貞光町はボクの故郷 貞光の青石文化
チワラスボ属(Taenioides)について
Species Taenioides anguillaris (Linnaeus, 1758)/アカナチワラスボ
Species Taenioides buchanani (Day, 1873)
Species Taenioides caniscapulus Roxas & Ablan, 1938
Species Taenioides eruptionis (Bleeker, 1849)
Species Taenioides esquivel Smith, 1947
Species Taenioides gracilis (Valenciennes, 1837)/コガネチワラスボ
Species Taenioides jacksoni Smith, 1943
Species Taenioides kentalleni Murdy & Randall, 2002/ティーダチワラスボ
Species Taenioides limicola Smith, 1964
Species Taenioides mordax (De Vis, 1883)
Species Taenioides nigrimarginatus Hora, 1924
Species Taenioides purpurascens (De Vis, 1884)
Species Taenioides snyderi Jordan & Hubbs 1925/チワラスボ
新興の町、貞光の町は青石だらけ
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さて吉野川右岸は(現徳島県美馬郡つるぎ町貞光)は江戸の藩政時代、明治時代を通じて吉野川の左岸(現美馬市)と比べると往還もなく僻地でしかなかった。
ましてや江戸時代、明治まで吉野川の舟運が経済を動かしていた。その舟運のための港もなかった。
そんな僻地に忽然と南北に一直線の商店街が出来たのは明治時代、そして徳島本線貞光駅が大正3年(1914)に出来て俄然発展する。
商店街を中心に貞光の歴史、見どころ、地域性を感じる部分を残していきたいと思う。
まずは青石についてだ。
貞光町(当時、徳島県美馬郡貞光町貞光)の建造物には青石がいたるところに見られる。
青石は四国の吉野川流域では非常に在り来たりなものでしかない。つるぎ町太田立石の前、吉野川の岸に渡しがあった。そこは非常に水深が深く、何人もの子供が溺れ死にをしたという話がある。そこでドブンという釣りをして「いだ(ウグイ)」などを釣っていたが、その釣り場全部が青石で、その大きさたるやテニスコート2面くらいはあったはずだ。吉野川は青石だらけだ、と言ってもいい。
「阿波の青石」は、大阪などの商人に好まれ、高値で売れたと話す人がいるが、国内での石の評価などというものがあるのだろうか。貞光には、この大きな青石を切り出して売る、石屋もあった。
青石の板で囲った井戸、そして釣瓶
すぎや井戸
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さて、ボクの生まれた祇園小路周辺には小路の北に『阿佐金物店』、祇園小路の南に『すぎや』、その隣に『紙屋』と、3軒がまったく同じ造りで建っている。
今回、2025年11月の旅で、現『紙屋』の当主、岡正三さんに内部を見せてもらったら、家の間取りやトイレ(祖母は手洗い)や台所など敷地内の家屋の位置も同じだった。
中でもビックリしたのが、井戸で、大きさも形もまったく同じだったことだ。
写真は旧『すぎや』の井戸。
紙屋井戸
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3軒は『すぎや』が明治30年代、『紙屋』は紙と製糸工場を営んでいた家で大正時代、そして大正末から昭和になってから『阿佐金物店』が出来る。
『阿佐金物店』の井戸は見ていないが、『すぎや』、『紙屋』の井戸は瓜二つである。
四方を板状の青石で囲まれていること、昔よく遊んだ釣瓶(つるべ)の造りまで同じ。
『紙屋』の奥に向かう飛び石も青石であり、『すぎや』の蔵の土台も青石だったと記憶する。
阿佐家は子供の頃はともかく大人になってからは奥を見ていない。次回はぜひ確かめたい。
写真は岡家、旧『紙屋』の井戸。
石垣、石組みと町の至る所に青石がある
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貞光の古い家屋の石垣などには扁平な青石が使われていることが多い。扁平な青石を使った石垣は意外に珍しいのだということがわかってきた。
この青石の石垣や積み石は非常に美しい。特に雨の日がきれいだが、晴れた日にしか撮影できないでいる。
さて、写真の民家の石垣は商店街の道から八坂神社(祇園さん)を西に進み、西山の登り口近くにある。奥にあるのが熊野神社で、子供の頃、この先で幽霊に遭遇したことがある。ここから先は昼なお暗くなんとなく恐いところだった。
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祠は町内の臼井家が守っているもので、確か「貞光はん」と呼ばれていた。臼井家は持ち回りで貞光講を開いていた。
この板状の積み石そっくりの石がボクの生まれた『すぎや』にもあった。ちなみにボクの家は臼井家が本来で、貞光講が行われていた。
臼井(うすい)で貞光(さだみつ)と言えば、平安時代の源頼光が丹波国大江山に巣くう鬼、酒呑童子征伐したときの碓井貞光が浮かんでくるが、関係あるのかないのか、不明である。
この石の形状の共通点の意味がわかる人はもういないはずだ。
写真は貞光はんの祠。

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