コラム検索

検索条件
カテゴリ:
シリーズ:
関連する水産物等:
表示順:

全66件中 全レコードを表示しています
コラム

丁稚羊羹の本場は湖東かも

滋賀県といえば「丁稚羊羹(でっちようかん)」だと思う。ボクが初めて「でっち」という言葉を覚えたのは大村崑が出ていた『番頭はんと丁稚どん(反対に、丁稚どんと番頭はんと覚えていた)』だ。おとぼけ、間抜けな感じだが、どこか憎めず、よくよく考えているようだか、考えていないんだか。菊田一夫の生涯を読んで、丁稚どんはバカでは務まらないと知る。さて、なぜ滋賀県に「丁稚羊羹」が多いのか?やはり近江商人との関わりだろうな。とすると湖北でもなく、どりらかというと湖東だ。今回の日野町など近江商人の中でも日野商人というのまである。日野町『かぎや』の「でっち羊かん」は「丁稚羊羹」の中でももっともおいしいかも。
コラム

滋賀県湖東のういろうと水無月

できるだけ季節を大切にしたい。季節を感じたい。季節感が急速に失われていく現今、和菓子には未だに季節感がある。ついでに言えば我がサイトの重要な部分である、地域性も残っている。滋賀県湖北・湖東地方は「ういろう」だらけ、というか国内屈指の「ういろう」地帯だ。湖西・湖南地方では今のところ、「ういろう」を見ていないし買っていない。「ういろう」には黒白あって、「白ういろう」に小豆をのせたものが「水無月」だ。6月、滋賀県湖東地方は「水無月」だらけだった。旧暦の6月が水無月なので、新暦では7月半ばから8月半ばが水無月である。ということで、新暦の6月は水無月だはないけれど、まあそのあたりは気にしないでおきたい。梅雨入り後、分厚い雲の下、左右に田植え後の田んぼを見ながら、和菓子を求めて車を走らせる。立ち寄った和菓子店全部に「水無月」があった。「水無月」には「氷室開き」との関係とか、いろいろ説があるものの、とにもかくにもボクのような和菓子好きは、6、7月には「水無月」を食うべしだ。
コラム

神戸市岡本、フロイン堂でいろいろ

さて、神戸市岡本駅、谷崎潤一郎という文字が突然浮かんで、突然下車した。なんの当てもなく下車するなんて移動日だからこそ、できることだ。さすがに大正末年の面影はなく、駅の周りをぐるりと一回り。駅南側に見つけた建物に見覚えがあった。昔、魚貝類と無関係のいろんな仕事をしていたことが、こんなときに役立った。食パンで有名な『フロイン堂』である。通りすがりなので、食パンは無理として、店に並んでいるものをいくつか買った。田舎パン、カレーパン、バゲット、バターケーキだ。田舎パンとても味わい深く、ディスクにのせて、ちぎっては食べたが、ボク好みの味だった。
コラム

栃木県茂木町『関菓子店』のおふくろまんじゅうなど

栃木県芳賀郡茂木町に和菓子屋が多い。そのどれもが魅力的であんこや皮などが申し分なくうまい。さて、関菓子店の名物は「おふくろまんじゅう」みたいだ。茶饅頭で、生地に黒糖を混ぜており、つぶあんで、実に素朴だ。
コラム

神戸市、しがらき餅

今神戸旅、兵庫区東山商店街、湊川では3軒で、「しがらき餅」が売られていた。3軒とも同じ形をしていて、きな粉が添えられていた。購った東山商店街『日乃出庵』で聞くと、道明寺(大阪府藤井寺市道明寺発祥とされる。もち米を蒸して乾燥して砕いたもの)を蒸して筒状にし、輪切りにしたもので、きな粉をつけて食べるという。須磨区板宿町の商店街では見ていないので、神戸市全域で作られているのかなどまったくわからない。味はもち米(道明寺)そのもので、きな粉の香ばしさと甘さだけで品のある味である。ただひとつ、腹にたまるのが残念である。菓子は別腹がいいと思う。さて、「しがらき」は『聞き書 大坂の食事』、大阪府大阪市天満に出ている。ほぼ同じものである。近畿地方すべての『聞き書シリーズ』を見たが見つからない。でも、なぜ「しがらき」なのかは、我が家の文献では見つけることが出来なかった。また旅で探すしかない。■日乃出庵 兵庫県神戸市兵庫区東山町
コラム

神戸市ケーニヒス クローネ

2023年11月、池尻大橋(東京都目黒区)で知り合いの女性に会った。たぶん40年振りくらいなのに、昔通りのデルモそのものなのにビックリした。パン屋から出て来たときなので、「またチョココロネ買ったの?」と聞かれた。確かに若いときよく買っていたのがチョココロネで、この記憶力抜群のデルモに呆れたが、元になった菓子の名前をボクのノートにドイツ語とカタカナでで書いてくれた。それが神戸市で売っているらしい「ケーニヒス クローネ」である。今回神戸行きを決めてから、それが本当に神戸にあるのかチェックした。あるにはあったけど、その会社のサイト、楽天以上に下品過ぎて見る気になれなかった。ちょっとは気品とか品性考えろよ、といいたい。ところが三宮駅を降りたら、そこに「ケーニヒス クローネ」があり、トイレのために阪急に入ったらここにもある。これも何かの縁だと思って買ってみた。食べてみたら全くの別ものだった。モスラ幼虫形ではなくカイコ形だ。構造的には同じだけどパンではなくパイであり、チョコレートではなくあんこだったし、とてもおいしいクリームだった。うまいんだけどどうにもチョココロネに結びつかない。たぶん「クローネ」が「コロネ」になったんだろうけど、「クローネ」がわからない。ミステリが好きなら貨幣の単位だと思うだろうけど、それじゃ菓子と結びつかない。要するにチョココロネはただただチョココロネなのね。
コラム

神戸市板宿商店街『名月庵本店』の粽

兵庫県神戸市、板宿町の和菓子店には必ず粽(ちまき)と柏餅が並べておいてあった。新の端午の節句は終わったが、本来は旧なので新暦の6月初めである。神戸市ではいつまで売っているのだろう。「ちまきたべたべ兄さんが♪」が思い出されるが、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)生まれのボクは、子供の頃、かしわ餅(サルトリイバラ)は食べたことがあるが、粽を食べたことがない。粽にも地域性があるのかも知れない。
コラム

神戸市東山町『きねまさ本舗』カシワの葉のかしわ餅

兵庫県伊丹市と神戸市を歩きに歩き、食べものを見て歩き、スーパーで食品を物色していて、最初は「兵庫県のかしわ餅の餅を包んでいるのはカシワの木の葉で、関東と同じだ」と思い込んでしまって、買わないでいた。でもじっくり見ると、何かが違う。
コラム

栃木県茂木町『源太楼』の源太饅頭など

栃木県芳賀郡茂木町に和菓子屋が多い。そのどれもが魅力的であんこや皮などが申し分なくうまい。まずは『源太楼』で源太饅頭を買った。店名にもあるので、この店の名物なのだろう。黒糖を生地に加えた茶饅頭で、不確かながらあんこにも黒糖を感じる。考えてみると、饅頭の基本は茶饅頭、という地域は多いように思われる。この茶色い饅頭は、地域地域で呼び名が違っている。大島饅頭、利休饅頭、そして茶饅頭で、茂木町のこの店では、源太饅頭だ。一日、2、3個食べても、食べ飽きぬ味である。
コラム

多治見市『菓匠庵やまよね』のからすみなど

かねてから再度撮影したいと思っていた、岐阜県東部の「からすみ」をみつけた。肝心の切る前を撮影し忘れた。このもちっとして味のないほの甘さ、が好きかと言われると好きじゃない。でもここ、『菓匠庵やまよね』の和菓子が実にうまかった。■写真はからすみのくるみ。
コラム

四日市市『笹井屋 本店』 の元祖なが餅

四日市を通る度に、「なが餅」を買っている気がする。徳島市の滝の焼餅を思わせる軽い味で、食べても飽きが来ない。『笹井屋』は創業は天文19年(1550)創業。「なが餅」は、細長い餅だから「長餅」だろう、と思っていたら、『笹井屋 本店』のHPを見たら、実は「日永の里(ひながの里)」という地名から来ているのだという。1550年といえば、信長、秀吉、家康などの活躍する前で、中世末期の混沌とした時代である。藤堂高虎が登場する昔話はヤリスギかなと思うけど、まあ許せる範囲かな。
コラム

多治見市『御菓子処松谷園』の鬼まんじゅう

「鬼まんじゅう」は、小麦粉をねってサツマイモの切ったものをくるんで蒸し上げたそぼくな和菓子で、もともとは家庭料理だったようだ。過去に愛知県、岐阜県、三重県で見つけている。岐阜県では岐阜市で買って食べているが、今回東部の多治見市でも発見した。ボクが思っていた以上に、「鬼まんじゅう」のある地域は広いのかも知れぬ。芋好きで蒸した和菓子が好きなので「鬼まんじゅう」を見つけただけで、うれしい。どちらかというと皮つきのサツマイモ入りが好きだが、今回の『御菓子処松谷園』は皮なしである。ただサツマイモの比率が高く優しい甘さで味わいが軽い。ボク好みの味である。■御菓子処松谷園 多治見市住吉町
コラム

さいたま市岩槻、『田中屋本店』

室町時代、一度たりとも太平であったことはない。取り分け、関東平野は室町時代、無法地帯だったということを調べているし、見て歩いている。そのための岩槻(埼玉県さいたま市岩槻区岩槻)で、決して菓子を買いに行ったわけではない。それにしてはいっぱい和菓子を買っているではないか? と問われたら、行き来する道々に和菓子店があっただけ、と応えたい。さて、本町の『田中屋本店』で買ったのは栗最中(白あん)、さくら餅、茶まんじゅうだけだ。それにしても岩槻の和菓子のレベルは高い。
コラム

文京区護国寺前『甲月堂』

先月、先々月はやけに都心に出ているな、と改めて思う。昔はほぼ毎日、都心に出ていたのに疲れたりはしなかった。が、今は違う。無理矢理、和菓子店のある街で打ち合わせをしてもらって、和菓子をどっさり買い込むと帰りたくなる。さて、護国寺前には他にも和菓子店があったはず、だけど今はもう1軒だけになってしまった。悲しいことに都内の個人経営の和菓子店が急激に消滅している。『甲月堂』はとても上品な中に、東京らしい素朴さも残している。2月だったので桜はまだかいな、だったけど、春が恋しくて桜餅を買う。
コラム

三重県志摩市「あこや餅」

三重県のスーパーで2度買っているので、三重県伊勢・志摩地方のものか、と思っていたら、よくよくみると、すべて志摩市の竹内餅店のものだった。志摩市にはほかにも「あこや餅」を作っている店があるらしい。志摩市と、「あこや」という言語に関わりがあるのか、どうかわからない。あえて考えると、伊勢志摩はアコヤガイ、すなわち真珠の産地なので「阿古屋貝」からの阿古屋なのか、享保期の歌舞伎壇『浦兜軍』の阿古屋なのかはわからない。
コラム

岐阜県多治見市『梅園菓子舗 本店』の和菓子

多治見は陶芸の町で至る所に窯元があり、器屋だらけである。当然、和菓子屋も雅な感じがする。多治見周辺の器が好きか、嫌いか、はともかく。多治見の和菓子はうまい。『梅園菓子舗 本店』で花桜、桜餅、抹茶大福、不明、さわらび、白上用、春色。美しいのもあるが練り切りがうまい。梅園菓子舗 本店 岐阜県多治見市写真は花桜。
コラム

志摩市『竹内餅店』、サルトリイバラの「いばら餅」

三重県の「かしわ餅系(ボクの分類法の名称)」は非常に面白い。「かしわ餅系」は基本的には東日本のカシワ(ブナ目ブナ科コナラ属)と西日本のサルトリイバラ(ユリ目サルトリイバラ科シオデ属)に分かれる。我が家にあるデータでは、三重は全県でサルトリイバラで包んでいる。呼び名は三重県でも西の紀州では「おさすり」、東の志摩・鳥羽・伊勢・伊賀では「いばら餅」である。同和歌山県新宮市・田辺市などでも「おさすり」なので、三重県の東紀州と合わせて旧紀州徳川家でも本藩では「おさすり」、「支藩」や関わりのある藩(藤堂家のように)は「いばら餅」だったら面白い。今回の志摩市『竹内餅店』のものも「いばら餅」である。ここは餅もうまいし、あんこもうまい。近所になったら糖尿病になってしまいそうな、和菓子店である。
コラム

秦野市城田屋製菓の和菓子

神奈川県秦野市(はだのし)は古くは葉煙草、現在では地場野菜と落花生栽培で有名である。小田原に行くたびに野菜を買うのがボクにとっての秦野である。城田屋製菓で水羊羹、落花生まんじゅう、延命地蔵最中、などなど。みな実に素朴で地味だけどなかなかよい味である。
コラム

さいたま市岩槻、『藤宮製菓本町店』

古河公方、足利成氏と上杉家とが血を血で洗うがごとく戦った享徳の乱では、古河や関宿に近い岩槻(埼玉県さいたま市岩槻)はその主戦場のひとつだった。江戸時代になり人形の町として有名になる。ついでにいうと、徳川家重時代を支えた大岡忠光が岩槻城主となったことでも有名だ。主な目的は淡水魚の聞取や資料探しのための岩槻だが、もちろん和菓子屋めぐりも怠らなかった。巨大なターミナル駅である大宮から東武アーバンパークラインのホームに出るといきなり片田舎に迷うこんだみたいだった。新宿駅に負けないほど巨大なJR大宮駅との落差がすごい。その東武アーバンパークライン岩槻駅から南下すると、ボクの目指す、さいたま市岩槻郷土資料館があり、その手前に『藤宮製菓本町店』を発見する。上生菓子の橘、桜餅、草もち、大福、つくしの押印のある藷蕷まんじゅう。どれもこれも見事な味だった。■藤宮製菓本町店 埼玉県さいたま市岩槻区
コラム

志摩・伊勢のさわもち

三重県の志摩とか伊勢に行くと必ず買うのが「さわ餅」だ。今のところ伊勢地方の北部では見ていないし、東紀州でも見ていない。初めは志摩市にある『竹内餅店』で買い、その足で鳥羽市や伊勢市のスーパーに寄ったら、同店の和菓子が全部揃っているのを発見して以後、スーパー買いとなる。「さわ餅」の起源は不明である。「笹餅」が「さわ餅」になったとか、伊雑宮(いざわのみや)との関わりとかされるが、みな曖昧な話でしかない。起源はともかく、「さわ餅」の三重県内での分布も調べると面白そうである。写真は2013年に手に入れた松阪市『村田製菓』のもので餅が幅広で巻きがよわく、裳裾を引いたように見えるもの。
コラム

福島市『太陽堂むぎせんべい本舗』のむぎせんべい

福島県といえば県名と同じ福島である福島市だ、というとそうでもない。会津・中通り・浜通りに分かれ、中心は中通りだ。中通りは南北に長く、やけに北の端っこにあるので、県庁所在地としても目立った感じがしない。福島市よりも郡山市の方が活気があるような気もする。さて、今回の「むぎせんべい」は相馬市の直売所で教わった菓子だ。相馬市で教わったので、相馬市の「麦つきせんべい」のようなものだろう、と思ったら形は南部煎餅に近い。「麦つきせんべい」も硬かったけど、こちらはもっと硬い。噛むとポンと麦の香り(?)というか、とてもいい小麦粉の香りがする。食べ始めると止まらなくなる。
コラム

高輪『玉川屋惣八』の和菓子

街を歩くのが好きだ。予め調べることなく歩きたいが、近年、和菓子屋だけはそうもいかない。和菓子屋は急激に姿を消しつつあり、その内、絶滅しそうである。仕方なく場所だけは調べて行くこの店はあまりにも目立たないので一度通り過ぎてしまった。あっちでちょこっと、こっちでちょこっと知らない人と立ち話にふけっていて、「ここよ」と教わらなかったら諦めていたかも。ケータイ使えない方向音痴はこんなときお手上げである。さて、道明寺、こしあんおはぎ、討ち入りそば饅頭を買った。茶事にでも使えそうなくらい小さいので3個食べても、昔の1個程度にしか思えないのが残念だ。道明寺は白あんに桜なのか、なんなのかはっきりしない風味がついている。桜餅なので桜の葉ごと食べる。あんこが繊細でうまい。
コラム

知立市『大あんまき 藤田屋』の大あんまき

この小麦粉生地にあんこを巻き込むという和菓子は愛知県内でなんどか見ているし、買ってもいる。愛知県を代表する和菓子なのだろう。いちばん有名なのが愛知県知立市『大あんまき 藤田屋』の「大あんまき」である。(知立市は市名も「池鯉鮒」と書くのだとばかり思っていた。)好きなので過去に何度も買っているが、愛知県知立市には行ったこともないし、もちろん『大あんまき 藤田屋 知立本店』では買ったことがない。今回のものも『大あんまき 藤田屋 御在所SA下り店』で買ったもので、相も変わらず小豆だけを大買いした。結構好きだから何度も買っている。生地がほどほどにおいしいけど、そんなことはどうでもいいくらいあんこがおいしい。生地とあんこではあんこの比率が高いというのもいい。
コラム

埼玉県熊谷市、『五家宝本舗』の五家寶 

埼玉県は県人口からしても巨大なところなのに、食文化という意味で影が薄い気がする。うどん・小麦粉食文化県で全国的にもみても味で傑出しているのに、群馬県とかぶるところが多いのも損をしている。そして和菓子だけれど、塩味あんこの餅「塩あんびん」、赤飯をまとったまんじゅうである「いがまんじゅう」などがあるが、ボク好みだけど地味過ぎる。草加せんべいは有名だけど、和菓子ではない。となると埼玉を代表する和菓子と言えば「五家寶(五家宝)」かも知れぬ。水戸市の吉原殿中に似ている。同じ物かも知れないのだけど、「五家寶(五家宝)」の方が埼玉県内広く売られれいるという意味で優位だ。ついでに言えば、五家宝はいくつかのメーカー(和菓子店)があるみたいだけど、違いがわからない、というのもいい。問題は一度にいくつ食べればいいのかわからないことだ。水飴のようなもので固めたあられ(炒り米?)にきな粉なので、ボクの好きなあん、が使われていないのにうまい。常々、10本入りなら一度に5本にすれば体に優しいのにな、と思っている。思っていながらええい、6本にしてみよう! 7本くらいはいいかな、と思っている内に、3本残してもどうしようもないぜ、と思って10本食ってしまうのがイカンところだ。でも、それだけボク好みなのだ。
コラム

赤福の白餅黒餅

学生の時、初めて奈良県の室生寺に行ったとき、確か名古屋で1折買ったのが初赤福である。室生寺の宿であっと言う間に1折食べた。あんこ玉が好きなので、餅が隠れていてガッカリしたが、もうひと折買えばよかったと思ったほどおいしかった。以来赤福が好きだ。ただし、やたらに好きとまでは言えず、名古屋、伊勢方面に行ったら必ず買う、といったもので、例えば大阪で見つけても買うことはない。さて、赤福の創業は宝永4年だという。かの極端に背が低く、癇性であった徳川綱吉の時代である。砂糖が貴重だったときなので、当時はもっと粗野で今のように甘くなかっただろう。さて、できれば赤福を買いたいと思って、同乗者たちにお願いして高速道路のサービスエリアで探したら、赤福ではない赤福があって、思わず赤福ではない赤福に手が出てしまった。「黒餅白餅」である。最近、自分改革をしているので、いつものとは違う物を選ぶ、そんな自分がいる。さて、白い餅は同じだが、黒いあんこは黒糖風味、白いあんこは白小豆である。白小豆のあんがやたらにボク好みであって、黒あんはさほどボク好みではなかった。白あんばかりでよかったのに、と思ったものの、黒あんだってそれほど捨てたもんじゃない。残念ながら赤福の方が好きだけど、たまにはいいかも。ということで、次回は赤福に復帰するのだ。
コラム

群馬県邑楽町、炭酸まんじゅう、あんなし

群馬県の普通の町をまわっている人間は少ない、気がするが、そんな群馬県で群馬県らしいものだけを探している人間はボクだけかも。そんなボクが、館林市の『JA邑楽館林 農産物直売所 ぽんぽこ』で見つけると必ず買ってしまう、というものがある。炭酸まんじゅうのあんなしである。あん愛が強すぎる人間で、死ぬときはあんまみれになって死にたいほどだけど、炭酸まんじゅうだけは、あんなしの方が好きだ。
コラム

新潟市新津『御菓子司 羽入』の三色団子

1日の積雪量が魚沼で1メートルという日に新潟まで出掛けて、よせばいいのに、長岡で下りてあっちこっちと見て回った。考えが甘かったと思ったのは、ホワイトアウトがいかに不安であり、恐いか、を思い知った瞬間である。さて、ボクには新潟県生まれの知る辺が少なくない。長岡市のはずれで、雪につっこんで動けなくなった車のお陰で空白の時間が生まれた。やることがないので、現新潟市秋葉区生まれの鉄ライターに情報をもらい、新津という駅に行くことになる。目指すは古い商店街だ。深い雪の国道をやっと新津に行き着いたと思ったら日が暮れていた。鉄男にとっては有名なところだと言うが、ボクは鉄に興味がない。無鉄男なので新津駅にすら行く気にもならない。結局、もうひとつの新津名物、「三色団子」を買っただけの新津であった。通り過ぎただけだったが懐かしみを感じる商店街が残るところで、今度はゆっくり来よう、とぞ思いけり。
コラム

新宿からの帰りは下高井戸に寄って和菓子を買って

打ち合わせは新宿でというのが多い。打ち合わせが終わったら、下高井戸に寄って商店街にある『堀田』でアジフライやハムカツを買って、『三笠屋』で和菓子を買って、となる。『三笠屋』によるといつも買いすぎる、ほどにうまい。今回は亥子餅、栗むし羊羹、豆大福、上用まんじゅう、栗入りきんつば、山帰来。■2025年11月に記す。
コラム

港区三田『秋色庵 大阪屋』

山手線田町駅を下りたら、木枯らしがぴーぴゅーとボクの体を持っていく。そんな正月明け、三田『秋色庵 大阪屋』で、2026年の初和菓子を買う。練り切りの松竹梅、福寿草。■写真は福寿草。
コラム

福島県二本松市『御菓子処 日夏』玉羊羹

昔、北海道に「まりも(毬藻)」という玉ようかん(羊羹)があって、家族が土産に買って来た。今もあるかどうか知らないが、これがボクの玉羊羹初体験である。以来、矢鱈「玉羊羹」に惹かれる。楊子をぷつりと刺してくるりと剥けるのが、気持ちいい。
コラム

大島饅頭と利休饅頭は同じもの、だったんだ

大量に和菓子を買っていると、いろんなことに気づく。ボクは黒糖を使った饅頭がそんなに好きではなかった。当然、あまり買わない。でも大島饅頭(大島まんじゅう)と利休饅頭(利休まんじゅう)が同じものなら、これは見逃すわけには行かない。黒糖を皮に練り込んだものを、大島すなわち奄美大島は黒糖の産地ということで「大島饅頭」。千利休が好んで茶事に使ったので「利休饅頭」という由来ははまったくの作り話だけど、これも皮に黒糖を練り込んだものである。となると2つはまったく同じものだ。
コラム

福島県田村市『たまのや』、たばこ煎餅などなど

福島県田村市は戦国武将田村氏の城、三春城の三春町とともに、田村氏の領地だったところだ。田村氏は戦国時代に伊達氏、佐竹氏などと戦ったことで有名だが、その田村氏はかの坂上田村麻呂の末裔と称していたらしい。陸奥守となった坂上田村麻呂というと平城京末期から長岡京、平安京など西暦800年前後の話なので、尊卑分脈の世界からすらほど遠い世界といえるだろう。船引町(現田村市船引町)は古くは日本一(詳細不明)の煙草の産地だったようだ。そのため、現在も南東北たばこ耕作組合本所がある。結局生まれてから一度も煙草を飲むことなく終わりそうなボクには縁遠いけど、煙草ほど地域経済を潤した農作物はない。そんな田村市船引、和菓子店『たまのや』の名物が、たばこ煎餅である。これなども歴史を感じさせてくれるもののひとつで、キャラクターもの以上に地域性を感じる。
コラム

墨田区両国『大川屋』のおに平だんご、は結構な味

ボクにとって墨田区は墨田区と言うよりも本所であってほしい。これは向島も同じである。向島が墨田区では宝井其角が怒るだろう。本所は隅田川の東で、古くは下総の国であるが1700年前後には朱引外ではあるが江戸の内となる。やがて大名の下屋敷ができたり、長谷川平蔵、遠山左衛門尉などの旗本屋敷が並んでいたり、はたまた江戸名物、鯉料理の店があったり。行楽地としては下町からもっとも近く、割り下水があり、竪川などの舟運にとっての主要な水路があった。水害の多いところだが、交通の便がいい。旗本、御家人などが少なからずいたのは、江戸城に短時間で行けたからだろう。さて吉良上野介が赤穂浪士に襲われた本所松坂町、吉良邸そばに『大川屋』がある。ここで、おに平だんご、忠臣蔵の吉良まんじゅう、さいほう、隅田川最中を買った。全部、やけにうまい。白あんにも独特のこくがあり、後味がさらりとしてうまい。おに平だんご、忠臣蔵の吉良まんじゅう、なんてあざとい名前と思って食べたら、味が複雑で非常にウマスギ。さいほう、は意味不明だが、これもよし。
コラム

栄泉堂岡埜の花びら餅は1月12日

年末年始が布団の中だったので、新年の始動は遅かった。初打ち合わせにわざわざ都心に出ることにして前後に散歩をくっつけた。千石駅近くにある栄泉堂岡埜は今回が3度目。都心に出る回数が極端に少なくなっているので、3度も行っている大好きな店ということになる。今回はまだ春とはいえず、花びら餅、雪うさぎ、焼大福に、何度目かのきんつば。「1月10日とは遅い花びら餅となりにけり」。
コラム

徳島県貞光町『かずや製菓』

貞光ノートの菓子編とでもいうべきか。ボクが物心ついたとき、ちょうど『一屋(かずや製菓)』ができた。我が家の正面に松浦薬局、北に金川金物店は和子ちゃん家、真鍋履物店があって、大きなお屋敷めいた永尾米店、その北が『一屋』だった。現在の店舗は昔の真鍋履物店のところにある。ボクの生まれた南町の祇園小路入り口から歩いて行けるところには、あられなどを売っていた『井筒屋菓子店』、少し北に『栗尾商店』があり、『あずま屋』があったが、幼児には遠すぎた。『一屋』ができるまで和のまんじゅう類は、自家製の柏餅やまんじゅう、父親の実家である美馬町横尾(現美馬市)で作ったものが主だった気がする。考えてみると『一屋』が出来たときには、町内には『木村屋パン』もあった。我が商店街は甘い物に関しては充実していた。ここに、『一屋』が出来てから、より多彩なお菓子が手に入るようになった。和菓子の他には、結婚式のときに配る「嫁はん菓子」、ウイスキーボンボンなども売られていた。当時、発売されたばかりの(?)ルックチョコレートやアーモンドチョコレート、バッカスチョコレート、お汁粉の素、ワタナベジュースの素を買ったのも『一屋』だ。当時のオジサンはお亡くなりになったが、オバチャンは健在である。
コラム

福島県三春町、かんの屋の「ゆべし」

毎年、関東圏外のスーパーや直売所などで、正月ものを買ってみるというのをやっている。今年は広島のつもりが相手方の都合で行けなかった。体調が思わしくなかったけれども、できたら這ってでも行きたかった。仕方なく関東圏外でもっとも近いところ、福島県三春と田村市へ行った。最近、福島が面白すぎて困っている。福島県は「ゆべし」度の高いところだが、福島の「ゆべし」には一定の決まりがなく、餅菓子ではあっても柚子を使ってすらないこともある。この郡山市に本店のある『かんの屋』のものにはちゃんと柚子が入っている。しかも「ゆべし」を主体としているだけあってけっこううまい。上品な甘さなので数食べても飽きが来ない。買ったのは、「紅白ゆべし」、「ゆべし」、「あんぽ柿」で、チェーン店なのかも知れないが、またよってもいい、気がする。
コラム

福島県二本松市、『豊田屋菓子店』のあんぱん等

我がサイトのもっとも重要な部分が地域性である。当然、和菓子、菓子も重要な分野の一つ。思った以上に福島県は面白く、古い形を残している。福島県二本松市は近年珍しく、「城下町=和菓子屋が多い」が当てはまる。これは市民が和菓子をよく食べている、んだろうな。さて、二本松駅周辺ではなく、その北にある商店街に『本家丹波屋』があった。そこで買い求めたのが、焼きあげだんご(みそ・醤油)、あんぱんである。
コラム

福島県二本松市、『豊田屋菓子店』の和菓子

福島県二本松市は行ったことがない町なので行っただけ、といってもいいだろう。今回の福島旅で一カ所くらいは歩きたいというのもあった。地図で見て歩く場所を二本松市に決めたのだが、こぢんまりしていて商店街があって、と楽しそうだ。それとうれしい誤算は和菓子店が非常に多いことだ。しかも二本松市の和菓子は地域性が高い。ボクが調べているのはこの国の地域性なので、うれしすぎる誤算だった。さて、二本松市にはJR二本松駅周辺と二本松城から東に延びる通りと二カ所に商店街がある。豊田屋菓子店は二本松市の北、二本松城近くにある商店街にあった。ここで買ったのがカステラまんじゅう、草ゆべし、あわまんじゅう、吹雪まんじゅう、あんぱん、「霞ヶ城 石垣ようかん」である。
その他

新潟県胎内市中条、『卯月堂菓子舗』のたぬきケーキ

胎内市中条は街歩きのできる貴重なところだった。商店街が生きているのがいい。こんなところに来たら、何をやるのか?ただただ歩くだけ、それで充分楽しい。歩きながら和菓子屋を見つけたら片っ端から買い求めようとしたが、なんだか中条町の和菓子屋は和菓子屋のようで和菓子屋のようでなく、洋菓子屋のようで、洋菓子屋のようでもない。これと同じ感じは根室にもあった。そろそろ新潟市に向かおうかと中心地から少し外れたところに、また和菓子屋があって、入ると洋菓子屋だった。新潟県の菓子店の特徴は和洋がはっきりしないこと、かも知れない。そこで買ったのが、久しぶりに出合った「たぬきケーキ」、そして「ロックケーキ」だ。考えてみると「たぬきケーキ」は千葉県以来ではないか。要するにタヌキの形をしていれば、「たぬきケーキ」だということがわかってきた。周りが少し硬い生地で中がカステラ、上にクリーム(これなんていうんだろう)で頭を造り、繋がった目と鼻と尾がある。そんなに出合っているわけではないが、このタイプは初めてだ。
コラム

高知県四万十町『よしだや』の羊羹

高知県に四万十市があって、高岡郡四万十町とはやけにわかりにくい。四万十町には点々と市街地のある町がある。このあたりではまあまあ大きな町、土佐大正があって、窪川があるが、その窪川の近くとしかいいようのないところに、やけに古風な造りの和菓子屋がある。かなり前のことだが、窪川から南に下ってここに来たことがある。あんこものを探したら、羊羹専門店なのでがっかりした。考えてみると前回は土佐昭和駅があって、土佐大正駅があるとは、なんじゃらほい、という理由でわざわざたどった道すがらだった。結局、昭和も大正もなんだかわからなかったが、帰宅後に食べた羊羹はたいそううまかった。
コラム

新潟県胎内市中条、『マサヤ菓子舗』の未知の菓子

新潟県には洋菓子店とも和菓子店とも判別しにくい店が多いようだ。和菓子にシフトしているので、もちとか蒸かしまんじゅうの類いがないと面食らってしまう。ただ新潟県のこのハイブリットな店店は、どこもボクが入っても緊張しない懐かしい雰囲気が漂っている。胎内市中条の商店街にある『マサヤ菓子舗』は洋菓子店なのかパン屋さんなのかわからなかった。ボクの前の客はサンドイッチを注文していたらしく、大きな袋を抱えて帰って行った。このまま回れ右するわけにもいかないので、銀紙に包んだのと円盤形のチョコレートのようなものを買った。
コラム

新潟県胎内市中条『浜屋菓子店』の中皮

日本列島の地域性とか地域力(ボクが作った言語)を調べているので、菓子、和菓子は外すことが出来ない。47都道府県で菓子を買っていると様々な発見があり、地域同士の繋がりが見えてくる。今回、胎内市中条『浜屋菓子店』で見つけたのが「中皮」だ。「中皮」の読みは「ちゅうか」で、どら焼きの皮1枚を折り畳んであんを挟んだもの。念のために商品名は「千代華」。新潟県で見つけた「中皮」は長岡市についで2つめだ。「ちゅうか」と呼ばれ、形も作りも同じ和菓子を、茨城県では「中華」、「中菓」と書き、長野県では「中か」だった。福島県ではまったく形も作りも同じなのに「カステラまんじゅう」という。
コラム

高知県室戸『本家福田屋』の野根まんじゅう

高知県に行くと「野根まんじゅう」を買っているが、画像を整理していると安芸市、東洋町、室戸市と3つもある。今回直売所で買ったのは室戸市のもので、まあまあイケている味だと思う。高知県でももっとも遠い室戸市のものであるが、意外にあっさりと食べやすい。
コラム

高知県宿毛市、『大判焼き』の大判焼き

宿毛市、すくも湾漁協中央市場の入り口で、とても魅力的な赤い提灯を発見した。大判焼きである。ボクは甘いもの好きであるが、大判焼き、今川焼き、鯛焼きは自分を失うくらい好きだ。きっとサッポロビールの柴田さんは驚いたと思うけど、何が何でも大判焼きだ、と脳みそに一億個くらい大判焼きの文字が蠢いて、他のものが入り込む余地がなくなってしまった。買ってうれしいのは大判焼きの温かさだ。達磨の絵が焼き付けてあり、「すくも」とある。
コラム

高知県大月町、脳みそが欲しがる「羊羹巻」

ボクは庶民的な下世話な菓子が好きだ。もちろんおしゃれなものもいいし、京都滋賀などにあるツンと取り澄ましたような菓子だって嫌いじゃない。でもそのような見た目のいい菓子というものを見つけても、脳みそからいきなり手が出るほど食いたいか、というとそうでもない。今回、「道の駅 大月 ふれあいパーク」で見つけた有田有為堂製菓「羊羹巻」なんざー、気がつかない内に手に持っていた。心と体が同時に欲しがったためで、本能買いという。日本中に「羊羹巻(ようかんまき)」があり、いろんな形や生地のものがあるが、カステラ生地がいちばんボク好みだ。あまりにも好きなタイプなので、そーっと見るだけにしてもよかったけど、おいしそうな磁石に引っ張られて口に放り込んでいた。荒いカステラ生地のパサっとしたところに甘さ控えめ、柔らかめの桜色の羊羹がくる。また、大月町に行けたら、買ってしまう、だろうな。羊羹は決して本格的なものではなく、子供口のボクの心をトントンとたたくような味だ。有田有為堂製菓  〒788-0302 高知県幡多郡大月町弘見2108−1
コラム

高知名物「ケンピ」についてのボクだけの歴史認識

半世紀以上前、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)貞光小学校の修学旅行は高知だった。徳島県美馬郡の小学生はみな高知が修学旅行先だったようだ。高知城、牧野植物園、龍河洞、桂浜・龍馬像などに行き、尾長鶏を見た記憶がある。ボクなど旅行先で泊まるのが初めてだったので、まずは旅館に興奮した。このところ、中村吉右衛門や北杜夫の半生を読むと、学齢前からたくさん家族旅行をし、ホテルなどに泊まっている。貞光の子供達は正真正銘の田舎者だった。お土産を買うお金と、小遣いを持たされて行ったが、買ったものを同級生に聞くと刀とか木刀、ペナントだというが、ボクは食べ物ばかり買っている。家族などにも教わったのもあるが、買ったものは金槌がついているカツオかクジラの形の飴、ケンピだ。
コラム

和菓子図鑑 千葉市中央『落花生の大和田』落花生最中

千葉県でも千葉市くらい茫洋としてつかみ所のない都市はない。政令指定都市で100万人近い人口がいるのに、どこにも特徴が見いだせないでいる。千葉県立博物館の知り合いとは飲食をともにしたこともあるが、千葉だ! という感じがどこにもない。前回の千葉市内で、千葉市民に名物を聞いたら「落花生ですかね」と答える。ほかにはなにか? というと「なにもないんです」。脇にいた子供が「ナシもあるけどね」と言った。仕方なく市内中央の和菓子店『落花生の大和田』の落花生最中を駅前で買う。つぶあんと、栗入りの白あん入りで、おいしい気がした。だれか千葉市らしいものって何か? 教えてほしい。
コラム

高知県、サルトリイバラの「しば餅」

サルトリイバラの葉で餅をくるんだものを、滋賀県で「がらたて」、三重県尾鷲市で「おさすり」、和歌山県・島根県で「かしわ餅」という。地域ごとに呼び名が違うので呼び名採集という意味でも面白い。高知県では安芸市、室戸市・大月町では「しば餅」だ。今現在、高知県では「しば餅」以外は見つけていない。
コラム

新潟県十日町の「はっか糖」

暑さのせいで体はぼろぼろだ。慢性的に疲れているし、体が変に熱っぽい。新潟県新潟市のスーパーで、「はっか糖」を買ったのは体が涼を欲していたからかも知れぬ。白いチョークを思わせる物体を口に入れると、あっと言う間に溶ける。溶けながらハッカの香と刺激(?)が口の中を満たす。冷や冷やとして、ただただ甘い後味がいい。「はっか糖」を子供の頃、実際に食べたかどうか記憶にないが、なぜかしら懐かしい。
コラム

愛知県新城市『さかえや』の桜餅など

オヤジでもジジイでもだれでも気軽に入れる、昔ながらの甘いもん屋を探して東奔西走。急激に減少している個人商店を大切にしたいのもある。愛知県一色への旅の帰り道、新城市で和菓子店を見つけた。新城市、『さかえや』という小さな店である。新城市は長篠のある町というくらいの認識しかない。信濃から東海、尾張地方への道筋に当たるなど、こんどじっくり歩いてみたい町である。小さくて素朴な店だが、入ったら品揃えがいい。正面には落雁がきれいに並んでいる。あんこ族なのでできるだけあんこものを選び、話を聞くと、やはり飾ってある落雁などで有名だったらしい。買い求めたのは、田舎ういろう、桜並木、桜餅(道明寺)、柏餅、酒饅頭、野田城巻。
コラム

愛知県豊橋市『御菓子所 絹与』の小豆羊かん

新潟県上越市で「寿羊羹」を買って食べてから、まさかの羊羹好きになってしまった。これなら赤坂某店の「夜の梅」だって、今食べたらうまいと思うかも知れない。ちなみに「あんこ」が好きで和菓子が好きなボクにとって、せっかくの「あんこ」のもとである小豆などの豆類の「あんこ」感を取り去った羊羹がどうにも許せなかった。ボクの「あんこ」ちゃんを返してくれ! と思ったほどだ。滋賀県周辺の蒸し羊羹である、「丁稚羊羹」は好きだけど、「練り羊羹」ときたら、「あんこ」様の「あんこ」であることのよさが感じられなかったのだ。でも、今、ボクは「あんこ」と同じくらい「練り羊羹」も好きだ。好みがころころ変わるのがボクのボクらしさで、ころころ変わるのが進化という名の変化である。だから食通という進化を止めた存在が嫌いなのだ。さて、『御菓子所 絹与』は豊橋市市街地のど真ん中にある。前の通りが旧東海道である。京に向かって東海道宮宿(熱田宿)手前では最大の宿、吉田宿で、吉田藩の城下町でもある。愛知県でも屈指の人口を誇り、歴史のある町だともいえるだろう。この店から西に豊橋市の老舗が多く、これが江戸時代の吉田宿の中心地なのかも知れない。そんな豊橋で見つけた『御菓子所 絹与』は享保年間創業とあるので、300年の歴史を持つ老舗中の老舗だ。昔、和菓子屋を見つけて、入って、羊羹中心の店だったら、がっかりして回れ右していたものである。でも今回は羊羹好きの新参者として、一棹(さお)買ってきた。店のお姉さんも美人でよかった。これを5日間にわたっておめざに食べる。落語家の羊羹食べのような、ヤな感じの舌触りではない。ちゃんと小豆の粒子が感じられて、歯にもつかない。小豆の渋の残り方も絶妙だと思う。小豆にはうるさいつもりだが、非常に上等なものを使い、その上等な小豆を生かせていることも明白。羊羹は高いものだが、5日で割れば安いものだ。豊橋に行ったら、必ず『御菓子所 絹与』に寄りそうである。
コラム

湯河原名物、『小梅堂』、きび餅

出稼ぎに出ると時間を持て余すことがある。神奈川県湯河原町はもちろん温泉町であり、関東では非常に知名度が高い。じゃあ、何があるというと、温泉であり、有名人の住む町であり、別荘地でもあるのかも。むりやり連れてこられないと、来ない町で、時間を持て余したので、このたびは、ついついボク好みではない名物とやらを買ってしまった。さて『小梅堂』は1910年創業なので湯河原駅がなく、それまでは小田原〜熱海は人が押すという変な乗り物があったんじゃなかろうか?夏目漱石、尾崎紅葉、国木田独歩、与謝野晶子、芥川龍之介、高浜虚子、安井曾太郎(画家)、島崎藤村、などなど、今だったら宮部みゆき級がどっさりやってきているといった感じな、のね。
コラム

数え日の新潟旅 妙高市新井朝市の「いも餅」

新潟県妙高市新井の朝市で真っ先に買ったのが、この「いも餅」である。「サツマイモの餅ですよ」新潟県でサツマイモというのも意外であったので、買ってみた。ボクの生まれた徳島県にはあんこをサツマイモの生地でくるんだ、「いもだんご」がある。見た限りではまったくの別物で、話を聞くと中にはなにも入っていないという。
コラム

数え日の新潟旅 上越市高田、笹川菓子店の田舎まんじゅう

2024年12月27日、新潟県上越市高田の朝市で、ちょっとだけのんびりする。午前2時には一印上越魚市場にいたので、ボクにとって気付け薬的な意味を持つ朝市のコーヒーがやたらにおいしかった。さて、朝にあったことをテキスト化したいと無料駐車場のある高田城を目指していたときに見つけたのが、細い路地裏にあった笹川菓子店である。こんなとき店の前に車がとめられるか、否かが重要なのだけど、ちょうど店の前の車が出ようとしていたところだった。
コラム

数え日の新潟旅 新潟県上越市高田の朝市で買った「ちまき」

新潟県に行くと、「笹だんご」か「ちまき」は必ず買うことにしている。両方売っているときもあるけど、今回「笹だんご」は見つけられなかった。考えてみると上越市には「笹飴」というものもある。これが夏目漱石「坊ちゃん」に出てくる笹飴なのかはわからないけど、こちらも何度か買ったことがある。直売所ではササの葉が売られているくらいなので、新潟県は日常的に笹を使うところなのだろう。
妙高市はやし屋
コラム

数え日の新潟旅 上越にも水羊羹多し?

別に取り分けあまいものが好きではないが、福井県に水羊羹がとても多いのを発見したので、新潟県はどうなんだろうと思っていた。いつもながらに過密スケジュールなので、妙高市・上越市で1軒ずつしか和菓子店に立ち寄れなかった。でも2軒とも水羊羹があった。新潟県妙高市新井『やはし屋』のは非常に小豆の味が濃い。かわりにツルン感があまりない。あんこ好きなので、ボクが妙高市に住んでいたら、毎日でも食えそうな、味だ。
コラム

数え日の新潟旅 上越・妙高、暮れの寿羊羹

別に特別甘いもんが好きではないが、目の前に和菓子店があると吸い寄せられてしまう。妙高市、上越市でも吸い寄せられて、抗せなかった。どの店にもあったのが「寿羊羹」という同じ名の羊羹である。同じような熨斗のついた袋に入っていて、大きさ的にも同じに見えた。写真/妙高市・上越市共通の熨斗つきの袋。
コラム

荒川区東日暮里『餅菓子富田屋』の東京風いなりずし

三ノ輪駅からほど近く、過去に一度だけ買ったことがあるが、以後いつ行ってもしまっている店がある。吉原土手にそって歩く前に、念のために行ってみたら開いていた。最近、餅屋系和菓子店が急激に消滅しているので、安心した。
コラム

近江・若狭丁稚羊羹を探す旅07 福井県小浜市『志保重』のでっちようかん

滋賀県、ちょっとだけ福井県の旅では、あまりたくさん甘いもんが買えなかった。ただ、福井県嶺南地方に、水羊羹の「丁稚羊羹」を発見できたのが収穫であった。2軒、2パックしか食べていないが、非常にうまい。滋賀県の蒸し羊羹タイプもいいが、水羊羹もよろしおま。
コラム

近江・若狭丁稚羊羹を探す旅06 福井県若狭町菊水堂、いなか

滋賀県、ちょっとだけ福井県の旅ではあまり甘いもんが買えなかった。ただ、今回一番アタリだと思ったのが福井県若狭町の菊水堂である。買ったもの総てが平均点以上だし、福井県嶺南の甘いもん文化が垣間見られた。とくに面白かったのが「いなか」である。滋賀県の「いなか」、「いなかまんじゅう」と同じ物で、あえて言うと、これまた日本各地に散らばる「吹雪」と同じものなのである。ちなみに東京都内でも、「いなか」はあり、この嶺南、滋賀県のものと同じである。それにしても「いなかまんじゅう」、「吹雪」の呼び分け、もしくは系統がわからない。系統樹がぷつりと切れている。
コラム

数え日の新潟旅 「はし餅」はうれし

基本的に西日本は丸餅、東日本では角餅だ。ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)は当然丸餅圏である。餅つきをして1個の大きさにならないときがあるが、これはボクたち子供があんこやきなこなどをつけて食べた。今回の新潟旅、上越市・妙高市は角餅圏で、まず、のし餅にする。少し固まったら、長方形に切るのだが、長方形にならない切れ端が出る。これが「はしもち」だ。このようなものを朝市で見つけるとついつい全部買いするボクだから、いざ全部買い、と思ったら全店舗で2袋しか残っていなかった。「これなあに」いかにもエトランゼ(きんきんの影響)らしく聞いてみる。「はじもち、ねや」隣にいたオバチャンが、「あんた訛ってる。はしもちだ」要するに妙高市・上越市で、この切れっ端を「端餅」というのだが、「はじもち」という人もいるし、「はしもち」という人もいるのである。言語採取の基本は両方採取する、だ。ときどき無能な言語採取者がいて、言語を正しいとか正しくないとか区別するが、このような人間はバカそのものである。言語は総て正しい。丸餅圏生まれのボクはふむふむ、だった。
コラム

近江・若狭丁稚羊羹を探す旅05 滋賀県西浅井塩津の「がらたて」

長浜に来ると、といったもので、要するに徳島県人に馴染みのサルトリイバラの「かしわ餅(一般名称で植物の葉、を膳に用いる餅という意味)」は買わずにいられないのである。ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)では餅ではなく小麦粉生地を蒸かしたものだったが、滋賀県のものはまごうことなく餅である。ちなみにカシワ(柏)を膳(かしわ)にする東日本と、サルトリイバラを使う西日本に分かれる。滋賀県が必ずしも「がらたて(サルトリイバラ)」なのかわからないが、有間皇子の歌のように、いちばんありふれた、手に入れやすい葉を膳にしたその名残である。念のために滋賀県長浜市西浅井でサルトリイバラを探したら、いとも簡単に見つかった。
コラム

近江・若狭丁稚羊羹を探す旅04 近江八幡市、『にしかわ』の黒ういろ

この日は琵琶湖の西と東の港で出港しないというのを確認したので、朝ご飯は相変わらず、お菓子と柿だけだった。それにしても琵琶湖は北風に弱い。近江八幡市の市街地を迂回していてパン屋を発見した。もう焼け糞なのでパンでもなんでもいい、と思って入ったら、和菓子店でパン屋でもある店だった。入った途端に想い出した、滋賀県は丁稚羊羹もあるけど「ういろ」もあるでよ、ということを。
コラム

近江・若狭丁稚羊羹を探す旅03 塩津浜『御菓子処 石田』の紅白まんじゅう

小学校の卒業式でもらったような、もらわなかったような。そんなおぼろ気な記憶しかない「紅白まんじゅう」である。めったに食べる機会がないが、とても好きだ。紅白なのにぱっとそたところがなく、実に地味。ボクの勝手なイメージでは、それほど歌のうまくない、顔立ちもよろしくないのにド派手な着物をきた演歌歌手のようだ。ボクの記憶の底にある1970年以前の色というか、古めかしさがある。それにしても、「紅白まんじゅう」が大好きで困る。大の前に一億個くらい大をつけてもいいくらい、かも。「紅白まんじゅう」とは、こしあん入りの「おぼろまんじゅう」の皮のあるやつだ。「おぼろまんじゅう」が好きってのもある。考えて見ると「紅白まんじゅう」の「おぼろまんじゅう」タイプもありそうである。問題はめったに食べられないことだ。ボクの故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)の幼児の時代は、家の前にある和菓子の『一屋』で、蒸かしているときだけ手に入るもので、数えるほどしか食べていない。
コラム

近江・若狭丁稚羊羹を探す旅02 安土、『万吾樓』の、でっち羊羹

現在は石垣だけしか残っていないが、水際にあった安土城跡周辺は、昔は非常に美しいところだったという。高度成長期の広大な湾と内湖を埋め立てで、見る影もない。この埋め立てで湖魚が極端に減少し、漁師さんたちは大きなダメージを受けたらしい。田畑が広がっているものの、減反政策の今、美しい安土を台無しにしてなんの意味が合ったんだろうと思う。さて、そんな安土駅前の和菓子店、『万吾樓』で買ったのは、滋賀県の典型的な「でっち羊羹」だった。小豆入り半分、プレーンな蒸し羊羹半分で、非常にボク好み。「でっち羊羹」食ったぞ! という気になれた。
コラム

福井県若狭町菊水堂、水羊羹のようなでっちようかん

練り羊羹はほどほどに好きだけど、買ってまで食べない。蒸し羊羹は、身体が蒸し蒸ししてくるくらい好きだし、食いたい。蒸し羊羹にいつも恋しているボクでした。蒸し羊羹のためなら唐天竺にだって行ける、のだ。念のために、近江国滋賀県に行ったら、なにわともあれ「丁稚羊羹(でっちようかん)」である。近江というだけで、あの、竹皮のぺたっとくっついた蒸し羊羹が一反もめんのように頭の中をひらひらする。これを「丁稚羊羹」の呪いという。さて丁稚羊羹が「なぜ、丁稚羊羹」かは次に持ち越す。今回最初の丁稚羊羹は、福井県小浜市に近い若狭町で買った。丁稚羊羹食うぞ、と思って箱をあけたら頭をぶん殴られるくらいに驚いた。ここでちょっと寄り道。1945年以降も続いた若狭・三方からの人力水産物流通で、福井県若狭町はとても重要な地なのである。今回は寄れなかったが同町、十村(とむら)は三方からの人力流通の拠点・里のひとつだったし、有名な熊川宿は若狭からの水産物の集散地なのである。室町時代の散所に当たるのかもと考えている。塩サバも「さばのなれずし」も「へしこ」も、全部ではないが福井県の海から里(売り先と同じで、福井県若狭町と滋賀県北部)にもたらされた。
全66件中 全レコードを表示しています

関連コンテンツ

サイト内検索 (Google)

その他コンテンツ