山口瞳の、鰹の中落ちの煮つけ
非常に素朴な料理だが、無性に食べたくなる味なのである

作家、山口瞳(1926-1995、東京生まれ)の文章にしばしば登場するのが「鰹の中落ちの煮つけ」である。
山口瞳は行きつけの東京都国立市、国立駅前の『繁寿司』で土産にもらうのも「中落ち」だし、銀座の『鉢巻岡田』で食べるのも「中落ち」である。
「鉢巻岡田の鰹の中落ちを食べなければ(私にとっての)夏が来ない」
小説家以前にコピーライターだった山口瞳らしい文章だが、正直そう思っていたのだと思っている。
また『繁寿司』でもらった中落ちは自宅で奥様が料理していたことなどから、本当にこの素朴な料理が好きだったのだと思う。
昭和が人生と重なる山口瞳にとってカツオは夏

今や年間を通して魚屋の店頭にあるカツオだが、1990年代以前は黒潮を北上するカツオが市場の主流だった。
当時築地では、カツオは晩春(旧暦の3)になると入荷が増えてはいたが、夏(旧暦の4月)にならないとさほど多くは並んでいなかった。
このときの春のカツオは宮崎県産、静岡県御前崎産が多かったが、なぜだろう。いまだに謎である。
とにもかくにも、人生がそのまま昭和にはまり込む、山口瞳の世代にとってカツオは夏の魚そのものだったのだ。
ちなみに『繁寿司』、『鉢巻岡田』、『文蔵』など山口瞳の行きつけの店は、どれも外見も中も実に地味であるが、料理はうまかった。
『文蔵』など近ければ通いたいくらい魅力的な店であったのだ。
山の中の商店街育ちなので「鰹の中落ち」がわからなかった

中学生の時に同級生に言われたことが気になって、『少年サンデー』を買ったそのついでに、どきどきしながら初めて『週刊新潮』を立ち読みしたのだ。ただ、そこには同級生の言うような、性を思わせる文章はなかった。
徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の商店街、商売屋の子供だったので、『少年サンデー』は買い物をしてくれるお得意さんの店、本屋で買えと言われていた。ただ、そちらはお姉さんが店番をしていて立ち読みできなかった。
わざわざ遠い『国金書店』に鞍替えをして、『少年サンデー』を買い、そして『週刊新潮』の立ち読みを始めた。
ちなみに当時、『週刊新潮』はテレビコマーシャルもあり、谷内六郎の表紙絵で人気があった。
目的は山口瞳の見開きエッセイ、「男性自身」である。典型的な落ちこぼれであったが、文章を読むのは好きだった。それだけが取り得だったかも知れない。「男性自身」の文章にいきなり心をわしづかみにされた。
余計な話だが、『少年サンデー』をやめて、こちらは明らかに性に目覚めて発刊まもない『少年ジャンプ』にした。それがいつの間にか、『少年ジャンプ』を諦めて『週刊新潮』を買いはじめた。本屋にとっても変な中学生だったと思う。
ちなみに漫画はお好み焼き屋でも読めたが『週刊新潮』は立ち読みか、買わないと読めなかった。
この初買いの『週刊新潮』は数年前まで持っていたはずだ。