小糸ちゃんはできすぎ3、干もの編
干もの屋さんへ、製品化したらいいんじゃないかな?
焼き上がりを手で食べながら、イトヒキアジ本来のうま味というものにビックリしている。
頭部を落としただけの丸干しに近いものなので、身離れのいい左右の身を手で割ってむしゃむしゃ、手で割ってむしゃむしゃする。
眠れない夜にビールはないだろう、と思いながら偽ビールで口の中を冷やして、また食べる。
アジ科の魚はうま味が非常に豊かだ。
これは上品なものではなく、古今亭志ん生のようなものである。
おいしいので思わず、ワッハッハと笑ってしまうようなおいしさだ。
骨にちょっとくっついた身まで余さず食べてしまう、この味ってなんだ? と思ってしまう。
やはりイトヒキアジの体形からくる皮の面積の広さからやも知れぬ。
身に豊かなうま味がある上に、皮には焼いた時に生まれる香りがある。
今回持ち帰ったいちばんミニですら味わいが大きいのだから困る。
さすがに午前2時半では偽ビールもう1本はいかんだろう。
小糸は秋口の風物詩でもある
9月20日、小田原魚市場、二宮定置はやや低調であった。
そんなときに限ってボクが好きなものが揚がる、というアンバランスな状況となる。
そんな中、秋だなと思ったのが小糸ちゃんである。
今回持ち帰った体長10cmから20cmのイトヒキアジでである。昔からとれていた魚で、やはり秋から冬にかけて多かったが、近年、希に成魚も揚がるし、暮れが近づくと一回り大きなサイズが揚がる。
糸を引いている小型は漁業的にやっかいな魚で、非常にうまいのに評価されていない。
ある意味、未利用魚である。
以上は何度も書いた。