谷崎潤一郎にみる明治の魚食事情 塩焼き編

谷崎潤一郎の生家は現日本橋人形町

人形町界隈

谷崎潤一郎は明治19年(1886年)生まれで、成人して文学者となるまで、明治時代の東京を生きた。生まれは下町、日本橋蛎殻町(在の中央区日本橋人形町)で豊かさと貧しさの入り交じった幼少期を送ったと述べている。
ただし、祖父の代の財産、また伯父からの援助もあり食生活から見る限り、真の意味での貧しさとは無縁である。
日本橋界隈に登場してきた中華料理店や洋食店、少し贅沢な和の外食もそれなりに楽しんでいる。明治時代の下町の食をある意味思い切り楽しんだ人と言ってもいい。
幼少期の日常的な食に関しては、
〈神茂のすじや半平(はんぺん)などの方が八百屋物(野菜料理という意味)よりはまだ有難かった……魚類は大体焼いたものよりは煮たものが多く、比目魚(ひらめ)、鰈(かれい)、鰺、鯡(にしん)、鮫(さめ)、生節(なまりぶし)等は皆煮つけで、焼くのは蒸し鰈、魴鮄(ほうぼう)、鰯、飛魚ぐらいであったが、煮魚は私は嫌いであった。〉『幼少時代』(谷崎潤一郎 岩波文庫 初版は文藝春秋社1957)
これを徐々に追体験してみている。

トビウオは古くからの東京の魚だ

トビウオの塩焼き

東京都内でトビウオはもっとも一般的な食用魚である。ときどきスーパーにも並んでいる。関東でトビウオは、春にハマトビウオ、夏が近づくとツクシトビウオ、ホソトビウオ、真夏というか立秋の頃になると標準和名のトビウオが揚がり始める。
トビウオを区別(同定)できる人はめったにいないので、ハマトビウオを「大飛び」、ホソトビウオを「丸飛び」、ツクシトビウオを「角飛び」、トビウオを「秋飛び」と分けて考える人もいるが、非常に少数派である。すべてがトビウオでしかないので当然、谷崎潤一郎が幼少期に食べた飛魚はこの4種のことをさす。
東京築地場内(現豊洲市場場内にあたる)でトビウオを買って、塩焼きを勧められたことがあるので、「トビウオ=塩焼き用」の概念はほんの一昔前まで存在した。
ちなみに明治期、上品で淡泊な味が好まれたとする説が有力である。ただし、これは実際の話かどうかは疑問を感じる。江東区の明治生まれの聞き書きを読むと、「かつれつ(現在のとんかつ)」を初めて食べた女性が、「こんなにうまいものがこの世にあるのだろうか」と明治末期から大正期にかけての「かつれつブーム」のことを語っている。
トビウオの塩焼きは脂気がなく、香りがよくうま味もあるものの、濃厚さがなく、味が浅い。京都ならこの淡泊さを補うために酒を使ったり、魚田にしたりということもあったと思うが、あくまでも江戸を引きずっていて東京市でのことで、ただ塩を振って焼くだけだっただろう。
ちなみに若い頃、トビウオ類の塩焼きは決してうまいとは思えなかった。それがだんだんおいしく思えてきたのは、年齢のせいだろう。
ちなみにここにオリーブオイルを垂らしても、バターをのせて食べてもいい、のである。


関連コンテンツ

サイト内検索

その他コンテンツ

ぼうずコンニャク本

ぼうずコンニャクの日本の高級魚事典
魚通、釣り人、魚を扱うプロの為の初めての「高級魚」の本。
美味しいマイナー魚介図鑑
製作期間5年を超す渾身作!
美味しいマイナー魚図鑑ミニ
[美味しいマイナー魚介図鑑]の文庫版が登場
すし図鑑
バッグに入るハンディサイズ本。320貫掲載。Kindle版も。
すし図鑑ミニ ~プロもビックリ!!~
すし図鑑が文庫本サイズになりました。Kindle版も。
全国47都道府県 うますぎゴーゴー!
ぼうずコンニャク新境地!? グルメエッセイ也。
からだにおいしい魚の便利帳
発行部数20万部突破のベストセラー。
イラスト図解 寿司ネタ1年生
イラストとマンガを交えて展開する見た目にも楽しい一冊。
地域食材大百科〈第5巻〉魚介類、海藻
魚介類、海藻460品目を収録。