タラ飯について

意外においしいタラ飯


宮本常一が昭和17年12月(1942)に能登一宮の気多神社(石川県羽咋市寺)で行われる鵜祭の、ウをとる村(現七尾市鵜浦)まで行く。そこで作られていたのが「タラ飯」である。
富山湾はすり鉢状の地形で、浜から鱈場(深場)までの距離が短い。またタラ科のスケトウダラ、マダラは産卵期が近づき、浅場に上がってきている。動力船のない江戸時代以前にもタラをとるのが容易であったので、タラを食べる文化が発達したとされ、今でもタラの加工をする会社が少なくないとされている。
「魚食の民」などという言葉が一人歩きしているが、この国は決して「魚食」でも「米食」でもなく、20世紀になるまで手に入れやすい食料を、ひたすら食べていたに過ぎない。例えば「おかず」という概念すら、都市部ではあったかも知れないが地方にはなかった可能性がある。
タラ飯はタラ科の魚の「炊き込みご飯」でもなく、「まぜご飯」でもない。タラの身をひたすらご飯のごとく食べるというものだ。
魚の身だけで腹を満たしても、糖質はほとんどなく、タンパク質だけの食事。塩味がついていることだけが救いだけど、おかず(副菜)もなく、とても現代に生きる身には食べにくいものだろうと考えていた。
ところが実際に作ってみると、とてもおいしい。椀に1ぱいくらいならときどき作ってもいい、と思えるほどだった。ただこれが寒い時季の主食で、ごちそうであるとしたら寂しい限りだ。

作り方は単純


宮本常一は〈「タラがとれたぞォ、タラがとれたぞォ」とまた外を叫んで通っていく人がある。その声を聞くと息子の嫁になる人は籠をもってとび出していった。息子が今日網へ出ていっているのである〉。網漁でとるタラとは? マダラだろうか? スケトウダラだろうか? わからない。
〈井戸端でその魚を洗い、頭をはね、腸(わた?)を出し、尾をとったものをザルに入れて台所へ持って来てにえたぎっている鍋の中に入れる。やがて煮え上がってくると、母刀自(あもとじ)は鍋をおろして蓋をとり、輪切りにした魚から骨をとる。……骨をとり、皮をとり、煮えた湯を捨て、新しい水を加えて、杓子で魚肉をつきくだくと米の御飯のようになる。それに適当な塩加減をして、もう一度サッと煮立てる。煮上がるとイロリの火を細くし、鍋の中から茶碗へ魚肉をもりわける。人びとは熱いのをフウフウ息をふくながらたべる。〉

これを少量のマダラの身でやってみた。要するにゆでて皮と骨を取り、煮汁を捨てる。新しい水を適量加えて、水分を飛ばしながら杓子でくだき、塩加減をする。

一人分を作るのに10分前後しかかからないが、大家族で大きなタラを使って作ると壮観だろう。


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