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コラム

ホウボウはどうやってご飯を食べているのか?

魚のご飯や、ご飯のとり方は口の形から想像できるのではないかと考えている。魚の口には様々な形がある。歯がない魚もいるし、歯がある魚もいる。魚は、吸い込む、つつく、かじり取る、丸呑みにするなどいろんな方法でエサ(ご飯)を食べていて、それぞれに最適な口の形に進化しているのだ。11月26日、まずは眼の前おかれた魚、ホウボウの口を見ていろいろ考えてみたい。
コラム

イカの大きさについて

昔、釣り雑誌と関わっていたとき、たぶん読者の方から、「スミイカの11cmはありえないでしょう?」というメールをもらったことがある。その方が釣った東京湾のスミイカのサイズは総て30cm近いとして、写真も添付してあった。それもそのはず、触腕をわざわざピンと伸ばして測っていたのだ。触腕は小魚などに狙いをつけて急激に突き出して吸いつき取るためのもの、例えて言えばウミンチュの水中銃のようなもの。このような特殊な腕まで加えるとイカの長さは、やたらに長くなる。ときどき底曳き網などにシシイカという貝殻(甲)のあるイカが入るが、これなど第2腕(目のある方を正面に向け、いちばん前の小さな2本の第1腕の両脇の腕)が信じられないくらいに長い。軟体類学者・頭足類(イカやタコ)の父といってもいい佐々木望(まどか 1883〜1927年)はこの長い腕を歌舞伎連獅子の髪の毛と見立てて「獅子烏賊」と名付けたのだと思っている。これなど胴(刺身にする部分)の4倍の長さの足が生えていることになり、小さいイカなのに全長で測ると35cmくらいになる。見た目の大きさは全長では表せない。
ズワイガニ雌
コラム

やっと今季初、セコガニ

今年は何もかもが遅れている。自然界もそうだが、自分自身も季節に置いて行かれている気がする。立冬過ぎに買うはずが、11月20日にやっとセコガニが買えた。ズワイガニの雌を日本海各地で、コウバコガニ(香箱ガニ)、コッペガニ、オヤガニ、メスガニなどと呼ぶ。今回のものは兵庫県但馬新温泉町浜坂で揚がったものなのでセコガニだ。今夏、噴火湾のオオズワイガニ豊漁で、本場日本海のズワイガニがやってきてもどことなく気持ちが乗らなかったという感じだったが、11月のズワイガニ漁解禁は日本海に冬を告げるといった感があっていい。季節を待つ大切さは年々忘れ去られようとしている。自然破壊をしても周年うまいものを食いたい、というのが今どきの主流だが、たまには待てをしてもいいのではないか。ちなみに決して豊かではない我が家の財政からすると、今年中は雌ガニで我慢して、来年春に値が下がってから松葉カニ(雄ガニ)を買うつもりである。
ホタテガイ
コラム

酔狂で買う、問題ありの殻ホ

久しぶりに付着物たっぷりなホタテが荷に混ざっていた。めったにないことなので、欣喜雀躍、わざわざ買うのは生き物好きの性というものだ。昔はアズマニシキがついているのなど当たり前、キヌマトイガイやフジツボ類、環形動物がはいはいしている、などにぎやかなホタテがうんと入荷してきていて、市場通いの楽しみのひとつだったのだ。ときどきこんなものが来て欲しいとは思うが、産地の人の努力からすると失礼かも知れぬ。
トクビレ
コラム

今秋の初八角でいろいろ

今では高級魚として、プロの間では認知されている八角(トクビレ)も1990年前後くらいまでは、だれも知らないといった魚だった。もちろん今でも一般的な知名度は極めて低い。ちなみにプロでも標準和名のトクビレを知っている人は少なく、関東ではもっぱら八角(ハッカク)で売られている。本種は広い意味でのカジカの仲間であると言っても、カジカ自体が超がつくほどマイナーなので、無意味だろう。トクビレ科は北太平洋・太平洋にいる体長50cm前後の魚で、特徴は鱗が硬い板状になり、棘が無数にあり、細長いことだ。背鰭・臀鰭の大きい雄など正面から見ると怪鳥そのもので、見た目は不気味だが、脂が豊かで最近の嗜好に合致している。一度食べたら病みつきになる、そんな味の魚でもある。種としてのトクビレを知ったのは学生時代だが、食用魚として認知したのは1978年の『北の魚歳時記』(達本外喜治 北海道新聞社)によってだ。昔は漁で揚がっても廃棄されていた。著者は大正2年(1913)生まれで生家は魚屋だった。本種は売れない魚のひとつで、子供の頃から食べていたともあるので、細々とは食用になっていたのだと思う。本書の出た1970年代後半に、酒亭で本種が食べられるようになり、軍艦焼きも登場していたとある。1980年年代後半に築地場内で手に入れたときは、まさか都内で食用として売られているとは思わなかったので、飛び上がって喜んだ記憶がある。こう言った点では東京市場築地(現豊洲)は早いのである。流通するトクビレ科は基本的にトクビレだけで、後はイヌゴチとサブロウが流通するが非常に希である。基本的にはトクビレ科唯一の食用魚だ。ただしイヌゴチ、サブロウはとてもおいしい魚だ、ということもお忘れなく。
宮城県産生食剥きガキ
コラム

寒くなるとカキだなと感じるボクがいる

八王子の市場には広島県産、宮城県産、岩手県産の剥きガキが並ぶ。今年もやっとカキの季節が来たのだと感じる。たぶん東京都豊洲市場に行けばもっとたくさんの産地の剥きガキ、殻ガキが並んでいるに違いない。最近では三倍体のマガキがあり年がら年中生ガキが食べられるし、冷凍物もある。なんならオーストラリアあたりからの輸入ものもある。ただ高度成長期の始まりに生まれたボクは、寒い時季だからこそマガキを食べたい。水産と関わりのないボクだからこそ言えること、摂氏40度近い外気温の日にマガキは食いたくない。三倍体の水産生物は例えばアメリカのドナルドソンニジマスが現在の海水養殖ニジマスのはしりであり、世の中に出回るみんな大好きなサーモンも人工的に作り出されたものだったりする。できるだけ人工的なもの、養殖されたものを取りあげないのがボクの厳密な範囲感なので、是非は問わないが、歓迎もしない。
ボラの幽門部
コラム

晩秋かと思ったら冬到来、今季初へそでへそ焼きを作る

11月13日から11月19日の1週間で食べた、水産生物のなかでもっとも印象深かった、ウマスギをば。今回は非常に地味ものとあいなる。秋になると日本各地でボラ漁が始まる。お目当てはボラ自体ではなく卵巣である。唐墨を作るためにとるボラだが、このボラサイズ、トドサイズのボラは非常に脂が乗っていておいしいのである。ボクはこの本体の行方が気になって仕方がない。昔、相模湾平塚などでは産卵個体をとる刺網があり、本体は安く買えたが、今はどうなんだろう。高度成長期以来、売れない魚の代表的なボラではあるが、江戸時代など上物でもありながら、庶民にも手が届くものでもあり、老若男女に好まれて引っ張りだこだった。今や、秋から初春にかけての産卵回遊する個体をとる専門の漁はあるが、周年日本周辺を泳いでいる近所のボラをとろうなんて人はいないはずである。昔は千葉県浦安の沖合いで養殖まで行われていたのに、今では東京都内では水路を群れ泳ぐ謎の魚とかしている。東京都中央区日本橋から日本橋川を泳ぐボラを見る大勢の人の何人ぐらいが、この魚を食べたことがあるのか、と思ったことがあるが、まずいないと思う。さて、秋になると卵巣、白子、ときどき「へそ(臼/うすとも)」が市場にやってくる。残念ではあるが本体はまったく姿を見せない。さて、八王子総合卸売センター、福泉にボラの「へそ」がやってきていた。唐墨材料である卵巣にも秋を感じるが、副産物である「へそ」にだって秋、もしくは冬近しを感じる。
カイワリ
コラム

カイワリは鉄板うまい

知り合いに趣味は競馬・競輪・競艇という人がいる。ときどき「テッパン」とという言語を使う。レースの予想に関することで、確実にとれる、という意味らしい。「鉄板」は女性誌でもよく使われる言語である。「鉄板コーデ」などという使われ方をするが、隙のない完璧なコーディネートという意味だ。「テッパン」、「鉄板」は確実に、手堅い、外れようがない、という意味だ。それでは魚界の鉄板的存在とはなにか? カイワリではないだろうか? 他の魚はどんなに高い魚でも大小や、季節や漁獲方法によって当たり外れはある。その点、カイワリは絶対に存在しないとされる4割バッターのような、特殊な存在ではないかと思う。手のひらサイズでもいい味をしているし、かなりいじめ抜いた漁獲方法で揚げてもそこそこにおいしいし、季節による変化もさほど大きくない。ちなみに海水魚の勉強は学生時代で、図鑑を丸暗記することから始めたので、個々の魚に関してはなにも知らなかった。初めて本種のことを心に明記したのは、下世話な話だけど、大橋巨泉のイレブンフィッシングでの、「こんなにうまい魚はない」だった。大橋巨泉は伊東に住んでいたこともあって、本種をよく知っていたのだと思う。アジ科の中では珍しく浅場に来るのは稚魚期くらいで、成魚は沖合いの水深100m前後にいる。近所の鮹さん(岩崎薫さん)が通っているのは相模湾をのぞむ伊豆半島東岸の漁港であり、当たり前だけど釣り場は相模湾である。いつもは本命ではなく、あまり人気のない、釣り人をして外道とされる魚を分けてもらうのだけど、カイワリだけは本命ながらいただくことが多い。今回もいろいろ持って来てくれたなかに、カイワリが入っていたので、思わず頬が緩む。うれしいが顔に出ていた気がする。同じカイワリながら、とりわけ相模湾のカイワリは特別うまい気がする。特に蛸さんの持って来てくれるカイワリは釣って半日以下なので、鮮度の問題もあって抜群にうまい。ちなみにカイワリの競り値が国内でいちばん高いのも小田原魚市場をはじめとする相模湾周辺である。今回の個体は全長22cm・重さ200gである。カイワリはこれで大人である。
コラム

いい春菊を見つけたのでアオリの耳和え

今年は魚が少ない上に、それ以上に野菜がダメだ。いい野菜を手に入れるための切り札的な存在、直売所に行っても、これぞという野菜にはお目にかかれない。特にダメなのがねぎを含めた葉物だ。水耕栽培であるはずの芹だっていいものは高い。香りのある葉物が好きなので、八百屋の店先で妥協に妥協をして、それでも納得がいかないので、ぼーっとつっ立っていることが多い。そんな中、八王子総合卸売センター、八百角の社長が「今日の春菊いいですよ」と声をかけてきた。ボク好みの大葉ではなく中葉だが、確かに上物である。葉に厚みがり、葉の表面に微小な粒立ちが見てとれる。
コラム

アオリイカのげそ天はすごくうまい。

スルメイカと比べると昔は遙かに高かったアオリイカが、スルメイカの高騰で安く感じる。近年、ツツイカ4種であるヤリイカ、スルメイカ、ケンサキイカ、アオリイカが並ぶという不思議な光景が見られるが、極端な値段の差がみられない。あえて挙げると近年、ヤリイカがいちばん少なく、値も安定的に高い気がする。さて、アオリイカの水揚げが多くなり、取り分けやすい時季でもあるため、刺身は当然のこと、煮つけにしたり和え物にしたり、揚げてみたりしている。数日ごとに買っているので、一部冷凍保存しているが、揚げ物にするなら冷凍した方が味はともかく、間違いなく揚げやすい。げそは流水解凍して、頭部に切れ目を入れて、足(腕)にもとんとんと切れ目を入れる。それでも油はねが恐いなら軽く湯引きするといい。水分をよくきり、小麦粉をまぶし、硬めの衣をつけて中温で揚げる。終いに煙が出るほどの高温にまで高めて揚げきる。(念のためにここまで油温度は高温にしなくてもいい)イカ類のいいところは冷凍してもあまり劣化しないことだ。ちょっとだけ何か欲しいときにすぐに使える。しかもアオリイカの「げそ天」はイカ類ならではアデノシン一リン酸や各種アミノ酸からくる甘味が豊かである。柔らかくほくほくとして、ちゃんとイカらしい風味もある。このウマスギのげそ天は1尾分ではもの足りなくなるほどだ。これでノンアルコールビールは味気ないけど、そろそろアルコール解禁といきますかてな気持ちになる。
コラム

11月初旬、気仙沼の小ムツは旬を迎えている

宮城県気仙沼市、菅原宏志さんから小ムツ(若い個体で、体長19〜22cm ・140g前後)を送って頂く。気仙沼の小型の小ムツは非常に興味深く、気になる点がいっぱいある。まずは気仙沼小ムツ探求の第一歩である。返す返すも菅原宏志さんと定置網のみなさんに感謝します。重要な部分の計測をして、写真をとったら、博物館ではない我が家は、速やかに食べる。だいたい見るからにうまそうな個体たちである。ムツという魚の特徴は骨があまり硬くなく、しかもスズキ亜目という進化した魚類なので小骨がない。小さくても脂があり、筋肉に水分が少ない。若い固体では、アジ科のマアジに似た市場価値を持っているが、漁獲量は遙かに少なく、ある意味、レア(嫌いな言葉だが)である。ちなみに宮城県ではロクノウオという。これは江戸時代に伊達家代々が陸奥守(陸奥国で陸奥守というのは中世・近代史では非常に重要なのだ)であったことから憚かり、ムツ(六)とは呼ばず、六の魚としたためだという。明らかに作り話だが、作者は非常に優秀である。さて、小ムツだが、小ムツとしては大きめである。ムツは東シナ海あたりで産卵し、稚魚は海流にのって北上、日本各地で稚魚期・若魚期を送る。気仙沼周辺にいる小ムツはじょじょに深場に移動するはずだが、何処に行くのだろう。相模湾あたりまで南下するのだろうか?
タキベラの横顔
コラム

タキベラがなぜタキベラなのか、知っていますか?

淡水魚からはじめて海水魚にまで勉強の範囲を広げたとき、まず気になったのは魚名である。1970年代の末、東京都千代田区神保町で、彼の渋沢栄一の孫で、民俗学・魚類学の世界では祖父以上に偉大な渋沢敬三の『日本魚名集覧』というのを立ち読みしては、呼び名・標準和名の不思議に魅了される。ボクは王道的な知識よりも脇道の方に惹かれがちである。ちなみに生物の名は3種ある。一、学名(世界共通の名でラテン語表記)二、標準和名(国内で便宜的に決めたもので、特に魚類学も含めた生物学では必ず使わなければならないとするもので当然、日本語)三、地方名(日本各地で使われているもので、その地での魚に対する考え方や価値観が込められている)がある。時々、標準和名について正しい名とかいう人がいるが大間違いである。生物の名に正否はない。図鑑1冊を丸暗記することから始めたとき、真っ先に頭に収納できたのがタキベラである。なにしろ見た目がド派手だし、キャプションを読むと大きな魚らしいとくる。ちなみに数年後、いざ手にすると、ド派手な魚だとわかっていながら現物のファンキーさにビックリしたし、食べたらとてもおいしかったので、その姿と味のギャップにもビックリした。でもどうしても、なぜタキベラなのかはわからなかった。比較的生活環(一生)での生息範囲の狭い魚で、生まれた海域で一生を過ごし、国内では安定的に水温の高い海域にしかいない。2010年になって増えた沖縄の高級魚、アカジンミーバイ(スジアラ)は例えば伊豆諸島海域や紀伊半島にはいなかったが、今や明らかに北上して定着している。対するにもともと伊豆諸島で極めて普通であるタキベラはほとんど生息域が変わらないため、本来沖縄の魚だったスジアラにより北に生息域を広げられてしまいそうである。明治時代、動物学者(明治時代前半にはまだ動物学は分野化されていなかった。魚類学が独立するのは明治時代後期からだ)は日本中の動物の呼び名を集めることから、動物学の第一歩を踏み出す。呼び名がない物質(生物・動物)は存在しないためである。特に魚は相模湾周辺と日本橋魚河岸で呼び名を集め、そこから標準和名を決めた。
コラム

アオリイカはイカ界の絶対的な王だったんだけど……

八王子総合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウのところで島根県産アオリイカを買う。春に生まれたアオリイカが秋になると漁獲可能なサイズに成長する。この時季、たくさんとれる。このサイズを好むすし職人もいるくらいで、秋に取れるので秋イカという。全国的にみてもいちばん漁のある時を迎えている。当然、釣り物ではなく定置網ものなのでキロ単価も安い。それにしてもスルメイカ下氷が1ぱい500円のとなりに200gで500円のアオリがあると市場価格が近づいてきたな、と思ってしまう。このままスルメイカの不漁が続けば、値段では、下剋上なんてことになりそうである。昔は4倍以上の開きがあったので、相撲に例えるならアオリイカ=横綱とスルメイカ=十両くらいの開きだったのである。この十両が実力(?)をつけて関脇・小結になってきている。もちろん好みもあるので一概には言えないが、台頭著しいとはいっても刺身では、段違いにスルメよりもうまいと、あくまでも個人的には思っている。刺身用なら、値段が1.5倍まではいかないのなら、胴(外套膜)の大きいアオリを選んだ方が得だというのもある。しかも眼の前にあるのは島根県島根半島、笠浦漁港の定置網で揚がったものだ。最近、なぜかしら島根が恋しいので、ついつい島根産に手が伸びる。
サンマ
コラム

11月なのに、12入りサンマの塩焼きに、やっと秋の気配を感じる

10月後半から11月初めの今日まで、3日を置かずサンマの塩焼きを食べている。刺身よりも塩焼きが無性に矢鱈に食いたいから食うというか、サンマの塩焼きは麻薬のようだ、とまでも感じている。サンマの塩焼きのおいしさはその直球的な味に、ほどよい渋味と、例えばウニの味のような硫黄分(?)からくる玄妙な味わいが加わることだと思う。そのくせ後口がいいのである。やたらにご飯に合うところも、酒断ちの日には持って来いだ。
ツキヒガイ
コラム

刺身用二枚貝ではトップに君臨するツキヒガイ

鹿児島県鹿児島市、田中水産さんにいろいろ送って頂いた中に、ツキヒガイがあった。ツキヒガイはホタテガイと同じイタヤガイ科の二枚貝である。イタヤガイ科の二枚貝は世界中で食べられている。国内ではホタテガイがいちばん多く、次いでアズマニシキの三陸型であるアカザラガイ、純粋なアズマニシキ、イタヤガイと本種である。この5種の中ではイタヤガイと本種がおっつかっつでいちばんうま味が豊かだと思っている。ホタテガイは貝柱が大きいために味のボリュームが大きいのであって、同じサイズを食べるとこの2種よりも落ちる。本種は一時島根県周辺でも盛んにとれていた、と思ったら激減したりと安定感に欠ける。唯一安定的にとれているのが鹿児島県である。鹿児島県の西岸、東シナ海には非常に長い砂浜がある。イタヤガイ科には栄養分豊かでいながら汚染されていない。健全な海岸線がなければ生育出来ない。この健全な海で育ったからこそ、のうまさかも知れぬ。
伊勢市産バイ
コラム

バイはまず、模様を愛でる

1980年代に築地場内に怖々と足を踏み入れたときに、先ず目についたのが巻き貝類だった。奇妙なことに子供の頃から巻き貝が好きで、アサリに混ざってくるツメタガイや、故郷の水田にいるマルタニシやカワニナなどを採取し貝殻を集めていた。築地場内でも真っ先に巻き貝を採取して、少ない情報の中で同定していた。ちょうど森田誠吾が「魚河岸ものがたり」で直木賞をとる以前、築地で買い物は難易度が高かったのに、巻き貝にじっと見入っている一般人は怪しかっただろうと思う。ちなみにその当時、築地場内にあった主な巻き貝はミミガイ科のアワビ類にトコブシ、サザエ科のサザエ、エゾバイ科の「まつぶ(エゾボラ)」、ヒメエゾボラ、エゾバイ、「白ばい(エッチュウバイ)」、ツバイ、「とうだいつぶ(オオカラフトバイやシライトマキバイ)」、バイ科のバイなどである。日本橋魚河岸時代から築地時代にかけて場内に多かったのが貝屋である。船橋や浦安、佃島から日本橋に進出してきた貝を専門に扱う店で、店頭で二枚貝の「青柳(バカガイ)」やアサリ、アカガイを剥き、巻き貝も常に何種類か並べていた。この貝を主として扱う仲卸が豊洲に移ってから減ってしまっている。たぶん大正時代まで日本橋に魚河岸があったときはもっと遙かにたくさんの貝商があったはずだ。この中で基本的に煮るための巻き貝が小型のバイ(バイガイ)、エゾバイ、ツバイ、若い個体の「白ばい」、大きいのにも関わらずもっぱら煮てしまわれる「とうだいつぶ」などである。これにときどき富山湾などからカガバイが「白ばい」としてきていた。築地で最初に教わったのが、もともとはバイこそが煮るためのの巻き貝で、昔はこれが基本でこれがないと困る店が多かったという話だ。バイはべい独楽の起源とも言われ、江戸時代以前から江戸の街だけではなく、中京、関西、九州でも盛んに食べられていた。これが激減したことがある。船の船底塗装に使われる有機スズによるインポセックス化で雌が雄化して生殖機能をなくしたためためだ。完全にエゾバイや「白ばい」に主役の座を譲ったといった状態になっていた。それが復活してきたのは最近ではないか? 日本海側から黒みがかった個体が大量に来るようになったし、伊勢湾や三河湾、熊本などからも入荷してきている。ボクは貝家(貝の収集家)ではないが、少しだけその収集する気持ちがわかる。鱗翅目(蝶や蛾)の収集家がほんのわずかな羽の色や模様の違い、採取地での変化にこだわるように、巻き貝にも産地ごとの微妙な差があるからだ。バイは国内にはバイとウスイロバイの2種しかいない。小豆の粒のような斑紋があったり、キジの羽に似た斑紋のあるバイは市場に大量に入荷してくるが、ウスイロバイは長年探しているが一向に手に入らない。当然地域差はわからない。バイの模様は南に行くほど多彩になり、種類も増えるが、国内でも日本海のものと太平洋側では模様が違う。鱗翅目の昆虫や飛べない甲虫のように地域差があって楽しい。鹿児島県のものなど臺灣にいるタイワンバイそっくりだったりする。今回の伊勢湾産は日本海産と比べると明るい色合いをしている。
豆腐
コラム

今季初湯豆腐はいりこ醤油で

東京都台東区には昔、40軒の豆腐屋があったという。それが今ではなんと4軒だけに。江東区の老人は(戦前なので1945年以前でしかも戦時体制深まる前)横丁を曲がると、豆腐屋、納豆屋のどっちかがあったともいう。いずれにしても今や都内の豆腐屋は絶滅の危機に瀕している。ちなみに24区内、特に下町の納豆屋は墨田区毛利にあった四ツ目納豆が最後で、絶滅したのではないかと思っている。さて10月27日に台東区稲荷町に『伊勢源』という豆腐屋を見つけて、木綿豆腐を買って今季初湯豆腐を食べた。考えてみると、ほんの20年くらい前まで下町で木綿豆腐というと嫌がられたものだ。ましてや絹ごし豆腐なんて言うと、一昨日来やがれ、と怒鳴られたことすらある。下町で買うのは「豆腐」であって、木綿豆腐とさえ言わなかった。
マンボウの腸
コラム

マン腸の干ものは素直にウマスギ!

自宅軟禁といった1週間だが、多種多様な魚がやってきた。どれもこれも素晴らしい味だったし、超高級魚もあったが、意外にも真夜中にノンアルビールの友とした地味なものが印象に残りすぎたので、これを1週間のトップとしたい。マンボウの腸の干ものである。マンボウは、千葉県外房に通っていたとき、千倉から千田に向かう舗装が一部剥がれているような道路の、道ばたにあった魚屋で初めて買っている。この道路沿いに「マンボウあります」の文字を見ての初マンボウである。腸の干ものはおまけにもらったと記憶している。外房の郷土料理である、肝と身をみそで和えたものと比べると食べやすいというよりも、端的にうまかった。この国道沿いの魚屋がいまや激減している。考えてみるとそのとき、ボクはてっきりマンボウを下手なものというか、珍味のたぐいだと思っていた。それが外房に通う内に身近なもの、普通の食用魚と思えるようになった。一時期、肝の味の虜になったこともある。今回の主役、マンボウの旬は秋から早春にかけてなので、時季のものともいえるだろう。巨大な魚なので流通の場に丸のまま来ることはない。解体しての流通だが、ほんの数年前まで身(筋肉)と肝のセットで入荷してきていた。これが最近では腸ばかりがくる。身と肝よりも保ちがいいのもある。腸は単に炒めても焼いてもうまいが、身と肝は食べ方が限られる。
トラフグの天ぷら
コラム

揚げたて虎天たべて、虎天うどん食べて

トラフグはフグ類唯一といってもいい高級魚である。上物ともなると魚の値段とはとても思えない値がつく。それでも10月、11月はさほど高くなく、師走になるとぐんと急カーブを描いて値を上げる。今こそが虎の買い時なので、トラフグを見つけたら買って食べている。江戸時代から庶民の味方であるショウサイ(フグ)もあるけど、トラフグと並んでいると、阪神タイガースのファンでもないのに、ついつい虎磁石に吸い寄せられる。八王子総合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウはフグ調なのでみがいて(毒の除去)もらえて便利。余談だが、釣りなどで、自分が釣ったフグ類は自分で下ろしている。地方にいって赤目(東京の呼び名でヒガンフグ)やコモンフグがあると、締めてもらって買って帰って自分で磨いている。オススメはしないがドクサバフグなどのフグの同定が完全にできるなら、筋肉だけを食べている限り危険はない。ちなみに、フグ類の多くが皮に毒を持つ、真っ先に捨てるべきなのは鰭と皮である。あくまでもオススメはしないが、なのだけれど。さて、初物ではなく、しかも野締めのトラフグなので料理は融通無碍、食べたいものを作る。やや小振りのものを天ぷらにしてみた。作り方は、三枚に下ろして身をペーパータオルでくるぐるまきにし一晩寝かせて水分を取る。揚げやすい大きさに切り、並べて振り塩をする。水分が出てくるので、拭き取り、小麦粉をまぶす。衣をつけて高温で揚げる。表面はややさくっと香ばしく、まるで鶏肉のように身が締まり、しかも魚らしいうま味がある。禁酒中なのでこれで飯を食ったら、なんと二はい。醤油4・だし2・みりん1の天つゆは辛口でどぼんとつけれれないけれども、とてもうまい。どぼんとつけたかったらだし4・醤油0.5・みりん0.5くらいがいい。我が家は丼つゆ兼用なので濃い。
スケトウダラ
コラム

すけそ子、今季初買い

スケトウダラは知らなくても「たら子」は知っています、は当たり前なのである。これぞ親不知子不知そのものだけど、丸のままのスケトウダラを見たことがある人は非常に少ないのが現状だろう。タラは国民的な魚といってもいいくらい重要であるが、そもそもタラにスケトウダラとマダラの2種いることすら多くの人が知らないと思う。スケトウダラは冷凍食品の「タラのフライ」の材料でもあるし、竹輪や蒲鉾など練り製品の原料でもある。「塩ダラ」とか鍋ものの「たらちり」とかに使うのがマダラである。少しは魚を知る人に限って、単にタラというとマダラを思い浮かべる人が多いので「たら子」をマダラの子と思っている人がいるのも事実である。スケトウダラの卵巣は卵粒(一つ一つの卵の大きさ)が小さくしっとりして味があるので、「塩たら子」や「明太子」などで抜群に人気が高い。対するにマダラの卵巣は卵粒が大きくて、少しパサつく上に1つの卵巣が非常に巨大なのでめったに小売店に並ぶことがない。念のために「たら子」はスケトウダラの子なのだ。タラ科の魚であるスケトウダラは普段は深海にいて、冬の産卵期になると浅場にやってくる。これをもともと日本海新潟県などでもたくさんとっていて、関東に送り出してきていた。これが徐々に北海道産がメインになる。また頭部を落とし、青森県産の真子と白子を抱いたドレスも最近あまり見かけないが、今年は来て欲しいものである。関東でもほんの20年くらい前まで、秋も深まると市場に小山をなすほどのスケソウダラ本体が見られた。当然、本来は副産物であった「たら子(すけ子)」なども消費地である東京で、普通に食べられていたはずだと思っていた。ところが関東の資料を読むと、やっと大正時代末(1920年代)くらいに「たら子」が登場してくる。比較的北国との繋がりが深い関東、特に東京でも「たら子」が身近になるのは昭和になってからかも知れない。スケトウダラ本体と「たら子」の逆転現象が起きた時代は不明である。想像でしかないが、スケトウダラのすり身加工が確立した高度成長(1955-73)期くらいからだと考えている。ちなみに高度成長期終盤に開催された大阪万博で国内の伝統的、かつ貴重な文化的財産が大大的に破壊、破却される。ばかやろう! 万博なのだ。
コラム

今季初のてっちで大満足!

「トラフグの鍋」というと、どことなくしっくりこない。仕事をしていたときは年に一度は下町のフグ専門店でフグを食べていたが、店の隣の部屋が住居という庶民的な造りの割りにはお高くついた。養殖フグは食べないので、東京でうまいトラを食べるともなると、エイヤー! なんて気合いを入れないと暖簾をくぐれなかった。古く、日本橋魚河岸(東京市場)で「まふぐ」と言えばショウサイフグのことだった。「真」はもっとも普通の、その地でもっとも食べられているという意味でもある。たぶん松尾芭蕉の「ふくと(ふぐと)」もこの江戸時代の「まふぐ」だったわけで、敷居の低い庶民的な味でしかなかった。長年東京に高級魚トラフグは不似合いだったといえる。昔、大阪は南の平凡な居酒屋で、「二人前作りましょか?」と「てっちり」が出て来た。確か1人前1500円くらいだったと思うが、最初から値段がわかっているので、銘々1人前追加して、ついでに雑炊まで食ったのが、ボクの「てっちり」の最高峰かも知れない。ちなみに「てっちり」のよいところは他にいろいろ頼まなくても仕上げまで完備されているところで、結局安く飲めたことになる。さて、そんなトラフグ地図が大いに変わりつつある。漁場が北上傾向なのである。昔は玄海灘とか東シナ海とか山陰だったものが、今や三重県、静岡県、神奈川県を通り越して福島県でもたっぷり揚がっている。トラフグはもう西のものではなくなっている。その上、トラフグの相場は関東の方が安いようなのだ。実際このところ、千葉県銚子から安い天然トラフグがやってきている。これが12月の声をきくと味が断然よくなるのはいいとしても、値段もグンと跳ね上がる。庶民の手の届かないものとなる前にトラを食うのが庶民の知恵である。東京ではフグ調理師にみがいてもらわないと、食うことさえ出来ない。なんの意味があるんだこんな馬鹿げたこと、とは思うが仕方がない。八王子総合卸売協同組合、マル幸のクマゴロウがフグ調理師なのでやってもらうが、フグの取り扱いはより実質的に「フグの同定と毒の区別と除去」だけできればいいと思う。行政も漁業の現状を見るくせをつけなよ、といいたい。
ヒレナガハギ
コラム

ヒレナガハギで考えた、サンゴ礁の白身はやはり素揚げだ

熱帯域のバザールで危険を感じつつ地元のオバチャン、オッチャンたちの弁当を見て歩いた。ついでに同じものが売られていたので買ってみる。いくつか買ってみて、得体の知れないものもあったが、おかずの多くが魚の素揚げだった。これをキャッサバとかタロイモなどと一緒にビニールに包んで売っている。熱帯域でも観光地では醤油が売られてるためか、弁当を買うと醤油ベースのたれがついてくる。キャッサバ、タロイモはご飯と比べると味がなく、魚は水洗いがちゃんとしていないので、ところどころ苦くて、オマケに塩気がないなど欠点だらけだったが、じっくり味わいながら食べると捨てがたい味だった。また、アイゴは活け締めにすれば生で食べても矢鱈にうまいが、ニザダイ科は臭味が出るのが早い。取り分けサンゴ礁の小型種は下ろす前から臭いものもある。国内では、あまりとれない魚なので未利用魚としてはそれほど問題にならないが、手にいれたら、できるだけ食べたいので、片っ端から素揚げにしている。今回のヒレナガハギは観賞魚として人気が高い割りに、沖縄の競り場などでは十把一絡げの魚でしかない。同じくニザダイ科の小型種と一緒にトカザー(クスケー)として競られていることが多い。最近、沖縄の方からヒレナガハギは「トカザー(ニザダイ科の小型種の総称)の中でもっとも味がいい魚です」と教わり、再度食べてみたいと考えていた。ちょうどそんなときに鹿児島県鹿児島市、恵水産さんからヒレナガハギの画像が送られてきたのにはビックリした。あまりにもグッドタイミングなので、さっそく送ってもらう。
トラフグ
コラム

トラフグのみそ汁が今季フグ始め

17世紀、江戸の町で松尾芭蕉が食べた「河豚汁(ふくとしる)」はみそ仕立てか塩仕立てなのか? 種はなんだろう? とかいろいろあるが、そんなこととは関係なく、ボクはやたらにフグのみそ汁が好きだ。潮仕立て(塩味)の汁よりもみそがいいと思っている。ただし年齢ごとに替わっているので、どっちでもいいのかも知れない。今、愛知県の赤だし(みそ)にどっぷりはまっているので、今季初トラはトラフグの赤だしみそ汁にする。今季初トラフグは、八王子総合卸売協同組合、マル幸で見つけた銚子産である。のじ(野締めのことで、漁の間に死んだ個体)なのでお買い得である。最近、魚全体の値が上がってきているので安く感じるほどだ。
キアマダイ
コラム

月〜日曜の週間トップ ウマスギ GO! GO! キアマダイのポワレ

鹿児島県鹿児島市、タカスイからキアマダイ1.1kgがやってきた。アマダイ科で1㎏上はおしなべておいしい。過去に外れなしである。余談になるが築地場内が無法地帯のとき、アマダイ科の荷の前で、「白赤黄でなんとかかんとか……」といいながら、「黄はまずい」と家族に大声で話している大バカオヤジがいた。仲卸の店員が嫌な顔をしていたのは真ん中に黄があったためだ。こんなバカに限って㎏上の赤の値段を聞いてくるものの、買いもしない。1㎏1万円と聞き、素人丸出しに驚いたのかも知れない。ちなみに大型の赤と同じく大型の黄は、確かに少し安いものの、そのとき㎏あたり8千円だった。しかもアマダイ類の山の中に黄は1尾だけ。黄が混ざっているだけでも珍しいことから、意外に黄を食べたことのある人はほとんどいないはずなのだ。ちなみに黄を買ったのはボクで、土曜日だったので、思い切り値引きをしていただく。このような典型的バカは分かりやすくて罪がないので、仲卸も追い立てたりはしない。けど世の中、自分が食べてもいないのに、評価を下すバカが多くて困る。どんな食い物も食ってから評価せよ。
コラム

上品な白身なので、メガネハギは魚すきがいい

モンガラカワハギ科であまり大きくならない種類を沖縄では総称してフクルビなどという。今回の主役、メガネハギは本来は熱帯・亜熱帯の魚で、沖縄県を代表的するフクルビである。フクルビはどの種も同じようなところにいるのだろう。沖縄の漁港の競り場に、ツマジロモンガラなどなどとともに小山をなして並んでいる。昔から食用としている地域は沖縄県、鹿児島県の奄美、小笠原くらいだ。本種は東京都島嶼部で見る限り、本来の生息域、小笠原から伊豆諸島に北上してきている。これに困っている人達がいる。釣り師たちである。狙いはシマアジとかウメイロ、アオダイなのに真っ先に落とし込んだ餌にたかるのは、このメガネハギや同じくモンガラカワハギ科のナメモンガラなのだ。釣り師にとってもやっかいだが、普段モンガラカワハギ類など見たことのない料理人は、この硬い皮でぬめぬめしている魚に、もっと困っている。我がサイトでは、このモンガラカワハギ類(亜目)を「皮剥ぎ魚」としてまとめている。鱗を引くのではなく皮を剥くからだ。たとえば同じモンガラカワハギ類(亜目)カワハギ科のカワハギ、ウマズラハギも「皮剥ぎ魚」である。ただ、カワハギ科の魚の皮は剥きやすいが、モンガラカワハギ科の皮を剥くのはたいへんである。力がいる。4、5尾も剥くと頭部に血が上って顔が赤くなってくるほどである。昔、沖縄本島、泡瀬で巨大なゴマモンガラを一気にべりっと剥いている筋肉隆々の若い衆に出会っているが、要するに力がないと大型のモンガラカワハギ類はおろかフクルビすら剥けない。剥いたらそこにあるのはくせのない赤みがかった白身だ。ただ、見た目は悪くないが、身(筋肉)に味がない。おいしく食べるためには工夫がいる。
シバエビはヒゲを持つ
コラム

まだまだ走りだけれど、シバエビで秋の炊き込みご飯

落語、芝浜にもある「芝」とななんだろう? 例えば現港区芝だとする。1590年に徳川家康が江戸入りして、江戸の町をつくるために江戸城近くまで入り込んでいた日比谷入江を埋め立てる。芝という地は入江の東にある江戸前島(島が現在の島と同じ意味になったのは後のことで、半島というか水域に孤立する地という意味合いもあった)の南端あたりで、芝の浜は埋め立て後も小さな漁港であり、多彩な江戸前の魚貝類の水揚げ地でもあった。それでは芝浜についた「芝」とはなにか? 我が家の漢和辞典すべてをみてもよくわからないし、語源辞典でも地名辞典でもよくわからない。まったくの個人的意見ではあるが「小」と同じ意味ではないかと考えている。下関などで「しばだい」はマダイ・キダイなどでも小型のことだし、老人が山に刈りに行く「柴」は漢字は違えど、「芝」同様「小」枝のこと。芝生も丈の短い「小」草のことだ。 『本草綱目啓蒙』(江戸時代後期)をみてもシバエビは東都芝に多産するから「芝えび」だが、芝浜自体が日本橋魚河岸などと比べるとローカルな小さな浜で、小さな浜で揚がる小さなエビという意味と考える方がいい。となると現在のクルマエビ科のシバエビだけではなく、テナガエビ科なども含む河口域で大量に揚がった小さなエビの総称とすべきかも。いきなり横道にそれたが、語源はともかくシバエビの入荷が本格化している。八王子総合卸売協同組合、マル幸にも佐賀県産がやってきていた。長いヒゲに指をからめて今季初シバエビ買いをする。
北海道産イワシ
コラム

やたら新しい北海道産マイワシで「鰯丼」

北海道産マイワシがどの仲卸にも置かれていて、どれもずばぬけた鮮度で、鱗がびっしりついている。八王子総合卸売協同組合、マル幸で厚岸産であることを確認して水氷に手を入れると、中羽ぎりぎりで小振りである。2、3尾手に取ると、かちかちに硬くてぬめぬめした感触だった。まさに、これを買わないでどうする、といったものだった。ちなみにこの秋に取れる小振りのマイワシが好きだ。このサイズを和歌山県では「白いわし」という。別に和歌山県だけではなく、愛知県でも千葉県でも同じサイズが揚がるが、このサイズで、脂の乗った個体はすこぶるうまい。ちなみに鰯(マイワシ)は秋の季語である。季語ではあってもあくまでも江戸時代の関東での話であって、俳句という非常に閉鎖的な文学の中での話でしかない。実際、マイワシは季語にならない。こんなところが秉五郎さんびいきになるゆえんである。
塩蔵タラ
コラム

料理名は煮だら、ゆでだら、などなど

ゆでただけのマダラ(鱈)を初めて食べたのは日本橋大伝馬町でアルバイトをしていたとき、神田駅近くの居酒屋で、だ。「ゆでだら」と言っていた気がするが、はっきりしない。同様の料理の名を知っている人がいたら教えて頂きたい。初食いといったが、記憶があまりにもあいまいなので、なんども違うことを書いている気がして不安になる。当時、よく神田駅周辺で酒を飲んでいたが高架下の店と、アルバイト先の社員さんのオネエサンのやっていた店で何度か食べている。その前にも食べた記憶がある。最近、めったにこれを出す居酒屋はないそうだけど、当時は当たり前過ぎる居酒屋メニューだったのかも。ちなみに京都市内の居酒屋でも食べているが、マダラの切り身以外にも水菜、干し湯葉(?)などが添えられていて、少しオシャレ過ぎるものだった。関西以西では京都でしか食べていないが、この点でも調べる余地がある。マダラは日本海と茨城県以北に生息している大型の魚だ。考古学的には古代から食べられていたが、歴史的に見る限り室町時代以降に文字として登場してくる。産卵期は浅場に上がってくるが、それでも100m以深にいる。この深さの魚は中世になり、漁法の向上からとることが出来たのかも知れない。ちなみに「たら」という言語は明治時代の初めに日本橋魚河岸で使われていたもので、「真(ま)」は魚河岸の人間と魚河岸を利用していた人達が、スケトウダラなどと区別するためにつけたのだろう。国内のタラ科はスケトウダラとマダラの2種だが、東京の鮮魚はマダラが主流である。スケトウダラの生はほんの20年くらい前までは盛んに東京にも来ていた。それが近年急激に減少している。そして東京で鮮魚と同じくらい流通量があるのが「塩蔵タラ(ぶわたら)」である。ちなみにマダラの流通の歴史は室町時代にまでたどれとしたが、基本的に乾物(棒だら)であった。それが塩蔵タラでも流通するようになり、氷が作れるようになると鮮魚でも流通することになったのだと考えている。今回の「ゆでだら」は「塩蔵タラ(ぶわたら)」で作った。三枚に下ろして塩漬けにしたもの。古くは国内で水揚げされたもので作られていたが、近年ではほぼ総てがアメリカやロシアからの輸入されたものを原材料としている。当然、今回の「塩蔵タラ」も原材料はアメリカアラスカ産である。余談になるが、「塩蔵タラ」は魚の初心者にはもってこいの食材である。最近では塩分が低いのでこのままフライにしてもいいし、ソテーして朝ご飯に食べてもいい。魚を食べない人の多くが最初の一歩が踏み出せないはず。そんなときには、とりあえず「塩蔵タラ」をチョイスしてみて欲しい。
コラム

小ヤリもそろそろ終わりかなと思いながら、昭和も遠くなりにけり

ボクは若い女性にはモテないけど、老人というか、80歳以上のバアチャンにはモテる。昨日朝、お見舞いやろうか、と90歳プラスのバアチャンからケータイがはいった。その夫のそろそろ90歳の友人に「今車の運転はできないのよ」、と言うとひ孫が、欲しかった小説と専門書と貼り薬と、ナッツと野菜と意味不明の小ヤリを持って来てくれた。小ヤリはいらないとも言えないので、ありがたくいただく。小ヤリはバアチャンが近所の高級スーパーで買った半分だそうである。第二次世界大戦の経験者は過剰にお節介焼きだけど、そこがとても魅力的だと思う。本日、バアチャンよりも年下の黒柳徹子のインタビューを見ていたが、昭和一桁世代は苦労人というか、物事の本質を知っている気がする。頭がクラクラするので、小ヤリでアヒージョを作る。ざざっと洗って、水分をきるだけで小ヤリの下ごしらえは終了。大量のにんにくに、自分で作った塩ドライトマトをほんの少々刻み、たっぷりのオリーブオイルを入れた中に小ヤリを放り込んで塩コショウ。後は火にかけるだけ。乾ききったかちかちバゲットを水に浸してもどし、焼き直して、これで遅い昼ご飯にする。酒は飲めないので、アイスティーとアヒージョと、もどしバゲットで、遅い朝ご飯にしたが、やたらにウマシ。90歳と何年か知らないけど、ボクの母親と同じ世代である。まだまだ長生きして欲しいものだ。
コラム

庶民的な庶民のためのニクモチガレイ

世にお魚マイスターとか野菜ソムリエなどという言葉があるが、だたのカルチャーセンターのようなものかも知れないが、この言語を正しく使わないところが非常に嫌いである。マイスターは靴とか楽器とかもの作りにだけ使うものだし、ソムリエはワインとかその周辺の種類にだけ使うべきである。別にカルチャーセンターに通うのはいいにしても、小説のカルチャーセンターに行っても小説家にはなれない。要するにヒントのようなものが与えられるだけで、こんなもので本当のマイスターとかソムリエとかになれるわけがない。最低限自称してはいけない。ちなみに知識とか利用法の探求とかで、国内には水産物の分野で「物作りのマイスター」に例えるような深い知識を持っている人間はひとりもいない。それぞれの分野のプロはいる。ただ、魚屋は魚屋のプロだけど、水産物の知識はさほどなくても、商売上手ならなれる。漁師は漁のプロではあるが魚をおしなべて知っているわけではない。ただ、魚屋のプロは今現在確実にいるし、漁師のプロもいる。大問題は利用する側(消費者)のプロがいないのだ。さて、どうしてこんな話をするかというと、過去にこの手のカルチャー的な仕事に関わったことがあるからだ。その人達は目が見えていないのに絵を平気で語るかのごとき人間たちだった。例えばこの手のカルチャーなことをやらかす会社などは、水産の基本は知らず、奇をてらったものばかりを追う。水産の世界は「もっとも平凡な、もっとも日常的な水産物を知ることから始めなければいけない」のにそれをしない。今、もっとも知って置かなければならない水産物、例えば魚ならば、古くから食べられていたサメ類とか、カレイ類とか、イワシ類とかとかだし、今現在もっとも安くて庶民的な水産物だ。平凡を知らずして奇を追うことなかれ。
クロマグロの中落ち
コラム

市場でマグロ解体中なら中落ちないか? と聞いてみるべし

市場のマグロ屋のいいところは日常的にマグロを解体していることだろう。あくまでもボク個人だけの話だが「マグロの解体ショー」など、●●気をもようすほど嫌いである。まあもともとボクはやさぐれ、イベント・祭嫌い、なのでボクだけの話ではある。秋田県のとある町で街歩きをしたいので古い町並みのあるところを教えてと言ったら、その町の花火大会の話をし始めた観光課の女子がいて、心の中でこのバカ女子を射殺したくなったくらいハレ話は大嫌い。背中を嫌悪感が這い上がって死にそうになったこともある。そんなボクなので解体ショーをやっている人は気にしないで欲しい。マグロは日常の中で何気なく買うからいいのだ。その点、市場はいい。マグロ屋を冷やかして、いいのがあったら気軽に買って、自宅で普通に食えばいい。食はイベントとはちゃう。八王子総合卸売協同組合、マル幸で青森県産の本マグロ(クロマグロ)を下ろしていた。ちょうど中骨を片身からちょんちょんと包丁を当てて半身から外していた。「ちょっとだけおくれ。あのさ、あのさ、退院したばっかりだから退院祝いに安くしてよ」というと本当に安くしてくれた。ありがとうクマゴロウ!
ニセタカサゴ
コラム

相模湾の若いニセタカサゴを干ものに!

静岡県熱海市、宇田勝さんに網代漁港の魚をいろいろ送って頂いた。ニセタカサゴの若魚が混ざっていた。相模湾では北部でも普通に揚がるもので、まとまらないので未利用魚である。相模湾には古くから本種がとれていて、「たかさご」という呼び名も本来は本種に対するものなのである。この正真正銘、「たかさご」と呼ばれていた魚に「偽(にせ)」がつくようになったわけがだんだん判明してきたが、わからないことも多い。さて、この若い個体は非常に身が締まっていて、うまそうなのである。今回は撮影が立て込んでいたのもあり、刺身にしなかったことが残念ですらある。
マテガイ
コラム

あったら買うしかない、マテガイ

八王子総合卸売センター、福泉に熊本県産マテガイがあった。産地もとる漁師もいなくなって、とても入荷が不安定なので、見つけるとつい手が出てしまう。国内で流通するマテガイ類はマテガイ、オオマテガイ、アカマテガイの3種で、そのどれもが入荷量はごく少なく、手に入れるのが難しくなってきている。最近では国内産マテガイがとれなくなりマテガイモドキ属のジャックナイフガイや、パキスタン産の和名のないマテガイまでやって来ている。新橋の居酒屋でマテガイとは似ても似つかないパキスタン産のマテガイが、堂々、マテガイとだけ書かれて品書きに載っていた。写真通りのパキスタンものがやってくるのかどうか、好奇心から思わずたのんでしまったこともある。マテガイは干潟の泥と非常に細かな砂が混じり合ったようなところに生息している。東京湾に自然の海岸線はほとんど残っていないが、残っている海辺には今でもたくさん生きている。千葉県木更津市の干潟で引き潮の時間が終わって塩が満ちてくるとき、あっちにもこっちにもじょじょに貝殻が出てくるのを無心になって引っ張りとったのが懐かしい。ちなみに引き潮のときに塩を振ってとるのも楽しいけど、満ちてきたときに「満ちてきたぞ、満ちてきたぞ、わーいわい」といいながら出てくるマテガイをとる方が好きだ。
ミナミハタンポ
コラム

相模湾のミナミハタンポでやるオリオンビール

静岡県熱海市、宇田勝さんに網代の魚をいろいろ送って頂いた。中にハタンポが入っていて、検索してミナミハタンポにいきついた。ハタンポは魚類検索ではわからないこと、わからない種が多く至難である。無意識にハタンポを避けていたところにいいきっかけを頂いた。まずはお礼を。相模湾にいるハタンポでいちばん多いのはミナミハタンポだと思っている。次いで元標準和名がハタンポであったツマグロハタンポ。ミエハタンポらしい画像もあるが、自信がないので後々確認していきたい。これが駿河湾以南だと何が何だかわからなくなる。問題は小枝圭太さんの研究によるダイトウハタンポ、ユメハタンポ、ボニンハタンポ、キビレハタンポなど新登場のハタンポたちである。ただでさえ混沌としているのに、もっと遙かに複雑になりそうで恐い。ボクはこれをハタンポ応仁の乱と呼ぶことにする。閑話休題。さて、ハタンポはとても味がいい。四国や九州、沖縄県では歴とした食用魚で、漁師さんなどで絶賛する人が多い。相模湾周辺では、ほぼ未利用魚であるため、一生懸命拾っているのはボクくらいかも知れない。そして拾うたびに同定で苦しむ。来週辺り網代にうかがいたいと思っているので、目的はハタンポとしてもいいくらいだ。さて、ミナミハタンポは水揚げされるとみな同級生ばかりだと思っている。大小がないのである。
コラム

越前町産甘エビ、思った以上に鮮度よし

最近、古いノートをワープロで打ち込んだテキストをときどき見ている。もともと大して打ち込んでいないし、少ししか変換していないが、初甘エビ(ホッコクアカエビ)は高校二年生のとき銀座で、だ。なぜこのとき東京にいたのかは、あまりにも恥ずかしいので言えない。女性誌に「とても珍しいエビが食べられると載っていたので、その店を選んだ」と家族に言われている。甘エビは1970年代、東京で一般的には非常に珍しいエビで、1980年代になってやっと知られ始めた、新しいエビだったと考えている。それまでクルマエビを筆頭に、大正えび(タイショウエビ)、シバエビ、サクラエビ、イセエビ(以下は省略)などが国内を代表するエビで、これらはみな浅場でとれるエビたちである。ここに新たに登場した甘エビは水深300m以上の深海に生息している。当然、動力船以前(帆や櫂でこいで船を走らせていたとき)、また化学繊維以前にとるのは大変だった。タラバガニやズワイガニがたまたまとれて知られていた時代に同じ程度に知られていたエビだ。ちなみに甘エビの科・属名であるタラバエビのタラバは、マダラがいるくらいに深い場所(鱈場)にいるエビという意味がある。これが動力船になり、化学繊維の網やカゴができると漁業対象になる。日本海で「トンエビ」というのは、とれると何トンもとれるためである。さすがに今では漁獲量は激減しているものの、それなりの金額を出せば国内でとれたものが手に入る。ちなみに甘エビは2種類のエビの総称である。アイスランドやカナダ、グリーンランドなど大西洋北部からくるホンホッコクアカエビ(国内産と同種だと思われていた)も甘エビとして海鮮丼などに盛んに使われ、またスーパーにも並んでいる。この海鮮丼などに使われている甘エビは冷凍ものである。冷凍と完全なる生との味の違いは少なくない。甘エビ(ホッコクアカエビ)は島根県以北の日本海、北海道以北の深海にいる。国産以上にロシアなどからの冷凍輸入ものもあり、流通の全体量は非常に多い。海鮮丼に甘エビが入っていて、「贅沢だ」などと思っていると、実は大西洋産やロシア産の冷凍品だったりする。冷凍エビはとても儲かる商材なのだ。
小カツオ
コラム

カツオの生節を作るのなんて超簡単!

八王子総合卸売協同組合、マル幸で10月2日に買った神奈川県佐島産小ガツオ(全長43.5cm・1.341kg)は半身を「生節」にした。「煮節」、「ゆで節」、「いで節」、「生利節」ともいう。スーパーなどにも普通に置かれているが、関東では食品棚の隅っこが定番位置、といったもので、まだ一度も食べたことがない人も多いのではないか。そのまま食べてもいいし、甘辛く煮てもおいしい。鮮魚と比べると下ごしらえ不要なので、忙しいときなどにもっと活用して欲しいものである。「生節」とはなにか? カツオはとても「足の速い魚」である。今現在、カツオは一般流通(加工品流通ではなく)では鮮魚か冷凍が普通だ。これは冷蔵技術・輸送技術が向上したためで、鮮魚が多く出回るようになったのは、1950年代になってからだと考えている。それじゃ、江戸時代後期、江戸っ子が小判3両出してでも買っていたカツオはどうなんだ、となる。初カツオが生か、生に近い形で食べられたのは、大消費地である江戸の町と産地である相州(神奈川県相模湾周辺)、上総(房総半島)が近かったのもあるし、また江戸が国内でも随一のお金持ちの町でもあったためだ。江戸時代は歴史的に見ても寒冷な時代だったとされている。それでも旧暦の4月・5月(新暦の5月下旬から7月初旬)に相州・上総で揚がった初ガツオを、生で食べられる状態で江戸の町まで運ぶのはとても大変だった。それを可能にしたのは人力(人足)である。船にしても、陸路にしても漕ぎ手を増やし、大人数で野山を駆けて運んだに違いない。カツオの代金には、このたくさんの人力のための代金(運送料)が入っていたのだ。たぶんだけどこれだけお金をかけても当たる人はいたはずだ。
コラム

クロサバフグの剥きフグは便利でウマシ!

ネット上でもテレビでもそうだけど毒魚という言語がたびたび使われている。昔、テレビで内臓に毒を持っている魚だと聞いて、触るのも危険みたいなリアクションをする芸人がいて、それをそのまま放映していた。これなど愚かなDが愚かなリアクション芸人に、非科学的なリアクションさせているだけではあるが、笑っていられない不気味さを感じる。アニサキスにかかって大げさなことを言って、マスコミでの露出を喜ぶげすタレントに似ていて、まことに薄汚い。例えばフグ毒、純粋なテトロドトキシンの毒性は高いが、フグが純粋なテトロドトキシンを持っているわけではないのだ。フグ毒にはMU(マウスユニット)という、人にどれくらいの毒性を与えるのかの、数値が存在する。だから筋肉に毒を持つショウサイフグだって食用可なのである。ちりめんにほんの数グラムのフグの稚魚が混入しただけで、食糧不足の現代にあっても回収っさせるなんてことを非常に愚かな行為を保健所がやっているが、これなど常軌を逸している。フグが混入していたら、できれば食べない方がいいと言えばいいのであって、食べても死ぬ可能性なんてない。個人的には極端に生物を危険視しするのはいけないと思っている。せっかく平和に暮らしている、セアカゴケグモを見つけ出して全部殺してしまうなんてやたら恥ずべき行為だと思う。だいたい温暖化をまねいた人間のつけを、温暖化でやってきた生物に払わせていいのか?いまだに八王子の市場のフグに子供が触りそうになると、「毒があるから触ってはダメ(基本的に買わないのに触ってはダメなんだけど)」と言う親がいる。なんて非科学的なことを言うんだバカヤロウといいたい。毒よりも恐い戦争は、プーチンもそうだけど、根拠のないこと、非科学的なところから始まるんだよオバカサンといいたい。くどいほど言わせてもらうなら、フグは毒がある以前においしい魚なのだと教えるべきだ。ヒトという生き物は自然破壊し、自然に毒を平気でばら撒いているくせに、危険性が非常に低いものに限って、極端な報道をしたり、行政が条例を作ったりする。ハレンチではないのかねヒトって。今、市場などを通じて流通しているフグは場合によっては調理師が毒を除去してくれるし、予め除去したものはちゃんと許可証が添付されている。漁業資源が激減している今、合法的に流通しているフグは、もっと積極的に食べるべきなのである。
ホンビノスガイ
コラム

焼きすぎてもおいしいホンビノス

ホンビノスガイは北アメリカ東岸原産の二枚貝で、2001年に流通の場で千葉県船橋産を初めて見た。当時の貝類図鑑にはなく、北海道などにいるビノスガイに似ていると思いながらも買っている。たぶんだが、本種が流通に乗ったのは2000年前後だと思う。ホンビノスガイにたどりついたのは、翌年のことで、2003年には京浜運河まで採取に行って、運河に堆積した砂地にごろごろといるのにビックリしている。千葉県立中央博物館の貝類学者、黒住耐二さんは1990年代に東京湾奥で稚貝を採取しており、すぐに成貝も手に入れたと言っているので、アメリカ東岸からの移入時期は1990年代半ばかも知れない。どのように移入してきたのかは不明だが、世界中を見渡すと、何種類かの二枚貝がコスモポリタンになっていて、その多くは船のバラスト水に混ざって生息域を広げたのだとされている。本種も同じだろう。この新顔の二枚貝が、千葉県船橋市で水揚げされるようになり、日本各地に送られるようになると思っていたのは、船橋市の貝類業者ぐらいだろう。そのときすでに、「白はまぐり」という商品名が出来上がっていたはずなのである。ちなみに船橋市周辺は江戸前の二枚貝の宝庫だった。トリガイ、バカガイ、ハマグリ、アサリなどだ。船橋市はこれら多産する二枚貝の加工のメッカでもあったのだ。それが今や市内でとれるのはホンビノスのみとなっている。東京湾は自然の海岸線を破壊しすぎているのだが、そんな海でも生きていけるのがホンビノスだともいえそうである。
コラム

10月のサンマはいいサンマだけど……

八王子総合卸売協同組合、マル幸にあったのは北海道産13入りのサンマだった。少し前までは樽入りや4kg入り、5kg入りなどもあったが、今は2kg入りなので、13入りで1尾155g前後である。それでも去年よりも遙かにいい。昨年は同時期に110gとか120gが出回っていたことを考えると、明るい兆しかも知れない。ただ、この13入りは高い。12入りなど、とても手が出ない値となっている。ちなみにこの12入りサイズは昔、秋も深まったとき、樽入で大量入荷していた、そんなサイズである。それを考えると隔世の感がある。やはりサンマの不漁は続くのだろうな。
クサヤモロ
コラム

利島沖クサヤモロを1尾丸ごと天ぷらにする

八王子総合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウが利島沖で釣り上げた、クサヤモロは非常に大型で体長38cm・0.67kgもあった。持って帰ってきたと言うことは、たぶんデカすぎて餌にならなかったのではないかと思われる。相模湾、伊豆諸島周辺にはムロアジ(赤むろ)とクサヤモロ(青むろ)ともに生息している。2種では後者が少しだけ水温の高い水域にいて、ある意味、棲み分けているのではないだろうか? 伊豆諸島周辺で釣り師が釣ってくるのはクサヤモロばかりだ。たぶんだが、本種の漁獲量がいちばん多いのも全国的にみても伊豆諸島周辺だと思っている。伊豆諸島の特産品「くさや」の代表的な原料だからこの呼び名がある。「くさや」のほとんど総てが関東で食べられている。昔、島根県の漁師さんと築地場内を歩いていたとき、段ボールに入った「くさや」を嗅いだときの漁師さんの表情が忘れられない。鼻をつまんで「これ食べる人がおるんかい(出雲弁で)」と言われたのだ。ビニールで密閉されていたのに匂いを感じたのは、「くさや」初体験だったためだろう。西日本ではまだいちども「くさや」を見ていない。ついでに2000年前後、福岡市柳橋連合市場の乾物店で聞取したら過去に何回か仕入れたことがあるというが、当然の如く売れなかったという。
チダイ塩焼きのだし
コラム

チダイ塩焼きの残で今季初湯豆腐

八王子総合卸売協同組合、マル幸で9月22日に買ったチダイは尾頭付きで焼き、食べるだけ食べて残った頭部と中骨は冷凍保存した。毎日4時間単位で仕事(?)をしているので、一日三仕事にすると、真夜中に空き時間ができたりする。日付が替わる時間、まさか飯を食うわけにもいかず、最近では正一合程度の酒をのむための肴を用意している。今回は豆腐があったので、湯豆腐を作る。東京西部の水道水をいかに濾過してもだしは取りにくい。仕方がないのでフランスのボルビックを使っている。今のところこれがいちばんだしを取りやすい。ただフランスから水を運ぶなんて、しかもその水を使うなんて、なんて恥ずべき行為なんだろうと反省している。現在の在庫を使い果たしたらペットボトル入りの水をやめて、だしに関しては別の手段を考えなくてはならない。悲しいことにボルビックで取ると昆布だしが早くおいしくとれる。これを科学的に説明してくれる人おらんかな?だしをとったらド深夜なので、すまんすまんと謝りながら頭部と中骨は捨てる。
ゴマサバ
コラム

9月、石巻のゴマサバ1尾食べ尽くす

9月11日、八王子総合卸売協同組合、マル幸で宮城県石巻産のゴマサバを買った。全長44cm・937gだから大型である。触っただけで脂ののりがわかるといったもので、もともと断面の丸いゴマサバが余計に丸く感じる、そんな上物だった。
赤酢
コラム

ホッキガイの刺身は酢洗い率高し

貝の刺身が好きだ。巻き貝、二枚貝とも好きでときどき撮影無しでも造って食べている。残念ながら今、貝類がいちばん少ない時季なのである。特に今年は少ない気がするのだが、これも災害級の暑さのためかも知れない。唯一、安定的に入荷してきているのがホッキガイ(標準和名ウバガイ)である。ベストのシーズンではないが、買っても損はないレベルといったもので、1週間に2度、3度買っても食べ飽きない。さて、日常的に使っているミツカンの山吹という赤酢がなくなってしまった。比較的安定した味で、比較的安いので我が家の定番酢のひとつである。主に酢洗いに使う。酢洗いは日本料理の基本中の基本だが、その酢洗いにも2つの目的がある。臭味をとるための、と、香りづけのためだ。当たり前だけど赤酢は後者である。特に二枚貝の刺身は香りづけに酢洗いすることが多いのだけれど、今回は初めて買った赤酢を買って試してみた。銘柄は書かないが岡山県のものだ。
羽幌産トヤマエビ
コラム

北海道羽幌産ボタンエビに懊悩する

標準和名が「正しい名前」という愚か者が多くて困る。標準和名とはあくまでも科学の世界で便宜的につけた名であって、正否の問題ではない。だいたい標準和名など使うと余計にその動物、植物に行き当たらないなんてことだってある。特に生食されることが多いタラバエビ科のエビなど標準和名などない方がいい、のではないかと思っている。さて、1970年代くらいまでタラバエビ科のエビはこの国でほとんど流通して食べられていなかった。タラバエビ科のエビは筋肉が発達しておらず、呈味成分が多いわけでもない。多種多様なアミノ酸がからみあって身も身のエキス分をも粘質にし、またこの多様なアミノ酸が甘いとヒトの舌に感じさせる。身に水分が多いのも特徴である。それまで本州、四国、九州などで主に食べられていた、非常に原始的なクルマエビ科のエビとは真逆の味である。ちなみにタラバエビ科でもっとも早く全国的に知られたのが甘エビ(ホッコクアカエビ)である。これは1970年代東京都内デパートが始めた新潟物産展からとされている。ちなみに1974年、銀座の秋田料理の店で初めて食べたとき、「都内でも数軒しか食べられない」と説明を受けている。タラバエビ科のエビでは、標準和名でホッコクアカエビ(甘エビ)、トヤマエビ(ボタンエビ)、モロトゲアカエビ(シマエビ)、ボタンエビ、ヒゴロモエビ(ブドウエビ)の順で流通量が多い。ほかにもあるが、ここでは省く。今タラバエビ科でいちばん高いのはヒゴロモエビ(ブドウエビ)であるが、ここには流通量が少なくて希少だということが加味されている。流通量のことを考えると、正真正銘、いちばん高いエビはトヤマエビ(ボタンエビ)とした方が正しいと思っている。本種は国産だけではなくアメリカやロシアから冷凍輸入されたものもある。アメリカのものはともかくロシアのものは格段に安い。今どき大はやりの海鮮丼に乗るボタンエビの何割かは、ロシア産の冷凍ものである可能性が高い。丼にのるボタンエビをありがたがって食べている人がいるが丼の値段から儲かると思う。さて、本種は特に60gを超えるとキロ単価で(仲卸値段なので卸値以下同)1万円くらいする。品薄感があると2万円というのも見た事があり、過去に80gでキロ単価25000円というのを買っているが、こうなると食べ物の値段とはとても思えない。さて、八王子総合卸売協同組合、マル幸に来ていた羽幌産はだいたい60g前後で平均価格の㎏あたり10000円よりも安かった。それでも2本で原価1000円ほどになる。ちなみに1尾500円と考えると、刺身に2尾盛り込んだとして、料理店では2000円では出せない。たぶん3000円で出しても苦しいと思う。なぜなら足が速いからだ。
カタボシイワシの肩の星
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秋のカタボシイワシは抜群にうまい!

カタボシイワシは1955年に標準和名がついた。当時の魚類検索には南日本と記載されていない。当時はヤマトミズン属だったが、現在ではサッパ属で、岡山県の「ままかり(サッパ)」と同属である。サッパ同様腹部の稜鱗(刺々しい鱗)が強い。2005年前後に鹿児島県で水揚げされ始め、またたくまにいろんな地域で発見され、突然定置網に入ったのはいいけれど、魚の名前がわからないから教えてくれ、などという問い合わせを何度も受けている。比較的暖かい海域にいる魚ではあるが国内での生息域はよくわからない。四国九州、そして沖縄にも生息。南はオーストラリア、アフリカ東岸にもいる。さて9月14日は、もう1週間も前のことになるが、神奈川県、小田原魚市場で1尾だけ手に入れた。体長21cm・139gは小田原では平均的なサイズである。ここ数年、見つけると、拾ってきては味見している。たくさん揚がったときにはスーパーヤオマサ、ナイトウさんのところから1尾だけ失敬したこともある。今更あやまっても仕方がないけど、ごめんなさい。ちなみに本種を手に入れたかったら神奈川県にあるスーパーヤオマサに行くと手に入る可能性大。味見なので1から3尾ずつ、1年間で30個体近く食べたことになる。要するに旬がわからないための味見である。鹿児島県などでは冬にもいるが、小田原では水温の高い春から晩秋にかけて水揚げが多い。相模湾では5月から7月、8月くらいまではあまり脂がなく、9月になると急に脂が乗り始める。考えてみると同じニシン科のコノシロでもそうだが、産卵期前後は味が不安定で、産卵後は脂が抜けるのである。このことから相模湾での本種の産卵期は、晩春から初夏ではないかと考えている。
相模湾、マサバ
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小マサバの中から上物を選別する

9月14日は、もう1週間も前のことになるが、神奈川県、小田原魚市場ではマサバの小が大量に揚がっていた。中には加工用に引き取られていくのもあるだろうけど、後の残りは飼料とか場合によっては輸出用となるのだと思う。この小型のマサバは未利用魚ではないが、ていねいに大きさと質を選別すれば、ちゃんと流通できるものがかなり紛れ込んでいる。なぜ選別しないの? というと人手が足りないからだし、流通しても確実に利益が出るとは限らないからだ。最近、未利用魚という言語で商売をやらかしている人達がいるが、未利用魚でもなんでもなく、むしろ高級魚を売っているところなど詐欺に近いものまである。未利用魚は漁業者を助けるというのが目的なんだけどな、なんて考える。例えば未利用魚に価格の低いというのが入るなら、この大量に揚がった小マサバを再選別して積極的に利用法をアドバイスし、流通させてはいかがだろう。とここまで書いてきて、ではボクにその上物が選別できるのか? と問いかけてみた。せっかくなのでやってみた。数百キロの中から、しかも大小混じりすぎの中からいいものを選ぶのは大変である。やってみてすぐにあきらめてしまったのは人間性の問題かもしれない。無造作に数本選んだだけで、ままよ、なんて居直った。そこに二宮定置の山崎さんがきて「これがいいんじゃないですか?」と、ひとまわり大きいのを手渡してくれたのだ。帰宅して計測する。計7本持ち帰り、最小は干もの用に外し、計5本を干もの以外にしたいと思ったが、刺身を考えると残りは、2本で、小さい方がボクの選の24cm ・167g、大きい方が山崎さん選の26cm・233gだ。だんぜん山崎さん選がよかったので、刺身用に水洗いしてペーパータオルにくるんで保存する。
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活けガンゾウはやたらに素晴らしい

9月14日の神奈川県、小田原魚市場の活魚槽にガンゾウビラメが泳いでいた。たぶん岩とか福浦(ともに真鶴町)の定置で揚がったものだろう。ガンゾウビラメは比較的暖かい海域の砂地などにいる魚で、一般的な知名度はゼロといってもいいが、流通上は至って普通の食用魚だ。地方名が非常に多い。これはヒラメよりも水揚げ後の鮮度落ちが早く、水揚げ地で消費される比率が高いためである。小型底曳きなどでまとまってとれる魚だが、少ないながら定置網でも揚がる。底曳き網ものがこの魚の価値を決定しているので安いが、実は定置ものの活魚は上物なのである。これなど第二のヌマガレイ(まったく売れない魚だったのが活魚で売れるようになった)となる可能性だってある。活魚なのにそんなに高くないのは、とれる量が少ないためだ。最近、未利用魚のことで盛んに入合(何種類かの魚で1つの荷にする)を作れなどというが、意外に難しいのは水揚げされた全魚種の価値をちゃんとわかっていないと入合が作れない点にある。入合、入合と言っている人間でこの基本のキがわかっていない人が多すぎる。このぽつんと2、3枚程度のガンゾウビラメなど漁師さんや仲卸さんすら一定の評価を持つに至っていないのだ。当然、活け締めにして入合に入れるなんて発想は湧かない。小田原の恵まれているところは、多様な水産物の産地であり、集積地であり、また巨大な商圏を持っていることである。だから売れない魚はほとんどない。この200g〜300gで大小ありの活魚にもちゃんと値がついていた。これをいつもながらにさんの水産さんに競り落としてもらい、活け締めにしていただく。
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銚子産マイワシ、小振り成れどもすこぶるつきにウマシ

八王子の市場に千葉県銚子産の小振りなマイワシ(16cm前後・53-69g)が来ている。最近、銚子の荷の仕立ては抜群にいい。冷やし込みがきいて、堅堅である。ボクの市場通いは日常でしかないので、けち臭くはあれど、朝ご飯用に3尾だけ買ってくる。1尾60g前後なので3尾で180円でしかない。小羽を手に八王子総合卸売センター、八百角に寄ったらあんまりいい小ネギがない。日本各地で暑さに小ネギが萎れてしまっているのだという。今年はどうなっているんだろう? というかこれからずーっとこうなんだろうか?秋の小羽はアタリが多い。へたな大羽よりも秋の小羽だと思っている。帰りの車外温度が34度もあるのでとても秋とは思えないけど、彼岸の入りなので秋は秋で、小羽に秋を感じればいいのである。
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9月のアイゴは産卵後なのに非常にうまい

たぶんアイゴは画像があるだけで数百個体は味見している。2016年11月、愛知県一色で非常に雑な状態で置かれていたアイゴを買っている。見た目が悪かったので、どれくらい臭うか知りたかったためだ。ところがそんなに臭くはない。それは鈍感だからだろう、と言われそうだけど、もともと魚嫌いな人間なので臭味には敏感なのだ。2011年10月には徳島県海陽町宍喰竹ヶ島の大型個体を3個体持ち帰っている。これはイセエビの刺網で揚がったものであったこと、宍喰から我が家まで車で11時間かかり、しかも水揚げの翌日に下ろしたので臭った。ここ3、4年、気になると小田原魚市場で廃棄されているアイゴを持ち帰って、様々な方法で下ろしては食べている。たぶん数十個体に上ると思うけど一度も臭くない。別に宍喰のアイゴが臭いわけではない。定置網の個体に臭味はないのだ。磯もんと呼ばれている刺網でとれたものが臭い。要するにアイゴの臭味は漁法にもよるし、水揚げ後の処理にもよるのだ。それなのに最近の未利用魚をあれこれ報道しているバカなマスコミは、臭い臭いと言いすぎている。たぶん未利用魚に取り組んでいる人間の中にも様々な状態のアイゴをさほど食べていない、未熟な人間がいるのだ、と思っている。だからちゃんと報道されないのだ。9月14日、神奈川県小田原市、小田原魚市場二宮定置でアイゴを3個体いただいてきた。野締めである。お隣の江の安、日渉丸のものは活け締めで金色に発色しているので、臭い臭くないのの次元ではなく、超高級魚であるメイチダイ並にうまいに決まっているので比較対象にならない。普通の扱いのアイゴ、しかも産卵後1ヶ月くらいの野締めのアイゴが欲しかったのだ。紀州の魚類学者で民俗学者の宇井縫蔵は八九月のがいちばんうまいというが、小田原のアイゴは夏に産卵するので9月の個体は痩せている。このあたり和歌山県のアイゴも比較のためにまた拾いに行きたいものである。
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秋の小タカベを侮るなかれ

東京では夏の風物詩でもあるし、梅雨時になるとぐんと値を上げる、それがタカベである。最近あまり見かけない上に、例えば豊洲などで伊豆諸島産などを見つけると恐るべき値がついていたりする。古くは東京都の庶民の味だったタカベが、とても手の届かない高嶺の花と化しているのである。タカベは1科1属1種という孤高の存在である。魚類学者はあれこれ考えたようで、現在ではイスズミ科(この仲間も一般的にはほぼ知られていない)だとする説がある。そうなったらなったで納まるところに納まった感じもするが、淋しい思いが強くなりそうだ。生息域は日本列島でも相模湾以南、九州までの太平洋側で、このまま熱帯にもいるのかと思ったら差に非ず、中国大陸の黄海や渤海にはいるらしいがやたらに生息域が狭い。魚類には生息域の狭い種がいると同属に生息域のやたらに広い種がいたりする。例えばブリは非常に狭い海域にいるが、同じ属のヒラマサはインド洋、太平洋域に広大な生息域をもつ。タカベにも同属で広い生息域をもつ種がいてもいい、と考えるがいないのである。9月14日、神奈川県小田原市、小田原魚市場に二宮定置の水揚げを見ていたら、非常にミニなタカベをボクに渡してくれた若い衆がいた。そのとき、「こんなものをもらってもなー」と思いながら持ち帰ったのだ。体長11cm・27gなので昨年秋生まれの個体だろう。タカベの旬は伊豆大島で「麦倒し」というくらいなので、梅雨時から8月いっぱいだと思っている。9月も半ばになるとなんとなくタカベの成魚には手が伸びない。それではこの若魚というか、やっと稚魚ではなくなった個体の味はどうなんだろう? ちゃんとサメやアイゴなど大型の中に紛れないように別袋に入れて持ち帰ってきた。
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意外に小田原では珍しいタイワンガザミ

神奈川県小田原市、小田原魚市場に水揚げされるカニの量はそれほど多くはない。相模湾ではむしろ東の海域に多く、西の海域に少ない気がする。それでも小田原魚市場に揚がるカニを、思い浮かぶだけ挙げるとガザミ(ワタリガニ)、ジャノメガザミ、タイワンガザミ、トゲノコギリガザミ、アカイシガニ、アカイシガニモドキ、深海性ではタカアシガニ、オオエンコウガニなどなどかなりの種にのぼる。今回9月14日の小田原魚市場の生け簀に泳いでいたのはタイワンガザミである。たぶん定置網で揚がったもので、脚一本取れていないし、雄なのでコバルトブルーがド派手に目立つ。考えてみると最近、ガザミは買っているが、タイワンガザミは長いことお目にかかっていない。調べてみると1年振りの雄である。よくガザミと比較して落ちるとかなんとか言う人がいるが、決してガザミに比べて引けを取ることはない。最近、高値安定なのはうまいからだと思っている。
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食べたくなるのは暑さ故、ホッキガイのみそ汁かけ飯

八王子総合卸売協同組合、マル幸水産に北海道鵜川産のウバガイが来ていた。東京では、最近、ホッキガイと呼ぶ人ばかりになったので、ホッキガイとした方がいいのかも。大きくて黒いほど値が高く、小振りで薄茶色のものは安い。このところ市場に来るたびに貝を買っている。これなどたぶん、貝のタウリンを体が欲しているからだろう。小振りで薄茶色は、値段的にも癒やし系だし、ボクの体にとっても癒やし系だ。ウバガイ(ホッキガイ)は太平洋側では鹿島灘、日本海側では北海道西沿岸で水揚げがある。旬は難しい。いつもある程度のレベルは超えているし、外れと思えるほどに外れには出合っていない。要するに優等生的な味の二枚貝だ。ちなみにウバガイ(姥貝)というのは江戸時代天保期、旗本である武蔵石寿が編んだ目八譜にある。たぶん常磐から福島にかけてのいずれかの藩から手に入れて(寄贈かも)、その藩での名をそのまま使ったのだと思う。武蔵石寿が参加していた江戸のカルチャラルな集団、赭鞭会は貝や生物の名を風雅な何かに見立てて名をつけることが多い。にも関わらず、このあまりにも直截的な名をそのままに使ったのは、どうしてだろう。それほど貝殻の見てくれが悪かったのだろうか。
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その日だけの味だけど水ガマスの刺身は、刺身の最高峰

神奈川県小田原市、小田原魚市場はボクのホームグランドのようなところだが、初夏になると全長20cm 前後の子カマスが岸寄りでとれ始め、秋深まると全長30cmを超えて、食べ頃を迎える魚がいる。水ガマス(ヤマトカマス)である。さて今回の9月も半ばの小田原行で出合った水ガマスは、体長25cm前後、重さ90〜116gほどに育っていた。これがもう一段成長しながら、確か昨年は、岸寄りの水温が下がる晩秋までとれたはずである。沖合いに多いアカカマスは全長50cm前後の大ガマスになり、水深100m以上の深場にもいるが、本種はせいぜい35cm前後にしかならなず、深くても水深80mくらいにしか見られない。しかも寒くなると姿を消すのだ。くどいようだが、アカカマスは周年漁獲され、定置網などでは主要な獲物となっているが、こちらは初夏から秋まで季節限定の魚だ。さて、小田原は干もの作りが盛んなので、干ものになることが多い魚だが、地元では刺身で食べる魚なのだ。問題は刺身で食べられるのは当日限りという点である。小田原魚市場を歩いていていて、2、3本分けて、ともいえないので、地元系スーパーのヤオマサ、ナイトウさんに分けてもらう。朝どれの魚が並ぶヤオマサに行けば、ボクがやろうとしている地域限定の食べ方が普通にやれる、ここが小田原の凄いところなのだ。忘れぬ内にナイトウさん、ありがとうさん。
オオコシダカガンガラ
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シッタカはシッタカでしかない、オオコシダカガンガラの話

魚のことを話していて、この人よくわかっているな、という人でも貝類に関しては幼稚園というか未就学児童程度なんだとビックリすることがある。わかるのはサザエ、アサリ?、ハマグリ?、ハマグリ?、ホッキガイ(ウバガイ)、ホタテガイ程度で、アサリがアサリであることがわからなかったことすらあって唖然としたことがある。ましてや「シッタカ」は、ただただ「シッタカ」でしかない。東京都豊洲市場には貝屋(貝専門店)が多く、もともとは貝屋だったという仲卸も多い。それでも「シッタカ」は「シッタカ」でしかないのだ。ちなみに「シッタカ」は本来関東でのバテイラの呼び名である。昔、秋田県の漁師さんが、こんなもの売れますかと築地の大卸に持って来たのも、「シッタカ」だったが、これは典型的な日本海の「シッタカ」で、標準和名をオオコシダカガンガラという。東京都内で「シッタカ」として扱われたことがあるのはバテイラ、コシダカガンガラ、オオコシダカガンガラ、ヒメクボガイ、クボガイ、ヘソアキクボガイの6種だ。バテイラがいちばん高く、あとはほとんど値段は変わらないが、やや高値となっている。どれもがそこそこの値段で売られているのは、磯の巻き貝類が減少したためと、とる人がいなくなっているためだ。漁村の成り立ち(生活環)とは、子供の頃には老人と磯(近場)で魚介類を採取し、若いときには沖に出る。様々な漁を経験してふたたび磯に戻るのだと思っている。その循環がなくなっているのだ。この循環を破壊したのは、戦後の水産バブル経済(ボクの造語)によると思っているがここでは語らない。そのコシダカガンガラは太平洋側に多く、日本海側には少ない。日本海にはコシダカガンガラはあまりいない代わりに、オオコシダカガンガラが多い。長崎県以北の産地から来る「シッタカ」はオオコシダカガンガラがほとんどで希にコシダカガンガラが来るといった感じだ。
ビーフンの材料
コラム

何もないので、いかげそビーフン

どこの家でもそうだと思うのだけど、常備している乾麺などは1種類や2種類ではないと思う。我が家は故郷の半田素麺、そば、パスタ類数種、そしてビーフンである。中でも、いちばん簡単にいちばん短時間に作れるのがビーフンである。近所で簡単に手に入ることもあって、常に台湾の「新竹米粉」を常備している。ビーフンを初めて食べたのは学校を卒業して、仕事を始めてからだ。毎日深夜になるまで働いていて、中華とカレーの町といわれていたその町で、もっとも遅くまでやっている中華の店でビーフン、チャーハン、焼きそば、餃子をテイクアウトしていた。午前3時の焼きビーフンがやたらにおいしかった。作り方は柴田書店の中華の基礎的な書籍で覚えたけれど、朝から探しているが本が見つからないので参考文献はなし。要するに本で作り方を覚えて、やたらに食べていた仕事場近くの中華の店の豚肉のビーフン、旧フジテレビ近くにあったちょっとお高い中華の店の海鮮ビーフン、横浜の台湾料理の店の辛い味のビーフンの味に近づけたといった、いい加減なものである。ちなみにすぐに真似をするのがボク流だ。さて、先日買って冷凍保存しておいたバライカ(スルメイカ)のげそ、冷蔵庫で発掘した野菜たっぷり、もどしたビーフン、中華だし(確か味の素のもの)、四角い瓶のコショウ(ビーフンにはこのテーブルコショウがいい)を揃えておく。
若いコウイカ
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不知火海コウイカはもう新イカじゃない

鹿児島県北部には行ったことがない。特に不知火海に港をもつ出水市にはしごく行ってみたい。ちなみに熊本県南部人吉市にはいったことがあるが芦北町、水俣市にも行ってはいない。これをセットにしてなんて考えたことがあるが、先立つものがないので断念している。さて、関東の水産関係者にとって、特に小物(すし種など細々としてもの)を扱う仲卸にとって出水市といえば「新」となる。これが浮かばなければ、小物屋さんはやっていけない。毎年出水市からやってくる「新イカ」は値が落ち着くと必ず買っているのに、今年は味わっていない。「新イカ」は明らかに関東限定の言語で、春から初夏に産卵するコウイカ(関東では墨イカ、西日本では針イカ)の子供のことだ。江戸時代の水産物の書、『魚鑑』を編んだ武井周作も述べているように江戸っ子の初物食いに対する執念はすごい。コノシロの稚魚といってもいい「新子」など初売りは「10万(100g1万円)だ、いやもっと高いらしいよ」などと騒ぐ。これは大阪ではあり得ない。ボクなどどちらかというと実を取る大阪的な人間なので毎年理解に苦しむ。同じく夏に出てくるのが「新イカ」だ。初売りとなると4万円とか5万円もする。しかもピンポン球のような姿の「新イカ」は見た目よりも重い(体重のこと)。小さくても1尾20gとか30gくらいはある。このサイズで漬けると、握り一かんで2尾は必要になる。100g4000円もするとしたら1尾800円以上につく。その2倍の1600円が原価だとすると、一かんいくらになるのか。関東の市場に並ぶ「新子」、「新イカ」の多くが出水市からくるのである。出水市の港がある不知火海(八代海)は天草側からは見ているが、東からは見ていない。やはり魚貝類の産地は行ってみないとわからない。ちなみに豊洲市場などでは9月になっても「新イカ」と言えそうな50〜70gサイズが並び、隣に「成イカ」の200g前後が売られていたりする。これは産卵期が南(鹿児島県)で早く、北上するにつれて遅くなるからだ。ちなみに築地時代、年寄り(現在でいう先代)に聞くと、江戸前の「新イカ」は秋のものだったという。
アカボヤ
コラム

久しぶりにアカボヤ

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に北海道厚岸からアカボヤが入荷してきていた。国内で食用となっているホヤ類は東北などで養殖も行われているマボヤと、北海道特産のアカボヤの2種である。マボヤが岩や杭などしっかりしたものに付着するのに対して、アカボヤは北海道以北の貝殻などが混ざる砂泥地にいる。マボヤが剥きホヤなども含めると年間を通して入荷をみるのに対して、アカボヤはめったに来ない。めったに来ないので、来ると必ず買い込むことにしている。ホヤはホヤだけど、マボヤとは違う味だからだ。マボヤは苦味甘味が強く、食感もほどよい。アカボヤは苦味も甘味も少ないものの食感が心地よいのだ。
コラム

久しぶり! ベニテグリの天丼

静岡県、愛知県、三重県で「赤ごち」と呼ばれている魚がいる。その名の通りまぶしいくらいに赤い色をした不思議な姿の魚である。見た目も変わっているが、どんな魚なのか、普通の人には見当もつかないと思う。スズキ目ネズッポ亜目ネズッポ科ベニテグリ属の魚であるが、分類上の話をしても余計に混乱するだけだ。このネズッポ科に知名度の高い魚はまったくいない。あえて言えば天ぷら種として使われる「めごち」が種としては近いが、「めごち」自体が非常にマイナーな魚で、これを説明するのは「赤ごち」を説明する以上に難しい。写真を見ればわかるように頭部が非常に大きく尻尾に近づくにつれて細くなる。これがネズッポ科の魚の特徴である。鰭に棘がなく、鱗らしい鱗もない。目が矢鱈に大きく、やけに体全体が赤いのは深海魚の一典型でもある。標準和名をベニテグリという。本種は沖合いの深海にいるので、動力船が導入される大正時代、昭和初期くらいまでは漁の対象ではなかった。江戸時代の19世紀前半、シーボルトがオランダに持ち帰った魚としても有名であるが、採取場所が長崎だとしてどのような漁で揚がったものなのかはわからない。当然、古くからの呼び名はない。ベニテグリは一般に使われている呼び名がなかったため、魚類学者がつけた名ではないか、と思っている。「べに」は「紅」だけど、「手繰り(てぐり)」は今ではほとんど使われない言語で、底曳き網のことである。要するに「紅色の手繰り網でとれるコチ」という意味になる。古く底曳き網は錘をつけた網で海底を船で曳き、最後に人が手繰り寄せて上げた。手繰り上げるので「手繰り網」という。今でも漁業者の間で普通に使われている「小手繰り(網)」、「大手繰り(網)」は、今現在の漁法用語にすると小型底曳き網、大型底曳き網になる。本種は大型底曳き網で揚がる魚でもある。
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シジミはシジミではなくヤマトシジミで故郷は涸沼

1926年暮れに大正時代は終わり、昭和が始まる。1945年の敗戦まで下町(日本橋、両国、深川、本所など)には、「しじみ売り」が来ていたという。「しじみ売り」が売り歩いていたのはシジミ(ヤマトシジミ)だ。他に貝売りもいてアサリ、剥きアサリ、ハマグリで、時々バカガイ(青柳)の剥き身・ゆでたものを売っていた。この売り歩いていた二枚貝の中でもシジミがいちばん安かったのは、東京の低地である下町ではどこでもとれたからだろう。ちなみに関東の利根川河口域は日本一のシジミの産地であった。これが河口堰ができて激減し、産地ですらなくなってしまっている。今や利根川産のシジミはめったに見かけぬものとなる。今、全国的に流通しているシジミの産地は島根県、木曽三川の河口域、北海道、青森県、そして主に関東周辺に流通する茨城県涸沼産である。魚貝類を調べ始めると、最初は珍しいもの、高額なものに目が行きがちだった。これが10年もすると総て同じになる。学ぶということは特異点が消えるということだとわかる。最近ではシジミが気になって仕方がない。温暖化、環境の変化がこんな小さな二枚貝が教えてくれているように思えてならない。食べることは環境や自然を考えることなのだ。さて、一般的にシジミはシジミでしかない。シジミにも種類があることくらいは知って置くべきである。食用として重要なのは、汽水域(海水と淡水が混じる水域)にいるヤマトシジミ、琵琶湖特産のセタシジミ、純粋な淡水域にいて多くが卵胎生のマシジミの3種だ。水揚げ高もこの順で多く、マシジミは希に直売所や朝市などで見かける程度である。ここではタイワンシジミやまったく同定不能な外来種は取りあげないが、最低でも国産食用シジミは3種類だ、ということくらい知って置くべきだと思う。ちなみにこのシジミ科の二枚貝は環境の変化に敏感である。利根川でも木曽三川でも河口堰の影響は甚大であり、また水質汚染にも決して強いわけではない。
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まだまだ風熱しなのでトコブシのしゃぶしゃぶ

盆が明け、9月になっても、市場には魚がない状況が続いている。10日あまりも風邪で苦しみ。やっと酒でも、というときなのでやたら淋しい。こんなときは冷凍庫をあさるしかない。出て来たのが愛知県伊良湖産のトコブシである。流水で洗って貝から外し、貝殻にもどして冷凍しておいたものだ。これをあっさり酒蒸しにしてもいいし、バター焼きにしてもいい。4個体だけ解凍する。貝殻をタオルの上に伏せて水分をよくきる。いろいろ考えて、いちばん簡単な料理に決めた。
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今季初サンマは根室産16尾

サンマ離れをしてしまっていることに気づいたのは、今年最初にサンマを見てもなんとも思わなかったためだ。2018年くらいまでは7月の初サンマを築地の上物屋で1本3千円、4千円出して買っていた。わざわざ築地まで行って買っていたのは、意味があると思っていたためだ。ここ数年、ボクの初サンマは8月下旬であり、今年の初ものは根室産16尾入り(2㎏で16尾という意味)なので120〜127g前後と去年と同じくスマートだ。くどいようだがようだが、2018年以前は大型船で取るようになると200g前後が当たり前だったのに、このサイズをここ数年は一本も食べていない。8月下旬から10月にサンマを選びながら、「これじゃ昔の初サンマじゃねーか」という人がいたが、まさにまさにそうだ。今年は去年よりも大きいものの、1尾350円は高いと思う。個人的にはサンマは脂だけにはあらずと思っているものの、刺身に引くとやけに身の薄さを感じる。サンマの味は三陸から北海道の遙か東で盛んにケンミジンコを食べて肥える。きっとこの太平洋域のプランクトンの生産構造が壊れているんじゃないだろうか? これが回遊魚特有の大きな周期によるものなのか? それとも温暖化のせいなのか? 神のみぞ知るってやつだ。さて、サンマは脂の豊かさよりも、その独特の味が好きだ。だから日本海ものだって昔から見つけるたびに買っている。そろそろサンマも脂ではなく、そのこくというか深みのある味に惚れて買うべきだと思う。毎年、昔のサンマはよかったね、なんて言う人がいるが無視して食べよう、眼の前のサンマなのだ。
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眠れない夜の、マアナゴ中骨の素揚げ

お盆前からのてんやわんやな日々と、過酷な旅のはてに引き込んでしまった風邪で、かれこれ1週間以上酒を飲んでいない。喉の痛みで、お見舞いにいただいたノンアルコールビールすら飲む気になれない。風邪はじょじょに回復傾向にあるが、深夜に目がさえて、眠れないときなど、酒のないやるせなさを痛感する。外はいつの間にやらアオマツムシの大合唱が始まっている。マツムシ、スズムシ、カンタンの声や遠し、なのだ。せっかくいただいたノンアルコールビールなので、軽いアテを作ってゆっくりじっくり飲むことにする。冷凍庫の隅にあったのが大アナゴの中骨である。8月始めて買った宮城県産大アナゴは脂が乗っていて実に味がよかった。中骨はタワシなどでていねいに血液などを洗い流し、軽く干し上げて冷凍していたもの。多めのオリーブオイルを熱して、ゆっくりと時間をかけて揚げる。二度揚げして、振り塩をするとさらさらといい音がする。軽い味の骨せんべいがとても香ばしく、優しく喉から本調子ではない胃袋に落ちていく。やっと手に入れたと言って持って来てくれた外国産のノンアルも悪くない。これにて、二度寝。
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謎の多いコエゾボラモドキを焼きツブにして食らう

エゾボラ科の巻き貝は食用としても非常に重要である。貝の収集家ではなく、食文化を研究しているのでエゾボラ科に関しては我がデータベースなりに、明確に種を規定したいと思っている。手初めに三陸に多いコエゾボラモドキから。コエゾボラモドキは、北海道道東などに多いエゾボラモドキに似ている。『日本近海産貝類図鑑 第二版』(奥谷喬司編著 東海大学出版局)のコエゾボラモドキの画像は殻皮が感じられず、むしろエゾボラモドキに近い。ここでは形態に関しては『北の貝の仲間たち』(樋口滋雄)の殻皮が目立ち、殻が非常に薄いタイプが真のコエゾボラモドキと考えた。
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アワビツブの刺身はアワビ以上にうまいかも?

モスソガイは江戸時代の『六百介品』から標準和名をとっている。裳裾は足(軟体部分)が貝殻からはみ出しており、女性が裳裾(着物の裾)を引きずっている様に似ているためだ。貝類の名を貝殻以外の形態からとる珍しい例でもある。宮城県では「あわびつぶ(鮑螺)」という。どう考えても刺身にしてアワビに負けないくらいにうまいという意味だととれるが、長年これがよくわからなかった。東京でも珍しいというほど珍しいわけではないが、あまり鮮度のいいものが手に入らなかったためだ。ちなみに流通させるために宮城県でも青森県でも浜や市場で塩ゆでにするのが一般的である。これは鮮度保持が目的でもあるが、それ以上に大量の粘液をだすために活けで出すと見た目が悪いからだろう。
コラム

小柴産サルエビに朝から夢中になる

八王子綜合卸売協同組合『マル幸』に小柴産サルエビがきていた。「小柴」は横浜市にある金沢八景のひとつで、現在の横浜市柴漁港にあたる。古くからアナゴ(マアナゴ)、シャコ、小エビ類、カレイなど江戸前魚介類の産地として有名なところだ。今日、これに加えてタチウオの産地としても関東圏ではつとに名を馳せている。現在の状況はよくわからないものの、もともと底曳き網漁の盛んなところで、小柴のシャコ、エビ類は非常に有名であった。今回、やってきたサルエビもそのひとつだ。小エビ類の中では比較的大形で最大10cm前後になる。雄雌では雌が大きくなり、春から秋にかけて抱卵(内子とよばれることの多い受精前の卵を持っている)個体が多く、この時季に子持ちが楽しめるのも魅力である。小エビ類の寿命は短く1歳〜2歳で死んでしまう。ある意味、旬がはっきりしている魚介類のひとつ、今が旬といってもいいだろう。また、小柴でサルエビがとれているということは、東京湾はまだ健全さを完全に失っていない証拠でもある。
ミネフジツボ
コラム

青森県、下北の「カキ」を今季初食べ

八王子綜合卸売センター、福泉に青森県下北半島からミネフジツボが来ていた。いつの間に来ていたのやら? 今年は慌ただしくて気がつかなかった。ちなみにフジツボはエビやカニと同じく甲殻類であり、岩などに固着して蔓脚という熊手のようなものを広げ、海水中のプランクトンや有機物をキャッチして生きている。オオアカフジツボとともに国内海域にいる最大級のフジツボで、唯一食用として流通しているフジツボでもある。最近、都内では単にフジツボと呼ばれるようになっているが、2000年前後、発泡に書かれていた「カキ」が、伝票にも書かれ、「カキ」と呼ぶ人が築地場内にもいた。軟体類二枚貝イタボガキ科のカキ(マガキ)とミネフジツボの青森県での呼び名、「カキ」の語源は同じだと考えている。すなわち「かき落として取る」からカキだ。海水温度の比較的低い海域にいるフジツボで、瀬戸内海にも普通にいる。なのに食用として生産、とっているのは青森県のみというのは長年の培った技術が必要なのだろう。
コラム

石川県産マアジで外房風なめろう

お盆明けには市場に行かない、のがボクの勝手な決め事だけど、ハードスケジュール直前なので市場に行った。買い物はしないつもりだし、期待ゼロで回ると、やはりなにもない。しかも野菜を買おうにも八百角は休み。多摩地区の、青果と魚市の休市が違うのはなぜだろう?しかも、しかも上野原のトラック行商のオヤジが夫婦幸せそうに歩いているのを見て、不幸なボクの心に木枯らしが吹いた。八王子綜合卸売協同組合、マル幸にもあまりめぼしいものはなく、「明日からかな?」、「だろうな」なんて無意味な会話をして後悔する。歳を取ったら意味なし会話はやってはならぬ。唯一いいなと思ったのが石川県産のマアジだった。魚がないときなのでちょっと高めで、しかもかなり人の手が入っている(注文分をとった後かも)ので残り少ない。けちくさくはあれど1尾だけ連れて帰ってくる。小振りではあるが丸みのあることからみて石川県でも富山湾側、七尾から来たものかもとは思ったが、パーチを探す気にもなれない。
コラム

盆と台風の最中、ヤマトカマス発見! フライを作る

お盆もそうだが、2連発の台風で我が家だけではなく国内どこを見渡しても魚がない。我が家から歩いて行ける範囲に2軒のスーパーがある。一軒は解凍カツオと切身ばかりで何もなし、熱風の中もう一軒に立ち寄ったら、大発見! 静岡県産のヤマトカマスがあった。4尾299円(税抜き)は安い。ときどきアカカマスと比べる人がいる。書籍にもアカカマスの方が上とかあるけれど、鮮度落ちが早いという難点があるものの値段が安い上に、料理法によってはアカカマス以上にうまいのだ。もっとちゃんと魚の知識を身につけて発言したり、書いたりしてもらいたいものだと思う。さて、アカカマスと本種の違いは水分にありだ。本種は古くなるとどうしても水が出る。だから普通の流通では両種に差が出てしまう。並べて測定すると生後1年未満、体調22cm・70g前後である。安売りで人気のスーパーの割りに鮮度はいい。これが中秋にむけてずんずん大きく育つ。
コラム

スズキのインド風かも知れない炊き込みご飯

同級生に「デブは死ななきゃなおらない」と言われたので自戒を込めて、ご飯もののコラム名にする。八王子綜合卸売センターに、インドだが、パキスタンだか、なんだかわからない食材店、『Rani Bazar』がある。このような最近国内各所に出来てきている国籍様々な食材店がとても好きだ。東新宿のアジアンマーケットや群馬県大泉町のスーペルメルカド・タカラなど、ときどき意味もなく立ち寄っては知らないものを買う。『Rani Bazar』で、買ってはみたものの長い間、ほったらかしにしているものにメースリーフ(Mace leaf) がある。ナツメグの内側の皮だ。ナツメグは栗と同じように4重構造になっていて、外側に硬い皮があり、種子本体にも皮がある。その種子に密着している皮を覆う粗い皮がメースリーフらしい。ちなみにこれは『Rani Bazar』のたぶんバングラディシュの方から聞いたことで、ちゃんと聞き取れていないかも知れない。
コラム

盆前最後のアジは山口北浦瀬つきアジ

お盆を利用してサイトの遅れを取り戻すなんて悲惨な状況にある。今や近所のスーパーや保存しておいた水産物を消費しているだけの日々だ。さて、お盆前を振り返ると、八王子綜合卸売協同組合、マル幸で買った「瀬つきアジ」が素晴らしかった。体長25cm・230g前後で体に丸味がある。もちろん選びに選んで買ったので、触った感触からも脂ののりが感じられた。山口県には日本海と瀬戸内海があるために、漁獲量はわからないが、もっとも多彩な漁が行われている県であり、水揚げされる水産生物も多彩である。幾度となくたずねているが、ヒトと水産生物の関わりを調べているボクには旅の収穫がもっとも多い県である。さて、山口県日本海側を北浦という、山口県の瀬戸内海側の水産関係者などよく、「今日は北浦ものがないので寂しい」などという。瀬戸内海だけでも十分なのに、日本海からも東シナ海からも水産物が集まるのも山口県の特徴なのだ。山口県の基本的な部分は日本海側が作りだし、特徴付けるのは瀬戸内海側だと思っている。さて、北浦のアジは比較的沖にいる「沖アジ」と、陸に近い海域にいる「瀬つきアジ」の2系統がある。味のいいのは断然「瀬つきアジ」である。萩市・長門市沖には日本海には珍しくたくさんの島や岩場があるが、この島々の周辺海域に転々と小山があり、この小山が作る浅瀬を「瀬」という。「瀬」には大量のプランクトンがわき、それを食べる小型の甲殻類、小魚などがわく。これをエサとすることで脂の乗った「瀬つきアジ」が生まれるのだ。ちなみに山口県の「瀬つきアジ」というのは今やブランド化されているが、萩市などでは古くからの言葉である。「瀬つきアジ」を選びながら萩沖の島々が思い浮かぶ。お盆は自宅軟禁状態に自ら置くつもりなので、夏の日本海を思いながら食らう。さて、持ち帰ったらすぐに計測して、撮影。水洗いして置く。
コラム

尾岱沼のしまえび天丼

標準和名、ホッカイエビと言っても国内ではほぼ通じない。たぶん東京豊洲市場で言ってもだれ一人知らないと思う。流通上では「北海シマエビ(ホッカイシマエビ)」である。産地では単に「シマエビ」と呼ばれているが、関東などでの市場で「シマエビ」は別(モロトゲアカエビ)なので、わざわざ「北海」がつく。さて、羅臼の旅のついでに尾岱沼を撮影しに南下した。下見というか一度は漁を見てみたいと思っていだけで、とりたてて目的があるわけではない。ホッカイエビもそうだが、混獲物を調べてみたいと思っているが、これはまだ先のことになる。南下するだけで面白かった。広大なそば畑があり、野に咲く名前がわからない草花がとても面白い。国道から、岸辺に下りて水域を撮影してから、尾岱沼漁港を目指す。尾岱沼漁港に人影はなく、直売所は漁がなかったこともあって見るべきものはなかった。むしろ直売所隣で売っていた脱皮した個体をゆでたもの、活けが珍しかった。
コラム

川名興の偉大な業績

生物の科学的アプローチには膨大なやり方、方向性がある。例えば分類という一科学分野を考えても、明治期に西欧から【本格的】にリンネの二名法が導入されて以後最初にやらなければならなかったことは、生物を研究し、世界的な名である学名に当てはめることや、未記載のものを記載することだけではなく、その時点で国内での生物の呼び名を集めて整理することだった。名前がないものは存在しないことから、西欧の分類学以前に膨大な作業があったのだ。この呼び名の採取は書籍から始まった可能性が高い。古くは古事記であり、平安期から鎌倉時代の日記であり、物語である。安土桃山期に本草綱目がもたらされてからは本草学書であり、江戸時代中期の木村蒹葭堂のように生き物自体や由来などをやたらに集めた人物が登場する。また江戸時代18世紀の末あたりから武蔵石寿のような生物に名前をつけてしまう学者が出現する。いずれにしろ生物学の標準和名(国内で基準となる名。正式な名なんて言う人がいるが無知極まりない)はできるだけ過去に使われた呼び名から選ぶことから始まる。例えば日本の魚介類の標準和名は黎明期には純淡水魚介類は琵琶湖を中心に採取、その他の魚介類は日本橋魚河岸で採取された。明治期の石川千代松、岩川友太郎も、後継者の田中茂穂、黒田徳米も、松原喜代松も決して巷間使われている呼び名を軽視しなかった。さて、この呼び名を集めるというのは、非常に地道で粘り強さが必要なのである。魚名は民俗学の恩人であり、巨人のひとり渋沢敬三がお金と頭脳を使い集めて、それが現在に至る。軟体類、特に貝に関しては千葉県富津市の一教諭であった川名興がいる。この人がいなかったら貝類の地方名はほぼ消滅していただろう。ボクなども出来る限り呼び名を集めているが、2023年時点ではほぼ消滅した後でしかない。しかも呼び名の収集は川名興が民俗学者であるように、必ずしも動物学の分野ではない。民俗学の最大の欠点が同定(分類)できる学者がいなかったことだ。宮本常一にしても、タラはタラでしかない。むしろ比較的民俗学的な立場も踏まえ呼び名を集めた、宇井縫蔵の方が分類的には遙かに上なのだ。川名興は渋沢敬三とともに分類が出来る希少な民俗学者なのである。だから川名興という人はもっと評価されていい。ちなみに川名興の『日本貝類方言集 民俗・分布・由来』は出版と同時に、神保町に就職した先輩が教えてくれ、「買うか?」というので買ったら、1988年、利潤抜きなのに確か13000円くらいしてびっくりした。後に古書目録に遙かに安く出ていたので、無性に腹が立ちもう1冊買ってしまっている。
生イワガキ
コラム

立秋の日の熊野灘のイワガキ

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に熊野市からイワガキがきていた。イワガキは汽水域というか内湾にいるものと外洋にいるものがある。徳島県は最近、天然イワガキの一大産地ではあるが、吉野川の影響を受けるようなところでとっているので内湾ものと考えている。対する熊野灘のものは貝殻からしても外洋ものだと感じられるのだけど、このへんはカイヤさんたちと議論したい。さて、熊野市は海を見る限り岩だらけだ。海岸線の3分の2は岩場と言っても間違いではないと思う。三重県ではあるが旧紀州徳川家であって暴れん坊将軍が殿様だったことがある。それでこの地方を東紀州という。志摩市や鳥羽市以上に外洋的なところで、イワガキにとっては決して栄養豊富とは言えそうにないが、逆にとてもきれいな海域で長い年月をかけて育った健全さが感じられる。……もちろん勝手な思い込みだけど。さて、我ながら想像を絶するような長時間のデスクワークに、体のあちこっちが変だ。魚屋の店頭に美しい熊野灘のイワガキがあったら絶対買わなければ、と思うほど、極悪な体調でもある。すなわちボクにとってイワガキは薬なのだ。さて、立秋の日が終わろうとする深夜にカシカシと貝殻表面の汚れを落とす。気になる付着物を確保して、エイヤ! と剥く。流水で貝殻と塩分少々を流して、今回はかぼすを添える。ちなみにイワガキの軟体部分をぺろりと食らう人がいるが、とてもそんなことをやる気にはなれない。4等分してゆっくり味わいながら食べる。軟体部分を口の中で転がしながら咀嚼すると、やはり熊野灘のイワガキは澄んだ味がするなと思う。うま味豊かで、ほろ苦くて、微かに硫黄のような風味がして、後から遅れて来る苦味もちゃんとあるのだけど、荒波に揉まれているせいか、食感がほどよくあって、その有象無象混沌とした複雑な味を適度に緩和してくれて後口がいい。次の一切れを心待ちにする瞬間が生まれる。なんだか吉田健一的表現にならざる終えないのは、ボクの頭がしゃっきりしていないためだ。合わせた酒は北海道の千歳鶴、1合弱。20年ほど前まで、四谷の行きつけの店でよく飲んでいた酒蔵の酒だけど、吟風ってなんだろう? 普通酒の方がイワガキには合うと思う。
コラム

北海道羅臼波止釣り指南

人生始めての北海道波止釣り、一投目でボクは波止釣り(防波堤釣り)の天才に違いないと思った。いきなり来たのがクロガシラガレイとは、幸先いいにもほどがある。二投目も三投目も空振りなしでアタリまくる。すべてガヤだったが、それなりに楽しめた。問題はその後も、そのまたまた後もガヤで、他の魚がまったく来ないことだ。まあ、10尾くらいまではガヤも初めて釣れた魚種だったのでウレシかったが、その内、限りないガヤに顔が引きつってきた。
小アジを加えたシイラ
コラム

シイラの西京漬けはブリの西京漬けよりもうまし

2005年頃、切身屋で無駄話をしていたとき、まな板に水洗いしたシイラが乗っていた。みそ漬け用としては大振りの60gの切身にするためである。切身屋は骨のない背の部分だけを正確に60gの切身にしていく。尾に近い部分は、「お得感が出るように切るのがプロなのよ」と言っていた。「昔(バブル期)はブリやサワラに化けていたけどね。今じゃシイラで出ています♪」ちょっとお高い弁当用である。ちなみにこの時すでにチェーン店や町の平凡な弁当総菜の店では国産魚は使っていなかった。高いのもあるし、質にばらつきがあるせいだ。国産魚といえば、養殖のブリは業務用の弁当に使えても天然のブリは使えないし、シイラを使うこと自体が珍しかった。「国民の質が落ちているんだろうね」と言ったのは築地場内の老人である。魚をまるでナショナルブランドのチョコレートのごとく思っているのが、今どきのヒトなのである。花火を見て夏を感じるのに、魚を食べて季節を感じない。さて、バブルの時、よくブリやサワラにに化けたことがあるシイラだけど、切り身屋も築地の老人も「みそ漬けにするとブリ以上の味だし、値段も安いんだから罪はねー」という。ボクなどもそうだと思っているがいかがだろう? 今や料理店でシイラの焼き物が出てくるとうれしくて泣けてくる。夏から冬にかけてのシイラは決しブリやサワラに味で劣るわけがない。さて、7月の末、神奈川県、小田原魚市場、原辰定置のシイラ中型(5㎏)を一本連れ帰ってきた。
コラム

オキヒイラギはやっぱり丸干しに限る

神奈川県小田原市、江の安定置、ワタルさんにオキヒイラギをいただいてきいた。標準和名よりも山口県の「平太郎」、高知県の「にろぎ」の方が有名だと思う。相模湾周辺ではギラとかアブラッコというが、高知や山口ほど人気がなく、東京湾沿岸、相模湾、駿河湾の周辺ではまれに干物などにする程度だ。おいしいのに東海、関東などであまり知名度が上がらないのは、単に呼び名のせいだと思う。ちなみに「にろぎ」は呼び名的には弱いが、かの檀一雄がオシなのである。檀一雄は昭和という時代に唯一、素材にまで言及した小説家で真の食いもん好きだ。そして、「平太郎」は太郞なのである。擬人化もここまで優れているとまるで商品名の戦略会議をしたようではないか。ちなみに鹿児島県、熊本県、福岡県、山口県、岡山県、徳島県、などなど全国各地で買い求めたオキヒイラギで丸干しを作っているが味に遜色はない。同じなのだ。
コラム

丑の日には大穴子蒲焼き丼なのだ!

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に宮城県産の大アナゴがあった。触った感じ締まっていないし、料理屋の店主が仕入れているのを見て、釣られ買いした。こんち丑の日とはいかなかったが、少し遅れて長いものを食い暑気払う、のだ。75cm TL・713gなので、兵庫県明石ではデンスケ、広島ではトウヘイと呼ばれるサイズである。このサイズ、すし屋、天ぷら屋が使いにくいので少々安く買えるのもありがたい。その上、安いからと言って味が劣るわけではない。むしろ余計に脂がのっていたり、焼いてふっくら福福するなどいいところだらけである。さて、土用丑の日に鰻を食べる習慣は明らかに江戸時代後期からだと思う。平賀源内とか太田蜀山人だとかの説があるが、時代的に合わない。意外に普通の鰻屋が、何気なく考えたら当たったというあたりが正しそうだ。ちなみに関東のウナギ漁を何カ所かで見ているが、天然ウナギの旬は秋なのである。天然ウナギの旬ではない時季だからこその土用丑の日なのだ。土用丑の日に「うがつくものを食べる」などというが、むしろ「長いものを食べる」という地域の方が多い。だからうどんを食べる地域もあるし、ドジョウを食べる地域もある。長いと言えば穴子(マアナゴ)も同じ、ボクの昔の仕事場近くの鰻屋にも大行列が出来ていたようで、死ぬ思いをして食べたと自慢された、今年の土用丑の日だが、土用丑の日こそ自宅で穴子を食うべしなのだ。
船上締めで鮮度抜群のトビウオ
コラム

立夏前、千葉県鴨川からトビウオが来た

7月31日、八王子綜合卸売協同組合、マル幸の店頭、目線を下げた途端、パーチの下にあるトビウオ科の魚に違和感を感じた。ツクシトビウオかなと思って引っ張り上げたらトビウオであった。立秋前のトビウオは、少し早い気がするが気のせいかな。東京には早春というよりも真冬ともいえそうな2月になると大型のハマトビウオが鹿児島県や四国、東京都島嶼部、静岡県、紀伊半島などからやってくる。春めいてくると相模湾でもハマトビウオが揚がり始める。晩春から初夏にかけてはツクシトビウオ、ホソトビウオがきて、夏真っ盛りになってトビウオがみられる。毎年、多少早い遅いがあるものの、この順番は変わらない。ちなみに数日前、小田原魚市場で見たのはウチダトビウオとツクシトビウオである。相模湾奥の小田原周辺よりも外房の方が暖流の影響が強いためトビウオなど、暖流の申し子は外房の方がとれ始めは早い。千葉県鴨川産で体長27cm・263gが今季初トビウオであった。船上締めしているためか身が硬く締まり鮮度抜群である。
コラム

千葉県銚子は江戸にとっては鰯の故郷

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に千葉県銚子からマイワシが来ていた。最近、マイワシはどこの産でもいい、といった感がある。全体の鮮度の水準が上がっているのだ。あとは脂ののりだなと思って水氷の中に手を突っ込んで、数尾つかんでは離す。触った個体すべてに張りがあり、脂が感じられる。お隣に別の産地のものがあったが、段違いにいい。江戸時代から昭和の初期にかけて千葉県銚子は江戸時代以来の水路(高速道路)の始点のひとつ。この江戸までの直行便があったために醤油業が栄え、漁業が栄えたのである。ちなみに江戸時代、鰯(マイワシ、カタクチイワシ)が江戸の町の基本食になったのも、この利根川→江戸川→新川→小名木川→日本橋の舟運によるのである。それから昭和をへて平成にかけても、銚子はマイワシの供給地であり続ける。そして一時の不漁期を経て、また銚子の鰯が復活してきている。全国的なマイワシの豊漁期が近づいてきている気もする。
コラム

入手困難ヒラソウダ

神奈川県、小田原魚市場、原辰定置の発泡の前で立ち止まっていたら、次々に同じ目線で立ち止まる人がいる。顔見知りなどボクの方を見て、「だろ?」と言っているかのようだ。ボクが非常に欲しそうな顔をしている魚を、ときにゆずってくれることがあるので、欲しいな、欲しいな、という顔をしてみせる。1980年代にはわんさかわんさかとれて、漁師さんのおかずでしかなかった魚である。昔、小田原の釣り宿で地元の水産業者と名乗る人に、この魚の話をしたら、「丸(マルソウダ)は金になるが平はおかずにしかなんねーだら」と言われたことがある。同船宿の船頭に、この魚を海面近くで釣り上げて喜んでいたら、「手返しが悪い」と怒鳴られたことさえもあった。ボクの視線の先にあったのがその魚、1.5kgのヒラソウダである。遠目で見ていても立ち止まっている人がいる。ボクは食べたいだけだけど、魚屋さんたちは納入先を考えているに違いない。最近、ヒラソウダのおいしさを知る料理人が増えているのだ。結局、このヒラソウダは手に入らなかった。たぶん漁協(小田原)の水揚げで米神岩の沖合いの個体だろう。手に入ったのは、体長33cm・544gであったが、食べたいだけのボクにはこれで十分だ。ヒラソウダの旬は秋が深まる時季から師走、新年にかけてだと思っている。これが鹿児島や大分や四国、紀伊半島、伊豆半島周辺で微妙にずれる。しかもヒラソウダの凄いところは旬ではなく脂がなくても、そこそこうまいことである。
シイラのステーキ
コラム

シイラのステーキで、ご飯おかわり!

神奈川県、小田原魚市場、原辰定置のシイラ中型(5㎏)を一本連れ帰ってきた。当然、朝から晩までシイラ、シイラ、シイラ料理なのだ。ちなみにシイラを手放しにほめたいわけではない。例えばシイラはある程度大きくないとダメだ。小型は干物にしたり、ボクの生まれ故郷、徳島では燻製にしたりしてうまいなー、とは思うけど、鮮魚では今ひとつ工夫しないとうまくない。まあ工夫するのも楽しいけど、大小あれば大ってのがシイラなのである。さて学生時代に雑誌で覚えた料理と、バブルのときに鉄板のあるステーキ店で見た料理法を合体させた料理を作る。ステーキである。ステーキ店ではホタテガイを牛肉と同じような味つけにしていて、食って、感激して、以来の我が家の勝手に真似真似料理である。ちなみに若い頃、深夜ワイワイガヤガヤやっていたときに、ほぼデルモで日常会話は英語という、女子が焼いたステーキの作り方も同じだったのでアメリカンなのかも知れない。
マアジ
コラム

小アジおいし小田原、なーのだ

神奈川県、小田原魚市場、二宮定置に小アジを分けてもらう。手の平に乗せただけで、身に張りがあり、体表の色も違っている。どう考えても、野締めではない。帰宅して測定すると体長12cm・25g前後だった。マアジは20gもあれば立派な刺身が作れる。明らかに「刺身で食べてね」という意味である。大小に関わらずというか、むしろ小さい方がうまいのは、アジ科の魚でマアジくらいだと思う。持ち帰った水産動物は、撮影しなければならぬものは撮影の準備、撮影しないものは水洗いして下ろしておく。ここで体の塩分を洗い流す。この時季の小田原魚市場には箱根颪という名の熱風が吹く。ここに3時間前後立っているだけで、体中に塩味がつき、頭がクラクラしてくる。
エサをくわえたシイラ
コラム

シイラの刺身に旬の始まりをみた

神奈川県、小田原魚市場、原辰定置のシイラ中型(5㎏)を一本連れ帰ってきた。水揚げされたばかりのシイラの美しさは表現しようがない。頭は宇宙怪獣ジャミラのようで、じーと見ていると動き出しそうで恐い。美しいと不気味さが同居している空想世界にいる何か、のようでもある。最近、シイラのことを毒魚とか、まずいとか書いているネット上のサイトをよく見かける。所謂フェイク魚情報という悪質なものである。シイラは島根県などで食中毒が起こったことがある。でも問題なのはシイラ自体ではなく、白身ではなくむしろサバ科の魚のように鮮度保持が難しいことにある。ちなみにシイラの一大産地である島根県でもいろいろ研究が進んでいることも述べておく。島根県、高知県など日本各地で揚がったシイラを心待ちにしている地域がある。岡山県や広島県、長野県の山間部である。岡山県新見市や広島県庄原市で聞くと、多くの人が刺身が好きだという。例えば島根沖、シイラ漬け漁業で揚がったシイラが山間部に送られ、刺身や焼き物になって食卓を飾っていたのだ。庄原市の女性など「サメもうまいけど、マンサク(シイラ)の刺身にはかなわん」とのこと。ちなみにシイラの刺身のうまさは食べ慣れたからうまいのではなく、シイラ自体がうまいのでる。さて、小田原は国内随一、魚の扱いがいいところである。原辰のシイラも見事なものだった。
コラム

オキアジの刺身はやはり五つ星

八王子綜合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウが銭州で釣り上げた魚にオキアジがあった。体長41cm・ほぼ2㎏を筆頭に大型ばかりである。オキアジは相模湾でもときどきサビキなどにかかるが、若魚しか釣れたとは聞いていない。これってすごいことかも知れぬ。こんなに大型の個体が5、6尾も釣れ上がること自体めったにないことではないだろうか?ちなみにオキアジはあまり大きな群れを作らず、比較的沖合いの泥場・砂場などで、泥や砂と一緒にエビや軟体類をエサとしているようである。クマゴロウの仕掛けが落ちたところにちょうど、この小さな群れがたまたまいたとしか思えない。さて真ん中のサイズ、体長35cm・1.2kgを連れ帰ってきた。相変わらず魚屋が活け締めにしたものなので鮮度抜群である。三枚に下ろすといちばんいい時季ではないものの、ほどほどに脂がのっており、味見すると豊かなうま味がある。たぶん、オキアジは味で魚のトップランナーの1種である。もちろんサイズはあるがいつ食べても味わい深く、しかも食べた後にも味が殷々を舌に残る。
ヤマトカマスの水揚げ
コラム

神奈川、スーパーヤオマサのかますの酢じめ

現在、小田原で水揚げされている水ガマス(ヤマトカマス)は小振りであるが、これが秋になると徐々に大きく育つ。小さいけれど、フライにすると抜群にうまいし、天ぷらにもいい。開いて干物にしてもいいと思う。ときに愚かな食通とかなんとかが、本ガマス(アカカマス)と比べると水ガマスは劣るとか、まずいとか言うけれど、そんなに簡単に切り捨ててもらっては困る。こんな無知な話を、聞いて、読んで、食べてもいないのに、あれこれやととやかくいうヤカラがいるのも困りものである。実は水ガマスはじっくりしっかり食べて味わえば、非常にうまいのである。小田原魚市場に水揚げしている日渉丸、江の安、ワタルさん曰く、「100g手前くらいになると刺身は最高だよな」は非常に正確な表現であって、水ガマスの刺身は当日限りではあるが、金の草鞋を履いてでも探して食べろ、というくらいにうまいのだ。問題はうま味豊かなのに保ちが悪いことなのだ。だから干物になり、カマスの干物で一升飯なのである。
千葉県船橋産こはだ
コラム

江戸前船橋のこはだ、でぃ

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に江戸前、千葉県船橋産のコハダが来ていた。非常に鮮度がよく、きらきらしている。標準和名のコノシロで、逆出世魚(これはボクの造語です)である。小さいほど高い。初夏の新子、ししてコハダ、少し大きくなってナカズミとなりコノシロとなる。昔、この成長段階での呼び名を定義づけようと思ったことがあるが、やめた。てんでんばらばらだからだ。「それでいいのだ」というすし職人が多いのも事実だ。おしなべて高級すし店のコハダは小さく、町のすし屋(町ずし)のコハダは大きめである。今回の個体はほぼ同サイズで、全長19cmなので高級すし屋は使わないけど、町ずしは好んで使うていのものだ。ちなみに個人的にはこのサイズが大の好物である。この1週間トラブル続きなので、午前2時くらいに目が覚めて、軽く酒をやることが多くなっている。その深夜酒の肴に買い求めてくる。
鳥羽市安楽島産バテイラ
コラム

鳥羽市安楽島のシリタカを食べて考えた

三重県鳥羽市安楽島、出間リカさんに磯ものをいろいろ送って頂く。中にバテイラが入っていた。この磯の巻き貝は味のいいことから国内各地で愛されていて、膨大な量の呼び名が存在している。鳥羽市安楽島ではシリタカ(尻高)だ。巻き貝は真横から見ると基本的に円錐形である。この円錐形をお尻と考えるのは鳥羽市だけではなく、日本各地でも同じだ。四国ではお尻を「つべ」というので、愛媛県ではツベタカだったりする。鳥羽市安楽島産バテイラの特徴は思い切った尻高であることだ。これまで撮影した中でいちばんのっぽかも知れない。さて、バテイラは磯の小型の貝としては珍しく流通の場でも至って普通である。昔は比較的手頃な値段だったが、近年やたらに値を上げている。昔はサザエよりも安いバテイラだったが、現在では真逆であるのは好物なので悲しい。この磯玉とか磯もんとかされる小型の巻き貝が心底好きなので、市場で見つけると、最低限ではあるが買い求めて深夜酒のあてに買っている。長年、産地での味の違いはさほどないと思っていたら違っていたようだ。
コラム

舞鶴産ダルマ大小ありが素晴らしかった

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に京都府舞鶴産のダルマ(ケンサキイカの若い個体)がきていた。舞鶴漁港には京都府の丹後半島・若狭湾全域から船で、陸送で魚介類がやってくる。そんなこんなで厳密な産地はわからないが、なんとなく想像してみるのも楽しい。プロにしかわからないことだけど、ダルマ(小型)は産地で重さを量って氷の上に平らに並べた(下氷)だけの荷(発泡の箱)仕立てでやってくる。大きくなるとていねいに並べられてくるが、かなりお高い。比較的貧しいので、ダルマのお買い得感に惹かれてしまう。今回の荷が取り分け魅力的なのは大小ばらつきがあることだ。とても優秀な居酒屋さんなど喜んで自分好みの大きさを拾い、仕入れていく。小さいのを選んでいるときには「煮イカ」、大きいのを選んでいるときには刺身だろうななんて、「いいサイズですね」なんて横から声を掛けると、「今数えてるんでい」と怒鳴られので止めましょう。さてボクは大80gを2はい、小25gを手の平一杯買って来た。
ツムブリの小
コラム

ツムブリ小、意外に美味

八王子綜合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウが銭州で釣り上げたスマートな魚をボクにホイっ、とくれた。全長50cm以上あるのに重さは2㎏足らずでほっそりした魚なので落としそうになる。標準和名のツムブリを紡錘魚と書くのは、糸を縒るときの糸巻きの形をしているからだ。英名はレインボーランナーで、虹色に光りながら海を猛スピードで泳ぐ魚という意味。千葉県勝浦沖で一度だけ体側を七色にきらめかせながら海を走り抜けるのを見ているが、釣ったことは、ない。本種は全世界の熱帯域から温帯域を遊泳している。ちなみに昔は、国内でも本種が揚がるのは房総半島くらいまでだった。その黒潮洗う外房でも珍しい魚だったと記憶している。これが今やオホーツク海でも揚がっている。これがいかに未来への大きな不安材料であるか、いかに未来に黒い影を落としているか、ちゃんとわかっていないとダメだ。
コラム

梅雨明け直前、ちゃんと活け締めしたイラは最高!

八王子綜合卸売協同組合、マル幸、クマゴロウが銭州もしくは利島あたりで釣り上げたものだ。1.4kgは本種としては大物である。本種を釣り上げたことがないのでよくわからないけど、平べったい魚なので釣り味もいいのでは。さて、7月中旬の個体は左右が膨らみ加減ではあったが、生殖巣は膨らんでいなかった。ベラ科の産卵期は初夏だと思うので産卵後、エサを荒食いしている時季ではないか? 消化管の中は貝殻などで満杯の状態だった。下ろしてみる。三枚に下ろすと切った側が膨らんでくる。ベラ科の魚の脂がのっているか否かはわかりにくいものの、味見の切身を舌の上で転がすと明らかに脂の存在を感じる。イラは産卵後の回復が早いということなのだろう。魚屋が釣り上げて締めた魚なので、鮮度抜群である。イラは鮮度が悪いと変に水っぽく感じるが、新しいと身が締まっている。
鴨川産ハガツオ
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ほぼ梅雨明けの千葉県鴨川産ハガツオ

八王子綜合卸売センター、福泉に千葉県鴨川から中型のハガツオが来ていた。千葉県鴨川市にある定置網は大きく、黒潮を直接受けるところなので回遊性の魚が多い。見事な同鴨川産ゴマサバと並んで鮮度抜群のハガツオがあったので思わず買ってしまった。ハガツオの旬は秋から晩春(4、5月)くらいまでだと思っている。魚には生殖巣が大きくなると脂が増すものと、脂がなくなるものがある。イサキなどは産卵近くになっても脂があるが、ハガツオは抜けていくのだ。ただし眼の前にあるのは、船上締めをうたっているだけに鮮度もいい。本種など、基本的な魚に関しては春夏秋冬買って食べてみている。そんな季節の中で比較的漁獲量が多い時季の、夏ハガツオというのも「買い」の理由である。
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鳥羽市安楽島のバフンウニうまし

三重県鳥羽市安楽島、出間リカさんに磯ものをいろいろ送って頂く。中にバフンウニが入っていた。鳥羽市では「がぜ」と呼ぶ。日本列島で揚がる食用ウニはバフンウニ、エゾバフンウニ、キタムラサキウニ、アカウニ、ムラサキウニ、シラヒゲウニ、ガンガゼ類などだ。国内流通する国産ウニのほとんどが北海道で揚がるエゾバフンウニとキタムラサキウニで占められており。温かい海域であがるウニ4種である、バフンウニ、ムラサキウニ、アカウニ、シラヒゲウニなどは近年、ローカルな存在になってしまっている。またバフンウニは地域によっては苦味の強い個体があるなど、食べる地域と食べない地域がまちまちなのである。ちなみに大阪の市場では、古くから標準和名のバフンウニがいちばん人気が高かったそうだ。
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羅臼産ブリの旬は梅雨時から始まる

6月末、北海道羅臼町の定置網に、時鮭(トキシラズ/サケ)が入っているのは当たり前だけど、10㎏以上のブリがそれ以上に入っていたのには驚かされた。2009年の秋口、北海道から「見たことのない魚がとれました」と連絡が来て14年、いつの間にか北海道は、ブリ最大の産地になっている。ただブリがとれる時季が想像以上に早すぎないかと、不安がよぎる羅臼旅からもどって半月。なんとその羅臼産が八王子綜合卸売協同組合に来ていた。8㎏なのでブリとしてはぎりぎりだし、少々痩せているが、マル幸、クマゴロウ曰く100パーセントブリ、しかも上物だという。ちなみに最近の傾向では、8㎏級は関東の市場においては立派なブリである。さて、どんなに上物でも7月のブリは安い。撮影したいのもあり、丸々、1尾買ってきた。不思議なことに痩せているのに体表に脂が感じられるのである。ちなみに7月のブリといてば「がりごり」とか「ごりごり」とか言われる。脂が抜けて身が痩せ、硬くなって非常にまずいのだ。鹿児島県など、初夏にまとまって揚がる地域では、抱卵個体はある程度の値で売れるが産卵したら商品価値はゼロになる。根室海峡で揚がるブリは索餌回遊で、北の海で獲物をむさぼり食っているのだと思う。産卵回遊のブリはなんどか食べたことはあるが、産卵後エサをむさぼるために北上したブリは食べたことがない。
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釣れてうれしい小ゴマサバで祐庵焼き

さて相模湾ではイナダとかイサキ釣りとか、初心者でも楽しめる釣り物が多い時季である。ボクと魚の話などしたこともない、たぶんボクの本業を知らないに違いないという人の息子さんから、初釣果をいただいた。「魚の食べ方を教えて欲しい」って聞かれて、なんだボクの商売を知っていてくれたんだとわかってビックリ。といってもそんなにたくさん釣れたわけでもないようなので、いちばんたくさんクーラーに入っていた、ゴマちゃんを2尾だけもらい、大量に釣れているゴマサバ、イナダ、アジ(マアジ)、小イサキの保存方法とかいろいろアドバイスしてきた。ちなみに釣り初心者は釣れたら釣れたままなので、釣り当日でもゴマサバは生で食べるのは難しい。大名下ろしを教えて、イナダの煮つけ、マアジのなめろう、イサキの刺身を作り、幽庵焼きの仕込みを一緒にやって来た。
ちりめんスパゲッティ
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ちりめん使いつくし作戦、トリはちりめんパスタ

四国徳島県人なので、露地物のすだちが出たら、ちりめんを買いに行こう、となる。都内でいいちりめんとなると豊洲市場に行くしかない。関西、四国で当たり前に手に入るちりめんが関東では手に入れにくい、どころかめったにないのだ。さて、毎日毎日水産生物がやってくる。我が家には保冷剤専用の冷凍庫があるのだけど、あまりにもたくさんくるので、底の底の底の保冷剤まで掘り出しても、くる水産生物に追いつかない。保冷剤は4列並びになっている。その最後の1列の底から見慣れた『日本丸大』の紙袋が出て来たのだ。いつ買ったのか忘れるくらいに昔のものらしく、ビニール二重にくるんでいても、そのまま食べるとひねているのがわかる。思った以上に残っていたので、チャーハンを作って、またチャーハンを作り、最後の一握りでパスタを作る。ちりめんは飯ものに使うに限るのだ。パスタなので誰でも簡単に作れると思う。1.6mm、9分のスパゲッティをまずはやや多めに塩を放り込んだ鍋に、放り込む。フライパンににんにく1かけと鷹の爪を刻んで加え、ちりめんも加えてチリチリ香ばしくソテーする。茹で上がったスパの湯をきらないようにフライパンに投入して火をとめ、八百角(八王子綜合卸売センター)で買ったブッシュバジルを大量に加える。皿に盛り、ちょっとだけ高いオリーブオイルを追いかけして、ブッシュバジルをてんこ盛りにして出来上がり。塩気はちりめんの、とゆで汁の、だけ。ブッシュバジルがやたらに香りよく、しかも菜らしい味がある。このブッシュバジルの香りと青臭味が、ときどきパリパリ、さくさくっとする、ちりめんと、ちりめんから出ただしを吸ったパスタに合う。パスタはちゃんとちゃんと1人前だけど、足りませぬなー。ポテチン。
八戸産マイワシ
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八戸産マイワシ上々

ここ数年、年年歳歳、季節ごとに、月ごとにマイワシの産地が変わる。明らかにマイワシが豊漁期を迎えたのだと思う。考えてみると俳句の季語的な「入梅鰯」などという、もともとからしてわがまま俳諧人の、現実離れした話が当てはまる地域はがんばって探さなくてはならなくなり、不漁期を乗り越えて年間を通して国内のどこかしらでマイワシは旬を迎えるように変わってきた。八王子の市場には青森県八戸産のマイワシが連日やってきている。今のところ並イワシの仕立ての4kg箱(昔は8㎏なんてのもあった)だけど、鮮度は十二分によく、しかも脂がのっている。7月は夜明けどきに起きるとお茶と菓子、仕事に励み空腹をなだめながら市場に行き魚を探す。面白いもので満腹だと魚がおいしそうに思えないのだ。
明石のマアジ
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大アジに明石海峡夏景色を感じる

八王子綜合卸売協同組合、マル幸に兵庫県明石市明石浦漁協から大アジ(マアジ)が来ていた。見事なアジではあるが値段もすごかった。マアジは大きいからうまいとは限らないというか、大きい方が腑抜けアジであったりする。小さい方はドングリ君的な感じ。山猫のボクとしては懐具合もあって大アジには警戒心が沸くのだけど、マル幸のクマゴロウ曰く、「ばっきばき(魚屋はしばしば上物にこのような言語を使う)だかんね」、は百パーセント正しいと思う。ちゃんと財布の中身を考えてあまり大きすぎない、体の後半に厚みのあるのを1尾買う。それでも体長38cm・748gあった。今、明石浦漁協の眼の前の漁場では1㎏上も揚がっているという。本来、淡路島から明石海峡、播磨灘にかけてのマアジはそれほど大きくなかったはず。大アジの産地は和歌山県加太あたりだ。まさかとは思うが温暖化で紀伊水道の大アジが鳴門海峡、もしくは明石海峡を越えて播磨灘に入ったのかも。ちなみに瀬戸内海の食文化は魚に関しての話だけど、ブリの若い個体、ハマチを好んで食べたり、ベラ類を食べたりなど、小魚文化だ。マダイやサワラ、ヒラなど瀬戸内海で産卵する種以外はすべて小型なのである。それなのに明石でブリが揚がり、大アジが揚がっているのは、明らかに播磨灘の海水温が上がっているためで、決して手放しで喜べない。ちなみに明石海峡の周辺は栄養豊富なのだ。小エビ類が多く、イカナゴ、カタクチイワシのシラスがいたり、マダイにしてもスズキにしてもマルアジにしても明石海峡大橋をくぐると脂体質に変身する。だから今回の大アジも触っただけで脂が感じられる。下ろしてみると生殖巣がほとんど見られないのは索餌回遊だからだろう。
エゾイシカゲガイの貝
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夏だ、イシガキガイだ!

岩手県陸前高田、広田湾から今年もイシガキガイ(エゾイシカゲガイ)がやってきていた。八王子でこんなに高いものを持ってこれるのは、八王子綜合卸売協同組合のマル幸しかない。なにしろ今や閖上のアカガイと変わらないというか、以上の値段がつく。本種はもともとは浅場の底曳き網などで混獲されるものでしかなかった。それが細々と入荷していただけだ。これをもちろんプロの間でのことだけど、高級二枚貝として認知されるようになったのは、広田湾で養殖され始めてからだ。ちなみに二枚貝の養殖は比較的栄養分の多い海域に稚貝を保護して育てるだけ。魚の養殖と比べると汚染も膨大な魚粉を消費することもない。毎年、広田湾からの荷を見る度に、夏だな、とマル幸のクマゴロウと話している気がする。今年も入荷の度に刺身用に数個ずつ買う日々が始まったことにもなる。エゾイシカゲガイはトリガイと同じザルガイ科で見た目が似ている。違いは強い放射録と貝殻の厚みである。筋肉はトリガイは黒、エゾイシカゲガイは黄金色だ。
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お呼びでない、ゴマサバでセビチェ

八王子の市場人には釣り師が多い。釣り物で季節が感じられるくらいに多いといってもいいだろう。今、相模湾でもっとも釣り師に嫌われている魚、それはゴマサバである。大きければいいのだけど、体長30cm・500g前後なので釣り味悪し、食ってもまずいし、なんて感じだ。だから大物釣り師たちには大物のエサでしかないし、仕掛けを無駄に消耗させるヤな魚でしかない。ゴマサバは近縁種で一般的にサバとされているマサバと比べると生息域が遙かに広い。太平洋、インド洋の熱帯域ではマルソウダとともに重要な食用魚ともなっている。古くは相模湾以南の太平洋沿岸に多かったが近年北上傾向にあり、漁獲量も増えているようである。
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羅臼、野家の八角干物はウマスギ!

北海道羅臼町、野家のオバアチャンは干物作りの名人である。山陰・東北以北は本来ひもの作りに向いていない。そこで考え出されたのが回転式の干物機である。特に羅臼町は霧の町なので湿度も高そうである。漁家である野家の作業所の一角には、当然の如く回転式の干物機が置かれていた。吉定丸が羅臼沖でとった魚の一部を干物にしている、そんな想像をいだいていたら、案の定、オバアチャンが立て塩に漬けたばかりの魚を干し始めた。産地で回転式干物器が回っているのを見つけると、回っている魚の正体が無性に知りたくなる。この日、干し始めたのはホッケである。ホッケは、鮮魚の入荷は築地以前、明治期・大正期にも来ていたが、関東で干物が平凡な商材になったのは、塩乾などの荷受けで聞いた限りでは1970年代ではないか? という。ちなみにボクが初めてホッケの干物を食べたのは、新宿にあった、『北の家族』というチェーン店でだ。同じクラスの遠軽生まれの秀才が「北海道じゃ普通だけど、お前ら食ったことネーだろ」と言ったのを覚えている。さてトクビレ(雄を八角)を初めて見たのは1980年代の終わり頃、見るためだけに回っていた築地で、初めて魚を買った、魚たちのひとつである。図鑑でしか見ていなかったので興奮した憶えがある。この八角(トクビレ)、野家では昔は廃棄していたようだ。産地で廃棄していたものが、持ち帰って競りにかけたり、食べるようになったのは消費地や食べる地域での食文化の逆輸入した、とでもいえそうだ。

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