体長20cmを超える。細長く胸鰭、腹鰭、尻鰭が離れている。脂鰭がある。[天然/鰭の先の尖り具合、全体の色合いが違っていて、スマートである]
アユの生物写真一覧 (クリックで上に拡大表示)
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珍魚度・珍しさ
★★
少し努力すれば手に入る魚貝の物知り度
★
知らなきゃ恥食べ物としての重要度
★★★
一般的(流通量は普通)味の評価度
★★★★
非常に美味
分類
硬骨魚類条鰭亜綱新鰭区新骨亜区正新骨下区原棘鰭上目キュウリウオ目キュウリウオ亜目アユ科アユ属外国名
学名
Plecoglossus altivelis altivelis (Temminck and Schlegel, 1846)漢字・学名由来
漢字 鮎、香魚、年魚 Ayu
由来・語源 中国で「鮎」と書くと、ナマズのことをさす。それが我が国でアユをさすように変化した。
名前の由来は〈あひ〉が原語で、これが〈あい〉〈あいお〉〈あいよ〉〈あよ〉〈アユ〉に転訛した。「あ」は愛称語、「ひ(い)」は魚名語尾。「愛らしく味佳き魚」の意味である。
他に、「アユは神前に贄(にえ)として供え、占いに用いた。それで餐(あえ)とよんでいたのが〈あえ、あい〉の発音に変化した」「アユは〈あゆる〉意なり、〈あゆる〉は落つるなり。秋に川を降るものなり」(日本釈名)「〈あ〉は小なり、〈ゆ〉は白きものなり」。意味は「白い魚」(新井白石)。Temminck
コンラート・ヤコブ・テミンク Coenraad Jacob Temminck(1778-1858 オランダ) シュレーゲルとともにシーボルトの持ち帰った脊椎動物を整理、記載。『Fauna Japonica』(日本動物誌)を執筆。
Schlegel
ヘルマン・シュレーゲル(Hermann Schlegel 1804-1884年)はドイツの動物学者。テミングとともにシーボルトの持ち帰った脊椎動物を整理、記載。『Fauna Japonica』(日本動物誌)を執筆。地方名・市場名 ?
生息域
淡水→海水→淡水。河川の上・中流域、水のきれいな湖、ダム湖。岩場や小石や石の混ざり合うような場所を好み、泥などの多い場所を嫌う。
北海道西部以南から南九州までの河川、湖沼、ダム湖など。
朝鮮半島〜ベトナム北部。生態
■産卵期は北国では早く8月下旬〜9月、南方域では10月下旬〜12月。
■産卵後の親は死んでしまうが、一部は生き残るものもいる。
■秋に川の中流域で産卵し、孵化すると秋に海にくだり、春に川にのぼってくる。
■海では小エビなど肉食性で川にのぼり定着すると珪藻(けいそう)、藍藻(らんそう)などを食べるようになる。
■付着藻類を食べるために両顎(唇)に特種な櫛状歯がある。
■タンパク質もエネルギーも少ない藻を確保するために縄張りを持つ習性があり、そこに侵入するアユを攻撃する習性を利用したのが友釣りである。
■また近年、ほとんどの川が環境や生態を無視してダムが作られ海からアユが遡上しがたくなってきた。このため天然に産卵するアユは減り、これを補うために琵琶湖からの稚アユ放流、もしくは海のアユを人工的に川に戻すなどが行われている。基本情報
年魚(アユ)は延喜式(927年/延長5年完成した)の献納品にも登場する、遡れば縄文期以来国内で馴染み深い魚である。日常的なものから祭事などにも使われ、伝説にも登場している。
古くは国内各地の河川でたくさんとれていた。それが高度成長期によるダムの建設、乱開発で減少の一途をたどった。今や海アユや湖産鮎(琵琶湖)を放流して河川のアユを確保する時代となっている。ちなみに自然遡上しているものもあると思うが、アユはその河川の自然状況を判断する指標にはならない。
天然ものは高値となり、一般にはほとんど出回らなくなる。これをおぎなう形で登場してきたのが養殖もの。
最初は天然物との味の違いから敬遠されたが、徐々に認知度が高まり、価格の安さもあって人気が出てきた。1960年代に急増し、徐々にスーパーなどにも並ぶようになってきている。そして2016年現在では天然は高級で特殊なものとなり、養殖ものは一般的な商材となっている。
珍魚度 食用魚である。天然ものを手に入れるのは難しいが養殖ものは一般的な食用魚で手に入れやすい。水産基本情報
選び方
触って張りのあるもの。色あせしていない黄金色のものがいい。味わい
旬は夏 秋口の子持ちも別種の美味しさがある。
海産の稚鮎、湖産の氷魚(ひお)は鱗も骨も気にならず、そのまま利用できる。
成魚は鱗は細かくほとんど気にならない。皮は比較的しっかりしている。骨は軟らかい。
身は飴色がかった白身。熱を通しても硬く締まらない。
真子、白子も味がいい。栄養
ー危険性など
ー食べ方・料理法・作り方 (基本はオススメ順掲載です)
アユの料理・レシピ・食べ方/【天然】焼く(塩焼き、魚田)、生食(背ごし)、揚げる(天ぷら、フライ)、煮る(煮浸し、赤煮) 【湖産】天ぷら、佃煮 【養殖もの】ソテー(ムニエル)、塩焼き 【稚鮎、氷魚(ひお)】天ぷら、煮つけアユ塩焼き アユ料理の基本は塩焼き。振り塩をしてすぐに焼いていい。6、7月上旬のアユは骨が柔らかく皮も柔らかく丸ごとかぶりついて美味しい。また落ち鮎の子持ち、白子持ちも美味しい。[マルモ 岐阜県郡上市白鳥]クリックで閉じますアユの塩焼き
好んで食べる地域・名物料理
梁料理 栃木県那珂川町、那須烏山市。梁でとれたアユをその場で焼いて食べる。那珂川には無数の梁がある。
あいざつま(あゆのさつま) 愛媛県大洲市、肱川沿いの多田では海の魚で作る「さつま」をアユで作る。頭とはらわたを取り、焼く。これをみじん切りにしてすり鉢でする。それに味噌を加えてまたする。すり鉢のなかをならして、すり鉢を逆さにして炭火で焼く。四〜五回すっては焼くを繰り返し、ゆでたコンニャクを焼いて水分を取ったもの、水切りした豆腐を加えて熱湯を注いで砂糖で味を調えて、熱い麦飯にかけてネギを散らして食べる。『聞書き 愛媛の食事』(農文協)加工品・名産品
釣り情報
歴史・ことわざ・雑学など
今昔物語/鮨鮎がどろどろの状態 行商の女が、古い門の前、売りものをたくさん入れた平たいおけを並べて酒に酔って横になっていた。目をさましておきたとたん、へどを吐き、その売りものを入れたいけに吐き入れてしまった。女はしまったと思って急いで手でその吐き出したものを鮨鮎にまぜこんでしまった。…思うに、鮨鮎というものはもともと、へどと一見似たようなものだから…。[人、酒に酔いたる販婦の所行を見る語]
今昔物語/すしあゆは水飯のおかず 今は昔、三条中納言(藤原朝成 天延二年(974)没)という人がいた。ひどく太って肥満体であったので、医師和気重秀に「水飯を食べるところを見せよう」といって、大きく幅広いすしあゆを尾頭のまま押して三十ばかり盛ってある。すしあゆを二切れほどに食い切って、五つ六つ食べ、水飯食べた。[三条中納言、水飯を食う語]
アユの香り とれる川によって香り味が違う。[全国]
アユの香り スイカの香りがすると言われる。またそう思う。
日本書紀 「鮎」がこの国でアユのこととなったのは日本書紀で神功皇后が三韓征伐(本当はあり得ないが)の折りにアユを釣って先勝を卜したためとされる。
延喜式 鮨(なれずし)などたびたびアユが登場する。
すしあゆ 「今昔物語(平安末期)の三条中納言、水飯食う語」に水飯の菜に。
松尾芭蕉 松尾芭蕉の句に「おもしろうてやがてかなしき鵜船かな」。
夏目漱石 三四郎 上京する折り、京都から名古屋までの汽車中で〈三四郎は鮎の煮浸しの頭をくわえたまま女の後ろ姿を後ろ姿を見送っていた〉
アユは骨も食え 栃木県那須郡那珂川町では「骨を残して(塩焼きを)くうのは素人だ」とされている。
鵜飼 長良川をはじめ鵜飼が有名。鵜飼は中国から入ってきた漁法。この国では記紀(古事記・和銅5年712年、日本書紀養老4年・720年)の頃より文献に載る。
アユの放流 1913(大正2)年魚類学者の石川千代松が大きくならない琵琶湖産のアユを東京都多摩川に放流、大きく育てることに成功する。これにより全国河川への湖産アユの放流がはじまった。 福岡県久留米市田主丸。筑後川には琵琶湖と鹿児島県池田湖から稚鮎を持って来て、放流していた。
海産アユ 海産の稚アユを途中まで育成、河川に放流する事業もある。
アユ競り 岐阜県岐阜市『岐阜中央卸売市場』では漁期には「あゆ競り」が行われている。
鮎をかたどった銘菓
登り鮎 岐阜市玉井屋。
若あゆ 『仙太郎』京都市下京区寺町通仏光寺上がる仲之町。
あゆ焼き サブレのようなもの。ややくどい。[糸川屋製菓 三重県熊野市]
若鮎 カステラ生地に求肥、あんこを入れたもの。[明美製菓 東京都北区]参考文献・協力
『日本産魚類検索 全種の同定 第二版』(中坊徹次編 東海大学出版会)