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情熱ではなく微熱で、カツオの鍋焼きアヒージョ

滋賀の旅でなんとなくコカコーラを飲んでみたら、喉が飛び上がるほど痛い。痛いけど心地よかった。その痛心地よさに惹かれ、近所のスーパーで大量の乳酸飲料を買ったついでに、またコカコーラを買ってきた。この喉が痛がゆいコカコーラに合わせたのが鍋焼きアヒージョである。鉄鍋でソテーしながら表面は生、下は焦げ焦げを口に放り込む。カツオは強めの塩でマリネしているのでぱきっとした味で、ほんのり脂があってチョイトロで、後から酸味があって。同時に虎の尾が矢鱈に辛い。にんにくの香りが強くて腹の底までにんにくめいてくる。そこに激痛を呼び込むコカコーラで、微熱なのに情熱、な感じがする。不思議なものでコーラとかパンを飲んだり、食べたりすると喉が痛いが、気持ちいい。これでパンまで食べるとノックアウトされそうなので、コーラで通すけど、カツオの鍋焼きアヒージョとは最強タッグではないか。食べている時間が短いのが難点だけど、喉の風小僧くん、もう少しいてもいいよ。
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今季初白子で独りぬくぬくと白子鍋

11月14日、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で買った、北海道釧路産が今季初白子(マダラの精巣)だった。白子はまだ蒸し暑い時季から市場に並ぶが、赤みがとれるまで待つ。釧路産の白子は触っただけで上々であることがわかる。食べ頃を外すとろくな事がないのが白子なのだ。不思議なことに、ここ数日、昼間は元気いっぱいなのに夜になると熱が出る。滋賀の旅の後始末と、連れ帰ってきた風小僧のせいで、気力は半分以下、疲れは夜になると蘇る。白子を見た途端、深夜の不調を鑑みて、今日は手間いらずの「白子鍋」を作るのだ、と決めたのもある。
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なれずし探し近江の旅04 10月6日 高島市安曇川

元号は使いたくないが、便利なので。今回の旅は、なんどか漁獲物を見せてくれた漁師さんに会いに行くのも目的だった。昭和10年前後に生まれた世代は貴重である。会ってくれると言われてわざわざ行ったけど会えなかった。水産生物を調べているとこんなことは日常茶飯事、当たり前なので驚かない。そろそろ戦前生まれで話の聞ける方々も少なくなり、また明朗に答えてくれる人はもっと少なくなり、だ。気がついたら午後7時になっていたので、平和堂に走り込んで、萩の露とコイの子つけ、お握りを買って、駐車場を探す。そこでたき火(もちろん台の上で)をする。集めて置いた割り箸と紙だけなので、ちょろちょろたき火である。不思議なことにたき火をすると心が落ち着く。
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温やっこと焼き穴子の鍋

ボクの一日は通常三等分なので、深夜に軽くなにかを食べて酒を飲む。今回は焼き穴子(マアナゴ)を使って、鍋仕立ての「温やっこ鍋」の天盛りにした念のために、「温やっこ」とは醤油味に煮込んだ豆腐で、温々の内に出されるので、この名がある。大阪で独り酒をやるときなど、あると必ずお願いするボク好みの酒の肴である。温やっこだけでもいいのだけど、華がない。華代わりの焼き穴子だ。別に「温やっこ」と焼き穴子を味で融合させようというのではなく、甘辛く煮つけた豆腐を食べて、合いの手に甘辛いつゆで温めた焼き穴子を食べると言うだけのものだ。普通鍋ものの具は何らかの関連性を持つ。例えば、湯豆腐にタラ(マダラ)などは一緒に煮ると、味に相乗効果が生まれるのだけど、今回のものは相乗効果を生まない。ただ、だしのきいた「温やっこ」はそれなりにおいしいし、温めた焼き穴子もおいしい。一鍋の中で2つの素材が別々のままだけど、単体で煮るよりは遙かに楽しい。この味を表現するのは難しいが、だしで煮た豆腐がうまいことはだれでもわかる。これだけで充分満足できるはずだ。焼き穴子は、みりんがきいてもともと少し甘い。これを甘辛いだしの中で温めただけだけどより味わい深くなる。先にも述べたように、鍋とは素材が鍋の中で結婚するものだと思いがちだけど、今回の鍋は2つの素材が結婚しないまま、ボクに食べられてまた別れ別れになる。これを「君の名は? 鍋」と名づけたい。「君の名は」は年代によって違うだろうけど。
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なれずし探し近江の旅03 今津町、『川魚の西友 辻川店』でコイの白子の煮つけを買う

この国の人間は淡水魚を口にしなくなって、淡水域の破壊を食い止めるための手段として自然保護だけで語るしかなくなっている。淡水魚を食料と考えていないせいだ。淡水魚も食料であり、自給率などを考えたとき、淡水生物も海水魚・海水生物同様重要なのだ、ということがわかっていない。温暖化の今、淡水生物を食べることで、ぐっと淡水域が近くなり、淡水域を破壊することがいかに、危険かが如実にわかるだろう。ちなみに雑食性のコイなどコイ亜目の養殖の方が、肉食性の海水魚の養殖よりも自然に優しい、ということもつけ加えておきたい。さて、最近、コイという淡水魚の中でも、もっとも身近な食用魚すら食べたことのある人は希だろう。コイはくせのない上品な白身で、味がある。これくらい万人向きな魚は、海水魚にもそんなに多くはない。なのにコイを食べない人だらけなのは、淡水魚の味を語るときに「泥臭い」という言語を使うバカモノが多すぎるからだ。滋賀の旅に出ると必ず立ち寄る、『川魚の西友 辻川店』で見つけたのが、コイの白子の煮つけである。念のために。東日本淡水魚の料理法と、滋賀県や京都市内の淡水魚の料理法・味つけはまったく別物である。ボク自身が四国生まれで、西の味に親しんできたせいで、滋賀県の淡水魚の味つけは口に合う。しかも『西友』の煮つけの味は、とりわけさらりとしてあっさりしている。淡水魚そのものの味が生きている。今回、コイの白子の煮つけは、惣菜としては初めて食べた。雄のコイを手に入れたこともあるので、白子のおいしさは知っていたが、こんなにおいしいとは思わなかった。ついでだから蛇足をば。例えばコイやフナの煮つけを手に入れたとする。もしも愛する人と食べるなら、ボクは身(筋肉)を食べて、愛する人には内臓や生殖巣(真子・白子)を食べさせる。このコイ亜目の魚は断然内臓がおいしくて、身が主役ではないからだ。
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今季初ズワイは、京都産「せこがに」

蒸して粗熱をとったものをすぐ食べた方がうまい。もちろんゆでても同じである。まだ温いのにかぶりつく以上の食べ方はない。だから活に意味があるのである。後はカニに専念するしかない。
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こっち向いてヌマチチブ!

滋賀県守山市、野洲川河口域で溺れかけて、びしょ濡れになる。それでもやらなければならないのが撮影である。撮影後、ただちにお帰り願わなければならぬ。バスタオルを持って来ていなかったのが大失敗。下着まで新しいのに着替えて、車の中で体を気持ち乾かす。上着を濡らしたので、寒い中、上着なしで撮影する。さっきまで気にならなかった川風が痛い。さて、今回もっとも苦しめてくれたのが、なんども撮影しているヌマチチブである。オウミヨシノボリが素直にポーズを決めてくれたのとは大違い。水槽を揺らしても反転してもあっちを向いて振り向かない。真横にならない。その感にも体が冷え冷えになる。人と会う約束の時間が迫る。淡水の旅はきびしいくて、悲しい。
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かきとほうれん草の割り下鍋

資料を読み始めると時間が暴走する。気がついたら逢魔が時を過ぎ、つけっぱなりのテレビの音声を上げると、9時のニュースをやっている。そんな日々なので鍋鍋、鍋な日々となる。マガキとほうれん草は辻嘉一の表現を借りると、出合いのもの、だと思う。本当はこれに豚肉があるとよかったんだけど、小分けのパックがなかったので今回は断念する。沸いてきた割り下に大量のほうれん草を投入してマガキを散らして、あつあっつしながら食べる。偽ビールを飲む、あつあっつと食べて偽ビールで肌寒の旧暦10月3日も……、ワシントン広場の夜はふけて♪ なのだ。それにしても出合いのものを合わせた鍋はうまい。マガキの濃厚なうまさに、ほうれん草の青苦さ。ほうれん草には甘味もある。考えてみたら鍋は時間を楽しむものなのに、この鍋は時短しすぎかも。あとは空酒で正一合。
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戻りガツオ以前? 気仙沼のカツオ

市場の若い衆が気仙沼産のカツオを二枚に下ろしながら、「今年は遅れているようですよ」って、なにがさ?「戻ってくるの(南下)が遅れている」のではなく、下ろしているこのカツオの脂の乗りが「戻り」、ほどではないと言いたいらしい。ある意味、これから「戻りガツオ」らしくなる、とでも言いたいようでもある。今回のカツオ買いの目的は刺身ではないが、カツオといえば刺身なので、背の方を刺身に引いて、さっそく味見する。「戻り」が遅れているというとおり、脂の乗りは今イチだが、ボクにはちょうどいい加減だ。確かに「戻り」特有の分厚い脂の層は見られないものの、切りつけた身は白濁して柔らかい。ほどよい脂と、うま味に満ちている一切れに、厚めに切ったにんにくをのせて、わけぎをまぶしつけて口に放り込んだだら、言うに言われぬおいしさがぱっと口中に広がる。琵琶湖からボクにしつこくついてきた風邪小僧を、吹っ飛ばすおいしさだ。秋になると最低週一ていどはカツオが食いたいものだ、と思わせる味でもある。「戻り」手前のカツオの刺身で酒ではなく、冷たく冷やした偽ビールをやると、体が軽くなる。
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なれずし探し近江の旅02 10月6日 野洲川河口域の生き物

滋賀県守山市、野洲川河口域ですくった生物のほとんどがオウミヨシノボリであった。急激に気温が下がったためにコイ目の小魚類などは深みに落ちたのではないかと思われる。魚/オウミヨシノボリ、ヌマチチブ甲殻類/ミナミヌマエビ、スジエビ、エビノコバン
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なれずし探し近江の旅 琵琶湖周辺 01、北と南、ボクのめも

琵琶湖周辺を移動していると、まず北と南での違いに気づくはずである。湖西は山が琵琶湖に迫り、比叡山、比良山地からの颪にさらされている。農地が少なく、物成での南北の違いは、現在のところボクにはよくわからないが、南北に限らず寒い。湖東は草津、守山から、彦根を越えるといきなり北国になる。こんな顕著な違いは京都盆地にも見られる。当たり前だけど車は北に行くほど、4WDが増える。昔、余呉で雪から出られなくなって事がある。長浜から北に来るなら普通車では無理と言われたものである。農産物でいえば南部である草津市、守山市では柿が出盛っていて、まだまだ先が長いと感じたが、長浜市では「そろそろ柿もしまいですね」なんて言われる。白菜の品種にも違いがあるのではないか? 道路脇から見ただけではあるが、旧湖北町では早生の耐病性ではなく晩成が結球しつつある。南の草津や守山の方が野菜が豊富で、北に行くほど多彩さがなくなっていた、のは2013年11月の滋賀の旅で感じたことだ。それが今年はそれほど顕著ではない。余談になるが長浜市湖北町の直売所にはまだスイカがあった。温室だとは思うけど、本当に地元のものだろうか?この季節の差と、流通の地域性が今回の旅の目的でもある。
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城ヶ島沖のムツのちり

産地でもあるので、関東では盛んにムツを鍋に用いていた。昔は贅沢なものではあるが、ちょっとがんばれば庶民の手の届くものだったようだ。今ではあまりにも高価なので、特別な日の料理となってしまっている。当然、料理店で食べるなんて夢のまた夢だ。だから「ムツの鍋」はいつも自宅で作る。さて、ムツの鍋が煮えてきたら、まずは汁の味見から始めたい。ムツのあらからじわりと煮汁に染み出したうま味たるや名状しがたい。これだけで酒が飲める。黒くて薄くて地味だけれど、皮は柔らかく脆いものの、おいしさが凝縮されて存在している。ましてや身の甘さ、うま味の豊かさよ。ムツばかり食べていると興奮して過呼吸になりそうなので、豆腐も山東菜もしいたけも、食べる。名残の黄色い、すだちは香りこそ弱くなっているが果汁はたっぷりである。このすだちと醤油だけで食べると、ムツの脂がありながら上品な味が端的に楽しめる。酒も進むけど正一合のみで、我慢、我慢。
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明石浦サワラのみそ焼き鍋

旅の前に最近作った鍋の総ざらいをする。今回は、みそ仕立てで、煮ると焼く(ソテー)の中間的なものだ。ゆっくり、みそをこがさないように焼くだけに神経を集中させる。鉄鍋は直径12㎝の小さなものなので、あくまでも酒を飲むための時間稼ぎの鍋ともいえそうだ。さて、長野県諏訪、「銀撰 真澄」の紙パックをコップに注いでスタートする。この時点ではサワラのサイコロにみそが覆い被さった状態でしかない。弱火で煮ると、だんだんみそとサワラが馴染んでくる。どこかしらでみそが焦げているな、と思ったら大量のねぎを山形に盛る。
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秋ザケの刺身って悪くない

昔、岩手県の大槌町にある『六大工』に泊まったとき、夕食の刺身に赤い切り身があった。どうやらサケらしいと食べたら、意外にうまい。夕食後、『六大工』の女将さんがせっせとラップに包んでいたのもサケのようで、これを一度冷凍するのだろうと思って見ていた。一度、沖取りのサケではなく、岸によってきたサケの刺身を食べてみたいと思っていたのも、『六大工』の赤い刺身がおいしかったからだ。今回、刺身にしてみたら、定置網ものなのに極端に脂が落ちていない。これからじょじょに河口付近に近づいていく手前とみた。トキシラズ(沖取りの未成熟な個体)とは比べられないが、刺身にこく味を出しているのは明らかに脂である。しかもとても味があるし、サケらしい味の個性が感じられる。この個性がとても魅力的だ。味があるので口中でだれがない。すり下ろしたばかりの「山わさび」ととても合う。普代沖の秋ザケの刺身はとてもうまいではないか。昔、山形県の鮭川村の老人に、「川のサケの刺身は海のサケよりもうまい」と言われたことがある。サケの刺身の味は脂ではなく、別の何か、かも知れない。とれなくなった今にして、サケの食文化の奥深さを感じた。
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沢村貞子の水産物めも

『私の浅草』(沢村貞子 1976初版 暮らしの手帖社) は主に大正時代の話である。関東大震災以前の東京市浅草猿若町での実生活を垣間見ることが出来る、非常に貴重な書籍だと思っている。町奉行遠山金四郎は天保12年に水野忠邦の芝居小屋廃止を受けて、廃止ではなく浅草猿若町への移転にとどめた。浅草猿若町は山谷堀に近く舟運があり、吉原に近い。江戸三座の移転場所をここに決めた、遠山金四郎のすごみを感じる。守田座、中村座、市村座があったが、昭和になり、守田勘弥などが、江戸下町(現中央区)に新たな芝居小屋を作る。有楽町にも多くの劇場が出来て、猿若町は廃れてしまう。芝居小屋が消えたあと、住宅と川魚店も含む商売屋の並ぶ町になる。やがてここに沢村貞子の父で狂言作家、加藤伝九郎と母、まつ、兄・澤村國太郎、弟・加東大介の一家が同浅草馬車道から移転してくる。それでも浅草に芝居小屋はいくつか残る。加東大介が子役として活躍した、宮戸座もそのひとつだ。また当時、浅草はオペラやレビュー、映画など芸能・歓楽の町であった。澤村貞子(旧姓加藤貞子(ていこ)→大橋貞子 1908-1996年/明治41〜平成8年) は浅草千束町生まれ。→2才のとき浅草馬車道→小学校に行くときに浅草猿若町(現浅草6丁目)に引っ越す。非常に見た事をそのまま、なんのてらいもなく明解な言語で表現している。ある意味、天才的な文章家といっても過言ではない。林芙美子、武田百合子、沢村貞子の文章にはどことなく共通点がある。ともに資料的な価値もある。おふくろの味 鰻 〈背中合わせの川魚屋でメゾッコという小さい鰻が格安の日は、バタバタと七輪でいい匂いをさせて、鰻どんぶりの大ご馳走になる。母の財布がペシャンコの日は、おからを脂でいためて、ソースをかけ……〉。文章の流れを読む限り猿若町の頃だろう。ここは隅田川に近く、北東に山谷堀がある。ここに川魚屋があり、メゾッコ(小さなウナギ)が売られていたことがわかる。(『私のあさくさ』(沢村貞子 平凡社 2016 P44))みそ汁 〈甘味噌と辛味噌を適当にまぜて、すり鉢でゴリゴリすって、味噌こしで濾して——だしは雑魚を放りこんで——〉。雑魚はカタクチイワシの煮干しと考えていいのではないか。(『私のあさくさ』(沢村貞子 平凡社 2016 P75))
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ぶわったらの寄せ鍋

サイト運営が危機的な状況にあるのに、ボランティアで面倒なことに時間を取られているのだから、我ながら悲しいものですね♪ なのであった。ということで夕べ、深夜に鍋を作ることが多い。ぶわったら(塩蔵タラ)の鍋を初めて食べたのは学生時代で、お茶の水駿河台・神楽坂など学校の縄張り的な場所の、安居酒屋の冬の定番だった。鍋材料の大方が豆腐の場合には「湯豆腐」といい、豆腐以外が多いと「たら鍋」、「たらの寄せ鍋」といった。ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)では「はげ(カワハギ)」、もしくはボラが鍋(水炊き)の材料定番だったので、ボクにとってマダラはまったく未知の存在だったが、学生時代は何を食べてもうまいし、楽しいので一時に好きになる。慌ただしいときなど、「たらの寄せ鍋」ほど重宝なものはない。また昆布だしとマダラがとても好相性なのだ。明らかに昆布の風味が勝っているけど、決してマダラも負けているわけではない。相乗効果のようなおいしさがある。おいしいし、糖質は少ないし、野菜も摂れて健康だし。腹が温まるのでよく眠れるし。親切なDにもらったチューリップを聴きながらなので、なんだか悲し、いし。
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秋田県男鹿沖、赤テリの「かび」のあり、なしの比較

ウスメバルは冬から初夏にかけて入荷が多く、味がいいと思っている。メバル科の魚は卵胎生なので旬がわかりにくい。ただし10月半ばは荷(産地から送られてきたウスメバル)が少ない時季にあたる。2尾ともに生殖巣は非常に小さかった。「かび」あり、雌26cm・421g は三枚に下ろして刺身状に切ると身が白濁している。刺身の色からして、白く白濁したものの方がいいことがわかる。たぶんいちばん悪い時季ではないかと思うが、口に入れると脂があり、淡泊な中にもうま味がある。舌にのせてだれない。
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岩手県普代のサケで、塩干しサケ

今年は2.5㎏を三枚に下ろした片身で、塩ザケを作る。味見しながら切っては焼いて、また干して、切っては焼いて、また干して。加減をみながら干し上げて、出来上がりは6切れとお茶漬け用5切れができる。味見した2切れを足すともっと正確な量になる。我が家の塩ザケには干しの工程が入る。といっても狭苦しいところに住んでいるので風に当てて枯らすとかではなく、干すのは冷蔵庫である。製造日数は5日間でしかない。個人的にはこれで充分だと思っている。サケを一本買いすると必ず作るもので、ボクにとっては常のものでしかない。世の中には、究極のとか、伝説の、とかいう薄汚い言葉があるが、そのようなものがうまかった、例しがない。平凡な人間の、平凡な食事には、平凡な塩ザケがいちばんいいのだ、ボクなんてと言いたい。
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春夏秋冬おいしいのにイサキを知らない

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、大量のエネルギーを使う養殖魚の影に隠れていたり、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり……。それを「隣の珍魚」という。たくさんの種類の魚を食べ、「隣の珍魚」を知っていると、温暖化にわずかだがストップをかけられる。とても自然に優しいし、環境にも優しい。しかも大いに自慢できる】夏(決して夏だけではないが)だ! イサキだ、のイサキを知っている人は非常に少ない。でも、イサキを、「隣の」、とはいえ「珍魚」だというと「そんなバカな」という人と、「そうだ、見た事のない魚だ」とうなずく人に分かれるはずだ。そしてこの国に住む人の9割以上は後者だ。イサキという魚の存在を知らない人の方が圧倒的に多い。認知度が低いという意味での「隣の珍魚」なのだ。スーパーで見かける機会も多いし、刺身になって並んでいることもある。目の前に置かれているのに、養殖ブリの隣で、見えていない人が多い。ちなみに養殖魚は季節などとは無関係で、価格が安定しているので儲かる商材である。イサキは大きさや状態で価格を決めなくてはならないので、労力のわりに儲からない。養殖魚が大好きな人は小売店や水産業界の大いなる味方だけど、自然や地球環境の味方だとは思えない。イサキは、テレビからも雑誌からも、「知名度が低いから」、とか、「視聴率がとれないから」とかの理由で抹殺されている。とりあげてはいけない魚のひとつなのだ。一般的な料理番組、雑誌の基本となるページ(料理法のページ)でイサキを見た、という人はいないはずである。料理といえば豚肉とか牛肉とか鶏肉とか、魚でもせいぜいサーモン(養殖もののサケ科の魚)とか、少し背伸びしてアジ(マアジ)とか、くらいしかテレビにも料理雑誌にも登場しない。要するにマスコミの料理の関係者の頭に自然保護とか、食糧に自給率とかを真面目に考えている人は1人もいないのだ。豚牛鶏なんて、そんなものを使った料理はバカでも作れるでしょ、といいたい。半世紀以上前から連綿と続く、料理の焼き直しを来る日も来る日も続けているテレビや料理研究家って、バカじゃない。温暖化のことも、急激に地球規模で魚(食べ物)がとれなくなっている、こともまったく考えてはいない。この国で自給できるのは今現在、米と水産物だけなのに、おいしいパンを焼いたり、肉料理を作ったり、している場合なのか、愚か者達よ、と言いたい。
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城ヶ島沖のムツの味に忍びなき

関東の千葉県、東京都、神奈川県、相模湾の伊豆東側はムツは最高である。この海域で揚がったものは鮮度がいいので、迷わず手が出る。ましてや釣り師が釣り上げて首折りしたものは、通常流通では手に入らないレベル、かけがえのないものと言えるだろう。さて、刺身はムツなのに食感が強い。どうやら1日早いようで、うま味は少なくあっさりしているが、この食感のよさは、その淡泊さを補って余りある。11月になると、さらに脂の乗りは豊かになると思うけど、ボクなど近年、これくらいがいちばんよい。ちゃんと舌に脂の甘さが感じられるし、豊かなうま味が舌に残る。炊き上がりの香り高いご飯に、山わさびを巻き込んで醤油に浸した刺身をのせて食べる。山わさびの辛味がムツに合う。天候不順でどこにも行けぬ、憂さが晴れる。
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今年もまた「あかぜ」の季節となりにける

10月、11月ならマアジよりも「あかぜ(ムロアジ)」、だと思っている。もちろん扱い方にもよるが、この時季の相模湾ものは名状しがたい味である。ボクなど北の湖に立ち向かう平幕のような気分になる。萎縮して、爆発して、自滅というやつ。この自滅くらいうれしいものはない。まだ絶頂期ではない。1ヶ月先の最旬に向けての軽い舌触りだけど、口の中で時間がたつほど、じわりとうま味が来る。そこにちゃんと脂の口溶け感があるのだから、すごい。アジと行ったら一般的にはマアジのことだけど、マアジ以外のアジ知らないと人生の4分の3は捨てている気がする。アジ科のアジは美味揃い。なかでもこの時季の「あかぜ」は最高を超えている。
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お昼ご飯は汐っこのポシェサンド

旅に出たいので、資料を読む平坦な日を送っている。ボクの旅はすべて目的のある旅なので、この退屈で平々凡々な時間には耐えるしかない。だから朝昼晩を作る時間と、食べる時間は大切にしたい。汐っこ(カンパチ)のポシェは何度か作っているが、昼時に、昼ご飯用にポシェすることはなかった。汐っこのサンドイッチは初めて作った。コンビニのツナマヨに近い味だけど、まったく違う味というと変だけど……。ハーブと白ワインで火を通したので、刺身にして独特の味である汐っこも、やや無個性な味になる。ブリ属のカンパチらしさは、全部を飲み込んだ後にやってくる。秋の汐っこらしい脂の存在と、ほぐれた身の口当たりは、ツナでもサーモンでもない。大量に粒マスタードを投入しているので鼻にツンとくる、のもいい。面白いものでケーパーはあくまでも独自の味の路線を行っている。これにレモンを落とした「お紅茶」を巨大マグカップで独り飲むのも、これまた淋し。
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蛸さんにもらった「かげきよ」を刺身に

景清(チカメキントキ)は釣り師にもらっていちばんありがたい魚のひとつだ。真夏はともかくおいしい時期が長い。問題は釣り味がいいかどうかだけど、もらうボクには関係ないかも。まずは醤油をちょんとつけて食べる。ちゃんと脂が存在感を出している。身にうま味がたっぷりあるのもいい。なんと嫌みのない上品な味だろう。その上、味に奥行きがある。肝を醤油の中でつぶして、半分溶かし込む。これを刺身で包むようにして食べる。まあ、この味を表現するのは無理というものだ。景清の肝は魚の中でも最上級だし、ウマスギ、としか言いようがない。ついでにと言ってはいけないが、こりこりと心地よい歯触りの胃袋だってうまい。うまい上に、刺身で包んで食べると不思議な味になる。
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今季初マルヒラアジに秋潮を感じる

ここ数年、本種の若い個体を見つけると相模湾に秋が来た、と思ってしまう。だいたい10月、11月に少ないながら水揚げがあり、認知度は小田原でもゼロに近いので、そんなに無理をしなくても手に入れている。このマルヒラアジが赤道をまたいで広い生息域を持ち、相模湾は北限だと思うと感慨一塩である。今年の刺身も相変わらずうまい。身がきめ細やかで、その身に細かい粒子となって脂が混在している。だから口に入れて舌に乗せると、ねっとりしてほんの少し口溶け感がある。甘いと感じるのは脂のせいだし、アジ科ならではの豊かなうま味がある。
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活けじゃなくてもよかったかも、汐っこの刺身

活け締めにしてから36時間後の刺身はあっさりした中に味があった。思った以上に脂が感じられた。東京で、「汐っこ」が好まれるのは、カンパチはあまり大きすぎない方がいいということと、このあっさりした後口のいい味からである。ちなみに相模湾北部、外房の沿岸域で秋には、せいぜい今回のサイズまでしかとれなかった。それが今、小田原魚市場には3㎏、4㎏なんてのがごろごろ揚がっている。この相模湾北部でのカンパチの大型化も温暖化のためだと思っている。今回の「汐っこ」の、背の部分にも脂が感じられる。これは明らかに秋だからだろう。ただ、ブリ属のよさは適度に酸味が感じられることだと思っているが、この時点では、その酸味がまったく感じられない。
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10月下旬のウルメ刺し

切りつけた刺身は1ヶ月間で別物になっていた。9月の固体と比べると一回り大きくなり、身がしっかりと締まっている。身が締まっているので食感が心地よく、うま味が豊かである。小田原の、ウルメイワシの四季の変化が徐々に見えてきた。11月にはもう一段上の味となっているはずだ。次回は真子を楽しみたいので、焼いてみるつもりだ。
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明石浦サワラを塩サワラにして作る鰆飯

いたるところに鰆飯あり。たぶん数えたら切りがないだろう。我が家の鰆飯は基本的に塩焼き、もしくは塩サワラを焼いたものを炊き込む。炊飯の用意して焼いた塩サワラを炊き込むのだけど、醤油と酒を少々加えるだけの単純なものだ。ときどきごぼうとか、にんじんとかを加えることもあるが、今回は焼いた塩サワラだけを炊き込んだ。炊き込みご飯は炊き上がりが待ち遠しい。秋、2合の、炊き上がりの湯気を浴びたうれしさよ、手にしゃもじだ。混ぜ合わせて茶碗に盛り盛りして、いつもながらにあっと言う間に食べてしまう。この短さに涙、涙、うれし、淋しの涙、なのだ。たぶん魚の炊き込みご飯の中でももっとも失敗がなく、もっとも端的にうまい。ここ数年、鰆飯を作るために、塩サワラを作っている気がするくらいだ。冷めてもう一杯、こんどはゆっくり食べる。焼いたサワラの香ばしさが、ほんの少しだけだけど、ご飯にも移っているのがいい。ほんの少しだけの醤油と酒なのに意外にも大活躍している。たった一つの味を全部の材料が、お互いに邪魔しないで作りあげている、これぞ茶碗の中の平和なのだ。すだちとローゼルの塩漬けを添えて、結構毛だらけ……。
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小ヤリイカでかき揚げ、そして温そば

今週は過去のいろんな課題が解決して、それをまとめていたので、ほぼ椅子周りだけの暮らしだった。平凡だ、と思ったことが実は平凡でも何でもなく、非常に複雑だったと気づいたときの、「自分のアホさ発見」の悲しさは、他人にはわかりはしないかな。ボクはこれを「10回目の放浪記現象」と呼んでいる。というか、多くの人がこんなことの繰り返しだと考えるべきか。新しく買った水産物も使い、また冷凍保存して置いた水産物も活用して椅子にできるだけへばりついた。手持ちの素材でいろんな料理を作ったが、中で文句なしにうまかったのが、小ヤリのかき揚げである。八王子綜合卸売センター、八百角で何かの役に立つだろう、とニラ1束を、捨て駒的に買っておいた。これがまさかの8番打者の満塁逆転ホームラン、カキーンなんて思わなかった。ニラがあってこその小ヤリのかき揚げで、このおいしさは立ち食いそば屋の春菊天に匹敵する。柔らかくて上品過ぎる皮むきの小ヤリに、インパクトありすぎのニラが、味の邪魔じゃなくて神輿を担ぐように小ヤリの味を引き立てた。ちゃんと小ヤリが甘いのにビックリしたし、ちゃんとイカの風味もあるし、歯にイカの弾力というか食感もある。
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そろそろ名残の、ヤマトカマスの刺身

10月になって、市場にはアカカマスが毎日のように並んでいる。アカカマスの旬は10月から4月(もちろん前後)にかけてだと思っているので、おいしそうだな、とは思うものの手が伸びない。ヤマトカマスが去ってからのアカカマスとしよう、なんて思いが脳みそにがんと居座ってしまっているからだ。今回のヤマトカマスも刺身に切りつけたときの、包丁の重みだけで、わくわくして困った。刺身だけで、あぶりは不要だなと考えた。焼き目から来る香りが邪魔だろう、と思えたのだ。脂ののりは今月初旬と変わらない、要するに本種のベストシーズンが続いているのである。ヤマトカマスに「名残」をつけるのはボクぐらいかも知れぬが、名残惜しみつつ食べたい。それにしてもこの脂の舌の上での溶け具合、その甘さ、強いうま味。どうにも名状しがたい。
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10月24日、小田原魚市場、港のおっかさんのところで市場人の市場飯

小田原魚市場には4時過ぎに到着する。そこから水揚げされた水産生物をカウントしていき、いろんな方々としゃべり倒す。めぼしいものを採取して買ってと大忙し。当然腹ペコペコである。港のおっかさんのところでは、もちろん魚料理も食べるけど、市場で働く人達用野、おいしい普通の朝ご飯を食べる。この日はオムライス。普通のオムライスだけど、もちろん普通にうまい。どんどん胃の腑が温まり、まんぞく、まんぞくなのだ。
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トビハタはクエもチャマルもぶっ飛ばす

2001年にはただの魚でしかなかった。築地の仲卸が名前のわからない、ということで、活魚のメジナと同じ値段で買っている。確かに上から見ると、メジナそっくりなので、メジナと勘違いして仕入れたのかも知れぬ。まさかこれがハタ科の魚だとはだれも思わなかったのだ。2015年くらいからは築地場内、現在の豊洲でもメジナと間違う人はいなくなった。ちゃんとトビハタと書いて売っている。ハタ科の中でもトップクラスの味のよさを誇る、こともわかっているので、値段はいつ聞いてもすごい。10月の若い個体は、小型にもかかわらず脂がたっぷり乗っていて、口溶け感から甘く感じて、しかも味の嵩が大きい。個人的に刺身ではクエやチャマル以上だと思っている。凄い値段で買っても刺身で食べると「安いもんだ」と思わざる終えぬ、そんな豪腕、強い味だ。酒の肴にはもったいないので、刺身のために精米して、炊飯して、炊きたての白飯の友とする。
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あんこうは鍋で食べれば万人向けの味

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、大量のエネルギーを使う養殖魚の影に隠れていたり、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり……。それを「隣の珍魚」という。たくさんの種類の魚を食べ、「隣の珍魚」を知っていると、温暖化にわずかだがストップをかけられる。とても自然に優しいし、環境にも優しい。しかも大いに自慢できる】11月の声を聞くと、「あんこう」の値がじわりじわりと上がり始める。ここまで書いて問題なのは、「あんこう」は標準和名(図鑑などに載るときの日本名)アンコウではなく、キアンコウだということだ。こんなややこしいことになったのは、明らかに世間知らずの魚類学者のせいである。これに関しては深く掘り下げないが、一般的な「あんこう」のほとんどがキアンコウという魚だということだけは知って置くべきだ。市場でキアンコウは「本あんこう」とも呼ばれている。年内から1月初めまでは高いが、それをすぎたら急激に安くなる。一般家庭で買うなら新年になってからがいい。地域差があるものの関東のスーパーなどで寒い時期になると、肝とぶつ切りがセットになって普通に売られている。手間がいらず、料理としても簡単なので、売れて困るだろうという話を魚屋にしたら、買っていくのは年配者ばかりだという。こんなにありきたりな普通の食用魚が近年じょじょに、関東ですら「隣の珍魚化」しているらしいのだ。「あんこう」は20世紀末になってもローカルな食材だった。全身ぶよぶよしたこの魚を盛んに食べていたのは、東京を始め関東周辺と大産地だった茨城県である。1980年代、東京築地場内では暮れになって「あんこう」の入荷が少ないと争奪戦になった。とても手が出ないと嘆く仲卸を何度も見ている。同じ頃、新潟県出雲崎近くの漁港で「あんこう」が捨てられていたのである。捨ててはいないかも知れないが、ボクがカメラをかまえていたら、「持っていっていいぞ」と言われてびっくりしたおぼえがある。どう見ても10㎏以上の「本あんこう(キアンコウ)」で嬉しくはあったが旅の途中なので辞退した。出雲崎ではとれてもほとんど食べないといわれたので、またビックリした憶えがある。今や「あんこう」は新潟県だけではなく、青森県、山口県下関の名物となっている。「あんこう」の食文化は流通と情報の発達によってやっと全国的に知られるようになった。それでもいまだに一般的な食用魚ではなく、料理店で食べる魚の域を超えていない。
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男鹿半島沖のサバをマリネにする

痩せているからといって味がない、わけではない。脂のとろっとした感じがないものの、むしろうま味が複雑で味わい深いと思う。ここがサバの不思議なところだ。しかも塩をして、冷凍して、といろんな工程を経ているのに、しっかり食感が残っている。これは、釣り上げてすぐに締め、頭部と内臓をとったからだろう。サバの豊かなうま味にシェリーの香りと、橙の酸っぱさがプラスされて、一品料理としてどこに出しても恥ずかしくないものとなった。調和のとれすぎているところを、ケーパーと黒コショウが不協和音的な存在となり、意外に味に奥行きを出している。魚料理は調和しすぎてはならぬ、という典型的な例だ。この塩締め冷凍サバは、痩せたサバを食べる最高の手立てでもある。
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北海道日本海、苫前から来たニシンを塩焼きに

初めてニシンの塩焼きを食べたのは、江戸川区小岩の北口にあった食堂で、だ。四国では一度もニシンを見ていないし、お使いで買ったおぼえもない。その食堂では、焼き置いてあり、レンジでチンして(セルフだった気がする)温めて食べた。それがあまりにもまずかったので、それ以来ニシンの塩焼きが嫌いになる。魚嫌いというか魚をあまり食べない自分を、魚好きに変革しようとしていた時期なので、これは大きな蹉跌であった。大好きになったのは神保町にある魚玉で食べてからだ。魚玉も焼き置きだが、客に出すとき焼き直してくれた。チンして水っぽく生臭くなったニシンとは大違いで、実に表面が香ばしい。ニシンは焼き方で非常に味が変わる、のである。ちなみにニシンはいまだに大衆魚でありつづけている。おいしいニシンの塩焼きを出す、食堂もまだまだいろんな地域にあるだろう。四方八方から焼き上げたニシンは中骨以外すべて食べられる。小骨は少々気になるが柔らかいので、幼児や介護が必要な老人以外はがぶりとやっても平気である。さて、ボクは最近、確実に子供の心に征服されているので、真子(数の子)から先に食う。いちばん好きな部分を食べたら、お後がよろしくないだろう、と思われるかも知れないが、本能が真子から食え、と命令しているので逆らえない。やはりニシンの真子はうまい。甘くておいしいだけではなく、独特の渋味があるのがいい。身だって青魚のうま味がたっぷり。ご飯にニシンの塩焼きをのせて、辛味大根をその上に。後はおぼろ〜♪ だ。
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10月のヨコスジフエダイは湯引きかな

ヨコスジフエダイは今やイサキ並みに一般的な存在になりつつある。ただし旬がまだはっきりわからない。本種は寒くなるに従い脂が乗る。2005年から年間を通して食べているが、10月のヨコスジフエダイは刺身で食べても感動は薄い。脂の乗りが今イチで、うま味もやや少ない時季となると、湯引きにするしかないのかも。九州の湯引きは生食ではなく、ほぼ完全に火を通すものと、表面だけ火を通して中は生のものとがある。前者はハタ科の魚に、後者はタイ科や小型のフエダイ科の魚に向いている。比較的皮が柔らかく、薄いので表面を霜降りにして、身に味を出すといった考え方の湯引きである。皮はそれほど存在感がないが直下に薄い脂の層を感じる。湯引きして締まった身にも甘みがあるし、食感が増している。辛子酢みそで食べると、たっぷり食べても食べ飽きない。湯引きではなく刺身でおいしくなるのは12月になってからかも。
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男鹿半島沖のサバはマサバか、ゴマサバか?

近藤亮さん(第八松宝丸 秋田県男鹿市)に秋田県男鹿半島沖の魚を送っていただいた。中にマサバかゴマサバか判然としないものが含まれていた。尾叉長34cmなので3歳くらいだろう。ゴマの模様はほとんど見られないが、時間をおくと微かに見えてくる。仕方なく背鰭1〜9の基底長と尾叉長を計る。11.8〜12.3%で、痩せすぎていることを考慮して、マサバとしたが、首折りをしているので測定が難しかった。
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明石浦サワラで自分に作る照り焼き弁当

2㎏ものの片身を焼き物に使うと、かなり食べでがある。取り分け、尾に近い方が、中途半端だけど味があった。ここを同じように照り焼きにする。時刻はまだ午前7時過ぎである。朝ご飯はおまんじゅうなので、昼飯用に弁当を作る。楕円形の弁当箱の最長部分は16cm、アルマイトではなくステンレス製だ。お菜を入れる部分がご飯に対して大きいことなど、新しい証拠だろう。ご飯を詰め込んで、甘い甘い卵焼き(卵・水溶き片栗粉少々・砂糖・白醤油少々)、ローゼルの塩漬け、ハヤトウリの漬物を詰め込む。ご飯の上に焼きたての照り焼きをのっけて、たれをちょんちょんと散らす。これにて出来上がりである。食べるまでの6時間が長いなんてもんじゃなかった。テレビをつけると西田敏行の死を伝えていた。同級生と一緒に見た林美雄と一緒だった番組が、とても変で印象的だったことが想い出された。なんて、ぼんやり思いながらも、照り焼き弁当に心は持って行かれる。なんて、ぼんやり思いながらも、タレをもっとかければよかったかもとも思った。まあサワラの照焼は史上最強のご飯の友だ。しかも弁当箱に入った飯も最強じゃないだろうか。甘い甘い卵焼きも、柚子をの香りをつけたハヤトウリも、梅干し代わりのローゼルもよし、だ。弁当2つ作っとけばよかったなー。
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思わず手が出た無塩のアカカマス開き

小田原で魚を見た帰りに、必ず立ち寄る神奈川県秦野市、スーパー ヤオマサ渋沢店は比較的地元密着で楽しい。そこで小さいけれど貴重な発見をした。ボク以外にはなんでもないものだけど、ボクにはとても重要な発見である。パック入りのアカカマスの開きまでは普通だが、そこに「無塩」の文字があったのだ。産地は小田原で、わざわざ「無塩」と書いているのは、「小田原開き(頭はそのままに背開き)」しているので、干ものと紛らわしいためだ。「塩分無添加」ではなく、今や死語になった「無塩」が今でも実際に使われているのは、非常に珍しいと思う。ちなみに開いた体表をなめると干ものほどではないが、微かに塩気を感じる。この開いたアカカマスの真の正体をヤオマサで聞いてみたい気もする。パックから取り出して、ただ単に焼いてみた。最近、塩分がダメなのであるで、ときどき塩をしないで焼いている。特にサバの仲間(サバ亜目。カマスはサバ亜目カマス科)は塩がいならいと思う事が多い。淡水魚は塩をしなければ味気ないが、海水魚は塩をしなくても最小限、塩味(しおあじ)が感じられる。アカカマスのように味のある魚ならばなおさらで、「無塩」をそのまま焼いてまずいわけがない。実際に焼き上げては食べると、微かな塩気を感じるし、味があるし、ボクにはしごくうまい。本種ならではの豊かなうま味とほどよい脂の乗りが楽しめた。
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今年もいい味だ! 北海道噴火湾産オオズワイ雌

カニ食いではないので、カニで満腹なんてことはやりたくない。むしろカニの味にはシビアな人間である。ちなみに外子は味見程度には口に入れるが、ほぼ廃棄する。ズワイガニでもなんでもそうだけど、外子の多い個体はまずい。フンドシを外し、甲羅を取り、左右に割っただけで当たりだとわかった。クマイチゴ色の内子がこぼれ落ちそうである。いきなり内子ごと、甲羅下の身にかぶりつく。これなら、にわかカニ食いになっても仕方がない、といった味である。内子には、内子にしかない独特の濃厚なうま味と、強い甘味があり、喉元を過ぎた後にちょっとだけ苦味が感じられる。その上、身(筋肉)に、カニらしい香りがあるし、甘味がある。脚細なのに身がふっくらしているので、脚の先まで夢中になって食べ尽くせる。オオズワイの雌、あなどれぬ味である。
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今季初ハタハタの塩焼きは釧路産

関東で暮らしているとハタハタの時季は、秋(10月)から始まる。10月からハタハタを食い始め、5月くらいまでがハタハタの時季だ。不思議と、夏に、ハタハタ気分にはなれぬ。市場では、秋に北海道の比較的大きなものが入荷してきて、やがて秋田県など東北日本海側のものがくる。春には山陰、鳥取県、兵庫県などがくる。産地での味の違いはないと思っている。成熟していない若い個体の方が脂があり、成熟が進むに従い脂が減る。雌の真子(卵巣)が硬くなったものはそんなにおいしくない。成熟個体は、真子よりも白子の方が味があるので、大きくなる雌よりも雄の方がうまい。
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小ヤリイカげそ焼きそばで感じるノスタルジア

今回はどうせもいい徳島県西部生まれの無駄話をば。ボクは生来、甘い加賀屋のお好み焼きソースが好き、という話をしたいだけで、小ヤリイカの焼きそばの話がメインではない。1960年前後、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町南町)で、幼児の脚でもほんの数分のところにあったお好み焼き屋『吉田屋』にときどき通ったものだ。そのときの、焼きそばは脂身の多い牛肉を使ったものが贅沢だったが、豚肉はなかった。小学生になって「墓場の鬼太郎」を読むためだけに行っていた、お好み焼き店で初めて牛肉入りのお好み焼きを食べたはず。考えてみると当時は卵入りお好み焼きも贅沢で、普通は天かすとキャベツしか入っていなかった。もちろんイカ入りは食べたことがない。イカ入りのお好み焼きや焼きそばを初めて食べたのは、貞光中学校のときで、学校近くの『ひまわり』だった。『ひまわり』のお好み焼きは貞光町民には革新的だった。そしてどの店でもお好み焼きソースは甘かったのだ。以上、徳島県山間部生まれが感じる典型的なノスタルジアなのだ。加賀屋のソースがないので、我が家で作る東京の焼きそばは、敢えて言うと、八王子原住民風だ。八王子の魚屋数人、すし職人などに聞くとウスターソースか中濃ソースで味をつけるという。これじゃ味気ないのでケチャップを加えているが、ただただうまいだけで、はしゃいだ気分にはなれない。ラードで炒めたイカは意外にいい味出しているし、柔らかいのも魅力だと思う。でもやっぱりやっぱり、加賀屋のソースがないと徳島県人は焼きそばを食べた気がしない。こうなったら今年中に徳島に帰ろう!
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舌切りのあまりもんを使って青柳飯

事務的なことと、定期的な仕事と、日常的な仕事で脳細胞が異次元に散らばる。なにをやっているんだかわからなくなる。気づいたら2時過ぎだったりする。気がついたのは腹が減っているからで、そんな感覚すら抜け落ちてしまうことがある。「(米を)まとめて買っておきなさい」と近所の米屋に言われたので、我が家には米、米、米袋が並んでいる。終日デスクワークという日々なので、精米して3合ずつ炊いて小分けにして冷凍保存して置く。最近、頻繁に作るのが煮つけや漬けを使った混ぜご飯だ。簡単ですぐに出来る。残り物の青柳(バカガイ)舌切りの混ぜご飯は作業時間、2分半と少々。電子レンジに冷凍保存のご飯を入れてスタート。2分半の間に材料を刻んで、チンといったら混ぜるだけだ。カップヌードルよりも短時間で食える。保存のために舌切りを漬け込んだ生醤油と、舌切り自体の苦甘い味だけのご飯だけど、ボクはとってもこれが好きだ。たぶん青柳好きにはたまらない味だと思っている。最近、ずーっと八王子綜合卸売センター、八百角で特売している水前寺菜の風味がいい。名残の時季となったみょうがもほんま爽やか。腹の虫を10分でなだめて、ふたたび異次元に戻る。
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明石サワラはウマスギだった

サワラは最近、あぶり(焼霜造り)にすることが多い。刺身にはハズレがあるが、あぶるとハズレなしだからだ。ただし今回は刺身が上だった。脂だけではなく、身に豊かなうま味がある。る。あぶった香ばしさはいいにしても、あまりにも身自体の味がいいので、香りが邪魔だ、と思うほどにおいしい。さすが、明石海峡でとれたサワラはすごい。
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おろ抜き大根について

南北に長い日本列島に暮らしているからだが、個人的に大根だけは季節を問わずあるといいなと思っている。F1(ハイブリットで2つの品種を掛け合わせている)が増えて、病害虫に強いものが生まれているのもあり、端境期がなくなっている。このF1のぜひはともかく、問題は、おろ抜きである。大根は1つのマルチ穴に数個ずつ種を蒔く。大きくなるに従い成長が悪いものを抜く、のだけど、この成長の遅いのが「おろ」じゃないかと思っている。本命の株は「おろ」がないと倒れやすい。「おろ」は大根栽培の縁の下の力持ちでもある。成長は悪いものの、主株には欠かせない「おろ」が役目を終えて抜かれてしまう。考えて見ると「おろ抜き」にも物語がある。この間引き菜とは別に、おろ抜き用に栽培しているなんてことはない、と信じたいので、以下はボクの最近感じたこと。おろ抜きの葉が柔らかくなってきている気がするのだ。ここ20年ほど、地方に行き大根が生えていると、もちろん栽培している方に断ってだが、葉を触らせてもらっている。F1だけかも知れないが、だんだん大根の葉が柔らかくなっている気がする。だいたい葉の棘もほとんど感じない。ひょっとしたら葉を収穫するのを考慮して品種改良しているのか? もしくはF1だから柔らかいのか。
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男鹿半島沖のソイの焼霜造りに刺身

下ろしていると水に脂が浮かんできらきらしていたので、期待が膨らむ。ソイの定番料理、焼霜造りは期待以上だった。キツネメバルの皮は厚みがあり、皮を噛みしめるとうま味が浮かび上がってくる。岩礁地帯にいるメバル属の皮は非常にうまいのだと、改めて思う。しかも今回のものは皮下に脂の層がある。身にも脂が混在して、味のボリュームを感じる。
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ヨメゴチはなんのために買うのか

ざっと消化管の中から出て来た巻き貝を撮影してみた。ちなみに貝類という曖昧なくくりには膨大な種がいる。イカもタコも入るけど、そのほとんど総てが巻き貝なのだ。貝類図鑑が、昆虫図鑑を作るくらいたいへんなのは、巻き貝も昆虫もミクロの世界の種があるためだ。貝屋さんが砂をざくざくやっているのを見ていると目眩がするけど、砂よりも小さな巻き貝がいるんだから仕方がない。
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アルマイトの弁当箱に塩鰤2切れ

アルマイトの弁当箱に入ったご飯はやけにうまいという話をしたい。我が家にあるアルミの弁当箱は2つ。ひとつはただのアルミで、アルマイトではない銀色のもの。片方は大分県日田市の雑貨店で、昔、中学生(旧制で現在の高等学校)の学生が使ったというサイズのアルマイトだ。165㎜・105㎜で深さが54㎜あるが、これ以上のも、もっと大型も昔はあったらしい。買ってきて、ご飯をつめてビックリ仰天した。言われた通りにぎゅうぎゅうにつめると1合半くらい入る。ふんわりつめても1合で、おかず入れを脇に入れてふんわり詰めても、食堂の大盛りご飯以上だ。ここで大問題が発生する。ただのご飯なのにアルマイトの弁当箱につめるとず、ずーんとうまくなるのだ。しかもふんわりつめるよりも、ぎゅうぎゅう詰めの方がおいしい。昔、日の丸弁当(梅干しだけの弁当)なんて最低だ、と思っていたのは大間違いだったことに気づく。ちなみにボクはあまり弁当経験がない。徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の小学生は、お昼は家に食べに帰っていた。中学生の時は給食だった。高校生になると弁当を持っていくようになったが、ブックタイプというやつで箸箱が脇につき、おかず入れはパッチンとやるやつだった。初めて松本周辺に行ったのが、1990年代。この時代、旧制高校に通っていた世代がまだずいぶん生きていた。彼らは昭和2年から5年生まれで、アルマイトの弁当箱が高級品だった世代だ。話をもとにもどすと、このアルマイトの弁当箱に、飛騨高山や松本市では正月明けに塩鰤を入れて持っていくのがステータスだった。塩鰤が年取魚でもっとも高価だったためだ。久しぶりに旧制中学弁当を再現してみた。塩鰤だけでは寂しいので、梅干しにたくわんを加えたが、今どきこんな貧相な弁当を持っていく子供はいないだろう。ただ、不思議なほどうまいアルマイトの弁当箱のご飯に、熟成して濃厚かつ強い塩味の塩鰤が入っていたら、きっとこの上のサイズの弁当箱でも食い尽くせるはずだし、実は途方もなくぜいたくな弁当だといえないだろうか。これを食い切り、まだ胃の腑に余地があるのもアルマイト弁当箱マジックかも。
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小糸ちゃんはできすぎ4、炊き込みご飯編

日々の暮らしで2つのことが同時進行してもギリギリなんとかなる。3つ重なってパニックになり、やっと2つになったと思ったが、少し面倒な仕事だったので、余計こんがらがる。脳が真空状態になり、お腹がきゅーっとなったので富山の反魂丹を一袋飲んだら、今度は腹がきゅーっとなって激しい腹ヘリ感が押し寄せてきた。深夜なので冷凍庫を探しに探して見つけたのが、イトヒキアジの炊き込みご飯である。炊き上がりを食べてから、そろそろ1ヶ月近くになる。チンとしたが、すぐには食べられなかった。チンして冷めたら、食えないだろう、と見ない振りをしてもう少しほったらかして、それでも我慢できないで、食べたら意外、だった。温もりのない炊き込みご飯がウマスギ GO! GO! だったのだ。たぶん4勺くらいなので、ゆっくり食べよう、ゆっくり食べようと思ってもダメだった。なによりも塩気がいいのだ。イトヒキアジのアジ科らしいおいしさを塩気がぐいーんと引き上げている。一時しのぎの飯が、まるで王様のご飯に格上げされたようだ。水前寺菜が独特の風味を醸し出しているもきいているではないか。だいたい午前3、4時に起きることが多く、食べ終わったのが午前0時半。まさか、まさかに眠れなくなる。■写真は炊きたてのときのもの。
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ユメカサゴをべっ甲色に焼き上げる

最近、酒を飲みながら料理すると沈没してしまうので、我慢してノンアルコールで、作業開始。ガス台のグリルを温める。最初、塩をしたユメカサゴの表面を強火で焼き、最低限の弱火にして、5分ずつ様子を見ながら、ひっくり返しながら焼く。4回ほどひっくり返して、最後はつきっきりで焼き上げる。
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産地不明のウチワエビを蒸す

最近、エビはマヨネーズで食べることにしている。未知の方に目の前でエビにマヨネーズを見せつけられ、ついつい真似したくなって、「真似るね」と言って、マヨネーズを分けてもらったのが、先々月のことである。見せつけられたときは、冷凍のミナミイセエビの試食だったけど、活けのエビにだってマヨネーズをつけないではいられなくなっている。このエビ&マヨネーズの日々は当分続きそうである。しかも今回は、辛子マヨネーズという最新の武器を用意した。ウチワエビはゆでるよりも蒸した方が身が締まり、うま味も濃厚である。ただしゆでた方が身は柔らかい。結局、蒸す、ゆでるは好みだと思う。蒸してまだ温かい内に手づかみで、身をつまみ出して野性的にかぶりつく。食べた後に口中に残るエビの風味がとても豊かである。半分はなにもつけず、半分は辛子マヨネーズをどばっとつけて楽しむ。食感が強いので、食べたぞ、という満足感がある。今回はみそ、内子もたっぷり。みそと内子の独特の味わいがこれまたすこぶるつきにうまい。
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下の下でもそれなりにうまいベニズワイガニ

特売品ながら、ゆで上がりはキレイである。2尾並べるとゴージャスですらある。宴会などに1人1尾ついていたら、驚かし、にはなるだろう。
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冷え込む夕べにショウサイフグで、ふぐちり

夜と昼の気温差に体がついていけない。夕方になると温かいものが食べたくなる。終日、ミクロな闘いをしており、しかもそのミクロなものは水産生物だけど食べるわけにもいかない。仕方なくショウサイフグを解凍して、「ふぐちり」にする。長い長い夏が去り、秋らしいと思う間もなく冬が来るなんていやだな、なんてことも思う。豆腐がなくて、愛知県の角麩があったのは奇跡である。9月の半ばにもらって忘れていた角麩である。この愛知県、岐阜県で食べられている麩はどれもこれも素晴らしい。これがフグのうま味とだしのうま味を吸い取っていいのである。合いの手以上、主役になりそうだ。塩で締まったショウサイフグに甘味があるのは、塩をした効果だ。身離れがいいので、食べやすく、またほどよいほぐれ感がある。フグってこんなにうま味豊かなんだというのも、単純なつゆで食べるからだ。水前寺菜を数秒つゆに沈めて食べると、また舌と脳みそが別の世界に持って行かれてしまう。このところ毎日のように市場に並ぶ、水前寺菜もまたうまし、だ。これから毎夜毎夜、独り鍋をつつくと思うと淋しいやら、諦観を感じるやらで、酒がすすんでしゃーない。
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目玉おやじのようなマトウダイ

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、大量のエネルギーを使う養殖魚の影に隠れていたり、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり……。それを「隣の珍魚」という。たくさんの種類の魚を食べ、「隣の珍魚」を知っていると、温暖化にわずかだがストップをかけられる。とても自然に優しいし、環境にも優しい。しかも大いに自慢できる】マトウダイは例えば東京都内のスーパーでも、魚屋でも寒い時季、割と見る機会が多い。ただし肝つきの鍋材料としてだったり、煮つけ用であったり。魚売り場で目立たぬ存在、「隣の珍魚」そのものである。これが日本海側に行くとぐんと身近な存在になる。世界中で売られているサーモン(サケ科の養殖魚)よりも人気がある地域もある。当然、日本海では「隣の珍魚」とは言えず、主役だろう。マトウダイは体長30cm前後になる。なーんだ、小さい魚だねー、というと差に非ず。体高(真横から見たときの高さ)がやたらに高いのである。背鰭が非常に長いのも特徴だろう。実物はやけに大きく感じられる。真横から見ると背鰭が髪の毛で体全体が頭に見える。ゆっくりゆっくり泳いでいるのを見ていると、体側の斑紋が瞳に見え目玉だけが動いているようにも見える。ボクはこれを「海の目玉おやじ」と呼んでいる。海の中に鬼太郎がいるとは思えないが、「鬼太郎っ!」と言いそうで恐い。世界中の温帯域に生息している。国内では北海道から九州までの浅場にいる。口を閉じているとわかりにくいが非常に口が大きい。前に長く伸びる。伸びて目の前にいる魚でもエビでもイカでも、何でもかんでもスポイトで吸い取るようにつかまえる。比較的簡単に釣れる魚で、何度も釣り上げている。砂地でのヒラメ狙いのゲストだったり、浅場でのアジのサビキ釣りのゲストであったり。ボクが釣り上げた最大は32㎝もあり、サビキ仕掛けのいちばん下の錘と、いちばん下の針についていたマアジを一緒に飲み込んでいた。この獰猛さからすると、浅場にいる生き物にとって、目玉おやじではなく、サバンナのライオンのような存在に違いない。千葉の漁師さんに聞いたことだけど、こんなにのんびり泳いでいるのに、大型魚の腹から出て来たことはないという。その真意はともかく、この丸い魚には武器があるのだ。体をぐるりと取り巻いている有刺鉄線の、刺を思わせる棘である。毒がないのが救いだけど、釣り上げたのを不用意にキャッチしたときの痛かったことは今も忘れられない。きっと大きな魚だって、この棘にはなんども痛い目にあっているに違いない。
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青柳と九条葱のぬた

青柳(バカガイ)とくると「ぬた」しかない。春の「ぬた」と秋の「ぬた」は違う。秋に作るものは相棒が少ない。春のように山菜がないので華やかさがない。ねぎか、オータムポール・コウサイタイ・高菜系の青菜などのアブラナ科を合わせることが多いが、秋の地味な「ぬた」もいいのである。バカガイがまたよくなりつつあるときで、久しぶりにスーパーで見つけた九条葱と合わせた。さて、「高清水辛口」紙パックは秋田酒類製造でいちばん安い酒だろうが、意外にもすごくボク好みだ。これを室温でゆっくり盃で飲みながら「ぬた」をつまむ。盃は倉敷の武内立爾さんの、真っ直ぐベートーベン的なもの、「高清水辛口」はなんだろう。ブルックナーかな。我が家は最近、無音の深夜酒なので、こんなことを思ってときを過ごす。ボクは矢鱈に青柳が好きだ。バカガイをバカにするものは許せん、と思うほどにバカガイ贔屓である。酢みそをまとった青柳の、このほろ苦さと貝らしい呈味成分の混ざり合った甘さ、そして心地よい食感に、明らかに惚れている。安かった九条葱もよいではないか!今年はずーっといい葱に出合えなかったので、夏のダメージからの回復を感じる。さて問題はベートーベン的などっしりと重い盃で、いったいどれほど飲んだのか?だけど、敢えて考えないことにしたい。
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小さなカゴカキダイに昔を想う

小皿に乗ったカゴカキダイを見つめて、1979年前後にタイムスリップする。卒業する年で同級生と網代(静岡県熱海市網代)に堤防釣り(波止釣り)に行った。その日は嵐で釣りどころではなく民宿に泊まり、翌日竿を出したのが川奈港だった。ネンブツダイばかりのなか釣れてビックリしたのが、カゴカキダイの熱帯魚のような色にだった。とても食べられそうになかったので撮影して、種名をメモしてお帰り願った。同じ事を繰り返していたら、散歩にきていた老人(じゃなかったかも)に声を掛けられた。「おいしいから持って帰りな」とでも言われたのかも知れない。以上は、今年になって古本屋が救い出してくれていた当時のノートを見て書いている。人間の記憶は曖昧だななんて、この日の前後を見て気がついた。川奈漁港で釣り上げた最初の固体も、今回持ち帰ったものと同じくらい。親類のオジサンに教わって作り始めていたカードに、おいしさを5段階で書きとめ始めていた中でも、もっとも古いものだと思う。味は★5つなので、今と変わらない。相変わらず、小さくでも脂があり、皮にも身にも独特の風味があって、ウマスギ GO! GO! じゃないかとうれしくなる。
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久しぶりのアイブリで魚すき

小田原から帰って数日してがくんと気温が下がった。外で鳴いているアオマツムシも寒そうである。このところ鍋で深夜酒することが多くなったのも、秋の入り口にたどり着いたからだろう。さて、大阪の「魚すき」もしくは割り下鍋が、日本各地に飛び火していろんな名前で作られている。要するに「煮食い」でも、「じふ」でもいいが、今現在『がしんたれ』を読み直しているだけの理由で、大阪風に「魚すき」とする。アイブリは、アジ科よりもどちらかというとマナガツオ科に似た味である。くせがなくて上品、しかも煮ても硬くならない。煮えばなを食べては野菜、豆腐、ときどききのこ(シイタケ)だったり、きのこばかりを食べて、アイブリだったり。この身勝手な食べ方こそが「魚すき」の「好き」に通じると思っている。好き好きに食べろという意味である。このあたりの食べ方などフリージャズに似ておりまする。煮えばなのアイブリの切り身は柔らかく、下の上でほろっと脆弱である。しかもしっかり魚らしいうま味が感じられる。本当は食べ終わったらうどんでも、といきたいが、我慢して箱の高清水を正一合だけ。
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ローゼルについて

温暖化が急激に進む今、この国は東南アジアなのだと思って暮らすべきかも知れぬ。もちろん伝統は大切にし、わずかに残っている季節をちゃんと感じたいが。八王子綜合卸売センター、八百角でローゼル(ハイビスカス Hibiscus sabdariffa)という花のつぼみを買う。ベトナム人のトウさんが「おいしいよ」というので買ってみた。塩漬けにしたら酸っぱくてしゃくしゃきしてビックリ仰天するくらいにおいしかった。非常に使える野菜である。
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傷ついて尾がねじ曲がったマサバに乾杯!

1切れ口に放り込んで厚く切りつけすぎた、と後悔した。食感が半日経っても強いのである。この食感の強さは身に張りがある証拠である、ということで、とても健康的だと言えるだろう。自分のぶよぶよお腹を見ながら、この障害を乗り越えたサバに乾杯したくなって、シャブリをそそぐ。上等なシャンパンがあればよかったのにな、なんて思ったほどに味がある。マサバの味は、うま味成分の多さから来る味である。決して濃厚でも、くせのある味でもない。ストレートな、そのまんまのうまさだ。そのうまさが、今回の固体は取り分け大きい。そして噛むほどに脂が浮き上がって来て、まったりした舌触りになる。脂は呈味成分でもないし、当たり前だけど糖質でもないのに、溶ける時間だけ甘く感じさせてくれる。その味が、誰かがくれた、冷蔵庫で2年近く寝ていた、高そうなシャブリにとても合う。いずれにしても、今回の固体に当てはまった、「苦労して大きくなった魚の方が、のほほーんと大きくなった魚よりもうまい」法則は、これからどこまで当てはまるのか?こうなりゃ、小田原で障害を負った魚を探すしかない。
コラム

久しぶり、ぽんだらで「鱈鍋」

「ぽんだら」の鍋は関東では郷土料理に近いものではないかと思っている。江戸川区の魚屋などでも秋も深まると、鍋用に調理されて並べられていたものだ。安くてそれでいながら満足度が高い、「ぽんだら」はいの一番に鍋がいい。ということで埼玉で買った「ぽんだら」をさっそく水洗いして適当に切る。もちろんこの時季の個体で、このサイズなので真子も白子もない。肝だけを取り分けておく。湯通しして冷水に落としてぬめりや残った鱗を流す。水分をよく切る。これを昆布だしに酒・塩の味つけで煮ながら食べる。野菜などはお好みで。今回は山東菜を使ったが、最近安くなってきたロケット菜(ルッコラ)、レタスなどもいい。きのこは欲しいけど、これもなんでもいい。栽培ものの種類が増えたのもあり、特にこの時季、きのこ買いが楽しくて仕方がない。あとは豆腐でもいいし白滝でもいい。鍋は無法でなければならない。それにしても今季初鱈鍋はやたらにうまいものだな、と思う。あっさりとして柔らかく、ほろほろと舌の上で脆弱にくずれる。上品ななかにも味があるところもいい。マダラは小さくてもおいしい魚なのである。最近、魚界にも強烈な色物が増えて、このスタンダードなおいしい魚にスポットライトが当たらなくなっている。取り分け魚に無知な人に限って、普通の日常的な魚を知らないのはなぜだろう?水産生物はできる限り多種多様に食べて欲しいが、至って日常的な地味でおいしい魚も忘れてはならぬ。今年もみそ仕立て、韓国風とひとり鍋をつつくのだろうなー。
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縞模様もとれぬイサキだが、グンバツにうまし

この時季のイサキに見向きもしない料理人がいるのが残念でならない。ばらつきはあるものの、2歳・20cm前後のイサキは年間を通じて味がいい。難しいのは2歳で産卵する固体が3割くらいあることだ。今回触って脂を強く感じたのは産卵しなかった固体で、やや脂が少なく感じたのが産卵した固体だろう。いずれにしても2歳魚は安定している。二宮定置の水揚げを見ている限りでは、2歳のイサキはみな左右幅、体高ともにある。明らかに2歳魚は今、味の盛期の入り口に到達している。刺身を見ると黄色みががかった部分がある。脂の層が厚い腹部だ。鮮度がいいのにとても柔らかいが、これも脂がものすごく多いためだ。この脂に独特の風味がある。口溶け感が強いので口中、甘味ともうま味ともわかりにくいもので満ちる。表面こそ脂だけど噛みしめるとちゃんと食感も感じられるのが不思議。9月の終わりから10月の始めまで、体長30cm超えの痩せたイサキを食べているので、まったく別の魚のように思える。ちなみに最近、1㎏超えのイサキはキロ1万円以上するのが当たり前なのである。なんどか万超えのイサキを買っているが、味からすると今回このあまり高値のつかない2歳に負けていると思う。
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イカ探しして、見つけたのは山口県産ブドウイカのみ

魚づくめの日々で水産生物の中心は、魚類だが、そこに甲殻類(エビ・カニ)、軟体類(貝・イカ・タコ)を適度に加えていく。これは料理店と同じである。近年、この軟体類が全般的に少ない。そんな中、山口県産のケンサキイカが見るからに魅力的だった。山口県の日本海側は日本屈指のケンサキイカだけど、秋になって揚がるのはブドウイカ型である。今回のものも鰭(耳)が長いので、ケンサキイカのブドウイカ型と見た。味はケンサキイカ(ゴトウイカタイプ。細長いもの)と変わらない。ケンサキイカに季節感がなくなって久しいが、秋のブドウイカは季節通りだ。味はケンサキイカ属ならではの甘味の豊かさがあり、ねっとりとした舌触りである。この甘ねっとりが日本酒にとても合う。
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相模湾でタカサゴを発見、そしてタカサゴの味も発見

味で考えると、相模湾のタカサゴと、沖縄の「ぐるくん(タカサゴ)」とが同種とはとても思えない。これは熱帯域でのヨコシマサワラと、石川県産ヨコシマサワラとの違いに似ている。鮮度がいいと熱帯の方が透明感があり、きれいだ。ただし味は透明感がなく曇っている相模湾の方が格段にいい。脂は皮の直下に層を作り、身にも混ざり込んでいる。驚いたことに撮影していると、刺身の表面が室温でにじんでくる。口に入れるとほどよい食感が感じられ、舌の上に脂のざらっとしたものが残る。このざらっとしたものが脂である。一瞬、脂ののったイサキに似ていると思ったが、より濃厚な味だ。非常に味わい深く、舌の上で味が長続きする。わさび醤油よりも酢みその方が合うかも知れない。見た目はともかく味からすると、相模湾に新しいスターが誕生した、そんな気がする。このタカサゴをテーマとして、また小田原に行かねばならぬ。
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一年振りのゾウリエビを焼いてみた

とても奇妙な姿なので、初めて見る人はびっくりしそうである。ただしそんなに珍しいエビではない。日本列島の暖かい海域の岩場に普通にいる。イセエビの刺し網などに混ざってとれ、昔は見向きもされなかったが、近年、人気急上昇中である。漢字「草履海老」、「足袋海老」などの名があるが、たしかに草履にも足袋にも似ている。大きなくくりではイセエビに近く(イセエビ下目)、もっと近い親戚筋には、ミナミゾウリエビ、セミエビ、コブセミエビ、ウチワエビ、オオバウチワエビ、ウチワエビモドキ(以上セミエビ科)がいる。以上総てが今現在、この国では高級エビとして人気が高い。ただし、知名度が高いわけではない。この中で1種類でも見た事のある人は、かなりエビを知っていると思う。今回はかなり残酷なやり方で料理した。いつもはゆでているが、今回は焼き上げたのだ。焼いている最中から強いエビの香りが部屋に充満する。この香りがたまらないという人は真のエビ好きだろう。
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秋なので茶碗いっぱいの「かます飯」

自分のご飯なので腹の中に隙間が出来たら、あれこれ考えて、今回は「かます飯」にする。カマスさえ解凍すれば調理時間10分以下なので腹の虫をなだめるのには持って来いだ。橙を搾り込んだ麦飯に塩辛い山東菜、これだけでも青菜飯で完成品だ。ここに香ばしく焼いた脂の乗ったヤマトカマスを加えると、ちょっとだけよそ行きの着飾った感じになる。それにしても秋のヤマトカマスの「かます飯」は、他に置きかえるもののない味である。強いうま味と脂のこげた香り、これが麦飯と一体化しただけなのに、大御馳走化している。ボクはここに焼いた栗を添え、デザートというか口直しにするのが好きだけど、忙しいので我慢するのだ。昼間から大きな声で鳴くアオマツムシも秋の風物詩と思えば思えるので、秋だな、と言ってみる。
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秋にハズレなしのヤマトカマスの刺身

10月の「水がます(ヤマトカマス)」にハズレなし。うまくて当たり前だと思いながら食べても、ちょっと脳みそが痺れる。皮下に脂の層ができるのではなく、身に小さな粒子となって脂が混在している。だから程よい食感と口溶け感が一緒に楽しめる。キロ万超えの魚も裸足で逃げる、痺れるくらいのおいしさだ。だから小田原行きは止められない。これほどの美味を開いて干ものにしても、それはそれでおいしいけど、まず刺身だよなと思う。このおいしさを知らないと、ちょっとだけ損な気がする。問題はよほどの温度管理でもしないと、翌日昼までの味ってことだけだろう。ある意味、産地に近づかないと食べられない味でもある。
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小ツムブリの開き干し、意外

ぜんぜん期待しないで作った小ツムブリの開き干しが、ガスの魚焼きの中で音を立てている。なんだろう? と見たら脂が泡となりプツプツと鳴いているのである。ツムブリの本州での旬は寒い時季、例年なら9月中旬からだと思っている。やたらに暑かった今年の夏がじょじょに遠のいているのが気温でわかる。この日の朝の外気温は21度だけど、海も秋めいているのかも知れない。ボクは山育ちなので海に憧れていた。そして海への憧れは今も続いている。山の山の山の中育ちは海まで遠さに比例して、海への強い感性を持っている。干ものを焼きながら海を感じてしまうなんて、海育ちにはわかるまい。干ものの表面が微かに飴色を帯びている。脂のこげた香りがする。大きい干ものなので、えいや! とばらして口に放り込むと、意外にも強い味が舌をつく。ツムブリの残念なところは皮が硬いことだ。もったいなので皮をあぶり直してかりかりと食べて、新しいツムブリの味を知ったのも今回の収穫だろう。また釣ってこないかな、クマゴロウ殿。
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小田原産極小サバに人生が変わる思いがする

東京都豊洲市場などを歩けばわかることだけど、マサバは大きいほど高い。基本的に大きいほど味がいいと思われているためだ。今回の手の平に余る程度のマサバなど豊洲の仲卸は見た事もないだろう。でも、ダンベに行かなくてよかったねと言いたい。小さいのであらと尾と切り放した身を汁にすると、なんとたった6切れの刺身でしかない。でもその切り口が室温でにじんでいるのである。口に放り込むと生意気にも口溶け感がある。しかもアミノ酸が複雑に絡みあったうま味が大きい。これは小さいけど大物といったところだろう。あなどっていてゴメンネ、といいたい。マサバは不思議だ。この極小さばに魚の目利きに既成概念などいらないよ、と言われているようだ。残念なことにマサバの良し悪しはボクにはわからない。魚の目利きは努力しても手に入らない能力なのだ。当分、カイんの前では子猫ちゃんでいたいな、と思う。
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10月4日、小田原魚市場そば、港のおっかさんのところで市場人飯

市場人が市場周辺で食べないもの、そのNo.1は海鮮丼だと思う。場人が海鮮丼を見ると、頭が計算機にかわる。仕入れ苦労していそうだな、とか、もっと上手に仕入れよ、とか、とか。希に本物だけで作った海鮮丼に出合うこともある。そのときは泣けてくるほど嬉しくなる。ただ正真正銘の地魚海鮮丼は奇跡のごときものなのだ。正真正銘の海鮮丼に出合えた人は幸運を喜ぶべし。ボクも真剣勝負をしに小田原に行っているので、通常、市場人のための市場飯を食べる。小田原魚市場に仕事で来ている人のための飯だ。港のおっかさんのところでも、ときどき魚が出るが、そのときどきに安くておいしい魚が出てくるので、これもまたウレシ。
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小田原魚市場、サルエビ・フトミゾエビ対決

大失敗! まさか、まさか、無意識にサルエビから手を出した。いつもながらにエビらしい風味が豊かで後から来る甘味もたっぷり。1尾で3gしかないとは思えないほど味がいい。サルエビは東京湾でも昔はたくさんとれていて、横須賀の漁師さんは「おやつになるエビ」と言っていたっけ。確かに10gではなく200g以上あったらとてもいいおやつになる。普通評価の低い方を先にい食べるべき、なのに評価の高いサルエビの次ぎにフトミゾエビというのはダメだろう。と、思ったが、今回、ボリュームがあるために、フトミゾエビも充分おいしく食べられた。水産生物の味を比較するのは反対、しているボクなのに、ついつい比較してしまいそうになっていた。フトミゾエビにあやまりたくなる。
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坂田鮫は人面魚

【生き物の一部をクローズアップすると、海の中でどんな暮らしをしているんだろうな、と思わず考えてしまう。海そのものを感じることもある。】神奈川県小田原市、小田原魚市場に揚がった「さめ」とつくエイの人顔のような顔だ。全身形は、お墓の周りにおかれる卒塔婆のようでもあり、農具の鋤のような形でもある。じっと見ていると、「出たー幽霊」と思う。口は一文字にきりりと閉じられていて、目のように見える噴水口があり、その奥に鰓がある。噴水口の肉質突起はたぶん砂地などにぺたりとくっついて息をする(海水を吸い込んだり吐いたりする)ときに異物(砂)などが入ってこないようにするためだろう。表から見ても裏から見ても、可愛くはない。神奈川県、スーパー ヤオマサ、ナイトウさんに譲って戴きました。ありがとうございます。
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秋めいてきたのでゴマサバで船場汁

製薬問屋の多い大阪船場(非常に広い)道修町(どしょうまち)の商家などで、奉公人のために作られていた料理である。本来は四十物(加工品のことで「あいもの」と読む)である塩サバ(マサバの塩蔵品)を使って作られていた。ちなみに大阪(大阪市)には、豊漁であった日本海山陰などから大量にマサバが送られて来ていた。もちろん冷蔵庫の普及しない、1950年代以前は冬でもないかぎり、基本的に塩蔵サバでの流通だったろう。温暖化でマサバ(本来国内で主に食べられてきていた「さば」)がとれなくなってから、なかなか塩蔵マサバが手に入らない。我が家では最近、安いのもあり、ゴマサバで作ることが多い。ゴマサバで船場汁を作るのも温暖化の一現象といえるだろう。ちょっと長くなるが昭和、戦前戦後と活躍した劇作家の菊田一夫(1908-1973)は子供の頃、道修町で丁稚をしていた。丁稚時代、いちばんおいしかったものは、船場汁だったという。ただ、背が低かったので、汁(船場汁)の入っている大鍋から汁をすくうのがいちばん後になり、具がほとんど食べられなかったという。汁とありながら、塩辛いのでおかずだったようなのだ。この汁気をなくしたものが船場煮だ。さて、久しぶりの船場汁がやけにおいしい。大根おろし用に買った大根だが、しっかり大根らしい甘さとうま味がある。たぶんF1だと思うが、あなどれないかも。だしはゴマサバから出たうま味と、日高昆布だけではあるが汁がとてもうまい。昼の献立なので単純に汁として置いていたが、やはり船場汁はご飯に合う。また10月1日入荷の岩手県産ゴマサバは、とても脂が乗っていた。汁の中で煮てもふんわりと柔らかく、身離れがいい。わかりにくいゴマサバの旬だが、岩手でのゴマサバの旬は秋かも知れない。
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安定入荷の北海道産マイワシでかき揚げを作る

日常的には魚とおまんじゅうしか食べないので、知らず知らずの内に、料理を工夫するようになる。最近、揚げ物が多い。これは肉を自宅で食べないからだ。油で揚げると、肉に劣らず満足度が高い。マイワシはフライにして、開いて天ぷらにして、今回はかき揚げにした。かき揚げがいちばん食べ応えがあった。
千葉県産サザエ
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サザエ、基本のキ

サザエは北海道南部西岸から九州までの、日本海・東シナ海、千葉県以南九州までの太平洋、瀬戸内海の浅い岩礁域に生息している。巻き貝の中でも漁獲量が多く、もっともありふれた存在である。主な産地は圧倒的に日本海が多く、代表的な産地は長崎県、山口県、新潟県、島根県などだ。太平洋側でも三重県、千葉県などで揚がるが、産地としての太平洋沿岸域は弱い。分類学的には古腹足目サザエ(リュウテン)科リュウテン属サザエであるが、おぼえたい人はおぼえるといい。サザエの仲間(サザエ科)には鹿児島県以南にいるチョウセンサザエや、食用だけではなく工芸にも使われるヤコウガイがいる。標準和名の他に学名(世界的に共通する名)がある。古くサザエの学名には、Turbo cornutus Lightfoot, 1786(実はサザエではなくナンカイサザエ) が使われていたが、調べてみたら、サザエ自体には学名がなく、分類学的には新種であることを岡山大学の福田宏准が突きとめた。2007年に初めてついた学名が、Turbo sazae Fukuda, 2017 である。学名は一般的に縁遠いものだがおぼえておいてもいいだろう。
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大分県佐伯のヘダイ、一工夫して天ぷらそばに

久しぶりのヘダイの天ぷら、なかなかイケるなと思うものの、天種に不可欠である欠点(味の個性)がないので、冷静にみると、ただ単に、嫌みのない味でしかない。今回、天下の宝刀、カレー粉を隠し味にすればよかったかもと思うけど、食べ進むと脂の乗ったヘダイの生み出す、こくが感じられてくる。改めて食べると、ヘダイもさほど悪くない気がしてきた。野菜はいまだにみょうが、オクラの夏野菜で、水前寺菜だけが唯一の変化である。残念なことに、キク科の水前寺菜にしても東南アジアの野菜なので、本当の秋の葉物野菜ではない。唯一の秋は、山形県山形市小川製麺の「そば(乾麺)」をゆでて冷やさないで、ゆでたまま食べていることだけかも。我が家のもりそばは夏は洗って冷やす。寒くなるとゆでたまま温かいままと、ときどき冷やしてと二色になる。期限のある仕事があって、遅れに遅れて2時過ぎの朝ご飯には十分かも。昔はこれで昼酒ならぬ、朝酒をやって、しかも仕事が続けられたのに……。
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エアコンのきいた部屋で小さなメアジをみりん干しに

比較的硬く干すのがボク好みなので、ガスコンロの魚焼きグリルの前に立ち、出したり閉めたりしてこがさないように焼き上げる。みり干しは焼きたてがまずいわけではないが、少し冷めてから食べても味が落ちない。ちゃんと皿に盛り、偽ビールをでっかいグラスに注いで、手づかみで食べる。ボクは甘い人間であるためか、みりん干しが大好きである。今回は本物の、みりんを使ったみりん干しだけど、砂糖・醤油の偽みりん干しだって好きだ。みりんと砂糖の違いは後味だと思う。砂糖の方が軽く、みりんの方が醸したときのうま味が加わるのでやや重い。どっちでもええけど、このところみりんでみりん干しを作っている。メアジはみりん・醤油味の中にあってもアジ科らしいうま味と皮の風味が感じられる。干ものはむしゃむしゃあっと言う間に食べてしまって、後からどんな味だったか想い出したり、いろいろ考えたりする。でも、考えなくてもいいやも知れぬ。
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大分県佐伯のヘダイ、中骨で今季初湯豆腐

うるさいくらいのアオマツムシを聞きながら、湯豆腐をつつくと汗が出てくる。9月最後の日なのに、まだ完全に秋になりきっていないのである。大好きなので、これからは何度も何度も作る。その幕開けでもある。さて、養殖だけれども羅臼昆布(養殖でも高くなっている)は実力ありだ。最近、天然と養殖を比較しているが、比較しなければ養殖でも充分おいしいだしが出る。湯豆腐は豆腐を食べるためにある、と思っているので、平凡な豆腐であるが、1丁丸々ヘダイと羅臼昆布のだしで温めて食べる。これがやたらにおいしい。癒やしを感じる。ヘダイの中骨は塩蔵しておいたものなので、湯通ししても、煮ても、しっかり塩気を感じる。中骨にくっついた身をせせり食べると、ほんのり甘く、こくりと脂の存在を感じる。やはり秋のヘダイは偉大である。ついでに、相変わらず葉物野菜の少ない状態が続いている。この時季に青ツルムラサキ(東南アジア原産)を使っているのは不思議な光景だが、来年も同じだと思う。
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今季初ショウサイフグは素揚げから

さて、強く握りつぶして骨と身をはずし(やってみるとわかる)じっくり素揚げにしたショウサイフグは、揚げてる最中からいい香りを立てはじめる。この香りを楽しむためだけでも作りたいと思うくらいだ。表面は硬いくらいだが、その下は焼き菓子のようであり、中心部分はしっとりとして豊潤である。さくっとして香ばしいだけではなく、ショウサイフグ本来の味も楽しめる。問題と言えば早食いしすぎることでしかない。
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ぼたん紅えび丼

どことなく単調な丼になったのは、これはボクの朝ご飯だからだ。今回のように国内産生(一度も冷凍していない)の「上もの」で、料理店がこれとまったく同じものを作ったら、原価の3倍、最低でも2500円はもらいたいだろう。だから料理店では妻などで飾り立てる。観光客めあての市場の食堂で、トロもサーモンもエビ、イクラに卵焼きなど、いろいろ乗っている海鮮丼が2000円だったりするが、あれは総て冷凍品であり、卵焼きなどは市販品だからだ。苦労するのはいかに安く仕入れるかでしかない。あえていえば、町のすし屋が仕入れるレベルのものがいかに高いか、意外に誰も知らないのではないか。極上の「紅えび(ホッコクアカエビ)」と「ぼたんえび(トヤマエビ)」の、味わいの方向性は似ている。粘液生のあるアミノ酸や、本来呈味しないアミノ酸がからみあって、甘いと感じさせるもので、この甘トロが味の基本である。違いは食感である。前者は甘味がとても強いが、身は柔らかく脆弱である。後者はプリっとした食感があり、甘味はほどほどである。両種には優劣はない。好みは分かれるかも知れないが、曖昧かつ、もこもこふわふわとした、どうでもいいものでしかない。それが2種を一緒に食べると、意外にも単体で食べる以上に甘いし、歯触りがあるし。過去に同じようなことを何度かやっているが、なんどやってもうまいと思う。こんなことをやれるのも市場ならでは。しかも料理店の3分1の値段で食べられる。
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話題多すぎ、ユメカサゴ

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、大量のエネルギーを使う養殖魚の影に隠れていたり、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり……。それを「隣の珍魚」という。たくさんの種類の魚を食べ、「隣の珍魚」を知っていると、温暖化にわずかだがストップをかけられる。とても自然に優しいし、環境にも優しい。しかも大いに自慢できる】ユメカサゴは体長30cm前後になり、体が赤い。本州から九州までの深い海底に生息している。代表的な産地は長崎県をはじめとする九州であるが、本州から九州までのほぼすべてが産地である。ちなみに人口の集中する東京湾でも水揚げがある。見た目は赤いこと以外は平凡である。問題は、比較的漁獲量が多く、これだけ美しくて、食べてもおいしい魚が、予想外に知られていないということだ。
コラム

大分県佐伯のヘダイの刺身、うまし

刺身は、まるで活魚のように透明感がある。もちろん活け締めにし、神経を抜いているのはわかるが、通常流通なのにこのレベルはすごいかも。最近では国内の仕立て(漁のとき、水揚げ後などの処理と箱の中での置き方や氷の使い方)が断然よくなってきているが、大分はそんな中でも屈指の産地だ。買って1日目は、出荷した翌日に当たるので、締めて2日目でもある。とてもきれいな刺身だが、文句なしのうまさとは思えなかった。もちろん十二分にうまいのだけど、食感が楽しめる割りにあっさりしすぎていた。
コラム

持ち帰ったらできるだけおいしくたべる。サクラエビ

ざっと選別しただけなのでゆで上がりに、シラエビ(富山県でシロエビ)、タイワンホタルイカ、オキヒイラギなどが混ざっている。混ざっているから楽しい。この混ざりものありは自宅でなければ作れない。サクラエビは生でも食べられる。めったに食べられないので魅力的だが、基本は塩ゆでである。できたばかりのをつまんで口の中に放り込むと、強いエビの風味が口の中に広がり、後から甘味が追いかけてくる。合いの手に食べるタイワンホタルイカもいい味である。シラエビは2固体だけだったけど、サクラエビよりもあっさりとして、またこれもよしなのである。
イクラ
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今季最初で最後のイクラを作る

カレースプーン1ぱいずつ出しては酒の肴にし、残りはすぐに冷凍する。これを貧乏人のイクラ食いという。2、3粒ずつ口に入れてはつぶし、神奈川県松田町の、「松みどり」で流す。超高速回転過呼吸気味なので、こんな時間が自分に優しい。羅臼産筋子は9月後半、まだ柔らかい。イクラとしてはいちばんいい時季ではないか。圧力をかけようとしなくても潰れて広がる。サケの卵は全部が全部赤いコロイド状で、脂そのもののようでもある。甘いと感じるのはこの脂からくるものだと思っている。イクラにいちばん合うのはご飯だが、今年は酒と合わせるだけで終いかな。
コラム

濃厚化する魚のパスタ、オアカムロのリングイーネ

ボクだけの小さな異変だけど、最近パスタがやたらに濃厚化している。具もそうだが、オリーブオイルに、いかに多くの味を移すか、にちょっと大げさだけど心血を注いでいる。このうま味豊かなオリーブオイルにリングイーネが合う。ついでに今年はスイートバジルが安い。オリーブオイルやパスタが高騰しているとき、今回などメチャクチャデゴザリマスル、というくらい使ったが直売所で買った1束120円の3分の1でしかない。いきなりぐちゃぐちゃにしてから食べる。かき混ぜるとスイートバジルの香りにオリーブオイルの香り、香ばしくソテーしたオアカムロの香りが立つ。リングイーネの1本1本が濃厚な味わいで、重量級のうま味を感じる。ケーパーとくるみとオアカムロの強い味が一体化しながらも、いちばんの主役はオアカムロであるところがいい。オアカムロのすごいところはうま味の豊かさだというのが、オイルをかいして加熱するとわかる。刺身以上に真価を発揮する。ついでに、「パスタにくるみ」はたまたまパスタを作るとき、偶然、煎ったばかりのヒメグルミがあったことから始めたものだが、ここからパスタとナッツが合うことを発見したことになる。明らかに2人前なのに……。デブは死ななきゃーなおらない。
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ツノナガチヒロエビを1尾食い

少し食べるとおいしいのに、食べすぎるとヤな気分になる。生で食べると脂っこさが鼻につき、生でたくさん食べるともっと困ったことになる。やっかいなエビのひとつである。駿河湾の底曳きにのってお昼ご飯のおかず、煮つけを食べたら、やたらにおいしい。もっと欲しそうな顔をすると船頭さんに首を左右に振られたことがある。駿河湾の海の上で体調不良になったら取り返しがつかない。船頭さんがとめたのはそのせいである。本種などチヒロエビの仲間で一般的な食用エビは国内にはいない。漁業的にとって流通している種は南米スリナムやスペインのオオミツトゲチヒロエビくらいだろう。甘辛く煮つけるのがいちばんうまい料理法だけど、今回は1固体だけだったので、ゆでて放冷したものを口に放り込んでお終いである。温かい内に食べると味がなく、冷めて初めてこくのある本種ならではの味が表に出てくる。数ヶ月ぶりに食べて、やはりうまいエビだな、とは思ったものの、せめて5、6尾食いたかった。
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持ち帰ったら必ずおいしく食べる。ウルメイワシ

能登半島の豪雨を見てもわかる、北海道の昆布の異常な高騰からも感じる。温暖化はあきらかに崖っぷちに来ている。加速状態になったら止めることは出来ない。1年の内半分は外出不可能となりかねない。一刻も早く個々にでもいいので省エネをすべきだろう。温暖化をとめるのは、小さな事から始められる、とボクは思っている。ものを大切に使い、できるだけ車に乗らない、車は軽にする。またエネルギーを消費する食べ物はなるべく避けるだけでもいい。国内水揚げだけで、国内需要を満たすことができるのに、大量のエネルギーを使って魚を輸入している。養殖も同様である。そんな現状を知り、国内で水揚げされている魚は、選択的に食べないで、多種類を多様に食べる、余すところなく消費するべきである。いきなり、小さな話になるが、その意味で「みそたたき(なめろう)」はとても優れた料理法だと思っている。多種多様な水産生物が使えて、しかもおいしい。ウルメイワシの「みそたたき」は中骨も腹骨もそのままに、徹底的にみそとたたいただけなのに、ご飯のすすむおかずだし、焼酎にも合う。イワシ類の中でも、生の状態でのうま味がもっとも豊富である。みそや夏の香辛野菜の中に混ぜこぜになってもウルメイワシここにあり、と叫んでいるごとく味が浮き上がってくる。今回は甘口の徳島県産、『かねこみそ』を使ったので、余計にご飯に合うのかも知れないが、デブには危険なおかずである。2杯目を「みそたたき茶漬け」にするとなおうまい。計測のために持ち帰ったはずなのに、おいしいおいしいとボクのお腹に消えた。持ち帰った目的は、本当に計測のためだったのか?
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今季初マガキはフライングをして仙鳳趾

9月はイタボガキ科の二枚貝である、イワガキ、スミノエガキ、シカメガキ、イタボガキなど総てを食べないことにしている。イワガキが終わり、マガキには早いからだ。なのに仙鳳趾のマガキを買ったのは、ちょっとした好奇心からだ。あと、せっかく足立市場に来たのに、なにも買わないのもいやだ、と思ったのもある。細長いのはボクが選んだもの、平たいのは『磯崎』、舘野翔紀さんに選んでいただいたものだ。大振りのマガキはちょっと苦手なのだけど、へべすを搾って食べたら、なかなかイケル味だった。9月でこの味ならよい、のではないか。ほどほど可動筋の食感もある。ちなみに細長い方は軟体部分が小さく、味も今イチ。舘野翔紀さんに選んでいただいた平たい方は軟体が大きく、味もよかった。我ながら修行が足りぬ。今季初マガキは9月25日である。
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小糸ちゃんはできすぎ3、干もの編

焼き上がりを手で食べながら、イトヒキアジ本来のうま味というものにビックリしている。頭部を落としただけの丸干しに近いものなので、身離れのいい左右の身を手で割ってむしゃむしゃ、手で割ってむしゃむしゃする。眠れない夜にビールはないだろう、と思いながら偽ビールで口の中を冷やして、また食べる。アジ科の魚はうま味が非常に豊かだ。これは上品なものではなく、古今亭志ん生のようなものである。おいしいので思わず、ワッハッハと笑ってしまうようなおいしさだ。骨にちょっとくっついた身まで余さず食べてしまう、この味ってなんだ? と思ってしまう。やはりイトヒキアジの体形からくる皮の面積の広さからやも知れぬ。身に豊かなうま味がある上に、皮には焼いた時に生まれる香りがある。今回持ち帰ったいちばんミニですら味わいが大きいのだから困る。さすがに午前2時半では偽ビールもう1本はいかんだろう。
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山口県下関産だけど、北浦のカツオだと思う

山口県の魅力は日本海と瀬戸内海の距離が短いことだろう。瀬戸内海側で水揚げを見ていても、「北浦もの」と呼ばれるものが陸送されてくる。両海あってこその山口県だということが、瀬戸内海側にいるととてもよくわかる。そして日本海秋の味覚というとカツオ、とあいなる。10年前は迷子だったが、今は迷っていないカツオである。今年は夏前からとれているが、現在は定置網で数がとれているという。とれなかったものが温暖化で日本海でも揚がっているのだけど、日本海の固体は大型が多い。今季初めての日本海カツオなので大いに期待する。下ろしていて、脂がそれほど乗っているとは思えなかった。背の部分を食べてみると、とろっとはしていないが、とてもうま味が豊かである。なんだか新鮮すぎるくらい新鮮なのでビックリする。血抜きって文字が張ってあった。ということは活け締めか?あぶり、刺身と造ったが、素直に刺身の方がうまい気がした。脂の乗り具合からすると、まだだとは思うが、酸味が控えめで、うま味が豊かである。にんにくをたっぷりのせ、刺身醤油をつけて、へべすを搾って食べたら、あぶり、刺身を完食しても足りない気がしてきた。ちなみに刺身は翌日の方が上であった。このあたりが魚の難しいところだ。11月になると脂は頂点達するはずである。
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冷凍保存しておいたスルメイカを炊き込みご飯に

「(節約のためには)スーパーには料理を決めて行きなさい」なんてつまらないことを言う、経済評論家らしき老人がいる。ばか丸出しはハナ肇の映画だけど、食を巡る人生の楽しみがわかっていない、アホ老人そのものである。スーパー、魚屋、八百屋もそうだけど、食料品は料理を決めないで行くべし!いろんな食品を見て感心したり、がっかりして歩くといいのだ。きっと新しい発見がたくさんあるはず。それを捨ててええんかいな?そこにあるいちばんいいもの、値頃感を感じるものを買ってから、それに合う料理を考えろ、なのだ。そんなフリーな買い物こそが大節約が出来るのである。ボクの食べ物買いは料理店の買い方に似ている。脊椎動物である魚を買うと、軟体類であるイカやタコ、貝か、エビカニなどの甲殻類などを必ず添えて買う。ある日はマアジにウッカリカサゴに「こはだ(コノシロの若い個体)」で軟体類がスルメイカだった。最近品薄のスルメイカが比較的安かったのでまとめ買いした。野菜は水産生物とのセッションなので、八百屋で頭をネジリネジリ決める。スルメイカの魅力は使い勝手がいいことである。使い切れないときは、例えばげそや耳(ひれ)などは醤油洗いして冷凍保存して置く。軟体類は冷凍保存しても劣化しにくい。しかも醤油で洗っているので尚更である。外光が欲しい昼下がりの根気のいる撮影のときなどによく作るのが、こんな重宝すぎる軟体類の醤油洗いを使っての炊き込みご飯である。スルメイカは醤油洗いしているので室温にもどすと、すぐに使える。炊飯の用意をした釜にげそや耳を入れ、ささがきゴボウを入れる。酒と醤油で味つけし、炊飯する。10分前後むらすと出来上がりだ。できあがりにみょうがを混ぜ込む。思い立って、出来上がりるまで1時間弱だけど、作業量が少ないので、撮影が続行できる。こんなに手抜き手抜きで作ったスルメイカの炊き込みご飯だが、口に入れると実に味わい深い。スルメが柔らかく、それ自体に味があり、ご飯に移ったイカのうま味と香りが強い。軽い味わいなのでスイスイスイダラらった、とかき込める。たまには我が家の定番料理もいかがなりや、であった。
コラム

秋いちばんの鍋はオキアジの煮食い

島根県西部、石見地方で「煮食い」という、同じく出雲地方では「へか焼き」である。もとは大阪の「割り下鍋」が基本で、「すき焼き」ともいい、要は伝播したものだと思っている。滋賀県の「じゅんじゅん」、兵庫県の「じゃう」、三重県尾鷲市の「じふ」など、名は違うが、ほぼ同じ物である。「煮食い」とが最後の猛暑日の鍋となる。熱波と相次ぐ災害で9月後半になっても葉物野菜が揃わない。せめて、ベかな(矮性山東菜)でもあるとありがたいのだけど、今回冷蔵庫で見つけたのは神奈川県秦野市、「じばさんず」で買った水前寺菜(沖縄ではんだま、石川県で金時草)だけだ。いきなり煮え立てのオキアジから食べ始める。このサイズはやや水分が多いが、身質がきめ細やかで煮ると縮まずふんわりと柔らかくなる。アジ科ならではの豊かなうま味もある。オキアジの小型は熱を通すと、非常に上等の魚に大変身するのである。半身ずつ鍋に投入して、食べ尽くすのがボクのやり方である。割り下で煮ると、最後まで味が落ちない。ボク個人としては、最後にうどんが食べられなくなって久しいが、おすすめである。なんとこの日の夜の外気温は36度であった。最後までとっておいた煮染まったこんにゃくを食らいながら、パンツ一丁で食う熱々の鍋も、今年はこれにて終いであろう、なんて、独りごちる。
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京成電鉄の路線図をみて考えた

下町という言語はいつから世間に流布したのか? 東京都内を飛び出して全国的な言語になったのか?1963年の映画『下町の太陽』からだと思っている。本来、下町とは小林信彦が述べているように中央区を指す言葉だった。この3区で、隅田川両国橋の西の「両国(本来の両国のことで現在の両国は葛飾。現東日本橋たり)」という地名が消えたために、最も下町だった中央区が下町でなくなる。そして、もっとも一般人の下町感を変えたのは映画だ。映画によって下町は東へ、東へと広がり、移動していく。映画『下町の太陽』で隅田川を越える。『男はつらいよ』(1970)で荒川・中川も越えたことを明確化する。考えて見ると、渥美清の台詞に「私、生まれも育ちも葛飾柴又です」があったはずで、主人公は葛飾在と言っているのに、下町の代表になる。蛇足だけど、『下町の太陽』は、あまりにも倍賞千恵子が可憐かつ美しすぎて、ほかの俳優は2度も見たのにぜんぜん記憶に残っていない。取り分け勝呂誉などいなくてもよかったかも。京成の路線図を見ていると、山田洋次(1931〜)の社会学的意味は大きい。
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霞ヶ浦産小シラウオの天ぷら

シラウオが手頃な値段で売られていると、ついつい手が出てしまう。まあ、それくらい好きな魚なのである。いちばん好きな料理法は天ぷらである。上等かつ高級な天ぷら店で大きな個体を2、3尾、つまんだのを揚げたものもいいけれど、自宅で小振りなものをざわざわと大振りのかき揚げ風に揚げたものの方がボク好みである。揚げたては数十秒放置する。揚げたてよりも少し時間をおいた方が、より香ばしいからだ。ボクは小シラウオの香ばしさに惹かれる。非常に香ばしくざくっと、ぱりっとした歯触りなのにシラウオの苦味がちゃんとくる。問題はあまりにも瞬間的にうますぎて、じっくりゆっくり味わえないことだろう。お昼ご飯に揚げたのに、うますぎる料理はいつもご飯をおいてけぼりにする。シラウオをせっかく揚げたのに、ご飯をきゅうりのキューちゃんで食べている、ボクってなんだろう?
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見つけて心躍る、オアカムロ

見るだけで、食べたくてもじもじする魚がいくつかあるが、オアカムロもそのひとつだ。しかもこの日、小田原にあった固体は体長35cm・500gの大型である。競りが終わってそーっとのぞいてみたら、ヤオマサの緑の紙が浮かんでいた。脱兎の如く、ヤオマサのナイトウさんを探す。ボクなどこれだけで体重1㎏減だから、結果よしだったかも知れぬ。帰宅して下ろしながら中骨下の腎臓をこしこししただけで、脂の乗りが伝わってくる。帰宅後一休みし、逢魔が時に刺身にする。皮を引くと表面が滲んでくる。脂が室温で溶け出しているのだ。一切れ、味見しただけで天にものぼる思いが募る。やはりボクはムロアジ属が好きだけど、とりわけオアカムロが好きかも。ただし、ムロアジが揚がり始めると同じ事を書きそうだが、ご容赦を。さて、一切れの味のインパクトが強いので、久しぶりに本物ビールをあける。カツオの刺身が日本酒よりもビールに合うのに似ている。500gサイズを半身食べてももの足りない。もう半身と思いながら、小田原からたくさん連れ帰ってきているときなので、ひとり悶え苦しむのである。魚の旬がわかりにくくなってきているが、相模湾のオアカムロはこれからもっとよくなるはずだ。今年はアアカ三昧したいものだ。
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忙しいときのフィッシュ&ティップス

9月は細かい撮影が多かった。水の中に小さな生き物を沈めたまま食事という日が何度かあった。そんなときは10分以内でご飯といきたいもの、なのだ。だからフィッシュ&ティップスを作る。存在を初めて知ったのは『暮らしの手帖』だったと思うが、実際に作ってみせてくれたのは友人の夫のイギリス人で、魚は冷凍のマダラだった。作り方がものすごく雑で、重曹ではなく黒ビールという贅沢なものだったが、そのとき飲んでいたのが、黒だっただけ。黒で作ると見た目が悪かった。そのとき初めて見たビネガー(モルトビネガーだったと思う)を、じゃぶじゃぶかけたのも光景として残っている。我が家のフィッシュ&ティップスは徹底的に時短で、ガリっと言うくらい表面を硬く揚げる。イギリス人のネーティブなフィッシュ&ティップスはやけに雑な感じだったが、少しだけおしゃれでもある。写真のハマフエフキとクサヤモロ(くさやに加工される)では、上品な味わいのハマフエフキがおいしかった。表面はがりっとしており、中はとても豊潤で、ビネガーをかけると矢鱈においしい。
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小糸ちゃんはできすぎ2、刺身編

泳いでいるのを見ていると、まるで蝶のようだし、銀色のジュディ・オングのようでもある。防波堤釣りではお馴染みの魚だった。目の前にエサを落としても見向きもしない。可愛いものには縁がないボクだからかも知れないが、なぜか釣れない。そんな釣れない魚こそが、秋になると相模湾に押し寄せてくるイトヒキアジの若い個体、ジュディ・オングではなく小糸ちゃんである。焼いても煮てもおいしい魚だが、刺身にしてもおいしいことはあまり知られていないのではないか。これがあの小糸か? と思うほどうまいのである。コツは皮をそのままに刺身にすることだ。銀色の美しい刺身の皮と皮の真下に味がある。皮はほどよい硬さで、食感がまたいいのである。しょうがを搾り、ボクの故郷徳島産スダチに濃口醤油をたらし、混ぜ混ぜしてご飯にのせて食べたが、丼が小さすぎた。深夜には酒の肴にして楽しんだ。宮崎県産へべすをどばっとかけて、塩で食べたが、小粋な味なのである。思わず、岐阜県八百津、「花盛 本醸造」を2合となる。見た目が美しい魚は、味も美しい。
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じわじわ増えてきているメアジ

【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、大量のエネルギーを使う養殖魚の影に隠れていたり、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり……。それを「隣の珍魚」という。たくさんの種類の魚を食べ、「隣の珍魚」を知っていると、温暖化にわずかだがストップをかけられる。とても自然に優しいし、環境にも優しい。しかも大いに自慢できる】最初にアジは1種類ではなく、いろんなアジがあるということを知らなければならない。そのいろんなアジの中にメアジがある。なぜメアジなのか? 「目が大きいから目鯵」なのである。美しいし、眼がパッチリなのでアイドル系といっても間違いではないだろう。アジなの? と聞かれると、ほうらじっくりみてごらん、「アジ科特有の尾鰭の前のぜんご(稜鱗でトゲトゲした)が目立たないけどあるでしょ!」と言いたい。日本列島が北限に近く、全世界の熱帯域から温帯域に生息している。赤道に近づくほど食用魚としての重要性が強くなるが、温暖化でこの国でも無視できない存在となっている。スーパーでは見たことがないという人も多いかも知れないが、そんなことはない。確かにいつもある、といった魚ではないが、東京都内や関東周辺のスーパーの魚売り場でときどき並んでいるのである。昔は本州ではそんなに水揚げされていなかった。むしろ沖縄の魚、「がつん」といったものだったが、相模湾などではわんさかとれ始めている。今のところ、「あじ(マアジ)」と比べると人気薄で、値段も安い。
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琵琶湖産ワカサギの山椒煮

ワカサギは汽水域に多いが、純淡水域でも生活環(生から産卵、死、そして再生)をまっとうできる。子供の頃、ボクの生まれた徳島県、美馬郡(当時は脇町・穴吹町・美馬町・貞光町・半田町・一宇村)でも、「あそこの溜池に『あまさぎ(ワカサギではなかった)』いるらしい」などと子供の間で話題になっていた。こんな山間の町にもワカサギを放流する人がいたのだ。そして、その導入元が島根県だったので「あまさぎ」だった可能性がある。1970年以前には戦争での飢餓体験が残っており、食料を増産するという考え方が強かった。そのひとつではないか、と思っている。このミニ移植は全国で行われていたはずだ。これを巨大なプロジェクトとして実施したのが滋賀県琵琶湖だろう。今や琵琶湖周辺のスーパーには当たり前のように湖産の鮮魚が並び、佃煮屋では湖産の佃煮が売られている。ワカサギは山椒煮がいちばん好きだ。若葉のことなら生があるが、秋なので粒山椒(ぶどう山椒)を使っている。少しいじめた山椒からいい香りが立ち上がってくる。ほぼつきっきりで煮るのだが、ときどきつまみ食いをする。こんな無心になれるひとときもいい。煮汁がねっとりしてきたらバットに広げて、まずは茶漬けでいっぱい。ワカサギのいいところは煮ると、ほろっとした柔らかさになることだろう。説明が難しいけど、シフォンケーキのような柔らかさではなく、ビスケットのようなもろさ、柔らかさだ。甘辛い調味料の中にワカサギのうま味が感じられ、最後に微かな苦味が残る山椒の実を合いの手につまむと、香りと刺激が口中に広がる。このワカサギの味と山椒の刺激が心地よいリズムのようだ。山椒煮は約1週間にわたり、ご飯の友となり、酒の友となる。
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小糸ちゃんはできすぎ 1、天ぷら編

刺身、天ぷら、干ものと小糸(イトヒキアジの小型)ちゃんくらい大活躍するものは他にないだろう。きれいな(料理する上での話)魚で、やたらに下ろしやすいのも魅力的である。今回は神奈川県秦野で買った夏野菜があってので、まずは天ぷらにする。直売所の野菜の天ぷらはそれだけで料理の主役だと思っている。でも、小糸天を食べると、その存在が消えてしまったのである。平たく体高(左右に平たい)があるので三枚に下ろすと皮の面積が広い。揚げるとこの皮がスターに変心するのである。おそるべしアジ科の皮よ、と言いたくなる。食わなきゃわからない話だけど、いつの間にか野菜をおいてけぼりにし、ご飯の存在も消えてしまった。まるで、小糸の天ぷらは、 Gone the rainbow♪ だ。かなりたくさん小糸を持ち帰ったが、本能のまま食べると足りなくなりそうだ。ご飯は精進揚げで食う、昼時であった。
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9月後半、14入りサンマはどんな味か

見た目からして、9月らしいとは思うものの、2016年の4倍以上の値段を考えると、手放しで喜べない。室温が27度もあるせいか、切りつけた身がにじんでくる。刺身醤油をはじき返すほど、脂がある。久しぶりのサンマらしい口溶け感がある。これでやっと昔ながらのサンマにありつけた気がする。
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小田原・秦野で全買い物を済ますのがボク流

直売所に熱中して、ほぼ半世紀近くになる。初めての山形県旅で雪の来る前の国道沿いの直売所で買って買って、買いまくったのが最初である。それから30年後に同じ山形県南陽市の道端で、同じオバチャンがいたのには感動したものである。当時はコンビニなく、ケータイなく、といった時代だったので朝早くやっている直売所で朝ご飯を買うことが多かった。この道端の小屋のような直売所が、道の駅になりJAが経営して巨大化する。これはこれでいいが、最近やけに洗練されて、いちばん魅力的な土地土地のものが消えて行っているのが残念である。

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