。
カキフライを食べるなら、あの店、この店と考えて、いざ行ってみると閉店していたり、定休日だったり、「カキフライ売り切れました」の札が下がっていたり。
このままでは一生カキフライが食べられないのではないか、と不安になる。
じゃあ、自分で作ればいいじゃないか、と思う人は人生経験が足りないと思う。外食で食うカキフライと、自分で作って食べるカキフライは別物なのだ。記念すべきカキフライは外食でなければならぬ。
本来、10月になり、厚手の上着に着替えて、食堂などでカキフライを食べてこそ、情け容赦のない時間とともに移ろう自分が感じられるのだ。
3回連続、都心でカキフライに振られ、ボクのカキフライ人生暗いなと思っていたら雑用で行った隣町の肉屋になんとカキフライがあった。
でも3個しかない。通りがかりの肉屋なので、恐る恐る、「カキフライこれだけですか?」と聞くと、「今、揚がるところですよ」という。地獄で仏ならぬ、地獄で可愛らしいオネエサンが微笑んだ。
大急ぎで帰宅して、今季初カキフライを食べた。今季初カキフライは肉屋の、となってしまったが、これでいいのである。
実際、このカキフライが非常にうまい。
まだ温もりが残っている内に大急ぎで帰ってきて食べたのもよかった。
それにしてもカキフライとはなんとうまいことか? カキの複雑うまいが、揚げたパン粉と一緒くたになり、余計に複雑うまいになる。
柔らかく濃厚なのに後口がいい。
10個ではなくもっと買えばよかったかも。
ちなみに今はなき行きつけの店では、カキフライ+ヒレカツとか、+メンチカツをしていたので、ボクのカキフライ愛には不純なところがある。
今回もいけないとは思いながらコロッケを+、した。
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文化 

1960年代半ばまで貞光川で子供がやっていた「そろ」を使った魚とり

徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光町)で「そろ」と呼ばれていた竹製の道具がある。同地では子供がジンゾク(カワヨシノボリ)などの小魚をとる道具であった。筆者が4、5歳くらいから小学校低学年くらいまで魚とりに使っていたが、これが同町では当たり前のことだった。
また著者の家は荒物雑貨などを売る商店だったが、「そろ」も商品として売っていた。我が家の商圏は現つるぎ町と美馬町(現美馬市美馬町)なので、「そろ」という言語は最低でも美馬郡全域で使われていたのだと考えている。
写真は大分県日田市で購入したものだが、「えびしょうけ」という。これが我が故郷の「そろ」だ。
古く「笊籠」を「そうり」と呼んだという。北陸・西日本で「そうけ」、「そーけ」、九州で「しょうけ」、「しょけ」、沖縄で「そーき」、「じょーき」という。「そろ」は、北陸・西日本の「そうけ」、「そーけ」の変化のひとつだと思われる。
以上は、すべて笊(ざる)の呼称で、竹で編んだ容器の総称でもある。丸いものを盆笊、とか四角いものを角笊とかいうし、大型の箕(み)もある。水を切ったり、作物を入れたり、運んだりする。
「そろ」は非常に頑丈で1960年前後には土木作業のじゃりを運ぶのにも使われていた。手を入れる四角い穴があるのも特徴である。
九州大分県日田のものは、貞光町のものとまったく同じものである。「えびしょうけ」は「エビをとるための笊」という意味だろう。
貞光町では「そろ」というが、同鷲敷町(現那賀町)南川・中山川周辺では「つつみ」と言う。
徳島県阿南市羽ノ浦町古庄では「米けんど」というのかも知れない。
羽ノ浦町では盛んに淡水魚を食べていて、岸辺の葦の間にいる魚をすくうのに使用していたようだ。
貞光町ではもっぱら子供の漁具であり、大人が魚をとるために使っていたという記憶がない。とった淡水生物は家庭によっては食べていたのかも知れない。「そろ」でとれる魚を鶏の餌にしていた家もある。
羽ノ浦町では用水路のエビ(テナガエビもしくはスジエビ)、フナなど小魚をとり、食用としていた。子供が使う漁具でもあっただろうと思うが、大人が日常の食べ物である淡水魚をとる漁具でもあったのだ。
参考文献/『民具の事典』(監修/岩井宏實、編/工藤員功、作画/中林啓治 河出書房新社 2008)、『聞書き 徳島の食事』(農文協)
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コラム 

今やイトヒキアジは惣菜魚そのもの

イトヒキアジは本州が北限で、世界中の熱帯から温帯に生息している、真四角なアジ科の魚である。
若い個体の背鰭と臀鰭は、ひらひらと新体操のリボンのように伸びている。銀色なので水中で見ると非常に美しい。成長するとだんだん鰭が短くなり、オッサン顔になるところなど、子役のときの輝きをなくした女優のようだ。
イトヒキアジの糸引きはこの若い個体の呼び名だ。国内での呼び名をみてもとどれもこれも長い鰭に由来する。
明治時代以来昭和になるまで、この国の動物学者・民俗学者は国内での生き物の呼び名をやっきになって採取したが、このオッサン顔の親からの呼び名は九州以北にはない。イトヒキアジは昔、成魚は九州以北にはほとんどいなかったのだ。
鹿児島県島嶼部、沖縄では昔から1m近い成魚が普通にとれる。呼び名のソージガーラ、のソージは障子のこと、ユダヤガーラのユダヤーは涎のことだけど由来などはわからない。
【余談だが、英名にPennant-fishというのがある。和訳すると旗、幟だと思う。国内の呼び名にも「幟さん」、「幟立て」があるのは和洋考え方が同じということだ】
1985年に紀伊半島を回る旅をしている。大阪から南下して、野宿と民宿に泊まり、港を縫うようにして熊野市までの旅だった。紀伊半島でよく見かけたのが手の平大のイトヒキアジで、最初は珍しいので拾っては撮影していたが、あまりにもたくさん落ちているのでバカバカしくなった。湯浅あたりの漁師さんの話では「おかずにもならない」こまった存在だったようだ。
2000年代から日本各地で定置網の水揚げだけではなく、網揚げの見学もさせて頂いている。相模湾平塚ではひとまわり大きいものが揚がっていたが、一日に数個体だった。ここでも手の平級はたくさん揚がることがある、という話だった。
2010年くらいまでは九州南部はともかく、四国、本州とも本種はひらひら鰭が長い食うに食えない魚であり、網に大量に入ることがあるので迷惑至極な存在だった。
これが最近、希に大型の成魚もとれるし、食い頃の重さ500g以上などたくさんとれるようになっている。
今週、八王子総合卸売センター、福泉に並んでいったのは、体長30cm・0.6kgなので見頃(見て可愛い)・食べ頃(食べるに手頃)なサイズである。
最近思う事はイトヒキアジはやっかいな存在から、普通の食用魚で、歓迎される存在に変心しつつあるということだ。
問題はもう少しだけ知名度が上がることだろう。スーパーなどに切り身で並べれば身色もきれいだし、売れ筋になるのではないかと思う。
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稲のはさ掛け
漢字・学名由来 

タモリは田守だ!

タレントのタモリではなく、魚のタモリの話だ。この魚のタモリには田中茂穂は「太母里」という漢字を当てているが、正しくは「田守」だという話でもある。
田守は室町期には歴とした官職のひとつだった。それが時代が下り、江戸時代になると、野良で日がな一日、田畑を見守っている人という意味に変わる。
ついでに言えば、田守という言語はダサイと同義語に成り下がる。
無精髭を生やしたまま、パジャマの上に上着を羽織って市場に向かう自分などは典型的な田守である。
田守は今や死語だけど、江戸時代には一般的な言語で、日常会話にも使われていたようだ。
薄汚い、うらぶれ落剥した人とか、知的障害のある人を差す言葉といえばわかりやすそうである。ボクの生まれた高度成長期でも、このような人達の暮らしがなり立つようにそれなりの職業があてがわれていた。そのひとつが江戸時代には田守だったのだと思う
江東区の聞取にしても、山本周五郎の世界にもそんな存在が出てくる。明治時代に宮城県仙台市にいた仙台四郎も同様な存在だったのだろう。
今はなんでもかんでも差別だというが、むしろ露骨に田守のような差別用語を使っていた時代の方が人間的で温かみのある気がするから不思議である。
先にも述べたように、田守は室町時代には官職名でデスクワークの人だったが、江戸時代には田に入ってくる害獣を追い払い、また畑仕事で助けが必要なときには呼ばれる、実労働者そのものを指す言葉になる。
江戸時代の俳句では以下の2句がある。
【稲塚の戸塚につゞく田守かな】 宝井其角 『最近俳句歳時記 秋』(山本健吉)
【秋の夜をあはれ田守の鼓かな】 黒柳召波 『大言海』
宝井其角は芭蕉門下で裕福な家の出であり、荻原重秀が作りだした華やかな元禄期を経験している。
黒柳召波は蕪村の門下で、当然、蕪村の属していた京のサロンにも参加していただろう。蕪村、池大雅、伊藤若冲などがいて京がもっとも華やかだったときを生きている。
句の意味合いは後者は落剥を思わせるが、前者は現代の言語訳ではよくわからない。稲塚は稲を杭にからめて干す形が塚(盛り土)に見えるための言語で、それを守る人が戸塚(多分東海道五十三次の戸塚宿のことで、京に上る最初の宿場。塚塚で韻を踏んでもいる)まで永遠と続く光景を詠んだのかも。ともに田守は侘しいとか淋しいとかで、決してきれいなイメージはない。
田守には野良で衣類をかまわず、無精で不潔だというイメージがあるのである。
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料理法・レシピ 

近所のスーパーでオオニベ刺身用を買う

東京都内多摩地区、我が家の近所のスーパーに高知県産オオニベが丸ごとどでーんと飾られ、刺身用の柵が特売されていた。特売なので至極安い。
オオニベはニベ科の中でも最大級の魚であるといってもわからないと思う。東京湾などでもたくさん釣れる、イシモチ(シログチ)に近い魚であり、西太平洋ではこのニベ科の魚たちは重要な食用魚であるとおぼえていてもらえるといいかも。
東京湾のシログチがせいぜい全長30cm弱なのに1mを越える巨大魚で、大物釣り師の憧れの存在でもある。
1980年代オオニベを築地場内で見つけたときはうれしかったが、8㎏以上あって、とても手が出なかった。21世紀になり築地の大手荷受け、大都魚類の競り場に大量の箱が置かれていて、すべて宮崎県で養殖されたものだった。宮崎県は当時、オオニベの養殖で有名だったはずである。
当時、生息域内ではあるが、相模湾ではほとんど見られなかった。駿河湾にもいたとは思えない。個人的には、もっぱら九州から来る魚と思い込んでいた。
それが今や、相模湾でもいたって普通の魚になっている。本種が相模湾で珍しい魚でなくなったのは2010年前後からだと思う。2023年現在、大きな個体が普通に見られる。
宮城県気仙沼でも揚がっていて、温暖化で北上し、水揚げが増えた魚のひとつである。
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サヨリ,吉永サヨリ
コラム 

吉永サヨリなんて最近では死語になりつつある

八王子総合卸売協同組合、舵丸水産に愛知県篠島産のみごとなサヨリがきていた。山梨県上野原の料理店、桜扇さん(市場では屋号で呼ぶのが普通)に「吉永サヨリって言う人が少なくなりましたね」というと、忙しい最中なのに「ボクたちが最後でしょうね」と返してくれた。久しぶりに会った魚屋さんにも同じ話をしたが、「最近の人はわからないだろ」という。
築地に通い始めたとき、頻繁に行けないので、できるだけ少量、多種類を嫌がられないように買っていたことがある。
嘴の赤いサヨリをできれば2本買いたかったのだけど、「4くらいは買いな、サヨリちゃんはよ」と言われたことがある。閂(かんぬきは全長30cm以上で80gから100gある)とまではいかなかったが、かなり大きい個体なので4尾だと200gくらいになるな、と躊躇していたのだ。
ちなみにそのときボクは「サヨリちゃん」で、ちょっとニヤッときた。そのものずばり、「吉永サヨリちゃん」という人もいた。「吉永サヨリちゃんきれいだよ、おいしいよ」なんて言葉に、1980年前後に30歳以上だった人(今なら70歳以上)なら、吉永小百合の姿が浮かんできてわくわくしたのだろう。
今年の冬に去る業界の仕事中に、バスの中で魚のレクチャーをしながら「吉永サヨリちゃん」と言ったら無反応だった。周りにいたのは30代、40代であるが、考えてみたら「魚のサヨリで吉永サヨリ」など理解できるはずがない。
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