貞光町はボクの故郷 二層卯建の商店街
計画的に作られた街で、自然発生的に建ち並んだものではない
貞光町
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徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の町並みは珍しいことに、吉野川の支流、貞光川に平行に南北に一直線に並ぶ。これは市街地作りが計画的に行われた結果だという。
北から大北町、北中町、明治橋、南中町、南町、大南町である。この商店街、通りは夜間照明が電球から蛍光灯になったのも古かった。
ボクら子供達はこの明るい照明の下、夜でもキャッチボールが出来ると大騒ぎして喜んだ。
『貞光町風土記―木綿麻の里に歴史を探る--』(柳川武夫 教育出版センター 1982)によると商店街で一番古い建物は、今はない郡大氏宅で棟木の札には1735年(享保20)とあるとのこと。享保は江戸時代の折り返し点で蜂須賀藩政の中期にあたる。
このような蜂須賀藩政期にまで遡ることができる県西部の町並みのある町は、脇町(現美馬市)、貞光町、池田町(現三好市)だけだと思っている。しかも3町とも卯建(うだつ)の建物がある。
これらは計画的に街作りが行われたはずだ。
池田と貞光は商工業の町で、脇町は商工業の町である上に稲田氏の城下町である。
池田の建物は本瓦葺きで一層卯建を持つ。
脇町は本瓦葺きで一層卯建だ。
貞光だけが二層卯建で本瓦葺きの屋根を持っていることになる。
今現在もっとも美しい景観を残す3つの建物は比較的新しい
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徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)を特徴付けるのはは二層卯建、本瓦葺きの商店が並んでいることだ。
二層卯建の商店街にまったく同じ造りの建物が3軒並んでいる。
3軒とも二階屋であり、商家であり、隣接しているので切妻屋根になっている。
北から『阿佐金物店』、『すぎや』、『嘉美屋(紙屋)』である。『すぎや』が明治30年代、『嘉美屋(紙屋)』は紙と製糸工場を営んでいた家で大正時代、そして大正末から昭和になってから『阿佐金物店』が出来る。
この3軒は間取りなどまったく同じ設計造りになっている。
『すぎや』は左手の入り口から長い通路があり、釜屋(台所)へと続いている。入って右手には長い廊下があり離れたところに川屋(便所)と風呂がある。
3つの家は鬼瓦の様式まで同じである。
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貞光町南中町の『真鍋食料品店』。
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貞光町南町の『嘉美屋(紙屋)』。
卯建とは? 卯建の代表、岐阜県の建物
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卯建とはなにか? 木造建築が並ぶ町並みで、家と家の類焼を防ぐ防火壁のことだ。
またその家の財力を示すための装飾物でもある。
岐阜県には卯建の町並みが多数残っている。
また様々な卯建が見られるが、卯建自体が独立した造りにはなっていない。建物と一体化して目立たない
構造的に軽いのは地震の多い地域だからだろう。
全国的にはこのタイプの卯建が普通である。
写真は岐阜県美濃市の町並み。
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比較的独立した造りになっていても、どこか建物と一体化している。
袖卯建という、屋根の中に納まる形の薄い壁状の卯建が多い。
しかも可燃性の高い木の板を使っているので防火壁としては弱い。
写真は岐阜県郡上市白鳥の『布屋 原酒造場』。
貞光の商店街で見られる二層卯建
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貞光町にある卯建は非常に珍しい造りをしている。
二層になっていて建物に対して独立性が高く、壁が漆喰で塗られ、本瓦葺きの屋根が乗っている。
貞光の卯建が二層と言うだけで珍しい、と言われるとその珍しさの半分も表現できていない気がする。
またこんなに重い構造物を乗せることが出来るのは地震が少ない地域だからだ、とも思っている。
写真は『すぎや』。
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二層卯建の正面には縦長方形の鏝絵のある家もある。
この鏝絵もひとつずつ見ていくと発見がありそうである。
写真は向かって右が南中町『阿佐金物店』、左が南町『すぎや』。
本瓦葺きとは、丸瓦と平瓦の2種類の瓦で葺かれた屋根のこと
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本瓦葺きは本来は寺院などに見られるもの。貞光の商店街の多くの家が、商家・民家にもかかわらず本瓦葺きの屋根を持っていることも非常に珍しい。
屋根に平瓦を並べ、その瓦と瓦の間に壁土を盛る。その盛り土の上に丸瓦を縦に繋げたもの。
いちばん下の部分には軒平瓦と軒丸瓦が屋根の庇を形作る。
また棟には平たい瓦を積み上げ、その真上にも丸い瓦が連なっている。両端には鬼瓦がある。
写真は阿川酒造所。

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