吉永サヨリなんて最近では死語になりつつある
市場はしゃれてこそ市場なので吉永サヨリが生まれる
サヨリ,吉永サヨリ
八王子総合卸売協同組合、舵丸水産に愛知県篠島産のみごとなサヨリがきていた。山梨県上野原の料理店、桜扇さん(市場では屋号で呼ぶのが普通)に「吉永サヨリって言う人が少なくなりましたね」というと、忙しい最中なのに「ボクたちが最後でしょうね」と返してくれた。久しぶりに会った魚屋さんにも同じ話をしたが、「最近の人はわからないだろ」という。
築地に通い始めたとき、頻繁に行けないので、できるだけ少量、多種類を嫌がられないように買っていたことがある。
嘴の赤いサヨリをできれば2本買いたかったのだけど、「4くらいは買いな、サヨリちゃんはよ」と言われたことがある。閂(かんぬきは全長30cm以上で80gから100gある)とまではいかなかったが、かなり大きい個体なので4尾だと200gくらいになるな、と躊躇していたのだ。
ちなみにそのときボクは「サヨリちゃん」で、ちょっとニヤッときた。そのものずばり、「吉永サヨリちゃん」という人もいた。「吉永サヨリちゃんきれいだよ、おいしいよ」なんて言葉に、1980年前後に30歳以上だった人(今なら70歳以上)なら、吉永小百合の姿が浮かんできてわくわくしたのだろう。
今年の冬に去る業界の仕事中に、バスの中で魚のレクチャーをしながら「吉永サヨリちゃん」と言ったら無反応だった。周りにいたのは30代、40代であるが、考えてみたら「魚のサヨリで吉永サヨリ」など理解できるはずがない。
サユリストもどんどん消えて行く
吉永小百合は戦後のアイドル
むりやりでも吉永小百合になぞらえるのは日活青春映画最後の世代までだと思う。築地のマグロ屋に聞いた話では映画は1日に5回も入れ替えで見せた時代で、ごまかすと何度も1回分の料金で見られたという。ということは吉永小百合の映画を1日に何度も見ているわけだ。
野坂昭如(1930年生まれ)、タモリ(1945年生まれで吉永小百合と同級生)はサユリスト(吉永小百合の熱狂的なファン)として知られるが、本当の意味でのサユリストは、この世代から1950年前後に生まれた男性だろう。
ボクは日活映画を都内の名画座で見た世代であり、映画よりもテレビの世代だ。
吉永小百合は1945年東京生まれで、1950年代の末くらいから映画に出ている。出演映画は小沢昭一ために何本も見ているけど駄作ばかりだ。
キューポラのある街を撮った浦山桐郎(学生のとき新宿でケンカしている人がいて同級生が「うらやまきりお」だ、と言ったが本当かな)がいやいやながら主役に使ったというのがわかる気がする。要するに役者としては三流という戦後に誕生したアイドルだったのだ。
日本のアイドルは歌舞伎(出雲阿国など)→義太夫・遊女→芸者→映画俳優→テレビ俳優・歌手に移り変わったのかな?
吉永小百合にしても松原智恵子、和泉雅子にしても、十朱幸代にしても、テレビで見たのが最初で、映画は知らなかった。きれいなオネエサンだとは思ったもののワクワクはしなかった。
この吉永小百合にワクワクした世代が市場から徐々に消え始めている。
ボクの世代のアイドル的な存在は南沙織であり、小柳ルミ子であり、天地真理かな? ボクは自分の部屋をもらって、ラジオとレコードに移行していたときなので、それほど時代に沿っていなかった。このあたりが同世代の泉麻人とは違っている。
次世代の山口百恵にしても桜田淳子を含めても、魚でしゃれるなんてできない。