サンマの基礎知識 5落語、目黒のさんまを掘り下げる
オオセ属(Orectolobus)について
国内にはオオセ1種。
Species Orectolobus floridus Last & Chidlow, 2008
Species Orectolobus halei Whitley, 1940
Species Orectolobus hutchinsi Last, Chidlow & Compagno, 2006
Species Orectolobus japonicus Regan, 1906/オオセ
Species Orectolobus leptolineatus Last, Pogonoski & White, 2010
Species Orectolobus maculatus (Bonnaterre, 1788)/Spotted Wobbegong/クモハダオオセ
Species Orectolobus ornatus (De Vis, 1883)
Species Orectolobus parvimaculatus Last & Chidlow, 2008
Species Orectolobus reticulatus Last, Pogonoski & White, 2008
Species Orectolobus wardi Whitley, 1939
江戸っ子が食べていたのは「塩サンマ」だった
目黒のさんま,塩さんま
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意外に知られていないサンマの基本を整理して公開するが、以下の章をもうける。
・サンマの基礎知識 1 サンマとは?
・サンマの基礎知識 2 サンマはなぜサンマになったのか?
・サンマの基礎知識 3 江戸時代からサイラをとっていた紀州
・サンマの基礎知識 4 東京を始め関東がサンマっ食いになったわけ
・サンマの基礎知識 5 落語、目黒のさんまを掘り下げる(▼本ページ)
・サンマの基礎知識 6 1945年以降、そして2000年以降、塩焼きから刺身へ
・サンマの基礎知識 7 日本海のサンマ
本ページは改訂を重ねていきます。
現在のサンマのイメージは江戸時代以降の江戸の町で生まれた。
秋の声を聞くと四十物(あいもの。加工品)である塩サンマ、干ものが食卓を飾るというのは江戸時代から昭和20年代(1945年前後)まで江戸(東京)を代表する光景であった。
そして落語、「目黒のさんま」が生まれる。作者も、この話が生まれた年代も不明だが、大坂起源の話が多い中、間違いなく東京(江戸)生まれの話である。
この話の面白いところは、この落語の主役は殿様だけではなく、サンマでもある、というところである。サンマが江戸・東京、もっと言えば関東でいかに馴染み深い魚であったか、がこの話から強くうかがえる。
1960年代の話だが、西日本(中国地方・四国以西)の人間にはそれほどサンマは馴染みがなかった、この落語をテレビで見て改めてサンマに親しみを覚えた人間も多いはずだ。
「目黒のさんま」の荒筋。
世間に、というか下々の暮らしにうとい殿様が目黒へと鷹狩り、もしくは遠乗りに出掛ける。
目黒の百姓屋(茶店)のそばを通りかかったときに、「昼餉の菜にするさんま」を焼いている匂いを嗅いでしまう。
無性にこの匂いの正体が気になり、やがてたまらず食べたくなる。
この話を得意とした三代目三遊亭金馬はし、隠亡焼きで焼き上げるとしている。隠亡焼きは炭火をおこし熾(火がしずまったあと)になったときサンマを炭の上に直にのせて焼くことだが、これは金馬の演出に違いない。煙を立てながら焼き上がった「さんま」がうまくないはずはない。それを強調したかったのだ。
無理を押し通して食べたサンマが、あまりにもうまいので殿様、「目黒のさんま」で頭がいっぱいになる。
ある日、親類筋の宴で所望するものを聞かれて、「さんま」と答える。親戚筋の家来は魚河岸からさんまを取り寄せて、脂を抜き、上品に汁ものに仕立てる。
これがあまりにもまずいので産地を聞くと、房州ものだという。殿様、大いに落胆して「さんまは目黒に限る」が落ちである。
殿様の親類筋が購入したサンマの産地を日本橋魚河岸、房州(千葉県という意味合いだと思う)のものだとしていることは重要な点である。
北上して産卵のために秋になると南下するが、江戸時代、明治時代など動力船がないので、サンマが南下する経路に近い半島でしか漁ができなかった。
南下してきたサンマが最初にぶつかるのが太平洋に突出した銚子だ。
この秋のサンマは生殖巣が膨らんではいるが脂が乗っている。これが房総半島を過ぎ、相模湾、駿河湾と南下すると脂が抜ける。
江戸時代以来、銚子のサンマは秋になると江戸にやってきていたが、もちろん北海道・青森東沖で揚がる今現在の夏から初秋のサンマと比べると脂は少ないが、江戸時代の漁法でとることのできる限りでは銚子のサンマは取り分け脂がのっていた。だから百姓屋(茶店)で焼くと煙が上がり、殿様の親戚筋の家来達は脂抜きをしたのだ。
■写真は塩サンマ。
舞台の設定といい、主人公といい明らかにモデルはいない
目黒不動
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ちなみに千葉県銚子は江戸の街にとっては魚の最大の供給地のひとつだったが、なぜ、銚子は漁業の町になり、水揚げされる魚を江戸まで運べたのか?
江戸時代のはじめ、紀州で生まれた先進的な漁法は、紀州の漁師と一緒に銚子にもたらされた。この先進的な漁法でとっていたのがサバ(マサバ)、イワシ(マイワシ)、サンマなどの多獲性魚類である。
銚子で揚がった魚は塩をし、干してから舟で利根川を遡る。関宿(現在の野田市関宿町)で江戸川に入り、江戸川から江戸時代初期に造られた水路、新川、小名木川に入り、江戸に送られていた。
後に銚子から鮮魚を運ぶ場合に、利根川と江戸川が分かれる関宿まで行くと時間がかかる。これを布佐(現我孫子市)から松戸までの陸路、鮮魚街道を行くことでより時短する。
サンマは日本橋魚河岸や、深川漁師町や浅草などの大小の魚河岸に送られる。
銚子は江戸時代、決して江戸の街から遠い産地ではなかったのだ。
■詳しくはサンマの基本4 https://www.zukan-bouz.com/article/1870
モデルの殿様だが、鷹狩り・遠乗り好きは徳川家代々に言えることで、三代将軍、徳川家光だとするものがある。
江戸時代に生まれた柳家禽語楼(やなぎやきんごろう)は出雲、松江藩主(現在の島根県松江)としている。
さて、先に述べた江戸の高速道路というか、江戸の流通網が整い、寛永通宝の鋳造でマネーサプライが増大することで、サンマなどが庶民の手に届くようになるのは元禄(1688-1704)になってからだ。
とするとこの話のモデルは当然、家光であるはずはなく、たぶん雲州の殿様でもない。架空の存在ということになる。
舞台を目黒(中目黒)にしたのは、目黒にはお鷹場(鷹狩りをする区域)があり、江戸外れの行楽地(目黒不動)でもっとも有名だったためからだろう。蛇足になるが、東京都内には五色不動(目黒、目黄、目白、目赤、目青)があるが、目黒不動がいちばん大きく知名度が高い。
サンマは背の青い魚で、サバ(マサバ)、イワシ(マイワシ)とともに江戸時代、明治時代を通じての下魚だったというのもある。
上流と下流がはっきりわかれていた時代に、上下の上(位の高い武士やお金持ち)は下が好む下魚は卑しいとして食べなかった。
ただし、下魚くらいうまいものはない、という部分もこの話の肝心なところだ。
上流と下流がはっきりわかれていた時代に、江戸の庶民の好物、やたらにうまいサンマを上流では食べられねーだろう、と溜飲を下げたのだ。

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イラスト図解 寿司ネタ1年生



