
赤道直下、ポキは小さな怪しい店でたむろしていた無国籍な人たちに教わる。フィリピン人の発音ではポキでミクロネシア生まれの男性は、どちらかというとポケだった。(逆だったかも)通訳は沖縄に出稼ぎに行ったため、日本語が話せるフィリピンの優男だが、ボクの特技は言葉がしゃべれなくても仲良くなれることなので、通訳以上のことが読み取れた。ポキは生で食べられる魚(なんでもいい)を細かく切って、ごま油とねぎなどでマリネする。ねぎとごま油が基本だけど、ねぎは熱帯では非常に高いのでティティレム(?)という葉を使うこともあるらしい。ポキはルール無用の混沌とした料理なので、あれがいいとか、ベストだとかくだらないことは考えない方がいい。作ったものは総て正解である。長崎県産天然ブリ・切り落とし(236g・税込み431円)で2品だけど、まずはポキを作った。ねぎとごま油と、ミニトマトだけの非常にシンプルなものだが、醤油を利かせると、結構うまい。今回はバゲットのスライスですくってはスエーデンのウオッカ、アブソルートの水割りをやり、またすくっては水割りをやる。醤油を使っているのに、なぜかスピリッツに合うが、たぶんこれは醤油多めで塩分濃度が高いからだろう。ミクロネシアかどこかの島生まれの男性にもらったトウガラシ(熱帯に多いキダチトウガラシ)のペーストを、楊子の先くらいの量つけると、ぐんとおいしくなる。量を間違えると地獄に落ちるけど、最小限でツンとくるくらいだとやけにうまい。考えてみるとブリである必要があるか、といえばない。ブリを堪能できたかというと、できなかった。生で食べられる魚だったら、マダイだってメジナだっていい。白身よりも赤身の方がいいけど、赤身でなければならない、ともいえない。ご飯にも合うのは、ポキ誕生に日本人も関わっているからだ。蛇足だけど、キダチトウガラシのペーストは非常に危険である。むしろタバスコやわさび、コショウなどの方が安全だと思う。

さて、まだ魚料理を作ったことのない人へ。けっして魚料理のハードルは高くない、とにかく作ってみなはれ! という話である。やたらに通ぶる人に限って魚をやけに選択的に食べていたり(魚を限定的に食べる行為は最低である)、たいして食べていなかったり、する。そんな偽物にはなって欲しくない。数打てば当たる、というか魚は日常的なものでしかないので、普段から食べるべしという話だ。ついでにもしも真の魚通がいるなら(まだ会ったことがないけど)、魚を食べた経験が多い人と=(イコール)である。ときに、この人、魚通かも知れないという人に会うけど、魚が好きで、日常的に食べているだけ、という人が多い。ひとりでも多くの人に、このような人を目指して欲しいものだ。マダイと言っても、今回のものは小ダイなので、非常に安い。安いけど、どんな料理にしてもそこそこおいしい。それがマダイのよさでもある。例えば、1尾で430円くらいなので、これで4人前(4回分)の料理を作り、おいしい時間を過ごせるのだからほんまに安い。さて、塩焼きは家庭料理の基本のキである。家庭料理は基本さえ学べばあとは自分流にアレンジするなり、しないなり、好きにすればいい。脂のないときなどバターや、マヨネーズ、オリーブオイルで食べてもいい。さて、小ダイの二枚下ろしなので片身は骨なし、片身は骨ありで、骨のある方を塩焼きにした。焼き上がったら冷めるまで待つ。焼きたてよりも、冷めた方が好きだからだが、焼きたてが好きならアツツといいながら食べるといい。まずは手で食べるところだけほぐす。これを肴にちびりちびりと5勺ほどの酒を飲む。酒は新潟県村上市「大洋盛 金乃穂」で、夜酒だけど、仮眠のための酒だ。それにしても冷めたマダイの塩焼きとは、なんとおいしいものか。皮の香りが冷めているのにするし、香りなのに甘く感じられる。そして端的な、わかりやすい身のおいしさ。半分だけ食べて、残りは翌日にご飯に炊き込むはずだった。困ったことに朝、仕事をしながら、お茶を飲みながら完食する。

今回はあくまでも魚を普段食べない人のための話であるが、もっと小売店、スーパーマーケットや魚屋をちゃんと活用すべし、という話でもある。小売店で魚(水産物)を買うことは魚を学ぶことにもなる。もしもそこから上に踏み出したいなら踏み出してもいいけど、それ以前にたくさん水産物を食べるべきだ。ついでに魚(水産物)は上等なものでもダメなものでも、徹底的に食べてみないとわからない。取り分け、いいものだけを食べていると、水産物オンチになってしまう。かねがね天然の水産物をもっと日常に取り入れるべきだと思っている。その方が自然に優しいし、体にも、水産物の勉強すれば家計にも優しい。ついでにいうと、普通に暮らしている人は、魚を下ろす必要もないと考えている。例えば魚のための包丁・まな板だって不要である、という話もしたい。包丁などできるだけ買うな、と言いたい、要するに包丁を買うくらいなら、魚を買って〈魚経験〉を増やせ、だ。包丁を使う部分はスーパーがやってくれる。その親切度に違いはあるが、料理法まで教えてくれて、下ろしてくれる小売店が増えている。もちろん切り身になっていたり、水洗いしていたりというものは昔からあった。この社会インフラ(ちょっと大げさだけど)は、全国的に整い始めている。日本中のスーパーマーケットをまわっていると、それがひしひしと感じられる。魚料理はできるだけ小売店に頼り、できるだけ手間をはぶけ、だ。今回は近所で売っていた宮城県産の小ダイ(たぶん体長25cmくらいのマダイ)税込みほぼ430円を料理してみる。水洗い(鱗と内臓を取る)して、二枚(頭部を落として左右いずれかの身を切り取る)に下ろしている。骨つきと、骨なしがある。この骨なしをこってり「からめ煮」にしてみた。煮染めるのではなく、とろとろの煮汁をまとわせたといったものだ。思ったほど難しくないので、作りたい方は、下記に。さて、こってこての煮汁だけど、マダイの身を割ると煮染めていないので中は白い。これを煮汁をからめて食べる。マダイの身の味わいはそのままで、皮目の独特の風味すら感じられる。面白いもので、料理法としてはご飯の友だが、酒の友という人も多そうである。ボクはこの半身の半身を夜酒の友とした。430円の4分の1で、夜酒が飲めたことになる。合わせた酒は、「最近、灘の酒売っていないね」、という好奇心だけで買った「白鶴大吟醸(白鶴酒造 兵庫県神戸市)」。大吟醸なのに非常に安く、可もなく不可もなくという味だった。

前回のページへ。・魚は近所のスーパーで 1 長崎県産キダイを食べる1尾買いすると様々な料理が作れる。小さくても1品だけではなく、2品、3品と作れるところがいいのだ。今回のキダイは1尾500円ほどなので2人前で、1品200円足らずしかかからない。スーパーで買い物をするなら、やってもらえることはできる限りやってもらい、生活に生かして欲しい。魚料理は、がんばりたい人はがんばってもいいが、できるだけがんばってはいけない。さほど大きくない魚の頭部は煮つけに限るといってもいい。煮つけにすると余すことなく食べることができる。ボクはそんなに魚っ食いが上手ではないので、こつこつ時間をかけて食べているが、それも忙しい日々の中で安らぎに通じる。魚の部位で皮がいちばんうまい、なんてしみじみ感じたりする。夏大根はまずいというのは品種改良される前の話で、最近は滅法うまいものが出て来ている。近所でとれた太めの大根のスライスが煮染まってやけにおいしいのも魅力的である。これで酒を飲み、仕上げには煮汁でご飯となる。

次のページへ。・魚は近所のスーパーで2 長崎県産キダイで3品スーパーで買った連子鯛(キダイ)の半身を焼霜造りにした。三枚に下ろしてさえいれば焼霜造り(皮目をあぶって氷水に落として水分を切り、刺身状に切る)はとても簡単。今回のものは刺身にはぎりぎりの個体であったので、皮目を生かして造った。キダイは産卵期が春と秋2回あるので、夏に向けて旬を迎えている個体と、産卵後の個体が存在するが、今回の個体は産卵前で脂がある。いろんな料理を作るつもりなので値段的にも超お買い得だった。深夜酒の友にする。まずが皮の香ばしさにまずはうっとりするはずだ。皮下に脂があり、それが甘く感じられる。身にも脂が少ないながら感じられる。一切れの味が思った以上に大きく、上品でいながら味がある。まさかこれが500円の3分の1で作れるなんて思わないはず。総ての人には当てはまらないが、一般人は魚料理のプロにならない方がいい、魚料理はできるだけたやすい方法で、日々の中で普通に作るべし。

子供の頃から不器用と言われ、器用揃いの家族からは「ウチの子とちゃうんちゃう」とまで言われたボクの不器用は治らない。魚を下ろすのも野菜を刻むのもダメだし、うまくいかない。しかもバネ指の悪化で指が痛いし、思うように動かない。だから魚を下ろすときには、どんどんキッチンバサミを使い、妻作りには実家から持って来た売り物のベンリナーを使う。ちなみに半世紀前から持っていたベンリナーを半世紀ぶりに買い替えた。不器用だからこそ、包丁はよく切れないとダメ、なのでこまめに研ぐ。ボクは砥石を使っているが、シャープナーでもいいと思う。料理にルール、ベストという文字は無用。プロじゃないんだから、便利な物はなんでも使え、だ。昔は器用になりたいなと思ったけど、最近、不器用でよかったと思っている。器用な人は工夫しないが、不器用な人は工夫しないと魚料理は作れない。

ボクはボク自身を研究者だと考えている。研究者ではあっても、いつになっても専門家にはなれない、研究途上にある不完全な人間である。当然、水産物の基礎(一般常識のことで1970年代までの水産学に当たる)を調べている人に希に出会う。無駄な出合いだなと思うことが多い。そんな人に限って専門家意識(各論とか加工品などの分野を除く)を持っているが、話をしていると、水産生物の理解度からすると幼稚園以下、な気がする。ボクも若い頃、ホンモノに話を聞いてもらったことがあるが、そんな感じに思われていたのかも。ただ、それが許されるのもせいぜい二十代のときまで。できるだけ早く専門家意識は完全に捨て、いつまでも自分を初心者と見なし明確にわからないことには触れず触らず、それが情報ではなく、物体なら可能な限り持ち帰って調べることにしている。研究とは自分を信じない人でもある。だからボクの旅は過酷なのである。ちなみに食通だと触れ回っている人にもホンモノがいて、ボクは、ボクの近所にいるそのホンモノを尊敬している。言語能力に富んでいるし、食べるのが心底好きみたいだからだ。真の食通は食べることが好きな人のことだ。ラーメン店を千軒食べたとか、日本中のみそを食べているというバカがいるが、それはD好みだけど真の食通にはなれないし偽物である。ある意味、研究者は地味に、地を這いようにして生きていける人でなければならない。

「幻」は詐欺言語である。本当の「幻」は数億の1つといった類いのもので、日常的なものではない。「幻」がつく物は世の中に溢れているのは知っているが、とても変だし、詐欺師が使う詐欺言語をばらまくのも変だと思う。本来、「幻」がついていると買わない。しかもこの米の名前が長々しい。「いいやまみゆき米 長野県産こしひかり 幻の米」は覚えられない。なぜ、「幻」がついているのに、長野県飯山市のこしひかりを買ったのか?飯山市、隣の中野市周辺の本を読んでいたからだ。飯山市は通り過ぎただけでじっくり歩いて、何カ所か見てみたいというのもある。ボクは気になる土地のものがあり、選択肢にあると、ついつい手が出る。「幻」がついていなかったらよかったのに、な。ついでに、最近「ごくうま」「やばいうまい」という言語を聞いたがなんのことだろう。これも詐欺言語かも知れない。「めっちゃ」というのはボクが生まれる前に流行った「滅茶苦茶でござりまするがな」のことかと思ったら、これも新手の詐欺言語だった。「住みよい」、「よりよい」を政治家が使うと詐欺言語になるというのもある。「究極の」とか「レジェンド」などは腐った言葉に近い。それにしても飯山市の米農家というか農協さんよ、おいしい米だから言いたい。せめて「幻」なんてゲスな詐欺言語だけは使わないで欲しい。

ボクは唐津屋(l東日本では瀬戸物屋)の息子である。器好きというか、人がましいもの、有機的なものが好きだ。敢えて言うと人工的な無機質なものが嫌い。小売業をしている最中に、PCが「すはさび」を調べろ、とボクに呼びかける。一昨年カレンダーに入れたもので、去年は行けなかったので行くしかない。最近のPCはこんなことまでしてくれる。目的地は栃木県茂木町(もてぎまち)だけど、隣町は益子町(ましこまち)じゃないか。駒場東大前『べにや民芸店』で、先月会ったのが石川雅一さんで、その南窓窯があるのが益子町なのだ。雨が降っているし、どうやらぎっくり腰のようだし、寄るのはやめようかやめまいか、迷った末に寄ることにした。

希に専門的なことも扱うので、気にしないでいただきたい。今回は魚類学とか分類学の話なので、わからない人は読む必要はない。たぶん面白くはない。国内最初の魚類学者(魚類だけを扱ったという意味)である田中茂穂は1878年〜1974年なので明らかに1945年の戦前に活躍した魚類学者だ。国内の動物学の基礎を作った箕作佳吉の生徒で、東京帝国大学時前の動物学者である石川千代松からすると次代の人だ。業績は偉大だが、前近代的で、現在の考え方から曖昧な点が多く、間違いが少なくない。また分類に消極的であった。などなど負の遺産が多い。阿部宗明は1911年〜1996年なので魚類学では戦前・戦後に活躍されたものと推察する。阿部宗明は田中茂穂の次代の人で田中茂穂の負の遺産や考え方を受け継いでいる。ほぼ同世代の松原喜代松のような厳格さがなく、勝手につけた和名が多く、これまた負の遺産が少なくない。この田中茂穂・阿部宗明と松原喜代松の意思疎通の悪さが、これまた魚類学に暗い影を落としている。今回作成したフエダイ科セダカタカサゴ属のセダカタカサゴ、チカメタカサゴは実に不思議な和名である。フエダイ科なのに「タカサゴ」がつくセダカタカサゴ、セダカタカサゴ属というのは、どうも阿部宗明の間違いである可能性が高い。深く研究することもなく、セダカタカサゴとつけたから、同属のチカメタカサゴにも「タカサゴ」を後の魚類学者がつけてしまった。ボクも一応会員なので言わせてもらうと、セダカタカサゴ/Pinjalo lewisi Randall, Allen & Anderson, 1987とチカメタカサゴ/Pinjalo pinjalo (Bleeker, 1850) は属名も和名も改名すべきだと思う。ついでに、トートニムなので、Pinjalo pinjalo (Bleeker, 1850) を改名した時点で、これを属名とした方がいい。特にPinjalo pinjalo (Bleeker, 1850) はまだ国内での個体数が少ないのだから、今の内に標準和名の改名をべきだ。サバヒーのように外国語をそのまま使ってもいいのかも知れない。すなわちPinjalo (ピンハロ)だ。日本語にこだわるなら1972年の『原色 沖繩の魚』(琉球政府農林技官 具志堅宗弘、監修/琉球大学 篠原士郎) のアカシチューでもいい。

最近、多い問い合わせに、北海道では「めんめ(キチジ)の湯煮にソースを使うのが本式ですか?」というのがある。念のために「湯煮」は北海道道東、根室以外では使ってはいけない。連発するのもよくない。これを無闇に使うと同じ料理法の地域での料理名が消失しかねない。ということでいちいち返信するのは面倒なのでページを作る。この道東からオホーツク海にかけての郷土料理の食べ方は、聞取の限りではほとんどが「煮湯」には醤油で、ソースをかける人もいる、というものだった。もっと聞取人数を増やせばどっちが多くなるかわからないが、例えば塩で食べてもいいし、酢醤油で食べてもいい。なぜ、ウスターソースをかける人が出て来たのか? それは日常的なありふれた料理で飽きが出てくるからだ。例えば北海道羅臼などでは刺網に混ざるだけで売れない魚だったので、毎日のように食卓に出て来た。醤油ばかりでは飽きるのは当然だろう。個人的には、ソースもいやではないが、好きではない。取り皿にソースがいいとは思うが、写真はわかりやすくするために盛り付けた皿に直にソースをかけてある。食べ方に本式とか正式とかいうのは存在しないということも知るべきだ。

生活するのに牛肉や豚肉、鶏肉の知識はほんのちょっぴりしかいらない。あえて言うと、いいものを置いている店を知っているだけでいい。テレビに出ている料理研究家など、「この誰もが知っている、勉強しなくてもいいもの」に関してすら普通以上の知識を持っているようには思えないし、テレビ局もそれを求めていない。でも一般常識的な水産物を活用するには知識が必要である。だからテレビは水産物をできるだけとりあげない。一般的な水産物をめぐる事項は調べれば調べるほど広大無辺で限りがなく、大量の情報を受けていると地上が抜けて奈落に落ちそうになるが、普通の人は最小限の知識でいい。今のところ、水産物に真に詳しい人間は、世の中にボクも含めて一人もいない。別に詳しくなくてもいいから、日々の食卓や、自然保護のために最低限の水産物の一般常識だけは知っておくべきだ。最近のスーパーはがんばっている。水産物を学ぶなら、大仰な話や高い専門店などは無視して、スーパーの魚売場(水産物売場)をちゃんと見ることから始めるべきだ、という話をしたい。スーパーの水産物売り場に何が並んでいるか、「見る力」を手に入れるだけで、食べものに関する世界観が変わるはずだ。我が家の近所にあるスーパーは関東では店舗が多く知名度も高い。普通のスーパーでしかないが、いろんな水産物が見られる。平日のある日には、ウスメバル、ウスバハギ、「アカシタビラメ(イヌノシタ)」、「黒がれい(クロガレイ)」、メカジキ、キチジ、マアジ、ブリ、ヒラマサ、サザエ、マガキ、「ほっきがい(ウバガイ)」、ヤマトシジミ、アサリなどなどが並んでいた。我が家にはたくさん魚があったものの、長崎県産ヒラマサの冊を買ってみた。念のために、スーパーの研究をしない、買い物をしない水産物の専門家は失格というか、偽物である。

ボクの日々のご飯とは、なんだろう。水産生物と人間の関わりを調べているが、それ以上に季節と地域性を調べている。当然、ボクのご飯はできるだけ撮影した料理を食べることになるし、季節や地域を取り込んだものになる。ときどき、日帰りだけど、直売所やスーパー巡り、町歩きの旅に出る。前回は岐阜県恵那市・多治見市で直売所、スーパー巡りをし、町歩きをした。そして気になったものをできるだけ買って来た。地域性の旅をし終わったら、その土地の物が1週間くらい食卓に並ぶ。また、今年は米を無闇に消費するんじゃなくて、品種別にしっかり味を確かめながら食べることにした。この日は岐阜県恵那市で買った、飛騨高山の赤かぶ漬け、郡上市の明方ハムで、ぜんぜん恵那地方とは関係がない。ウドの三杯酢炒めにごま。ワカメのみそ汁のワカメは三重県鳥羽市産、カタクチイワシの煮干しのだし、仙台味噌。山口県産イトヨリのはらもの塩焼き。魚料理に使ったおかめ納豆の残り1個で、ねぎは多治見市で買ったわけぎだ。

日常、ほとんど肉を食べない。ボクにとっての肉とは牛肉、豚肉、鶏肉である。でも、「かつ丼」だけは矢鱈に、無性に、困るほど食べたくなる。月に1回は無理でも2ヶ月に1回は食べたい。2025年11月から12月にかけて、へこたれるほど苦しい風邪っぴきになる。熱があるわけでもないのに、血圧が天井知らずに上がって、あわや救急車という状況に陥る。以後、少しだけ寝たきりになる。以後、ずーっと腹具合が通常にもどらない。旅先で、旅終いに食べるのが「かつ丼」なのである。2025年12月25日、前日から固形物を抜きにしていどんだ、福島県三春町の「かつ丼」が半分しか食べられなかった。しかも普通においしくて、気持ちは「かつ丼」なのにダメ。食べられないときにはご飯だけ残すのに、半分残ったカツ(とんかつ)を口に入れる気にもならなかった。

簡単に引き受けた仕事が終わらない。気にくわない出来なので、非常に苦しい、そして終われない。それでも終わらねばならないので、気分転換に茶を淹れる。高知県黒潮町の砂像芸術家の女子に頂いた、台湾の旺興茶行 高山茶だ。温めた器に2、3粒放り込んで熱湯をそそぐ。お茶の葉がゆっくりゆっくり、回転しながら広がる。この数分がいい。

ボクの職業は自営業だと思う。水産生物と人との関わりを調べるというのは、だれもやっていないことなので、だれにもわからないと思うけど、実は激務なのだ。生物が相手なので非常に時間に追われる。しかも分類学的な迷路にある生物だと、懊悩して悶え苦しむことになる。ボクには目眩という持病があるので、ときどきくるくると回ってダウンするくらいだ。そのせいか「休息という意味での打ち合わせ」が好きだ。都心打ち合わせはほぼ平日指定だけど、土曜日でもいいよ、と言われるとほいほい出掛けていく。打ち合わせだってどうでもよくはないけど、できるだけ朝の宙ぶらりんな時間にしてもらって、前後に散歩する。この日は打ち合わせ前に人生3回目の谷中骨董市(規模が小さいのとデモノが少ない)を見て回る。ボクには骨董趣味も収集癖もないので、骨董市で買うのは器とかカトラリーとか、要するに仕事に使えるものなので、一回りするだけで、お終いとなる。でも、骨董品(ほとんどが骨董的な価値のないものばかり)は、並べる人や、やってくる人の人生が見えてきたりして、時間を忘れるほど楽しい。この日も、●●(たぶん清涼飲料水)の瓶はないの? と聞いている老人がいた。意外に飲料の瓶を集めている人は多く、そのような人間はいたってありふれた存在なのに、自分の人生や瓶の世界の話をとめどなく話している。キャラクターグッズを並べている人(相手)の都合などお構いなしだ。ああ、これこそがガラクタ骨董市の面白さだ。アホヤナ! バカだな! こそ骨董市のよさなのだよ、と言いたい。

豊洲市場場内にはパンやお菓子、カップヌードルを売っている売店はある。でも温かい、例えば立ち食いそばとか、カレーを短時間で食べられるスタンドがない。昔、築地場内にあった食堂や喫茶店は、場内から遠すぎるし観光客のためのものに特化していて、値段が高すぎる。今回、宅急便にするには小さ過ぎ、持ち帰るには大き過ぎる魚を買ってしまい、引っさげた荷物が10㎏近くになって往生した。身動きが取れない状態だが腹は減る。だいたい始発で来たので朝からお茶しか飲んでいない。スタンドは遙か彼方だし、行ったとしても菓子パンくらいしかないし。こんな時、場内にもうひとつ、例えばターレーに乗ったまま食べられる、食事できる場所が欲しい。仲卸に弁当をお願いするという方法はあるものの、前日に頼まないとだめだ。東京都は働く人に優しくない、冷血である。

「マイナー魚」は一般言語で、その歴史は紙(印刷物)が主だった時代にたどれる、非常に古い、という話をしたい。言語としての「マイナー魚」はたぶん1980年代末か1990年代初めに、本来は「知名度の低いマイナーな魚」という原稿がボクのワープロの前に置かれていた。当時は8インチフロッピーの時代で、親指シフトだった。「マイナー魚」という表記が、「マイナーな魚」という表記と混在していたので、校正と相談して多かった「マイナー魚」に統一した。1980年代にマイナーというとギターのコードだと思っていたのに、「知名度の低い」という言葉として一般化(?)した気がする。小さな出版社で、いろんな文章を印刷して製本していた。とくに役人さんが書いたであろう文章は印刷のオペレーターにはとてもそのまま回せなかったので、回せるようにしたのはボクたち文字のプロである(文字のプロとは、文章のプロではなく印刷の法則に合わせて書き直し指示するプロという意味)。図鑑マニアで大学生のことから動物学を分類学を独学、文字印刷に関してはプロだったので、このような分野で文字整理のアルバイトをしていたのだ。ひょっとしたら出版社が決めたタイトルも「マイナー魚」だった可能性がある。とするとこの言語の世間に向けての最初はたぶん水産庁(?)の役人だと思う。「マイナー魚」という言語は使いやすいと思ったものだが、この言葉は作り出したものではなく、このようなことからも一般言語である。ちなみに2015年に『マイナー魚介類図鑑』をマイナビ出版から出したが、2013年頃の最初のタイトルは「マイナー魚図鑑」で、イソギンチャクなどを入れたくなったので、魚介類にしたのだ。これの編集的な準備を始めたのは2006年頃で、デジタルカメラとPCが1998年に我が家に来たことで起きた革命は、今じゃ知らない人もいるだろう。その時のフォルダーのタイトルは「マイナー魚」で、最初の一枚はクサカリツボダイだ。ついでに「未利用魚」は誰が考えた言語かわからないが、明らかに間違った言語なので別の言語に変えるべきだ。そうしないと紙の方面でも間違った言語が使われ続け、消すことができないまま残り続ける。

言った憶えがあるので否定できないので非常に困った。問題は「(アサリの)木更津ブルーは本当ですか」という話である。たしかに初めてこの言葉を吐いたのはボクだと思う。国内、中国など海外でみてもアサリの青い個体の比率は低いのに、千葉県木更津、富津のアサリは青い個体の比率が高い。「木更津ブルー」はそこから飛び出した言語なので、犯人はボクだ。でも今頃、どこで、どのような媒体で見たのか知らないけれど、わざわざ聞いてくるなんて、思いもしなかった。ついでに、とあるDと撮影中に「空の色のようなブルーのアサリを見つけると、幸せになる」と言った気がする。また、サービス精神旺盛なボクは、今回も、「青い、ブルーのアサリを見つけると幸せになれるという木更津の伝説があるんです。もちろん木更津に限りません。四つ葉のクローバーよりも確実に幸せになると思います」と言ったけど、本気にしなかったと思うけど、どうでしょうね。ちなみに幸せになれる保証はない。

ニュースでは、なぜクマが人の住む領域に侵入してくるのか、をあまり報道しない。クマが人の領域にくるのは、山と市街地の間にある里山がなくなっていることだと思う。実際には利用しないのに、無闇に人の住む領域を増やしていることなどで生存の危険にさらされている生き物も少なくないと思っている。困っているのはクマだけではない。利益のために人間の領域を広げすぎて野生生物から守る面積が増えすぎている気もする。また当たり前だけど、クマのすむ領域にエサ(ご飯)がないために市街地にくるんだろう。秋田県知事がやろうとしていることは、仕方がないと思うが、それだけでは片手落ち(差別用語だけど)だと思うな。例えば環境省や国土交通省(?)がやらなければいけないことは、野山川海の現状を把握し、できるだけ人間の領域を減らし、クマの領域と市街地の間にあった里山を回復、クマの領域をお腹いっぱいになるくらいのエサ(ご飯)が増える環境にすることじゃないかな?江戸時代の書籍を読みあさっているけど、空腹、飢餓ほど残酷なものはないようだ。クマもたまらないと思う。報道されているクマ被害を見て、じょじょに自然界のあるべき姿を勉強しなくては。

今年とれないはずのサンマが豊漁なのは、なぜ? なんて専門家は考えている気がする。たぶん漁業の予測はつかないのに予測している、想定できないのに想定外という専門家が大好きな言語が飛び交いそうで恐い。きっと、予測外だったときはなぜ、予測が外れたのか? に予算を使う気がするが、これこそが税金の無駄遣いだろう。漁業の予測とか資源学は一般人にはまったく意味がわからない。科学と言えるものなんだろうか?しかも10月下旬になってもサンマは、ほぼ北海道産なのだ。たぶん鮮サンマ(そのまま流通)だけではなく、冷凍用サンマも加工し始めているのだろうけど、今年の鮮サンマっていつまで続くんだろう?ちなみにボクは時季にしか魚は食べない主義なので、冷凍サンマは気になることがあったときにしか買わない。冷凍保存するくらいなら、できるだけたくさんの個体を南下させてやってくれないかな。なんて水産業のことは、まったく考えないで思ったりもする。

専門分野のない人はあやしいというか信用できない。水産学の方に話を聞いたら、それは高度成長期に出た、水産学の書籍の内容そのものだった。水産学は日々、変化しているのに、それはないだろう、と思ったら、水産学は片手間らしい。魚類に関しては魚類学者に聞く、貝に関しては軟体類学者に聞くが、曖昧な人に聞いても仕方がない。だいたい、なんでもかんでもやれる、とかやっています、という人には会いたくない。宇宙船ビーグル号のようなこともあるので総合科学という分野もあると思うけど、それも総合科学という分野なのだと思う。ボクにも専門分野があって、人と水産生物の関わりを調べている。文系の民俗学的なものと分類学の合体である。民俗学というのは曖昧な分野なので、専門分野といっていいものがあるのかないのか、よくわからないが、分野的には広い荒野にぽつんといるよで、な感じだ。残り時間が少なくなっているので、分野の幅を狭めている。7月に長野市から信濃町まで旅をしたのは、分野の幅を狭めた後なので、目的がはっきりしていた。若いとき北国街道で運送の仕事をしていたという方に会うためだ。北国街道は佐渡の金を運び、直江津からスケトウダラを運んだ道だ。ボクの場合、上信越自動車道ができる以前のことすら知らないので、1945年の敗戦後すぐに現役だった人の話は貴重である。ただ、残念なことに85歳の壁を超えられなかった。収穫と言えばこの国道18号線、豊野町、飯綱町、信濃町にドライブイン的な飲食店や廃墟が多いことが確認できたこと。上信越道が開通して30年近くになるが、これも北国街道の遺構だろう。飯綱町、滝澤農園の滝澤さんに教わった、『さかえや飯店』で、昼ご飯を食べた。普通のラーメンとチャーハンだったが、とても普通に、満足度高い昼ご飯だった。

京浜急行の車内で、夫婦なんだろうか、サンマの話をしてた。「今年のサンマは昔のと比べると落ちるって専門家が言ってた。食べているエサが違うってさ」なんて話だ。まさか、そんなバカなことを言う専門家がいるはずはないと思う。昔のサンマとは2020年以前ということだろうか?この年まではいいサンマが普通に入荷してきていたのだ。でもこれと現在のサンマを比べるのは、愚か者というかバカ丸出しである。敢えて言うとバカそのものかも?過去の味覚の記憶は美化されがちなのだ。それを割り引いて考えなくてはいけない。それができない専門家は削除されるべきだ。もっと言えば、このような専門家は偽専門家である。写真は北海道青森県沖太平洋でとれたもので154g、2㎏で13入りであり、非常にうまかった。4㎏で40とか、それ以上軽いものもある。サンマはサイズでも味が違う。大きいほど値が高いが、150g 以上はその味(価値)は値段に見合っていない。今年は2㎏で9入りなんてものもあるがいくらするんだろう。要するに昔と同じサイズがとれているので豊漁である。今年のサンマの味は比べる必要などない、実にいいサンマである。ついでにサンマを養殖しようなんて人間がいるが、脳みそが溶けているのかも知れない。サンマがとれなくても我慢すべきだし、おいしくない年があってもいい。省エネこそ今やらなくてはいけないこと、自然破壊は極力避けるべし。

アドバイザーなどという大層なことをやらかす人間ではないので、あくまでもお手伝いだ。前回、新川漁港活性化協議会の打ち合わせをしているとき新川漁港周辺と新潟市民との接点を探す話となる。新川漁港は釣りのメッカであって、様々な釣りができる。でも釣りというだけではちっとも面白くない。そこでぽかりとボクの脳みそに浮かんだのが、新川漁港隣の五十嵐浜での生き物とのふれあいである。余談になるが、新川漁港、五十嵐浜の漁師さんは、皆実にユニークで、ある意味、自然相手に遊ぶのが好きだ。ボクもその方面では人後に落ちない。漁港内だけではなく、過去に地引き網での成功例があるが、ちょっと大がかりになる。もっと原始的、体当たりで遊ぼうぜ! となる。遊びながら学ぶのが真の学びだ、というのがボクの信念でもある。

ボクの珍魚度は学者的だということを述べたい。高級魚とか、そのへんに普通にいる魚に対して姿が面白いので騒いでいるのを見るのは嫌いである。「リュウグウノツカイはどれくらい珍しいんですか?」などという質問に、何年か前に魚類学者のSさんが困った顔で答えていた。リュウグウノツカイは、見た目が奇妙で珍魚といえなくはないが、それほどたいした珍魚ではなく、博物館などでの必要性はそんなに高くない。これに対して、今回、鹿児島県鹿児島市、大倉の久保さんが送って来てくれた画像のカドガワフエダイは、世界的に見て珍魚とは言えそうにないが、国内の魚類学者にとっては非常に貴重で、必要性も高い。だいたい国内での発見個体数が少なすぎて、生息域すらわかっていない。発見された個体の大きさを考えると、国内で再生産されているのか、どうかもわからない。カドガワフエダイの珍魚度は今のところ高いけど、温暖化でこれから国内においても増える可能性がある。先々ずーっと珍魚であり続けるかは微妙である。我がサイトの珍魚度は変化するのだ。確実にいえることは、今、大学、博物館にとってリュウグウノツカイはそれほど貴重ではないが、カドガワフエダイはとても貴重だ、ということである。一般の人は変わった形をしていないと、珍魚とは思わない。だから至って平凡な姿のカドガワフエダイは珍魚ではない。魚類学者と一般人にとっての珍魚・貴重な魚というの尺度はまったく違っている。

我が家の常備菜(作り置きの料理)、ヒジキ煮を作ってつまみ食いしながら、高野豆腐に芽ヒジキは合わないな、と思い、でも長ヒジキがなければ、これはこれでいいじゃないの、幸せならば♪ という気分になる。ハシキンメ稚魚(だしの素で充分)で作った煮干しだしが染みた高野豆腐がとてもうまいし、芽ヒジキだって、単体で食べるとおいしい。あんまり好きではない煮たニンジンだって、大人なのだから食べる。これに甘口の日本酒があるといいのだけど、昼酒をやる人生の隙間がない。地味なこと、目立たぬ」とをこつこつやるのは大変なのよ、と独りごちる。だいたい最近、甘口のおいしい日本酒がない気がする。さて、家庭料理は料理の最高位だと思っている。もちろん家庭がない人にとっても家庭料理(料理を作ること)は大切である。料理を作ることは、ケ(普段)を大切にするということだ。今や国内中がお祭りばっかりやっている。動物は危険が迫ると躁状態になることは、馴染みの猫と遊んでいるとわかる。この国、総理大臣から何から何まで頭が祭気分(躁状態)で、危ないんじゃないのかな? て思うほどだ。料理にもっと踏み込むと、能書きの多い料理ほどおいしくないものである。日常何気なく作る料理の方がいい。ちなみに祭がいけないのではなくて、ケがあるからハレ(特別な日)があるという重要な点が抜けているといいたいだけだ。ケがないと高価な料理のよさはわからない。贅沢を楽しむためにこそケを大切にすべきである。

12月2日、舵丸水産に京都府舞鶴市からメジナが来ていた。舞鶴は丹後半島、若狭湾の京都の集積地である。今季初の日本海メジナは京都府産ということになる。日本海でメジナ揚がり始めたら冬である。季節を感じるために水産生物を調べている。急激に消えて行く日本列島の季節だけど、まだまだ季節を感じる魚はいる。今回はあまりにも多くの魚を抱えているので、初メジナを買うわけにもいかなかったが、次は買おう。そして、今年も、日本海では荒天のメジナに悩まされるときが来た、のだ。漁師さんへ、少しでも高値でメジナが売れることを祈りたい。■舵丸水産は、一般客に優しいので、ぜひ近くにお住まいの方は一度お寄り頂きたい。