4月、栃木県茂木町の旅1 町を歩いただけに終わる
茂木町にて、目的の半分果たせて半分は果たせなかった
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茂木町の話は続き、以後ページ改訂を繰り返していきます。
・4月、栃木県茂木町の旅1 町を歩いただけに終わる本ページ
・4月、栃木県茂木町の旅2 教わったおいしいそば屋は駅にあり
栃木県茂木町へ日帰りの旅をした。
データベースを維持するために日々忙しい。決め事が出来ないで終わることが多い。
栃木県栃木市で会った方に昔、非常に重要な情報をいただいたことがある。
聞き忘れたことがありそうだったのでケータイ電話番号を聞いて、会いに行こうと思いながら会いに行けないでいた。
今年こそ会いに行こうとしたらケータイが繋がらない。
ケータイが通じないけど、実際に教わった住所に行ってみたらご家族自体がいなかった。
戦前に生まれた方に会いに行くと、このような空振りが非常に多いが、どうにもならない。
今回の目的は「すなさび」、「すなはび」という魚で、標準和名はヒガシシマドジョウである。
本人には会えなかったが、いろんな方から、重要な情報を聞き出せたので、意味のある旅とはなった。
ついでに、今、日本史上、ひょっとしたら米以上に重要かも知れない馬の書籍を読んでいる。例えば、なぜ、平安時代から中世にかけて東北地方とか関東地方で血で血を洗うような争い事が多かったのか? その原因は馬であり、牧の支配権だということは明白なのではないか? その歴史の痕跡は地名に残っているはずだ。
例えばボクの徳島県には美馬郡があり、美馬町があり、馬の伝説が残る。
茂木町にも馬門という地名があるのだ。
平安時代以前から国内に馬牧は数知れずあったが、馬牧は地形的に馬を隔離して飼育できる場所にしか作れなかった。
伊達政宗の伊達家の戦の歴史を見ても、山間部の小さな点(城というか館)が非常に重要だったかがわかる。
この点が馬を隔離する場所、すなわち牧なのかも知れぬ。
今回は前回の福島県三春の三春駒に続く、馬の旅でもある。
ところが残念なことに、茂木町に着いた途端にぎっくり腰だと思われる痛みに襲われる。
歩けば歩くほど痛みが増す。
結局、馬門にはいけず、茂木町をゆっくり歩くだけとなる。
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ついつい自分の故郷と比較してしまうが人口1万人ほどは、故郷、徳島県つるぎ町よりも多い。
町のところどころに賑やかだった時代の名残がある。
平側を道路に向けた商家造りの建物が多い
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さて、前置きばかりになりそうだが、茂木町の町並みはとても美しい
通りに平側を向けた、奥行きがある商家造りの建物が多く、昭和に入って作られたであろう、看板建築もある。
和菓子屋が何軒も残っているのなんて、最高だと思う。
茂木町は盲腸線の終着駅でもある
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茂木町には鉄道が通っている。
真岡鐵道というローカル線だが、茨城県筑西市から真岡木綿の真岡市を通って、終着駅が茂木駅なのだ。
改札口を出ると正面に不思議なものがある。
鉄道のことはわからないが盲腸線なので、ディーゼルカーの向きを変えるためのものじゃないか。
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不思議な模様の一両だけのディーゼルカーが止まっていた。真岡鐵道の歴史は1987年と浅いようなので当時流行っていた模様かも。
なみに始発駅(?)の茨城県下館は一度行ってみたいと思っていながら、通過しただけで、まだじっくり歩いていない。下館の先の関東鉄道常総線も石下までだ。
下館の館は中世以前の城(城自体ではないが中世には城の役割を担った)のことだ、というのも気になる。
→茂木町の話は続く。

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