
関西とか瀬戸内海周辺に行くと、必ず買ってくるのがハモの皮だ。ハモは高級練り製品などに使われる魚で、神戸だと「ハモの焼きとうし」というのがある。このすり身用の身をとったあとに残るのがハモの皮だ。加工品の「ハモの皮」はハモの皮を焼いて味つけし、刻んだものである。国産はめったに手に入らない。今回のものも神戸市の商店街で買ったもので、明らかに中国産である。探せば国産もあるだろうけど、あくまでも水揚げを見るための旅なので、そんな余裕がない。大坂の老人達はきゅうりの酢の物を「ざく」という。今回、町歩きしながら聞いた限りでは、神戸市では「酢のもん」だという。1袋100g程度はいったものを、きゅうりもみと合わせ、甘酢(酢・砂糖、今回は酢を殺すための少量のカツオ節出し)に漬け込んだハモの皮を和えるだけだ。塩もみしたきゅうりとハモの皮の塩気だけで、塩加減するので、きゅうりもみの塩出しはていねいに味見しながらやる。「ハモの皮ときゅうりの酢のもん」は、保存食でもあるので3、4日食べ繋ぐ。合わせたのは兵庫県伊丹市の「御免酒 老松 本醸造 上撰」である。田辺聖子になったつもりで、ちびちびと、「ハモの皮も国産じゃなければ、ならぬことはおまへん」とか言いながら食べる。中国産だとは思うものの、はやりハモの皮のうま味が出た三杯酢まみれのきゅうりはうまい。もちろんハモの皮もええ、味でありまする。

『テミスの不確かな法廷』にどっぷり漬かり抜け出せない。文庫本の第1巻がなんど読んでも面白いので、新刊本の第2巻まで買ってしまった。山口県山口市の地方裁判所(不正確かも)での、ASD&ADHD(少し勉強したい)の安堂清春にとっての主食がナポリタンなのだ。山口市というだけで惹かれてしまいのは、ボクがとっても山口市好きだからだ。そんなとき、市場に行ったらナポリタン用のスパゲッティ(ヘンだけど)が売られていた。ボルカノ食品のもので、太さ2.2㎜である。1.6㎜までは普通だが、ゆで時間15分なんてとんでもないスパはめったに見ることがない。確かに確か中学生だった頃、徳島県徳島市内、ボーリング場の喫茶店で初食いしたナポリタンのスパゲッティは太かった。山間の田舎育ちのボクにはハイカラな食いもんに思え、自分自身がハイカラな人間になった気がした。ある意味、ボクは素朴な中学生だったし、未だに食通になれない、よい気質は子供の頃からのものかも。安堂清春が好きなのは、薄いハムと玉ねぎ、ケチャップ味でサラダオイルのナポリタンなので、わざわざ薄いハムを買って作ってみた。ちなみにハムじゃなくてベーコンを使ったり、トマトピューレを足したり、オリーブオイルで炒めたり、しないナポリタンでなければならない。ピーマンを入れたが安堂清春は除けて食べないはず。ついでに安堂清春は粉チーズとかボクが大好きなタバスコなどは使わない気がするが、確信がない。再読して調べてみよう。懐かしい味がするし、これはボクにとっても日常的に欲しい味だ。また見つけたら買うつもり。

とっても平凡な人間なので、平々凡々なことが好き。旅に出ると、旅先で、その土地の人のように日常的な買い物をするのが好きでもある。あえて言うと観光客相手のイカニモが好きじゃない。神戸では商店街と町に散らばる市場を巡った。早朝から神戸市中央市場で魚まみれになり、一休みしては商店街巡りをして、歩きに歩いた。たくさんの人と話をしながら、神戸の食を考えた。そして商店街で買い物をする。東山商店街のマルヤス製麺所(この店の麺はおいしい)でゆで麺やうどんセットを買った。その中の、中華のゆで麺と、「ハートフルみなとがわ」で見つけた森彌食品工業株式会社の「ブラザーそば焼ソース」で「そば焼き」を作った。ちなみに神戸市内では「そば焼き」と「焼きそば」が混在しているようだった。どちらが多いのかはわからない。

撮影する水産生物が多すぎると、ときどき夕暮れ時にバタリと倒れることがある。脳溢血とかではなく、寝落ちしてしまうのだ。深夜に目覚めて、いつもながらに、そのまま寝てしまおうか、なにもしない時間を過ごそうか、思案する。そんなとき、ついつい酒を飲むのが悪いくせだ。酒の肴作りは、せいぜい3分、長くて5分くらいでなければならない。この日は小田原で買い求めた大形のカイワリの、上身が少しだけ残っていた。カイワリの皮を引いて薄く切り放つ。これを市販の柚子こしょうと和え、ライムを少し搾る。刻みねぎを加えて、また和える。丹波立杭の清水美和雄さんのぐい飲みに酒を注ぐまで、約3分である。至極上等なカイワリなので、あまりあれこれ作りたくはない。柚子こしょうだけの塩気と辛み、ライムの香りで、実にいい酒の肴となる。脂がのっているので小さな一切れの味がでかい。このでかくて魅力的な味を冷えた酒で流し去り、また流し去る。

食べ歩きをしないので、旅先での食事は、朝市とか直売所とか市場で買った物で済ますことが多い。あわただしく水産生物を探し、食文化を探しているので、食事のことにまで頭が回らないのだ。当然、ボクの旅先飯はなりゆき、行き当たりばったりとなる。さて、新潟県村上市岩船への旅で、朝の釣り漁と、昼の網漁の水揚げの間に時間ができた。だれもいない競り場でいても仕方がない。釣り漁師のオカミサンに教わった、村上市塩谷のみそ・醤油の醸造所に行く。塩屋は北前船の帰港地のひとつで古い家並みが残っている。前々から行ってみたかったところでもある。塩屋の切妻の商家の中に、野澤食品工業があって、昔ながらの家屋でみそ・醤油を作っていた。いろいろ買い込んだときに、腹の虫が騒ぎ始めた。「このあたりに昼をとれるところありませんか?」と聞いたら、近所にそば屋があるという。予約を取っていただき、向かったら、週末だけ開いているという店だった。塩屋の家々には屋号がある。この家の屋号が山に千で、「やません」という。それにちなんで『蕎麦 やません』である。店の前に待っている人がいる。11時になって日本海側ならではの二重戸を入ったら、明らかに普通の住宅そのもので、あっと言う間に満席となる。品書きから「野菜天そば」にする。これが予想以上の味だった。何よりも、そばがおいしい。都内広しといえども、このレベルのそばにはめったにありつけない気がする。そして脇役とも主役とも言えそうなのが、野菜ならぬ山菜だった。

初めて買ったのは、新潟県新潟市のどこか、酒とか食料品を売っている食料品店に並んでいたので手に入れた。かれこれ半世紀近くも前のことだ。その旅の最中に、新潟県上越市周辺のスーパーならどこにでも置いてあることを知り、何度も新潟県に行っている内に県内どこでも手に入ることを知る。新潟から都内に帰り着いたら四谷三丁目のスーパーにもあったし、伊勢丹にも紀伊國屋にも、あって、杉並区のもよりスーパーにもあるではないか。新潟県と東京都など関東の結びつきは昔々から深い。江戸川区の銭湯のオヤジサン曰く、「風呂屋で新潟県多いよ」(未確認だけど)といいながら本人が新潟市出身だとのこと。江戸川区など下町には新潟出身者が多くて、「石を投げると新潟県」(未確認だけど)だと言う話も聞いた。都内どこでも手に入る「かんずり」は新潟と東京の繋がりの深さを証明しているのかも。余談だが、今や「かんずり」はむしろマイナーな存在で、「柚子こしょう」の方が関東では一般的な気がする。1970年代、1980年代くらいに、「柚子こしょう」は祐乗坊英昭が編集長だったときの雑誌『太陽』で見ているけど、都内では見ていない。辛み調味料にも栄枯盛衰がある気がしている。「かんずり」の瓶は1980年に買ったときのものと同じ。ラベルには「上杉謙信陣中糧秣」とある。上杉謙信との関わりの真相はともかく、秋に収穫した赤いトウガラシを塩漬けにして寒い冬、雪の上にさらしてトウガラシのあくを抜き、粉砕する。これを麹、黄色く熟した柚子、塩で漬け込んで熟成する。漬け込んで3年もかかる。口に入れてすぐには辛みが来ない。辛みと麹分なのか深みと一緒に辛みがくる。「柚子こしょう」は青いこしょう(トウガラシ)と青い柚子の皮を粉砕して塩を加えて味を馴染ませて、熟成する。味わいが青くフレッシュである。辛みと酸味がすぐに来て、すぐに鼻に抜ける。

阿佐ヶ谷駅に初めて降りたのは、学生時代か、卒業してすぐだったかも。なぜここで待ち合わせるのかわからないまま同級生とホームで会って、喫茶店をはしごした。ボクの初阿佐ヶ谷は付き合いでしかなくて、目的の永島慎二の存在自体を知らなかった。以来何度も、なんとなく降りているが、目的はない。途中下車する駅であったのはボク好みの街だからだ。今回は阿佐ヶ谷神明宮の撮影をしに行き、曇りだと思っていたら、神社に着いたら強い陽射しの中にその建物がすっぽりと包まれてしまっていた。それでも撮影してみたが帰宅後、どうしようもない画像で、修正できなかったので、もう一度、撮影に行く。1週間に2回も阿佐ヶ谷に行くなんて、思ってもみなかったけど、少しだけ残っていた昔ながらの阿佐ヶ谷にも出合えた。たしか永島慎二の喫茶店は「ぽえむ」じゃなかっただろうか?今回は普段は決して入らない喫茶店に永島慎二とは無関係に入って、安堂清春のようにナポリタンを注文した。『テミスの不確かな法廷』にどっぷり漬かり込み、染まっているためだ。羽海野チカの『3月のライオン』といい、時間の無駄使いしすぎている気がするが、やめられない。

寺納豆が好きになったのは静岡県浜松市で「浜納豆」を買ったのがきっかけである。浜松市の寺納豆は山椒の風味がした。フィルムでしか残っていないということは、それから一度も買っていないことになる。もう一度、浜松市まで行って買いたいとは思うが、いつのことになるのやら。寺納豆は大豆を麹菌で発酵させて、塩水につけて干し上げたもの。塩辛く、麹の風味がして、大豆と麹の甘さが口に残る。京都府京都市大徳寺そばで買い、京田辺市で買っている。京都府のものは、歴史を中世にまでたどることができる。墨のように黒く大豆で作ったのに、まったく大豆からは離れた味となっている。豊橋市、浜松市のものは大豆の味と形が残っている。

三重県のうどんは「伊勢うどん」と表示してあるものも、していないものもひょっとしら全部柔らかいのが特徴かも知れないという疑念を感じているが、今回はこの疑問はどけて置く。伊勢地方のうどんはゆでると、真っ白で太くふんわりやわらかい。柔らかいけど熱がこもりやすいのかやけに熱い。

「刺身にしていちばんおいしい魚はなんですか?」と矢鱈に聞かれる。ボクは本当の事しか言わないので、「フナです」と応えている。できれば滋賀県のニゴロブナの刺身がいいと思っているけど、養殖用のゲンゴロウブナ(河内フナ)もあなどれぬほどにうまい。聞いた方の多くが、「また変わったことを言いますね」といった顔をするが、こちらは本気以上に正直に応えているつもりだ。だいたいフナは中世、江戸時代、昭和になっても、もちろん場所(水域)にもよるが高級魚だった。例えば、歴史的(文字として残っている)にも、江戸時代前期(1600年代半ば)から上流の宴席や寄り合い、茶会などで食べられている。千利休の茶の湯を完成に導いた曾孫、江岑宗左(こうしんそうさ)の茶会にはなくてはならない品、それこそがフナの刺身であった。ちなみに角倉了以の高瀬川もフナを食べる文化には一役買っているなど、フナを食べる文化は調べれば調べるほど奥が深く面白い。閑話休題。群馬県板倉町にあるハスミフーズのものは群馬県産生食用なので、養殖されたものだ(天然ものには寄生虫の危険がある)。種はわからないが、ゲンゴロウブナを改良した「河内ブナ」なのではないかと思っている。少々、荒っぽい造りではあるが、フナの豊かすぎるうま味と独特の淡水由来の香りが堪能できて、おいしすぎる。酢みそで食べたが、黒い星のサッポロビール350mlととても相性がよかった。

福島県は西から会津、真ん中が中通り、海側が浜通りと縦3地域に分かれる。浜通りは当然、食は強く海に依存している。海から遠い会津は淡水魚、山の幸に対する依存度が当たり前だが、強い。当然、会津のコイ料理は有名である。中通りは、浜通りから海の幸を供給されていて、交易史的には「里(海辺から海産物の供給を受け、逆に里の産物である米などを提供する)」とするとわかりやすいが、コイをよく食べる。郡山市では養殖も盛んに行われている。ちなみにコイは雑食性なので養殖しても自然に対する負荷は少ない。問題はこの自然に優しいコイ食文化が衰退傾向にあることだ。さて、そんなコイをよく食べるであろう、須賀川市にある『マツヤスーパー』の特徴はコイ料理が一通り揃い、おいしいことだろう。特に素晴らしいのが「コイの洗い」である。包丁が切れているのはパック詰めのまま見ても、実に美しい。コイの洗いは見た目が美しいものは間違いなく味もいい

福島県に行ったら、ついつい買ってしまうものに「島田うどん」がある。円谷製麺という会社が作っているが、ボクの世代だと、「円谷」といえばやはり、福島県須賀川市出身の円谷英二が浮かんでくる。福島県史を読むと石川氏とともに、円谷氏(藤原)が出てくるので、古い名だ。過去に通り過ぎたことのある石川町とか白河市でも円谷さんに会っているし、須賀川市でも会っているので円谷さんはとっても多いんだと思う。絶対に読めないはずの「つぶらや(福島の人は「つむらや」といい、「む」は鼻濁音、「や」の音が伸びる人がいる)」が読めるのも、ゴジラやウルトラQのお陰だ。

徳島県徳島市、栄寿司の尾杉卓さんにいただいたものの中に大きな茶袋に入った番茶があった。「歩危番茶と」大書きしている。徳島県は明らかに茶どころである。海陽町の「寒茶」、西部山間部の緑茶、番茶、「阿波番茶」、剣山周辺の緑茶に番茶、とそこまでは知っていたが、現三好市にも独特の茶があることを知らなかった。三好市といっても吉野川に沿った西で旧山城町になる。「歩危番茶」の製法はわからないが、非常に乾燥が強く、太い枝などが入っていない。これは製茶を行っている『曲風園』の考え方で、この地域本来のものではないかも知れない。

あじ(マアジ)の開き干しの頭は開いた方がいいのか、そのままの方がいいのか?どちらでもいいのだけど、頭を割らない開き干しを見ると西日本のものだろうと思ったりする、この地域性がとても重要だ。高知県の開き干しは頭を落として開いたりもするが、この頭そのままが多いようだ。しかもこの黒潮町の開き干しは絶品なのだ。塩加減がまさにちょうどいいし、鮮度がいいもので作ったのか、ボクの苦手な酸化による苦みがない。塩慣れしているので、うま味が増していて、ご飯に乗せて食うとやたらにいい。甘味のあるご飯と相乗効果を産む。ちなみに高知県の干ものに土佐市白木果樹園の「ぶっしゅかん(モチユ)」をたっぷり搾る。干ものに酢みかんとはいい夫婦のようなものだ。

納豆は上京して初めて見たなんていうボクがいうのもなんだけど、地納豆が好きだ。大手もいいけど、地納豆が消えたら嫌だと思っている。ボクは昔々から、地域と地域性と地域力を調べている。東日本では食の地域力という点で、納豆は欠かすことが出来ない。新潟県は取り分け納豆製造業者が多かったようだ。それが激減したといっても、スーパーには必ず地納豆があるのがいい。県庁所在地新潟市の中心地域に3つも業者があるなんて新潟以外にはない。新潟納豆 高橋商店 新潟県新潟市

緑茶の番茶(遅摘みで枝なども入っている)や、早い摘みでも葉の大きさを揃えず枝などが入っているものを「柳茶」というのだ、ということを知らなかった。文字の専門家に聞いたら、それは一般的な言語だというので、恥じ入る思いがした。ボクが普段飲んでいるお茶もこの柳茶である。我が家で飲んでいるお茶はこのタイプが年5㎏くらい、上煎茶は1㎏弱、ほうじ茶も1㎏弱だ。凍頂ウーロン茶に、紅茶も飲むが、非常に少ない。この柳茶は淹れる最適温度の幅が広く、いい加減でもいい。上煎茶ほど刺激が強くないので、上煎茶やコーヒーを朝から飲むと障害が出るボクにはこれ以上のものはない。

9月半ば、高知県高知市愛宕町の金曜市の塩乾などを売る店で、あじ煮干し(マアジ煮干し)大と小を1袋ずつかった。小は見た目は悪いが、見た目のいい大よりも上とみた。値段は2つとも変わらないが、小でとっただしの方がうまい。煮干しは見て、1つ2つ食べてみて買うことにしているが、当日は時間がなかったのでそれが出来なかった。ただ、金曜市の煮干しはぜんぶよかった。日曜市にも店を出しているようなので、次回もこの店で買おう。あじ煮干しは頭と内臓を取る。2つ割りにする。我が家はから煎りしないが、煎ってもいい。これは好みの問題。ボクは煎ると煎った香りが余計な気がするだけ、昔昔は煎っていた。これを昆布と一緒に12時間以上浸しておく。これをゆるゆると温め、昆布を取りだして沸点手前まで熱くする。

高知県で飲まれているお茶は種々様々である。茶といってもマメ科植物の茶あり、所謂茶であるチャノキの茶もある。「はぶ茶」の「はぶ草」の正体はわからない。ネットで調べると、マメ科ジャケツイバラ亜科センナ属のハブソウ、もしくは同じ属のエビスグサとなっている。専門家ではないので、原材料は不明のままとしたい。高知県にマメ科の「茶」は「きし豆茶」と「はぶ茶」があることがわかる。

高知県で飲まれているお茶は種々様々である。茶といってもマメ科植物の茶あり、所謂茶であるチャノキの茶もある。もっとも一般的なのは土佐番茶といわれるものらしい。チャノキの茶を焙じたものと、きし豆(カワラケツメイ)の葉を焙じたものを混ぜたもの。安芸市や黒潮町の直売所で買ったものは、きし豆(カワラケツメイ)の比率が多く、甘味がある。高知県高知市帯屋町『森木翠香園』のものはチャノキの葉が多めで、きし豆が少ない。

高知県ではきし豆(岸豆。川原などに生えているカワラケツメイ)のお茶があり、チャノキを枝ごとつんだ番茶もある。ともに焙じたものを淹れる。単独でも飲むが、ふたつを合わせたものが「土佐番茶」である。単に「番茶」という表示で「きし豆」入りという表示もある。高知県各所で「きし豆」入りの番茶を買っているが、どうやら作る人により「きし豆」比率が違っているようだと思えてきた。今回の晩茶(高知県幡多郡黒潮町)は「きし豆」が比率が高いためだろう、高知市内で買ったものよりも甘味が強い。

高知県高知市愛宕町の金曜市の塩乾などを売る店で、買ったものだ。「かますの煮干し」は日本の各地で作られていると思うが、高知県もそのひとつだ。市内にある市(日曜市・金曜市など)では定番的なものだと思われる。問題はアカカマスかヤマトカマスか、だが、今回のものはアカカマスのようだ。過去にはっきりヤマトカマスだと思われるものは見ていない。

高知に行ったら必ず買ってしまうものに「てつ干し」がある。今回買ったのは「まいら鉄干し」で、『いずま海産(高知県室戸市)』のものだ。「まいら」とはアオザメのことである。角材状で微かに赤みを帯びている。塩加減がほどよくとてもボク好み。高知県東部の室戸市や安芸市などなどの「てつ干し」は、どれもこれもよく出来ている。はずれがないのがうれしい。しっかり焼き目がつくくらい焼くのが好きなので、じっくり四方八方から火を当て時間をかけながら焼き上げた。これを手でむしりながら野性的に食らう。高知県で買った土佐鶴にも合うし、ビールにも合う。いずれにしても酒の友なのは高知県だからかも。

水産物とヒトとの関わりを調べた、その調べ始めの地が新潟県である。学生気分が抜けないときであったが、最初に新潟で感じたことはサケ比率が高いことだ。徳島から上京したとき、東京にはサケが多いと思ったものだが、新潟のサケ度は東京と比較できないほど高い。どこに行ってもサケがあり、マス(カラフトマス)があり、季節には本マス(サクラマス)がある。その頂点にあるのがサケで、庶民的なマス(カラフトマス)がある。季節限定の本マス(サクラマス)がある山形県よりも本マス(サクラマス)の地位が低いのも新潟県の特徴だろう。さて、北海道のサケ漁はトキシラズの初夏から始まるが、新潟県などでは9月中旬から始まり10月、11月が盛漁期である。今年、新潟市西区五十嵐新川にサケ漁を見に行きたいと思っているが、県内でのサケ漁の前、9月1日に、新潟市のスーパーでサケのブロックを買った。新潟中央市場、上越市一印にも北海道からたっぷりサケがやって来ていた。少なくなってはいるが、新潟県では今でもサケがとれている。でも、漁期前なのでスーパーのサケ売り場の主役は北海道産だ。これこそが産地間流通(産地はその産物をとるだけではなく、好む傾向があるので、ないときには別の産地からもってくる)というものだ。そして、新潟市のスーパーで買った北海道産サケが非常に上物であった。いいサケを見極める能力が新潟県人にはあり、それを流通のプロ達もよく知っているのだろう。

昆布巻きと言っても漬物で、にんじんやごぼう、大根やなすを昆布で巻いて、みそ漬けにしたものだ。新潟県妙高市『太田醸造』のオリジナルのものかと思ったら、妙高市新井、上越市高田の朝市でも売られていた。こんなに手の込んだ、みそ漬けを作るのは上越地方ならではなのかも。切ってみるときれいな断面が出る。なんて美しいんだろうと感心していると、昆布が長すぎて食べられない。食べにくいといってもいいだろう。

ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の家の食卓には必ず、「しょいのみ(ひしお)」が置かれていた。よく「しょいのみばっかりでご飯食べたらいかんでぇ」と言われたものである。好きなので、旅に出ると必ず「しょうゆのみ」を探す。

今回の新潟県の旅は、朝市は楽しすぎる、ということも含めて書いていきたい。妙高市新井の朝市で、見つけたのが赤い「ふきのとう」だ。赤いのは雪の下に埋もれた状態だからだと思っているが、確かめたわけではない。ボクは極々田舎である徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)で育った。「ふきのとう」は上京するまで食べたことがなかった。吉野川を挟んで北側、美馬町(現美馬市)、親戚の家の、畑の斜面に毎年出るので、剪定バサミを持たされて取っていたものだが、我が家では食べた記憶がない。あまり山菜類を食べないのは、商家だったためか、それとも徳島県はあまり山菜類を食べないのか、今以てわからない。初めて食べたのはお茶の水駿河台、学校の隣の居酒屋で、だ。不思議な味だけどおいしいなと思ったものだが、3、4個しか皿にはなく、むしろ高い食い物だと思った印象の方が強い。この赤く硬い「ふきのとう」は、1月、2月に新潟でも群馬でも、関東周辺の直売所でも、必ずではないが高い確率で出合える。生のまま割ると非常に香りが強い。最近ではこの香りだけで元が取れたと思うし、いい匂いなのでぽわーんと、うっとりする。今回のものは、12月26日に買ったので、とても春のものと言えない。それでも春を感じるのは、完全に体が冬になっているためだろう。

今回の新潟県の旅で、朝市は楽しすぎる、ことをば書いていきたい。上越市高田の朝市、妙高市新井の朝市で、今回もまた買えてうれしかったものが、藤五郎という品種の梅で作った梅干しである。初めて新潟に行ったのは1980年代半ば、分水町(現燕市)、岩室(現新潟市)、新潟市などを車で回った。そのとき朝市で見つけた梅干しがボクの故郷徳島県西部のものでもなく、関西ものもでもない。一般的な梅干しとどこか少し違うものだった。同じようなものが山形県にもある。山形県の山間部で会った人が、普通の梅は寒いところには育たない。それでアンズやスモモと掛け合わせて、寒冷地用に作ったものだと話していたが、確かめていない。南高梅のように大型で、果肉が非常に柔らかく、酸味もやや弱い。比較的水分(梅酢)多めに作っているのも山形県山間部のものと似ている。梅干しが苦手なボクにも食べやすいので見つけると買っているが、今回、この藤五郎という品種で作った梅干しを売っていたのは1軒だけだった。夏にも新潟に行くので、また買ってきたいものだと思っているが、じょじょに作る人が減っているのかも知れぬ。

関西ではよく見かけるものだし、種子が売られているので関東の直売所にも日野菜の漬物はある。また日野菜自体も売っている。それでも関東で日野菜を買おうとは思わない。我がデータを見る限りでも関西でも青果を京都市内で一回買っているだけで、ほぼ滋賀県内で買い求めている。しかも漬物は、近江八幡市、野洲市、草津市と南部地域がほとんどで、北部では安曇川で青果を一度買っているだけだ。日野菜は基本的に発祥の地、日野町周辺の滋賀県南部のものなのだろうか。この日野菜にも南北滋賀県内の違いを見た気がしてきた。

関西(滋賀県・三重県北部・京都府南部・大阪府北部)に行って見つけると買ってしまうもののひとつが「赤こんにゃく」だ。スーパーなどにあれば買うけど、そんなに気にしているわけでもない。滋賀県名物で、近江八幡市が発祥らしい。近江の有名人、豊臣秀次とか、織田信長とかの伝説があって、なぜ赤なのか? なぜ弁柄をいれたのか? が語られるが、だれでも作りそうなわかりやすい嘘ばかりだと思っている。こんにゃくが一般的になるのは18世紀からで、普通の食品となったのも18世紀からではないか? と考えているからだ。さて、その歴史はいかがわしいものの味はいい。赤い色素である弁柄の味は感じられるような、感じられないような。この滋賀県に展開するスーパー、平和堂で買った近江八幡市の『乃利松』のものは取り分けよくみる。他のメーカーと比較するほど食べていないが、とてもおいしい赤こんにゃくだと思っている。

北海道根室市で買った「ラワンぶき」と青森県の名品、イゲタの焼き竹輪を煮合わせてみた。「ラワンぶき」はとても柔らかく、ちゃんとフキらしい味がする。イゲタの竹輪のうま味を染み染みさせて実にうまい。北海道では必ずフキの水煮を買ってきているが、買わないと忘れ物をしたような気分になる。それほどおいしい食材だと思っている。

市場魚貝類図鑑は複雑な要素で出来上がっているがとりとめもなく……。わがサイトが目指すところはぼんやりとしたものだけど、食のぐるりの総まとめだ。伝統、季節、自然がとても重要だと考えている。だからできるだけ1970年という破壊年以前を感じるものを集めている。生物や料理もそうだが、周りのもの、例えば器もそうだ。駒場東大前の『べにや民芸店』の池本惣一さんの器に興奮してしまった。それまでも何度も写真では見てきたが、写真ではわからない何か? にびっくりしたのだ。そこにあるのは「朝鮮の風」のようなもの。『べにや民藝店』のリョウさんの写真というコマセに誘われて、ボクは小アジちゃんのように欲しいものを欲しいだけ買い求めてきた。池本惣一さんは愛媛県砥部町の人だけど、四国には多くの朝鮮文化が残っている。これなどは九州と同じである。器を見ていて、同じ四国生まれのボクの中に「朝鮮の風」が吹いている、と感じた。歴史考古学の世界からも日本列島には台湾経由でたどりついたヒト、ユーラシア大陸から来たヒト、そして比較的新しく紀元後に朝鮮半島から来たヒトがいる。原始ではなく日本列島の古代文化史は朝鮮半島からのヒトによって多くが築かれ、そして戦国時代に朝鮮半島の陶工が来たことによって陶磁の世界が急激に進化する。戦国大名が朝鮮半島の陶工を連れ帰ったのも、自らの朝鮮への憧れと、「朝鮮の風」を感じたためだ。同じように柳宗悦も明らかに自分の中の「朝鮮の風」を感じた。これも民藝運動という帆船の風だと思う。ボクは、からっちゃの息子なので、器に強く惹かれて惑溺してしまう。今回も新たな器を収納していて食器棚が壊れる。壊れるくらい買うなよ、とは思わない。

奈良県十津川村平谷、『ふくおか』から「番茶」を取り寄せた。取り寄せは、よほどのことがないとやらないので異例だ。同村の松寶純子さんがチャノキの葉をやや野性的につみ、よくよく揉んで作ったものだ。十津川を縦断したのはサンマのことを調べるためだ。国内でもっとも早くからサンマを流通させたのは熊野(三重県・和歌山県)と奈良県、後に畿内、美濃である。サンマの歴史にとってもっとも重要な地域と言えるだろう。そんな旅の途中、小さなスーパーというかコンビニのような店、『ふくおか』で見つけたのがこのお茶である。

鼻水攻撃で1日棒に振り、貴重な時間が消えてなくなる。今年もなんの収穫もなしに過ぎていくんだろうなと思いながら、埼玉県川島町、大河戸製麺の太焼きそば麺で焼きそばを作る。ときどき焼きそばを無性に食べたくなるボクだけど、今年になって、ずーっと「あとがけ」である。「あとがけ焼きそば」は山形県酒田市の名物でもあるが、調理の途中、ソースをからめ、ソースを焦がすという工程がない。味つけはテーブルのソースで好きにやってくれ、といった投げやりさが逆にいい。ソースをかけすぎると大変なことになるが、自己責任なので、文句のいいようがない。いろいろ上にのってゴージャスだったが、逆に麺は平凡だった。焼きそばとか、お好み焼きとかは明らかに1945年の戦後のものである。いろいろ歴史を語る向きがあるが、基本的に新しいと考えないとダメだと思っている。1945年以前にたどるのは歴史を複雑化して面白いけど、本質から大はずれしている気がする。江東区の老人は、小麦粉が世に氾濫したのは敗戦後、アメリカ軍によるという。関東平野の土壌とか小麦の生産量とかいろんなことを関東の名物焼きそばを語るときにつけ加えるが、戦後の粉食は意外に単純かも。当然、1960年前後の酒田市の「あとがけ焼きそば」も同様だと思う。ただ、中華の焼きそばと、この国の庶民が作り出したソースの焼きそばの違いは、調べると面白いと思う。さて、ボクが作るのは、あり合わせのものだけで作り、何も乗っけないで、とてもシンプルなものだ。味のいい埼玉の麺で作るので香ばしくソテーして麺そのものの味を楽しんでいる。ソースは千葉県で買ったカゴメのウスターソース。カゴメソースとブルドッグはどちらかというと酸味が薄く、優等生的な味だ。ソースに関しては。イカリソース、名前が出てこない北海道で買ったソースなど、ちょっとずつ地域によって違いがあるのが楽しい。こんな日常的なものの違いを楽しむのも旅だと考えている。

あんまりにも同じ物を見つめすぎると身体が熱くなる。巻き貝の世界は非常に難しい。取り分け形態的な連続性を考え始めると、きりがない。別に病気でもないのに身体が熱くなり、冷たい床に腹ばいになるのが、ボクの対処法。憂さ晴らしに埼玉県まで野菜や地域ならではのものを買いに行ってきた。そしてまた埼玉県川島町の直売所で、太巻き手打ちうどん弁当(うどんつき弁当)を買った。川島町のある埼玉県など関東平野は古くからの畑作地帯で小麦粉文化圏だ。1590年、徳川家が江戸入り後すぐから徳川家は米(戦国時代に耕地が増え、米の収穫量が増えると、米本位制となる。米は食料でもあり、金と同等のものでもある)の確保に苦しんだ。徳川家家臣団、江戸幕府を築く流入民に分け与える米が不足していたのだ。この米不足は1670年代に河村瑞賢が東北からの米廻船の新航路を見出すまで続く。考えてみると関東平野は古くは秩父平氏、次いで鎌倉幕府ができ、室町期に鎌倉公方、関東管領が統治する。鎌倉公方、関東管領の享徳の乱の後、この足利の支配が消えると、後北条氏、上杉謙信の上杉氏、武田氏が、享徳の乱の続きを始める。後北条氏、上杉謙信の上杉氏、武田氏が天下を取れなかったのは関東平野にこだわったからだ。ものなりの悪い土地の争奪戦にこの戦国武将達はなぜにこだわったのだろう。さて、旧比企郡にある川島町は旧川越藩の領地だ。川越は太田道灌の太田氏との繋がりがあり、江戸時代には小田原藩とともに特別な藩だった。川島町周辺では江戸時代から米はとれていたものの、伊達藩、仙台米と比べると質が落ちた。ある意味、米は藩に税として収めて、主食は麦だったのではないか。ちなみに戦後になっても埼玉県の米は東京での評価は低く、安かった。江東区の民俗学資料の米穀店の聞き書きに埼玉米は煎餅屋に下ろすために仕入れているもので、決して一般家庭では食べなかったとある。埼玉県北部や群馬県にみられるゆでうどん付き弁当は、その米不足の名残である。不思議な取り合わせで決して身体にはよくないと思うけど、いろんな味が楽しめるのでついつい手が出てしまう。

穀醤である醤(ひしお)、醤油の実(しょうゆの実)、もろみ、のない地域は少ないと思っている。穀醤とは別系統の、醤油のことをもっと深く知りたいと思っているので、我が家にある穀醤のデータを整理中だ。まだ我がデータベース内の「製造されている分布域」すらはっきりしないが、醤油の伝来以前からあるものなので、たぶん名前は違えども全国にあると思われる。ちなみに穀醤は大豆・麦・塩・水と麹で発酵させたもの。調味料ではなく、食べるためのものである。今回の福島県・新潟県の旅では、福島県内では見つけられなかった。探し回った挙げ句、新潟県内では大手の十日町市、『高長醸造場』のものを買い求めてきた。十日町市のある魚沼地域では盛んに「しょうゆの実」が作られており、小さな醸造所も多いことからして残念ではある。新潟県の「しょうゆの実」は比較的辛口で甘味がほとんど感じられない。水分が多いのも特徴だと思われる。ちなみに醤油伝来以前には調味料という概念がなかった可能性が高い。料理は、調味することは特殊で、調味しないで火を通しただけの料理だった。食べるときにつけて食べた、そのつけだれの役割を果たしていたのが、もちろん現在のものとはまったくの別物だとは思うが、穀醤である。ちなみにこの塩分濃度の高い、「『しょうゆの実』だけでご飯を食べるのが好きで他にはなにもいらない」という話を超高齢のご婦人に小千谷市の地スーパー、『たかのスーパー』で聞いたことがある。昔はそれが当たり前だったのかも知れない。新潟県でもそうだが、意外に穀醤を調味料として使う地域は少ない。

スーパーに行くのも、ボクにとっては旅である。いろんな刺激があっちこっちから飛んで来る。普段は行かない、駅前のスーパーに飲み物を買いに入ったら、懐かしすぎる「マースカレー」があった!1945年の敗戦後、新しい家庭料理をこの国とGHQは国策として広めていた。中にカレーがある。このあたりに関しては小菅桂子の『カレーの誕生』に詳しい。国民の体形の向上と主婦の家事負担の軽減である。当時、料理は主婦が作るもので、農家などで主婦はもっとも早く起きて朝食を作り、もっとも遅くまで家事をこなすのが普通だった。今でも昔の主婦はよく働いたものだ、なんて懐かしそうに言う愚か者がいるが、これは明らかな虐待である。料理は「ご飯に一汁一菜」にしても、当座食べるものを作っていても手間がかかる。ライスカレーはそれだけで、ご飯であり、おかずであり、汁でもあり、と完結しているのである。コロッケなどの戦前からのものではなく、戦後の新しい家庭料理の普及はちゃんとした目的があってのことなのだ。

ドイツ文学者の西義之は1922年台湾生まれ。内地(1945年以前の言語)に来たのは、「四校」と呼ばれた、旧制第四高等学校に入るためだろう。ということは彼の国内での故郷は金沢ということになる。「四校」というと井上靖の「夏草冬濤」の世界である。『定年教授の食卓』(春秋社)に、雑誌やラジオで何度も話題になったことのある「ドリコノ」とともに「炒り粉」の話が出てくる。〈田舎(たぶん石川県金沢市)で「炒り粉」を冷たい水で溶かして、塩と砂糖で味つけをして飲んでいた〉「炒り粉」は、ボクが小さい時は「はったい粉」。他には「麦こがし」、「香煎」、「おちらし」ともいう。麦を香ばしく炒って粉状にした食品で、中世以前からの食品である可能性が高い。徳島県美馬郡貞光町(つるぎ町貞光)の家では、お湯で錬って食べていた。どろっとしつつも飲めるくらい薄く溶いて、甘い味つけをして飲むというのはまったく未知の世界である

打ち豆という大豆の加工食品がある。大豆をもどしてぺたんこにつぶし、また干したたものだ。山形県米沢市・高畠町、新潟県各所、福島県会津地方・南会津地方、富山県氷見、福井県勝山、滋賀県北部余呉長浜で買って撮影している。もっと他の地域でも食べられていると思うが、山陰などでは探したが見つけていない。また太平洋側にはないのかも知れない。例えば青森県、岩手県には、「豆しとぎ(米のもある)」という粉状にしたものは普通に見られるが、打ち豆はないと思う。会津地方で打ち豆を買ったのはこれで二度目だが、前回は会津若松市で、今回は猪苗代でも南会津でも西会津と3カ所で買い求めている。考えて見ると中通り、浜通りでは見ていないと思うが、次回福島に行ったら探さないとダメだ。