魚類学最大のミステリー、アンコウとり違え事件
クツアンコウなのにアンコウはおかしい
アンコウ,クツアンコウ
魚の説明をするとき、この本来の呼び名と、魚類学の呼び名の違いを説明するのに非常に苦労することが少なくない。
この魚類学の名前、標準和名はよほどのことがないと変えられないというのはわかっているが、明らかに市場価値と歴史を踏まえて、現在の「キアンコウをアンコウ」に、「アンコウをクツアンコウ」に変えて欲しいという話でもある。
魚類学者のせめぎあい、意地の張り合い
アンコウ
国内の分類学は明治時代から始まったと考えてもいいと思う。江戸時代にも、宇田川榕庵(1798-1846)などリンネの存在と、当時最新の分類法がわかっていた人間がいなかったわけではないが、あくまでも準備運動のレベルと考えていい。
内村鑑三(1861-1930。動物学者だったが後にキリスト教徒で文学者になる)の(元号はキライだがわかりやすいので)明治17年の目録を見てもわかるように、魚類の分類は手探り状態だった。「アンコウ」の種小名(以下種小名だけにする)に、現在のアンコウの setigerus を当てているが、実は、食用アンコウ2種の、キアンコウ(本アンコウ)に対してなのか、アンコウ(クツアンコウ)のつもりだったのかわからない。
次の世代である石川千代松(1860-1935。内村鑑三と同世代だが最後まで動物学者であり続けた)は明治30年にはっきりと、水っぽいクツアンコウに対して setigerus を当てている。
日本初の魚類学者(魚類専門のという意味)である田中茂穂(1878-1974)は魚河岸(日本橋にあった)で「あんこう」と呼ばれている魚と、「くつあんこう」と呼ばれている魚の違いを的確にわかっていて、石川千代松同様、setigerus をクツアンコウとしている。
正しく、一般的な「あんこう」にはアンコウを、安くておいしくない「くつあんこう」にはクツアンコウを標準和名にしていたのだ。
問題は松原喜代松(1907-1968)時代に種小名、litulon に現在のキアンコウという和名を提唱して、クツアンコウという標準和名を廃棄して、setigerus をアンコウにしてしまったことだ。学名、setigerus に対してアンコウが文章としても残っているので、間違ってはいないが、現実の世界では間違っていることになる。
ちなみに田中茂穂は土佐人でどこかしら人間味豊か、魚類学の巨人とも言える、松原喜代松は兵庫県人でどこかしら生真面目カチカチ人間のような気がしてならない。両者ははっきりと相容れない部分を持ち、連絡が行き届かなかったのだと思う。大正時代の北原白秋の西条八十に対する憎悪のような部分があった可能性も否定できない。
当然、両者はその性格故に正しかったり、間違いを犯したりする。圧倒的に生真面目な松原喜代松の方が時代も後なので多くの正解を出しているが、田中茂穂の出した結論が正しいこともあるのだ。
浅場にいるサツマカサゴとアンコウ
アンコウ,サツマカサゴ
この不思議な逆転を神奈川県小田原市、小田原魚市場の活魚槽にいるアンコウを前に不得要領に説明している自分がヤな感じなのだ。
本来の「あんこう」であるキアンコウは明らかに深海魚であって、漁は浅場に上がってくる産卵期と重なる。今年の12月8日の時点では産卵が遅れているのかいまだに浅場に近づいて来ていない。当然、相模湾では漁が始まっていない。
対するに「くつあんこう」であるはずのアンコウは希に定置網にも入るし、この日のように浅場にいるサツマカサゴと刺網で一緒に揚がることがある。
価値が低いので買受人は見向きもしない。
ボクもいちおう魚類学会のヒトなのでお願いしたいと思う。標準和名、変えましょうよ。