東京と茨城以北の太平洋側、特に宮崎県との水産交流の深さを感じるのが「ぶわたら(塩蔵マダラ)」だと思う。
1970年代後半に都内で「湯豆腐」をお願いすると必ず「ぶわだら」が入っていた。これでは「たらちり」ではないか? と西日本の人間には見えた。
今でも寒くなると関東の市場に「ぶわたら」の入荷が増える。
明治期の『唾玉集』斎藤緑雨に「仙台鮪」が出てくるのも、東北本線の開通で、宮城県の水産物が東京に送られ始めた証拠だと思う。こんなささいなことからも、文字的な資料だけではなく、今季こそはマダラのフィールドワークをやってみないとダメだ。