東京周辺の鮫の煮こごり
正月が近づくと都内、市場や小売店に並ぶ、ふか皮の煮凝り
東京都周辺では正月に「煮凝り」は欠かせない。
蒲鉾店(おでんだねを作る店)や食品製造業者が作るもので、原材料には、ふか皮(ネズミザメ、ヨシキリザメ、アオザメ)、フグ皮などがある。
量的にはネズミザメのものが多く、続いてヨシキリザメの煮凝りが多い。
昔から、年末が近づくと築地市場に「煮凝り」が大量に並んでいた。
2010年くらいの築地では塩乾惣菜などの店に山のように積まれていたものだ。
それが近年(2024年)、めっきりすくなくなっている。
暮れの豊洲場内で聞くと、売れなくなったからだという。
実際、豊洲市場内でも探さないと見つからない。
年取、正月のお節に「煮凝り」という食文化自体が廃れているのだ。
今回のものは八王子総合卸売センター、福泉で見つけたもので、市場で見かける機会のもっとも多いものだ。
久しぶりに食べてみたら、口溶け感といい、「ふか皮」の食感といいとても味わい深いものであった。
これなら年末年始だけではなく、日常的も食べたいと思う。
さて、大正7年(1918)年門前仲町生まれの男性の話では、駄菓子屋や屋台で煎餅、飴などとともに鮫の煮こごりが売られていたという。『江東区の民俗 深川編』(江東区教育委員会)
しょうゆ味の素朴な味わいで、甘く作ると確かに子供のおやつにもなりそう。
大正時代にはお節だけではなく、日常的にも食べられ、また子供のおやつでもあったのだ。
そんな身近な存在であった「煮凝り」が今、存在自体が忘れられつつある。
写真は、千葉県市川市『丸勇水産』のもの。
今や絶滅しそうなおでん種の店が作る煮凝り
大国屋蒲鉾店 サメ煮凝り
サメの皮の「煮こごり(鮫の煮凝)」は東京都墨田区のおでん種の店で売られていた。
蒲鉾店(練り製品を製造販売する店)は都内に無数にあった。
それが蒲鉾店でも作られなくなり、蒲鉾店自体がが消えているのもあって、今現在手に入れるのはたいへんである。
蒲鉾店で売られてるものの方が「ふか皮」が大きめで、多めである。
「ふか皮」の味がはっきりとわかるし、そのおいしさも強く感じられる。
ふか皮は気仙沼に揚がるサメ類の皮だ
気仙沼を始め三陸と東京の水産流通は東北本線の開通、1891年(明治24年)にまでたどれる。
明治時代に「仙台まぐろ」という言葉がある。
宮城県仙台から送られて来た、マグロが庶民的な価格で一般家庭に売られていたために生まれた言語だろう。
仙台でマグロがとれるわけではない。三陸、釜石や気仙沼の水産物は、一度仙台に送られ、集積して貨車で東京を目指していた証拠でもある。
当時、築地市場は市場であるとともに東京市場駅(1935-1984)でもあった。
水産物だけではなく野菜の市場も駅に隣接するか、非常に近場にあった。
鉄道の駅に隣接して魚市場があった時代は、東京都八王子市八王子駅でも同じである。
東京市場駅から八王子駅という定期便があったのだろう。
たくさんの大型のサメが1960年代くらいまで、八王子まで貨車で運ばれてきていたのを、実際に見たという人達がいる。
丸ごとの状態だったので、駅に隣接する市場で解体して、多摩地区、神奈川県や山梨県にも運ばれていた。
これは東京都内だけではなく関東周辺でも同じだろう。
大型のサメ、ネズミザメやヨシキリザメが安定的に供給されると、当然、皮は煮凝り用として安定的に出回ったに違いない。
流通が発達していなかった時代、煮凝りは特殊なもので、非常に高価で、庶民の手に届かないものだった。
それを身近なものにしたのが鉄道だ。
仙台から運ばれてきたサメは、関東周辺だけではなく、もっと遠くまで運ばれていたようだ。
これに関しては別項を立てる。