青森県津軽、木村守克1、カドザメの由来

青森県のサメ食文化は呼び名からして面白い


『みちのく食物誌』(木村守克 路上社 1986)は、青森県の食に関して外すことができない本である。
この書籍は、発売と同時期に東京都神保町で見つけ買い求めている。何気なく買ったものだが、平易な文章なのにも関わらず資料性が高い。青森関係ではもっとも頻繁にリファレンスする一冊となっている。
木村守克の故郷は海から遠い弘前市で、1936年に生まれている。東北栄養専門学校を卒業しており、食や歴史に関する在野の研究家だろう。

「懐かしのカドザメ」の章には、津軽地方である弘前市、鰺ヶ沢町などで「カドザメ(書籍内がカタカナなので)」と呼ばれていたこと。その由来、料理法などが書かれている。
この「カドザメ」の由来についてから始めたい。
まずは予め現標準和名、ネズミザメについて。青森県八戸市の呼び名で『魚名集覧』(渋沢敬三 アチック・ミューゼアム・財団常民の刊行物 1934-1981)にあるため、1945年以前に採取された可能性が高い。同じく、東京でもネズミザメがある。このあたり東京への供給地としての青森県八戸市が見えてくる。
同じ『魚名集覧』に北海道釧路、青森、北陸の「カトウザメ」がある。そして『みちのく食物誌』(木村守克 路上社 1986)には「カドザメ」がある。
これらから青森県では主に日本海側で主に日本海で「カドザメ」、「カトウザメ」、「カトーザメ」と呼ばれ、太平洋側ではネズミザメと呼ばれていたのかもしれない。ただ、今現在で、この呼び名たちは青森県内で混ざり合って使われている気がする。

八戸市のネズミザメの由来は明らかに頭部がネズミのようにとんがっているためだ。

「カドザメ」には2説あるが、どちらが正しいかは結局不明だ。
「カドザメ」とは、加藤という人に由来する。
〈『弘藩明治一統誌月例雑報摘要抄』(内藤官八郎が明治時代に著したもの)に、この「加藤鮫」のいわれについて興味深い記事がありますので……「加藤鮫の事。この大鮫は、昔は漁をすることがありませんでした。天保十四年(1843)秋のこと、下前村(現小泊町下前?)の漁師で加藤音吉という者が、龍飛汐の口で、九月に一種の大鮫の漁をしたことに始まりました。〉
これでは「カドザメ」が説明できない。同じく青森県の「カトウザメ」・「カトーザメ」は加藤がぴたりと当てはまる。
ちなみに木村守克は、〈カドザメは、かつて鰺ヶ沢などでよくとれたものですが、今では需要も少ないので、すっかり漁が廃れてしまいました。今、魚屋で売られているものは、北海道でとれたものが解体され、ブロックになって青森に入荷したものです。〉とあり、サメの流通での北海道と青森との関係を述べている。ちなみに北陸の「カトウザメ」はアオザメである可能性がある。
ニシン(カド)をエサとしているため。
〈民俗学者の研究家である森山泰太郞氏(1915-2003)は、「カドザメ」と津軽で呼んでいるのはフカ(一般に大型のサメのこと)という魚のことで、カドつまりニシンを食うサメということだ。従って俗説のように加藤という漁師の姓とは関係がない〉。
この場合、生息域の北限にあたるアオザメが含まれるということだろう。
こちらは「カドザメ」には当てはまるが、「カトウザメ」・「カトーザメ」には当てはまらない。

それにしても青森県はサメに縁がある。同書には、津軽半島のつけ根、ネズミザメか、アブラツノザメかは不明だが、津軽地方鰺ヶ沢で、元禄期十六年(1703)以前からカドザメ漁をする「サメ取船」が五十六隻もあったともある。


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