松尾食堂での、むつ子から鱈子へ
日本映画の歴史だけではない、食堂の歴史

『松竹大船撮影所前 松尾食堂』(山本若菜 中公文庫)は単行本としては1986年のもの。
神奈川県鎌倉市大船、撮影所前にあった『松尾食堂』の歴史でもあるが、ここには松竹大船撮影所の歴史というか映画の歴史がある。
食堂という場所でなければ見られない映画監督、俳優の、地の部分が垣間見えるのも面白い。
文章の中に少ないながら料理の変遷や料理名の変化が見て取れる。
むつ子が珍しくなり、鱈子が取って代わる

〈…… その「とらや」の小母さんの三崎千恵子さんは、箸休めに必ず「むつ子(生鱈子)」の煮付けをご注文。そして店が立てこんで来ると……〉
三崎千恵子(1920-2012)は映画『男はつらいよ』、柴又「とらや」の女将、車つね役で松竹大船撮影所に通い。松尾食堂で食事をとっていた。
たぶん1970年代から80年代初め頃までには、本来関東でよく食べられていたクロムツの卵巣である「むつ子」の煮つけが、スケトウダラの卵巣「鱈子」煮つけに置き換わっていたのだ。
クロムツの卵巣は繁殖期の春のもので時季の短いものだが、ここに戦後(1945年以降)、北海道や日本海からスケトウダラの卵巣が送られてくるようになり、東京では馴染みのある「むつ子」が「生鱈子」に置き換わったと考えられる。
品書きは「むつ子」のままで、「むつ子の煮つけ」というと「鱈子の煮つけ」がなんの違和感もなく出てくる。
その「むつ子」と呼ばれていたスケトウダラの卵巣の煮つけが、正しく「鱈子の煮つけ」と呼ばれるようになった時期もくるのだろう。
〈多々良さん(多々良純 1917-2006)さんの召し上がり物は「チャプスイ」(八宝菜)と決まっていた……〉
「チャプスイ」は八宝菜に似た料理のようだ。神奈川県横浜で暮らしたことのある東京都日野市のすし職人(1930年代生まれ)は「チャプスイ」をよく食べていたという。
そして八宝菜が「チャプスイ」と呼ばれていた時期があったことになる。
すなわち「チャプスイ」が東京都内や神奈川県ではよく知られた料理名で、八宝菜の方が一般的ではなかった。