林芙美子『放浪記』の〈あいなめ一尾買う〉
アイナメにやたらにはしゃぐ林芙美子

(五月×日)
……
「少女」と云う雑誌から三円の稿料を送ってくる。半年も前に持ち込んだ原稿が十枚。題は豆を送る駅の駅長さん。一枚三十銭も貰えるなんて、私は世界一のお金持ちになったような気がした。
———詩集なんてだれもみむきもしない。
間代二円入れておく。
おばさんは急に、にこにこしている。手紙が来て判を押すと云う事はお祭のように重大だ。三文判の効用。生きていることもまんざらではない。
急にせっせと童話を書く。
みかん箱に新聞紙を張りつけて、風呂敷を鋲(びょう)でとめたの。箱の中にはインクもユーゴー様も土鍋も魚も同居。あいなめ一尾買う。米一升買う。風呂にもはいる。
大正13年(1924 元号は嫌いだけどわかりやすいので)に林芙美子(明治39〜昭和26年)が本格的に上京して、関東大震災をへて、昭和初期までに書かれた文章である。
昭和3年(1928)、長谷川時雨(明治12年生まれ)に見出される以前と以後数年の話だと推測する。
アイナメは大正・昭和と今以上に高級なものだった

『放浪記』の文章は場所が不明であることが多く、日日切れ切れに並ぶので、意外に難解である。
生活の場面場面を実に写実的に描きだしていて、しかも文学的。武田百合子の『富士日記』と合わせ読むと非常に面白い
当時一般的に、アイナメは高級なものであったことがわかる。『放浪記』にはサンマやハタハタが何度か登場するが、アイナメはたぶん1度しか出てこない。
しかも東京湾を代表する白身魚で、漁の盛期・旬を迎えつつある5月のアイナメである。
どのように食べたのかは不明だ。
貧乏だった(?)幼少年時代を振り返る谷崎潤一郎(明治19年生まれ)が、嫌いだったアイナメとは大違いである。
谷崎潤一郎はアイナメの煮つけを見た目の地味さからして許せなかったのだと思われるが、林芙美子はこの地味なアイナメを「世界一のお金持ちになったような」気分で食べていた。
アイナメの食用魚としての地位がわかる。
『新版 放浪記』(林芙美子 新潮文庫)