京成電鉄の路線図をみて考えた
西東京に住んでいると下町は名古屋よりも遠い
下町という言語はいつから世間に流布したのか? 東京都内を飛び出して全国的な言語になったのか?
1963年の映画『下町の太陽』からだと思っている。
本来、下町とは小林信彦が述べているように中央区を指す言葉だった。
この3区で、隅田川両国橋の西の「両国(本来の両国のことで現在の両国は葛飾。現東日本橋たり)」という地名が消えたために、最も下町だった中央区が下町でなくなる。
そして、もっとも一般人の下町感を変えたのは映画だ。映画によって下町は東へ、東へと広がり、移動していく。
映画『下町の太陽』で隅田川を越える。『男はつらいよ』(1970)で荒川・中川も越えたことを明確化する。考えて見ると、渥美清の台詞に「私、生まれも育ちも葛飾柴又です」があったはずで、主人公は葛飾在と言っているのに、下町の代表になる。
蛇足だけど、『下町の太陽』は、あまりにも倍賞千恵子が可憐かつ美しすぎて、ほかの俳優は2度も見たのにぜんぜん記憶に残っていない。取り分け勝呂誉などいなくてもよかったかも。
京成の路線図を見ていると、山田洋次(1931〜)の社会学的意味は大きい。