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一度もやっていないわけではないのに、久しぶりに天ぷらにして、おいしさに驚いてしまった。ふわふわとして、しかも香ばしく、中はとても豊潤。半身の腹側を揚げたので、ついでに追加揚げして天丼にしてみた。これがさらによかったのである。ご飯は偉大だ、と思ったのは天ぷら単体よりもうまいからだ。マナガツオの身の甘さと、うま味の豊かさが、ご飯の甘さと一緒になって、相乗効果が生まれている気がする。そしてふと考えたら、ボクの天ぷらを揚げる技能が向上している気もしてきた。若いときに作って、マナガツオの天ぷらはさほどうまくないと思ったのは、これぞまさに「若気の至り」だった。八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に来ていたのは、沖合い底曳きが盛んな、愛媛県八幡浜のものである。鱗の剥がれやすい魚で、できるだけ鱗が残っているものを選ぶ。選んだ体長32cm・1.493kgは今年最大のマナガツオだ。以上は前回も書いた。三枚に下ろして腹部の薄い部分の腹骨を取り、薄くへぎ切りにする。軽く振り塩をして少し置き、出て来た水分を拭き取る。小麦粉をまぶして衣をつけて高温で揚げる。
三重県くらい海が多様なところはないと思う。北は木曽三川の河口域、伊勢湾があり、渥美半島と鳥羽市を結ぶ線から北は伊勢湾、南は太平洋になる。鳥羽市は内湾でもあり外洋でもあり、しかも人が住んでいる島が多くある。民俗学的にも面白く、生物好きにとってもパラダイスといってもいいだろう。さて、鳥羽市安楽島の出間リカさんに鳥羽市の貝いろいろを送って頂いた。ついでにとは言っては失礼だが、厳密に同定してみた。中にアカニシが混ざっていたが、鳥羽市安楽島での呼び名は不明である。単に「にし」と呼ばれることが多く、松浦静山の甲子夜話には辛螺と漢字をあてて「あかにし」としている。北海道南部から九州までの干潟や浅い内湾に生息している。浅場にいる巻き貝の中では大型である。鹿児島県島嶼部以南を除けば日本全国で食べられている。人の名に引用されたり、またイイダコを取るのに使われたり、人との関わりの深い巻き貝である。大型で、料理法が限られるのは残念であるが、とてもおいしい。全国流通はしないものの、日本各地の小売店や市場で見られる。ぜひ一度食べていただきたい。出間リカさんに感謝。(FB 安楽島新鮮組)
どことなく体に不具合を感じている。なかなか熱気が体から消えない。午前3時から5時の間に目覚める。最近、ベッドから飛び出し、すぐにシャワーを浴びる。そのままPCを起こし、ご飯をチンして、茶碗によそう。上に鰯の梅干し煮(マイワシの梅干し煮)を乗せて、強く冷やした凍頂烏龍茶をそそぐ。表面温度が冷たい内にさばさばと食べる。温かいご飯にこれでもか、と冷やし込んだお茶が食べすすむと混じり合ってくる。凍頂烏龍茶の烏龍茶と緑茶の中間的な味が実に好ましい。残った茶碗に、今度は熱い番茶(遅摘みの茶葉の緑茶)を入れて飲んで、ふたたび喉から胃の腑にかけて温めてPCに向かう。梅干し煮はマイワシの中骨まで柔らかく炊き込んでいるので、ご飯とも冷たいお茶とも一体化している。塩気は梅干しだけで、そこにマイワシの背の青い魚特有のうま味と脂が加わる。早朝の癒やし系ご飯だと思っている。
市場魚貝類図鑑は複雑な要素で出来上がっているがとりとめもなく……。わがサイトが目指すところはぼんやりとしたものだけど、食のぐるりの総まとめだ。伝統、季節、自然がとても重要だと考えている。だからできるだけ1970年という破壊年以前を感じるものを集めている。生物や料理もそうだが、周りのもの、例えば器もそうだ。駒場東大前の『べにや民芸店』の池本惣一さんの器に興奮してしまった。それまでも何度も写真では見てきたが、写真ではわからない何か? にびっくりしたのだ。そこにあるのは「朝鮮の風」のようなもの。『べにや民藝店』のリョウさんの写真というコマセに誘われて、ボクは小アジちゃんのように欲しいものを欲しいだけ買い求めてきた。池本惣一さんは愛媛県砥部町の人だけど、四国には多くの朝鮮文化が残っている。これなどは九州と同じである。器を見ていて、同じ四国生まれのボクの中に「朝鮮の風」が吹いている、と感じた。歴史考古学の世界からも日本列島には台湾経由でたどりついたヒト、ユーラシア大陸から来たヒト、そして比較的新しく紀元後に朝鮮半島から来たヒトがいる。原始ではなく日本列島の古代文化史は朝鮮半島からのヒトによって多くが築かれ、そして戦国時代に朝鮮半島の陶工が来たことによって陶磁の世界が急激に進化する。戦国大名が朝鮮半島の陶工を連れ帰ったのも、自らの朝鮮への憧れと、「朝鮮の風」を感じたためだ。同じように柳宗悦も明らかに自分の中の「朝鮮の風」を感じた。これも民藝運動という帆船の風だと思う。ボクは、からっちゃの息子なので、器に強く惹かれて惑溺してしまう。今回も新たな器を収納していて食器棚が壊れる。壊れるくらい買うなよ、とは思わない。
魚のフィッシュフライは音がするくらい硬い表面と、中の落差が楽しむものかも。中は汁気が多くて、柔らかいのである。要するに揚げても、その身は硬く締まらず、適度に味がある。超高級魚であるオオアカムツの実力発揮とはこのことだ。この日の昼下がり、あまりにも空腹だったので作って一瞬で食べきった。やはりじゃがいもは糖質そのものだと、胃の腑が温かくなることで改めて思う。じゃがいもと魚のフライを考え出したイギリス人はすごいかも。今回はモルトビネガーをじゃぶじゃぶにかける。もちろんアルコールではなく凍頂烏龍茶で。
三重県くらい海が多様なところはないと思う。北は木曽三川の河口域、伊勢湾があり、渥美半島と鳥羽市を結ぶ線から北は伊勢湾、南は太平洋になる。鳥羽市は内湾でもあり外洋でもあり、しかも人が住んでいる島が多くある。民俗学的にも面白く、生物好きにとってもパラダイスといってもいいだろう。さて、鳥羽市安楽島の出間リカさんに鳥羽市の貝いろいろを送って頂いた。ついでにとは言っては失礼だが、厳密に同定してみた。中にテングニシが混ざっていたが、鳥羽市安楽島での呼び名は不明である。「海ほおづき」はテングニシの卵嚢である。夜店や土産物店などで売られていたらしいが、こんなところに本種と人との近しさが感じられる。
あまり辛いものに強くはないが、熱暑のときには、少しだけ辛いものが食べたくなる。今回は市販の酢コチュジャンににんにくをたっぷり添えて、脂のないブリ(ワラサ?)の刺身を食べる。脂、脂というブリだけど、そのおいしさは脂ではなく、回遊性の魚の持つ、微かな酸味にある。このブリ本来の味を生かしたいと思ったら、酢コチュジャンに思い至ったのもある。コチュジャンだけでは辛すぎて食べられないが、酢が入ると辛味が緩和される。その上、酢コチュジャンの強すぎる味が、脂のない弱い味のブリを覆い隠さない。むしろブリらしいおいしさが浮き上がってくる。夏の脂のないブリってうまいな、と思う。思わず、残った酢コチュジャンを下に敷いたエゴマの葉で拭き取り、むしゃむしゃ食べると、余計に韓国の風が吹いてくる。韓国で魚の刺身などをお願いすると、アルミニウムの低い筒型の容器に入ったご飯がついてくる。韓国風に、ご飯の友としたら非常にイケル。夏は酢コチュジャンの刺身定食、いいかも知れない。
三重県くらい海が多様なところはないと思う。北は木曽三川の河口域、伊勢湾があり、渥美半島と鳥羽市を結ぶ線から北は伊勢湾、南は太平洋になる。鳥羽市は内湾でもあり外洋でもあり、しかも人が住んでいる島が多くある。民俗学的にも面白く、生物好きにとってもパラダイスといってもいいだろう。さて、鳥羽市安楽島の出間リカさんに鳥羽市の貝いろいろを送って頂いた。ついでにとは言っては失礼だが、厳密に同定してみた。中にアコヤガイが混ざっていたが、鳥羽市安楽島での呼び名は不明である。別名「真珠貝」だ。
もっとも月並みな料理であるがそれでも毎回、うまいなと思うのだからキンメの煮つけはすごい。今回の煮つけは刺身などにした残りの兜半分に中骨だけなので、あっと言う間になくなってしまった。脂が身に混在してきめ細やかな舌触りのいい魚はめったにないだろう。身に甘味があって、とってもわかりやすい味なのでこんな早食いができる。おやつ代わり、腹の虫をなだめるために作った煮つけなので、こんなにあっけないもので充分なのだ。小骨が少ないのもいい。
天丼はどこから食べるか、が重要である。ご飯に天つゆを少しかけて、ご飯が見えないくらいに種を並べる。種の上からもかけて、ここからが迷い箸。個人的には野菜から、食べ始めて空いた部分のご飯を食べて。主役であるキスの天ぷらに移る。キスの天ぷらは、脳みその中で6等分しているので1枚の3分の1を食べる。それにしてもキスの天ぷらくらい味わい深いものはない。江戸時代から江戸前天ぷらの主役であり続けているのは、天ぷらにしてうまいからだ。天種は上品な白身ではダメ、少しくせがあるからいいのである。キスの味は皮にあり、そこに独特の風味があるからいい。これは個人的な意見ではあるが、最近、江戸前ならではの魚種のみの天丼よりも、精進揚げも色とりどりにの上方風が好きだ。揚げ油もごま油プラスをしなくなっている。天丼を食べると、自分の嗜好が揺れに揺れているのがわかる。
三重県くらい海が多様なところはないと思う。北は木曽三川の河口域、伊勢湾があり、渥美半島と鳥羽市を結ぶ線から北は伊勢湾、南は太平洋になる。鳥羽市は内湾でもあり外洋でもあり、しかも人が住んでいる島が多くある。民俗学的にも面白く、生物好きにとってもパラダイスといってもいいだろう。さて、鳥羽市安楽島の出間リカさんに鳥羽市の貝いろいろを送って頂いた。ついでにとは言っては失礼だが、厳密に同定してみた。今回は鳥羽市安楽島で「あっぱがい」と呼ばれているニシキガイである。
「煮だこ(ゆでだこ)」は口に含んだときによしあしがわかる。独特の小豆を煮たときのような香りがあり、強い食感とともに味が広がってくる。タコの味は表現するのが難しいけど、例えば国産マダコの「煮だこ」のよさは、口の中での滞在時間が長い食べ物なのだが、その間、延々と味が消え去らない。今回の「煮だこ」は岩手県北三陸(久慈市周辺)で、国内産マダコならではの風味とうま味、強い食感ともに申し分のないものである。1尾丸ごと買って少しずつ食べているが、毎日食べても飽きが来ない。「煮だこ」の良し悪しは、マダコ自体の良し悪しもあるが、ゆで方の良し悪しで味が決まる。岩手県産「煮だこ」はゆで方がうまいのだ。
切りつけた身の表面に見える光に、産卵期なのに脂がのっているな、と箸を伸ばす。その身に均等にからみつく肝、実はこっちの方が主役かも。キンメダイの身(筋肉)に脂はあるものの強いうま味はない。要するに脂の口溶け感が甘いと感じさせ、うまいと錯覚させるのだろうと思っている。複雑なアミノ酸が甘いと思わせるのと同様に、脂にもそのような効果があるのだ。たたいた肝には身以上に複雑な味があり、ここにも別種の甘味がある。いろいろ書いてみたが、要するに無類のおいしさがキンメダイの肝たたきにはある、ということだ。今回の個体はやや小振りだったので、半身で造っても小鉢にこんもりでしかない。別に大量に食べたいというわけではないが、食べ終わると切なくなる味だ。岐阜県八百津で買った「玉柏 笹にごり 夏」は比較的軽い酒だが、とても似合う。
【めったに受けない健康診断で、いろいろ言われた。専門家に自分が食べたものを見直しなさいと言われ、同じ日に友人に食べたものを書き出せ、と言われる。いちばんしっかり食べる朝ご飯を、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。】自分の食べたものを見直すと、いかに朝が忙しいか、を改めて感じる。この日に撮影したのは岐阜県で買った食品と、イワガキに付着していたフネガイ科の二枚貝などなどである。午後にはいろいろあるので、いろんなことをやり終えて時計を見ると、時刻はすでに11時45分である。昼に近い朝ご飯は、岐阜県八百津町の伝統野菜、大だいきゅうりのみそ和え、イシガレイの煮つけ、トマトとわかめのみそ汁、ツルムラサキ、アカササノハベラのきゅうりもみ。■イシガレイの切り身は岐阜県可児市で買ったもので、北海道産である。上品でくせのないカレイなので、ちょっとだけこってり甘辛に煮てみた。身以上に煮汁でご飯がすすむ。■きゅうりもみはアカササノハベラの素焼きを甘酢に溶かし込んだもの。やはりご飯には酢のものが欲しい。
三重県くらい海が多様なところはないと思う。北は木曽三川の河口域、伊勢湾があり、渥美半島と鳥羽市を結ぶ線から北は伊勢湾、南は太平洋になる。鳥羽市は内湾でもあり外洋でもあり、しかも人が住んでいる島が多くある。民俗学的にも面白く、生物好きにとってもパラダイスといってもいいだろう。さて、鳥羽市安楽島の出間リカさんに鳥羽市の貝いろいろを送って頂いた。ついでにとは言っては失礼だが、厳密に同定してみた。今回は鳥羽市安楽島でたぶん「にし」と呼ばれているレイシガイである。
猛暑になるとやたら揚げ物が食べたくなるということは、まだまだボクもイケテル気がする。7月になって連日のようにお昼は天丼を食べている。天ぷらと言えば、普通、小柱とか、穴子(マアナゴ)、「めごち(ネズッポ科ネズッポ属の魚)」やシロギスが定番だけど、タイ科のマダイや、コチ科のマゴチ、マナガツオなどなどいろんなものを種として使っている。天種としては異色だろうがなんだろうがご飯に乗せれば天丼なのだ。この日は旬のすぎたクサヤモロである。これが二度目の天ぷらだけど、マアジよりも血合いが多いせいか個性的で天種としては上かも知れない。脂が少ないせいか揚げ上がりが軽い。大葉やみょうが、ナスなど夏野菜と合わせた天丼くらい平凡うまいものはない。
三重県くらい海が多様なところはないと思う。北は木曽三川の河口域、伊勢湾があり、渥美半島と鳥羽市を結ぶ線から北は伊勢湾、南は太平洋になる。鳥羽市は内湾(伊勢湾)でもあり外洋(太平洋)でもあり、しかも人が住んでいる島が多くある。民俗学的にも面白く、生物好きにとってもパラダイスといってもいいだろう。さて、鳥羽市安楽島の出間リカさんに鳥羽市の貝いろいろを送って頂いた。ついでにとは言っては失礼だが、厳密に同定してみた。今回は鳥羽市安楽島で「ガンゴージ」と呼ばれているオニサザエである。この「ガンゴージ」の意味は不明であるが、本種の地方での呼び名は非常に多く、しかも意味不明なものが多い。サザエとあるが、実はサザエとは縁もゆかりもない巻き貝で、この仲間(アッキガイ科)には食用として一般的なものはほとんどない。ちなみに一般的に「貝」とされるものは、軟体動物の巻き貝と二枚貝のことである。二枚貝はアサリなど水揚げ量の多い種はいるが種類はとても少ない。対するに巻き貝は非常に種が多い。二枚貝の数倍の種がいて、いまだに新種が生まれている。余談になるが新種発見はだれでも出来るが、新種記載は膨大な時間を要し、大変なのである。中でも本種のアッキガイ科は種類が多く、しかも同定が難しいことでも有名である。本種なども珍しい巻き貝ではないが、慣れないとどうしても同定に時間がかかる。
1日10時間以上デスクに座っているが、動いているだけではないので、体が疲れているわけではないと思っていた。実際、目の疲労感はあっても体の疲労感はまったく感じない。ところがシジミ(ヤマトシジミ)のみそ汁をすすると、体の方も疲れているのかも知れぬ、と感じるのである。疲れを意識するということは、疲れがとれているのだと思っている。夏のシジミ汁は基本の合わせみそでも、豆みそ比率(大豆麹を使った大豆だけのみそで、今回は岡崎市の八丁味噌)が高い。別に測っているわけではないので、本能が豆みそを多くしているようだ。豆みその渋味、酸味も疲れを取るのに一役買っているのかも。主役であるシジミのだしは非常に濃厚で、しかも微かな渋味が味に奥行きを作り出している。おいしいので多めに作って数回に分けて食べる。土用のウナギよりも安く済むのもいい。
久しぶりに焼いたのに、意外にも、少しは苦労するけれど箸で皮が切れる。蒸していないのに切れるってボクは天才かしらん。ガス台でこれでもかっという強火にして、焼き上げたもので少々不安だったけど、これなら一般家庭で焼いたとは、だれも思うめー、よ。今回のものは1尾串打ちして230gくらいなので、かなり大きい。焼きたて熱々を串のままかぶりつく。江戸時代には串を外さず、老若男女がかぶりついていた。別に行儀が悪いとかではなく、それが当たり前だからやっていただけだ。自宅でやるからそれができる。それにしてもウナギの蒲焼きは文字にしなくてもいいくらいうまい。濃厚、かつ強いうま味、かつタレの味が重なり合うのに、後口が悪くないのもすごいなー。まあ数年に一度くらいは丑の日前後にウナギの蒲焼きを食べてもいい、かも知れぬ。ちなみにこれは実験でもある。普段は土用丑の日にウナギは食べない。
三重県くらい海が多様なところはないと思う。北は木曽三川の河口域、伊勢湾があり、渥美半島と鳥羽市を結ぶ線から北は伊勢湾、南は太平洋になる。鳥羽市は内湾でもあり外洋でもあり、しかも人が住んでいる島が多くある。民俗学的にも面白く、生物好きにとってもパラダイスといってもいいだろう。さて、鳥羽市安楽島の出間リカさんに鳥羽市の貝いろいろを送って頂いた。ついでにとは言っては失礼だが、厳密に同定してみたい。今回のものを見つけて調べようなんて御仁はほぼいないかも。
「このしろ」サイズ、「なかずみ」サイズが、あくまでも八王子には安定して入荷をみているので、ときどき塩焼きを作っては深夜酒をやっている。骨切りしているので手づかみでむしゃむしゃ。夜中なのでスタウトと合わせているが止められない。じっくり焼くと中骨以外は食べられて、濃厚なうま味が口に広がる。なんといっても独特の風味のある脂がうますぎる。こんなにうまい魚が東京のスーパーに並ばないなんて、ほんまにおかしい。ちなみに全長20cmほど「なかずみ」なら2本は軽い。
作っておきながらこんなことを書くのも変だけど、目の前にある一皿はボンゴレ(Vongole/ヴォンゴレ)という料理なんだろうなと思ったり、思わなかったり。いつの間にか作り方を知り、いつの間にか作るようになったもので、正式に、というのはわからない。ボンゴレ ビアンコ(Spaghetti alle vongole in bianco) とすると本格的でかっこいいかも。昔、二枚貝のパスタは全部、ボンゴレでいいのよ、と言ったイタリア人に会っている。とするとサザエのパスタはボンゴレじゃないのかもなんて考えながら、アサリなんだから立派にゴンゴレ♪ ということに。とりあえず、アサリ2つかみ入りのボンゴレがうまい。パスタはスパゲッティで、デブな自分のためにアサリ多め、パスタ少なめにしておいた。ただ、問題は、食べた後の液体がもったいなくてバゲットを少し食ってしまったことだろう。それにしてもアサリとオリーブオイルが合体した液体は、めちゃくちゃでござりまする、くらいうまい。バゲットがなかったら泣いていたかも知れぬ。
困ったときには炊き込みご飯しかない、気がしている。早朝から小物(小型の生物)の撮影をして同定をして、限界超えのとき、釜の蓋をあけると、焼いたアカササノハベラの香りと、調味料の香りが同時に立つ。峠の釜めしの釜が水加減して炊こうかなというときに割れてしまったので、3合炊きで、7勺を炊いたが、ちゃんと炊き上がっていた。よかった、よかったと、すだちをたっぷり絞り込み食べる。ベラの味の半分以上は皮にあるのかも知れない。アカササノハベラの赤い皮は見た目にもきれいだ。中骨からいいだしが出ているし、ほぼ45分で食えるというのもラクチンである。ちなみに今回は汁なし。どうしても小物撮影をしていると、飯は最小限となる。
三重県くらい海が多様なところはないと思う。北は木曽三川の河口域、伊勢湾があり、渥美半島と鳥羽市を結ぶ線から北は伊勢湾、南は太平洋になる。鳥羽市は内湾でもあり外洋でもあり、しかも人が住んでいる島が多くある。民俗学的にも面白く、生物好きにとってもパラダイスといってもいいだろう。さて、鳥羽市安楽島の出間リカさんに鳥羽市の貝いろいろを送って頂いた。ついでにとは言っては失礼だが、厳密に同定してみたい。まずは、鳥羽市安楽島で「いのかい」と呼ばれているイガイである。イガイの同定では殻長(shell length/二枚貝の場合、貝殻のいちばん長い部分の長さ)10cm以下の個体を見ると一日苦しむことになる。1920年頃まで、国内に生息している、黒っぽくて貝殻が比較的薄く、岩などに足糸(軟体から分泌して作り出した糸状のもの)でくっついている比較的大形の二枚貝はイガイだけだった。そこに同年頃、ヨーロッパからムラサキイガイがやってきた。ムラサキイガイはそれまで国内にいたイガイよりも小型で貝殻の幅が広く、表面が滑らかである。ただし、イガイと生息水深(見つかる深さ)があまり変わらない上に、若い個体(小さなもの)は見た目が非常に似ている。しかも大問題なのは貝類図鑑の標本画像が両方とも古すぎて使えない。ちなみにタイプ標本(種として記載されたときの実物)は貝の場合は貝殻だということも大問題なのである。軟体(体)が存在しないということは検索(種名を明らかにするために調べるポイント)は貝殻だけということになる。さらにさらに大変なのは貝には変異(形にばらつき)が多いのである。
脂が身に均質に混ざり込んでいて、舌に乗せると、少しとろっとする。ほの甘く、ちゃんと魚らしいうま味が感じられるけど、全体に淡い。これこそがマナガツオの味なのである。このちょっとわかりにくいおいしさが、最近、年のせいかもわからないけどわかりすぎるくらいわかるようになった。若いとき、関西などに行くと何気なく食べるものでしかなかったが、最近では積極的に求めて食べるものに変わっているのである。マナガツオは非常に高価だけれど、ついつい手が出てしまうのは、まずは刺身にしてうまいからだ、とも言えそうである。
たっぷりのにんにくなどなどに、みそ多めと、ちょっとやりすぎな「みそたたき(なめろう)」の一箸がとても強い味である。それでも何か足りない、ということでにんにくを1かけ追加したのが大正解。塩気とにんにくを体がやたら欲しているのだ。これじゃー、主役のクサヤモロがかわいそうだろ、と思ったら、意外にクサヤモロの味がしっかり浮き上がってくる。やはり背の青い魚のうま味は豊かで、ちょっとやそっとでは調味料や野菜の味に負けることがない。少しだけ入れた青唐辛子のぴりってのもいい。合わせたのは沖縄のオリオンビール2缶、熱さ、暑さよ、去れ。
久しぶりに食べるイシガレイの煮つけに江戸時代の江戸っ子の、魚の嗜好を思いやる。この淡泊でいながら味のある、嫌みのない味こそが江戸っ子好みだったのだろうな、だから江戸の街で「かれい」と言えばイシガレイだったんだろうな、と思う。東京風に濃口醤油を終いに足し入れて、少し醤油の風味を利かせたら、ご飯のおかずなのに無性に酒が欲しくなる。江戸の街で居酒屋(酒の小売店内で酒を飲む)が生まれたのは元禄期以降(18世紀初頭)で、二合半(こなから)に煮物で、現在の喫茶店でお茶を飲むように酒を飲んでいた。そこでは、江戸前で揚がる江戸を代表するカレイの中のカレイであったイシガレイなど、いちばん上等な酒のつまみであったはず。ちょっとだけ江戸の街を思いながら、普段はやらない昼酒をすこしだけやる。その日の夜の煮凝りもとても味わい深くて、イシガレイのおいしさを改めて発見した気がしてきた。
エビの釜飯は、ふたをとったときの香りだけでも御馳走だと思っている。殻付きのまま炊き上げたので、余計に香り高い。炊き上がりにエビを取り出して、身を刻みまた混ぜ込む。赤だけではそっけないけど、自宅で、自分で食べる釜飯に飾りめいたものは不要なのだ。薄口醤油と酒だけの単純な味つけだが、エビと醤油の風味が非常に相性がいい。あっさりとした味なので、0.7合では足りなくなりそうである。峠の釜めしの釜もそろそろダメになりそうだな、なんて思いながら最後の一粒まで食べ尽くす。
「ほっき(ウバガイ)」とスパゲッティーニを合わせたパスタにスイートバジルをどばどば入れたら、最初に入れたのがどんどん萎れたので、そこにたんと追いバジルをしてみた。いっぱい入れても見た目は、バジルいっぱいって感じが出ないけど、甘い香りがぷんぷんする。口に入れたらバジルの香りがもっともっとする。そんなに好きな香りじゃなかったのに、安いのでさんざん料理に使っていたら、いつの間にか好きになっていた。やはりハーブ類は中途半端に使ってもわからない。うんといっぱい使ってこそだ。大量に使ったオリーブオイルに、追いエキストラバージンオイルまでしている。バジルの香り高く、生のオリーブオイルの香りも高いって素晴らしいとしかいいようがない。忘れちゃならない、主役のホッキの豊かな甘味・うま味と、その味を染みこませた細目のパスタだって素晴らしいのである。ボクはまるでパヴァロッティのように、もちろん歌えないけど、せめてイタリア人のようにパスタを食らう。熱くて体調不良気味なのでワインはやめて、凍頂烏龍茶で健やかな昼ご飯だ。
【学者にとってはちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変で、ちょっとだけ珍しい、のを「隣の珍魚」という。】知り合いの老人から、タチウオは一度も見た事がないと言われて、持っていって料理したことがある。現在、90歳超えだし、学者なのだから嘘ではないと思うし、本当に現物に驚いているのをみて、ボクの方がもっと驚いた。老人に、この魚は意外に進化をとげた魚で、いちばん近いのはサバ(サバ科)であること、サバは高速で長距離を泳ぐために体の形を紡錘形にしたが、きっとタチウオは長い距離を泳ぐのを止めて、エサを近場で探すことに決めたのだ。一定の場所でエサ見つけるのはそれなりに大変で、見つけたら一発必中、噛みついたら絶対に離さないために歯がこんなになったんだ、なんて教える。東京都西部に住んでいるが、確かに近所のスーパーに切り身は並んでいるけど、丸のままでは並んでいない。そのまんまの姿を見る機会が極端に少ないという意味では「隣の珍魚」かも知れない。ただ、漁獲量も増えているし、東京都、千葉県、神奈川県にまたがる東京湾では釣れて釣れて困っている。こーんなにたくさんとれても、「隣の珍魚」だと思うはなぜか? このタチウオさんくらい変な魚はほかにいないからだ。
マンボウの身(筋肉)に味があるのか? ないのか? わからねいけどうまい。もちろん肝を入れるのが肝心だけれど、肝がおいしいとか、ではなくて全体が涼しい気がする。ちなみに普段は酢みそと肝を合わせて和えているが、改めて醤油で食べてもおいしいものである。一味唐辛子のピリっとくるのもいい。ちなみにこれで岐阜県八百津「玉柏」の本醸造を飲んだが、酒とマンボウの刺身の、食べるタイミングが難しい。
ボクのようなむさ苦しい人間がいうのも変だけど、昔からエビだけのパスタが好きだ。バジルやパセリも、もちろんトマトソースや玉ねぎもなし、のパスタだ。目の前にその超単純なパスタが存在する、その喜びたるや名状しがたい。今回の北海シマエビ(ホッカイエビを塩ゆでにしたもの。シマエビとも)で作った、シンプルなエビのコライユ(みそ)と胴だけのパスタはあっと言う間になくなってしまうのが残念だけど、午後のちょっとだけ飲みには持って来いである。エビのコライユとバターほど相性のいいものはない。今回はゆでエビなので少し牛乳を加えたが、この濃厚な味のソースとスパゲッティが合わさると、たった10分足らずの一瞬が長い時間に思える。合わせたのは、さらりと軽い田中小実昌好みの山梨県勝沼の一升瓶白ワインだ。
【めったにやらない健康診断で、いろいろ言われた。専門家に自分が食べたものを見直しなさいと言われ、同じ日に友人に食べたものを書き出せ、と言われる。いちばんしっかり食べる朝ご飯を、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。】我ながら情けなくなるような見た目である。こんなものがお握りと言えるかどうか、微妙というか「お握り失格お握り」だとさえ言えそうである。ボクにはお握りが作れない。型を使っても作れない。なんと型は2種類買って、この画像のようなものしか作れないのでお握り作りは諦めた方がよさそうである。でもトキシラズの筋子の塩漬けで作るお握りは抜群にうまい。秋ザケよりも遙かに粒が小さくて柔らかい。しかもうま味も甘味も、サケの卵巣特有の脂もある。今にも崩れそうなお握りだけど、食べたらおいしいのよ、といいたい。懺悔すると、本当は4個作って、見た目がいいのがこの2個なのである。朝ご飯にお握り4個は食べすぎ!
煮穴子をたっぷり作っておくと1週間は楽しめる。丼にしたり、表面をあぶってみたり、きゅうりもみに添えてもいい。混ぜご飯にしてもいいと思う。煮立ては、まずはそのまま食べる。ボクはいつも頭に近い方から食べ始めるが、味のある尾から食べ始めるのも手かも。今回は肝も一緒に煮たのでちょんと真ん中に据えてみた。
【めったにやらない健康診断で、いろいろ言われた。専門家に自分が食べたものを見直しなさいと言われ、同じ日に友人に食べたものを書き出せ、と言われる。いちばんしっかり食べる朝ご飯を、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。】約束事のない日だけど、たまったものはある。それにしても水産生物とヒトとの関係関連の事物は膨大かつ、未知のことが多い。この日の朝ご飯は比較的早くて午前10時だった。3時くらいに起きて小さな撮影をして、その処理を終えたら、なんでもいいので固形物が欲しくなった。ご飯、茨城県産ジンドウイカ佃煮、メイチダイ?の兜焼き骨湯、ワカメ入りきゅうりもみ、卵がダメになりそうだったので煎り卵、、トマト・カリフロールなどのサラダ。■茨城県産ジンドウイカ佃煮。茨城県から来たヒイカ(ジンドウイカ)は長時間かけて撮影して、面倒くさくなりぜんぶ佃煮にする。適当に切り、醤油・酒・みりんを沸かした中で水分がなくなるまで煮たもの。1週間以上保ち、いいおかずになる。■メイチダイ属ではあるが種名なしの兜焼きの残に熱湯を満たしたもの。意外にいける味で、このみで醤油を加える。■ワカメ入りきゅうりもみ。八王子綜合卸売センター、福泉で見つけた湯通し塩蔵ワカメを刻み、薄切りキュウリといきなり和えて、水洗いして甘酢を加えたもの。ずぼらな料理だが、これでいいのかも。
宅配便のオニイサンが住所が間違っているわけでもないのに、道に迷っているらしく、かなり待っているけど来ない、ので時間を持て余している、それで暫し。本日は撮影のない日で、朝はおまんじゅうだけ食べて済まそうと思っていた。でもおまんじゅうだけの朝ご飯にしたら、なんだか体に熱気がこもったままで気持ち悪くなった。急遽、みそ汁を作る。冷凍庫をあさって見つかったのが、前回小田原でもらったマサバの半割にした頭部と尾、ひょっとしたら千葉県鴨川産のゴマサバかなと思われる中骨・腹骨だった。とりあえず、室温でもどし、湯通しして冷水に落とす。水分をよくきり、差し昆布(昆布ひとかけら)とさばのあらを水に放り入れて、火をつける。わいてきてうまい汁となっていたらみそを溶くだけ。もの足りなかったら味の素でも、だしの素でも、なんでもかんでもご自由に。意外に知られていないことだけど、もちろんボクが考えたことではなく昔、昔に暮らしの手帖かなんかで読んだことだけど、カレー粉少々入れるとぐんぐんぐーんと、おいしくなる。ここに振りしょうがをしてもいいし、水から煮出すとき日本酒を一垂らししてもいい。みそはちょっと濃い目にする。このちょっと濃い目のみそ汁で体の熱気がすーっと引く。おいしい汁であらについた小さな筋肉や皮まで食べ尽くす。熱中症予防といったら、今どきの言葉でヤだけど、死なないで済みそう。
クロタチカマス科の魚は肝がとてもうまいので、「肝入りのみそたたき(なめろう)」をよく作る。今回のカゴカマスなど非常に大型で、大きいぶん肝も大きい。「肝入りのみそたたき」を作っておくれと言わんばかりであった。カゴカマスのを「肝入りのみそたたき」をちょびちょびっとつまみながら、やはり肝入りがうまいなー、と思ったり、でもあんまり食べるとお腹に響かないかなと思ったりした。あにはからんや、このたっぷり肝入りの「みそたたき」は濃厚でいながら、後味がよいので箸が伸びて止まらない。あまりにもうまいので、翌日の「さんが焼き」が作れなくなる、なんて危惧を感じたりもするくらい。意外にうま口の酒が合うのはなぜだろう。近所で売られているボク好みの酒、高清水を合わせたが、酒も「肝入りのみそたたき」も相乗効果でおいしいので、またまた困ったものである。
【学者にとってはちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変で、ちょっとだけ珍しい、のを「隣の珍魚」という。】東北の漁港でボロっ切れのような物体が小山になっていて、よくよく見て見るとケムシカジカだった。あまりにも不思議な姿に思わず同定(種を判別する)を忘れて眺めていたら、選別をしていた人に「おこぜは触ったらあぶないよ(意訳)」と注意された。ただ、見た目に反して、食べたらくせのない味わいで、毎日のぞうざいなどに持って来いの魚である。実際、東北・北海道などでは普通にスーパーに並んでいる。売り場で、「どうやって食べるんですか?」と聞いたら、煮つけて朝ご飯を食べさせてくれたオッカサンもいた。この矢鱈に甘い味つけにご飯がとまらなくなって困った困った。
俳句の季語歳時記はもともとは京都を中心に綴られていた。それを江戸に移し替えたのは曲亭馬琴である。以後、様々な季語歳時記があるがいずれにしても江戸、上方は大阪・京都中心の話である。ちなみに入梅鰯という言語が符合するのは、関東・関西などでの、しかも非常に大雑把な話でしかない。この地域では秋(現在の8月初旬から)に旬を迎えるので、6月初旬にはそろそろマイワシのいい時季が始まりますよ、という意味だ。暦の上での2024年の入梅は6月10日前後だが、実際の関東での入梅は6月24日である。そして写真の刺身は7月12日なので、本来、梅雨明けしていなければならない。入梅鰯など江戸のこと、と思いながら梅雨最中の鰯の刺身を食べている。小羽ではあるが脂がのっていてわずかに口溶け感があり、甘く感じる。これで食べる白飯がすすむ、すすむ。やはりうま味成分や脂から感じられる甘味(感覚的なもの)と、米の糖分は非常に合う。相模湾二宮沖のマイワシは、旬の走りを迎えていることは間違いない。面白いもので、これから相模湾のマイワシが食べ頃だぞ、と思っていさんで小田原に行ったら、群れがいなくなっていたりすることが多い。思い通りには行かぬ、何事もなのだ。
初物はうれしいものだが、最近、初物のよさがだんだん失われてきている。そんな中でタカベだけはいまだに強く、初を感じさせてくれる。東京の夏の味である。この独特の脂の味を食べると、毎年梅雨入り近しを感じていたのに、今年は梅雨明けの初タカベだ。やや小振りながら、ほどよく脂が乗っていて、初物めいて初々しい気がする。今年は少し遅れ気味だなと感じながら、手に持って柔らかな胴体にかぶりつく。タカベだけは日本酒ではなくビールが合う。昨年は居酒屋でお願いするのに懐具合が気になるほど、伊豆諸島の大型は高価だった。今年のタカベはいったいどうなるやら。
作り方は簡単で、腹ヘリを感じてスパゲッティをゆで始めて、10分とかからず、目の前にこんもり山ができた。今、激安のルッコラを混ぜ込んでいるが、追ってこれまた激安スイートバジルを散らしてもいい。考えてみると最近、このイタリアンな野菜が使い放題となってきている。1.4mmのスパゲッティとかりっとソテーしたマイワシとの相性がとてもいい。濃厚なマイワシのうま味をスパゲッティがしっかり受け止めてくれており、強い味わいとなっている。一体感が感じられる。ゆでたときのスパゲッティの塩気に、たっぷり刻み込んだ、ケーパーが適度な酸味と塩気をプラスしてくれているのも新しい発見でえある。見た目はとても地味ではあるが、日常的なご飯として作りたくなる、そんな料理である。もう少し、上手にパスタが食べれると、ボクもイタリアのオヤジになれるのにな。
ウルメイワシとマイワシは成長に伴って優劣が変わる。最初はウルメが上で成長するにともなって、もちろん好みはあるが、じょじょにマイワシに追い越されていく。目の前にあるウルメイワシの刺身は豊かな味わいがあり、舌に乗せると味があり、その味がすぐに消え去らない。問題は今とれているマイワシに脂があって、ウルメイワシに脂が少ないだということかも。比べなければ実にうまいのだけど、一緒にとれるとマイワシを選びそう。でも盛り合わせるとより面白いかも知れない。酢みそや柑橘類をそえて、とか。
クマエビは表面だけを湯引きしたもので、野締は生だと身は殻と同じくすんだ色で見栄えも悪いし、食感もよくない。ほんの少しだけ熱を通しただけで赤く染まり、生きているときの食感がよみがえる。活けなら生でもいけるが、野締めはこの造りがいちばんよいと思っている。赤く染まるだけではなく、身の味が浮き上がってくる。舌に触るだけで甘いと感じるのはエビの複雑な呈味成分からくるもので、独特の風味が強いのもクマエビの特徴だろう。クルマエビ科の大型エビの特徴である、強い食感も心地よい。脚(頭胸部)の素揚げを最後にかじると、別種のエビらしい風味、歯触りで満足度も高い。
【めったにやらない健康診断で、いろいろ言われた。専門家に自分が食べたものを見直しなさいと言われ、同じ日に友人に食べたものを書き出せ、と言われる。いちばんしっかり食べる朝ご飯を、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。】午前5時、前日に八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウにもらったムレハタタテダイ、ハコフグ、シラタキベラダマシを撮影。そのまま市場に行き、1.3mのスズハモを買い求めてくる。こいつと格闘する前の腹ごしらえである。しかも午後から東京に行かなくちゃいけない。こんな日は息つく暇もない。あるものだけの朝ご飯となるが、それでもちょっとだけ心が和らぐ。我ながら毎日、和の食事だなと改めて思う。■山梨県北杜市で買った「もろこ(ネズミザメ)」の煮つけの残り。サメの煮つけはちょっと多めに買って煮つけておくとおいしい。ちなみにネズミザメはアブラツノザメと比べてあまり煮凝らない。淡泊でいやみのない味だ。■ゴマサバの幼魚の煮干し(釜揚げ)のだしでトマトとにんじんのみそ汁。煮干しを煮るとき差し昆布(小さな昆布を入れること)をしている。みそ汁にトマトが入るとやたらにうま味豊かになる。もちろん煮干しもおいしい。山梨県北杜市で買ったツルナのごま油炒め、同石和の甲斐駒納豆。
北海道根室市の最終日、できれば市内でお昼ご飯を食べて帰りたい。でも情報なしで彷徨うタイプなので当てがないし、時間もない。困ったら人に聞くのがいちばんなので、目の前にいた『清月菓子舗」のオカミサンに聞く。結局いちばん近くにある、『ニューかおり』に向かう。駐車場が見つからないので昼ご飯は諦めようと思ったときに、やっとこさたどり着く。素直な性格なので、オカミサンに言われたとおりに、「スタミナライス」にする。意外なものが出て来た。ご飯の上に乗っているものがよくわからない。目玉焼きはいらない気もする。たぶん豚肉、竹の子や白菜、絹さやなどを甘辛いタレで炒め煮したものだろう。この店、外観は洋風で、出て来たものは中華風なものだった。味は悪くはない。上の目玉焼き、炒め煮を食べ進むと間にカツ(トンカツ)が挟んであった。実にうまいカツでただもんじゃない気がするが、今度は洋食屋的だ。スープも洋食風でもあるし、中華な感じもする。
【めったにやらない健康診断で、いろいろ言われた。専門家に自分が食べたものを見直しなさいと言われ、同じ日に友人に食べたものを書き出せ、と言われる。いちばんしっかり食べる朝ご飯を、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。】この日は午前6時から甲殻類の撮影。朝イチ(9時)に電話でいろいろ。やっとおまんじゅう以外にありついたのが11時半だった。ぎりぎり午前中に朝ご飯という日だ。■ウルメイワシ・マイワシ・カタクチイワシの丸干し。小田原魚市場二宮定置で分けてもらったもの。朝ご飯の丸干しほど相応しいものはない。■真かすべの煮つけ。真かすべ(メガネカスベ)は切り身で買い、前日に煮つけたもの。見事な煮凝りができた。■小ゴマサバ釜揚げで大根、きゅうりの煮もの。釜揚げは放冷しただけなので煮ても軟らかい。大根おろしに使った残りの大根、きゅうりと煮合わせた。■コショウダイの粕漬け。実は失敗作だけど味はとてもいい。ひと味足りないコショウダイに酒粕の風味が合う。■湯通し塩蔵ワカメ(マルヤわかめ 愛知県豊橋市 三陸産)。さっさっと洗うだけで食べられるので、こんなに便利なものはない。豆腐と九条葱のみそ汁、小桃、トマト、東京たくわん。
いちょう切りのイタリアナスはソテーすると柔らかくとろっとするが、決して形くずれはしない。この上に一緒にソテーしたホッキガイ(ウバガイ)の水管・貝柱などをのせて食べると、とてもうま味の量が多く、複雑でゴージャスである。ごちそうといっても過言ではない。とても単純な料理で材料も最小限なのに、一切れでこんなに満足度が高いなんてことにも不思議さを感じる。貝のうま味を程よく吸ったナスとホッキが融合している。バタールで皿に残ったうま味豊かなオリーブオイルを拭き取りながら、飲む1パイの白ワインもいいものである。今回の失敗はオリーブオイルをけちったことだろう。オリーブオイルはTanto、たんとがいい。
前にも書いているが、北海道に来てから食べた飯は、弁当も含めてみな美味であった。特にコンビニ弁当がよかったのである。立ち話をした北海道バイク旅の若い衆が、朝一番に買える店を教えてくれた。『タイエー』というコンビニである。この若い衆、とても気さくで、ついでに店の位置まで車のナビに打ち込んでくれる。この手の作業がいちばん嫌いなので、ありがとうの三乗、といって感謝して別れた。今日中に羅臼、羅臼岳を超えて知床だという。若いって素晴らしい。たどり着いた『タイエー』はとても小さな店だったが、品揃えがとてもよかった。若い衆おすすめの「やきとり弁当」を注文すると、店内で焼き上げ、焼き上げたばかりをご飯の上に乗せてくれた。根室漁協の魚の搬入が見せる場所で取り出したら、なんと豚オヤジのイラストがかかれている。
小田原から帰った夜のコノシロの刺身(背ごし)はいいものなのだ。今回、冷やした刺身の頂点にはうす(幽門)を乗せてみた。幽門はボラでおいしさが知られているが、コノシロのも小さいが味は変わらない。独特の食感があり、少しだけ甘味がある。もちろん刺身は抜群にうまい。コノシロはマイワシと同じニシン科で青魚のうま味がとても豊かだからだ。とれたその日なので、まだしこしことした食感が感じられる。少しだけ血合い骨が当たるがこれもいい。
ルーペや定規などが散らばった間で食べてもうまいのが天丼だな、とせわしなく箸を動かしながら思う。さくっと揚がったマイワシの天ぷらを食べて、頂き物の大葉(青じそ)の天ぷらをかじり。ワカメのみそ汁をすする。この時だけは次の撮影を忘れて飯食いに没頭する。
根室3日目(6月25日)で、疲れが脚に来た。東梅という地区に行ったついでに水辺を見つけて、不用意に踏み込んだのが大間違いだった。出てこれなくなった。前日この地域でクマが目撃されている。あり得ないとは思ったけど、こんな状態でクマとご対面したらドナイショ、なんて不安がよぎった。こんなときに限って面白い生き物や植物が目に入るが、撮影する余裕もない。1時間近く(もっと短かったとは思うけど)かかって脱出できたが、胴長は2倍の重さになっていた。このとき、胴長ではなく長靴で入っていたらと想像すると恐くなる。夕方、根室市街地に帰り着き、銭湯の湯につかったときの極楽感は例えようもない。クリカラモンモンのオニイサンにおすすめの居酒屋を聞いたが、家に来いと言われた。もちろん遠慮して逃げた。疲れ果てると余計にアルコールが欲しくなる。風呂上がりに居酒屋を探して歩く。根室の夕暮れはあっと言う間に闇となる。雨がやんだのはありがたかったが、やたらに寒い。居酒屋を目指しながら野良犬同然のエゾジカを探すがいない。たぶんエゾジカも寒いんだろうな。
皿の上で切りつけた刺身が縮緬状に縮むのが見える。そこにすだちを絞り込むと、さらにぎゅっと縮む。この凹凸が光をはじき返して、きれい、だ。この縮緬に縮れた一切れを口に放り込むと舌の上で、踊る。うま味豊かなのはマサバだから当然と言えば当然だが、そんなに大きくもないのに脂がのって口溶け感がある。口のなかの味を酒で流す気にもなれない。これを帰宅後の早めの昼ご飯で、深夜酒でと食べたが、深夜になっても食感はおとろえない。マサバの漁は不安定であるが、揚がると必ず、この飛びきりの個体が混ざる。それが相模湾の特徴かも知れない。小田原行の日だけで、丸々1尾を刺身で食べてしまえる、なんて思いもしなかった。
同じ漁港の水揚げを長年見ていると、ときどき気になる、何か? を感じることがある。そのときには、それほどたいしたことだとは思っていないが、後々、ちゃんと、その何か? が分類学的(ほかの分野であることも)に証明されることがあるからバカに出来ない。ボクの疑問は鹿児島県鹿児島市、鹿児島魚市場にハチジョウアカムツが並んでいるときに感じたものだ。ハチジョウアカムツはまとまって揚がるので、ずらりと並べられていることが多い。そんなハチジョウアカムツと思える何か? が希に2、3個体だけ並ぶことがある。4年ほど前に、気になったのでその2個体の片割れを、清水の舞台から飛び降りるつもりだ買ってみた。ハチジョウアカムツは今や非常に高価なので、競ってもらうためには覚悟がいる。屋久島近海のもので、到着したものを徹底的に計測して、撮影し、我がデータベースの手堅い相談役、和田英俊さんを始め何人かに見てもらった。結果、現状では和名無しの国内新発見(あくまでも魚類学的に)の魚ということがわかる。これが後にオオアカムツと命名される魚である。意外に門外漢の感も捨てたものではないと思ったものだが、鹿児島の多くの市場人が気づいていたことがわかってきた。しかも鹿児島大学でいちばん市場に詳しい、大富潤さんが論文に参加しているのである。みな考えることは同じなのだ。念のために今回、国内海域での確認の論文には、ジョン・ビョルさん、大富潤さん、本村浩之さんの3人の著者がいる。第一著者はジョン・ビョルさんだろう。一度会ってみたいものである。今回が2個体目。前回気がつかなかった細部も調べて撮影する。頭部近くの鱗の形や鰓蓋(鰓蓋骨)の後縁の形などだが、明らかにハチジョウアカムツとは違っている。ちなみに小笠原諸島のハチジョウアカムツは、東京都内ではあたりまえの魚で、入荷するたびにチェックしているが、まだオオアカムツだと思える個体には出合っていない。
小田原魚市場から帰り着き、疲れ取りの仮眠前、「やはりエビフライは根鰓亜目クルマエビ科がいい」と考えながらフトミゾエビのフライでビールを飲む。わかりにくいことを書いてしまったが、クルマエビ科の大型エビであるクルマエビ、クマエビ(足赤と呼ばれることが多い)、ウシエビ(外国産はブラックタイガー)はフライに使われることが多く、味のよさから人気抜群である。本種、フトミゾエビは前3種と比べるとマイナーではあるが、同じように大きくなるので同じようにフライにして非常にうまい、のである。東京の洋食屋を真似て細目パン粉で揚げ、久しぶりに酸味のあるウスターソース、リー・アンド・ペリンを合わせてみた。ソースにこだわりがあるわけではないが、細目パン粉のフライにはこれが合うと思っている。かじりついたときのエビらしい甘味をともなった香りと、プリっとして食感がたまらない。口中を冷やし、洗うビールがうまい。
クリーム色の肝と身で作ったタチウオの「みそたたき(なめろう)」は、にんにくを入れたこともあり、味は複雑かつ濃厚である。アクセントになるはずのねぎの香りが非常に薄く感じるほどだ。舌に乗せると、うま味が急激に広がり、しかも後味はけっして悪くない。こんなに脂が豊かで、こんなに濃厚なうま味があるのに嫌みがないのは、タチウオならではだろう。面白いことにいつもよりも多めに使ったみその存在感が弱い。冷たく冷やした酒が実にいい。酒と「みそたたき」、どちらが欠けてもよろしくねい、そんなカップリングである
めったにやらない健康診断で、いろいろ言われた。専門家に自分が食べたものを見直しなさいと言われ、同じ日に友人に食べたものを書き出せ、と言われる。いちばんしっかり食べる朝ご飯を、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。6月初旬に小田原にいった日の翌々日に当たる。マルソウダのゆで節となす・車麩の煮つけ、やいこもどき、ゴマサバ煮生干しのみそ汁(さつまいも)、トマト、東京たくわん。【マルソウダのゆで節となす・車麩の煮つけ】 マルソウダの半身を強めの塩水で煮て、放冷したゆで節と、新潟県十日町市で買った車麩、なすをたき合わせたもの。ゆで節はともかく新潟県ではこのような煮つけをよく食べるようだ。【やえこもどき】 ゆで節をつぶしてみそ、すりごまとすりあわせたもの。湯をそそいで汁にしてもいいし、表面を焼いてもおいしい。【ゴマサバ煮生干しのみそ汁(さつまいも)】 ゴマサバの幼魚を強めの塩水でゆでて、干し上げた煮干しとサツマイモでみそ汁に。煮干しは刺し昆布をして、少し煮出す。サツマイモを加えて柔らかくなったらみそを溶く。煮干しは干しが弱いのでみそ汁の具にしても柔らかくて食べやすいし、とてもうま味豊かなだしが出る。地味だけど、健康診断で言われた通りの食事になっている気がする。
【学者にとってはちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変で、ちょっとだけ珍しい、のを「隣の珍魚」という。】この魚を高知県の一部では「あおだいしょう」と呼ぶ。明らかにヘビの仲間のアオダイショウのことで、確かによくよくみるとヘビに似た顔つきをしている。念のために漁港でこの魚を前にして「ヘビに見えませんか?」と聞くと、みな「見える見える」とうなずく。言われると心底ヘビに思えるようで、見たくないものを見てしまったように後ずさりする。水木しげるのえがく妖怪は一見市井に普通にいる人のようで、振り向くとバケモノという一定の定義を持つ。本種はもっともっと食卓に上げて欲しい魚だが、そのような妖怪じみたところがあるので流通しないのではないか、と思っている。
北海道に来てから食べた飯は、弁当も含めてみな美味であった。特にコンビニ弁当がよかったのである。着いた翌日の朝はセイコーマートの週替わり弁当である。この日が始まってから2時間、空腹感に耐えられなくなって店内に飛び込んで選ぶ間もなく買ってきた。主役のサケが養殖物だったらイヤだなとは思ったものの、じっくり選んでいる時間がない。根室の旅は1時間刻み以上にもっと細かく刻んで動いていた。根室漁協の水揚げは漁師さんがやってくるたびに場内にもどり、気になることをチェックしていたので、一段落つく間がなかった。競りが終わったら、すぐに向かわなければ向かわなければならないところもある。競り場を見ながらの朝ご飯だったが、なによりもご飯がおいしい。おかずもおいしくて、塩気のバランスがいいのも見事だ。これなら毎日食べてもいいかも。都内に帰ってきて、忙しくて大手コンビニの弁当を買ってきてもらって食べたら、悲しくなってきた。
専門家に自分が食べたものを書き出しなさいと言われて、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。きっとこれはボクにとってもいい傾向だろう。なんてがんばっていたのに、ぜんぜん自分の食事を見直す暇がない。久しぶりに、しかも1ヶ月以上遅れで。この日も撮影した魚をおかずにする。大量に撮影していたので、魚の撮影準備をやりながらのご飯。これじゃ体にいいわきゃないよ♪アオメエソの唐揚げ。我が家では唐揚げをおかずにご飯は、本来やらない。福島県いわき市、宮崎県延岡市など、アオメエソを名物にしているところではしばしば見かける。アオメエソの唐揚げには本来ビールかも。マイワシ丸干し。千葉県産が多いマイワシの丸干しだが、千葉県だけでなく関東のものは乾燥が弱いので1日冷蔵庫で干し直す。これを焼いたら、やっぱりマイワシの目ざしの味にノックアウトされる。ご飯とも合う。千葉県野田市、坂倉味噌醤油本店のしょうがのみそ漬け。にんじんとエリンギなどなどのみそ汁。
深夜に目が覚めてしまって、なんとなくアヒージョを作る。酒を飲みたかっただけだけど、空酒じゃ困ると言った感じだが、ここにバゲットがあったのを気づかなかったのか、気づかないふりをしたのか。熱々のオリーブオイルと一緒に少しずつ食べ食べ、本当は料理用に買っておいたジンをロックでやる。明らかに100度近い油の温度が急激に低下したと言っても、アチチといいながら食べて、ジンで冷やす。もう何十年も作っている料理だが、こんなに簡単で、こんなにうまい料理はない、なんて思う。問題は深夜なのだからバゲットはよせ、と自分に言い聞かせたのに、ダメだったことだ。やはりアヒージョは油を食べる料理だと思う。
やはりイシガキガイ(エゾイシカゲガイ)を食べないと、夏が到来した気にならない。待ちに待ったといった味覚である。今回は素直に刺身にして食べた。江戸前寿司の仕込みである「湯引き」もいいけど、去年から完全な「生」に目覚めてしまった気がする。造ってすぐに食べないとならないのは欠点だけど、「生」の微かな渋味を伴った強い甘味、貝らしい風味の豊かさと他の貝に代えがたい美味だと思っている。
居酒屋放浪記なんてテレビ番組があるが、目的の居酒屋が決まっているのに放浪記とはちゃんちゃらおかしい。へそで湯が沸くくらいに変だと思う。ボクの場合、いつも行き当たりばったりなので、夜の町をひたすら放浪する。ただし翌日が早いので、飲むのは午後7時までと決めている。なかったら諦める。歩いて15分くらいで北の酒場通りに着く。疲れ果てて足にきているので教わった居酒屋に入ったら、席にライター(たぶん持ち帰っていいってもん)がおいてあった。しかも隣ですぱすぱと煙が立ちこめる。生まれてから一度もタバコを吸っていないので、こりゃたまらんと席を替えてもらったが、なんとなくヤーな気分が立ちこめる。まずくはないけど早々に去る。本降りの雨で、非常に冷たく寒い。帰ろうかな? そろそろ眠ろうかな? と根室で考えていたら目の前にラーメン屋があるではないか。いい感じだったので、引き戸をあけて入ったら、もっともっといい感じだった。もうひとつ飲み足りないので、コップ酒を飲みながらラーメンを待つ。話の寄り道をすると、ラーメンと酒、もしくは焼酎は、博多長浜でからんできたオヤジに無理強いされたことに始まる。無理強いされてよかったと思っている。ほどなくやってきたラーメンをゆったり食べながら、酒もやる。もちろん博多のようにラーメンに酒を入れたりはしない。あっさりしたスープなのに、味の奥深さがある。ラーメン通ではないが麺も上等だと思う。
地スーパーや魚屋で、なにがうれしいといって、うまい魚の惣菜が買えることこそだろう。大きなスーパーの惣菜は押し並べてまずい。たぶん大量に仕入れて大量に仕込むからだろう。さて、千葉県君津市久留里、吉田屋で「へしこいわしの酢じめ」を買った。大小あったが、小で充分といった量だった。大渋滞の中、千葉から帰り着いて食べた、「へしこいわしの酢じめ」がうまかった。もちろん保存性を考えて強く締めたものだが、この酢を利かせすぎたものだってきらいではない。当日は同じく吉田屋で買ったカツオの刺身と、「へしこいわしの酢じめ」で九十九里ビールを飲んだが、意外にも酢の物とビールが合う。なんだか川本三郎気分にもなれた。
深夜、冷たい酒を用意して、小鉢に向かうと、中に盛り込んだ刺身の表面がギラついてきている。身に混在していた脂が溶け出して浮き上がって来ているのだ。淡路島のマアジは5月から始まり7月には第一群が終わる。そしてまた次の群れが釣れ始め、10月に一段落つく。今回のものはその先触れの個体群であるが、脂が豊かすぎて切りつけた刺身が鈍い色をしている。口に入れると真っ先に口溶け感からの甘さがくる。青魚の豊かなうま味もあって名状しがたい味としかいいようがない。冷やした酒で口中を洗うのがもったいない気がしてくる。
【学者などにとってはちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変というのを「隣の珍魚」という。】ボウズギンポは、10年前までは珍魚中の珍魚だった。今じゃ、見た目の気持ち悪さに後ずさりしたくはなるものの、ちょっと珍しいだけの魚になってしまっている。初めて見たのは12年前(2024年現在)のこと、京都中央市場のレアなもん大好き魚屋で、だ。まるでアザラシの死体ようだと思ったら魚だった、というのも変な出合いである。ぱっと見たらアザラシだけど、よくよく見るともっと奇想天外、太い丸太ん棒のようで、どっかのオヤジサンの顔を思わせたり、円谷プロの怪獣のようでもある。これを最初に競り落として、売ってみたヤツはどこのどいつなんじゃいと思う。明治時代の魚類学の父たちもかなりコイツに悩まされたようだ。そこにいるのが魚類であることは間違いない。魚類を定義する条件である顎もあるし、鰭もあるのだから。でも似たような魚がどこにもいない。結局、近縁種と思われる魚はいないことがわかり、ちょっと専門的だが1種、1属、1科で孤立無援な魚であるとされている。ちなみに本種は広い意味ではゲンゲ亜目(ゲンゲの仲間)だが、この「げんげ」は下魚とか幻魚とかの漢字が当てられ、とれてもまずいので売れない魚とか、見た目が変な魚とかいう意味を持つ。魚類学の黎明期、「わからないものはとりあえず、ゲンゲの仲間として置こうじゃないかい」的なポジションだったようだ。
市場のよいところは、そこにプロがいることだ。甲殻類のエビや軟体類の貝やイカのパスタは至って簡単だが、魚のパスタの作り方が思い浮かばない。そこにフレンチのル・トンさん(八王子市で、市場ではみな屋号で呼び合う)がやってきた。飛んで火に入る夏の虫とはこのことである。魚のパスタに関してアドバイスしてもらって、これはいけると思ったので、お礼はさわやかな「ありがとう」で帰ってきた。魚の身をかりっとソテーして、パスタに混ぜ込んで刻んだケーパーを加えたら、実に夏向き。だいたい1㎏級のタチウオを使った時点で、イカしてるぜ! 的だと思う。カッペリーニにしたのはボクの思いつきだけど、これだって大正解だった。いいオリーブオイルを使ったので軽い味であり、しかもタチウオの濃厚なうま味がカッペリーニにもオリーブオイルにも染み、染みしている。ゴージャスな朝ご飯で王様気分、なーのだ。しかもイケないとは思いながらも、朝っぱらから勝沼の一升瓶ワインを1パイ。ちょっと田中小実昌気分にもなった。
息苦しいくらいに暑く、窓をしめ、カーテンを引いているので、エアコンで室内温度的には快適であるが、定期的に鬱鬱とした気分に襲われる。日日(にちにち)、魚まみれだけど、こんなときこそ旬のよろこびを堪能したいものだと思っているとき、目の前にあるのが白いご飯と、旬真っ只中のアオダイの刺身なのである。これも幸せと言えば幸せやも……。アオダイの刺身はあまりにもストレートにうますぎるので文字に出来ない、そこがもどかしい。東京都では昔から、もちろんプロの間では、だが人気のある魚だ。実際、一度食べてみたらまた使いたくなるし、食べたくなる魚だと思う。
連日のように魚料理を作っていると、料理が多彩になる。たくさん作るので、「ご飯=魚料理」となる。6月になって、6月とは思えない暑さになったとき、今季初の魚の煮つけ素麺を作る。煮つけにゆでた素麺を添えただけのものと、煮つけを作り魚を取り出して、残った煮汁にからめて添える方法があるが、夏は前者に限る。青じそと青唐辛子を添えて、冷たい素麺と温かい魚の煮つけの対比が面白い。素麺の喉ごしに、煮つけの強いうま味がやたらに合う。こんな料理が食えるのも魚料理を作りまくっているせいである。ついでに煮つけを作り、室温まで冷まし、冷蔵庫でさらに冷やしたところに素麺を添えてもいい。エアコンがきかないくらいの暑さの日にはお試しあれ。
梅雨なのに、エアコンのきいている室内にいても地獄のようだ。まるでデンドロカカリアとか火星年代記の世界だ。こんなときでも揚げ物を食べたくなるボクには、まだまだ先がある。小出楢重ではあきまへん。今回のフライ種は千葉県銚子産の小中羽(15cm前後)で、刺身で食べるべきかなと思うほどの上物だった。揚げたてを八王子綜合卸売センター、八百角で買ったでかいエゴマの葉にのせて、千葉県で買ったお高い九十九里のペールエールで一時(いっとき)のオアシスを作り出す。カレーの香りをつけたフライの揚げたては、まだ脂が半液化した状態で濃厚にうまい。さっちゃんじゃないけど、フライが3つしか食べられないのにデブなボクが悲しい。エゴマの葉にキムチを挟んで、これぞ夏の〆、とする。
久しぶりに八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に行ったら、デカいタチウオが並んでいた。隣でクマゴロウがわはっはと笑っている。たぶん東京湾で釣ったのだろう。いちばんデカいのを1尾連れ帰る。昔市場で伊豆半島以西と言われていたタチウオが相模湾でもたくさん揚がり始め、ついに東京湾横浜沖という湾奥まで侵入してきた。今や関東周辺はタチウオがとれてとれてコマッチャウ。TTK状態である。ちなみにTTKは今はなき、週刊朝日のパクリだ。MMKなんて時代は面白かったものである。以上は前回書いた。1㎏もあるといろんな料理が作れる。「太刀きゅう」もそのひとつだ。ウナギで作れば「うざく」、焼き穴子で作れば「穴子のざくざく」で、ざくもざくざくも関東の「きゅうりもみ」のことである。我が家では夏になると、基本的な「きゅうりもみ」を多めに作り置きする。作り方は簡単で、薄切りきゅうりに塩をして殺し、流水で余分な塩気を流す。よくよく水切りして、甘酢(酢・砂糖)につけて冷蔵保存する。これに焼いた油揚げを加えたり、魚の酢の物と合わせたりする。ときどき魚の干ものをほぐして入れたりもするし、そのまんまきゅうりだけで食べることもある。これに厚く焼き直した「うなぎの蒲焼き」を添わせたのが「うざく」だけど、タチウオのつけ焼きを添わせたのを「太刀ざく」では音が悪すぎるので、「太刀きゅう」と勝手に決め込んだ。さて、タチウオの尾っぽや腹の部分を素焼きにして、みりん・醤油同割りのたれをつけて仕上げる。「きゅうりもみ」を盛り付けたところに熱いうちに添わせ、山椒を振ったただけなので、夜中でもできる。甘辛くて香ばしいタチウオのつけ焼きは口に入れると、ほろりと崩れる。大好きな山椒の香りが猛暑のときに体を癒やしてくれる。おいしくはあるものの単調な味であるところに、「きゅうりもみ」が大活躍してくれる。口の中できりりと締まり、そこに酒でも流し込むと、暑い盛り、やっと一息つけた深夜酒にとても合うのだ。
かれこれ1年振りにメイタガレイの刺身が堪能できた。東日本ではめったによいものが手に入らず、メイタといえば煮つけとか塩焼き用だと雑な扱いを受けているのだ。刺身のマコガレイにはない独特の風味、強いうま味は関西人ならずともわかるはずだと思うけど、いかがだろうこれが活け締めなら透明感のあるきれいな刺身になり、食感も心地かっただろう。
千葉県君津市久留里は実に景色(全体に)のいい町だと思っている。1980年前後、都内から千葉県鴨川市に抜ける道にあって、山また山の中にぽつんと城下町のあるといった感じがよかった。未舗装の区間もあったこの道でほっとできる空間でもあったと思う。面白いもので同じように市川市・千葉市など(下総)から勝浦市(上総)に抜ける途中にある大多喜に似ている。久留里がいい景色なのに魅力がない原因は国道410号線が町を南北に走っていることで、この町の観光地としての発展を阻害していたと考えている。曲亭馬琴(滝澤馬琴)の『南総里見八犬伝』は江戸時代以来のベストセラーであり、その主軸になる里見氏と深い繋がりのある久留里と考えると、今からでも遅くないので八犬伝の何かを作ってみてはいかがだろう。さて、この町にボクの好きなスーパーがある。近年、年々地スーパーが消えて行く。久留里から小櫃にかけては大型スーパーがなかった。そこにあったのが吉田屋で、ボクはここで数々の発見をしている。ボクの発見伝多しのスーパーである。今回は土を思わせるものではなく、千葉県ならではのもの、勝浦のカツオが売られていた。カツオ船の帰港地の条件は、風呂、遊郭、宿、酒だそうで、勝浦市にはその総がある。千葉県のカツオ船といえば勝浦である。久留里は勝浦から車でひとっ走りなので、売り場のカツオがぴっかぴっかに輝いていた。
食べ歩きの人ではないので、いつもは行き当たりばったりの旅の食事だが、今回は根室名物の「エスカロップ」という、いったいなんなんだいそれは? といったものを食べてみる。ネット上でいろいろ調べたが、エスカロップの意味はわからなかった。1963年から広まったと言う。福井県発祥だとは、市内で会ったライダー(バイクにのった若い衆)の話。ようするにエスカロップはエスカロップとしか、いいようのないものやも知れぬ。地元の方の案内なので、向かったのは「エスカロップ」で有名だという『ドリアン』というしゃれた店だった。
八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産にカスベの切り身がきていた。バラバラになっていると同定しにくいので買っても意味がないと思っていたら、やけに切り方が雑だった。しかも吻部分が入っている。奇跡としか言いようがない。下氷(敷き詰めた氷)の上で繋ぎ合わせてみると、同定できそうだったので買ってみた。北海道日高地方浦河からきたものだ。ここは、北海道を生物の頭と見立てたとき、顎のように尖ったところで、北海道道東でも苫小牧から東、厚岸までは街らしい街がない。そのちょっと寂しい印象の地にある小さな町といった感じがする。水産物の産地としても非常に印象が薄いが、調べてみると面白い場所かも知れぬ。この北海道太平洋側の刺網などの水深は寒い時季に深く、温かい時季に浅いのだと思っている。寒い時季の深場にいるのがヒトツセビレカスベ科ソコガンギエイ属の魚たちで水カスベ、どぶカスベ。温かい時季、浅場にいるのがガンギエイ科の真カスベ(メガネカスベ)だ。メガネカスベが浅場で揚がるので古くから馴染みがあり、味がいいこともあっての「真カスベ」なのだと思っている。ちなみに水カスベ、ドブカスベもなんとなく淡々とわかってきているが、まだまだ道遠しだ。
久しぶりに八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に行ったら、デカいタチウオが並んでいた。隣でクマゴロウがわはっはと笑っている。たぶん東京湾で釣ったのだろう。いちばんデカいのを1尾連れ帰る。昔市場で伊豆半島以西と言われていたタチウオが相模湾でもたくさん揚がり始め、ついに東京湾横浜沖という湾奥まで侵入してきた。今や関東周辺はタチウオがとれてとれてコマッチャウ。TTK状態である。ちなみにTTKは今はなき、週刊朝日のパクリだ。MMKなんて時代は面白かったものである。以上は前回書いた。もちろん生でも食べた。1㎏上で、魚屋が活け締めにして血抜きしたものなので、探しても探せないレベルのタチウオである。
北海道根室市の旅は市内に到着したその日の夜から酔いどれる。もちろん朝が早いので午後7時までの飲みだけれど、このときだけ体が緩む。初日は日曜日だったので、地元の方に営業している店を予約して頂いた。根室市の繁華街といっても密集した飲み屋横丁があるわけでもなく、暗がりの中にぽつんと居酒屋の灯がともっていた。『遊食酒場 壱炉 本店』という店で、外観は真新しく、日曜日なので家族ずれで賑わっていた。とりあえずの生ビールは一日の終わりの始まりにやたらにうまい。この店の突き出しはたぶんマコンブを薄甘く煮たもので、初手はまずまずボク好みであった。
久しぶりに八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に行ったら、デカいタチウオが並んでいた。隣でクマゴロウがわはっはと笑っている。たぶん東京湾で釣ったのだろう。いちばんデカいのを1尾連れ帰る。昔市場で伊豆半島以西と言われていたタチウオが相模湾でもたくさん揚がり始め、ついに東京湾横浜沖という湾奥まで侵入してきた。今や関東周辺はタチウオがとれてとれてコマッチャウ。TTK状態である。ちなみにTTKは今はなき、週刊朝日のパクリだ。MMKなんて時代は面白かったものである。最近、関東のタチウオに時季がないところをみると、年間複数回産卵しているのではないか。これでは昔の紀伊半島状態だ。持ち帰って計測したら115cm・1.09kgもあった。卵巣が大きふくらんでいて、触ると硬く、明らかにこれ以上ない状態とみた。
北海道根室市、温根沼、春国岱などの干潟を行ったり来たり、底なし沼にはまって出られなくなったり、クマが近くで目撃されたり。波瀾万丈の時間を干潟で過ごした。少しは痩せられたかも、という以前に寒いのと疲れとで人事不省となる。さて、ここでいろんな方達に話を聞いた。なかでもビックリしたのが、アサリの刺身である。刺身以上のアサリの食べ方はない、という。この温根沼周辺はアマモが大量に生えていて水がとてもキレイなのである。東京湾や愛知県三河でもアサリはとれると思うけど、そのまま生で食べるなんて思いも寄らない。アサリの刺身は北海道東部にある汽水域の、郷土料理と考えるといいのかも。ここのアサリなら刺身にしてうまそうだ、と思うのは、周りに護岸がなく、人家がほとんどないためだ。
今旅もまた、あまりにも詰め込みすぎて、寸暇がなかった。根室半島と東梅(温根沼大橋の西側)を右往左往し、また市内のスーパー、魚屋を踏破した。やっと時間が出来たので、念願の竿を出すことができた。ボクは日本全国を股にかけ釣りまくる、さすらいの防波堤釣り師なのだ。仕掛けは北海道中標津で買った片天秤のカレイ仕掛けで、錘は15号だと思うが数字がつぶれていて見えない。エサはアオイソメだ。釣り師お勧めの堤防には作業車がとまっていたので、港内奥まったところで釣り始めた。せわしなく仕掛けを作り、波ひとつない堤防のきわに落とすと目分量で水深1.5mくらいしかない。こーりゃ浅すぎてダメだと水くみをしていたら、ぴんと張っていたテグスがゆるんで竿が跳ね上がっている。潮がとまっているのかな、と、まわりに落としてしまった仕掛けの紙や、ついでに誰かが捨てていった仕掛けの袋とテグスを拾う。ついでにセイコーマートで買ったお握りをぱくぱくやっていたら、今度は竿が沈んでいるように見える。しとしとと朝から降り続いていた雨が上がり、風が止まり凍えるように寒かったのが少しゆるんだのは奇跡だ。またまた竿先が跳ね上がったが、この竿の動きからするとアマモでも引っかかっているに違いない。車まで飲み物を取りに行って、ついでに竿を上げたら、実に重い。ゴミでもひっかけたのかなと思ったら、シュークリームのようなものが仕掛けにしがみついていて、わやわやと何かが動いている。えいやっと堤防に跳ね上げたら、やはりシュークリームのような物体で、よくよく見るとクリガニであろうカニである。まあまあ大きい。クリガニが釣れるとは幸先がいい。じっとしていたのでつかまえようとしたら、いきなり横にするすると堤防を走って海に落ちていった。なんてこったい! カニさんカニさん、どこいくんじゃい?緊張感に欠けていたボクは思わず曇り空を見た。
【学者などにとってはちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変というのを「隣の珍魚」という。】2005年くらいまでは東京都内では手に入らない魚だった。東京都築地市場には来ていたが、年に1度来るか来ないかといった魚で、ボクにとって市場ですれ違ってばかりで幻の魚だった。困っていたら、2002年に動物カメラマンの宮崎学さんが北海道の漁師さんを通じて手に入れてくれた。泣けるほどうれしかった。改めて、学さんにありがとう!その面構えにどこかしら見覚えがあった。まさにそれはゴジラだったのである。ゴジラ映画を初めて見たのは小学校低学年のときで、ゴジラ映画としては2作目の『ゴジラの逆襲』である。続けて1作目を見たときはもっと恐くて、夜眠れなかった。トイレに行こうと、夜空を見上げると、ゴジラがいた気がしてお漏らししたくらいだ。このあまりにも似ている面相から推察するに、たぶんゴジラの着ぐるみを作った人はオオカミウオを知っていたのだと思っている。そうでもなければ、こんなにそっくりなわけがない。ちなみにゴジラを可愛いという人がいるが、オオカミウオだって可愛いと思う人も少なくないという。ちなみに漁師さんに聞くと顔は狼系だけど、性格は猫そのものだという。ただ、怒らせたら凶暴で危険だし手に負えないらしい。オオカミウオは触らぬ神に祟りなし、なのだ。似ている魚にウツボがいるが、こちらはのべつまくなしに凶暴で、のべつまくなしに危険である。
北海道には何度も行っているが、去年の羅臼旅までセイコーマートのことは知らなかった。昔からあったのかしらん。羽田⇄中標津空港は1日一往復で、中標津着は午後2時前である。ここから根室までは2時間もかかる。旅の日の朝ご飯は食べないのが鉄則なので、現場(目的地)に着いた途端に腹が減る。中途半端な時間なので、おのずと軽い食べ物でもとコンビニに寄ることになる。到着した日だけではない。水産生物を追いかけていると朝が早い。だいたい朝は4時過ぎには浜にいて、クマを気にしながら水揚げを見る。ずーっと立ちっぱなしで、ときどき飛んだり跳ねたり、走ったりする。気になっていることを聞取、初めて見る生き物に興奮し、また聞取をする。終わるのが7時、8時なので、結局、またコンビニ頼りになる。
北海道根室市、根室漁協で漁師さんにいただいた魚を見ていたら、どこかで見たような顔だと思い始めて、そうだ昔の芸人さんじゃないかな、なんて物思いに落ち込む。長い体にほとんど模様がなく、食用魚だとは思ってももらえず、漁師さんには邪険にされ、ただただ笑いを取ることに一生懸命な気がする。魚の顔面はやたらに面白い。
今やいたって普通の食用二枚貝となっているイワガキを、もともと食べていた地域は非常に少なかった。なかでも東京都は、もっとも早くからイワガキを食べていた地域にあたる。イワガキの産地、千葉県が東京都最大の水産供給地だったからだ。昔、築地で並んでいるイワガキと言ったら千葉県産か茨城県産だった。それが今や日本各地のイワガキが並んでいる。これがイワガキ好きにはやたらうれしい。中でも目立つのが、手前みそではあるが徳島県産だと思っている。吉野川河口域のもので非常に大型である。徳島県の悲しいところは突出した水産物がとても少ないことだが、イワガキはハモとともに貴重な特産品となっている。今回のものは徳島市内川内町地先で揚がったもの。吉野川本流ではなく旧吉野川(今切川)河口のものではないかと思っている。吉野川が河口域に作り出す平野部には今やレンコン畑が広がっているが、戦国時代には三好氏の本拠地でもあり、本城でもある勝瑞城があった。長宗我部元親が阿波攻略のとき水で苦しんだところでもある。
若い頃作っていたのに作らなくなった料理は数知れずある。肝・にんにく入りの「みそたたき(なめろう)」もそうである。ポジフィルムしかなかったときで、デジタルでの撮影を始めてからは作っていない。これをいろんな魚で作ろうと思い立った。初手は、かれこれ40年以上前に作ってみたことのある、「目光の肝入りみそたたき」である。茨城県水戸から那珂湊と車で回り、浜の魚屋でバケツいっぱいの目光(アオメエソ)をいただいた。アイナメとかハマグリ(チョウセンハマグリ)とかのオマケにいただいたくらいなので、昔は本種も未利用魚だったことがわかる。そのときに教わったのは単に「みそたたき」だけど、後に肝やにんにくを入れた濃厚な味わいの虜になる。
八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産には1年を通してマイワシの入荷をみる。豊漁期を迎えているようで、1年で味の落ちる時季は短いようである。4月後半からほんの数日前までいいな、と思えるマイワシがなかった。それが6月も後半になってやっと北海道根室産がやってきた。触ったらここ数ヶ月のものとは別物であった。やっと来た来たピンのマイワシ、だ。都心に出る日だったので、味見用に2尾だけ買ってくる。帰宅して下ろしたら明らかに刺身が最善だと思ったが、本日中に食べられる可能性がない。時間がないので計測だけして頭部を落とし、生殖巣をチェックする。白子も真子もないのを確認して振り塩をする。これを冷蔵庫で寝かせる。都心に出たのに食事も摂らないで帰ってきた。切ないねーと思いながら複雑な話(あくまでも仕事上の)だったので疲れ果てた。シャワーを浴びてふて寝する。
八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウの伊豆諸島通いのありがたいところは、関東では手に入らない魚が手に入ることだ。伊豆諸島三宅島や利島周辺に多いのがモンガラカワハギ科の魚と、スズメダイ科、ベラ科の魚である。なかでも取り分け多いのがアカササノハベラである。晩春から夏にかけて旬を迎え、体に厚みが出てくる。体長20cmほどの小魚で、おちょぼ口で乱ぐい歯なので普通はハリス10号、シマアジ用の針で釣り上げられるはずがない。それを釣り上げてくるのがクマゴロウの名人芸なのだ。さて、瀬戸内海あたりにいくと主にキュウセンだが、焼いたものがスーパーなどで売っている。見つけたら必ず買ってくるといったものだが、なかなか関東では手に入らない。釣り上げてくるたびこっそり持ち帰って、キュウセンの代わりに焼いている。最近、思うにキュウセンよりも身に厚みがあっておいしいかも。
関東の醤油醸造は17世紀に銚子で初まり、土浦(土屋家で、茨城県土浦市)でも作られる。この時代、江戸のハイウェーである利根川、江戸川、新川、小名木川が機能し始めていたときである。一代目、市川段十郎(後に團十郎 1660-1704)は両親の里である成田まで、このハイウェーを利用して日本橋、行徳、松戸、関宿、佐原まで舟運で行く。銚子、土浦の醤油もこれとは反対だけど輸送経路は変わらない。ただしこの時代、利根川と江戸川には難所があった。関宿である。室町時代かずかずの戦乱の場となった地ではあるが、川砂がたまりやすく舟運に支障が出た。次ぎに醤油の産地となったのが関宿を通らなくても済む、江戸川沿いの野田である。豊かな水があり、関東で作られた大豆と醤油を集めるのもたやすかった。今や国内随一の醤油の産地だ。この利根川、江戸川で盛んに作られた醤油と流山市のみりんが江戸前ウナギを完成に導いたのだ。こんなことを思いながら野田の町を歩き、せっかくなので蒲鉾店のオネエサンに教わった町ウナギで贅沢をする。「有名じゃないと思いますけど」というのでゆっくり昼過ぎに行ったらテーブル席はいっぱいだった。座敷に上がり、まずはノンアルコールビールと「コイの洗い」をお願いする。関東平野のウナギ屋の特徴は必ず「コイの洗い」があること。またざっこ煮(煮ざっこ)があることも特徴である。久しぶりのコイの洗いがやたらにうまい。
専門家に自分が食べたものを書き出しなさいと言われて、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。きっとこれはボクにとってもいい傾向だろう。この日は朝、同定不能の巻き貝があり息苦しいばかりで、救いがなかった。まことに生き物の同定は難しい。朝ご飯は、なんと1時過ぎなので、昼ご飯かも。ご飯、イサキの塩焼き、イサキの漬け、モロッコインゲンと油揚げ、坂倉味噌醤油本店のしょうがのみそ漬け、ブルーベリー。モロッコインゲンと油揚げ。こんなもの説明不要だと思うけど、八王子綜合卸売センター八百角でみつけた、今季いちばんのモロッコインゲンを煮干し出しで煮つけたもの。千葉県野田市、坂倉味噌醤油本店のしょうがのみそ漬けは近年稀に見る名品でもっと買って来ればよかった。イサキは八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが銭州で釣り上げたもので、釣り上げて3日目。この日の刺身がいちばん味があった。刺身溜まりをかけ、青唐辛子を刻み、ごまをかけた。ご飯の甘味よりもイサキのうま味と脂が勝っていた。塩焼きは言うまでもなくウマシ。ワカメと豆腐のみそ汁は省略。
去年あたりから、信じられないくらい高騰してしまったのが真ツブ(エゾボラ)である。中国のせいだという人がいるが、水産物の輸出はしていないのではなかったか? それにしても大きなものは1個1万円以上、小さくても3千円くらいするととても手が出なかった。ふと、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産の貝の場所を見たら、もとの値近くにもどっていた。あの暴騰は終わったのかも知れない。かねてより作ってみたかったものがあるので1個だけ買ってきた。真ツブ(Aツブとも)はエゾバイ科エゾボラ属の巻き貝で、足の部分(刺身などで食べる)にテトラミンという毒を持っているのが特徴である。そんなに強い毒ではなく、北海道何カ所かで食べていた人の話を聞いても、酒に酔った気分になるだけだという。ボクも数個食べているが、ほんの少しいい気分になっただけだ。まあ個人差があるので要注意。主に北半球の冷水域にいる。巻き貝の中でも大型であり、1㎏近いものもある。
【学者などにとってはちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、普通の人にとっては珍魚、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変というのを「隣の珍魚」という。】梅雨入り間近のある日、福岡県北九州市小倉の市場で小学校低学年くらいの男子が顔を近づけて、ある魚をなめるように見ていた。言わなきゃいいのに、「ヒゲがあるよね」と無駄な親切心で教えてあげたのだ。小学生は、「ヒゲなの?(意訳)」とボクを指さして聞いたのだ。これはヒゲなんだろうか?ボクはそのとき長旅でヒゲぼうぼうの情けない顔をしていた。うまく説明できなかった。
【学者などにとってはちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、普通の人にとっては珍魚、というのを「隣の珍魚」という。】6月になり鹿児島県からやって来ているギンカガミなどもその最たるものだろう。「なんだこれ?」と思わないのは魚類学者だけだと思う。本当の珍魚というのは定置網などに数年に1度とか、年に1度とかしか入らないものだけど、こいつはとれ始めるとやたらにとれる。円盤投げの円盤のような形なので意外に扱いにくい。非常に薄いため食べるところがびっくりするほど少ない。安い上に扱いにくいので漁師さんにたいそう嫌われている。
専門家に自分が食べたものを書き出しなさいと言われて、並べて撮影している内に面白くなってきたし、バランスを考えるようになってきた。それにしても撮影する場合に同じような料理を、一時に作るので塩焼きの時には塩焼きが2、3つ。煮つけのときには煮つけが2、3つ並ぶことがわかってきた。でもサイト運営が最優先なので仕方がない。ご飯と福神漬け以外は海産物である。淡竹とカツオ生利節の煮つけ。今季初の淡竹となまり節をたいたもので、言うなれば定番料理そのもの。カツオ血合いだんごとナスの煮つけ。カツオの血合いはざまざまに使えておいしいものだが、今回は野菜とたくのでだんごにした。うま味が豊かでご飯に合う。ところてん、ハギ子は八王子綜合卸売センター、福泉で買ったもの。ハギ子はカワハギの卵巣だと思うが産地不明である。ところてん。マクサを使った上物でとてもおいしかった。ハギ子煮つけはまだ卵粒が小さく、きめ細やかで煮つけにして絶品。ワカメと豆腐のみそ汁。説明不要だと思う。三重県産青のりの佃煮。都内茅場町、木村海草店で買った物で上等だった。
千葉県や近所のスーパーにシイラが並んでいる。不安定ではあるが、シイラは普通の食用魚となっている。我が家の近所のスーパーなどではシイラとあって、隣に大きな文字でマヒマヒと書いてある。最近、シイラよりもマヒマヒなのかも知れない。富山県、新潟県や山形県では秋の風物詩だ。沖合いで揚がるのでさかんに刺身で食べる。今でも山間部でよく食べられている魚でもある。これは大型魚で山間部に持ち込んで切り身にして大量に売れたからだ。無塩ものが珍しい山間部ではこれほど喜ばれたものはない。マサバ並みに鮮度落ちが早いので生で食べることには気を配らなければならないが、煮ても焼いてもソテーしてもこんなにうまい魚はないと思っている。もっと大きな都市部の消費地でも安いのだから食べるべきである。余談だが近所のスーパー、山梨県、千葉県のスーパーで切り身を100g、130円前後で売っていた。魚価が上昇しているので非常にお買い得である。切り身でつけ焼きにし、照焼にして、ムニエルにした。
細谷紙店は八王子綜合卸売センターにも店を持つが、実は釣具の便利な釣り用の袋も作って売っている。その名を、『細谷紙店 恵比寿さまの大漁袋』という。ある朝のこと、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産の釣り名人、クマゴロウが台車にクーラーを乗せて歩いて行く。勝手に開けて見ると『細谷紙店 恵比寿さまの大漁袋』の中にいい型のマアジが入っていて、1尾だけ外に出ていた。当然、釣り上げたのは恵比寿様でありんす。あああ、ボクのための1尾だな、と思って連れ帰ってきた。もう少し大きいのがいいと思ったけど、勝手に持って来たので文句は言えない。たぶん東京湾横浜沖で釣り上げたものだろう。小アジは体長20cm・126gなので、小さいことは小さいけど、身に張りがあり、つかんだらぬるっとする。いいマアジの条件を全部兼ね備えているではないか。日本各地にブランドアジがあるが、東京都に住んでいる人間には、近場の東京湾、三浦半島、相模湾の地物の方が上なのである。さてさて、こう言った拾いものがあるのも市場のいいところなのだ。この人情味溢れる市場には来なきゃそんそん♪ といいたい。ついでに恵比寿様ありがと。
6月7日早朝、神奈川県小田原市、小田原魚市場、二宮定置はたいへんだった。水揚げされた魚にたくさんのマイワシの破片が混ざっており、しかも小型の魚がわんさかあった。この小型の魚の大部分は直接人間の口に入らないという点で未利用魚である。ちなみに未利用魚という言語は曖昧すぎる。こんな曖昧な定義では未利用魚の活用は推進できない。選別すれば売れなくはない。これをなんとか選別できないかと考える人は漁業を知らないか、もしくは斬新なアイデアをもっている人かだ。ていねいに選別してもお金にならないし、過重労働を漁師に強いることになる。国はコンクリートよりも人にお金を使っていかなければならない。さて、体長10cm前後で、ウルメイワシ、カタクチイワシ、マイワシ、+タカベだった。タカベは二宮定置の若い衆がちょんと投げてくれたものだ。
5月後半になり、八王子の市場にも、また近所のスーパーにも「ぜんな(チョウセンハマグリの小型)」が並んでいる。チョウセンハマグリは千葉県では重要な二枚貝である。内房のアサリがやや低調なので漁獲規制が厳格なはずである。きっと小型をとる理由があるのだろう。なんども書いているが、朝鮮蛤は江戸時代後期に生まれた名で、この言葉に知識人の憧れの気持ちはあっても差別意識はない。「身近な」に対して「遠い」という意味がある。江戸時代から江戸前、江戸湾にいるのが標準和名ハマグリで、外洋に面した九十九里や外房でとれたのがチョウセンハマグリだ。輸送に強い二枚貝なので、九十九里で揚がると銚子を経て日本橋にある魚河岸まで運ばれていたはずだ。同じような例は内湾生のアカガイと外洋性のサトウガイにも当てはまる。昔は内湾生のハマグリを「本」、外洋性の本種などを「ばち(場違)」として、「本」と比べて安かったが、最近、二枚貝は大きさで価格が決まるので、本種は決して安くない。逆転現象も起きている。今回、朝ご飯のために八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で2握り買ってきた。
八王子綜合卸売センター、『福泉』で三陸産湯通し塩蔵ワカメ(マルヤわかめ 愛知県豊橋市)を買う。非常にいいもので、買い足しをするほどだった。湯通し塩蔵ワカメのいいところは、水で塩を洗い流すだけでそのまま食べられることだ。最近の水に直接入れるだけで使えるワカメと比べ、ワカメ本来の食感、味がよりちゃんとわかる。梅雨も来ない内に7月後半の暑さが襲ってきている。夏がくると想い出す、子供の頃のことと、「きゅうりもみ」と、なのだ。子供の頃には存在理由がわからなかった「きゅうりもみ」が、今や欠かせぬものとなっている。その基本的なものがワカメとキュウリである。イカや酢で締めた魚などを使うのもいいし、竹輪で作ってもいい。いろいろ変化を望めるのも「きゅうりもみ」のよさである。今回の主役、湯通し塩蔵ワカメ以外で作るときはキュウリを薄く切り、やや強めの塩をする。水分が出て来たら流水でもみ洗いながら余分な塩気を流す。この塩加減と塩の洗い流し加減がおいしさを大きく左右する。最近のキュウリは苦味や青臭さがないので、塩してもむだけでもいい。主役のキュウリに脇役はいろんなものを使えるのがいい。もちろん主役脇役が判然としない点も魅力だろう。
6月7日早朝、神奈川県小田原市、小田原魚市場、江の安、日渉丸、ワタルさんのところに丸々とよう肥えたマルソウダがたくさん水揚げされていた。ワタルサンの前をうろうろしてたら、「なんだ?」というので、目を「ウズワ(マルソウダ)」の上に泳がせたら、「欲しいなら欲しいとちゃんと言いなさい」と言われたので破顔、早速もらってきた。ありがとう、ワタルさん。以上は以前書いた。さて、もらった目的は塩ゆでにしたいためだ。高知県で「ゆで節」、「煮節」などという。ボクの作り方は高知県中土佐町久礼の魚屋さんで教わったやり方である。作り方は非常に単純。今回は片身の血合い・腹骨周り・中骨、と片身を煮立った塩水の中で約8分くらいゆでる。完全に火を通すのがコツだ。久礼の人は一生懸命団扇で扇いで粗熱を取っていたという。ボクは扇風機で楽にやる。これを袋などに入れて冷蔵庫で完全に冷やし込む。煮節(塩ゆで)の完成である。カツオ節の工場などで作るなまり節とは別物で、もっと遙かに惣菜的なものだ。
八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが銭州で釣り上げたキビレカワハギをくれた。ありがとう。2020年くらいまでは、見つけただけでヤッホーと飛び上がっていたのに、今やアリガト程度のうれしさでしかない。最近では相模湾北部でもときどき揚がるので、感動が薄くなっているのだ。ちなみに1970年代までウマヅラハギも相模湾にはほとんどいなかったらしい。ウマヅラハギの大群がいきなり押し寄せて伊豆半島網代に干もの街道ができたのと比べると、キビレカワハギはじわじわと増えてきているといった感じがする。ウマヅラハギの突然の大量の説明はつかないが、キビレカワハギは明らかに水温の上昇による。ちなみにキビレカワハギは1979年まで国内海域で発見されていなかった。ただし発見海域が小笠原なので、これは未知の海域で、未知の魚を発見しただけだろう。銭州は伊豆諸島神津島の南西にある。小笠原と銭州は、東京と鹿児島くらいの距離離れている。また最近キビレハギが揚がる相模湾北部にまで北上していることからして、距離で水温を測るのも変だが、45年ほどで急激に海水温が上昇しているのが目に見える。さて本種の旬はよくわからない。珍しくなくなったと言っても写真撮影したのは26個体でしかない。やはりいまだに珍しい魚のひとつではある。この珍魚ではないが入手困難な魚の位置づけが難しい。体長32cm・753gなので比較的大きな個体である。皮を剥いた時点で上物とわかる。カワハギ科の魚はそんなに目立って脂がのらないが、身に張りがあり、身にうま味が増す時季がある。今のところ、旬と言えるのは初夏ではないかと考えているが、まだまだ食べた個体数が少なすぎる。