つるぎ町貞光生まれの理想の素うどん
故郷で食べていた、うどんを再現してみた

ボクが生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)には、「うどん屋」はあったけど、「そば屋」はなかった。
あくまで麺の話ではあるが、県の真ん中あたりにある剣山に、近ければ近いほど「そば食文化」で、街中にくると「うどん食文化」だった。
商店だったので、小学生くらいになると店が忙しいときは、歩いてすぐのところにある、『みどり屋』か、『飯田食堂』で、うどんか中華そばを食べた。
配達で奥(一宇村もしくは端山村)に行くと、土釜のうどんを食べることが決まりだった。
これがボクがときどき再現している理想のうどんである。
理想の素うどんのうどんはゆでうどんであり、温めるとき、芯まで温めるが熱くしてはいけない。噛んで熱いと感じたら失格だ。
つゆは煮干しでとったつゆで角があって、きれがよいもので、最初に塩気が来て、醤油のこくがあり、後からうま味の大波がくる。終いはサラリとした感じるのが理想だ。
丼の中全体があまり熱くないのでするすると、短時間で麺をすすり込み、もういっぱい食べたくならないとダメだ。
それにしても東京に真っ赤な「板つけ」がないのが悲しい。
致し方なく、油揚げを刻んだが、「板つけ」やーい、とぞ思う。
ついでに丼は1950年代以前のものだけど、今現在のうどん1前を入れるには小さすぎる。
うどんは昔は間食のようなものであって、食事ではなかったのだ。
これに合うゆでうどんがあるともっともっと理想的だ。
徳島県美馬郡貞光町のうどんは煮干しでなければならない

だしは、カタクチイワシの煮干がいちばん作りやすいがなかったので、長崎県平戸市『はやし水産』の「あご煮干(バショウトビウオ、シロフチトビウオ、アリアケトビウオ、ホソアオトビ)」を使った。
煮干しは適当にばらし、日高昆布を多めして水に半日つけ置き、火をつけて煮干しがゆっくり踊り出したら火を止めて濾す。
だし・塩・少量の薄口醤油でつゆを作る。