川名興の偉大な業績
呼び名収集は半分民俗学、半分分類学だ
生物の科学的アプローチには膨大なやり方、方向性がある。例えば分類という一科学分野を考えても、明治期に西欧から【本格的】にリンネの二名法が導入されて以後最初にやらなければならなかったことは、生物を研究し、世界的な名である学名に当てはめることや、未記載のものを記載することだけではなく、その時点で国内での生物の呼び名を集めて整理することだった。名前がないものは存在しないことから、西欧の分類学以前に膨大な作業があったのだ。
この呼び名の採取は書籍から始まった可能性が高い。古くは古事記であり、平安期から鎌倉時代の日記であり、物語である。安土桃山期に本草綱目がもたらされてからは本草学書であり、江戸時代中期の木村蒹葭堂のように生き物自体や由来などをやたらに集めた人物が登場する。また江戸時代18世紀の末あたりから武蔵石寿のような生物に名前をつけてしまう学者が出現する。
いずれにしろ生物学の標準和名(国内で基準となる名。正式な名なんて言う人がいるが無知極まりない)はできるだけ過去に使われた呼び名から選ぶことから始まる。例えば日本の魚介類の標準和名は黎明期には純淡水魚介類は琵琶湖を中心に採取、その他の魚介類は日本橋魚河岸で採取された。
明治期の石川千代松、岩川友太郎も、後継者の田中茂穂、黒田徳米も、松原喜代松も決して巷間使われている呼び名を軽視しなかった。
さて、この呼び名を集めるというのは、非常に地道で粘り強さが必要なのである。魚名は民俗学の恩人であり、巨人のひとり渋沢敬三がお金と頭脳を使い集めて、それが現在に至る。
軟体類、特に貝に関しては千葉県富津市の一教諭であった川名興がいる。この人がいなかったら貝類の地方名はほぼ消滅していただろう。ボクなども出来る限り呼び名を集めているが、2023年時点ではほぼ消滅した後でしかない。
しかも呼び名の収集は川名興が民俗学者であるように、必ずしも動物学の分野ではない。民俗学の最大の欠点が同定(分類)できる学者がいなかったことだ。宮本常一にしても、タラはタラでしかない。むしろ比較的民俗学的な立場も踏まえ呼び名を集めた、宇井縫蔵の方が分類的には遙かに上なのだ。川名興は渋沢敬三とともに分類が出来る希少な民俗学者なのである。だから川名興という人はもっと評価されていい。
ちなみに川名興の『日本貝類方言集 民俗・分布・由来』は出版と同時に、神保町に就職した先輩が教えてくれ、「買うか?」というので買ったら、1988年、利潤抜きなのに確か13000円くらいしてびっくりした。
後に古書目録に遙かに安く出ていたので、無性に腹が立ちもう1冊買ってしまっている。
スガイの呼び名はメダカ以上に多そうだ
スガイのスガイ
今、貝類に関しては、『日本貝類方言集 民俗・分布・由来』の地名を現在の地名に置きかえる作業をしている。これが実にやっかいで、まるでデブがフルマラソンに挑むようなのである。
ただ、呼び名の世界に没頭していると、川名興の呼び名収集の方法・決まりごとが見えてくるのがとても楽しい。一度電話で話しただけだが、川名興さん、ご存命であるといいなと思う。
さて、スガイの呼び名の整理に昨日は半日かかったが、まだ終わっていない。
スガイはどこでもとれ、たぶん日本中で食べられている巻き貝なのに売り買いの対象ではない。地域性が極端に高く、広域性に乏しい。当然、巻き貝界のメダカ的存在といえるほど呼び名が多い。
自分が集めた呼び名も含めさせていただいても、『日本貝類方言集 民俗・分布・由来』にあるスガイの膨大な呼び名は、ほんの一部にしか過ぎないと思っている。
さて、本日も1988年当時の地名を今現在の地名に置きかえつつ、旧地名も生かしていくという、結構面倒なことをやるつもりだ。
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