小林一茶、七番日記の「ゑぞ鱈」

えぞ鱈は松前、蝦夷からもたらされたもの

棒だら煮

七番日記(文化一二年/1815)
ゑぞ鱈も御代の旭に逢にけり

〈訳/蝦夷地で獲れた鱈もこのありがたい御代の旭に逢えたことよ。年/文化十二(1815)。解/蝦夷地の鱈も、ありがたい御代に会えたよ、と誇らしげ。……〉
玉城司(国文学者。1953〜)現代語訳。

小林一茶(宝暦13年/1763〜文政10年/1828)は信濃柏原(長野県上水内郡信濃町)に産まれる。
安永六年(1555)、15歳で江戸へ奉公のために出る。
文化十一年(1814)、52歳で生家の2分の1を相続する形で柏原に戻る。
中農ということから自作農であり、田畑土地建物を所有したと考えていいだろう。

「ゑぞ鱈」は蝦夷地で獲れた鱈なのでマダラだろう。当たり前だが乾物の棒だら、もしくは塩蔵ものとなる。
北前船で松前、蝦夷地から送られて来た。
なぜ、小林一茶はこれを「ゑぞ鱈」としたのだろう。
柏原生まれなので、小林一茶にとって鱈といったら近い産地、越後で上がった介党鱈(スケトウダラ)のことだ。
これは新潟県上越地方から現在の長野県北信地方までが、スケトウダラ食文化圏であることからも間違いないことだと思われる。

えぞ鱈は中農では考えられないくらいのご馳走だった

小林一茶生家

文化一二年なので、一茶は柏原周辺にいる。
周辺の豪農、豪商によばれたときの話だろう。
その料理がなんであるかはわからないが、柏原にも「ゑぞ鱈」がある、ということに興を得て句に詠んだのだろう。
中農の小林家で、スケトウダラは高価だがケ(普段)の日でも希に食べられたが、「ゑぞ鱈」はハレ(一年の中でも特別な日のこと。正月などがこれにあたる)でも食卓に上ることはなかったのではないか。
「ゑぞ鱈」は中農には考えられないような食べ物であった。
だから「御代の旭」という晴れがましい言葉は、「ゑぞ鱈」にかけられたものではなく、「ゑぞ鱈」に出合っている一茶自身にかけられているのではないか?
参考文献/『一茶句集』(玉城司訳注 角川ソフィア文庫)


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