栄螺の壺焼

『和漢三才図会』の壺焼

栄螺の壺焼き江戸風

『和漢三才図会』(寺島良安 東洋文庫 平凡社 正徳2年 1712)に壺やき(漢字無)が出てくる。
〈肉味甘くて、硬く厚い。腸・尾を取り去って切って醤油に混ぜ、再び殻に盛り煮熟して食べる。これを壺やきという。〉

正徳年間(1711-1716年)にはすでに「壺焼」があったことになる。
〈薩埵山東にあった西倉沢(西倉澤)茶店に栄螺・鮑を料理て価うなり。〉

宝暦10年(1760)正月22日(当然旧暦)土御門泰邦(江戸時代半ばの陰陽家で公卿で、宝暦暦を作る)が壺焼を食べている。

薩埵峠(現静岡県静岡市清水区由井西倉澤)は東海道の難所のひとつだ。

山形県産のサザエを買ったら殻に大量のフジツボがついていた。このような状態のサザエは砂を噛んでいる可能性が高いので、安い。実際に買って見たらこのままでは壺焼にできないので、江戸時代にならって作ってみた。

  • 1剥き身にする。
  • 2胃や腸、生殖巣も取り去って、砂を洗い流す。
  • 3軟体である脚の部分だけを適当に切りしょうゆで和えて、殻に詰めて焼いた。

参考文献/『たべもの東海道』(鈴木晋一 小学館ライブラリー)


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