80cm SL を超えることがある。やや側扁するが細長い。口に2対のヒゲがある。
コイの生物写真一覧 (クリックで上に拡大表示)


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魚貝の物知り度
★
知らなきゃ恥食べ物としての重要度
★★
地域的、嗜好品的なもの味の評価度
★★★★
非常に美味
分類
顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区ニシン・骨鰾下区骨鰾上目骨鰾系コイ目コイ科コイ亜科コイ属外国名
学名
Cyprinus carpio Linnaeus, 1758漢字・学名由来
漢字 鯉 Koi
由来・語源
漢字「鯉」の音は「り」。“里”は“理”と同じで縦縞の入ったと言う意味。本来は縦縞模様のナマズの一種を差した言葉。これをコイに当てはめたのは、鱗が縦に36枚並ぶことから、1里は36町であることになぞらえたもの。
「鯉魚」と書き〈りぎょ〉という読み方もある。
■ 黒っぽい体色から、「濃い」の意味。
■ 「雌雄相恋して離れないので“恋”からきた」。
■ 「身が肥えていることから“肥え”の意」
■ 「味がほかの魚に勝っていることから“越”の意で」
■ 「推古天皇のときに定められた冠位十二階に由来する。タイを“大位”、コイを“小位”の意。Linnaeus
Carl von Linné(カール・フォン・リンネ 1707-1778 スウェーデン)。二名法を確立。地方名・市場名
生息域
淡水魚。河川の中・下流域、湖沼、ダム湖。
日本全国。生態
雑食性で動物性のイトミミズやタニシ、シジミ、植物の藻や水生植物などを食べる。
産卵期は5月上旬から初夏にかけて。基本情報
国内にはもともと日本列島に生息していたノゴイ(マゴイ)と、ユーラシア大陸からもたらされて今では普通に見られるコイ(ヤマトゴイ)の2種がいる。ノゴイは非常に希少種で、食用とされているのはあくまでもヤマトゴイの方だ。
古くから養殖が行われ、内陸部では重要なタンパク源であった。コイはマダイとともに非常に人口に膾炙した魚だった。四条流包丁式に使われ、五月の節句の鯉のぼり、また龍門の鯉のような伝説まである。
身近な水源で飼うことが出来、雑食性で成長が早いので人気の高い魚であったものが、海水魚が手軽に手に入るようになって、関東などでは流通上特種なものである。今や関東の市場などでも注文しないと手に入らない存在になってしまっている。また食べる地域も限定的。コイの伝統料理とともにコイを食べる習慣も徐々に少なくなっている。
海水魚に負けない味のいい魚なので、食文化を残した地域においでの際にはぜひ食べてみて欲しい。水産基本情報
市場での評価 入荷量は関東では非常に少ない。値段は安い。
漁法 養殖ものがほとんど。えり(定置網)、釣り
主な産地 秋田県、福島県、群馬県、宮崎県、福岡県、長野県、富山県、山形県、鹿児島県選び方
生きているもの。生きている内に調理したもの。味わい
旬は寒くなってからで、特に冬。夏は内臓が痩せていて、生殖巣が膨らんでいない。秋になるとこの内臓、生殖巣が膨らんでくる。
鱗は薄く大きく、生食する以外は取る必要がない。よく煮込むと、身よりもおいしい。皮は厚く、煮るととろっとする。骨は頭部、中骨、筋肉に入り込んだ小骨も硬い。
血合いの赤い透明感のある白身。熱を通しても硬く締まらず、長時間の煮てもいい。ゼラチン質が多く煮凝りができる。
筋肉よりも卵巣、精巣、内臓の方が味がいい。
注意/寄生虫の肝吸虫、横川吸虫などが寄生する。食するについては自己責任で。栄養
ー危険性など
肝吸虫、横川吸虫などが寄生食べ方・料理法・作り方 (基本はオススメ順掲載です)
コイの料理法・レシピ・食べ方/汁(鯉こく、あら汁)、煮る(煮つけ、甘露煮)、生食(洗い)、焼く(酒塩焼き)、揚げる(鱗揚げ)クリックで閉じます鯉のあら汁
鯉こく(鯉のあら汁) 洗いなどにしたときに出たあらや内臓を一度湯通しして氷水に取る(産地では生のまま煮る。この工程はなくてもいい)。これをみそ汁のなかで鱗などが軟らかくなるまで煮たもの。汁を多くしたみそ煮といったもの。取り分けうまいのは鱗と内臓、生殖巣だ。名状しがたい味。
鯉こく(筒切り) 「鯉こく」は汁けの多いみそ汁で長時間煮込んだもの。コイは胆嚢(苦玉)のみを取り除き、筒切りにする。これをみそを溶いた汁でことこと煮込んでいく。鱗を口に入れて気にならないほどになったら出来上がりだ。コイのうま味の強いだしが十二分に出た汁がうまいし、みそで煮込んだ内臓や鱗は非常に美味クリックで閉じます鯉こく
鯉のあら煮 コイの洗いなどを作ったときのあらをしょうゆ味で煮上げたもの。あらや内臓は生きているものはそのまま、時間がたったものは湯通ししてから使う。鍋にしょうゆ、酒、みりん、水、あらと内臓を入れて火をつける。あくを取りながら煮て、途中なんどか味加減を見る。クリックで閉じます鯉のあら煮
鯉のみそ煮 あらでもいい。一度ゆでこぼし、煮汁を捨てる(生のまま煮るのが普通。この工程はいろいろ試してみて)。これを多めの酒と水・ザラメで煮る。30分ほど煮たらみそを加えて、また30分から1時間煮る。長時間煮ると骨が柔らかくなるものの、筋肉の味は落ちる。クリックで閉じます鯉の洗い 三枚に下ろして皮を引き、非常に薄く切り、冷水にさらしてアデノシン三リン酸を洗いながして、急速に身を硬直させたもの。爽やかな味わいのなかにコイのうま味が感じられる。酢みそでもおいしいし、わさびしょうゆもいい。産卵期には「子つけ(子造り)」がいい。細長く刺身に切り、いった卵をまぶしたもの。クリックで閉じます鯉の洗い
好んで食べる地域・名物料理
秋田県、山形県、長野県、茨城県、埼玉県、千葉県、東京都東部、岐阜県、滋賀県、福岡県、佐賀県、鹿児島県など。
婚礼に鯉こく 長野県長野市松代では婚礼にも「鯉こく」が出た。
こいと豆腐汁 新潟県福島潟周辺。針供養の1月8日(旧暦の12月8日)にコイと豆腐の汁を食べた。『聞き書 新潟の食事』(農文協)
煮つけ 子持ちのコイを筒切りにして甘辛く煮たもの。湖北水鳥ステーション(滋賀県長浜市)
いばら飯 コイを丸ごと炊き込みご飯にしたもの。どうしても撒きびし状の骨や鱗が残るのでそれを「棘(いばら)」としている。[南濃輪中地帯]『聞き書 岐阜の食事』
保存食 四国第二の高山、剣山山頂に近い木屋平(現徳島県美馬市木屋平)は山間部にあり、川まで小一時間かかる。コイは庭にある池などで飼い、食用としていた。
うす(臼)のある魚 〈産婦にはうす(臼)のある魚を食べさせるとよいといって、鯔(ぼら)などを食べさせた。また乳がよく出るようにといって鯉を食べさせるふうもある。〉。現島根県安来市広瀬町比田。『能義奥の民俗』(畑伝之助 島根県文化財愛護協会 1967)たたき(コイのたたき) コイの鱗、内臓、中骨を取り去り、ミンチ状にしてみそと合わせたもの。みそ味の生のコイの味は意外にもそれほど泥臭くなく、ときどき当たる小骨がなかなかいいのである。ねぎと合わせると酒の肴にいい。にんにくを合わせたものもある。雄物川上流域などで食べられている。[石綿養鯉場 秋田県雄勝郡羽後町、菅八鯉屋 秋田県湯沢市]クリックで閉じますコイのたたき
鯉の甘露煮(甘煮、うま煮) コイの胆嚢を取り去り、輪切りにしてしょうゆ、砂糖、みりん、しょうゆでこってりと骨まで軟らかく煮上げたもの。加工品でも多く見かけることが出来る。群馬県、秋田県、山形県、茨城県、長野県、滋賀県、佐賀県など日本各地で食べることができる。クリックで閉じます加工品・名産品
鯉の甘煮 こってりとしたしょうゆ味で煮上げたもの。[丸原鯉屋 山形県寒河江市]
鯉ぶかし かなり濃いめの味つけだが、骨まで軟らかく煮上げている。[丸原鯉屋 山形県寒河江市]
鯉うま煮 比較的こってりと煮たものだが、まったくイヤミがない。[蓮見商店 群馬県邑楽郡板倉町]
鯉うま煮 比較的あっさりと上品に煮上げたもの。[西友 滋賀県高島市今津]
鯉の新巻 富山県福岡町、長野県
鯉あらい 鯉を洗いにして酢みそをつけたパック。[岡水産 北海道石狩市]釣り情報
さなぎ粉(カイコのさなぎの粉末)、サツマイモなどを使った練り餌を吸い込み仕掛け(練り餌を団子状にしたものを螺旋状の道具につけ、その周りにハリをつけたもの)でぶっ込み釣り。ひたすら待ちの釣りだ。歴史・ことわざ・雑学など
季語 冬。
野鯉 コイはユーラシア大陸のものが中国を経て移入されたものとされている。ただし、国内でも化石が発見されている、一般にコイとされている「真鯉(まごい)」よりも体高の低い、黒っぽい「野鯉(のごい)」がいることから国内原産の別種のコイの存在が浮かび上がってきている。国内に棲息するコイが2種になる可能性も大。
コイの養殖 中国で紀元前1500年頃始まるとされる。紀元前5世紀に陶朱公范蠡(はんれい)が『養魚経』というコイの飼育法を表している。范蠡は越の勾践を覇王とした臣。
包丁儀式 コイをはじめとする淡水魚を使った料理は年々廃れていっているように感じる。古く縄文時代から食用とされ、また古代には特別な意味合いを持つ魚としてマダイ以上に珍重されていた。平安時代より四条流(宮中での善部の一流派)の包丁儀式(包丁式)で使われることでも有名だ。
東京の鯉 東京下町は水路の発達したところでコイやフナ、ドジョウなどをよく食べていたという。それが戦後、高度成長期、そして最近となってほとんど残っていない。
ことわざ 中国の竜門の鯉(コイが黄河にある竜門を超えると竜になる)。ことわざの「鯉の滝登り」もここからくる。
俎板上の鯉 死を待つしかない状態、絶体絶命の状態のこと。まな板の上にのせられ、包丁でさばかれるコイに例えたもの。
鯉寺 龍宝寺(東京都台東区寿1-21-1)のこと。以下抜粋「嘉永6年(1853)3月29日、浅草新堀川龍寶寺門前付近に四尺五寸程なる大鯉浮かびいたるを見て、町の人々大騒ぎとなり之を捕えんとせしも大鯉暴れ容易に捕獲出来ず遂に船を出し血気の若者達数名川に飛び込み各自刃物竹槍等にて突き刺し漸く大鯉の弱りたるところを捕え河畔なる龍寶寺庭内大池に放ちやりしか。4月3日大鯉は遂に死せり。
然るに近隣の者、その夜大勢集まりてこれを食せしところ、にわかに高熱にななされ吐血する者も有り40日余大いに苦しみたり。特に料理せし者のうち2人は同月16日に、他の4人は同月23日相次いで悶死せり。遺族の者達この不思議なる祟りにおどろき、ゆかりの者一同と心を合わせ鯉の霊を慰めんと龍寶寺境内に供養の碑を建て篤く弔いたり。」
ぶんしろ 武蔵国にて鯉魚の小なるを「ぶんしろ」と称す。『物類称呼』(越谷吾山著 安永4/1775 解説/杉本つとむ 八坂書房 1976)参考文献・協力
『魚と貝の事典』(望月賢二 柏書房)、『新・霞ヶ浦の魚たち』(霞ヶ浦市民協会)、『新 北のさかなたち』(水島敏博、鳥澤雅他 北海道新聞社) 、『新選漢和辞典』(小林信明 小学館)