タモリは田守だ!
タモリは田守で田畑の収穫物を守る人のこと
稲のはさ掛け
タレントのタモリではなく、魚のタモリの話だ。この魚のタモリには田中茂穂は「太母里」という漢字を当てているが、正しくは「田守」だという話でもある。
田守は室町期には歴とした官職のひとつだった。それが時代が下り、江戸時代になると、野良で日がな一日、田畑を見守っている人という意味に変わる。
ついでに言えば、田守という言語はダサイと同義語に成り下がる。
無精髭を生やしたまま、パジャマの上に上着を羽織って市場に向かう自分などは典型的な田守である。
田守は今や死語だけど、江戸時代には一般的な言語で、日常会話にも使われていたようだ。
薄汚い、うらぶれ落剥した人とか、知的障害のある人を差す言葉といえばわかりやすそうである。ボクの生まれた高度成長期でも、このような人達の暮らしがなり立つようにそれなりの職業があてがわれていた。そのひとつが江戸時代には田守だったのだと思う
江東区の聞取にしても、山本周五郎の世界にもそんな存在が出てくる。明治時代に宮城県仙台市にいた仙台四郎も同様な存在だったのだろう。
今はなんでもかんでも差別だというが、むしろ露骨に田守のような差別用語を使っていた時代の方が人間的で温かみのある気がするから不思議である。
先にも述べたように、田守は室町時代には官職名でデスクワークの人だったが、江戸時代には田に入ってくる害獣を追い払い、また畑仕事で助けが必要なときには呼ばれる、実労働者そのものを指す言葉になる。
江戸時代の俳句では以下の2句がある。
【稲塚の戸塚につゞく田守かな】 宝井其角 『最近俳句歳時記 秋』(山本健吉)
【秋の夜をあはれ田守の鼓かな】 黒柳召波 『大言海』
宝井其角は芭蕉門下で裕福な家の出であり、荻原重秀が作りだした華やかな元禄期を経験している。
黒柳召波は蕪村の門下で、当然、蕪村の属していた京のサロンにも参加していただろう。蕪村、池大雅、伊藤若冲などがいて京がもっとも華やかだったときを生きている。
句の意味合いは後者は落剥を思わせるが、前者は現代の言語訳ではよくわからない。稲塚は稲を杭にからめて干す形が塚(盛り土)に見えるための言語で、それを守る人が戸塚(多分東海道五十三次の戸塚宿のことで、京に上る最初の宿場。塚塚で韻を踏んでもいる)まで永遠と続く光景を詠んだのかも。ともに田守は侘しいとか淋しいとかで、決してきれいなイメージはない。
田守には野良で衣類をかまわず、無精で不潔だというイメージがあるのである。
模様が地味でダサくて顔が貧相で
セトダイ
そして魚にもタモリがいる。セトダイとヒゲソリダイである。この場合のタモリも漢字にすると田守で、意味合いも田守そのものだと思っている。
セトダイなど生きているときは決して貧乏たらしい感じはないが、死ぬと体色がくすみ、その上、顔が貧相なのである。下顎にたるみがあり、非常に細かな突起のようなよく見ないと見えないヒゲがある。