思わず手が出た無塩のアカカマス開き
小田原で魚を見て秦野でスーパーに寄って
小田原で魚を見た帰りに、必ず立ち寄る神奈川県秦野市、スーパー ヤオマサ渋沢店は比較的地元密着で楽しい。
そこで小さいけれど貴重な発見をした。ボク以外にはなんでもないものだけど、ボクにはとても重要な発見である。
パック入りのアカカマスの開きまでは普通だが、そこに「無塩」の文字があったのだ。
産地は小田原で、わざわざ「無塩」と書いているのは、「小田原開き(頭はそのままに背開き)」しているので、干ものと紛らわしいためだ。
「塩分無添加」ではなく、今や死語になった「無塩」が今でも実際に使われているのは、非常に珍しいと思う。
ちなみに開いた体表をなめると干ものほどではないが、微かに塩気を感じる。
この開いたアカカマスの真の正体をヤオマサで聞いてみたい気もする。
パックから取り出して、ただ単に焼いてみた。
最近、塩分がダメなのであるで、ときどき塩をしないで焼いている。
特にサバの仲間(サバ亜目。カマスはサバ亜目カマス科)は塩がいならいと思う事が多い。
淡水魚は塩をしなければ味気ないが、海水魚は塩をしなくても最小限、塩味(しおあじ)が感じられる。
アカカマスのように味のある魚ならばなおさらで、「無塩」をそのまま焼いてまずいわけがない。
実際に焼き上げては食べると、微かな塩気を感じるし、味があるし、ボクにはしごくうまい。
本種ならではの豊かなうま味とほどよい脂の乗りが楽しめた。
無塩に憧れた人がどんどん世の中から消えて行く
人間と水生生物の関わりを調べている。どうしても分野を決めろ、と言われたら民俗学かも知れない。
最近、明治時代、大正時代生まれに聞取した、『西日本庶民交易史の研究』(胡桃沢勘次 文献出版)を、机周りに置いて、少しずつ読んでいる。
古代から、海辺で揚がった魚を山間部まで人力で運んでいた、
本書によると、1945年の戦前戦後と、若狭から丹波、近江へと魚をほぼ人力で運んでいた。
魚は基本的に塩をしたものか、焼いたものだったようだ。
ちなみに腹に大量の塩をつめた魚は、多くの場合、魚だけではなく、塩自体の流通でもある。
今、考えるとそんなに海から遠くない、島根県能義奥(現安来市)や兵庫県奥播磨の民俗資料を読んでいても、完全に生の魚を食べるのは特別な日以外にはなかったのである。
これががらりと変わるのは1950年代後半くらいからで、現在の流通の形ができはじめるのは1970年代になってからだ。
1950年代には江戸時代に生まれた人がまだたくさん生きており、1970年代には、明治生まれの人がたくさん生きていた。
そんな生での水産物の流通のなかったとき、やたらに目にするのが「無塩もの」で、彼らには憧れの対象でもあった。
ヤオマサでこのパックを手に取る一瞬に、こんなことが脳みそに閃いた。