2026年2月、高輪散歩01 桂坂と柴田錬三郎旧宅
国道15号を渡ると高度成長期の名残がいっぱい
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三田高輪がやけに面白い。1月、2月、体調不良解消のために近所歩きをし、ときどき気になるところまで遠征して歩いている。
ボクはこれを水産生物から離れたものなので無駄歩きという。
今回は高輪ゲートウェイから恵比寿まで歩く。
もちろん仕事前の時間を使っての無駄歩きだけど最大の目的は柴田錬三郎旧宅である。
大きすぎてなんだかわからないTAKANAWA GATEWAY CITY でトイレだけをして国道15号(品川近くで第一京浜となる)を渡ると、上り坂が続いている。
この坂道の名を桂坂という。
坂道の登り始めに「高輪海岸の石垣石」とその説明板がある。
江戸時代、日本橋を出て品川にいたる東海道中でこの石垣の先は江戸湾(東京湾)の砂浜だった。
ぼーっと説明板を読んでいたら、ボクの脇をモデル体型の女子がす、す、すーっと桂坂を駆け上って行く。
なんだか春風のようでカッコエエな、と思う。
正面に不思議な建物が見えてくる。
1977年に作られた「桂坂ハウス」という名のビルだ。
柴田錬三郎旧宅は著書のイメージからは遠いものだった
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その先に古い住宅建築があって、それが柴田錬三郎旧宅だった。
石崖の上に建つのは洋館でもなく和でもない、非常に均整のとれた落ち着いたデザインの建物である。
石坂洋次郎の『陽のあたる坂道』の家はこんな感じではないか、と思ったりする。
石段の踊り場には「柴田」の表札が残っている。
柴田錬三郎は大正6(1917)年、岡山県備前市生まれ。この大正前期生まれというのも重要である。
第二次世界大戦でいちばん苦しい思いをしたのが、この世代だからだ。
ただ、物議を醸す発言の多い人という印象があり、時代小説家だけど伝奇的なイメージから敬遠してきた。
テレビにたびたび出ていたのもあまりいい印象を受けなかった。
小説は数冊しか読んだことがないが、最近読んだ本人らしき人物が登場する『図々しい奴』(1961)、『わが青春無頼丁』(1967年)がやたらに面白くて、再度読む前に住んでいた家を見たかったのである。
ついでに言えば「眠狂四郎」は映像では見ているものの、小説として読んだことがない。
非常に安い古本の値段からもせっかくなので網羅的に読んでみたい気がする。
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この家はいつ頃のものか?
1951年『イエスの裔』で直木賞をとっているが、けっして経済的に恵まれた状況ではなかった。
人気作家となるのは1956年の「眠狂四郎」以降のことだろう。

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