今回の新潟県妙高市・上越市の旅で残念だったのは朝市の、どら焼きが買えなかったこと。
妙高市新井の朝市で行列ができていたので、上越市高田の朝市で買おうと思ったのが大失敗だった。
高田の朝市には、どら焼きの屋台がなかったのだ。
何軒かあったどら焼きの店が、減っているらしい。
どら焼きといっても、どちらかというと今川焼きそっくりで、ともえ型のくぼみがある。銅鑼を鳴らすの銅鑼に似ているから、だという人もいる。
妙高市新井の朝市で行列ができていたので、上越市高田の朝市で買おうと思ったのが大失敗だった。
高田の朝市には、どら焼きの屋台がなかったのだ。
何軒かあったどら焼きの店が、減っているらしい。
どら焼きといっても、どちらかというと今川焼きそっくりで、ともえ型のくぼみがある。銅鑼を鳴らすの銅鑼に似ているから、だという人もいる。
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新潟県上越市高田と妙高市新井から南では「ふかざめ(ネズミザメ)」を盛んに食べる。
そのために年の暮れ27日に宮城県気仙沼産「ふかざめ」の競売が行われる。
サケやブリも食べるが、取り分け、「ふかざめ」料理は年取・正月の膳には欠かせない。
海に近い上越市直江津では、サメは食べるものの、「ふかざめ」ではなく、「棒ざめ(アブラツノザメ)」を食べる。
海に近い地域は「棒ざめ」、海から離れた地域・山間部では「ふかざめ」と、サメの食文化が異なっているのだ。
旧高田市の東西に迫る山間部には戦前戦後(1945年前後)歩行や自転車などで運び、行商していたという。
また妙高市でも中心地区である新井から、山間の妙高高原、もっと南下して北信まで種は不確かであるが、サメが送られていた。
ある意味、「ふかざめ」は贅沢な食べ物であったようだ。
写真は上越市、『ナルス北城店』で買った、27日の年末サメ競売で競り落としたころ(輪切り)を冊取りしたもの。非常に鮮度がよく刺身が非常においしかった。
店長の丸山寛さんにはお世話になりました。
ネズミザメは古くはアンモニアの臭いがあり、食べにくいものであったが、現在は流通の発達などで、食べにくさは全くなく、むしろ淡泊な味わいである。サメ=臭いというのは何十年も前の話でしかない。
この地域での「ふかざめ」の料理は正月などに作る「ぬた」と「煮つけ」とフライである。
妙高市・上越市で25人に聞取をして、まったく食べないという人を除き、この3品は必ず作るとの話であった。
これをボクなりに、「ふかざめ」三大料理としてみた。
そのために年の暮れ27日に宮城県気仙沼産「ふかざめ」の競売が行われる。
サケやブリも食べるが、取り分け、「ふかざめ」料理は年取・正月の膳には欠かせない。
海に近い上越市直江津では、サメは食べるものの、「ふかざめ」ではなく、「棒ざめ(アブラツノザメ)」を食べる。
海に近い地域は「棒ざめ」、海から離れた地域・山間部では「ふかざめ」と、サメの食文化が異なっているのだ。
旧高田市の東西に迫る山間部には戦前戦後(1945年前後)歩行や自転車などで運び、行商していたという。
また妙高市でも中心地区である新井から、山間の妙高高原、もっと南下して北信まで種は不確かであるが、サメが送られていた。
ある意味、「ふかざめ」は贅沢な食べ物であったようだ。
写真は上越市、『ナルス北城店』で買った、27日の年末サメ競売で競り落としたころ(輪切り)を冊取りしたもの。非常に鮮度がよく刺身が非常においしかった。
店長の丸山寛さんにはお世話になりました。
ネズミザメは古くはアンモニアの臭いがあり、食べにくいものであったが、現在は流通の発達などで、食べにくさは全くなく、むしろ淡泊な味わいである。サメ=臭いというのは何十年も前の話でしかない。
この地域での「ふかざめ」の料理は正月などに作る「ぬた」と「煮つけ」とフライである。
妙高市・上越市で25人に聞取をして、まったく食べないという人を除き、この3品は必ず作るとの話であった。
これをボクなりに、「ふかざめ」三大料理としてみた。
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三ノ輪駅からほど近く、過去に一度だけ買ったことがあるが、以後いつ行ってもしまっている店がある。
吉原土手にそって歩く前に、念のために行ってみたら開いていた。
最近、餅屋系和菓子店が急激に消滅しているので、安心した。
吉原土手にそって歩く前に、念のために行ってみたら開いていた。
最近、餅屋系和菓子店が急激に消滅しているので、安心した。
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今も岐阜県飛騨地方で手に入れることができる、「塩もーか(塩もうか)」、「塩さわら」はネズミザメのころ(塊)を塩づけにした保存食で、夏の味である。
ここでいう飛騨地方は飛騨川に沿って下呂市から北上、高山市、さらに北上して飛騨国の国府があった古川(現飛驒市)、高山市から丹生川沿いに東に丹生川町あたりまでのことだと考えている。
この食文化のある地域に関してはまだ見当の余地がある。
塩分濃度が高く、そのまま焼いて食べると塩が吹き出してくる。
高山市で聞くと、昔、夏に食べるととても飯が進み、おいしかったと言うが、大量に汗をかき塩分をおいしく感じたからだ。
北陸や富山湾でとれたサメを浜で塩蔵して飛騨地方に運ぶというのは、冬の塩ブリと同じである。塩ブリは一度、飛騨に集められて、飛騨ブリと名をかえて、飛騨山脈を越えて松本平に送られていた。
「塩もーか」、「塩さわら」も同じ経路をたどっていたのだと思う。ただし今現在、飛騨高山市から丹生川方面にはあるが、その先、松本平では見ていない。
その分、「塩ぶり」よりもローカルな存在だったのだろう。
「塩もーか」は「塩真鱶」で明らかにネズミザメの塩蔵品だとわかる。
でもわからないのが「塩さわら」という言葉である。
今現在、「塩もーか」、「塩さわら」はまったく同じ物で、原材料はネズミザメだ。
ただ、なぜ「さわら」なのか? 白身なので標準和名のサワラになぞらえた、もしくは偽装したと考えると簡単である。ただ、飛騨地方で標準和名のサワラになぞらえるはずがない。
ほんの20年くらい前までサワラがとれる地域は西日本が主で、飛騨地方の水産物の供給地、日本海の山陰以北ではほぼとれなかった。標準和名のサワラとは縁遠いところなのだ。
この答えは、地方名を調べるとわかる。飛騨地方の水産物の供給元は北陸石川県、富山県であるが、この地域で「さわら」はシロカジキ、マカジキのことなのである。
北陸では「さわら」と呼ばれていたカジキ類が御馳走だったので、わざわざ「塩さわら」と名づけたのだろう。
このことからも、「塩さわら」の方が古い呼び名で、「塩もーか」が新しいことがわかる。
もともとは北陸で揚がったサメ類を飛騨地方に送っていたのだろう。北陸で揚がるサメ類はネズミザメもあるだろうが、アオザメやシュモクザメ類、メジロザメなどだろう。
北陸で揚がり、飛騨地方に輸送するには数日を要したはずだが、サメは筋肉に尿素とトリチルアミンオキシドをもち、時間がたつと尿素はアンモニアにトリチルアミンオキシドはトリチルアミンに変化する。ともに悪臭の原因物質だが、筋肉の腐敗を防止する。生の状態でも飛騨地方まで運べた可能性が高いが、「塩もーか」、「塩さわら」は夏に食べるもので、より高い保存性が求められる。また飛騨地方で塩は貴重なものだった可能性もある。だから塩漬けにしたのだろう。また塩漬けにした方が臭わない。
現在のように宮城県産をはじめ三陸のネズミザメが原料になったのは、北陸のサメの水揚げが減ったからでもあり、産地である三陸から飛騨地方まで、大正時代に鉄道が繋がったからだろう。
これは同じようにサメ食文化のある新潟県上越市高田、妙高市新井のネズミザメの供給地が明治時代から三陸だったのと同じだ。
ネズミザメは三陸から宮城県仙台まで運び、仙台から東北本線で東京(東京市場駅)に運ぶ。東京はサメをよく食べる地域なので、一部は下ろし、残りを信越本線で高田駅(現上越市)まで運んだ。飛騨地方に運ぶときにも東京(東京市場駅)、高田駅(現上越市)経由、北陸本線を通って富山駅、富山駅から高山本線で高山駅だったのではないかと思っている。
明治期開業の信越本線での高田駅までの流通が明治時代に始まり、飛騨地方は遅れて大正時代に始まったのではないか。
鉄道史を知らないので、想像でしかないがいかがだろう。
ここでいう飛騨地方は飛騨川に沿って下呂市から北上、高山市、さらに北上して飛騨国の国府があった古川(現飛驒市)、高山市から丹生川沿いに東に丹生川町あたりまでのことだと考えている。
この食文化のある地域に関してはまだ見当の余地がある。
塩分濃度が高く、そのまま焼いて食べると塩が吹き出してくる。
高山市で聞くと、昔、夏に食べるととても飯が進み、おいしかったと言うが、大量に汗をかき塩分をおいしく感じたからだ。
北陸や富山湾でとれたサメを浜で塩蔵して飛騨地方に運ぶというのは、冬の塩ブリと同じである。塩ブリは一度、飛騨に集められて、飛騨ブリと名をかえて、飛騨山脈を越えて松本平に送られていた。
「塩もーか」、「塩さわら」も同じ経路をたどっていたのだと思う。ただし今現在、飛騨高山市から丹生川方面にはあるが、その先、松本平では見ていない。
その分、「塩ぶり」よりもローカルな存在だったのだろう。
「塩もーか」は「塩真鱶」で明らかにネズミザメの塩蔵品だとわかる。
でもわからないのが「塩さわら」という言葉である。
今現在、「塩もーか」、「塩さわら」はまったく同じ物で、原材料はネズミザメだ。
ただ、なぜ「さわら」なのか? 白身なので標準和名のサワラになぞらえた、もしくは偽装したと考えると簡単である。ただ、飛騨地方で標準和名のサワラになぞらえるはずがない。
ほんの20年くらい前までサワラがとれる地域は西日本が主で、飛騨地方の水産物の供給地、日本海の山陰以北ではほぼとれなかった。標準和名のサワラとは縁遠いところなのだ。
この答えは、地方名を調べるとわかる。飛騨地方の水産物の供給元は北陸石川県、富山県であるが、この地域で「さわら」はシロカジキ、マカジキのことなのである。
北陸では「さわら」と呼ばれていたカジキ類が御馳走だったので、わざわざ「塩さわら」と名づけたのだろう。
このことからも、「塩さわら」の方が古い呼び名で、「塩もーか」が新しいことがわかる。
もともとは北陸で揚がったサメ類を飛騨地方に送っていたのだろう。北陸で揚がるサメ類はネズミザメもあるだろうが、アオザメやシュモクザメ類、メジロザメなどだろう。
北陸で揚がり、飛騨地方に輸送するには数日を要したはずだが、サメは筋肉に尿素とトリチルアミンオキシドをもち、時間がたつと尿素はアンモニアにトリチルアミンオキシドはトリチルアミンに変化する。ともに悪臭の原因物質だが、筋肉の腐敗を防止する。生の状態でも飛騨地方まで運べた可能性が高いが、「塩もーか」、「塩さわら」は夏に食べるもので、より高い保存性が求められる。また飛騨地方で塩は貴重なものだった可能性もある。だから塩漬けにしたのだろう。また塩漬けにした方が臭わない。
現在のように宮城県産をはじめ三陸のネズミザメが原料になったのは、北陸のサメの水揚げが減ったからでもあり、産地である三陸から飛騨地方まで、大正時代に鉄道が繋がったからだろう。
これは同じようにサメ食文化のある新潟県上越市高田、妙高市新井のネズミザメの供給地が明治時代から三陸だったのと同じだ。
ネズミザメは三陸から宮城県仙台まで運び、仙台から東北本線で東京(東京市場駅)に運ぶ。東京はサメをよく食べる地域なので、一部は下ろし、残りを信越本線で高田駅(現上越市)まで運んだ。飛騨地方に運ぶときにも東京(東京市場駅)、高田駅(現上越市)経由、北陸本線を通って富山駅、富山駅から高山本線で高山駅だったのではないかと思っている。
明治期開業の信越本線での高田駅までの流通が明治時代に始まり、飛騨地方は遅れて大正時代に始まったのではないか。
鉄道史を知らないので、想像でしかないがいかがだろう。
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カツオのづけ丼はスーパーの解凍ものでも、あまり脂ののっていないもの、売れ残って値引きされたカツオの刺身でも作れるので、ぜひ日常に取り入れて欲しいものである。
保存できるなど便利で、しかも節約になる。
もちろん刺身ならなんでもいい。
いきなり余談になるが、おバカなタレントが旅番組などで、大きな種(切り身)がのっている海鮮丼に大騒ぎすることがある。
昔その手の番組に出たことのある目立ちたがりの店で、同じ丼を食べている。
その地に義理があって食べたが、調味料に軽くくぐらせただけでづけではなく、醤油洗いでしかない。種が矢鱈に大きいのでただの刺身とご飯でしかなかった。
儲かるからやっているのだろが、もっと食べる側も進化すべきだと思う。
個人的な考えからだけど、種が大き過ぎるのは、種とご飯とが馴染まない、ご飯と種の量のバランスも重要だ、と思っている。
づけ丼は見た目が悪いくらいがいい。
さて、今回のは日戻りなので鮮度がよく、つけ上がった状態でも、しこしこと食感がいい。
醤油とみりんの調味料の味わいの中でもカツオらしい酸味や、豊かなうま味が感じられる。
ちなみに近年、チンしたご飯がおいしい。
ここ数年使っているご飯専用の保存容器のお陰だと思うがどうなんだろう。
半合をあっと言う間に食べきった。
食べきった後の柚子の香りが、爽やか〜なのもうれしい。
若い頃はここで調子にのって、もう一丼だったけど、もうボクの人生には、もうそれはない。
保存できるなど便利で、しかも節約になる。
もちろん刺身ならなんでもいい。
いきなり余談になるが、おバカなタレントが旅番組などで、大きな種(切り身)がのっている海鮮丼に大騒ぎすることがある。
昔その手の番組に出たことのある目立ちたがりの店で、同じ丼を食べている。
その地に義理があって食べたが、調味料に軽くくぐらせただけでづけではなく、醤油洗いでしかない。種が矢鱈に大きいのでただの刺身とご飯でしかなかった。
儲かるからやっているのだろが、もっと食べる側も進化すべきだと思う。
個人的な考えからだけど、種が大き過ぎるのは、種とご飯とが馴染まない、ご飯と種の量のバランスも重要だ、と思っている。
づけ丼は見た目が悪いくらいがいい。
さて、今回のは日戻りなので鮮度がよく、つけ上がった状態でも、しこしこと食感がいい。
醤油とみりんの調味料の味わいの中でもカツオらしい酸味や、豊かなうま味が感じられる。
ちなみに近年、チンしたご飯がおいしい。
ここ数年使っているご飯専用の保存容器のお陰だと思うがどうなんだろう。
半合をあっと言う間に食べきった。
食べきった後の柚子の香りが、爽やか〜なのもうれしい。
若い頃はここで調子にのって、もう一丼だったけど、もうボクの人生には、もうそれはない。
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市場では急ぎ飯が原則である。
しかも急激に市場行がきつくなる。
市場を歩いて脳内にたまる情報が多くなりすぎて、破裂しそうになる。
さて、カジキの専門店、『かね十』まできて、弁当とってもらっておけばよかった、と気がついたけどもう遅い。
こんなときに限ってうまそうに食っている『かね十』オヤジが憎いね。
あんたは小池さんかい。
しかも急激に市場行がきつくなる。
市場を歩いて脳内にたまる情報が多くなりすぎて、破裂しそうになる。
さて、カジキの専門店、『かね十』まできて、弁当とってもらっておけばよかった、と気がついたけどもう遅い。
こんなときに限ってうまそうに食っている『かね十』オヤジが憎いね。
あんたは小池さんかい。
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飯綱町で滝澤農園を営んでいる滝澤卓さんが、なぜ、滝澤賢さんになったのだろうか、はともかく……。
飯綱町では、「ふきのとうみそ」でお握りを作ってリンゴ作りの合間に、畑で食べているという。
もちろん農作業の合間に畑で食べた方がおいしかろう。
飯綱町では、「ふきのとうみそ」でお握りを作ってリンゴ作りの合間に、畑で食べているという。
もちろん農作業の合間に畑で食べた方がおいしかろう。
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みそと魚などの身を香辛野菜とたたく料理を「みそたたき」、千葉県を始め徳島県などで「なめろう」という。
今回の血合いで作るものをメモでさかのぼって調べると、不思議なことにあまり「なめろう」を作らない、千葉県勝浦市で教わったことになっている。
ということで、今回は千葉県の言語「なめろう」とする。
ケンケンガツオは鮮度がいいので、血合いに臭味がない。
むしろ豊かなうま味がある。
みそ多めで、青唐辛子のピリっがあり、にんにくやしょうがの風味がある。
ときどき酢(福井県小浜市『とば屋酢』の壺之酢)をかけて、食べ始めると止まらない。
これじゃ、さんが焼きにする分が足りなくなるので、半分保存する。
酒は新潟県妙高市、「鮎正宗」である。
本醸造の飾り気のない味にso much 合う。
久しぶりにアメリカ人と話したので(もちろん通訳ありで)、ついつい英語が出る出る。
ちなみに刺身も作ったが、刺身をつまみながら、ときどき「なめろう」が成り立つのは味がまったく違うからだ。
このみそとたたくというのは、だれが考えたのだろう、ボクならノーベル賞をあげたいな。
今回の血合いで作るものをメモでさかのぼって調べると、不思議なことにあまり「なめろう」を作らない、千葉県勝浦市で教わったことになっている。
ということで、今回は千葉県の言語「なめろう」とする。
ケンケンガツオは鮮度がいいので、血合いに臭味がない。
むしろ豊かなうま味がある。
みそ多めで、青唐辛子のピリっがあり、にんにくやしょうがの風味がある。
ときどき酢(福井県小浜市『とば屋酢』の壺之酢)をかけて、食べ始めると止まらない。
これじゃ、さんが焼きにする分が足りなくなるので、半分保存する。
酒は新潟県妙高市、「鮎正宗」である。
本醸造の飾り気のない味にso much 合う。
久しぶりにアメリカ人と話したので(もちろん通訳ありで)、ついつい英語が出る出る。
ちなみに刺身も作ったが、刺身をつまみながら、ときどき「なめろう」が成り立つのは味がまったく違うからだ。
このみそとたたくというのは、だれが考えたのだろう、ボクならノーベル賞をあげたいな。
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